橋本康男のひとり言2005年 '01 '02 '03 '04 '15 '06 '07 '08 '09 '10 '11 '12 '13 '14 '15 '16 '17 今年
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 2005年12月31日
 7年前にシンガポールから学生交流で広島に来て,我が家にホームステイしていた学生が,その後カナダで学び,1年ほどカナダで働いた後に今年1月から大阪で働き出しており,昨日から我が家に遊びに来てくれています。
 多様な経験をする中で,たくましくかつ深まっていっている様子を,まぶしく感じています。人が成長していくのを見るのは,いいものです。
 みなさま,今年1年大変お世話になりありがとうございました。来年が良い年でありますように。

 2005年12月28日
 TVアンテナ騒動の始末記です。結局,自力解決はあきらめて家電量販店の修理センターに依頼しました。26日に依頼したら28日午後しか行けないということで,昼から休暇を取って待っていたのに年末大忙しで来てもらったのが午後7時半過ぎ。で,なんとわずか15分間,数百円ですべて解決してしまいました。
 25日に自分でやった混合器や分配器などの取り付けはすべて問題はなく,結局,VHF/UHFの線の端末に元から付いていた小さな接続金具が旧式のものだったためにBSの電波を通さなかったためだとのこと。あっけに取られるほど簡単な解決でした。でもまあ,あれだけ失敗したからアンテナのことも少しは知ることができた訳だし・・・。
 効率だけを考えれば最初からプロに頼めばよかったと言うことはできるでしょうが,どうもそうだけではないのではないかと(悔し紛れ半分で)思っています。仕事で新しい事業に取り組む時はいつもこんな感じです。自分で回り道や無駄な動きをしながらドタバタする中で,出会いがしらで解決策にぶつかることもあります。そこが,スマートで緻密な理屈だけではないのではないかと,こだわる理由です。もちろんそこには自分なりの仮説が必要で,その方向性の中での模索でなければ単なる行き当たりばったりで終わってしまいますが。
 昨日は,1日休暇を取って,三次市の行革の意見交換に行って来ましたが,そこで感じたことも,人は実践のドタバタの中で力を付けていくということです。今の三次市は,信念を持って突き進む市長さんの下で,それに対応する職員は嵐の中に放り込まれた感じでもうてんやわんやで走り回っています。特に,私がお世話になっている,行革を担当されている部署はそうなのですが,そのような環境でこそ人は育つのだと感じます。平穏な時代が続く穏やか過ぎる平水面では,波風を起こすような仕事はうとまれ,細かな話に終始してしまいがちです。ある面では,嵐の中でこそ,本質を追求していく動きが直裁的に進めていけ,その中から新たなものが生まれてくるのかと感じています。
 どうせ汗をかくなら,あのような環境で汗をかきたいものだと感じたところです。

 2005年12月25日
 3連休でしたが,金曜日は毎週日曜日恒例のクアハウス(温泉+スポーツジム)通いを繰り上げて実施,今日の日曜日は2週に一度の尾道の老親の買い物の運転手と過ごし,土曜日は朝から終日TVアンテナの「修理」で屋根の上で過ごしました。
 もとはと言えば,ビデオデッキが壊れたので,家電量販店で一番安いビデオデッキ+DVDを買ったらBSが付いてなかったところからトラブルが始まるのですが,それを気がつかずにVHSとUHF?とBSの混合の問題だと勘違いしたことから,問題が広がってしまいました。
 とはいえ,20数年ぶりの雪の後で周囲の山々が真っ白な中で一日屋根の上で20数年前の新築時に配線してもらったTVの線が硬くなっているのに最近の接続金具を取り付けるのに悪戦苦闘したり(TV配線に太さの違いで3種類あることも始めて知りました。),BSと一般放送の混合器や分配器などに大枚をはたきつつも,なぜか新たなプロジェクトを始めるときのことを思い起こし,初めてのことに試行錯誤や失敗や無駄は付き物と,妙に納得しながらこつこつと作業をしていました。
 知っていることならばもっとスマートにできるのでしょうが,TVアンテナについては初めてなので,随分無駄な動きがありました。(しかも,BSの混合の部分については,まだ問題が解決していません。)このあたりが,実際の問題に直面した時の,泥臭い努力の現実と,机の上で理屈を言っているものとの違いなのではと,(悔し紛れに)考えたりしながら寒風にさらされながら考えていました。
 既に知っている道ならば,要領よく進んでいくことができるでしょうが,初めての道ならそうはいきません。事前勉強で無駄な動きを減らすことはもちろん当然に必要ですが,それだけでは済まないのが現実です。
 そんな小さなことでも,違いを大切にしていく必要性を感じた一日でした。

