朝のNHKニュース。イラクが油井に放火し深刻な環境破壊が発生しているとアメリカが非難とか。自ら劣化ウラン弾を使用し放射能によるより深刻な環境破壊をしておきながらいい気なものだと呆れながら家を出た。

 夕刊にはテレビ出演したラムズフェルド国防長官とマイヤーズ統合参謀本部議長の言葉が掲載されている。「目的を限定した湾岸戦争に55万の兵を送ったの対し今回はその半分でよかったのか」と尋ねられ、ラムズフェルドは「湾岸戦争では派遣しても使わない兵力が多かった。またイラク側の能力は当時の3割から4割に低下している」と答えている。

 これには嗤った。「使わない兵力」というのは今回徹底的に軽視した兵站に従事した兵力だったと思われるし、往時の能力の三分の一に低下しているということは「イラクの脅威」なるものの実体がさしたるものでないことを自白しているに等しい。いずれも自らの平生の発言の否定につながるではないか。

 そしてなにより嗤ったのは「計画は素晴らしいもの」と主張しつつ「計画立案者は中央軍のフランクス司令官だ」と何度も繰り返したという部分。さすが現場を遠く離れた高みから指図しようという人間は責任転嫁がうまいものだ。(3/31/2003)

 イラクのナジャフで米軍の検問地点に近づいてきたタクシーが爆発米兵4名が死亡。イラク側の自爆攻撃の由。ついに特攻攻撃が始まったようだ。これを政権の腐敗による末期的戦術ととるか、それとも祖国防衛に対する熱烈な意志の表れととるか。真実がどのあたりにあるのかは分からない。

 ただ「自爆攻撃」をその外見から「カミカゼ特攻」のように考えるのはたぶん間違いだろう。緒戦の「衝撃と恐怖」戦術がアメリカがイラクの民衆向けに行った心理的作戦だったとしたら、「自爆攻撃」はイラクが米軍兵士向けに行う心理的作戦だということができる。カミカゼ特攻は兵士に対して「衝撃と恐怖」を与えたかもしれないが、「自爆攻撃」は兵士に対して「混乱と不信」を与えるという点ではるかに甚大な影響を及ぼす可能性がある。イラクは「自爆攻撃」をそれほどの頻度で行う必要はない。米軍の兵士が忘れない程度にほとんど気まぐれにランダムに行えばそれでいい。GIジョーは自分たちの敵が誰であるか、自分たちが何を信じればよいのかについて混乱するようになる。「自爆攻撃」の効果はそこにあり、やがて恐ろしい形で現れるかもしれない。(3/30/2003)

 高校の英語の教科書、そのLesson 1に「The First Pitch」というのがあった。待ちわびた春が来て、人々はその訪れを確認し楽しむように外に出て、そのシーズンの最初の投球をするというような話だった。そういえば「春はセンバツから」というコマーシャルコピーもあった。

 きょう、開幕。今年はセパ両リーグ同日開催。しかし、どうも最近は開幕日のワクワクするような感じが薄れてきたような気がする。6試合中4試合がドーム球場、全試合がナイター。既に日本シリーズがテレビ中継にあわせてすべてナイターになることにより、晩秋の気配とシーズンの総仕上げという感覚を失ってしまった。そして開幕戦も140試合の中の「はじめの試合」に成り下がってしまった。ドーム球場となるともうシーズンのスタートを飾る試合という匂いさえしない。もう一度、うららかな日差しの中で時折吹く風にちょっとふるえながら、「春が来た、さあ、ペナントレースが始まるぞ」、そんな趣向を取り戻すことはできないものか。で、試合結果。ライオンズ−ファイターズは1−4。松坂はどうも「この試合」に弱い。

 偵察衛星打ち上げ成功。新聞もテレビも「解像度1メートル、アメリカの商業衛星並み。アメリカの軍用は10センチ」と伝えている。当局発表をそのまま鵜呑みにしているのは従来の「宇宙平和利用」国会決議の気分のままこのうち上げを迎えているからかもしれない。この衛星が「軍用」である以上、当局発表値を額面通り受け取るのは迂闊な話。そういう感覚がないのだね、この国のマスコミには。(3/28/2003)

 先週末トルコがイラク内クルド人自治区のトルコ系住民保護を名目に1500人程度を派兵する動きに出てアメリカは顔色を失った。トルコがクルド人自治区に入ることになればクルド人の銃は南のフセインにではなく北のトルコに向いてしまうからだ。あわてたアメリカはトルコ国会のイラク攻撃協力否決により反故にしていた援助を復活しトルコのクルド侵攻を断念させた由。(復活した援助額は無償分を含んで85億ドル、以前の60億ドルの無償供与を含んで総額300億ドルという規模に比べればかなり小振り)

 アメリカは「イラクに民主主義を」と主張しているが、中近東で一番民主主義が根付いている国がトルコ。真の民主主義が実現すれば今回のトルコのような決定は珍しなくなる。つまり民主的な選挙によって民意をストレートに反映した政権ができることは必ずしもアメリカが期待するような親米政権が誕生することを意味しない。

 一方、イラク攻撃を開始するにあたってアメリカは共和国防衛隊や共和国特別防衛隊などの指揮官クラスにかなり積極的なアプローチをしたという。マスコミはこれをフセインの動静を把握すること、あるいは彼らに寝返りを促すためと伝えている。しかしこれは一面的な見方に過ぎない。アメリカはこれらの組織を、フセイン政権転覆後にアメリカが作る「民主政権」において、フセイン政権下と同等もしくはそれ以上に悪質な抑圧組織に彼らを転用する意図をもっていると考える方がいい。この手の人材は簡単には養成できないし、「有能な」秘密警察を組織することは短期間には難しい。そしてなにより、このような「闇組織」を使わずして石油を独占するというアメリカの野望は達成できないからだ。(3/27/2003)

 ギュンター・グラスが書いている。

 いったいこの強国が、多くの理由でわれわれに素晴らしい思い出を残してくれた、あの同じアメリカ合衆国なのだろうか。これが寛大なマーシャルプランを恵んでくれた寄贈者、民主主義という教科を気長に教えてくれた先生、自己自身をとらわれずに批判する者であったあの同じアメリカなのだろうか。かつてはヨーロッパの啓蒙主義の過程がこの国の植民地主義の克服や、模範的な憲法の起草に手を貸し、言論の自由が不可欠の人権であった国のなれの果てなのだろうか?

朝日夕刊「強者の不正―イラク戦争に寄せて―」から

 グラスは少しかつてのアメリカを誉め上げすぎているような気がする。なぜ東西の冷戦が約半世紀ものあいだ継続したか。それは西側の総帥であったアメリカが支持した勢力の中にいかがわしい政権が多かったためだ。共和制をとるアメリカが多くの君主制国家を支持・支援してきたのは不思議なことだった。人権などこれっぽっちも尊重する気のない独裁国家も反共の看板さえ上げていればアメリカは良しとしてきた。共産主義者というよりは民族主義者という方がより適切な指導者をアメリカは評価しようとはしなかった。ホーチミンがそうだったし、カストロがそうだった。それが第三世界を東よりに押しやることにつながり、冷戦の様相を複雑にし長引かせたのだった。

 それでもなおグラスの言葉は間違っているとは思わない。自国の権益の影が薄い場面ではアメリカはたしかに民主主義の教師でもあり伝道師でもあったから。しかしいまやアメリカにその面影はない。「テロへの恐怖」という引き出しから何から何までを取り出してきて、単純きわまりない二者択一論理で力による支配を正当化している。世界中がその子供っぽいヒステリーに辟易しているのに。(3/26/2003)

 「そろそろ桜が咲く、今年はたいして悩まされずにすみそうだ、1月末からエバステルをのみはじめて、正解だった」と先週までは思っていた。だがあまかったようだ。どうも昨日あたりから少しおかしい。鼻がグスグスをこえてつまり始め、夜、口を開けて寝るせいか朝起きると喉がひりつく感じだ。少しばかり体も熱っぽい。「世の中に絶えて花粉のなかりせば春の心はのどけからまし」。(3/25/2003)

 夕刊にイラク軍の捕虜になった米軍兵5人の写真。アメリカの衝撃は相当のものらしく、さっそく「あのような映像の公開はジュネーブ条約違反」といっている由。つい昨日だかに流したイラク投降兵の映像は違反ではなかったのかしらん。だいたいが国際法を平気で蹂躙する国がジュネーブ条約違反を弁じ立てるということ自体が笑止千万。

 それより驚いたことがある。5人の写真を見る限り白人らしいのは1人のみ。残りはすべて「colored」だ。合衆国の人口の80パーセントが有色人種になっているとはきょう初めて知った。

 宮崎駿の「千と千尋の神隠し」が長編アニメ部門でアカデミー賞を受賞した。宮崎もジブリプロの関係者も現在の状況を理由に出席していなかった。できれば宮崎に出席してもらって、いつかテレビインタビューの際に語っていた「誰か一人悪役を作って、そいつを倒してハッピーエンドなどというバカな作品だけは、死んでも作りたくない」というあの一言を受賞スピーチにしてもらいたかった。

 そうすればマイケル・ムーア(長編ドキュメンタリー部門の受賞者)のスピーチに奥行きを与えることができただろう。ムーアは受賞スピーチで「我々はドキュメンタリー作家だ。ノンフィクションが好きなのだが、われわれはフィクション(作りもの)の時代に生きている。作りものの選挙結果で当選した作りものの大統領が、作りものの理由をでっちあげて、この国を戦争においやっている。我々はこの戦争に反対している。ミスター・ブッシュ、恥を知れ。おまえの持ち時間はもう終わった」と語った。主催者は大あわてでステージを降りるときの音楽をフルボリュームで流し降壇をうながした。会場からは拍手とブーイング。

 何年かすればこのスピーチがアメリカ社会の勲章となる時が来る。愚かな妄想に多くの人々が誑かされたときも、真実を見失わない人々が必ず声を上げ、またそういう人々に活動の場を与え続ける偉大な寛容さをアメリカ社会は常に保持することができた、と。(3/24/2003)

 昨日あたりから、テレビのイラク攻撃解説の中で「戦後復興は国際的な枠組みで」とか、「戦後復興の資金は国連の管理による石油収入で」とかをアメリカが言っているというコメントが流されはじめた。中にはご丁寧に「石油目当ての戦争と言われているがそれはあたらない。出費が多すぎるし石油に野心はないと断言している」とアメリカの弁護を買ってでる発言も一部に出てきた。

 朝刊にこんな記事が載っている。

 イラク戦争を始めたばかりのブッシュ米政権内で、戦後復興の重要部分は米民間企業に任せ、国際機関や非政府組織(NGO)を脇役に退ける方針を練っていることが、米メディアの報道で分かった。政府機関である国際援助庁(AID)が近く発注を始める予定だが、今回は対象を米大手に絞る考えで、チェイニー副大統領が最高経営責任者を務めた石油掘削会社ハリバートンの子会社も候補にあがっている。
 21日付のワシントン・ポスト紙によると、国債援助庁はイラク復興の関係で近く7件の契約を結ぶが、いずれも米企業が相手。同庁は「受注者は機密書類に目を通さなくてはならないので、身元保証の問題がある」としているが、こうした国際社会を無視したやり方には、パッテン欧州委員会委員(対外問題担当)が「ひどい不手際だ」と批判。NGOからも非難が出ている。

 国際援助庁が発注する7件の事業がどのようなものかこの記事では分からない。しかしエンロン事件の際にちょっとだけ尻尾が見えたように、ブッシュ政権は頗る付きの利権屋集団だ。「アメリカに野心はない」などとコメントしてまわる一部の「識者」たちは何を根拠にしているのだろう。彼らはただの阿呆なのか、それとも雇われスピーカーなのか。(3/23/2003)

 春分の日、きょうから三連休。NHKは大相撲中継を教育テレビに移し、ほとんど終日イラク攻撃関係のニュースを流していた。

 昨日の第一撃がさほどのものでなかったのはフセインとその家族に焦点を絞った特殊な爆撃だったかららしい。大将首をねらう作戦は、それを実現する技術は現代的だが、発想はずいぶん古いような気がする。

 午前中に見たブレア首相のスピーチは印象に残った。アメリカ支持には違いない。しかしここにはリーダーとしての思想と肉声がある。少なくともブッシュが言ったことだけを忠実にトレースするロボット宰相とは違う。同じようにアメリカ支持だとしてもせめてこれくらいの言葉は聞きたかった。

 放送の中で目を惹くのはやはり砂漠を進軍する米軍車輌の実況中継だ。イラク軍の反撃がないから時速40〜50キロの速度でバグダッドへ向けて快調に走っている。まるでパリダカの中継映像のようだ。アメリカ国民はCNNやFOXでこの映像を見てナショナリズム的快感に浸っているのだろうか。ちょうど「シンガポールに進軍する我が銀輪部隊」に胸を躍らせたかつてのどこぞの国民のように。(3/21/2003)

 イラク攻撃が始まった。「バグダッド市内はどこも安全でない」ほど濃密に巡航ミサイルを打ち込むという当初の話とはずいぶん異なり、爆撃は短時間であっさりしたものだったようだ。軽くジャブを放ち徐々に量を増やし厭戦気分を一気に高める意図があるのかもしれない。

 ところで、これは「戦争」なのだろうか。軍事力に大きなギャップがあるにもかかわらず、昨年の安保理1441決議から数ヵ月のあいだの査察によって、イラクはミサイルなどを廃棄させられてきた。ベルギーのミシェル外相はリベラシオン紙のインタヴューで「イラクに兵器の廃棄を要求して、なおかつ攻撃をしかけるのは、罠にかけるようなものだ」といったという(3/6朝日朝刊)がまったくその通り。きょう始まったものは通常の意味の戦争とは違うもののような気がする。

 イラクがとりうる対抗策はおそらくたったひとつ。可能な限り攻撃に耐え、その過程で米軍が犯すミスを待ち、それを国際社会なりアメリカ社会にアピールすること。しかしこれほどの軍事ギャップを知りながら士気を維持できる職業軍人などいるものだろうか。むしろ正規軍的な応戦を放棄してゲリラに徹するならばある程度の抗戦が可能かもしれない。ただそこまでするほどの忠誠心を彼らがフセイン政権に対して持っているかどうか。彼らが持っているのは純粋な反米意識だけかもしれない。

 もし、この軍事ギャップを多少とも改善できるものがあるとすれば、結局のところ大量破壊兵器以外にはない。しかし大量破壊兵器を使用すればその瞬間にアメリカの攻撃は正当化され国際社会へのアピールという蜘蛛の糸は切れてしまう。イラクが大量破壊兵器を実戦に適用できるような形で持っているのかどうか本当のところは分からない。だが、いずれにしてもそれは抑止のための「戦略核」同様、「抜けない宝刀」なのだ。その「抜けない宝刀」を抜く最後の機会は論理的にはたった一度だけおとずれる。それはフセインの居所にまで包囲の網が狭まったときだ。そのとき大量破壊兵器が使用されればアメリカは身をもって主張の正しさを証明することができる。一方、そのときになっても大量破壊兵器の使用がなかったときにはアメリカは何らかの事実を捏造することを迫られるに違いない。容疑者を裸にし、追い回し、殺したあげくに、容疑の品物は見つかりませんでしたではすまないからだ。(3/20/2003)

