選んで選んだあげくに悪い牌を手の内に残し自滅する。麻雀経験者なら誰もが思い当たることだ。こんどの小泉改造内閣はそれに似ている。

 三頭の駄馬の気があわないからとそのうちの一頭を切ることにした。ある意味当然の処置だが、よりによって三頭のなかで一番ましな駄馬を切り見かけ倒しの駄馬と耄碌駄馬の二頭立てにするとはね。ニュース解説では「公的資金投入に慎重な柳沢を切り、これに積極的な竹中にまかせて不良債権処理の促進をはかるという考え」ということだったが、不良債権を片付ければ景気が回復するとでも思っているのだろうか。経済の素人でも断言できることがある。不良債権処理は最優先課題ではない。不良債券処理に血道を上げれば上げるほど、喫水線ぎりぎりの企業は倒れ、新しい不良債券は増えるのだ。続ければ続けるほど不良債権は増え続け、つぎ込んだ金はブラックホールに消えてゆく。

 経済の半分は人々の心理に依存している。大多数の国民が老後までを見通して、最低限食って行けるという安心感を持たせるような経済構造の構築なくして、どのような小手先の政策を打っても「カネ」という血液はまわらない。逆にいえば、「高度成長」や、「地域振興」や、「国際競争力」の実現のために心身に異状をきたすほどのストレス社会に身をおかなくても、日々、心の豊かさを実感し、ほどほどに快適な生活を送ることができるそういう社会経済基盤の構築と維持についてきちんとした政策を打ち出し、人びとがそのことを実感できるならば、さまざまの小手先の猿知恵的政策をうちながら、ついに実現できずにいる「個人資産」の流動化など簡単にできてしまうことだろう。

 グローバル経済(何のことはないアメリカに利する経済のことだが)に対応することばかりを追いかけているうちは、この国の経済政策は絶対に成功しないだろう。なぜなら、投資する資産を持つほどの日本国民は、借金をしてまで株を買う(愚かな)合衆国市民のマインドとはかけ離れているのだから。(9/30/2002)

 「技術者の良心」という言葉で思い出したことがあって、夕方から、あちこちネットサーフィンをしてみた。

 NSnetという組織がある。例のJCOの臨界事故後に「原子力産業に携わる企業および原子力に関係する研究機関等が、水平的かつ双方向的に繋がり、安全文化の普及、ピアレビュー(会員間の相互評価)の実施、安全に関する情報交換および過去の事例等に基づく教育支援などの活動を行い、原子力産業全体において安全文化の共有および向上を目指そうと」設立したもの。

 最近のピアレビュー報告として、7月24〜26日に行った日立製作所原子力事業部に対するものが載っていた。概要はホームページだけで分かるのだが、ちょっと興味がわいてPDFで収められている「相互評価報告書」の本文も読んでみた。

 ピアレビューはCMMの中でも効果的なものとして重視されているが、こんな仲間誉めのようなものをピアレビューと称しているのでは看板倒れに終わるだろうというのが一読した印象。

 例えば、「重要課題対応」という項目にかつて下請け会社で発生した「配管溶接部焼鈍熱処理記録問題」――要は配管溶接の際の応力除去作業でデータ改竄を行ったというものなのだが――の反省を期に、原子力事業部が組織を上げてどのように対処し、再発の防止に向けてどのようにしたのか、そしてそれがどう機能し、効果をあげているかについて書いたくだりがある。

 過去に発生した「配管溶接部焼鈍熱処理記録問題」の経験を長く教訓として残し日常業務に完全に反映するために、本件において国から厳重に注意を受けた日(10月13日)を「原子力基本と正道の日」と定め、"基本の徹底と安全意識の高揚"の事例教育や危機管理訓練を定期的・継続的に行っている。このようにして、過去の経験を風化させないよう、また、再発防止と信頼回復に向けた当時の熱い思いを消さないようにしている。(ニュークリアセイフティーネットワーク発行「相互評価報告書」から

 読みながら苦笑を禁じ得なかった。それは、つい2週間ほど前、こんな記事を読んだ記憶があったからだ。

 日立製作所は9月18日、東京電力が原子力発電所の自主点検記録を虚偽に記載した問題で、一部で日立もかかわっていたとの調査結果を発表した。福島第一原子力発電所4号機のICMハウジング(中性子計測ハウジング)について、1992年の点検で日立がひび割れを発見。東電担当者に報告したものの、東電担当者の指示により「異常がない」との報告書を作成し、東電に提出していた事実が明らかになった。日立では「社会的影響の強い大きな事業にかかわるメーカーとしては、あってはならないことであり、遺憾に思っている」との見解を示している。(9/19 電気新聞から)

 メーカで禄を食んでいる身としては、東電担当者に「インチキ報告をしろ」と命令された日立のエンジニアの気持ちはよく分かる。しかし、この日立のエンジニアにとって「原子力基本と正道」の精神はGEIIのエンジニアほど強くはなかったのだろう。さて、来月13日、日立の関係者はこの件についてどのように思いを新たにするのだろうか。(9/29/2002)

 久しぶりに桜井淳のホームページ「市民的危機管理入門」をのぞいてみた。相次ぐ原発点検データ隠しの露見に釈然としないものを感じていたから。

 どうやら今回のデータ隠しの動機はこんなことだったらしい。初期に建設された原子炉には応力腐食割れ対策の概念はなかったが80年代に欧米の原発で次々とこの現象が発見され、80年代以降の原発では材質的に強いとされるSUS316Lに材質の変更が行われるようになった。ところが、それまで使用していたSUS304の場合9〜17年で発生していた亀裂が改良したはずのSUS316Lでほんの2〜3年のうちに亀裂を生じ始めた。その総数は東電の原子炉、全17基のうちの7基、改良材を採用した11基のうち5基までがシュラウドにひび割れを起こしたのだから、その衝撃たるや想像に難くない。しかも、それが特定メーカに固有に発生したのではなく、東芝と日立それぞれに同様の問題が発生し、その原因がまったく分からなかった(しかもそれはいまも分かっていない)のだから、東電が当惑し、混乱したのも無理はなかったかもしれない。

 そこで、東電は「もし、原因の分からない壊れ方をしているなどと発表したら、まず、自分たちの技術力が疑われ、原子力発電そのものが否定されてしまう」という観念に取り付かれてしまったらしい。第三者の目からみると、もともと東電の技術力などなにほどのものでないことは周知の事実だし、そもそも原子力発電が一人前の工学的レベルに達していないことも明白だから、この東電の杞憂は嗤うべきものでしかないのだが、個人も組織も一番分かっていないのは自分であるということも、また悲しい事実だ。

 問題はそれからだ。原発の事故の恐ろしさを考慮するならば、東電のとるべき処置はたったひとつだったはずだ。わけの分からないことが危険な方向に向けて起きているとなれば、炉を止めて関係機関とその解明に務めるのが当然のことであるのに、東電は、まず、データを改竄し、ウソの報告をし、なおかつ、運転を継続した。2メートルにも及ぼうというひび割れも、全体の半分にも発生した異常現象もなかったことにしようとしたのだ。それだけではない。東電は福島でも刈羽崎でもプルサーマルへの転換を図ろうとし、刈羽崎の住民投票では反対派住民をバカ呼ばわりし、地元に手先をおき陰湿な反対派切り崩しさえ行った。

 応力腐食割れがなぜこれほど早期に発生するのか、桜井のホームページに見る限り、その原因は未解明のようだ。にもかかわらず、25日に原子力安全・保安院は「欠陥評価法の導入」なる概念を持ち出して亀裂などが検出されても運転できる基準を作るという方向で、この一連のスキャンダルの幕引きをはかろうとしている。

 「原子力ムラ」の関係者には技術者の「良心」などかけらもない、いや、技術者に不可欠な「論理」までもが失われている忘れ去られているということが誰の目にも明らかになった。(9/28/2002)

詳細については、http://www.smn.co.jp/JPN/security/art/index.htmlのbX4〜をご一読ください。

 朝刊に鮎川哲也の訃報。24日のことという。清張が社会派の看板を掲げて推理小説ブームを作ったとき、鮎川は社会性に関する部分を切り捨てた作品を書き続けた。一つ一つの作品は緻密に組み立てられて、謎解きの快感を十二分に味わわせるものだった。ぱっと思いつくだけでも、「黒いトランク」、「リラ荘殺人事件」、「準急ながら」、・・・。アンチ社会派とはいうものの、後に登場する新本格派と呼ばれる人たちのまるで書き割りの前でセリフを棒読みするかのような作品とは、やはり一線を画する奥行きのある描写で、どれも一読引き込まずにはおかない作品たちだった。

 経歴に関することがらはほとんど明らかにしなかったので、旧満州からの引き揚げ者と聞き、ひょっとすると731部隊などの隠したい経歴でもあるのかと想像したこともあった。83歳。家族だけの密葬。自宅は公表していないとあるから、ペンネームと作品だけを記憶してくれ、そういう人だったのだろう。(9/27/2002)

 朝日夕刊に「原電敦賀に亀裂兆候 シュラウド国へ報告せず交換」の見出し。

 関係者の話によると、94〜98年の4回の定期検査期間中の自主点検で水中カメラや超音波検査装置などでシュラウドの溶接周辺にひび割れの兆候を確認した。94年の定期検査では約50カ所見つかり、最長は457ミリで、深さでは12ミリが最高だった。その後3回の定期検査でも多数の兆候を見つけたが、日本原電は、安全評価を実施し「問題なし」として国に報告せず、そのまま運転を続けた。シュラウドの調査はゼネラル・エレクトリック・インターナショナル社(GEII)が担当した。

 先日の東北電力女川といい、中部電力浜岡といい、これはどうやら東電ローカルの問題ではないようだ。(9/25/2002)

 ドイツ総選挙はシュレーダー首相の続投が決まった。当初優位を伝えられていた保守・中道政党は善戦したが僅差で連立与党に敗れた。対イラク攻撃に対して明確に「ノー」を主張したシュレーダーの方が参戦に関してウロウロしたシュトイバー(キリスト教民主・社会同盟代表)よりも好もしく見えた、と、そういうことだろう。

 とすれば、シュレーダーを勝利させたのはアメリカ・ブッシュ政権だったといえる。(9/23/2002)

 貴乃花が魁皇に勝って優勝は千秋楽の横綱対決ということになった。

 今月の驚きは「拉致事件の急展開」と「貴乃花の復活」だった。「拉致問題はたしかに大きな問題ではあるがそんなに簡単に急展開などあるはずがない」ということと、「一年半近いブランクから復帰してどれほどの相撲がとれるものか勝ち越したら御の字」ということが常識的な「相場」だった。しかし、北朝鮮は国家犯罪をあっさりと認め、貴乃花は優勝に絡むどころか優勝を争うところまで来てしまった。つまらぬ常識は捨ててかかるときなのかもしれない。(9/21/2002)

 一昨日、日銀が銀行保有株の買い取りという前代未聞の方策を発表し、かなりの衝撃を与えた。その一方で月末にも行われる内閣改造では経済閣僚の入れ替えが噂されている。柳沢金融相と竹中経済担当相の考え方の違いは素人にも分かること。二人の対立は詮ずる所不良債権処理問題にあるらしいが、竹中のいうように不良債権解消のために優良行に絞って公的資金投入をしたところで、景気の持ち直しは別の次元の話。このまま推移すれば、今は健全と判定されている企業も新たな不良債権対象に転落するだろう。そうすれば、整理されたはずの不良債権はゾンビのように発生する。結局のところ、経済のグランドデザインをきちんと策定しない限りはこの不況は克服されないのだ。

