第1部 生前の生き方が、死後の行き先を決める
――天国霊・地獄霊の人生ケーススタディー
第1章 天国で喜びを謳歌(おうか)する霊
(1) 安らぎに満ちた死の瞬間――ジョルジュ
パリの霊実在主義協会において行われた、サムソン氏(*訳者注意)の最初の招霊(しょうれい)のすぐあとで、ジョルジュという名の霊人(れいじん)が「正しき人の死」というタイトルで、次のような霊界通信を送ってきた。
「わたくしの死は、まさに正しき人の死であり、穏やかな、希望に満ちたものでありました。暗い夜のあとに明るい一日が始まるように、地上の生活の後には霊界での生活が始まります。わたくしの場合、何の動揺もなく、何の悲痛な思いも伴(ともな)わず、息を引き取る瞬間は、まわりの人々からの感謝と愛に満たされていました。
しかし、このような死を迎えることのできる人間は実に少ないものです。熱狂の人生、あるいは絶望の人生を送った後で、調和に満ちた死を迎えることはとても難しいのです。生きている時にすこぶる元気だったとしても、ピストルで自殺した場合、すでに魂から分離しているというのに、体の痛みを感じて苦しみます。信仰もなく、希望もなく死んだ場合、体から離れるのに引き裂かれるような思いをし、しかも、その後は、わけの分からない空間に放り出されるのです。
混乱の中にある霊人たちのために祈ってあげてください。苦しんでいる霊人たちのために祈ってあげてください。愛の思いは、霊界にもしっかり通じます。そして、愛の思いは、霊界の霊人たちを救い、慰(なぐさ)めることができるのです。
この点に関しては、あなたがたは感動的な例を持っています。サンソン氏の葬儀の際に行われた、霊実在主義に基づく祈りによって、ベルナールという人の霊が目を覚まし、あっという間に回心を遂げたのです。どうか彼の霊を招霊して尋ねてみてください。彼は、あなたがたが聖なる道においてさらに進化を遂げることを願っています。
愛には限界がありません。愛は空間を満たし、慰めを与えます。愛の海は無限に広がっていき、やがては空と接します。そして、霊人たちは、空と海を満たす壮麗(そうれい)な愛の姿に心を打たれるのです。愛は海よりも深く、空よりも広く、地上に生きている人間も、霊界に生きている霊人も、すべての存在を結びつけ、有限なるものと無限なるものを、真に驚嘆(きょうたん)すべきやり方で融合させるのです。
≪(*)訳者注『天国と地獄』の第二部第一章「サンソン氏」≫
(2) 死後も霊実在論の普及に情熱を燃やす幸福――ジョベール氏
ブリュッセルの産業博物館の館長であったジョベール氏は、オート・マルヌ県のベッセイで生まれた。一八六一年十月二十七日、ブリュッセルで突然の脳卒中に襲われて亡くなった。享年69歳。
「こんばんは。あなた方が私を招霊しようとしてくれていることを承知の上で、このように自分から降りてきました。暫くの間、この霊媒を通じてコンタクトしようと努力していましたが、今ようやくこうしてコンタクトが可能となりました。
魂が肉体から分離した時の印象を語りましょう。まず、それまで感じたことのない動揺を感じました。私の誕生の時、青春時代、壮年時代、そうした時代の記憶が突然全て甦ってきたのです。私は、『信仰によって啓示された、私の還るべき場所に還りたい』という気持ちで一杯でした。すると、徐々に記憶が静まってきました。私は自由になり、遺体が横たわっているのを見ました。
ああ、肉体の重みから自由になることの何という嬉しさ! 空間を自由に動き回れるというのは本当に心躍る経験です。とはいっても、一気に、神に選ばれし者になったわけではありません。私には、まだまだ課題が残っており、学ぶべきことがあるのですから。
間もなく、あなた方のことを思い出しました。地上という流刑地にある兄弟諸君よ、私の同情を、そして私の祝福を受け取ってください。
私がどのような霊人達に迎えられ、どのような印象を持ったかを知りたいのではありませんか? 地上にいた時に私が招霊し、お互いに協力し合って仕事をした霊人達は、全て友人としてやってきてくれました。壮麗な輝きを感じましたが、地上の言葉では、到底その輝きを伝えることが出来ません。霊界通信で知ったことを確認し、誤った認識は改めようとしました。そして、地上においてもそうであったように、霊界においても、真理の騎士たらんとしているのです」
――あなたは、地上におられる間に、「地上を去った後で必ず招霊してくれるように」と私達に頼んでくださいました。今、その約束を果たさせて頂いているわけですが、それは単にあなたの願いを聞き届ける為だけではありません。それだけではなくて、あなたへの心からの感謝をお伝えする為であり、また、あなたから貴重な知識を教えて頂いて、私達の向上の糧にする為でもあります。
というのも、今あなたがいらっしゃる霊界についての正確な情報を、与えてくださることが出来る立場にあなたはおられるからです。ですから、私達の質問にお答え頂ければ誠に幸せに存じます。
「現時点で最も大切なのは、あなた方の向上です。
私への感謝の思いに関して言えば、私にはそれが見えます。私は、こちらへ来てから随分進歩したので、『耳で言葉を聞くだけ』という地上の制約を脱しており、思いを直接知ることが出来るようになったのです」
――事態をはっきりさせる為にお聞きするのですが、現在、この部屋のどの辺にいらっしゃいますか? また、我々がそのお姿を拝見出来るとすれば、どのようなお姿をしていらっしゃるのでしょうか?
「霊媒のすぐ側にいます。もし、私を見るとすれば、テーブルの側の椅子に座っている姿が見えることでしょう。というのも、通常、人間には、霊の姿は人間的な姿として見えることになっているからです」
――我々があなたの姿を見ることが出来るようになるのは可能なのでしょうか? もし不可能だとすれば、何が問題なのでしょうか?
「あなた方の個人的な能力の問題です。霊視の利く霊媒であれば簡単に見えるはずですから」
――その席は、生前、交霊会のたびにあなたが座っておられた席で、あなたの為に、我々が確保しておいた席です。ですから、生前のあなたを知っている人々は、そこに座っておられるお姿を想像することが出来ます。物質的な肉体を持ってそこにいらっしゃらなくとも、幽体を纏ってそこにいらっしゃるわけですね。肉体の目では見えませんが、精神の目では見ることが出来ます。
声を発してコミュニケーション出来なくても、霊媒の手を通して文字を書くことでコミュニケーションが成立します。あなたの死によって、我々との交流が断絶したわけではなく、かつてと同じく、今でも容易に、そして完全に対話を交わすことが出来るのです。
以上のように考えてよろしいでしょうか。
「結構です。それは既に随分前から分かっていることです。私は、今後、この場所に、あなた方が知らずにいても、座っていることになるでしょう。というのも、私はあなた方と共に生きるつもりだからです」
「私はあなた方と共に生きるつもりだからです」という最後の言葉に注意を喚起しておきたい。というのも、現在の状況では、これは単なる比喩ではなくて、一つの現実だからである。
霊実在論が、霊の本質に関して教えてくれるところによれば、霊は、単に思いにおいて我々と一緒にいられるだけでなく、現実に、幽体を纏った姿で、はっきり個性を持った個人として、我々の側にいることが出来るのだ。つまり、霊は、死んだ後も、もしそれを望むのであれば、生前と同様に我々の間にいることが出来るのである。しかも、いつでも好きな時にやってきて、好きな時に立ち去ることが出来る。
というわけで、我々の側には、我々に無関心な、或は、我々と愛情で結びついている、実に沢山の目に見えないお客さん達がいるのである。特に後者に関しては、確かに「我々と共に生きている」ということが言える。つまり、我々を助け、インスピレーションを与え、守ってくれているのである。
――少し前までは、あなたは肉体を纏ってその場所に座っておられたわけです。現在、霊になってそこにおられて、どんな感じがしますか? 何か変化が生じているでしょうか?
「特に変わった点はありません。『肉体を離れて霊になった為に、全てがはっきりと分かるようになり、曖昧なところが全くなくなった』という点が、違うといえば違う点でしょうか」
――今回の人生よりも前の人生を思い出すことは出来ますか? それらと比べて、今回の人生には、何か変わった点があるでしょうか?
