第2章 霊媒的能力-霊的知識を得る為の必須の手段
霊媒的能力は霊界側の真理普及の計画にとって欠かすことの出来ないものである。霊媒なくしては地上界と霊界との連絡は不可能である。いかなる教訓も、いかなる証拠も提供できないであろう。その大切さをシルバーバーチが改めて説く・・・・・・

霊媒は人間が霊的宿命を持つ霊的存在であることを証明してくれるものです。凶暴性に満ちたこの病める地上世界に是非とも必要な霊的真理を普及させる上で協力してくださる方にこうしてお会いできることは、私にとって大きな喜びであり、光栄なことでもあります。人助けのチャンスはその心掛けのある人には何処にでも見つかります。

実はあなた方自らが、ここぞと言う時に陰から援助を受けておられることを必ずしも気づいていらっしゃいません。死は情愛によって一度つながりの出来た人との間を裂くことは出来ません。

そのことはあなた方自ら説いていいらっしゃることですから、日常の生活においてもそれを常に念頭に置いた心掛けが大切です。

本来なら最も緊密な同志であるべき人達の敬意と協力が必ずしも得られるとは限らないものです。その時は、せっかく徳積みのチャンスを眼の前にしながらそれを掴み損ねた人のことを気の毒に思ってあげないといけません。

霊的大事業の計画が挫折することはありません。霊の力が退散させられることは絶対にありません。すでにはじまった躍進の歩みが止まるようなことは決してありません。築かれた橋頭堡は着々と強化されております。機会と条件さえ整えば、これからもますます拡大し増強されていくことでしょう。

・・・片付けなければならない障害や、どうしても避けられない困難や反抗があるようです。

だからいいのです。挑戦、障害、困難、失望,焦燥と言ったものに遭遇しないといけないのです。その中には本来そういうものを引き起こしてはならない筈の人達自らが引き起こしているものも、よくあります。しかし、同じ問題で私達霊団の者も常に悩まされているのです。

〝天使も涙する〟という文句をご存じでしょう。私たち霊は、難しい条件の中にあって地上の人間の為に心を砕いているからこそ、思わず涙を流すことにもなるのです。折角の貢献度の高い道を歩み続けながら、ふと脇道へそれて絶好のチャンスを取り逃がしているのです。しかし、それでも計画は進行しています。

・・・私は気がかりなのは、かつてこの道の仕事に献身する素晴らしい人が大勢いたのに、もっと多くを必要とする今、そういう人を見出せないことです。

何故そうなってきたかと言うと、挑戦すべきことや克服すべき障害が少なすぎるからです。だからこそ私は、そういうものを歓迎しなさいと申し上げているのです。こちらへおいでなってから地上生活を振り返ってご覧になれば、ラクだったことには何の感激も覚えずに、むしろ苦しかったことに感謝なさるはずです。ラクだったことはどうでもよかったことばかりです。

・・・霊媒が次々と他界していきました。スピリチュアリズムは霊媒能力が頼りです。新しい霊媒は準備されているのでしょうか。

我々の仕事の背後には高級界の神庁において企画された総合的な計画があることを認識しなくてはいけません。私も何度かその神庁における会議に出席させて頂いておりますが、その計画には、考え得る限りのありとあらゆる要素が考慮されております。

青写真(ブループリント)はちゃんとできているのです。それが地上で着々と実施されてまいります。

無限の叡智を具えた大霊は相対的な自由意思をもつ存在として人間を創造されました。と言うことは人間は自分よがりの物的な欲望ばかりを追い求めたければ、それも許されると言うことです。

そこに選択の余地があると言うことですが、今私は、〝相対的な自由意思〟と言う言い方を意図的に使用しました。私が、〝無限の創造活動〟と呼んでいるものを一時的に邪魔したり遅らせたり妨害したりすることは出来ても、完全に阻止することは出来ないと言うことです。神の計画を地上での実現を阻止することは出来ないのです。

今あなたは霊媒の不足を口にされました。しかし、人類の現在の進化の段階において必要な霊媒は十分に用意されております。最も必要な段階が来れば、さらに多くの霊媒が用意されることでしょう。

もっとも、そうした配慮がなされていると言う事実が必ずしもスピリチュアリズムの組織の視界にはいるとは限りません。ささやかなホームサークルの形をとったり、個人で独自の手段で行われる場合もあります。

そういう人達は自分のことをスピリチュアリストであるとか、霊媒であるとか、霊能者(超能力者)であるとは思っていないかもれません。

この仕事において援助を求める声、知識を広めたいと願う心は、私達に関する限り絶対に無視されることはありません。私達は皆さんの霊的必需品は先刻承知しております。

その時点において是非とも必要とみたものは必ず用意してあげます。ただし、それは私達霊界側の法則に則って私達の判断でタイミングを計って行います。人間界の都合に合わせて行うわけにはいかないのです。

こう申しては失礼かもしれませんが、霊力を何時行使するのが適切かの判断は、あなた方人間には出来ません。全て当人の魂の発達程度によって決められるのです。もし受け入れる用意が出来ていると見た時はただちに行います。もし受け入れる段階ではないと見た時は、私達には為す術がないのです。

