橋本康男のひとり言2016年 '01 '02 '03 '04 '15 '06 '07 '08 '09 '10 '11 '12 '13 '14 '15 '16 '17 今年
橋本康男のトップページへ 参考フレーズ集 駄文抄 遊びのページ English Page 広島大学での4年3か月


2016年12月24日
 3連休の中日です。来週で今年の仕事も終わり。最後の週まで,いろいろと続きます。
 来月には63歳になるので,今後の仕事のことも考えなければというところです。まだまだ気分は若いのですがねぇ。
 これまで,「国際」と「地域医療」と「行政の変化」といった分野が主な柱でやってきました。それぞれの分野があまり脈略無しに存在しているようでもあり,つながっているようでもあり…。
 いずれにしても,現役の職業人として仕事ができるのもあとわずかかもしれませんので,大切に過ごしていきたいと思っています。
 メリー・クリスマス♪ 

2016年12月17日
 毎週同じ感想ですが,あっという間に土曜日が来ている感じです。今週は木曜日と金曜日の2回,県北の三次市に行ってきました。一回目は本業での中山間地域の若手医師の勤務環境改善をめざした病院等のネットワークによる研修会,二回目は行革推進審議委員会の会長をしている関係での子どもの貧困や子育ての支援方策の検討会です。三次市は,真面目に意欲的に取り組んでいる行政ですので,職員の皆さんと議論していても張り合いがあります。
 今回は,社会の課題・問題を解決しようとするだけでなく,どんな姿をめざしてどんな方向で取り組んでいくのかを描くことで,市役所内部の関係組織の前向きの連携や,地域や社会の関係組織や人々との連携も生まれてくるものという話をしていました。
 目の前の問題を解決しようとするだけでは,互いに守りに入ろうとしてしまいがちなので,ありたい夢を語りその実現をめざそうとする中で,目の前の課題も避けて通らずにきちんと解決していこうという動きが生まれてくるのではないかといった議論をしていました。
 こんな議論を,市役所のいろんな部署の人たちができるというのが,三次市の強みだと感じています。
 これで年内の個人的な活動は終わりです。紛争復興国などの政府職員研修や保健医療分野と行政職員研修など,いろんな切り口の話を持ち込んでいただけるので学べることも多いと感謝しています。年明けの来月は関東中心に展開する某私大での社会連携の研修にも声をかけていただいています。久しぶりの社会連携の話ですが,最近の経験も盛り込んで新たな切り口を考えてみたいと思っています。

2016年12月10日
 師走とはよく言ったもので,あっと言う間に日々が過ぎています。本業の方も大事な仕事が一つの山場に来ている上に,木曜日には7年ほど前から頼まれている立命館大学のインドネシア政府国家開発計画庁職員と大学教員研修で大阪いばらきキャンパスに行ってきました。昨年からこのキャンパスで研修をしているのですが,次々に新しいキャンパスを作って,しかもそれを学生で埋めているエネルギーにびっくりします。
 まさに,前に向かって無から有を生み出すエネルギーであり,口先だけでない実行力です。
 広島という地にいても,負けないようなエネルギーと実行力を持ちたいものだと思っています。
 そのためには,前向きに取り組んでいる人たちが出会って何かに一緒に取り組む環境づくりと,その実績を発信する力も大切だと思います。
 まったりと漫然と過ごしているだけでなく,何かを生み出していくことにもっとチャレンジしていかなければと感じました。

2016年12月3日
 いつの間にか12月です。めちゃくちゃ忙しい訳でもないのですが,本業と個人的な活動の双方でいろいろとあり,あっという間に時間が経っています。
 昨夜は,本業の方で3年前から取り組んでいる中山間地域の病院や診療所が連携して医療を守る仕組みづくりの会議でした。昼間の診療でお疲れの後に集まられ熱心にご協議いただく姿に敬意です。3年目にして少しずつ手応えが感じられだしたところです。「PDCAで計画的に進行管理を」だけでなく,無から有を生み出すためには,めざす姿に向かってじたばたと模索していく取り組みも大切だと感じています。
 「管理」や「評価」「指導」だけではなく,めざす姿とめざす方向性の共有とそれに基づく多様で根気強い模索こそが新たな価値を生み出すように思っています。
 今見えている成果だけに満足して「進行管理」するのではなく,よりよい社会をめざしてもがいていく方に価値を見出したいと思っています。
 今日は日赤看護大の大学院の授業で来週は立命館大の大阪のキャンパスでインドネシア政府国家計画開発庁職員と大学教員研修,来月にはJICAのアフリカ・コソボ政府職員研修などがあり,その準備にも頭を悩ませています。でも,真剣に取り組んでおられる方々に向き合う幸せも同時に感じています。

2016年11月27日
 研修講師関係は山を越えかけた感じですが,何かとバタバタしています。頼まれごともあれこれあり,なんとなく落ち着かない感じです。
 とはいえ,何かに追われている感じの方が何もないよりは幸せだと思いながら取り組んでいます。
 多様な社会課題への取り組みについての話ですが,教科書的な理屈を並べたり,「こうすればいいんだ」という短絡的な解決策の提示ではなく,多くの人々によるビジョンの共有と納得と意志を元に継続的な解決・改善行動が生まれてくることをめざしていきたいと思っています。
 もう12月です。精一杯やってきたかと反省もあり,今年の残りの日々を大切に過ごしていきたいと思っています。

2016年11月19日
 まだ風邪が少し残っています。そんな中で,あれこれしなければいけないことを少しずつ片づけている状況です。
 今日は午後から,近所にある日赤広島看護大学での大学院の授業なので,その準備に悩んでいます。知識を体系的に説明するほどの蓄積がある訳でもなく,しかもそれなら大学の先生がされればいいことなので,私としては,物事の考え方,課題の整理の仕方,対応策のまとめ方などについて,いくらか貢献できればと思うのですが,これが簡単ではありません。
 長い職業人生活の中で,どうやって課題を整理して関係者・組織と共有して,問題解決行動に持ち込んでいくかについては,人並みには悩んできたつもりですが,いざそれを説明しようとすると,論理的にもならないし,なかなか伝えにくいものです。
 あれこれ考えても,「結局はできるまであきらめずにやるしかないよね」とか「自分の思いを押し付け過ぎずに,まずは話を聞いてやろうと思ってもらうことからだよね」とかいった精神論・根性論の類の話になりかねません。
 仕方がないので,これまでやってきたことの事例の中から,いくらかでも関係のありそうなものを引っ張り出して,一緒に考えていくしかないのかなと思っているところです。