 国同様企業とてそのことは同じ。従業員が血走った目で走り回ればこの苦境がのりきれるなどという話ではない。政府にも、私企業にも、人がいないということか。

§

 朝刊に拉致被害者の死亡した日が載っている。北朝鮮赤十字社から伝えられたものだという。一昨日の表にその情報を転記しておく。

被害者 行方不明の時期 当時の年齢 死亡日時 享年 今年(存命の場合)
横田めぐみ 1977.11 13歳 1993.3.13 28歳 38歳
田口八重子 1978.6 22歳 1986.7.30 31歳 46歳
原敕晃 1980.6 43歳 1986.7.19 49歳 65歳
有本恵子 1983.7 23歳 1988.11.4 28歳 42歳
松本薫 1980.夏 26歳 1996.8.23 43歳 48歳
石岡亨 1980.夏 22歳 1988.11.4 31歳 44歳
地村保志 1978.7 23歳 47歳
浜本富貴恵 1978.7 23歳 47歳
蓮池薫 1978.7 20歳 44歳
奥土佑木子 1978.7 22歳 46歳
市川修一 1978.8 23歳 1979.9.4 24歳 47歳
増元るみ子 1978.8 24歳 1981.8.17 27歳 48歳
久米裕 1977.9 52歳 不明と発表 77歳

 際立つのは有本恵子と石岡亨の1988年11月4日という死亡日。日本国内でなら交通事故死かなと思うことが、ここでは処刑など暗い想像を呼ぶ。(9/20/2002)

 朝刊に週刊誌の広告が載っている。嗤ったのは週刊新潮の見出しだ。「歴史に遺る大愚行」とある。そして「新聞は絶対書けない『日朝会談』胡散臭い舞台裏」。北朝鮮で縫製されたスーツが市場に出回っているご時世だもの、既に利権がらみの経済協力話が忍び込むくらいのことはあっても不思議はない。奇人小泉がどれほど利権から遠くても所詮は自民党員だ。胡散で胡乱なことが裏に隠れているだろうという観測記事をうってもあたらずとも遠からずなのは分かる。しかし、小泉首相の今回の訪朝を「歴史に遺る大愚行」というのは、裏を返せば、拉致問題に対してなすところのなかった歴代首相の無策を誉め上げる考えがあってのことか。出る杭を打つことしか思いつかないのだねぇ、新潮は。

 ・・・とここまで書いてもう一度見出しをみたら「歴史に遺る大愚行か」とあった。今度は吹き出した。どこまでもいじましくて、小狡い奴だ。新潮よ、「日朝会談」などと書かずに、北朝鮮風に「朝日会談」と書いたらいかがか。目の敵にしている「朝日新聞」をあてこするのにいいかもしれない、そういう下衆の下衆による下衆のための週刊誌にはその程度のことがうれしいに違いない。(9/19/2002)

 午後、半休を取り、岩波ホールで「この素晴らしき世界」をみる。いい映画だった。ハリウッド型の計算して、盛り上げて、お約束を守って、感動していただく映画とは対極にあるような。きちんと組み立てられているという点では計算されていないわけではないのだが、企んでいるわけではない。実際にあった話をわかりやすく見せてくれた、という感じ。時代はどうあれ、生活する人々にとって重要なものは何で、その中でほどほどに誠実な人はどのように生き、それはじっと見守るもの(そういう存在があるのかどうかは知らないが)にはそれらがどのように映るものか、そんなことを想像させる映画。

§

 朝刊に載っている情報を整理して表にしてみた。

被害者 行方不明の時期 当時の年齢 今回の発表 今年(存命の場合)
横田めぐみ 1977.11 13歳 死亡 38歳
田口八重子 1978.6 22歳 死亡 46歳
原敕晃 1980.6 43歳 死亡 65歳
有本恵子 1983.7 23歳 死亡 42歳
松本薫 1980.夏 26歳 死亡 48歳
石岡亨 1980.夏 22歳 死亡 44歳
地村保志 1978.7 23歳 生存 47歳
浜本富貴恵 1978.7 23歳 生存 47歳
蓮池薫 1978.7 20歳 生存 44歳
奥土佑木子 1978.7 22歳 生存 46歳
市川修一 1978.8 23歳 死亡 47歳
増元るみ子 1978.8 24歳 死亡 48歳
久米裕 1977.9 52歳 不明と発表 77歳

 こうしてみると不自然さがよく分かる。原、久米という行方不明当時既に40代、50代だったふたりを除くと残る11人は30代の横田めぐみを例外としてすべて40代。にもかかわらず存命なのはたった4人で残り7人がすべて十年ほど前に亡くなっているというのは異常だ。「死んでいることにした」あるいは「公式記録上は死亡にしてある」そういう扱いをせざるを得ない活動に従事しているのではないか。

 いずれにしても「拉致家族」(なんと不思議な呼称だろう)はこれで納得できるはずはなく、これから、金正日の「知らなかった」という釈明を含めて、もっといろいろなことが出てくることだろう。(9/18/2002)

 小泉首相訪朝の結果は意外なものだった。まず、金正日が「拉致問題」を認めそれを詫びたということ。そして、拉致された11人は4名を残してすべて死んでいるということ。驚きと衝撃。

 一般的に「国家犯罪」を認めないのは別に北朝鮮に限ったことではない。にもかかわらず金正日があえて「拉致問題」という言葉を使い、「特殊機関の一部が英雄主義に走って行ったこと。遺憾なことであったとお詫びする」とのべたということは、北朝鮮がこの会談を起死回生の機会にしようとしていることを如実に語るもの。しかし、問題は生存者4名と報ぜられたなかみだ。当然うかぶ疑問は「本当に死んでいるのか」、それとも「死んだことにしなくてはならない事情があるのではないか」ということ。

 思い出すシーン。「七人の刑事」だったと思う。「おまえが殺したのではないか」と問い詰められた犯人が「居間の下にでも埋めたかな」などとうそぶく。犯人を同行させ畳を上げ床下を掘る警察官たち。スコップに「あたり」がある。色めき立ってさらに掘ると猫の屍体が出てくる。思わず気のぬける警察関係者。哄笑する犯人。そのとき刑事のひとりが「もう少し掘ってみろ」という。犯人の表情がわずかに変わる。そして猫の屍体のさらに下、数十センチのところから行方不明だった被害者の死体が出てくる。

 ほんの少しだけ事実を見せて真実を隠す。それが犯人のもくろみだったのだ。「生きていない」という「事実」の下には何が埋まっているのだろう。

 ところで東電は原発のトラブル隠しに関する社内調査結果を今日発表した。東電という会社の狡猾さと陰湿さを象徴する手口。原発は日陰者の技術、いや、今や奇術らしい。(9/17/2002)

 夜のニュースは軒並み明日の小泉訪朝に向けた特集を組んでいる。いずれも「拉致問題」を中心にすべきだといっている。「希望」としての話なら分からぬでもないが、こうも入れ込んで報ぜられると「おい本気でそんなことを言い、期待しているのかい」と思う。

 だいたいが日帰り出張なのだ。そして発端はおそらくアメリカのイラク攻撃がらみの使いっ走りであろう。あえて言えば「拉致問題」は先様の「国家犯罪」。「強制連行」だの「慰安婦問題」だの当方の「国家犯罪」を棚に上げて一方の「国家犯罪」議論だけが突然実のある形で語られるとは考えにくい。

 そりゃ被害家族の気持ちは理解できる。しかし等量のお気の毒は彼の国の被害家族にもあることなのだ。北朝鮮政府が「拉致問題」などは存在しないなどとぬけぬけと言ってのける図々しさには腹が立つが、当政府もつらっとして「強制連行」はなかっただの「組織的な慰安婦狩り」などは公式記録にないなどと言っているではないか。それが国家というものだとふんぞり返っている手合いがいる限り、「国家犯罪」が被害家族の立場に立って解決されるはずはない。

 まあ、「ふり」だけでもされたら、望外の幸運と思っておくべきだ。(9/16/2002)

 国連演説をするブッシュのバカ面を見ながら嗤った。国連の負担金を20億ドル近くも滞納し、京都議定書から国際戦犯法廷の拒否までありとあらゆる国際的協調を蹴飛ばしておいて、よくもまあ「国連決議違反」などとイラクを非難できるものだと。

 頭のネジが抜けているというのはよくある表現だが、ネジ一つないジョージ・ブッシュの頭部はあの脆く崩れ落ちたあの貿易センタービルの構造同様チューブ構造になっているのではなかろうか。鉄面皮という外壁と手前勝手というコア支柱ですべての重量を支えるという構造。脳味噌がないのだからこの構造で十分なのだ。(9/13/2002)

 もし、赤穂浪士が直接吉良上野介を討たずに吉良の領国に攻め入り領民を殺してまわったとしたら、彼らの所行はどのように伝えられ、後世の者はどのように評価しただろう。

 ブッシュとアメリカ合衆国の軍隊が行ったことは上野介を討つ代わりにその領民を爆弾で無差別に殺戮することだった。これほどの非論理的な行動を国家の名前で行うことに異を唱える声の小ささよ。(9/12/2002)

 セブン・イレブンならぬナイン・イレブン。

 9月11日だった。意を決した数人のパイロットによって異常な針路をとった飛行機が、彼らの憎む政治体制のシンボルを壊滅すべく、大都市の中心部に向けて突進した。瞬時の爆発、四方に飛び散る破片、地獄の轟音の中で崩壊する建物、愕然として瓦礫の中を逃げまどう人々。そして、この惨劇を生中継するメディア・・・。

 これは去年の「ル・モンド・ディプロマティーク」10月号に掲載されたイニャシオ・ラモネ編集総長の記事の冒頭だ。記事は次のように続く。

 2001年のニューヨークではない。1973年9月11日、チリのサンティアゴだ。アメリカの後押しで、ピノチェト将軍が社会主義者サルバドール・アジェンデに対してクーデタを起こし、空軍が大統領官邸を集中砲火した時の模様だ。数十名が死亡し、以後15年にわたる恐怖政治が始まった。
 ニューヨークのテロ事件に巻き込まれた無実の被害者に同情するのは当然であるにしても、アメリカという国までが(他の国と引き比べて)無実なわけでないことは指摘せざるを得ない。ラテン・アメリカで、アフリカで、中東で、アジアで、アメリカは暴力的で非合法的な、そして多くは謀略的な政治活動に加担してきたではないか? その結果、大量の悲劇がれた。多くの人間が死亡し、「行方不明」となり、拷問を受け、投獄され、亡命した。

 「あけてやらないよ。お母さんの手はこんなに黒くはないもの」と子ヤギたちは言う。いったんははねつけられたオオカミはその手を外見だけ白くして子ヤギたちを騙すことに成功する。白く装って騙すというのは悪党の常套手段。女はおしろいを塗り、立候補者(candidate)は白いたすきをかける。極めつきは傲慢な心に人の皮をかぶせた白人という人種。わけてもアメリカ人はオオカミ、見かけの白い手の下は真っ黒に穢れている。グリム童話はこんな具合に人の世は変わらぬものと教えてくれた。

 「おれの足へ、白いこなをふりまいてくれ」と言いました。こなひきは、「おおかみのやつ、だれかだますつもりだな」とかんがえて、ことわりましたが、おおかみが、
 「きさま、おれのいうことをやらなきゃ、きさまをくっちまうぞ」と言ったので、こわくなって、おおかみの足を白くしてやりました。ほんとうのところ、まあこんなものですね、人間というものは。

金田鬼一訳「完訳グリム童話集−1−」から

(9/11/2002)

 日経夕刊に東電原発スキャンダルについておもしろい記事が載っている。見出しは「別の重大事故影響か――反原発の流れを懸念」とあり、点検記録の改竄をおこなった背景は当時幾つか発生した内外の原子力事故と関係して反原発の流れが加速することを防ぎたいとの意識があったためだというもの。記事は89年1月の福島第二原発3号機の再循環ポンプ破損事故をあげて、その事故で厳しい批判を受けた東電としては定期点検で指摘された「ささいな」トラブルを報告して反原発の流れを助長したくなかったのだと「弁護」している。東電、なかなか巧妙な情報コントロールを始めたようだ。