地上に霊的教育が欠如していることは間違いありません。また、虚栄心、自惚れ、指導霊崇拝がはびこっていることも残念ながら事実です。基本的な真理が疎かにされて、地上には何の益ももたらさない脇道が開拓されております。

が、あなた方がもし私と同じ位置に立って眺められたら、明日はどうなるかについての一切の心配も恐れも不安も消えてしまうことでしょう。あなたの背後には宇宙最大の霊力が控えているのです。その力は決して裏切りません。

・・・迷いながらも自分で決断を下さなければならないことがあるのです。

そこにあなたの自由意思の要素があるわけです。ご自分で精一杯のことをする・・・私たちから皆さんに要求するのはそれだけです。もしもあなたが完璧に振る舞える方だったら今この地上にはいらっしゃらないでしょう。

あなたは他人の為に役たつことが出来ると言う測り知れない光栄に浴していらっしゃいます。それがあなたにとって地上における最大の貢献です。あなたはその為に生まれて来られたのです。

地上へ誕生してくる魂には例外なく自我の開発の為の機会が用意されております。誰一人としてほったらかしにならないように摂理が出来上っているのです。それは絶対不変ですし、しくじると言うことがありません。

四季は間違いなく巡ります。潮は数学的正確さをもって満ち引きします。花、小鳥、樹木、自然界の全生命がその素晴らしい配剤を生んだ背後の大霊への賛歌を奏でております。私達も決して皆さんをほったらかしには致しません。引き揚げてしまうようなことは致しません。

霊力はすでに地上にすっかりと根付いております。それを打ち消せるものは何一つ存在しません。必ずや初期の目標を成就します。

これまでの永い人類の歴史において、散発的に何度か霊力の奔流が地上へ流れ込みましたが、さまざまな原因からいずれも一過性のもので終わりました。が、このたびばかりは違います。

地上世界は今、進化の過程における一つの危機に差し掛かっております。一触即発の状態にあると言ってよいでしょう。しかし、人類はこれをきっと切り抜けることでしょう。地球の最期、人類の終焉が近づきつつあるかの予言や警告に耳を貸してはなりません。

神は地上の人間によってもたらさせる破壊や損害にも限界を設けております。地球全体を破滅させるほどの力は地上には存在しません。人類全体を殺戮するほどの力は存在しません。人間がいかに複雑で性能のいい科学技術を発明しても、それによって為し得ることにはおのずから限界があります。

霊的な力は人間が製造しうるいかなる物的な力よりも強大です。物質は本性そのものが霊に劣るのです。霊が王様で物質は召使いです。霊こそ実在であり、物質は霊の働きかけがあるからこそ存在出来ているのです。霊が引っ込めば物質は分解します。人類がその危機的段階を首尾よく切り抜ける上で霊が圧倒的な支えとなります。

あなたの人生思想の根幹となるべき霊的知識にまず絶対的自信を置くことです。そしてその知識だけでは処理できない事態が生じた時は、それに信仰(信念)を加えるのです。

手にされた知識を根拠とした信仰です。信仰心も筋が通っていて論理性があり、納得のいくものであれば、それなりの効用はあるものです。

背後霊の存在を信じることです。機が熟した時に必要な援助があります。条件が整い、正当な必要性がある時は、背後霊は地上に物的な結果を生じさせる力があります。私達もそれを何度もお見せしてきました。これからも必要に応じて行使します。

霊的知識を人に説く時は、背後霊は決して見棄てないことをよく言って聞かせてください。ですから、人間の方から背後霊を見棄てないように、と言うことを言い添えて下さい。

お金は足りなければ工面してあげます。折角の奇特な行為のチャンスが資金がない為に失われるようなことには決してなりません。その点をあなたはどう思われますか。必要なだけの資金は不思議に何処からか入るものだと思われたことはありませんか。

霊の道具としての仕事に励んでいる者は、物的生活の必需品にこと欠くことには決してなりません。こちらから用意してあげます。飢えに苦しむようなことには生りません。渇きに苦しむようなことにはなりません。きっと何とか切り抜けられるものです。

ラテン語のsursum corda(スルスムコルダ)と言う言葉をご存じでしょうか。〝汝ら心を上げよ〟と言う意味です。霊の崇高な力、宇宙最大の力、光輝と美と荘厳さと威力に満ちたエネルギーについてはすでに十分な証しをお見せしております。それは絶対に裏切ることはありません。

あなた方は人間としての最善を尽くしておればよいのです。それ以上のことは要求いたしません。そして今のラテン語の通り、決して悲観的にならないことです。

皆さんは太陽の光をご覧になられたのです。もしもそれが雲によって遮られた時は、その雲はいつかは消えて、また明るい太陽が顔をのぞかせるのだと自分に言い聞かせるのです。あなたの目に見えなくても太陽は常に光り輝いているのです。