 ヒトラーはポーランド侵攻に際して囚人にポーランド兵の制服を着せ「ポーランド側から国境侵犯があった」とみせかけて侵攻を開始した。彼はそのとき腹心に「然るべき口実は必要だ」と語ったという。ヒトラーでさえ茶番を演出してでも「先制攻撃をした」といわれるのは避けたかったのだ。それをジョージ・ブッシュはやろうとしている。

 フセインが苛烈な反対派弾圧を繰り返してきた許し難い独裁者であることは間違いのない事実だ。世界中のかなりの人々はそれを知っている。しかしそれ以上に世界中のほとんどの人々と国々はアメリカのイラク攻撃を正当なものだとは考えていない。それは攻撃の根拠に切迫性した状況がないこと、なにより手前勝手な判断による先制攻撃を許容したら、ここ百年あいだに積み上げてきた国際秩序に関する枠組みがすべて元の木阿弥になると考えているからだ。

 どうやら当のアメリカも自国が国際的に孤立していることはやはり気に病んでいるようだ。だからこそアメリカは孤独ではないと主張するためにイラク攻撃を支持している国のリストを発表した。後日のために記録しておく。リストはアルファベット順だったようだが、頭の中の世界地図を塗り分けるために地域別に分類して記す。

【南北アメリカ】エルサルバドル・ニカラグア・コロンビア
【アジア】日本・韓国・フィリピン・トルコ・グルジア・アゼルバイジャン・ウズベキスタン・アフガニスタン
【ヨーロッパ】エストニア・ラトビア・リトアニア・ポーランド・チェコ・スロバキア・ハンガリー・ルーマニア・アルバニア・マケドニア・デンマーク・オランダ・イタリア・スペイン・イギリス・アイスランド
【アフリカ】エリトリア・エチオピア
【オセアニア】オーストラリア

 ブルガリアの名前がないのが不思議。アゾレス諸島に呼ばれなかったのでへそをまげているのかな。そして旧ソ連内の国やかつての東欧諸国が非常に目立つ反面、ミドルシックスといわれた国がひとつも入っていないことやアラブ諸国が皆無であること、国情はそれぞれに違うもののカナダ、タイ、イスラエルの名前がないことが印象的。

 耳にはさんだ笑い話もついでに。「アンゴラやギニアのような国もアメリカの札束攻勢に負けなかった。でも日本は即座に支持しますだもの。国債の格付けがボツワナより下になるのも無理はない」。Really。(3/19/2003)

 予告されたブッシュ演説はなんとフセインに亡命を命令するという内容だった。他国の大統領にその国から出て行けと命ずる権限はいったいどのような手続きで持つことができるようになるのかしら。

 ゴールデンアワーを選んでのスピーチはある種の効果をねらっているのだろうが、かえって「計算しています」「演技しています」という田舎芝居の匂いを漂わせる。主役ブッシュは「The Naked Ape」そのもの。アメリカ政治は「開戦決定」までも見世物、娯楽にしてしまう。「見世物」と書いてふと「ミス・ディレクション」という言葉を思い出した。

 最初はビンラディンだった。同時多発テロの主謀者はビンラディンだ。多くの人は「ほんまかいな」と思った。タリバンよ、ビンラディンを引き渡せ。オマール師はビンラディンをかくまっている。テロリストをかくまうものはテロリストだ。そういう主張が繰り返されるうちに、何一つ確実な立証がないのに、同時多発テロの下手人はビンラディンだという仮説は仮説ではなくなった。

 そしてビンラディンを引き渡さないアフガニスタンに武力行使をするのは当然だと言い始めた。多くの人は「オイオイ」と思った。でもテロリストを引き渡さないのだから仕方がないかとも思ったかもしれない。911の下手人がビンラディンと信じれば、の話なのだが。アフガニスタンには爆弾の雨が降りタリバン政権は崩壊した。不思議なことに爆撃でアフガニスタンの地形が変わってしまったら、アメリカはビンラディンの拘束とか殺害などはピタリと口にしなくなった。

 やがてイラク、フセイン大統領こそ悪の首領だというキャンペーンが始まった。フセインは安保理決議を守っていない。大量破壊兵器を隠し持っている。なんといってもクウェートを侵略した前科者だ。前科者とテロリストはお友達に違いない。大量破壊兵器がテロリストの手に渡ったら大変だ。大量破壊兵器が「ない」という証明がされなかった以上「ある」に決まっているという理屈。大量破壊兵器の存在の明白な証拠を示すことができなくても「ある」に決まっているものは「ある」という論理。いつのまにか「大量破壊兵器」という名前の新しい兵器があり、それは隠されているだけなのだということになった。

 あるはずだから隠すなといっても素直に「はい」といわないのだから強制的に武装解除するしかない。イラクに「はい」といわせるために武力行使をするぞ。多くの人は「ずいぶん乱暴な理屈だ」と思った。「すべて証拠のない憶測だ。憶測が正しいかどうか調べるべきだ」との声が多かった。しかし「オレがぶん殴ると決めたのだ」と酒癖の悪い酔っぱらいのように繰り言をするうちに、これにへつらう者さえ出てきた。それでも「ぶん殴って大量破壊兵器とやらを捨てさせるのならそれもいいか」と思ったら、「フセインはイラクから出て行け」と言い始めた。まるで「大量破壊兵器」の廃棄の話はなかったかのようだ。フセインがイラクから出て行きさえしたら、あったはずの「大量破壊兵器」は泡のように消えてなくなるのだろうか。それにしても安保理決議無視と大量破壊兵器の隠匿と他民族の土地の強奪ならば、フセインよりはるかに狡猾にそれを実行しているイスラエルのことは目に入らないのかしらね。

 手品師は舞台の上で何もないところからステッキを出し、ステッキは空中でハンカチに変わり、ハンカチは花束に変わり、おお、最後は「鳩が出ましたよ」。観客は次から次と現れるものに目を奪われて、驚きの声を上げ拍手する。手品師はそのつど、新しく出てくるものに観客の注意を集中させる。「消え去るべきもの」を隠す作業や「次に現すもの」の準備作業から観客の視線をそらし、「結果」に集中させ注意を奪うこと、これを「ミス・ディレクション」という。手品を成立させる重要なテクニックだ。

 手品を楽しむだけなら素朴な観客でいればよい。しかし、現実の世界でミス・ディレクションに引きずり回されるのはただの愚か者だ。(3/18/2003)

 米・英・西の三国首脳会談後の声明は何ともしまりのないものだった。新決議をどのように扱うか、そして武力行使プロセスをどのように展開するかに関する宣言が予想されながら見送られた。かわりに発表されたのは「17日にイラク問題について外交的解決が可能かどうかを判断する」という最初から決まっていたはずでしょと言いたくなるていのものだった。

 会談の中身はおそらくこんなものだったのだろう。まず新決議が9カ国支持を得られないことが確認された。そしてアメリカはそれでもやるのだという意思表示をした。しかし決議案なしの武力行使を正当化する論理は声明に盛り込むことはできなかった。そして「やりたい奴」が「言うしかない」ということになった。ただしそれは三国の会談の結果として声明するのではなく、「17日に外交的解決の可否について判断した国」、すなわちアメリカ自身が「言う」ことにした、と、そういうことだ。

 イギリスは既に軍を中東に派遣しているのだから、たぶん武力行使に加わることになるのだろう。しかしスペインは単なる「支持」にとどまるらしい。とするとスペインと同じ立場にあるブルガリアの首脳が招かれなかった理由はどこにあるのだろうか。ニュース映像に映る記者会見場に飾られたアメリカ・イギリス・スペイン、そしてアゾレス諸島を領有しているという理由で陪席したらしいポルトガルの旗を見ながら、そんな疑問を持った。

 たったいまアメリカが安保理に提出していた「新決議案」を取り下げたというニュースが入ってきた。アメリカはどうやら外交的な舞台では「敗北」を認めたようだ。理性の領域で敗北したとき一般的に人間には二通りの選択肢がある。率直に敗北を認め沈思黙考するか、負けてはいないとわめき散らして暴力に訴えるかだ。さてブッシュはどちらをとるか?(3/17/2003)

 日本時間の明日未明、ブッシュ、ブレア、アスナールがアゾレス諸島にある米軍基地で会談をする由。先週三国が共同提案した新決議はどうやらミドルシックスのすべてにふられてしまったらしい。このまま採決を求めても賛成がたった4カ国では逆効果とみてアメリカは提案を取り下げる意向とか。問題はイギリスとスペイン。それぞれに国内の反対が強く安保理の決議なしというわけにはとてもいかない。そこで従来の決議のみで武力行使が可能という理屈をでっち上げ、そのための口裏合わせをするのが会談の隠された主要テーマというところなのだろう。

 一方、「雰囲気で決める」我が政府は早くもその「空気」を読んでか昨日あたりから「いままでの三決議で武力行使は認められている」という「新見解」を流しはじめた。三決議は時間順に並べると
 @ (湾岸戦争における)武力行使容認決議:第678号 1990年11月
 A 湾岸戦争停戦決議:第687号 1991年4月
 B イラク武装解除に最後の機会を与えた決議:第1441号 昨年11月
となる。つまりクウェートへの違法な侵略に対する武力攻撃を認めたものが@。この終了に際してイラクに突きつけた決議がAで、この中にイラクに連行されたクウェート人の帰還などとあわせて大量破壊兵器の廃棄が停戦の条件として義務づけられた。(イラクでの査察を取り仕切るUNSCOMはこの決議により設立されている)。Bは「(大量破壊兵器廃棄に関する査察協力)義務の違反を続ければイラクは深刻な結果に直面する」としているが、これを自動的な武力行使の根拠とするのには少しばかり無理があるというのが専門家の見解らしい。アメリカもイギリスもいったんはそのように判断したからこそ、「新決議」を提案しその可決をねらったのだろう。

 湾岸戦争以降、アメリカは常にフセイン政権の転覆をねらってきた。先日放映されたNHK特集「イラクとアメリカ」ではUNSCOM査察官スコット・リッターがそれに関して生々しい証言をしていた。「査察官であるわたしの仕事はイラクの武装解除であるのに(イラク国防省査察で衝突を起こし)アメリカの武力行使の口実を作れと指示された」と。つまりアメリカは大量破壊兵器の廃棄にもイラクの武装解除にも関心はない。それを口実にフセイン政権を打倒し、石油利権の配分に関してアメリカを厚遇する傀儡政権を建てることにのみ関心があるのだ。それはあきらかに第1441号決議の範囲外のことだ。(3/16/2003)

 週間ニュース・サマリーで拉致被害者家族の会の蓮池透が「外務省とは絶対に信頼関係を結べない。外務省は敵だ」といっているのを見た。さほど時間をおかずにこのようになるだろうと思っていたが果たしてその通りになった。

 蓮池透は訪米中のお気に入りのフレーズ「拉致はテロ」に外務省が賛同しなかったのが気に入らなかったのかもしれないが、家族の会の本来の目的はあくまで拉致被害者とその家族の消息を明らかにしたうえで存命ならばその帰還を促進することにあるはずで、単なる「言葉遊び」に入れ込むことはまったく無意味なことだ。

 5人の帰国という現状で満足しこれ以上の被害者救済は望まないというのなら、拉致を国際テロ犯罪として糾弾し、食糧支援を拒絶し、経済制裁、軍事制裁を主張して積年の恨みを晴らすのもいいかもしれない。しかしまだ確定しない拉致犯罪の真相を明らかにし、被害者本人やその家族の救済につなげようというのなら、相手が悪人とわかっていても交渉し取り引きするのはやむを得ないことだ。自分たちは行かない、交渉はするな、強硬策一本でゆけ。そうすれば北が自ら膝を屈して「私どもが悪うございました。拉致した皆さんとそのご家族は全員お返しします」と謝ってくると考えていたらまことにおめでたい話だ。現実はそのようには進行しない。食糧事情が悪くなればまず拉致被害者家族から配給が滞り、経済制裁が発動されれば一番最初に彼らがその影響を受け、軍事制裁となれば北朝鮮の一般民衆と共に戦火の中を逃げまどうことになる。それが蓋然性の高い現実というものだ。家族の会は5人の「一時帰国」の時からそうだったが感情に走りすぎて大局を見誤っている。というよりは何か肝心なところで大きな心得違いをしているといった方がいい。

 横田夫妻の訪朝の意思を押しつぶした事実をあげて、先週、田中康夫は家族の会を「全会一致でなくてはならないというのはまるでマスゲームが得意などこかの国のようだ」といったそうだ。まったくその通り。家族の会はこの問題で飯を食ってゆこうとしているとおぼしき蓮池透のような人物の呪縛から早く自由になることが必要だ。(3/15/2003)

 イラク攻撃に対する政府のアメリカ支持を北朝鮮の脅威を考慮するとやむを得ないという人も多いようだ。つまりアメリカのイラク攻撃がどれほど理不尽な常軌を逸したものであろうとも、北朝鮮のミサイル攻撃の懸念を払拭するためにはアメリカの持つ「抑止力」に依存せざるを得ず、そのためにはアメリカの心証を害するようなことは一切すべきではないし、できないという考え方だ。これについて、一昨日の朝日朝刊に在日米軍司令官トーマス・ワスコー空軍中将へのインタヴュー記事が載っていた。

 日本国内に、米国が対イラク攻撃に踏み切った場合、支持や支援をしないと、北朝鮮危機が起きたときに守ってもらえないという見方が出ていることについては、あくまで別問題と考えていることを明らかにしたうえで、「米国が日本(の防衛)に対して責任を持つというのは、すでに確立されたことであって、この(日本周辺)地域の安全保障にとって絶対的な基盤だと見ている」と説明した。

 当然の模範回答に過ぎないともいえる。しかし模範回答がそのままの行動とならない不安が残る。それは気に入らないときには約束を履行しない不誠実な政権なのではないかと思わせるところがユニラテラリズムに凝り固まったブッシュ政権にあるからに他ならない。

 しかしそれにしても・・・。揚陸能力を持たない北朝鮮の何を恐れなければならないのか。その恐れに対する有効な対処方法はなんなのか。我が国の軍事費は米国防省の資料によれば2001年の場合、世界第4位である。つまりダントツのアメリカ(2,814億ドル)、ロシア(439億ドル)、フランス(400億ドル)に続いて日本(385億ドル)。すぐ下の第5位にイギリス(370億ドル)がいる。軍事費の比較は換算レート・集計対象費目などにいろいろな意味での「紛れ」が入るため難しいことくらいは素人でもわかるが、核保有国に肩を並べるほどのカネをつぎ込んでなお自衛隊が「抑止効果」すら果たせないという「構造」には見直しが必要なのではないか。(3/14/2003)