 ハインリッヒの法則というのがある。労働災害の発生確率を分析しハインリッヒはこんな法則を発見した。1件の重大事故の周辺には29件の軽度の事故があり、そのかげには300件のヒヤリ・ハッと経験が隠れているというもの。品質管理関係者とか類似の仕事をしている人たちはささいな事故や軽度の事故の累積統計を取って常に1:29:300という数字を意識している。判を押すように330回目に「ドン」と来るわけではない。しかし、累積値があるレベルに達する頃には予防キャンペーンなど、いろいろの手を打っている。あったことを、またはその予兆の一つ一つを、「具合が悪いからなかったことにしよう」とする、つまりヒヤリ・ハッとの意味など考えぬ風土ではこういう知恵ははたらかない。

 最近の新聞記者は不勉強だから、常習詐欺犯である東電の広報担当に「反原発で騒ぐ奴がいるから」といわんばかりのことを吹き込まれると、「何も分からんくせに騒ぎ立てるバカ住民よりは国策である原子力振興が大事だ」などと、貧弱な現実をただただ追認する記事を書いてしまうのだろう。(9/10/2002)

 注目の貴乃花復帰の一番。高見盛を寄り切って勝ち。

 初代若乃花、二子山理事長の晩節を汚したという藤島部屋と二子山部屋の合併から、若貴にいいイメージを持たなくなった。だから貴乃花には好意的ではない。しかし、それでも去年の夏場所以来、1年4か月ぶりの土俵に対するある種の恐怖はいかばかりのものであろうかと、この一番ばかりは久しぶりに貴乃花を応援するような気持ちでテレビの前に座り込んだ。

 相撲そのもののよしあしは分からない。しかし、押し出して勝ったときの貴乃花の左足が少し流れていたことが気になった。いや、もっと気になったのは貴乃花の「燃えない」表情、「光ることのない」眼だった。長期の休場に立ち至った優勝決定戦の時の夜叉のような表情と力の入った眼光はもう戻ることはないのだろうか。(9/8/2002)

 東電原発虚偽報告事件について。一部のマスコミ論調にこんなトーンがある。「検査記録を正確に報告しなかったことが問題、内容そのものは致命的なものではなく運転を継続したことそのものは妥当」というものだ。運転の継続について意見を求められた「専門家」も、大地震でも発生しないかぎり伝えられる程度のひび割れは致命的な事故にはつながりにくいと言っている者もいる。そういう声があるからだろう、辞任会見で南直哉社長はこんなことを言っている。「建設の基準と維持の基準が同じ。極端にいえば新品と同じにしなければならない」と。

 こういう理屈が純技術的にどの程度正しいのかについては分からない。しかし、彼らは二つのことを見落としている。ひとつは原発が他の工業施設とは一線を画する危険さを有しているということだ。仮に火薬工場が大爆発を起こしたとしても死傷者はその時爆発の影響圏内にいた人にとどまる。事故の翌日には人海戦術で多くの人を出して現場の復旧作業が進められる。これに対して原発の事故は「その時」「その爆発の影響圏内」には限定されない。事故後何十年ものあいだ人はグラウンドゼロには立ち入ることはできない。そのことはチェルノブイリの事故が明確に示している。原発を他の工業施設同等に考えるのは決定的に間違っている。(「大地震でも発生しないかぎり大丈夫」などというヤツの脳味噌はおそらく人間のものではないのだろう)

 もうひとつの見落としは継続運転の妥当性を判断した前提があくまで現在露見した事実(GEIIの担当技術者が告発したこと、つまり彼が見聞きした範囲内のこと)によっているということだ。既に東電は長期間にわたって虚偽の事実を報告しデータの改竄を行っていた。彼らは「犯罪常習者」なのだ。常習的な犯罪者の供述内容のみに寄りかかって安全を判断する、これほど危ういものはあるまい。

 マスコミはこんな基本的なことに気がつかないのだろうか、それともアナだらけの理屈と知りながら書いているのだろうか?(9/7/2002)

 環境サミット最終日、パウエル国務長官のスピーチはさんざんだったらしい。

 「世界の貧しい人たちが、開発のサイクルに加われるようにする」とブッシュ大統領の姿勢を説明している時、最後方のNGOや報道関係者の席に「裏切られた」と書かれた緑の横断幕が掲げられた。「ブッシュくたばれ」の声、拍手とブーイングが同時にわき、演説を一時続けられなくなった。

 パウエル氏は再開したが、「米国は地球温暖化対策に真剣に取り組んでいる」と話すと、再び「うそだ」の叫びとともに、ブーイングと足踏みが演説をかき消した。(朝日朝刊)

 パウエルは今期限りで国務長官を辞めるという話が報ぜられている。バカブッシュのサポートなどこれ以上できないということなのだろう。当然の話だが、なに、ブッシュ自身が今期限りだろうよ。

 それにしてもあと2年もこんなバカを大統領としていなくてはならない合衆国民に心から同情したい。(9/5/2002)

 東証、一時9,000円割れ。終値、9,075.09円。七営業日続落。連休明けの3日のニューヨーク株は8,308.05ドル。一服したかに見えた両市場は再び下げ貴重に入ったものらしい。そういえば先週竹中が第二四半期のGDP対前期比で0.5%プラス成長したとうれしそうに発表していたっけ。皮肉なものだ。(9/4/2002)

 結果は田中の圧勝、長谷川の惨敗だった。確定得票を書いておく。

田中康夫  822,987
長谷川敬子 406,559
(以下泡沫候補4人、各、24,261、15,255、9,061、2,058)

 格別のことはない。喧嘩をしかけた方が度し難いほどバカだったというだけのことだ。だいたい知事提出議案をすべてそのまま通しておいて、その続きに不信任案を可決するということ事態が精神分裂病的で常人には理解しがたい行為だった。出馬した候補者(野合した元サンケイ論説委員ということが看板のおバカさんを含めて)も自分はどのようにアピールするのか戦略はおろか戦術さえ定まらなかったのだから、話にも何もなりはしなかった。なおも反田中を主張したい人たちにはアドバイスをひとつ。「ポピュリズム」のレッテルで長野県民と田中を語ることはピント外れだからやめた方がいい。今回の選挙の愚かさはそんなところにあるのではないから。

 陰に隠れそうなことを書いておこう。知事選と同時に行われた二つの県議補選は、下伊那では自民が共産を押さえたものの、上田では共産党の新人が羽田孜の推す候補を破って当選していること。来年春の県議選に影響する地殻変動は既に起きているのだ。(9/2/2002)

 東電の原発スキャンダルはどうやら組織的なものらしい。システムセッティングなどに気を取られて記録できなかった金曜日の朝刊のデータを書き写しておく。

福島第一原発 福島第二原発 柏崎刈羽原発
1号 1号 1号 ×
2号 2号 ×■ 2号
3号 3号 ×■
4号 × 4号 ×■
5号 5号
6号
●:問題の機能を修理交換済み
×:シュラウドにひび割れの疑い(未修理)
■:ジェットポンプの固定用部品に隙間や摩耗の疑い(未修理)
▲:ジェットポンプの計測用配管にひび割れの疑い(未修理)

 三ケ所の事業所のすべてで同様のごまかしが行われているとなると、ローカルな組織や担当個人の勝手な行動でないことは明らかだ。朝刊には「シュラウドにひび割れが見つかれば、所長なり、それなりの人にただちに報告が上がる。炉心にレンチを置き忘れたケース(福島第一原発3号機のことらしい)などは、基本中のキの問題」という原子力技術担当幹部の言葉が載っている。(加納時男は彼のホームページによると「平成元年、取締役原子力本部の副本部長に就任」と誇らしげに書いているから、おそらくこのあたりの実情についてはよく知っていたに違いない

 夕食を駅近くの「離宮」のバイキングコースにしようと**・**と出かける。終わり頃、**の携帯にニュース速報が入った。「長野県知事選、田中当確」という内容。8時15分頃だった。8時に投票を締め切って8時15分の当確、よほどの大差だったらしい。(9/1/2002)

 ニュースを一つだけ。小泉首相が来月17日前後に北朝鮮を訪問、金正日と首脳会談するという発表。伝えられるところによると、政権についてすぐに事務方に首脳会談の可能性について検討するように指示していたとのこと。首脳会談ともなれば、ただ会ってきましたでは済むまいから、水面下で長期的な段取りがあったことは確かなのだろう。少しばかり見直したという印象。(8/30/2002)

 東電が新潟・福島の両県に持っている原発のほとんどすべての炉の各所にひび割れがあることを承知しながら定期点検記録をごまかして運転を継続していたことが露見した。問題はこれがごく最近のことではなく、明確になった分でも80年代からの恒常的なごまかしであるらしいこと。

 原発はさまざまなウソとごまかしなくしては運転できない代物だということは、少しばかり丁寧に原発関係のニュースを追ってみれば、誰にでも分かることだ。

 その昔、原発推進派は原発は絶対に安全なものだと言い張っていた。79年にスリーマイル島で事故が起きても、彼らは「TMIは仮に事故が起きても致命的なことにはならないという一つの例だ」とふんぞり返った。86年にチェルノブイリで事故が発生してはじめて、彼らは「原発が危険なものであること」を認めたが、「ソ連のような管理水準の低い国で発生したもので先進国とりわけ日本ではありえない事故だ」と主張した。その傲慢さは99年に東海村でJCOが臨界事故を起こすまで改まることはなかった。傲慢で、平然とウソをつき、データを改竄することなど何とも思っていないのが、彼らだ。

 思い出す人物がいる。今は参議院議員の加納時男。「朝まで生テレビ」が始まったばかりの頃、「原発論争」に東電の原子力関係広報担当として出席した男。いかにも文科系出身の能吏らしい慇懃無礼さで「原発は危険なものだという十分な認識のもとで、万全の体制でここまでしなくとも思うくらいの慎重さを持って運転している」というようなことを薄っぺらな唇でまくし立てていた。なんのことはない、あのとき加納はテレビカメラの前でとうとうと嘘八百を並べて、腹の中では舌をペロリと出していたのだろう。(もし、何も知らなかったとしたら、何も知らずに「万全の体制」などといい加減なことをしゃべったそしりは免れまい)

 もう一人思い出す人物がいる。去年、刈羽村で行われたプルサーマル計画の是非を問う住民投票の時、計画賛成派として東電の走狗をつとめた土田智明。彼は東電のこの実態を知っていたのだろうか。いま彼はプルサーマル計画の是非についてどのように考えているのだろうか。(8/29/2002)

 通勤の電車の中で前の人が持つスポーツ紙の見出しが目に入った。「西口、悔しい二安打」。昨夜のライオンズ−マリンズ戦、西口は9回2アウトまでノーヒット・ノーランで来て、小坂にセンター前にテキサス性のヒットを打たれたのだった。通常なら「西口、二安打、マリンズを完封」となるところが、その二安打がオーラスに並んだために「悔しい二安打」という見出し。

 あれはいつ頃のことだったろう。まだ、東京ドームになる前、後楽園スタジアムの頃、**さんや**さんたちと行ったジャイアンツ−カープ戦でのこと。その日はカープキラーの異名をとっていた定岡が先発。初回、先頭打者にヒットを打たれたものの、その後はのらりくらりで、とうとう完投してしまった。

 試合が終わって席を立つときに「気がついた? 定岡、準パーフェクトだったんだよ」。「エッ、あれっ、そういわれてみれば」。実は先頭打者のヒットの後、定岡は一本も打たれずに完封したのだった。しかし、翌日の新聞にはパーフェクトのパの字も載っていなかった。ひょっとすると定岡もそのことに気がつかなかった・・・、そんなことはないだろうなぁ。

 ホークスの秋山、引退。と、これは昨日のニュース。日本シリーズでのバック転によるホームイン、あれが彼のベストショットだったと思う。(8/27/2002)

 今度の日曜に投票のある長野県知事選の前座をつとめる形の下諏訪町長選は、結局、「脱ダム派」が当選した。投票率は78.74%、当選は高橋文利、6,723票、県議や町議に推された隠れダム推進の石川富蔵、4,344票、保守だが「ダム中止」という主張の尾上武、4,003票。