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はじめて交霊会へ出席したある女性霊媒に温かい歓迎の挨拶をしてから、こう述べた・・・・・・

あなたの為に私が何かのお役に立てば、あなたが神から授かった霊的能力を使って天命を全うしておられるように、私も私の天命を全うしていることになります。

・・・私はとても幸せ者だと思っております。

そうです。私達はみんな幸せ者です。自分を豊かな存在としてくれている霊的知識の所有者だからです。ことにあなたの様な、霊の道具として働いておられる方にお会いすると、私は大変幸せな気持ちになります。

何故なら、私にはその仕事の大変さ、遭遇する困難の厳しさが良く分かるからです。懐疑と困難と絶望から、知識と確信と啓発への巡礼の旅をしてこられた、その大変さを私はよく理解しております。

霊的指導者の人生は全て同じパターンをたどります。むごい仕打ちを受ける試練の時期があります。基盤としていたものが全て瓦礫したかに見えて、悲哀が身にしみ煩悶する危機的な時期もあります。もはや導きと理解を求めるところはいずこにもないかに思うことがあるものです。

いやしくも人の為に生涯を奉げる使命をもつ者は、過酷な試練を体験しなければならないのです。もはやこれ以上は耐えきれないと思うギリギリの淵まで追いつめられ試されなければならないのです。地上のいかなる者からも救いの手は差し伸べてもらえないと思える深淵まで落ちて見なければならないのです。

それに至って初めて魂が目を覚まし、霊界から届けられる豊かさと力と導きと叡智と愛とを受け入れる用意が整うのです。過酷な体験の目的は悲哀の心を芽生えさせることにあるのです。

なぜかと言えば、悲哀の心なくしては霊覚者も治療家も真の意味で人を救う仕事は出来ないからです。

それしか方法がないのです。太陽が燦々輝き、何不自由ない安楽な生活の中で、果たして自我の開発が望めるでしょうか。試練を経ずして魂の崇高性が発揮されるでしょうか。何一つ学ぶことのない生活を送っていて、一体どういう精神的発達が望めるでしょうか。

そのうちあなたも地上生活を振り返って〝厄介な問題こそ有難かったのだ。あの苦労があったからこそ人生の目的を悟り自我の開発の道が見い出せたのだ〟と思われる日が来ることでしょう。

人生の一つ一つに償いがあり、差引勘定がきちんと行われるようになっております。神には絶対に手違いと言うものがありません。過去を振り返ってご覧になれば、この道に携わる他の全ての同志と同じく、あなたの人生も間違いなく霊の導きにあずかっていることがお分かりになります。

他に類のない地上最強のエネルギーの通路となっておられることは名誉なことです。あなたを通じてそのエネルギーが流れるのです。あなたを鼓舞するのです。そのお陰で、寄る辺ない身の上をかこつ人々を元気づけてあげることが出来るのです。

あなた自身もかつてその援助にあずかったのです。それは牧師にも科学者にも思想家にも出来ないことです。何故なら彼らには、悲しいかな、霊の働きかける余地がないからです。

あなたがたった一人の人間に自我を見出させてあげることが出来たら、たった一人の人間を喪の悲しみから救い出してあげることが出来たら、たった一人でも病の人を癒してあげることが出来たら、それだけでもあなたの人生は価値をもつことになるのです。

それを可能にさせる力があなたの身の回りに存在し、あなたを包み、守り、指示を与え、あなたの大切な財産である神性と霊的能力の開発を続けさせてくれることを認識しておられるあなたは、何と恵まれた方でしょう。

・・・優れた霊媒になるためには苦しまねばならないのでしょうか。苦労の連続で生涯を終えている霊媒を数多く知っております。私はスピリチュアリストとしての生活を心掛けてきましたが、霊媒になりたいとは思いませんでした。それが子供を失ってからその気になり始めました。

光を見出すのは暗闇の中にあってこそです。人生は全て両極性です。苦労なくしては魂は自我を見出すチャンスがありません。苦難がその触媒となるのです。霊的に向上し、霊的資質をより多く具え、喜んで自分を犠牲にする覚悟ができるようになる。その手段として用意されるのです。

・・・霊媒は霊媒としての素質を具えて生まれてくる他はないでしょうか。つまり素質がなければ、いくら鍛錬しても無駄なのでしょうか。

能力そのものは生まれながらに具わっていなければだめです。それは授かりものです。しかし人間は、霊の属性を具えていると言う意味においては、皆霊媒です。

(訳者注-日本語で〝霊媒〟と言う場合は物理現象を起こしたり自動書記通信を書いたり、霊言を告げたりする為の〝霊の媒体〟と言う意味に限る傾向があり、心霊治療家や霊視能力者などは含まれないが、英語では霊的な能力を持った人をひっくるめてmediumミーディアムつまり霊媒と呼ぶことが多い。

私はそうした日本での傾向を踏まえて、その時々に応じて訳し分けているが、ここでシルバーバーチが言っていることがミーディアムの本来の意味である。

モーゼスの『霊訓』の続編である『インペレーターの霊訓』に参考になる部分があるので引用していきたい。これはシルバーバーチと同じくインペレーターが入神した時モーゼスの口を借りて語った霊言である。)