 2005年12月17日
 昨夜は,アジアを考える会の4周年の12月例会を開催しました。4周年記念ではあるものの,参加者の減少から(私の責任ですが・・),会の中断も考えなければならないかと考えながらの開催でしたが,下関から遠路ご参加いただいた方など熱のこもった対話が続きました。
 話のテーマは,日本社会の変容です。
 若い人たちが,ベンチャーやフランチャイズといった甘い言葉にいとも簡単にだまされてしまう現実,そして深刻な事態に追い込まれるまで相談する相手がいないという現実。
 そして,物心ついた時から,将来に夢を持てない環境の中で育ち,親を見ても大人になりたくないと感じながら育ってきた人たちが成人している。
 夢が持てず実体験がなく,基礎運動能力も基礎コミュニケーション力も鍛えられずに育っていく現状を嘆くするだけではなく,国の経済的発展の過程の中で,組織社会化,知識社会化の流れの中で起こっている変化の問題として話し合いました。
 TVゲームのように,各ステージで最高得点を出し続けることしか評価されない社会,その他の生き方からの独自性を生かした新たな道の開拓の可能性が開けない社会ではいけないのだと感じました。
 ちょっと贅沢な対話を楽しめた感じで得した気分でした。
 14日には,広島シンガポール協会の設立10周年交流会を開催しました。現・駐日シンガポール大使のほか,10年前の協会設立時の駐日大使もわざわざシンガポールからお越しいただくなど,盛会でした。13年前の一番最初の学生交流から数えると延べ640名の学生たちがシンガポールから広島に,1か月の企業研修と1週間のホームステイプログラムで,訪問しています。「汗はかくけど金は出さない」で,基本的には自分のお金で来てもらって13年!が自慢です。

 2005年12月10日
 ひたすらどたばたする日々が続きました。本業以外にいろいろなことに首を突っ込みすぎているからだと言われればそれまでなのですが。
 今週も,来年度に精神障害のある人の社会復帰支援の住居確保についての研究をしないかと声をかけていただきました。以前も研究レポートを書いたことのあるテーマなので,とりあえず引き受けることにして研究計画をどたばた書いたところです。(採択されるかどうかは未定ですが。)これに関して,いくつか考えるところがありました。一つはキャリアデザインということと,もう一つは行政職員の職務です。
 キャリアデザインについては,以前,地道な業務には無責任で表面的な格好付けに熱心という「キャリアプランナーの資格を持った人物」に出会ってしまったことがあるため,どうも偏見と先入観がついてしまったようです。もちろん,キャリアデザインの大切さを否定するつもりはまったくなく,大切さも認識するのですが,一つの方向性を意識しながら努力を積み重ねていくというのは良いとしても,新しい仕事が来た時に,それが自分のキャリアにとって有利か不利かとか得か損かという形で選択していくということにつながってしまえば問題です。今回声をかけていただいた研究についても,本業に直接関係があるわけでもなく,将来その分野の専門家になる訳でもない(なれもしない)私としては,単純に考えれば引き受ける理由はないとも言えます。ではなぜ引き受けるかと言えば,興味があるからということと,社会として必要なことだと思うからということになります。
 もう一つの行政職員の職務という点については,このような本務以外の活動についての理解です。もちろん,本務の勤務時間以外に行うことなのですが,それでも理解が得られにくい面があります。行政職員は割り当てられた職務分野の仕事だけをしていればいいというのではなく,(勤務時間外に)多様な社会課題に取り組んでいくことについて,もう少し理解が広がっていく必要があるのではないかと感じています。
 福祉について,保健,医療はもとより,教育,就労,住宅,交通,環境,まちづくり等との連携で考えようとする地域福祉計画のコンセプトに見られるように,社会の課題は多様でしかも相互につながっています(11/7ひとり言参照)。社会を職務の対象とする行政職員については,縦割りの蛸壺に閉じこもるのではなく,幅広い社会課題に積極的に関わっていくべきだと思います。一つの籠の中で上下左右ばかりを見ていると,社会の人々の常識とかけ離れた感覚の職員が生まれかねません。最近,友人たちから聞く行政職員評にそのような内容のため息が聞かれるのは残念なことです。
 このほか,研究計画を書くために何人かの友人たち(その道の実践現場のプロ!)に電話で相談してみて,改めてつくづく仕事の質の大切さを感じました。この友人たちは,広島をベースに質の高い仕事をしてきた人たちであり,全国的な評価を得ている人もいます。同じような仕事をしている人たちは沢山いるのですが,そこで突き抜けた仕事をしている人がたまにいます。器用でも立ち回りがうまい訳でもなく,ひたすら真剣に仕事をしている人たちです。口先でこけおどしの宣伝をすることもありません。そんな人たちの話を聞いていると,その分野でこれから社会が取り組んでいくべきことの本質はほとんどつかんでおられると感じます。これだけクリアに問題の本質がつかまれているのになぜ今更「研究」なのかと感じますが,それがそれが相互に結び付けられて理解しやすい形に整理され社会で受け入れられていないからこそ,「研究」が必要なのかとも思い返しました。
 現場で実際の具体的な成果を上げようと奮闘されている方には,そのような説明に時間と労力を割く余裕はなかなかありません。それこそが行政の役割ではないかとも思うのですが。

