第2章 〝苦〟の哲学
シルバーバーチが神の摂理を説くとき、その絶対性への確信が余りに深く、その述べ方が余りにあっさりとしているために、われわれ地上の人間には冷淡な印象すら与えることがある。たとえば次のように述べる──

「摂理であるが故に摂理であるところのもの──永遠の心すなわち神の働きであるがゆえにこれまで絶え間なく機能し、これからも絶え間なく機能し続けるところの摂理の存在を指摘しているのです。その摂理に則って生きれば内にも外にも調和と安らぎが得られます。

逆らって生きれば内にも外にも不和と混沌が生じます。あなた方人間は霊的存在です。これは、誰もがいつの日か直面することになる厳粛な事実です。が、いつの日かではなく今すぐに認めて、これから先の何十年もの無駄な困難を省いた方がどれだけ賢明でしょうか」

そう言われれば、われわれには反論の余地はなくなる。それが冷淡さと受け取られかねないのである。霊的に未熟な者、あるいは悲しみの涙で視野を遮られている者が苦しみと悲しみの必要性を説かれると、いっそうその感じを強く抱くことであろう。しかしシルバーバーチはさらにこう説くのである。

「神は無限なる愛です。そしてこの全宇宙のいかなる出来ごとも神の認知なしに生じることはありません。全ての苦はそれが魂の琴線に触れることによって自動的に報いをもたらし、それが宇宙のより高い、より深い実相について、より大きな悟りを得させることになるのです」

別の交霊会でもこう述べている。

「地上の人類はまだ痛みと苦しみ、困難と苦難の意義を理解しておりません。が、そうしたもの全てが霊的進化の道程で大切な役割を果たしているのです。過去を振り返ってごらんなさい。往々にして最大の危機に直面した時、最大の難問に遭遇した時、人生で最も暗かった時期がより大きな悟りへの踏み台になっていることを発見されるはずです。

いつも日向で暮らし、不幸も心配も悩みも無く、困難が生じても自動的に解決されてあなたに何の影響も及ぼさず、通る道に石ころ一つ転がっておらず、征服すべきものが何一つないようでは、あなたは少しも進歩しません。進化向上は困難と正面から取り組み、それを一つひとつ克服して行く中でこそ得られるのです」

さらに別の交霊会で──

「一つひとつの体験があなたの人生模様を織なしています。あなた方はとかく一時の出来ごとでもって永遠を裁こうとされます。つまり目先の矛盾撞着にとらわれ、人生全体を通して神の叡知の糸が織りなされていることを理解しません。

調和を基調とするこの大宇宙の中であなた方一人ひとりが神の計画の推進に貢献しております。人生での出来ごと──時には辛く絶望的であり、時には苦しく悲劇的であったりします。が──その一つひとつがこれから辿りゆく道のために魂を鍛える役割を果たしているのです。

光と闇、日向と陰、こうしたものは唯一絶対の実在の反映に過ぎません。陰なくして光はなく、光なくしては陰はありません。人生の困難は魂が向上してゆくための階段です。

困難、障害、不利な条件──これらみな魂の試練なのです。それを一つ克服した時、魂はいっそう充実し向上して、一段と強くそして純粋になってまいります。

いったい無限の可能性を秘めた魂の潜在力が困難も苦痛も無く、影もなく悲しみも無く、苦難も悲劇も体験せずに発揮されると思われますか。もちろん思われないでしょう。

人生の喜び、楽しい笑いの味は、人生の辛酸をなめつくして始めて分かります。なぜなら深く沈んだだけ、それだけ高く上がれるからです。地上生活の影を体験するほど、それだけ日向の喜びを味わうことができます。

体験の全てが霊的進化の肥しです。その内あなた方も肉体の束縛から解放されて曇りのない目で地上生活を振り返る時が参ります。そうすれば紆余曲折した一見とりとめのない出来ごとの絡み合いの中で、一つひとつがちゃんとした意味を持ち、あなたの魂を目覚めさせ、その可能性を引き出す上で意義があったことを、つぶさに理解される筈です。

地上のいかなる体験も、それに正しく対処し正しく理解すれば、人間の魂にとって必ずやプラスになるものを持っております。いったい何の困難も、何の試練も、何のトラブルも、何の苦痛も、何の悩みもない世界を想像できるでしょうか。

そこにはもはや向上進化の可能性がないことになります。克服すべきものが何もないことになります。ただ朽ち果てるのみです」

こうして一方では厳しい生き方を説きながらも、他方では慰めの教説も忘れない。最近ご主人を失ったばかりの婦人にこう語って聞かせた。

「あなたもそのうち物的なつながりよりも霊的なつながりの方が大きいことを理解し始めることでしょう。ご主人はこの世にいた時よりもはるかにあなたにとって身近な存在となっておられます。

地上人類が肉体的存在の消滅を大変な不幸として受け止めるのは、地上世界の進化が物的バイブレーションの段階を超えていないからです。その段階を超えて進化すれば、物質と言うものがただの殻にすぎないことを理解するようになります。それを実在であるかに思いこむのは地上が陰の世界だからです。

