吉田一穂 よしだ・いっすい(1898—1973)


 

本名=吉田由雄(よしだ・よしお)
明治31年8月15日—昭和48年3月1日 
享年74歳(白林虚籟一穂居士)
北海道古平郡古平町大字浜町368 禅源寺(曹洞宗)



詩人。北海道生。早稲田大学中退。北原白秋に傾倒する。大正11年福士幸次郎の『楽園』創刊に参加。15年第一詩集『海の聖母』、昭和5年散文詩集『故園の書』を刊行。詩集『稗子伝』『未来者』、童話集『海の人形』、詩論『黒潮回帰』などがある。






  

1.

 掌(て)に消える北斗の印。
 ・・・・・然(け)れども開かねばならない,この内部の花は。
 背後(うしろ)で漏沙(すなどけい)が零(こぼ)れる。

2.

 燈(ラムプ)を点ける,竟(つい)には己れへ還るしかない孤独に。
 野鴨が渡る。
 水上(みなかみ)は未だ凍ってゐた。

3.

 薪を割る。
 雑草の村落(むら)は眠ってゐる。
 砂洲(デルタ)は拡(おほ)きく形成されつゝあつた。

4.
 石臼の下の蟋蟀(こほろぎ)。
 約翰(ヨハネ)傳第二章・一粒の干葡萄。
 落日。

5.

 耕地は歩いて測つた,古(いにしへ)の種を握って。
 野の花花,謡ふ童女は孤り。
 茜。

(白鳥)



 

 選び抜かれた言葉、清冽永遠の詩を書いた一穂は、昭和46年、動脈硬化によって倒れ半身不随になった。床から身をおこし、〈つねに人は死を語りながら、表象としての死、即ち生ける死の幻影を操つてゐるのであり、あくまで人は生の問題でしか終始してゐないのである〉と語っていた「極北の詩人」は、昭和48年3月1日午後3時23分、東京・雑司ヶ谷病院で心不全のため永眠した。
 金子光晴は「詩人に会いたければ一穂のところへ」と言った。〈詩は意識の天体である。意味の像として新しい時空を想像することである。(略)それは愛と認識の矛盾を、この世ならぬ仏とした半眼微笑であり、水中で火を放つ(龍宮の遠い花火)となる。つまり、非存在の存在である〉と、断固規律した詩人だからこそのことだ。



 

 降り立ったバス停から人の気配もないなだらかな坂をのぼっていくと、分岐点に「吉田一穂菩提寺」と墨書された木柱が建てられてある。〈この時空に存在しない白鳥古丹(カムイ・コタン)〉と呼んで郷愁の原像とした北の岬、菩提寺の緑の草の盛んなる墓山に、帰らぬ人の墓標「白林虚籟一穂居士」はあった。
 ずっと以前、夫人が亡くなられた後に建てられた墓碑が茅ヶ崎の西光寺にあると聞いて墓参に訪れたのだったが、ご家族の意向で郷里古平の菩提寺に改葬されて果たせなかった思いがやっと叶った。
 〈誰からも離れて、無始の境をゆく〉孤独な詩人の墓、白菊が風に揺れている。墓群れの一番高いところにあるこの場所からは、穏やかな夏の煌めく極北の海が見えた。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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