検査結果はあしたの午後。そうそう休むわけにもゆかず、きょうは出勤。

 夕刊に翻訳家大久保昭夫がカミュの墓を訪ねあてた話を書いている。カミュとサルトルは学生時代のアクセサリーだった。サルトルは高校3年の秋にボーボワールとともに来日した。その講演内容が朝日ジャーナルに載るというので啓明中学の前の文房具屋で買った。週刊誌なるものを買った、それが最初だった。ほどなく同じ文房具屋で週刊プレイボーイ(ヌードを動物の姿にアレンジする表紙にすごくエロチックな号があった)を買い、文房具屋のおばさんの評価は天から地に堕ちることになった。

 はやりの半纏マルクス主義と言われるのが嫌だったせいもあって、一番最初に向ったのは実存主義だった。サルトルとカミュの論争はとっくにサルトルの勝利で決着していたし、なによりカミュは既にそのとき事故死していたから気分はサルトルだったのだが、読んだのはサルトルよりも圧倒的にカミュだった。とくにハードカバーの「カミュの手帳:太陽の賛歌」はスマートな厚さで、その装幀はシンプル、でも洒落た感じがして「アクセサリー」にはぴったりだった。

 いまにして思えば、カミュは感覚の鋭さが論理の停滞を招いているようなところがあって、それが確定的に語る言葉を持ち得ず宙ぶらりんでいる自分を自己弁護するのにいちばんぴったりのように思っていたのかもしれない。しかしどうだ、サルトルとカミュ、いずれがいまを言い当てているか、時代の勝利者は必ずしも後代の勝利者ではないのかもしれない。

 そのカミュの墓は大久保によると「麗々しい他人の墓の蔭に身を潜めるようにうずくまっている小さな墓石であった。幅七十センチ、縦五十センチほどの平たい墓石で、その表にはただALBERT CAMUS 1913−1960とだけ刻まれている。しかも長年の風雨に晒されて、その文字ももはや定かではない。墓石を囲むラヴェンダーの茂みがせめてもの救いであった」そうだ。(6/30/2005)

 全日休暇をとる。11時すぎに**(母)さんと**病院で待ち合わせ、担当の先生からおおよその話を訊く。胆管と膵管の部分の内視鏡検査のため一泊二日の検査入院。入院はあした。早ければ、あさっての午後には検査結果が出る見込み。もし悪性腫瘍などが見つかれば入院を継続して手術することを奨められた。3時過ぎに帰宅。

 PC環境にいなかったあいだのメモが見つからない。金曜日から日曜日までの日記を記憶にしたがって復元。たった数行の記載に四苦八苦。

 朝刊に面白い調査データが載っていた。

 朝日新聞社が25、26日に実施した東京都議選に関する世論調査の中で、都教育委員会が都立学校の卒業式などで「君が代」斉唱時に起立しない教職員を処分していることへの賛否を聞いたところ、反対が61%で、賛成28%の2倍以上にのぼった。若い世代ほど反対と答える傾向が強く、20代では7割を超えた。
 世論調査では「卒業式や入学式などで『日の丸掲揚』と『君が代の斉唱』を義務づけたうえで、従わない教職員を停職などの処分にしている」と説明し、賛否を尋ねた。
 年代別でみると、20代は賛成15%に対して反対73%。これが40代では賛成30%、反対65%になり、70歳以上では賛成43%、反対40%と賛否の比率が逆転した。
 男女の年代別で見ると、最も反対が多かったのは20代女性の80%、最も賛成が多かったのは70歳以上の男性の50%だった。
 支持政党別にみると、自民支持層は賛成49%に対して反対41%、民主支持層は27%対70%、公明支持層は19%対66%、共産支持層は14%対82%、無党派層は20%対67%。自民党は都議会などで都教委の方針を支持する姿勢を示しているが、同じく知事与党の公明党の支持層は、反対が賛成の3倍以上に達している。
 石原慎太郎知事の支持層では、賛成38%に対して反対53%だった。

 ネットに跳梁跋扈するノイジー・マジョリティと思えた若者はいったいどこにいるのだろうと思うようなデータだ。(6/29/2005)

 今上がきのうからサイパンを訪れ、日本、北マリアナ自治政府、アメリカ、それぞれの慰霊碑、島の北端「バンザイ岬」を訪れ、献花し、黙祷を捧げた。公式の予定はそれだけだったらしいが、ホテルへの帰路、沖縄県出身者の慰霊塔「おきなわの塔」と韓国人の慰霊塔「太平洋韓国人追念平和塔」にも立ち寄って拝礼した由。

 先週の月曜の朝刊、今上のサイパン慰霊の旅程を伝える記事にこんなくだりがあった。

一方、わだかまりを持つ人々もいる。数千人とも言われる朝鮮出身者がサイパンで畑仕事などにあたっており、戦闘に巻き込まれた。朝鮮人強制連行真相調査団が入手した日本政府の資料によると、朝鮮出身の軍人・軍属千人以上が戦闘で死亡した。現地の韓国人は「わけも分からずに連れてこられた韓国人の慰霊碑も訪れるべきではないか」と話す。

 記事は続けて「宮内庁は今回の訪問について『外交問題とは切り離し、純粋に平和を祈っていただく』としている」と書いていた。匹夫の意地を張り通すガキの如き宰相のために韓国とのあいだがギクシャクしているこの時期、声が届いた結果かどうかは別にして、非常によいことだったと心から思う。この「道草」は今上と皇后の「確信犯」的な行動ではなかったか。

 思えば、今上は、先帝のなしえなかった「戦後処理」を真正面から受け止め、実行されている。

 昭和天皇はついに沖縄に行かなかった。やはりアメリカに人身御供として差し出した彼としてみれば、沖縄訪問には心理的に強い抵抗感があったのだろう。晩年、死の床についてから「沖縄はダメか」と嘆じたなどというエピソードが流布しているが、とすれば、十数年ものあいだ(沖縄の日本復帰は72年、彼が生涯を閉じたのは89年、その間、75年には訪米までしている)いったいなにをしていたというのだ、バカバカしい。中国、韓国となれば、なおさらのことだった。

 今上は、92年に中国、93年に沖縄を訪問されている(こうして調べてみると、沖縄がどれほどの「異国」であったのか、「異国」とされていたのか、よく分かる)。もちろん、天皇の訪問は今上自身の意思によってどうこうなるものでないことは承知しているが、その気の有無についてはお付きの者が十分に忖度していることも事実。残された訪韓はまだ実現していないし、政府があのていたらくでは、難しかろう。しかし、おそらく、今上は体の動くうちにとお考えに違いない。

 即位の時のお言葉から去年秋の園遊会の君が代発言、そしてきょうの突然の「追加スケジュール」まで、いろいろな場面における「意外な行動」(右翼マインドの人々にとって「意外」、それ以外のほとんどの人々にとっては「当然」)は、あるべき「戦後」の姿についての今上の強い意思の現れだ。まったくの想像に過ぎないけれど、そこには皇后の影も感ぜられる。(6/28/2005)

 9時過ぎにホテルを出る。猿沢の池まで歩いたところで、携帯で話しながら歩く女性に眉をしかめ、部屋に携帯を忘れたことに気付く。汗だくになりながらホテルに取って返す。彼女に会わなければ、大事になるところ。名も知らぬ携帯女性に感謝。

 近鉄奈良から難波行きの急行に乗車。鶴橋、大阪、三宮で乗り換えて神戸工場へ。暑さで食欲がなく、昼食に見込んだ時間がそのまま余り、工場には12時着。***(省略)***予定を45分以上オーバーして、終了は5時半。

 工場が手配してくれた車に乗り西神中央へ。地下鉄で新神戸へ出ると、6時38分発ののぞみに間に合った。みやげを買う間もなく飛び乗った。東京駅ホームはむっとした熱気。熱帯夜のようだ。11時前について、まず、風呂。**さんにお礼のメールを入れて、ホームページのメンテ。手書きにしたメモが見つからずインプット済みの木曜日までの分に留める。(6/27/2005)

注)工場が手配してくれた車 : たんにタクシーを呼んでくれただけです(^^;)。偉い人は新神戸まで送ってもらっていました。

 枕が変わったためというわけでもないのに6時に眼が覚めた。思いついてテレビのスイッチを入れると「時事放談」をやっていた。塩川正十郎と堺屋太一という組合せで外交官僚批判をやっていたが、ほどなく終ってしまった。放送時間が30分ほど早くなっているらしい。

 朝風呂のあと、ゆっくりと「サンデーモーニング」を見てから10時前にホテルを出て秋篠寺に向った。西大寺駅北口にある案内板の現在地表示はインチキ。あきらかな間違いとは思いつつも確認のため本屋を探し地図で確かめる。おかげで20分ほど時間をロス。歩きながら、はじめて訪れた日、道を尋ねた若奥さん風の女性のことなど思い出す。もう三十数年も前のこと。

 もともと観光客の押し寄せる寺ではない。本堂の中は数人の先客。それにしても記憶はあてにならぬ。お堂の中の仏像の配置と差し込む光の関係が頭の中のイメージとはずいぶんに違う。それでも伎芸天女像そのものはあいかわらず。ふと「ちかづきてあおぎみれどもみほとけのみそなわすともあらぬさびしさ」という歌が口をついて出てきた。

 そのあとは写真美術館で入江泰吉の写真を見、思い出された歌にみちびかれる気分で新薬師寺、白毫寺あたりを歩いたが、猛烈に暑い。そうそうにホテルに引き上げシャワーを浴び、夕方の**さんご夫婦との会食に備える。奈良ホテルのロビーで待ち合わせ、夕食をごちそうになった。とてもはじめてとは思えず、9時ごろまで歓談。給仕する女性の料理の説明すらうるさく思うぐらいに話し込む。ホテルに戻ってからはいつものごとくの自己嫌悪。(6/26/2005)

 午前中、**(母)さんと***(老健)へ。**(父)さんの件について相談。小一時間、家庭状況について話をして、ざっと施設見学をして帰ってきた。**(母)さんを**病院まで送って帰宅すると**(息子)が帰っていた。

 2時過ぎに家を出て、3時56分のこだまで京都へ。***(老健)の見学のため、時間が半端になったこともあり、きょうは移動のみ。急ぐわけではない、「ぶらっとこだま」利用で京都まで9,800円。バッハの「無伴奏チェロ組曲」と子安宣邦の「国家と祭祀」とを友に京都まで4時間。これだけゆっくりできるのが出先というのは皮肉。

 7時40分、京都着。近鉄に乗り継いで奈良に着いたのは8時45分。きょう、あすとサンルート泊。(6/25/2005)

 けさの読売新聞の「編集手帳」は「金八先生」のシナリオで知られる小山内美枝子の「家出」というエッセーから「とび出すにも、はじめから捨てるべき家屋敷がなければサマにもならず、帰宅しなくても無断外泊だろうぐらいにしか思わない家族の絆の稀薄さは、どれほど"家出"という言葉の魅力をとぼしいものにしているか分からない」という言葉を引き、「家というものがもつ求心力が衰える時、そこから逃れようとする家出の遠心力も失われるらしい」と書いた。

 月曜日、板橋で15歳の息子が社員寮の管理人をしていた父母を惨殺し、逃走後にタイマーでガス爆発を仕組んだ。「編集手帳」が「家出」を取り上げたのは、「昔ならばまずは耐え忍び、やがて反発し、口論し、いよいよ追いつめられた最後の手段は家出であったろう」と考えたからだろう。「捨てるべき家屋敷」と書き起こして、寮管夫婦が被害者となったと書き進むのは、少しばかり無神経な書きように思えないでもないが、ひたすら「家族主義」の復権を国家社会安定の基本と考えてきた読売新聞としては、「父」も「母」も「家」も「家族」も意味をなさなくなってしまったかにみえるこの状況に茫然としてしまったのかもしれぬ。末尾の「家族とは何だろう」という呟きがことさら印象的だった。(6/24/2005)

 「ふぉーりん・あとにーの憂鬱」に書いたコメントに「中国との関係に限らず日本というのは異文化とのつき合い方が非常に不得手なのかもしれない」というレスをもらった。ベースノートは「中国の海外企業買収」だったから重ねて返すのは遠慮をした。(こういうときブログ化したい誘惑に駆られる)

 もともと日本人は外来文化の受容には器用だった。仏教にしろ、漢字にしろ、儒教にしろ、じつにうまく外来文化を消化したものだと思う。問題は日本が近代国家に生まれ変わろうとするそのとき、中国は停滞期にあり吸収すべきもののほとんどが欧米にあったこと、そのために、明治からこちらの日本人のスローガンが「脱亜入欧」になってしまったことにある。ここ百数十年の日本の気分では、中国は蔑視の対象だった。なればこそ、相手の国土に軍隊を派遣し「移民」とは違う気分で民間人が移り住むことを当然とし、「侵略」と呼べる行為をその「意識」なく行うことができたのだった。このようなことを客観的に見る人と主観的に見る人が、「自虐史観」から「皇国史観」に至る直線上に並んでいる。

 ただいずれにしても中国は停滞期を脱する。一度身につけた蔑視感情はなかなかぬきがたいに違いない。平均的な日本人の度量というか人間的な深さが試されるときが近づいている。(6/23/2005)

 今晩の「そのとき歴史は動いた」は「さらばサムライ−西郷隆盛 徴兵制の決断−」。

 テーマは1872年(明治5年)の徴兵制の導入。それに向けた西郷のはたらき。いかにも偉人が国を動かすという歴史好事家好みの話に仕立てているところが、よくある「教科書にない**」のような薄っぺらさな読み物のようで可笑しかった。こういうものが「歴史」だと思うのがいまのこの国のアベレージなのだろうか。

 断行の裏付けに西郷のカリスマ性があったことは間違いのないところだろう。しかしそれだけでこれほどの制度改革が進められると考えるのは少しばかり一面的な説明だろう。ひとつの制度を広範な人々が受け入れるにはそれなりの社会心理的な背景があるものだ。理念だけの制度改革、歓迎されない社会制度は原則として根付かない。

 では「国民皆兵」、軍事力の分担が武士という特定の階層からからすべての民衆へという移行が支持されたのにはいかなる心理的な背景があったかのか。いまは懐かしい橋川文三の「ナショナリズム」の一節を借りる形で浅羽通明はこんなことを書いていた。

 この急務を果たすべく、わが国が採った方法は、全日本人武装化計画だった。
 まずあらゆる家族を、長男単独相続と婚姻への家長の同意権を特徴とする、戸主=家父長中心の「イエ」へと再編成し、個人単位でない家族単位の戸籍を整備していった。加えて、武士の主君への忠誠倫理を、天皇、国家への報恩の倫理へ転じつつ採用していった。
 この上からの「臣民」創生は、結局、成功する。
「民衆そのものの中に、かつての上層階級である武士層の生活様式を模倣しようとする傾向が潜在していた」からである。この心性は、戦後の高卒・大卒の大衆化、バブル期前後の海外勤務帰り家族やカタカナ商売的ライフスタイルへの憧れに到るまでおそらくまるで変わっていない。
浅羽通明 「ナショナリズム−名著でたどる日本思想入門−」より

 明治の成功は意図するしないにかかわらず、江戸という時代の豊穣さに負っているということに、もっと気がつくべきだろう。(6/22/2005)

 「報道ステーション」が面白い映像を流していた。韓国国営テレビKBSが靖国神社とA級戦犯をテーマにした番組製作をしている、その取材の様子を取り上げたのだ。KBSのインタビューそのものなのか、東條英機の孫、東條由布子が出てきて持論を述べていた。現代の韓国に儒教がどの程度まで影響を残しているのか知らないが、少なくともKBSの件の番組に感応するであろう年齢層は嗤うに違いない、「東條の息子はどうしたのだ、息子が語れないから孫、それも女、それほどに恥ずかしいか」と。辛酸を嘗めさせられた側になれば、それくらいのことは言ってみたくなろう。

 彼女は「日本は追いつめられたが故に、国際法に従って、やむを得ず戦争に訴えたのだ」と言っていた。追いつめられるに至ったプロセスの拙劣さについては問うまい。彼女には難しすぎる問いだろうから。それにしても皮肉なものだ。あの「国際法遵守」の文言を欠いた宣戦の詔書は、確定までの間に幾たびも書き替えられた。その過程には東條英機が「過去の詔書には国際条規に悖らぬ限りとある」とわざわざ注意書きをしたものがあるというのだから。(時の権力者東條が明記すべきではないのかと書き加えたものを最終的に削除させたのはいったい誰だったのだろう?)

 彼女は「東京裁判は勝者による敗者の一方的な裁きで無効だ」とも言っていた。その通り。東京裁判は無効だ。ただし勝てば官軍は歴史の倣い、負けた者が口にしてもごまめの歯ぎしりにしかならぬ。(いったい誰が負け戦をはじめ、惨憺たる結果に導いたというのだ。東條家の家訓には「恥知らずたれ」とでもあるのか。恥を知れ)。無効であるもっと大きな理由はそのほかにある。有名なインドのパール判事同様、判決に対する少数意見派だったフランスのアンリー・ベルナールは唯一の文官で絞首刑になった広田弘毅に対する無罪理由に関係して、このように書いたという。読み終わったばかりの「落日燃ゆ」から引く。「(開戦の責任について)そこに一人の主要な発起人があり、その者が一切の訴追を免れていることで、本件の被告は、その共犯者としてしか考えられることはできない」。つまり天皇の責任が追及されないという事実だけでこの裁判は無効だということだ。

 東條由布子よ、お前には大将の上司である大元帥、昭和天皇の戦争責任をとことん追及する覚悟があるか。もしないのならチャラチャラと「東京裁判は無効です」などというな。その覚悟があるというなら、こんどはそれは祖父の最期の意思と背馳することになるが、それでよいか。いずれの覚悟もあってはじめて、お前の言葉は意味をなすと知れ。

 さらに書けば、もし、お前が情緒の視点から東條英機の責任を解除しようというのなら、「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」と訓じた、その当人が、左利きでありながらあえて右手に拳銃を持ち、頭を撃てば確実に死ねるものをわざわざ腹部を撃って「自殺を図った」という、当時の国民すべてが侮蔑のまなざしを向けたその一事を弁ずることから始めねばなるまい。(6/20/2005)

 城山三郎の「落日燃ゆ」を読んでいる。ずいぶん前に読んだつもりでいたが、どうもドラマを見ただけで読んだつもりになっていたらしい。

 A級戦犯で絞首刑に処せられた唯一のシビリアン、広田弘毅を描いたもの。広田弘毅は吉田茂と外務省同期だった由。一年先輩には箱根富士宮ホテルで怪死し、松本清張が「昭和史発掘」の中で取り上げた佐分利貞男がいる。日中の平和構築に心血を注いだはずの広田が戦犯として刑死し、反東條としての活動がめだった吉田がそれを勲章のように評価されて戦後のこの国の政治を牛耳ったというのは、なんとも皮肉な成り行きだった。

 広田は二・二六事件の直後に首相になる。首相を拝命するとき、そしてその在任中に、彼はふたつの「がっくり」を体験する。昭和天皇の実像を伝えるエピソード。

 このとき、礼装に威儀を正し、伏目になって直立している広田に、天皇は新首相への注意を与えられた。
「第一に、憲法の規定を遵守して政治を行うこと」
「第二に、外交においては無理をして無用の摩擦を起すことのないように」
「第三に、財界に急激な変動を与えることのないように」
 その三力条は、歴代新首相に天皇が与えられる御注意として、すでに広田が耳にしていたものであった。
 だが、広田に対し、天皇はさらにもう一力条つけ加えていわれた。
「第四に、名門をくずすことのないように」
 広田は、思わず眼をあげた。お言葉をたしかに耳にしながら、信じられない気がした。その御注意の意味を、できることなら伺ってみたかった。
   ・・・(中略)・・・
 新首相となって帰ってきた広田に、「おめでとうございます」の声が浴びせられた。
 だが、広田は、ぶすっとした表情で、ただ、「うん」というだけ。その夜おそくなって、広田は三男の正雄にはじめて天皇のお言葉の話をした。
「自分は三力条は閣僚たちにも伝えるつもりでいる、だが、四力条目は自分だけにいわれた言葉のように思えるから、自分の胸に秘めておきたい」
 広田は、そういってから、
「それにしても、陛下は自分が草莽の身だからいわれたのだろうか。また陛下の御意志でいわれたものか、それとも、側近の者が陛下のお言葉を借りていったものか」

 もうひとつ。

 だが、その天皇が、予算編成期の近づいた夏のある日、広田を召され、
「大元帥としての立場からいうのだが」
と前置きされて、陸海軍予算の必要額をいわれ、首相としての善処を求められた。
 広田は茫然として、お答えする言葉を知らなかった。
 天皇は最後に、「国会で審議して決めるように」と、つけ足されはしたが、広田のおどろきは消えなかった。大命降下の日、「名門」についての御注意を頂いたときと同じようなとまどいを感じた。
 これは、天皇御自身の御発意によるお言葉なのか。それとも、軍部が天皇のお口を借りていわせたのか。統帥権の独立というが、それがいまや行政権の頭上に立ち、天皇を通して頭ごなしに命令してくる感じであった。

 昭和天皇には、立憲君主ゆえ、政府の決定に関しても、軍隊の暴走に関しても、制度上、無力であったとか、徹底した平和主義者であったという「神話」が広く信じられている。ひとつめのエピソードは一読すると、ふたつめのエピソードとは関わりなくみえる。しかし、劈頭、このような注意を与えられた宰相にしてみれば、どのような付言があったにもせよ、大元帥陛下の指示は絶対であったに違いなく、昭和天皇の軍隊を可愛がる気持ちが尋常のものでなかったことを窺わせて興味深い。(6/19/2005)

 読んでの通りの記事。共同電をいちばん詳しく掲載した東京新聞の記事を転載しておく。サンケイ新聞は同じ共同電から、赤字部分を削除し、末尾の青字(東京新聞が削除したのか、サンケイが書き足したのかは不明)を活かして掲載した模様。

 【重慶(中国)=共同】中国の重慶市に、日本の円借款事業で整備したモノレール路線が完成し、同市は十八日午前、開通式を開いた。中国で日本の技術を導入したモノレールは初めて。
 重慶は、戦時中に旧日本軍の爆撃により多数の犠牲者が出たことから、いまだに反日ムードが強い。靖国神社問題で日中関係がぎくしゃくする「政冷」状態となっているが、式典には国土交通省の岩村敬事務次官や次期日中経済協会会長に決まった千速晃新日本製鉄会長ら、多数の日本関係者が招待され「経熱」は続いていることをうかがわせた。
 開通式で重慶の王鴻挙市長は「モノレールは低騒音で敷地を取らず渋滞を緩和できる。年間二億人を輸送でき、今後も延伸する計画だ」とあいさつした。岩村事務次官は「日中友好の懸け橋として市民に末永く愛されることを祈る」と祝辞を述べた。
 重慶はまた、胡錦濤政権の課題である内陸開発の拠点。日本が対中円借款の終了方針を固めた中で、中国側には日中協力をアピールし、対中投資をつなぎ留めたい思惑もある。
 開通したモノレールは全長一三・五キロ。事業費約四百七十億円のうち日本政府は円借款で二百七十億円を供与した。日立製作所が、大阪空港や万博記念公園などを通る大阪モノレールをモデルに、設計技術や運行管理などのノウハウを全面的に供与。車両は日立と同社の技術提供を受けた長春軌道客車(吉林省)が分担して製造した。2000年に着工、昨年から試運転していた。

 朝日はこのニュースを「市長、円借款には言及せず」という見出しをつけて報じた。最近の「ODAに感謝しない中国」論におもねって、感謝の気持ちが足りないとでもいいたかったのか。円借款というのはひも付き輸出という公共事業の変種に過ぎないのだということを多くの人は知らない。ここでもパープリンの感情論が大手を振って歩いている。どこまでバカがのさばる国になり果てたものか。