≪人間とは何か。人間とは所詮インスピレーションの媒体にすぎません。地上で崇められているいかに立派な人物も、神がその叡智の内、人間にとって適切とみたごくわずかな一部を伝達するための道具にすぎません。その為すところのものは、偉大なるもの、気高き者も全て守護霊の影響でないものはありません。

霊媒が特別の能力ゆえに選ばれることは事実ですが、その能力とて、取り立てて崇めるべき性質のものではありません。ある啓示の為の適切な道具として選ばれ、その啓示が託されたと言うに過ぎません。霊媒自身の功績とすべきものではないと言うことです。

また真に忠実な僕としての心得のある者ならば、そうは思わないものです。ただの媒体、神の啓示の栄誉ある道具に過ぎません。その栄誉も霊界側から見ての栄誉であり、世俗的な意味での栄誉ではありません。神の僕・・・神のメッセージの受け皿として選ばれたと言う意味において、我々の側にとってありがたい存在と言うことです。

その任務を忠実に遂行するにつれて霊媒も恩恵を受け、地上を去って後、今度は自分が神のメッセンジャーとして地上の霊媒にメッセージを届ける役目に相応しい人物として成長していきます。その受け皿はおのずと気高い芳香に満ちております。

その神の僕として仕えれば仕えるほど、その気高さを増していきます。神の真理と言う名の宝石箱として、人間と天使双方から敬意を受けるに足る存在となって参ります。

しかし万が一にも不純なるもの、不正なるもの、臆病あるいは怠惰の要素を心に宿すようなことがあれば、あるいはもし神のみに帰すべき栄光を私(ワタクシ)せんとする傲慢無礼を働くようなことがあれば、

さらには又、俗世への迎合、高慢、不純なる動機を抱くようなことがあれば、その時は神の道具として選ばれた使命によって恩恵を被るどころか絶好の成長の機会を無駄にした不徳によって、大いなる害を被ることになります。

それが不変の神の摂理なのです。大いなる栄誉は大いなる責任を伴うと言うことです。善行の絶好機を手にしながら無為に過ごした者、あるいはそれを故意に悪用した者には、神の意志を知りながらその実践を怠った僕としての災いが降りかかります。

前者が向上するところを後者は下降します。霊的能力は没収され、道徳的にもまた知的にも堕落していきます。栄誉を投げ棄て、そして、恩恵に代わって禍が降りかかります。

それ故、そうした経歴の持ち主が他界した後にもしも通信を送ってくるとすれば、その通信は、その人物の地上での評判から想像されるものよりも必然的に低いものとなりましょう。

地上での彼が語った言葉は彼自身のものではなくインスピレーションによる霊の言葉でした。が、今や神より授かった霊的能力は没収されています。彼の語る言葉は、親和力によって引かれ行く低次元の世界に似つかわしいものとなっています≫

・・・物質中心の考えをしている為に、一生涯、霊的なものに気づかずに終わる人が大勢います。

そういう人の事を気の毒に思ってあげないといけません。折角の地上人生を無駄にしたのです。真の自我を見出せずに終わったのです。それはちょうど正規の義務教育を受けながらそれが身に付かず、卒業後の大人の人生に何の備えもないまま学校生活を終えたのと同じです。

地上は死後に否応なしに始まる次の段階の生活にとって不可欠の準備をさせてくれるところです。一つ一つの体験が進化していくために支払う代価なのです。地上人生は一本調子ではありません。光があれば影があり、日和の日があれば嵐の日がなければなりません。

両極端があり、対照となるものがあるからこそ人生の意義が理解できるのです。作用と反作用は正反対であると同時に相等しいと言われます。人を憎むことの出来る者はそのエネルギーを愛に転換することが出来るのです。愛と憎しみとは同じコインの表と裏です。どちらを選ぶかはあなた次第です。

摂理の働きは完璧です。一つ一つの行為に褒賞があるように、天罰もあります。その摂理をごまかすことはできません。地上では自分を偽り他人をごまかすことが出来ます。しかし、死が化けの皮をはがし、魂のあるがままの姿がさらけ出されます。もはや見せかけは通用しません。

地上にあっても、霊視能力をもった人には仮面の内側の本当の顔が見えます。地上はマスクをかぶった人が多すぎます。

でも、あなたは今そうした人達を救ってあげているのです。人間として正しい道を教えてあげているわけです。人間の可能性を見せてあげているわけです。それから先のこと、つまりその知識を日常生活の中に置いてどう活用するかは、その人自身の責任です。

あなたが考えこむことはありません。常に堂々と胸を張って生きることです。為さねばならないことが沢山あります。悲しいことですが、霊的真理を知らない人が無数におります。その人達をわれわれが何とかしてあげないといけません。

あなたは霊的能力を開発していない他の人々には出来ない貢献ができると言う、測り知れない光栄を担っておられます。毎日のように到来する素晴らしい好機を前に、溢れんばかりの喜びを覚えてしかるべきです。

