第14章 実在に目覚めたスピリットからの助言
第1節 ●スピリットの語る『死後』の世界
死後、順調に目覚めて向上し、人類の啓発の為に役立ちたいという願望のもとに、我々のサークル活動に協力しているスピリットが数多く出現して、生命の実相と死後の世界について語ってくれている。
かつては、メソジスト派の牧師で、その後我々のサークルの一員として、娘さんと共に出席しておられたイェイツ氏が、死後僅か五日後に出現し、さらに数ヶ月後にもう一度出現して語ってくれた。以下は、その時の記録である。
1920年10月27日 スピリット=ウィリアム・イェイツ
「また参りました。もっとも、この場にはしばしば来ております。誰だかお分かりでしょうか。ドクター・イェイツです。
今夜は、こうして皆さんと対座してお話が出来ることを、大変嬉しく思います。それに何よりも、このサークルがずっと活動を続けておられることが有り難いです。招霊会が開かれる時は必ず来ております。今夜も、勉強の為に、大勢のスピリットを連れて来ております。その賑やかな情況をお見せしたいくらいです。
地上の人間にとって、生命とは何かということは大変な問題です。そのことを勉強し、物質に宿っての存在について学んでくださると有り難いのですが・・・。肉体を離れてこちらへ来るスピリットの多くが、無知の暗黒の中へと入ってしまうのは残念なことです。信仰心しか持たないから、そういうことになるのです。神を賛美し、歌い、そして祈ることばかりしております。近づこうにも近づけません。
地球を取り巻くように存在する物的波動のエーテルの界層は、『地縛霊』と呼ばれるスピリットの住む暗黒の世界です。利己主義と無知が生み出す暗黒です。そこから脱け出すには霊的理解力(悟り)が芽生えて、霊的視力が使えるようにならなければならないのですが、その為にはまず、生命の実相について知り、自分の幸せだけを求める信仰を捨てなくてはなりません。
その種のスピリットは、地上時代に人の為に汗や涙を流すことがなかった者達です。『人の為』ということがどういうことであるかを知らないまま、自分の為にだけ生きてきました。自分以外の人のことを考えるまで霊性が発達していないのです。
その暗黒界の様相は、実際に見て頂く他はありません。私は二人の親戚の者に案内してもらったのですが、自殺者ばかりが集まっている境涯、狂信者が通う教会ばかりが立ち並ぶ境涯、スラム街、拝金主義者ばかりの街などなど、それはそれは凄絶を極めております。しかし、その事実自体も問題ですが、もっと問題なのは、そうした境涯のスピリットの出す波動が、地上の類似した人間の波動と合致して、生活を破綻に追いやっている現実です。
このように、地球のすぐ回りに無知の世界が存在し、死後そこで目を覚ます者が多いのです。どんなに善人であっても、どんなに真面目な人生を送っていても、ただこれだけでは十分ではありません。死後の世界についての知識がないと、目覚めた後しばらくは暗闇の中にいます。その後、いつ霊的覚醒が訪れるかは、その人が地上で悟った霊性の程度(霊格)いかんによります。
不思議なのは、地上生活において他人の為に役立つことをしたその行為によって、死後に落ち着く家と環境が築かれているということです。当然、清らかな人生を送った人には、清らかな環境が待ち受けておりますが、先ほども申したとおり、霊的摂理についての知識が欠けていると、すぐにそこへ行き着くことが出来ずに、いわば、道に迷ってしまうことがあるのです。
面白いことに、自分のことしか考えない人生を送った人の霊界の家は、自分一人がやっと入れるような、小さな、ケチ臭い形をしております。連れ添う人も見当たらず、自分一人の侘しい環境の中に自分を見出すことになるわけです。
そうした侘しさに耐え切れなくなって、神に救いを求めるようになった時こそ、向上のチャンスの到来です。高級霊の手配によって、まず地上時代の利己的な生き方が生み出した結果を見せつけられ、良心の呵責を覚え始めます。自分が害を及ぼした相手がまだ地上にいる場合は、その人の背後霊の一人として、その償いが済むまで援助してやらねばなりません。既に他界している場合は、そのスピリットを探し求めて、何らかの形で償いをしなくてはなりません。そうした段階を経てようやく、もう一段上の界層へと向上していくことになります。
信仰というものは、何の役にも立ちません。大切なのは行為です。地上にいる間に霊的存在として為すべきことを実行し、そして神が創造なされたこの森羅万象の不思議さに目覚めなくてはいけません。存在の全てが神なのです。あなた方人間も、神の創造物の一つであり、花もそうであり、動物もそうです。そうした神の顕現を崇めずして何を崇めるのでしょう。我々は、神という存在のまっただ中にいるのです。
宗教的ドグマと信仰をそのまま携えて霊界入りしたスピリットは、相も変わらず神を讃える歌を歌うばかりの生活に明け暮れており、『自分とは何なのか』『いずこより来ていずこへ行くのか』『真実の生命は一体どこにあるのか』といった疑問を抱くことがありません。霊的に居眠りの状態にあるのです。その大半が未だに地上にいるつもりで、歌い、そして祈るばかりです。かつての家族や友人が見当たらなくなったことに、何の不審も抱きません。