 小泉首相がイラク問題をテーマとして各党党首と個別会談を行った。会談後の記者インタヴューで一番痛烈に批判したのは小沢一郎だった。アメリカが国連決議を得ないままに開戦したらどうするのかという問いに小泉は「その場の雰囲気で決める」と答えたというのだ。「恐るべき答えだった。戦争を雰囲気で決めるっちゅうんだから」といい、続けて「貴重な人生の時間を無駄にしてしまった。ばかげた会談だった」と吐き捨てた。一言居士、コイズミの面目躍如。(そういえば、前々任のオブチは「空気宰相」と呼ばれていたっけ)

 久しぶりに見たニュースステーションでブレア首相がテレビ討論で幾人かの女性に対して熱弁をふるっている場面を見た。眼鏡をかけた老婆が「戦争になったら罪のない人が何人も死ぬのよ。あなたはそれもやむを得ないというの」というようなありがちな感情論をのべていた。コイズミやフクダなら彼らが得意とするヒトを小馬鹿にしたような表情を浮かべたと思われる場面で、ブレアはしっかりと視線を受け止めて「正しいと信じるからやっている」と答えた。しかし放送時間が切れて司会者が謝辞をのべたその瞬間、恐ろしい反応が会場から起きた。パチパチという拍手ではない、パチと一回打ち、そしてゆっくりと間隔をはかるようにしてから、パチとまた打つ、明らかなブーイングなのだ。彼の国の自覚的な市民の意志の強さあるいは底意地の悪さといってもいいかもしれないが、そういうものを見たような気がした。

 自ら呼びかけた党首会談においてさえ「考え」を語れない首相、テレビ番組で額に汗を浮かべながらも無名の人々に対する説明責任を果たそうとしている首相、彼我の違いは印象的だ。

 夜のニュースからもうひとつ。911の「聖地」ニューヨーク市議会でも反戦決議が可決された。賛成31、反対17。これで全米の地方議会のイラク戦反対決議は141になった由。(3/13/2003)

 アメリカとイギリスの間がぎくしゃくしている。ラムズフェルド国防長官が記者会見の席で「イギリスが武力行使に参加できるのなら無論歓迎する。参加できなくても代替案は用意しておりその場合イギリスは戦線には加わらない」とぶちあげた。要は「もたもたするならイギリス抜きでもやる」ということ。イギリス政府から抗議を受けてあわてて陳弁したようだが、すべての面で未成熟かつ粗野極まりないブッシュ政権の外交センスに世界中は思わず苦笑したことだろう。(一、二週間ほど前にスペインのアスナール首相が「ラムズフェルドを黙らせろ」と語ったというニュースが流れた。どうやらドラキュラ面の国防長官は同盟国からも顰蹙を買うコマッタチャンらしい)

 イギリス、ブレア首相にとって安保理の武力行使決議が出ることが最良、それが適わないとしても9カ国の賛成があったにもかかわらずフランスやロシアの拒否権にあって否決されたぐらいの形は喉から手が出るほど欲しいのだ。それはひとつには圧倒的に戦争反対に傾いているイギリス国内向けのエクスキューズということでもあろうが、もう少し別の意味合いもあるのではないか。それは国際刑事裁判所(ICC)の存在だ。昨年11月8日の1441号という安保理決議のみを根拠にする限りは、どのように拡大解釈しても大量破壊兵器の廃棄という目的を越えて武力を行使すること、たとえばフセイン政権を打倒することはICCへの訴追の可能性が発生するからだ。(確かにこのことは「肉は切り取ってもいいが血は一滴も流すな」という「ポーシャの判決」に似ているが、逆に言えば1441号はその程度の決議であって、武力行使に関して詰めた内容を持っていないことの現われでもある)

 古くさくても成熟した国家というものはこれくらいの深慮と遠謀は持っているものだ。ついでに書いておくならば、ブッシュ政権がICCを拒否したからといってICCがめざす国際法秩序からフリーであると主張することはできない。それはニュルンベルク裁判と東京裁判においてアメリカを代表とする連合国がドイツ、日本を断罪したときの法理に照らせば明らかなことだ。まさか、ここでも「アメリカは別だ」などというわけではあるまい。(3/12/2003)

 開戦だ開戦だと騒ぎながら、なかなか始まらないイラク攻撃。去年の暮れには「年明けには開戦だ」といわれていた。気の早い評論家は「フセインを片づけて・・・」などと、なぜか知らぬが得意満面の表情で話していた。しかし1月が過ぎても戦争は始まらなかった。その頃は2月の半ばには攻撃が開始されると聞いた。だが3月になっても戦端は開かれなかった。そして先週、17日を期限としてイラクに最後通告をするという新決議案がアメリカ・イギリス・スペインにより提出され11日には採決されるはずだった。ところが採決は今週末以降に持ち越しとなり17日界隈の開戦も自動的に延びてしまった。「オオカミが来るぞ〜」と叫びながら少年は表通りを走ってゆく。「また、やってるよ」、町の人は肩をすくめて見せる。そんな童話があったっけ。

 ミドルシックスの中でパキスタンは「棄権」をすることに決したらしい。採決に必要な数は9(国連憲章第27条3の規程による)だ。賛成はアメリカ・イギリス・スペイン・ブルガリアの4カ国。9−4=5。つまり開戦決議が単純採決で可決ラインに達するためにはミドルシックスの残り5カ国すべてが賛成することが条件となる。パキスタンをもう一度呼び込む再度のガラガラポンでもない限りイラク攻撃を容認する新たな決議が通る見込は薄くなってきた。

 国連のお墨付きがなくてもやるとブッシュはいっている。「識者」と呼ばれる人々はこぞってどちらにしてもアメリカはイラク攻撃をすると「断言」している。知っている限りで「開戦しないかもしれない」といっているのは田中宇ぐらいのものだ昨日のメルマガで田中は開戦しない可能性を支えるふたつの根拠をあげた。ひとつはブッシュ・シニアが開戦に反対していること。こんな具合だ。「ブッシュの父親は、アメリカ東部ボストン郊外のタフツ大学で講演し『国際社会の協調なしにイラク侵攻したら、パレスチナ和平が完全に破壊されてしまう』『嫌悪感を乗り越え、フランスやドイツと仲良くすべきだ』などと語り『アメリカの単独侵攻に反対する人々の意見には道理がある』という趣旨のことまで述べたという」。

 もうひとつはアメリカの財政状況が極端に悪化していること。つまり「今や、アメリカ連邦政府の国債発行残高は6兆4000億ドルで、アメリカのGDPと同額である。この額は、すでに米議会が決めた国債発行上限に達してしまっており、今のアメリカはこれ以上国債を発行できない状態」で、かつ「国家予算も大赤字だ。今年の財政赤字は過去最大の4020億ドルになる予定で、これまで最高額だったパパブッシュ時代の1992年の2900億ドルを、いきなり1000億以上も上回っている。来年の予算も、すでに3040億ドルの赤字になる見込みで、しかもこれにはイラク戦争のコストが含まれていない」という。既にロサンゼルスをはじめに全米で約百前後の地方議会が反戦決議をしている。決議理由に財政状況を懸念するものが多いのはこうした事情を背景にしたものかもしれない。

 カネに転ぶと予想されたミドルシックスが簡単にアメリカ支持にまわらないのは、ひょっとすると、横っ面を張る札束が薄いためか、あるいはアフガニスタンやニューヨーク消防局のように約束されたカネを払ってもらえないという疑いを持っているからか。

 東証、終値7,862円43銭。83年1月以来の7,900円割れ。911のおかげで10,000円割れショックも和らいだことがあった。イラクショックと思えば、8,000円割れも理屈が立つ、よかった、よかった、無能宰相コイズミ&無能経済担当相タケナカ平気の平蔵。(3/11/2003)

 宇野功芳の「クラシック音楽の衰退を憂う」という一文を夕刊で読んだ。レコ芸に親しんでいた頃、必ずしも演奏の嗜好が一致していないにもかかわらず一番信頼して読んだのが宇野功芳だった。オーディオがちょっとしたブームで、レコ芸にさえ評者のリスニングルームを訪ねるという企画があった。クラシックへの道案内をしてくれた幾人かの評者の再生環境はさすがというか当然というかそれなりに世評の高い機材といかにも居心地の良さそうな部屋だった。宇野功芳だけが違っていた。アンプもスピーカーも部屋も拍子抜けするくらいに「クラシカル」だった。インタヴュー記事の内容はきれいに忘れた。だが彼の部屋の写真を見た刹那、「耳で聴いた音がどのように心で鳴るか、その先のレコードの楽しみ方はいろいろあっても、基本はそこにしかない」と了解した。彼はレコード盤の向こうまでを見通して演奏を評している。以来、宇野功芳の評論はいつも正面から受け止め、疑ったことはいままで一度もない。

 宇野は、怒り、危ぶんでいる。「我々批評家の仕事はマスコミの潮流に乗ることではなく、それに逆らってでも自分が本物と信じる芸術を世に伝えることである。・・・クナッパーツブッシュの時も、シューリヒトの時もそして朝比奈隆の時も、僕はそうしてきた」。しかし、誰がいるのだろう。ラトル、ゲルギエフ、ミッコ・フランクという名前があがっている。しばらくレコードを買っていない。宇野が言うのなら聴いてみようか。(3/10/2003)

 拉致被害者家族の会の御一行が帰国したらしい。議員のほかにアーミテージとも会見したというから、それなりの格好をつけることはできたようだ。もっとも夕方のTBS報道特集によると、外務省の斎木参事官は「アーミテージ国務副長官との面談は、日本がイラク問題でアメリカサイドに立った活動をしているご褒美なんです」とおっしゃっているようだから、所詮、お約束のセレモニーの域は出なかったと考えられる。

 なにより不思議なのは「拉致がテロだという認識が云々」などというアメリカにすり寄った「意見の一致」などよりもっと実質的なお願い、たとえば曽我ひとみの夫ジェンキンスが日本に来た場合の身柄の保証というようなアメリカが決定すれば、それだけで解決するような問題について何も話をしなかったという彼らの迂闊ぶりだ。世の中ではこの手のうっかり者は「子供の使い」と呼ぶ。

 もうひとつ。朝刊に載った週刊現代の広告には「蓮池透さん、衆院選、自民有力候補に」という見出し。「なんだ、そういう野心を持っていたのか。それなら、最初からそういえよ」とは陰の声。もっとも、家族の会で見せた彼のプレゼンスから見れば、政治的センスはゼロ、陣笠もかぶらぬ足軽代議士というところかな。(3/9/2003)

 東電のコマーシャルがよく流れる。「私たちの不祥事のために電力不足のご不便をお掛けしています。節電にご協力ください」というもの。どうも素直に受け取れないのはこちらがへそ曲がりだからかと思っていたが、西岡郁夫も「『原子力発電が止まるとこんなに不便なのですよ。分かりましたか』と皮肉を言っているようなコマーシャルだ」(日経SmallBiz「西岡郁夫の手紙」2/17)と書いているのを見て、意を強くした。

 一方、原子力保安院は傷があっても運転には差し支えないという基準を新たに作成し、運転許可を与える方向にあることが伝えられている。SUSの材質を改善したつもりがかえって不具合の発生頻度を高めているのはなぜかという本質問題に取り組む気はないようだ。重大な事故が発生するまでは彼らは平然とウソをウソで固めた説明で言い抜けるつもりらしい。

 そうまでして運転を強行しても、じつは国内の原発の多くは早ければ来年、遅くとも数年を経ずして運転を止めざるをえなくなるという記事が「日経エコロジー」4月号に載っている。理由は簡単。使用済み核燃料の貯蔵プールが足りなくなるからなのだ。原発は「便所のない高級マンション」といわれてきた。これまでは汚物を施設内に隠していたのだが、もう隠し場所が逼迫し悪臭を天下に晒す直前まできているということ。原子力関係者が名うての詐欺師どもだとしても溢れかえった糞便をないと言い張ることは難しかろう。それとも窮余の一策、自ら喰らって体内に隠してみせるか、呵々。(3/7/2003)

 いわゆる「ロス疑惑」に関する最高裁判決が出た。高裁の無罪判決を支持し検察側の上告を棄却。これで三浦和義は「殴打事件」(元女優・矢沢美智子が三浦の依頼により妻・一美を襲った殺人未遂事件)では有罪、「銃撃事件」では無罪となった。

 ここに引っ越してきた84年の1月。「疑惑の銃弾」という文春の記事はセンセーショナルなものだった。それまで週刊誌を自腹で買ったことはなかったし、あれ以降もない。だがあの数週間は文春を「買って」読んだ。「美談」から「犯罪」への転換はそれほど印象的だった。なによりテレビに映る三浦の鼻につくような嘘くささが「アヤシイ」と思わせもした。

 それからあとの騒ぎはいまも繰り返されるワイドショーと週刊誌の二人三脚的な空騒ぎだった。どちらかがちょっとしたネタを仕入れると、一方はそのネタを受け化粧直しをして「どうだ」と返す。このキャッチボールの中で両者はどんどん興奮の度を高め、行き着くところまで行き着いてしまうのだ。あのときもほどなくしてサンケイ新聞が「ポルノ女優の告白」なるものを報じる頃には、三浦の嘘くささとワイドショー・週刊誌の嘘くささが同じレベルに達して目が覚めた。

 「三浦和義事件」という本がある。島田荘司が一審判決の後、二審の無罪判決が出る前年の97年11月に出した本だ。三部構成のこの本には長い「後記」がついている。この後記の中で島田は「ロス疑惑」を「幻想」と断じ、こんな風に書いている。

 三浦事件に対し示された日本人一般の反応は、こういう言葉で要約される。

 一犬影に吠えれば、百犬声に吠ゆ

 週刊文春は少なくとも犯罪の影を認めて吠えたが、後続の者たちは、ただバスに乗り遅れじと吠え、もっと後の者は、耳を聾するほどになった周囲の大合唱にただ気を失い、憂さ晴らしの私刑が始まってるらしいという判断によって、理由も解らず吠えたてた。

 王符の言葉はまさに「疑惑の銃弾」に始まる「ロス疑惑」騒動の本質を言い当てている。「殴打事件」は有罪で確定した。「銃撃事件」はまったく同一の証拠・証人によって一審で有罪、二審で無罪、最終審で無罪となった。この国の社会と司法制度の現状はこのレベルにあると記録しておく。本来は「両事件」とも週刊誌の読み物ベースにとどまるか、警察の捜査があったとしても単なる確認にとどまるべきものだったと考えるから。(3/5/2003)