しかし同時に、知識には責任が伴うことを忘れてはなりません。あなたには崇高な真理が託されているだけではありません。崇高な力、神の力、あらゆる可能性をもった生命力そのものも託されているのです。

自分を改造し、生きる意欲を覚えさせてあげる、そういうお手伝いをするということは、大変な責任を伴う仕事です。ですから、あなたが迷うことがない様に霊界からの導きがあります。きっと道は示されます。迷うことなく突き進みなさい。一日一日が霊的高揚の源泉となる奉仕的仕事の機会をもたらしてくれます。

あなた方も私たちも、ともに大いなる事業に参加しております。地上には為さねばならないことが山ほどあります。これまでにも多くを為し遂げてまいりましたが、これから為さねばならないことに比べれば、まだまだわずかなものです。

頑張らないといけません。そして訪れる機会を逃さず、どこででも人の為になることが出来るようでないといけません。

そして又、霊力と言うものが、其れを自ら手にしてそこから恩恵を摂取した人の生活を本当の意味で豊かにしてくれることを立証するために、お互いの役割を果たさないといけません。

あなたのお仕事は人の為に役立つからこそ尊いのです。更に大きな徳積みの為にもっと大きな力、もっと多くの叡智を求めて神に祈りなさい。そして又、こうして協力している私達の姿が見えず声は聞こえずとも、私達はこれからもあなたを見守り、導き、元気づけ、支援していくことを信じて下さい。

かくしてお互いの協力によって、神の子全てに生きる道を教えるべく意図された計画を成就していくことが出来るのです。そしてその仕事に勤しめば勤しむほど、大霊の絶対的な力に一層調和していくのです。

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別の日の交霊会である霊媒に次の様な励ましの言葉を述べた―

この私について、いささか誇張されたことが宣伝されておりますが、私は全知全能でもありません。あなたと同じく一個の人間的存在です。ただ私は、あなたより少しばかり永い人生を歩み、霊的進化の道をずっと先まで進んでおります。

その結果として私はより多くの知識を獲得し、これこそ地上人類を悩ます問題の多くを解決する上で最も啓発性に富んでいることを知りました。そこで、これまでの道を後戻りして、その知識を受け入れる用意のある人達と分かち合いたいと思ったのです。

あなたの場合、こうした心理がダマスカスへ向かうパウロの場合のような目を眩ます光としてではなく、理性的で、知性を侮辱することのない形で届けられたという点において幸せであったと言えます。

それによってあなたはより広い人生の視野を開かれ、地上への誕生の目的を知り、この地上生活を終えた後に待ち受ける、より大きい、より豊かな生命の世界に備えるためには何をすべきかを理解されました。

その知識を授けられたのは、あなたにそれを受け入れる用意が出来た時でした。それまでのあなたには解決を迫られる危機的状態や問題がいくつもありました。もはや地上にはその解決策は見いだせないかに思える中で、あなたは尚もそれを一心に求めておられました。

そのカギは魂の覚醒にあるのです。大部分の人間の魂は居眠りをしております。活動していないと言うことです。内在する神性の火花を煽らないことには魂の啓発は出来ないのです。

その点火の触媒となるのが危機的体験であり、悲しみであり、別離であり、病気なのです。

人生は相対性の原理で出来上がっております。スペクトルの両極、コインの両面、あなた方が善と呼んでいるものと悪と呼んでいるもの、と言う具合です。いかなる経験にも魂を目覚めさせる上で役たつものを含んでおります。バラ色の人生では駄目なのです。

先ほど述べたような触媒によって魂の琴線に触れる様な所まで行かないと駄目なのです。

あなたは心霊治療家の能力を未発達の状態でお持ちになっています。それを他人の為に役立てる処まで発達させることが出来ます。あなたには為すべきことがいろいろと用意されております。

その為に道が今開かれつつあるところです。すでになすべきことは終わったと思われるかもしれませんが、実際はまだまだ新しいサイクルが始まったばかりであり、それが多くの精神的ならびに霊的褒賞をもたらしてくれることでしょう。

あなたの前途は大いなる可能性に満ちております。あなたにとってのみならず他の人々にとっても測りしれない恩恵をもたらす精神的ならびに霊的冒険へ誘ってくれます。奥さんとのご縁はその為に結ばれたのですよ、ご存知ですか。

お二人は常に導かれ霊感を受けておられることを自覚なさらないといけません。少なくとも扉が開かれ道が示されたことだけはお気づきと思いますが・・・

ここにお集まりの同志の方にいつも申し上げていることですが、私達は私達のやり方で私達のタイミングでことを運ぶしかないのです。魂が自覚するのを辛抱強く待たねばなりません。

それには何十年もかかることがあります。そして、その甲斐あってやっと受容力を発揮し始めると、とたんに人間の方が傲慢になって〝さあ、どしどしやろう〟といった調子で性急にことを運ぼうとします。

