立松和平 たてまつ・わへい(1947—2010)


 

本名=横松和夫(よこまつ・かずお)
昭和22年12月15日—平成22年2月8日 
享年62歳(遙雲院和平日心居士)
東京都台東区下谷2丁目10–6 法昌寺(法華宗)



小説家。栃木県生。早稲田大学卒。大学卒業後土木作業員など数々の職を経て、54年から文筆活動に専念。『遠雷』で野間文芸新人賞、平成5年『光の雨』で盗作問題を起こす。『道元禅師』で泉鏡花文学賞受賞。『毒・風聞・田中正造』『卵洗い』『地霊』などがある。







 孟宗竹の薮が青もなくゆっくり身もだえしていた。荒海のようだった。黄ばんだ病葉が波しぶきのように散って空に舞上がった。その空を祖母が駆けている気がした。祖母ほ手ぬぐいを継いでつくつた浴衣の襟と裾を乱し、挨まみれのブリキ罐を小脇にしっかりと抱え、白髪を風に吹かせて、身も世もない感じで懸命にどこかに向かっていた。風のうなりに祖母の声がまじった。お産でやすよお、お産でやすよお、と必死の声が大空に轟いた。産まれてくる子と命を引換えに祖母は逝ったのだと満夫が思ったとたん、その姿ほかき消えた。細かく千切られた灰色の雲があとからあとから吹かれてきた。雲の具合で陽はせわしく照ったり曇ったりした。紋付の羽織袴が風にふくらんでいた。野づらには場違いな格好だった。雑木林に遮られて風の方向が乱れ、渦巻き、前髪が眼を打った。くぬぎの銀色の幹が思い思いに揺れていた。噎せるほどの草いきれがした。雑木林がとぎれると、不意に視野がひらけた。あたり一面緑色の穂をつけた稲が風の行方を追って騒いでいた。穂がすれあって微かに金属的な音をたてていた。広次が舞っていると見えたのだった。洗ったばかりのスポーツシャツを着た広次は、稲穂の間を自在に走りまわり、しきりに両腕を振って何かを呼び寄せていた。広次よおと満天は叫んだ。出所した十年後の広次の限にこの大地ほどう映るのだろうか。風に揉まれる稲穂の上で、祖父母や父や母や広次や村の衆が輪になって踊っている気がした。よく見ればあや子も満天自身も、手を打ち足を踏み鳴らして楽しそうに踊っていた。そう見えたのも束の間、何もかも突風にさらわれ跡形もなくなってしまった。上空で風がねじれこすれあう音がしていた。心持ち台地になっている野菜畑や、散在している家や黒い雑木林に、雲の切れ目から淡い粉のような陽がかかっていた。雲の動きにしたがって陽は交叉した。誰かが上空で探しものでもしているふうだった。空に大河があるように大地の彼方に急速に流きれていく雲が瞬間仄明るくなり、間をおいて雷鳴が聞こえた。まだ遠かったが、雷は確実に近づいてきた。
                                          
(遠雷)



 

 平成22年1月20日、16時間にも及ぶ乖離性大動脈瘤の手術をうけ、体力温存のため18日間眠らされたまま2月8日午後5時37分、多臓器不全のため死去した。
 〈消えた森よ、消え衰えた私たちの心よ。安住の地をなくした私たちは、帰ることのない 漂泊の旅に出るしかないのだ〉と〈生命の気配〉を探し求めて全国を歩き、世界を歩き、北極や南極まで歩き続けた立松和平よ。自然保護運動家でもあった。
 〈絶望の数だけ樹が立っている。樹の数だけ、土の中に赤ん坊が埋まっている。なんという気配だ。千年前と何一つ変わらぬ森なら、誰が私を起こしたのだ。〉と悲痛の声をあげた立松和平よ。果てることのない君の旅は、ひたすらな足跡のみを残していつまでも続いているのだ。



 

 〈人は死ぬ時、その人を繕っていた属性が剥がれる。一瞬、ありありと人自身として存在することがある。〉と書き綴った5年後、彼岸への列に加わった立松和平の墓は下町の色濃い下谷・法昌寺にあった。
 この寺の住職は歌人福島泰樹であり、立松和平の熱き友人でもある。本堂裏の新しく整地された墓域の塀際に孤然と立つ「立松和平之墓」、側面に作家の略歴、裏に「平成二十二年十二月十五日建立之 発願主 當山住職 福島泰樹 建立主 立松和平さんを偲ぶ会(三月二十七日 青山斎場)参会者並 高橋公、佐野博、他友人一同」とある。時が止まり微動だにせぬ景色の中、塀越しに見える小野照崎神社の鳥居のうえで数羽の雀が飛び跳ねるように踊っていた。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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