これまでに旅考記と名付けたものは絵画や写真のような手法で書いてきました。ある一点に絞り、寄ったり離れたり別角度から見たりを繰り返し、一つの文章に仕上げるという作業です。今回もそのつもりでしたが、どうにも勝手の違いに戸惑っています。
早い話、自分の中で十分に発酵していないのです。原因はインドという自分を映す鏡に多くの問題を突きつけられ、その答えが見えていないことに尽きます。そりゃそうですな。自分とは何ぞやみたいな答えに一朝一夕で答えが出せるなら苦労はしません。
そんな状態で書いても旅後記にしかなりません。さほど考えずにすむ面白ネタだけで進めるのも本意ではありませんし。
そこで文章を書く手法を写真からビデオに変えてみようと考えました。ビデオ撮影を始めた頃、凝れば凝るほどつまらない映像になったことを思い出します。それはフレームの中に近景、中景、遠景と意識して構図を作っても、モニターで見る時は関係なし。同じ映像でもビデオは別の文法に則っていて、構図も大切なのでしょうが、ファースト・プライオリティは流れにあったのです。流れの中で個々のオブジェクトをいかに見せるか。つまり動的な構図。
な〜んて難しく書いていますけど、具体的には旅をしながら記していった日記をそのまま出すこと。理屈こねてる割には、どこにでもあるスタイルだったりして。(笑)
まあ、手の内をさらしちゃうわけなんですが……。
すぐにわかるでしょうが、自分でも呆れるほど文章量は膨大です。改竄はしませんけど、かなり修正はします。人に読んでもらうために書いた文章ではありませんから原文はかなりメモ的です。たとえば、名詞がずらりと並んだ後に「うなってしまう」では、わかるのは当人だけ。読んでいる方もうなってしまうでしょうが、そりゃ別の意味ですな。それなりに補わないとネ。(やってみたら、けっこう大変な作業なんだな、これが)
これは自分自身の反芻作業でもありますから、何がどうなるかは予測がつきません。その時その時に思ったことを綴っているのですから、矛盾した内容、堂々巡りは十分考えられます。それよりイヤなことほど人間は忘れるといいますから、とても恥ずかしいことを思い出したり、これはとんでもなく恥ずかしいことだったのだと気がついたりするかも。穴がなくても穴を掘って入ってしまうこともありえます。
中断というのも何なので、とりあえずカルカッタの数日間だけということで始めましょう。
【つまるところ、この形ではつまらないことがわかりました。削除するつもりでしたが、しばらくこのままにします。】