 2005年12月3日
 11月3日付けでも紹介しました「異文化を背景とする子どもたちへの教育支援に関する研究報告」が,研究代表者をしていただいた広島大学留学生センターの中矢先生のホームページに掲載されました。
 広島では,ペルー人による小学1年生の殺害事件が起きています。この研究の中では,現在,日本に在住している外国人200万人のうち,日本語に問題が少ないと思われる永住者が多い韓国・朝鮮国籍の方を除いた学齢期(小1〜高3)の外国人子弟の数を約10万人と推定し,そのうち文部科学省の資料では公立の学校に通学している外国人子弟が韓国・朝鮮国籍を含めても7万1千人とされていることから,約3万人程度は学校に行っていない外国人子弟がいるのではないかと,問題提起しています。
 これらの子どもたちは,日本での就職に必要な知識・学歴を身につけることはもちろん,生活や交流に必要な十分な日本語力も身に付かず,しかも,日本に住んでいるために母国語も十分ではないという,極めて問題の大きい状況に置かれています。
 早いうちに社会として取り組んでいかなければ,多様な社会問題として顕在化していくのではと心配しています。もちろん,それは,単に社会問題を防止するという後ろ向きの話としてではなく,多様性を受け入れ「違い」を尊重するダイナミックな社会づくりの一環としてという文脈で考えられるべきものだと思います。
 現代の社会の問題は,それぞれ一つずつを取り出して対応していくには限界があります。どのような社会を生み出していくことをめざすのかを明確にして,複合的に取り組んでいく必要があると感じています。
 現在お手伝いさせていただいている地域福祉計画のワークショップでも,地域では,子どもの登下校時の見守りと散歩コースの組み合わせ,わらじ作り等を通じた学校教育との連携,災害時等の緊急時における町内での一人暮らしのお年寄りの見守り活動などが,一体のものとして議論されています。地域に暮らす人々の立場から言えば当然のことですが,行政の都合などでこれまでそれぞれ別々に議論されていたものが,少しずつつながっていこうとしていることに,期待をしたいと思っています。

