歌合戦:できごと2
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第11回(昭和35年)
  -   当時アメリカで活動していたため出場しなかった雪村いづみが、交際中だったミッキー・カーチス宛てにアツアツの電報を打ったらしい。
  
-   大津美子はブラジル旅行の疲れが出て病気になってしまったが、1コーラスだけでも、歌えるところまで歌ってみようと「東京ドライブ」を本当に1コーラスだけ歌った。
      時間は1分3秒ほど。
第12回(昭和36年)
  -   第1回からずっと出場歌手に選ばれていた松島詩子が落選。
      涙を流して悔しがったらしい(二葉あき子という意見あり、未確認)。
  
-   この年から第23回(昭和47年)までは会場が東京宝塚劇場に落ち着く。
  
-   ゲスト審査員の1人(くどうしょうしろうと聞こえるが、工藤昭四郎?)がカゼのため変更になった。
第13回(昭和37年)
  -   ダニー飯田とパラダイスキングが初出場。
      当時このグループのボーカルを務めていたのは九重祐三子だったが、男女混合グループの歌合戦出場は前例がなかったため、九重祐三子抜きでの出場となった。
      なお、九重佑三子の初出場は第15回(昭和39年)。
  
-   西田佐知子がセンターマイクで歌う予定のところをサイドマイクで歌ってしまい、カメラマンとぶつかったらしい。
第14回(昭和38年)
  -   当時数々の無差別爆弾テロを行っていた「草加次郎」を名乗る者から、「紅白の会場(この年は東京宝塚劇場)を吹っ飛ばす」という脅迫状がNHKに投げ込まれたらしいが、大事には至らなかった。
  
-   現在NHKに現存する最古の完全版の映像がこの年なのは、爆破予告と関連して、実際に爆発があったときに、「証拠として警察に提出できるように生放送を記録していた」という説や「映像を差し替えられるように、事前に録画していた」という説がある。
  
-   坂本九は感極まったような表情で「見上げてごらん夜の星を」を熱唱。
      実はこの年会場となった東京宝塚劇場の表で衣装を11着盗まれ、残ったたった1着の衣装を着ての出場となったため、ブルーだったとのこと。
  
-   植木等が「どうしてこんなにもてるんだろう」を1コーラス歌った後、ハナ肇とクレイジーキャッツの他のメンバーも登場。
      メンバー全員で「ホンダラ行進曲」を歌った。
  
-   ナベプロの三人娘(中尾ミエ、園まり、伊東ゆかり)も三人一組で出場したが、歌は別々に持ち歌を歌った。
  
-   翌年が東京オリンピックだったため、最後に全員で「東京五輪音頭」を歌った。
第15回(昭和39年)
  -   第15回を記念して、第1回トリの渡辺はま子と藤山一郎、出場回数の多い淡谷のり子と伊藤久男が返り咲き。
  
-   東京オリンピック開催の年だったからか、タイトルの東京の入った歌唱曲が3曲(西田佐知子の「東京ブルース」、新川二郎の「東京の灯よいつまでも」、坂本九の「さよなら東京」)。
第16回(昭和40年)
  -   伊東ゆかりは間違えてサイドマイクで歌おうとするが、歌入り直前に気付きあわててセンターマイクへ移動。
  
-   和田弘とマヒナスターズは、田代美代子とのデュエットでヒットした「愛して愛して愛しちゃったのよ」を田代美代子抜きで歌った。
      「愛しちゃったのよ」と歌う度に紅組からやじが飛び、かなり困った様子。
      なお、田代美代子の初出場は翌年の第17回(昭和41年)。
  
-   初めてトリをつとめた橋幸夫はノリノリの曲で、ダンサーが回りで踊っているだけでも窮屈そうだったが、そのうち白組歌手、応援ゲストも踊り始め、舞台は非常に混雑した。
  
