田中澄江 たなか・すみえ(1908—2000)


 

本名=田中澄江(たなか・すみえ)
明治41年4月11日—平成12年3月1日 
没年91歳(マリア・マグダレナ)
東京都府中市天神町4丁目13–1 府中カトリック墓地36号 



劇作家・小説家。東京府生。東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)卒。昭和9年『陽炎』を発表、劇作家田中千禾夫と結婚。14年戯曲『はる・あき』で注目される。27年『我が家は樂し』『少年期』、『めし』の映画の脚本でブルーリボン賞脚本賞を受賞。小説集『カキツバタ群落』『夫の始末』、随筆『花の百名山』などがある。







 障子が夕映えの紅梅いろを映し、開けると空一面が柿いろに臙脂に、深緋のだんだら染めになって、そのまま、曲り曲って流れる渓川を焔の大蛇に化していた。箒川も荒川も西から東に流れる夕暮れの一とき、女が男を殺したくなる姿を見せる。蛇行の激しい川は、きっと九州でも、信州でも東北でも、晴れた日の夕暮れにはそのような思いを誘うのではないか。
 障子をしめながら絹は思った。この秋で結婚して三十年になる。三十年たったら仕合わせだったと思うようにすると書いてよこしたのをこのひとは覚えているかしら。仕合わせってのは何だかまだよくわからないが、この夫がいて、自分の邪魔だと思ったことは新婚の第一夜以外に一度もなかった。姿は眼の中になくても、夫が生きていてくれると思うのがありがたかった。きっとそんなに思えることが一番の仕合わせなのにちがいない。無口のひとなので、ながながと絹が心でつぶやいている間も、だまって鮎の塩焼きの身をほぐしている。絹は徳利を持ってどうぞもう一つ。酒をつぎながら、これからは家をたててくれなかったって愚痴るのはやめますと言おうとし、まだそれはわからないと、だまって自分でついだ酒と共に言葉を流しこんだ。
                                               
(夫の始末)



 

 〈いつ死ぬかは神さまがきめること、その日まで新しい発見がある〉、あるいは〈老いは迎え討て〉と、晩年まで溢れる生命力を示した田中澄江は、89歳になってもなおも書きつづけるのだった。〈私は、今でももう十分に生きたという気が全然しないのです。一番書きたいことも、まだ書けていない。もう一度学校に入って植物や地質の勉強もしてみたい。でも今は何といっても山にゆきたい。〉と——。
 しかし翌年、脳梗塞で倒れ、平成12年3月1日午後5時10分、老衰のため東京・清瀬の病院で亡くなった。闘病生活で夢見つづけていた山々は、黒部五郎岳か栗駒山か、はたまた自ら主宰した女性登山グループ〈高水会〉に名を委ねた奥多摩の高水山であったのか。



 

 遠藤周作の墓がある府中カトリック墓地に田中澄江の墓もある。この眼で「二十一世紀」を確かめたいと願いながら、一足踏み入れてまもなくその意思を断念せざるを得なかった田中澄江の墓。石臼の香立てを左右に、「TANAKA」の碑銘、力強くクロスが刻まれている。傍らの墓誌に「マリア・マグダレナ」、昭和26年、京都の西陣教会で受洗した田中澄江の洗礼名が、90歳で逝った劇作家、演出家でもあった夫・田中千禾夫のそれと並記されている。有吉佐和子と同じ洗礼名だ。
 同じ筋の手前には『ゴジラ』の特撮監督で有名な円谷英二の墓もあった。ウルトラマンの人形が飾られてある墓前を見やりながら、作家活動にもまして1000に近い山々を踏破した田中澄江の旺盛な生命力を思ってみたりもした。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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