
草 枕 2012
Wandering in 2012
年末年始
- 12月27日、川向うのミカン畑の石垣を修理する。先月、上段の畑から伸びた竹の根を引き抜いたときに崩れたところだ。野面積みの積み方は難しい。不格好だけれど、何とか落ちた数十個の石は全部積んだ。今度は竹ではなく、鹿かイノシシが崩しそうだ。夜、隣家で牡蠣を焼きながら飲む。またも午前様。
- 28日、餅を搗く。今年は5升。鏡餅を二重ね、餡餅を少し、残りは平餅にした。合わせて麹蓋(もろぶた)4枚に収まった。
- 29日、千燈寺のご住職来訪。午後友人のKさんを訪ねて歓談。夕方東山で飾りに使うウラジロと橙を採る。
- 30日、松飾りを供える。家の内外を掃除する。隣家から蛸をいただく。元気がいいので、墨をかけられないように捌いて、丸ごと茹でた後、刺身と旨煮にした。美味。
- 31日、庭のあちこちにある植木鉢とプランターを片づけて、排水溝を浚う。用水路のコンクリートで左腕に擦過傷。赤チンを塗ると沁みた。赤チンは製造過程での環境問題があるとのことで、今は手に入らない。
- 1月1日、除夜の鐘を聞きながら、龍神社と千燈寺に初詣。今年は昨年のような風も雪もなく、穏やかに始まった。
障子貼り
- 1月20日、朝から雪になったので、散歩をやめて、以前から気になっていた和室の障子を貼りかえることにした。「障子貼る」は秋の季語らしい。ならば、遅くとも二か月前に貼りかえて、爽やかな新年を迎えれば良かったが、取りかかるには、何故かいつも、かなりの気力が必要だ。
湿気がある方がうまく貼れるので、鍋に湯を沸かして部屋に置く。引き戸のガラスが湯気で曇り、外は雪。始めると楽しい。
貼り終えた紙はわずかに波打っている。一時間ほど置いて、霧吹きで満遍なく霧を置く。子供の頃にライトプレーンの翼を作ったときの要領だ。しばらくすると、紙はぴんと張って、幸い弛みも引き攣りもない。紙を指で軽く弾くと、トントンと太鼓のような音がした。
メゾチント
- 2月3日、町田市の国際版画美術館で銅版画を教えてもらう。講師は版画家の馬場知子先生。
メゾチント技法とは、予め細かい凹凸を付けた銅板に描画するもので、削ったところが明るい階調になってあらわれる。
・・という予備知識もなく、細かい線描のスケッチを持参したものだから、原画通りに線を黒くするには、一本一本を削るのではなく、全て削り残さなくてはならないことに気付いた。銅版画の良さを生かせず、味方になるはずの線をすべて敵にまわしてしまった。無知とは恐ろしい。
刷り上がりを見て、初めての銅版画が悲惨な結果に終わったことを知った。
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町田市立国際版画美術館 |
「測る」農家
- 「AERA」2月13日号に「食の信念が揺らぐ」という特集記事が組まれていて、農家と消費者の座談会が掲載されていた。農家の代表は友人の松岡さんだ。
福島原発事故による放射能汚染とその影響で、農家と消費者は意識の上でも分断されがちだが、座談会での結論は、農家も消費者も食品や土壌に含まれる放射線量を共通の「ものさし」で「測る」ことで、食の安全についての意識を共有できる、ということだ。
松岡さんは、自然食品の流通と生産を通して、これまで農薬と闘ってきたが、今は同じスタンスで放射能汚染とも闘っている。自分に厳しく、人には優しい。
「食の問題を、こうやって皆で考えないといけない国になってしまったということですね。」(松岡氏)
同窓会
- 2月17日、大分市へ。駅の南口で友人のK氏が迎えてくれた。上野の杜の市立美術館で田能村竹田展を観る。「雁来紅群雀図」の葉鶏頭の形と朱色がきれいだ。
夕方、都町の店で、同窓生5人と懇親会。内1人は博多から駆けつけてくれた。
最初から日本酒で乾杯。聞けば、大分のメンバーは、K氏が主催する月例の「日本酒を楽しむ会」を十数回(だったと思う)も開いており、とりあえずビールで乾杯、などという野暮なことはしないのだ。