 さて、サンケイの「検閲」に引っかかったのは、@重慶の反日ムードの由来、A政冷経熱状態の継続、B重慶市長の評価、C国交省次官の日中友好の懸け橋発言。サンケイはこれらを読者には報ずるまでもない、ないしは知らせたくないと考えたらしい。つまり、そもそも、そのような「友好状態」そのものが唾棄すべき現実だとサンケイは考えているのだろう。ただ唾棄すべき現実がどのようなものであるかの報道は唾棄するかどうか判断するために必要だというのが、サンケイが嫌っている戦後民主主義社会の基本的な考え方なのだ。(6/18/2005)

 アメリカ国務省の政務担当バーンズ次官が記者会見で国連改革構想を発表した。@紛争後の復興を担当する平和構築委員会の設置、Aなぜかアメリカが嫌っている人権委員会の改組、B開発援助、C民主化基金の設置、D対テロ協定の採択を優先課題として、「安保理改革の前に、これらと取り組む」とした上で、安保理改革については常任理事国を2ヵ国程度、ただし拒否権なしの待遇で、非常任理事国を2〜3ヵ国程度、増やして合計19〜20ヵ国とするというもの。そして常任理事国の一つは日本を名指し、残り一つについては「どこを支持するか未定」と答えた由。

 町村外相は「一見ありがたいような、困ったような、誠に複雑な変化球を投げてきた」と言ったそうだ。誉められたと思い、その残像を意識しているから変化球に見えるのだろうが、これはブラッシュボールだろう。典型的なdivide & ruleの発想。町村のようなお人好しのボンボンは、名指しされた甘い感覚に幻惑されるんだね。よい方に選別されようが、悪い方に選別されようが、どちらの箱にも「廃棄品箱」と大書してあるのだから、結果は同じなのだが。

 以下、朝のラジオに出た伊藤洋一の話。「日本では一面トップで取り上げた新聞もあるが、アメリカの主要紙の一面には出ていない。ニューヨークタイムズに記事があるというので、探してみたら小さなベタ記事、それもAP電、さらに外務大臣はYoriko Kawaguchiとなっていたんですよ」。

 いったいこんなニュースを一面トップ扱いにした新聞はどこだったのだろう。(6/17/2005)

 きのうの朝刊に、マイクロソフトが中国政府系企業との合弁会社で運営しているブログサイトで検閲を行っていることを認めたというニュースが載っていた。禁止されている言葉は、「民主主義」、「自由」、「人権」、「台湾独立」、「ダライ・ラマ」、「法輪功」などの言葉で、これを入力すると「禁止されている言葉です。消去して下さい」と表示される由。マイクロソフトは「具体的にどんな言葉が禁止されているかコメントはできない」としているそうだから、このほかにもかなりの言葉が「ネット禁止用語」に指定されているらしい。(いちばん嗤ったのは「6月4日」。天安門事件の日なのだから

 記事には「香港紙などによると、ブログなどへの書き込みによるやりとりで政府の意思に反した世論が醸成されないように、政府の意見を代弁する『書き込み要員』の養成にも力を入れている、という」とあった。そういえば、この国にもまるで「政府系書き込み要員」みたいな連中を見かけるが、まさか・・・。(6/16/2005)

 靖国神社というのは面白い神経をしている。祭神は皆平等のはずだが、その祭神の血縁者には参拝に来て欲しい人と来て欲しくない人があるらしい。来て欲しくない人が来る場合は、あらかじめ右翼を呼んで神社周辺を囲ませ、然るべきのちに警察に連絡し、混乱を理由に参拝を遠慮するよう警察に説得させる。これが靖国流の参拝者差別のやり方、おもてなしの仕方。もし右翼を呼ぶようなことなどしていないというのなら、靖国神社はまず警察に右翼を排除することを依頼し、参拝に来た者の求めにお応えするのが道理のはず。そんな道理は神道という宗教にあっても変わらぬものと思うが、もともと神道と似て非なるものが国家神道だから、件のような対応をとるのか、九段の神社は、呵々。

 台湾先住民の高砂族は、長い間、彼らを虐げた漢民族に対する反発もあってか、戦争中は積極的に軍に協力し「高砂義勇隊」として名を馳せたらしい。それはちょうどヨーロッパ戦線における、日系二世を中心とした第442連隊や第100歩兵大隊の活躍に通底しているような気がする。その高砂義勇隊の戦死者の近親者と部族関係者がきのう靖国神社で戦死者の魂を取り戻す、高砂族の儀式を行うため靖国神社を訪れた。彼らを迎えたのが上記した靖国神社流の慇懃無礼だった。「分祀などできぬ、それが神道の教義」というならそれをとやかくは言わぬが、高砂族の還魂儀式も神道も「祭天の古俗」であることは同じ。優劣などあり得ない。「融通無碍」はだれもが認める伝統的な神道の唯一の「教義」ではないか、許容せぬは「惟神の道」に反しよう。(正確に記そうとすれば数倍の言葉と時間がかかる、日録故これに留める)

 鮮やかに思い出したシーンがある。何年くらい前だったか、15日だったかどうかははっきりしないが、夏8月、この神社を訪れた韓国人遺族グループに向って「ここはお前たちの来るところじゃねぇ」と三白眼をぎらつかせて罵声を浴びせた青年に、一団の中からすっと歩み出て「息子をここにお祀りをしておいて、母であるわたしにお参りをするなと、あなたはおっしゃるのですか」と見かけ以上に若い声で、そして思いのほか静かなトーンで、問いかけた老女の映像をテレビで見た。両者の間で取り交された言葉は極端な対照をなしていた。汚い日本語を発したのが日本人で、美しい日本語を発したのが韓国人だった。こうした光景に恥ずかしさを覚える日本人は、いま、いったいどれくらいいるのだろう。(6/15/2005)

 マイケル・ジャクソンが無罪になった。先週中にも評決結果が出るとされながら、時日を要した理由がどのあたりにあったのかは分からない。夕刊の「だれもジャクソン氏が『無実』だとは言っていない。有罪とするだけの証拠を検察があげられなかっただけだ」というロサンゼルスの弁護士の談話は、この裁判とこの評決がどのようなものであったかを物語っているようだ。

 先週の「ふぉーりん・あとにーの憂鬱」にこんなことが書かれていた。

 裁判員制度のモデルというのは、陪審制度だと思うのですが、実際に訴訟に携わる中で感じるのは、陪審が判断の合理性を高めると考えているアメリカ人弁護士はほとんどいないということです。
 もちろん、私のポジション柄つきあっているアメリカ人弁護士というのは企業の代理を務める側が多いので一定のバイアスがかかっていることは割り引く必要があると思うのですが、それにしても「陪審にかかると、結論がどうなるかは誰にも分からない」とか「いくら証拠関係が有利でも、陪審によって不利な判断がなされる可能性がある」とか言った話は、何度となく聞かれます。
 にもかかわらず、何で陪審制度が放棄されないんだろうということを考えてみると、勿論、憲法改正に絡む話になって大騒ぎになるということや「民衆の国アメリカ」のシンボルの一つであるといった経路依存(path dependent)的な説明の外にも、米国特有の複雑な社会階層とその深刻な対立という背景があるような気がします。
 映画や小説の題材にもなりましたが、典型的なのが人種問題で、いくら客観的にみて「合理的」な結論であっても、「白人の裁判官によって黒人被告が不利に扱われた」とか「黒人裁判官が黒人被告を不当に擁護した」という形で、米国では、ある裁判の帰結がしばしば社会階層間の対立として政治問題化してしまいます。こういう国では、特定の人種や政治的・宗教的背景を有した裁判官が決めたというよりも、マイノリティも含めた陪審員が決めたという形で、「手続的」にマイノリティに配慮することによって、無用な政治問題化というコストを避けるということが、制度全体でみると合理的な制度設計になっているということではないか・・・何の根拠もない、これぞ本当に「思いつき」なのですが、そんなことを思います。

 陪審員制度が裁判結果さえもカネで買える事態をもたらしているという指摘があっても、彼の国がそれを見直せないのにはまた別の事情があるらしい。

 そういえば、アメフトのスター選手O・J・シンプソンの前妻殺しというのがあった。あの事件も真っ黒といわれたシンプソンは刑事裁判において無罪となった。裁判に際して司法当局はロス暴動の引き金となったロドニー・キング裁判の事例を考慮して、陪審員の人種構成を操作するために管轄裁判所を変えたというニュースが報ぜられていた。(6/14/2005)

 本屋の平積みの本、雑誌を見ながら、最近、とくに目立つのは「反日」を指弾するものの多さ。中国なり、韓国なりの反日勢力をさして「反日**」という言葉を使うのは言語表現としては理解できる。しかし「反日新聞、朝日」とか、「反日作家、大江」とかいう表現を見ると、いったいこれはなにを主張しているものかと考え込んでしまう。

 「反日」の反対語はなにか。「親日」だろう。では、「親日週刊紙、新潮」、「親日誌、諸君」、「親日家、よしりん」というだろうか。「親日日本人」という言葉の不自然さは、「反日」の形容詞を日本国内にいるもの、あるものにつけることの不自然さを教えてくれる。

 「反日レッテル」作戦はどのような構造を持っているか。単純、じつに単純な構造だ。批判したい相手を「日本」からつまみ出すこと、これが第一段階。あとは相手が非「日本」であることを唯一の「論拠」として、感情論の応援を得て「攻撃」し、一丁上がりというわけだ。論理性はほとんど必要としないからバカでもチョンでも一人前の顔ができる。最近の「女性化」した「大衆」にはこういう言説は受けるらしい。書き手も読み手も頭を使うことは苦手だからだ。楽なこと、この上ない。

 彼らに問うてみればよい。「キミは反日のハンコを捺せるほどに『日本』なのか」と。たしかに日本人かもしれぬがそれは朝日の記者も大江も同じ。自分のみが「日本」を代表して「反日」のハンコを捺せるという奇妙な自信を裏付ける確たるものはなにもない。

 その先のやり取りは書く必要がない。延々と続くやり取りの最終的な結論はとっくに出ている。「反日」という言葉を「反人民」あるいは「人民の敵」あるいは「非国民」という言葉に置き換えれば、別にこの国でなくともよい、世界中の歴史がその結論を教えてくれている。そういう素養の有無が「親日」派人士の言説を嗤い飛ばすか、有り難がるかの分かれ道になっている。(6/13/2005)

  「サンデーモーニング」に出ていた田中秀征が一連の常任理事国騒動をとらえて、こんなことを言っていた。「常任理事国になるということは他国を侵略できる国になるということなんです。常任理事国になれば安保理に非難決議をかけられても拒否権で否決できるわけですから」。

 そういう意味には気がつかなかった。盲点になっていた。だから、ドイツにはイタリアが、インドにはパキスタンが、ブラジルにはメキシコが、そして日本には韓国や北朝鮮や中国が、それぞれの国の常任理事国入りに反対しているというニュースが伝えられたとき、小泉が「どこも近隣国は反対するもんなんです」と答えるのをきいて、珍しく、ほとんど疑わずに「そういうものかな」と納得したりしていた。

 田中の話はほんとうに有能な政治家というものは、ひとつのことがらの持つ多様な意味と解釈についてよく考えているという好例だろう。逆に言えば小泉などに思考レベルをあわせているとバカにしかなれないということだが。

 ところで、もちろん、いまのこの国には「侵略ができる国になる願望」はないといっていい、皆無だと断言できないのは残念だけれど。しかしこちらがそのつもりでも、そういう可能性を持つ地位を日本に与えることに近隣のアジア諸国が神経質になっても不思議はない。なんといってもこの国は前科持ちだ。ましてそんな国のいちばん新しい宰相が、平然と繰り返し繰り返し、A級戦犯を祀る靖国神社に詣でて、李下に冠を整し、瓜田に履を納れているのだから、彼らは内心「油断ならない」と思っていることだろう。

 この内閣が好んで使う言い回しを借りよう、「もし小泉首相が靖国参拝を取りやめたならば、日本はアジアの近隣諸国に対して、A級戦犯がかつてしたようなことはもう二度としませんという、誤ったシグナルを送ることになるので、絶対に参拝を続けなくてはならない」。あらあら、やっぱりそういうことになるか。(6/12/2005)

 アメリカと韓国の首脳会談が行われ、ひととおりの調整ができたようだ。原則論では一致、具体的なアプローチの方法については見解の相違を残したままと報ぜられている。具体的には北朝鮮が六ヵ国協議に戻ってこない場合にどのような手段を講ずるかということについて協議がまとまらなかったということなのだろう。

 そのニュースを聞きながら、少しばかり先のことを考えていた。第二次大戦後、世界にはいくつかの分断国家ができた。中国と台湾、東西ドイツ、南北ベトナム、南北朝鮮は、戦争終結時あるいは独立時に民族内のイデオロギー対立とからんでできたものだった。これらのうち、ベトナムとドイツは既に統一国家として再生した。残されたふたつのセットのうち、中国と台湾は規模の優劣がはっきりしているから、大局的な行く末は決まっているといってよい。ついでに書けば、中国共産党がその特権的なポジションをいつまでも占め続けられるということはあり得ないから、この国の一部、サンケイ新聞などに代表される明き盲どもの中共憎しという「反共イデオロギー」に振り回され、その誤ったバイアスで中長期的な対中国戦略を考えることは厳に慎むべきだろう。

 問題は日本に一番近い朝鮮半島の分断国家がどのように統一されるのかということだ。南北いずれの主導権によるかなどということには興味はない。あくまで問題は「核」だ。朝鮮半島に統一国家ができたとき、それを統一朝鮮と呼ぶのか、統一韓国と呼ぶのかは別にして、それまでに北朝鮮がどの程度まで「核」とその周辺技術を高めているかということ、韓国にも「核保有」の試みはあったということもふまえて、その「核」技術を統一国家がどういうかたちで継承するのかということについて、すべての可能性を洗い出しておかなければならない。そういう場面において韓国は必ずしも我が国と同じ側に立つ国ではないという認識が必要だ。その上でどう向き合うのかということ、そのための統一プロセスはどうあるべきかということを検討しておくべきだ。

 拉致問題は短期的な「北朝鮮問題」で「朝鮮半島問題」ではない。拉致問題に足を取られて本質を見失わないようにしなければならない。重要なのは「朝鮮半島問題」だ。見るべき問題を見るときには「反共イデオロギー」の色眼鏡を外してみなければならない。その時期はもうとうに来ている。(6/11/2005)

 ワールドカップ出場。とにかくうるさい。丸二日経とうとしているのにニュースのたびに金切り声を聞かされる。ああいう映像にいったいどのような報道価値があるのだろうか。あのミーちゃん、ハーちゃんたちは、ずっとハイテンションであんなバカをやっているのだろうか。それとも、あらかじめバカっぽい反応を期待してテレビカメラを向ける。向けられた方は期待されているものを察知してそれなりのバカを演じてみせる。ちょうどタイガースの優勝で道頓堀川に飛び込む、あのパフォーマンスと同様のものなのか。そうだとすると立派な「やらせ」ではないのか。

 けさのラジオで小沢遼子が「『喜び組』を期待されて出てるのに、あたし、『喜び組』ができないもんだから、すぐ降ろされちゃうのよ」とニュースショーのコメンテータを皮肉っていたが、取材カメラを向けられると、サル回しのサルよろしく、すぐに「喜び組」を演じてしまう連中ばかり映してどうするのだ。それも繰り返し、繰り返し。いっそのこと、一昔前のように、提灯行列でもやるかい。

 一連の疲れる関係報道の中でホッとしたのは中田英寿のインタビューぐらいのものだった。「このチームを見て、本大会で勝ち抜けるだけの力はないと思う。三度目のワールドカップで前に行けるかどうかはこの先の一年にかかっている」。やっとまともな言葉が聞けたと思ったが、これがすこぶる不評だとけさの電車の中で知った。

 とかく慢心がはびこると冷静な言葉は癇にさわるようになるらしい。中国に権益を求めて正気を失うのには二十年ほどかかった。経済大国とふんぞり返って躓くのには十数年ほどかかった。ワールドカップに複数回出場が決まっただけで、もはや正気を失いつつある・・・、それにはまだ早かろう。(6/10/2005)

 ワールドカップ代表決定戦の陰に隠れるようにして、渡邊恒雄が巨人球団の会長に「復職」した。発表されたコメントによると、理由は「巨人軍は今歴史的な危機を迎えてい」るにも関わらず「読売グループ本社の代表取締役会長である」自分が「オーナー辞任のため、巨人軍取締役会にも出席できなくな」り「不正常な関係」にある。そこで会長になることにより「広く全国のファンの意見を聞いて現場に伝え、グループ各社の強力な支援態勢を確立する」ということ。

 去年、あたふたとオーナーを辞任したとき、渡邉がプロ野球に対してなした「罪業」について、いろいろと語られた。「ミーイズム」、「オレがよければ」、・・・、ブッシュ・アメリカ的な「諸悪の根源」という指摘はかなりの点あたっていたし、なによりそういう人物が自分から辞めるというのは、いかにも不自然で、おそらくまだ露顕していない深刻な「悪事」があるのだろうとも推測された。その推測が当たっていたかどうかはいまも分からない。モリアティが滝壺に沈めば、その罪科追求への興味が失われるのは当然。

 しかし渡邉の害が外部にだけ及ぶものであるはずはない。ジャイアンツがいまのようなだらしのないチームになった原因の何割かは無用のくちばしを入れ、さらには組織の風通しを悪くした渡邉が負っているはず。ジャイアンツを追い出されたメンバーのその後を見て愕然とするジャイアンツファンは少なくなかろう。広岡はいまのライオンズの基礎を作った。森はそのライオンズに黄金期をもたらした。王はホークスをあそこまで育て上げている。残すべき人を残さずに出ていっても惜しくない人を残した。さすがに最近は流出後のざまの悪さを恐れ、原の場合など、馘首にしておいて飼い殺しを図っている。「たかが選手、たかが使用人」と言うわりには、そのじつ、使用人の使い方、活かし方を知らないのは嗤える。

 いまのジャイアンツに渡邉ができる最大の支援は「黙っている」ことだろうが、本人がそれに気付かないのがまず最大の悲劇。そして「なにやっとるんだ、オレにやらせろ」と一喝されると、一も二もなく「ハイ」の一語しか出てこない、いかにも権力に尻尾を振る条件反射が骨の髄まで染み込んでしまったイエスマン揃いのヨミウリの風土がその悲劇に輪をかけている。(6/9/2005)

 対北朝鮮戦を2−0で勝ち、来年のドイツワールドカップ出場が決定。三大会連続の出場。とはいっても前回は開催国としての出場権獲得だったわけだから、常連国というのにはまだ実績が足りないと言う方が正しかろう。(ここまで書いて、微苦笑。数日前からマスコミは「勝つか引き分ければ、世界一早く出場を決めることになる」とふれまわっていたが、いちばん早く出場を決めたのはドイツだ)

 サッカー、やっとルールもわかり、オフサイドについても映像さえきちんととれていれば納得がいくようになったが、まだ味わうレベルには達していない。ミーちゃん、ハーちゃん並みの眼には、得点・失点に関する「必然」が見えない。だからなかなか点が入らないと退屈する。そういえばテレビ観戦していて、得点したためしがないと思い当たり、後半が始まるとすぐにウォーキングに出た。もうおまじないのようなものだ。短めに切り上げて帰るとはたして1−0になっていた。陰からこういう応援をする者もいる、ということ。

 始めから終わりまで注視していたわけではない。だから根拠のない印象だが、日本が強くて勝ったというよりは北朝鮮が弱くて勝てた試合。終了間際にキム・ヨンスがレッドカードで退場になった。倒れている田中の背中を蹴ったのだから当然。それは何人かが倒れ込んだ際、反動をつけて起きあがろうとした田中の足があたり、キムはそれを意識的な行為と誤解した故の仕返し、ビデオではそのように見えた。憤懣の表情のキムを押しとどめるチームメート、二人の表情にはかつては相応の水準にありながら、いつの間にかできてしまった世界とのギャップの大きさを前にして立ち尽くすより他ない現状、そのような状態を招き寄せた頑なな独裁者に導かれた祖国に対する言いようのない気持ちが現われているように見えた。北朝鮮の選手が可哀想に見えた。(まったく違うことがらに関して、将来、この国が同様の「気がつけば、茫然」を味わうのではないかと危惧するが故のこと)

 そういう意味で、勝ったうれしさよりは、同情の方に気がゆく試合だった。(6/8/2005)

 サンケイの「精神分裂病」は直らなかったきょうのサンケイ「主張」、もうすべてのことを「反中国」で考えるこの社説子、統合失調症も、視野狭窄症も、ともに重篤になったものとみえて、こともあろうに4日の読売「社説」に噛みついている。ああ、それにしても、ものが見えぬということはつくづく哀しいことだ。

 町村外務大臣、きょうからブルネイ、ベトナム、カンボジアの三ヵ国を訪問する由。当初、アフリカ連合外相会議に招待を受けていたが、ホスト国のナイジェリアからキャンセルされたため(この国にドタキャンを喰らわせているのは中国だけではないようだ)、急遽組まれたスケジュールらしい。その目的を外務省幹部は「中国に地理的に近く影響を受けやすい」国々だから、「中国側に寝返ることがないようしっかり念を押す」ことだと語ったと読売は報じている。

 常任理事国のイスが欲しいというなら、靖国問題についてどの国から見ても明らかなかたちで解決を図っておくことが、最低限の条件になる。中国に「A級戦犯を称えた施設に総理大臣が最大限の敬意を払っているような国にアジアの代表としての資格があると貴国はお考えですか」などという言辞を弄されるような「紛れ」を残しておくとしたら最悪だろう。

 ところがその町村は、きのう、都内の講演会で「ごまをするから日中関係がおかしくなる」と述べたという。聴衆の向こうに誰を見て、どんなつもりでこんな発言をしたのだろう。靖国問題を意識しての発言だとしたら、いやしくも外務大臣の職にある者が世界の眼を忘れ、国内に敵を想定し、国内の仮想敵を批判して見せることにどんな利益があるというのか。右翼マインドの聴衆に向けての「ウケ」狙いなのだろうが、自らの憂さ晴らしができ、同病相哀れむ病人どもの拍手喝采をもらえれば、それで嬉しいのか。これが町村という男のセンスなのか。まさにサンケイセンスではないか。そんな外務大臣が「常任理事国、よろしく」などと言いに行って、いったいどれほどの効果があるものか。

 もともとさして大きくないこの国の政治家の器量、最近は、もう、ほとんど陋巷の住民並みに劣化したようだ。いや陋巷に回ありとせぱ、如何ぞ。(6/7/2005)

 朝刊の「時の墓碑銘」、きょうの言葉は「事実は真実の敵である」。コラムはことし「生誕400年」になる「ドン・キホーテ」から書き起こしているが、このことばはそれを下敷きにしたミュージカル「ラ・マンチャの男」にある科白とか。

 ワッサーマンが「自分の台本で最も重要なせりふ」というのは、「騎士なんて300年も前からいない。それは事実なのだ」と諭されたドン・キホーテが、鋭く切り返す言葉だ。「事実は真実の敵である」

 いつのことだったろう、**(友人)から切符をもらって帝劇で幸四郎の「ラ・マンチャの男」を観た。だがこの科白は記憶にない。こちらに共振するなにかがない限り、どんなことばも耳を通り過ぎて行くだけということか。

 それにしても、このことば、どこか今野勉の本のタイトル(「テレビ、おまえはただの現在にすぎない」)を思い出させる。表層に誑かされがちな我々に対する警句だ。もっともその表層すらも正確に捉えられない手合いまで跳梁跋扈しているのだから、病は重く深いのだが。(6/6/2005)

 6時前に目が覚めた。起きてテレビを入れると「時事放談」。きょうは渡邉恒雄と中曽根康弘。渡邉の出演ははじめてらしく略歴の紹介などをしていた。

 内容は小泉批判。とくに靖国参拝について、中曽根はA級戦犯が合祀されている限り、やめるべきだと断言していたし、渡邉は参拝してみせることにこだわる首相の痴態を笑っていた。そういえば、5月23日の日経朝刊の「核心」というコラムで田勢康弘が「首相就任前に小泉氏が靖国参拝について語ったりしたという記憶は筆者にはまったくない。こっそりと参拝していたのかもしれないが、いまのような確固たる信念は以前から持っていたのだろうか」と書いていた。いまやコイズミの靖国参拝は総裁選立候補時の「公約酒」に酔ったあげくの「ごた」になってしまった。