「そうですね。過去世を思い出すことは可能です。そして、過去世に比べて自分が随分進化した、ということを感じます。過去世がはっきり見え、過去世に同化することが出来るのですが、過去世においては、混乱に満ちた人生を送り、地上世界に特有の恨みという感情を抱いたことが多かったようです」
――今回の人生のすぐ一つ前の人生、つまりジョベール氏の時よりも一つ前の人生を思い出すことは出来ますか?
「出来ます。私はその時、機械工をしておりました。大変貧乏でありながら、自分の技量を完成させたいと望んでおりました。そして、今回の人生において、つまりジョベールの人生を通して、その哀れな機械工の夢を果たしました。私の頭の中に蒔いた種から芽を出させてくださった善なる神に、心から感謝したいと思います」
――他の場所では招霊に応じましたか?
「まだほんの少ししか招霊には応じておりません。多くの場所で、ある霊人が私に代わり、私の名前を使って通信しました。私は、まだ自分では直接に通信出来なかった為、彼の側に控えていたのです。
死んで間もないので、まだ地上の影響に左右されます。つまり、まだ新米なので、通信が可能となる為には、地上の人々との完全な共感が必要となる、ということなのです。もう少しすれば自由に通信出来るようになるでしょう。今のところ、繰り返しになりますが、自分で直接、自由に通信することは出来ません。
多少、名を知られた人間が死ぬと、あちこちで呼ばれるので、他の多くの霊人達が、暫くその代わりを努めます。私の場合も同じことが起こりました。肉体から解放された直後には、通信することはなかなか難しかったのです」
――ここにいる、あなた以外の霊人達の姿は見えますか?
「特にラザロとエラストがはっきり見えます。それから、少し遠くに[真実の霊]が空中に浮かんでいるのが見えます。さらに、数多くの友人達がひしめき合って、あなた方を優しく取り囲んでいるのが見えます。あなた方は本当に幸せ者ですよ」
――生前、あなたは、「四つの天体が一つにくっついて地球が生まれた」とする説を支持していましたが、今でもこの説を信じていますか?
「あれは誤りでした。新たな地質学的発見によって、『地球それ自体が変動を経て徐々に形成された』ということが証明されています。他の惑星と同様、地球もそれ自体の生命を持っているのです。『いくつもの天体を一つにまとめる』というような作業は必要なかったのです」
――あなたは、さらに、「人間は、無限に長い間、強硬症(一定の姿勢を長時間とり続ける症状)の状態にあり続けることが出来る。そして、実はその状態で他の天体から地球に運ばれてきた」という説を支持していましたが、この点に関してはいかがでしょうか?
「私の空想癖が生み出した錯誤にすぎません。強硬症が、ある程度、持続することは事実ですが、無限に続くことはあり得ません。東方的な空想が生み出した大げさな伝説です。友よ、私は、地上時代に数多く錯誤を犯しており、それらを反省して随分苦しみました。そのことをよく覚えておいてください。
私は地上で数多くのことを学びました。素直に申し上げて、私の知性は多くの学問を素早く学ぶことの出来るものでした。しかし、『地上生活で得たもののうち、本当に価値があったのは、素晴らしいものへの愛と、純朴なものへの愛だけだった』ということを、ここで強調しておきたいと思います。
いわゆる純粋に知的な問題には、今は興味がありません。私の周りに展開する、目も眩まんばかりの美しい景観、溜め息が出る程素晴らしい出来事に囲まれて、どうして純粋に知的な問題に関心を持つことなど出来るでしょうか。
霊実在論の仲間の絆は、あなた方の想像以上に強いのですよ。私が、ひとたび去った地上にこうして降りてくるのは、この絆があるからです。嬉しくやって来るというよりも、むしろ、解放されたことに対する深い感謝の念と共にやって来る、と言った方がよいかもしれません」
協会は、一八六二年二月より、リヨンの工員達からの寄付の受付を開始した。メンバー一人当たりの寄付は五十フランであったが、そのうちの二十五フランは本人名義、残り二十五フランはジョベール氏名義となった。このことに関して、ジョベール氏が以下のような意見を寄せてくれた。
「霊実在論を同じく奉ずる兄弟達が私を覚えていてくれたことに対して、心から嬉しく思い、感謝するものです。寛大な心で寄付をしてくださったことに感謝しています。それは、もし私がまだ地上にいれば、私がしていたはずの寄付でした。今私が住んでいる霊界では、お金は、必要とされない為に存在しません。したがって、地上で寄付をする為には、友情に溢れた財布から出して頂くしかなかったのです。
善良な工員諸君、あなた方は、熱心に、種から育ったブドウの苗を育てています。慈善という言葉がどれほどの意味を持っているかを、本当に知って頂きたいものです。額の多少に関係なく、施しは同情と博愛の印であり、実に尊いものなのです。
諸君は、人類の福祉を目指す大道の中にあります。どうか、神のお力により、諸君がその道を踏み外しませんように。そして、諸君がさらに幸福になりますように。霊界の友人達が諸君を支援していますので、必ず勝利出来るはずです。
私はこちらで霊的な生き方を本格的に開始しました。次々とやってきていた交霊会へのお誘いも少なくなり、落ち着いた、平和な生活が始まったのです。流行は霊界にも及びます。ジョベールの人気が終わり、次の霊人が寵児になるにつれ、私は忘却の中に入っていくのです。
ただし、智慧を得る為に真剣に学ぼうとしている友よ、今度はあなた方が私を招霊してくださる番です。今まであまりにも表面的にしか扱われなかった問題を、一緒に深めようではありませんか。いまや、あなた方のジョベールは完全に変容を遂げ、有用な情報をお届け出来るようになりました。そして、私はあなた方にとって有用でありたいと、心から望んでいるのです」
こうして友人達を安心させた後で、ジョベール氏は、社会変革を押し進める霊人達の活発な動きに参加した。そして、やがて再び地上に生まれ変わって、地上の人間達と一緒に、より直接的な仕事をするつもりでいる。
この時以来、氏は、しばしばパリ霊実在主義協会を訪れ、比較し得るものがない程優れた霊示を数多く降ろしてくれた。それは、独創性と機知に溢れたものであり、その点で、生前の氏の特徴を全く失っていなかったので、霊示にサインがなされる前から、我々にはそれが氏からのものであることがはっきりと分かるのだった。
(3) 苦難の人生を終えて得た希望――サミュエル・フィリップ氏
サミュエル・フィリップ氏は、まさに善人という言葉に相応しい人物であった。彼が何か意地悪なことをするのを見たことのある人は一人もいないし、彼が誰かを非難するのを見たことのある人も一人もいない。
氏は、友人達に対して本当に献身的に尽くしてきた。そして、必要な時には、自らの利益を投げうってまでも、友人達に奉仕するのであった。苦難、疲労、犠牲等、一切をものともせずに、人々に尽くした。しかも、ごく自然に、極めて謙虚にである。人がそのことに対してお礼でも言おうものなら、むしろびっくりするくらいであった。また、どんなに酷いことをされても、決して相手を恨まなかった。恩知らずな仕打ちを受けると、「気の毒なのは私ではなくて、彼らの方なんですよ」と言うのであった。
非常に知性が高く、生まれつき才能に恵まれていたが、彼の人生は、苦労が多いわりにはパッとせず、厳しい試練に満ちていた。日陰の花であり、その存在が人々の口の端に上ることもなく、地上ではその光が認められない類の人であった。霊実在論をしっかりと学んで、篤い信仰を得ており、地上を満たす悪に対しては、深い諦念(道理を悟って物事をありのままに受け入れること)をもってするのが常であった。
氏は、一八六二年十二月に、五十歳で、長い病苦の果てに亡くなった。その死を悲しんだのは、家族とごく少数の友人達のみであった。
死後、何度か招霊に応じてくれた。
――地上で息を引き取った最後の瞬間に関して、はっきりした記憶はお持ちですか?