そうしたことを、私はこちらへ来て二、三ヶ月して知りました。私にも住居があります。親戚も友人もいますが、地上時代とはまるで違います。私よりずっと早く他界したのに、未だに死んだことに気づかず、暗闇の中での生活を続けている者が大勢います。そういう人をなんとかして救ってあげないといけないのです
今夜は、こうして皆さんと一緒に時を過ごすことが出来て、嬉しく思います。この仕事は、是非とも続けてください。皆さんの目には見えないかも知れませんが、毎回この部屋には、精神的に自由を奪われたスピリットや無知なスピリットが大勢連れてこられて勉強しています。
地上人類は、これからしばらく困難な時代へと入るでしょう。これまでの罪悪と利己主義がその困難を生み出すのです。現代人はお金と我欲の為にのみ生きております。いつかはその生活概念を変えなければならなくなるでしょう。平和は、その後になります。今はまだ、お互いが闘争状態にあります。
人間が最も控えねばならないのは、取り越し苦労です。不安を抱くと、オーラが不安の波動に包まれます。内部に神性が宿ることを自覚して、自信を持つことです。人格を備えた神ではなく、全大宇宙の根元である生命体としての神の力、創造力、愛の力が宿るということを自覚して、不安を追い払うのです。
例えば、スピリットに憑依されるのではないかという不安が生じた場合は、『自分は自分の身体の主なのだ――他の何者にも入らせないぞ』と自分に言い聞かせて、それを何度も繰り返すのです。そのうち霊的な力が湧き出て、それが身を守るようになります。それと同時に、邪心や悪感情を心に宿さないようにすることも大切です。(ウィックランド博士に向かって)先生、妻と相談の上、私の葬儀をパーティーにしてくださったことにお礼申し上げます。あれを葬儀だと思った人は、まずいないと思います。まさしくパーティーでした。私はずっとあの場にいました。皆さんに黒い喪服でなく、明るい白の衣服を着てくるようにお願いしてくださったことにも感謝いたします。
これからの葬儀は、すべてあのようであってほしいと思います。喪の悲しみの念は、スピリットに余計な悲しみと苦しみと陰鬱さを呼び寄せます。その陰鬱さから、何年も脱け出せないでいるスピリットが大勢いるのです。
では、この辺りで失礼します」
第2節 ●アダムズ博士の地上人への警告
アダムズ博士は、地上では内科医で、スピリチュアリズムの思想にも通じておられ、よく講演会を開いておられた。その博士が、死後、我々のサークルを訪れたのは一再に留まらないが、次に紹介するのはその一つである。
1920年10月20日 スピリット=アダムズ博士
皆さんがなさっておられる仕事には、陰ながらいつも大きな関心を抱いております。私も生前から霊的な仕事に携わっておりましたが、博士のような招霊による除霊の仕事はしませんでした。主に、死後にも生命があるという事実を広める仕事をしておりました。死後の生命は実感溢れるものです。決して観念的なものではりあません。理解ということが全ての鍵を握る世界であり、信仰は何の役にも立ちません。
何らかの教義をただ信じているだけでは、こちらで暗闇の中に自分を見出します。他のものを遮断して自分の世界にだけ閉じ込めるからです。バイブルにも、いいことがたくさん述べられております。問題は、それを文字通りに受け取ったり、伝統的解釈に拘ったりすることです。その裏にある意味を理解すれば、どんなにか違ってくるのですが・・・。
そもそもバイブルが書かれた時代は、今日ほど開けておらず、宗教も、無知な人民を思い通りに動かす為の鞭のようなものでしかありませんでした。そして、言う通りにしない者は、死んでから悪魔に捕まって地獄に連れて行かれると説いたのです。
その地獄たるや、実に惨たらしいものに描かれていました。火焔がもうもうと燃え盛り、辺りには骸骨が散乱し、悪魔が大きなフォークで人間をその炎の中に放り込んでおります。そんなところへは誰も行きたくありませんから、結局は言うなりになってしまいます。
そうした宗教集団が各地に出来てくると、それらの宗教間での優劣の競い合いが生じ、やがて戦争へと発展します。宗教が原因となって生じた戦争の歴史は、今日なお続いております。が、そろそろ新しい時代へと入りつつあるようです。理性が発達してきた現代人は、宗教というものに疑問を抱き始めております。が、宗教に背を向けた後に向かう方向は、金と権力です。稼げるだけ稼ぎ、握れるだけ権力を握ろうとします。その為には、手段を選ばないという傾向が生じています。
私が地上にいた時とは、すっかり事情が違ってきました。資本がものを言う時代であり、それが原因となって不和とトラブルが生じております。私が生きていた頃は、人に雇われるということは有り難いことと思って一生懸命に働いたものですが、今は雇う方も雇われる方も賃金を第一に考え、それが対立のもとになっております。
