ガラパゴス・サイト便り |
【アジアの片隅で】
変わり続ける街
1990年代当時、私が住んでいた神奈川県横浜市。
平日の昼間、公園に行けば、幼稚園に通い始める前の小さな子供たちとその母親が楽しい一時を過ごす場でした。
神奈川県横浜市の私が住んでいたところにあったその公園では10家族中9家族はそこにいたように記憶します。
また街を歩けばベビーカーを押しながら買い物に行くお母さん、子供と共に買い物に行くお母さんを見かけたものです。
そして時は流れ、21世紀になり、移住する頃までには、その公園に幼稚園に通い始める前の小さな子供たちとその母親という姿は殆ど見かけなくなり、保育園の子供たちが遊ぶ光景をよく見るようになりました。
1990年代、当たり前のように職を辞め中学校を卒業するまでは母親が専業で子育てさせていました。
21世紀の今だったらどうしていたのでしょうか。
もしかしたら産休、育休を取得し、子育て積極的に関わっていたのでしょうか。
今も家事というのをしていない、掃除や洗濯はするようになったものの、家事はしていないこの人生。
産休、育休は取得しても、単に仕事を休んでいるだけの生活を過ごしているだけかもしれません。。
など考えながらテレビ・ドラマを観るのでした。

あらゆる分野で特化した汎用型な強いAIにつかわれる世界
1980年代後半、円が1ドル150円位のJapan As No.1な頃。
いつしか1ドル80円位に国際競争力が下落した1990年代に製造工程を安価な海外諸国に委託し、日本は得意の発想・企画・設計を担い利益を維持・拡大しようとしました。と、私は思っています。
しかしモノづくりの力は低下し、発想・企画・設計は弱体化し、空洞化を招き、経済も衰退したという印象です。と、私は思っています。
そして2025年の今、少子高齢化を危惧する人間はAIを活用し、人間は良い生活を維持・拡大しようとしている印象です。と、私は思っています。
その結果、人間はあらゆる分野で特化した汎用型の強いAIにつかわれる生物に成り下がる世界になるかもしれません。と、私は思っています。
2度目の物価高騰
1972年頃だったでしょうか。5円、10円位だった市営バスの運賃がどんどん上がり100円とかになった時代。
そして今。
国内の生産力が低下し続けるように、それに伴い円安も進行し、そして普通預金の利率を早くせめて3%位になって欲しいものです。
|
|


|