 朝の電車に遅れ。そういえば先週のきょうも霧の影響とかで遅れていた。総武線で事故があって中央線まで影響を受けたという説明。とにかく中央線の遅れは日常茶飯のこと。旧国鉄は巨額の赤字と官僚的応対ですこぶる評判が悪かったが、国鉄マンには時刻表通り運転するという一点に関して素晴らしいプロ意識があったように思う。

 訃報を聞いて本棚から取り出した宮脇俊三の「時刻表昭和史」には「当時の腕時計は今日とは比較にならぬほど精度が悪く、それとは逆に汽車の時刻は正確無比だった」とあった。クオーツや電波時計の行き渡った現在の方がダイヤがいいかげんというのは皮肉な話だが、金儲けに直結しないものに至って冷淡なのはいまのJRの特徴だ。中央線の駅員など10分や20分のダイヤの乱れなど当たり前のことで何とも思っていない。国鉄マンのプライドなどはとうの昔にどこかに消え去ってしまった。

 松本清張の「点と線」では時刻表を病床の無聊の慰めとする犯人の妻が犯行計画を立てていた。しかし現在のJRの実情を知るならば、「ああ、いま普通列車が八王子を出るところだわ」と時刻表を見ながらあれこれ想像する次から「でも、中央線のことだから、八王子に着いたかどうかも怪しいもんだわ」と思い直し、計画が熟成することはなかったかもしれない。そうそう、鮎川哲也のいくつかの小説も国鉄の信頼性があってはじめて成り立ったわけで、犯人たちがいくら精緻なアリバイ計画を立てても遅れて当たり前のJR相手ではとても実行には及ぶ勇気は持てなかったかもしれぬ。それにしては西村京太郎は元気だなぁ、最初から作り物と思っているからだろうか・・・。満杯の西国分寺のホームで、強い寒風にさらされつつ、そんなことを考えてなかなか来ない電車を待っていた。(3/4/2003)

 夕刊の「思潮21」に入江昭が「テロとの対決というのはアメリカにとって開拓時代からの問題だった」という趣旨の指摘を書いている。入江は冒頭に98年アメリカがケニアとタンザニアにおける大使館襲撃事件への報復としてアフガニスタンとスーダンにあるいくつかの施設を攻撃した例をあげて、現在のアメリカの単独行動主義がブッシュ政権固有のものではないと説き起こし、「(9・11事件以前から)アメリカ社会に対する襲撃、特に一般のアメリカ人にとってえたいの知れない人間集団による奇襲に対しては、断固として自衛の手段を講ずるべきであり、ほかの国と相談する暇などはない、という姿勢は、米国史上、しばしば見られてきた現象なのである」と書く。その例として、入江は、アメリカ開拓民とネイティブアメリカン(彼は単に「インディアン」と書いているが)との間の「文明対未開」の「衝突」をあげている。そして今日テロと対峙しているのはアメリカだけではなく国際社会であると主張することにより、「グローバル化の一面でもあるテロに対し、主権国家米国が対応する、というのは根本的に非現実的だ、ということになる。国際社会のすべての要員が参加してこそ、効果的な対応ができるであろう。そのような努力をしないで、テロ対策を米国だけにまかせたり、あるいは米国の単独行為を非難したりするだけでは、なんら問題の解決にはならないのである」と結んでいる。

 まことにお説の通りではある。しかし、ではなぜアメリカがテロの標的になるのか、別な言い方をすれば、なぜ国際社会の他のメンバーはテロに対して鈍感なのだろうか。

 アメリカの人口は全世界の5%にも満たないが、石油消費は全世界の40%、石炭消費は23%、天然ガス消費は23%(98年の統計)を占めている。最近立ち読みした本には全世界の人々がアメリカ式の生活をはじめたら、資源確保やら汚染処理のために地球があと三つ必要になるとあった。こんなことはアメリカ人が地球規模で恒常的に世界の残り95%の人々が本来手にしていてもおかしくない冨を盗み続けていなくては成立しない話だ。アメリカがテロの標的になる理由はどういう論議をしようとも最終的にはアメリカという国のこの「身勝手さ」に行き着くことは間違いない。「America's first」だと主張して世界中から冨と資源を吸い上げるのなら、そのことに対する反発・抗議・報復といったもろもろの負の果実も「America's first」で引き受けなくてはならない。当たり前の話だ。その当たり前さがまるで分かっていないアメリカという国に世界の他のメンバーが冷淡であることは少しも不思議なことではない。

 グローバル化の果実をどのようにシェアするかの計画なくして入江の話は成立しない。(3/3/2003)

 トルコ国会がイラク攻撃のためのアメリカ軍の基地利用と領内通過の受け入れを否決というニュース(内容:賛成264、反対250、棄権19。憲法の規定により出席議員過半数に満たず否決)。60億ドルの無償供与を含む総額300億ドルもの「買収」を約し、イラクを南北から挟撃する腹づもりだったブッシュ政権には痛手だろう。あまり大きく伝えられてはいないがアメリカは既にオーストリア・スイス両国からも軍の通過についても拒否を通告され、ドイツに配備されている部隊の移動に大きな制約を受けている。アメリカ国民はもうそろそろ政権の愚かさの故に自分たちがどれほど世界の嫌われ者になっているかに気付いてもいい頃だ。

 つい今し方のニュースではアメリカ国家安全保障局は安保理理事国関係者に対する電話盗聴と電子メール傍受を行い、特にミドルシックス(パキスタン、アンゴラ、カメルーン、チリ、ブルガリア、ギニア)については盗聴、傍受の強化を図るよう保障局の幹部から命令が出ているという。ソースはイギリスのオブザーバー紙。他国外交機関の通信の秘密保証は名目的なもので、スパイ行為は暗黙の了解事項というのが伝統的なイギリスの考え方のはず。その国の代表紙がこのニュースをゴシップ欄ではなく一面トップ記事としたことが興味深い。これが意味するものはいったいなんだろう。(3/2/2003)

注)立場が明確でないミドルシックスの内訳は、パキスタン、アンゴラ、カメルーン、チリ、メキシコ、ギニアの六カ国。ブルガリアはアメリカ支持を明確にしています。
ただ、オブザーバー紙がすっぱ抜いた国家安全保障局幹部の指示メールでは、メキシコの名前はなく、ブルガリアの名前があがっています。このメールの発信日は1月31日なので、当時、アメリカがどのように考えていたかがうかがえます。(同紙掲載のEメール原文はここで読めます

 京都の国立療養所でアジ化ナトリウム混入の事件があったのは98年10月のこと。犯人として逮捕、起訴された内科医長に対する一審判決があり「無罪」。朝日夕刊を読む限りさして興味は引かないが、日経夕刊には驚くようなことが載っている。

 無罪判決の決め手になったのは、捜査段階で作られた同被告の自白調書を「捜査員に強要されたもので違法」として証拠採用しなかった2001年11月の決定だ。
 この中で京都地裁は、取り調べの警察官が「ポン中(覚醒剤中毒)極道のすごいやつがいる。おまえのとこには小学生の子供がおるわな」などと脅迫したと認定した。検察官の取り調べについても、否認のままだと実刑になることを示唆するなど、捜査側の問題点が指摘されている。

 警察官に「ヤーさんを家族にけしかけるぞ」などと脅されたら、たいがいの人は迎合的にならざるを得ないだろう。松本サリン事件捜査などをみると怪しいとにらんだら自白をとるために手段を選ばないというのがこの国の警察の手口らしい。

 被告の犯行の可能性は残るとしながらも推定無罪の原則を貫いた判決は当然といえるが、おそらく週刊新潮に代表されるイエロー・ジャーナリズムは「じゃあ犯人は誰なのだ」と騒ぎ立てるかもしれない。たまには拙劣な見込捜査によって犯人を取り逃がした間抜けな捜査官の実名と勤務ぶりでもレポートしてくれればいいのだが、弱いものをいじめることは得意だが、強いものまたは強いものの手先を批判することなど思いもよらないというのが彼らの特性なのだ。イエロー・ジャーナリズムというよりは、イヌコロ・ジャーナリズムとでも呼ぶべきか。(2/28/2003)

 拉致被害者家族の会のメンバーが訪米するというニュースを聞いてふと疑問に思った。韓国には北朝鮮による拉致被害家族が多数いる。家族の会のメンバーは韓国の被害家族たちと話し合ったことがあるのだろうか、と。

 まず比較的近くに住み、なおかつ同じ境遇にある人々と語らい、共に行動するかどうかなどの意見交換もせずに、遠くに住み、遠くに住むが故に関心の低い人々の住む国に行って、彼らは、いったい何を訴え、どのような成果を求めようとしているのだろう。

 今回の訪米には政府関係者も同行するという。まさか彼らの訪米費用は公費負担で、どうせ自分の懐が痛まないのなら、近くて冴えない韓国よりは遠くて華やかなアメリカに行きたいんだもんなどということはないと思うが、どうなんだろう?(2/27/2003)

 昨日韓国の盧武鉉新大統領の就任式。同時に北朝鮮が対艦ミサイルを発射したニュース。昨日の夜のニュースの扱いはミサイルに集中していた。同じ昼のNHKのラジオ・ニュースですでに「周辺諸国には事前に通告」ということが伝えられていたにも関わらず上を下への大騒ぎという感じが可笑しかった。

 「事前通告」というのは、射撃訓練などを実施する場合、事前に関係国の海事関係機関に海域・日時などを連絡し危険などを知らせることをさしているらしい。(海事関係機関とは我が国の場合、海上保安庁のことだろう)

 一昨日の「風見鶏」のコラムのすぐ下に、来日中のパウエル国務長官と山埼幹事長の会談で「ノドン」についての意見交換があったことが報ぜられていたが、一部マスコミは対艦ミサイルも弾道ミサイルも区別がつかないのかもしれぬ。政府部内には対艦ミサイルの試射程度で大騒ぎしていては北に嗤われるという声もある由。たとえばサンケイ新聞のけさの社説には「北のミサイル」の見出し、煽られているサンケイ読者などはさしずめこれに相当するのかも。

 北のミサイルと核開発は確かに気になることではある。しかしそれほどの心配事なら、なぜ拉致被害家族の会のような素人集団のいうがままに北との交渉の窓を自ら閉めてしまったのか。二の矢の準備もせずに事務方の労苦を水泡に帰して当然のような主張を繰り返したのか。5人の帰国者の子供たちの話はいささかでも進んだか、ミサイル実験と核開発に関する北の真意をサウンドするパイプは少しでも太くなったか。答えはノーだ。何も進んではいないどころか、せっかく作ったパイプはつぶれてしまったままだ。すべては見通しも二の矢の備えもなしに、「強硬」に一点張りをした声が大きいだけのバカ者と感情にまかせた主張を繰り返している一部マスコミが招いた事態だ。(2/26/2003)

参考:北の対艦ミサイルに関わる話(ここの2/25・26・28あたりの記事)

 朝、越谷と船橋の間が濃霧とかで武蔵野線に遅れ。新秋津はすごい混雑だった。満杯の電車が入るがホームも満杯、乗り降りは手間取る。列が中程まで進んだところで、駅員のアナウンス、「次の電車は現在東所沢に到着しました」。心なし空気が緩み、少なからぬ人が扉から離れ、一本目は出て行った。ところが二本目がなかなか来ない。再びアナウンス、「次の電車は現在新座を出ました」。どうやら先ほどのアナウンスはスムーズに発車させるための方便だったようだ。機転の利く駅員がいるらしい。

 二本目を待つ間、左隣にベージュのコートを着た美人。目の端にとらえただけで本当に美人かどうかは分からない。ただ漂わせるものが美人の空気という人。無理をすれば乗れるかどうか。入り口でもみ合いながら、ふと、あの人は次を待つのかなどと考えた。諦めてよけたところを件の美人が埋め、彼女は首尾良く乗り込みドアはばたんと閉まった。こちら向きになった顔は予想違わずなかなかの美人だった。所詮、わが人生は美人に縁がない。(2/25/2003)

 腰痛で休暇をとる。高速の常時接続環境となるとメーラは常駐。ぼんぼんと仕事の関係のメールが入る。仕方がないのでサーバーからリストを落としたりして、午前中はけっこう仕事をしてしまった。こういう勤務形態を認めてくれれば、65歳まで働くのも苦痛ではないかもしれない。

 日経の「風見鶏」欄、田勢康弘が書いている。「ブッシュの戦争」に対して日本はどのような姿勢で臨むべきか、論旨の展開に異論はある(そもそもイラク攻撃の論拠が薄弱であることこそが問題なのであって、国際世論が反戦であるかどうかは本質論ではない)が至極まっとうな話。その中の一節。

 国連の場で示したイラクが大量破壊兵器を隠しているという"証拠"も国際社会にはさほど説得力がなかった。にもかかわらず、わが国はなし崩しで「支持」なのか。それしかない、という人はこういうことを指摘する。「空母五隻、兵力二十万も派遣しておいて、何もしませんでしたではすまない」「北朝鮮問題を抱える日本としては、いま支持を打ち出さないといざというとき、助けてもらえない」
 逆に言えば、この程度の理由で戦争したり、それを支持したりするのかという疑問がわいてくる。

 読みながらふとこのカギ括弧内の言葉は伊奈(久喜)あたりが言いそうなことだと思って嗤った。日経は今月いっぱいで購読をやめるから、もうバカ伊奈の駄文を読むこともない。あの程度の「推論能力」と「識見」でこの世の中でやっていけるのだという事実にはずいぶん勇気づけられたものだった。もっともそんなことはちょっとした驚きではあっても、慣れてしまえばあとはウザイだけのことだったが。(2/24/2003)

 日経朝刊に「イラク産原油、米が輸入倍増−ベネズエラの供給減り」の見出し。ソースはワシントン・ポスト。同紙が入手した国連非公開情報によると、「昨年1〜11月に米石油各社は日量50万バレル程度のイラク産原油を輸入していた」が、ベネズエラのゼネストの影響で「12月5日以降の輸入量は日量110万バレルに膨らんだ」とのこと。「これは現在、イラクが国連の監視下で輸出している原油量の62%に相当する」とも。記事は「ベネズエラの石油生産が完全に回復するには数ヶ月かかる見通しで、それまでに米国がイラクとの戦争に踏み切ると、石油供給で自らの首を絞める恐れも出てきた」と結んでいる。

 朝日朝刊には「反戦決議ロス市議会も」という記事。どういうわけかあまり報道されなかったがアメリカのいくつかの地方議会では「イラク攻撃反対決議」が議決され、一、二週間前のことになるがそれらの議会の代表者がホワイトハウスに議決内容を伝える陳情を行ってもいる。ただ、多くの都市の反対決議の理由は地方への補助金の減額を憂えているもので、けっして理のない戦争を非難するものではないようだけれど。

 いずれにしてもブッシュの足下もぐらぐらの状況、ただただオレは強いんだという一事で自らを鼓舞しているさまは猿山のボスに似ていて、みかたによっては哀れだ。(2/23/2003)

