草 枕 2018
Wandering in 2018
雲中不動
不動山・馬の背 |
Amen
ギリシア人の物語
浅い春
大高島海岸 |
春の嵐
花冷え
中央林間の森 |
海軍道路散歩
チャーリー・クリスチャン
花も団子も
4月24日、半年ぶりに都内散歩。湯島、白山、根津から上野へ。博物館で開催されていた、「名作誕生-つながる日本美術」展を見る。展示作品は彫刻、工芸、絵画など、いろんなものが並んでいる。何が「つながって」いるのだろうかと思いながら見ると、「作品や作家同士、あるいは共通するモチーフなど」とのことだ。ともあれ、名品に接するのは楽しい。
昨年再発見された雪舟の「倣夏珪山水図」や、数年ぶりに再会した長谷川等伯の「松林図屏風」に見入った。雪舟は「天橋立図」を期待していたが、これは5月の展示だとのこと。
上野駅前の店で豆大福を買って帰る。
アザミ
4月28日、帰省2日目。実家のADSLがつながらない。NTTに電話回線を調べて貰ったら、原因は保安器の結線部劣化だった。
昨秋植えた畑の野菜の残りがすっかり成長して、きれいな花が咲いていた。シュンギクも春菊になっている。せっかく咲いたので、管理機で鋤き込む前に数本を花瓶に挿して玄関に飾った。
5月3日、玉葱約100個を収穫して、畑を耕そうとしたら、管理機が動かない。調べると点火プラグの電極が黒くなっている。交換後起動したけれど、他にも問題がありそうだ。年齢相応というところか。帰省生活はいつも何かの修理からスタートする。
4日、トマト、ナス、ピーマン、オクラを植える。昨年より少なくする。
6日、休耕田7畝の草刈りをする。今年もアザミの花が咲いていた。午後、千燈寺での地区の妙見祭に参加した。
7日、終日雨が降り、アザミを描いて過ごす。
「トレイルズ」
5月29日、ロバート・ムーアの「トレイルズ」を読む。30歳の著者はこの第一作目で、昨年の全米アウトドアブック賞を受賞した。彼は、アパラチアン・トレイル(ジョージア州スプリンガー山からメイン州カタディン山まで続く自然歩道、全行程3,500km)を歩いたことをきっかけに、歩くことの意味、トレイルとは何かを、この本にまとめた。
道のない原野にトレイルの起源を求め、人間が作る道全般について考える。
「トレイルは単なる移動の跡ではなく、文化を伝える経路となり、人と場所と物語をつなぐ。そしてトレイルを歩く人の世界を、たとえ脆くとも、ひとつにまとめる。」
さらに、人生という道をどのように選べばよいのか、というところでこの本は終わる。
「年を取ることは、別な種類の解放をもたらす。若さゆえの疑念や怒り、焦燥感からの自由だ。老人は、選ばなかった道のことはすべて忘れ、自分のそれまでの選択を連続した一本の道とみなすことができる。」だが、「私のような三十歳の人間の目には、人生の道はいくつにも枝分かれしていて、そのいくつかは先で行き止まっているのではないかと思える。」(エピローグ)
歳を取っても、あの時ああすれば人生が変わっていたかもしれないという思いは消えない。解放されていないのは、著者のような若い人たちだけではないよと、伝えたい。
夏至
6月13日、1日にKさんに送ってもらって神奈川に帰ったばかりなのに、また大分に戻ることになった。暇なようで忙しい。人間ドックの再検査ができただけでもいいか。
最近、新幹線の車内が安全な場所ではなくなってきた。かと言って、これまで仕事以外では殆ど乗らなかった飛行機に替える気もない。帰省の車内でベルクソンの「物質と記憶」を読み始めたが、頭に入らない。諦めてビールを飲む。
21日、夏至。実家の庭のクチナシが咲き始めた。白い花から過剰なほどの甘い香りが漂う。ベルクソンは今日もまだ難しい。
「薄月夜花くちなしの匂いけり」(子規) 「夏至今日と思ひつつ書を閉ぢにけり」(虚子)
グラス
7月14日、メガネが見えづらくなったので、隣町のメガネ店で検眼したら、レンズ交換が必要とのこと。退職後はあまり本を読まなくなり、パソコンを使う時間も減ったためか、視力が回復したようだ。それでも小さな字は読めないから、メガネが要らなくなったわけではなく、思ったよりも高い値段のレンズを注文することになった。何だか釈然としない。
店を出て、どこで昼飯にしようかと歩いていたら、車が止まった。隣家のKさんだ。家まで同乗させて貰った。良いこともある。
15日、気絶しそうな暑さだ。
