訓読万葉集 巻19 ―鹿持雅澄『萬葉集古義』による―



巻第十九(とをまりここのまきにあたるまき)


天平勝宝(てむひやうしようはう)二年(ふたとせといふとし)三月(やよひ)一日(つきたちのひ)(ゆふへ)に、春の苑の桃李(ももすもも)の花を眺矚()()める歌二首(ふたつ)

4139 春の苑紅にほふ桃の花下()る道に出で立つ美人(をとめ)

4140 吾が園の李の花か庭に降るはだれのいまだ残りたるかも


()(かけ)(しぎ)を見てよめる歌一首(ひとつ)

4141 春()けて物(がな)しきにさ夜更けて羽()き鳴く鴫()が田にか()*


二日(ふつかのひ)柳黛(やなぎ)を攀ぢて京師(みやこ)(しぬ)ふ歌一首

4142 春の日に張れる柳を取り持ちて見れば都の大路(おほぢ)し思ほゆ


堅香子草(かたかご)の花を攀折()る歌一首

4143 もののふの八十(やそ)乙女らが汲み(まが)ふ寺井の上の堅香子の花


帰る雁を見る歌二首

4144 燕来る時になりぬと雁がねは本郷(くに)偲ひつつ雲隠り鳴く

4145 春()けてかく帰るとも秋風に黄葉(もみち)む山を越え来ざらめや 一ニ云ク、春されば帰るこの雁


夜裏(よる)千鳥の鳴くを聞く歌二首

4146 夜降(よぐた)ちに寝覚めて居れば川瀬()め心もしぬに鳴く千鳥かも

4147 夜降ちて鳴く川千鳥うべしこそ昔の人も偲ひ来にけれ


(あかとき)に鳴く(きぎし)を聞く歌二首

4148 杉の野にさ(をど)る雉いちしろく()にしも泣かむ(こも)り妻かも

4149 あしひきの八峯(やつを)の雉鳴きとよむ朝明(あさけ)の霞見れば悲しも


(かは)(のぼ)船人(ふなひと)の唄を(はろばろ)聞く歌一首

4150 朝床に聞けば遥けし射水川(いみづがは)朝榜ぎしつつ唄ふ船人


三日(みかのひ)(かみ)大伴宿禰家持(たち)にて宴する歌三首(みつ)

4151 今日のためと思ひて(しめ)しあしひきの峯上(をのへ)の桜かく咲きにけり

4152 奥山の八峰の椿つばらかに今日は暮らさね大夫(ますらを)(とも)

4153 漢人(からひと)船を浮かべて*遊ぶちふ今日そ我が背子花(かづら)せな


八日(やかのひ)白大鷹(ましらふのたか)を詠める歌一首、また短歌(みじかうた)

4154 あしひきの 山坂越えて 往きかはる 年の緒長く
   しなざかる 越にし住めば 大王(おほきみ)の 敷きます国は
   都をも ここも(おや)じと 心には 思ふものから
   語り()け 見放くる人眼 (とも)しみと 思ひし繁し
   そこゆゑに 心なぐやと 秋づけば 萩咲きにほふ
   石瀬(いはせ)野に 馬だき行きて をちこちに 鳥踏み立て
   白塗りの 小鈴(をすず)もゆらに あはせ遣り 振り放け見つつ
   いきどほる 心のうちを 思ひ延べ 嬉しびながら
   枕付く 妻屋のうちに 鳥座(とくら)結ひ 据ゑてそ()が飼ふ
   真白斑(ましらふ)の鷹

(かへ)し歌

4155 矢形尾の真白の鷹を屋戸に据ゑ掻き撫で見つつ飼はくしよしも


鵜潜(うつか)ふ歌一首、また短歌

4156 あら玉の 年ゆきかはり 春されば 花咲きにほふ*
   あしひきの 山下(とよ)み 落ち(たぎ)ち 流る辟田(さきた)
   川の瀬に 鮎子さ走り 島つ鳥 鵜養(うかひ)伴なへ
   (かがり)さし なづさひ行けば 吾妹子(わぎもこ)が 形見がてらと
   紅の 八入(やしほ)に染めて おこせたる 衣の裾も 徹りて濡れぬ

反し歌

4157 紅の衣にほはし辟田川絶ゆることなく吾等(あれ)かへり見む

4158 毎年(としのは)に鮎し走らば辟田川鵜八つ(かづ)けて川瀬尋ねむ


季春三月(やよひ)九日(ここのかのひ)出挙(すいこ)の政に()りて舊江(ふるえ)の村に行き、道の(ほとり)に目を物花に()くる(うた)、また興の中によめる歌


澁谿(しぶたに)の埼を過ぎて、(いそ)()の樹を見る歌一首 樹名つまま

4159 磯の()のつままを見れば根を()へて年深からし神さびにけり


世間(よのなか)の常無きを悲しむ歌一首、また短歌

4160 天地(あめつち)の 遠き初めよ 世の中は 常無きものと
   語り継ぎ 流らへ来たれ 天の原 振り放け見れば
   照る月も 満ち欠けしけり あしひきの 山の木末(こぬれ)
   春されば 花咲きにほひ 秋づけば 露霜負ひて
   風(まじ)り もみち散りけり うつせみも かくのみならし
   紅の 色もうつろひ ぬば玉の 黒髪変り
   朝の笑み 夕へ変らひ 吹く風の 見えぬがごとく
   行く水の 止まらぬごとく 常も無く うつろふ見れば
   にはたづみ 流るる涙 とどめかねつも