現代は、空を飛ぶ機械も出来ております。が、これは新しい発明の序の口に過ぎません。これからは、夢想もしなかったものが発明されていきます。電気を使用するものが多くなり、さらには、大気中から摂取したものをエネルギー源とするようになるでしょう。中でも、太陽が摂るエネルギーが最大の恩恵をもたらすことになるでしょう。
そうなれば、現代の金持ちもその使い道に困るようになります。太陽と大気とからエネルギーが摂取されるようになれば、利己主義者はいなくなり、キリストの説いた、お互いがお互いの為に生きる平和な世の中になることでしょう。これまでのように、ただ盲目的に信じて賛美歌と祈りだけの生活はしなくなるでしょう。
人間は誰しも間違いを犯します。その間違いから摂理を学べば良いのです。神は人間に理解力を与えてくださっています。その理解力を使って、自然界に顕現されている驚異と不思議の中に神を見出すのです。そこから生まれる魂の喜びの状態こそが、他ならぬ『天国』なのです。大切なのは理解力なのです。
地上時代の私は不遇でした。死後の生命の実在を信じ、それを説いて回ったことがその原因でした。そんな私を、みんな気狂い呼ばわりしました。死んだら地獄行きだと言うのです。人間は、死ねば『最後の審判日』まで墓で眠っているのだと言うのです。その審判日に呼び起こされて、善人と悪人とに選り分けられ、悪人は地獄へ送られて、そこで永遠の火炙りの刑に処せられるというのです。
神がすべてを作り給うたと言いながら、そんな理不尽なことをするなんて、バカバカしい話ではありませんか。
私は、もともと学者でしたが、スピリチュアリズムに熱心だったことで、色々と悩みや苦しみがありました。しかし、私は、死後の実在を知らしめることが自分の義務だと感じていたのです。スピリチュアリズムの教会を建てるのが夢でした。そこでスピリチュアリズムの思想を説きたかったのです。心霊実験などはするつもりはありませんでした。
ご忠告申し上げたいのは、見えざる世界への扉を開く努力をなさるのは結構ですが、その前に、霊的原理をしっかりと勉強してほしいということです。最近のスピリチュアリズムは、現象的なことばかり興味を抱いて、肝心の人生哲学や、霊界と地上界との関係を支配している霊的法則についての勉強が不足しております。
無知と利己心と嫉妬心から愚かなマネをしないようにしましょう。そういう低次元のものは一蹴して、創造の大霊から授かっている愛と叡智と理解力とを最大限に発揮いたしましょう。
では、失礼いたします」
第3節 ●妻の背後霊が語る『生命の実相』
かなり以前の話になるが、妻の親友にラックマンドという女性がいて、その人の子供が、生後二年半で発作を起こして精薄児になってしまった。
霊感の鋭かったラックマンド夫人は、それがスピリットの憑依によるものと直感し、妻と共に憑依現象の研究を始めた。
さて、ラックマンド夫人が他界する一年ほど前に、妻との間で一つの約束が出来ていた。それは、どちらが先に死んでも、死後の存続を実証してみせる、ということだった。その約束どおり、夫人は、二週間後の夜に物質化して、妻の枕元に立った。が、その容姿があまりにも地上時代そのままなので、妻は、一瞬それがスピリットであるとは気づかなかったという。が、夫人がかがみ込んで妻の頬に手を触れた時に、我に返った妻は、
「まあ、ラックマンドさん!」と叫んで起き上がった。すると夫人が、
「アンナ、スピリットが地上に戻ってくるのは本当よ。あたしは、これからあなたの霊能を発達させてあげる。招霊会の仕事は続けてね」
と言った。
その後、夫人は、交霊会に再び物質化して出現し、前回と同じように『スピリットが戻ってくるのは本当よ。招霊会は続けてね。あたしが、あなたの霊能を発達させてあげる』と述べた。
以来、ラックマンド夫人は、妻の背後霊団に加わって、主に身体の保護を担当し、同時に度々出現して語っている。次がその一つである。
1920年9月29日 スピリット=ラックマンド夫人
「地上の人間は、なぜこうも神または生命について正しく理解しないのでしょうか。やたらに神という言葉を口にしないで、或は自分で為すべきことを神にお願いしないで、神とは『理解』という名の光であることを知るべきです。そう理解すれば、利己主義も取り越し苦労も争いごともなくなるはずです。
例えば、拝金主義がなくなるでしょう。金さえあれば幸せになるかに考えるようですが、そもそも幸せとは何かをご存知ありません。買いたいものが買え、食べたいものが食べられ、飲みたいものが飲める程度のことが幸せと考えて、その為には先立つものは金と考えるようですが、そうなることは身体の健康にとって害にしかならないことを知りません。