 ブロードキャスターに岡本行夫が出ていてイラク状勢について話していた。印象に残ったのは次の二点。岡本は「イラク攻撃の動機は石油利権によるものなどという人もいるが、主たるものはやはり911がアメリカに与えた衝撃なのだ」と言う。そして、「戦争は避けられず戦争がどのような形で終わってもアメリカとそれ以外の国との溝は深まるだろう」とも言った。

 911がイラク攻撃の主因だという話が正しいとすれば、アメリカはトラウマのために戦争をしようとしており、アメリカを支持している国々は精神病者の主張に付き従っていることになる。つまり、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの関係。

 興味深かったのはアメリカと世界の溝が深まることを説明するなかでイラクの大量破壊兵器の所持について語った部分だった。岡本ははじめかなり確信ありげに「イラクには大量破壊兵器がある」といいながら、続けて「戦争終結後に大量破壊兵器が出てこなかった場合」についても語った。この瞬間、「そうか、我が国は大量破壊兵器の存在について確実なことはなにも聞いていないのだな」と知った。内閣参与である岡本が、自信たっぷりに「ある」と言いながら、「ない」方にもチップを置かなければならなかったということは、日本政府には大量破壊兵器の存在に関して確実なことは何も知らされていないということを意味している。

 サンチョ・パンサの国に乾杯。しかしサンチョはまだしも幸せであったと思う。ドン・キホーテは二心を持つ男ではなかったから。(2/22/2003)

 休暇を取ってNTTの工事を待つ。午前中の約束が工事屋が来たのは11時55分。電話線の配管を利用して光ファイバーケーブルを引き込むだけの工事なのだが、曲がりの大きい箇所があるらしく意外に手間取る。結局終了したのは1時過ぎ。

 測定サイトにつないで速度を測ってみる。推定最大スループット39.5Mbps。バイト換算で1秒で5メガバイト弱。「NTT Bフレッツニューファミリーとしてはかなり速いです!おめでとうございます」というコメントにニンマリ。片端からアップデートアイテムにチャレンジ。ピュンピュン丸。(2/20/2003)

 韓国大邱は最初に韓国出張をしたときに行ったところ。訪問した水道局長の名刺には大邱直轄市とあるから、政令指定都市に相当する大都市なのだろう。名刺DBには82年6月3日、もう20年も前のこと。当時はあまり高いビルはなく街路樹がきれいな落ち着いた市街、大都市という印象は持たなかった。その大邱の地下鉄で火災。死者は確実に100人を上回る模様。乗客の一人がガソリンのようなものを車内にまいて火をつけたらしい。

 もうひとつ。シカゴのナイトクラブで出口に客が殺到し21人が死亡とのニュース。原因は女性客同士のけんかを止めようと警備員が催涙ガスを噴射。この異臭に対して「毒ガステロだ」という声が上がり、パニックになった客が狭い出口に殺到したものとか。「テロ」に過剰反応する彼の国のいまを象徴する話。アメリカ人の多くは自分たちが国際社会の嫌われ者になりつつあることを知っている。だから個人個人がそれぞれにテロに遭うかもしれないと思い、政府は政府で勝手な思惑からテロがあるぞあるぞと煽り立てている。非寛容と不安と猜疑に充たされて過飽和になっている状態は枯れ草の山と同じ。マッチ一本でメラメラと燃え上がる。

 ビンラディンよ、もし、おまえが本当にアメリカにテロを企てているのなら、手の込んだことを計画する必要など何もない。ちょっと背後から囁けば、アメリカは勝手に転んでくれるさ。(2/18/2003)

 数週間前、ラムズフェルド国防長官は感情に任せて「フランスやドイツは古いヨーロッパだ」と発言して得意満面だった。14日の安保理事会、査察結果報告後の論議ではこの「古い国」がキーワードになった。朝日朝刊から引いておく。

 「国連というこの殿堂において、我々は理想と良心の守護者でありたい。我々の責任と名誉にかけて、平和的な武装解除を優先すべきだ」。ドビルパン外相は安保理での意見表明で、長い歴史の革命や戦火をくぐった自国を「戦争と占領と蛮行を体験した古い国」と断って、武力行使を急ぐ米国にクギを刺した。査察継続を訴えた後、「フランスは国際社会の全員と行動し、よい世界をつくることができると信じる」と結ぶと、議場後方の各国外交官らは異例の総立ちで拍手。外交解決を訴える仏独両国の背中には、広い世界の支持がついていることを物語った瞬間だった。
 矢面に立たされたパウエル長官は、机の原稿には目も落とさず、「地球の歴史上では比較的新興の国ではあるが、最も古い民主主義国の代表だ」と切り返して演説開始。ふだんの落ち着いた語り口ではなく、早口でイラクの決議違反を繰り返したが、拍手はなかった。
 脇役たちもそれぞれの役割を演じ分けた。欧州のなかにあって米国と行動をともにする英国のストロー外相。仏外相の「古い国」発言を受けて、「私は、(北フランスのノルマン人がイングランドを征服した)1066年にフランス人(ノルマンディー公)によって設立された古い国の代表」と切り出した。古くても「新しい米国」を支持する、との精いっぱいの抵抗に場内からは笑いも。
 歴史となれば、黙っていないのが中国。唐家セン外相は「中国は古代文明である。我々の祖先は平和こそが最善の選択肢と考えてきた」と和平論をぶった。仏・中とともに武力行使に慎重論を唱えるロシアのイワノフ外相は、こう発言を締めくくった。「きょうの会合がバレンタインデーに開かれたことは象徴的だ。この日は人々が婚約し、大きな希望をつなぐ日。私たちもあやかりたいものだ」
 結局この日、イラク査察を当面続けようという意見は、理事国15カ国中12カ国に。単独行動主義の米国が孤立感も漂わせた一日だった。

 知恵のない小僧っ子が軽くあしらわれる様が眼に見えるようだ。「兵は不祥の器」であるというのは人間の古くからの知恵なのだが、やたらに「兵」を用いて得意がるアメリカ、わけてもブッシュ一味にはなかなかこのことが分からないらしい。安保理の中継を見たり、伝え聞いたアメリカ国民のうち、かなりの人はひどく恥ずかしい思いをしたことだろう。

 そして、終末の土曜日オーストラリアのメルボルンから始まった反戦のデモはアメリカ・ロサンゼルスまで地球をスタジアムとした巨大なウェーブとなった。特にロンドンの参加者は200万人を超え、ブレア首相のフリーハンドはかなり制限を受けることが明らかになったと思う。(2/16/2003)

 昨夜7時のNHKニュースが気になっている。共和党の何とかいう外交委員が北朝鮮との不可侵条約の締結を考えてもいいと発言したという。日経、朝日、何れにも出ていない。分からない、ブッシュ政権なり、共和党の基本路線に従えば、せいぜいアーミテージが言った書簡などでの文書化ぐらいまでで、条約の締結などはあり得ない話のはず。腑に落ちない話。

 以下は、妄想に近い仮定の話。もし、北朝鮮は既に核爆弾を数個保有し、かなりの命中精度を持つ長距離ミサイルを保有しているとしたらどうか。現に、今週12日、CIAテネット長官は上院軍事委員会で北朝鮮は既にアメリカ西海岸に到達可能なミサイルを保有していると証言した。もちろん、到達可能ということと一定の精度で撃ち込む先をコントロール可能ということとのあいだには天と地ほどの差がある。北朝鮮がその能力を獲得しているとは信じ難い。しかし、個別技術の保有から完全配備までの間のどのあたりに到達しているのかは分からない。

 アメリカは「脅しには屈しない」とよく言うが、それはすべて軍事力の点で圧倒的に差のある国に対していっているだけで、核保有国に対してそういう「口のきき方」をしているわけではない。もし、北朝鮮が核を保有するだけでなく長距離ミサイルをもあわせもつか、あわせもっている可能性があるとなれば、乱暴な口のききかたは慎むのではないか。

 最近、マスコミに流布しているエピソード。ある日、金日成が金正日に問うた。「息子よ、アメリカが共和国に攻撃を仕掛けてきたらどうする」。息子はこう答えた。「徹底的に戦います」。「アメリカは強いぞ、ミサイルもあれば、核もある」。「敵に屈するくらいならこの世界をなくしてしまいましょう」。これが金正日の答えだったというのだ。これはまことしやかなウソに違いない。しかし、もし金正日がそういう人間だったとしたら、核抑止論などという詭弁しか知らぬ者にはどう対応していいか分からないことだろう。核を保有するネクロフィリアなど想像したくもないが、そういうモンスターが生まれていないと言い切ることは誰にもできない。そしてそのひとつの現れが件の共和党外交委員の発言ととるのは考えすぎか。(2/15/2003)

 「いまの時点で支持するとかしないとか言わないことが我が国の国益だ」、川口外相の言葉。それがこの国の出世の条件かもしれぬが、個人の出世のコツと国益の確保は同じではなかろう。同じ日、小泉首相は「有事法制の一刻も早い成立を」と言っている。他国のケツばかり追いかけている主体性を欠如した国になんで戦争のための有事法制が必要なものか。

 見ているテレビの画面が歪んでモノクロ画面に変わった。・・・(なつかしのテーマ曲)・・・こんにちは、高橋圭三でございます。事実は小説よりも奇なりと申しまして、世の中にはいろいろ貴重な体験をお持ちの方がおいでです。その秘密をあてていただく私の秘密、本日の回答者は渡辺紳一郎さん、山本嘉次郎さん、藤原アキさん、藤浦洸さんです。それではきょう最初の方のご登場です。陰の声「私は自殺サイトに応募した生き残りです」。・・・回答者ギブアップ。それではお二人目の方。陰の声「私は女子高生ホームレス、先日仲間のホームレスのおじさんを・・・」。・・・回答者またギブアップ。では本日最後の方。陰の声「私は名古屋刑務所の看守です。受刑者の肛門に消防用のホースで高圧放水し・・・」。・・・回答者またまたギブアップ。・・・(テーマ曲が強烈な雑音にマスクされ)・・・、では今週これくらいで、皆様、また来週まで、高橋圭三でございました・・・画面に白いフリッカーノイズがかかり、画面は再び色を取り戻し、いつものニュース番組に。

 さてさて、どれも、まあ、常識外の話だもの、あてられるわけがない。とんでもない世の中になったものだ。(2/14/2003)

 サミュエルソンの「経済学」の第一巻の冒頭に「合成の誤謬」という言葉があった。先週の富士通の「賃下げ提案」ニュースを聞いたとき、この言葉が浮かんだ。「ミクロな場面で個々が合理的な行動をとることがマクロな場面で不都合な結果となる」というくらいの意味だった。

 現下の経済情勢では個々の企業は経営体質を強化するために賃金水準を調整しなければならないことは誰にでも分かる。そして多くの企業が軒並み賃下げを実行すれば、おそらく一人一人の賃金生活者は支出を切りつめざるを得なくなるだろう。そのことは全消費者の消費の低減につながり、さらに個々の企業の売上は低下することになる。いまや「デフレスパイラル」の言葉で多く者が知ることになった負の連鎖に帰結するわけだ。「合成の誤謬」というのはこういう現象を語るときに使う言葉なのだろう。

 一人一人の賃金生活者を責めることができないように、個々の企業の経営者を責めることもできない。ミクロの場面ではみんなが「合理的な行動」をとっているのだが、みんなが「同一の行動」をとるがためにマクロ的に見ると「自殺行為」に走っている。

 問題はみんながいっせいに同一の行動を唯一の合理的な行動としてとることにあるのだから、マクロレベルでその対策を講じない限り下降は止まらない。しかし、マクロレベルのことを論議し方針を出すはずの経営者団体の会長が中小企業の経営者とかわらない「国際競争力の維持と雇用の確保のために賃下げが必要」などという「ご意見」を開陳し、マクロ経済をコントロールする力を持っているはずの政府の担当大臣に至っては「ETFは必ず儲かるから買うべきだ」などという証券会社の営業マンのようなミクロレベルの「発言」で終始しているのだから、レミングの行進は止められるはずもない。(2/13/2003)

 朝の7時のニュースでビンラディンがイラクに対して対米抗戦を呼びかける声明を出したと聞いたとき、思わず嗤ってしまった。そろそろそんなことがあるのではないかと予想していたから。

 じつはその報道の時点でアルジャジーラはまだその声明のビデオをオンエアしておらず、声明の内容はなぜかアルジャジーラと相前後して同様のテープを入手したブッシュ政権が「フセイン政権とアルカイダの結びつき」を示す証拠として伝えたものだと聞いて、重ねて嗤った。

 ビンラディンがアメリカと気脈を通じているのかどうかは客観的には分明ではない。しかし、ブッシュとその一味たちは、「テロの恐れ」という引き出しからならば、なんでも引っ張り出すことができると考えているようだ。(2/12/2003)

 都知事選の2ヵ月前になっても候補の名乗りがないということが話題になっている。先週、民主党の菅代表は「不戦敗はあり得ない」と発言したようだが、石原強しの形勢ではなかなか手をあげる者はいないらしい。なかでも奇怪なのは石原自身が再選を狙うのかどうか去就を明らかにしないことだ。マスコミがことあるごとに「国政復帰」などとはやしたてることもあって本人もウロウロしているのかもしれない。

 しかしこのことは明確にしておくべきだ。民主国家の看板を上げている世界中のほとんどの国では、「中国人には犯罪者のDNAがある」、「重大災害に際しては三国人の犯罪を防ぐことが重要」などいう発言をする者は公職につくことは許されない。なぜか。この手の発言を公の場ではもちろんのこと家族以外の者が同席する場で口にする人物は「人種差別主義者」とされ政治的な右翼とすら見なさないルールがあるからだ。つまり石原慎太郎は大多数の国では政治家として許容されるレンジの中には入っていない。本来なら都知事の座にいることそのものが世界に晒した日本の恥になっているのだということを。

 石原のDNA発言や三国人発言を演出と弁護する人もいる。しかし人種差別発言によってしか自分の演出ができない人物をリーダーとして待望する人はその人自身、貧弱な精神の持ち主だということになろう。(2/11/2003)

 朝日夕刊に「二つの『宮本武蔵』に見る『間』−寡黙の伝統から冗舌の時代へ−」というコラム。こんな具合の書き出し。

 対照的なんですよね。同じ原作の「武蔵」でありながら。
 ひとつはNHKの大河ドラマ。叫び、しゃべり、走り、誠に騒がしい。もう一つは、ラジオ日本や東海ラジオの夜の時間帯で、昨年秋から続いている、故徳川夢声による朗読の再放送だ。独特の間をとりながらの語りは、本当にゆったりと流れていく。
 ・・・(中略)・・・今、ラジオ日本で10秒間音がとぎれると、「放送事故」として大騒ぎになる。夢声の名調子は「実は、事故と間違われないかと当初は心配した」(同局)ほどの大きな「間」を持つ。