反し歌

4161 言問はぬ木すら春咲き秋づけばもみち散らくは常を無みこそ 一ニ云ク、常なけむとそ

4162 うつせみの常無き見れば世の中に心つけずて思ふ日そ多き 一ニ云ク、嘆く日そ多き


(あらかじ)めよめる七夕(なぬかのよ)の歌一首

4163 妹が袖われ枕かむ川の瀬に霧立ちわたれさ夜更けぬとに


勇士(ますらを)の名を(ふる)ふを慕ふ歌一首、また短歌

4164 ちちの実の 父のみこと ははそ葉の 母のみこと
   おほろかに 心尽して 思ふらむ その子なれやも
   大夫(ますらを)や 空しくあるべき 梓弓 末振り起し
   投ぐ矢持ち 千尋(ちひろ)射わたし 剣大刀 腰に取り佩き
   あしひきの 八峯(やつを)踏み越え 差し(まく)る 心(さや)らず
   後の世の 語り継ぐべく 名を立つべしも

反し歌

4165 大夫は名をし立つべし後の世に聞き継ぐ人も語り継ぐがね

右の二首は、山上憶良臣が作める歌に追ひて(なぞら)ふ。


霍公鳥(ほととぎす)また時の花を詠める歌一首、また短歌

4166 時ごとに いやめづらしく 八千種(やちくさ)に 草木花咲き
   鳴く鳥の 声も変らふ 耳に聞き 目に見るごとに
   打ち嘆き (しな)えうらぶれ 偲ひつつ 有り来るはしに*
   木晩(このくれ)の 四月(うつき)し立てば 夜隠(よごも)りに 鳴く霍公鳥
   古よ 語り継ぎつる 鴬の (うつ)真子(まご)かも
   あやめ草 花橘を をとめらが 玉()くまでに
   あかねさす 昼はしめらに あしひきの 八峯飛び越え
   ぬば玉の 夜はすがらに (あかとき)の 月に向ひて
   往き還り 鳴き(とよ)むれど 如何で飽き足らむ

反し二首

4167 時ごとにいやめづらしく咲く花を折りも折らずも見らくしよしも

4168 毎年に来鳴くものゆゑ霍公鳥聞けば偲はく逢はぬ日を多み 毎年、としのはト謂フ

右、二十日(はつかのひ)、未だ時及ばずと雖も、(こと)()けて(あらかじ)めよめる。


家婦()(みやこ)(いま)尊母(ははのみこと)に贈らむ為に、(あつら)へらえてよめる歌一首、また短歌

4169 霍公鳥 来鳴く五月(さつき)に 咲きにほふ 花橘の
   かぐはしき 親の御言(みこと) 朝宵に 聞かぬ日まねく
   天ざかる 夷にし居れば あしひきの 山のたをりに
   立つ雲を よそのみ見つつ 嘆くそら 安けなくに
   思ふそら 苦しきものを 奈呉の海人の (かづ)き取るちふ
   真珠(しらたま)の 見がほし御面 ただ向ひ 見む時までは
   松柏(まつかへ)の 栄えいまさね 貴き()が君 御面、みおもわト謂フ

反し歌一首

4170 白玉の見がほし君を見ず久に(ひな)にし居れば生けるともなし


二十四日(はつかまりよかのひ)立夏四月節(うつきたつひのとき)(あた)れり。此に因りて二十三日(はつかまりみかのひ)(ゆふへ)、忽ち霍公鳥(ほととぎす)(あかとき)に喧かむ声を(しぬ)ひてよめる歌二首

4171 常人も起きつつ聞くそ霍公鳥この(あかとき)に来鳴く初声

4172 ほととぎす来鳴き響まば草取らむ花橘を屋戸には植ゑずて


(みやこ)丹比(たぢひ)が家に贈れる歌一首

4173 妹を見ず越の国辺に年()れば()心神(こころど)()ぐる日も無し


筑紫の太宰(おほみこともち)の時の春の苑の梅を追ひてよめる歌一首

4174 春のうちの楽しき()へば梅の花手折り持ちつつ*遊ぶにあるべし

右の一首は、二十七日(はつかまりなぬかのひ)(こと)()けてよめる。


霍公鳥を詠める二首

4175 ほととぎす今来鳴きそむ菖蒲草(あやめぐさ)かづらくまでに()るる日あらめや ものは三箇ノ辞闕ク

4176 我が門よ鳴き過ぎ渡る霍公鳥いやなつかしく聞けど飽き足らず ものはてにを六箇ノ辞闕ク


四月の三日、越前(こしのみちのくち)判官(まつりごとひと)大伴宿禰池主に贈れる霍公鳥の歌、感旧の(おもひ)()へずて(おもひ)を述ぶる一首(ひとうた)、また短歌

4177 我が背子と 手携はりて 明けくれば 出で立ち向ひ
   夕されば 振り放け見つつ 思ひ延べ 見なぎし山に
   八峯には 霞たなびき 谷辺には 椿花咲き
   うら悲し 春の過ぐれば 霍公鳥 いやしき鳴きぬ
   独りのみ 聞けば(さぶ)しも 君と(あれ) 隔てて恋ふる
   礪波山(となみやま) 飛び越えゆきて 明け立たば 松のさ枝に
   夕さらば 月に向ひて あやめ草 玉貫くまでに
   鳴き響め 安眠(やすい)()さず 君を悩ませ

4178 (あれ)のみし聞けば寂しも霍公鳥丹生(にふ)の山辺にい行き鳴けやも*

4179 ほととぎす夜鳴きをしつつ我が背子を安宿(やすい)()せそゆめ心あれ


霍公鳥を()づる心に飽かず、懐を述べてよめる歌一首、また短歌

4180 春過ぎて 夏来向へば あしひきの 山呼び響め
   さ夜中に 鳴く霍公鳥 初声を 聞けばなつかし
   あやめ草 花橘を ぬきまじへ (かづら)くまでに
   里(とよ)め 鳴き渡れども なほし偲はゆ