2016年11月12日
 1か月近くにわたって続いた風邪も,ようやく快方に向かいつつあります。20年来お世話になっているかかりつけ医も首をひねる長期化でした。やはり,加齢により体力が落ちてきているということでしょうか?
 そんな中でも,なんとか6本の研修講師等に穴をあけることなく済ませることができました。私が頼まれるのは,人や組織の力を引き出してつなぐ連携のコーディネート力や,紛争復興途上の外国政府職員に対する社会づくりの意識や計画倫理などの,知識というより考え方や行動,理念の話なので,それを伝えるためには毎回,それなりのプレッシャーがあります。
 間違いのないことを語っているだけではなく,どのように,個人個人の問題意識を深めていただいて,他の人々や組織と協働して変化を生み出すかを考えるとともに,行動へと踏み出していただけるようにつないでいくのかは,難しい課題です。
 それはプロセスの決まったものではなく,先が見えない中で,大きな方向性だけを頼りに,あれこれと模索と空振りを繰り返していく消耗度の高い作業をいかに根気強くあきらめずに続けていくかという活動です。
 でも,それだけに,ささやかでも何かが生まれた時にはうれしいものです。そんな幸せを大切にしていきたいと思いますし,少しでも多くの方々と共有していきたいと思っています。

2016年11月5日
 あっという間に11月で,スーツも冬服に替えました。先週末は東京での自治医大の財団の健康福祉プランナー養成塾でひとり言を書きそびれてました。
 今週は10月31日と11月3日にJICAの研修でスーダン,ギニアビザウ,アフガニスタン,フィリピン政府のの警察関係者の研修でしたが,31日には昼から38.9度の熱がある中で車を運転して行き講義をするなど,めちゃめちゃでした。
 今日は,「瀬戸内 福祉と医療を語る会」でのグループワークを担当しました。自分の講演をせずにグループワークだけをするのは初めてでしたので,どうなることかと心配していましたが,みなさん熱心にご参加いただきほっとしました。
 今回も「三静か」(トップページ最下段参照)をしました。これは,話をする前に,自分が大切だと思う点を3点書きとめて,それを3分で語る練習をした上で,5〜6人のグループの全員が同じ時間だけ話すというものです。
 このグループワークを思い付いて続けてみて,一部の優秀な(優秀だと思っている)人たちだけでなく,誰しもそれぞれの思いがあり,準備さえあれば誰しも語れるということの大切さを感じています。東北大の大見先生の言葉に「『できることやりたいこと』と『やるべきこと』は違う」という言葉がありますが,連携の現場では,自分が「できることやりたいこと」を声高に主張するのではなく,「やるべきこと」を皆で一緒に考えることが大切だと感じています。自己主張や他人の批判をして「自分の気が済む」というのではなく,「本当に困っている人たちの気が済む」ためにどうすればいいのかを,一時の打ち上げ花火や自己満足のパフォーマンスではなく,考え取組んでいくことが大切だということが共有できればと思っています。 立場や肩書や自意識自己主張の強さだけでなく,一緒に考える基盤づくりとして取り組んでいます。
 これで,20日間で6本という研修講師等の集中時期を乗り越えて,後は年内の予定は3本なのでちょっとほっとしています。後は,4週間続く風邪が治ればいいのですが。

2016年10月22日
 風邪が治らないまま2週間が経ちます。かかりつけの先生には診てもらっているのですが。研修講師を1か月半で9件頼まれており体調を崩して穴をあけるわけにはいかないので,ちょっと焦っています。
 今日は,広島県の県北の中山間地域にある市での「在宅医療・介護連携研修会」です。医療や介護に詳しい訳ではないのですが,「連携」の部分でかすっているので。
 とはいえ,地域包括ケアシステムも,手順や知識だけでどうなるものでもなく,それぞれの地域に応じた問題意識を元に,地域の資源を生かして新たな取り組みを生み出していく必要があると思いますので,まんざら縁のない話でもないかなと,考えています。
 いずれにしても,私が何か教えさせていただくというのではなく,みなさんが自分たちの取り組みを生み出していくきっかけや意欲のお手伝いができればと思っています。
 地域の人々の力がつながり生かされる地域づくりのお手伝いができればと思っています。

2016年10月15日
 最近,コーディネート関連の話を頼まれることが多いのと,自分自身の本業でも新たな仕組みを作って動かすことに関わっていて改めて感じることは,「めざすもの」を明確にしておくことの大切さです。
 どんな仕事にも面倒なことやうまくいかないことが沢山あり,「えっ,そこまで自分がしなければいけないの」「それは自分の仕事ではないだろう」と思えるようなことも沢山出てきます。その時に,「それは自分の仕事かそうでないか,そもそも誰がやるべき仕事なのか」と考え始めるのと,めざすものを実現するためにはしなければならないことなら,やらなきゃしようがないじゃないかと体を動かしてみることとの間には,結果について大きな違いが生まれてきます。
 手順や段取りの整合性にこだわって満足していても結果を生み出した満足にはつながりません。手順や段取りへの(行動に結びつかない)こだわりは,単なる言い訳になってしまうような気がします。
 本当に実現したいのであれば,多くの人々に協力を仰ぎつつも,自分ができること,自分がしなければ前に進まないことについては,迷わずに手を出していくものだと思います。もちろん,意固地になって「誰もしないから自分がやってやるんだ」というようにではなく,肩の力を抜いてさらっと取り組むことが大切なように思います。
 頑張る人ほど,周囲の理解が得られずに心が固くなってしまう場合もありがちですが,一生懸命に肩の力を抜き,しなやかにしたたかに懸命に,「結果を出すために必要なこと」に明るく粘り強くフットワーク良く取り組んでいくことが必要なように,改めて感じています。「できぬ堪忍するが堪忍」でもあります。

2016年10月8日
 本業の方で,ここ何年もかけて取り組んでいる事業の一つの大きな節目を迎えています。ここ数か月は,かなり集中して,必要な手を打っていくことに取り組んできました。その際に大切なことは,いろんな関係者の方々のところに行ってお話をお聞きすることだと思っています。「思い込みや独りよがりに終わることなく,現実的な落としどころをきちんとつかんで,それに向けて必要な準備をしていく」,当たり前のことのようでもなかなかできないものです。でも,そこをちょっとためらったり,ちょっと手を抜いたりしたことで失敗してしまった経験もいくつもしています。痛みを経験していないと学びもありません。
 他人のやっていることに対する講釈や批判をしているだけでは,身につかないことだと思います。社会の将来のためにやりたいこと,やるべきことがあるから,行動していく。それがなければ,目の前の環境の中で流れに身を任せてしまいながら,やらない言い訳を並べ立てて終わってしまいます。
 仕事について,自分の責任を感じ,覚悟をもって,自らが信じる方向性に基づいて取り組んでいる人はそんなに多くはないかもしれませんが,自分が信じたことを自分が理想とするレベルで取り組もうとすることが大切なのだと思います。他人はもっと楽をしているなどと比較しても仕方ないのだと思います。
 無から有を生み出すことは,継続や改善・改良とは比較にならないエネルギーが必要になりますし,嫌になるくらいの「無駄」や「回り道」が避けては通れません。しかも,(運良く)実際の変化が見えてくるまでは,その違いは外からは分からないのです。
 そんな孤独・孤立感と不安に耐えて頑張り,やり切る人がいるから少しずつ良い変化が生まれるのだと思っています。そして,そちら側に立って努力しようとしているという自己満足が,そうした(一見無駄な)もがきを支えているのだと思います。