 地元県議の浜康幸の顔が見たい。「砥川にひどい目にあっているからこそ下諏訪ダムが必要、地元の人はよく分かっている」はずだったが。さて、来週はどんな結果になるものか。伝えられるところによると、田中の対抗馬はもはやダム問題は争点にせず、もっぱらその政治手法を問題にしている由。何とも不思議な成り行きになったものだ。(8/26/2002)

 ミドリ十字経営陣に対する薬害エイズ業務上過失致死容疑の控訴審判決。松下廉蔵、禁固1年6ヵ月。須山忠和、禁固1年2ヵ月。一審では、それぞれ、禁固2年と1年6ヵ月だった由。(一審で同じく禁固刑だった川野武彦は去年5月に病死したということで控訴棄却)

 二審が何を根拠に一審の量刑を減じたのか、短いニュースではよく分からないが、彼らに酌量すべき情状などあろうとは思えない。市民感覚でいえば立派に「未必の故意による殺人だ」といっても言い過ぎではない。

 それにしても思い出されるのは、一審無罪になった学匪安部英のことだ。彼は86歳とのこと。急がなくては最大、最悪の犯人がのうのうと畳の上で死ぬことになる。この事件ばかりは「罪を憎んで人を憎まず」という気持ちには到底なれない。亡くなった数百人にも及ぶ被害者も気持ちは同じだと思う。(8/21/2002)

 ブッシュは26日から南アのヨハネスブルグで開催される環境サミットにパウエル国務長官を出席させ、自らは継続中の夏休みを満喫するとのこと。それにしても当節、環境に関する国際会議をサボるとはね。ブッシュにはアメリカ大統領としての責任感はかけらもない。

 横須賀市では原子力艦船からの放射能漏れに対する訓練を実施。問題なのは根本原因たるアメリカ軍がこの訓練にいっさい協力しなかったということ。軍の最高指揮官が環境サミットよりは休暇が大事ということだもの、この対応もむべなるかなということ。(8/20/2002)

 朝刊に二つの記事。

【ワシントン17日=ニューヨーク・タイムズ特約】80年代のイラン・イラク戦争末期、当時のレーガン米政権が、イラクが化学兵器を使用していることを知りながら、軍事情報の提供などイラク軍支援を極秘裏に継続していた、と米国防総省の複数の元幹部が明らかにした。・・・(略)・・・証言によれば、支援はこのほか、詳細にわたるイラン軍展開情報の提供や、空爆や戦闘計画の立案支援、攻撃結果の評価など多岐にわたり、国防情報局の職員60人以上が携わったという。支援を得たイラク軍は88年、ペルシャ湾に通じる南部の要衝ファオを奪還。その後、現地を訪れた米軍の情報将校が、化学物質汚染地域を示す標識や、化学兵器対策の医薬品コンテナを目撃し報告を上げていたが、米政権が軍事支援を停止することはなかったという。(朝日朝刊)

米主要企業のトップらが、決算書の正しさを保証する宣誓書を出す期限だった十四日、米株式市場では混乱は起きなかった。不正会計が相次ぎ表面化し相場が下落する「十四日危機」説もあったが、杞憂に終わった。・・・(略)・・・しかし、エンロンなどを相手取った株主代表訴訟を手がける弁護士のウィリアム・リラック氏は「宣誓書は必ずしも本当の粉飾決算をあぶり出すわけではない」とくぎをさす。不正会計に手を染める経営者がいた場合、正直に告白するはずはないとの見方だ。依然として、粉飾決算が隠されている可能性は残る。(日経朝刊)

 アメリカはイラン憎しの時はイラクが化学兵器を作り使用することを認めて軍事支援していたが、イラン革命の余波が治まるや否や今度はその化学兵器を理由にイラクに戦争をしかけようとしている。

 一方、粉飾決算をきっかけとして株式市場が混乱したら、経営責任者の紙切れ一枚で悪いことは何も起きていないことにしようとしている。どうだろうフセインも「化学兵器や核兵器など作ろうと考えてもいません」という宣誓書を提出したら。アメリカという国ではそれで事は済むようだ。(8/19/2002)

 昨日、タイガースはスワローズに負けて、開幕七連勝以来あった貯金をすべて吐き出して勝率五割になってしまった。星野は負けたショックもあったのか、「こんな野球をやっていたら貯金もくそもない。ゼロ以下だ」と怒りまくっていた由。しかし、そんな野球をやる選手を育ててきた責任は、最終的には指揮官にある。

 春先、快調に首位を走っていた頃、「監督が代わるだけでチームはこうも変わるものか」という論調があり、星野もその気でいたようだ。しかし、顔ぶれが大きく変わらない以上、指揮官が兵を鍛え直す以外にチームの体質が強くなる道はない。受け継いだリソースを脅しておだてて使うだけでは、ちょいとひと暴れはできるかもしれぬが、所詮そんなものは春の椿事。「戦に勝つのは兵の強さであり、戦に負けるのは将の弱さである」くらいの意識が指揮官になくて、沼地の兵がそだつものか。勝った勝ったは監督の功績で、負けた負けたは選手の責任というのでは、星野は永久に焼畑農法式の監督から一歩も出ていないことになる。

 もっとも、この世の中、「戦に勝つのは俺のせい、戦に負けるのは部下のせい」という管理者の方が多数派であることは間違いのないところだが。(8/18/2002)

 昨日、豊里に来た。12時半に所沢を出て、6時半着。関越道は所沢のインターを入ってすぐに新座の料金所までべったりだった。外環を経て、東北道。上りはかなり渋滞しているようだったが、こちら側はいたって順調だった。

 豊里で辛いのはライオンズ戦の中継がないこと。特に昨夜からは最後の優勝争いシリーズになりそうな対バッファローズ三連戦だっただけに中継が見られないのは残念。

 トルーマンだったか、ルーズベルトだったか、いや、ルーズベルトもセオドアだったか、フランクリンだったかもはっきりしないが、「野球は9−8がおもしろい」といったという。9対8ではなく、8対7だったかもしれぬ。いずれにしても取って取られて、取られて取ってのシーソーゲームがおもしろいということで、けっして一気に片方のチームが8点だの9点だのをいれてしまってはおもしろい試合にはならない。これが常識だろう。

 ライオンズ−バッファローズの第一戦は1、2回にバッファローズが9点を入れてしまった。まあ、ふつうならば、初戦はバッファローズ先勝で9ゲーム差という気の抜けたビールのような「首位決戦?」をちょっとだけおもしろくしてスタートというはずだった。しかし、なんとライオンズは3回に3点、4回に7点を入れてひっくり返してしまった。ライオンズがすごいというべきなのか、9点を先取しながら前半戦で逆転されるバッファローズがだらしないというべきなのか、そのプロセスを見なければ何ともいえない。中継を見られなかったことがかえすがえすも残念だ。

 少しばかり深夜のスポーツニュースを追いかけてみたが、そろいもそろって松井の決勝ツーランの映像ばかり。急に佐々木信也が担当していた頃の「プロ野球ニュース」が懐かしくなった。佐々木の「プロ野球ニュース」がユニークだったのは得点が入ったところだけをクローズアップしなかったことだ。その頃の「プロ野球ニュース」は時に得点シーンをカットしてでも試合の流れを決めたあるいは変えたシーンを紹介していた。いろいろなシチュエーションにおいてバッテリーは何を考えているか、いかなる意図を持って配球するか、守備についている選手は何を考えているか(考えていないか)、バッターとネクストバッターはどのように考えているか、佐々木はそういうことをコメントし、あるいはそういう意図のもとに映像を編集した。

 「先発のパウエルが誤算だった」、「カブレラがよく打った」などのコメントはいくばくの情報量もないただの「記者の感想」に過ぎない。そんなものからは試合はおろかチームの実力も現況も分からない。結果に一喜一憂する単細胞のファンはそれでよいだろうが、試合を味わいたいファンには昨今の見出しのみのスポーツニュースは少しもおもしろくない。(8/17/2002)

 盆休みなのだが、***のハードディスク対策の関係で出勤。いつも通り8時半前に入り、6時半過ぎまで詰めた。

 終戦記念日。「記念日」という以上はなかなか「敗戦」の語を冠することができぬものと見えて、だから「終戦」記念日というらしい。なんだか「サラダ記念日」のようだ。「なんなんだ、それ?」とも尋ねにくいから聞き流しているが、何度聞いても、どうも座りが悪い。

 いっそのこと他の祝日と同様、「敗戦の日」とでもしたらよかろうに、世の中、失敗したことや負けたことを直視する気持ちを持てる人は少ないから、そういうことにはなりそうもない。特に近年は靖国問題を持ち出すことで、負けた口惜しさや失敗した悔やみなどを忘れて、感情的にこの日を過ごすことばかりがはやりになっているようだ。(負ける戦をやったバカは誰だ、丁半博打にすべてを賭けたヤツは誰だ、どこのどいつが宣戦を布告し、その責任は誰が取ったのだ、はんこを押したヤツはどこにいる、・・・、この国のナショナリストはなぜそう尋ねないのだろう、神社の縁日で仲間内でおだを上げて自己満足できるたぁ、幸せな連中だ)

 お昼、がらんとあいた会社の席で一人黙祷をした。戦没者のおかげで今日の平和があるなどという。戦争は悲惨だ、広島、長崎、空襲、・・・、いろいろなことが語られている。しかし、心の中では別の声がする。「おいおい、自分のこと、手前側のことだけしか想像できないのかい」と。「よその国に押し入って乱暴狼藉をはたらいたのだから、天に向かって吐いた唾が自分の面に落ちてきたって、それは自業自得というものだろうよ」と。

 だが、広島、長崎、各地の空襲犠牲者の延長線には、日本人という手前勝手な隣人のために命を落とした父ちゃん、母ちゃん、小父さん、小母さん、頑是無い子供がいる。壮大な数の犠牲者たちだ。自分たちの不心得や不始末ではないのに、大日本帝国の引き起こした騒乱の中で、本意なく命を落としたアジアの人々。彼らの無念だって、この国の戦没者の無念と同じ、いやそれ以上のはず。

 毎年、毎年、この国では「戦没者」の慰霊を行っているが、「戦没者」の中に彼らは入っていない。何年経ってもそこまで目が届いていないのがこの国の「終戦記念日」のスナップショット。

 ああ、オレは、つくづく、この国が嫌いになった。オレは「オットセイが嫌いなオットセイ」だ。(8/15/2002)

 長野県知事選は明日告示。きょうになって、花岡某なる元サンケイ新聞論説委員が立候補を断念して、長谷川敬子の支持にまわるという記者会見をした。その弁、「長谷川さんから一本化の申し入れがあり、自分の政策を組み入れるというので長野再生のために断腸の思いで決断した」というもの。たしかに反田中の対立候補が乱立しては田中康夫に利することになるということはあろう。しかし、もともと花岡某にどれほどの「政策」があったものか。

 政策協定した相手の長谷川は、ついさっきのニュースステーションでこんなことを言っていた。「わたしも長野県の課題についてはよくは分からないのです。ですから、県庁の方にいろいろアドバイスをしていただいているんです」と。田中はだめだという主張のご当人が田中並みにも達していないというのも驚きだったが、花岡はそのすっからかんの「政策」のどこに「自分の政策」を組み入れたというのだろう。

 花岡よ、サンケイのようなイデオロギー新聞の社内では「反田中」というだけで十分に「政策」なのかもしれぬが、ふつう、世間一般ではそんなものを「政策」とは呼ばないのだよ、バカだねぇ。

 そういえば前回の都知事選、野末陳平が舛添要一にゆずり「野合」と揶揄されたものだった。あの二人くらいの知名度があればまだしも、花岡・長谷川などという組合せでは「野合」はおろか「田舎芝居」にもならぬ。・・・と書いてから気がついた、♂花岡、♀長谷川、おお文字通り「野合」ではないか。(8/14/2002)

