
草 枕 2016
Wandering in 2016
新年
- 1月1日、除夜の鐘を聴きながら、龍神社と千燈寺に初詣。今年も良い事とそうでない事が同じ程度であってほしいと願う。下弦の月が東の山の端に昇っていた。見える星の数が多く、かえって星座が見つけにくい。
4日、倉庫の中が荒らされていた。最近屋根裏を走り回っているイタチだろう。二度と出来心を起こさないように、出入口らしい隙間を見つけて寸法を測り、板を切って塞ぐ。途中で気づいたが、そんな隙間が星の数ほどあった。
今日は春のように暖かく、伊美小学校の辺りから見ると、鷲ノ巣、黒木、千燈の三山が重さを失ったかのように薄く霞んでいた。
大寒のころ
- 1月23日、朝から厚い雲が垂れ込めて、陰鬱な天気だ。雨も降り始めた。今夜からの寒波に備えて水道管に断熱材を巻く。
夜、本棚にあった歎異抄を読む。
弟子の唯円が親鸞に、「念仏を唱えているのですが、躍り上がって喜ぶ気持ちが十分ではありませんし、極楽浄土へすみやかに参りたいという気持ちになれないのは何故でしょうか」と尋ねたところ、「この親鸞も同じ疑問があったのだが、お前もそうか」と答えるくだりがいい。自力本願の宗派だとこうはいかず、「何を迷っているのか、修業が足りん」と叱られるだろう。「心頭を滅却すれば火もまた涼し」とも言われそうだ。親鸞さんは「やっぱり火は熱いよな」と言うかも知れない。そんなことを考えているうちに夜も更けて、雪が降り始めた。
24日は終日猛烈な吹雪になった。戸外は氷点下4度。ストーブにあたりながら、シューベルトの「冬の旅」を聴く。
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24日 窓からの東の山 |
「シロクマ号となぞの鳥」
- 2月7日、アーサー・ランサムの「シロクマ号となぞの鳥」(岩波少年文庫)を購入。待ちわびたランサム・サーガ全12巻の最終巻だ。
昔どこかで読んだ全集は箱入りのきれいな本で、表紙にヨットのイラストが描かれていて、ヨットの数がその本の巻数を表わすという、洒落た装丁だった。1968年に出版され、今でもときおり古書店で見かける。今回のシリーズは廉価本で、2010年から半年に一巻のペースで刊行されている。
ついでに近くの酒屋でシングルモルトウイスキーを買う。小説の主人公の少年少女たちがヨットで冒険した湖水地方は、イングランドの北西にあり、ウイスキーの聖地スコットランドにも近い。
春雷/恩師からの便り
- 2月14日、未明から風雨が激しくなり、春雷が鳴った。昼過ぎには雲が切れ、雪の丹沢山系が現われた。外に出ると目と鼻がむず痒い。今年も憂鬱な花粉の季節が律儀に始まった。昨年より少し早い。できれば終わるのも少し早くしてほしい。
16日、e-Taxで確定申告を済ませ、ついでにパソコンのOSをWindows10に変更した。夕方、小田急町田駅で元の会社の友人3人と会い、近くの店で遅い新年会を開催。最近入退院したAさんの術後の経過や、チリのイースター島から帰ってきたばかりのMさんの土産話、Tさんの近況などを伺いながら杯を重ねると、瞬く間に時間が過ぎた。
18日、小学校の恩師からお便りが届いた。昨年の4月にお見舞いして、もうすぐ1年になる。葉書には、「歩行器を使用しながら、皆様方と同じ生活ができるようになりました。」と、その後の回復のご様子が記されていた。次の帰省の折にはお目にかかりたい。
5年
- 3月11日、小雨が降り、寒い。マフラーを巻いて出かける。東日本大震災から5年たった。あの時、自然はなんと無慈悲で理不尽なものかと思った。自然には法則はあっても、人間に都合のよい意思などは持ち合わせてはいないことは分かっているけれど、それでも「あんまりじゃないか」という気持ちは抑えきれなかった。14時46分に路上で黙祷。
今年は13日が千燈寺の不動山の大祭とのことだ。国東半島の修正鬼会や東大寺の修二会と同じく、天災や厄病などを祓って春を迎える行事だ。
春分から