2016年10月1日
 気が付くともう10月。あらあら。
 9月の連休に長野に住む息子家族が帰ってきてたこともあり,先週はすっかり失念していました。
 本業の方で最も大きな仕事の一つの佳境にあり,集中度を上げて取り組んでいます。いろんな仕事をしてきた中で,このような,状況に応じて集中度を高めることが大切だと感じています。ずっと高いレベルの集中度を維持していくのは難しいので,状況に応じて変化させることが大切だとおもっています。
 それは,残業をするかどうかといった時間の長さの問題ではなくて,最後の最後のぎりぎりまで見直しを続けていって少しでもいいものにしていこうという執念のようなものかもしれません。別の言い方をすると「あきらめの悪さ」とでもいうものかもしれません。
 普段は,限られた時間の中であれこれやるためには,ある程度は重要度,優先度,緊急度などを考えて手を抜くこともあり得ますが,本当に大切な時には,最後の最後まで「往生際悪く」もがき続けることが大切だと思っています。
 管理部門中心に,計算できる仕事(前例のある仕事)ばかりやっている人には分かりにくい部分だと感じています。やったことのある仕事をPDCAを回してやるというだけではないような仕事が面白いと思っています。

2016年9月17日
 この,ひとり言を書きかけて初めて,先週書いていないことに気が付きました。先週末は,長崎県諫早市で開催された医療ソーシャルワーク学会でのワークショップのお手伝いに土曜日朝から行き日曜日の夕刻に帰ってきたので,まったく失念していました。
 今日も夕刻から明後日まで東京での地域医療フォーラム参加で,その上,ここ数年準備してきた本業の仕事のスタート準備の大詰めでもあり,何だかバタバタしています。10月は,日赤看護大の大学院の授業2コマと,庄原市の医療・介護連携の研修会,自治医大の財団の健康福祉プランナー養成塾,そしてJICAの紛争復興国政府職員研修を頼まれていますので,気持ちは少し焦っているのですが。
 とはいえ,目の前に夢中になれる仕事があるというのは,ありがたいことだと思います。自分の中の集中力を上げる機会がなくなるとどうやって過ごすのだろうかと,そう遠くない先を心配しています。
 また,その時その時を一生懸命に過ごしていくしかないですね。
 とりあえず,今を大切に頑張っていきたいと思っています。

2016年9月3日
 あっという間に9月です。
 7月には7回,8月にも2回の研修講師があり,本業でも重要課題の詰めをしていますので,あっという間でした。しかも,ぎっくり腰事件まであって…。 とはいえ,仕事があるというのはありがたいとしみじみ感じています。
 仕事についても,若い頃からのちょっとした習慣が,後になって次第に大きく効いてくるように思います。生意気と言われるリスクは意識しながらもちょっと一言自分の考えを口に出してみるとか,そこまで手間をかけて調べなくても当面の仕事は回っていくのに調べて整理してみるとか,資料の仕上げに少しでも分かってもらいやすいように仕上げのひと手間もふた手間もかけてみるとか。
 ちょっとした「半歩前へ」の意識ですが,それが10年20年30年と積み重なっていくと大きな違いになってくるように思います。もちろん,「余計なことを言う」「無駄なことをする」「余計な混乱を引き起こす」と言われたり,自分自身でも迷ってみたりすることもありますが,ほんのちょっとでも「自分の気が済む」ように努力してみるという姿勢は意味があるように思います。
 40歳代の頃によく思っていたことは「一生懸命が恥ずかしくない環境づくり」です。倒産しない組織においては,「そんなにシャカリキにならなくても」とか「自分ひとりいきがってどうする」といった空気が時に漂うこともあります。そうではなく,それを応援する環境を作らなければという趣旨です。同時に,必死になって肩に力が入り過ぎてしまうのではなく,「必死になって肩の力を抜く」ことが大切だと,自分自身に言い聞かせていました。要は,自分が踏ん張らなければという感覚なのかもしれません。

2016年8月27日
 夏の終わりで,なんだか疲れがたまってきた感じです。
 本業の方でも,整理をつけなければいけない案件が詰めの段階に来ており,個人的な頼まれごとも途切れずに続いていて。
 でもまあ,仕事があるだけありがたいかと思っています。
 今週は,某市の職員組合主催の勉強会の講師に呼んでいただきました。社会の変化と行政の魅力についてお話しさせていただいたのですが,期待以上に前向きにお聞きいただき,こちらも元気が出ました。
 やはり,社会の原点を考えながら,ささやかでも前向きの働きかけとなる仕事をしていきたいものです。

2016年8月21日
 ぎっくり腰の影響か,まだ腰に違和感と不安感を抱えながら過ごしています。
 昨日は,徒歩10分のところにある日赤広島看護大学で大学院の学生向けの「看護政策論」を3コマ4時間半担当していました。全員が社会人なので,現実的な議論ができて楽しい時間でした。「看護政策論」のより広い概念としては「公共政策論」となるのかと思いますが,「公共政策論」ではどのように政策を作るのかが中心論点となるのに対して,「看護政策論」の場合には現場の変化の外部要因としての環境変化の理解が中心として受け止められるような印象もあります。その分野の置かれた状況にもよるのかと思います。
 とはいえ,単なる環境理解だけでなく,現場の問題を発掘し課題として体系的に整理し方向性をまとめて政策として打ち出していくというのは,大切なことだと思います。
 ということで,今年の授業では,目の前の課題の体系的整理や安心感?信頼感を持ってもらえる説明の仕方などについても時間を取って意見交換をしてみました。
 「政策」というと大仰なイメージで,限られた人々の話のようにも受け取られかねませんが,目の前の課題を大きなストーリーの中に位置づけて説明し,よりよい環境づくりのために,めざす方向や取り組みについて理解と共感を得ることは大切なことだと思います。

2016年8月13日
 先週日曜日の朝に始まったぎっくり腰も,まだ少し違和感と不安はあるものの,何とか日常生活は過ごせるようになりました。月並みな表現ですが,健康に普通に過ごせることの価値とありがたさを感じています。
 研修講師の日程とぶつからなくてよかったと,あらためて感謝しています。3月のインフルエンザも,徳島県での研修講師と広島シンガポール協会での講演とのちょうど真ん中でどちらにも影響がなくすみました。不幸中の幸いですね。
 来週から年末まで,また月2回のペースで研修講師等が続きますので体調管理に気を付けなければ(もちろん本業のためにも)。
 先日,ある市から子どもの貧困体躯についての相談をいただきました。以前から問題提起されている課題ですが,取り組みが広がろうとしているようです。ただ,これを「不幸でかわいそうな一握りの子どもたち」という構図で捉えては,問題の本質に迫れないし,解決にはつながらないと思います。「社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)」という言葉もありますが,私としては,「生まれた環境に関わらず全ての子どもたちに可能性を保障する」という言葉を大切にしたいと思います。
 シンガポールの建国の父と言われるリー・クアン・ユー初代首相が,「社会的流動性」を国づくりの中心課題として位置付けていました。つまり,貧しい家に生まれても努力すれば可能性が拓けるし逆もまたそう,というものです。開発途上国だった当日のシンガポールでは,汚職防止がそのための大きな課題でしたが,今の日本では,もう少し広い課題として捉えいろんな行政分野にまたがる課題として取り組む必要があるように感じています。
 それは,日本が,現状に満足し未来のためのチャレンジをすることなく過去の蓄積を食いつぶしながら衰退していくのか,そうではなく次の世代のための責任を自覚してチャレンジしていくのかが問われているのだと思います。

