歌合戦:できごと3
[ 歌合戦の歴史 ]
[ 過去の出場歌手 ]
[ 司会者 ]
[ 審査員 ]
[ 記録 ]
[ できごと ]
[ 思い出の紅白歌合戦 ]
[ 雑記 ]
[ リンク ]
第1回~10回 |
第11回~20回 |
第21回~30回 |
第31回~40回 |
第41回~50回 |
第51回~60回 |
第61回~70回 |
第71回~
第21回(昭和45年)
- 出場歌手発表当日に、出場決定の連絡を受けた江利チエミが出場を固辞。
紅組の1人は翌日に発表した(日吉ミミが出場)。
- 前年ひげを蓄えた風貌で歌合戦に復帰した佐川満男が、ステージ上で顔を隠して再び顔を見せるとひげのない状態(おそらく、事前にひげをそっていたが、付けひげ姿で現れて付けひげを取った)という余興を披露。
- この年の大晦日は土曜日だったためか、黛ジュンが「土曜の夜何かが起きる」、ピンキーとキラーズが「土曜日がいちばん」とタイトルに「土曜」が含まれる曲が2曲歌われた。
- 詳しい経緯は知らないが、白組司会の宮田輝アナウンサーが本番中に橋幸夫の歌唱曲を予定されていた「俺たちの花」(ウィキペディア情報)から、昭和37年のヒット曲である「いつでも夢を」に変えてしまった。
というのはネタで、事前に「いつでも夢を」を歌うことは打ち合わせ済みだったらしい。
- 初出場の辺見マリは前年の奥村チヨ同様、大ヒットした「経験」は歌詞が問題となって(歌い方という説もあり)NHKで放送禁止だったため別のヒット曲「私生活」を歌った。
第22回(昭和46年)
- レコード大賞受賞の尾崎紀世彦が歌合戦の歌い始め。
レコード大賞受賞歌手が歌合戦でトップバッターを務めたのは初めてのこと。
レコード大賞の会場では、放送終了後、尾崎紀世彦とスタッフが抱き合って喜んでいたが、歌合戦関係者は「3秒だけ待って」尾崎紀世彦をNHKへ向かう車に押し込んだらしい。
- 西郷輝彦の歌った「掠奪」は、途中で歌もダンスも演奏も止まる箇所があり、うっかり紅組の次の曲の演奏が始まってしまった。
- 坂本九はこの年結婚。
彼の歌唱中に夫人の柏木由紀子が舞台の白組サイドに登場。
しかし、坂本九の歌唱中は彼の周りを白組歌手が取り巻き夫人はその外側。
曲の途中で夫人は紅組歌手に連れられて坂本九の横にやってきたが、歌唱後すぐに夫人は「女性なので」紅組歌手に連れられて紅組サイドへ。
坂本九は寂しそうに何度も「ゆっこー」と呼んでいた。
- 藤圭子は持ち歌の「みちのく小唄」を歌唱した後、当時の旦那で病気療養中の前川清に代わり、前川清が所属していた内山田洋とクールファイブのヒット曲「港の別れ唄」を内山田洋とクールファイブのバックコーラス付きで歌唱した。
- 大トリの美空ひばりが歌唱する前に長谷川一夫が登場し、美空ひばりの「むらさき小唄」の歌声に合わせて舞った。
歌唱中にバックで舞ったわけではない。
トリが歌い終わって、大トリの曲が始まる前に舞ったということ。
第23回(昭和47年)
- 初出場した青い三角定規のヒット曲「太陽がくれた季節」は、歌合戦で歌うにあたりメイン・ボーカルの西口久美子に振りがつけられた。
ステップを練習して挑んだものの、せっかく振りがつけられた部分では西口久美子の上半身だけが映されたり別のメンバーだけが映っていたりと、全身がテレビに映ることが少なかったのが残念だったとか。
- 上條恒彦が熱く歌っているときにかけていたメガネが飛んでしまった。
途中から白組出場歌手がまわりに来る演出だったため、「踏まれちゃ大変」とあわててメガネを取りにいったらしい。
- 布施明のスーツの左胸部分には400個の電球で作ったバラ。
ちゃんと光っているか、気にしながら歌っていた。
第24回(昭和48年)
- 前年は14歳だったため出場できなかった森昌子がめでたく初出場。
しかしこの年も午後10時以降の労働はできないため、紅組3番手で登場した後は客席で母親と共に歌合戦を観戦したらしい。
- 天地真理の「恋する夏の日」はテニスコートが舞台。
そこで(?)、間奏部分で紅組歌手が白組歌手に向かってボールを打ち込んだ。
白組も飛んできたボールを投げ返すなどボールが飛び交い、なぜか天地真理の頭に命中(ボールは紅組の方から飛んできていた)。
- 特別出演という形で第1回でトリをつとめた渡辺はま子、藤山一郎が出演。