「よく覚えています。その記憶が徐々に戻りつつあるのです」
――我々の意識が向上出来るように、また、あなたの模範的な人生を我々がしっかり評価出来るように、あなたが経験した、肉体的生活から霊的生活への移行の様子を教えて頂けますか? さらに、現在、霊界でどのように暮らしておられるのか、教えて頂けないでしょうか。
「喜んでお教え致しましょう。こうした交流は、あなた方にとって有益であるだけではなく、私にとっても有益であるのです。地上での私の意識を回想することで、霊界との比較がなされ、そのことによって、私は、神がいかに私を優遇してくださっているかということが、非常によく分かるからです。
私の人生にどれほど多くの試練があったかは、あなた方がよくご存知の通りです。しかし、有り難いことに、私は決して逆境の中で勇気を失いませんでした。今、そのことで本当に自分を褒めてやりたいと思っています。もし勇気をなくしていたら、どれほどのものを失っていたでしょうか。私が途中で諦めてそれらを投げ出し、したがって、同じことをもう一度、次の転生でやらなくてはならなかったとしたら――。そう考えただけで、恐ろしさに身震いする程です。
我が友人諸君よ、よくよく次の真理を体得して頂きたいのです。すなわち、『問題は、死んでから幸福になれるかどうかだ』ということです。地上における苦しみで、死後の生活の幸福を購えるとすれば、決して高い買い物ではありません。無限の時間を前にしては、地上でのほんの短期間の苦しみなど、本当に何ほどのこともないのです。
今回の私の人生は多少の評価に値するとしても、それ以前の人生は酷いものでした。今回、地上で一生懸命に努力したお陰で、ようやく今のような境地に至ることが出来たのです。過去世でのカルマを解消する為に、今世、地上において数多くの試練をくぐり抜ける必要があったのです。私はそれを潔く引き受けました。ひとたび決意したからには弱音を吐く訳には参りませんでした。
今、そうした試練をくぐり抜けることが出来て、本当によかったと思います。地上での試練を今では祝福したいくらいです。それらの試練を通じて、私は過去と決別出来たのであり、今では過去は私にとって単なる思い出でしかなくなりました。今後は、過去に辿った道を、正当に手に入れた満足感と共に心静かに眺めることが出来るでしょう。
私を地上で苦しめた人々よ、私に辛く当たり、私に悪意を向けた人々よ、私を侮辱し、私に苦汁を飲ませた人々よ、虚偽によって私の財産を奪い、私を窮乏生活に追い込んだ人々よ、私はあなた方を許すのみならず、あなた方に心から感謝いたします。
あなた方は、私に悪を為しながら、実はこれほどの善を為していたなどとは、到底知るべくもなかったでしょう。今私が享受している幸福の殆どは、あなた方のお陰なのです。あなた方がいてくださったからこそ、私は許すことを学び、悪に報いるに善をもってすることを学ばせて頂いたのです。
神は、私の進む道にあなた方を配し、私の忍耐心を試してくださったのです。そして、[敵を愛する]という、最も難しい愛の行為が出来るようにと、私に貴重な修行の機会を与えてくださったのです。
さて、長々と前置きをしてしまいました。それでは、お尋ねの件に戻りましょう。
生前、最後の病気ではひどく苦しみましたが、臨終に際しては苦しみはありませんでした。私にとって、死とは、戦いでも脅威でもなく、丁度眠りのようなものでした。死後の世界に何の不安もありませんでしたので、生にしがみつくこともありませんでした。したがって、生命が消えようとする最後の瞬間に、じたばたすることもなかったのです。肉体からの魂の分離は、私が知らない間に、苦しみもなしに、また努力もなしに行われました。
この最後の眠りがどれ位の間続いたのかは分かりません。眠りに入る直前とは全く違い、すっかり落ち着いて目覚めました。もう苦しみはなく、喜びに満ちていました。起き上がって歩こうと思いましたが、全身が心地良く痺れており、なかなか起き上がることが出来ませんでした。自分がどのような状況にあるのか全く分かりませんでしたが、とにかく地上を去ったということだけははっきりしていました。丁度夢を見ているような感じでした。
私の妻と数人の友人が部屋で跪いて泣いているのが見えましたので、私が死んだと思い込んでいるのだということが分かりました。そうではないことを分からせてやろうとするのですが、なぜか一言も言葉が出ません。
周りを見ると、ずっと昔に亡くなった、愛する人々が、静かに取り囲んでくれていました。また、一見しただけでは誰なのか分からない人々もいました。そうした人々が、じっと、私を見守り、私の目覚めを待ってくれていたのです。
こうして、覚醒状態とまどろみ状態が交互にやってきましたが、その間、意識を取り戻したり失ったりしていました。やがて徐々に意識がはっきりしてきました。霧に遮られたようにしか見えなかった光が、輝きを増してきました。自分のことがよく分かるようになり、もう地上にはいないのだということが本当に理解出来ました。もし霊実在論を知らなかったら、錯覚がもっとずっと長く続いていただろうと思います。
私の遺骸はまだ埋葬されていませんでした。それは哀れな様子をしており、私はようやくそんな肉体から解放されたことに喜びを感じていました。自由になれてもの凄く嬉しかったです。瘴気の充満する沼地から脱出した人のように、楽々と呼吸が出来ました。私の存在全体に、筆舌に尽くし難い幸福感が浸透してきました。
かつて地上で私が愛した人々が側にいてくれるということが、私を喜びで満たしていました。彼らを見ても何も驚きませんでした。全く自然に感じられたからです。ただ、長い旅の後で再び彼らに会った、という感じでした。一つびっくりしたのは、一言も言葉を交わさないのに、意思の疎通が出来るということでした。目を見交わしただけで、思いが伝わってくるのです。
とはいっても、まだ地上の思いを完全に脱していたわけではありませんでした。地上で耐え忍んだことが色々と思い出され、新しい状況をよりよく理解する為のよすがとなりました。
地上では肉体的にも苦しみましたが、やはり精神的な苦悩の方が大きかったのです。数多くの悪意を向けられた結果、現実の不幸よりももっと辛い数多くの困難に晒されたのです。困惑というのは、持続的な不安を生むものです。そうしたことが未だに心から完全に消えておらず、本当に解放されたのかどうか心配になる程でした。まだ不愉快な声が聞こえるような気がしました。私をあれ程度々苦しめた困惑を未だに恐れており、われにもなく震えているのです。夢を見ているのではないかと何度も腕をつねりました。
そして、ついに、そうしたことが全て終わっているのだという確信を得た時は、本当に大きな重しが取れたような気がしました。『一生、私を苦しめ続けた全ての心配から、ようやく解放されたのだ』と思い、心から神に感謝したのです。
私は、丁度、ある日突然とてつもない遺産を手にした貧乏人のような気分でした。暫くの間は、それが本当だとは信じられず、明日の食事の心配をするのです。
ああ、地上の人々が死後の世界を知ることが出来たら、どんなによいことでしょうか。そうすれば、逆境にあって、どれほどの勇気、どれほどの力が得られることでしょう。地上で神の法に素直に従った子供達が、天国でどれほどの幸せを得られるかを知っていれば、どんなことだって我慢出来ます。死後の世界を知らずに生きた人は、『自分の怠慢によって天国で失うことになる喜びに比べれば、地上にいる間に手に入れたくて仕方がなかった他人の喜びなど、本当に何程のこともない』ということを思い知らされるのです」
――それほど新鮮な世界に還り、「地上など何程のこともなかった」ということを知って、かつての親しい友人達にも再び会えた今、家族や地上の友人達のことは、もう多分霞んできていることでしょうね。
「私がもし彼らのことを忘れたとすれば、今味わっている幸福に相応しくない人間になってしまうでしょう。神はエゴイズムには報いず、罰を与えるのです。確かに、天上界にいると地上は厭わしく感じられますが、地上にいる仲間まで厭わしくなるわけではありません。お金持ちになったからといって、貧乏時代の大切な仲間のことを忘れるでしょうか?