- 3月21日、東京の桜は開花したが、神奈川の自宅の辺りでは蕾のままだ。横浜の野毛山まで続く「水道みち」を境川まで歩く。白木蓮や辛夷、まんさくの花などは盛りを過ぎ、石楠花や桃の花が咲き始めた。風はまだ冷たく、ポケットから手袋を出して着けた。
先週、中学の同窓会の開催案内が届いた。7月の開催日は次男の結婚式と重なり、長男の第一子誕生予定日とも近い。4年前の同窓会は幹事の一人だったにもかかわらず、海外出張で参加できなかった。今回こそはと思っていたが、どうにも仕方がない。返信は書いたが、まだ出していない。
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水道みちの桃の花 |
春雨はいたくな降りそ
- 4月5日、冷たい雨の中で桜が静かに咲いている。週末まではこのままでいてほしいが、明後日には花散らしの春の嵐になりそうだ。
奈良の吉野山の桜はもう咲いているのだろうか。初めて吉野に行ったのは、花どころか葉さえ散った12月だった。いつか花の頃に訪ねたいと思いながら、10年が過ぎた。
「いくとせの春に心をつくし来ぬあはれと思へみよし野の花」(新古今)
不老不死
- 4月8日、年に一度の人間ドックを受診した。検診結果説明では致命的な指摘はなく、ひとまず安心した。
夜、NHKテレビの「モーガン・フリーマン 時空を超えて」を見た。今回のテーマは「不老不死」。遺伝子操作やヒトの冷凍保存など、不老不死を追求する最先端科学を紹介しながら、それが人にとって有為なものかを問うものでもあった。人は、命に限りがあるからこそ、人として生きられるということは誰でも知っている。「不老不死」が永遠の生命なら、それは生などではなく、死そのものではないか。
続けて、NHKラジオの「ラジオ深夜便」で医師の中村仁一さんの「穏やかな死を考える~自然死を邪魔しない」を聴いた。人は穏やかな死を迎える能力があり、近親者など周囲の人は「延命という苦痛」を与えるべきではないと語っていた。人間の尊厳を守り、いたずらに命を弄ばないという考え方に感銘を受けた。
春憂
- 4月27日、熊本地震はまだ収束の気配がない。外は少し蒸し暑く、厚木基地に向かう米軍の戦闘機の爆音がことさらに大きく聞こえた。
明日から2カ月ほど大分に帰省する。実家は築100年以上の陋屋なので、地震の影響がなかったか気にかかる。16日のM7.3の本震の朝に母に電話したら、眠っていて分からなかったとのことで、ひとまず安心したものの、別の意味で心配になった。
磯崎新さん
- 5月21日、大分市へ。一昨年の秋以来だ。夕方からの友人との懇親会までにずいぶん時間がある。府内城の堀を巡り、初めて天守台跡に登る。隣接する旧県立図書館で、ここの設計者の磯崎新さんの世界の美術館や都市計画の模型展示を見学する。氏が旧制中学の時に、奈良や京都で東大寺、唐招提寺や宇治平等院などの寺院建築を描いたスケッチも展示されていた。素早いタッチで、余計な線はない。若くして手が眼に追いついていると思った。
懇親会は卒業以来初めて会う方もいて話は尽きず、夜が更けた。
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大分市荷揚町 |
梅雨入り
- 5月31日、伊美川のホタル狩りに出かけた。上流の赤根・一円坊から川に沿って下った。少ない所で2、30灯、多い所では100灯以上のホタルが飛び交っていた。西日本のホタルの発光周期は約2秒とのことだが、しばらく見ていると群れが一斉に光るときがある。やはり個体差はあるのだろう。前に見たのはいつだったのか、思い出せない。
6月4日、数日続いた晴天が閉じて、九州は梅雨に入った。小雨の中で、水を引いた田圃の代掻き作業が始まった。
1月の寒波で、畑の甘夏が凍害に遭い、全部の実がスカスカになった。友人に尋ねると、「瓤嚢(じょうのう)の中の砂瓤(さじょう)が凍って破壊された」ためだという。聞き直すと、「袋の中のツブツブが凍ってダメになった」と。最初からそう言えばいいのに。もったいないので、100個ほど捥いでジュースにした。鶏のオレンジ煮も作ってみた。モモ肉を皮の面から焼き、ニンニク、醤油とみりん、酒を加えて甘夏ジュースで煮込んだら、酸味と甘みが柔らかく効いて、旨い。