 6日の広島、昨日の長崎。今年の両市長の平和宣言は核廃絶に明確に背を向けているアメリカ政府を名指しで非難したものであることが印象に残った。

 アメリカ政府は、「パックス・アメリカーナ」を押し付けたり世界の運命を決定する権利を与えられている訳ではありません。「人類を絶滅させる権限をあなたに与えてはいない」と主張する権利を私たち世界の市民が持っているからです。(広島市長平和宣言から)

 米国政府は、テロ対策の名の下にロシアとの弾道弾迎撃ミサイル制限条約を一方的に破棄し、・・・包括的核実験禁止条約の批准を拒否し、・・・核による先制攻撃などの可能性を表明しています。また、ロシアと締結した戦略攻撃兵器削減条約も、取り外す核弾頭の多くを再び配備できるようにするなど、国際社会の核兵器廃絶への努力に逆行しています。こうした一連の米国政府の独断的な行動を、私たちは断じて許すことはできません。世界の良識ある人々も強く批判しています。(長崎市長平和宣言から)

 アメリカには「核戦争を待望する人びと」がいる。聖書根本主義、fundamentalistと呼ばれる人たちだ。他の「原理主義者」たちと同様、彼らは徹底的に自分たちと考え方を異にする人たちに非寛容で、彼らの敵が殲滅されるハルマゲドンに核戦争を重ね合わせて、その日を待ち望んでいるという。ブッシュがキリスト教右派にその片足を置いている以上、彼の頭の片隅には「核戦争を待望する人々」と共有する独特の終末論があるのかもしれない。(8/10/2002)

 朝、自転車でひとこぎしてから空を見た。気持ちのよい青空だった。茶畑の角を曲がるまっすぐ向こうには秩父の山々がくっきりと見えた。ここなしか風もさわやかだった。

 期待をして電車に乗った。立川を過ぎて多摩川の鉄橋にさしかかる前、はたして左前方の窓外には富士山が見えた。夏の富士は雪がないので黒くヌボーとして平凡なその他大勢の山とさして変わらない。

 暑熱の季節の影にそっと秋の便りが忍んでいるように思ったのは、立秋と聞いたからか。(8/8/2002)

 日ハムが狂牛病対策として国に買い取らせた肉を国の確認検査前に焼却処分した1.3トンのうち、520キロ分が輸入肉だったことが分かり、雪印とまったく同様の犯罪行為をしていたことが露見した。もう、ほとんどの人がこの類のことは、企業の大小にかかわらず、ごく当然のように行われていることを疑わなくなった。

 ニュースコメンテーターの中には「いったいこの国はどうなっちゃったんだ」というようなことをいっているものがいるが、何のことはないこれが利益追求至上主義の社会では当たり前のこと。会社は利益をあげるためにはありとあらゆることをする。「犯罪行為」ですらリスクとメリットの比較較量の中でメリットが大きいと判断されれば、後はやってのける胆力の有無の問題だとされている。これが戦後一貫したこの国の経済行動というものだった。

 ただ会社は終身雇用である一定の安心感を与えて社員を囲い込んでいたから、そういう際どい企業犯罪が露見することがなかっただけの話。その状況が変わってきた。人を安く使うことにあの手この手を駆使するようになった。リストラはその一つの形態に過ぎない。子会社を作り、際どい仕事をやらせ、本体より安く人を雇い、その処遇をアルバイト並みに押さえるようになった。恩顧のない使い捨てされるメンバーに忠誠心を期待するのは心臓というものだ。

 だから、いろいろな形で内部の事情が漏れ始め、もともとやってきた黒い体質が白日の下にさらされるようになった。「この国はどうにもなっていない」。もとからこの程度の「犯罪行為」はいろいろな形であった。それが「内部告発」という形で見えるようになって来たというだけの話。(8/7/2002)

 防衛庁のネットワークシステムの設計データが外部に流出し、そのデータの買い取りを迫った会社社長と元自衛官をシステム設計を受注した富士通が告訴したというニュース。

 漏洩したデータは拠点間を結ぶ回線接続図やIPアドレスの一覧。防衛庁は「専用回線で結ばれているので、外部からの接続は不可能だ」といっている由。一般論としては正しい。しかし、回線の接続関係が分かるということは、ネットワークの抗堪性のどこにウィークポイントがあるかが分かってしまう。さらに、すべてを防衛庁の私設線で構成するものでない以上、どの通信業者の専用線をどの部分でどれだけ使用しているか、さらには万止むを得ず一般回線をVPNなどで利用しているかなどということも、ちょっとした調査をすれば分かってしまう。とすれば、素人ならばいざ知らずセキュリティが売り物の官庁のコメントとしてはいささかお寒い。

 もっとも、このネットワークにつながるパソコンのOSをWindowsにして平気でいられるのだから、所詮、防衛庁のセキュリティ意識など、こんなものといってしまえばそれまでだが。(8/6/2002)

 朝日朝刊に昭和天皇とマッカーサー、リッジウェー(マッカーサーの後任)との全18回(マッカーサー11回:1945年9月27日〜1951年4月15日、リッジウェー7回:1951年5月2日〜1952年5月10日)に及ぶ会見の内容を伝える通訳の手記が見つかったこととその概要が報ぜられている。手記は松井明。清浦奎吾内閣で外相を務めた松井慶四郎の長男、1908年生まれ1994年没、一貫して外務省に勤め、1949年7月から1953年3月まで昭和天皇の通訳を務めたという。

 松井の手記は天皇とGHQ最高首脳との会談の内容を後日のためにまとめることを意図したものらしく、自分が直接通訳に当たらなかった第一回から第七回(1949年1月10日)までについても記載がある。第八回(1949年7月8日)については具体的な記述はほとんどなくマッカーサーとの第九回(1949年11月26日)から後について全体で400字詰め原稿用紙で246枚ほどのボリューム。

 内容的に驚天動地の新事実というほどのものはない。しかし、職業軍人でありながらある種の「哲学」を持っていたマッカーサーと、所領を安堵してくれたアメリカに対する天皇の一種の忠勤ぶりが仄見える。さらに朝鮮戦争が勃発しマッカーサーが解任され元帥ではなく中将が相手になると、裕仁は根っからの「軍事オタク」らしいやり取りを交していたことも窺える。とくに「目下、共産側は大攻勢に転ずる兆候はないとのことであるが、仮に大攻勢に転じた場合、米軍は原子兵器を使用されるお考えはあるか? この問題に対してはおそらく貴司令官も答弁する立場にないと言われるかもしれないが?」などと質問しているくだりなどは、もしかするとマッカーサー解任のことを頭に置いていたのかもしれないが、どちらかといえば素人っぽい床屋談義に限りなく近くて嗤わせられる。

 記事に対して朝日は「著作権者の許諾が得られないため、引用は著作権法上の『正当な範囲』にとどめた」と書いている。いずれにしても貴重な史料であることは間違いなく、著作権相続者にはなるべく早い全面公開が望まれる。

 住基ネット、きょうから供用開始。(8/5/2002)

 また、ハードディスクが認識されなくなった。買い換えるにしても環境とデータの移行は不可欠と、まずこのPCにドライブを増設し、バックアップデータを復元させようとMaxtorのドライブを買ってきた。ATA133の80ギガで税込み14,490。秋葉原あたりまでいけば、もう少しやすく買えるのだろうが、急いでいるときは仕方がない。それでも最初に買ったハードディスクは40メガで約40万。容量は2千倍になり、価格は約25分の一。

 ぐちゃぐちゃの配線を何とか整理して組み込んだがBIOSの設定に手間取り、やっと何とか動いたのが10時過ぎ。とりあえず、これを書いて、パーティションの切り直しやらなんやらの作業をする予定。(8/3/2002)

 来週月曜日からの稼働を前に、急に関心を集めた住基ネット。矢祭町に続いて、杉並区、国分寺市などが接続見送りを発表した。

 真砂の数ほど多い大地の民をバラバラの砂にならぬようにくっつけているのは漢字だといわれる。共産党政権になってからは、「ダンアン」と呼ばれる個人の履歴書がこれに加わった。人事政策のカギとなるこのダンアンを握ることで、党は十億の国民をガッチリつかむことができる。国民は孫悟空のように遠くへ逃れたつもりでも、ダンアンという党の手のひらから一歩も出られない。
 「ダンアン材料」は身上調書である。だが、それは姓名、性別、生年月日、民族、学歴、本籍、現住所といった履歴書にとどまらない。「家庭出身」(出身階級)、「本人成分」(本人の階級所属)、「政治面目」(所属政党)のほか、・・・(中略)・・・ここまでは、本人が記入するところである。普通は小学校卒業の時から「ダンアン材料」を書くよう指導され、就職、大学進学のときに正式なダンアン材料が"脱稿"される。これは本人に一生ついてまわり、入試や就職、転勤、昇進、留学などの際、重要な役割を果たす。

――船橋洋一「内部−ある中国報告」――

 船橋がこの本を書いたのは約20年前のことだ。かの国にまだこのような制度が残っているのかどうかは知らない。だが共産党政権が存続している限り似たようなものがあることは想像に難くない。ひょっとすると、かの国では「ダンアン」はとっくにデータベース化され、ネットを通じて共産党幹部や警察関係者、いやいやいまや経済発展目覚ましいかの国柄のこと故、「**公司CEO」にも配布されているかもしれない。

 総務省の役人がもみ手をしながら、「便利になります、お役に立ちます、セキュリティは万全です」と猫なで声で住基ネットをPRしているのは、日本版「ダンアン」をめざしているからか。

 遠くない、ある日、20代半ばの青年のところに防衛庁からダイレクトメールが来る。・・・「自衛隊に入隊しませんか、あなたの現在の給料より36,513円多くお支払いします。義務教育中の標準偏差が36.5だったあなたにはこれが最高水準の給与だと判定されていますが、いかがでしょう。ちなみに自衛隊に入れば、特例ポイントがあなたのIC住基カードにプラス。C級国民のあなたでもBマイナス級の住宅に住めるようになります。お申し込みはいますぐ。あなたの住基番号を返信するだけ」・・・。プライバシーなどクソくらえという、防衛庁らしい、なんともすばらしい行政サービスだ。(8/2/2002)

 やっとビックスの「Hirohito」の邦訳が出た。これほど邦訳の出るのを待ったのはエーコの「薔薇の名前」以来のこと。

 マスターネットで昭和天皇の戦争責任について書き連ねたとき、次の展開について「裕仁氏が受けた教育およびその教師とカリキュラム」と書きながら果たせなかった。

 いつかまとまった時間がとれるようになったら、なんとかと思っていたのだが、ビックスがそれをやってしまった。いつか、大塚英志が嘆じていた「戦後史さえも『彼ら』に書かれてしまった自分たち自身への深い忸怩に他ならない」、あの気持ちに通ずるもの。いや、それは気取りすぎ。「いいアイデアを先に使われてしまった」、そういうところ。(8/1/2002)

 加藤登紀子の「あなたの行く朝」はこんな歌詞だ。

いつの間にか夜が明ける遠くの空に
窓をあけて朝の息吹きをこの胸に抱きしめる
あなたの行く朝のこの風の冷たさ
私は忘れない いつまでも

 カラオケでいつも歌いたくなるが、中間のセリフの部分は気恥ずかしい。で、いっぺんも歌ったことはない。これが加藤の夫、藤本が収監される日の朝を歌ったものだと**に聞いた。真偽は確かめていない。「でも、彼女はいいのよ、彼はちゃんと帰ってくるのだから」と言った時の**の表情、いまもはっきりと思い出すことができる。

 その藤本敏夫が亡くなった。心優しき反逆者の冥福を祈って合掌。(7/31/2002)

 日経の朝刊「試練の米資本主義」特集に「エリート校の反省」というコラム。最近の企業会計不正事件にMBA取得のビジネススクール出身者が目立つことから、一部の養成校にカリキュラムを見直す動きが出ているという。嗤ったのは次の部分だ。

