第5章 霊界から見た地上の科学
ウィリアム・クルックス、オリバー・ロッジ、その他の世界的科学者が心霊現象を調査研究したビクトリア時代(ビクトリア女王が王位にあったのは1837~1901年であるからスピリチュアリズム勃興からほぼ半世紀と重なる-訳者)と違って今日では神霊能力がいわば顕微鏡的精密さをもって厳しく観察されているが、霊界では地上の科学をどう見ているのであろうか。まず科学者の質問から始めよう。

・・・私は人の為に役立つことをするのが大切であることはあなたの霊言集で読み、かつてそう信じておりますが、それと同時に大切なのは知識を集積すること、つまり学問だと思います。霊界では学問はどう言う具合に行われるのでしょうか。この物質界を科学的に研究するには実験ということをしますが霊界でも実験を行うのでしょうか、それともやはり純粋に精神的なプロセスで行われるのでしょうか。

知識は大霊と同じく無限に存在します。それには終止符(ピリオド)を打つところがありません。進歩すれば、さらに多くの知識を手にする資格が出来ます。頂上を求めて永遠に登り続ける様なもので、ここが頂上だと思ったら、その上に別の頂上が見えると言うことの連続です。知識、進化、発達、開発、発展・・・こうしたものは全て永遠のプロセスです。

この物質ではAをBでやってみたらどういう結果が出るかと言うことを知る為に実験を行いますが、物質界のやり方とは全く異なります。なぜかと言いますと、私達の関心は〝霊〟が見せる千変万化の顕現の仕方に向けられているからです。ある意味では何時も実験をしていると言えます。

簡単な例をあげてみましょう。霊界には死後もなお、地上の病気で苦しんでいる人を救うことに専心している医師がおります。その医師達は地上で身に付けた技術があります。人体のメカニズム、その働き具合を様々な反応の仕方についての知識も備えております。

さて一方、こちらの世界には地上にない種類のエネルギー、程度を異にする霊力、つまり生命力があり、それに地上で得た知識を組み合わせて地上の患者を治すことを研究しております。それは患者に応じて様々なエネルギーを組み合わせる、絶え間ない実験であると言えます。

強すぎてもいけないのです。強すぎると、それが通過する治療家に障害が起きます。治療家の受容力が発達し、より高い運動速度、威力、どう呼ばれても結構ですが、それに耐えられるようになると、治療エネルギーの強度を増すことが出来ます。

ここでも又言語を超越したものを表現する為の用語を見つけるのに苦労しますが、要するにこちらの世界でも常に実験し、休みなく知識を増やす努力をしております。

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別の日の交霊会でシルバーバーチが〝一世紀前の科学的宇宙像は今日とは雲泥の差があります〟と述べたのに対して・・・

・・・それはこれから科学者も物的次元の研究から高度な次元へと進歩していくことを意味しているのでしょうか。

(原子の様な)目に見えない世界とその未開発の潜在的エネルギーの研究が進むにつれて、自らの論理でそうならざるを得なくなるでしょう。科学者が霊的に成長すればその途方もないエネルギーを善の方向へ使用する方法も分かってくることでしょう。

そうするうちに自分自身にもそうした無尽蔵の見えざる能力が潜在していることを知って、次第にその開発へ目を向けるようになるでしょう。外部にあるものは内部にあるものが顕現したに過ぎません。
(驚異としか言いようのない人体も内部にある霊すなわち生命力が顕現したものであることを言っている―訳者)
その生命力は物質のように切り刻むことは出来ません。分割して別々の容器に入れておけるような性質のものではありません。原子の生命も本質的には人間や動物や花や樹木の生命と同じようなものです。全体が一つの生命体であり、それが無限の形態で顕現しているのです。

・・・地上の科学者はもうそのレベルまで理解が達しているでしょうか。

いえ、まだまだですが、理解している人もいます。オリバー・ロッジなどは現象の裏側の実在についての霊的な理解が出来た科学者のよい例です。

・・・今後その理解が科学者一般に行きわたるまでには多くの人間と多くのものを犠牲にすることになるのでしょうか。

いえ、科学者のすることにも限界があります。どんなに間違ったことをしても地球全体を破壊してしまうまでには至りません。自然の摂理によって、地上でなされる被害は一部の人間が考えているほど恐ろしいものとはならないようになっているのです。

しかも究極的には大霊の意志が地上に行きわたることになっているのです。その計画を挫けさせる人間は地上にはいません。遅らせることは出来ます。邪魔することも出来ます。しかし大霊を支配することは出来ません。

大自然と摂理の働きについていくばくかの見識を得たわれわれは、いかなる事態が起きようと、あるいは人間がいかに愚かしいことをしでかそうと、大霊の意志は必ず行きわたるとの信念をもつことが出来ます。そしてその摂理によってますます多くの愛と哀れみと慈悲と互助とが地上で行使されるようになります。

科学も絶対に誤りを犯さない分けではありません。科学者とて間違いを犯す可能性をもった、ただの人間にすぎません。私は科学を神のごとく絶対視してはいません。地球には科学者が言っているような終末はありません。永遠に存在し続けます。

いかがです、あなたも科学者の見解が間違っていた例をいくつかご存じでしょう?