反し三首

4181 さ夜更けて暁月に影見えて鳴く霍公鳥聞けばなつかし

4182 霍公鳥聞けども飽かず網捕りに捕りてなつけな()れず鳴くがね

4183 霍公鳥飼ひ通せらば今年経て来向かふ夏はまづ鳴きなむを


京師(みやこ)より贈来(おこ)せる歌一首

4184 山吹の花取り持ちてつれもなく()れにし妹を偲ひつるかも

右、四月の五日(いつかのひ)(さと)に留れる女郎(いらつめ)*より(おこ)せたるなり。


山振(やまぶき)の花を詠める歌一首、また短歌

4185 現身(うつせみ)は 恋を繁みと 春()けて 思ひ繁けば
   引き攀ぢて 折りも折らずも 見るごとに 心なぎむと
   繁山の 谷辺に生ふる 山吹を 屋戸に引き植ゑて
   朝露に にほへる花を 見るごとに 思ひはやまず
   恋し繁しも

4186 山吹を屋戸に植ゑては見るごとに思ひはやまず恋こそまされ


六日(むかのひ)布勢(ふせ)水海(みづうみ)遊覧(あそ)びてよめる歌一首、また短歌

4187 思ふどち 大夫(ますらをのこ)の ()(くれ)* 繁き思ひを
   見明らめ 心遣らむと 布勢の海に 小船(をぶね)連なめ
   真櫂かけ い榜ぎ巡れば 乎布(をふ)の浦に 霞たなびき
   垂姫(たるひめ)に 藤波咲きて 浜清く 白波騒き
   しくしくに 恋はまされど 今日のみに 飽き足らめやも
   かくしこそ いや年のはに 春花の 繁き盛りに
   秋の葉の にほへる時に あり通ひ 見つつ偲はめ
   この布勢の海を

反し歌

4188 藤波の花の盛りにかくしこそ浦榜ぎ()みつつ年に偲はめ


水烏()を越前判官大伴宿禰池主に贈れる歌一首、また短歌

4189 天ざかる 夷としあれは そこここも (おや)じ心そ
   家(ざか)り 年の経ぬれば うつせみは 物()ひ繁し
   そこゆゑに 心なぐさに 霍公鳥 鳴く初声を
   橘の 玉にあへ貫き かづらきて 遊ばくよしも*
   ますらをを 伴なへ立ちて 叔羅川(しくらがは) なづさひ上り
   平瀬には 小網(さで)さし渡し 早瀬には 鵜を(かづ)けつつ
   月に日に しかし遊ばね ()しき我が背子

反し歌二首*

4190 叔羅川瀬を尋ねつつ我が背子は鵜川立たさね心なぐさに

4191 鵜川立て取らさむ鮎のしが(はた)吾等(あれ)にかき向け思ひし()はば

右、九日(ここのかのひ)、使に附けて贈れる。


霍公鳥また藤の花を詠める歌一首、また短歌

4192 桃の花 紅色に にほひたる 面輪(おもわ)のうちに
   青柳の (くは)眉根(まよね)を 笑み曲がり 朝影見つつ
   をとめらが 手に取り持たる 真澄鏡(まそかがみ) 二上山(ふたがみやま)
   ()(くれ)の 茂き谷辺を 呼び(とよ)め 朝飛び渡り
   夕月夜 かそけき野辺に 遙々(はろばろ)に 鳴く霍公鳥
   立ち()くと 羽触(はぶり)に散らす 藤波の 花なつかしみ
   引き()ぢて 袖に扱入(こき)れつ ()まば染むとも

反し歌

4193 霍公鳥鳴く羽触にも散りにけり盛り過ぐらし藤波の花 一ニ云ク、散りぬべみ袖に扱入れつ藤波の花

同じ九日よめる。


また霍公鳥の()くこと晩きを怨む歌三首

4194 霍公鳥鳴き渡りぬと告げれども(あれ)聞き継がず花は過ぎつつ

4195 ()がここだ(しぬ)はく知らに霍公鳥いづへの山を鳴きか越ゆらむ

4196 月立ちし日より()きつつ打ち(しぬ)ひ待てど来鳴かぬ霍公鳥かも


京人(みやこひと)に贈れる歌二首

4197 妹に似る草と見しより()(しめ)し野辺の山吹(たれ)()折りし

4198 つれもなく()れにしものと人は言へど逢はぬ日まねみ思ひそ()がする

右、(さと)に留れる女郎の為に、家婦()(あつら)へらえてよめる。女郎は、即ち大伴家持が(いろも)なり。


十二日(とをかまりふつかのひ)、布勢の水海に遊覧(あそ)び、多古(たこ)(うら)に船(とど)め、藤の花を望見()て、(ひとびと)(おもひ)を述べてよめる歌四首(よつ)

4199 藤波の影なる海の底清み(しづ)く石をも玉とそ()が見る

守大伴宿禰家持。

4200 多古の浦の底さへにほふ藤波を挿頭(かざ)して行かむ見ぬ人のため

次官(すけ)内藏(うちのくら)忌寸(のいみき)繩麻呂(なはまろ)

4201 いささかに思ひて()しを多古の浦に咲ける藤見て一夜経ぬべし

判官(まつりごとひと)久米朝臣廣繩

4202 藤波を借廬(かりほ)に作り浦()する人とは知らに海人とか見らむ

久米朝臣繼麻呂(つぐまろ)


霍公鳥の喧かぬを恨む歌一首

4203 家に行きて何を語らむあしひきの山霍公鳥一声も鳴け

判官(まつりごとひと)久米朝臣廣繩。


攀折()れる保宝葉(ほほがしは)を見る歌二首

4204 我が背子が捧げて持たる厚朴(ほほがしは)あたかも似るか青き(きぬがさ)