 1日、河野衆議院議長は82年以降の総理経験者に呼びかけ懇談し、「首相の靖国参拝は慎重に慎重を期さねばならない」という結論で一致した。(82年以降の総理は計11人。竹下、宇野、小渕は鬼籍にあり、中曽根、細川、羽田は出席せず、残る5人、海部、宮澤、村山、橋本、森が出席した由)

 中曽根の欠席は河野の呼びかけを三権分立のタテマエからして「あなたの言っていることは正しいが議長として発言するのはいかがか」(毎日の記事から)と断っただけのこと、3日には読売主催の講演会で「A級戦犯の分祀が現実的な解決方法だ。時間がかかるなら参拝をやめるのも立派な決断。国益のため参拝がどういう影響を及ぼしているかを考えることも大事だ」と述べたことからすれば結論は同じ。河野によれば、細川、羽田も「電話でまったく同意と伝えてきた」由。多数が常に正しいなどとは思わないけれど、同じ職を先に経験した8人が全員一致して与える忠言、コイズミも無下にすべきではあるまい。

 これに憤懣やるかたないサンケイは3日の「主張」に河野のみを批判する(なぜ、森を、橋本を、宮澤を叩かないのだ)体の駄文を連ねた。例によってほんの半日さきの状勢も読めぬサンケイ社説子のこと、文中で「中曽根康弘元首相は『立法府の長が、行政府の長の経験者を呼びつけて意見を聞くことはあり得ない』と出席を断ったという。これが常識である」と中曽根を持ち上げて見せたが、その日、当の中曽根は講演会でおよそサンケイの「主張」とはかけ離れたことを語った。ここでもサンケイ社説子は居座ろうとした「現実」に裏切られた、これだけドジを踏み続ければ、もはや哀れという他はない。

 サンケイよ、いくらバカでも、そろそろ気がつかなくてはならない、こういうことだ。

 立花隆の「メディア ソシオ・ポリティックス」にこんな外務省OBの言葉が紹介されている。それは、もし、中国が「我々の靖国神社参拝批判は、日本がサンフランシスコ講和条約第11条をきちんと履行しているかどうかのチェックだ、したがって内政干渉ではない」と主張したらどうかという設問に対する答えとして書かれている。

 話がそこまでいったら日本の完敗です。サンフランシスコ講和条約第11条に不満があるから、東京裁判のA級戦犯についてだけは留保するなどということは、当時も今も絶対にいえません。いったとたん、講和条約全部パーです。日本の戦後国際社会におけるポジションはゼロになってしまいます。ですから、今からでも、中国がこの問題をアメリカの前にもちだして、中国の言い分と日本の言い分とどっちが正しいと思うかと踏み絵を突きつけたとします。アメリカは日本のために逃げに逃げて返答を避けるでしょうが、どうしても答えなければならない立場に置かれたら、疑問の余地なく、中国が正しいといいます。

 このように言う外務省OBが現実にいるものかどうかは知らぬ。しかしこの言葉は正しかろう。さすがに読売は「A級戦犯無罪説」と「アメリカ追従外交」が並び立たないことを認識したようだ。4日の読売社説が、悪文の典型で要を得ないながら、[靖国参拝問題]「国立追悼施設の建立を急げ」とタイトルし、首相の靖国参拝の継続には問題があることを認めたのはそういうことだ。

 さてサンケイの「精神分裂病」は直るだろうか、直らないだろうか。(6/5/2005)

 夕刊の「風韻」という欄に直木孝次郎の新著の内容とインタビュー記事が載っている。いわゆる河内政権の存在、「万世一系」の最初の破綻を15代応神天皇(仁徳天皇の父)に認める説について。以下、書き写し。

 先ごろ、40年来の研究成果をまとめた『古代河内政権の研究』(塙書房)を上梓した。
 4世紀、大阪の河内平野に、瀬戸内海の制海権を基盤にした新たな勢力が台頭する。力を蓄えたこの河内政権は、やがて奈良盆地に進出。それまでの第一次大和政権に取って代わった。「万世一系の天皇」像を否定する刺激的内容だ。・・・(中略)・・・
 天皇家は、長い間、万世一系と言われてきました。これは江戸時代に本居宣長が強調したことなのですが、「日本が神国である」「アジアで最も優れた国である」という考えの源になりました。でもね、日本書紀や古事記を突っ込んで調べると、河内政権の始祖と考えられる応神天皇と、それ以前の間には、大きな歴史の裂け目のあることがわかります。たとえば、豪族の祖先については、ほとんどが、応神およびそれ以前の天皇や神々に始まる、と書いてあるのです。これは、記紀の成立した7〜8世紀の豪族たちが、始祖の現れる時代は、応神以前がふさわしいとみていたこと、そして応神を時代の変わり目に現れた天皇と認識していたことを示しています。
 批判はあります。特に河内に大和と異なる新政権が生まれたという考え方に対し、反論が強い。でもね、応神天皇は出生もちょっと変わっているんです。記紀によれば、応神は父の死後、神のよりついた母親から誕生する。さらに、母親の胎内にいる時に、神によって次代の王と定められたり、生まれた時に異相をしていたり、「神の子」であることを示唆する説話が多い。これは応神が、新王朝の始祖王だからではないでしょうか。神武以来の神の子の系譜が続いているのなら、応神の時点で、彼が神の子であることを、再度強調する必要はありません。河内平野に巨大な前方後円墳が多いのも、奈良の第一次大和政権を意識し、自らの勢力を誇示する必要があったからだと思います。

 面白そうではあるが、8,925円はちょっと高い。(6/4/2005)

 浜渦副知事が更迭されるようだ。しかしこの一連の動きに関する報道を見ていると、分かりやすさが売り物の「石原都政」がじつは至極分かりにくいものになったと知れる。都議会に告発されそうになった問題の浜渦が辞表を出していないのに、この夏に警察庁に戻る竹花副知事を除く残り二人の副知事、大塚と福永、そして教育長の横山が辞表を提出した。石原は件の浜渦と辞表を出したこの三人に出納長の桜井を加えて特別職を一気に五人更迭することにした。不思議な話だ。

 もっと不思議なのは辞職時期だ。浜渦以外の四人は今月いっぱいで辞職させるのに対して、ことの発端となった浜渦の辞職時期は来月22日なのだそうだ。この件についてはきのうの毎日にこんな記事が載っている。

 自公側によると、石原知事は浜渦副知事の辞職時期について最初、「来年の3月ではどうか」と打診した。「それは通らない」と拒否されると、「今年の暮れ」「9月議会」と少しずつ譲り、最終的に「都議の任期の7月22日」を示した。その際には「これを飲んでもらわないと自爆する」とまで言ったという。自公幹部に、「7月22日」を知事が譲れない理由は分からなかった。ただ、「自爆」は、知事の辞職の示唆と受け止めた。自公は、知事案を了承した。他の4人に比べ1カ月近く遅れての辞職は、こうして決まった。

 さらに不思議なのは後任人事だ。更迭したメンバーのうち、就任以来6年で今期限りの福永を除く、大塚と横山は新副知事になるのだそうだ。大塚は、辞職、即再任。横山は、辞職、即横滑り。いったいこれはなんなのか。退職金狙いなどという冗談でも出そうな珍事。

 一方、自民党現職議員は都議選をひかえて石原の推薦をもらうために汲々としている。選挙の過程で闇取引でもあれば、現職議員任期満了の7月22日が過ぎて、闇取引議員ども議場に雁首をそろえて浜渦の副知事再任を承認するかもしれない。もしそのようなことが起きたなら石原はよほど浜渦に痛いところを抑えられているということになろう。(6/3/2005)

 **さんからのメールで森岡政宏が奈良の出身と知った。彼のホームページを見てみた。先日の「A級戦犯」発言についての「釈明」とも「説明」ともつかぬものが出ていた。一読してあきれ果てた。自民党議員は玉石混淆と思っていたが「石」以下の「ゴミ」も混じているようだ。この男の場合「歴史認識」以前の「事実認識」がないのだから話にならない。二行引いておこう。

 日本は経済封鎖され、やむなく戦争せざるを得ない状態に追い詰められ国際法のルールにのっとって戦争をしました。勝った方が正義で負けた方が悪ということではありません。

 クラウゼヴィッツあたりを念頭に置いて、「戦争は政策の延長」という意識で書いているのだろうが、こと先の戦争に関する限り「事実」は残念ながらそういう高級な議論には結びつかない。

 最近は気軽に「日中戦争」と呼んでいるが、当時の政府はこんな呼び方はしなかった。「満州事変」、「支那事変」と呼んでいた。なぜ「事変」などという言葉を使ったか。答えは簡単だ。「宣戦布告」をしなかったからだ。つまり中国との戦いには国際法上「戦争」と呼ぶための要件になる「宣戦布告」はなかった。だからこそ「日中戦争」とも「支那戦争」とも呼ばなかったのだ。戦争ではないとしたために最初は大本営すら設置できず、あまりに不都合なので後に「戦時大本営条例」を「大本営令」に改正して、「事変」でも大本営を設置できるようにした。つまり大本営を設置するほどのレベルの「戦い」を宣戦布告も無しに行ったということ、これは「歴史認識」が容喙できぬ「歴史事実」だ。

 昭和16年秋の木戸幸一日記に「万一開戦となるがごとき場合には、今度は宣戦の詔書を発することとなるべし」という昭和天皇の言葉が記されている。天皇も中国との戦いにおいて「戦争の要件たる宣戦布告がないこと」は気にかけていたのだ。「今度は」という言葉にそのあたりの気持ちが現われている。では曲がりなりにも宣戦布告手続きを踏んだ米英との戦いはどうだったのか。

 森岡はおそらく「宣戦の詔書」すら読んだことがないのだろう。とかく天皇制についていろいろいうわりに、この国の似非保守主義者どもは「詔」すらきちんと読まない者が多い。嗤うべき現象。

 明治から昭和までの三代の天皇は計4回、宣戦の詔書を発している。日清戦争、日露戦争、第一次大戦における対ドイツ、そして太平洋戦争だ。最後のものだけがそれまでのものと大きく違う内容となっている。日清戦争版には「苟モ国際法ニ戻ラザル限リ」、日露戦争版と第一次大戦版には「凡ソ国際条規ノ範囲ニ於テ」とあるが、太平洋戦争版には「国際法の遵守」に関する文言がないのだ。もちろん書いていないということが、すぐにそれを破ることを意味しているわけではない。しかしこの詔書の当初案には前例に倣って同じ文言があったにもかかわらず、最終的に削除されたことが確認されている。意識的に削除したということは「国際法のルールにのっと」る気などなかったことの現れだ。もしその気があったならば、わざわざ削除することはないのだから。つまり「歴史事実」が森岡の主張を否定している。

 市井の門外漢でもこのていどのことは常識的読書の範囲で知ることができる。その最低限の知識のかけらすらもなく、よくもまあ国会議員のバッジが付けられたものだ。恥知らずとは森岡のような男をいう。それが政務官か、ああ、この国、つくづく情けない国になり果てたものよ。(6/2/2005)

 大騒ぎしたミンダナオ島の旧日本軍未帰還兵騒動はどうやら虚報だったらしい。朝刊の「時時刻刻」欄にはおおよその顛末がまとめられている。そして一連の報道に関する検証も載せられている。朝日が書くのだから、はしゃぎすぎたサンケイの「ご意見」を訊きたくなるのは分かる。こんな調子だ。

 一報から2日にわたって1面トップで報じた産経新聞社の広報部は「生存情報自体の信憑性が崩れたわけではないので取材は続ける。ただ、きょうにも面会が実現するかのような印象を与え、旧日本兵のご家族らに心理的負担をおかけしたことは反省している。これからも正確な報道を心掛けていく」としている。

 たしかに「虚報」であった証明はない。しかしどうなのだろう、生存情報の「信憑性」は崩れたのではないだろうか。サンケイは先週土曜日の「主張」に「旧日本兵生存 故国が持つ引力のすごさ」というタイトルで「彼らが異国の山岳生活で思い描いたであろう故国の風景は、あるいは『うさぎ追いしかの山、小ぶな釣りしかの川』のようなものであったかもしれない。・・・人間の魂が帰還することを飢渇するところはその産土だ。故国とは何という大きな引力を持つものであろうと思う」などと、いかにもサンケイらしい自己陶酔型「超感動」社説を書いてしまった手前、引っ込みがつかないのかもしれない。

 ここ半月ばかりの間にサンケイの「主張」は二度も下手を踏んでいる。ひとつは「アメリカ軍のコーラン冒涜事件」というより「ニューズウィーク誤報事件」、もうひとつがこれだ。いずれも都合の良い「虚報」に検証もなしに寄りかかった安易な「感想文」をそのまま社説とするからのこと。とかくに見たい夢を見るのが人間、そういう少し低レベルの庶民の「感情論」がそのまま「主張」になると思いこんでいることが嗤える。そんな床屋談義を「社説」とは、ああつくづく可哀想な新聞よ。

 取材費をけちって安かろう悪かろう新聞を作るのがサンケイのたったひとつの取り柄ではないか。なまじ好きな話題だからと張り切って、記者もデスクも身に付かぬ仕事をしてのこのざまか。朝日の取材に対して共同通信はこう答えている。「日本大使館員が面会などで確認材料を得ない限り断定を避けて慎重な報道に努めた」と。いつも通り共同から記事を買っていればよかったのだ。分を越えたことはせぬこと、それが「貧乏人保守主義の鉄則」だろう、汝自身を知れ、呵々。(6/1/2005)

 けさがたまで残った雨はお昼前にはあがった。きのう、北部医療センターの**先生から連絡があり、**(父)さん、一応持ち直したので退院の相談をしたいということで、部会だけを午前中にすませ、午後半休を取った。結局、来週の月曜、上宮に再転院することに決まった。

 まりあ幼稚園から明治薬科大までを歩いて帰ってきた。久しぶりのまとまった雨で空堀川にも流れが戻っていた。所沢街道に架かる橋の少し下流あたりは、おととい病院から帰るときには途切れた水たまりが強烈な臭気を放っていたが、完全に解消されていた。

 ウィークデーの午後、川縁を散歩しているのは圧倒的に老人。あと数年で自分もその仲間になる。いまのような歩き方がいずれ適わなくなり、杖をつき、枝を這う蝸牛のようになり、あるいは車イスを使い、徐々に徐々に父のようになるのか。それにしてもいつの間にかずいぶんと日が長くなったものだと思いつつ帰宅。

 長いこと2039年までは生きていたいと思ってきた。ケネディ暗殺に関する資料の公開される年だ。しかし90歳まで、この貧弱な頭脳が十全な活動をするとは思えなくなってきた。もういい、あと十年から十数年くらいでいい。そのくらいのある日、ヘップバーンの映画でも見てご機嫌で床に就き、翌朝、起きてこなかったというような死に方をしたい。**(家内)よりは先に逝きたい。法名、偏執院一言居士、享年、七十、これでいい、これが理想だ。(5/31/2005)

 夕刊の「女帝論議のために」、きょうは橋爪大三郎が書いている。橋爪はまず天皇制(彼は「天皇システム」と書いている、矢沢永吉に似た名前の似非保守主義者の主張を意識してのことかもしれない)を王権の一種とした上で一般的な王位継承論を紹介、その論理に立っていわゆる「万世一系論者」の足元をすくっている。こんな具合に。

 さて、これらを踏まえて、天皇システムを考えてみると、どうなるだろうか。まず、明瞭な王朝の断絶(交代)がない。これは、継承のルールがかなり「柔軟」に適用されてきたことをいみする。たとえば、天皇にはふつう妻にあたる多数の女性がいて、誰が産んだ子も皇位を継承できた。教会が認めた正式な結婚の子でないと、王位を継承できないキリスト教圏とは違う。また女帝も決して一時しのぎでなく、皇位継承の選択肢のひとつだった。
 王朝が断絶しないのは、誰が天皇となるべきかについて、厳格な原則がないこと、つまり、誰であれ天皇が続いてほしいと人びとが願ってきたことをいみする。裏を返せば、天皇の血統そのものを尊いと考えているわけではないのである。
 この伝統を、明治政権は「万世一系」とよび換えた。皇室典範では女帝も禁じた。継承のルールがあいまいでだらだら続いてきただけのものを、あたかも西欧の王家のような男系の血統が伝わってきたと見せかけるトリックである。日本人自身もこれを真に受けてしまった。

 なかなか巧妙な論理だ。これに反論するためには王朝の断絶があったことをいわねばならないから、「万世一系論者」は自己矛盾に苦しむことだろう。(武烈天皇から継体天皇への継承は明らかに王朝の断絶を窺わせる。「継体」という名前、そして「日本書紀・武烈紀」の記述の特異性はその例証だ)

 これに続くのは天皇システムと民主主義、人権思想が矛盾しているという指摘。もとより「万世一系論者」は民主主義が大嫌い、人権という言葉には虫酸が走るという化石人間たちだから、このロジックでは彼らはびくともするものではない。そういう点で残念ながら竜頭蛇尾の感。(5/30/2005)

 5時半からのTBS「報道特集」と10時からのフジテレビ「EZTV」。ともにミンダナオ島の旧日本軍未帰還兵を取り上げていた。だが両番組のスタンスにはかなり違いがあった。

 「報道特集」はゲリラの活動地域まで踏み込んで取材しかなり否定的なトーン、「EZTV」は金曜日からよく見る映像を並べて「真偽は藪の中」とまとめた。未帰還兵の実名が上がり、少なくともそれに対応するメンバーがいたという以上、まるきりのガセではないのだろう。とすれば、先行してかなり詳細な報道をしているとされていたサンケイ新聞が、どのようなニュースソースに基づいて、どのていどの事実を掘り起こしたのか、それが気になってサンケイのサイトにサーチをかけてみた。サンケイのコラムは嗤えるので比較的よく見るが、一般のニュース、とくに国際ニュースなどはほ共同通信の配信記事ばかりだから、記事の掲載の有無をチェックするだけでリンクを辿って読むことはしない。

 Google Newsからのリンクはすべて切れていた。テレビ系のニュースサイトは動画映像との関係から比較的早く削除される。しかしいやしくも全国紙を標榜しているはずの新聞系サイトがわずか2日程度で記事をどんどん削除しているとは思わなかった。縮刷版を発行していないのと同様、恥はかき棄てるというのが、サンケイ独特のポリシーなのかもしれない。(5/29/2005)

 おととい、森岡正宏厚生労働政務官が自民党の代議士会で「極東国際軍事裁判は平和や人道に対する罪を勝手に占領軍が作った一方的な裁判だ。日本国内ではA級戦犯はもう罪人ではない」と演説した由。彼は続けて「中国に気遣いしてA級戦犯がいかにも悪い存在だという処理のされ方をしているのは残念だ。日中・日韓関係が大事というだけで靖国神社にA級戦犯が祀られているのは悪いと言う。こういう片づけ方をするのは後世に禍根を残す」とも言ったらしい。

 東京裁判に「罪刑法定主義」的な考えから言えば疑問があることはたしかだ。ただこの裁判の根拠は国内法によるものではない。日本が受諾したポツダム宣言によるものだ。その第10条には明確にこのように書かれている。

 吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ國民トシテ滅亡セシメントスルノ意圖ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戰爭犯罪人ニ對シテハ嚴重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ日本國政府ハ日本國國民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ對スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ

 森岡は日本がこの宣言を受諾して戦争を終結させた事実をどのように考えているのだろうか。それともこの程度の歴史のイロハも知らずに国会議員の職にあるのだろうか。森岡がこの日のスピーチで誉め上げた小泉首相は、先日、委員会答弁で「罪を悪んで・・・」とA級戦犯に「罪科」のあることを認めたではないか。バカなことは言わぬことだ。

 東京裁判にはいろいろな効用があったということを忘れるべきではない。最大の効用は昭和天皇の戦争責任、そして日本国民の戦争責任をすべてA級戦犯に背負わせたということだ。それは流し雛と考えればわかりやすいかもしれない。東條英機には毀誉褒貶いろいろあるが、おそらく彼が自分の最後のご奉公としたのは昭和天皇に累が及ばぬようにしたことであった。それはこの小人物としてなし得る最大の仕事だった。この思いは幾人かのA級戦犯刑死者にも共通の思いではなかったか。

 A級戦犯の靖国合祀は宮司松平永芳の短慮がなした愚行だった。思えば靖国神社が一宗教法人となったがために総代会が一部の極端な思想の持ち主の専有物のようになってしまった、それが不幸の始まりだったかもしれない。1970年の総代会でA級戦犯合祀の方針が決定した後も当時の宮司筑波藤麿は合祀を見送った。それは徳川侍従長を通じて知っていた昭和天皇の気持ちを汲んでのことだったらしい。しかし代替わりした松平は入江日記などを読むと少しばかりセンスの悪い愚か者だったようで宮司になるやいなや隠れてこれを行ってしまった。

 日中の国交回復は、正しいか間違っていたかを別にすれば、現実問題として戦争責任のすべてを流し雛たるA級戦犯に押しつけるというシナリオによって実現された。賠償問題も、国民感情も、すべてこのシナリオとODAのセットによって解決済みのスタンプを捺された。したがって、少なくともこの原点を守らなくては日中の未来関係は築けない。A級戦犯の合祀された靖国神社への政府首脳の参拝はその基礎を崩すものである以上、日本の国内問題だなどとは言えない。靖国神社問題、公職者の参拝問題はこれ以外にもたくさんあるが、国際的な課題としての靖国問題の中心はここにある。それを理解できない者は公職に就く資格がないといってよい。少なくとも中曽根はそれを知り一回きりで参拝を取りやめた。小泉には宰相としての見識も資格もない。

 蛇足の記録。来日中のシンガポールのリー・シェンロン首相は25日の小泉首相、安倍幹事長代理とのそれぞれの会見で繰り返し「靖国参拝にはアジアの国々でも反発がある」と慎重な対応を求めたという。靖国参拝はけっして中国・韓国だけが反発しているわけではないということを認識すべきだ。さもないと歴史を顧みない阿呆な国というレッテルを頂戴して、気がつけば敬遠される国ナンバーワンになっているかもしれない。(5/28/2005)

 あさからミンダナオ島で旧日本軍の未帰還兵が見つかったというニュースで持ちきり。起き抜けのスタンバイによればサンケイの報道が他社を抜いているという。通信社に頼らず記者を派遣しているのだろう。サンケイ新聞もこの手の記事になるとしっかり取材する気になるものらしい。人間と同じで、どんなバカ組織にも、どこかに取り柄はあるものだ。

 それにしても敗戦から60周年にして、まだ戦禍の傷跡は生々しい。もうひとつ思ったのは、彼らが帰国したいと言い始めたのは最近になって指導してきた反政府ゲリラからリタイヤを勧告されたからと訊いて、この国の会社よりもはるかに優しい処遇だなという感想。

 朝刊にはとんでもない記事がふたつほど載っているが、**(家内)があしたは3時半起きにつき今晩はここまで。(5/27/2005)

 ニューズウィークが「キューバのグアンタナモ基地でアメリカ軍が収容者に対する嫌がらせとしてコーランをトイレに置き、一部を便器に流した」(5月9日号)と報じてイスラム世界の憤激を買ったのは先々週のことだった。アフガニスタンをはじめとしていくつかの国で行われた反米抗議デモでは死者も出た。

 ブッシュ政権は大あわてで「内部調査をしたが報道されたような事実は確認されなかった」と発表した上でニューズウィークに圧力をかけた。ニューズウィークは「担当のイシコフ記者が情報源に確認したところ、その政府高官は『自信が持てない』と回答した」として16日号で記事の誤りを認め、謝罪した。ブッシュ政権は「事実関係が間違っていると認めながら記事を撤回しないのは訳がわからない」と強く撤回を迫り、ニューズウィークは記事を撤回した。

