吉行理恵 よしゆき・りえ(1939—2006)


 

本名=吉行理恵子(よしゆき・りえこ)
昭和14年7月8日—平成18年5月4日 
享年66歳 
東京都港区北青山2丁目12–8 持法寺(法華宗)



詩人・小説家。東京府生。早稲田大学卒。父は吉行エイスケ、吉行淳之介は兄。早稲田大学在学中から詩誌『歴程』などに詩を発表した。詩集『夢の中で』で田村俊子賞を受賞。のち小説に転じ、『小さな貴婦人』で昭和56年度芥川賞を受賞。『青い部屋』『まほうつかいのくしゃんねこ』『黄色い猫』などがある。






  

わたしは青い部屋の中です
雨戸に叩きつけるのは雨の音でなく

気の狂れたばあさんのわめき

〈むすこをかえせ むすこをかえせ〉と

わたしの壁にぶつかるから

かたく雨戸をしめて

わたしは青い部屋の中です

息子は帰って来ないのでしょうか

かくした女は わたしではないのです
 
何故なら青い部屋はひとりしかはいれないから

ここはどこまでも青く
棺もなければ 隠亡もみあたらないのです

むすこは青い色を好きでした

青い月をみつめているのが好きでした

いつのまにか青い月とむすこは

あいしあってしまったのです
 
けれども喉がからからな夜
 
たまらなくてむすこは青い月をかじったのでした

だからむすこの青い月はもうのぼりません

しらせてよこしたのは
 
タンポポが咲いたこと そして風が……
 
だからほんのすこし 雨戸をあけたのです
 
外には気の狂れたばあさんが立っていたのです
 
わたしをみつめるために 立っていたのです


わたしは青い部屋の中です

昔 白い指でピアノたたいたその人は
 
わたしの雨戸を叩きます
 
〈むすこをかえせ むすこをかえせ〉と

(青い部屋)





 初恋の人は「立原道造」だったそうな。ある時期にはルドンの絵を横において詩を書いていたという。
 繊細すぎる神経、極度の対人恐怖症で、母や姉などごく一部の人としか会わない生活をつづけて、生涯独身を通した。ただ猫を愛し、猫を想い、猫に変身し、猫を書き、猫との静かな暮らしを楽しんでいた。猫にみとられて死ぬことが理想だとも書いた。
 作家としては寡作であったが、詩人としても小説家としても優れており、田村俊子賞や芥川賞、女流文学賞などを受賞している。
 初めての小説『男嫌い』では理恵の分身である北田冴は66歳で死ぬことになっていた。奇しくも平成18年5月4日午後3時26分、吉行理恵は甲状腺がんのため66歳で亡くなった。



 

 霧雨に濡れた石畳の参り道の奥、井伏鱒二も眠るこの寺の墓地に「吉行家之墓」はあった。
 父エイスケや兄淳之介が眠る吉行家の墓所は岡山にあるのだが、再婚した母あぐりの入れる墓ということでこの墓を平成17年に建てた。その墓に約1年後、まず一番に納まることになろうとは理恵も思いもしなかったであろうが、自室の押し入れに遺してあった愛猫の遺骨三体、淳之介の分骨や岡山の墓所の土をこの墓に一緒に納めた。
 その墓の周りに皆で色とりどりの花を植えている光景を、かつて夢見たように、バル(愛猫)とともに空から眺めていることだろう。そしていまは平成27年1月5日に肺炎のため107歳で亡くなった母あぐりも一緒になって楽しんでいるに違いない。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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