講師(かうし)(ほうし)恵行(ゑぎやう)

4205 皇祖神(すめろき)(とほ)御代(みよ)御代(みよ)はい敷き折り酒飲むといふそこの厚朴(ほほがしは)

守大伴宿禰家持。


還る時に、浜の()にて月光(つき)仰見()る歌一首

4206 澁谿(しぶたに)をさして()が行くこの浜に月夜(つくよ)飽きてむ馬しまし止め

守大伴宿禰家持。


二十二日(はつかまりふつかのひ)、判官久米朝臣廣繩に贈れる、霍公鳥の怨恨(うらみ)の歌一首、また短歌

4207 ここにして 背向(そがひ)に見ゆる 我が背子が 垣内(かきつ)の谷に
   明けされば (はり)のさ枝に 夕されば 藤の繁みに
   遙々(はろばろ)に 鳴く霍公鳥 我が屋戸の 植木橘
   花に散る 時をまたしみ 来鳴かなく そこは恨みず
   然れども 谷片付きて 家居れる 君が聞きつつ
   告げなくも憂し

反し歌

4208 ()がここだ待てど来鳴かぬ霍公鳥独り聞きつつ告げぬ君かも


霍公鳥を詠める歌一首、また短歌

4209 谷近く 家は居れども 木高(こだか)くて 里はあれども
   霍公鳥 いまだ来鳴かず 鳴く声を 聞かまく()りと
   (あした)には 門に出で立ち 夕へには 谷を見渡し
   恋ふれども 一声だにも いまだ聞こえず

反し歌*

4210 藤波の茂りは過ぎぬあしひきの山霍公鳥などか来鳴かぬ

右、二十三日、(まつりごとひと)久米朝臣廣繩が(こた)ふ。


処女(をとめ)墓の歌に追ひて(なぞら)ふる一首(ひとうた)、また短歌*

4211 いにしへに ありけるわざの くすはしき 事と言ひ継ぐ
   血沼(ちぬ)壮子(をとこ) 菟原(うなひ)壮子の うつせみの 名を争ふと
   玉きはる 命も捨てて 相共に* 妻問ひしける
   処女らが 聞けば悲しさ 春花の にほえ栄えて
   秋の葉の にほひに照れる 惜身(あたらみ)の 盛りをすらに
   大夫(ますらを)の (こと)(いとほ)しみ 父母に 申し別れて
   家(さか)り 海辺に出で立ち 朝宵に 満ち来る潮の
   八重波に 靡く玉藻の (ふし)の間も 惜しき命を
   露霜の 過ぎましにけれ 奥つ()を ここと定めて
   後の世の 聞き継ぐ人も いや遠に 偲ひにせよと
   黄楊(つげ)小櫛(をぐし) しか刺しけらし 生ひて靡けり

反し歌

4212 処女らが後の(しるし)と黄楊小櫛生ひ代り生ひて靡きけらしも

右、五月の六日、(こと)()けて大伴宿禰家持がよめる。

4213 東風(あゆ)をいたみ奈呉の浦廻に寄する波いや千重しきに恋ひ渡るかも

右の一首は、京の丹比(たぢひ)が家に贈る。


挽歌(かなしみうた)一首、また短歌

4214 天地の 初めの時よ うつそみの 八十伴男(やそとものを)
   大王(おほきみ)に まつろふものと 定めたる (つかさ)にしあれば
   天皇(おほきみ)の 命畏み 夷ざかる 国を治むと
   あしひきの 山川(へな)り 風雲(かぜくも)に 言は通へど
   (ただ)に逢はぬ 日の重なれば 思ひ恋ひ 息づき居るに
   玉ほこの 道来る人の 伝言(つてこと)に (あれ)に語らく
   ()しきよし 君はこの頃 うらさびて 嘆かひいます
   世間(よのなか)の 憂けく辛けく 咲く花も 時にうつろふ
   うつせみも 常無くありけり たらちねの 母の命
   何しかも 時しはあらむを 真澄鏡 見れども飽かず
   玉の緒の 惜しき盛りに 立つ霧の 失せぬるごとく
   置く露の ()ぬるがごとく 玉藻なす 靡き()い伏し
   行く水の 留めかねきと 狂言(たはこと)や 人し言ひつる
   逆言(およづれ)か 人の告げつる 梓弓 爪引(つまび)夜音(よと)
   遠音(とほと)にも 聞けば悲しみ にはたづみ 流るる涙
   留めかねつも

反し二首

4215 遠音にも君が嘆くと聞きつれば()のみし泣かゆ相()(あれ)

4216 世間の常無きことは知るらむを心尽くすな大夫(ますらを)にして

右、大伴宿禰家持が、聟南の右大臣(みぎのおほまへつきみ)の家藤原の二郎(なかちこ)喪慈母患(ははのも)(とぶら)へる。五月二十七日。


霖雨(ながめ)晴るる日、よめる歌一首

4217 卯の花を(くた)す長雨の始水(みづはな)に寄る木糞(こつみ)なす寄らむ子もがも


漁夫(あま)火光(いざりひ)を見る歌一首

4218 (しび)突くと海人の灯せる漁火の()にか出ださむ()が下()ひを

右の二首は、五月。

4219 我が屋戸の萩咲きにけり秋風の吹かむを待たばいと遠みかも

右の一首は、六月(みなつき)十五日(とをかまりいつかのひ)芽子早花(わさはぎ)を見てよめる。


京師(みやこ)より来贈(おこ)せる歌一首、また短歌

4220 (わたつみ)の 神の命の み櫛笥(くしげ)に 貯ひ置きて
   (いつ)くとふ 玉にまさりて 思へりし ()が子にはあれど
   うつせみの 世の(ことわり)と 大夫(ますらを)の 引きのまにまに
   しなざかる 越道をさして ()ふ蔦の 別れにしより
   沖つ波 (とを)眉引(まよびき) 大船の ゆくらゆくらに
   面影に もとな見えつつ かく恋ひば 老いづく()が身
   けだし()へむかも