第25回(昭和49年)
- 第25回を記念して、紅白各25組が出場。
前年より紅組白組各3組増のため、応援ゲストを減らすなど歌唱時間確保に苦労したらしい。
- 出場歌手選考のため、初めて世論調査を行ったらしい。
その結果、ベテラン勢の出場を願う声が多く、三橋美智也が9年ぶり11回目、春日八郎が5年ぶり16回目の出場となった。
- 出場歌手をNHKだけでは決められないということで、25組のうち4組は有識者の意見を聞いて決めたらしい。
- アグネス・チャンのバックであべ静江、南沙織、山本リンダと共に踊った天地真理が無表情。
- 野口五郎・郷ひろみ・西城秀樹の「新御三家」と森昌子・山口百恵・桜田淳子の「花の高一トリオ」が初めてそろって出場。
桜田淳子のバックで他の二人がコーラスをしながら一緒に踊り、郷ひろみのバックでも他の二人が一緒に踊った。
- この年は「前半は若者向け、後半は大人向け」という番組構成だったらしい。
平成に入ってからの歌合戦でも一時期よく聞いた文句だが、当時は大人向けと言っても演歌やなつメロのオンパレードになるわけではなく、大人にも名前が分かる歌手、確かな歌唱力を持った歌手であればポップス系でもばんばん後半に登場していた。
- 海外からの大物ゲストとして、クロード・チアリ、サム・テイラーが出演。
白組の応援だったサム・テイラーは「オトコ カテ!」と絶叫し、後に日本に帰化する親日家のクロード・チアリは紅組の応援で、(多分わざと)「紅組絶体絶命」と言った。
- 第31回(昭和55年)まで続くことになる紅組出場歌手によるダンス(ラインダンスやフレンチカンカンなど)が始まる。
- 沢田研二が間奏部分で鳩を出した。
- 白組トリの森進一はズボンのチャックを閉め忘れたまま登場し歌い始めた。
間奏部分で白組歌手のガードする中、村田英雄がチャックを閉めた模様。
番組スタッフは最初にズボンのチャック部分から白いものが見えたときにすぐに気付いたようで、チャックを閉めるまで顔のアップを放送し続けた。
第26回(昭和50年)
- 紅組の司会も務めていた佐良直美はビートルズのヒット曲「オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ」を披露。
バックで演奏するはずのバグパイプの音がなかなか出ず、でも歌手の持ち時間は限られているためあせったらしい。
なんとか「オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ」のイントロが始まり、舞台上に並んだ紅組歌手の後ろから舞台前方に飛び出してきた彼女だったが、今度はバグパイプの音が大きすぎて伴奏が聞こえなくなったようで、あわててバックバンドの音が聞こえる所まで引き返し、しばらくしてから戻ってきた。
- 紅組応援のため、「アヒル占い」と称して、籠から放たれたアヒルが向かった方が勝ちという余興をやった。
腹を空かせたアヒルを紅組側にエサを用意しておびき寄せる予定が、舞台裏で腹を空かせて鳴くアヒルに誰かがエサをやってしまったらしく、満腹のアヒルは舞台上ですんなり紅組側へは行かず、白組応援団長の三波伸介がさりげなくアヒルを追い払う形で紅組側へ向かわせていた。
- 身重の森山良子が出場。
この時、お腹にいたのが第54回(平成15年)に初出場を果たす森山直太朗。
第27回(昭和51年)
- 通算716本のホームランを達成したプロ野球選手の王貞治が白組の応援ゲストとして登場。
俳優・草刈正雄が投げるボールを客席に向かって打ち込むことに。
金属バットでボールを打つような効果音と、白組司会の山川静夫アナウンサーの「大きい、大きい…。ホームラン!」という実況を入れる段取りだったらしいが、ボテボテのゴロになってしまった。
それでも台本通りにホームランの実況をした山川アナに対し、紅組司会の佐良直美は冷たく「ゴロのホームランなんて初めて見ました。」
- 初出場の田中星児は緊張のあまり間奏部分で舞台前方に出る段取りを忘れ、舞台中央で歌い続けた。
このため、バックのスクールメイツは窮屈そうに踊っていたらしい。
- 紅組の応援にはアグネス・ラムが登場し、「アカグミ ガンバレ」とたどたどしい日本語をしゃべったり紅組出場歌手によるラインダンスにも参加したが、次の年から白組の加山雄三の応援として何回か登場することになる。