 2005年11月27日
 相変わらず,通勤時間など,暇さえあればドラッカーを読んでいます。11月13日にも触れましたが,1939年に出版した処女作「経済人の終わり」では,29歳であったにも関わらず,ナチズム,全体主義の社会的・歴史的位置付けを見事に描き出し,半年後の「世間の想像を超えた」独ソ不可侵条約締結などその後の動きを,物事の本質的な把握から冷静に予測していた人が,今年まで現役で活躍し続けてこられたということは,驚異でしかありません。
 なにより感銘を受けるのは,社会におけるいかなる「権威」(「大」政治家や「大」学者など)や「勢力」にも影響されず,「流行」や「常識」にも目をくらまされず,ひたすら人と社会のありようについて冷静にしかも暖かく考え続けてこられたことです。ご自身を,人間によってつくられた人間環境に関心を持つ「社会生態学者」とされるゆえんです。
 このような知性に触れることで,自分自身の生き方を考えさせられます。
 ところで,相変わらず週末は,地域の町内会の役員さんや民生委員さん,住民の方などとの地域福祉計画のためのワークショップに出かけています。そこで感じるのは,(当たり前ですが,)地域によって状況はそれぞれ異なり,一口に「地域」とはまとめられないということです。当然のことなのですが,机上で計画づくりをしていると,つい「(行政と)住民とNPOとの協働」という決まり文句で分かったような気がしてしまいかねないのではないかと感じます。
 実際に議論をしていると,自分の予想外の発言が続くことが常で,安易に考えていた自分を反省させられます。このような議論や対話には経験の積み重ねが必要なように感じますが,行政では,一方的な「通知」や「説明」の機会は多くても,一緒に議論して何かをまとめて行くという機会が少ないように感じます。非効率で回りくどいかもしれませんが,答えを模索しなければならない時代においては,事業の数を減らしていってでも,このような経験を積む機会を増やしていく必要があるのではないかと感じています。
 そこで議論している一つのポイントは,50年前には50%だった農業就業者の割合が5%になり,50年前には40%だった全就労者に占める被雇用者の割合が85%になっている現代社会で,組織で働く知識労働者の地域社会との関わりをどう生み出していくのかということです。
 単に草刈を手伝えというだけでなく,組織に働く人の知識や技術を生かせるもの,そして組織での仕事の傍らで続けることができるように週3時間とか月3時間といったプチボランティア的な参加の仕方,などを考えていく必要があると感じています。
 平成9年から10年にかけて50代以上の男性の自殺者数が急増し,最近では30代の男性の自殺者数も増加しています。地域に縛られるのは嫌にしても,組織人にとっても快適な,ゆるやかな結びつきの工夫が必要なのだと感じています。

 2005年11月21日
 今朝は,不思議に現実的な夢を見ました。詳しいストーリーは省略しますが(というよりも忘れてしまったのですが),比較的平和な生活場面の間に嵐の海での光景が挟まっていました。自分自身も嵐の海の船の中で何人かと力を合わせて激しく働いていました。
 その前後の比較穏やかな場面との対比が印象的でした。
 目が覚めて考えたのは,「新たな取り組みは嵐の海に船出するようなもの,嵐の海でもまれるものだが,嵐の海でもまれた経験があれば,平時には,無駄な動きや叫びを減らし,次の船出のために必要な準備を淡々と着実に進めていくもの。」というようなことです。
 嵐の海の激しさを経験した者が,逆に,平穏な生活の味わい方も知っているのかもしれません。
 もちろん,嵐の激しさは,表面的な激しさばかりではありません。むしろ,何かをめざして一歩前に踏み出して,無駄な摩擦を避けようとしつつ,周囲の無理解や無神経な発言に耐えながらも,地道な努力を息を詰めて続けていくことの方がよほど「激しさ」を必要とするのかもしれません。
 そんな地道な努力に求められる静かな激しさやある面での乱暴さが,何かを生み出すためには必要なのかもしれません。静かな迫力といったものかとも思います。それは,社会の理不尽さへの良質な怒りによって支えられるものでもあるように感じます。
 そんな経験をしていなければ,平時において大げさな声を上げたり掛け声ばかりが先行したりしてしまうのかもしれません。逆に,嵐の海を経験していれば,次の船出においてもうまく行く保証はないことを良く理解しているがゆえに,無用なエネルギーを浪費せず,今できることを大切にしていくものなのかもしれません。