 夢声の「宮本武蔵」の記憶はもうかすかだ。それを聴いていたのは小学生の頃だったが、その間合いをじれったく思った記憶はない。むしろ、脳裏に鮮明に情景が浮かぶという点では、あの「読み聞かせ」は、違和感がなかったという点で、絶妙だったのではないかと思う。

 時間的にはそれより後のことになるが中学の頃聴いていた「素敵なあなた」という番組。スタンダードナンバーの「素敵なあなた(バイミービスタシェーン・・・)」で始まる番組。あの女性アナウンサーの「間」はとにかく長かった。しかしその「間」はなにか成熟した女性と一対一で会話しているような趣があって、ドキドキした。

 コラムは続けて書く。

 社会学者、加藤秀俊さんは、近著「暮らしの世相史」(中公新書)の中で、かつて日本人は、大変静かだったことに触れる。国立国語研究所が、49年から50年にかけて、山形県や福島県で調査した結果では、例えば商店主が一日で話した言葉の数は、現在のラジオの語りの量に直すと、10分足らずでしかない。しかも、「はい」など単なるあいづちが多く含まれる。
 加藤さん自身が55年に奈良県の村で住み込み調査した結果も同じ。家族が集まる夜でも、大人8人いて一人あたり一時間に8回しか発話せず、その大半が「はあ」のたぐいだったという。

 九州によく出張していた頃、福岡あたりではあまり感じないが熊本あたりになると人びとの話のテンポが極端にゆっくりとなるのを感じたことがあった。何か話をする、それに対するレスポンスが違う。「アレっ、聞こえなかったかな、もう一度言おうか」と思うくらいなって、やっと、「そうですね」という合いの手が返ってくる。意味のある答えが返るのはそれからまた少し間があってからなのだ。

 相手の言葉を身のうちに深く受け止めてから自らの言葉を紡ぐ。在りし日の日本人の寡黙さがそういうプロセスの結果であったのかどうかは判然としないが、刺激に対する反応というばかりの言葉の垂れ流し、いつでもどこでも携帯を頬に押し付けて絶え間なくしゃべり続け、沈黙も間合いも持たずに自らの空虚を拡大していくが体の現在との隔たりは大きい。(2/10/2003)

 フランスとドイツが「国連の査察官の人数を現在の3倍に増やし、国連の承認を受けた数千人規模の武装部隊が査察団の安全を確保しながら、イラク全土にわたり大量破壊兵器開発の調査を進める」といった内容の新提案をまとめ、ロシア、中国などと協議を始めたというニュース。

 戦争によるガラガラポンで石油利権の新規設定をねらっているアメリカとイギリスに対し、フランスとロシアは何とか既得権を守ろうとしている。このフランス・ドイツの提案はまさにブッシュの卑しい下心の足下をすくうものだ。

 その気になれば軍隊をイラク国内に展開できるドイツが戦争回避をキーに戦略を立てているのに対して、イラク国内に直接軍隊を派遣することができない日本がアメリカの戦争屋に盲従しようとしている。なんとまあ、愚かしいことか。

 週末の各局のイラク報道ではアメリカによるイラク攻撃が軌道に乗ったかのような取り上げ方をしている。パウエルの安保理プレゼンは成功したと見ているようだ。しかし、アメリカの立論がどれほどプアなものか、昨日の朝刊のこんな記事がそれを示している。

 英テレビ「チャンネル4」は6日、英政府が公表したイラクの大量破壊兵器開発に関する「機密文書」は、米大学院生が発表していた論文などの内容を引き写したものだった、と伝えた。同文書は、パウエル米国務長官が5日に国連安全保障理事会で行った報告の中でも触れられていた。
 文書は「イラクの隠匿、虚偽、強迫の組織」と題し英情報機関MI6が作成。ケンブリッジ大学の研究者らの調査結果によると、米カリフォルニア大の大学院生イブラヒム・マラシ氏が発表した論文など、雑誌上に公開された3論文と極めて似た記述があったという。
 中には論文のつづりや文法の間違いもそのまま丸写しになった部分もあった。

 石油利権の視点から各国の動きを見ることは間違ってはいない。しかし、当為ということを忘れてはいけない。こんないい加減な情報の寄せ集めで戦争を仕掛けることを許容するならば、第三次の世界大戦は我々のだれもが想像もできない形で起きることになるだろう。

 第一次大戦が始まったとき、ヨーロッパの多くの人びとは「ちょっと戦争に行ってくる」とか、「クリスマスまでには片が付く」などと思い、そのように会話していた。それまでの戦争の延長線上のことだと思っていたからだ。現実にはそれはとんでもない思い違いで、世紀の入り口に始まった戦争は最終的には世紀の半ばまで続き、人類は未曾有の災厄を経験することになった。

 ブッシュのような戦争屋の恣にさせて予想もつかない悲劇に突っ込んでゆくか、最低限国際法の制約の中でかつての反省を活かしてことを処理してゆくか、いまは選択の時だ。(2/9/2003)

 「土曜ワイドラジオ東京」出演のダメじゃん小出のお笑いから。「大手銀行はこの度、東京都が発行する『外形標準課税債』の購入に踏み切りました。低成長経済の下、確定利回り4%という国債よりも有利な条件に大量の購入を予定している模様です」。この痛烈な皮肉、慎太郎には分かるかな。(2/8/2003)

 日本時間の昨夜、パウエル国務長官が国連の安保理事会でかねて予告のイラクの安保理決議違反に関する証拠提示を行った。新聞もテレビもその内容を伝えているがああそうですかという程度のもので、なるほどパウエル自身が前日どこだかのインタヴューに応えて「決定的といえるような直接証拠はない」と言ったのもうなずける。

 ところでしかつめらしい表情でニュースに登場した軍事アナリストたちが内容の疑わしさについて何も語らないのが不思議だった。たとえば、神経ガスの取り扱い支持や改造車両に関する話だが、こうしたかなり高度な軍事機密に関わることがらをニックネームも使わず、そのまま「神経ガス」などと無線で会話する「軍高官」がいる「牧歌的な」軍隊などこの地上にあるのかしらね。もうひとつ、化学兵器貯蔵施設に関する衛星写真は画質も解像度も違っていて同じ衛星によるものではない。11月11日と12月22日、わずか一月半足らずのあいだに異なる衛星が情報収集にあたった理由はなんなのだろうか。情報の分析は内容に手をつける前に、その情報の「外観」なり「素性」から着手すべきではないのかな。

 アメリカは情報をでっち上げることに関してはいくつかの前科を持っている。第二次トンキン湾事件がそうだったし、湾岸戦争ではクウェートの病院におけるイラク軍暴行事件に関する証言などがすぐに思い出される。パウエルに忠告したい、「自分の値段を下げるようなポジションで無理に働くのはおやめなさい。そして、将来、過去の自分が恥ずかしくなるようなことをするのもおやめなさい」と。(2/6/2003)

 日経エコロジー」3月号の「ワールドウォッチ」欄に「フセイン後の石油利権にらむ各国 地球温暖化対策は大幅な後退か?」という記事が載っている。いくつか固有名詞と数字が上げられているので書き写しておく。

 米国に従う政権がバグダッドに登場すれば、米英の企業(エクソンモービル、シェブロン・テキサコ、シェル、BP)は、過去30年で初めて、イラクの石油を直接取り引きできるようになり、数千億ドルの"もうけ"が見込まれている。
 国連安全保障理事会の常任理事国が対イラク行動の基準を定めるための新決議案の文言を巡って巧みに駆け引きしていた際、舞台裏では石油を巡る利害が重要な要素になった。
 フランスの石油会社、トータル・フィナ・エルフは、70年代初めからイラクと独自に関係を築いており、ロシアのルコイル、中国の国営石油公社と共に、国連の制裁解除後に、新たな油田開発に着手することを長年計画してきた。ところが、米国による政権交代政策を3国が支持しなければ、これらの企業は将来の石油利権から外されるという憶測が広がった。3国は米国の好戦的な態度をけん制しつつも、イラクに親米政権が登場した場合をにらみ、米国の決議案を支持せざるを得なかった。
 現在の湾岸の問題は、単にイラクの将来にとどまらない。ブッシュ政権のエネルギー政策は石油消費の増加を前提としており、安価な石油を望んでいる。米国内の油田は枯渇が進んでおり、増加分の大半は海外に頼らねばならない。湾岸地域はその筆頭だ。イラクの石油を支配下に置けば、米国はサウジアラビアの影響を抑え、世界市場で大きな力を得る。
 中東でも他の地域でも、石油へのアクセス確保と急速に広まりつつある米軍の存在は切り離せない。パキスタンから中央アジア、コーカサス山脈にかけて、また、地中海東部からアフリカ最東北端まで、米軍の緊密な軍事設備網が出現し、「テロに対する戦争」の名の下に、数多くの基地が建設されている。
 ブッシュ政権の対イラク政策は、極めて直接的な意味ではサダム・フセインに対抗するものだが、広い意味では、世界経済の石油依存を強め、再生可能なエネルギーの開発、エネルギー効率の向上、温暖化ガスの抑制などの努力を無にするものだ。ブッシュ政権はエネルギー効率や再生可能エネルギー研究の予算を大幅に削ったが、2000億ドルもの支出が予想される戦争に突入する準備は、まったく問題ではないようだ。

 なぜ、ブッシュが北朝鮮ではなくイラクに強い関心を持ち、「なにがなんでも戦争だ」とわめき散らしているのか。およそものごとを客観的に見ることができる人は皆、不思議に思っている。その答えはここにある。ついでにいえば、なぜ、イギリスがかくも理不尽なアメリカの理屈を支持しているかの答えも。(2/5/2003)

 夕刊からふたつ。まず、日経夕刊。

 スペインのアスナール首相の人気が国内で急落している。・・・(中略)・・・調査はエル・パイス紙が1月29、30日に実施した。現政権を「支持する」は40.5%、「支持しない」は47.5%だった。昨年11月の前回調査では指示が不支持を0.6ポイント上回っていた。

 スペイン首相の支持率急降下が1日に書いたアメリカ支持の血判状を起草したことが原因であることは明らか。記事は続けて、「同紙は特に与党支持層でさえ6割以上が『イラク攻撃は正当化できない』と回答した点を重視。『世論は欧州統合に深い溝をつくる危険を冒してまで米国を支持するアスナール政権よりも、イラク攻撃に慎重な仏独枢軸を支持している』と結論づけている」と書いている。

 もうひとつは、朝日夕刊。

 スコット・リッター元米海兵隊大尉が4日、東京都内で記者会見した。リッター氏は、イラクの大量破壊兵器の大半はすでに廃棄されたとの見方を示し、「国際社会にとって自衛のために戦う相手ではない」と述べて、イラク攻撃の準備を進める米国のブッシュ政権を批判した。

 スコット・リッターのことは以前書いた通り。91年から98年まで国連の大量破壊兵器廃棄特別委員会の主任検査官としてイラクの査察を行っていた人物。一番現場を知る彼は「大量破壊兵器の製造施設の90〜95%は検証可能な形で廃棄された。廃棄が確認できない化学物質は残るものの、その後の厳しい査察で、依然としてイラクが保有している兆候は発見されていない。解明のためには戦争ではなく査察を続けることが必要だ」と言っている。

 ブッシュはフセインが大量破壊兵器を隠し持ち、アルカイダにその兵器が渡ることが問題だと主張している。正真正銘そのことを解決したいのだとしたら、なぜ彼は「戦争をすること」そのものに異常な執着を持っているのだろう。戦争よりはるかにカネのかからない査察で十分に目的は達せられるのに。仮にイラク当局が妨害するというのならイラクに爆弾の雨を降らせるよりは直接イラクにPKOを駐留させ査察に強制力を持たせればそれて済むことなのに。

 論理的な答えはふたつしかない。そういう判断ができないほどにブッシュがバカであるか、じつは口で言っている理由がウソであるか。多くの人は気付いている。おそらく後者なのだと。ブッシュの関心は「国際平和」や「テロリストの根絶」にはない、単に反米政権を除き親米政権を立てることにある。つまり、「イラク攻撃は正当なものではない」。だから単純に強いものに尻尾を振るスペインの何とかいうイヌコロ宰相の人気が急落したのはごく当然の結果なのだ。(2/4/2003)

 スペースシャトル「コロンビア」が大気圏再突入時に空中分解。トータル113回の飛行(けさの天声人語による)で2度目の死亡事故。やはり通常の「フライト」よりは格段に事故率の高いもののようだ。

 86年の「チャレンジャー」の事故後にファインマンがシャトル計画を「ロシアン・ルーレット」と評したのは的確な指摘だったといえる。米政府当局はその「ロシアン・ルーレット」にもコストダウンを要求し、20年も前につくられた一号機「コロンビア」を使い続けていた。「当たり籤」にぶち当たったのはある意味で「招き寄せた必然」だったといってよい。

 それにしてもアメリカはまたもや「死者」を悼むムードばかりを演出している。本当に見直さなければならないものを見つめる「智慧」を発揮しようとしていないのは、もはや彼の国の社会の病理なのだろう。

 「病理」と書いて伝えられたニュースのひとつを思い出した。一部のオークションサイトには早くもコロンビアの残骸の出品がされているというのだ。レーニンの言葉に「自分を絞首刑にするためのロープまでも商うのが資本主義だ」というような意味のものがあったが、それを彷彿とさせる行為。(2/3/2003)

 昨日のテレビ本放送50年記念番組を見ながら、思い出した番組があって早起きをしてみた。

 「真珠の小箱」という番組だ。たしか日曜の7時前後、TBSだったと思ってスイッチを入れた。最初に見たのは小学校の4年、名古屋でのことだった。フルートのすごく懐かしい感じのするテーマ曲ではじまる15分番組。近鉄沿線の古寺や街並みを紹介する地味な番組だったが妙に好きな番組だった。東京に移ってからも当時の日本教育テレビ、いまのテレビ朝日で放送していた。札幌に行って縁が切れたが、大学に入ってからは番組の案内にのせられて秋篠寺、室生寺などを訪ねたりした。

 その後、キー局の関係でTBSに移り、二、三年前までは幾度か見た記憶がある。いまも続いているとすればおそらく長寿番組ナンバーワンのはずと思ったのだが、もうなかった。

 Googleで検索をかけてみた。番組はまだ続いていた。いまは毎日放送と中部日本放送、つまり近鉄エリアに関わるところに限定しているようだ。スポンサー費用の関係なのだろう。(2/2/2003)

 一昨日書いた「欧州8首脳の米支持声明」の舞台裏に関する記事が朝日の夕刊に載っていた。それによると、声明はウォールストリート・ジャーナル紙がスペイン・イギリス・イタリアの3カ国首脳に打診し、スペインのアスナール首相が草稿を作成、賛同が得られそうな各国首脳に呼びかけたとのこと。オランダなどは断り、安全保障の関係でアメリカに従属的なポーランド・ハンガリー・チェコの首脳が署名に応じ、計8カ国に落ち着いたという経緯らしい。