反し歌一首

4221 かくばかり恋しくしあらば真澄鏡見ぬ日時なくあらましものを

右の二首は、大伴氏坂上郎女が、女子(むすめ)大嬢(おほいらつめ)に賜ふ。


九月(ながつき)の三日、宴の歌二首

4222 この時雨いたくな降りそ我妹子(わぎもこ)に見せむがために黄葉(もみち)採りてむ

右の一首は、掾久米朝臣廣繩がよめる。

4223 青丹(あをに)よし奈良人見むと我が背子が()めけむ黄葉(もみち)土に落ちめやも

右の一首は、守大伴宿禰家持がよめる。

4224 朝霧の棚引く(たゐ)に鳴く雁を留め得めやも我が屋戸の萩

右の一首歌(ひとうた)は、吉野の宮に(いで)ましし時、藤原の皇后(おほきさき)御作(よみませ)るなり。但し年月審詳(さだか)ならず。十月の五日、河邊(かはへの)朝臣東人(あそみ あづまひと)が伝へ誦めり。

4225 あしひきの山の黄葉にしづくあひて散らむ山道(やまぢ)を君が越えまく

右の一首は、同じ月の十六日(とをかまりむかのひ)朝集使(まゐうごなはるつかひ)少目(すなきふみひと)秦忌寸石竹(はたのいみきいはたけ)(うまのはなむけ)する時、守大伴宿禰家持がよめる。


雪ふる日、よめる歌一首

4226 この雪の()残る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む

右の一首は、十二月(しはす)、大伴宿禰家持がよめる。


雪の歌一首、また短歌*

4227 大殿の この(もとほ)りの 雪な踏みそね しばしばも
   降らざる雪そ 山のみに 降りし雪そ ゆめ寄るな
   人や な踏みそね雪は

反し歌一首

4228 ありつつも()したまはむそ大殿のこの廻りの雪な踏みそね

右の二首歌(ふたうた)は、三形沙彌(みかたのさみ)が、贈左大臣(おひてたまへるひだりのおほまへつきみ)藤原の北の(まへつきみ)(こと)を承けて、作誦()めり。聞き伝ふるは、笠朝臣子君(かさのあそみこきみ)なり。また後に伝へ読む(ひと)は、越中国(こしのみちのなかのくに)(まつりごとひと)久米朝臣廣繩なり。


天平勝宝三年(みとせ)

4229 (あらた)しき年の初めはいや年に雪踏み(なら)し常かくにもが

右の一首歌は、正月(むつき)の二日、守の館にて集宴(うたげ)せり。その時零雪殊多(ゆきふりつむこと)積尺(ひとさか)(まり)四寸(よき)*なりき。即ち主人(あろじ)大伴宿禰家持此の歌を作める。

4230 降る雪を腰になづみて参ゐり来し(しるし)もあるか年の初めに

右の一首は、三日、介内藏忌寸繩麻呂が館に会集(つど)ひて宴楽(うたげ)せる時、大伴宿禰家持が作める。


その時、積もれる雪重なる(いはほ)の趣を()り成し、奇巧(たくみ)に草樹の花を(いろど)(ひら)く。此に()きて(まつりごとひと)久米朝臣廣繩がよめる歌一首

4231 撫子は秋咲くものを君が家の雪の巌に咲けりけるかも


遊行女婦(うかれめ)蒲生娘子(かまふのいらつめ)が歌一首

4232 雪の島巌に()てる撫子は千世に咲かぬか君が挿頭(かざし)


ここに、諸人(もろひと)(たけなは)にして、更深(よふけ)(とり)鳴く。此に因りて主人内藏伊美吉繩麻呂がよめる歌一首

4233 打ち羽振(はぶ)(かけ)は鳴くともかくばかり降り敷く雪に君いまさめやも


守大伴宿禰家持が(こた)ふる歌一首

4234 鳴く(かけ)はいやしき鳴けど降る雪の千重に積めこそ()が立ちかてね


太政大臣(おほきまつりごとのおほまへつきみ)藤原の家の縣犬養(あがたのいぬかひ)命婦(ひめとね)が、天皇(すめらみこと)に奉れる歌一首

4235 天雲を(ほろ)に踏みあたし鳴神(なるかみ)も今日にまさりて(かしこ)けめやも

右の一首、伝へ()めるは掾久米朝臣廣繩。


(みまか)れる()悲傷(かなし)む歌一首、また短歌 作主未詳

4236 天地の 神は無かれや (うつく)しき ()が妻(さか)
   光る神 鳴り波多(はた)娘子(をとめ) 手携ひ 共にあらむと
   思ひしに 心(たが)ひぬ 言はむすべ 為むすべ知らに
   木綿(ゆふ)(たすき) 肩に取り掛け 倭文(しつ)(ぬさ)を 手に取り持ちて
   な()けそと 我は()めれど ()きて寝し 妹が手本(たもと)は 雲に棚引く

反し歌一首

4237 うつつにと思ひてしかも(いめ)のみに手本巻き()と見ればすべなし

右の二首、伝へ誦めるは遊行女婦蒲生なり。


二月(きさらき)三日*、守の館に会集(つど)ひて宴して、よめる歌一首

4238 君が旅行(ゆき)もし久ならば梅柳(たれ)と共にか()(かづら)かむ

右、判官(まつりごとひと)久米朝臣廣繩、正税帳を以ちて、京師(みやこ)(のぼ)らむとす。(かれ)守大伴宿禰家持、此の歌を()めり。但越中(こしのみちのなか)風土(くにざま)梅花(うめ)柳絮(やなぎ)三月(やよひ)咲き初む。