盃を重ねて夜も更け、話は尽きないが再会を約束して別れる。外は雪が舞っていた。
ホテルに戻って大分と別府の夜景を眺めながら、懇親会で飲めなかったビールを飲む。明日は姪の結婚式。
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大分市立美術館 |
覚悟
- 3月11日、散歩の途中で1年前の震災発生の時刻になった。歩道の端に立って、震災で犠牲になった方々に黙祷を捧げた。この1年は時の流れが遅かった。早く時間が経たないかと願っていたからだろう。震災から遠ざかりたいということだ。一方で、近い将来の大地震が予感される。だから、今はモラトリアム(執行猶予期間)だ、という気分が続いていた。
その重苦しい気分が最近薄れてきた。ようやく覚悟が生まれたのだろうか。梅も逃げることなく、今年も花を咲かせた。
ヴィーナスとジュピター
- 3月21日、帰宅途中の西の夕空に金星と木星が並んで輝いていた。14日に最も接近して、今は次第に離れつつあるが、26日には金星と木星の間に細い三日月が入り、それらが一直線に並ぶとのこと。
大接近は珍しいことではなく、来年の5月28日は、今回よりも更に近づくそうだ。但し、金星が木星の前を通過する「合」は、前回が1818年、次回は2065年なので、これは残念ながら見ることはできない。
26日の夜はぜひ晴れてほしい。
- 3月26日、朝は晴、昼前に雪が降り、その後は曇り時々雨という節操のない天候だったが、夕方には晴れた。きれいな夕焼けの後、宵の西空に金星、月、木星が縦に並んだ。やがて初更も過ぎる頃、木星から順に沈んでいった。
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上から金星、月、木星 |
花祭り
- 4月8日、浅草寺は仏生会で賑わっていた。仲見世は身動きできないほど混んでいる。甘茶をご馳走になり、花御堂の誕生仏に甘茶をかけて祝う。境内ではちょうど白鷺の舞が奉納されていた。由来は知らないが、笛、太鼓と鉦の音に合わせて舞う姿はとても優雅だ。
墨堤に出ると両岸は花見客で溢れ、川面を屋形船や水上バスが上り下りしていた。
吾妻橋から言問橋まで歩き、言問団子を買う。花も団子も、だ。
城北散歩
- 5月2日、雨の表参道を歩く。ケヤキ並木の新緑がきれいだ。隠田商店街の「瑞穂」で豆大福を買って、明治神宮の休憩所で雨の森を眺めながら、持参した弁当を食べる。
原宿から山手線で日比谷に行き、鹿児島のアンテナショップで焼酎を調達して、千代田線で湯島へ。天神さんの坂を上って、本郷の「壺屋」の最中、白山の「オリンピック」のパンを買い、団子坂から上野の藝大へ。都美術館の改修工事がようやく終わっていた。日展もいつかはここに戻ってきてほしい。
葉桜の公園を抜けて、アメ横で海苔を買う。10帖千円也。
新緑の街歩きを気取るつもりだったが、いつものように無粋な買い出しになった。哀しいことに、このほうが楽しい。
冬の旅
- 5月19日、新聞でフィッシャーディスカウ氏がミュンヘンの自宅で亡くなったことを知った。享年86歳。
偶然だが、昨日、帰宅途中で立ち寄った古本屋で、彼の著書「シューベルトの歌曲をたどって」(白水社)を見つけて、買おうかどうかと迷った末に買わずに帰ったばかりだった。
シューベルトの「冬の旅」(1972年3月ベルリンでの録音)を聴く。失恋して故郷を捨てて彷徨う若者の歌だ。今日は彼の歌声を聴いている人が世界中にたくさんいるだろう。5曲目の「菩提樹」は中学の音楽の時間に歌った、特に懐かしい曲だ。
ビンタン島
- 7月12日、シンガポールからフェリーでインドネシアへ。気温27度、潮風も吹いて、それほど暑くない。沖合に多くの貨物船が停泊している。
ビンタン島には1時間ほどで着いた。島はリゾート地として知られているが、あいにく仕事だ。
島の西にある小さな町、タンジン・ウバンの港の食堂で昼食をとる。魚料理とドラゴンフルーツジュースが美味い。周りのテーブルには地元の人達が多く、時間がゆっくり流れている。食後の濃いインドネシアコーヒーを飲みながら、もう少しここにいたいと思ったが、そうもいかない。