午後のラジオからジューン・クリスティの「サムシング・クール」が流れてきた。都会のバーのカウンターで、人生に疲れた女性が「こう見えても昔はよかったのよ」と語る。この曲がタイトルになったレコードを持っている。ジャケットには、冷たい飲み物が注がれたグラスと、微笑むジューン・クリスティがいる。歌を聴いている間だけ暑さを忘れた。
同窓会
7月17日、小学校の同窓会に出席した。同窓生の約3分の1にあたる13名が集まった。前回から8年目で、場所は同じ赤根温泉だ。
近況報告では、参加メンバーの約半数が今も仕事を続けていて、現役を退いた方も充実した生活を送っている様子だった。よく笑い、話は尽きなかったが、再会を約束して閉会した。今回参加できなかった方も含め、これからもお元気で。
姫島・織姫・白鳥座
8月4日、ロードバイクで姫島の海岸を走る。大海から稲積へ。灯台で休憩して、帰路はトンネル越えにしようかと迷ったが、暑さと年齢を考えて、来た道を戻る。港近くの食堂で「エビ・タコ丼」を注文、旨い。
フェリーの時刻まで、運動公園で少年野球試合を観戦した。伊美チームが武蔵チームにリードされている。フェリー出発10分前まで応援して、逆転を祈りながら船に乗る。
6日、中学の同級生M君来訪。
7日、隣家で懇親会。
9日夜、天の川がよく見える。川を挟んで、明るいこと座のベガと、わし座のアルタイルが向かい合っている。織姫と彦星だ。白鳥座のデネブは川の中で光って、ベガ、アルタイルと共に「夏の大三角形」を作っている。
白鳥は天の川を南に向かって翼を大きく広げて飛んでいる。冬のオリオンほどわかりやすくはないが、一度見つけたら忘れることはない。
梅干
8月13日、5月末から漬けたままになっていた梅干を瓶から出して、竹筵に広げて天日で干す。陽射しは強烈だ。夕方家の門で迎え火を焚く。
14日、梅をもう一度梅酢に漬け戻した後で、再度干す。千燈寺さんが盆供養においでになり、読経の後に懇談。
16日、畑のトマトなどを抜き、耕す。この夏のトマトは不作、ピーマンは成長せず、ナスとオクラはまずまずだった。午後雷雨。夕方送り火を焚く。梅干しは明日干したら出来上がる。3か月後には塩の角が取れて(たぶん)食べられるだろう。
夏草
雑草が元気だ。「雑草という名の草はない」と怒る草もいるので、本名で呼ぶと、オヒシバ、メヒシバ、スギナ、ハマスゲ、コニシキソウなどが夏を謳歌していて、畑には暑さと乾燥に強いスベリヒユが目立つ。
オヒシバは夏休み明けの学校のグラウンドに蟹が足を広げたようにへばりついている草だ。掴むのも引き抜くのも面倒だ。メヒシバはもう少し環境のいいところで茎を伸ばして、したたかな生き方をしている。
スギナやハマスゲは茎や根が深いところにあり、地上の葉を抜いても全く意に介さない。コニシキソウは地面にレースのように薄く広がり、出来れば見逃してほしい、と思っているようだ。
スベリヒユは肉厚の葉や茎をしている。マツバボタンの仲間で、きれいな黄色い花が咲く。雄しべに触ると、一斉に触った方向に曲がる。面白いので何回も突っつくと、やがて動かなくなる。疲れたのか、それとも飽きたのか。俗名をヒデリグサと言い、食べられるそうだ。
マツバボタンは故郷では「イミリグサ」とも呼ぶ。「いみる」とは、「増える」という意味だ。ヒデリグサと共に健気に生きている。
薄明
9月26日、カズオ・イシグロの「日の名残り」を読んだ。物語は主人公の独白と会話で進み、彼が持ち続けていた人生に対する自信や充実感が、人生の黄昏どきになって無残に崩れていく様子が静かに語られる。丸谷才一さんが解説に、「わたしは、男がこんなに哀れ深く泣くイギリス小説を、ほかに読んだことがない。」と書いていた。著者の長編、「浮世の画家」や「遠い山なみの光」にも同じ喪失感が描かれていて、村上春樹さんの小説の世界ともどこかで交差していると感じた。
だが、どの物語にもわずかに希望が残っていて、それを「遠い山なみの光」の訳者である小野寺健さんは、「(著者は)たとえかすかなものでも希望を棄てない生き方を描くことが多い。その人生をつつんでいる光は、強く明るい希望の光でも、逆に真っ暗な絶望の光でもなく、両者の中間の「薄明」とでもいうべきものである。」(「遠い山なみの光」あとがき)と書いている。
読後感をイメージで表わせば、戦後まもなく描かれた東山魁夷さんの名作、「残照」が浮かぶ。祈りと希望の風景だ。
忍ぶ忍ばず無縁坂