2016年8月8日
 二度あることは三度ある? 今年1月には自宅の天井の照明工事をしていてイスから足を滑らせて左ひざを痛めて休み,3月にはインフルエンザで休み,県庁を退職するまで病気休暇を取ったことなどなかったのに今年は休みが続いてました。
 それなのに,週末の土曜日に友人の船で朝4時過ぎから8時間近く釣りに出たところ,このところ痛みが出ていた腰が悪化してぎっくり腰に。
 動けないので,仕方なく今日から休暇です。まあ,歳のせいといえばそうなのですが。改めて健康の大切さを感じています。まあ,快方に向かっているようなのが救いです。

2016年7月31日
 バタバタとした7月も今日で終わりです。本業でもいろいろとあった上に,フィリピン?ミンダナオ自治政府職員研修,自治医大の財団の健康福祉プランナー養成塾で1週間に2度も栃木県に,日赤広島看護大の学部と大学院の授業が各1回,そして今年10年目の香川県の管理職登用候補者研修と,なんとも慌ただしい日々でした。
 とはいえ,暇ならいいかというとそうでもないので,一定程度の緊張感の中で過ごしていくのも悪くはありません。
 また,看護大の学部の授業以外は社会人として頑張っておられる方々を対象としたものなので,感覚的に共有できるものがあり,私にとっても楽しい経験です。組織の中で,みんな悩みながら仕事をしていますし,その中においても少しでもより良い社会のために何らかの貢献をしたいと思っておられる方々なので,悩の中で社会への責任感をどう形にしていくのかを議論していくことは共感と意欲を生み出してくれます。
 簡単には思うようにはならない中で,それぞれが一人で悩んでいることを研修の場において共有し,仲間としての共感を生み出して,少しでも前に向かって進み続ける意欲につながればと願っています。
 そうした,苦労を理解し合えるが故の互いの立場への共感が,本当の意味での仲間意識を生み出すのだと思いますし,それが一人で悩みながら職場でもがいているときの励ましの力にもなるのだと思います。そして,そんな風に励まし合えて信頼し合える関係性が生み出せることが,社会の現場で誠実に努力を続けていくことの価値なのだと思っています。

2016年7月23日
 先週末に続いて水木と栃木県にある自治医大に行ってきました。火曜日の午前中には日赤広島看護大で学部学生の授業をしていましたので,ちゃんと本業の仕事をしているのかと突っ込まれそうです。(まじめに一生懸命やっています…。)
 自治医大での研修は先週も書いたように18年続いている健康福祉プランナー養成塾です。今回は2日にわたり4コマ約6時間を担当しました。北海道から沖縄まで全国から集まった意欲ある方々ですので,とても手応えがあります。こういった研修講師も,講師の力だけでなく受講者の方々との相互作用ですので,同じようなことをしていても毎回感触は異なります。
 今週は日赤看護大の授業の方も感触が良くていい時間を過ごさせていただきました。来週は,今年で10年目となる香川県庁のグループリーダー候補者研修と日赤広島看護大の大学院の看護政策論の授業3コマがあります。
 受講者の方々との相互作用でどんな研修になるのか分からないところがドキドキと楽しみでもあります。
 産学官と海外で常に新たなものを生み出そうとドタバタしてきた経験から,いろんな方のチャレンジを応援させていただきたいと思っています。

2016年7月18日
 土日と自治医大での「健康福祉プランナー養成塾」の開講式に行ってきました。
 今年で18年目です。シンガポールとの学生交流の23年に続いて長続きしている事業です。今年は,香川県庁のグループリーダー登用時研修も10年目です。続けられていることに感謝です。
 今年も,北海道から沖縄まで三十数名の方々が8日間のコースに参加いただいています。医師,保健師や行政の事務職など多職種が一緒に研修することは,地域の保健医療,介護福祉の課題を全体として考えるためにはとても意味があると考えています。
 人材育成は,大学教員などの「専門家」によるもののように考えられている面もありますが,理論研究をベースにした研究が他の教員の教育とともに,現場での実践経験をベースにした講師による研修も同時に必要だと感じています。
 地域の課題を個別にそれぞれの専門家が解決していくというだけでは対応しきれなくなっている現状から,多様な組織や個人の力を引き出しつなぎ生かしていくことのだきる人材の育成が求められていると思います。

2016年7月9日
 何かと気ぜわしい日々が続いていますが,少しずつ歯車が噛み合ってきつつあるようにも思えます。集中力と気力の大切さを改めて感じつつ,そう思えることの幸せに同時に感謝しています。
 どんなに頑張ろうと思っても,どうも集中力も気力も高まらない時,高められない時もあります。めぐり合わせのようなものかもしれませんが,それでも,そんな時にもなんとかじたばたともがこうとしていることが,歯車の噛み合った状態を生み出すもののように感じています。
 そんな,一人ひとりのより良い仕事をよりよい社会のためにという思いが基本であり大切なのだと思います。
 7月4日のフィリピン・ミンダナオ自治政府職員研修でもそれを感じました。今回は比較的若い世代が中心で,開始前には,ちゃんとみんな集中してついてきてくれるだろうかとちょっと心配もよぎったのですが,2時間半の間びっくりするくらい真剣に取り組んでくれました。長い内戦が終わりやっと自分たちの自治政府を作ることができた幸せと責任をしっかりと感じて頑張ってほしいと思っています。
 壊すのは簡単ですが,無から有を生み出していくには膨大なエネルギーが必要となります。破壊に参加するのではなく,創造に参加できる幸せを,私たちももっと大切にしていきたいものだと思いました。

2016年7月2日
 先々週,今週,再来週と3回続けて週末の行事が続くので,なんだか気ぜわしい気分です。やはり週末はのんびりしたいものです。
 明後日の月曜日は,一昨年から関わっているフィリピン・ミンダナオ自治政府職員の研修です。今年はラマダン(イスラム教の断食)の時期なのでいつもより講義時間を短くするとか。宗教にはいろんな「制約」がありますが,それが個人を律し宗教を成り立たせている面もあるのだと思います。
 いわゆる「自由」に無条件に価値がある訳ではなく,それが一人ひとりの個人が自律してよりよい社会をめざして行動していく場合にこそ意味があるのだと思いますし,ラマダンのような一定の「制約」が他の価値を気づかせてくれることもあるのかもしれません。
 そういえば,以前にとてもお世話になった大先輩がこのひとり言を読んでいただき,日付の都市が2015年のままになっていると指摘いただきました。今年になって半年にわたって気づかずにいました。汗顔の至りです。
 とはいえ,先週も書きましたが,いろんな方々とのご縁が時間を超えて続くというのはありがたいことです。そうしたご縁に恥ずかしくないように,日々を大切に過ごしていかなければと思っています。

