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Charの芸能界活動は76年6月25日にシングル"Navy Blue / Shinin' You Shinin'Day"(キャニオン EP:W-1廃盤)でデビューしてから78年末と区分した。しかし76年6月から2枚目のシングル"気絶するほど悩ましい"がリリースされた77年6月までは芸能界では活動していない。
同年9月25日に"CHAR"(CD:PCCA-00588)でアルバム・デビューをした。そのでデビューに先立ちバンド・メンバーを求め同年上旬に渡米し連れ帰ったのが
Jerry Margosian(Kbd,Vo)
西沢常治(ジョージ・マステッチ)(B)
Robert Brill(Dr)
である。
そして旧知の友である
佐藤準(Kbd)
を交え7月に合歓の郷で曲作りを兼ねた合宿、そしてレコーディングが行われた。
例えば"Smoky"などは歌詞は1番位しかなくこの合宿の中で完成された。
チャーのデビュー・コンサートとは?、チャーと山内テツとのツアーとは?、チャーのテレビ初出演は?、などは年表〜1976年〜に掲載する。
77年6月に2枚目のシングル"気絶するほど悩ましい"をリリースし、いよいよ芸能界へ乱入することになる。
77年11月に2枚目のアルバム"HAVE A WINE"(ポニーキャニオン CD:PCCA-00679)、11月25日にシングル"逆光線 / Tokyo Night"(キャニオン EP:W-5廃)、78年3月25日にシングル"闘牛士 / マドンナを墜落させよう"(キャニオン EP:W-8廃)と芸能人らしいスケジュールでレコードも発売し本人の意志に関係無く精力的な芸能活動が続いた。
そのテレビや雑誌を媒体とした芸能界活動は年表〜1977年〜に掲載する。
78年1月9日にキーボードのダニーがバークレー音楽院で学ぶためにグループを脱退してしまう。
78年7月に発売された3枚目のアルバム"THRILL"のB面は、78年春からゴダイゴのトミー・シュナイダー(Dr)、スティーヴ・フォックス(B)、そしてミッキー吉野(Kbd)とレコーディングされ、7月21日の愛知勤労会館から8月29日の武道館まで全国?個所のツアー"Char Super Concert with Godiego in summer"が行われた。
そして8月シングル"Girl / Tomorrow Is Coming For Me"(キャニオンEP:W-10廃)、11月シングル"ブルークリスマス / The Leading Of The Leaving(Loneliness)"(キャニオン EP:W11廃)とレコードをリリースされた頃は芸能界で活動(格闘?)し続けた疲れが肉体的にも精神的に蓄積されていたように思う。特にフジテレビの番組"夜のヒットスタジオ"に最後の出演をしたその姿は印象的であった。
TBSテレビ 時代劇 "雲を翔びこせ"
映画 "ブルークリスマス"
アルバム"Moon Child"がリリースされた頃、ロッキンf誌83年2月号の特集「Charのすべて」でCharが語る。
「78年に"スリル"をゴダイゴと作ったんだけど、ずっといっしょにやりたいなって気持ちはあった。オレは特にミッキー吉野とトミー・シュナイダー、スティーヴ・フォックスと4人でやりたかったんだけれども。いろんなトラブルがあって、いやというほどバンド対個人って感じのシヴィアさを味わった。ミッキーが、「あんた、個性強いから、個性強い人間と組んだほうがいいよ。マー坊が西のバークレーに行ってて、もう帰ってきてるらしいから、電話してみようか」って言ってくれたんだ。」
弊サイトではこれ以降の出来事には触れない。チャーも'97年のEDOX会報で半生を色々と語っているがその時期はまだ語れないと言っているしねぇ。
この芸能界での活動に終止符を打ちJohnny,Louis,&Charを結成するに至るそれは年表〜1978年〜に掲載する。
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