20010419(木)03-1

 今日も5時過ぎに目覚める。時差の影響もあるだろうし、睡眠の短さが気になるけれど、早い起床は日本での生活と変わらないので修正しないことにする。

 実際にスタートすると、今回の旅をどのように位置づけるか考えてしまう。たとえばすべての食事を撮影して、具体的な旅のカタログを作っていくという楽しみもある。2回目の旅の時には1ヶ月に満たなかったので、素材集めの旅というコンセプトで生録と写真撮影を行い、楽しみの半分は帰国後に味わえるようにした。それも少しは考えていて、同様の機材を持ってきている。(昨日も生録を行った)しかし、何か違うのだ。

 次に訪れるプリーの宿をどうするかそろそろ考えないといけない。これも単純に安宿に泊まれば良いのかどうかわからなくなっている。原因は昨日のZurich'sの食事かもしれない。安宿にも2種類あると思う。インド人に近い安宿と、欧米人に近い安宿。つまり経営者がどちらを向いているかといった重心の違いがあって、宿泊客の構成も異なるし、それぞれの宿の選択によってシンパシーのベクトルも違ってくるし、旅のスタイルすら違ってくる。
 安宿を泊まり歩いたから現地に溶け込む旅をしたという単純な図式ではないのだ。

 外国人旅行者で占められている宿も見方を変えれば、現地に溶け込めないひ弱な人間を保護するための環境である。欧米人に近い安宿にしか泊まれない者もいて、そういうのには若干辟易させられる。(余計なことかもしれないが、そういう旅行者に限ってインド旅行を誇大に語りたがる傾向がある)いろいろな国の人間と語り合うのも旅の楽しみのひとつであることは否定しない。自分自身でも安宿における国際交流の楽しみを語ってきたし、今回の旅でも楽しみにしていた。が、実際にカルカッタのサダルストリートに立ってみると、それはもう卒業してもいいのかもしれないとさえ思えるのだ。限られた時間しかいられないのだから、インドと直接触れ合うべきではないのかと。

 ここカルカッタでは、欧米人の旅行者を見ても……どこか現地に溶け込めない未熟さを感じてしまう。これまで出会った印象的な旅行者のほとんどは違う。タイ語を操っていたヒッピー娘ギータ。フランス人のフルート吹きも、デリーのジェロームもヒンディー語を操っていた。
 まあ、外国人旅行者だらけのホテル・パラゴンやモダンロッジに泊まっていないのだから、自分が出会いたいと望む人間と出会えないのも当然かもしれないが、旅行者もいつまでも変わらないわけではないのだと思う。
 ま、そんな他人のことはよろしい。世界が変わったということは、自分自身が変わったからと考えるのが自然かもしれない。

 プリーでは、植民地時代に建てられたという格式あるオンボロホテルに泊まってみようかと考え始めている。時代に取り残された宿はボンベイを取材した時に見ている。崩れていくもの消えていくものへの共感かもしれないし、あるいは自分にとっての新しい体験だからかもしれない。
 古い大衆車は消えても、作りがしっかりした高級車は生き残っている。ただし、メンテナンスの度合いによってヴィンテージと呼ばれたりポンコツと呼ばれたり。それでも、どれほどポンコツであろうと、ある時代の息吹のようなものは感じられる。プリーの数日間をそこで過ごしても良いのではないだろうか。
 確かに元マハラジャの邸宅だったというZホテルにも興味があるし、日本語が通じて日本語の図書館までサンタナロッジも気になる。しかしなぁ、言うてみれば、カルカッタから逃げ出したような旅行者が喜々として泊まる宿という皮肉な見方も出来るわけで、そこで出会う人間に期待できるかどうか。いや、これまた他人のことは宜しい。そういう環境で自分の焦点がずれてしまうことが気になるのである。個人的な我がまま旅。それは一貫していて、だからとんでもない孤独に陥ったこともある。それでも迎合してこなかった……って、やっぱり旅は自分自身ではないか。

 ここで元に戻って旅のスタイルを考えてみると、現在の自分にとっての等身大の旅が必要なのだ。無理に若い奴に合わせる必要はないし、かといってカルカッタの空港で見たような同世代ビジネスマンとも合うはずがない。ま、あまり理屈で考えるより、今日の行動から何かを導くほうが大切。
 今日は念願の観光をしようと思うのである。そしてカーリー寺院へも。

cclinn
電気のスイッチが15もある....安宿といっても部屋は清潔