9日、自宅でギャラリーを開いている隣家のKさんの作品を撮影させてもらった。竹だけで作ったトンボが木の枝先に止まっている。
11日、梅雨の晴れ間に西と東の山の墓掃除をする。以前は同姓の3家で管理していたが、残ったのは私の実家だけになった。夕方作業終了。先月初めに3日ほどかけて、江戸初期の承應元年(1652年)に遡る100基余りの墓碑銘を記録した。千燈寺さんに伺うと、過去帳に記されているのは江戸末期からとのことだから、それ以前の系譜を辿るのは難しそうだ。
畑のトマト、ナスに加えてピーマンと紫蘇、小玉スイカを植え、イチジクの支柱を立てる。
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K氏作 竹製のトンボ |
古い文庫本
- 6月28日、ドストエフスキーの「悪霊」を読む。5月に大分市のカモシカ書店で見つけた岩波文庫4分冊版で、価格は帯の★の数で表示していた時代のものだ。昭和49年版で、★ひとつが70円。紙面には活版印刷特有の凹凸があり、書体が美しい。印刷は精興社だ。
この会社は、司馬遼太郎さんの「街道をゆく」に紹介されている。
「都市の品格は老舗の数がどれだけあるかできまるが、老舗のできにくい業種に印刷がある。が、神田にはおどろくべきことに、老舗として、精興社がある。(中略)拙作も何点かそこの厄介になったが、活字の書体やインキの色のぐあいがじつにうつくしい。」(本所深川散歩・神田界隈)
古びてはいるがきれいな本の美しい活字を辿りながら、ようやくこの長い物語を読み終えた。
海辺の結婚式
- 7月6日、宮古島へ。夕方、ヴィラの浜辺で次男夫婦の結婚式を挙げた。身内だけの、すべて手作りの式というのは初めての経験だ。新郎新婦は正装だが、家族はかりゆし姿というのもいい。披露宴は南国の濃い空気のなかでのバーベキュー。オリオンビールと泡盛が旨い。
7日と8日は、台風一号が接近し、晴ときどき驟雨というダイナミックな日和になった。本島と周囲の3つの島で遊ぶ。クマゼミが騒がしく鳴き、ヤンバルクイナがたびたび道路に現われた。
9日、台風は大陸に去り、波も穏やかになった。
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バージン・ロード |
久闊を叙す
- 8月4日、梅雨明け後も不安定な天気が続いていたが、ようやく夏らしくなった。新宿で中学の同級生と会う。彼の専門の建築の話になり、磯崎新さんや安藤忠雄さん、彼らの作品である、大分医師会館、司馬遼太郎記念館などの魅力を語り合った。
夕方、JR登戸駅で会社の友人のA氏と待ち合わせ、後で合流した先輩と共に、近くの店で懇談した。3年ぶりにお目にかかったが、両氏ともにお元気で活躍している。話は尽きないが、再会を約して、小田急で帰る。
誕生
- 8月13日、長男の第一子が無事生まれた。いい男になれ、と願う。
福翁自伝
- 8月17日、「福翁自伝」を読む。福沢諭吉が65才の時に口述筆記で記したものだ。司馬遼太郎さんの著書を通じて知った、「門閥制度は親の敵で御座る。」という言葉にも出会い、面白くて一気に読了。巻末には、「人は老しても無病なる限りはただ安閑としては居られす、私も今の通りに健全なる間は身にかなうだけの力を尽す積りです。」と書いてある。怠惰な私の耳に痛い。
水彩画
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8月21日、自宅の部屋から見える風景を数日かかってスケッチした。南に500メートルほど離れたところに雑木林が残っていて、その向こうには東急田園都市線と小田急江ノ島線の駅がある。雑木林のこちらには住宅街が広がっている。