10月12日、都内を歩く。地下鉄を湯島で降り、不忍池から無縁坂を上って、忍ケ丘の東大構内を抜け、白山の「オリムピックパン店」へ。ここのパンは安くておいしい。谷中から不忍池に戻り、御徒町へ。アメ横は以前からの鮮魚店やカバン店が少なくなり、飲食店が増えていた。歩いている人の大半は海外からの観光客だった。
御徒町から電車で新大久保に行き、韓国商店街を歩く。客足が遠のいた時期もあったが、今は若い人も多くなって、ここも活気があふれていた。薬菓を買って帰る。
無縁坂 左は旧岩崎家本邸 |
六郷満山開山1300年・千燈寺
10月27日、隣家のMさんと千燈寺奥の院に上り、本尊千手観音菩薩を拝観する。御開帳は17年ぶりとのことで、初めてお目にかかった、護摩堂跡に下りて記念コンサートを聴く。堂跡は前後を小高い尾根と岸壁に挟まれているため、歌声は程良く周辺に残り、ときおり吹く強風で樹々がざわめくほかには歌を邪魔するものはなかった。
Yさんをはじめ、記念行事を運営する方にもご挨拶できた。
28日、「石造太郎天像里帰りと西不動岩屋トレッキング」に参加する。千燈寺に保存されている太郎天像を、もともと安置されていた西不動の石屋にひと時お戻り願うという主旨だ。太郎天さんはお一人では歩けないので、6名の担ぎ手と2名のサポーターでお連れする。太郎天石屋は西不動岩峰群の南端にあって、北面している。無事到着して、今熊住職の手で窟に祀られた。同行した数十名のトレッカーとご一緒に拝する。
担ぎ手の一人として参加したが、背負っている時に、これが日常の営為でもあるかのような感覚があった。自分も里帰りの身であるためか。
この機会を与えてくださったYさんご夫妻に感謝します。
千燈寺護摩堂跡にて |
ニンジンの葉
11月19日、自転車で出かける。お世話になったYさん宅に立ち寄りご挨拶。伊美から海岸線を時計回りに走る。
向田海岸で休憩する。潮が引き始め、砂浜が広がっていた。歩くと、まだ乾いていない砂紋の感触が心地良い。ここからの姫島は左右に大きく広がって見える。
ずいぶん時間が経ったので、来た道を引き返して、岐部の庄屋屋敷を訪ねて江藤哲さんの絵を拝見した。連作「秋の花」がいい。江藤さんの作品が、もう少し広い展示空間を求めているように感じた。屋敷のレストランで昼食。美味しかった。
23日、NHKラジオで「岡林信康50年の軌跡」を聴いた。ゲストはTHE ALFEEの坂崎幸之助さんとジャズピアニストの山下洋輔さんの二人。岡林さんはかつての「フォークの神様」という呪縛から解放されたようで、番組では饒舌ですらあった。エンディングは、「君に捧げるラブソング」。40年近く前に買ったLPの一曲だ。当時は「岡林らしくないな」というほどの感想だったが、今日はいい歌だと思った。
24日、小学校の恩師から手紙が届いた。先月の誕生日に撮ったいい笑顔の写真に、「お母さんお元気ですか よろしくね」と添え書きがあった。先生は母と同年で、姫島のご出身だ。お元気で。
26日、8月末に植えた人参が育ったので、最初の一本を採ってポテトサラダに使う。葉もきれいなので、湯掻いてお浸しにして食べてみた。人参の甘さと春菊に似た苦さがあり、思ったよりも穏やかな味だ。風味はごまドレで和やかにしても、カボスで尖らせてもいける。
向田海岸からの姫島 |
両子寺大護摩供
12月2日、先月畑に撒いた玉ねぎの発芽がずいぶん遅れているので、諦めて苗を100本植えた。ついでに、庭の端に、サザンカ、ハコネウツギ、ヤマボウシの苗木も植えた。クヌギやシラカシなどの雑木が数本あるだけの庭が理想だったが、いまさら変えるわけにもいかない。サザンカの花の赤と白で冬枯れの庭が少しだけ明るくなった。
12日、大根と人参を数本引いて太めの千切りにして、竹筵に広げて干す。晴れの日が続きますように。
14日、ふたご座流星群を見ようと、夜10時過ぎに戸外で東の空を眺めていたら、流星一つがオリオン座とシリウスの間を南西に流れた。次を期待してしばらく待っていたが現われず、寒くなったので退散した。
15日、隣人二人と両子寺で行われた「峰入結願大護摩供」法要に参拝する。六郷満山開山1300年の締め括りの行事だ。護摩堂下の、注連縄が張られた結界に設けられた護摩壇を十数名の僧が囲み、法螺貝の響きと読経で護摩行が始まった。斧や弓、刀を持った僧が次々に四方を鎮めた後、積み上げられた護摩に天火が点けられると火焔が勢いよく立ち昇った。納めた護摩木が導師の刀で護摩壇に投じられ、参拝者の煩悩と共に焼き尽くされた。
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