人類が進歩すれば、大自然に顕現している驚異的な神の御業を理解することこそ、幸せへの道であることを悟るようになるでしょう。花の一つ一つが、神の顕現なのです。花の香りも神の顕現なのです。神がその存在を知らしめる為に発散なさっているのです。手で触れなくても、その美しい花から輝き出る(と私は言いたい)香りを通して、神の存在を知ることが出来るのです。たとえ目には見えなくとも、分かります。大気中に広がっているからです。
花の一つ一つが、神の御業です。同じものが人間にこしらえられますか。絵の具で同じ色が描けますか。あの香りが出せますか。それにまた、なぜ品種ごとに個性のある花を咲かせて、なぜゴチャゴチャにならないのでしょうか。赤い花が、なぜ緑色になったりしないのでしょうか。
花や植物の世界から動物の世界へと見てきますと、男と女の人間界には見られないもの、すなわち絶対的忠誠心ともいうべきものがあることが分かります。人類は万物の霊長であるべきところを、懐疑心と教義によって、雁字搦めにされております。自分を聖なるものと信じている人が多いようですが、勝手にそう思っているだけです。
日常生活において、それに相応しい努力はしておりません。
日曜日に教会へ行き、神へ祈り、『あなたに忠実に生きております』と申し上げながら、教会へ通わない人のことを悪し様に言います。本当は、その人達の方が自分に正直に生きている場合があるのです。その意味では、神におべっかばかり言っているクリスチャンよりも、よほど真摯に生きております。
人間に憑依する地縛霊は、いわば人工の『悪魔』です。利己心がそういうものを生み出しているのです。生命の実相を知らないまま肉体から離れた後、地上時代に信仰していたことと何もかも違うことを知って戸惑い、挫折し、憎しみを抱き、彷徨い歩いているうちに、同じ波長の人間に憑依してしまうのです。
その種のスピリットには気をつけないといけません。精神病の研究に熱心に取り組んでいるようですが、肝心の霊的原因を知らずにいます。霊的実相を知らないまま彷徨っている地縛霊の憑依が全ての原因なのです。そのことを知らずに、精神病者はすぐに隔離されますが、モルヒネを打たれて閉じ込められるだけのことで、他の人間に害を及ぼさないことにはなっても、本人には何の意味もありません。
ラックマンドでした。失礼します」
第4節 ●妻の友人が語る『肉体から霊体へ-』
妻のアンナが霊媒としての素質を発揮し始めた頃の友人で、その発揮に大いに貢献してくれた女性に、ケース夫人がいる。私との結婚前のことで、ケース夫人と私とは面識がなかった。
次に紹介する記録は、最近になって初めて出現した夫人が、妻との出会いの頃のエピソードを交えて語ってくれたものである。
1924年3月15日 スピリット=ケース夫人
「私は、あなた(博士)とは直接お会いしたことはございませんが、お二人の背後霊団の一人として親しく存じ上げております。奥さんとは結婚前のアンナ・アンダスンの時代から親しくしておりまして、この方のお陰でスピリットの実在を信じるようになったのでございます。
アンナと親しくなる前にも、ほんのちょっとですが、霊的なことを勉強したことがあり、ハートマン博士(注)の本やセオソフィーの著書を読んでおりました。何にでも興味を抱く性格でしたが、どれにも夢中になることはありまんせんでした。
(注 ドイツ人の精神分析学者で、スピリチュアリズムにも関心を抱いていた)
ところで、1890年のある夜のことでしたが、アンナと一緒にミネアポリスでの交霊会に出席している最中に、アンナが私の娘のスピリットに憑依されたのです。実は、娘のアリスと息子のウィリー、それに夫の三人が、一ヶ月のうちに相次いで他界しておりました。
アンナに憑依したアリスは、私に抱きついて『ママ、会いたかったわ! アリスです』と言いました。驚きましたが、私はとても嬉しくて、しばらく語り合ったあと、アリスが『ウィリーもここに来てるのよ。ママと話がしたいと言ってるわ』と言いました。そう言ってから、ウィリーと交替しました。
この体験で、私はすっかり考え方が変わり、この現象をもっと勉強してみたいと思うようになりました。そこで、もう一人の娘で、当時既に結婚していたZとアンナの三人で、私の家で交霊会を催すことにしました。母や叔母や、その他親戚のスピリットが出現して、とても楽しい時を過ごしておりました。
そのうち私は、こうした嬉しい体験を自分の家庭だけに限るのは勿体ない――もっと広く世間に知らせるべきだと考えました。内気なアンナは、初めのうち反対していましたが、私は、ミネソタ州のスチルウォーターというところで、オペラハウスを借り切って、私による講演とアンナによる招霊実験のデモンストレーションをすることにしました。
前宣伝もうまくいって、当日は大勢の聴衆が来てくれました。ところが、いよいよ開会となって私が演壇に立ったのですが、自分でも信じられないくらいあがってしまって、一言も口がきけません。しかし、その会を失敗に終わらせてはならないと思った私は、急いでアンナを呼んで、それまでに何度か出現しているロシア人の演劇霊団に出てもらってほしいと頼みました。アンナは、快く応じてくれて、すぐに入神し、劇も上手くいき、その後アンナの背後霊団の一人であるプリティガールが出て、うまく締めくくってくれました。大成功でした。そして、それが、アンナが霊媒として本格的に活躍するようになった最初でした。
