第2部 アラン・カルデック自伝
──孤独と休みなき戦いの日々(『遺稿集』第四章「自伝的ノート」から抄訳)
第7章 あらゆる試練を乗り越えて
一八五六年六月十二日、C氏宅で、霊媒はアリヌ・C嬢。
――([真実の霊]に対して)何人かの霊人から教えられた私の使命に関して、お聞きしたいことがあります。
これは、私の自惚れ心に対する試練なのでしょうか? 私が、「霊実在主義を述べ伝えたい」という強い願いを持っていることは事実です。しかし、単なる一人の信奉者であることと、組織のトップになることとの間には大変な違いがあると思うのです。私より遥かに才能の豊かな方々、私にない数々の長所を持つ方々が他にいるにもかかわらず、このようにして私が選ばれたということが、どうしても理解出来ないのです。
「あなたに対して言われたことは、その通りだと思います。でも、もしそれを実現しようと思うのであれば、謙虚さを忘れないことです。現在では、あなたを驚かせるようなことでも、やがて、その理由が分かるようになるでしょう。
『成功も、失敗も、あなたの心がけ一つにかかっている』ということを忘れないでください。もしあなたが失敗した場合には、また別の人が選ばれるでしょう。というのも、神の計画は、一人の人間の失敗に左右されるようなものではないからです。
あなたの使命に関しては、決して他人に語らないようにしなさい。もし、それを誰かに漏らせば、そのことが失敗を招き寄せることにもなりかねません。
その使命は、成し遂げた事業によってしか証明出来ないのです。そして、まだあなたは何一つ始めていません。もしあなたがそれを成し遂げたとすれば、人々はおのずからそのことを認めるようになるでしょう。というのも、果実によって、人は木の良し悪しを見分けるからです」
――自分自身が信じてもいない自分の使命について、軽々しく人に話すようなことはしません。もし私が神の道具として働くように決まっているのなら、いずれにしても、そうなるでしょう。その場合には、私の使命を果たす上で、あなたの助けと、他の霊人方の助けを、是非とも頂きたく存じます。
「私達が助けないなどということは有り得ません。しかし、もしあなたが必要なことをしない場合には、私達の支援も虚しいものとなります。あなたには自由意志があるのですから、それを使いこなす必要があります。いかなる人間も、何かをするようにと、他から絶対的な強制を受けることはありません」
――もし私が失敗するとすれば、それはどのようなことが原因となるのでしょう。私の能力不足でしょうか?
「違います。とはいえ、真の改革者は数々の暗礁や危険に立ち向かわねばなりません。
あなたの使命を遂行するのは極めて難しいということを自覚してください。というのも、世界全体に働きかけ、これを動かし、変えていかねばならないからです。本を一冊、或は二冊、または十冊出版し、後は家でのんびりしていられると思ったら大間違いです。そんな生易しいことではないのです。あなたは、全人格をかけてその事業に当たらなければなりません。
あなたは、凄まじい憎しみを受けるでしょう。仮借ない敵陣営が、あなたの破滅を願って次々に画策するでしょう。あなたは、悪意、非難、攻撃、裏切り――あなたを最も信奉しているように見える人々の中からも裏切り者が出ます――の的となるでしょう。あなた方の心を込めた指示が、ねじ曲げられ、無視されるでしょう。何度も何度も、徒労感のあまり使命を投げ出したくなるでしょう。
一言で言えば、それは休みなき戦いなのです。休息を犠牲にし、平安を、健康を、そしてあなたの人生全体を捧げなければなりません。こんなことをしなければ、あなたはもっと長生き出来るのです。そこにあるのは、両側に花の咲き乱れた快適な散歩道ではなくて、茨、尖った石、蛇で一杯の困難な道です。一歩、足を踏み入れたが最後、決して後戻り出来ません。
