こんなに恵まれて良いのだろうかと思ってしまうほど、カルカッタを流れる全く別の時間。
ツーリスティックな(もちろん一般的な使われ方とは違うが)サダルを避けているわけではないが、マイダンに出るには1本南の通りを使ったほうが近道とわかった。これがまた別の表情をしている。政府関係のビルもあり、道端には軽食の露店が並ぶ。カバブなどをチャパティで巻いたロールを食べたかったのだけれど、プーリーとかトーストばかりなので、そのままマイダン公園へ。
チョーロンギーを渡ってすぐの入り口近くに日本で言うところの交番、ポリスボックスがある。その警官がわざわざ立ち上がって奥から出てきて、朝の挨拶をしてくれる。こちらも「ナマスカorサラマレコム?」と挨拶すると、実に嬉しそうな表情が返ってくる。こうやってさわやかな朝が始まるのである。
ガンガを挟んだ喧噪のバラナシと不毛の対岸のように、チョーロンギーを渡ったマイダンは別世界。フグリー川までの広大な土地が公園になっている。とにかく広い。緑地のベンチで昼寝をする人、サッカーをする青年、そして南国の花と鳥。暑かったけれど、ステレオマイクを仕込んだベストを着て、歩きながら鳥の鳴き声を録音する。
歩きながら考えたのであるが、大都会のカルカッタで地元の人もあまり着ていないクルタとピジャマにこだわることはないなと思う。つまり、若い頃はインドの価値基準を規範にして、悪く言えばインドにかぶれてもいいと思う。しかし、今の自分はインドを受け入れる、これまた悪く言えばインド人の振りをするのではなく、等身大の自分をそのままインドに持ち込むべきじゃないかなと思うのだ。そこで軋轢が生まれてしまったら、自分自身が不十分ということ。もう自分の生き方というのがはっきりしているのだから、それは国際的に通用するものだと思うのだ。それが今回の旅のスタイルではないだろうか。自分がリッチと勘違いするのも、貧乏旅行にこだわるのも、今の自分にとっては等質に感じられる。つまり、インドを相手の相対的価値観も日本を持ち込んだ相対的価値観も変わらないと思うのだ。全部、自分流で構わない。若い頃は独りよがりと同義になってしまうのだが、それはないだろう。
現在のフォート・ウィリアムは軍の武器庫になっているから看板を見る以外にすることはなし。つまらん写真でも撮っておくかと鞄をもぞもぞやっていると「ここは軍の施設だから撮影まかりならん」と偉そうに命令する奴が現れた。こういった場合、ほぼ十割の確率で軍とも政府とも無関係の人間である。他人にお節介を焼きたがるのはインド人、とりわけベンガル人の特徴であるが、それを威張ることでしか表せない人間がいるのも事実。どこにそんな規則があるのかと質問しても、反発しても、あるいは謝罪しても、相手は単に威張りたいだけだから不愉快な結果を招くだけ。はいはいと生返事をして、さっさと退却。肩すかしを食らわせるのが最も効果的なのだ。
フォート・ウィリアムの裏手に戦車があるというので探していたら、何とフグリーではなくチョーリンギー側に野ざらし状態で置いてあるではないか。撮影していると老人が近づいてきて、誇らしげに「この戦車はパキスタンとの戦争の時に国境で云々」と事細かに説明してくれる。ありがたいのであるが、思わず「あんたはリタイアした軍人か」とたずねてしまう。ところが、彼は地元の芸術家で、教え子が2万4千人いるとかすごいことを言い始めた。メモ帳はあるかと言うので手渡すと、電話番号と名前を記して「夜9時すぎに電話してこい」との御託宣。呆気にとられていると、彼は9時に寝床に入り、ベッドサイドには電話があると説明してくれる。
それって、つまり、その、暇つぶしの相手……。
そうこうしているうちにマイダン名物のヤギの放牧集団がやって来た。
いくらインドといっても、カルカッタは大都会。日本でも都会で牛を飼うの飼わないのと騒いでいる御仁がいるようだが、家畜を飼うというだけの話ではない。ホーボク、放牧なのである。それも東京で言えば世田谷あたりの話ではなく、チョーロンギーはいわばカルカッタの銀座通り。その傍らで放牧が行われている。
往来を渡るヤギの群を初めて見た時には、頭の中で除夜の鐘が鳴った。その衝撃に「どこで」と考える余裕はなかったが、なるほど、戦車からビクトリア・メモリアルにかけての一帯が放牧の場所なのだった。
そこにやってきた少年と話す。今日は学校が休みだと言う。育ちの良さそうな、しかし気の弱そうな少年で、もう少し相手をしてやりたかったと後悔しているのだが、今度はポニーを連れた奴がやってきた。何の因果か初めての乗馬体験。1回目は見事に振り落とされてしまった。予想はしていたけれど、こいつはろくなもんじゃなく、怪我をしている馬の治療に200ルピーよこせと言うので、例のごとく理詰めで責めてやる。だいたい、父もない母もない金もない哀れな男の趣味がゴルフと乗馬と何たら(最初に得意げに話したのが命取りだわな)というのは矛盾しまくりでないかい。
馬方に費やした時間を少年と過ごせば良かったと少し後悔しながら、ビクトリア・メモリアルへ。ヤギの群の向こうに白亜の建物がそびえる光景はなかなか良い写真になったのではと思う。次に出会ったヤギ飼いは「これは1000ルピー、これは1200ルピー、これは1400ルピー」とヤギの値段を教えてくれた。こちらも、まるまる太った良いヤギではないかとお世辞をいうと喜んでくれる。カルカッタの散歩というのはこんな感じなのだ。ベタベタしていないけれど人なつっこい。理想的な人間関係のひとつかもしれない。
右手遠くにフグリー川、左手にはビジネス街