 大学側が恐れるのは「ビジネススクールは起業や財務のテクニックだけ教えればいいのか」という批判だ。今月初め、ブッシュ大統領は企業不祥事に関連した講演で「善悪の分別も教えるべきだ」とビジネススクールのあり方に言及した。

 ビジネススクールはエレメンタリースクールではあるまい。自分がきちんとした倫理観を持たない人間だからといって、他の多くのビジネススクール出身者までが自分と同じ程度の倫理水準にあると判断するのは大きな間違いだろう。

 思い出した光景。電車などでほんの少しの隙間にも割り込んで座ろうとする手合い(多くはオバタリアン)がいる。不思議なのは彼らもしくは彼女らのほとんどは、多少席が空いてきたとき、立っている人にスペースを譲ろうという態度を取らないということだ。狭いところに譲り合って座ることを要求するくせに、いったん座ってしまうと以前のことはコロリと忘れて平然と大きく座る。差し詰めジョージ・ブッシュという男はこうした典型的ジコチュウ人間なのだろう。(7/30/2002)

 ウォールストリート・ジャーナルとNBCがおこなった世論調査によると、「ブッシュ大統領が大切にしているのは?」という質問の回答で、「一般国民の利益」と答えたのが36%であるのに対し、「大企業の利益」と答えたのは49%であった由。さらにこんな回答も。「企業トップの経験者が政権にいるのは悪いことだ」は50%。しかし、この質問は少し遠慮をしている。ブッシュやチェイニーは企業のトップであったというよりは企業に寄生していたダニで、だからこそまっとうな企業にはいられなかったという方があたっているらしいから。

 ブッシュはいわゆるMBA(経営学修士)なのだそうだ。ブッシュ家の中で格段にできが悪く、その劣等感からいくつかの「青春の過ち」を犯したジョージがMBAというのは意外な気もするが、どこぞの国の医者免許同様、広いアメリカだものカネを積めば修士号ぐらいどんどん発行してしまう大学ぐらいあるのかもしれぬ。(7/27/2002)

 朝日の朝刊、第三社会面に「ダム計画の現場 もう一つの首長選」という記事が載っている。場所は長野県下諏訪町。脱ダム宣言の焦点の一つ下諏訪ダムの計画地における町長選のレポート。現在の町長はダム推進派の新村益雄。98年にダム建設を公約に二期目の当選を果たしたが、今期限りで勇退する。

 次期町長もダム推進派と反対派で争われると思いきや、実はそうではないというのが記事のミソ。保守系から立つ尾上武は20日の立候補表明で「もう県の中止方針は出た。今後は河川改修など、すぐできる治水対策の実現を求めていく。住民もダムなしを求めている」とダム問題は争点ではないという姿勢を打ち出したという。革新系はダム反対では戦えず「ダムなしは単なる選挙戦略、彼らの本音は違う」と防戦している状況という。背景は地元ケーブルテレビ、地元放送局いずれの調査でも70〜80%がダム不要と回答していることにあるらしい。つまり、もはや「ダム推進」などと言っていては勝てないのだ。

 記事にはあのハマコーが出てくる。ハマコーと言っても浜康幸、サンデープロジェクトでダム推進の念仏を唱えていた下諏訪が選挙区の県議だ。「政治家なら世論におもねらず、安全のため必要と思えば、ダムを造ると主張すべきだ」と一見正論ではあるが、もうほとんどやけっぱちの発言。

 やっぱり県議会の解散もすれば面白かった。ハマコー、果たして自分の首がかかった選挙でも堂々とダム推進論を主張できたかどうか。いや、それより前に、背理法を使うことなくダム必要論を理論的に説明できただろうか。(7/25/2002)

 長野県知事選。政治評論家の森田実は田中康夫に対抗する切り札は「女性」だといっていた。なるほどそれくらいの目新しさが必要かもねと思っていたら、長谷川敬子なる弁護士さんが立候補する由。最初にその話が出たのは先週だったはず。本人は「固辞」しているというのがその時の報道だったが、どうやら早くも「その気」になったらしい。

 瞬時思い出した言葉は「昭和元禄田舎芝居」。自民党が目の上のたんこぶだった美濃部都知事の対抗馬として立てたのが秦野章という元警視総監だった。最初に都知事候補としての話があったとき、秦野は「オレは出ない。そんな話はいくらこの昭和元禄でも田舎芝居の筋書きにもならない」みたいなことをいって断った。しかし、程なく彼は前言を翻して美濃部と都知事の座を争い惨敗した。選挙の結果に「昭和元禄田舎芝居」発言の影響がどの程度あったかはわからない。だが、「なんだい、結局は出るのかよ(何のことはない、田舎芝居じゃねぇか)」というのが当時の学生一般の反応だったことは明確に憶えている。

 長谷川さんにアドバイス。一番賢明なのは、ずっと出るとも出ないともいわず、おおむね候補者の顔ぶれに見切りがついたころあいを見計らって、おもむろに出馬宣言をすることをおすすめします。そう三年前の石原慎太郎のように。たとえ、「後出し、慎ちゃん」と揶揄されようとも。(7/24/2002)

 先日来のやせ薬騒動で厚生労働省が問題の商品名を公表した。夜のテレビニュースの焦点はこの名指しされたやせ薬の方にあるようだが、スポットライトをあてるべきは厚労省のポリシー転換にある。

 厚労省は旧厚生省時代から一貫していつも企業サイドに立ってすべての政策判断をしてきた。企業サイドに立ったからこそ、水俣病の惨禍をより広汎により深くしたし、血液製剤を介したエイズ患者の発生をなるがままに任せたし、脳硬膜移植によるクロイツフェルト・ヤコブ病の発生も防げなかった。すべて国民の健康よりも営利企業の企業収益を優先させるという「立派な」政策方針が引き起こした事態だった。

 その過程で厚労省の役人が必ず用いた論理がある。まず、「適用できる法令・条文がない前例がない」から始まって、「(当該の)商品(あるいは生産品)と**病の発病に関する因果関係が明確でない以上、商品名の公表(あるいは発売禁止)などの行政措置はとれない」という論理だ。

 このような問題に関して「札付き」の官庁、厚労省がはじめて「食品衛生法の違反とも言えないし」、「薬事法の対象商品でもないし」、「発症のメカニズムが明らかになったわけでもないが」、「商品名を公表します」と言ったのだから「英断」といってよい。21世紀に至って初めて我が国の中央官庁が、死ぬ思いをしてでも痩せたいなどというどちらかというとあまりお国のためにならないような思考レベルにある国民の健康を気遣って、その政策ポリシーを一大転換したわけだ。

 厚労省には今後あらゆる場面でこの精神を貫いていただきたい。その輝くべき「前例」が今回できたのだから。(まさか相手が中国の製薬会社だから公表できたというようなことではあるまい)(7/23/2002)

 風呂に入りながら聞いたTBSの「アクセス」。先週金曜日のテーマは住基ネットだったとのこと。おさらい風に各意見の数字をあげてから小島慶子が代表意見を紹介していた。その中の意見。「運転免許証を持ち、パスポートを持っているのに、住基ネットに反対なんてナンセンス」というのだ。世の中には自分がバカであることを公の電波にのせてふれまわろうという奴もいるらしい。ちょっと自分の手許のものを確かめてみたらいい。運転免許証番号は12桁の数字、旅券番号はアルファベットと数字の組合せで9桁。問題の所在はこれが統一され、すべての情報を一元管理することにある。

 その住基ネットについて官房長官の福田がこんなことを言っている。「住基ネットに対して国民の間に十分な理解がない。それは否定できない。積極的な広報活動により、制度の内容や個人情報保護措置について国民の理解を求めたい。地方自治体において十分なセキュリティー対策が講じられるよう周知徹底を図ることが必要だ。また、継続的な点検、監査をこれから実施したい」と。

 防衛庁のリスト事件が起きたとき、福田はなんと言っていたか。役所側が個人情報の管理に関して意図的な侵害をしたとき罰則はどうなっているのかと問われて、福田は「もともと役所はそのようなことはしないことになっていますからね」と答えたのだった。役人は泥棒をしないか、役人は痴漢をしないか、そんなことはあるまい。点検、監査すべき第一候補は福田や総務省のお偉方の粗雑な脳味噌だろう。

 住基ネットへの接続を福島県の矢祭町(矢祭町といえば**君の故郷ではないか)が拒否。現在の住基ネットのアクセスログ機能は極めてプアだという。ということは、個人情報が漏れたときどこから誰が漏らしたかはなかなか特定できずにあやふやになり、当該の漏洩情報の発信元のみが責任を問われることになるだろう。こうしてみれば、矢祭町町長の拒否は当然、むしろ我が所沢を含めて他の市町村はよくもまあこれほど杜撰な仕組みを唯々諾々と受け入れようとしているものだということになる。(7/22/2002)

 プレステ2用のゲームソフト「ぼくのなつやすみ2」のテレビコマーシャル。「ほら、手をこうやってお日様にあてると、・・・」「ホントだ、お兄ちゃん、天才だね」というのを見ていて、ふと思い出した。夏祭りの縁日での話。

 「・・・世界的な発明なんだ、来年にはノーベル賞をとるかもしれない」、「おい、坊主、レントゲン、知ってるか、そうだスーパーマンがじっと見つめると隣の部屋まで見えちゃうって、あれだ」、「スーパーマンはテレビの話だから、ちょっとウソなんだ。レントゲンで見ると、そのままじゃなくて、じつは骨の形や脳みそが見えるんだ。病院に行くと白黒の写真であばら骨が映っているやつがあるだろ、おまえ、知ってるか」、「エッ、知ってる?、見たことある?、坊主、賢いな」、「あの写真は、病院にあるでかい器械でとるんだが、もう、あんな奴はいらなくなったんだ」、「ほら、これ」。

 「ウソだと思うんなら、ほら、自分の手のひらをお日さんの方に向けて、こいつで覗いてみろ」、「どうだ、病院で見た写真みたいに、黒いとことうっすらなんかあるとこが見えるだろ」、「その黒いのが坊主の手の骨だ、そのまわりのうっすらしたのが手の肉、透けて見えるんだよ、こいつは」、「さあ、高い器械じゃなくても、レントゲンみたいに見えるこの箱、きょうは特別、50円だ」

 金額は定かではない。しかし、当時の小遣い一か月分ぐらいだったような気がする。理科が得意で少しばかり同じ学年の子よりは知識があったのが仇になった。夜店や学校近くの道端でやっている「騙し」にはいっぺんも引っかからなかったのが自慢の少年はちょっとだけそういう子供に焦点を当てた語り口に手もなくはまった。「X線を当てなければ撮れない写真がそのまま目で見える。すごいッ」。もう、それだけで疑いなどこれぽっちも抱かなかった。

 大枚をはたいて買ってきたその青い小箱を家に持ち帰るやその装置の秘密を探るべく分解した。とても分解という操作ではなかった。長方形の箱の覗き穴とは反対の方の窓の裏には、鳥の羽が貼ってある、それだけだった。「光の回折」について知ったのはもっともっと後のことだった。(7/21/2002)

 四国から関東までの梅雨明け宣言。関東では平年並みとのこと。暑い。とにかく暑い。

 NY株式。19日:前日比−390.23ドル、終値8,019.26ドル。一時、8,000ドルを割り込んだ由。これはテロ後の最安値(9月21日8,062.34ドル)を下回り、98年10月14日以来の安値とのこと。9日以来、17日に一度反発したきりで連続的に下げている。

 通常、株価の下落に対して政権は直接的責任は負っていない。しかし、今回の動きの引き金が企業不祥事であること、しかもそれが限られた企業の問題ではなく、政治・経済の仕組みに起因していると見なされていること、そのことが問題なのだ。株価の低落の原因は単一ではないはずだ。だが、これほどの下げがこれだけ短期間に発生し、零細投資家が被害を受けるとスケープゴートが必要になる。