2016年6月26日
 先週末は土日とも仕事関係の行事があったので2週間ぶりの週末気分でほっとしているうちに,ひとり言を書くのを忘れてました。
 個人的にもいろいろと気ぜわしく,あっという間に日々が過ぎていっています。いつもながら,何もすることがないよりましと思いながらバタバタ過ごしています。
 そんな中で,30数年前に1年ほど仕事のご縁があっただけなのにいまだに付き合いのある友人が訪ねてきてくれたりして,友人のありがたさを感じています。民間企業を経営していて,いろんな波乱がありながらも70歳が近づいても全国を飛び回っている姿エネルギーに脱帽です。
 私自身も,残りの限られた現役生活をどう過ごしていくのか,悩ましいところです。せっかくいろいろな経験をさせていただく幸運に恵まれることができたので,少しでも社会に貢献できたらと思っているところです。
 7月は研修講師の頼まれごとがおおいので,気を引き締めて取り組んでいきたいと思っています。

2016年6月18日
 先週末も仕事の関係の行事があり,ひとり言を書くのが飛んでしまいました。別に毎週書く必要は全くないのですが,なんとなく習慣として続いています。
 やはり何か区切りがある方がいいような気もしています。これもルーティーンの一つですかね。
 3月に広島シンガポール協会での講演が無事に?済んで以来,講師役がしばらくなくすんでいたのですが,来月から結構詰まっていて,段々と気ぜわしい気分になっています。何事も程よくというのはあまりなくて,ドタバタするか淡々と過ぎるかのどちらかに偏るもののような気がします。それを自然体で過ごしていくのがいいのだろうとは思うのですが。
 まあ,あれこれある方が,緊張感を持って過ごせるのでいろんなことがはかどるという面もあります。そのあたりをうまく過ごしていくのが大切なような気がしています。
 今日も明日も仕事の行事があります。まあ,仕事がないよりはいいかというところです。今できることに丁寧に取り組んでいきたいと思っています。

2016年6月4日
 あっという間の6月です。最近,県内に出ることが続いていたので,余計に日々が早く経つように感じています。
 先日,「自分の業績を強調し他者への批判が多い講演を聞いたけど響くものがなかった。」という話を聞きました。
 「自分」が主語になって語る「自分がやった」ではなく,「このようにしてみんなの力をつないで生かしたことで何かができた」という話の方が安心して聴けるのだと思います。めざしたいものがあって,そのためには,大きな力も小さな力もできるだけ集めて生かしていく。それこそが大切なこと。あいつは考えが違うとか,○○は駄目だからとかいって切り捨てるのは,めざすものを本当に真剣に実現しようとしているようには思えません。
 「自分がやった」と言えることを実現するために「自分の考え」に合う人たちの力だけを集めて実現しようとするのは,たとえうまくいったとしても自己満足だと思います。「自分のために」ではなく「よりよい地域・よりよい社会のために」自分の貢献できることを少しでも取り組んでいくという姿勢が魅力になるのだと思います。
 威勢がいい話には,「自分」が主語の自己主張が見える場合があります。ぎりぎりのところでも,藁をもすがる思いでみんなの力を集めようとする姿勢が大切だと思います。そうでないと,他人の話に真剣に耳を傾けられませんし,共感も広がりません。
 みんなの共感を得てめざすものを実現していくための地道で忍耐強く信念に裏付けられた取り組み姿勢が,信頼と行動を生み出すのだと思います。

2016年5月28日
 オバマ大統領が広島の平和公園を訪問しました。3年前に広島県庁を退職する前の5年間,国際課長・国際部長として平和問題も担当した者として感慨深くニュースを眺めました。
 当時,「破壊された広島」と「復興した広島」の両側面から,「核兵器廃絶への信念」と「復興への確信と未来への希望」を提供する広島を議論していました。
 最近は,シリアなどの難民の姿を見る中で,「復興への確信と未来への希望」を提供できる広島の重要性を感じています。破壊するより建設する方がはるかに多くの労力と時間を必要とします。
 問答無用の否定や破壊ではなく,対話と忍耐で未来を生み出すことの大切さを改めて感じています。これは,紛争からの復興途上国の政府職員研修を続ける中で特に強く思うようになっています。
 未来へ向かっての冷静で持続的な努力は,日々の生活の安心と安定があってこそのことだと思います。よりよい未来を信じることなくして,今の努力は成り立ちません。そんな環境を世界に広げていくことに,広島も参加できればと思っています。

2016年5月21日
 なんというか気ぜわしい日々が続いています。昨年のこの時期は,JICAの紛争復興国政府職員研修が続いてドタバタで夢中で過ごした記憶がありますが,それほどまでもない時の方が気ぜわしい感じがするもののようです。本当に忙しいと,それに対処するために夢中で,気ぜわしいと感じる余裕もないのかもしれません。
 と思っていると,2年前から関わっているフィリピンのミンダナオ自治体府職員研修の話をいただきました。最近は,保健医療分野の話が多くなっていますが,保健医療,行政,国際のそれぞれの分野の話がある方が,バランスがいいように思います。
 一つの分野に集中して掘り下げる方が主流だと思いますが,私の場合はあれもこれもとドタバタやっている方が向いているような気がします。一つの分野をしっかり掘り下げる根気がないということかもしれません。
 まあ,それぞれに,自分が向いているスタイルでやればいいのではないかと開き直っています。
 紛争復興途上の厳しい環境に置かれている国の政府職員研修には,単なる知識の提供や見学だけでは,「感心→憧れ→羨望→落胆→諦め」に終わってしまいかねないので,何をめざしてどのように努力してきたのか,そして現在もどんな課題を抱えていてどう努力しているのかを伝えていくことが,相手の心に響くのだと思っています。

2015年5月14日
 今週は,本業の方で大切な会議が終わり少しほっとしています。とはいえ,本番の事業実施はこれからなので緊張感を持って取り組まなければと思っているところです。
 これまで,いろいろと緊張感の高い負荷の大きい仕事をする機会に恵まれる中で,普段は逆に緩めるようになっているような気がします。単に,気が緩んでいるだけかもしれませんが。
 あえて言い訳的に言えば,突発的に緊張感の高い負荷の大きい仕事に直面した時に,どれだけ素早く緊張感を高め集中力を上げて,かつそれを持続させて取組み続けていけるかどうかが大切なように感じています。で,普段は少し緩んでいても,その分,周辺情報も含めてこつこつと幅を広げた勉強をしていることがいざという時に効果があるように思います。
 今年度は,例年春の外国政府職員研修の仕事がないので,その分,(家の片づけと)医療福祉分野の本を読んでいます。その時その時の環境に応じて,できることをこつこつとやっていかねば,というところです。
 なんとか緊張感を維持できている幸せを大切に,こつこつやっていきたいと思います。