-   平成23年、NHKの音楽倉庫からこの年の歌合戦を記録したビデオテープが発見された。
      すでに存在が確認されているモノクロで全編収録したもの、途中からであるがカラーで収録されているものとは別で、番組放送前から収録されているカラー映像であり、カラーの完全版かと期待されたが、残念なことにところどころがカットされたものだった。
      どういう意図で編集されたものが作られたのかはわかっていない。
第17回(昭和41年)
  -   ジェンカのメロディに歌詞をつけた坂本九の「レッツ・キッス」では白組出場歌手がジェンカを披露。
      2番に入り歌詞を間違えた坂本九は照れ隠しのためか、しばらく歌唱そっちのけでジェンカを指導した。
  
-   マイク眞木がセーターにGパンという普段着で歌ったため、抗議の電話が殺到したらしい(なんでやねん)。
第18回(昭和42年)
  -   当時テレビドラマ「コメットさん」のヒロインとして人気者だった九重祐三子が紅組司会。
      「司会をすると、その後(精神的、肉体的な疲労で)倒れる」と言われていたが、倒れるどころかますます元気になったらしい。
  
-   当時人気絶頂のタイガースのコンサート会場で、将棋倒しになったファンが多数負傷する事故が起きたことがきっかけとなり、グループサウンズに対する風当たりが強くなった。
      このため、前年から出場していた兄貴格のジャッキー吉川とブルーコメッツ以外は出場を見送られたらしい(タイガースの歌合戦出場は第40回(平成元年)まで待つことになる)。
  
-   初出場した美樹克彦はヒット曲「花はおそかった」を歌唱。
      2コーラス歌って、最後に涙を流すのがお決まりのパフォーマンスだったが、歌合戦では2コーラスよりも短くする必要があったため、最初からテンションを上げて泣きそうな顔で歌唱したらしい。
第19回(昭和43年)
  -   選手宣誓で紅組司会の水前寺清子が「昭和43年」を「さんじゅう…」と言い間違えた。
  
-   ピンキーとキラーズのピンキーこと今陽子が会場に向かう途中階段で足を捻挫したらしい。
      その時、付き人に湿布を取りに行かせるなど世話してくれたのが美空ひばりだったとか。
  
-   前奏、間奏にためいきを入れる青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」が大ヒット。
      歌合戦でも歌うことに。
      しかし当時のNHKのお固い雰囲気に配慮してか、本人の意思で(NHKからの要請という説もあり)ためいきは入れなかった。
      そのかわり女性出場歌手がためいきを入れるタイミングでカズー(アフリカ発祥の笛のような楽器)を吹いて音を出していた。
第20回(昭和44年)
  -   前年出場歌手の中で最多出場回数だった江利チエミが落選。
      落選の理由はヒット曲がなかったからとも、歌唱力が落ちたからとも、NHK幹部が「チエミの『さのさ』も聴き飽きた」と発言したからとも言われている。
  
-   この年から、レコード大賞が大晦日の生放送となる。
      当時はレコード大賞が帝国劇場、歌合戦が東京宝塚劇場とどちらの会場も日比谷にあった。
      第24回から歌合戦の会場が渋谷のNHKホールに移ったため、レコード大賞の会場から歌合戦の会場まで車が猛スピードで走ることになる。
  
-   レコード大賞授賞式に出席していた弘田三枝子と美空ひばりは、東京宝塚劇場へ向かうため、帝国劇場で待っていた車に飛び込んだが、運転手はきょとんとした表情。
      別の歌手を乗せる予定の車に乗り込んでしまったらしい。
  
-   「ブルーライト・ヨコハマ」のミリオンセラーでいしだあゆみが初出場。
      緊張のあまり、「早く歌って早く終わりたい」と指揮者にテンポを上げるよう頼んだらしい。
      その結果イントロの時間が短くなり、ロングドレスなのにマイクに駆け寄る形になるわ、歌の方も本人曰く「歌いにくかった」とのこと。
  
-   同じく初出場の奥村チヨは大ヒット「恋の奴隷」の歌詞が一部問題となり、NHKでは放送禁止に。
      NHKは問題となった部分の歌詞を変更することを条件に歌唱を許可すると持ちかけたが、奥村チヨは断って別のヒット曲である「恋泥棒」を歌った。
  
-   佐良直美が歌唱曲である「いいじゃないの幸せならば」の中の歌詞「あの晩、あなたに抱かれた私」の部分を歌いながら坂本九に近づいたため、坂本九は、「ウソウソ」と言いながら大汗をかいていた。