 2005年11月13日
 今朝の新聞で,マネジメントの大家,P.F.ドラッカーの訃報に接しました。11月11日に95歳でなくなられたとのこと。恥ずかしながらドラッカーの本を読み出したのは今年になってからです。これまで20冊ほど読みましたが,いずれも知性の迫力を感じさせるものでした。約80年近い社会人としての現役生活は,今年まで続いていました。特に,29歳の時に出版した処女作「経済人の終わり」以来60年以上にわたり現役研究者として,社会に対して冷静で透徹した見方を提供し続けてこられたことは,まさに驚異です。何より驚かされるのは,この長い期間にわたって,言ってこられたことがほとんどぶれていないこと,そして何十年も立った今になって振り返ってみて,その時々に言われたことがまさに時代を見通していたと思わされることです。この変化の早い時代に,30−40年前に書かれたものを読んで,まったく古さを感じさせられないというのは,どういうことかと驚かされます。
 知性の迫力と評するゆえんです。しかも,その底流には,人と社会に対する暖かさがあります。
 その時々の流行などには一切無縁で,目先の功名や既成の権威などまったく関係なく,ひたすら現実・現場を良く見て情報を理解し,社会と組織のあり方の真理を語り続けてこられたドラッカーは,まさに現代社会の宝であったように感じます。
 せめてその姿勢だけでも,いくらかでもまねたいものだと思います。
 ドラッカーの巨大な業績と存在感に,畏敬の念と感謝を込めて。

 2005年11月7日
 どたばた週末で,書けませんでした。
 土曜日は三原市で2か所,地域福祉計画のワークショップのお手伝いをしてきました。町内会の役員さんや民生委員さんやボランティア活動をやっておられる方の集まりで,地域の福祉課題についての話し合いです。
 最近は,「市民とNPOとの協働」という言葉をよく耳にしますが,実際には「健康な地域づくり(健康診断,運動,・・),障害のある人の支援(精神・知的・身体障害,・・),高齢者介護(在宅介護支援,・・),メンタルケア(うつ病対策,自殺予防,・・),子育て(あいさつ運動,しつけ,・・),教育(学校教育,継続教育,生涯教育,・・),外国人(生活支援,日本語支援,・・),防犯・防災(犯罪防止,災害防止,・・),環境・景観(環境保護,景観保護,・・),地域交通(移動手段の確保,・・),などなど」実に多様な分野での課題があります。
 それを,「行政外郭団体,財団,企業,マスコミ,経済団体,職能団体,福祉団体,福祉関連事業者,NPO法人,NPO,その他団体,教育機関,研究機関,町内会・自治会,コミュニティ推進協議会,公衆衛生推進協議会,地域安全協議会,民生委員,児童委員,福祉委員,学校・公民館,ボランティア組織,P T A,個人,などなど」実に多様な関係者と具体的にどうしていこうとするのかが明確でなく,単なるイメージで言われていることが多いような気がしています。
 やはり,現場での実践の積み重ねの中で,それぞれの可能性と限界とを理解して進めていくことが必要なように感じます。

 2005年11月3日
 休日出勤をして早く帰ったので,臨時号です。
 今週はうれしいことが続きました。一つは,この1年半取り組んできた「異文化を背景とする子どもたちへの教育支援に関する研究報告」が刷り上り,届いたことです。地域で日本語教育に取り組んでおられる方からのご相談を契機に1年半前から取り組みだしましたが,研究参加をお願いした先生に4人立て続けに断られるなど,多難なスタートでした。
 しかしながら,結果的には,実践を大切にされながらもアカデミックな水準の高さをめざしておられるとても素晴らしい先生にご協力をお願いすることができました。めぐり合わせのありがたさを痛感しています。
 この研究は,最初は,「外国人子弟の日本語教育支援研究」としてスタートしましたが,問題を抱えている子どもたちの中には,海外で生まれた日本国籍を有する子どもたちもいること,また,問題となっているのは日本語教育だけに限らず全教科であることなどから,途中でタイトルを変更しました。
 この研究で感じたのは,現場と大学の研究の接続の大切さです。最近は,特定分野に絞り込んだ研究でなければ評価されにくい傾向があるやにも聞きますが,現実と離れた研究はありえないと思います。本当に力のある先生は,現実に直面するのを(そして混乱に巻き込まれるのを)ためらわれないのだと思います。そのような研究者のチャレンジから,社会が本当に求めている研究が生まれてくるのではないかと思っています。
 月曜日には,シンガポール国立大学日本研究学科長が研究会で広島に来られ,夕食をご一緒しました。実力主義のシンガポールらしく,とても若い「責任者」です。シンガポール最高学府の日本研究の責任者に,(多分)30代の研究者を配置するところがシンガポールだと感じます。これまでは英語でしか話したことがなかったのですが,今回はもう一人同席者が居られたので基本的に日本語で済ませられました。相手の達者な日本語に,これまでの英語での会話を思い出して冷や汗ものでした。
 水曜日には,県で地域医療を担当していた時から福祉分野でのそのご高名は仄聞していました大崎上島の松浦さんにわざわざお越しいただきました。地域の保健・医療・福祉の情報システムという比較的得意分野の話でしたのでリラックスしてお話できたのですが,良い仕事をしてこられた方との会話の楽しさを改めて感じさせていただきました。曹洞宗のご住職でもいらっしゃるということです。(般若心経の世界ですね。)ブログをお持ちで,私の紹介(11月3日付「好縁」)もいただきました。法縁とは言いながらいささか気恥ずかしく。合掌。