 と、ここまでが先週までの動き。よくある話と思っていたが、サンデーモーニングで浅井信雄が「なぜかアメリカ政府は肝心の調査資料を公表していないんですね」とコメントしていたことが少しばかり気にかかっていた。

 ところがきょうになって、「2002年7月に収容者がFBIの取り調べに対し『約5カ月前に収容者らが監視兵に殴られ、彼らがコーランをトイレに流した』と証言した。『祈ろうとした際に監視兵が(妨害目的で)踊り回った』」などが記載されたFBIの文書があることが、人権団体の開示請求に基づいて明らかになった。このような文書が「確認されなかった」というブッシュ政権の「内部調査」もずいぶんお粗末なものだが、圧力を受けるやいなや、あっさりと謝罪したり記事を撤回するジャーナリズムというのもこれまたずいぶんお粗末なものだ。もっともブッシュ政権のマスコミ規制と妨害は凄まじいらしく、21日付のロサンゼルス・タイムズは「昨年の9月から今年2月までの半年間にイラクでアメリカ兵が死んだ写真の掲載はたったの1回だ」と報じた。自由の国のジャーナリズムはいまや窒息状態にある。

 ところで、ニュースソースとなった件の「政府高官」の言葉、どこか、数ヵ月前のNHKの松尾武元放送局長の言葉に似通っていて嗤わせる。しかし、もっと嗤えるのはいつものごとくサンケイ新聞の「主張」だ。先週19日、サンケイの「主張」は「米誌の誤報 日本も他山の石としたい」と題して、じつに滑稽極まる社説を書いた。それはこんな書き出しだった。

 米誌ニューズウィークは、「米軍がイスラム教の聖典、コーランを冒涜した」と伝えた記事の誤りを認め、謝罪し、全面撤回した。日本のマスコミにとっても、重要な教訓を含んでいる。問題の記事は、キューバの米軍基地の尋問官が収容者の証言を促すため、コーランをトイレに流して動揺させたという内容である。この報道をきっかけに、イスラム圏各国で反米デモが発生し、鎮圧部隊との衝突などで十六人が死亡、百人以上が負傷した。ところが、同誌が改めて情報源にあたったところ、「確実に見たわけではない」と不確かな話だったことを認めたというのだ。同誌は、根拠が確認できなかったとして、記事の全面取り消しに踏み切った。しかし、不確かな情報に基づく報道が国際問題に発展し、十六人も死亡する事態を招いた責任は重い。事実はどうだったのか。不確かな情報をなぜチェックできなかったのか。改めてきちんとした検証記事が必要だ。

 サンケイ新聞はアメリカ政府が言うことはすべて信用してしまう癖を持っている。おそらく「太陽が西から昇る」とアメリカ政府が発表したら、サンケイはその前提で記事を書くに違いない。サンケイ新聞は我田引水、虎の威を借りることが大好きだ。この書き出しでこの日「主張」は、ご自慢の「侵略・進出誤報事件」をあげて、このように結んだ。

 誤報は大きく分けて、記事に書かれた当事者だけが傷つくケースと、国際問題化して国の名誉、国益まで損なわれるケースとがある。教科書誤報事件と今回の米誌誤報は後者だ。本紙を含め日本のマスコミは、今回の事件を他山の石としなければならない。

 サンケイは自分が投げた石が自分に当たるとは考えていなかったのだろう。キューバにあるガンタナモ基地のうさんくささについてご存じなかったとしたら新聞屋としてはお粗末すぎる。ブッシュ政権の対テロ施策については「不確かな情報」の山であること、それも世界的な常識。それを「チェック」も「検証」もせずに鵜呑みにするのは「誤報」の地雷原に好んで踏みいる行為であると、サンケイ社説子は警戒しなかったのだろうか。官製情報にのみ依拠して得意満面で書いた「主張」は泥にまみれてしまった。

 過ぎたことは仕方がない。とすれば、「コーラン冒涜事件」あるいは「ニューズウィーク『誤報』事件」について、サンケイはどのように「きちんとした検証記事」を書き、サンケイのご都合主義社説を訂正するものか。売文を生業とする者には少なくとも自分が「主張」したことで自分を律するくらいの「矜恃」はあろう。それもないか。

 自分は別格というのがサンケイ新聞か。そうだった、あれほど、ライブドアを「違法」呼ばわりしながら、身内の扶桑社の違法行為には口を拭って知らぬ顔をした、それがフジサンケイグループのグループポリシーだった。サンケイ新聞にできることは「都合の良い誤報」を認めて見せて何度も何度も同じネタを自慢することだけか、呵々。

 この時刻(23:58)までに、朝・毎・読・日経と共同通信の配信を受けている地方紙を含む各紙は「コーランを不適切に扱ったケース」があったとアメリカ軍が認めたというニュースを流している。サンケイにはこのニュースは掲載されていない。おおかた社説子の不始末がばれないようにお祈りでもしているのだろう。(5/26/2005)

 夕刊の論壇時評に金子勝が中国の反日デモは貧富の格差と不満が背景だとする論文を紹介し、面白いコメントをつけている。

 厳幸平「中国の所得分配と貧困問題」(東亜5月号)が、経済格差の実態と原因を詳しく分析している。厳によれば、社会安定のためには不平等の拡大に限度があるが、世帯間に関する「中国の不平等状況は明らかにこの警戒ラインを超えてしまって」おり、地域間でも「省市区レベルで見る一人当たりGDPの格差が最高と最低の間で十倍以上、県レベルで見た場合のそれが百倍以上という公式統計がある」。
 こうした実態を見ると、中国政府が「反日」運動を組織しているのか、貧富の格差に不満を持つ人々が「反日」をスローガンとして利用しているのか、実は判然としない。

 中国が驚くべき不平等社会であることは事実だ。マルクス主義をベースに据えながら、現在の中国には都市籍を有する階級と農村籍である階級があり、この階級間、そして地域基盤の温度差が中国経済の効率に直結している。それは温度差がある方が内燃機関の効率がよいのに似ている。しかしここに指摘されているほどの所得格差は本来中国共産党の立党の精神に反している。その矛盾はいずれ何らかの形で噴出するだろう。

 金子の指摘はここから、小泉首相の国際感覚の欠如ぶりとこれを支持するこの国の「保守派」の自家撞着ぶりを皮肉り、既に始まっている彼らの「敗北のナショナリズム」の行く末を指摘している。まったく同感。あえて付け加えるならば、現在の中国の基本政策となった「豊かになれる者から先に豊かになる社会」という考え方は、ほとんどそのまま小泉構造改革の「努力した者が酬いられる社会」という考え方と同じであり、競争の前提となる条件の平等性つまり機会の不平等に目をつぶるという点で奇妙な類似性があるということくらいか。

 論壇時評の末尾に鈴木宗男に連座する形で起訴、有罪となった佐藤優の言葉も紹介されている。かなり的確な指摘だ。

 「国内では、『こいつは中国の手先じゃないか』・・・などと批判されながらも、外では絶対に譲れない日本の原理原則を主張して、両側から板ばさみにあいながらも粘り強く交渉を進めていく。そういう外交官が少なくなりました」と嘆く(佐藤優・福田和也「瀬戸際の日本外交−国益、情報、ナショナリズムとは何か」現代6月号)。皮肉なことに、こうした「国益」をベースに行動するリアリスト保守の政治家や外交官が消えたのは、それを担ってきたのが金権政治にまみれた「抵抗勢力」であったからだ。それが、扇情的ナショナリズムの一人歩きをもたらす。そこが、小泉「改革」の見えざる陰の部分なのだ。

 そういえば、佐藤優の「国家の罠」、買おうと思って忘れていた。あさっての帰りにでも探してみよう。(5/25/2005)

 午後、三番町で本年度第一回の品質保証責任者会議。九段下の駅から靖国神社の坂を登り詰めた交差点、右折の列に右翼の街宣車。先頭の観光バスが神社へと右折して街宣車もそれに従った。観光バスは神社内の参拝者の行列に阻まれて停止、赤信号にもかかわらず強引に突っこんだ街宣車は境内に入ることもならず、歩道だけではなく靖国通りの車線までふさいで不様に停車した。と、件の街宣車、お得意のスピーカーでがなり立てた、「もっと前に詰めろー」、完全なヤクザ口調。通行人は歩道を完全にふさがれて、小山の如き街宣車を恐る恐る見上げる。車体には「サムライの魂、大行社」と書いてある。「大行不顧細謹」というつもりか、いや「大礼不辞小譲」という意識か。唯我独尊と傍若無人は右翼の常。なにが「サムライの魂」ぞ、あるは「ヒップの璧」なり。

 きのう中国の呉儀副首相が約した小泉首相との会談を「緊急の公務」を理由にキャンセルして帰国したことが話題となっている。もっぱらの話ではわが宰相が先週の国会審議で「どのような追悼をするかは他の国が干渉すべきではない」と答弁したことに対する反応だということだ。最初、類は友を呼ぶ、チャイルディッシュなコイズミとつきあおうとすると、チャイルディッシュになってしまうのかもしれぬと嗤ったが、考えてみると三千年の歴史の国のかくなる無礼はただごとではない。その不自然さにはもう少し用心した方がいい。もちろん彼の国もいまやこの国に似て、知謀の人は少なくなり、勇ましいばかりの愛国ナショナリストがはびこり、子供のようなパフォーマンスを喜ぶいかにもお手軽な連中が多数派を占める底の浅い国になりつつある可能性なしとはしないけれど・・・。

 もしドタキャンの原因がほんとうに靖国問題にあるとすれば、そのパフォーマンスは誰に向けられたものなのだろうか。コイズミに批判的な人々も含めて、ほとんどの日本人はそれが日本に向けられたものと信じて疑わない。しかしそれはすねに疵を持つが故の思い込みで、呉儀はたんに中国国内向けにポーズをとったのかもしれないし、日本でも中国でもない国(たとえば韓国、シンガポールなどの東南アジア諸国)に向けてアピール効果を狙ったのかもしれない。そうだとしたら日本の首相との会談は別の効果と置換しうるものと判断されているということになる。

 かつて彼の国で権勢をふるった人物は「白い猫でも黒い猫でもネズミを捕る猫は良い猫だ」と言った。実利が得られるうちは感情の問題などどのようにでも語ることができる。そういった故事来歴に事欠かないしたたかな国、それが中国だ。そういう国がなんの飾りもなくストレートに、かくなる無礼をはたらくというのは、もう既に、意識の中では日本との関係を「どのようにしてでも維持しなければならない関係」とは考えない、そういう「自信」というか、「確信」が生まれつつあるのではないか。そういう可能性も考えておくべきだろう。(5/24/2005)

 官公庁発注の鋼鉄橋工事の入札において談合があったということで公取が業者8社(横河ブリッジ、JFEエンジニアリング、東京鉄骨橋梁、石川島播磨重工業、宮地鉄工所、川田工業、高田機工、栗本鉄工所)を告発、高検はこれに三菱重工業、川崎重工業、松尾工業を加えて家宅捜査をした由。

 談合。普通に考えれば談合が受注者側だけで成立するものでないぐらいのことは部外者にも容易に想像がつこう。談合が存在することの例証として、予定価格ギリギリのところですべての案件が落札されているということが上げられているが、見方を変えれば、これは予定価格が洩れている、あるいは洩らされていることの例証でもある。

 談合の仕組みは「場」によって微妙に異なる。業界毎の「場」の違いもあれば、地域や介入する政治家の有無による「場」の違いもある。
  (***わたしの仕事上の経験が書いてあります:少なくとも退職するその日までは伏せます***)

 しかしこのような「きれいな」争いばかりではない。
  (***上記と同じ理由***)

 「きれいな」形を崩す要素はこればかりではない。税金の使い道となるとありとあらゆる場に登場し金品をせびる薄汚いハイエナども、「政治屋」という存在がある。彼らは「設計会社」の決定から「設計協力」のコーディネート、「入札価格」の入手から漏洩までのいくつもの場面に暗躍する。体験例を一、二あげるとすれば、(***上記と同じ理由***ここには某政党の幹事長と幹事長代理の固有名詞も登場します***)意地汚い政治屋の中には、いったんフィックスした発注図面や仕様書を部分的に書き換えさせたり、設計納品された図面・資料を全面的に差し替えさせたりする剛の者すらいた。さすがにこのような乱暴な手は最近は少なくなったらしい。だが少なくなったのは彼らの意地汚さが矯正されたからではなく、あまりにも際どい橋であることと、もっと洗練された手法が編み出されつつあるというだけのこと。****のように市政を壟断することができれば、それがいちばんであるのは言うまでもない。

 マスコミは談合した業者ばかりを追いかけているが、政官財のトライアングルの中で構造的に繰り返されている「犯罪」だという視点を持たない限り、これもまた一過性の騒ぎで終ってしまうことだろう。(5/23/2005)

 常任理事国入りの件で、今週、外務省は世界に派遣している大使120名を集めて一大会議を催した由。連想したのは鹿鳴館だった。明治初年の政府の外交的懸案事項は不平等条約の改正だった。そのために明治政府が最初に打った手が欧化政策、その象徴が鹿鳴館だった。

 結論から書けば、鹿鳴館は当然、欧化政策も不平等条約の改正にはほとんど役立たなかった。

 安保理の常任理事国になるために「欧化政策」に似た働きかけなど、いくら行ったところでムダだ。「普通の国」になるというのが自民党のみならず民主党の改憲派が常に言ってきたことだが、「普通の国」で常任理事国になるというのは字面からして矛盾しているではないか。

 いまの常任理事国のような「普通の核保有国」、「普通の軍事大国」、・・・、そのルートから常任理事国になるのは常識的に考えて難しかろう。戦争のひとつもして勝ってみないことには適わないというのでは大方の国民は「だったら、けっこう」というに違いない。どのみち形から入っても成功はおぼつかない。それが鹿鳴館の教訓だ。

 むしろ、いまの常任理事国とはまったく異なる「普通ではない実力国」、「独自のアプローチを有する平和国」、・・・、そのような、まったく異なるルートから常任理事国をめざす方が、はるかに実現可能性が高くなる。ビジネスの成功は人のやらないことへの着眼だ。

 それにしても面妖な話。件の大使会議では「戦後日本が一貫して進めてきた平和的な外交をアピールしよう」というようなことが話し合われたという。政府と与党が戦後一貫して行ってきたことは現行憲法の戦争放棄条項を目の敵にすることだったではないか。政府、与党だけではない。読売も、サンケイも、常任理事国入りの主張と憲法改正の主張はその強硬さにおいて正比例している。じつに不思議な現象だ。(5/22/2005)

 石原都知事が沖ノ鳥島を視察した映像をニュースで見る。スキューバダイビングで付近の海を海中視察というのが可笑しい。なぜ石原は海に潜らねばならなかったか。理由は簡単だ。知事やら然るべき随行員やら取材関係者が何人押しかけたかは知らぬが、沖ノ鳥島という島には立てるのはどんなに頑張っても二、三人、それより多ければ海に落ちるより他なかったからに相違ない。

 別に中国の肩を持つわけではない。しかし沖ノ鳥島はキノコのような形状をしている珊瑚礁、そのカサの部分がかろうじて海面に頭を出している。これは厳然たる事実だ。カメラが写しだした立派な三角点はそのキノコ状珊瑚礁を取り囲む防塁にある。もし三角点を打ち込んだならば島は、哀れ、崩れ果ててしまうだろう。だから沖ノ鳥島はコンクリートの防塁とメッシュの鉄筋とガラス板に保護されている。博物館のショーケースに入れられた「島」、それが沖ノ鳥島だ。

 「起きて半畳、寝て一畳」というが、それも適わない「島」を島と主張するのは大いに苦しいところだが、まあそれが国益というなら認めねばなるまい。ただ国民を保護する義務を自己責任に韜晦しようという輩が、領土・領海に固執する様はみっともない。領土・領海と大声で叫びたいのなら、「自己責任」などという屁理屈で国民保護を放り投げることは厳に慎むべし。

 もうひとつついでにいえば、この「島」がもたらすものは領海ではない。排他的経済水域というものだ。つまり第三国の艦船の通過を阻むものではないから、石原のいう「中国の潜水艦を排除するための軍事的意義は大きい」などいう言葉はごく初歩的な国際法さえ知らぬ愚か者のたわ言に過ぎぬ。とかくに軍事意識は小児病の延長、石原にはその症状が見られる。もっともそれがこの子供っぽい時代風潮にあってもいるのだが。(5/21/2005)

 千葉動物園のレッサーパンダが直立するとかで話題になっている。たしかに立つ。まるで着ぐるみのような感じでしっかりと立つのだ。偶然、それを見た来園者が写真に撮りホームページに公開し、あっという間に情報が広がった由。

 人間と他の動物をわけたのは「直立姿勢」だというのが、ポルトマンの「人間はどこまで動物か」の主張だった。直立姿勢は生理的な早産をもたらす。人間ほどの高度な哺乳類ならば現在の倍程度の妊娠期間が適当であるのに、その生理的早産のために十分な胎内発達をすることなく生まれてしまうことが、環境からの後天的な影響を受けるもととなり、それが人間の能力の発達を特殊なものにした、というシナリオだったと思う。

 ・・・とすると、このレッサーパンダ・・・、残念、オスだった。(5/20/2005)

 先日の記事の続報が載っていたので書き写しておく。

 米国に潜入して政治亡命を求めていた大物テロリスト、ルイス・ポサダ元被告(77)が17日、フロリダ州マイアミで米国土安全保障省に身柄を拘束された。宿敵キューバのカストロ政権転覆を狙った数々の事件を起こしたとされ、かつては米中央情報局(CIA)工作員としても働いた武闘派の亡命キューバ人だが、テロに厳しくなった内外の世論の移り変わりを読み誤った形だ。
 米国土安全保障省によると、メキシコから潜入したとされる元被告は移民関税取締局の係官によって拘束された。米政府は当初、所在確認ができないとの立場だった。17日のマイアミ・ヘラルド紙(電子版)によると、元被告は同日、当局に呼び出しを受けたが出頭せず、秘密の場所で記者会見を開いて「亡命申請を取り下げて出国する」と表明。再び逃亡生活に戻る用意を始めた矢先に、拘束されたという。

 この記事をそのまま信用するとすれば、用済みになったことも知らず、まだ自分には値段が付くものと思いこんでいた哀れな「破壊工作員」ということになる。しかし甘い判断で醜態をさらしたのはじつはCIAなのではないか。CIAの「処理」が厳格ではないことに苛立ったブッシュ政権が、新興官庁に使い捨て人材の「処理」はどのようにするものかを教えてやれとでも指示したのではないか。いずれにしても、ポサダが暗黒国家のブラックホールに廃棄処分される運命にあるとしたら、それが右の手で行われようと、左の手で行われようと、同じことだ。(5/19/2005)

 「罪を悪んで人を悪まず」という小泉の言葉、その「罪」のことが気になって、靖国神社が合祀したメンバーについて調べてみた。

 靖国神社が小泉首相が言うところの「罪人」を合祀したのは1978年10月のこと。東條英機、板垣征四郎、土肥原賢二、松井石根、木村兵太郎、武藤章、廣田弘毅、梅津美治郎、小磯圀昭、平沼騏一郎、白鳥敏夫、東郷茂徳、松岡洋右、永野修身、計14名。東條から廣田までの7名は東京裁判で有罪、絞首刑を宣告され刑死。梅津から平沼までの5名は有罪、懲役刑ないしは終身刑を宣告され獄死、松岡と永野は裁判前に病死している。

 廣田弘毅、平沼騏一郎、白鳥敏夫、東郷茂徳、松岡洋右は軍人ではない。いわば靖国神社の「管轄外」のメンバーだ。靖国神社が隠れて合祀を行い「英霊」とも呼べず「昭和受難者」という呼称を創出せねばならなかったのは「管轄外」であったからだろう。ここに見られるのは、あまりに悔しいので本来の趣旨以外の者まで祀ってしまいました、いわば「負けて悔しい花いちもんめ」。まことにいじけた「主張」で、その子供っぽさに驚かされる。

 東京裁判体制が不当というなら、論理で不当と主張すればよい。東京裁判体制を主導したアメリカを堂々と批判すべきだし、そのアメリカにいつまでも尻尾を振り続けることには反対すべきだろう。叱られた人の袖の下に潜り込んで、「ボク、悪くないもん」だとか、「安ッカン倍ー」とやる晋三坊やのような卑怯なふるまいは軍人を祀る神社のすることではなかろうに。

 靖国問題というと、とかくこの国のマスコミは中国と韓国ばかりを報ずる。しかし靖国参拝にマイナスイメージを抱くのはこの両国だけに限った話ではない。それがけさの朝刊に出ている。

 記事は来週訪日予定のシンガポールのリー・シェンロン首相が日本人記者団と会見し、「小泉首相の靖国神社参拝について『小泉首相が決める問題だ』としながらも、『この地域で日本の占領を経験した国に悪い記憶を思い起こさせる』と批判し、周辺国の視点も考慮するよう促した。・・・(中略)・・・靖国参拝について、リー首相は『悪い記憶を思い起こさせる。シンガポール人を含む多くの人にとって、靖国参拝は日本が戦時中に悪い事をしたという責任を受け入れていないことの表明、と受け取れる』と話した」というもの。

 読売やサンケイがこういう記事を黙殺するのは分からないでもないが、毎日までが、少なくともサイトに見る限り、こういうことがらを無視をしているのは不思議な気がする。かえって共同通信の配信を受けている地方紙には以下のような記事が載り、読者に客観的な情報を伝えている。(それにしても、海外ニュースを共同通信から買っているサンケイがかたくなに見えないふりをしているのが嗤える、よくよくサンケイ読者をつんぼ桟敷に置きたいのか、読者が見たくない公正なデータは提供しないポリシーなのか)

 【シンガポール17日共同】シンガポールのリー・シェンロン首相は17日、23日からの初訪日を前に日本の報道機関と会見した。小泉純一郎首相の靖国神 社参拝問題について「同神社には(第2次大戦の)戦争犯罪人が祭られており、シンガポールを含む多くの国の人々に不幸な記憶を呼び起こす。戦犯をあがめる 対象にすべきではない」と強く批判し、参拝中止を求めた。
 同国トップが靖国参拝を明確に批判するのは珍しく、中国、韓国と同様に東南アジア諸国でも不快感が強いことを裏付けた。訪日中に予定される小泉首相との首脳会談が波乱含みの展開になる可能性もある。

(5/18/2005)

 午後、ECOMセミナー「e‐文書法と電子文書の長期保存と電子署名法の課題」を受講。場所は日本青年館。ずっと昔に太田裕美のコンサートで来て以来。

 セミナー修了後、少し回り道をしてみることにした。このあたりには想い出がいくつかある。

 中学に入ったばかりの頃、毎週土曜、千駄ヶ谷駅前の津田塾に通っていた。教室の担当は「Miss I****」という先生だった。相性が悪かった。そう思うほかないほど、ことごとく噛み合わなかった。楽しいはずの土曜日は朝から憂鬱。よくサボるようになった。家を出て新宿まで行くところを明大前で乗り換えて渋谷へ。東急文化会館の地下に10円で見られる「ニュース映画館」があった。あの独特の声音で流すニュース映画だけを何本もやっている。そこで時間をつぶし何食わぬ顔で家に帰る。英語に足を引っ張られるのは当然。あの時の罰が当たっているのだ。

 現役受験の年と浪人受験の年、「千駄ヶ谷分室」に泊めてもらった。分室は津田塾の横の通りをまっすぐに原宿近くまで歩いたところ、並びにはボクシングの白井の邸宅があった。試験日の一週間以上も前から泊まり込んだ。本来は出張者のための宿泊施設。昼食は出ない。「食事、してきます」と一声かけて分室を出て、気分転換の散歩などを兼ね早春の街角をあてもなく歩き回った。同潤会アパートも健在、原宿も青山も表通りから入れば、まだ落ち着いた雰囲気のある住宅街がひろがっていて、バケットを片手に愛犬と歩くスタイルの良い外人女性と行き会うとドキドキしたりもした。