霊的に向上して行くと、光とその光によって生じる影との区別ができるようになります。地上的縁には拘束力はありません。霊的な縁こそ永遠に続くものです。

ぜひ銘記していただきたいのは、あなた自身にとって大変悲しい出来ごとのように思えることも、実は他の大勢の人達のためにあなたを役立てようとする計画の一端であることがある、ということです。あなただけの個人的(パーソナル)な見地からのみ眺めてはいけません。

その体験を通して大勢いの人々の魂が鼓舞されることになれば、それがひいてはあなた自身の魂の成長を促すことになります。そしてあなた自身がこちらへおいでになりご主人と再会された時にも、それが大きな拠りどころとなります。

〝死んだ人〟たちはあなたのもとから去ってしまうのではありません。死と言う名のドアを通りぬけて新しい生活へ入っていくだけです。その人にとっては死は大きな解放です。決して苦しいものではありません。彼らにとって唯一の辛さは、地上に残した人々が自分のことで嘆き悲しんでいることです。

いくら順調に進化していても、地上にいる限りは相変わらず霊的なバイブレーションよりは物的なバイブレーションの方が感応しやすいものです。縁故のあるスピリットがすぐ身のまわりにいます。肉体に宿っていた時よりも一段と親近感を増しているのですが、人間の方は鈍重なバイブレーションにしか反応をしないために、すぐ近くにいても、その高いバイブレーションに感応しないだけです。

あなた方は今この時点において立派に霊魂(スピリット)なのです。物的世界での教訓を身につけるために地上にやって来ているところです。時としてそれが辛い教訓となることがありますが、それはそれなりに価値あることではないでしょうか。

皆さんはなぜ物的な出来ごとを持って永遠を判断しようとなさるのでしょう。皆さんは空の広さは計れません地球の大きさすら測れません。なのに、僅かな地上生活で持って永遠を計ろうとなさいます」

同じく主人を失い、失意の余り自殺まで考えた婦人が次のような質問を寄せ、それがシルバーバーチに読んで聞かされた。

──みずからの行為によってそちらの世界へ行くことは許されることでしょうか。例えば最愛の伴侶を奪われた人の場合です。

「許されません。あくまでも摂理に従って寿命を完うしなければなりません。神の摂理は常にその働きが完璧だからです。

完全な愛によって、つまり全存在に宿り全存在を通じて働いている神の意思によって支配されているからです。その摂理に干渉する権利は誰にもありません。もし干渉して与えられた寿命をみずからの手で切り上げるようなことをすれば、それに対する代償を支払わせられます。

たとえばリンゴを熟さないうちにもぎ取れば、リンゴの美味しさは味わえません。それと同じで、霊的に熟さないうちに無理やり次の世界へ行くようなことをすると(地上での悲しく苦しい期間よりも)、永い期間にわたって辛い体験を支払わせられることになります。

おまけに、せっかく一緒になりたいと思った愛する人にも会えないことにもなります。その摂理に背いた行為が一種のミゾをこしらえるからです」

このシルバーバーチの回答がサイキック・ニューズ誌に掲載されたのを読んだその夫人が次のような礼状を寄せてきた。

「質問にお答え下さったことへの感謝の気持ちをシルバーバーチ霊にお伝えいただけるものかどうか存じませんが、もしお伝えいただけるものでしたら、〝後に残された者〟の質問にこんなに明快にそしてこんなに早く解答して下さったことに対する私の感謝の気持ちをお伝え下さい。

そして、こうもお伝え下さい──お言葉に大変失望致しましたが、お訓えを信じ神からのお呼びの声が掛るまで、力のかぎり〝生き続ける〟覚悟を決めました、と」


では〝安楽死〟はどうであろうか。これは現代の世間一般の関心事であると同時にスピリチュアリズムでも議論の的となっている問題である。ある日の交霊会でそれについての質問が出された。

──回復の見込みのない患者を死なせる特権を法律によって医師に与えるべきだという考えをどう思われますか。

「私は全ての生命は神のものと申し上げております。肉体が滅び霊が解き放たれる時がくれば、自然の摂理でそうなります」

──物的手段を講じて永生きさせることは正しいとお考えでしょうか。
「はい」

──たとえ永生きさせることが、苦しみまで永引かせることになってもですか。

「そうです。ただ、この問題に関して一つお忘れになっていることがあります。霊は肉体を去るべき時が来れば必ず去るもので、地上にはその理法を変える手段はないということです」

──不治の患者を人為的に死なせた場合、それは死後その患者の霊にさらに苦痛をもたらすことになるのでしょうか。

「そういうことはありませんが、死後に備えの出来ていない霊に一種のショックを与えることになり、そのショックが何かと良からぬ影響をもたらします。自然に死ねば必要でなかったはずの手間をかけて埋め合わせをしなければならなくなります」

