吉原幸子 よしはら・さちこ(1932—2002)


 

本名=吉原幸子(よしはら・さちこ)
昭和7年6月28日—平成14年11月28日
享年70歳(文藻院詠道幸雅大姉)
東京都杉並区下高井戸2丁目21–2 龍泉寺(曹洞宗)



詩人。東京府生。東京大学卒。昭和37年『歴程』同人となる。39年第一詩集『幼年連祷』を自費出版。58年新川和江と詩誌『現代詩ラ・メール』を創刊。詩集『発光』は萩原朔太郎賞を受賞。『夏の墓』『オンディーヌ』『昼顔』などがある。






  

風 吹いてゐる  
木 立ってゐる
ああ こんなよる 立ってゐるのね 木

風 吹いてゐる 木 立ってゐる 音がする

よふけの ひとりの 浴室の
せっけんの泡 かにみたいに吐きだす にがいあそび  
ぬるいお湯

なめくぢ 匍ってゐる
浴室の ぬれたタイルを
ああ こんなよる 匍ってゐるのね なめくぢ

おまへに塩をかけてやる
するとおまへは ゐなくなるくせに そこにゐる

  おそろしさとは
  ゐることかしら
  ゐないことかしら

また 春がきて また 風が吹いてゐるのに

わたしはなめくぢの塩づけ わたしはゐない
どこにも ゐない

わたしはきっと せっけんの泡に埋もれて 流れてしまったの


ああ こんなよる

(無題・ナンセンス)




 新川和江とはじめた詩誌『現代詩ラ・メール』。創刊5年目には自宅を改装して〈水族館〉という名の女性詩人たちが集うことのできる梁山泊的な空間をつくってより充実を図った。
 平成2年頃よりパーキンソン症候群という予想外の病に冒され、平成5年、40号をもって同誌は終刊することとなった。13年には自宅で転倒、大腿骨頚部を骨折して手術、11月末、半蔵門病院に転院。何度かの危篤状態をもちなおしていたが、翌14年11月28日午後、肺炎によって息を引き取る。その時まで書くことも、しゃべることもできず、ただ精神だけは燃え、流れ、揺れ、そして消えるようにゆるやかに死へと歩んでいったのだった。
 〈夢として 過ごした日々に わたしは孤独であり 孤独ではなかった〉。



 

 色とりどりの薔薇で埋め尽くされた棺、詩人の密やかな葬儀が執り行われた龍泉寺。築地本願寺別院和田堀廟所も近くにある菩提寺の吉原家塋域に、アパレルメーカー三陽商会の創業者である次兄「吉原信之夫妻の墓」。右手前に生前最後の詩集『発光』の中にある「散歩」の最終節〈歩き疲れて うとうと眠れば 波の鐘がかすかに鳴って 二十四時間 の次は すぐ永遠だが   吉原幸子〉と自筆を刻んだ詩碑のような墓。
 碑面に葉桜を映して〈今は亡き母と 今は亡きわたしが〉眠っている。〈わたしはまもなくしんでゆくのに みらいがうつくしくなくては こまる!〉。傷口を癒やす、熱く美しい朝の陽、矛盾を衝いた〈純粋病〉の詩人の墓がここにある。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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