 そんなことを思い出しながら鳩森八幡の変則交差点への坂を登っていた。向こうから若い二人連れが坂を下りてきた。瞬時、心臓が止まりそうになり、軽い眩暈がした。O・ヘンリーはいちばん有名な彼の作品のイントロにグリニッジビレッジの雰囲気を表わす形容として通りの向こうから歩いて来る自分に出くわすと書いた。それだった。いまの自分ではない、三十数年前の自分。眼鏡をかけた青年はそのように見えた。富士塚に寄ってみようと思っていたが、その気持ちはなぜか急速に萎えた。(5/17/2005)

 月曜日、とかくの日、月曜日。雨が降れば「雨の日と月曜日は・・・」だし、晴れ上がれば「こんないい天気なのに・・・」だ。けさはとくにきれいに晴れ上がり、こぎ出した自転車の正面、はるか遠くに秩父の山々がくっきりはっきり見える。できればこの天気が昨日だったらよかったのに。こういう日こそ休みたいなどなど。

 小泉首相、靖国参拝を問われて、「罪を悪んで人を悪まずというのは孔子の言葉だ」と反論した由。

 そもそも「靖国神社」には数え切れないほどの間違いがたたみ込まれている。そして「靖国問題」にも同じように意識的無意識的に様々の問題点がある。その中でも最大の問題は、解き難く未整理になったかたまりのまま靖国神社を公式に認知させたい、その認知を基礎に軍国日本をまるのまま是認させたい一部の人々の願望を押し通すための道具になっているということだ。

 そのごく一部を書いてみる。

 明治という時代に移り変わる、または政府が支配構造を確定する過程で「賊軍」になった人々は「国に殉じた人々」ではないのだろうか。靖国神社は彼らを国に殉じた人々ではないとしている。だから彼らは祀られていない。普通の国民は、彰義隊や白虎隊、西南戦争や各地で発生した乱の反政府軍も、国に殉じた人々だと思っているだろうに。

 原爆の犠牲者、空襲の犠牲者など数多くの「銃後の戦死者」は「国に殉じた人々」ではないのだろうか。靖国神社は彼らは国に殉じた人々ではないとしている。だから彼らも祀られていない。普通の国民は、彼らが国に殉じた人々でないというなら、いったい「国に殉ずる」という言葉の意味はなんだと問いたいだろうに。

 これらの「不思議」に対する答えはひとつしかない。靖国神社が「天皇の軍隊に所属して死んだ軍人を祀る神社」だからだ。あえて「戦死」ではなく「死んだ」と書いたのはも敵国の裁判とはいえ「刑死」した「犯罪人」を靖国神社が祀っているからだ。

 靖国神社が「戦犯」を「犯罪人」と見ていないのは分かる。しかし、きょう小泉首相は「罪をんで」という言葉を使った。この言葉は「孔叢子」の「刑論」にある言葉だ。つまり、少なくとも、わが宰相は東條英機、板垣征四郎、松井石根らに「罪」があり、「刑」に処するのは当然だと認めたということだ。(5/16/2005)

 イラク戦争。世界中のほとんどの人は、他ならぬアメリカ人を含めて、いったいなんのための戦争か、よく分からなかったし、いまもよく分からないままなのではないか。

 大量破壊兵器については当初からまゆつばの話だった。中には分かったふりをした専門家やマスメディアもあったが、それはまるで「皇帝の新しい着物」のように思えたはずだ。アメリカがいうから見えないのに「見えた」という苦しさは彼らも味わっていたことだろう。なんといっても、大量破壊兵器を持っているぞと宣言している北朝鮮には見向きもせずに、少し熱心さには欠けるものの大量破壊兵器なぞないといっているイラクを攻撃するのは、じつに不思議な光景だった。

 そこで、イラクにはあって、北朝鮮にないもの、つまり石油が目当てなのだと考えたものだった。これはかなりあたっていそうな話だった。現にバグダッドを占領するやいなやアメリカはイラク石油省の建物を早々と警護した。それは人類の共通資産を数多く収蔵したイラク博物館を泥棒たちの思うがままにさせた姿勢と好対照をなしてさえいた。

 しかし石油の確保は思うままにはならなかった。開戦前、日高義樹だの岡崎久彦のような卑しい専門家どもはイラク戦後には石油価格が安定して世界中の人々はブッシュに感謝するだろうとほざいていたが、三流専門家の予想が無惨に打ち砕かれたことは、最近の原油価格高騰を見ればよく分かる。

 そこで、これはきっと原油価格の変動から利ざやを稼いでいるのに違いないとも思ったものだった。しかし本山美彦「民営化される戦争」の第二章「新しい軍産複合体」や、シンガー「戦争請負会社」のこんな部分を読むと、まさにブッシュ政権の高官たちがなにを狙って、イラク戦争を強引に始めたのかということが、まるでヒモがほどけるように分かる気がする。

 同時に、イラク戦争での最も暗い出来事には、すべて民営軍事請負企業がからんでいた。これらには、ディック・チェイニーの旧BRS社、すなわちハリバートン社をめぐる過剰請求の申し立てや別の戦時不当利得、ファルージャで殺害後に四肢を切断されてビデオに撮影されたブラックウォーター社の四人の社員の悲劇とそれに引き続いて同地を巻き込んだ戦闘、民営軍事請負企業CACI社とタイタン社の社員が拷問に加わったとされるアブグレイブ刑務所の捕虜虐待などが含まれている。簡単に言ってしまえば、将来イラク戦争の歴史が書かれるとき、必然的に、民営軍事請負業が何ページかを埋めることになるだろう。本書が世界に紹介したこの産業は、世に認められたのであった。

 おそらくブッシュ自身もこれらの会社の株を大量に保有しているのだろう。つまりブッシュ一味は国庫からカネをくすねるのではなく、自らの政策決定により戦争という「公共事業」で利潤を上げる会社を潤させ、正々堂々、その会社の配当を受け取ることによって私腹を肥やしている。それがする必要のない戦争をあえてやった理由だ。

 ではなぜ北朝鮮を選ばなかったか。簡単だ、金正日政権が崩壊しても、いまイラクに見るような激しく組織的で根強い抵抗などは望み薄だからだ。それではいくつものPMFを十分に稼がせることができない。北朝鮮よりはイラクの方がはるかにうまみが期待できた。ただそれだけのことだ。(5/15/2005)

 「ふぉーりん・あとにーの憂鬱」からのリンクで日経の記事を読む。

 政府税制調査会(首相の諮問機関)の石弘光会長は13日の記者会見で、給与収入より退職金が課税上、有利になる可能性がある現状を改める考えを示した。勤続年数が短い従業員が給与相当分を「退職金」でまとめて受け取り、税負担を小さくするのを防ぐ狙い。一方で雇用の多様化に対応し、勤続年数が長いほど税負担が相対的に軽くなる現行制度も見直す。政府税調は6月の報告書で問題点を指摘、早ければ2006年度の税制改正に盛り込む。

 なんのことはない雇用形態の変化にあわせて公平性を確保するなどという理屈をつけているが、勤続年数の長短などおかまいなしに退職金課税を強化しようとことではないか。

 石という男、前にも「酒文化を守るため」などという、一聴、格調の高そうな小理屈を捏ねてみせたが、早い話は雑穀発泡酒の税率アップを意図しての発言だった。ただひたすら増税する以外にはなにも思いつかぬ酷吏の手代。彼が狙っているのはそろそろ退職年齢にかかった団塊の世代の退職金、それを正面から言わずに搦め手から探りを入れただけのこと。つくづく腹黒い奴だ。(5/14/2005)

 朝刊に興味深い記事が載っている。

【見出し】テロリスト、米入国か/元CIAのキューバ人/ベネズエラ「返せ」

【リード】
 【ロサンゼルス=萩一晶】キューバのカストロ国家評議会議長を長年、付け狙ってきた大物テロリスト、ルイス・ポサダ元被告(77)をめぐり、米国が苦しい立場に立たされている。元被告はパナマで収監されたものの、昨夏の政権交代に伴う恩赦で自由の身となり雲隠れ。4月にマイアミの弁護士が「米国に亡命を求めている」と発表し、関係国は大騒ぎとなった。逃亡犯として手配中のベネズエラは「テロと戦う」はずの米政府に身柄の引き渡しを求めている。

【本文】
 ポサダ元被告は亡命キューバ人で、61年にキューバへの武力侵攻を図ったビッグズ湾事件にかかわるなど、束中央情報局(CIA)工作員として数々の作戦にかかわってきた。76年にはベネズエラのカラカスから出発したキューバ航空機を爆破、スポーツ選手ら73人を死亡させたとされる。
 裁判途中の85年にカラカスの刑務所から逃亡。今度はパナマの国際会議でカストロ議長暗殺を謀った容疑で00秋に逮捕され、8年の実刑判決を受けた。だが反カストロのモスコソ前大統領が昨夏、政権を去る際に恩赦を与え行方不明になっていた。
 弁護士が最近、ポサダ元被告について「米国に入った。元CIA工作員として米政府に保護を求める資格がある」と発表して以来、カストロ議長は「テロと戦う、という米国の偽善の表れだ」と厳しく批判。ベネズエラへの身柄引き渡しを求めている。身柄が引き渡されれば将来的にはキューバで裁かれる可能性がある、との見方も出ている。米国務省は「米国内にいるとの所在確認は取れていない」との立場だが、ロサンゼルス・タイムズ紙は「米政府は何らかの公式な判断を迫られる前に出国するよう、ポサダ氏に促している(関係筋)」と伝えている。

 カストロ暗殺だけならば古典的なテロリストとして「擁護」する余地もあろうが、旅客機を爆破した無差別テロの実行犯となれば、いくらアメリカでも公式には擁護も弁護もできないに違いない。サンケイ新聞の「正論」ぐらいになれば「朝日新聞記者などテロの犠牲になっても当然」と書くが、それは愚昧で感情的な「正論」読者の拍手をあてにしてのこと。世界中の普通の人々はもっと「公正」で、かつ「賢明」だ、それくらいの判断力はまだアメリカにもあろう)

 アメリカにとっては中南米で数々のテロを行ってきたポサダがパナマに収監されていることは不安だったのだろう。もしポサダがすべてを自白したならば、アメリカこそ最大にして最悪のテロ国家であったことが白日の下に晒されてしまうだろうから。だからこそ退任するモスコソに圧力をかけて、この老テロリストに「恩赦」を与え「逃亡」させたのだろう。

 だがその引き渡しをベネズエラが求めてきたというのはアメリカにとっては新たな頭痛のタネになった。アメリカの輸入原油の15%はベネズエラから来ている。一方、ベネズエラのチャベス大統領はキューバとの交易拡大や中国との急接近などの政策を実行し、アメリカが暗殺したい外国指導者のトップに位置づけられる人物だ。アメリカの要人暗殺計画のABCを知る人物を迂闊に引き渡すわけにはゆかない。おそらくこの老テロリストはアメリカ政府の手で「始末」される予定なのだろう。あるいはもう既に「始末」されているのかもしれない。ロサンゼルス・タイムズの記事はそのあたりを韜晦するカムフラージュ。そうだとするといかにもアメリカらしい事実の表出方法だ。(5/13/2005)

 佐野眞一の「てっぺん野郎」は、石原慎太郎について本人を含めて周辺の人物まできめ細かくインタビューしてまとめた労作だが、その終章近くに浜渦武生副知事について書いたくだりがある。「新党結成と総理総裁への期待が高まるなか、慎太郎周辺の関係者がいま一番懸念しているのは、副知事の浜渦問題である」として、佐野は石原の友人高橋宏のこんな言葉を載せている。

――副知事の浜渦の最近ののぼせあがりぶりは異常なようですね。都庁内には慎太郎の威を借りていまや知事気取りだという声さえあります。
「それは僕も心配しているんです。三島由紀夫が切腹せざるをえないように追い込んだのは森田必勝だという話がありますが、それと同じで、森田必勝の役割をいつか浜渦がやるんじゃないかと思っているんです」
――慎太郎はなぜあんなに評判の悪い浜渦を切れないんですか。
「要するに石原は浜渦にキンタマを握られているんです。隠し子問題などのダーティーな部分は全部浜渦が処理してきましたからね。前回(1999年)の選挙戦の直前、僕と石原と浜渦と(元秘書の)栗原(俊記)の4人がホテルで密談したとき、浜渦が便所に行ったスキに石原に浜渦のことを本当はどう考えているのかって聞いたんです。すると石原は僕に言いましたよ。
『高橋、浜渦という男はな、虫も殺さないような顔をしているが、オレが「殺してこい」といえば殺してくるぐらいの度胸はあるぜ』とね。
だから僕は『オマエがそこまで言うんなら、浜渦は信用できるんだな』と言ったんです。すると石原は『信用できるし、信用してる』と答えた。ただ浜渦をあんまり野放図に走らせると、石原のためにも良くないですね」

 この「殺してこい」発言にはそれに附合する事実があったようだ。石原が田中金権体質を批判した際に、「浜渦がどこで手に入れてきたのか、ピストルを持ってきて石原の前にバンと置き、『石原さん、これで角栄を殺ってきます』といったんです。本当に弾が出るかどうかわからない錆びついたピストルでしたが、石原は国士ですから必死の形相で訴える浜渦にいたく感動してしまった。浜渦が石原の全幅の信頼を得たのはこのときからです」ということらしい。いかにもお手軽なシーンだが、得てして人間というものはこの程度の臭い芝居に個人的には感動してしまうことがあるようだ。

 この浜渦副知事、きょうの都社会福祉事業団運営に関する百条委員会で、3月14日の同委員会証言で「偽証」したという認定を議決されてしまった。議会側は刑事告発の他、来月の都議会で辞職勧告決議案を出すかまえとか。

 佐野は「浜渦問題は総理総裁を狙う慎太郎のアキレス腱になるどころか、その夢そのものを粉砕する核爆弾となる可能性も否定できない」と書いていたが、石原が扱いを間違えば浜渦にキンタマを握りつぶされるかもしれない。去勢された慎太郎がどんな腑抜け面を晒すのか見てみたい気もするが、背後には都議選を控えた自民党と民主党の単なる政争も隠れているようで展開の予想がつかない。(5/12/2005)

 昨夜のTBSラジオ「アクセス」のテーマは、政府は邦人保護の原則を貫くべきか否かというものだった。多数派回答は貫くべきだというものだったようだが、それでも書き込み意見の25%、街角インタビューでは40%以上がその必要はないと回答した由。世の中には、少しばかり目眩ましをすると簡単に騙すことができる人たちが、だいたいこの程度はいるということ。オレオレ詐欺(最近は「振り込め詐欺」というらしい)のような「ニュービジネス」が充分に成り立つという事情がよく分かる。

 この場合、政府がどうあるべきかと問われたならば、少なくとも現在のところは、これは答えのある「設問」であって正解はひとつしかない。邦人である以上、保護しなくてはならない。これが唯一の正解だ。「領土」と「国民」と「排他支配性」こそが国家を構成する要素だ。その要素である国民を保護しない国家など国家ではない。今回「その必要はない」と答えた人たちは、おそらく齋籐昭彦なる人物が自らの意思で「警備会社」に勤め、その仕事の内容を十分に承知した上でイラクで「業務」についていたという事実に幻惑されたのだろう。この手の「紛れ」の条件を見せられると、たやすく騙されてしまう「頭の不自由な」人がいることは知っていたが、これほどいるとは思わなかった。

 書き込み意見の回答でいちばん短かったのが「自己責任ですから」というものだった。本気で書いたのかジョークなのか、これくらいになるとにわかには判じかねる。ちょうど一年くらい前の「騒動」の時、劣勢に立つ危惧から「自己責任キャンペーン」を繰り広げたコイズミ政権と、その茶坊主マスコミの「教育効果」の残滓なのかもしれぬ。

 さて、去年、この効果的な「自己責任論」で自らの無力・無能ぶりを糊塗したコイズミ政権と与党、そしてプチナショ的マスコミは今度はどんな対応をするのだろうか。齋籐氏が無事救出されて帰国することを心から祈りたい。ところで、そのとき、「帰国費用を本人に負担させろ」とか、「これくらいいろいろな人の労苦があったのに、またイラクに行きたいなどというのですかね」とか、そういう愚かな言辞は再び繰り返されるだろうか。(そのとき齋籐はどうするだろう、小野田寛郎に倣うのではないか、と、これは夢想)(5/11/2005)

 イラクで邦人が武装勢力に拘束というニュース。拘束されたのは齋籐昭彦、イギリスのハート・セキュリティーという民間警備会社の社員だという。報道ではさかんに「民間警備会社」といっているがおそらく傭兵会社だろう。

 この手の傭兵会社について書いた本が積ん読本の山に二冊あった。本山美彦「民営化される戦争」シンガー「戦争請負会社」だ。シンガーの本はPMF(Privatized Military Firm)の存在を広く知らせたものとして話題になった(本山の本でシンガーの本を知り、邦訳が出てすぐに買った)本だ。シンガーは日本語版の刊行によせてこのように書いた。

 民営軍事業務の産業はすでに大きく成長しており、イラクではかつて達したことのない最高の段階に達していた。2004年の夏には、イラクにいる民間の軍事要員の数は2万人ほどに上昇し、60を超える企業で働いていて、1991年の湾岸戦争当時の米国軍将兵と民間の請負企業従業員との比率を比べるとそのおよそ十倍であった。このことは、民営軍事請負業が実際にはイラクに派遣された国際的な「参戦希望連合」 のなかで二番目に大きな兵員で、非アメリカ人兵士全体にほとんど匹敵することを意味した(これは「参戦希望(willing)」ならぬ「金銭希望 (billing)」連合と改名する方がふさわしいかもしれない)。しかし、これだけ数が増えると、人的損害も大きい。2004四年の夏までに、115名を超える民間契約人員がイラクで殺されたと考えられ、300人ないし400人が負傷したと推定されている。さらに、この数字は連合軍の死傷者の数より大きいばかりでなく、過去のどんな民間軍事作戦の死傷者数をも上回っている。・・・(中略)・・・
 しかし、企業の役割がさらに拡大することになるのは、引き続いた占領期においてだった。ブッシュ大統領が、2003年5月1日の空母艦上における悪名高い記者会見で、「任務完了」を宣言する一方で、イラクへの暴力は翌年にかけて規模が拡大していった。任務がいっそう困難さを増していくと、同盟軍の有効な支援が欠けているのを埋めるべき米軍兵士の派遣の代わりに、民営軍事請負企業が穴埋めとして使われ始めた。本書で論じた三つの部門すべての民間軍事要員が、重要な役割を演じたのである。軍事支援企業は、兵站および他の技術支援や補助を提供した。軍事コンサルタント企業は、サダム後の警察や準軍隊および軍隊の訓練を提供し、またのちに物議を醸すことになる軍事情報領域の分析的役割も行った。軍事役務提供企業は、戦争現場で何倍にも増えた。彼らは、輸送隊を護衛し重要な事務所や施設を反乱軍の攻撃から守った。イラク駐在の米国高官やCPA(連合暫定占領当局) 長官のポール・ブレマーでさえ、民間人パイロットの操縦するヘリコプター3機を有する民間軍事派遣隊に護衛されていた。端的に言えば、イラクの作戦は、民間の軍事支援がなければ維持できなかったのである。

 小泉首相だったか石破前防衛庁長官だったか忘れてしまったが、自衛隊のイラク派兵にあたって「民間では危険が大き過ぎてできないからこそ自衛隊を出すのだ」というようなことを言っていた。だが、アメリカ軍は危険だからこそ増強がままならず、民間へ外注せざるを得なかったというのが事実のようだ。

 あれは現実を知らずにチャラチャラとおしゃべりをしていたのか、このようなことを知りながら国民向けに平然とウソをついていたのか、いったいどちらだったのだろう。(5/10/2005)

注)
 この事件以来、マスコミには「PMC」という語が登場しています。

 これに対して、シンガーは「戦争請負会社(Corporate Warriors)」の注にこのように書いています。

 「多くの人々は会社を民問軍事会社 Private Military Companies すなわちPMCと呼ぶが、第六章で検証するように、人々が取り上げているのはこの産業全体のなかのある一つの部門だけである。PMFつまり Privatized Military Firm という言葉は、民営化された軍事業務という現象全体をとらえるのであり、単に戦術的戦闘を行う企業をのみ指しているのではない」

 朝刊の「時流自論」、きょうはカレル・ウォルフレン。盲点になっているようなことがらをズバリと指摘してみせるのが彼の特徴。たとえばこんな具合。

 台湾と本土とが外部の干渉なしに将来を話し合えれば、「台湾問題」など存在しないというのは、事情を知った人々の間では当然の見方だ。しかし、米国右派や騒々しいネオコンはいたずらに緊張感を生み出しては、それを保ちたがっているかのようだ。

 もともとこの国にウォルフレンを紹介したのは右派ジャーナリズムだった。しかし皮肉なことに、現在、彼らにはウォルフレンのこの言葉は届かないようだ。なぜか?