2016年5月7日
 ゴールデンウィークも最後です。来週末に来客予定があるために,連休中ずっと家の片づけなどをしていました。網戸や障子の張り替えに始まって本や本箱の整理と処分,小さいながらも庭や家庭菜園の整理とやることは尽きません。
 連休中には,今回が5度目の掲載となる鰍ャょうせい発行の『ガバナンス』5月号が届きました。今回は「職員プロジェクト」です。もう一つ,3月に行った広島シンガポール協会の20周年の一環としての講演の抄録が掲載された会報も届きました。『ガバナンス』の方は著作権の関係でご紹介できませんが,広島シンガポール協会の会報の方は,ご興味があればご覧ください。講演抄録はP6,7です。
 熊本・大分の被災地では厳しい日々が続いているのだと思いますが,目の前の忙しさに追われて淡々とした日々を過ごしていることに,というよりも今の恵まれている状況を最大限生かして何かに貢献する努力をしているのかという自省に,後ろめたさも感じています。
 同情ももちろんとても大切ですが,今自分が成しうること成すべき責任に精一杯取り組むことも同時に大切だと感じています。
 連休明けから,また頑張っていきたいと思います。

2016年5月1日
 年度が替わり仕事の関係でドタバタすることが続く中であっという間に5月です。この3連休も,普段はできない家の関係のことをしていたらすぐ2日間が経ってしまいました。今日は母の一周忌の法事です。
 こうして為すべきことをしていく中で日々が経っていくというのは,ある意味平穏なのかもしれません。
 3年前の内閣府の自殺対策連携コーディネート研修を受講されたことから2年前から熊本県での同様の研修に年2回声をかけていただいている担当の方も,しばらく自宅には入れなかったようです。
 人は生きていれば,何が起きるかわからない崖っぷちを歩いているのかもしれませんが,そこから落ちるまではそれに気づきません。とはいえ,落ちてしまうことによって,平穏の大切さと価値を知り,必死になって立ち直ろうとする中で,学ぶことも多いように思います。
 周りの人にとっては事件やニュースでしかなくても,その当事者の方々にとっては,一日一日の暮らしです。その日々の生活が前向きのものとなっていくことを願っています。

2016年4月23日
 社会福祉の教科書づくりに参加させていただいた2冊目の本が届きました。『現代社会と福祉 社会福祉原論』(ふくろう出版)です。といっても,250ページほどの本でほんの8ページ分を書いただけですが,それでもちょっとうれしいものです。最初の本は同じく教科書で,6年前に1章の3分の2ほど書かせていただいた『新?医療福祉学概論』(川島書店)でした。
 いろんな経験をさせていただき,感謝しています。その中で,現場実践に基づいた本当に分かりやすくてためになる本を書くことの難しさも感じています。いろいろ調べてまとめて書くこととは違って,実践についてはお作法的なことをいくら書いてもあまり役に立たないように思います。めざすものの絞り込み方まとめ方と,それを具体化していく時の方向性の絞り込みと取り組みの留意点,そしてへこたれたり投げ出したりしないための自分自身の励まし方,といったような話が大切なのだと思いますが,それでは学問になりません。
 50代になって修士号をとった後に,博士課程に進んだものの途中でやめてしまったのも,そんなところに原因があります。
 まあ,人それぞれに役割があるのだと思います。自分でなければ伝えられないことをめざして,ぼつぼつと頑張っていきたいと思っています。

2016年4月16日
 新年度の初めなので当たり前なのですが,なんだか気ぜわしく過ごしています。
 職場でも,今年度は新たに大切な事業がスタートしますので,丁寧に準備を進めようと取り組んでいます。
 自分に都合のいい考え方とも思いますが,いろんな仕事をしてきてみて,仕事の比重のメリハリは大切だと思っています。
 目の前の仕事は丁寧にしていけばきりはなく,いくらでも忙しくなります。でも,そうすると本当に大切な仕事に全力で向き合えなくなるような気もしています。もちろん,本当に力のある人ならそこのところをうまくやれるのでしょうけど,普通の凡人の私としては,目の前の仕事のかなりの部分は60点主義,場合によっては30点でもいいやと割り切って,自分こそがやり切らなければならないと思うところに集中していかないと,中途半端な取り組みになってしまうように感じています。
 時間は有限でかつ平等ですので,限られた時間を大切に割り振って,未来の社会に必要な成果を意識して取り組んでいきたいと思っています。
 とりあえずは,今年度も無事スタートしていますので,一日一日を大切に丁寧に過ごしていきたいと思います。

2016年4月10日
 昨日は久しぶりに友人の船で瀬戸内海に釣りに。海の上なので朝の間はかなり寒かったのですが,島の満開の桜を眺めながらの釣りは幸せでした。釣果はまずまず。メバルとアジとカサゴでした。
 先週から自宅の仕事部屋の本箱の入れ替えをしています。もう少しすっきりと使いやすくならないものかと始めたのですが,結構な作業です。まあ,時にはこういうこともしてみないと,要らないものも捨てられないですね。

2016年4月3日
 年度末に行事続きでバタバタしており,そういえばひとり言をと思った時には年度が替わっていました。新年度の始まりです。勤め先にも2人の新メンバーを迎えることができました。
 昨年度も,1年間なんだかドタバタして過ごした感じでした。とはいえ,県庁を退職してからも,時間の経つのを忘れるような日々を送れていることは幸せなことだとつくづく思います。
 今の職場もあっという間に4年目を迎えました。いつまでできるのか分からないので,今年も1年を大切に過ごしたいと思います。
 新年度早々,年に1回程度のペースで原稿を頼まれている自治体職員向けの雑誌から原稿の依頼をいただきました。大したことは書けないのですが,それでも全国誌なので真剣になり頭の整理にもなります。
 時々は外部からのこのような緊張感がなければ,自分の都合で物事に取り組んでしまいます。自分の満足ではなく周りの人の満足を一つの基準として,緊張感のある取り組みをしていかなければと感じています。
 今年度が皆様にとって良い一年でありますように。

2016年3月12日
 1週間の自宅隔離?の後,今週は,月曜日には広島シンガポール協会の20周年講演会で340人の聴衆に1時間の講演,火曜日は午後から県北の病院訪問や若手医師支援のセミナー,調整会議などで午後9時まであり,水曜日から木曜日午前までは栃木の自治医大で今年18年目となる地域社会振興財団主催の健康福祉プランナー養成塾の運営委員会出席,金曜日は来週の地域枠医師等の配置調整会議の資料調整と協議などであっという間の一週間でした。
 これで今年度の講演・研修講師の予定終了です。最後の広島シンガポール協会の講演は,20周年の一つの区切りの講演ということで半年前から準備を始めましたので,なんとか無事に終わってほっとしています。最近は,外国政府職員研修など,3時間4時間という長めのものが多くなっているので,回数30回程度とそんなに変わらないのですが,以前よりも負荷が高まっているような感じです。
 まあ,それでもそれだけ真剣に取り組めるものがあるということはあり難いと感じています。普段だとまあいいかと済ませてしまっていることも,力の入った講演や研修の場合には,いつもより掘り下げて調べたりします。こんな努力が,少しずつ力になってくるのだと感じます。
 「今までどおり」からいかに抜け出すかも大きな課題だと感じています。
 これからも,そのような一つひとつの取り組みを大切にしていきたいと思っています。

2016年3月5日
 結局今週は自宅療養・隔離?で終わってしまいました。急に降ってわいた休日でしたが,ずっと家にいるというのも不思議な感じです。普段も週末は自宅にいますが,それでも買い物や家のことなどいろいろとやることは多く,それらに加えて,30kmほど離れたところにあるクアハウスのジムへ往復すれば週末も終わってしまいます。
 今回は高熱で寝込んでいるほどでもないのに,ウイルスをまき散らしてもいけないので外出もできず,家の中のことをするほど体力・気力もなく,不思議な中途半端な感じでした。やはり,なんだかんだとやることがあって,ドタバタしている方が性に合っている感じです。
 仕事がなくなってしまった時の毎日の過ごし方を悩んでしまいました。
 月曜日は,昨年設立20周年を迎えた広島シンガポール協会の毎年恒例の講演会で講演予定です。設立以来運営委員として企画を担当してきましたが,今年は協会の20年を振り返るとともに,昨年,建国50年を迎えたシンガポールの発展を振り返り,広島の今後を考える機会にできればと願っています。
 豊かになり成熟してくると,お作法や手順など形式的なことにこだわるようになり,それに満足するようになります。現状に満足せず常に変化への挑戦を続けるシンガポールの姿から学ばなければと思います。

2016年3月1日
 もう3月になってしまいました。なんだかドタバタしていたことに加えて,先々週の週末は東京での会議の後に長野で働く息子のところに生まれた孫の顔を見に行っていて,先週末は徳島県の自殺対策研修で。 週末から咳が止まらないので,インフルエンザの予防接種はしてるからと安心してかかりつけ医のところに行くと,インフルエンザB型だと言われました。 予防接種の効力が切れるのだとか。
 県庁や大学等で勤務していた時には病休は取ったことがなかったのに,1月の左ひざの半月板損傷に続いて今年になって2回目の病気休暇で自宅静養中です。こういうことは続くものですね。
 とはいえ,1月といい今回といい,絶対に休めない日々を外しているので,運がいいと安どしています。先週金曜日は徳島県の研修でしたし,来週月曜日は広島シンガポール協会の講演会の講師なので,少しでもずれたら大変でした。とはいえ,そのほかにもいろいろあるので,職場の同僚には迷惑をかけてしまっていますが。
 いろいろとトラブルは出尽くしたということにして,来週から頑張りたいと思います。

2016年2月13日
 相変わらず,リハビリ中です。年度末に向かって,やたら行事が多くなってきて,めちゃめちゃ多忙という訳でもないのに,何かと気ぜわしい気分です。
 先週11日の祝日には,午前午後で5時間,イラク政府の若手職員研修でした。30歳前後の方たちで,予想以上に集中して参加していただき,5時間が済んだ時にはいい雰囲気でした。今回は,使用言語がアラビア語でしたので(当然ながら)アラビア語の通訳がついていただけました。私の話は,知識というよりも考え方などを中心としていますので,通訳さんの力量によって伝わり方が異なります。今回の通訳さんは,以前,イエメン政府職員研修の際もお世話になった優秀な方でしたので気持ちよく話させていただけました。普段はほとんど英語でやっており,どちらかというと自分で英語で話す方が相手と直接コミュニケーションしている感じがありいいのですが,致命的な問題は質疑応答の際に相手の英語が聞き取れないことです。何度も聞き返すにも限界があるので,最後は想像で回答し相手の反応を見ながら(冷や汗をかきながら)やり取りしています。今回は,優秀な通訳付きなのでその点は楽でした。どちらがいいかというのは難しいものです。
 今年度は,今月末の徳島県での自殺対策研修と来月初めの広島シンガポール協会の講演会で予定終了です。限られた休暇の中で,ぎりぎり何とかなった1年でした。(もちろん,本業は,楽しく頑張っています。)
 最近友人たちと話をしていて印象的なのは,現場経験が少ないのに理屈を言うタイプの人の話題です。大学や行政組織でもそうですが,自分がめざすものに向かって,先が見えない中で心細さに耐えながらじっと我慢してもがいていて,しかも沢山の失敗をする中で,情けない思いに耐えて投げたしたくなるのを我慢しながらもがき続ける中で,やっとささやかな変化が生まれる,という感じが伝わらないという話です。最近はお役所でも,PDCAが回せない事業は認めないと言い放つので,この先どうなるのだろうと暗い気持ちになってしまいます。
 頭が良くてお勉強ができて理屈が得意て,というような人が,PDCAなるものを小手先の改善で回したつもりになって「偉く」なっていくという組織は想像したくもありません。大学の教員についても,実践の重みと回り道の大切さを理解している人たちがどれだけ生き残っているのかも気になるところです。

2016年2月6日
 今週は,かなり普通に歩けるようになったものの,まだ違和感があります。治療していただいた整形外科にリハビリに通っているのですが,普段の生活の中でリハビリのストレッチがあまりできていない(していない)ので,あまり改善がみられていません。リハビリの指導をしていただく方からは,(歳でもあり)時間がかかりますよとは言っていただいているのですが。
 日常のちょっとした行動にも,少しではあるものの「不自由感」があると,健康のありがたみを改めて考えることができる,と悔し紛れ半分で思っています。
 今週は,20年近く前に,広島発の救急医療情報ネットワークを全国標準に展開した時の中心人物が訪ねてきてくれました。久しぶりにいろいろと話をしていて感じたのは,めざすものを持つことによる気迫の大切さです。
 上司がいろいろと否定的なことを言っても,その事業がめざすもの,そして社会的な意義を理解し,その事業の具体化が拓く新たな展開の意義と意味,をしっかり理解していれば,こけおどしの自己主張などではなく,社会への使命感に裏打ちされた気迫によって,相手が誰であろうとも言うべきことを言わざるを得なくなるのだと思います。これは何も,何でもかんでも自分の思い通りにしたいなどというものではなくて,できる限りの努力を自分がしなければ(結果は駄目であったとしても)自分としての責任を果たしたことにはならない,という感覚です。
 このあたりの感覚の違いが,大切な時に踏ん張れるかどうかが異なってくるのだと思います。小手先の目先の判断だけで過ごしている人との違いを生み出すところなのだと思っています。

2016年1月31日
 前回書きました怪我は,火曜日には足がつけないほどの腫れと痛みとなり,整形外科に受診したところ左ひざの半月板損傷とのことで,結局4日間も仕事を休む羽目になってしまいました。ある人からは齢のせいだとも言われて,少しは気を付けなければと思っているところです。
 とはいえ,膝にたまった水を抜いてもらいリハビリをしている中で痛みも治まり,杖なしでも歩けるようになりました。医療に感謝です。
 昨日は,近くの看護大の大学院の授業に。全員が社会人の看護師さんですが,中には仕事を辞めて通学している方もあり,真剣さとレベルの高さにこちらも力が入ります。昨日は,各人の事例を元に3時間議論したのですが,あっという間でした。議論をしていて感じたのは,目の前にある問題や課題について,それを社会の大きな枠組みの中で位置付けて説明し,関係者を巻き込んでいく力をつけていく大切さです。
 やる気と問題意識と現場経験のある方ばかりなので,それぞれに的確な問題提起をされるのですが,それは「自分の目の前の問題」に留まっていることもあり,周囲の多様な人々や組織を巻き込むためには,その問題が社会的になぜ解決すべき課題であり,その取り組みにどのような意味があるのか,それぞれの関係組織にとってその取り組みに関わることにどのような意味があるのか,を説明することが求められています。
 「小児がんから復帰できる子どもが増えているのに学校側の受け入れ態勢が整っていない」という課題に対しては,幼い頃から自分の命と向き合いその大切さを感じざるを得なかった子どもたちを受け入れるとともにそれを他の子どもたちにも共有していくことの大切さを関係者に理解してもらうこと,「看護の分野においても災害やテロへの備えが必要」という課題については,それは日常業務とは別世界の話ではなく,「想定外」が起き得る世界の中で,最悪の状況を考えそれへの対応を考えていくことは,日常の医療機関の運営の見直しにも意味があるということを理解してもらうこと,「透析患者は医療費への支援は充実したものの週3回の通院費用が問題となっている」という課題に対しては,全額自費の時代から社会として支援に取り組んできた歴史を振り返りつつ,そのような支援をより実効性あるものにするために最後に残った課題の一つとして理解してもらうことが必要,などといった話をしていました。
 「末期がん患者が最後を自宅で過ごしたいという希」望については,病棟で聞く思いを形につないでいくためには,病院外の資源を理解するとともに一番厳しい状況となる部分の対応を考える必要があること,「精神科の社会的入院への対応」でも,医療の中での他診療科との連携や地域の社会資源との連携において寛解状態の中で病態が変動することへの理解と対応の必要性といった話や,「病院内で多様な業務が並行して行われるとともに業務を中断せざるを得ない状況の中で,薬剤の管理などでのミスを防ぐための方策」など,いずれも興味深い話でした。
 そのような課題を,自分の目の前にある課題としてだけでなく,社会としての課題として位置づけ,それを意識しながら目の前の現場での解決行動へと結びつけていく習慣づけ・訓練が大切だと感じました。それは,学部教育時期には概念は説明できても実感としては説明しがたいものであり,社会人教育ならではのものと感じたところです。

2016年1月24日
 昨日の土曜日は,徒歩10分圏内にある日赤広島看護大学の大学院の授業でした。半期15コマのうち2コマ×3回を頼まれているだけなのですが,受講者全員が社会人経験者なので,講義や意見交換をしていても共感できることが多く楽しくやらせていただいています。
 社会人の継続的な学びは,これからの大きな課題だと思います。そのためには,社会人が学び続けられる環境づくりとともに,社会人の実践経験に応えられる教育のあり方も考えていく必要があると思っています。理論的な研究を深めるだけでなく,実践の中で必要となる課題の整理力や理解力,問題解決のための行動力につながる教育のあり方を真剣に考えていく必要があるように思います。
 このような充実した時間を過ごした後に,昨夜,家の中の電気の配線工事をしている際に,椅子から落ちかけて足をひねってしまい,左足のじん帯?を痛めてしまって,杖に頼る状態になってしまいました。不自由というのは,なってしまわないと分からないものと改めて感じています。
 同時に,健康で活動できることの大切さとありがたさも。
 今の自分に恵まれている可能性を精一杯生かして,為せることに懸命に取り組んでいきたいと思っているところです。

2016年1月16日
 先週にひいた風邪が治りかけの状態で1週間ぐずつきました。だけならいいのですが,なぜか?職場に風邪ひきさんが増えてしまって,ちょっと責任を感じているところです。
 山陰側の自治体で,いい仕事をしようと頑張っている知人が,今後の取り組みについて意見を求めてきてくれて,しばらくやり取りをしていました。いろいろとやり取りをした最後に「うまく進めるためには,『とりあえず何をすればよいのか』ではなく,『何をめざすべきなのか』に意識が向いている必要がある。」と書いたところ,説明を求められました。
 私からは,「よくあるのが,『今の状況を変えていくためには,まず何をすればいいのか』という話になるけれども,これでは『○○をやったけど駄目だった』という結論になりかねない。一つ二つのことで状況が変わる訳ではなく,めざすものに向かっての一定の方向性の中でのいろんな取組みをしていく中で,いくつかの取組みが成果を生み出して全体を少しずつ変えていくものだと思う。したがって,例えば,@『一生懸命が恥ずかしくない環境づくり』『気楽でまじめな議論の場づくり』『無から有を生み出す取り組みを応援し評価する組織づくり』といったような『めざしたい姿』をいくつか整理してみて,Aそれを実現していくためには,どういった方向での取組みが必要で,B具体的にはどういった事業がいろいろと考えられるのか,という風に考えていく必要があると思う。」とお答えしました。
 なかなか説明しにくい点ですが,個々の取り組みは,それ自体の正しさ・妥当さだけでなく,その時の環境などによって,うまくいくいかないがあるものです。したがって,何をすればいいかだけを議論するのではなく,何を目指してどのような方向性の中でいろいろともがいてみるべきなのかを考えていく必要があるように思うのです。
 理論的な話ではありませんが,このような「実感」を大切にしていきたいと思っています。

2016年1月9日
 新年の始めの週はあっという間に過ぎました。一昨年から取り組んでいる過疎地域での若手医師等の研修研鑽支援を地域の医療機関ネットワークで進めるという事業の関係でドタバタしてました。
 月曜日から喉が痛くなってたのにそのままにしておいて,水曜日から少し悪くなっていたのに,木曜日に予定していた友人二人との新年会を延期するのもと出席したこともあり,金曜日は朝から大変でした。とはいえ,なんとか一週間が終わってほっとしています。
 でも,信頼できる仲間とおいしいお酒を飲むのはいいものです。みんな実際の仕事の中ではいろいろと苦労は必ずあるはずなのに,集まると,前向きの話で盛り上がります。愚痴を言い合っていても仕方ないし,それでは時間がもったいないし。
 今年も,そんな前向きな仲間たちと一緒に,いい仕事をめざしていきたいと願っています。
 30代の頃に自分に言い聞かせていた言葉は「しなやかにしたたかに懸命に」でしたが,不思議に今も違和感はありません。今年も肩の力を抜きながらも懸命にやっていきたいと思います。

2016年1月3日
 あけましておめでとうございます。
 みなさま,良い年をお迎えのことと存じます。
 昨年も一年間,本業と個人的な頼まれごとでドタバタと過ごすことができたことを,感謝の思いと共に振返っています。
 今年も,懸命にもがきながら,そうできることの幸せと責任を感じ大切にしながら頑張っていきたいと思っています。
 多くの魅力的な方々との出会いとご縁を楽しみにしています。
 社会のためにも少しでも意味のあることをめざして,日々を大切に今年一年も過ごしていきたいと願っています。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 今年が,みなさまにとって良い年でありますように。



橋本康男のひとり言2016年 '01 '02 '03 '04 '15 '06 '07 '08 '09 '10 '11 '12 '13 '14 '15 '16 '17 今年
橋本康男のトップページへ 参考フレーズ集 駄文抄 遊びのページ English Page 広島大学での4年3か月


Since 13 Feb. ' 05