霍公鳥を詠める歌一首

4239 二上(ふたがみ)()()(しじ)籠りにし*霍公鳥待てど未だ来鳴かず

右、四月の十六日(とをかまりむかのひ)、大伴宿禰家持がよめる。


春日(かすが)にて祭神之日(かみまつりせるほど)、藤原の太后(おほきさき)のよみませる御歌一首。即ち入唐大使(もろこしにつかはすつかひのかみ)藤原朝臣清河(きよかは)に賜ふ*

4240 大船に真楫しじ()きこの吾子(あご)唐国(からくに)へ遣る(いは)へ神たち


大使(つかひのかみ)藤原朝臣清河が歌一首

4241 春日野に(いつ)三諸(みもろ)の梅の花栄えてあり待て還り来むまで


大納言(おほきものまをすつかさ)藤原の(まへつきみ)の家にて、入唐使(もろこしにつかはすつかひ)等を餞宴(うまのはなむけ)する日の歌一首 即チ主人卿ヨメリ

4242 天雲の往き還りなむものゆゑに思ひそ()がする別れ悲しみ


民部少輔(たみのつかさのすなきすけ)丹治比(たぢひ)真人(まひと)土作(はにし)がよめる歌一首

4243 住吉(すみのえ)(いつ)(はふり)神言(かむこと)と行くとも()とも船は早けむ


大使藤原朝臣清河が歌一首

4244 あら玉の年の緒長く()()へる子らに恋ふべき月近づきぬ


天平五年(いつとせといふとし)、入唐使に贈れる歌一首、また短歌 作主未詳

4245 そらみつ 大和の国 青丹よし 奈良の都ゆ
   押し照る 難波に下り 住吉の 御津に(ふな)乗り
   (ただ)渡り 日の入る国に (つか)はさる 我が()の君を
   懸けまくの 忌々(ゆゆ)し畏き 住吉の ()が大御神
   (ふな)()に (うしは)きいまし 船艫(ふなども)に み立たしまして
   さし寄らむ 磯の崎々 榜ぎ()てむ 泊々(とまりとまり)
   荒き風 波に遇はせず 平けく ()て還りませ もとの国家(みかど)

反し歌一首

4246 沖つ波()波な立ちそ*君が船榜ぎ還り来て津に泊つるまで


阿倍朝臣老人(おいひと)が、(もろこし)に遣はさるる時、母に奉れる悲別(かなしみ)の歌一首

4247 天雲のそきへの極み()()へる君に別れむ日近くなりぬ

右の(くだり)八首歌(やうた)*は、伝へ誦める人、越中の大目(おほきふみひと)高安倉人種麻呂なり。但し年月の(なみ)は、聞ける時の(まにま)()げたり。


七月(ふみつき)十七日(とをかまりなぬかのひ)少納言(すなきものまをすつかさ)遷任(うつ)されて、悲別(かなしみ)の歌を作みて、朝集使(まゐうごなはるつかひ)掾久米朝臣廣繩が館に贈貽(おく)れる二首(ふたうた)
既に六載の期に満ち、忽ち遷替の運に値ふ。是に(ふりにしひと)に別るる(かな)しみ、心中に欝結(むすぼほ)れ、涕の袖を(のご)ふ。いかにか能く(かは)かむ。(かれ)悲しみの歌二首を作みて、莫忘の志を遺せり。其の(うた)に曰く

4248 あら玉の年の緒長く相見てしその心引き忘らえめやも

4249 石瀬野(いはせの)に秋萩(しぬ)ぎ馬()めて初鷹猟(はつとがり)だにせずや別れむ

右、八月(はつき)四日(よかのひ)贈れりき。


便ち大帳使を(さづ)け、八月の五日に、京師に(のぼ)らむとす。此に因りて四日、国の(くりや)(もの)を介内藏伊美吉繩麻呂が館に()けて、(うまのはなむけ)す。その時大伴宿禰家持がよめる歌一首

4250 しなざかる越に五年(いつとせ)住み住みて立ち別れまく惜しき宵かも


五日(いつかのひ)平旦(つとめて)上道(みちだち)す。(かれ)国司(くにのつかさ)次官(すけ)より、諸の(つかさづかさ)まで、皆共(みな)視送りす。その時射水(いみづ)(こほり)大領(おほきみやつこ)安努君廣島(あぬのきみひろしま)が門の前の林の(うち)に、預め饌餞(うまのはなむけ)(まけ)()す。時に大帳使大伴宿禰家持が、内藏伊美吉繩麻呂が(さかづき)を捧ぐる歌に和ふる一首(ひとうた)

4251 玉ほこの道に出で立ち行く(あれ)は君が事跡(ことと)を負ひてし行かむ


正税帳使(まつりごとひと)久米朝臣廣繩、事畢りて退任(まけところにかへ)れり。越前国(こしのみちのくちのくに)の掾大伴宿禰池主が館に()き遇ひて、共に飲楽(うたげ)す。その時久米朝臣廣繩が、芽子(はぎ)の花を()てよめる歌一首