その後、私が病気になった時、アンナがとても力になってくれました。アンナに乗り移って出て来た友人のスピリットに私の寿命を尋ねると、そう長生きもしないけど、死期が近いわけでもないという返事でした。病気になったのは十一月で、翌年1894年の三月五日に肉体から離れて霊体へと移りました。土曜日の夜十二時に昏睡状態に陥り、月曜日の朝三時に死亡しました。こうした経過が私には全部分かりました。
死の実相を理解している人にとっては、死はないのと同じです。肉体の中で眠りに入って、霊体の中で目を覚まします。そして、周りには顔見知りのスピリットが大勢来ております。とても愉しいものです。
私の場合、意外だったのは、夫が迎えの人達の中にいなかったことです。訳を尋ねると、地上生活への束縛が強くて、地上圏で半醒半夢の状態にあるとのことでした。そこで何人かのスピリットと一緒に夫を探しに向かいました。夫を見つけて覚醒させることに成功し、夫も大変喜んでくれました。それで、早速、地上に残した子供達のところへ戻ってみましたら、霊視能力のある娘のキャリーが、私達が死後も無事一緒になっているのを見届けて、喜んでおりました。
その後も、アンナを通じて、何度か子供達と話を交わしました。間もなくアンナはウィックランド博士と結婚してシカゴへ行ってしまったので、子供達と話を交わすことが出来なくなりましたが、私の方はアンナの仕事に関心を抱き続け、今もマーシーバンドの一人として活躍しております。
アンナの霊能は、その後大幅に成長しております。そして、体験も多彩になっております。人類にとってかけがえのない仕事をしておられます。博士と共に、地上の数多くの患者を救っておられますが、それ以上に多くのスピリットも救っておられます。救われたスピリットは、大抵マーシーバンドの協力者として、地上と霊界の両方で活躍しております。
このような仕事のできる霊能者が、もっともっと多く輩出してくれれば有り難いのですが・・・。人類には、まだまだ霊的知識が不足しております。そのうち霊的なことが、地上人類の第一の関心事となる時代が来ることでしょう。その目的をもって、霊界でも多くのスピリットが活躍しているのです」
第5節 ●幼児期に他界したスピリットの警告
幼児期に他界したスピリットは、霊界でもそのまま成長を続けるが、地上体験を得る為に、それに相応しい人間の背後霊として活躍することも多い。妻の背後霊の一人であるプリティガールと名乗る少女も、幼くして他界した、明るくて楽しい性格のスピリットである。
1924年3月12日 スピリット=プリティガール
「私が地上を去ったのは五歳の時で、そのまま八年程霊界で生活しておりましたところ、ウィックランド夫人の霊団の一人として、主にいたずら霊からお守りする役目を言いつけられました。そういうのを『コントロール』と言います。今は、指導や教育を担当する『ガイド』の一人となっております。
その頃のウィックランド夫人は、悩みを抱えた人の相談相手をしておられ、自殺を考えている人を思い止まらせたことが何度もあります。そういう時に私が、唆しているスピリットから守ってあげる役をしたのです。それは、私が地上で暗い体験をさせられていたので、悲しみを知らない人よりも、気持ちを分かってあげることが出来るからでした。
私は、1875年8月21日にロンドンで生まれました。両親は二人共、大酒飲みで、酔っぱらって帰ってくると、私をぶったり怒鳴ったりするので、私はそれが怖くて、どこかに隠れたり外で遊んだりしていました。そんな時に通りかかった人達が『可愛い子ね(プリティガール)』と言って頭に触ってくれたりしました。それが地上でかけてもらった唯一の優しい言葉で、いつの間にか、私はそれを自分の名前と思い込むようになりました。が、間もなく私は、五歳で死にました。
それから八年後の1888年に、地上的体験が必要になって、ウィックランド夫人のコントロールになることになりました。それにはもう一つ、霊媒には若いスピリットの磁気エネルギーが必要だという理由がありました。霊媒の背後霊に子供のスピリットが多いのはその為です。子供のスピリットは若いエネルギーを供給する一方で、人間界との接触によって学び、霊的に成長することになります。再生してくる必要はないのです。
人間は、例外無く、スピリットの指導を受けております。が、時として地縛霊と波長が合って憑依現象が起きます。地上には地縛霊がウヨウヨしております。そのことに気づいている人は殆どいません。
大半の人間は、肉体から離れた後も、しばらく地上で生活していた場所に留まっています。教養のあるなしには関係ありません。霊界についての知識がなければ、死んだその場におります。
麻薬常用者の場合は、深い昏睡状態に陥っている場合が多いです。そういう場合は、親族や友人のスピリットが近づいて呼び起こしますが、地上または霊界からの祈りの念を傍受したスピリットが、何らかの手段を講じて覚醒させるかしないかぎり、いつまでも眠ったままです。
