大伴宿禰御行
おおとものすくねみゆき
- 生没年 ?〜701(大宝1)
- 系譜など 長徳の子。安麻呂の兄。子に三依(御依)がいる。万葉集には大将軍贈右大臣大伴卿とある。また04/0649左注に高市大卿とあるのもおそらく御行であろう。したがって駿河麻呂の祖父にあたると思われる。
- 略伝 壬申紀に名は見えないが、壬申の乱の功臣であったことは続紀701(大宝1)年7月の功封の記事から明らかである。675(天武4)年、小錦上兵部大輔。684(天武13)年、宿禰賜姓。688(持統2)年、天武天皇葬送の際、誄を奉る。694(持統8)年1月、贈封され計500戸。同時に大伴氏の氏上に任命される。696(持統10)年、正広肆大納言として資人80人を仮賜される。700(文武4)年8月、善政を称され正広参に昇進。701(大宝1)年1月、大納言正広参として薨去し、正広弐右大臣を追贈された。同年7月21日文武天皇の勅に、壬申功臣として賜った功封100戸のうち4分の1を子に相伝する旨見える。712(和銅5)年には、その妻紀音那の貞節を賞め、邑50戸を賜っている。
万葉19/4260に「壬申の乱平定以後の歌」として「大将軍贈右大臣大伴卿作」の歌が載る。なお『竹取物語』に登場する「大納言大伴のみゆき」は御行をモデルとしていると言われる。
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