草 枕 2021
Wandering in 2021
雪の新年
1月1日、除夜の鐘を聴きながら龍神社と千燈寺へ向かう。道は晦日からの雪で明るい。参拝の人は少なく、千燈寺で区長のKさんらと懇談。住職にお願いして金剛童子立像と普賢菩薩坐像を拝見した。
9日、冬の嵐が続き、積雪が30センチほどになった。戸外の水道管が凍結して破裂、漏水したので、パイプを切って応急の止水をする。
工事会社に電話したら、あちこちから修理依頼があるけれど大雪で動けないとのこと。仕方がない。屋内への配管は無事なので、洗濯以外は差し支えない。
11日、ご近所の皆さんと道路の除雪をする。路上で新年初めてのご挨拶を交わす。3密とは無縁の環境だ。3疎と言った方がいい。
ときおり屋根に積った雪がどさりと滑り落ちる。
鷲ノ巣岳 |
立春
2月3日、友人から借りた「奇跡の二つの橋」を読む。著者も同級生で、熊本県人吉市の医師のKさんだ。昨年の球磨川の洪水で復活した川辺川ダム建設推進の動きに警鐘を鳴らし、国交省等に建設計画の論拠を問い質している。
過去の洪水流量をはるかに超えた水害に対して、国や自治体が進めようとしている「定量治水」は有効ではないとの結論に共感した。雨は人の都合に合わせて降ってはくれない。
4日、実家の本の整理をする。母が40代のころに参加していた短歌会の月刊誌「歌帖」を開いたら、合わせて100首余りの母の歌が載っていた。
うち2首
安堵とは空しきものか発ちし子が残しおきたる書籍片付く
月々に送りし現金封筒が学終えし子の木箱より出づ
私が就職のために上京する時に詠んだ歌だろう。最近ともすれば、母にやや横柄な物言いをしていることを恥じた。
27日、自転車で岐部まで往復した。幕末期の惣代庄屋だった有永邸の裏の梅が咲き始めていた。城山に登ると、木々の間から、海岸近くの岐部社の森と、そこに向かう真直ぐな長い参道が見えた。姫島も近い。帰りに権現海岸の道の駅で昼食。黒鯛の煮付けが旨い。
国東市岐部 有永邸 |
啓蟄のころ
3月4日、夕方から雨になる。塩野七生さんの「小説 イタリア・ルネサンス」4巻を読了。第3巻までの「ヴェネツィア」、「フィレンツェ」、「ローマ」は既刊の物語を大幅に書き直して改題したものだが、最終巻「再び、ヴェネツィア」は書き下ろしで、物語はレパントの海戦でクライマックスを迎える。塩野さんは、この『最初にして最後の「歴史小説」』(帯文)で、主人公マルコ・ダンドロを通して、ヴェネツィア人とはどんな人たちであったのかを教えてくれる。
但し、一読者としては、30数年前の地中海海戦三部作などもあり、本書が「最初」の歴史小説のような気がせず、また「最後」にしてほしくはない。
7日、紅白の梅の花が散って、水仙と椿が咲いている。落葉していた鉢植えの山椒に新葉が出てきた。
畑の小松菜は薹を採っては味噌汁に入れたり、お浸しなどにしていたが、ついに花が咲き始めて、野菜から野草に変わった。
花粉症はまだ治まらない。桜が咲くころまで我慢だ。
花に嵐、さらに黄砂
3月27日、山桜が早くも満開になり、ソメイヨシノも咲き始めた。夕方から風が強くなり、翌朝まで春の嵐が吹き荒れた。
花は多少散ったが大部分はまだ残っている。
29日、今度は大陸から黄砂が降ってきた。空も山も薄茶色に濁っている。ちょうど10年前の東日本大震災の年にも大量の降塵があったことを思い出した。
芭蕉は「おくのほそ道」で、南部から出羽に越える険しい山中での気持ちを、「雲端につちふる心地」と表現している。
雲の端から砂交じりの風が吹きおろしてあたりが濛々としている様子だ。「雲端に霾(つちふ)る」は杜甫の詩から引用したもので、「霾」は黄砂の古語とのことだ。
国東市国見町千燈 |