同じく昏睡状態でも、キリスト教の信仰によって、最後の審判日まで眠るものと思い込んでいる場合と、死はすべての終わりであると思い込んでいる場合とがありますが、いずれにしても、一種の自己催眠にかかっているのです。
また、自分が死んだことに気づかずに説教と賛美歌に明け暮れている人も沢山います。そういう人が地上の教会へ来て、一緒に歌っていることもあります。教会の信者の中には、霊的感受性の強い人や神経の過敏な人がいて、そういう人がスピリットと波長が合って憑依してしまうことがあります。そうなると、のべつ祈り、そして歌いまくりますから、精神に異常を来したとされて、精神病院に送られてしまいます。
その他に、意図的に人間に害を及ぼしているスピリットもいます。人間に憎しみを抱き、暗示をかけたり憑依したりして、殺人や自殺を唆すのです。そんな場合は、殺人者は無意識ですから、罪悪を犯した記憶がないことになります。なのに、裁判官や検事は、頭脳は優秀なのでしょうけど、そういうことを知らないが為に殺人罪を適用します。
身に覚えの無いことで肉体を奪われてしまった人間のスピリットは、そのことに恨みを抱いて仕返しに戻ってきます。そして、新たな殺人者や自殺者を生み出します。裁判官も法律家も聖職者も、人を裁くことばかり考えていないで、真理を勉強してそれを犯人に説き聞かせて、内部の善性を引き出す方向へ努力すべきです。霊界でも、人の為に役立つことをすることが進歩をもたらすのです」
第6節 ●アメリカ・インディアンの霊的生活
アメリカ・インディアンは、生活及び宗教概念の単純素朴さと、自然の摂理についての知識が豊富であることから、死後、地縛霊になることは滅多にない。そして、地上の霊的能力者の背後霊として活躍することが多い。次に紹介するウィックランド夫人の霊団の一人であるシルバー・スターもその一人である。
1924年3月12日 スピリット=シルバー・スター
「インディアンは、これといった宗教やドグマを持ち合わせませんので、死後、地上の霊媒の背後霊となることがとても多いのです。インディアンは、幼少時から万物に宿る霊性と、死後の楽園について教わっています。メディシンマンと呼ばれる霊能者は、心霊的法則をよく心得ていて、自然の営みをコントロールする(雨を降らせるなどの)方法を教えてくれます。
私達が、こうして地上へ派遣されるのも、霊的に援助したり保護したりする原理を知っているからでして、霊媒が地縛霊に邪魔されないように、門番のような役目をすることがよくあります。
白人は、数え切れない程の種類の病気で死にますが、インディアンは大自然と共に生きて、殆ど病気らしい病気を知らずに自然死を遂げます。その地上時代の健康と体力が、死後も霊媒に良い影響を及ぼします。
インディアンのスピリットが、人間に取り憑いて障害を及ぼすということは滅多にありません。それは、人間とスピリットとの関係を支配している法則をよく理解しているからです。
私は、1883年に北ウィスコンシン州にあるインディアン保留地で生まれました。チペワ族でした。四歳半頃に崖から落ちて頭部の負傷で死にました。ウィックランド夫人の背後霊団に加わったのは、1893年で、今も門番の役をしております。
初めて夫人をコントロールした時はチペワ語しか話せませんでしたが、その後、霊団の他のスピリットの方から英語を習いました。インディアンは、学校教育がないから何も知らないと思われているようですが、大霊への純粋な敬意と、人の為に役立つことをしようと願う純心な気持ちがあります。勿論、インディアンにも真面目な者と邪悪な者とがいますが、邪悪になるのは大霊の存在を理解していない者であり、それに、悪い習慣の殆どは、白人がもたらしたものです。
インディアンは、もともと恐れることを知らない民族でした。ところが、白人がやって来て、インディアンを動物のように殺すようになって、インディアンも恐怖心と怒りを覚えるようになりました。そして、仕返しをするようになり、戦争になっていきました。白人を見ると敵と思うようになりました。初めから親切な態度で接していたら、戦争にはならなかったはずです。
メディシンマンというのは、自然界のエネルギーについて勉強して、それをコントロール出来るようになった人のことで、雨を降らせたりすることが出来ます。祈る時も、その念力で自然界の生命力を活用するのです。白人のように口先だけの祈りではありません。口ではあまり語らずに、輪になって踊って精神を集中します。
スネークダンスというのもあります。これは、踊りによって蛇を噛まないようにしてしまうのです。恐怖心がないから出来るのです。白人も恐怖心をなくせば、色々と不思議なことが出来るようになります。白人も太古においては、恐怖心というものを持ち合わせなかったのです。それが、地獄と悪魔の物語が生まれてから少しずつ怖がるようになっていったのです。