- 紅組若手歌手総出によるラインダンスの次の紅組歌手(ラインダンスの直後は森進一で、その後)として歌ったのは八代亜紀。
この時紅組歌手としてステージ上にいたのはラインダンスに参加しなかった都はるみ、水前寺清子、和田アキ子のわずかに3人。
3人だけで懸命に応援していたが、歌が終わるまでにいち早くラインダンスから戻り、応援に間に合ったのはいしだあゆみ、そして森昌子。
いしだあゆみの着替えの素早さには和田アキ子もびっくり。
第28回(昭和52年)
- 芸能界で大麻事件が続出し、前年出場歌手の中にも逮捕者が出た。
そこで例年なら紅白各1組の補欠を10組用意したらしいが、繰り上げの出場はなかった。
大麻を持っていそうな出場歌手が10組もいたのだろうか…。
- 第19回の水前寺清子にばかり気を取られていたが、この年選手宣誓をした森昌子も「昭和さんじゅう…」と言っていた。
- 3回連続の出場となったキャンディーズは翌年に解散が決まっていたが、NHKは特別待遇にするどころか3回の出場の中で一番短い歌唱時間。
いや、これも特別待遇か。
- ちあきなおみの個性的な歌と曲に対し、白組司会の山川静夫アナウンサーは「なんとも気持ちの悪い歌ですね。」とコメント。
第29回(昭和53年)
- 庄野真代の曲紹介で和田アキ子が何か言う予定だったが、時間がなかったのかきっかけを間違えたのか紅組司会の森光子がしゃべった後すぐに曲へ行ってしまい、ただ立っているだけだった。
- 時代の最先端だったニューミュージック系として世良公則&ツイスト、庄野真代、さとう宗幸、サーカス、原田真二、渡辺真知子が初出場。
曲順も6組がまとめられ、最後の渡辺真知子が歌い終わったあとで全員が舞台上に集合し、審査員の北の湖関や岩下志麻が感想を述べ、最後に6組が審査員に向かってお辞儀をするという変な演出。
- 庄野真代の「飛んでイスタンブール」に登場する「ジタン」(たばこの銘柄)や、山口百恵の「プレイバック Part 2」に登場する「ポルシェ」(車を表す時にも使われる社名)は、それまでNHKの歌番組では歌詞を変えて歌われていたが、歌合戦では歌詞の変更なしで歌われた。
第30回(昭和54年)
- 「夢追い酒」の大ヒットで初出場を確信した渥美二郎は、婚約者のために紅白観覧希望のハガキを100枚出したが、当たらなかったらしい。
ちなみに、この年の倍率は約51倍(ウィキペディアにはもっと倍率高かったと書かれているような)。
- 当時の歌合戦では、歌うときの衣装は本番まで秘密にしている歌手も多かったらしい。
ジュディ・オングは大ヒットした「魅せられて」を歌うため、お決まりの真っ白でサビ近くから両手を広げる衣装ということはわかっている。
それでもいつもとは違うようにしたいと思ってスタイリストに相談したところ「棒を使って実際の腕の長さ以上に大きくしましょう」という提案。
自宅で棒を持ってトレーニングに励み、本番前カメラマンに「引きで撮ってください。
大きくなります。」とこっそり伝え、棒込みで幅3mに大きく衣装を開いたジュディ・オングには、客席よりもステージの後ろにいた紅組歌手からの歓声の方が大きく聞こえたらしい。
- 研ナオコが歌の入りを間違えイントロ途中で歌い始めたため、そばでピアノを弾いていた世良譲はちょっとびっくり。
- 歌詞が社会問題にもなった「関白宣言」の大ヒットにより、さだまさしが初出場。
歌詞を削らず5分ほどのパフォーマンスとなった。
当初は歌詞を削る予定だったらしいが、美空ひばりが歌詞を見て「この歌詞は削れないわね。」と発言したため削られなかったとか。
そのしわ寄せだろうか、渡辺真知子や角川博は1ハーフで歌唱時間は1分40秒程度。
ほかにも間奏なしの1ハーフで2分ちょっとの歌唱時間で終わる歌手が何組か。
- 応援ゲストの桂三枝が野球選手に扮して登場。
大きな風船型のボールを打とうとしたらボールが割れて空振りという段取りだったが、バットがボールに当たるタイミングの方が早く、ボールは割れずにステージ上に転がった。
桂三枝はうろたえ、観客には何がオチなのかわからないまま番組は進行。
- 特別出演という形で、藤山一郎、美空ひばりがメドレーを披露。