 有望な羊がいる。ブッシュ政権だ。現在までのところ、ブッシュやチェイニーが犯した罪は過去の問題で現在の状況には論理的につながってはいない。愚かなブッシュも及び腰ながら「対策」を発表はした。しかし、彼らの「過去の犯罪」と「現在の無策」を連続して説明するミッシングリングが完成すれば、ブッシュ政権はもたないかもしれない。

 ジョージ・ブッシュは、ひょっとしたら、今一度、911が起きることを心待ちにしているのではないか。昨日だか、一昨日だかのFBI高官のビンラディンの生死に関する発言などは、テロを待望する政権の撒き餌かもしれぬ。(7/20/2002)

 朝刊に、徳島県議会が知事の問責決議案を可決した旨の記事が出ていた。

 夕刊には、円藤前徳島県知事の収賄罪に関する初公判の記事が出ている。

 円藤は県発注の工事案件に対し既収・未収を含めて総計1,800万円のワイロを受け取った(約束した)ことで逮捕され県知事を辞職した。後をうけたのが大型公共事業の見直しを公約して当選した大田正だ。問責決議はその大田知事が吉野川河口埋め立て事業に消極的であることを難じたものらしい。

 「もとの濁りの円藤恋しき」という県会議員の意識が良く出ているではないか。なんとも絶妙のタイミングで問責決議を可決した徳島県議会のセンスに拍手。

 問責決議の賛否状況を記録しておこう。賛成は自民党県民会議、自民党交友会、公明党県議団、五月会、ガンバレ自由党、無所属の計33、反対は新風21、共産党で計8だった由。

 そういえば、自民党の徳島県議団は、過日、知事不信任案を可決して勇名をはせた長野県議団に激励電を打ちお守り袋も送っていたっけ。類は友を呼び、とかくメダカは群れたがるようだ。(7/19/2002)

 16日のNYダウは前日比166ドル8セント安、8,473ドル11セント。連続7日間続落で下落幅は900ドルを超えている。ブッシュ政権はというと、以下のとおり。

【ワシントンAP=共同】ブッシュ米大統領がハーケン・エネルギー社の株式を1990年6月下旬に売却する約二カ月半前、少なくとも半年間は売却しないことを確約する書簡に署名していたことが、このほど明らかになった。米証券取引委員会(SEC)が情報の自由法に基づき社内書類を公表した。
 大統領が90年4月に署名した当時、ハーケンは新規株式公開(IPO)を予定していた。しかし署名の数週間後に同社は資金難に陥り、IPOは頓挫。ブッシュ氏が念書をほごにして株を売却したため、不正にインサイダー情報を得た疑いが指摘されていた。

【ワシントン=時事】米エネルギー関連会社ハリバートンが2000年に経営悪化を公表、株価が急落する二カ月前に、同社の最高経営責任者(CEO)だったチェイニー副大統領は同社を去り、株を売却して巨額の利益を得ていた。16日付の米紙ワシントン・ポストは、副大統領をめぐる疑惑をこのように報じた。
 同紙によると、チェイニー氏が2000年の大統領選挙で副大統領候補となるため同社を去った同年8月、同社の株価は高値を付けており、同氏は株売却により1850万ドル(現在の為替レートで約21億円)の利益を得た。ところが、その60日後、同社が経営悪化の実態を投資家に発表、株価は4分の1に急落したという。米証券取引委員会(SEC)は1998年以降の同社の会計処理を調査している。

 アメリカの現在の大統領と副大統領はなかなかどうしてたいしたコンビのようだ。(7/17/2002)

 起き抜けのニュースではニューヨーク株は15日、一気に400ドル下げて、引けまぎわに反転、最終的に前日比45ドル安、終値8,639ドル19セントで終わったとのことだった。さきほどのニュース23では16日の寄りつきで百数十ドル下げていると報じていた。

 先週ブッシュはわざわざウォール街まで出かけて「企業は自社の経営幹部への融資をやめるべきだ」と演説したが、直後にブッシュが86年と88年に2回にわたって当時取締役を務めていたハーケン・エネルギー社から合計18万ドルの融資を受けていたという報道が流れ、民主党のダシュル上院院内総務から「大統領は自分ができなかったことを他人に押しつけるべきではない」と揶揄される始末。ブッシュがこのカネでハーケン株を購入し、購入と売却のそれぞれのタイミングでインサイダー取引をしたことも明らかになっている。かつて平然と泥棒をしていた男に泥棒を取り締まることを期待するのには無理がある。

 というわけで、大統領がどんな演説をしても市場はほとんど反応しなくなってしまった。かくなる上はカリスマ、グリーンスパンFRB議長がどのような話をするか。上院銀行委員会での彼の議会証言が待たれていたのはこのような経過による。

 待望の議会スピーチで、グリーンスパンは、アメリカ企業の生産性の高さを根拠に不正経理や株価下落がしばらくのあいだ悪影響を与えるとしてもアメリカ経済は持続的成長に復帰するとの見通しを示したとのこと。ただ、「虚偽報告や不正は市場経済や社会の基盤そのものを破壊する」こと、そして「企業社会に貪欲さがはびこってしまった」ことに強い警告を発し、「金融市場の規制や監督体制は時代にあわせて柔軟に変化させ不正には厳罰で対処すべきだ」との考えを示した由。

 たぶんおおむね正しいのだろう。しかし、もし、ドル安にも関わらず海外からの投資が戻らなかったとき、すでに債券に資金シフトしはじめた国内の個人投資家の動きとあいまって、さらにNYダウは下がり続けアメリカ経済は不安定化するだろう。そこでますます海外資金が流出しアメリカ国債が暴落するという別の悪循環が発生すれば、借金大国アメリカの失血死の恐れが出てくるかもしれない。恐ろしいのは、その事態に立ち至る前にアメリカ政府がドル紙幣を濫造し、岩井克人が書いていた「ハイパー・インフレ」が起きることだ。(7/16/2002)

 結局、田中康夫は「失職」を選択した。かつて埴谷雄高は「政治の裸かにされた原理は、敵を殺せ、の一語につきる」と書いた。とうの昔にこの国の政治は緊張感を欠いてしまったから、もはや「殺す」「殺せ」の言葉は大げさなものになってしまったようだが、政治の本質が権力の争奪にあるのだとすれば、「敵」の嫌がることこそが最良の戦法ということは変わらない。とすれば、田中のこの選択はことの是非を超えてありうる話であり、対する県議たちの「知事は自分が正しいと思うのなら、解散して『民意を聞いてこい』とすべきで、失職は卑怯だ」という発言はあまりに常識的で負け犬の遠吠えにしか聞こえない。

 だいたい今回の不信任決議ほど不思議なものはない。長野県議会のホームページにはこの6月定例会に知事が提案した議案のリストが掲載されている。予算案1件、条例案9件、事件案13件、これらはすべて原案通り可決ないしは同意されている。否決はおろか一件として「修正可決」すらない。その上で不信任というのはいったいなんなのだろう。「県議の不信任」はどこから発したものか?

 ならば「不信任決議」そのものをあたろうとホームページを見ると、決議の文言はたった7行、あまりに短いので楽に書き写せる。

 田中康夫知事は、就任以来、「長野モデル」の発信と称して、県民の生命や財産を守ることよりも自己の理念の実現を優先させ、市町村長や県議会との合意形成を軽んじる一方、理念を同じくする一部の意見のみを重んじ、独善的で稚拙ともいえる政治手法により県政の停滞と混乱を招き、多くの県民の期待を裏切る結果となった。この責任は極めて重大であり、誠に遺憾の極みである。よって、本県議会は、田中康夫長野県知事を信任しない。以上のとおり決議する。

 たったこれだけ。「多くの県民の期待を裏切る結果となった」というが、その知事の支持率は60%を超えている。なに支持率など無知な県民の蒙から出たものと自信を持って知事の非を断罪するのなら、なぜ、「独善的な施政により多くの県民を瞞着している」と書かないのか。なぜ、「独善的で稚拙な政治手法」によって立案された知事提案議案を修正、否決しないのか。

 さらに、「失職」の選択がいかにも田中的で「純朴な」県議たちの予想を超えたものだったとして、いくら「素朴な」頭脳の持ち主でも「解散」か「辞職」のどちらかは想定していただろう。とすれば、論理的には半分の確率で知事選があることはわかっていながら、なぜ、彼らはその準備をしておかなかったのだろうか。今頃になってあたふたと田中秀征にプロポーズしてふられるような醜態こそ「稚拙な政治手法」そのものではないのか。

 昨日あたりから県議団は「脱ダムは焦点ではない問題は財政破綻なのだ」と言い始めた由。その財政破綻の道をつけたのは、果たして田中康夫なのか、それとも吉村午良前知事なのか。そして田中就任以前から現職にある自分たちにその責任の一端はないのか。そういうことにも考えが及ばない程度にバカでも長野県の議員は務まるものなのかしら。(7/15/2002)

 夕方のTBS「報道特集」で、ある長野県議がこんなことをいっていた。「田中知事は富士山だ。遠目にはいいが近くで見ると全然違う」。それを見ながら田中が知事に当選した直後に小沢遼子が言っていた言葉を思い出した。「石原慎太郎は遠くから見るとイヤな奴だが、近く接してみると必ずしもそうではなくて結構魅力があったりする。田中康夫は案外その逆」というのだ。

 経験によれば、教師には二通りのタイプがある。ふだんはフレンドリーでわかりやすい授業をするが個人的に質問にゆくと案外ぞんざいな応対をしてがっかりさせるタイプと、突き放したそっけない授業なのに質問にゆくと意外に懇切丁寧に答えてくれて感激させるタイプだ。あえていえば、前者が田中康夫で、後者が石原慎太郎ということかもしれない。後者の方が良い印象を残すことは確かだが、質問に行かぬ限り親身になってくれぬ教師が本当に良いかどうかはにわかには判定できない。

 講演会幹部の子弟の医学部入学に口利きして週明けには辞任すると伝えられる宮路某なる副大臣は、おそらく距離の近い人々には身近な相談相手であり「近くで見ると」いい人間なのだろう。距離が離れるにつれてとんでもない公私混同野郎になり果てるとしても・・・。議員は身近で「いい人」が良いという側面もあろうが、知事も同じようなタイプが良いかどうかはまた別の話。

 もっとも最近はひたすら口当たりのいいものばかりを食いたがる手合いが多いし、誰からもいい人と思われたいというのが時代の強迫症にもなっているから、遠くから見ても近くへ寄っても破綻のない奴が好かれるのだろう。そんな奴はまるっきりのバカか、究極の表裏人間だろうに。(7/14/2002)

 ニューヨーク株価、週明けから下げ続け、10日にはついに9,000ドルを割り込んで8,813ドル50セント、そして夕刊によれば、昨日は200ドル下げてから上がるなどの乱高下したとのこと。

 アメリカの昨年末時点での対外純債務は2兆ドルを上回っている。ITバブルがはじけ株価が下がる中で、一連の不正会計処理などでアメリカ経済は信用を失い、一部には日本の「失われた十年」の道へと進みつつあるとさえ言われている。「銀行に不良債権が集中した日本と違って、米国は債券流動化でリスクがある程度分散された」(7/9日経朝刊「揺れるグローバルマネー」)という側面は、逆に「銀行にリスクが集中しない分、デリバティブ取引を通じて、思わぬところにリスクが広まる可能性が出ている」(同)ということにもつながっている。「カギを握るのは、米証券取引委員会が年商12億ドルを上回る企業に求めた『直近の年次報告の正確性と完全性』の証明だ」。「証明期限である8月半ばまでに、決算修正が相次げば、株式市場は動揺しかねない」(同)由。

 一方、「国際通貨研究所の行天豊雄理事長は『米国は経常赤字を埋める1日あたり十数億ドルの外貨流入がないと、ドル安になる』と分析する」(7/9朝日朝刊「マネーの米離れ、ドル安加速」)。もし、さらにアメリカ企業の不祥事が露見すれば、借金大国アメリカの惨憺たる実像があらわになることだろう。