 別に右派ジャーナリズムが変わったのではない。彼らはもともと恒星ではなく惑星ないしは衛星に過ぎず、自ら発光する能力は持ち合わせていなかった。左派ジャーナリズムがパワーを失うとともに「アンチ左派イデオロギー」を唯一のエネルギー源とした彼らもパワーを失ってしまったのだ。彼らが老残の李登輝の視点からしか台湾問題が見えず、ウォルフレンの言葉を聞き取ることができないのはそうした理由によるものに違いない。(5/9/2005)

 きょうもJR西日本の「不適切行為」に関するニュースが伝えられている。今度は親睦ゴルフだそうだ。もうほとんどあの昭和天皇が病臥に伏してから崩御するまでの「列島自粛狂騒曲」に似た様相。この国ではほとんどのことが「**狂騒曲」になってなってしまうようだ。

 天皇で思い出した。おととい和田倉堀噴水公園レストランのランチバイキングに並んでいたとき、こんなことがあった。我々のすぐ前に並んでいた夫婦の息子が、行列からは少し離れたフラワーボックスに腰をかけて、「ねえ、天皇って、金持ちなの?」と尋ねた。すると、父親はあわてたような感じで件の息子を手招くと小声でひとことふたこと話をした。息子の反応に見る限り、その父親はどうやら「陛下に関することを大声でしゃべるんじゃない」とでも言ったかのようだった。まわりにこのやり取りを聞きとがめるような雰囲気はなかったが、平均的な感覚としては天皇に関する話は声を潜めてするのが時代の常識になったのかと思ったものだった。どうなのだろう、「日本は立憲君主国だよね」と言われたとき、「だから、国歌を君が代にしているんだよね」と言われたとき、どれくらいの人々がなんの違和感もなく「そうだよ」と答えるのだろう。

 似たような話で、JR西日本の事故や一連のJALのトラブルを前にして、「規制緩和」というのは「事前規制」で安全を確保するのではなく、「事後調整」つまり事故が起きて人が死んでからどの程度規制するか考えるやり方なのだ、そもそも「構造改革」の基本理念とはそういうものなんだと言われたとき、どれくらいの人々が「ああ、そうだったね」と答えるのだろう。

 **狂騒曲に煽られている人々を見るにつけ、なんだか、そういう質問をしてみたくなった。(5/7/2005)

 マスコミはほとんどJR西日本叩きモードに入っている。事故当日、天王寺車掌区の区長以下43名がボウリング大会に興じていたとあって、事細かに顛末を報じている。テレビで見た記者会見のありさまは質問するマスコミ側に「天に代わって不義を討つ」みたいな感じが横溢していて不愉快だった。

 たしかに自分の会社が引き起こした事故により多数の死傷者が出ているその当日にあらかじめ設定されていたものとはいえボウリング場に繰り出してどんな懇親が深められるものかとは思う。名目とはいえ会社の懇親は業務の円滑なること、その円滑は自由闊達な雰囲気を作ることにあることを考えれば、どこかこの会社の組織には病んでいるところがあるとも思う。しかしそれは外の者がここにばかり焦点を絞って批判する類のもののようには思えない。

 むしろマスコミにはさきおとといの朝刊に載った次のようなファクトのレポートこそ心がけてもらいたいと思う。

 現場のカーブが急だったことも事故につながった。だが、他社では、過去の教訓を生かして横転事故を防ぐ手だてを取っていた例もある。北海道のJR函館線では、国鉄時代の1976年からJR移行後の96年にかけて、宝塚線の脱線現場と同じ半径300bのカーブを100`超で走行中の貨物列車が横転する事故が3件起きた。JR貨物は「ソフト対策だけでは事故は防げない」と判断。赤信号無視による衝突事故を防ぐ自動列車停止装置(ATS)の機能を利用し、速度オーバーに自動ブレーキがかかる保安装置を97年に設けた。
 JR東海も在来線の直線と急カーブの制限速度の差が40`以上ある全8カ所に、急カーブ事前に速度をチェックする装置を94年から設け、ATSで自動ブレーキがかかるようにした。JR東日本は、常に列車の速度をチェックするよう改良した新型の自動列車停止装置(ATS−P)の機能を利用したり、新幹線並みの自動列車制御装置(ATC)を導入したりして、カーブの速度超過を自動的に防ぐ仕組みを採り入れている。東京駅を中心とした100`圏内がほぼ100%、全線でも30%で整備を済ませた。
 JR西日本のARS−Pが全線に占める割合は7.7%。東海道・山陽線や北陸線は半径500b以下のカーブにJR北海道や東海と同様の自動ブレーキ装置を整備してあるが、宝塚線は対象外だった。

 こういう事実報道の方がより的確にJR西日本という会社がどれほど技術を無視した図々しい経営をしていたかという問題点を伝えるものになっている。(5/6/2005)

 9時過ぎに**(家内)と家を出て丸ノ内線で東京駅へ出る。駅を背に和田倉門に向って歩く。いい季節、いい天気。「最近はやめちゃったようだけど、各国大使が着任して信任状を提出するとき、東京駅から皇居までこの道を馬車で送迎したらしいんだ。その趣向、各国の大使にはずいぶん好評だったらしい」などと話す。信任状は元首から元首に宛てたものだ。ほとんどの国は日本をモナーキーの国だと見なしている、多くの国民はそういう意識を持っていないようだが。

 和田倉堀噴水公園のレストランのランチバイキングがお目当て。10時20分に並んで20人目。11時の最初の案内で窓際に着席できたものの、並んでいる人が多く入り口近くの席だったこともあって長居がしにくく、少し残念。それでも1,200円であの内容なら文句はない。マンゴプリンがおいしかった。ゆっくり歩いても岩波ホールには12時半についてしまった。**(家内)に並んでもらって、久しぶりに古本屋を数軒のぞいてみた。演劇関係が専門の矢口書店の外の本棚に筑摩の明治文学全集がかなり出ていた。ベルツ、モラエス、モースなどを集めた巻が1,500円で出ていて食指が動いたが荷物になりそうなのとすぐには読めそうもないなと思って見送った。(いま、猛然と後悔している)

 見たのは「ベアテの贈りもの」。休日のためだろう、ホールは補助イスを出すくらいの入りだった。

 ベアテ・シロタ・ゴードンについては小関彰一の「新憲法の誕生」鈴木昭典の「日本国憲法を生んだ密室の九日間」などで知っていたので新しい知見はなかったが、それでも彼女が育った当時の日本の映像は珍しかった。映画は彼女の仕事がそのまま残された第24条から出発して、どのように「女性の地位向上」が進められたかを描いていた。

 いちばん印象的だったのは石原一子の話だった。「同期入社の男性が先に次長になったとき、自分はどうして次長にならなかったのか、人事部にいっても自分の落ち度を認めるわけはないから、担当重役の所にいったんです。そうしたら、あなた、お子さんが二人いるでしょって。出産の時、3ヶ月間2回、お休みしている分だけは彼よりも貢献が少ないって。おかしいと思ったけれども、引き下がらざるを得なかった。半年後に次長になりましたけど」。ホールが一番笑ったシーンだった。

 石原は戦略家だ。「わたし、営業を希望したんです。営業なら結果が数字で出るでしょ」。あとのシーンに登場する住友電工昇進差別訴訟の原告女性は「訴えるとき、明らかなデータがないことが悩みでした」と言っていた。石原の着眼は非凡だったわけだ。それにも増して印象に残ったのは「なぜそんなに昇進にこだわるのって声もありましたけど、わたしがそこで黙ってしまったら、後輩が迷惑しますもの」。なるほど、男にはせいぜい同窓の後輩ぐらいの意識しかないが、彼女には全女性の代表意識があったのだ。この強烈な責任感。こういう責任感をおれは持ち合わせていない。つくづく痛い言葉だった。(5/5/2005)

 ウォーキングのコースを変更、野塩橋でUターンせずに空堀橋の少し先まで歩き、まりあ幼稚園の角を曲がって道なりに行くと北部医療センターに着く。**(父)さんの顔を見て、同じ道をとって返す。

 河原には菜の花、遊歩道沿いにはツツジやら名前を知らぬ花。雲のない空は青く、空気は乾き、風も心地よく、生きてあるこの世界は素晴らしいと思ってしまう。しばらく雨が降らないからだろう、空堀川はその名前の通り、干上がって、所々に水たまりがある。

 思いついて聴いていた無伴奏チェロ組曲を岩崎宏美に変えて「想い出の樹の下で」を聴く。iPodでなくてはこんな組合せを持ち歩くことはできない。歌と記憶が同時進行という場合もあるが、あとで知った歌があの時の記憶とぴったりと言うこともある。この歌はそういう歌だ。「・・・わたしは忘れない、わたしは忘れない、晴れた日の想い出の樹の下を・・・」。そうだ。北の国では今ごろサクラとツツジが一緒に咲く。まるで花という花が一気に咲きそろったような季節。「・・・そしていつか奇跡のように、この丘で逢いましょう・・・」。

 反対側の遊歩道を小さい子供を連れた夫婦が歩いている。歩き始めたばかりなのだろう、その頃に特徴的な前のめりの歩き方。すれ違う老人を引っ張る犬をおっかなびっくりさわろうとする子。ジョギング中の人がそれをステップを踏んで軽やかにかわして走り抜ける。まことに「すべて世はこともなし」(5/4/2005)

 朝刊には憲法改正に関する朝日新聞が行った世論調査結果が載っている。総じての傾向、改正ムードは高まりつつあるが、その実、なにが問題で、なぜ改憲かということについは、明確に像を結んでいないということがよく分かる。自衛隊を認める改正は必要だが、9条の改正は必要ないというのは「ムード」論だけが先行していることの端的な現れだろう。

 つまり読売・サンケイが望んでいるような「平和を憎み、戦争を待望する」気運の醸成にはほど遠い。いや両紙に代表されるメディアがよってたかって「平和」を貶めているのに、多くの人々はまだその気にはならないのだ。したがって「憎和望戦」メディアはいままでの「普通の国家論」や「毅然たる姿勢を貫く国家」などという生ぬるい主張ではダメだということ(そんなことは最初から分かっているだろうに)を認識しなければなるまい。その上でどうするか。もう一度、湾岸戦争のようなものが必要だということになろう。さしあたっていちばん「理想的」なのは「第二次朝鮮戦争」などか。そういう「カミカゼ」を庶幾し、そのためのムードづくりに励む、これが「憎和望戦」メディアの選択。とすれば、まず、拉致問題をテコに北朝鮮ヒステリーを再燃させること、中国アレルギーの下地を入念に作ること、このあたりが当面の作業になるだろう。

 この生ぬるい国でのスケッチ三題。

 夜のニュースで、福知山線事故の際、4両目と6両目の車輌にJR西日本の運転士が乗客として乗り合わせていたにもかかわらず、事故現場には留まらず出勤していたことが報ぜられていた。現場で救護にあたるべきか、出勤すべきかは個人レベルではにわかには判じがたいと思う。おそらく、事故があった以上、運転士は直属の上司には連絡を入れたに違いない。問題はその上司の判断だ。現場での救護に専念させるように命じ、欠員分の業務の繰り合わせを考えるというのが、まともな会社の職制の対応だろう。

 JR西日本という会社の体質はどうもそのあたりがまともではないようだ。先週土曜日のブロードキャスターで竹内記者がこんな絶句するようなことを言っていた。「軽傷を負った乗客宅にJR社員が来て、挨拶の上、お見舞い金をおいていった。そのお見舞い金の袋には紅白の水引がかけられていたそうです」。常識のない若者が増えているから、こういうことはありがちなことかもしれない。しかし統制がとれている組織ならば、不案内が懸念される若者にはひととおりの注意書きぐらいはまわすものだろうに。

 そういう話をしていたら、**(家内)が「**(息子)がいただいた懸賞論文の賞金の袋、水引は結び切りだったのよ。もう二度と応募しないでちょうだいということかしらと思ったわ」と言った。**(息子)自身はそのことには気付かなかったらしく、「いや、会食の時、連続受賞がないので、諸君は是非挑戦してくださいと言ってたけどな」。防衛庁も、この手のことになると、まるで常識というものがないらしい。

 こんな時代なのだ、ムードで憲法談義するなど異とするにあたらぬは当然か。(5/3/2005)

 予報された雨は夜中のうちに降ってしまったらしい。スッキリ晴れるでもない空の下、ぼんやりと本を読んだり、ゴロゴロしていたところへ、ネットジャパンから「PestPatrol定義ファイル不具合についてのご案内【緊急】」というメールが届いた。4月29日配布の定義用ファイルでチェックを行うと誤検出をするから無視してくれというもの。ちょうど一か月ほど前の不具合と同様のものらしい。詳細は新しい販社であるコンピュータ・アソシエイツのホームページを参照してくれという。

 指定のホームページを読むうちにムラムラと腹が立ってきた。現在使用しているPestPatrolはVer4.2、販社の移転にともなってコンピュータ・アソシエイツは新バージョン「eTrust PestPatrol アンチスパイウェア 2005」を売り出すという案内は既に来ていた。ただ定義用ファイルアップデート期間が半年くらい残っていることもあり、すぐにはバージョンアップせずに現在のバージョンを使い続けるつもりだった。

 腹を立てたのは「パッケージ版PestPatrol 4.2をご使用のお客様は、eTrust PestPatrol アンチスパイウェア 2005 トライアル版をダウンロードして、ご使用下さい」という一行。つまり「旧販社のバージョンの定義用ファイルの信頼性は低い(XP用のパターンファイルの試験をせずに配布したトレンドマイクロ同様、旧バージョンとの組合せ試験をしていないのではないかと思われる)ぞ。早くカネを払って当社提供の新バージョンに乗り換えろ。新バージョンのトライアル版を使わせてやるから、それで当座の問題は解決しろ。トライアル版の期限が来たらカネを払ってバージョンアップするんだぞ」。そういう魂胆のように読めた。

 まず、ネットジャパンにメールを出した。ネットジャパンからの回答メールは人をバカにしたものだった。「個人情報保護法の関係で、あなたの同意がなくては登録情報をコンピュータ・アソシエイツに引き渡せない、同意しますか?」というのだ。既に販社の移動は完了したいま、トラブルが起きたいまになって、同意しますかなどというのはいいわけ以外の何物でもない。

 そこでコンピュータ・アソシエイツに電話をした。こちらの剣幕に恐れをなしたか、サポート窓口の担当者は「定義用ファイルに関するお客様のご要望はもっともです。つきましては新バージョンを無償でお送りしますので、それに乗り換える形で対応させて下さい」という。その言い方にまた腹が立った。「じゃ、こういうことですか、わたしのようにうるさいユーザにはただで新バージョンを提供し、おとなしいユーザからはまだ有効期間があってもそれは放棄させて、新バージョンを買わせるっていうこと?」と尋ねた。窓口担当者はついにこの質問に対して意味をなす回答ができなかった。

 「いいでしょう、バージョンアップがされた場合、旧バージョンに対する定義ファイルの提供はどうするのかについてと、定義ファイルの検証方法についてのポリシーをペーパーにして郵便で送って下さい。その回答内容でPestPatrolを棄てるか、今後も使い続けるか判断しますから」ということにした。そして最後に「回答文書は、わたしの個人的チャネルの中では流通させますから、その点、留意して回答して下さいね」と言い添えておいた。「作成のためにしばらくお時間を頂戴できますか」というので、「急ぎません、連休明けでもけっこうですから、責任の持てる文書にして下さい」と答えた。(5/2/2005)

 午後、**(母)さん、**(息子)、**(息子)で、**(父)さんを見舞う。かなり元気が出てきたようで一安心。きのうはほとんど眠っていて、ベッドサイドで本を読んで帰ってきたようなものだったが、きょうは人数が多いせいもあるのだろう、反応が豊か。ちょっと目をつぶる、「眠ると、みんな帰っちゃうよ」と**(母)さんが言うと、かっと目を開く。じつにコミカル。「誰?」と訊く。**(息子)、**(息子)は分かるのだが、こちらは分からないらしい。胸のプレートをじっと見て、「面・会・者」。すかさず、**(息子)が「偉い、偉い」と言う。涙が出てくる、かつて「偉い、偉い」とほめた孫に、と思うだけで。

 病院は疲れるせいだけではなく見舞いに行くのは気が重い。ほんとうは複数では行きたくない。

 **(父)さんと**(母)さんに手を引かれてお出かけをする。あの頃の名古屋は舗装してある道など少ないから、雨の翌日などは道のあちこちに水たまりがある。二人でひょいとリフトして水たまりを越える。その快感。だから水たまりは大好きだった。まっすぐ歩かずにわざわざあちらの水たまりこちらの水たまりと二人を引っ張って行き、ジグザグに歩いた。・・・バス停まで迎えに出て、**(父)さんと帰る坂に長くのびたふたつの影。前に出たり、後ろに回って、影をふたつからひとつ、ひとつからふたつにする。「オー、オー」と面白がってくれる。あいまに学校のこと、友達のこと、星のこと、読んだ本のこと、なにを話しても「あー、そうかい」としか応じないのだが、**(父)さんは不思議な聞き上手で、遊びに来る友人たちにも受けが良かった。・・・思い出すことはたくさんある。そのたびに涙が出てくるのが鬱陶しい、見舞いに行かなければ、思い出しもせずにすむ。

 週に一、二回しか見舞わない。時間も短い。月・水・金と通う**(家内)は「冷たいんじゃない」と言う。その通り。我ながらコントロールのきかない感覚には往生する。「冷たい?」、けっこうだ。(5/1/2005)

 福知山線事故の死者は、きょう重傷者が亡くなったことにより、106人になった。マネジメントにあらざるマネジメントがこの大災害を引き起こした。しかしJR西日本の取締役は誰一人辞任する意向を示していない。責任をとって辞めるべきだなどというのではない。少なくとも現在の担当取締役は安全運行体制のために効果の低い施策しか実施できなかったのだから、有効な施策の立案を指導できる可能性のある人に職を譲るべきだろうと思うだけのことだ。しかしそんなことすらできないのだ。マネジメントが腐っている証左だろう。

 そして、まさにこのようなときに、またまた、この国がいかに脆弱な仕組みの上にのっているのかを露呈することが発生した。

 きのうの夜、補修工事のため閉鎖中の羽田空港A滑走路にJAL機が着陸した。先々月来トラブル続きのJALのこと、「またか」と思いきや、原因はJAL機の方にはなかった。管制官が閉鎖中であることを忘れ、着陸指示を出したことが原因。着陸した機のあとにも同様の指示を受けた機のパイロットが事前飛行プランで確認した情報と異なることから再確認を求め、待機中の別の管制官が指示を出し直し、正規滑走路への着陸を指示したという。

 問題はその時間に管制業務についていた18人の管制チーム全員が工事閉鎖情報を忘れ機長からの再確認に対して繰り返しA滑走路への着陸を指示したこと。だがこのニュースの続報を訊いてもっと嗤った。国交省はきょうになって件の管制官チーム全員を勤務から外し再研修を実施すると発表した由。現場勤務から外して集中研修するというのはJR西日本が行い続けた「日勤教育」そのものではないのか。

 「事故を起こしましたね、まず反省しなさい。業務内容と安全に関しての教育しますから受講しなさい。そして事故の原因がなんだったのかよく考えて反省文を書きなさい。最後に覚悟のほどを面接で確認します」。こういうことは事故の再発には微々たる効果しか上げない。人間は慣れる動物だ。厄介なことに慣れと習熟はセットでやってくる。初心者の緊張感は絶対に途切れる。「再研修」も「日勤教育」も同じこと。慣れる動物に緊張感に頼るだけの品質確保策を適用してもその効果には限界がある。そんなことは運転免許を取った日からきょうまでの自分のことを考えてみれば誰でもわかることだ。

 それが重大な事故に関わるものであるならば、担当者の緊張感を前提にしたシステム設計はそもそも間違いなのだ。だから仕組みに遡った対策がなされない限り、現実はマーフィーの法則に従う。「失敗の可能性があるものは必ず失敗する」。(4/30/2005)

 かねがねサンケイ新聞は愚かなだけではなく、下賤な新聞と思ってきたが、けさの社説、醜女の真面目ともいうべきもので、いまさらながらにその醜いところをたっぷりと見せてもらった。

 その一部を書き写しておく。

 人口十億を超えるインドは、十三億の中国とともに経済分野で急速に台頭しつつある。日印関係の強化は、尖閣諸島や歴史教科書問題など何かと対立の根が残る中国を牽制する意味でも重要である。・・・(中略)・・・その中国が最近、長く敵対国だったインドとの関係強化に乗り出した。国境の未画定を解消し、中印の「戦略的なパートナーシップ」を構築することで日印にクサビを打ち込んだ。
 温家宝首相はこのとき、インドの常任理事国入りに対して支持を表明した。逆に、日本に対しては、「反日デモ」を容認して阻止する動きに出ている。中国が東アジアで唯一の常任理事国の地位に拘泥するためであろう。しかし、表向きの「インド支持」とは裏腹に、実際には常任理事国拡大の反対が中国の原則的な立場である。しかも、中印はともに経済発展にエネルギー供給が追いつかず、石油獲得にしのぎを削ってみかけほどよくない。日本はそうした中国のまやかしを突き、インドと足並みを合わせて対中戦略を構築すべきである。

 13億のマーケットが10億のマーケットと提携して互いのメリットを享受しあおうと話しているときに、1億のマーケットを気にしているかどうかは、客観的に考えれば、可能性は低かろう。また中国だけが日本に悪意を持っているというのも統合失調症患者が抱く被害妄想に近い。

 サンケイが指摘する中印間の事情ぐらいは温家宝、シン両首相とも先刻承知の上、しかし、両国あわせて23億のマーケット、協調のメリットに相応の可能性があるからこそ、国境問題に関する解決プログラムに調印したのだろう。日中、日韓、日露、いずれの国境問題にも突っ張りの一本槍以外に提案を持たない情けない国のバカ新聞風情にいったいなにが言えるのか。分を知らぬ醜女の嫉妬はかくも醜い。

 サンケイにとってはまことに間の悪いことに、台湾の国民党主席連戦が大陸中国を訪問している。それも国賓なみの待遇で。中国人の現実感覚、戦略意識とはこういうものなのだ。いつでもかつでも単純に「台湾」を持ち上げて「中国」をこき下ろす対句としてきたサンケイ社説子の単細胞には、これなどは理解不能のことがらに違いない。

 醜女は嫉妬するものだ。その嫉妬が醜女の運命を暗くするのだ。醜女とて未来を開くことはできる。それには条件がある、醜女が聡明であることだ。かつて大江健三郎がノーベル賞を受け、文化勲章を拒絶したとき、サンケイはこれをイヤミたっぷりに批判した。それは「あいつの杯は受けて、おれの杯は受けられねぇのか」と酔眼をぎらつかせる匹夫の形相に似ていた。

 醜女にして匹夫では将来は暗かろう。サンケイが下賤な根性をむき出しにしている間はクオリティ・ペーパーなぞ夢のまた夢。しかし、サンケイ新聞よ、そんなに悲観的になることはない。この国があげてサンケイなみに感情的で愚かで下賤な国になれば、おまえもメジャー・ペーパーにはなれるのだから。がんばれ、サンケイ新聞、下層の国民を引きずり込んで、愚昧と下賤を極めよ。(4/29/2005)

 福知山線事故に目を奪われている間に郵政民営化法案は自民党党内審議を形として通り、きのうの夜、閣議決定をした由。各紙(朝・毎・読・日経・サンケイ)社説はそれぞれにいろいろ書いているが内容に大きな違いはない。中味のないバカバカしいものを改革と称するインチキ政府と、背骨の果てまで抜き去って既得権を死守しようとするバカ自民党の大見得芝居のこと、ただひとこと「觚、觚ならず。觚ならんや、觚ならんや」と書けばそれで事足りるのに、なんとか紙面を埋めようと字数を稼いでいる。

 「『後は野となれ山となれ』政治では無責任ではないか」という毎日、「それでも、やらぬよりは」という朝日、「それでも『こんな民営化ならばやめた方がいい』というつもりはない」というサンケイ、なお国会審議に期待するなどという空事を書いた読売・日経、各紙論説委員の皆さん、ほんとうにご苦労様。

 これで分かった。バカは死ななきゃ直らない。どうやら、この国も死ななきゃ直らないのかもしれない。道路公団「改革」といい、三位一体「改革」といい、なにひとつ改革できないくせに「やったやった」と吹聴するコイズミ政権。憲法と平和が死ぬほど嫌いな御仁がよく「憲法残って国亡ぶ」などという戯言に自家中毒を起こしているのを見るが、彼らにもう少しまともな洞察力があれば、憲法なんぞど云々する必要もない、その前段で誰でもない自分たちとマインドを同じくする憲法と平和が大嫌いな自民党議員たちが率先垂範してこの国の死期を早めていることが分かるだろうに。

 一昨日、学匪、安部英が死んだことを記録しておく。あの世があるものならば、この世で逃れ得た裁きがあの世の入り口で彼の学匪に厳格に下されんことを祈る。

 もうひとつ。福知山線事故の救護がやっと今日終了した。死者は106人。重軽傷者は461人、内訳は重傷150人、軽傷311人。戦後4番目の鉄道災害ということ。(4/28/2005)

 福知山線事故、死者は90人を越えた。テレビはさかんに在りし日の被害者たちのプロフィールと家族、友人、知人の言葉を流している。帰宅することを疑わずに家を出て永久に帰って来なくなった人たち・・・早く死んだ母親のかわりを務め、楽しみしていたはじめての海外旅行に出たその電車で事故にあった娘さん、送ろうかという息子にあんたの運転よりは電車の方が安心だと応ずる、そんなどこの家庭でも聞けそうな微笑ましいやり取りをして家を出た母さん、・・・、近頃は涙腺が弱くなっているから、すぐに涙が出てしまう。だから、もう、そういう場面になると、見ないようにしている。過剰にウェットになって、かえってヒステリックな怒りへ跳ね返るのは嫌だから。

 事故原因に関する報道は、おととい・きのうあたりまでの運転士の個人責任を追及するものから、JR西日本の体質に原因を求めるものに変わりつつある。

 JR西日本は新学期が始まる今月の8日から14日まで一週間にわたって、朝のラッシュ時、尼崎駅を発着する列車の遅れを一秒単位で報告させ、管理した由。その一方で、脱線防止レールは敷設されていない(関係法は曲率200メートルで義務化、事故現場は300メートルのため、違反ではないとのこと)し、ATS−Pもこの6月に導入予定だったという。話がまるで逆ではないか。安全施設が整いかつ運転支援のシステムが完備した後、それをうけて「一秒管理」というなら分からないでもない。だが、そのような環境整備がなされる前に「一秒管理」を「人力」のみに頼って行う、この神経はまともではない。

 きょうの「札幌から ニュースの現場で考えること」には、6年半前の朝日の記事が紹介されている。これによると、その頃、JR西日本ではオーバーランが頻発していた。半年で17件。8月から三ヶ月の間に13件。運転士は新人に限らず経験20年のベテランまでが起こしていた。快速運転などで停車駅を間違えるものが多かった。前後して阪神電鉄は「駅誤通過防止装置」を地下鉄は「定位置停止制御装置」を整備した。記事はこのように結んでいる。