夏野菜
4月20日、畑の高菜、小松菜、ヤーコンなどが終わったので、トマト、茄子、キュウリ、ピーマンとオクラの苗を少しずつ植える。
トマトはジャムを作りたいので、ちょっと増やした。去年は7月の豪雨で不出来だったが、今年は無事に成長してほしい。
4日前に種を蒔いた人参、春菊、ホウレンソウももうすぐ芽を出すだろう。
5月1日、久しぶりに隣町の書店へ。カズオ・イシグロの「クララとお日さま」、マルクス・ガブリエルの「なぜ世界は存在しないのか」を買う。
ネット購入は便利だけれど、本はやはり本の香りに浸れる本屋で買うのがいい。
「クララとお日さま」
5月17日、「クララとお日さま」を読んだ。
クララは、子供の友達になるように作られた知能ロボットで、日用雑貨店で売られている。物語は、店の客として来た母娘との出会いから別れまでが彼女の言葉で書かれている。
彼女は誰に対しても肯定的で健気だ。母と娘だけでなくその周囲の人々も彼女と接することで変わっていく。
最後に使命を終えたクララは廃品置場に棄てられ、記憶を静かに振り返っている。
手塚治虫さんの「鉄腕アトム」を想った。アトムは人々を救うために太陽に飛び込んでいった。クララは仕える人のために身を犠牲にしてお日さまに助けを求めた。
河内恵子さんは解説に、「クララはカズオ・イシグロが創ったもっとも美しい子供だ。『クララとお日さま』は、わたしにとってもっとも美しい小説になった。」と書いている。
帰宅
6月28日、隣家の友人に駅まで送っていただき、小倉から新幹線で新横浜へ。
車内で、来年統合して開校する、故郷の「国見小学校」の校歌の歌詞を考えてみた。何とかかたちになったら応募してみたい。
神奈川に帰るのは1年8か月ぶりで、駅から家までの景色がところどころ変わっていた。配偶者は幸いにも顔を覚えていてくれた。
29日、家に溜っていた郵便物や書類などを整理して、1年前に友人が送ってくれていた著書を読み、感想をメールで送る。
遅れて申し訳ない。
7月11日、マンションの管理組合総会で次期理事になる。任期は1年だが、今年は10年に1度の大規模修繕工事がある。
実家からのリモートワークではできないことも多いだろうが、何とかなるだろう。
13日、2年ぶりに人間ドックを受診。胃カメラはやはり苦手だ。
20日、コロナワクチン2回目の接種。今回は熱が出た。翌日の散歩は休む。
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南町田の水道みち |
帰省
8月4日、一か月ぶりに実家に戻る。家のまわりは思ったほどではないにしても、留守宅とわかるほどの雑草が育っていた。6月に漬けた梅を竹筵に干す。
隣家からゴーヤとキュウリをいただく。ゴーヤは豚肉と一緒に塩コショウで炒め、キュウリはスリコギで叩いて手でちぎり、塩、砂糖、醤油、ごま油をかけて揉んだものに唐辛子を振って食べた。余ったキュウリは輪切りにして梅干しと並べて干す。
11日、午前中に東の山の墓掃除をする。一昨日の台風で飛ばされた木の葉や折れた枝があたり一面に散らばっていた。米と水、花を供えて少し早い盆参りとした。午後から雨になった。
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周防灘の夏雲 |
周回遅れ
9月24日、実家でのパソコン通信がときどき不安定になる。電話会社に診てもらったら、室内回線のどこかが絶縁不良らしい。
固定電話2台のうち、古い方のダイヤル式黒電話の回線を切断してもらったが、さほど改善せず、音声通話にも雑音が混じっている。
ADSLサービスは2023年1月で終わるので、電話も含めて光通信に切り替えるしかないようだ。