 日経夕刊には、なつかしや、2年ぶりにあの「借金時計」の写真。その数字、6兆1,162億7,201万3,739ドル。下段には一世体当たり6万6,791ドル。これでも米国債の格付けがトリプルAというのは不思議な話だ。(7/12/2002)

 ブッシュがわざわざニューヨークまで出向いて企業不正に対する防止政策を発表した。証券取引所の会長やNASDAQの会長がこれを評価する声明を出したが、肝心の株価は178ドル81セント下げたところを見ると本気で信頼度が回復すると考えている者はいないということなのだろう。前日8日は104ドル60セント下げているのだから、皮肉な見方をすればブッシュがしゃべればしゃべるほどに悪くなっているということだ。(ブッシュ自身、12年前に役員を務める会社から金を借り、インサイダー取引すれすれの空売りをしてあぶく銭を稼いだ前歴持ちだという。前科者の言うことがにわかに信じられないのはアメリカとて変わるものではないとすれば、これは当然の成り行き)

 今週明けにニューヨーク株が下げた理由とされているのは、医薬品大手のメルクが子会社メドコの売上高に同業他社では売上に算入していない「コーペイメント」という一種の薬局取扱手数料を含め、売上の水増しをしていたことが明るみに出たことがあげられている。しかも、メルクはメドコの新規株式公開を計画していたというのだから「犯意」は濃厚だ。

 あのクルーグマンは、今年1月、ニューヨークタイムスに「911よりエンロン事件の方が米国社会にとっては大きな転換点になるだろう」と書いたという(7月9日朝日朝刊)。エンロンに続いて、グローバル・クロッシング、ワールドコム、ゼロックス、・・・、アメリカ企業の会計疑惑がかくも露見し続けると、クルーグマンのこの言葉はがぜん信憑性の高いものになりつつある。

 思い出したことばがある。数か月前だったと思うが、ロイヤル・ダッチ・シェルのワッツ会長がこんなことを言っていた。「ついこの間まで、我が社は、市場アナリストから、保守的で、決定が遅く、時代遅れだと非難されてきたが、エンロンが破綻して、長期的に厳しい視点に立って経営する姿勢が、あらためて評価されはじめたようだね」と。

 株価が経営者の能力評価をする唯一のものさしという馬鹿馬鹿しい単純化がまかり通るなら、凡庸な経営者ほど、入金のすべてを売上に算入したり、支出のすべてを設備投資にカウントして、帳簿を飾ろうという誘惑に打ち克つことは難しかろう。経営に関してはボンクラでも、危ない橋を渡る「胆力」さえあれば、極めて「有能な経営者」になれるのだから、アメリカンドリームはお手軽なものだ。透明性の高いアメリカ企業のビヘイビアを見習おうなどという、ピントの外れたお説教をしていた奴らがたんといたっけが、いったいどこに目をつけていたのだろう。(7/10/2002)

 朝刊のテレビ欄でチェックしたうち、TBS「報道特集」には光るものは何もなかった。これに対し、テレビ朝日の「サンデー・プロジェクト」はなかなか充実していた。

 その「サンデー・プロジェクト」には不信任を突きつけられた田中康夫と突きつけた側の代表として浜康幸なる県議が出演した。どちらも事前に番組スタッフとの打合せにより一枚ずつフリップを作ってもらった上で田原総一朗との一問一答に臨んだ。

 結論からいうと浜は完敗した。彼が番組スタッフに作ってもらったフリップは「田中知事 不信任の主な理由」と題するものだったが、それは「@ダム中止の具体的な代替案なし、A事業の先送りで県政が停滞、B知事の資質・力量なし」と書いただけのものだった。それは既にマスコミ報道で伝えられたことそのままで情報としてなんら注意を引くものではなかった。これは浜のテレビ討論に対する経験不足に起因していたものかもしれず、ある意味で同情すべきことだったかもしれない。だが、彼の頭の中に語るにたるものがほとんど何もないことはすぐに分かってしまった。

 焦点のダムは二つといわれている。ひとつが浅川ダム、もうひとつが下諏訪ダムである。下諏訪ダムは浜の地元。彼は遊水池の建設場所がないことを理由にダム以外の方法ではこの地域の治水は不可能と主張した。これに対して田原はこんなデータを持ち出した。「長野県全県の世論調査では下諏訪ダムが必要と答えているのは11.8%、不要と答えているのは44.6%であるのに対して、肝心の下諏訪地区ではダム必要が16.0%、不要が67%になっていますよ」と。浜の眼はウロウロと泳いだ。彼はついに的確で有効な答えを返すことはできなかった。

 一方、田中は用意周到だった。彼がスタッフに作らせたフリップは、ダム予算の国の負担は国庫補助と交付金あわせて72.5%、県負担は27.5%だが、受注は通常中央大手ゼネコンと県内建設業者のJVになり大手が80%、県内業者が20%の取り分になることを説明したものだった。つまり、ダム建設のような大型土木工事では県内の業者は県の予算額を取りきれないのだと主張し、続けてこんな話をした。

 自分が知事になってから道路補修のような工事については業者指定条件を見直した。現在399社が登録し、昨年の実績では県内業者31社が直接受注するに至った。そのうち16社は直接受注ははじめてという業者だった。そして、これらの事業は県の入札予定価格の80%で請け負われた、と。

 急に知事不信任騒ぎの実像が見えたような気がした。現在の県議60人のうち、25人は土建屋関係者だという。彼らはおそらく県内有力業者なのだろう。彼らは中央大手ゼネコンの下につくかJVを組むかして下請け・孫請けの零細業者の上前をはねてきた。ところが田中が知事になるや、補助金依存体質からの脱却を旗印に、実際に作業を行う零細業者に参入機会を与え、彼ら土建ボスの地位を脅かしはじめた。このまま放置すれば、まず不労所得が減り、次に下請け・孫請けを選挙に総動員することで勝ち得てきた権力者としての地位も保てなくなることに土建ボスたちは気付いた。去年より今年、今年より来年、田中の改革は進むに違いない。このまま紳士面をしていても待っているのはジリ貧、ドカ貧だ。もう一刻も猶予ならないとすれば、一か八かの勝負は今しかない、そう判断したのではないか。このように考えると、なぜ脱ダム宣言直後ではなく、一年も経ってから唐突に「知事不信任」という牛刀を振り回そうとしたのかの説明がつく。(7/7/2002)

 田中長野県知事に対する不信任案が県議会で可決された。各社の社説とコラムはおおむね今朝の朝刊でこれを論評している。しかし、サンケイ新聞にとってこれはよほどの快事だったらしく、昨日のサンケイ抄は嬉しそうにこれを取り上げていた(もっとも速さの点では、4日の日経の「春秋」が先、仕掛けたダム建設会社から「取り上げてくれ」との依頼でもあったのか?)。サンケイ抄の最後はこんな調子だ。

 自治体の首長といえば、東京都の青島幸男氏もそう、大阪府のノック氏もそう。ともにポピュリズム(大衆迎合主義)がヤンヤの拍手と喝采(かつさい)を受け、そしてたちまち破綻(はたん)した。
 「世の中の大きな出来事はたいがい二度現れる」という意味のことをいったのはマルクスだった。「ただし一度目は悲劇として、二度目は茶番として」とつけ足している。長野県の場合のように、三度目に当たる時は何といえばいいのだろう。

 田中にポピュリズムの匂いがするというのは確かだ。しかし、ポピュリズムの匂いなら、青島、ノックまでさかのぼることはない。もっと身近にビッグネームがいる。ひとりは小泉純一郎、もうひとりは石原慎太郎だ。

 田中・小泉・石原と並べてみると大きく違うことがある。小沢遼子が「スタンバイ」で言っていたが、小泉は「改革をする。改革ができないなら自民党をぶっ壊す」といって国会議員以外の自民党員の圧倒的支持を集めて総理大臣の地位についた。石原も「東京から日本を変える。横田基地をアメリカから返還させ東京国際空港にする」といって二・三位候補の倍近い票を得て都知事の座についた。田中も「長野県を変える」とはいった。しかし、それに続く彼のコピーは「しなやかな県政」。いかにも「なんとなくクリスタル」作家らしいもので、「自民党解体」だの「横田基地奪還」だのといった不思議に新左翼を想像させる生硬なスローガンとは無縁だった。

 で、本日までのところで精算してみるとどうなるか。自民党はぶっ壊されるどころか、しっかり小泉を手なずけ党内には「所詮、小泉がやっているのは改革ゴッコだ」と冷笑する声さえ生まれている。横田基地返還の話なんぞは石原が都知事になった途端にどこかに消えてしまったまま、特にこの数週間は昼夜を問わない対テロ軍事演習とやらで周辺住民から騒音に関する苦情が絶えない状況が続いている。

 田中は「なるまでの勇ましさ」はないかわりに「なってからの勇ましさ」が小泉や石原に比べて際立っている。小泉は「政治手法」の名の下に「改革」を韜晦してしまった。石原は大銀行を選んで課税するというまさにポピュリズムそのものともいうべき政策を打ち出したが頓挫し、都の役人は使うことができない税を預かったまま途方にくれている。いずれも「ヤンヤの拍手と喝采」を浴びたが、夢の醒めたいまとなっては空しい。サンケイ抄の指摘は的確だ、ただしあげるべき人物を間違ったようだが。

 田中は「脱ダム宣言」を真正面から愚直に通そうとしている。田中は小泉や石原のようにできてもいないことを「やった、やった」とは言っていない。不信任騒動は、サンケイ抄が書くように田中がポピュリストだから招いたものではなく、田中が小泉や石原に連なるポピュリスト群像とは一味違うからこそ行き当たったものと見る方がよいのではないか。(7/6/2002)

 貴乃花、名古屋場所も休場。これで7場所連続。さすがに今度は北の湖理事長から来場所は進退の判断をとのコメントがあった由。先々を読めない現首相の資質をあらわにした「感動」が、いまとなってはいかにも安っぽいものに見えてくるこの事態。(7/4/2002)

 朝刊には郵政関連法案修正で政府と与党間で合意をみたとの報道。茶番劇とはこういうものをいうのだ。合意内容を要約するとこういうことだ。公社化法案。政府案が「国庫納付金を政令で定める額の納付」としたのに対して、合意案は「余剰金がでたときはその一部を納付」ということに修正した。これは郵政族がヤミ分配するための源資(悪名高い「渡し切り費」など)を儲けの中から確保したということだろう。次に、信書便法案。郵政族とその影のサポーター小泉内閣は信書の定義や民間事業者の算入条件を法案の修正ではなく国会答弁で残すという姑息極まりない狡猾なやり方を取ることにした。現在ヤマトなどが収益源としているダイレクトメールはその「政府見解」で今度は「信書」になるのだそうだ。

 日経が見出しに「裁量行政を温存、改革むしろ後退」と書いたのは、まったく正しい。小泉は「郵政改革をやった」と自慢するのだろうが、やったのは「郵政改悪」そのものだ。觚、觚ならず。觚ならんや、觚ならんや。(7/3/2002) 

 朝日夕刊の「思潮21」、今回は五百旗頭真が担当。

 主旨は共和党右派が好む政策を一貫してとり続けていると思われているブッシュ政権だが、既に外交分野で見逃せない中道穏健化への布石を打っているのだという指摘。父親の轍を踏みたくないブッシュは少なくとも中間選挙までは支持基盤である右派に右顧左眄する弱い大統領とみられることのないように強硬にふるまうが、一面的な原理主義を通すことができないことは自覚し「右派を傷つけることなく、中道穏健化の途をたどろうとして」おり、既にその兆候は親台反中的であったウォルフォウィッツ国防副長官に「米国は台湾の独立を支持しない」と語らせたあたりにうかがえ、「中間選挙後にバランスのとれた両輪を立ち上げる準備作業をしっかりやっていると見るべき」だという。

 しかし、この観察、あのエズラ・ボーゲルによるものだというから、話は半分にしておいた方がいいかもしれない。(7/1/2002)

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