 フランス・ドイツ・EU首脳には最初から声をかけなかったこと、ハンガリーのメジェシ首相が「署名の個別打診はアスナールとブレアが行った」といっていることなどを考えあわせると、ウォールストリート・ジャーナルを隠れ蓑にしているアメリカ政府関係者がEUの主導権をコントロールしたいイギリスの下心につけ込んで下工作したというあたりのことか。(2/1/2003)

 都の大手銀行に対する外形標準課税裁判の高裁判決が朝刊に出ている。判決は地方税法の「均衡ルール」を逸脱したものとして都の控訴を棄却、1,629億円の返還を命じたもの。一審判決と異なるのは大手銀行の狙い撃ちを許容範囲としたところ。

 石原都知事は「内容では負けていない、上告する」といったそうだが、大綱が誤っていないのに違法とされたとすれば、それは知事としてGOをかけた条例の理論武装が粗雑かつ杜撰だったことを意味している。とすれば「上告」するのではなく「練り直す」のがスジだろう。預り金は巨額、上告後の敗訴となれば、その間の利子負担額も膨大なものになる。慎太郎のメンツのために数百億もの追加利子を負担してもよいなどという都民は一人とておるまい。(1/31/2003)

 日経、夕刊の片隅に「仏独を除く欧州8カ国『米支持』の書簡に署名」という見出しで、アメリカのイラク攻撃を支持すると内容の書簡に、スペイン、ポルトガル、イタリア、デンマーク、チェコ、ハンガリー、ポーランド、イギリスの首脳が署名したという記事が載っていた。先週、ラムズフェルドが「フランスやドイツは古いヨーロッパ」といっていたのはこのことだったのか。

 ところで、先日の報道によれば、アメリカのイラク作戦は最初の一週間に巡航ミサイルを「バグダッド市内はどこも安全でない」ほど濃密に打ち込むというもの。いかにもチキンハートのアメリカらしい、それにしては恐ろしく金のかかりそうなものだった。既にニューヨーク市場の株価は8千ドル台に低落、よれよれ経済の保安官気取りが「用心棒代」としてカネの無心をすることは十分に考えられる。

 アメリカを支持しますとはいってもらっても、旧東欧諸国と西側でも経済的にはパッとしないこんな顔ぶれでは、用心棒代をせびろうとしているヤクザ屋さんもさぞ心細かろう。おっと、ちょっと、寒気が襲ってきた、小泉なんていかにもカツアゲされそうなお坊ちゃん面してる。(1/30/2003)

 イスラエルの総選挙は強硬派のリクードが大勝した。投票率は68%、彼の国の選挙としては最低だった由。テロリストと呼ばれるアラブ人を殺しさえすれば平安な生活が戻ってくると思っているおバカさんがごっそりと投票所に繰り出すさまを見て、事態がここまで悪くなれば理性的であることそのものが空しいという気分にとらわれた者は投票所に向かう気にならなかったのだろう。

 シャロン首相の対パレスチナ対決路線は継続し、パレスチナ側のプロテストもやむことはない。お互い気が済むまで殺し合えばいい。テロと報復が絶え間なくやり取りされる場で自分たちがシュレジンガーの猫であってもいいと思うのなら、シャロンのような無能な為政者を選ぶのは悪いことではない。

 極東の片隅に住む者には、テロにテロで応えることがどれほど最終的な問題の解決から遠ざかることであり、結果的に愚かなことであるかよく見える。しかし、頭に血が上ったままの者には感情的な報復しか眼中にない。人間とはそういうものだ。(1/29/2003)

 ロシアン・ルーレット、回転式弾倉のひとつに実弾を装填しカラカラと回して止まったところで銃口をこめかみにあてて引き金を引く。空の弾倉部であれば引き金のカチンという音だけ。実弾が入った弾倉部であれば轟音とともに拳銃自殺ができる。小説や映画でしか見たことがないが、こういう場面でも「リスク管理」ということは可能なものだろうか。

 昨日の「もんじゅ」の控訴審判決に対する新聞各社の社説を読みながら、このロシアン・ルーレットを思い浮かべていた。「無効判決」を不当と言い切っているのは読売の社説。こんな調子だ。

 原子力政策の根幹にもかかわる重大事である。国側が上告するのは当然だ。最高裁での十分な審理が求められる。・・・(中略:「もんじゅ」の重要性とこれまでの経過の説明)・・・
 判決について疑問を感じるのは、技術の基本についての配慮に欠けるきらいがあるのではないか、という点だ。原子炉には「絶対安全」が求められるとするかのような考えが、判決の随所にうかがえる。潜在的な危険性の付きまとう原子炉に、できる限りの安全性が求められるのは当然である。だが、リスクがゼロの工学システムは、ありえない。
 リスクの存在を認めた上で、いかにそのリスクの低減を図るか。経験の蓄積を既存施設にいかに生かしていくか。そうした努力を認めなければ、そもそも新たな技術開発は成り立たない。このような視点も忘れずに、「もんじゅ」の設置許可を無効とする判断を下したのだろうか。

 ロシアン・ルーレットも「リスクの存在を認めた上で、いかにそのリスクの低減を図るか」を考えれば、安全性を担保したかたちで楽しめるゲームになるだろうか。銃口に弾丸をとめる蓋がしてあるから絶対大丈夫といわれても、実弾入りの銃を自分のこめかみにあてて引き金を引くことは御免蒙るという人の方が多かろう。もちろん、他人のこめかみを狙うのなら話は別。

 原子力関係者は、このロシアン・ルーレットをまず弾倉がものすごく大きくて何万分の一の確率でしか実弾が発砲位置に来ることはないといい、次に仮に撃鉄が信管を叩いたとしても爆発しないようになっているといい、さらに弾丸が飛び出しても封止された銃口で弾は止まり、絶対に外部の者を殺傷することはないと言い張る。しかし、現実にスリー・マイル島やチェルノブイリでは彼らの説明とは相異なって深刻な事態が起きたことは周知の事実。

 しかし、ことが拳銃のことならさしたることはない、死ぬのは一人だから。なるほど、読売の書くようにリスクを認めなければ技術開発は成立しない。ジャンボ機が墜落しても、新幹線が脱線事故を起こしても、石油化学プラントが爆発しても、そうした事故の「蓄積を既存施設にいかに活かしていくか」、それが技術の進歩というものであることはその通り。

 ただ原子力プラントはこれらのものとは一線を画する。ジャンボ・新幹線・石化プラントで事故が起きれば確実に三桁の人が死ぬことだろう。二次的災害があれば千人、二千人の人が犠牲になるかもしれない。だが、これらの事故で死ぬ人はその時、その場にいた人だけにとどまるのに対し、原子力施設の事故ははるかに深刻な事態を招来する。被害者はその時だけに限定されない、その場だけにも限定されない。そういうものを「リスクの存在を認めた上で、いかにそのリスクの低減を図るか」などという軽い言葉で考察したつもりになっている読売の論説委員の知能程度を知りたい。

 読売は一般には保守思想にたっていると思われている。保守思想というのは個人個人の能力には限界があること、祖先から伝えられたことには一人一人の思慮には及ばない叡智が潜んでいること、それ故、拙速を避け、浅薄な知識を振り回すことを戒める考え方であったはずだ。読売の社説は脳天気な科学万能主義に限りなく近く、保守思想とは程遠く、お上の決めたことにいちゃもんを付けるなという権威主義だけが目立っていて見苦しい。(1/28/2003)

一審判決に関する「滴水録」

 拉致被害者家族連絡会はきょうの会合で、「横田夫妻の訪朝希望に反対」、「国際世論に訴えるための訪米」を決めた由。いかにも日本的な集まり、そして日本的な決定。彼らはここ十数年活動して何一つ事態を進展させることができなかった。おそらく今後も彼らの活動はタナボタ的な事態が起きない限り、一歩も進むことはないだろう。残念なことだが、それが当然の帰結だ。

 ひとつ、ふたつあげておこう。先月末に有田芳正らがニューヨークタイムズに北朝鮮による拉致問題について意見広告を出そうとしたとき、なぜ彼らはこれにのろうとしなかったのだろう。自分たちの発案でなくともステップボードにするくらいの気持ちにはなれなかったものか。

 曽我ひとみが母親を拉致されたという立場では自分も拉致被害者家族であるので家族の会に参加させてほしいと申し出ているという報道があった。嗤うべきことに彼らは「拉致被害者本人たち」もメンバーに加えていないのだ。

 彼らは現在の境遇が気にいっているかのように見える。少なくとも事態を急速に変えることを本心では望んでいないように。だからこそ、拉致問題のみを感情的に訴えることによって外交担当者の手足を縛ったのだろう。おかげでせっかく9月に北朝鮮問題の先鞭を付けておきながら、最近の米・韓・露・中そして北との国際的な場での日本の存在感はほとんどなくなってしまった。

 彼らは自分たちの家を出ようとはしないし、仲良し以外の者と話し合う気もない。「チーズはどこへ消えた」という滑稽本があったが、チーズを得るために外に出たり、新しい風を起こすことは彼らには思いもよらないことのようだ。訪米しても彼らは日本での行動パターン(議員に陳情)を繰り返すだけだろう。構想力のない者に新しい状況を開くことは金輪際できない。(1/26/2003)

 昨夜、米軍施設の返還というニュースを聞いたとき、「オッ、慎太郎、やったか」と思った。4年前、石原都知事は「横田基地の返還」を公約して当選したのだった。99年4月11日の日記にはこのように書いてある。

 いずれにしても、選挙の結果はひとつの現実だ。石原がやはりただのデマゴーグに過ぎないのか、それとも「なにものか」であるのかは、さして時を要すことなく知れることだ。次の知事選までの間に横田基地が返還されているか否か、隷属的な基地が存在しているか否か、これを見ればわかるのだから。

 残念ながら、返還される土地は横浜市内にあるもので、横田基地はいまのところ対象にはなっていないようだ。まだ、二か月ほどある。石原都知事、果たして、公約を守る気はありやいなや。

 小泉首相はきょうの衆議院予算委員会で、菅直人の質問に対して「その通りにやっていないと言われればそうかもしれないが、総理としてもっと大きな事を考えなければならない。そのためにはこの程度の公約を守らないことは大したことではない」と答えた由。

 慎太郎も、純一郎同様、最後には開き直るのかな。「公約なぞ選挙の際の方便、守らないことは大したことではない」と。(1/23/2003)

 アーミテージ米国務副長官がワシントンで行った講演で、イラクの大量破壊兵器開発の証拠について「決定的な証拠がないという人がいるかもしれないが、あるのは証拠の煙ばかりだ」と言った由。イラクが過去に製造した大量の生物、化学兵器が所在不明になっていることを主張したかったようだが、ブッシュ政権はついにこんな理屈を持ち出さなければならないところまできたのか。ボス、ブッシュのためにこれほど馬鹿げたことを言わねばならぬアーミテージには心から同情する。

 所在が不明だという事実は論理的にはふたつの場合しかない。所在が分からないように隠しているか、いまはもう存在しないかのどちらかだ。もしこのふたつの中間があるとすれば、分解した部品を隠しているというのがあるかもしれない。しかし、アーミテージが「大量破壊兵器の存在の証拠は煙だ」という以上、どうやらブッシュがつかんでいると主張していた「具体的な証拠」というのは「煙」のようなものだったらしい。ふつうの文明国では「証拠の煙」は「証拠」にはならない。有罪を立証するのは告発者の義務であり、被疑者は「無いこと」の証明を課せられることはない。それとも、ブッシュの出身地、テキサスあたりの田舎では「煙」も有罪の証拠になり、「無罪」を立証できないものはすべて「有罪」なのかしら。(1/22/2003)

 極まれば転ずる。貴乃花の引退のニュースを聞いて浮かんだ言葉。

 貴乃花が藤島部屋から兄若乃花とともに幕入りしてきたあの頃、若貴の人気は絶大、かつ部屋も登り坂にあった。相撲はさしたる関心事ではないから、それがいつのことと書くことはできないが、藤島親方の兄、二子山理事長がその部屋を譲り強大な部屋ができた頃、それが極まり転ずるときだったような気がする。「貴」の字を冠する力士が何人か幕内を占めている状況での部屋の統合は何かと非難を浴び、それまでプラスイメージ一色であった「藤島部屋」は「二子山部屋」に変わって、徐々にマイナスのカードを集めるようになる。そして、親方夫婦の離婚、若貴それぞれの結婚に対するゴシップが集まる頃にはかつての花々しいライトを浴びた部屋のイメージは崩れていった。

 極まれば転ずる。(1/20/2003)

 あまり大きく取り上げられてはいないが、世界各地で18日、アメリカのイラク攻撃反対のデモと集会があった。ギャラップが14日に発表した世論調査結果では、ブッシュの支持率は58%、ついに911発生直前のレベルまで戻ってきた。

 サダム・フセイン政権が抑圧的でありクルド人など国内異民族を弾圧してきた非道な政権であることに異論はない。しかし、同様のことを行ってこなかったと断言できる政権が世界中にどれくらいあるのか。ピノチェト政権下のチリをアメリカはどのように取り扱っていたか。昔のことをあげるまでもない。なぜ、金正日の北朝鮮と比較してフセインのイラクのプライオリティが高いのだろう。

 ヨーロッパのみならず世界の多くの人は「なぜ、イラクなのか?」、「なぜ、いまなのか?」と思っている。いや、911ショックで思考停止に陥っていたアメリカでも20万人もの反対集会がワシントンであったというから、当のアメリカ人でさえ、この疑問を持っている。ブッシュはこうした疑問に説得力のある答えができない。できない理由は「ブッシュがバカだから」、それはその通りだとしても、それですむ問題ではない。(1/19/2003)

 夕刊に「北朝鮮不可侵文書化も」、「米、包括協定の用意」という見出し。アーミテージが日本メディアとの会見で、@北朝鮮の核開発放棄を前提に米国に北朝鮮侵略の意思がないことを文書化する用意がある、A北朝鮮と新たな包括協定を結び、ウラン濃縮施設禁止も協議したい、BKEDOを当面存続させる。軽水炉に代わり、より安価な火力発電所の供与も前向きに考える、C安保理常任5カ国と日韓による7カ国協議機関について日本と協議を始めた、D北朝鮮問題はイラクと異なり、外向的解決の要因がある、などをのべたというのだから、日本のマスコミ向けという「潤色」を差し引いても、驚くほかはない。北朝鮮の脅しに屈しないとしていたブッシュのコメントはどこにいってしまったのだろう。アメリカが北朝鮮をイラクと比較してこれほど別格の取扱をすることの意味が分からない。