私達がそれまで辛抱強く時期の熟するのを待ったことをご存じないのです。私達は霊的な世界から物的な世界へ向けて影響力を行使しなければなりません。

その為の通路として霊媒を使用しなければなりません。もしも適当な霊媒が見当たらなければ、霊感的に導き指示を与えて、せっかくの通路を無意識のうちにでも塞いでしまうことのないよう細心の注意をもって監視しなければなりません。これがまたとても厄介な仕事なのです。

確固たる霊的知識に裏打ちされた完璧な信頼と自信と信仰(信念)とがある時はその通路が開いており、受容性が高いのですが、そこへ不安の念が入り込むと、とたんに雰囲気が乱れて、通路を塞いでしまう要素が生まれます。

取り越し苦労は無知の産物です。霊的知識を携えた者が不安の念を抱くようなことがあってはなりません。同じく悩みの念も、その中身が何であれ、成就されるはずのものを成就されなくしてしまいます。

私は何時も交霊会の開会に際してこう述べています・・・心配、悩み、疑い、不安の念のすべてを、しばし、脇へ置きましょう、と。霊力が存分に、そして自由に流入するのを、そうした念が妨げるからです。

私達を信頼してください。きっと道をお教えします。扉を開いて差し上げます。閉め切られた扉をノックしてみて開かない時は、諦めることです。ノックしてみてすぐに開いた時は、真っ直ぐに突き進まれるが宜しい。

それがあなたにとって正しい道なのです。私達としてはそういう形でしか援助できないのです。良い知恵を絞って導いてあげると言うことでしか援助できないのです。(人間的努力の範囲まで踏み込むわけにはいかないということ―訳者)

あせってはなりません。快く私達の協力者となってくれるだけで良いのです。そうすれば私たちなりの役割を果たします。

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霊聴能力を持っている人に勇気付けの言葉を述べる・・・

背後霊があなたの存在を忘れてしまうようなことは絶対にありません。かつてあなたがいずこへ向かうべきかを悩んだ時、あたかも絶望の淵に落ち込んでしまったかに思えた時にも、しっかりと保護され導かれていたように、前途に横たわるこれからの日々にも霊の力がきっと支援してくれます。

無限なる叡智を具えた大霊から頂いた能力を存分に発揮し続けて下さい。かつて霊力が顕現したことのないところでそれを発揮し、受け入れる用意のある人にもたらす光明をますます増していってください。

あなたのお陰で人生の視野が一変することによってどれほどの恩恵がもたらされるか、あなたご自身にはお分かりになりません。あなたのお陰で霊的知識と言う掛けがいのない啓示がもたらされております。

そのあなたが落胆したり明日はどうなるかなどと言う不安をいささかでも宿すようなことがあってはなりません。あなたは既にこれまでも数々の危機をくぐりぬけて来られました。これからもイザとなれば必ず道が開けます。

あなたは霊力の通路なのです。あなたが存在することによって成し遂げられてきたことを誇りに思うべきです。同時に、あなたの協力のもとにこれから成し遂げられていく仕事を自覚なされば、なお一層誇りに思うべきところです。

あなたも生計を立てていくための費用が要ります。その他、物質の世界であるが故の費用を支払わねばなりません。そのことは私も良く存じております。私が申し上げているのは、そうしたことを悩みの種としてはいけないと言うことです。責任は大いに自覚すべきです。が、心配の念はいささかも抱いてはなりません。

私も今では現代社会ならびにそこでの生活の仕組みをよく知っております。時には(生活費など)物的なものが手に入るよう、ある程度の物的法則を操作しなければならなかったこともあります。

私が何時も強調していること・・・無論聞く耳を持つ人に対してのことですが・・・物的なものは実在の投影もしくは殻に過ぎないと言うことです。

物質は霊によって活力を与えられているからこそ存在しているのです。霊が正常であれば、つまり霊と精神と身体とが調和して機能している限り、物的生活に必要なものは必ず手に入ります。

霊が主人であり物質は従僕です。霊は殿様であって物質は家臣です。霊の方が物質に勝るのです。地上生活に必要な物的必需品まで、無視しなさいと言うのは愚かなことですが、それに心を奪われて精神と霊にとって必須のものを疎かにするのも同じく愚かしいことです。

このことは現在の地上の人間にとって是非とも心しなければならない重大な教訓です。大半の人間が物質を優先させ、霊に関わることはほとんど関心を向けておりません。

霊的実在についての知識を手にした者は、不安、心配、悩みの念を宿すようなことがあってはなりません。この種の感情は陰湿な性質を帯びております。活力に満ちた霊的エネルギーが届けられる通路を塞いでしまいます。生き甲斐のある人生にとって必須の要素が流入する上で不可欠な調和状態を妨げ、乱してしまいます。

視点を何時も永続性の価値をもつものに置くことが大切です。そして、受け入れる用意の出来た人に、いかに生きれば、本来自分のものであるべき生命の豊かさを味わい、地上に借りを残さずに済むか教えてあげる必要があります。

