会田綱雄 あいだ・つなお(1914—1990)                        


 

本名=会田綱雄(あいだ・つなお)
大正3年3月17日—平成2年2月22日 
享年75歳(俊誉綱徳信士)❖桃の忌 
福島県双葉郡川内村上川内字三合田29 長福寺(曹洞宗)



詩人。東京府生。日本大学卒。昭和15年志願兵として中国に渡り、南京、上海に滞在、草野心平に兄事。昭和21年帰国、翌年『歴程』同人となる。第一詩集『鹹湖』で高村光太郎賞、詩集『遺言』で読売文学賞を受賞。ほかに詩集『狂言』『汝』などがある。







 

湖から
蟹が這いあがつてくると
わたくしたちはそれを縄にくくりつけ
山をこえて
市場の
石ころだらけの道に立つ

蟹を食うひともあるのだ

縄につるされ
毛の生えた十本の脚で
空を掻きむしりながら
蟹は銭になり
わたくしたちはひとにぎりの米と塩を買い
山をこえて
湖のほとりにかえる

ここは
草も枯れ
風はつめたく
わたくしたちの小屋は灯をともさぬ

くらやみのなかでわたくしたちは
わたくしたちのちちははの思い出を
くりかえし
くりかえし
わたくしたちのこどもにつたえる
わたくしたちのちちははも
わたくしたちのように
この湖の蟹をとらえ
あの山をこえ
ひとにぎりの米と塩をもちかえり
わたくしたちのために
熱いお粥をたいてくれたのだつた

わたくしたちはやがてまた
わたくしたちのちちははのように
痩せほそつたちいさなからだを
かるく
かるく
湖にすてにゆくだろう
そしてわたくしたちのぬけがらを
蟹はあとかたもなく食いつくすだろう
むかし
わたくしたちのちちははのぬけがらを
あとかたもなく食いつくしたように

それはわたくしたちのねがいである

こどもたちが寝いると
わたくしたちは小屋をぬけだし
湖に舟をうかべる
湖の上はうすらあかく
わたくしたちはふるえながら
やさしく
くるしく
むつびあう

(伝説)

 


 

 〈東京ニ生マル。大工綱蔵ノ次男ナリ〉、〈無頼文盲、酒食ヲ愛シテ止マザルモ、余命幾何モナカラン〉などと自らの年譜に書きしるした詩人の物語を今日は静かに読もう。人であることのうぬぼれ、永遠の終結をたどり疲れて、今日の命も恙なく、生きるために生きる生存の哀しさよ。傷ついた叢林には音もなく、風もなく、匂いや色さえもなく、滑り落ちてくるかぐわしい秘密だけがあった。平成2年2月22日、詩人の体温はとうとう冷めてしまった。うんざりするほどの長い冬は途切れなくつづいている。
 〈まもなく あの暗い天の奥から 僕をめがけて ふってくる雪が 邪悪な僕の まなこをとざすとき 僕のなきがらが なきがらだけの重みで そのまましずかに 沈んでいくように〉。



 

 草野心平や辻まことがとみに和んだ福島県双葉郡川内村に会田綱雄もようやく落ち着いたようだ。先客辻まことの墓と対であるかのように、この寺の裏山墓地、数歩のところに並んで「会田綱雄之墓」はある。
 卒塔婆を袈裟懸けに背負った石塊は、雨が降るたびに山土や朽ち葉に侵されて、台石は半分ほども埋もれかけ、頭上を覆う枝葉からの雨だれが、碑面の文字さえも薄れさせるほど泥を跳ね返している。秘密をあばくものに声の聞こえぬ夜はない。季節季節にふる雨音よ、〈なつかしきものの しめやかなる おとづれの かそけき 耳に降る雨のひびきを てのひらをあわせ まなこをとじ 神妙に〉祈って言霊を永遠に遺そうか。

 


 

 

 

 

 

 

 


 

 

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