 2005年10月30日
 昨日は,香川県庁職員の友人がNPOの立ち上げから運営まで個人的に支援している障害者の在宅就労サポートNPO「Ze.Ro(ゼロ)」主催の講演会「働け障害者!本当の自立を目指して」に出席するため,妻と二人で鈍行列車を乗り継いで片道5時間をかけて高松まで行ってきました。(帰りは岡山から新幹線を奮発したので半分の時間でしたが。)
 講師は,ユニバーサルデザインの潟ーディットの関根千佳さんほかで,福祉機器展示会も同時に開催していました。参加者は100名程度で,講演の内容や福祉車両や福祉機器など十数社の福祉機器展示の充実振りを考えると少し残念な感もありましたが,四国電力の研修施設を借りて大掛かりに行われたこの素晴らしい行事が,行政でも大きな団体でも無く,障害のあるメンバー8人を中心とするたった10人の会員しかいないまだよちよち歩きの新米NPOによってなされているということ,そしてこれが昨年に続いて2回目だということを考えると,そのパワーに圧倒されました。
 このような事業は,続けること,特に2年目が苦しいので,少し心配して出かけましたが,予想に反して本当に立派なものでしたので,正直驚きましたし感心(というより感動)しました。一握りの人たちがここまでできるということが伝えるメッセージはとても大きいものがあります。
 障害を持ちながら明るく頑張る会員さんたちの頑張りと,それを支援する良いコーディネーターの連携の成果です。「意志あるところに道が生まれる」の「意志」の存在を久しぶりに肌で感じさせてもらいました。
 これを支援している私の友人の倉本さんの(孤軍)奮闘振りを見ていると,行政職員にとって大切なことは,「社会の不条理への怒り」や「こんな社会をつくりたいという真剣な思い」であることを改めて痛感させられます。
 社会の現実を見ずに,安全なところに立って思い付き思い込み思い上がりの仕事をして自己満足に浸るというようなことは,決して許されないことだと思わされます。
 とはいえ,自分自身がどれだけのことをしているかと考えると,内心忸怩たるものがあります。大学から行政の現場に帰ってみて,改めて学ぶものは多く結果としては満足していますが,今日も明日も明後日も5年後も一緒に仕事をする同じ組織のメンバーに本気で角の立つことはしにくい環境の中で,本当に最善を尽くしているのかと自問自答してしまうこともあります。
 本業での初任者研修の教材作りや,今週末からほとんど毎週末の延べ10回の三原市の地域福祉計画のワークショップの準備,12月の広島シンガポール協会10周年の打ち合わせ,明日来広されるシンガポール国立大学日本研究学科長の対応,11月に札幌で予定されている公務員の組織風土改革交流会の運営委員会議,同じく11月下旬の廿日市市の1泊2日の組織風土改革合宿のコーディネーターなどなど,表面的な忙しさの中で見落としている大切なものがないか,本当に努力をし続けているのかと,改めて自分自身で問い直さなければと感じているところです。

 2005年10月23日
 公務員の組織風土改革関係のメーリングリストで,友人の一人が,「私がこれまでにいただいた仕事を振り返りますに,決して人がうらやむような仕事ばかりではなかったと思います。 成功?→やり終えた,と強く実感できた仕事はどちらかといえば,人が避けたがるような仕事でした。また,だからといって,社長から誉められたり,ホームランバッターのような拍手喝采の出迎えはありません。達成感の味を自分の中で密かに噛み締めるくらいです。」と書いたのに共感して,思わず次のような投稿をしました。
 「これが,私が「現場」を大切にしたいと申し上げるゆえんです。住民に近い仕事とか個別事業だとかというのではなく,自分の目の前の担当分の責任業務という意味で使っています。目の前の仕事に,自分の責任をちