山の雑記帳 21

 お久しぶりです  2000.04.04 記

 富士の見える北限の山 2  2000.04.24 記

 言い訳 ? 愚痴 ?  2000.05.11 記

 こむらがえり  2000.05.18 記

 雑感を少し  2000.05.25 記


お久しぶりです  2000.04.04 記

今年の花粉飛散状況は大変なものらしく、 従って花粉症である私も鼻はグズグズ、 目は痒い といった最悪のコンディションである。 おまけに痒い目をこすりすぎたためか、 今度は目にバイ菌が入り、 3日程 右目に眼帯をはめて過ごさねばならなくなってしまった。

この、片方の目だけで過ごすというのは大変に疲れるもので、会社でパソコンを使う作業や文書を読む作業は普段の倍以上の疲れを感じるし、 また 通勤時でも右側が死角となっていることから 人混みの中を歩くのが大変恐ろしく、 従って家に帰った頃には疲れ果ててしまい、 家でパソコンに向かう気力は全く湧かない状況であった。

その結果、この 1週間、ホームページの更新は ゼロ という状況とあいなり、この間、何回も訪れて戴いた方には大変申し訳なく思う次第である。

ところで、 季節は完全に春となり、 私の家の近くの海軍道路の桜も満開に近い状態でなっている。
このような季節の変わり目になると、 身体の中に何となく汚い老廃物が溜まっているような感じがして、 山で思い切り汗をかいてスッキリしたい気分になる。

ただ、金曜日まで片目の生活であったため、この週末に山へ行くのは難しいかと思ってあきらめていたところ、幸い土曜日には目の方もスッカリ回復してくれたので、 日曜日、一汗かくべく急遽 山に出かけることにしたのであった。

しかしここで困ってしまったのが行き先である。
もう春であるから少しハードな山に挑戦してみても良いのだが、 このところどういう訳か食欲が大いに増して 身体がかなり肥満気味となっており、 実際 身体も大変重く感じられることから、 現状ハードな山に登る自信は全くなく、 また遠出する気力も湧かない状態で、 結局、汗をかくことができればどの山でも良いということで、 近間の山に登ることにしたのであった。

そして、近間で手頃な山というとすぐ丹沢山塊が思いつくのだが、丹沢はもう登り尽くした感があるし、また丹沢に登るのであるならば ピストン登山を余儀なくされる車のアプローチではなく、 出発地と下山場所を任意に選べる バスを使った方が面白いということで、 今回は丹沢を却下し、 最終的に 先日登った菰釣山鳥ノ胸山の北側に位置する 道志山塊に決めたのであった。

ただ、道志山塊のデータは手元にほとんどない状態で、わずかに手元にある昭文社の地図 「丹沢」 の北側部分にルートが書かれているのが 今回唯一の頼りであった。 しかし、残念ながらこの地図には コースタイムなどが全く書かれていないのである (コースタイムなどは、同じ昭文社の地図 「高尾・陣馬」 の方に記載されているとか・・・)

実は、もっと良く調べれば、山と渓谷社の 「マイカー登山・ベスト周遊コース」 に、今回登った道志山塊のルートについての解説が書かれていたのだが、 準備したのが夜遅くだったこともあってこの時は気が付かず、 地図だけを頼りに登るつもりで出発したのであった。

登った山は、 結果として朝日山 (別名 赤鞍ヶ岳)、菜畑山、今倉山となったのだが、 当初は朝日山の東方に位置する赤鞍ヶ岳 (別名 ワラビタタキ) に登り、 そこから朝日山、菜畑山と縦走して下山するつもりであった。
しかし、中途半端な地図しか持っていかなかった報いで、 赤鞍ヶ岳の登山口である大栗 (先日登った菰釣山へのアプローチに使った国道413号線沿いにある) からの登山口が分からず、 結局 大栗より先にある道志村役場まで行って、 そこから朝日山の方に登ることに急遽ルート変更したのであった。

この道志村役場の方でも登山口へのルートが良く分からなかったのだが、午前7時近くになると 通りに人を見かけるようになり、 丁度村役場前にいた地元のおばさん達に道を聞いて、 無事登山口への道を知ることができたのであった (民家と民家の間の軒下を進み、畑の中を行く道であった)

ところで、赤鞍ヶ岳 (ワラビタタキ) というのは、地図上では朝日山の東方にしっかりとその存在が記されているのだが、 地元では 朝日山を完全に赤鞍ヶ岳として公認しているらしく、 道標に朝日山という山名は一切見られず、 全て赤鞍ヶ岳となっていたのが大変面白く感じられた。

確かに、先に述べた地図でも朝日山の横にカッコ書きで 赤鞍ヶ岳 と書かれているし、その東側にある山にも赤鞍ヶ岳と記されているのである。 同じ名の山が近くにあることはそう珍しくないが、 このように隣り合っているのは珍しい気がする。
ちなみに、 例の日本山名総覧 で調べると、 赤鞍ヶ岳 (ワラビタタキ) の方は載っておらず、 朝日山 (赤鞍ヶ岳) だけが記載されていた。

なお、登山の詳細は近日中にUPする登山記録の方に書くが、 正直言って重い身体には大変キツイ山登りであった。 普段なら何の問題もないようなルートであったのだが、 身体が大変重く、 最後まで調子が上がらないままだったのである。

また、朝日山から岩戸ノ峰、ブドウ岩ノ頭を経て菜畑山へと進むルートは、見た目以上に起伏が激しく、折角の高度を半分以上吐き出してから登り返す といった状況が続き、 この日の私には 肉体的にも精神的にも結構応えるものであった。

従って、あまりにも調子が悪いものだから 菜畑山の頂上に着いた時点ではこのまま下山する気でいたのであるが、時間を見るとまだ 10時半、 このまま下山したら恐らく 12時前に帰途につくことになる訳で、 身体の方はこのまま下山することを強く望んでいたものの、 頭の方がそれを許さず、 菜畑山頂上にあった 「今倉山 80分」 の標識を見て、 「今倉山に向かえ」 という指令を頭の方が下したのであった。

ただ、身体の方が大変嫌がっているのでかなりの葛藤が生じ、菜畑山頂上で食事をしながら迷うこと 20分、結局は自己のプライド (ええ格好しいとも言う) が勝って、 今倉山へと向かうことにしたのであった。

尤も、プライドだけではなく一応地図を見て 「今倉山までは距離はあるものの、ルート上、先ほどまでの朝日山 − 菜畑山間のような大きな起伏が無い」 ことを読みとった上での決断であった ということを申し添えておく。

実際、菜畑山から今倉山までのルートはそれ程の起伏もなく大変助かったのだったが、意を決して向かった今倉山の頂上は 樹林に囲まれていて展望が利かず、 遠くから見る双耳峰の立派な姿に比べて やや拍子抜けであった。 ただ、この件については後で少し付け加えたい事柄がある。

さて、こうして十分な下調べもなく登った今回の道志山塊であったが、菜畑山も、そして無理して往復してきた今倉山も、 頂上に例の立派な丸太の標柱が立っている 「山梨百名山」 であったことは嬉しいことであった。

先の鳥ノ胸山もそうだったが、何も意識せずに登っていて、登り着いた瞬間 「山梨百名山」 であることを知ると、結構 得をした気になるから不思議である (念のために申し添えるが、 私は 「日本百名山」 は意識しているものの、 「山梨百名山」 については登頂を目的にはしていない)

さて、ここまでダラダラと書いてきたが、 今回の登山で 3つ程 「感じたこと」、 「反省させられたこと」 がある。

1つ目は、 コースタイムを事前に知っているのとそうでないのとでは、 全く登山が変わってくるということである。
今回は身体の調子が悪かったこともあるが、 ある程度の目安がないとペース配分が分からず、 結構疲れることを知った次第である。

2つ目は、 コースタイムとともに事前に ある程度のコース概要は把握しておく必要がある ということである。
今回 双耳峰である今倉山の西峰から、 御正体山富士山の展望が得られるということを全く知らず、 三角点はあるが展望の利かない東峰だけを踏んで下山してしまい、 後で大変悔やむことになったのであった。

3つ目は、 怒りを感じたことであるが、林道のことである。
今倉山を往復した後、 菜畑山から下山したところ、 10分程斜面を駆け下りた所で 林道の終点にぶつかることになり、 そこには 3台ほどの自動車が止まっていたので ビックリしてしまったのであった。 私の足で下山に 10分程であったから、 この林道終点から登れば 30分ほどで菜畑山頂上に達することになるであろう。 こんなことで "登山である" と言うのでは大変悲しくなる。
ピークハントに過ぎないではないか。

この菜畑山頂上北斜面にはレーダ ? が設置されており、また林道終点にはテレビ中継塔もあったことから、その設置やその後のメンテナンスのために作られた林道 と思うが、 それはそれで仕方がないとしても、 一般車両まで入れるようにしなくても良い と思う。
やはり最低 1時間は登らねば登山とは認めたくない という心境である。
人がどのような登り方をしようが勝手であり、 こんなことに目くじら立てる必要はないことは 重々承知しているのだが、 スポーツとして登山を捉えている私としては、 何となく登山を冒涜されているような気がしてしまう。
やはり、 ある程度登山らしさを保つための歯止めは欲しいものである。


富士の見える北限の山 2  2000.04.24 記

このところ家でパソコンに向かう時間が極端に減ってきている。
どうやら、 我がパソコンライフも倦怠期に差し掛かっているようで、 会社から帰宅後は あまりパソコンに触る意欲が湧かないのである。 もっとも、 会社では四六時中パソコンの前に座っているのであるから、 パソコンに対して少々食傷気味になるのも仕方がない気もするが、 この頃はメールをチェックし、 少しインターネットをやって それでお終いという感じである。

さらに悪いことに、ホームページの更新にも意欲が湧かず、従って我がホームページもご存知の通り更新が滞っている状況である。
こんな状況を切り抜けるには、 やはり山に登って刺激を受け、 その刺激されたこと (感動もあるかもしれない) を多くの人に伝えたいと思うようになることが一番だと思うのだが、 ここ 2、3回の山行の状況ではそれも難しい気がする。 登った山域がほぼ同じであることから、 登山道の状況も似通った感じであり、 また頂上などから眺める景色もほぼ同じな訳で、 これでは感動も薄れてしまうからである。 また、登った山も低山であるため、 途中でのスリルやサスペンスを期待したり、 身体に対するハードさ を期待することも難しい訳で、 いわゆるマンネリ登山になっている気がする。
今は春たけなわ、 少し違ったパターンを求めて遠出をせねば と思うこの頃である。

と、頭では考えているものの、 4月2日に赤鞍ヶ岳、菜畑山、今倉山に登った後、 翌週の 4月8日にも山に行けるチャンスがあったのに サボって ? てしまったのが痛く、 その後、4月15日は雨、 そして今週も週末は天気が悪そうだったことから 結局このままゴールデンウィークに突入してしまいそうである (実は土曜日は結構良い天気だった)

人が多いゴールデンウィークは遠出を避けたいが、やはりこの閉塞感を打破するために、少々無理をせざるを得ないであろう。


さて、話は変わるが、以前この 「山の雑記帳」「富士の見える北限の山」 について書いたことがある。 その理論上北限とされていた (「カシミール」 や 「パソコン山望」 などの コンピュータ山岳シミュレーションソフトでの計算結果) 福島県の日山 (ひやま 1,057m) から ついに富士山の姿を確認することができたようなのである。

新聞発表されたのが 1月末というからいささか古新聞であるが、私としてはこのニュースを知らず、たまたま 「富士の見える北限の山」 の結果がどうなったのかと ふと思い出して調べてみて この結果を知った次第である。
詳しくは地元の福島県 岩代町のホームページ をご覧戴きたいが、 日山の標高に因んだ 105,760円の懸賞金をかけて写真募集まで実施されていたこの 「富士山の見える北限の山」 を実際に証明するイベントは これにて一件落着のようである。

岩代町ホームページの記事によれば、撮影に成功したのは郡山市に住む鈴木一雄さん (44歳) で、この平成12年1月10日の夕暮れ、 日没から約10分経過した後、 赤く夕日に染まる南西の空に富士山の姿を発見して、 シャッターを切ったのだそうである。

鈴木さんは 5年前から日山からの富士山撮影に挑戦し続け、そのトライ回数は 30回以上に及び、そしてその執念が実って、 ついに撮影に成功したのだということである。
岩代町のホームページには その証拠写真も掲載されているので是非ご覧頂きたい。

もっとも、その拡大された証拠写真を見ても私のパソコンのモニターの解像度ではあまり良く見えないのだが、確かに 遠くに見える山の連なりと雲との空間に 富士山らしき三角形が見える。 ぼんやりながら山の色は白く見え、 あきらかに手前の山々とは違いを見せている。 確かに富士山に違いない・・・・・・。

こういう話はなかなかロマンを感じさせるものがあって私は好きなのだが、やはり対象が富士山というところがなかなか良い。
前にも述べたが、 私は山の頂上に立つと富士山が見えないものか と探してしまう習性があり、 これは富士山が見えるはずもない九州の山でもそうであった。
山と言えば富士山 登る山としてはあまりお勧めできないが、 眺める山ならやはり日本一であろう。 それだから 「富士の見える北限の山」 が 日山 であることが証明されたという今回のニュースは 嬉しいものであった。

ちなみに、南限、東限、西限 の山については、同じ岩代町のホームページに出ていて、そのうち写真で確認されたものは 下記の通りだそうである。

 富士山からの方角名 称富士山からの距離
1南西 (235°)妙 法 寺(  749m:和歌山)323km
2南西 (236°)大雲取山(  966m:和歌山)320km
3北東 (35°)日  山 (1,057m:福 島)299km
4西南西 (237°)長 尾 山(  782m:三 重)295km
5西南西 (238°)矢ノ川峠(  808m:三 重)280km

田代博著「富士山展望百科」から出典

しかし、これで決定ということもあるまい。
さらに意外なところから富士山が見えることが確認されるのを楽しみにしたい。


言い訳 ? 愚痴 ?  2000.05.11 記

遂に 2週間以上の長きに亘ってホームページの更新をサボってしまった。
ホームページを開設して以来 3年になんなんとするが、 これほど更新を怠ったことは初めてのことで、 何か悪いことをしているような気分である。 そしてさらに我が胸を痛めさせるのは、 この 2週間の間にも カウンターの数字はそれなりに上がり続けてくれていたことで、 我がホームページを訪れてくれては 更新が滞っていることで裏切られた思いをされた方々に対し、 本当に申し訳ない気持ちで一杯である。

このサボりの原因は、前回の山の雑記帳で触れた通り パソコン倦怠症 ? で、私の場合、どうやらその症状は かなり重いようである。 本当に 家に帰ってからパソコンを触る気がしない状況が ずっと続いているのである。

加えて、山の方も 4月2日以来サボっていることもこの症状に拍車をかけており、ホームページに書くネタがない状況が続いている。
少し前までは ホームページを更新せねば という義務感というか強迫観念にも似た気持ちを持っていたことから、 無理をして何か書き込んでいたようなところもあったのだが、 今は書くネタがないことを自分に対する言い訳にして、 全く更新する気になれないのである。

昔は 「山と渓谷」「岳人」 といった雑誌を買っていたので、山に関する情報もそれなりに捉えていたのであるが、 今は自分で山に行った際に感じたことや、 新聞などのニュースにおいて目に止まった事柄くらいしか ネタの入手先が無い訳である。 従って、 この状況をうち破るには 頻繁に山に行くしかないのである。

ところが、山に行くことも億劫に感じることが年に数回あって、今がその時期に当たっているから始末に悪い。
このゴールデンウィークも、 折角山に行くチャンスがあるのに、 やれ、ゴールデンウィーク期間中だから道路が渋滞するだとか、 どこも人で一杯だとかいったことが頭に浮かび、 なかなか山に行く気になれなかったのである。

それでもこの 5月6日 山に行ってきたのは、ホームページの更新をするためには、山に行く必要がある と強く思ったからで、 これでは本末転倒である。

山に行った当日の朝も、 4時に目覚めたにもかかわらず なかなか布団から抜け出す気が起きない状況が続き、 ようやく支度をして外へ出てみれば、 空一面を雲が覆っているという状況で、 全くテンションが上がらない。

また、中央自動車道を飛ばすと 見え始めた奥秩父の山々は、頂上付近がガスに隠れており、ますます気持ちを萎えさせる状況である。しかし、 面白いモノで、 一旦登り始めてしまえば全ての雑念は消え、 やはり登山は良いモノだと思うようになるのだから不思議である。

どうも、私の登山スタイルは、昔のディーゼル車と同じように、「始動しにくいが一旦動き出すと馬力がある」 といった傾向があるらしい。

そうそう、 登った山は乾徳山とそしてその北に位置する黒金山である。
実は、登山に対するテンションが上がらないこととともに、 ここに来ての身体の肥満具合はちょっと無視できないものがあるため、 急登を強いられる山は自信がなく、 適度な山を選んだ次第なのである。

と言っても、乾徳山、黒金山は、私にとっては昨秋の 燧ヶ岳以来の 2,000mを超す山となる訳で、それなりに嬉しさ、 達成感は得られたのであった。
そして、登山路は少々長いものの急登はほとんどないため、 大きく息を切らすこともなく登り切ることができたことから、 この選択は正解であったと思う。 今後、徐々に身体を元に戻していき、 今年の夏は頑張りたいと思っている。

ところで、この乾徳山は今回で 3回目の登山となるが、 展望が良かったのは第1回目だけで、 後の 2回はガスや雲に覆われ、 頂上から 富士山を初めとする素晴らしい展望を拝むことが出来ないでいる。

それでもどうにか今回は乾徳山頂上から黒金山の姿を捉えることができたのだが、国師岳や北奥千丈岳や甲武信岳などは半ば霞んでいるような状況で、 これまでずっと晴れが続いていたゴールデンウィークの中で、 登山に選んだ日のツキの無さを呪った次第である。
とは言っても、 黒金山頂上からは正面に対峙する北奥千丈岳や国師岳の姿が素晴らしく、 久々に登山の楽しさを味わい、 次の登山への意欲も湧いてきたのであった。

特に私を喜ばせたのは、黒金山からの下山路である。 大ダオ経由の道は残雪が結構あり、しかもササが多く茂っていて道を分かりにくくなっていて、 所々に付けられたテープだけが頼り というなかなか面白いものであった。
この久々の登山によって高揚した気分が治まらないうちに、 早く次の山に登るべきであろう。
そうすればホームページの更新も進むというものである。


ところで、話はガラリと変わるが、先日の朝日新聞に大峰山の女人禁制解禁に関する話が載っていた。
女人禁制を解いても良いのでは という山側の意見に対し、 信徒から猛反対が出ているとのことで、 なかなか興味深い。

私自身は純粋な登山に対しては男女の区別があってはならないと思っているが、そこに宗教が入ってくると何とも言えない というのが本音である。
弥山から大普賢岳を経て山上ヶ岳へと向かう途中、 登山道の先に女人結界門を見た時には 少々身の引き締まるような感じを抱いた記憶がある。
門の横にある看板に、 「religious reason により女性は入ってはいけない」 と英語で書いてあったのが大変印象的であった。

女人結界に入ってからは、小笹宿など宗教色が濃い場所が多くなり、大峰山寺や宿坊、そして鐘掛岩などのいくつかの修行のための場など、 宗教的には大変興味深いものがある。 しかし、純粋な登山として考えた場合、 女人禁制である山上ヶ岳は魅力に乏しいのではないかと思う。
事実、山上ヶ岳頂上は登山者向け ? には出来ていない寂しいものであった。

登山の対象としての大峰山はむしろ山上ヶ岳の周囲の方が魅力的で、天川川合から弥山、八経ヶ岳、行者還岳、大普賢岳を縦走することで 十分な気がする。 しかし、この考えは、 山上ヶ岳を登ったことのある "男性" だからこその奢りなのかもしれない。

山上ヶ岳は大峰大橋側から登れば大変楽であり、 途中に鐘掛岩など面白い修行の場も有るので、 女人禁制を解けば信徒の方々が反対している理由の一つである 観光地化してしまうことは避けられないであろう。
ただ、そうなることが "女性" を入れたがために起こる という論理もおかしい気がするが・・・。


こむらがえり  2000.05.18 記

先週の土曜日 山に行こうと決めていたのだが、結果的に行くことができなかった。
天候が雨模様だったこともあるが、 実はその前々日の木曜日に酒を飲んだところ、 体調が悪かったのか 悪酔いをしてしまい、 深夜まで "便器" を抱きかかえる状態になってしまったからである。 しかし、これだけなら翌日の金曜日 1日で何とか回復することも可能なのだが、 金曜日の朝 起きようとすると足がつって、 いわゆる 「こむらがえり」 の状態になってしまい、 この後遺症 ? が結構厳しく、 結局 翌日の登山を断念したという次第である。

この 「こむらがえり」 というのは経験した人でなければ分からない痛さで、足がつっぱったまま思うように動かない上に、 ふくらはぎに電気ショックを与えられて筋肉が引きつったような 激しい痛さを伴うのである。
「こむらがえり」 が起こったら、 足のつま先を膝の方へ向けて折り、 ふくらはぎを伸ばしてやると良い とは聞いていたので、 とにかく痛いのを我慢しながら足首を折ると、 どうにか つった状態からは解放されたのだが、 ふくらはぎの方は打撲傷を負ったような感じが抜けず、 その後も再度 「こむらがえり」 を起こしそうな感覚が 半日ほど続いたのであった。

また、普段使わない筋肉を使うと翌日筋肉痛に悩まされることが結構あるが、この 「こむらがえり」 も同じようにふくらはぎの筋肉痛状態となり、 さらに先に述べたように 酒を飲んだ後に嘔吐してしまったら、 これまた普段使わない腹の筋肉が結構使われたらしく 腹筋痛で、 翌日登山する気分はあっという間に遠のいてしまったのであった。

この 「こむらがえり」 についてインターネットで調べてみたところ、「こむら(腓)」 というのは昔の言葉で、ふくらはぎのことをいうのだ ということが分かった。 そして、「こむらがえり」 というのは 足の関節運動を支える筋肉の収縮運動のコントロールの乱れ によって起こるものだそうである。

この足の筋肉の収縮運動というのは、脳・中枢系からの運動指令と筋肉運動を外部状況にうまく適応させようとする筋肉センサーからの調整指令 (環境に合わせた関節の動きや、 環境に触れて生じる腱の抵抗などの情報を このセンサーが受け止めて、 筋肉収縮運動の調整指令を出す → 負のフィードバック指令) との両方によってコントロールされているが、 これらの指令系に変調が起こると、 筋肉を伸ばす指示が適切に伝えられず、 「ふくらはぎの筋肉が勝手に収縮を起こす」 → 「自分でコントロールできない」 → 「収縮し続ける」 → 「非常に痛い」、 といった 「こむらがえり」 状態に陥るのだということである。

こうした状態を招く誘因としては、精神的緊張や、発汗過多・脱水などによる電解質異常 (血清カルシウムやマグネシウムなどの異常) などがあり、 私も炎天下のゴルフの際に 「こむらがえり」 を起こした人を何人か知っている。

また、プールや寝具の中などでもよく 「こむらがえり」 を起こすそうで、この場合は、外部環境からのフィードバック情報が 通常と違っていることがかなり影響している と考えられのだそうである (冷たいプールの中では、 筋肉センサーの感度も低下する)

この他注意しなければならないのは、肝臓病があると 「こむらがえり」 を起こしやすくなるということだそうで、肝硬変患者の 70%近くが、 1ヶ月に 3回以上 「こむらがえり」 を起こす という統計もあるそうである。 従って、 普段から 「こむらがえり」 をよく起こす人は、 一度肝臓の詳しい検査を受けてみるとよい とのことであった。
・・・・・・・・・・・・・・・ [健康づくり 1994年9月 からだ−なぜなるの ?] より

まさか私が肝臓疾患を抱えているとは思えないから、 前日に酒を飲んで身体に無理をし、 また脱水状態に至ったことがこの 「こむらがえり」 を起こしたのであろうと思われる。

この 「こむらがえり」 が山で起きるとは思わないが、上述したように 「こむらがえり」 の誘因に、発汗過多や脱水があげられており、 また筋肉センサーの感度が低下する寒い環境などは 山でも起こりうる状況であるから、 少し気を付けねばならないと思った次第である。

運動中の水分補給は "悪 (多少 根性論も見え隠れするが・・・)" と聞かされて少年時代を過ごした私は、登山を始めた頃 極力水を飲むことを避けていたのだが、 今は水の残り量が少なくて節約せねばならない場合を除いて、 飲みたい時に水を飲むようにしている。
しかし一方で、 快調に歩いている時はザックをおろして水筒を取り出す という所作が大変面倒に思われ、 飲みたいのを我慢して進んでしまうことも多く、 これから暑い夏を迎えるにあたっては 無理は禁物と心に銘じておかねばならない。

「こむらがえり」 だけではなく、 山での怪我、病気は私のように単独で歩いている者にとっては 大変怖いものであるが、 幸いなことにこれまで大きな怪我、病気をしたことはない。
赤石岳からの下山時、 景色に見とれて転んでしまい、 しかも首からぶら下げているカメラを庇うべく手をカメラにあてがったため、 腕から倒れ込んでしまって腕から血を出してしまったが、 これとて大したものではなく、 荒川小屋の冷たい水で傷口をきれいに洗い、 ハンカチを巻いてお終いであった。

小屋泊まりやテント泊はそれ程の数を経験しておらず、サンプル数としては少ないため大仰なことは言えないが、今のところ幸いにも 体調を崩したことはなく、 疲れも一晩寝れば大体とれている。 むしろ、平地の方が病気や体調を崩すことの方が多く、 やはり 山での緊張感が病を寄せつけないようにしているのであろう と思われる。

山の怪我で一番起こりやすく心配なのが捻挫で、私も時々踏んだ岩などがグラついて足を捻ってしまうことがあるが、 やはり くるぶしより上までを覆っている登山靴の威力であろうか、 歩けなくなるほどの状態になったことはない。 いや、 今までの 40数年の人生を振り返っても 足首を捻挫して歩けなくなったという記憶は全くないことから、 生来足首は丈夫にできているのかもしれない。

単独登山しか行わず、さらにあまり人が多いルートは避けて通る私にとっては、怪我をして途中で歩けなくなったら誰にも気づかれないまま 何日も過ごさねばならない という危険性をいつも負っている訳で、 この危険性は低山と言えども変わらないのである。
先日、 「笑っていいとも」 を見ていたら、 山で遭難し、マヨネーズ 2本で 16日間を凌いだという方が出演していたが、 番組を見ていて 日帰り登山と言えども予備の食料は持っていくべきだ と改めて思ったのであった。
もっとも、 この頃は家族に行き先を告げずに山へ行くことが多く、 無論 近隣の山には登山届を出すところもなく (例えあったとしても 近頃は登山届を提出していないが・・・) 山で怪我でもしたらそれこそ大騒ぎ。 家族も行き先を知らないから、 山で人が来るのを待つしかないのである。
やはりせめて家族には詳しい行き先を残しておくべき とこの文を書いていて反省した次第である。


雑感を少し  2000.05.25 記

山に行けない (行かないが正しい ?) 日が続いている中、 書くこともないので苦し紛れの雑感を少し。

勤め先が神奈川県の平塚から東京の新橋に移ったことによって、 通勤時における読書量がグンと増えた。
我が家からの通勤時間はどちらもほとんど同じなのだが、 前者は途中の小田急線本厚木駅から車に乗っけて貰っていたので、 読書時間という点では 後者に圧倒的に軍配が上がる訳である。

読んでいる本は相変わらずミステリー、サスペンス小説、冒険小説の類であるが、今 読んでいるのはマイクル・コナリーの 「Blood Work (邦題 わが心臓の痛み)」 で、 相変わらずのストーリーのうまさに引き込まれている。

この場で、この本のことに触れておくのは、昨年の 1月にスティーヴン・ハンターの 「極大射程」 を読んで、これぞ 宝島社が年末に出す 「このミステリーがすごい !」 の第一位になるにちがいない と感じていながら 誰にも言わなかったところ (というか この雑記帳で触れておけば良かった) 年末に出された 「このミステリーがすごい !」 では 予想通り見事 海外編の第一位に輝き、 大変悔しい思いをしたからである。
その反省もあって、 この 「Blood Work」 は上位に入るであろう とここで一応宣言しておきたい。

なお、次には トマス・ハリス の 「ハンニバル」 を読むつもりで、1989年に 「このミステりーがすごい !」 の海外編 第一位に輝いた 「羊たちの沈黙」 の続編だけに期待するところ大である。

こうした海外の最新作とともに最近凝っているのは、 北方謙三の一連のハードボイルド小説で、 それまで日本のこういう類の小説は本場物の模倣に過ぎない と勝手に決め込んでいた私にとって、 些かショックを受けるものであった。

気づくのが約 10年程遅い気がするが、逆にかなり後から作者の軌跡を追っていくというのも、作品群の山が目の前に高く積まれているだけに 楽しみがあり、 また作品や 作者の作風の変化に対する評価も確立されていることから、 それが安心感につながっている訳である。 同時代的に作者の作品を追っていくというのは、 次作の刊行までに間が空き過ぎたり、 作風の思わぬ変化に戸惑ったりということで、 ある意味では寂しい思いをすることから、 このように後追いする方が良いのかもしれない。

さて、前置きが長くなったが、 冒険小説やミステリー・サスペンス小説を求めて本屋に頻繁に出入りする中、 フト目に付いたのが 深田久弥氏の 「山頂の憩い − 『日本百名山』 その後」 という文庫本である。

これは、氏が 「瀟洒なる自然」 を出された後、2、3年間の山の紀行文をまとめたもので、副題の 「日本百名山 その後」 はその中の一文である。 この紀行文集は、 作者が自ら紀行文を選んで入稿した 3日後、 例の 茅ヶ岳で急逝されたということであるから、 氏 最後の自選紀行文集ということになるのだそうである。

山としては黒姫山、弥彦山、剣山、駒ヶ岳 (北海道)甲武信岳などが載っている。しかし、この随筆集の中の出色は、先に述べた 「日本百名山 その後」 であり、 そこには山に対する深田氏の考え方が簡潔にまとめられていて なかなか面白く、 また共感できるところも多い。

氏によれば、山の好きな人には 2種類あって、1つは 「登山そのものの困難にぶつかってそれに打勝っていくのを楽しみにする人」 もう 1つは 「易しい山でもいい、 少しでも未知の所へ行きたいという探検家的要素を持った人」 なのだそうである。 私はどちらかと言えば後者であろうが、 前者的要素もないではない (しかし、敢えて冒険をする程の度胸はないのだが・・・)

山の楽しみ方にも、 「激しい山登りを好むタイプ」、「1つの山域に徹底的に拘るタイプ」 そして 「できるだけ多くの山に登ることを好むタイプ」 があるのだそうであり、 氏は 3番目のタイプだそうである。 私も間違いなく 3番目のタイプに属すると思うが、 登山を始めた当初はどちらかというと 2番目のタイプを志向していた。

丹沢に何回も通い、丹沢に精通することを目標としていたところがあり、他の山域に行くなど以ての外という考えが頭の中を支配していた感があるが、 今思うに 些か やせ我慢をしていたという気がしないでもない。
他の山域にも行きたいがそこまでのアプローチの仕方を知らず、 また山の情報も知らず ということで、 その頃は特に山に対して臆病だったこともあって、 一人で見知らぬ山域に足を踏み入れることを恐れていたのである。

その結果、仕方なく丹沢に精通しようとした節があり、毎月せっせと丹沢通いであった。 とはいってもイヤイヤ行っていた訳ではなく、 丹沢の全域地図を調べては色々なコースを組み上げ、 なるべく未知のコース、 未知の山に登るように心懸けていたことを申し添えておく。

しかし、いくら山は四季折々によってかなり様相が違うといっても、主要な山に登ってしまうと後はマンネリズムに陥る訳で、 この状況を打開してくれる切っ掛けになったのは、 前にも述べた 「東京周辺の山」 というガイドブックであった。
これを読んで山へのアプローチの仕方を知り、 登山ルートも知ることができるようになり、 これなら日帰りでも十分可能だ ということを確かめられたので行ってみる気になったのだが、 やはりこれだけでは心許なく、 目指す山域のアルペンガイドを買い、 山域地図を購入したのは言うまでもない。

丹沢以外で最初に登った山は大菩薩嶺で、初めての 2,000m峰ということでかなり興奮した覚えがある。登る途中で眺める富士山や奥秩父の山々は 丹沢からのそれとは明らかに景色が違っており、 また大菩薩峠から大菩薩嶺へと続く山並みの明るさ、 伸びやかさは丹沢にはないもので、 こういった山域を知らずして丹沢に拘ろうとしていた自分を 大いに反省したのであった。

それからは、今までとは逆に丹沢を避けるようにして丹沢以外の山域に行くようになり、その後 「日本百名山」 も知り得て 今日に至っているのであるが、 一方で少々会話を交わすうになった丹沢 塔ノ岳尊仏山荘のヒゲの管理人さんともご無沙汰となり、 結局名前を名のることもなく、 また顔を忘れられてしまうような状態になったのは少々残念である。

しかし、多くの山々に登って、これまで見たこともないような自然の造形美を目にすることができたことは何よりも嬉しいことで、 秋の甲斐駒ヶ岳の美しさ (紅葉と白い岩肌との見事なコントラスト) 霧島山のクレーター群、 稲田が拡がっているような ただただ広い苗場山山頂、 火打山の天狗の庭の美しさなど 感動した山々を上げればきりがない。

このように、多くの山域を歩きたいタイプに属する私にとっては、やはり 「日本百名山」 は良きバイブルであり、素晴らしいガイドブックである。
「百名山」 を目指すことに対して軽薄との非難もあるようだが、 私のように全国の山を知らない者にとっては 大変有り難い指針となるもので、 問題は山を楽しむことを忘れ、 単にピークハントと化してしまうことであろう。

さきの 「日本百名山 その後」 の中で、深田氏は 自著の 「日本百名山」 に刺激を受け、100の頂に登ることを目標とする人が増えている と書いておられたが、 それは 「日本百名山」 が世に出て 7年ほど経った 1971年当時のこと。 その頃から今のような 「日本百名山」 ブームが起き、 人々が 100の山頂を踏むことを目標としていたことに驚かされる。

「日本百名山」 が出て、もう 36年、この間にどれだけの人が 百名山登頂を果たしたのであろう。 私もその歴史ある 百名山登頂者の一人となる日を 心待ちにしている。
ただ、ヒマと金が必要な山域ばかりが残ってしまった現在、 もう少し時間がかかりそうであるが、 百名山以外の山にも素晴らしい山が沢山ある訳で、 焦らず 日本百名山の完登を目指しつつ、 自分の百名山選びもしていきたいものである。


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