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タンジン・ウバン港 |
夏休み
- 8月12日、小学校の同級生7人で姫島の恩師を訪ねる。先生は1、2年の担任だった。御年84歳。
ご自宅で話をして、近くの旅館で昼食をとりながら歓談。今も続く多くの教え子の皆さんとの交流の様子や、先生に贈られた幾つかの歌とその返歌を、次々とよどみなく語られた。
悠々自適という風情ではなく、今なお我々を育てようとされている。我々はまだ生徒なのだということを、有難く思い知った。
夕方、赤根の同級生と久しぶりに会う。
- 13日、午前中墓掃除をする。蚊が多く、暑い。帰りに驟雨に遭う。夜、隣家で飲み、午前様。
- 14日、午前中、地区の三家の初盆のお参りをする。午後、K氏を訪ねる。驟雨の合間を縫って帰る。夕方、地区の水道が水不足で断水、井戸水に切替える。
- 15日、Mさんと半島ドライブ。とても暑く、両子寺あたりで雷鳴が近づく。夜、Mさん、隣家のKさんと飲む。話が尽きず、またも午前様。天の川と白鳥座がよく見えた。
- 16日、古い写真を整理する。明治からの大事な写真は父がアルバムにまとめていたが、未整理のものが500枚ほど箱に入ったままになっている。座敷に広げて古い順に並べる。祖母の尋常小学校の卒業写真が一番古くて大正2年、海軍時代の父の写真、戦後の町や祭りの風景、父の職場の人物、等々。年月の記録のないものは家族の顔立ちなどで判断する。面白い写真に出会うたびに作業の手が止まるので、ようやく並び終えた時には、夕方になっていた。
小田急東林間駅前
- 9月8日、明日は重陽の節句だというのに、まだ暑く、夏の終わりの積乱雲が湧いて百日紅が咲き残り、セミが鳴いている。
夕方駅前の書店で新書を買い、向いの喫茶店でコーヒーを飲む。先週この店のドアを開けたら、「明日開店ですが、良かったらコーヒーを飲んでいってください。」と言われて、コーヒーと紫蘇ジュースをご馳走になった。今日はちゃんとお金を払って飲む。美味い。
ご主人は店を持つのが夢だったそうだ。北海道のご出身で、だから店の名前が「ライラック」。おごって貰ったから言うのではないけれど、流行るといいですね。
9月の終わりの東京散歩
- 9月29日、今週からようやく涼しくなった。それでも、夏が終わったのか、秋が始まったのかがまだよく分からないような天気が続いている。
表参道から千代田線に乗って湯島で降りて、天神坂を本郷に上る。団子坂上に建設している森鴎外記念館は、ほぼ出来上がっていたが、開館は11月とのことだ。
白山から谷中、上野へ。奏楽堂では室内楽が演奏されたいた。美術館の近くでは、ボランティアが日曜恒例の炊き出しを始めていて、2、3百人の人達が集まっていた。動物園入口のピザハウスの外のテーブルで持参の弁当を食べる。席料代わりに生ビール500円也を注文する。テーブルの下には蚊取り線香が置かれ、煙が立ち上ってくる。上野の森にはまだ藪蚊が出るらしいが、弁当とビールに蚊取り線香の香りは合わない。なんだか法事のときの食事のようだ。多分ピザにも合わないと思う。
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東京都美術館 |
今年の秋はいつもの秋より
- 10月13日、初めてキンモクセイの香りを聞く。今年の秋はいつもの秋よりも遅いようだ。
夕方、都内で会社の元同僚二人と久しぶりに会う。そのうちの一人が来月から海外に赴任する、その送別会でもある。話も尽きるころに夜も更けて、再会を約束して山手線の駅で別れる。
- 14日、小田急に乗って、渋沢で下車、秦野まで散歩する。途中の農協の直売店でミカン、カボチャ、栗などを買い、ついでに丹沢の地酒も。今しか飲めない「ひやおろし」を楽しむ季節になった。
新大久保から歌舞伎町