重なり合った家の屋根を描くのは、初めは楽しく、やがて飽きてくる。午後の同じ時刻に我慢して少しずつ描いたけれど、また手先でごまかしてしまった。まずいのは、よく見ていないからだということは分かってはいるが、つい、眼ではなくよけいな頭を使ってしまう。もっと素直に、楽しく描きたい。
便り
- 9月7日、昨年から施設に入居されている小学校の恩師へ便りを書いた。約束の5月に訪問できなかったので、この秋にはお目にかかりたい。ついでに、と言っては悪いが、母にも近況を書く。
8日、会社の同期のKさんから、懇親会のお誘いがあった。彼は酒は飲まないが、酒席は嫌いではない。この春に退任したMさんと共に来月、1年ぶりに会うことにした。
訃報
- 10月1日、友人の訃報を受けた。彼は高校の同級生で、下宿も同じだった。時に勉強の妨げになるほど、夜遅くまでいろいろな話をした。試験前の部屋の訪問は、お互いに自粛しようと決めたこともあった。彼は東京の大学へ進み、卒業後は故郷の尺間山神社の神職を継ぐ。8年前に小田急の駅で再会したのが最後になった。
懇親会・東京散歩
- 10月28日、朝から雨になった。今日は会社の友人との懇親会だ。川崎駅から歩いて数分の蕎麦屋に入ると、既にMさんがいて、ほどなくKさんが来た。Kさんは酒を嗜まないので、お茶とビールで乾杯。この季節だけの酒、ひやおろしが旨い。Mさんは今年退任し、Kさんは来年とのこと。三人で取り組んだ国内外の仕事は楽しかったなあと思いながら、杯を重ねた。
11月2日、久しぶりに都内を歩く。地下鉄本駒込で降りて、向丘のパン店「オリムピック」であんパンを買う。店の方に、以前から気になっていた壁に掛かっている額入りの古い写真のことを尋ねた。写真には、店の近くの銀行を背景に、赤ん坊を抱いた母親と思われる女性が写っている。「この赤ちゃんがご当主ですか。」と聞くと、「この赤ん坊は二代目で、当主は三代目です。店ができてから80年になります。」とのこと。ずっと続いてほしい店だ。
六本木の国立新美術館で開催中の日展を見て、西麻布、広尾を歩き、恵比寿から電車で帰る。
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広尾5丁目 聖心女子大あたり |
初雪
- 11月24日、未明からの雪で、見渡す限りの家の屋根が白くなっていた。ニュースでは、東京の11月の初雪は1962年以来、54年ぶりとのことだ。「38豪雪」の冬が始まった頃だ。
38豪雪では、大分・国東でも一か月ほど雪が融けず、小学生最後の冬を雪の中で嬉々として遊び呆けたことを思い出した。この冬も寒くなるのだろうか。
先生
- 12月9日、小学校の同級生4人で恩師を訪ねた。約束の時間に伺うと、施設の談話室でトレーニングに参加しておられたが、我々を見つけると笑顔で迎えてくださった。言葉が次々に溢れ、声は大きく明晰で、1時間余りの面会時間の殆どを聞き役に回った。昼食の時間になってもお話は尽きず、何度も握手した後に辞去した。先生からはいつも情熱と風圧を感じる。今でも教師と生徒のままだ。
山茶花梅雨
- 12月12日、友人宅で懇談。午後の酒は申し訳ないほど旨い。またもや長居をしてしまった。
15日、雨も3日続くと飽きて来る。空は北陸地方の冬のように重く、暗い。ようやく年賀状を書き終えて、小雨の中を尻付堂のあたりまで歩くと、千燈岳に取り残された雨雲が消えかけていた。近くの家の庭先で今年初めてジョウビタキを見た。きれいな冬の渡り鳥だ。
16日、雨が雪に変わって屋根に積り、時折ドサリと滑り落ちる。午後、叔父の訃報が届く。今年の賀状には「恐縮乍ら高齢故来春のご挨拶はご遠慮させて下さい」とあったが、字に衰えはなく、「筑紫ふじ拝し散策小春かな」の句も添えられていたのだが。
20日、隣家で幼馴染4人の懇親会。午前様になる前に解散する。オリオンが中天に懸っていた。
28日、餅を3升搗く。お供え餅二重ねと丸餅を80個ほど作った。午後、自転車で伊美の権現崎まで走り、万葉歌碑を拝見し、歌に詠まれている周防灘をしばらく眺めた。
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千燈岳 |