さらに、携帯会社からしきりに、「2024年1月下旬に3Gサービスが終了するので、早めにスマホか4Gガラケーに替えるように」との催促が来る。何だか旧石器人のように思われているような気がする。
ようやく黒電話を止めたばかりだ。「ケータイ」はぎりぎりまで3Gを使わせてほしい。
10月4日、固定電話の雑音が消えないので、馴染みの電気店の主人に診てもらったら、「スプリッタの接触不良」とのこと。
雑音が消えてインターネット接続も安定した。ついでに黒電話も生き返らせてくれた。
ADSLサービスは2023年以降も使えるとのことで、ならばテレビ以外は光ケーブル化の必要はない。あと数年は周回遅れでいい。
同級生
10月11日、畑の柿が熟してきたので100個ほど捥いで干し柿を作る。皮を剥くのは面倒だが、楽しくないこともない。
しばらくすると指が柿渋で黒くなってきたので、鉄の包丁をステンレスの果物ナイフに替えた。切れ味は落ちるが仕方ない。
休憩時間も入れて5時間で作業を終えて軒先に干した。
Kさんから、同級生が法事で帰省していることを聞き、電話してみた。久しぶりに聞いた声は、数十年前と変わらない。
小学校のときに彼の家に泊まりに行ったことがある。お祖母さんの手打ちそばとそばがきが美味しかった。
家の二階で「南総里見八犬伝」を読ませてもらい、夜は地域の公民館で上映された映画「にあんちゃん」を観た。多分今頃の季節だった。
次は会って話したい。
日記
10月28日、来年の日記を買う。日記と言ってもバイブルサイズの手帳に綴じ込むだけのもので、一日分がわずか4行だから、「ああしてこうして」とか、「こう思うんだけど」などというややこしいことは書けない。ややこしいことも起きないけれど。
昨年、学生の頃のある出来事が何年何月のことだったかを知りたくて、母の日記を見せてもらった。探し当てたが、別のページに、「息子は勉強もせずに、便りもよこさない。便りが来るのはお金の無心のときだけ」と書いてあった。
母は70数年間日記をつけている。他にも何と書かれているか分からないから、それからは怖くて読めない。今日も何か書いている。
こちらは日記には出来事だけを書く。4行でも多いくらいだ。
収穫
11月16日、最後の干し柿100個を軒下から外す。この数日の冷気のおかげだろうか、先月作ったものよりも旨い。冷凍すれば1年近く持って、酒の肴にもなる。
イチジクを採ってこれも今年最後のジャムを作る。皮は剥かずに丸ごと煮込む。砂糖は控えめにはせず、60%。カボスを少し絞り込む。今年は5キロ作った。
先週インフルエンザの予防接種を済ませて、今日は年賀状の印刷準備をした。暇だ。
20日、旧千燈寺跡まで散歩。モミジの紅葉は始まっていたが、イチョウはまだ黄葉していない。明後日に寒冷前線が通過するそうだから、来週には見頃になるだろう。
千燈寺護摩堂跡 |
年末のルーティン草枕
12月24日、年賀状を書き終えて郵便局で投函した。去年より20枚ほど少ない。年ごとに喪中はがきが多くなった。そういう年回りだよなと思う。
スーパーでクリームチーズ、生クリームとビスケットを買って帰り、チーズケーキを作る。ビスケットをバリバリつぶしてバターをまぶしてベースを作れば、あとはクリームなどをとにかく捏ねてプレートに流し込み、ひたすら焼くだけ。
直径23センチの出来上がりをナイフで切り分けるときに、羊羹と同じくらいの抵抗感があれば上出来だ。ケーキ作りは暇つぶしとストレス解消にちょうどいい。
28日、餅を搗く。今年から止めようかと思ったが、2キロだけ搗いて、鏡餅を二重ね作り、残りを20個ほどの平餅に丸めた。これなら続けられそうだが、来年のことはわからない。