- 10月27日、、新大久保の韓国料理店で友人と懇親会。最近忙しい割には飲む機会が多い。良く学び、よく遊んでいるということにしておこう。この界隈は韓流ファンの女性が元気だ。9時に店を出て、連れ立って新宿駅まで歩く。夜の歌舞伎町は、まばゆいばかりの光と喧騒と、若者の無駄なエネルギーに溢れていた。いいなあ、と思い、なぜか妙に安心した。
中学同窓会
- 11月9日、同級生のK氏から、中学の同窓会の写真とビデオが届いた。男性は全員顔と名前が分ったが、女性は6名が分らなかった。K氏にお礼の電話ついでに誰々と聞けば、そういえば、という方と、まさか、という方がいた。いい意味で。
ビデオを見てさらに驚いた。宴も酣の頃、国見の美女達が和服で踊りだしたではないか。美女の中に野獣が一人混じっている。砲丸投げと三段跳びで当時の県記録を作ったT君だ。顔が中学時代と全く変わっていない。
同窓会の幹事長を務めた、もう一人のK氏に盛会のお祝いと、幹事の一人でありながら出席できなかったお詫びのメールを送った。返信では、宴会は三次会まで続き、お開きは午前2時を過ぎたとのこと。翌日は臼杵の「竹宵」見物。みんな信じ難いほど元気だ。
日展、レヴィ=ストロース
- 11月10日、乃木坂の美術館で日展を見る。洋画の曾剣雄さんの「We Asia」は、それぞれの民族衣装を着けた日本、中国、韓国の3人の女性の端正な立ち姿を描いている。日本と中韓の2人との距離が離れているのは、構図だけの理由ではないだろう。題名には政治的なメッセージも含まれているようだ。
1階のラウンジで手弁当の昼食。生ビール700円也。日展が始まると秋も深くなる。
17日、夏の初めから読み始めた「悲しき熱帯」(中央公論新社)を読了。若いころから、レヴィ=ストロースはいつか読みたいと思いながら、これまで読まなかった。本を読むにも、それなりの気力が要るし、タイミングもある。最終章の「世界は人間なしで始まったし、人間なしで終わるだろう。」という言葉が心に残った。
北の丸公園
- 12月1日、時計回りに皇居を一周歩いてみた。ちょうど周回ランニングのイベントが行われていて、大勢のランナーが走っていた。歩道はとても狭いし、ランナーは反時計回りに走っているので、すれ違う時には気を遣う。
イギリス大使館付近で雨になった。北の丸の近代美術館工芸館で雨宿り。今日は無料だとのこと。ここは近衛師団司令部だったところで、煉瓦造りの建物が美しい。庭園の北白川宮の騎馬像は御所の方を向いているが、正面の足元は都心環状道路で削られて、御所との連続性はなくなっている。無粋な工事をしたものだ。
北の丸に入ると、車の騒音も遠くなって、あたりには武蔵野の面影が残っている。最後の紅葉が風に散っていた。
草枕
冬の霧
- 12月18日、玄関のドアを開けて外へ出ると、このところ連日見えていた富士山の白い頂が見えず、あたりは一面の霧だ。それほど深い霧ではないが、駅に向かう通勤の人の姿が霞んでいる。
関東では霧は珍しいが、故郷では霧が多かった気がする。季節はいつだったか、霧は瀬戸内海から伊美の谷をゆっくりと満たして寄せてきた。湖のように広がった白い霧に向って、自転車で坂を下っていったときの霧の匂いが、今も残っている。
霧の中を歩くと、余計なものが見えない分、少し内省的になる。そして少し楽しい。
読み納め
- 12月23日、年賀状を書き終え、読みかけていた本を読み終わった。塩野七生さんの「十字軍物語」と、「国会事故調報告書」。
「十字軍物語」(新潮社)は、本編3巻の他に、「絵で見る十字軍物語」1巻があり、ギュスターヴ・ドレの挿し絵に塩野さんが簡潔な解説を書くという構成だ。つまり、絵本で、ドレの絵がとてもドラマチックだ。塩野さんはイタリアオペラに模して、これを本編の序曲としているが、本編を読んだ後に見ても面白い。
「国会事故調報告書」(徳間書店)は、事故調委員長の黒川清さんの序文を読むだけでも価値があると思った。

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