霊界には宗教はありません。真理のもとでは、みんな兄弟であり、姉妹なのです。大霊の存在を理解した後は、みんな同じなのです」
第7節 ●スピリット劇団の演じる道徳劇
極めて特殊な霊媒現象として、スピリットの劇団が、妻のアンナをまるでマイクロフォンのように使用して、道徳劇をラジオドラマのように演じてみせてくれたことが何度かあった。
劇団員の数は十二名――俳優が十一名と演出家一名で、地上ではロシア系スラブ民族に属していたという。演出家の指示のもとに、きわめて容易に、そして迅速に、霊媒をコントロールするので、その交替の変化が側から見極めがつかないほどである。
言葉は、妻の知らないロシア系スラブ語であるが、その言語を知っている人達の証言によると、妻の口から出る言葉は完璧だったという。衣装は我々サークルの者には見えないが、霊視能力者に見てもらったところ、間違いなくスラブ系の民族衣装を着ていて、実に奇麗だったという。妻の背後霊団の一人が通訳を務めて、劇団員の一人が劇の内容と目的を次のように説明してくれた。
「私達は十二名から成る劇団で、今回の催しは、この霊媒を通して死後の存続とスピリットによるコントロールの真実性、および地上時代と全く同じように演技出来ることを証明することが目的です。
霊界では地縛霊に見せております。その多くは死んだことに気づいておらず、地球のすぐ近くの界層で半醒半夢の状態でおります。
公演に先立って音楽家による演奏があります。それを聞いて、一人また一人と目を覚まします。そして起き上がってきますが、自分がどこにいるのか、どういう状態にあるのか、を知らずにいます。が、音楽による刺激で、少しばかり霊的自覚を覚える者もいます。
劇を演じるのは、それからです。登場人物は皆、象徴的な意味があり、スピリットが向上していくには、利己的で下品な、ケチ臭い属性を克服しなければならないことを教えるようになっております。
主役の女性は愛を表し、相手役の男性は真理を表します。無法者は利己主義を、年配の女性は軽率さを、役人は正義を、裁判官は叡智を表します。そして法廷における証人は、知識・無節操・悲劇・病気・欲深を象徴しております。
話のあらすじは――ヒロインの『愛』は密かに『真理』の男性に恋心を抱いております。が、彼女の家には『軽卒』という年輩女性がいて、これが無法者の『利己主義』に思いを寄せています。
さて、『真理』が登場して『愛』にプロポーズします。それを『愛』が受け入れると、すぐに『真理』は退場します。入れ代わって『利己主義』が登場して『愛』を一人占めにしようとします。それが拒絶されたところへ、艶かしく着飾った『軽卒』が現れて『利己主義』を『愛』が奪い取る為に媚態を演じます。そのことに怒った『利己主義』が『軽卒』を脅すように叱り、ライバルの『真理』を殺してやると誓いながら退場します。
驚いた『愛』はそのことを知らせようと恋人の『真理』へ宛てた走り書きを召使いに託します。が、時既に遅く、『真理』は途中で待ち伏せしていた『利己主義』に襲われ、剣での果たし合いの末に致命傷を負い、苦しみながら息を引き取ります。これは、人間の高潔な本性が、利己主義によって蝕まれていくことを象徴しています。
召使いは、大急ぎで帰って来て、そのことを女主人の『愛』に伝えます。驚いた『愛』は、その現場へと急ぎ、『真理』の死を見届けると、その場に跪き、祈りを唱えつつ短剣で自らを刺して死にます。
かくして『真理』が死んだことで『愛』も死んでしまったことに激高した『利己主義』は、この世に神なんかいないと断言して、復讐を誓います。そこへ役人の『正義』が到着し、殺人者の『利己主義』に手錠をかけて拘留します。その後『愛』と『真理』の葬儀が行われます。
『利己主義』は『正義』によって裁判官である『叡智』の前に引き出されます。そして最後に、知識と無節操と悲劇と病気と欲深の全証人が、『利己主義』さえいなかったら『愛』も『真理』も死ななかったはずであると証言します。
『叡智』は『利己主義』を追放処分にします」
同じ劇が1923年の5月に催された時は、アメリカを講演旅行中のコナン・ドイル夫妻も出席しておられた。そして(二度目の米国冒険旅行)という著書の中で、こう述べておられる。
「まさに驚異としか言いようのない上演で、我々はただ驚嘆するばかりだった。私は、当代きっての名優を数多く知っているが、果たしてその名優達が、ステージもコスチュームもなしに、あれほど説得力のある上演が出来るだろうかと想像すると、どうも疑問に思える。
上演してくれたスピリット達の説明によると、彼らは霊界での劇団で、低界層の未熟なスピリットにモラルを教える為に上演しており、この度はウィックランド夫人の素晴らしい霊媒能力を利用して、我々の為に演じてみせてくれたのだった。
実に印象的な体験だった」
第8節 ●高級霊からのメッセージ
ウィックランド夫人の招霊会が、マーシーバンドと称する高級霊の一団の要請で開かれるようになった経緯は、冒頭に述べた通りである。その下準備として、私の妻が霊媒となるべく、友人のラックマンド夫人とケース夫人との関わりの中で貴重な霊体験をさせられていたことも、今しがた紹介した記録で明らかとなった。