かくのごとき使命を果たすには、知性だけでは不十分です。まず、謙虚さ、慎み深さ、無私無欲が必要です。傲慢さ、自惚れ、野心があったら、直ぐにやられてしまいます。敵と戦うには、勇気、忍耐力、不退転の決意が必要でしょう。さらに、物事を、偶然に頼らず、計画通りに成就する為には、慎重さと同時に知謀も必要です。そして、最後に、献身、克己心、あらゆる面における自己犠牲が必要となります。
以上のように、あなたの使命が成就するか否かは、全て、あなたがどうするかにかかっているのです」
――[真実の霊]よ、智慧に満ちたご忠告を有り難うございました。私はそれらを全て、下心なしに、素直に受け止めさせて頂きます。
主よ、もしあなたが私に、あなたの計画を成就せよ、と仰るのであれば、私はあなたの意志に従いましょう。私の命はあなたのものですので、どうぞ思いのままにお使いください。
これほど大きな使命を前にすると、私は自分の弱さを痛感せざるを得ません。不退転の決意は致しましたが、はたして、やり遂げるだけの充分な力が自分にあるかどうか不安です。どうか私の不充分な力を補ってください。私に必要な、精神的、肉体的な力をお与えください。苦難の時には私を支えてください。あなたのご援助、そして高級諸霊のご支援を受けて、あなたから頂いた大いなる目的を達成出来るように、何とか頑張りたいと思います。
この文を書いているのは、一八六七年一月一日、すなわち、右の通信を受け取ってから十年半の後のことである。
ここで述べられたことは、あらゆる点で本当であった。というのも、私はあらゆる試練を受けたからである。
仮借ない敵陣営の憎悪の的となり、侮辱、悪口、中傷、妬み、嫉妬に晒されてきた。私を攻撃する文書が数限りなく刊行された。私の心からの指示は曲解された。信頼する人々からは裏切られた。私が奉仕した人々からは無視された。パリ霊実在主義協会は、私の味方であるはずの人々の策略で混乱し続けた。面と向かっては私に微笑む人々が、裏では私を冷酷にこき下ろした。私を支持する人々の中には、私が協会から吸い上げた資金で私腹を肥やしていると言いふらす人間達もいた。
私には、一日たりとも寧日(ねいじつ)はなかった。何度も何度も過酷な仕事のせいで倒れ、健康を害し、人生が危うくなった。
しかしながら、高級諸霊が絶えず保護、支援してくださり、暖かく励ましてくださったお陰で、幸いなことに、私は一瞬たりとも失意に囚われたり、勇気を失ったりすることがなかった。そして、私に向けられた悪意を跳ね返し、常に変わらぬ熱意を持って使命の遂行に邁進出来たのである。
[真実の霊]からの通信で、私はそれら全てのことを覚悟していたが、まさにその通りとなった。
しかし、苦難、困難に晒される一方で、偉大な事業が驚くべき仕方で展開していくのを見ることは、またとない喜びであった。私の苦労は数多くの慰めによって報われたのである。霊実在論によって慰められた数多くの人々から寄せられた真実の共感によって、どれほどの励ましを受けたことであろうか。
こうした結果は[真実の霊]からは全く知らされていなかった。[真実の霊]が私の困難だけを告げたのは、おそらく意図的だったのだろう。それに文句を言うとしたら、私には忘恩の徒ということになってしまう。
もし、「善と悪は拮抗しているなどと言ったとしたら、私は真実から外れていることになるだろう。というのも、善は――つまり、精神的な満足は――常に悪を凌駕しているからである。
失望に捕らえられ、苛立ちに襲われた時は、私は人類の共通想念を高く超え、意識を遥かな天上界に向けた。霊界に身を置いて、遥かな高みから、地上で自分が到達した地点を眺めると、「地上人生での苦難、困難など、全く何程のこともない」ということが、自ずから分かるのだった。
習慣的にそのようにしていたので、意地の悪い人間達の非難の声によって、私が動揺するというようなことは全く有り得なかった。