 論理的には二通りの見方がある。ひとつは北の公式反応通り「振り」だけ。もうひとつは「額面通り」。前者はいずれにしてもアメリカは「悪の枢軸」を順に叩いてゆく予定なのだが、イラクと事を構えるのと並行して北朝鮮も相手にするのは避けたいので、北がすぐには飛びついてこないのを承知で、第三者的にみて好条件を並べたてたということ。後者は石油の絡むイラク以外には「警察官」の役割を果たしても得るものがないので、朝鮮を反対例として必ずしも好戦的な国ではないことを印象づけようと「優しいアメリカ」を演出したということ。

 しかし、いずれもしっくりこない。というのは、続く記事にこんなくだりがあるから。

 米国の対話の呼びかけに対し北朝鮮側が「欺瞞劇」と反応したことについては、声明の最後に「対等の関係で扱ってほしい」と述べていたことなどを「非常に興味深い」と語り、「我々が北朝鮮の主権と経済活動を尊重すれば(対話が)前進する基盤となる」と楽観的な見通しを示した。

 拉致問題などというトリヴィアルなことに国をあげて熱くなっている間に、日本は朝鮮半島問題(北朝鮮のことだけを指すのではない)を大局的に把握し損ねてしまったのではないか、そういう気がする。(1/18/2003)

 昨日、斡旋収賄罪が最高裁で確定し失職した中村喜四郎が、今夕、異議申し立てをした由。たぶんこの審理に一週間程度を要するはず。収監までの身辺整理のための時間稼ぎということなのだろう。

 懲役1年6ヵ月、追徴金1千万円。納税者としては最終的に有罪、失職という結論が確認された以上は、議員として居座った8年数か月間の議員歳費は本来受け取る資格のなかったものとして返納させるか、これも追徴の対象とすべきではないかと思うがいかがか。

 それにしてもこの間2回の選挙で彼に投票した茨城7区の選挙民はいまどのように考えているのだろう。現金1千万を受け取ったことを中村は一度も否定していなかった。ということは茨城の地ではそのカネはワイロではなく政治家ならば受け取って当然のものとされていたか、ワイロに違いなくても政治家がワイロを取るのは当たり前のことで是認できるとしていたかのどちらかであったということになる。政治を腐らせたままにしているのはこういう選挙民なのだ。

 肥担桶のごとき悪臭を自ら放ちながら、それに気づかぬこのような手合いと同じ政治制度の中に住まなければならないというのは、ふつうの鼻を持つ我々には何ともやりきれないことだが、これも民主主義というものなのだろう。肥担桶選挙民万歳、糞便喜四郎万歳、さあ早く臭い飯を食いに行け。(1/17/2003)

 旧正田邸の取り壊しがニュースになっている。相続税として物納されているものを財務省は取り壊し跡地を港区に売却する予定。建物は比較的古いもので外観からはそれなりの趣があるやに見える。昨日は解体業者の立ち入りを周辺住民が阻止したが、きょうは裏をかいて早朝から作業をはじめたらしい。

 もし、総合的に判断して保存の価値のあるほどのものなら然るべき声も上がりそうなものだが、反対運動はさほど盛り上がってはいない。昨年解体の日程が発表になった際、建物の移築を願い出た軽井沢町は、他ならぬ美智子さん自身が保存を望まない旨コメントを出したのをうけ、計画を撤回してしまった。

 ニュース映像で見ると、反対住民は日の丸を押し立て君が代を歌い、「陛下がご病気のときに取り壊すな」とか、「皇后陛下のご生家です、罰が当たりますよ」などと叫んでいる。どうやら、建物の文化財的価値を評価しているものではなくて、ひたすら皇室の権威を毀損すると思い込んでいるらしい。ふと福沢諭吉だったかの「帝室思いの帝室知らず」という言葉を思い出し、門前で騒ぎ立てる彼らの中に「地久節」という言葉を問われて答えられるのは幾名いることかと危ぶみつつチャンネルを切り替えた。(1/16/2003)

 朝刊を読んで思わず嗤った。

 フセイン大統領の命令を拒否し、大量破壊兵器の隠匿場所などを通報してほしい――。米政府がイラク政府高官や軍幹部らにこうした電子メールを大量に送り付けていたことが12日、明らかになった。米紙ロサンゼルス・タイムズ(電子版)が同日報じた。

 昨日、エルバラダイIAEA事務局長のタイム誌インタヴュー、「イラクの核保有が差し迫っていると主張するのならアメリカはその証拠をIAEAに提出すべきだ」という言葉を書き取っておいた。エルバラダイに限らない、欧州各国をはじめとする少なくないアメリカの同盟国が「アメリカが主張する証拠を見せてくれ」と言っている。しかし、アメリカはこれに応えてこなかった。

 「証拠」は最初から後付けの予定、つまり、応えたくても応えられなかった、それが真相かもしれぬ。そんなバカなと思いたいが、ブッシュもチェイニーもエンロン詐欺に深く関わっていたメンバーだ。政権全体がエンロンの如き詐欺集団と分かれば、即座にすべてのことに合点がゆく。(1/14/2003)

 IAEAのエルバラダイ事務局長が「イラクの技術的状況は核兵器保有から程遠い。イラクの核保有が差し迫っていると主張するのならアメリカはその証拠をIAEAに提出すべきだ」と語った由。

 一方友軍となるはずのイギリスも、艦隊の派遣などの準備には入ったものの国内の根強い「Why?」の声と、どういうわけか中東全体の和平にはいっこう関心を持たないブッシュ政権に対する疑念から、即時の開戦には消極的な姿勢に転じつつあるようだ。

 いくらジョージ・ブッシュとそのネオコン派側近どもの頭脳がスポンジ状態だとしても、見せかけの大義すら持ち合わせない戦争をしかけることは、もはや、できない時代に入っていることを知るべき、と、そういうことだろう。

 ところで、今月末から来月にはイラク攻撃が始まるとか半月で片付けた後はどのような戦後政権を樹立するとか、まるでブッシュの参謀でもあるかのような口ぶりでとくとくと演説していたこの国の「評論家」どもは、今度はどんな「予想」をご披露するつもりなのかしら。(1/13/2003)

 もう二十年近く前、韓国や中国に出張していた頃、同行した商社の人からよく聞いたのは「韓国は日本の十年前、中国は二十年前と思えばよい」ということだった。仕事の関係の技術でいえばそんなところ、街の眺めも青洟をたらした子供や行き交う人の様は自分の子供の頃の記憶に重なるものがあった。

 最近のテレビを見ていると、どうやら北朝鮮は日本の数十年前と思えばぴったりのようだ。まず、あの何とも芝居かがったアナウンス、軍隊に対する賛辞、偉大なる将軍様に対する尊崇、その将軍様に対する歯の浮くような賛辞、それらはすべて「大本営発表」、「皇軍」、「大元帥陛下」、「大御心」などという、数十年前、この国の人々を縛り付けていたものどもに瓜二つだ。

 ニュース解説によれば、北朝鮮が次々と切るカードの狙いは、まずアメリカとの交渉の実現、そして金正日体制の維持をアメリカに認めさせることなのだという。この解説が正しいとすれば、これもまた数十年前の「大日本帝国」のコピーそのものだ。そう、あの戦争の終末に至ってなお、当時のこの国の政府が固執したのは「国体の護持」、すなわち天皇制の維持であった。

 などなどを考えあわせると、この国の右翼関係者はおそらく金正日と北朝鮮に絶大なシンパシーを覚えているに違いないということに思い当たった。たしかにあの朝鮮何とか放送の大げさなアナウンスは右翼の街宣車からフルボリュームで聞こえてくる口調にとてもよく似ている。(1/12/2003)

 突然のように拉致事件犯人の国際手配という話が出てきた。手配されたのは北朝鮮工作員、金世鎬。容疑は77年9月に当時警備員をしていた久米裕さんに「密貿易でもうかる仕事がある」などともちかけ、石川県宇出津から北朝鮮工作船で拉致したというもの。この事件では共犯として在日朝鮮人の男性が逮捕されているが不起訴処分になっているという。

 いくつかの疑問が浮かぶ。

 その一。昨年9月の北朝鮮の回答では久米裕さんはただ一人、「不明」とされていた。なぜ、北は「共和国に入国した記録がない」などとしたのだろう。久米さんは事件当時既に52歳。はるかに若い他の被害者8人を死亡とするよりは彼を「死亡」とする方がはるかに自然であろう。また「もうけ仕事」をエサにしたとすれば、「拉致ではなく本人の自由意志だった」と主張することもできたであろうに、なぜ。

 その二。なぜいまなのかということ。金世鎬の入出国の状況など、きょう、伝えられたことがらは最近になってはじめて分かったというものではあるまい。だとすると我が優秀なる公安警察が二十数年これを放置したのはどのような事情によるものだったのだろうか。そしていかにも公安らしいもくろみを捨てて、国際手配に踏み切ったというのは、なぜなのか。

 その三。事件は25年以上も前の話。これが時効にならないのは、おそらく金世鎬が日本国内にいないため時効の進行が停止しているという解釈のはず。とすれば、これよりはるかに明白な犯罪である金大中事件の実行主謀者とされている金東雲、彼の身柄引き渡しを韓国に求めない理由はなんなのだろうか。

 そして、誰もいわないのが不思議でならないことが一つ。金大中事件は73年8月8日に発生している。北朝鮮による一連の拉致が行われる前のことだ。拉致という国家犯罪に関する北朝鮮当局の意図がどこにあったのかは正確には分からない。しかし、金大中ほどの有名人を白昼堂々、首都のど真ん中から拉致連行しても日本政府が文句一ついわないばかりか犯人の引き渡しを要求することもないという事実が、拉致の実行に際して北の関係者たちを勇気づけたことは間違いないだろう。(1/8/2003)

 朝刊の各社トップの言葉を一覧しながら妙に安心した。昨日の**(我が社の社長)の挨拶がさして見劣りするものに見えなかったからだ。時代の状況は掴みにくい。新聞各紙に注目されるほどの会社のトップもさしたる知恵は出ないというのが現今の状況とよく分かった。もっとも、このデフレの状況下にあって、なお訳の分からない「構造問題」に捕われて、いっこう目の覚める気配のない宰相をいただいていては、知恵を出したところで大局我に味方せずというのが正直なところなのかもしれぬ。

 で、なおかつ日商会頭までが消費税率のアップやむなしと言っている由。トップの頭の病は膏肓に入れりというところか。(1/7/2003)

 日経朝刊に初嗤いが載っていた。「マネー&ライフ」ページの「マネートーク」というコラムでインタヴューを受けた竹内宏がこんなことを言っている。

――日本経済はなぜここまで落ち込んだのか。
70年代後半が日本の経済力のピークだった。遅れをとった米国は人種差別解消に努め、移民も受け入れて経済基盤を強めた。中国やロシアも市場経済化に転じ、欧州も市場統合を強めた。この間、世界で変わらなかったのは日本と北朝鮮、キューバだけだ。・・・(中略)・・・経済が破綻しても平等社会を維持しているのが今の日本。要は社会主義国なのだ。
――どうすればよみがえるか。
・・・(前略)・・・しかし一番重要なのは社会主義的な政策を改め、徹底的な規制緩和を進めることだ。経済特区は有効な手段だ。
――医療、教育特区は骨抜きになった。
教育特区なら外国の学校をどんどん誘致する。外国人の先生が小中学校で自由に教えられるようにする。医療特区は保険外の高度医療も拡充し多様なニーズに対応する。外国人の医師を受け入れ、アジアからも患者を呼び込めばいい。
月七万五千円くれれば日本で働きたいという中国人はたくさんいる。特区で中国人を雇用すれば、日本企業も低コストで製品を作れる。中国に拠点を移す必要もない。・・・(後略)・・・
――個人はどんな資産運用をすればいいのか。
遠くない将来にインフレが来る。・・・(中略)・・・不良債権の処理を終えるころがインフレ到来の時期だ。
インフレに強いのは株式だから、個人は今から株式投資の準備をすべきだ。・・・(後略)・・・

 抱腹絶倒。彼は昔からバカだったのだろうか。それとも歳をとってこんなバカになったのだろうか。もし根っからこの程度だったとしたら、こんな奴が首脳陣として居座っていたのだもの、長銀が破綻したのも無理はない。ほとんどなにも事実に立脚せずに、床屋談義でさえ裸足で逃げ出しそうな論理でグイグイと迫るさまは、選んでカタストロフに突っ込んでいった長銀の様とみごとに重なる。

 彼、現在は投資クラブの理事長様をしている由。なるほど株をやるなら自ら手を染めずにコンサルタントをやるのがよいとは至言。(1/5/2003)

 午後から新座に行く。確かめたいことがあって自分の本棚をあさる。本棚、青春の足跡がそこここにある。まず、マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」。高校一年の時に小遣いをはたいて買ったもの。河出の豪華版世界文学全集の第一回配本がこれだった。上・下と二冊にまとめられていて各々580円。

 去年10月16日に「ゲッテルデンメルング」と書いたときレット・バトラーのセリフと思い込んでいた。南北戦争を絶好のビジネス・チャンスと見て、両軍の理念には関わりなく武器運搬で巨利を稼いだレットに似合う言葉と思ったから。ところがそのセリフは出てくる場面も言葉の主も完全に記憶違いだった。三十数年前に読んだきりとあれば仕方のないことか。(1/4/2003)

 元日にTBSで放送のあった「歴史は繰り返す」をビデオで見る。ローマ帝国とアメリカ合衆国を比較するかたちで、両者の経済、軍事、政治、戦略などを解説するという仕掛け。それなりには面白かったが、アメリカという国が一昨年の911を転換点として非寛容で好戦的になったというのは少し疑問。

 トクヴィルは名著として知られる「アメリカの民主政治」のもっとも有名な章の注にこんなエピソードを紹介している。

 1812年の戦争のとき、ボルティモアで多数者の専制がもたらしうる暴虐の著しい例が見出される。当時、戦争はボルティモアではとても人気があった。そこでは戦争に烈しく反対した一新聞は、この反対行為によって住民たちの憤慨を刺激した。そこの住民は、集合し、新聞を破棄し、新聞記者たちの家を襲った。国民軍の招集を欲した人たちもいたが、国民軍はこの要求に応じなかった。公衆の狂暴によって被害を受けそうな不幸な人々を救うために、これらの人々は犯罪者たちと同じように獄舎に収容するように決定された。ところが、この予防策は無効であった。すなわち、夜間、民衆は新たに会合した。役人たちも国民軍を招集できなかった。そして獄舎は暴徒たちの侵入を受け、新聞記者たちの一人は即座に殺され他の新聞記者たちも死体となって横たわっていた。陪審に付託された犯人たちは無罪釈放された。

第7章第3節「多数者の専制」 註2より

 911の直後、アメリカではほぼ同じようなことが起きた。19世紀と21世紀の違いは、少数派ジャーナリストが殺されることはなかったというだけのことだ。馘首にはなったけれども。(昔はそれほど気にならなかったが、それにしてもひどい訳文。改訳されて読みやすいものが出ているのだろうか)(1/3/2003)

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