友人や家族にはこれからもしばしば会いに行くつもりです。彼らが、私について、よい思い出を持っていてくれるのは、大変嬉しいものです。その思いが私を彼らのもとに引き寄せます。彼らの会話に聞き入り、彼らの喜びを喜び、彼らの悲しみを悲しむのです。
ただし、地上の人間と同じようには悲しみません。というのも、そうした悲しみは一時的なものであり、より大きな善の為であることをよく知っているからです。『彼らもやがては地上を去り、苦しみの一切存在しない、この豊かな美しい世界の住民になる』と思うと、本当に幸せになるのです。
私がひたすら為すべきなのは、彼らがそういう世界に値する人になれるようにと手助けすることです。彼らが常に善き思いを持つことが出来るように、特に、私自身が神の意思に従って得ることが出来た諦念を、彼らもまた得ることが出来るように、私はひたすら努力するつもりでいます。
私にとって最も辛いのは、彼らが、勇気が足りない為、また、不平不満の心を持っている為、さらに、死後の世界に対して疑いを持っている為に、天上界に戻るのが遅れることです。ですから、彼らが間違った道に逸れていかないように、一生懸命、導くつもりです。
もし成功すれば、それは私にとっても非常な幸せとなるでしょう。何しろ、この世界で一緒に喜び合うことが出来るのですから。もし失敗したとするならば、後悔の念と共に、『ああ、また彼らは遅れをとったのだ』と思うことになるでしょう。とはいっても、何度でもやり直しが利くということを思い出して、心は治まるだろうとは思いますが」
(4) 永遠のただなかで生きる喜び――ヴァン・デュルスト氏
元公務員。一八六三年、アンヴェールにて、八十歳で死亡。
氏の死後、少ししてから、霊媒が氏の指導霊に「氏を招霊したい」と申し出たところ、次のような返事が来た。
「この霊は、徐々に死後の混乱から脱しつつあります。そろそろ招霊に応じることは可能だと思いますが、恐らくそれはかなりの苦痛を引き起こすことになるでしょう。ですから、あと四日程待って頂きたいのです。四日後に、あなた方のお気持ちを彼に伝えましょう。きっと友人として招霊に応じてくれるはずです」
四日後に、氏の霊が降りてきて次のように語ってくれた。
「友よ、今回の私の人生は、永遠の収支決算表の中ではほんの僅かな重みしか持っていません。とはいっても、不幸というわけでは全くないのですよ。私は現在、慎ましい状況に身を置いております。悪いことは殆どしなかったけれども、かといって、善いことをしたわけでもなかったからです。ささやかな世界で幸せになる人がいるとすれば、それが私であると言ってよいでしょう。
後悔することがあるとすれば、たった一つ、あなた方が現在知っていることを生前知らなかったということだけです。それを知っていれば、死後の混乱はもっと軽いものになっていたでしょう。知らなかった為に、かなり大変でした。生きているのか生きていないのか、分からない状態に陥ったからです。
自分の体が見え、それに強く執着しているのだけれども、その体を使うことが出来ない。愛する人達が見えるのだけれども、その人達と自分を結びつける絆が消えていく。なんと恐ろしいことでしょう。ああ、本当に残酷な瞬間でした。
麻痺状態に陥り、そして意識の闇が来る。次の瞬間には虚無の感覚に襲われます。[私]という感覚はあるのですが、それをちゃんと取り戻すことが出来ない。もう存在していないようにも思われるし、一方では存在しているのが分かる。でも深い混乱の中にある。その後、どれほど続くのか分からない期間、どんよりした重苦しい苦悩に包まれる。無限とも思われる、そうした時間が過ぎると、最早感じる力も残っていない。
それから徐々に生まれ変わるのです。つまり、新しい世界の中で目を覚ますということです。もう肉体はなく、地上の人生が終わる、すなわち、不滅の生命を得るのです。周りには、肉体を持った人間は一人もいません。軽やかな形態の人間、すなわち霊人達が、自分の周りに、あらゆる方向に見えます。しかし、その数は無限なので、全ての霊人を目で捉えることは出来ません。目の前の空間は、思い一つで移動することが可能です。周りにいるどのような存在とも、思いを交わすことが出来ます。
ああ、友よ、何という新たな人生、何という輝かしい人生でしょう。何という喜びでしょうか。何という救済、何という救い、永遠のただ中で生きられるとは!
私をかくも長い間縛り付けていた地上よ、さらば! 私の魂の本性からかくもかけ離れている地上よ、さらば! もうお前には用はない。お前は流刑の地、そこにはいかなる幸福もないに等しい。
しかし、もし私が霊実在論を知っていたならば、あの世へのこの移行は、もっと遥かに簡単で、快適なものとなっていたはずなのです。後になって、肉体から魂が分離する時になってようやく知ったことを、死ぬ前に知っていたならば、私の魂はもっと楽に体から離れることが出来たでしょう。
あなた方は霊実在論を伝え始めていますが、まだまだ充分ではありません。私の息子にも教えて頂きたいのです。どうか教えてあげてください。そして、彼がそれを信じ、啓発されたら、どれほどよいことでしょうか。そうなった暁には、彼がこちらに来た時に、離れ離れにならずに済むのです。
それでは、皆さん、さようなら。友人達よ、さようなら。私はこちらの世界で皆さんをお待ちしています。そして、皆さんが地上にいる間、こうして時々降りてきては、皆さんの側で一緒に勉強するつもりです。というのも、私は、まだ、皆さんと比べても大したことを知っているわけではないからです。
もっとも、こちらには移動を邪魔するものは何もないし、力を奪う加齢ということもないので、どんどん学びは進むとは思いますが、こちらでは、のびのびと生き、自由に進化出来ます。遥か彼方には、本当に美しい地平線が広がっており、どうしてもそちらへと行きたくなるのです。それでは、これで、さようなら」
(5) 死後も友の健康を気遣う医者――ドゥルーム氏
一八六五年一月二十五日、アルビにて死亡。
ドゥルーム氏は、アルビの著名なホメオパシー(病気の症状と同じような症状を引き起こす物質を、ごく微量与えることによって病気を治す療法。同種療法とも言われる)の医者であった。その人格と知識により、多くの市民の尊敬を集めていた。人々に対する善意と慈愛は尽きることがなく、高齢であったにもかかわらず、貧しい患者を精力的に往診し続けた。
治療費を楽に払える患者よりも、治療費を払えない患者を優先した。というのも、前者は望めばいくらでも他の医者に診てもらえるからである。貧しい患者には無料で薬を与えただけでなく、しばしば物質的な援助も行った。それは、ある場合には、最も治療効果を発揮することがあった。
むしろ、医療技術を備えた司祭だった、と言った方がよいかもしれない。
氏は霊実在論の教義を熱烈に支持していた。「それまで、科学や哲学によって解決しようとして、ことごとく失敗してきた由々しき問題を、見事に解決する鍵が霊実在論にある」ということが分かったからである。深い理解力を示す、探求心旺盛な彼の精神は、直ちに霊実在論の射程を見抜いた。そして、霊実在論を熱心に広めようとしたのである。文通による生き生きとした相互関係が、我々との間に築かれた。
我々がドゥルーム氏の死を知ったのは、一月三十日のことであった。我々の頭をまず過ったのは、彼と交信することであった。以下が、その結果である。
「私です。生前、お約束した通り、こうしてやってきました。師にして友人のアラン・カルデック氏の手を握る為です。
死によって私は一種の嗜眠(しみん)状態に陥りましたが、意識の一部は目覚めて自分を観察していました。死後の昏睡状態が長くなるのを防ぐ為、私は自分を揺り起こしました。それから一気に旅をしました。
何という幸福でしょう。私は最早年老いてもおらず、体が不自由でもありません。肉体を脱ぎ捨てたからです。私は霊として、永遠の若さに美しく輝いています。霊には、皺が寄ることもなく、白髪が生えることもありません。私は小鳥のように軽やかに、淀んだ地上から霊界へと飛んでいったのです。
そして、神の智慧、叡智、偉大さを前にして、また、私を取り囲む驚異を前にして、ちっぽけな存在として、感嘆し、祝福し、愛し、跪いたのです。
私は幸福です。私は今栄光の中にいます。選ばれた者達に与えられるこの場所の壮麗な美しさを表現する言葉はありません。空が、惑星が、太陽が協力し合って、言語を絶した宇宙的な調和を醸し出しています。
しかし、我が師よ、私は言葉でそれを言い表すべく試みてみましょう。それをしっかり探求し、私の霊としての認識を、称賛を込めてあなた方地上の人々に伝えてみましょう。
それでは、後ほどまた」
以下に示す、二月一日と二日の両日にわたる霊示は、当時私が患っていた病気に関するものである。個人的な事柄に関する霊示であるが、あえてここに収録してみた。というのも、それらは、ドゥルーム氏が、かつて人間であった時に優れた医者だったのと同様、霊になってからも優れた医者であることを示すものだからである。
