草 枕 2025
Wandering in 2025
冬の桜
1月1日、初日の出の前に起きて、雑煮で新年を祝う。地元の神社に参拝して、3つ先の駅まで少し長い散歩をする。今年もささやかでもいいから良いことがあれと願う。
会社の先輩Hさんから年賀状のお礼と機会があれば会いたいとの電話があった。一昨年に年賀状仕舞いの連絡をいただいたのを失念していた。それを詫びると、頂くのはうれしいよ、と言ってくれた。お目にかかる機会を作りたい。
4日、今日も散歩をする。隣の町の緑道には200本ほどの桜の木が植えられている。その中に、薄紅色の花が咲く十月桜と、それより濃い色のアーコレードという桜の木があり、それぞれ可憐な花が咲いていた。春秋の二季咲きとのことだ。以前、滋賀の西明寺を訪ねた時に湖東の「不断桜」の話を聞いたことがある。これは四季を問わず咲くということだった。
傍らのロウバイには早くも3輪ほどの花がひらいていた。
5日、湯島天神に初詣。本郷から上野、アメ横を歩く。
上野東照宮第一売店 |
交友
1月8日、横浜のYさんから、年賀状はもう出さないから声で挨拶するよ、と電話があった。入社した時の上司で、公私ともにお世話になった。何も持ってこなくていいから遊びに来いよ、とも言ってくれた。不肖の後輩としてはとても嬉しい。
12日、新宿で会社員時代の二人の同僚と会う。二人は最近退職したので、今日は我々の第一回OB会ということになる。乾杯してお互いの近況を話すうちに10年余りの空白が埋まった。話は尽きないが再会を約して南口で別れた。
被爆ピアノ
1月29日、未明のラジオで「平和を伝える被爆ピアノの旅」を聴いた。
広島のピアノ調律師・矢川光則さんは、80年前の原爆投下で被爆した民家や学校のピアノ7台を修復して、貴重な原爆資料として残している。2001年からそのピアノを乗せたトラックのハンドルを握って全国各地に出向き、3,000回を超えるコンサートを開催してきた。ピアノはオスロでのノーベル平和賞コンサートや、ニューヨークの9.11テロ爆心地コンサートにも運ばれ、演奏されたとのこと。
矢川さんは、「被爆ピアノは他の原爆資料と違って、生の音を出します。弾く人によってずいぶん音が違います。思いがない人はピアノが嫌がりますね。被爆ピアノは人を選びます。」と語っていた。
番組の最後に、高橋全(あきら)さんが矢川ピアノ工房で弾いた「祈り」を聴いた。被爆ピアノの外観は当時のままで、爆風で飛ばされた物が当たった傷や刺さったガラス片はそのままにしているとのことだが、音色はきれいに澄んでいた。
立春
2月2日、テレビで別大マラソンの中継を見ていたら、沿道で応援している人たちの中に友人を見つけた。映像では姿はすぐに遠ざかって行ったが、たぶん間違いない。
電話したら、「そうだよ、よく見つけたな」と。毎年このマラソンをボランテイアとしてサポートしているが、今年は応援しているとのこと。「あなたの実家は変わりないよ」とも言ってくれた。彼は実家の隣人でもある。
3日、今年2度目の雨が朝方に止んだので、散歩と買物に出かける。梅の花が咲き始めていた。
隣の駅の時計店で修理に出していた腕時計を受け取った。高校入学の時に父が買ってくれたもので、最近動きが悪くなっていた。店主は、古い自動巻を修理したのは久しぶりだが、たまに持って来る人もいますよと言い、大切にしてくださいねと渡してくれた。
帰宅したら次男から寒中見舞いの葉書が届いていた。年賀状が来ないなと思っていたが、元気な様子で何よりだ。
天気予報では明日から寒波が襲来するとのこと。
確定申告
2月10日、確定申告を済ませた。昨年から年金・健康保険・生命保険などの源泉徴収票や控除証明書をペーパーレスにしたので、e-Taxとのデータ連携作業が必要だった。少し面倒だったが今回だけの手間なので、来年からは短い時間で申告できそうだ。
故郷の千燈寺さんから檀家総会のご案内があった。総会には出席できないけれど、春には母の三回忌でお世話になる。
東急沿線散歩
2月21日、田園都市線を二子玉川駅で降りて大井町線沿いに歩く。
駒沢通りから五島美術館への坂を上ると跨線橋から白い富士山が見えた。美術館には源氏物語絵巻と紫式部日記絵巻があるが、公開するのは春と秋なので今日は素通りする。
等々力通りを九品仏駅へ。駅名はここ深沢にある浄真寺の九体の阿弥陀如来像にちなんで付けられたようだ。
自由が丘で昼食。駅周辺は再開発が始まっていたが、駅前の「自由が丘デパート」は以前のままだった。地下1階、地上四階の細長いデパートの中は通路の両側に10㎡ほどの小店舗が並んで、商店街の趣だ。新入社員のころ、ここで生地を選んでカーテンに仕立ててもらったことがあるが、その店は見つからなかった。
大岡山、旗の台から中延商店街へ。重盛の人形焼き、コッペパンなどを買い、大井町線から外れて国道1号を北へ歩き、池上線の戸越銀座を今日の終点にした。
五島美術館と富士見橋 |
花粉症
3月13日、今年は花粉の飛来が多く、天気予報では昨日も今日も「非常に多い」とのことだが、今のところ何ともない。いつもなら2月上旬、遅くとも3月初めには症状が出ていたのに、2000年にスギ花粉に反応して発症して以来、毎年苦しんできたのに、何故だろう。
老化で免疫力が低下したか、免疫が改心して正気を取り戻したか、ただの勘違いか、のどれかだと思うが、理由がわからなくてもこの季節が憂鬱でなくなっただけで幸せだ。
江戸彼岸 |
大岡川の花見
4月1日、今日から一年間自治会の世話役を勤めることになった。私の担当は町内86区の内の一つの区で、現在42世帯だ。自治会加入率は東日本大震災後も減少していて、50%を割っているとのこと。共助よりも自助を選ぶ人が多くなったということだろうか。活動を通して考えたい。
5日、今年三度目の横浜へ。中華街から元町、伊勢佐木町と歩き、長者橋から大岡河畔の桜を見ながら蒔田公園まで往復する。両岸は多くの花見客で賑わっていた。
旭橋あたりの京浜急行のガード下には洒落た雰囲気の店が並んでいて、以前来た時とは景色が違っている。
長者橋から野毛町、花咲町音楽通り、紅葉坂までの街並みはあまり変わっていない。この界隈は横浜のなかでも好きな所で、歩いていると気持ちが和んでくる。
横浜・蒔田公園近くの大岡川 |
健康診断 草枕
4月28日、月初めに受けた人間ドックの検査結果を聞きに近くの病院へ。イエローカードは出ず、これからも常用薬なしの生活を続けられそうだ。ただ、内視鏡検査は本当に苦手だ。友人のM氏は全ての検査と薬をやめたそうだ。そういう選択肢もあるのか。
29日、今年の春は花粉症の発作が一度もなく、いつもの鬱陶しい春とは違う。花粉症が自然治癒することはほとんどないそうだが、もともとある日突然理由もわからず発症したのだから、ある日突然終息しても不思議ではない。
来年の春も無事だったら言うことはない。