4252 君が家に植ゑたる萩の初花を折りて挿頭(かざ)さな旅別るどち

大伴宿禰家持が和ふる歌一首

4253 立ちて居て待てど待ちかね出でて来て*君にここに逢ひ挿頭しつる萩


(みやこ)(まゐのぼ)る路にて、(こと)()け預め作める、(とよのあかり)に侍りて詔を(うけたま)はる歌一首、また短歌

4254 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国を 天雲に 磐船(いはふね)浮べ
   (とも)()に 真櫂しじ()き い榜ぎつつ 国見しせして
   天降(あも)りまし (はら)ひ平らげ 千代重ね いや嗣ぎ継ぎに
   ()らし来る (あま)の日継と 神ながら 我が大皇(おほきみ)
   天の下 治め賜へば もののふの 八十伴男(やそとものを)
   撫で賜ひ 整へ賜ひ ()す国の 四方(よも)の人をも
   あぶさはず 恵み賜へば 古よ 無かりし(しるし)
   度まねく (まを)し賜ひぬ 手拱(てうだ)きて 事無き御代と
   天地 日月と共に 万代に 記し継がむそ
   やすみしし 我が大皇 秋の花 しが色々に
   ()し賜ひ 明らめ賜ひ 酒漬(さかみづ)き 栄ゆる今日の (あや)に貴さ

反し歌一首

4255 秋の花種々(くさぐさ)なれど色ことに()し明らむる今日の貴さ


左大臣(ひだりのおほまへつきみ)橘の卿寿(ことほ)かむと、預めよめる歌一首

4256 古に君が三代経て仕へけり我が(おほきみ)*七代(まを)さね


十月(かみなつき)二十二日(はつかまりふつかのひ)左大弁(ひだりのおほきおほともひ)紀飯麻呂(きのいひまろ)の朝臣が家にて宴する歌三首

4257 手束弓(たつかゆみ)手に取り持ちて朝狩に君は立たしぬ棚倉の野に

右の一首は、治部卿(をさむるつかさのかみ)船王(ふねのおほきみ)の伝へ誦める、久邇(くに)京都(みやこ)の時の歌なり。作主(よみひと)しらず。

4258 明日香川川門(かはと)を清み後れ居て恋ふれば都いや遠そきぬ

右の一首は、左中弁(ひだりのなかのおほともひ)中臣朝臣清麻呂が伝へ誦める、古き京の時の歌なり。

4259 十月(かみなつき)時雨の降れば*我が背子が屋戸のもみち葉散りぬべく見ゆ

右の一首は、少納言大伴宿禰家持が、当時梨の黄葉(もみち)()て、此の歌を作めり。


〔天平勝宝〕四年*


壬申(みづのえさる)の年の(みだれ)平定(たひ)らぎし以後(のち)の歌二首

4260 (おほきみ)は神にしませば赤駒の腹這ふ田居を都と成しつ

右の一首は、大将軍(おほきいくさのきみ)贈右大臣(おひてたまへるみぎのおほまへつきみ)大伴の卿の作みたまふ。

4261 大王は神にしませば水鳥の多集(すだ)水沼(みぬま)を都と成しつ 作者未詳

右の件の二首は、〔天平勝宝四年〕二月の二日に聞きて、(ここ)()ぐ。


閏三月(のちのやよひ)衛門督(ゆけひのかみ)大伴古慈悲(こじひ)の宿禰が家にて、入唐副使(もろこしにつかはすつかひのすけ)(おや)胡麿の宿禰等を(うまのはなむけ)する歌二首

4262 唐国(からくに)に行き足らはして還り来むますら健男(たけを)御酒(みき)奉る

右の一首は、多治比真人鷹主が、副使(つかひのすけ)大伴胡麻呂の宿禰を寿(ことほ)く。

4263 櫛も見じ屋中(やぬち)も掃かじ草枕旅ゆく君を(いは)ふと()ひて 作主未詳

右の件の二首歌(ふたうた)伝へ誦めるは、大伴宿禰村上、同じ清繼等なり。


従四位上(ひろきよつのくらゐのかみつしな)高麗朝臣福信(こまのあそみふくしむ)(みことのり)して、難波に遣はし、(おほみき)(さかな)入唐使(もろこしにつかはすつかひ)藤原朝臣清河等に賜へる御歌(おほみうた)一首、また短歌

4264 そらみつ 大和の国は 水の()は (つち)ゆくごとく
   (ふな)()は (とこ)に居るごと 大神の (いは)へる国そ
   四つの船 (ふな)()並べ 平らけく 早渡り来て
   返り言 (まを)さむ日に 相飲まむ()そ この豊御酒(とよみき)

反し歌一首

4265 四つの船早帰り()白紙(しらが)付け()が裳の裾に(いは)ひて待たむ

右、勅使ヲ発遣シ、マタ酒ヲ賜フ楽宴(ウタゲ)ノ日月、未ダ詳審(ツマビ)ラカニスルコトヲ得ズ。


詔を(うけたまは)らむが為に、(あらかじ)めよめる歌一首、また短歌

4266 あしひきの 八峯(やつを)の上の (つが)の木の いや継ぎ継ぎに
   松が根の 絶ゆることなく 青丹よし 奈良の都に
   万代に 国知らさむと やすみしし 我が大王の
   神ながら 思ほしめして 豊宴(とよのあかり) ()す今日の日は
   もののふの 八十(やそ)伴の()の 島山に 赤る橘
   髻華(うず)に挿し 紐解き()けて 千年寿()き ほさき(とよ)もし*
   ゑらゑらに 仕へまつるを 見るが貴さ

反し歌一首

4267 すめろきの御代万代にかくしこそ()し明らめめ立つ年の()

右の二首は、大伴宿禰家持がよめる。


天皇(すめらみこと)太后(おほきさき)と、共に大納言(おほきものまをすつかさ)藤原の家に(いでま)しし日、黄葉(もみち)せる沢蘭(さはあらき)一株(ひともと)を抜き取りて、内侍佐佐貴山君(ささきやまのきみ)に持たしめ、大納言藤原の卿また陪従(みとも)大夫等(まへつきみたち)遣賜(たま)へる御歌(おほみうた)一首
命婦(ひめとね)(とな)へて()へらく