「我がよき友よ。我々を信頼し、勇気を出してください。この発作は、疲労を伴い、苦痛に満ちていますが、それほど長くは続きません。処方箋に従って治療をすれば、病状は軽減し、今回のあなたの人生の目的を完成させることが出来るでしょう。
私は、[真実の霊]から許可をもらい、彼の名を使って通信を送りました。多くの友人達が、そのようにしているのです。彼らは私を快く仲間として迎えてくれました。
我が師よ、私は丁度よい時期に死亡し、このようにして彼らと共に仕事が出来ることを大変嬉しく感じています。もっとも、私がもっと早く死んでいれば、きっと、今回のこの発作を回避させることが出来たと思います。地上では、この発作を予知することが出来ませんでした。
少し前だと、私は肉体から離脱したばかりで、精神的なこと以外に手を貸すことは出来ませんでした。しかし、現在では、こうしてあなたの健康状態に積極的に関わることが出来ます。私はあなたの兄弟であり、友人であり、こうしてあなたの側にいて、あなたの病気を治すお手伝いが出来ることを幸福に感じています。
しかし、あなたもよくご存知のように、『天は、自らを助ける者を助ける』のです。したがって、よき霊人達の処方箋に忠実に従うことで、自らを助け、彼らの治療に協力してください。
ここは少し暑すぎます。この石炭は質がよくありません。病気の間は、この石炭は使わない方がよいでしょう。有毒ガスが発生していますので、体によくありません」
「カルデック氏の友人であるドゥルームです。彼を襲った発作の現場に私はおり、発作に介入して被害を最小限に食い止めました。それが出来たことを大変嬉しく思います。
確かな源泉からの情報によりますと、彼が早めに今回の人生を終えた場合、やり残した使命を果たす為に、直ぐにまた地上に転生しなければならなくなります。彼は、地上を去る前に、現在進行中の作品にさらに手を加え、その理論を完成させなければならないのです。
しかし、もしペースダウンをせずにこのままの調子で仕事を続けるならば、必ず健康を害し、予定より早く霊界に還ることになってしまうでしょう。そうなった場合、自殺のそしりを免れません。彼にこのことをはっきりと告げてください。そして、我々の書いた処方箋に逐一従い、健康に、充分、留意して頂くのです」
次の霊示は、死の翌日の一月二十六日に、彼が生前モントーバンで組織していた霊実在主義者のサークルに降ろされたものである。
「アントワーヌ・ドゥルームです。私は、多くの人々にとっては死んだことになっていますが、あなた方にとっては死んではいません。というのも、あなた方は、霊実在主義の理論を知っているからです。
私は幸福です。想像していた以上に幸福です。なぜなら、まだ肉体を離れてからほんの僅かしか経っていないにもかかわらず、既に霊としてかなり高いレベルで覚醒しているからです。
我がよき友人達よ、どうか勇気を持って欲しい。私はこれからもしばしばあなた方の側に降りてきて、肉体に宿っているかぎり知ることの出来ない多くのことをお教えしましょう。哀れな肉体のせいで、あなた方は、かくも素晴らしい世界、かくも喜びに満たされた世界を知ることが出来ないのです。この幸福を知ることが出来ずにいる人々の為に祈ってあげてください。というのも、彼らはそれと知らずに自分自身に対して悪を犯しているからです。
今日はそろそろ失礼しますが、こちらの世界で私は全く違和感なく寛いでいるということをお伝えしましょう。まるで、ずっと住んでいたかのようです。私は霊界でとても幸福です。というのも、こちらには友人がたくさんおり、話したいと思えばいつでもすぐ話すことが出来るからです。
友よ、どうか泣かないでください。あまり泣かれると私も辛くなります。全て神にお任せしましょう。やがては皆さんもこちらにやってきて、こちらで全員集うことが出来るのですから。
それでは、今日はこれにて。皆さんに神の慰めがありますように。私は常に皆さんの側におります」
次に、モントーバンから来た一通の手紙を紹介しよう。
「私達は、霊視の利く、夢遊病タイプの霊媒であるG夫人には、ドゥムール氏が亡くなったことを教えずにいました。彼女は感受性が異常に強いので、そのことを気遣ったのです。幸い、ドゥムール氏と、気を利かせてくださって、我々のところに姿を現した際に、彼女には見えないように取り計らってくださいました。
二月十日のことですが、前日から捻挫の為に苦しんでいたG夫人を慰める為に、指導霊を招いて交霊会を催しました。この時に、予期せぬ、驚くべきことが起こりました。夢遊状態になるや否や、G夫人は、自分の足を指差して、鋭い叫び声を上げたのです。
G夫人は、一人の霊人が、自分の足の上にかがみ込んでいるのを見たのです。しかも、その姿ははっきりとは見えませんでした。
その霊は彼女の足をマッサージしてくれ、時折、医者であれば必ずするであろうように、病変部を引き伸ばしてくれました。しかし、それがあまりにも痛かったので、夫人は大声を上げたり、体を震わせたりしていました。もっとも、そうした騒ぎもそれほど長くは続きませんでした。十分もすると、捻挫のあらゆる兆候は消え去り、晴れが完全に引き、足は元の状態に戻ったからです。こうして治療が終わりました。
とはいえ、その霊は相変わらず誰だか分かりませんでした。姿をはっきり見せないのです。ほんの数分前までは、足が痛くて一歩も歩けなかった夫人が、小走りで部屋の真ん中まで行って、その霊人の医者と握手しようとしたところ、その霊人は逃げ出すそぶりさえ見せました。手を握らせはしたものの、顔を背けており、自分が誰であるかを知らせようとはしませんでした。
次の瞬間、夫人は短い叫び声を上げ、気絶して床に倒れました。彼女は、それがドゥムール氏であることに気づいたのです。失神している間、彼女は数人の優しい霊人達の介護を受けました。ようやく彼女は霊媒の意識状態に戻り、彼らと握手を交わし、特にドゥルーム医師の霊とは強い握手を交わして愛情を示しました。それに応えて、氏は、治癒に役立つオーラを彼女に注ぎ込んでくれたのです。
なんと感動的でドラマティックな光景だったことでしょう。霊にとっても、人間だった時の役割を果たしていることが、これで明らかになりました。霊が現実の存在であり、幽体を使って、地上にいた時と同じように振る舞うということが、よく分かりました。
私達は、かつての仲間が、霊となった今も、相変わらず暖かい心と繊細な思いやりを持ち続けているのを知って、心底、感動いたしました。ドゥムール氏は、生前はG夫人のホーム・ドクターでした。夫人の感受性が異様に鋭いことを知っていましたので、まるで自分の子供であるかのように、彼女のことを気遣ってくれたのです。
霊が、かつて地上で愛していた人々に示す、こうした心遣いは、本当に感動的であり、また、死後の世界がどれほど慰めに満ちたものであるかを、我々に教えてくれるのではないでしょうか」
ドゥルーム氏の霊としての振る舞いは、氏の地上での立派で有用な生き方から充分に予想されるものであった。また、「氏が、亡くなって間もないのに、既に人の役に立つ為に活動を開始している」ということも、我々に多くのことを教えてくれた。
氏の高度な知性、優れた徳性によって、氏が非常に高い霊域におられることは明らかである。氏は幸福であり、しかも、その幸福は無為とは無縁である。死の直前まで患者の面倒を見ていた氏は、肉体から離れた直後に新たな仕事を開始した。
「霊界に還っても休息出来ないなら、死んだ意味がないではないか」と言う人がいるかもしれない。だが、死ねば、一切の心配から解放され、肉体の欲求を満たす必要もなくなり、不自由だった体は元に戻り、完全に自由で、思考と同じ速さで空間を駆け巡ることが出来、しかも、どれほど動いても全く疲れず、いつでも好きな時にどんな友人にでも会いに行けるのである。さらに、霊界では何であれ強制されるということがないし、どれほど長い間ぼーっとしていても、誰にも何も言われない。
しかし、直ぐにそうしたことには飽きてしまうだろう。そして、「仕事をしたい! 」と申し出るのである。直ちに答えが来るだろう。もし何もすることがなくて退屈しているのだったら、自分で仕事を探すのもよい。地上においてと同様、霊界においても、人の役に立とうとすればいくらでもその機会はあるからである。
その上、霊界の活動には限界がない。自分の好み、能力に応じて、必要とされる仕事を行い、満足を味わうのだ。仕事は、自己の向上に資するものであることが肝要である。
(6) 辛い時には私を呼んでください――ロシア人の医者
P氏はモスクワ在住の医者であり、その人徳と学識によって、多くの人々から尊敬されていた。
彼を招霊した人は、彼のことを直接知っていたわけではなく、その名声を知っていたにすぎない。そして、この霊界通信は、もとはロシア語でなされたものである。
――(招霊の後に)ここにいらっしゃいますか?