・・・私は科学者ではないのですが、正直言ってその点を真剣に考えさせられることがありました。

科学者の間違っていた例をいくつかご存じなのでしょう。

・・・実にたくさんあります。

ですから地球の未来について科学者が述べたからと言って、それが必ずしも正しいという保証は何処にもないのです。
(訳者注-部分的にしか紹介されていないので、この前にどういう対話があったのかは憶測の域をでないが、私の推測では、例えば最近さかんに警告されていれる、スプレイなどに使われているフロンガスによる成層圏の破壊の問題が出て、このまま破壊が進めば紫外線が大量に地球に届いて、地球の生物が死滅するという説が出されたのであろう)

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ローデシアから訪れた科学者に向かって・・・

これまでたどられたあなたの足跡も、背後霊によって暗闇から光明へと導かれてまいりました。これは低く下がれるだけ高く上がれると言う償いの法則によって本当の意味での人間的向上が得られる過程の一環なのです。

光を見出すのは闇の中においてこそです。喜びを見出すのは悲しみの中に置いてこそです。真実の自我を見出し始めるのは、地上にもはや頼りになるものは何もないと思えた時です。

これは人生の両極性と言う、魂が真の自我を見出す為の原理の一つです。果てしない宇宙に展開する生命活動の一つ一つが、規律づけられた何らかの役割をもっております。嵐も晴天と同じく、なくてはならないものなのです。

闇も、光と同じく、無くてはならないものです。人間性が鍛えられるのは苦しい試練の中に置いてこそです。その両極性を体験して初めて成長し始めるのです。

私は非理屈を言っているのではありません。大霊がその無限の叡智によって地上の人類の為に案出した進化の法則がそうなっていると言うことを申し上げているのです。言いかえれば、必要なものは時が熟せば与えられると言うことです。

困難、試練、試金石、障害こうしたものは魂がその潜在的資質を開発する為に欠かせない体験です。一種の触媒を提供してくれるのです。

これまでを振り返ってご覧になれば、最大の窮地と思えた時に道が開かれ、真実の自我を発揮する方向へと導かれていることに気づかれる筈です。同じ道を辿った人からあなたがそうして援助して頂いたように、今度はあなたが人に手を差し伸べてあげるチャンスが与えられることになるでしょう。

その神が意図されている仕組みなのです。すなわち集団ではなく一人一人が自我の開発を促す永遠の真理を手にし、さらにそれを縁ある人に授けていくと言う仕組みなのです。

援助を求める人を絶対に拒否してはなりません。同時に、例え援助の手を拒否されても、それは折角の自己革新のチャンスを目の前にしながら、その人がまだ受け入れる用意が出来ていなかった為にそれを生かしきれなかったのですから、気の毒に思ってあげることです。

あなたはそれだけの物を授かることが出来たことを喜ばないといけません。同時にそれとて,これから先あなたを待ち受けている無限の真理のほんの一欠片に過ぎないことを知ってください。まだまだ掘り起こすべき霊的財産が山ほどあるのです。人の為に尽くすチャンスも数多く与えられてまいります。

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別の日の交霊会で・・・

私たちは片時も休むことなく研究に勤しんでおります。特に病気治療、霊視能力、入神現象(トランス)の質を高める為の新しい方法、アイディアを実験しております。しかし所詮はそちらから提供してくれる材料次第です。そこには自由意思と個人的義務の問題も絡んでおります。

私達はそちらから提供して頂くものより多くのものをお返ししております。それが私達の義務なのです。扶助し支援すると同時に、人間としての基本的な必要品に言欠くことのない様に計らうことになっております。それから先のことは本人が決めることです。
(あくまで謙虚に神の道具として辛抱するか、金銭欲や虚栄心といった煩悩に負けて堕落していくかは、自由意思と個人的義務の問題であって、そこまで立ち入ることは許されていないと言うこと-訳者)

私達はあくまでも謙虚に献身してくれる道具が欲しいのです。何度も申し上げていることをここで改めて申し上げますが、献身こそ霊の正貨です。大義の為に献身することこそ気高いのです。なぜならその時あなたの内部の神性を発揮していることになるからです。

私たちからお願いしたいのは、倫理的意識を出来るだけ高く持って頂きたいと言う事です。私は常に皆さんを成就というゴールへ向けて、ゆっくりではありますが確実に進歩するように援助しています。申し上げていることは至って単純なことです。

人間として最善を尽くしていて下されば良いのです。そうすれば私達の協力のもとに、縁あって訪れてくる人の力になってあげることが出来るのです。