4268 この里は継ぎて霜や置く夏の野に()が見し草は黄葉(もみ)ちたりけり


十一月(しもつき)八日(やかのひ)太上天皇(おほきすめらみこと)*、左大臣橘朝臣の(いへ)(いま)して、肆宴(とよのあかり)きこしめす歌四首

4269 よそのみに見つつありしを*今日見れば年に忘れず思ほえむかも

右の一首は、太上天皇の御製(おほみうた)*

4270 (むぐら)はふ賎しき屋戸も大王の()さむと知らば玉敷かましを

右の一首は、左大臣橘卿。

4271 松陰の清き浜辺に玉敷かば君来まさむか清き浜辺に

右の一首は、右大弁藤原八束朝臣

4272 天地に足らはし照りて我が大王敷きませばかも楽しき小里(をさと)

右の一首は、少納言大伴宿禰家持。 未奏。


二十五日(はつかまりいつかのひ)新嘗会(にひなへまつり)肆宴(とよのあかり)に、詔を(うけたま)はる歌六首

4273 天地と相栄えむと大宮を仕へまつれば貴く嬉しき

右の一首は、大納言巨勢朝臣

4274 天にはも五百(いほ)つ綱()ふ万代に国知らさむと五百つ綱延ふ*

右の一首は、式部卿(のりのつかさのかみ)石川年足(としたり)朝臣。

4275 天地と久しきまでに万代に仕へまつらむ黒酒(くろき)白酒(しろき)

右の一首は、従三位(ひろきみつのくらゐ)文屋(ふむやの)智努麻呂(ちぬまろの)*真人(まひと)

4276 島山に照れる橘髻華(うず)に挿し仕へ(まつ)らな*卿大夫(まへつきみ)たち

右の一首は、右大弁藤原八束朝臣。

4277 (そて)垂れていざ我が苑に鴬の木伝(こづた)ひ散らす梅の花見に

右の一首は、大和国守(おほやまとのくにのかみ)藤原永手(ながて)朝臣。

4278 あしひきの山下日蔭かづらける上にやさらに梅を(しぬ)はむ

右の一首は、少納言大伴宿禰家持。


二十七日(はつかまりなぬかのひ)、林王の宅にて、但馬(たぢまの)按察使(あぜちし)橘奈良麻呂の朝臣を(うまのはなむけ)せる宴歌(うた)三首

4279 能登川の後は逢はめど*(しま)しくも別るといへば悲しくもあるか

右の一首は、治部卿船王。

4280 立ち別れ君がいまさば磯城島(しきしま)の人は我じく(いは)ひて待たむ

右の一首は、右京少進(みぎのみさとつかさのすなきまつりごとひと)大伴宿禰黒麻呂。

4281 白雪の降り敷く山を越え行かむ君をそもとな息の緒に()左大臣尾ヲ換ヘテ云ク、いきのをにする。然レドモ猶喩シテ曰ク、前ノ如ク誦メト。

右の一首は、少納言大伴宿禰家持。


五年(いつとせといふとし)正月(むつき)四日(よかのひ)治部少輔(をさむるつかさのすなきすけ)石上朝臣宅嗣(いそのかみのあそみいへつぐ)が家にて、宴する歌三首

4282 (こと)繁み相問はなくに梅の花雪にしをれて移ろはむかも

右の一首は、主人(あろじ)石上朝臣宅嗣。

4283 梅の花咲けるが中に(ふふ)めるは恋や(こも)れる雪を待つとか

右の一首は、中務大輔(なかのまつりごとのつかさのおほきすけ)茨田王(まむたのおほきみ)

4284 (あらた)しき年の初めに思ふ(どち)い群れて居れば嬉しくもあるか

右の一首は、大膳大夫(おほかしはでのつかさのかみ)道祖王(みちのやのおほきみ)*


十一日(とをかまりひとひのひ)、大雪落積()もれること、尺有二寸(ひとさかまりふたき)(かれ)拙懐(おもひ)を述ぶる歌三首

4285 大宮の内にも()にもめづらしく降れる大雪な踏みそね惜し

4286 御苑生(みそのふ)の竹の林に鴬はしば鳴きにしを雪は降りつつ

4287 鴬の鳴きし垣内(かきつ)ににほへりし梅この雪にうつろふらむか


十二日(とをかまりふつかのひ)内裏(おほうち)(さもら)ひて、千鳥を聞きてよめる歌一首

4288 河渚(かはす)にも雪は降れれや*宮の内に千鳥鳴くらし居むところ無み


二月(きさらき)十九日(とをかまりここのかのひ)、左大臣橘の家の宴に、攀ぢ()れる柳の(えだ)を見る歌一首

4289 青柳(あをやぎ)上枝(ほつえ)攀ぢ取りかづらくは君が屋戸にし千年寿()くとそ


二十三日(はつかまりみかのひ)(こと)()けてよめる歌二首

4290 春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鴬鳴くも

4291 我が屋戸の五十笹(いささ)群竹吹く風の音のかそけきこの夕へかも


二十五日(はつかまりいつかのひ)、よめる歌一首

4292 うらうらに照れる春日(はるひ)に雲雀あがり心悲しも独りし思へば

春ノ日遅々(ウラウラ)トシテ、ヒバリ*正ニ啼ク。悽惆ノ意、歌ニアラザレバ撥ヒ難シ。仍此ノ歌ヲ作ミ、式テ締緒ヲ展ク。但此ノ巻中、作者ノ名字ヲ()ハズ、(タダ)年月所処縁起ヲノミ録セルハ、皆大伴宿禰家持ガ裁作セル歌詞(ウタ)ナリ。



更新日:平成12-08-15
最終更新日:平成20-01-21
「訓読万葉集」のはじめに戻る
thanks!