「はい、来ております。
私が死んだ日に、私はあなたに通信を送ったのですが、あなたは書くことを拒みましたね。あなたが私について言ってくださったことを私は聞いて、あなたを知るようになったのです。そこで、あなたのお役に立ちたいと思い、通信を試みたわけですが」
――そんなによい人であるあなたが、どうして死ぬ前にあれほど苦しまれたのですか?
「それは神様のお計らいです。神様は、そのようにして、肉体からの解放の喜びを二倍にしてくださったのです。その後、あっという間にこちらに連れてきてくださいました」
――死ぬということで、恐怖を感じませんでしたか?
「いいえ。神に全幅の信頼を置いておりましたので」
――肉体からの分離は苦しくありませんでしたか?
「はい、苦しくありませんでした。あなた方が『死の瞬間』と呼んでいるものも、何ということもありませんでした。プチン、という音がして霊子線が切れただけでおしまいです。その直後には、私の哀れな肉体から解放されて、すっかり幸福感に浸っていました」
――その後、どうなりましたか?
「私の周りに多くの友人達がやってきて、とても暖かく迎えてくれました。特に、私が生前助けてあげた人達が多くやってきました」
――今はどんなところにいらっしゃるのですか? どこかの惑星にいるのでしょうか?
「どこかの惑星にいるのではなくて、あなた方が『空間』と呼んでいる領域にいます。
しかし、そこには無数の段階があり、地上の人には到底想像もつきません。霊界には、本当に沢山の階層があるのです。地獄領域と言われるようなところから、最も浄化された美しい魂の住む領域まで、無限の階梯があります。現在私のいる所には、数多くの試練、つまり数多くの転生輪廻を経た後でないと来られません」
――つまり、そこに至る為に、あなたは数多くの転生を経験したというわけですね。
「それ以外にどんな方法があるというのでしょうか? 神によって打ち立てられた不変の秩序には、例外の入る余地はありません。
報いというのは、戦いに勝利を収めた後に初めて与えられるものではないでしょうか。そして、報いが大きいということは、必然的に戦いが大変だったということになりませんか? しかし、一回の転生はごくごく短いものでしかありませんから、戦いも、数多くの転生に分けて少しずつ経験するということになります。
私が現在、かなり高い、幸福な境地にいるということは、私が既に、数多くの戦いにおいて、神に許されてそれなりに勝利を収めてきた、ということを意味します」
――その幸福の根拠は何ですか?
「これは地上の人間に説明するのが最も難しいことの一つです。
現在、私が享受している幸福は、自分自身に対する限りない満足が根拠となっています。しかし、これは自分があげた功績に対する満足ではありません。もしそうだとすれば、それは傲慢ということになるからです。
そうではなくて、神の愛に浸ること、神の無限の善意に対する感謝に浸ることだと言えるでしょう。善を、そしてよきことを見る喜びだと言ってもいいでしょう。『神に向かって進歩している人々の為に、何らかの貢献が出来た』と言えることでもあります。自らの霊と神聖なる善が溶け合うことだと言ってもいいでしょう。自分より悟りの高い霊を見ることが出来、彼らの使命を理解することが出来、やがては自分もそうした境地に達することが出来ることを確信する、ということでもあります。
広大無辺な空間に燦然と輝く神聖な火が見えるのですが、それを覆っているヴェールを通して見てさえ目が眩むのです。
こんなふうに言って、あなた方の理解は得られるでしょうか? 例えば、この神聖な火を太陽のようなものだと想像したら、それは間違いです。
これは人間の言語ではとても説明出来ません。というのも、人間の言語によっては、記憶を通して、或は直観を通して知ることの出来る対象や物体、形而上学的な観念しか表現出来ないからです。それに対して、今お話しているのは、『絶対的な未知である以上、その記憶もなく、また、それを表現出来る言葉も存在しない』という類の事柄なのです。
しかし、一つだけ確かなことがあります。それは、『無限に向上出来るという事実を知ること自体が、既に一つの無限の幸福である』ということです」
――私の為に役立ちたい、と仰ってくださいましたが、それはどんな点においてでしょうか?
「あなたが不調な時に助け、衰弱している時に支え、心痛を感じている時に慰めてあげましょう。
あなたの信仰が、何らかの困難によって揺さぶられ、ぐらついた時には、私を呼んでください。神が私に与えてくださる言葉によって、私はあなたに神を思い出させ、神のもとに再びあなたを連れてまいりましょう。
あなたが持つ魂の傾向性によって、間違ったことをしそうになった時には、どうぞ私を呼んでください。かつてイエスは、十字架を負う時に、神によって助けられましたが、私も、あなたが自分自身の十字架を負うのを助けることにしましょう。
苦悩の重みに打ちひしがれる時、絶望に支配されそうになった時、そんな時には私を呼んでください。そんな時には、私はあなたに霊同士として語りかけ、あなたに課せられている義務を思い出させて、絶望の淵から救ってさしあげましょう。社会的、物質的な配慮によってではなく、あなたが私の内に感じるであろう愛によって、すなわち、救われるべき人々にお伝えする為に神が私に与えてくださった愛によって、あなたを救ってさしあげましょう」
―― 一体どういうわけで、あなたは私を守ってくださるのでしょうか?
「私が死んだ日に、あなたとご縁が出来たからなのです。その日に、あなたが霊実在主義者であり、よき霊媒であり、誠実な同志であることを知りました。地上に残してきた人々の中で、まず真っ先にあなたの姿が目にとまったのです。その時に、私はあなたの向上を助け、あなたの為になろうと決心したのです。また、そうすることによって、結果的に、あなたが真理を伝えようとしている人々の為に役立ちたいと考えたのです。
ご存知かと思いますが、神はあなたを愛しており、あなたを真理の伝道者にしました。あなたの周りで、多くの人々が、徐々にではありますが、信仰を同じくしつつあります。最も扱いにくい人達でさえ、少なくともあなたの言うことに耳を傾け始めました。やがて彼らもあなたの言うことを信ずるようになるでしょう。
辛抱強くあってください。道には躓きの石が沢山ありますが、どうかそれでも歩き続けてください。辛い時には、どうか私を杖の代わりに使ってください」
――そこまで仰って頂くと、恐縮いたします。
「勿論、あなたはまだ完全であるとは言えません。
しかし、反対者が卑劣な手段を使って邪魔しようとしているにもかかわらず、あなたは、それでもなお熱意を持って真理を述べ伝えんとし、あなたの話を聞く人々の信仰を支えんとし、慈悲、善意、思いやりを広めんとしています。また、あなたを攻撃し、あなたの意図を無視する人々に対して、怒りを爆発させようと思えば簡単に爆発させることも出来るのに、それを一生懸命に抑えています。
そうしたことが、幸いにも、あなたの欠点を補う働きをしているのです。そう、それは許しというカウンター・バランスなのです。
神は恩寵によって、あなたに霊媒としての能力を与えてくださいました。どうか、それを、あなた自身の努力によって、さらに優れたものとなし、隣人達の救済の為に、より効果的に使ってください。
今日はこれで帰りますが、どうかこれからも私を頼りにしてください。どうか、地上的な思いを静め、友人達と一緒に、さらに多くの充実した時間を過ごしてください」
(7) 十五世紀に生きた農奴の霊界での仕事――ベルナルダン
一八六二年四月、ボルドーにて。
「私は既に何世紀も前から忘れられた霊です。
私は地上において、悲惨と屈辱のうちに生きました。家族にほんの一切れのパンを食べさせる為に、毎日絶え間なく働いたのです。
しかし、私は、神を愛しておりましたので、神が私の地上での苦悩をさらに大きなものにした時に、神に次のように言いました。『神様、どうか、この重荷を、不平を言わずに負うことの出来る力を私に与えてください』と。このようにして私は償いを果たしたのです。
しかし、地上での厳しい試練を終えた時、神様は私に平和を与えてくださいました。そして、今私が最も強く願うのは、あなた方兄弟に、次のように言うことなのです。『地上で支払う代価がどれ程高くても、天国であなた方を待っている幸福は、それを遥かに凌ぐものなのですよ』と。
私には全く身分はありませんでした。子沢山の家に生まれ、生きる為には何でもしました。その当時、農奴は悲惨な境涯に置かれていました。あらゆる不正、あらゆる雑役、あらゆる負担を耐え忍びました。私の妻は暴行を受け、娘達は誘拐された後に捨てられました。息子達は、戦争に駆り出されて、略奪と殺人を行い、一方で、犯してもいない罪の為に吊るし首になりました。
私が、長い地上での生存の間に耐え忍んだことは、到底あなた方には想像出来ないでしょう。私は、地上にいる間、地上にはない幸福だけを待ち続けました。そして、ついに神様はそれを私に与えてくださったのです。
ですから、我が兄弟達よ、あなた方も、勇気と忍耐、そして諦念を持って生きてください。
我が子よ(霊媒に対する呼びかけ)、私が与えた、この実践的な教えを、大切にとっておきなさい。
『私はあなた方よりも多くの苦しみを耐え忍んだのです。不平不満を言わずに耐えたのです』と言うことの出来る人が教えを述べ伝えると、多くの人がそれを聞くものです」
――あなたが生きていたのはいつ頃ですか?
