カレル橋 50 05 11.07N,14 24 41.90E
改めて言うまでもなく、四大文明の昔から、水運があるところで文明は発展してきました。それに加え、川の交通と陸の交通とが交わるところで都市は発展してきたのです。ヨーロッパにおいてもロンドンであり、パリであり、それだけではなく、ケルンも、フランクフルトも、フィレンツェもそしてローマも、・・・世界中の都市がそういう必然性をもって集落を形成し、そして都市へと発展してきました。そしてここプラハも多くの人たちの交易の拠点として発展してきています。ヴァルタヴァ川(ドイツ語でモルダウ)のほとりにはドイツ、スラブ、イタリア、トルコ・・・正にヨーロッパの中央に位置する中欧の通商都市に相応しい人々が集い、じっくりと文明を育み、今に至っています。世界史の中央舞台にはならなかったけれど(日本もそうです)、しっかりと歩んできた自信がここにはあります。
その象徴がここ、カレル橋からモルダウ、プラハ城が連なるところでしょう。例えばパリやロンドンの同じような風景を思い浮かべてみると、ここのいわば古色蒼然たる様こそが、正にプラハの象徴だっていう感じにさせられます。古色蒼然というと何かと思われるかもしれませんが、近代化を追い求めてどうなるの、といった開き直りに近いものを感じます。(東欧はみんなそうなのかもしれませんが)本当、近代化(現代化)しなかったよさをここで感じます。
そしてここに来てみれば、洪水の後。われわれが来る5日位前には、溢れんばかりに、いや溢れながら流れていたモルダウも少しは収まり、水没していた水辺のカフェも見えるようにはなりました。でも周りの商店は、殆どが閉店。元気な店は発電機を持ち込み一生懸命お店を始めているけれど、暗い中まではなかなか入っていきにくいものです。広場の真ん中にはものにならなくなった家財道具が積み上げられ、でももう臭さはなくなり、全体としては整然としつつある、そんなカレル橋のたもとでした。
我々が帰った翌日から、橋の通行止めは解除され、人々の通行が始まったとか。街は洪水の痛手から徐々に立ち直りつつありました。
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