地上を見渡してみますと、霊的に貧しい人が無数におります。物的な貧しさゆえに悲しい思いをすることがあるのは地上の常ですが、霊的な貧しさを見るのも同じく悲しいものです。

心を何時も開放的にして精神に宿された能力を開発しさえすれば、霊の持つ栄光、光輝、威厳、崇高さ、気品に満たされるようになっているのです。そうしてあげること、つまり地上人生を生きていく上に置いて何を優先させるべきかを認識してくださるように配慮するのが私達霊団の使命なのです。

その点あなたは無限なる叡智を具えた大霊からの霊的才能のいくつかを授かっておられる、実に恵まれた方です。そのお陰で主教や牧師よりもはるかに宗教的な仕事をなさっておられます。

悲しみに暮れている人の涙を拭い、精神的ならびに霊的に弱った人に力を与え、病の人を癒し、人生に迷っている人に道を教えてあげて来られました。その人達は、かつてのあなたと同じように、もはやこの世には自分の力になってくれる人はいないと思い込むほどの絶望的段階にあったのです。

そういう人助けをする為の霊的才能を授かるには、自ら苦しみと悲しみを味わうという条件が付きものです。霊の道具として自覚をもつに至るには苦を体験しなければならないと言うことです。

苦の体験の本質は霊的才能を手段として仕事をする者の試金石です。それを耐え抜いて初めて自分のもとを訪れる人の力になってあげることが出来るのです。

霊の僕であることを自覚する者は安楽な人生を期待してはなりません。霊的使命を帯びた仕事に携わっている者は、それが決して楽な道ではないことを覚悟しないといけません。もし楽な道であれば、無理してその道に踏み入れるほどの価値はないでしょう。

霊の褒章は刻苦勉励の末に手に入れなくてはなりません。しかし一度手にしたら絶対に失われることはありません。霊の富は永遠です。

地上で得られる富は地上時代だけの一時的なものでしかありません。霊的な熟練はそう簡単には達成されるものではありません。霊的褒賞もまた簡単に手に入るものではありません。

あなたはこの道に献身する為に生まれて来られました。これまで立派に献身され、今も献身なさっておられます。そうした素晴らしい霊の力の通路となっておられる方とお話しできることは私にとってこの上なく嬉しいことです。

その通路のお陰で霊力が、受け入れる用意のある人に豊かな恩恵をもたらします。受け入れる用意が出来ていなければ、その通路としてのあなたにも為す術がありません。

ある人があなたのもとへ導かれてきたということは、その方にとって掛けがいのない、真の自我の発見のチャンスが目の前にあると言うことです。もしうまくいけば、あなたも大いに喜ばれるが宜しい。万が一失敗に終われば、折角のチャンスが失われたことに密かに涙を流してあげなさい。

あなたにはまだまだ仕事があります。あなたは今まさに天命を全うしつつあります。霊的な仕事に献身出来ていることをこの上ない幸せと思わないといけません。

残念ながら地上には存在の根源である霊的実在について何一つ知らない人間が無数におります。何のために生きているのか、天命を全うするにはどうすべきか、他人に天命を全うさせてあげる為に自分の才能や能力をどう活用すべきか、そうしたことについて全く無知なのです。

そうした現実の中にあって、たった一人でも魂が感動し、ゆっくりではあっても真の自我に目覚めていく、その手段となるたびに、あなたは貴重な貢献をしていることになるのです。

私達霊団の者が四苦八苦の末にこうして地上へ戻ってくる理由もそこにあります。地上人生は道を見失い、物的利己主義と貪欲と強欲の沼地に足を取られ、それが戦争と暴力と憎しみを生んでおります。

霊の優位性を認識し、人間が肉体を携えた霊であることに得心がいく・・・いいかえれば全ての人間が神の分霊であり、それゆえに人類はみな兄弟で姉妹であり、神を父とした母とした一大家族であることに理解がいった時、その時初めて戦争も暴力も憎しみも無くなることでしょう。

代わって愛と哀れみと寛容と協調と調和と平和が支配する事でしょう。

人間界だけではありません。この惑星を共有する動物の世界にもそれが行きわたることでしょう。かくして地上の汚点である動物への虐待行為も影をひそめることでしょう。それが私達の努力の背後に託された目的なのです。

皆さんは気落ちしたり悲観したりする必要は何処にもありません。信念に基づいた希望に胸をふくらませて、常に楽観的であらねばなりません。その信念が盲目的であってはなりません。

理性的検討を加えずに安直に信じているのではいけません。生命が永遠の霊的実在であるとの、最早争う余地のない事実を基盤とした信念であらねばなりません。

・・・〝為せばなる〟の教えを説くある指導者が、物的なものであろうと霊的なものであろうと〝必ずそうなるのだ〟と信じて行えば何事も成就すると述べています。これは心霊的能力(サイキック)の悪用になるのでしょうか。

何もかもが自分の思い通りになるわけがない以上、その指導者の言葉は言い変える必要があります。人間にできることと言うのは自然法則によって一定の限界と言うものが設けられております。