──医師にも寿命を永引かせる力があるでしょうか。

「医師が肉体を生き続けさせようと努力なさる──それは結構ですが、霊にはその肉体を去るべき時というものがあり、死の時が至れば地上の医師には為すべき手段はありません」

──と言うことは生命をいくら維持させようと幾ら医師が努力しても無駄と言うことになるのでしょうか。

「そう言うことです。もしもあなたのおっしゃる通り医師に生命を維持させる力があるとすれば、なぜ最後はみんな死んで行くのでしょう」

──でも少しの間だけでも永生きさせてあげることは出来ます。

「患者がその処置に反応すればの話です。例えば酸素吸入が出来ます。しかしそれもある程度までのことでしょう。霊が私達の世界へ来る準備が整ったら最期、医師には為す術がありません」

──もし寿命というものが定まっていて、各自が原則として霊的に準備が整った状態で死んで行くのが事実だとすると、なぜ平均寿命が延びているのでしょうか。

「人類が進化しているからです。肉体的なことが霊的なことを決定づけているのではありません。霊的なことが肉体的なことを決定づけるのです」

〝死なせる権利〟とは反対に〝誕生させない権利〟の問題もある。次がその問題に関する解答である。なお、ここでは受胎調節つまり避妊の意実で述べており、人工中絶のことではない。

──産児制限をどう思われますか。

「人間には正しいことと間違ったことを見分ける道義的判断力と、それを選択する自由意志が与えられております。つまるところ動機(意図、魂胆)の問題です。何のために?──これをみずからの良心に問いかけるのです。一度ならず何度でも問いかけてみるのです。その結果として選択したもの、それが何よりも大切です。他のことはどうでもよろしい」

──でも、生命の誕生を阻止することは神の摂理に反することではないでしょうか。

「どうしても地上に誕生すべき宿命を持った霊は避妊しない夫婦を選んで誕生してきます。因果律は絶対です。一対の夫婦にとって新しい生命が誕生することが進化のためのプランに組み込まれておれば、それを阻止することはできません。本人(夫婦)みずからそれを要望するようになるものです」

──生れてくることになっていれば夫婦の方でそれを望むようになるということでしょうか。

「そうです。その夫婦の進化の程度が新しい生命の誕生による影響を必要とする段階に達したということもあるでしょう」

──当然それはより高い進化を意味するわけですね。

「いえ、必ずしもそうとは言えません。必ずしも低いとも言えません(第三巻一四一参照)中には肉体的快楽だけを求めてその結果(避妊)は避けようとする者もいますので、この種の人間は別に扱わなくてはいけません。むろん私はそうした生き方には感心しません。その意図が同じく利己的で程度が低いからです」

(訳者注──シルバーバーチは利己性はすべていけないとは言っていない、人間界においては、たとえ愛に発する行為でも、大なり小なり利己性は免れないという。要は動機の程度が高いか低いかの問題で、そこでこのようにlowly selfishness,直訳すれば〝下賤な利己主義〟という言い方をするわけである。これはきわめて大切なことである。

この点を正しく理解していないと安易な自己犠牲精神に駆り立てられ、その犠牲が何も生み出さずに無駄に終わって元も子もなくしてしまう危険性がある。別のところでもシルバーバーチは、人類愛や博愛精神を説く一見崇高そうな人間の心の奥にも、霊界から見ると〝オレこそは〟といった自惚れと野心がうごめいているのがよく読み取れると言っている。

私が若いころ、師の間部氏から〝人間のすることなんかタカが知れている〟と強い口調で戒められたことがあったが、そう言う意味合いがあったのでろう)


──でも、それがもし生れてくる子供にとって不幸だという考えだったらどうでしょうか。(裏返せば育児が面倒だと言うこと-訳者)

「それが動機ということになりませんか。何事も動機に帰着します。摂理をごまかすことはできません。摂理は各自の魂に入力されております。そしてあらゆる行為、あらゆる思想、あらゆる観念、あらゆる願望が細大漏らさず魂のオーラに印象付けられていきます。

霊の目を持って見れば、そのすべてが一目瞭然です。地上生活での行為がいかなる意図のもとに為されたかが明確に知れます。あなた方の魂は霊の目の前では裸も同然です」

──霊は妊娠中のどの時期に宿るのでしょうか。

「異議を唱える方が多い事と思いますが、私は二つの種子(精子と卵子)が合体して、ミニチュアの形にせよ、霊が機能する為の媒体を提供した時、その時が地上生活の出発点であると申し上げます」

──遺伝的に精神病を抱えた人の人生が、その肉体的な欠陥のために地上体験から教訓が得られないと言う意味で無意味であるとした場合、その病気の遺伝を防ぐ目的で断種をするという考えをどう思われますか。

「私には、そして全宇宙のいかなる存在もみなそうですが、生命の法則を変える力はありません。一個の魂が物質界に誕生することになっている時は、それを阻止しようと如何に努力しても、必ず誕生してきます。なぜかとお聞きになることでしょう。そこで私は再生の事実の存在を説くのです。それが理由です」