 JR西日本は、駅に近づくと「停車駅です」という音声が響く「停車駅接近警報装置」取り付けのペースを早めている。各電車区などにベテラン指導員をおき運転台に添乗させたり、停車駅のホームに立つといった対策も講じている。ミスをした運転士には、一定期間乗務させず、マニュアルなどを読み返させる「罰則」もある。それでも人間の注意力に頼る面が大きいことに変わりはない。
 JR西日本安全対策室は「連続発生の原因は特定しにくいが、こうした初歩的ミスが脱線など大事故につながる恐れもある。自動通過防止装置の導入は、システム全体の変更が必要で、費用面から難しい。運転士が緊張感を持って基本動作を徹底すれば防げるはずだ」と話している。

 「緊張感を持って基本動作を徹底すれば防げるはず」とは嗤ってしまう。「はず」で「品質」が確保できたら、世の中の品質屋さんは一人残らず失業してしまうだろう。

 折りしも発表されたJR西日本の3月期決算は前期比25.5%増、589億円の利益だった。しかしこうして上げた利益も今回の事故で吹っ飛んでしまうだろう。かけるべき時、かけるべき所にかけずチマチマ稼いだカネを、その吝嗇の故にドカンと一気に散ずる、典型的な能無し破滅型経営者のパターンと書いておこう。(4/27/2005)

 けさの電車で。「この運転手、生きてるの?」、「これだけのことやらかしたんだから、死んだ方が楽だろ」、・・・「やらかした」という言葉に若干の抵抗があるものの、ここまではそうだなぁと思った・・・続く言葉にギョッとした・・・「これでも死刑にならねぇーんだよな」。なんとも、ささくれた時代になったものだ。

 きのうからの報道は運転士に焦点を当てている。近頃愛読しているブログ、「ふぉーりん・あとにーの憂鬱」「寧ろ、原因が特定できていない現段階で、運転士のプライバシーに属し、しかも、本件とどう関係するのかも分からない過去の勤務上の行状がマスコミで広く流されている状況は、運転士の関係者の方の気持ちを考えると、どうにもやり切れません」という書き足しがあった。「運転士の関係者の気持ち・・・」という書き方にはどこか逃げを打つような匂いがして、必ずしも同意できないが、少なくともこの「状況」は、「これだけのことをやらかしたんだから、死刑になってもおかしくない」という言い方、過去の処分歴はまだしも(それにしても車掌時代の処分歴がこの事故とどう結びつくというのか)帽子を目深にかぶって焦点のあわぬ眼で接客をしたなどというみそくそ報道、どこかいびつな「正義感」が闊歩しているようで気持ちが悪い。

 毎日のサイトに、この事故を海外メディアがどう伝えたかという記事が載っている。「日本の鉄道は世界で最も緻密なダイヤを組んでいるが、脱線による大事故は極めてまれ」(ワシントンポスト)、「安全で、発着時間の正確さが極めて当たり前になっている日本の鉄道で起きた過去最悪の事故が大きな衝撃を与えている」(イズベスチア)、BBCは「日本社会がこれまで交通システムの安全確保にいかに努めてきたかを指摘し、今回の事故が日本人に与えた衝撃の大きさを伝えた」由。事故の大きさを伝える反面で、いずれも日本における安全神話の崩壊という側面にふれているようだ。

 「ふぉーりん・あとにー・・・」から行き着いた「札幌から ニュースの現場で考えること」というブログにこんなことが書かれていた。

 私はかつて、10年ほど前、内橋克人氏の「規制緩和という悪夢」を読んだことがあって、10年後の日本はきっとこうなるのだろうと思ったことがある。まさに、今の感覚がそうなのだ。
 「リストラ」という名の人員削減・解雇がどんどん進み、それは「安全」分野でも進み、そのぎりぎりの状態で、運転士やパイロット、整備士たちはたぶん、「定時運行」という激しいプレッシャーにさらされているのではないか。少しでも遅れると、管理職から強い叱責があり、場合によっては何らかのペナルティーもあり、、、そういう環境なのだと思う。
 「自由化」「規制緩和」は、金融の世界がそうだったように、いわゆる事前の認可ではなく、一定のルールの下で競争が公平・自由に行われ、官はルール逸脱が無いかどうかを「事後的にチェックする」仕組みだと言われた。しかし、金融検査官も運輸局の担当官も、十分に目配せできるほど人は配置されてはいないし、驚くほどの少なさだ。例えば、北海道ではバスやトラック、タクシー等の計約5000社に対し、運輸局の担当官はたった30数人だそうだ。
 福知山線の事故は、原因が解明されていないし、軽々しいことは言えない。ただ、全国を覆うかのような「ミスの連鎖」を目の当たりにすると、どうしても、そう思えてくる。以前のように、「安全」や「定時」のために、人を十分に配置していた(当時は当時でそれなりの物言いはあっただろうが)時代は、もうどこかに行ってしまったのだ。利用する側も「たった数分遅れたとしても、それが何なんだ?」という、"のりしろ"みたいなものを失っているのだと思う。

 この予想は当たっている。おととしあたりの一連の工場、プラントの爆発、火災事故は間違いなくここに指摘された流れの中で起きた。安全のための裕度(「のりしろ」と表現されたものと同じ)の持ち方までが「リストラ」されつつある。

 そういう社会の流れの中で「プロのくせに事故なんか起こしやがって・・・」とか、「事故を起こしたのはあくまで運転士でしょ」などという連中がいる。彼らは自分自身がその役回りの当人になって指弾されるまで、いま、この社会が作りつつある大きな陥穽の存在に気がつかないのだろう。(4/26/2005)

「ふぉーりん・あとにーの憂鬱」が引っ越しをしたようなので、ブログのリンク先を変更、該当記事のリンク先はそのままとしました。

両者のホームページの体裁が異なるのはそのためです。(5/5 9:10)

 JR西日本福知山線の尼崎駅近くで上り快速電車が脱線事故。

 映像に見る限り脱線転覆などという生やましいものではない。7両編成という車輌のうち線路上にあるのは後部3両、真ん中の4両目が下り線側にはみ出、3両目は180度回転しており、2両目は線路脇のマンションの角によって折り曲げられるようにくの字型に曲がっている。ヘリコプターからの映像では先頭車両はマンション一階部分に吸い込まれて見えない。

 死者50、重軽傷者は300人を越えるとのこと。発生は9時18分頃というから、ラッシュのピークをようやく過ぎた時間。これが8時前後だったら、三河島事故以上の死傷者になっただろう。(4/25/2005)

 朝刊の「水/地平線」に北京特派員藤原秀人の「胡主席 デモはいつ知ったか」が興味深い。

 共産党や政府機関で働く知人から訊かれたのだそうだ、「反日デモというのは本当ですか」とか、「いったい、何をしたのですか」と。胡錦涛や温家宝などの要人が反日デモについて知ったのはいったいいつ頃だったのだろうかというのがコラムのテーマだ。北京でデモがあった9日、胡錦涛は山東省を視察中、温家宝はインド訪問中だった。温家宝に同行していた李肇星外相は外国記者団に問われて、「デモについては分からない。目下の関心事は中印関係だ」と答えている由。

 藤原は党機関で働いていた人物の口を借りる形で「皇帝のようなトップには今も情報提供するのは難しい。よければ真意を疑われ、悪ければ責任問題になる。それなら何もしないぼうが身のためだ」といういかにもありそうな説明をしている。三週連続して起きた大々的な反日デモはこの週末は起きなかった。報道によれば公安当局が徹底的に押さえ込んだということのようだ。

 そうだとすると読み取れることはふたつ。ひとつめは反日デモに対する認識がこの程度のものであること。ふたつめは地方幹部は反日デモを当然とするマインドにあるのではないかということ。とすれば党中央内の権力闘争の反映かと考えたことは間違いだったことになる。ことの当否は近々知れる。五四運動の記念日がどのように過ごされるか、これで分かるはずだ。(4/24/2005)

 被害に遭わぬために導入したものから被害を被る。まさに「飼い犬に手を噛まれる」ような話。

 トレンドマイクロのウィルスバスターが毒入りのパターンファイルを配布したため、けさから、JR東日本、共同通信社、朝日新聞、読売新聞、日経新聞などが軒並み食中毒を起こしてしまったらしい。

 ちょうど先日のPest Patrolと同じ。トレンドマイクロはコンピュータ・アソシエイツの「事故」を対岸の火事と見ていたのだろうか。ハインリッヒの法則は確度の高い経験則だ。他所で起きた同種の「事故」について身内の再点検ができないようでは、このような予防ソフトを扱う会社としての資格はない。

 シマンテックさん、頼りにしてるからね。(4/23/2005)

 バンドン会議50周年記念の首脳会議で小泉首相は95年の村山談話をそのまま引いた演説をした由。

 思えばバンドン会議の精神を活かし、これに息を吹き込む努力をし続けてきたならば、いまごろは間違いなく日本はアジアの、あるいはアジア・アフリカのリーダーとして既に国連に確固たる地位を獲得していたか、少なくとも今回のような常任理事国拡大がテーマにのぼれば、就任を当然視される国になっていただろう。

 片一方に現在の憲法があり、片一方に安定した経済を持ち、欧米に拮抗しうる明確なポリシーを持っている「一目置かれる国」になっていたことは間違いない。ことあるごとにつきまとう過去の歴史的負債もなんのいいわけもなく完済していたに違いない。

 しかし自民党政権は、ひたすら現行憲法を認めず尊重しないことを政策の基本とし、過去の歴史的負債については対外的に見せる表帳簿と国内で流通する裏帳簿という二重帳簿で管理し、対米従属の奴隷的意思を唯一の外交ポリシーにしてきた。

 中国の反日デモに対する世界各国マスコミの論調は「どちらもどちら」に落ち着いている。本来、この数週間だけを取り上げるならば、我が国には一切「非」はない。反日デモそのものを民衆の自発的なものと認めたとしても、それが暴徒化し我が大使館・領事館に投石し、ビン・カン・ペットボトルを投げたこと、またこれを警備すべき当局がなにもしなかったことは、明らかに中国のみに「非」があることだ。それなのに・・・、だ、それが「どちらもどちら」という書かれ方になってしまうのはなぜか。なにゆえ、そのように書かれねばならなかったのか。ここに問題がある。

 それはひとえに二重帳簿をつけ続けた歴代自民党政府、そして繰り返し繰り返し「失言」という「放言」で下卑た憂さ晴らしをしてきた一群の連中の愚かさに責任がある。そういうバカどもが、多くの人々の地道な努力の積み木をいつも崩してきたのだ。(4/22/2005)

 休暇をとり、**(母)さんと多摩北部医療センターへ。**院長からの紹介状とCTスキャン写真を持参。通常の外来診療の手続きで待つ。順番が来たのは11時少し過ぎ。終ったのは12時近く。以下、担当の**先生の話。

 歩行障害・痴呆・失禁といった症状は脳の障害により起こる。障害の原因は脳梗塞・アルツハイマー・水頭症・その他。**(父)さんの場合、脳梗塞はさほど問題はなく、アルツハイマーと水頭症が疑われる。このふたつは診断が難しい。水頭症はMRI・髄液排除(タップというらしい)などの検査による。

 正常圧水頭症にはくも膜下出血などを原因とするものとその他のものにわかれる。前者は比較的シャントとよばれるバイパス手術で改善するが、後者の場合は三つにわかれる。顕著な回復が見られるもの。医者の目からはさしたる変化と見えないが家族など近親者から効果があったとされるもの。まったく改善が見られず逆に手術の負担が症状の悪化をよぶもの。高齢により手術のリスクを避けたい、本人に負担をかけたくないなどの理由から手術しないという選択をする家族も少なくない。

 ゴールデンウィークが迫っているので検査申込みをしても実施は連休明け以降になる由。**(母)さんは転院して手術をしない場合、上宮病院に戻れるかどうかを心配。また手術をしないという選択をするのなら、あえて検査をする必要もないかもしれないとも思い、いったん家族内で相談するということにした。

 午後、上宮病院のソーシャルワーカー**さんと、リハビリ後のコース、手続きなどについて面談、帰宅は3時過ぎ。

 **(家内)にざっとのことを説明する。**(家内)の質問、「水頭症って、痛みはないの?」。虚をつかれる思いだった。自分の側が必要とする事実だけにしか頭が回っていなかったのだ。その通り、もし、痛みがあるものなら、そのことは手術をするかしないか、また、検査の要否を判断する、いちばん大きなことがらだ。**(父)さんの身になって考えるとしながら、そのいちばん大切なことがらが浮かばなかったのは、やはり、どこか冷たいところがあるのかもしれない。(4/21/2005)

 夕刊トップは新教皇にラツィンガー枢機卿が選出されベネディクト16世を名乗るニュース。ヨーゼフ・ラツィンガー、ドイツ人、教義の面では超保守派。女性司祭、コンドームによる避妊、妊娠中絶、すべての点で「石のように堅い人」らしい。ちょっとした疵はヒトラー・ユーゲント加入暦のあることか。

 朝刊にはここ百年のコンクラーベの実績が載っていた。面白いので書き写しておく。

選出年 名 前 日数 投票回数
1978 ヨハネ・パウロ2世 3 8
1978 ヨハネ・パウロ1世 2 4
1963 パウロ6世 3 6
1958 ヨハネ23世 4 11
1939 ピウス12世 2 3
1922 ピウス11世 5 14
1914 ベネディクト15世 3 10
1903 ピウス10世 4 7

 新教皇は2日間で4回の投票。78歳という年齢を考えると、ヨハネ・パウロ1世ほどのことはないにしても、次のコンクラーベはそんなに先のことではないのかもしれない。(4/20/2005)

 空港の売店でおばさんと店員が言い合いをしていた。機内に着席したところでそのおばさんを中心に幾人かが大声で話すのが聞こえた。「わたしはブランデーなんかいいのよ、ただひとこと、ごめんなさいって言ってもらえば」、「そうよ、そうよねぇ」と口々に言う。どうやらお土産に購入したブランデーを受け渡すところで粗相があって瓶が割れるかどうかしたようだ。

 おばさんの言葉にウソはないだろう。店員が「すみません」のひとことを言えば、たぶん「いいわ、わたしも悪かったんだから、気にしないで」くらいのことを言い、「弁償して」とまでは言わなかったことだろう。おばさんたちの口調からかなりの確度でそう確信できた。

 もう二十年くらい昔、ゴールデンウィークをすぶてつぶして北京でワークした帰りでの話だ。

 おばさんには同情した、と同時に店員にも。そのブランデーの価格は店員の年収かそれ以上にあたっていたのだろう。死んでも「すみません」とは言えない、店員は必死だったと思う。おばさんのメンタリティはよく言うところの「日本の常識、世界の非常識」(既に交通事故などの際には自分の非は認めないのが最初の対応という「常識」は普及しているかもしれないが)だ。「非は当方にあります、すみません、ついては損害は当方が負担致します」、この一連の論理の流れが連続しているのが「世界の常識」なのだ。「ごめんなさい」だけでは終ることはない。店員にその「常識」が念頭にあり、損害の補償ができないからこそ、店員は「おばさんの要望」を満たすことができなかったのだ。

 こんなことを思い出したのは、反日デモにおける被害補償についてのニュースを聞いたから。上海では市当局が職員を被害店に派遣し現金を渡し、北京では外務省系の会社が「原状回復」の申し出でをしてきた由。(ただし、まだすべての店というわけではなく「外務省系の会社」というのが不動産関係ということから考えるといわゆる賃貸しの建築物限定と考えられぬこともない)。それはこの週末に予定されているバンドン会議50周年記念首脳会議までにある程度の手を打っておこうということか。とすればタイミングとしては絶妙だった。しかし警官隊を繰り出しながら他国の外交施設への「暴徒」の「攻撃」を静観させた事実とそのことに対する「謝罪」を行わなかった事実は残っている。

 あの店員は「補償」できないが故に「謝罪」を拒んだ。時を経て名実共に大国になった中国は「補償」しながら「謝罪」を拒んだ。その姿勢はひょっとすると我が国がとってきた態度を見習ってのことかもしれない。ならば、絶好の環境にありながら、ついにアジアの真のリーダーになり損ねた国の民から心から忠告したい。どうせ「補償」をするのならきちんと「謝罪」すること。責任を相手に転嫁したり、いったんは頭を下げながら逃げ戻った母親の袖の下からアッカンベーをするようなガキのようなことはしないこと。せっかくの「補償」が台無しになる故。(4/19/2005)

 たしか沢木耕太郎が趙治薫のことを書いたものの中に、なぜ韓国(朝鮮でもいいのだが)は日本の侵略だけを問題にするのか、中国は日本とは比べものにならぬほど昔から繰り返し韓国を侵略しているではないかという問いに、中国は韓国に文化を伝えた国だからいいのだ、しかし日本は韓国が文化を授けた国であるのにそれを忘れて韓国を侵したことが許せないのだというようなくだりがあった。

 きのう、「サンデーモーニング」で岸井成格はこんなコメントをした。「中国や韓国には第二次大戦の敗戦国のくせになんだという意識がある。一方日本には中国や韓国に負けたという意識はない」。

 サラリーマンならもっと身近に聞くことができる、「あいつはね、もともとはオレの部下だったんだよ。あいつに仕事を教えたのもオレ、あいつを引き上げてやったのもオレ。それがさ、いまじゃ専務、ちっとばかり偉くなったからって・・・」、あとは書かずもがなだ。

 おおかたの人間はこの「・・・のくせに・・・」という論理の軛から自由になることは難しい。

 日・中・韓三国の間には、この心情がそれぞれの国の増長、慢心、さらには劣等感までを媒介変数にして輪廻している。たとえばこんな具合だ。「さんざんODAで助けてもらっているくせに態度がでかいんだよ」、「もともと敗戦国のくせに常任理事国になりたいだってさ」、「字も知らないければ農具の使い方も知らなかった野蛮国のくせにいつのまにか一人前の押し込み強盗になって帰ってきたんだよ」などなど。適当な単語を並べ替えるだけでいくらでも相手を非難できるし、それによって自分の優越感を満たすことも、場合によっては自分の正統性さえ主張できるのだ。

 三国だけを見ている限りは甲乙はつけがたい。中国が際立っている、あるいは韓国が際立っていると言いたい者は多かろうが、そんなことはない。卑しさにおいてはこの国の自虐嫌い人士たちも相当のものだ。しかしその枠を出たとき、つまり、対アメリカ、対ヨーロッパの視座を持ち込んだとき、胸を張って彼らと互角に戦えるのはどの国だろうか。

 いちばん早くほころびが出そうなのは、残念ながら、この国だろう。なにしろ、忠犬コイズミが首相を務めているのだから。(4/18/2005)

 **(息子)が起きてきたのはなんと2時を回ってからだった。帰宅したのは、けさ5時だったという。おかげで**(父)さんの病院に向ったのは3時半過ぎ。

 記帳をして病室にゆくとヘルパーの人がベッドから車イスに移そうとしているところだった。きのうから少し調子が悪く、きょうも、ついさっきまで寝ていたのだという。挨拶をしても反応が鈍い。「約束の音楽、持ってきたよ」といっても返事がない。iPodを首にかけイヤホンを両耳にかけてあげた。操作方法を説明したが分かっているのかどうか。

 スタートはフジ子・ヘミングにしておいた。懐かしい曲から始まる方がいいだろう。心持ち首をかしげるようにして聴き入っている・・・ように見える。その仕草、どこかで見たような光景だと思いつつ病院を出た。

 ヘルニアの痛みやら入退院、花粉の季節、このところ一万歩にとどかない日が多い。体重はついに5キロオーバー。ちょうどいい機会、花粉もスギからヒノキに変わりつつあるというし、久しぶりに歩こう。野塩橋から空堀川沿いを薬科大に向った。名前は知らないものの顔だけはなじみの幾人かとすれ違う。ボクサー、ムカシマドンナ、・・・その時、キミハラ君が首を振り振り歩いてきた。

 突然、あの既視感の正体が分かった。「His master's voice」。不埒な連想だった、ゴメン、**(父)さん。(4/17/2005)

 きょうも中国では反日デモがあった由。これで三週連続。ニュースは上海・深センといったいわば中国の光である地域にも反日デモが及んだとと伝えている。一連の出来事の背景には天安門事件後に江沢民政権が国内引き締めのために行った愛国教育がある由。茶の間に座ってテレビ映像と新聞記事に依存するだけの者にはその当否は分からない。おそらくそういう側面はあるのだろう。だがそれはデモに参加している人々の説明にはなろうが、それに向き合っている中国政府のふるまいの説明にはなっていない。

 世界中のどの国にも他国の大使館や領事館への投石を座視する警察官はいないはずだ。またこのような狼藉を公然と面体を晒しながら行う者もいないはずだ。しかし警官は取り締まることを一切せず、投石者も顔を隠す風さえない。そのことにとらえて、これを中国政府公認のデモ、中国政府が首謀した活動である証拠だという声があるのも頷ける。だがこれが正規の意図的な行動だと決めつけてしまうと見えるはずのものも見えなくなってしまう。

 忘れてはならないことがある。中国という国の街頭に繰り広げられる大衆行動には往々にして政権中枢内の権力闘争とリンクしていることが多い。文化大革命もそうだったし、天安門事件に至る一連のプロセスにもそれは見られた。

 今回の一連の動きを振り返ってみれば、9日の時点でいったんは「中国政府として決して容認できることではなく、政府を代表して心からお見舞いと遺憾の意を表明する」(喬宗淮:外交部副部長)ということを伝えながら、それ以降いっさい謝罪の言葉はなくなった。そういう「ブレ」を考え合わせると、政権内部にある種の対立があるという想像が成り立つ。それがいったいどのような対立なのか、それはまだわからない。(4/16/2005)

 中国の反日デモが掲げているスローガンには歴史認識の問題の他に、日本の国連常任理事国問題と尖閣諸島の領有問題とがある。韓国の反日デモも尖閣諸島が竹島に変わっただけで同様の主張を掲げている。

 常任理事国入りについて中国も韓国も日本の常任理事国入りには反対しつつ、ドイツの常任理事国入りには賛成している。今週月曜日、韓国、イタリア、パキスタンなどが呼びかけた「日本、ドイツ、インド、ブラジルの常任理事国入りに反対する集会」には116ヵ国が参加した(この集会には中国、ロシアだけではなくアメリカも参加した由)。イタリア対ドイツ、パキスタン対インドと並べてみれば、別に日本だけを狙い撃ちにしたものではない。先月末に開催された逆の趣旨の集会にもこれを超える数の国が参加していたのだから過剰にショックを受ける必要はあるまい。

 韓国の「近隣諸国の支持さえ得られぬ国に常任理事国の資格はない」という言葉に激高している向きもあるようだが、韓国が言うから日本のことになるだけのことでパキスタンがいえばインドのことになる。客観的には一理あると言わざるを得まい。同じ語法を使えば「他国の外交施設への不法行為を座視する国に常任理事国の資格はない」と言い換えることもできるし、この方がよほどぴったり来ると思うが、「なっている国」と「なろうとする国」が同じ心がけですまないのは思えばあたりまえのこと。別に「正しさ」を競っている場面ではない。だが参加国が予想を超える数であったことは頭のどこかに留めておくべき話だろう。

 かつてパキスタンとアンチ・インドで同盟していた中国は温家宝首相が同じ11日ニューデリーでシン首相と会談し「中印国境問題の解決のための政治枠組みと指針」なる文書に調印している。既に中国は旧ソ連との間で戦闘行為まであった珍宝島とウスリー河のいくつかの島の領有権と河の通行権についての問題を解決している。国境問題の内実はところによって一律ではないが、少なくとも中国は憎らしいほどのバランス感覚で現実を処理している。ついでに書けば、インド・パキスタン両国はカシミール問題の現実的解決のためにとりあえずそれぞれの支配地域間の交通を確保することを始めたのは周知の事実。

 ひるがえって我が国は何をしているか。尖閣諸島も竹島も実質的には無人島だ。北方四島よりははるかに実効のある解決策を策定しやすい環境にある。にもかかわらず問題を放置し、ひたすら無策無為で臨み、挙げ句の果てに同時期に、二正面、三正面に敵を作るような愚かなことをしている。はたしてこんな国に安保理常任理事国などという大役が務まるのだろうか、世界中の国はじっと見ている。(4/15/2005)