もしもそうした限界がなかったら、この地球を始めとして物的宇宙全体が基盤としている原理の全てを人間が破壊してしまうことも出来ることになります。

私はその“為せばなる〟式の生き方の背景にある積極的なものの考え方に反対しているわけではありませんが、そのつもりになれば何もかも自分の思い通りになると考えるのは愚かです。例えば、人間に太陽が思い通りになるでしょうか。

・・・(霊的能力が出始めたばかりの人)

・・・ごく自然な状態で能力を発揮したいと思っているのですが、昼間はなかなか思うに任せません。やり始めたばかりですので、いろいろと解決しなければならない問題があります。そのうち上手く行くようになると思っておりますが・・・

何ごとも自然と言うことが大切です。気負わず、受け身の心境になり、迷ったり不安に思ったりせず、信念を持つことです。ここまで導いてくれた霊の力はこれから先も裏切ることはしません。あなたをしっかりと保護している愛の腕がほどかれて、あなたをほっぽり出すようなことは致しません。

あなたはあなたなりに自然に振る舞ってください。そうすれば霊側としての役目を果たします。その準備としてまず、〝静寂の時〟をもつように心掛けて下さい。日常生活の喧騒から離れた状態へ身を引くのです。すると内部の霊力がより大きく顕現して、人の為に仕事をする上で必要な落着きと調和と愛と寛容が整います。

あせってはいけません。じっくりと構えるのです。背後霊があなたをここまで導くのにもずいぶん時間がかかったのです。そのうちあなたにも、この道にも総合的な計画があって、我々にもそれに即応した役目があると言うことが分かるようになります。

最後は人間にとってだけではなく私達霊側にとっても好都合に展開するようになっているのです。

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別の日の交霊会で、かつては物理的心霊現象が盛んに見られたのが今日では珍しくなってきたのはどう言うわけかと尋ねられて・・・

それは物的側面の進化の法則だけでなく霊的側面の進化もあるからです。地上世界の思想的動向は頭初と今では大きく変化しております。霊的実在を物的手段で証明して見せなければならない時代には物理的心霊現象が必要でした。

当時の科学者は物的ものさしで測れないものを受け入れる用意が出来ていなかったのです。

今や核融合と言う目に見えない化学反応を利用して大災害も大恩恵も被ることが出来ることを知りました。唯物科学の根底が崩れてしまいました。物質の究極と思っていた原子も、さらに細かく分解されてしまいました。今や科学者も物質は個体でなく、実在は見えざる世界にあることを認めています。

そうした思想的動向と歩調を合わせて、霊的治療が発達し発展しております。それによっても物質を超えた霊力の存在を証明することが出来ます。

・・・心霊能力を軍事面に利用しようとする実験が、とくにソ連において行われておると聞いておりますが、このままいくと実際に心霊能力が好ましからざる方面で使用される危険がありそうです。

私は少しも心配しておりません。私は皆さん方のどなたよりも永く生きてまいりました。その間に見聞し理解したことによって私は、無限なる叡智と愛をもって全星雲、全天体を包摂する大宇宙機構を考案した大霊に対して、大いなる崇高と畏敬と感嘆の念を禁じ得ないのです。

すべての人間、すべての事柄が自然の摂理によって規制されております。それには手落ちと言うものがなく、数学的正確さをもって働き、絶対に間違いを犯しません。宇宙間のありとあらゆる存在がその中に包摂されていますから、何一つ、誰一人として排除されたり忘れ去られたり無視されたりすることがないのです。

壮大な物から微細なものに至るまで、単純な物から複雑なものに至るまで、あらゆる存在を自然の摂理が支配し支え規制しているのです。

地上での人間の行為にも規制と言うものがあります。その自然の規制に背いたことは出来ません。人間が為しうる害悪と破壊の程度にも、その制約による限界が設けられているのです。

そういう次第で私は楽観主義者であり、悲観的考えは持ち合わせません。今おっしゃった実験は軍事的な利用価値を検討するものですが、それによっていかなる害悪がもたらされようと、他方において科学的技術その他あらゆる力を駆使して人類に恩恵をもたらさらんとしている人達によってもたらされる利益の方が大です。

心配してはいけません。心配の念はろくなものをもたらしません。心配の念は魂を蝕みます。心配の念は精神も錆びつかせます。心配の念は折角の霊的援助の通路を塞いでしまいます。地球を始めとして宇宙間のあらゆる天体の責任者は大霊なのです。いつかは善が悪を駆逐します。

・・・するとあなたは、心霊能力が邪悪に使用される可能性があることは否定なさらないわけですね。

大霊はあなた方人間をロボットや操り人形になさりませんでした。一定範囲内の自由意思、選択の自由を与えて下さっています。が、それにも制約があり、限度があります。その摂理に背いたことはできません。
心霊能力と言うものを持ち合わせる以上は、それを悪用しようと思えば出来ないことはありません。ただし、それには責任が伴います。いかなる知識もそれ相当の責任と言うものが付加されずして手に入れることはできません。