「一四〇〇年から一四六〇年迄です」
――それ以来、転生はしていないのですか?
「しております。宣教師として地上で生きました。信仰を伝える者として、それも、真実の、純粋な信仰、人間達が地上で作り上げた信仰ではなくて、神の手から直接出た信仰を伝える者として生きました」
――今霊として何か仕事をしているのですか?
「霊が何も仕事をせずにいると思っているのですか? 行動せずにいて無用であることは、霊にとってはむしろ拷問でさえあるのです。
私の使命は、霊実在論に基づいてつくられた労働者センターを指導することです。そこで、人々によきアイデアをインスピレーションとして降ろし、悪霊達が吹き込もうとする悪しきアイデアを中和するのです」
(8) 霊実在論の発展を予告する作家の霊――ジャン・レイノー
「友人の皆さん、こちらでの新たな生活は本当に素晴らしいですよ。霊界では、光の奔流の如き広大な流れの中に浸って、魂達は、果てしのなさにひたすら酔うのです。肉体の絆を断った後、私の目は壮大な水平線を一望に眺め、無限に広がる壮麗な景観に酔いしれています。物質の闇から抜け出すと、輝かしい夜明けに遭遇し、そこで全能の神を感じ取るのです。
私が救われたのは、私が地上で書いた作品のお陰ではありません。霊実在論から得た永遠の知識のお陰で魂を汚さずに済んだからなのです。一方で、残念なことに、多くの人々は、無知が原因で魂に汚れをつくってしまっています。
私の死は祝福を受けました。私の伝記を書く人々は、私の死が早すぎたと言うでしょうが、そうした人々は全く無知なのです。彼らは、私にもっと作品を書かせたかったと思うでしょうが、そんなことには意味がありません。彼らはまた、私の死が大騒ぎを引き起こさなかったことは、霊実在論の聖なる立場を守る為にはよいことであった、ということを決して理解しないでありましょう。
私の作品は完成しておりました。先輩諸作家は相変わらず書き続けていますが、私は、頂点を極め、人間が書き得る最も優れた作品を書いたと自負しております。さらにその先に進むことは不可能であったと言ってよいでしょう。
私の死は、文学的素養のある人々の注意を喚起し、彼らの意識を私の主要な作品に向けさせることになるでしょう。彼らは今までそれを無視するふうを装ってきましたが、今後は最早無視し続けることは出来ないはずです。
神に栄光がありますように。霊実在論を擁護している高級霊の援助を受けて、私もまた、あなた方の進む道を照らす明かりの一つとなりましょう」
パリにて。家族的な集いにおいて、自発的に与えられた霊示である。
その予期せぬ死――それは多くの人々を驚かせた――が早すぎた、との見解に対して、ジャン・レイノーの霊が答えたもの。
「霊実在論にとって、霊実在論の未来にとって、霊実在論のこれからのあり方にとって、私の死が損失であるなどと、誰が言ったのですか? 友よ、霊実在論の信仰がどのような道筋を辿ったか、どのようにして進んできたか、お分かりでしょうか?
神はまず物質的な証拠を与えてくださいました。動くテーブル、ラップ音、そしてあらゆる種類の物理的現象。それらは、まず人々の関心を引く為の導入部として必要だったのです。面白おかしい導入部でした。人々には、まず手で触ることの出来る証拠が必要だったのです。
しかし、現在では、状況は変わってきています。物理的な現象の後で、神は、知性に、良識に、冷徹な理性に語りかけ始めました。最早軽業は必要なくなったのです。理性に訴えることによって、最も頑固な無神論者さえ論破し、同意させる必要が出てきたのです。しかし、それとても、まだ始まりでしかありません。
よろしいですか、私が言うことによく注意してください。
今後、知的な現象、反駁の余地のない現象が相次ぎ、既に、ある程度の数に達している霊実在論の信奉者が、さらに増加することになるのです。輝かしい光が、抗い難い磁場となって地球全体に広がり、頑固に抵抗する人々さえも絶対の探求に向かわせ、この霊実在論という驚嘆すべき科学の研究へと赴かせることになっているのです。
あらゆる人々が、あなた方の周りに集い来たり、アカデミックな学位など投げ捨てて、謙虚に、恭しく霊実在論を学び、そして納得していくことでしょう。やがて、彼らの権威と名声を霊実在論の普及の為に用いることになるのは確実です。
それによって、あなた方は、今考えている限度を超えて、さらに先まで進むことが可能となります。過去の人生、未来の人生に関する、理性的で深遠な知識を獲得することによって、人類の再生が可能となるのです。
以上が、霊実在論の現状に関する私の展望です」
ボルドーにて。
――招霊を行います――
「あなたの呼びかけに応じて、喜んでやってまいりました。
そうです、その通りです。私にとって、地上からの呼びかけに応ずるに際し、霊的な障害は殆どないと言ってよいでしょう(これは、霊媒の思いに対して答えたもの)。
私は、こうして、自ら望んで地上にやってきて、大いなる真理の最初の種蒔きをするつもりでいます。私は地上のことを忘れたことはなく、こうして兄弟達に暖かく迎えられるのです」
――来てくださって本当にありがとうございます。
しかし、それにしても、あなたとお話がしたいという私の思いが、これほど早くあなたに伝わるとは思ってもみませんでした。私達の間には、誠に大きな隔たりがありますので、そんなに直ぐに思いが届くとは考えられなかったのです。
「私の試練が、いずれにしても、幸いなことに早めに終わったからです。こうして我々の間に距離が出来たとはいえ、常に我々を結びつけている共感という絆は存在するのです。しかも、あなたが常に思いを馳せてくださることで、この絆が確実に強くなっています」
――数多くの霊人が、霊界での目覚めについて、既に語ってくださっていますが、あなたにもお願いしたいと思います。あなたの霊界での目覚めはどのようなものだったのですか? 霊と肉体の分離はどのようにして行われたのですか?
「それでは、私もまた語ってみましょう。
私は、最後の解放の時が近づいてきていることを感じていました。私は、多くの人々よりもずっと強い幸せを感じており、自分がどうなるかという結果は既に知っていましたので、苦しみは少しも感じませんでした。最も、その結果は私が予想したよりも遥かに素晴らしいものでしたが。
肉体は、霊的な能力への障害となります。たとえどれほど強い光を持っていたとしても、地上においては肉体に邪魔されて閉じ込められ、その光は弱められてしまうのです。
最後の瞬間、私は、幸福な目覚めを期待しつつ眠りに就きました。
あっという間に目が覚め、後はただただ驚嘆するばかりでした。天上界の壮麗さが目の前に繰り広げられて燦然と輝いていたのです。私がその存在を確信し、素敵な住み心地に憧れていた世界の、無限の広がりの中に、私の視線はあてどもなく彷徨っていました。それはまさに、私の感覚の真実を私に明かし、確信させる類の荘厳な景観でした。
さて、人間は、いくら真理を確信していても、いざそれを話す段になると、心の中に疑いが生まれ、躊躇が生じるものです。自分が伝えようとする真理に対する疑いが頭をもたげ、或は、その真理を証明する為の不完全な手段に対して、心もとない気持ちになるものです。
人々に伝えたいと思っていた真理に対し、私自身は確信を抱いていたものの、正直なところ、いざその話題に触れることになった時には、勇気を奮い起こす必要がありました。正しい道を進む為にどうしても真理を信ずる必要のある人々に対し、それをいわば手で触れるような形で示すことが出来ないことを、密かに恐れていたのです」
――生前、あなたは霊実在主義を広めようとしていたのですか?