これから紹介するのは、そうした一連の霊界側の計画の推進者であったルート博士が出現した時の記録(注)である。そもそもこうした記録として残して学術的資料とするように指導したのはルート博士で、三十年間に何度も出現して、我々を激励すると共に、そこに集められた『迷えるスピリット』に霊的真理を説いていた。
(注 原典には二つの記録が掲載されているが、霊的に目覚めていないスピリット、言うなれば幼稚園児を対象とした説教を兼ねているので、内容的には平凡である。ここでは一つだけ紹介しておく。Dr.Rootとあるだけで、他には何の紹介も説明も無い。本人の要請でそうしたのかも知れない。高級霊は皆、そうした態度を取るものである)
「こうして皆さんと共に催す集会はささやかなものですが、死後の生命について未だに理解できない多くのスピリットを集めて聞かせているのです。出来ればその様子を一目お見せ出来ればと思うのですが・・・。
これまで、地上には本当の意味での幸せと言えるものは皆無だったと言って良いでしょう。そして、これからも、宗教とは何かについての正しい理解が出来ないかぎり、本当の幸せと言えるものは得られないと言って良いでしょう。宗教と呼ばれるものは、いつの時代にも無数に存在していますが、いずれもその基盤にあるものは『欲』です。
皆さんは、二十世紀の世に生きておられます。文明は大いに啓発された時代かも知れませんが、死後どうなるかについて、なぜこうも無知なのでしょうか。
大半の人が相変わらず神よりも、黄金の子牛(富)を崇拝しております。教会はかつての機能を失い、崩壊の一途を辿りつつあります。現代人は真実の知識を求めているのです。信仰ではありません。その要請に応じて、牧師が真実の霊的知識を説くようになれば、信者も多く集まるようになるのでしょうが・・・。
キリスト教の古い教義がもはや信じてもらえるものではないことは、牧師の多くが心の奥で認識しているのです。しかし、牧師もお金が欲しい――神よりも黄金の子牛の方を崇拝しているのです。そこで、説教壇に立つと、自分自ら信じていない教義を説くことになります。
いつの日か地上人類も、金銭欲を卒業する段階まで進化することでしょう。が、悲しいかな現在のところは、大半の人間が金、金、金の毎日を送っております。その欲にはキリがないようです。なりふり構わず、富の追求に明け暮れております。
他人への思いやりが見られません。現代の経済体系、金儲けの機構を最大限に利用することばかり考えております。が、その機構も、いずれ崩壊する時代がきっと来ます。
この地上に生きているうちに、地上生活のことだけでなく、死後の世界について勉強しておくべきです。聖職者になりたいとか、医者になりたいとか、弁護士になりたいと思えば、誰しもその道の勉強をしなくてはなりません。それと同じで、こうして生きている自分とは何なのかについて勉強するのが当たり前ではないでしょうか。
死後のことは、死んでからではなく、この地上にいるうちに学んでおくことが大切です。そうすれば、肉体から離れた時に迷うことなく、予め用意されている場所に落ち着き、いつまでも地上の我が家をうろつき回るようなことがなくて済みます。死後のことを知らないまま死んだ人の中には、既に肉体がなくなっていることに全く気がつかない人が意外に多いものです。そういう人は相変わらず地上の家族と一緒に暮らしているつもりでいます。そのうち家族の中の感受性の強い者に取り憑いてしまいます。
精神科医は、それを『精神異常者』として施設へ送ります。地縛霊に取り憑かれた者は、医学ではまず手の施しようがありませんから、医者も情け容赦のない態度に出ます。
そういう事態になるのを防ぐ為には、死後、肉体を離れたスピリットが間違った信仰に迷わされることなく自然に、落ち着くべきところに落ち着くように、正しい霊的知識を地上時代に教えておくことです。天国とか地獄というのは、そういう固定した場所があるわけではなく、各自の精神状態をいうのです。
死後の世界は実に自然に出来ていて、地上とそっくりです。一つだけ違うのは、地上ではありとあらゆる性格と種類の人間が同じ場所、同じ平面上に存在するのに対して、こちらでは各人の理解力の成長に応じた境涯に落ち着くということです。
地上世界も霊界も『学校』のようなものと思えば良いでしょう。一段また一段と、理解力の成長に応じて進化の階段を上っていくのです。『信仰』は何の役にも立ちません。置かれた境涯で学び、学び終えて次の境涯へ行けば、またそこで学ぶわけです。理解力の成長は時間がかかります。が、生命の進化の旅は永遠に続くのです。急ぐことはありません。
地上人類がその霊性に目覚める日は、そう遠い先のことではありません。教会でも交霊会が開かれ、生命を霊的に理解するようになるでしょう。
ドクター・ルートでした。皆さんの幸せとお仕事の成功を祈っております。失礼します」