 ライブドアとフジテレビが和解に進んでいる由。このニュースがいちばん早かったのは読売だった。きのう、朝、病院に出かける前にアクセスしたとき既に読売は午前3時というタイムスタンプで、このニュースを伝えていた。その時は「へえ〜」と思うだけだった。よくある観測記事のひとつだと思っていた。しかし各社の続報で読売のニュースは裏付けされた。

 なぜ読売だったのか。リークしたのは誰で、どういう思惑があったのか。そしてリーク先が読売だったのはなぜか。いや、そもそも、課題の設定が違っているかもしれない。読売はフジサンケイ、ライブドア、ソフトバンクインベストメントのいずれからのリークにもよらずこの情報を掴み、他社はそれを三者のうちのいずれか、または複数に確認しただけということも論理的にはありうる。すべては藪の中。

 それにしても伝えられる内容はあまりに蒸留水のようで、あの狂騒はいったいなんだったのかという気がする。たしかにこれほどM&Aに関するあれこれを教えてくれ、あらたに配当性向の見直しの風が起きたとすれば、それなりの意味はあったのかもしれないが。(4/14/2005)

 **(父)さんのことについて**院長がお話ししたいことがあるということで休暇をとった。10時少し前から11時くらいまで小一時間、**(母)さんと一緒に話を訊いた。正常圧水頭症の可能性があり脳脊髄液を腹膜下にバイパスしてやることにより改善されることがあるという話。とりあえず知り合いの脳外科のお医者さんに検査・診断をお願いする方向で考えることにした。

 **(母)さんとシェルボンの二階で昼食。病院から駅に向う道々、「ほんとうにいいお医者さんねぇ」。気になっていた在宅時の薬の一覧を見てもらって得心がゆくまで説明してもらえたのがよかったようだ。それにしてもひどい話だった。

 **(父)さんが飲んでいた薬は全部で14種類。いまの病院では2種類。**(母)さんの疑問は「あんなにいろいろ必要としていたのに、こんな少なくてもいいのだろうか」、そういうことだったようだ。先生はいくつかについてかなり詳しく説明してくれた。「・・・たとえば、この薬ですね。これはパーキンソン症の特効薬といわれている薬です。どういう説明でした」、「パーキンソン症ではないけれど、パーキンソン症候群だと・・・」、「言いにくいことですけど、パーキンソン症候群というのはパーキンソン症とは言い切れない場合のことですから、この薬を使うのは問題ありますね」。町医者にとっては薬を出すことが手っ取り早く利益を上げるひとつの方策なのかもしれない。「・・・日本の医者は薬を出しすぎ、薬に頼りすぎなんです」。几帳面でマジメ、素直な患者が危ないともおっしゃっていた。出された薬をぜんぶきちんと飲んでかえって状況を悪くする患者までいる由。**(父)さんは趣味が病院、薬がお友達みたいなところがあった。もらった薬を仕切りつきの箱に分類し、色分けをして朝・昼・晩と飲んでいたらしい。

 午後、久しぶりに秋葉原に出て、**(父)さん用にiPodを買う。落としてもいけないし、操作も面倒なものはダメだろうということでshuffleの1ギガタイプ。充電や曲の差し替えを考慮して2台。自分用としてはminiの4ギガタイプを買った。池袋で本屋をのぞいて、帰宅は5時頃。これから曲の編集を始める。(4/13/2005)

 「反日暴力デモ拡大 中国政府の責任は明白だ」。やっとサンケイ新聞の社説も怒った、一日遅れで。反応の鈍い奴をからかって「お前、蛍光灯だな」といったものだが、サンケイ新聞社説子はまさにこの「蛍光灯クン」のように見える。だがいくらサンケイ新聞社説子が「頭の不自由な」人だとしてもこれはない。おそらく社説子はきっと日曜日のお休みを確保したかったのに違いない。だからあらかじめ書いておいた予定原稿をそのまま掲載して休暇を満喫したのだろう。別に悪いことではない。

 こんどサンケイの社説子が「ナントカのサラリーマン化批判」でも書いたら思いっきり嗤ってやろう、自分の「サラリーマン化」を棚に上げて「よく、書くよ」、と。扶桑社問題に見られるように、自己反省(フジサンケイではこれは「自虐」というタブーにつながっているらしい)皆無で、他人を批判・攻撃することだけは一丁前というのがこの新聞の特質らしい。

 自分のことには頓着せず他人様のことにはえらく口うるさいイヤな奴はどこにでもいるもので、珍しくはない。でもそれは個人レベルに限られるかと思っていたら、どうやらそんなことはないらしい。

 「サンケイ新聞とかけて、中国政府ととく」、そのココロは、「どちらも自分の非道には頬っ被り」。(4/12/2005)

 外国大使館に向けて投石がなされているのを目前にしながら、なにもしない警官隊というのをはじめて見た。この週末、北京、広州、・・・、中国の各都市での光景だ。瞬時、「北清事変」、「北京の五十五日」という連想が浮かんだ。

 しかし、映し出される映像は、時代、環境、・・・すべてが違っている。軽装の若者、圧倒的に若い世代、投石する者をはやしたて、ほとんどお祭り騒ぎの体。女性までが投石に参加し、大使館の建屋まで届かぬのを恥じる照れ笑いをしている。伝えられるところによれば、ほとんどがインターネットでの呼びかけに応じて参加しているのだという。彼の国の「2ちゃねらー」らしい。

 彼らには他国の外交施設に対する「投石」などの行為がいかなる意味を持つのかについての知識がまるでないようだ。教えられていないのか、教えられていても憶えられない知的レベルなのか。そのあたりもこの国の「2ちゃんねる」でくだを巻いている連中によく似ている。彼らは江沢民時代に徹底して行われた愛国教育(この国のマスコミは判を捺したように「反日教育」だと注釈している)の申し子なのだそうだ。かくも醜き「ナショナリズム」、かくも醜き「愛国教育」、かくも醜き「愛国好青年」たち。

 けさの新聞各紙はそろってこれを取り上げた。レベルとニュアンスはさまざまだが、共通して怒っている。当然だろう。各紙のタイトルを書き写しておく。

朝日   中国政府 なぜ暴力を止めないのか
毎日   中国デモ暴徒化 チャイナ・リスクの芽を摘め
読売   [中国デモ騒動]「『反日』だけは黙認するのか」
日経   中国の反日行動に自制を求める
東京   中国反日デモ 再発の防止に全力を

 ただ一紙、さぞやご立腹と想像したサンケイだけが、信じられないことに社説にこの中国問題を取り上げていない。けさのサンケイの「主張」のタイトルは「首相訪露 千載に禍根残しかねない」と「三角合併 凍結中にきちんと整備を」だ。「はぁ?、寝惚けてんのか、気は確かか?」。おそらくサンケイ愛読者のほとんどがそう思ったに違いない。

 不思議といえば不思議。もしたかが反日デモなど取り上げるに値せずとでも判断し、独自の見識を打ち出そうとしたというなら、その判断の当否は別として、「ほおー」と思わぬでもないが、おそらくそんなことではないだろう。おおよその想像はつくが、想像が正しいかどうかはあしたの朝刊を見るまでは確認できない、楽しみに待とう。(4/11/2005)

 **(家内)と**(息子)、三人で病院へ。**(父)さんの外出許可を取っているので、車で、狭山湖方面を一周してきた。あちらこちらと窓外のサクラを見るだけのドライブ。それでも鈍い反応ながら、病院の風景と異なるというだけで、それなりの刺激にはなるらしく、最後には「ありがとう、ありがとう、楽しかった」と言ってくれた。それだけで、もう、涙。

 去年の正月には、多摩湖畔の菊水亭で誕生祝いの食事をしたのだった。あの時は、まだ、足が少し不自由な程度。こちらの話に迎合するようなところが、少し鬱陶しいと思ったが、あれは仕方のないことだったのかと、今頃、気付く、哀しさ。(4/10/2005)

 郵政改革に関する攻防が佳境に入っているらしい。詳しいことは分からない。おそらく改革が必要なのはただ一点、貯金・保険事業なのだ。郵便貯金制度はこの国の急速な近代化を支えてフル回転した仕組みだった。その「近代化」がプラトーに達した今、なにがしかの改革が必要なことは事実に違いない。

 設計思想を固めないで設計をはじめても手戻りが多いばかりで、そういうプロジェクトは最初から失敗する確率が高い。つまり、この国、この社会を、どのようにするか、したいのかというグランドデザインが明確であって、それに対する国民的な合意が形成されていないうちは、「郵政改革」はもちろんのこと「構造改革」などはじめてもムダなのだ。

 「大国」をめざすのか、「小国」をめざすのかさえ、明確に意識した議論を聞いたことがない。すべて「グローバル化」(おおむねアメリカ追随、金持ち優先社会の別名)や「アンチ**」(アンチ戦後民主主義、アンチ社会主義帝国中国、・・・早い話が月や惑星のようなもので太陽に照らされてはじめて自分が見えるといういささか心許ない大衆迎合社会の別名)で語られる熱病のような話ばかり。

 飛行機はとうに離陸して、上昇を続け、水平飛行に入った。上昇時は必要だったフラップはもう不要だ。ずっと水平飛行を続けるのなら不要なフラップはロケットのブースターよろしく捨て去ればよい。しかし安全に着陸することや不時着を考慮するならフラップは格納しておくのがよい。つまりこれからの飛行プランによって、為すべき制度設計は大きく異なるのだ。

 特殊法人改革も郵政改革も、そもそも構造改革にしてからが、飛行プランも設計思想も抜きにして、ただただ利権調整に終始し、どこまでも卑しく、どこまでも汚く、どこまでも愚かで、どこにもシンプルな美しさが感じられない。衰亡のプロセスとはこういうものか。(4/9/2005)

 日韓の外相がどういうわけかイスラマバードのホテルで会談した由。韓国の外相、潘基文が竹島に関する記述を削除するよう要求し、我が外相、町村信孝は「検定基準と学習指導要領に基づき適切に実施している。一連のプロセスを経た個別の記述について文部科学省が削除を求めることはできない」と答えたという。

 言葉に間違いはない。しかしこんな役人答弁になんの意味があるのか。韓国の教科書にも同様の主張が書いてあり、たしか韓国は国定教科書であったはず。とすれば、まず「お互い様でしょう」と、その一事を指摘した上で、「両国政府がこんな内向きの発言を繰り返すのはもうやめましょう。いずれの主張も歴史を持ち出したところで、両国民が納得するような解決は得られないでしょう。一番現実的な解決策はおそらくひとつしかありません。共同領有にし、領海の確定をはかり、漁業資源に関する適正な制限を話し合いましょう」、このぐらいのひとことがなぜ出ないのだろうか。これはけっして日本の主権を棄てることを意味しないし、同時に韓国の主権を棄てさせることも意味しない。それを言う見識も勇気もないのなら外相の職責をあずかる意味などない。

 トリッキーに書けば、いま現在こそ、竹島問題解決にとって千載一遇の好機なのだ。もっともローマ教皇の葬儀に各国が元首級を送り込む中で名もない前外相を出席させて事足れりとしている我が政府の外交感覚では本当の意味の識見など永久に望むべくもないことかもしれないが。(ローマ教皇は単なる一宗教の代表ではない。少なくともローマ教皇はバチカン市国の元首であり、バチカン市国は178ヵ国と国交を結び、国連にもオブザーバーを常駐させている。外交上のひとつのキーを握っている国でもある。そんなことも考えずにどんなスーツを着ていくかばかり気にしているようなおばさんを派遣したのだとしたら、つくづく愚かな国になり果てたものだ、わが祖国は)(4/8/2005)

 朝はまだ満開とは思わなかったサクラが、帰りにはもう満開になっていた。きょうの暖かさ、というよりは暑いくらいの空気が一気にもう後戻りしない春をもたらした。

 夜の闇にとけ込もうとするサクラには一種の妖気がある。「屍体が埋まっている」と書かずにはおれなかった作家の気持ちはよく分かる。サクラの花のひとひらを手にとって凝視すると、圧倒的な白の中にわずかに垂らした血が拡散してこの色になったに違いないと思えてくる。

 名のみの春からボーッとした春、そして夏を予感させる春まで。また新しい年が始まってゆく。まさに「年年歳歳花相い似たり」だ。「歳歳年年人同じからず」とつぶやいて、この道を通いサクラにいろいろのことを思うのも多くて4回、もし最後の年の開花が今年のように遅ければ、もう残り3回きりなのだと思い当たった。ずっと続くもののように思っていたけれど、もうあと数回もないのだ。

 日常は人を騙す。いや、日常が騙すのではなく、日常に対して人がとった対抗策が人を騙すのだ。同じことの繰り返しに対して、常日頃、覚える苦痛。シジフォスの業苦。しかし人間的であったギリシャの神は時をおかずしておのれの浅慮を知ったろう。シジフォスがその罰を「日常」として引き受け、何食わぬ顔で谷底から岩を持ち上げているのを見て。

 とすれば日常に騙されたままでいる方が賢いのかもしれない。そうだ、ツイアビも言っていた、「知らない方がずっといい。・・・喜びを消さないために」と。(4/7/2005)

 朝刊トップの教科書検定に関するニュース。一読、目を疑った部分を書き写す。

 扶桑社版の当初の記述は「韓国とわが国で領有権をめぐって対立している竹島」。これに対し、「領有権について誤解するおそれのある表現」との検定意見がつき、同社は「韓国が不法占拠している竹島」と修正して合格した。
 文部科学省は「日本固有の領土の竹島について、わが国と韓国が対等に記述されていた」と説明。扶桑社は「外務省のホームページに載っている記述に基づき直した」という。

 その扶桑社についてこんなやり取りが国会であった由。(TBSのニュースと地方紙、スポーツ紙のみの報道というのが不思議。以下は日刊スポーツの記事)

 文部科学省の銭谷真美初等中等教育局長は6日午前の衆院文部科学委員会で、「新しい歴史教科書をつくる会」が主導した中学校教科書をめぐり、出版元の扶桑社が教科用図書検定規則実施細則に違反して検定合格前に、文科省に提出する「申請本」の教科書を教員に配布していたことを明らかにした。中山成彬文科相は「ルール違反することは問題だ」と遺憾の意を示した。
 銭谷氏は扶桑社に対し、配布された申請本の回収を命じるとともに管理の徹底などを求め、昨年10月、今年1月と3月の3回にわたり、指導したことも明らかにした。
 中山氏は「採択してほしくない人がわざと流出させているのかと思っていたら、そうではないということだった」と扶桑社側が流出させたと指摘。「きちっと管理することは当然の前提。指導されること自体おかしい。(扶桑社の)自覚を待ちたい」と述べた。

 まず、ライブドアの時間外取引については明確な法令規程がないにも関わらず、立法趣旨まで持ち出して「違法だ、ルール違反だ、けしからん」と大合唱したフジサンケイグループだから、さぞや遵法意識は高かろうと思いきや舞台裏にまわれば「CSRなんか、くそっくらえ」という根性なのが嗤える。

 いやそんなことよりも中山文科相の「採択して欲しくない人がわざと・・・」という発言が興味深い。文科省はどういう理由からかまず扶桑社を心配し、次に同社が半年もの間、違反行為を継続していると知りながら「指導」という名の「黙認」を行い、同社一社のみに独占的な営業活動のアドバンテージを与え続けた、ということになる。

 ふたつのニュースをあわせ読めば、「こんなに期待して陰ながら応援している扶桑社の教科書がこんな書き方でどうするッ」と文科省が叱責したのも、扶桑社が「へへェー、ごもっともでございますゥ」と平伏して書き直したことも、妙に平仄があって薄気味悪くなる。文科省は扶桑社版教科書に国定教科書の位置を与えたいとでも思っているのだろうか。(4/6/2005)

 西側の喫煙室には夕日が差し込んでいた。沈もうとしている位置は思ったよりももうずいぶん北寄りで、既に高層階に建築が進みつつあるマンションの切れ目にかろうじて見える山並みになっていた。

 春の日暮れ時は胸をつまらせる。思いっきり西日の差し込む部屋に立ち尽くした記憶は生涯消えることはないだろう。浮かんだ旋律はピアノコンチェルト20番の緩徐楽章。モーツアルトの数少ない短調の曲。浮かんだ言葉は「翳りゆく部屋」。ユーミンの歌の題名だ。その取り合わせに思わず苦笑い。

 もうずいぶん長いことレコードをかけていないなと思ったとたん、たまらなく聴きたくなって、定時になるやいなや会社を出た。取り出したのはクララ・ハスキル、イーゴリ・マルケビッチという組合せ。入社して間もなく買い求めて、受験勉強中の**(死んだ弟)のことを考えてSTAXのイヤースピーカーを使って聴いていた。繰り返し繰り返し聴いたレコードだ。

 20番の緩徐楽章は優しい。ハスキルの死の一月前の演奏だとジャケットで知った。録音は古い。いまのセットと環境条件では分からないが暗騒音がかなりあった。グルダ、アバドの組合せも持っていたはずだが、新座においてきたのかこちらの棚にはない。格段に音がいいのは分かっているが、いまここにそれがあっても、おそらく3対1くらいの確率でハスキル盤をとる。「翳りゆく部屋」の記憶がそうさせるのだが、苦いその記憶も徐々に優しい想い出に変わってきた。(4/5/2005)

 中原中也の「サーカス」は「幾時代かがありまして、茶色い戦争ありました」で始まる。気になって夜も眠れないと書けば大嘘だが、なぜ戦争が「茶色」なのかという疑問はあった。その答が朝刊の「時の墓碑銘」に載っている。

 些細なことかもしれないが、妙に気になってしかたないことがある。中原中也(1907〜37)の詩「サーカス」にでてくる「茶色い戦争」がそうだった。なぜ「茶色」なのか。たまたまわかったのは、ある会合の席だった。
 評論家の加藤周一さんが「あの『茶色』ですけどね、僕はセピア色という意味だと思うんです」と話しはじめた。
 「それはちがいます」。音楽評論家の吉田秀和さんが話をさえぎった。「中原の頭のなかにあったのは中国の大地や砂塵でした。本人から聞いたから間違いない」。

 加藤周一の言い分には難がある。中也の生まれた年には既に日露戦争も終っていた。たしかに大日本帝国は、日清戦争・北清事変・日露戦争・第一次大戦・シベリア出兵・山東出兵・満州事変・日中戦争・太平洋戦争と、ひきもきらずに戦争を続けたから日中戦争の始まる年に亡じた中也にも、セピア色に染められた戦争の記憶はあっても不思議はないかもしれないが、なにより吉田秀和ほどの人物に「本人から聞いた」と言われれば、これほどたしかなことはあるまい。

 はじめて中国に行ったとき飛行機の窓から見た中国の印象は「黄色い国だなあ」というものだった。84年。もう21年も昔のことになる。空港に降りてから北京の市内までの道の両側も、北京の市街すらも茶色が支配的だった。北京が黄色いのは黄砂のせいと思いこんでいる。ちょうど今頃からはその季節。街をゆく女性は申し合わせたように赤いネッカチーフをすっぽりとかぶる。フェンシングの防具のような感じになる。お肌を守るのだ。今年はさほどのことはないが黄砂が海を渡ってくることさえある。日本は中国の風下にあるのだということは、いろいろの意味で、憶えておくべきだろう。

 「時の墓碑銘」は「現代史の中で発せられた言葉やせりふを、墓碑銘を訪ね歩くように巡りながら『現代とは何か』を考えてゆく」企画の由。しばらく毎週月曜日を楽しみにしてみよう。(4/4/2005)

 ローマ教皇、ヨハネ・パウロ2世、死去。彼の前任者は在位数十日というヨハネ・パウロ1世だった。そのクリーンさとあまりにも短い在位期間から「暗殺説」が流れた「微笑みの教皇」。バチカンは何かを払拭したかったのに違いない。数百年ぶりにイタリア人以外、かつ辺境の地ポーランド、わけても労働者階級の出身という「異例中の異例」として彼は教皇の座についた。それ故、彼こそ貧しい者とともにある教皇になるという期待が一部にはあった。結局のところ宗教的な宥和については数々の実績を残したものの、彼が権力志向の強いバチカンの精神改革や組織改革にまで乗り出すことはなかった。そのあとを務める新教皇としてどのような人物が選ばれ、バチカンがさらに変わってゆこうとするのかどうか、それは分からない。日本語で聞くと冗談にしか聞こえない「コンクラーベ」がどれくらいの日数かかるか、白い煙が上がるまでに黒い煙が何度上がるか、バチカンの中の「混乱」を観測するのにはいい機会だ。

 下品なこととは思いつつ不信心者はこんな想像をする。天の裁きの庭。神の前では等しく平等である以上、貧しさから一切れのパンを盗んだ経験を持つ者も、地上でキリスト教組織の最高位についていた者も、同じ庭に立つはず。バチカンが汚れのない白い組織ではないことは教皇も承知。さらに解放の神学を圧したのはいま天の庭に着いたばかりのカロル・ボイチワだった。ドストエフスキーは現世にあってキリストと向かい合う大審問官の話を創作した。来世の入り口でキリストと向かい合うとき肩書きのとれたかつての大審問官はどのような表情を浮かべるのだろうか。(4/3/2005)

 いつもの顔ぶれで、花見の予定。場所は三渓園。担当したつまみはきのうの帰りに買っておいた。9時過ぎには家を出るつもりだったが風邪らしい。少し熱があり、なにより喉がヒリヒリと痛く、鼻づまりもすごい。諦めて欠席届をメール。

 終日、寝たり起きたり。メールだけは次々と入る。弄られている。意地になって返信するが空しい。(4/2/2005)

 世に言う「姦淫聖書」が刊行されたとき、「汝、姦淫せよ」、これが神の教えだと信じた者はどれくらいいたのかしら。手にした聖書に「汝、姦淫せよ」とあるのを見ても、ほとんどの者は「not が抜けてるよ」と思っただけだったろう。

 石原都知事が日韓併合をめぐる発言を誤って伝えたTBSに損害賠償請求する民事訴訟をする由。「日韓合併の歴史を百%正当化するつもりはない」という発言を「日韓合併の歴史を百%正当化するつもり」と字幕付きで報道したというのだからTBSの失態は明白だが、石原はどんな「損害」を被ったと主張するつもりなのだろうか。

 都知事が「日韓合併の歴史を百%正当化するつもり」などという発言をする人物ではないという信頼が確立していたならば石原はいささかの「損害」も被らなかった、人々はTBSの失態を穏やかに笑っただけであったろう。いやそういう信頼が都知事にあったならば、そのような字幕が編集されオンエアされるまでの過程のどこかで誰かが「誤植」に気付いたに違いない。

 間違いが間違いと認識されなかったという現実の背景には、石原ならその程度のことは言うかもしれないという共通認識があった。少なからぬ人々がその共通認識を前提として番組を見、「また言ったか」と思ったということ、それが石原の「損害」を被ったという主張の意味であろう。しかしそもそも石原は「日韓併合は当然、どこが悪いんだ」などと主張する人々の「よくぞ、俺らの気持ちを代弁してくれた」という支持を受け、あるいはそういう空気に押し上げられてここまできた人間ではないか。それを「損害」などと主張したならバチが当たるぞ。

 もちろん、石原がそのような背景を持っているとしても、TBSの責任が軽くなる(姦淫聖書の印刷者は死刑になっている)わけではない。石原にその責任を問う権利があることは事実だ。だがここで思い出すことがある。問題の放送は2003年10月28日のことと伝えられているが、その一月半ほど前の同年9月はじめ、石原は田中均外務審議官宅に爆発物が仕掛けられた件を取り上げ「北朝鮮のいいなりになるような役人の自宅に爆弾を仕掛けられたのは当然のこと」と発言した。これは「相応の心理的背景があれば、テロの対象となることも当然」という理屈だろう。とすれば石原にはTBSの「誤植」プロデューサーの「罪」を責める資格はないことになる。はたして石原にはその自覚があるだろうか。それとも自分は別格とでも言うのかな。(4/1/2005)

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