「それを広めようとすることと、実践することの間には、大きな違いがあります。多くの人々が、実践してもいない教義を広めようとしております。私は実践はしておりましたが、広めようとはしておりませんでした。
キリストの教えを実践している者は、それを自覚していないとしてもキリスト教徒でありましょう。同様に、自らの魂の不死性、前世の存在、絶え間なき向上、地上での試練、浄化の為の献身などを信じている者は、誰でも霊実在主義者であります。
私はそれらを信じていましたので、霊実在主義者だったと思います。私は霊実在論を理解していました。そして、実践はしていましたが、広めようとはしませんでした」
(9) 二十歳で病死した水先案内人――ヴィクトール・ルビュフル
ル・アーブル港の若き水先案内人で、二十歳の時に亡くなった。
ささやかな商売を営む母親と一緒に暮らしていたが、母親を本当に大切にし、細々と世話を焼いた。きつい仕事をして得た収入で家計を助け、キャバレーに行くようなことは絶えてなかったし、この職業に特有の暴飲暴食からも免れていた。というのも、お金を無駄に使わずに、敬虔な目的の為に使おうと心掛けていたからである。仕事をしている時以外は、店で母親を助ける為に精一杯働いた。少しでも母親の負担を取り除きたかったからである。
大分前から病気にかかっており、自分が死ぬことを自覚していたが、母親に余計な心配と負担をかけたくなかった為に、それを自分の心に秘め、一人で苦しみと戦った。欲望の燃え盛る年頃に、悪しき環境下で働いていたにもかかわらず、持ち前の性格の良さと、尋常ならざる意志の強さによって、清い生活態度を守った。敬虔な信仰心を貫き、その死はまさしく模範的なものであった。
死の前夜、彼は、母親に、「自分はこれから眠るので、少し休むように」と言った。
母親は、うとうとする中で、あるヴィジョンを見た。彼女は大きな部屋の中にいた。そこには小さな光の点があって、その点は徐々に大きくなっていった。やがて部屋中がその強烈な光で照らされ、その光の中から息子の姿が抜け出し、燦然と輝きながら、無限の空間へと昇っていったのである。彼女は、息子の死が近いことを悟った。事実、その翌朝には、息子の美しい魂は既に地上を去っていた。
息子の行状をよく知り、また、母親とも親しかったある家族――彼らは霊実在主義協会のメンバーであった――が、息子の死後少しばかり経ってから、息子の霊を招霊しようと考えた。すると招霊をするまでもなく、息子の霊が自発的に降りてきて、以下の霊示を送ってきた。
「私が今どういう様子なのか知りたがっているようですね。ああ、私は今、本当に幸せですよ。本当に幸せなのです。地上での辛い経験や苦悩は何ということもありません。というのも、それらは墓の彼方では祝福と幸福に変わるからです。
ああ、あなた方には幸福という言葉の本当の意味は分からないでしょうね。澄み切った意識状態で、義務をしっかり果たした奉仕者としての自信に満たされて、しかも同時に喜びにも満たされて、全ての全てである主の同意を求めつつ、主のもとに還っていく時、『地上で幸福と呼んでいたものなど、全く何ということもなかった』ということをしみじみ知るのです。
ああ、皆さん、死後がどうなるかを知らなければ、人生とは辛く困難なものです。しかし、これは誓って申し上げますが、もしあなた方の人生が神の法に適ったものであったならば、死後に待っているのは、想像を絶する報いなのです。それは、地上での苦悩や、あなた方が天の蔵に積んだと思っていた富を、遥かに遥かに凌ぐものであるのです。
ですから、どうか、善きことを為し、慈悲の心で生きてください。慈悲ということを多くの人は知りませんが、言い換えれば、思いやりということです。どうか隣人を助けてあげてください。『人にこうしてもらいたい』と思っている以上のことを、人の為にしてください。そうすれば、心が豊かになり、人から思いやりを示されるようになるでしょう。
どうか、私の母を助けてください。可哀想なお母さん、お母さんのことだけが唯一の心残りです。天国に還るまで、まだまだお母さんには試練が残っています。
それでは、さようなら。これからお母さんを見に家に帰ります」
霊媒の指導霊からのメッセージ:「地上にいる間に経験する苦しみは、必ずしもその全てが罰であるわけではありません。神の意志に従って、地上で使命を果たそうとする霊は、丁度、今霊示を送ってきた若者のように、喜んで数々の試練に耐えます。というのも、それらは償いの意味を持っているからなのです。霊界に還り、至高者の側で眠ることによって、彼らは再び力を取り戻し、神の栄光を実現する為の、全てに耐える力を得るのです。
この若者の今回の人生における使命は、確かに輝かしいものではありませんでした。しかしながら、目立たぬものであったが故に価値がなかったといえば、決してそうではないのです。決して慢心しないという生き方を貫いたからです。
彼はまず、家庭にあって、母親に対し、感謝の気持ちを示す必要がありました。さらに、悪しき環境にあっても魂を純粋に、高貴に保ち、強い意志によって、あらゆる誘惑に耐える必要があったのです。まず優れた資質があってこそ、そうした試練に打ち勝つことが出来るのですが、その意味で、この若者の生き方は、後から来る者達への大きな贈り物となることでしょう」
(10) 荒れくれ労働者一家に生まれた人生の意味――アナイス・グルドン夫人
優しい性格、高貴な精神が特徴的な女性だったが、一八六〇年に、大変若くして亡くなった。
サン・テチエンヌの近くの、石炭の鉱山で働く労働者一家に生まれたが、そのことが、彼女の霊としての立場に大きな影響を与えた。
――招霊します――
「はい、私です」
――あなたの旦那様とお父様のお願いがあったので、こうして招霊させて頂きました。お二人共、あなたからのメッセージが得られれば、大変喜ばれるでしょう。
「私自身も、メッセージをお送り出来れば、たいへん幸せです」
――あなたは、家族から本当に愛されていたのにもかかわらず、どうしてそんなに若くして天に召されたのですか?
「私の地上での試練が終わったからです」
――家族のところに行くことはありますか?
「ええ、しょっちゅう行っています」
――霊として幸せですか?
「私はとても幸せです。私は、希望を持ち、期待し、愛しているからです。天国には不安というものがありません。私は、確信と愛に満たされて、背中に白い羽が生えるのを待っているのです」
――羽とはどういう意味ですか?
「浄化を果たし、まばゆいばかりの天の使者になるということです」
[天使の背中に生えた羽は、勿論、天使の移動の速さを表す為の象徴でしかない。というのも、天使はエーテルで出来ている為に、空間を自由に移動することが出来、羽のようなものは実際には必要としないからだ。しかし、天使達が人間の前に姿を現す時は、人間の思いに応える為に、羽をつけた姿をとるのである。それは、別の霊達が、家族の前に出てくる時に、家族に分かり易いように生前の姿をとるのと同じことである]
――あなたのご両親に何かしてもらいたいことはありますか?
「あまりにも深く私の死を惜しんで、私を悲しませないで頂きたいのです。私は本当にいなくなってしまったわけではなく、それは両親も知っているはずです。両親に対する私の思いは、優しく、軽やかで、芳香を放っています。私の地上でのあり方は、一輪の花のようなものでした。花が早く散ったとしても、悲しむことはないのです」
――今のあなたの言葉は非常に詩的で洗練されています。地上で一介の労働者だった人の言葉とはとても思われないのですが。
「それは、話しているのが私の魂だからです。私の魂は過去世で様々なことを学んできました。
神様は、時に、繊細な、極めて女性的な魂を、荒くれ男達の間に送り込むことがあります。そうして彼らに繊細さということを学ばせるのです。もっとも、彼らには直ぐには分からず、繊細さを身につけるには時間がかかりますが」
神が人間に対して持っている慈しみがどのようなものであるかが、以上の、極めて論理的な説明からよく分かる。そうした説明を聞かないと、一見、異常とも思える事態を正確に理解することは出来ないかもしれない。
それにしても、荒くれた労働者達の間で育てられたにもかかわらず、この女性霊の話す言葉が極めて詩的で優美であることには、全く驚かされる。この場合とは反対のケースもしばしば見られる。つまり、未熟な霊が、最も進化した霊達の間に生まれることもあるのである。この場合には、目的は逆である。進化した人々の間で育つことによって、未熟な霊が向上していくことを、神は願っておられるのである。また、それが進化した人々に対する試練である、ということも有り得る。
そうしたことを、これほど的確に説明出来る哲学大系が、霊実在主義以外にあるであろうか?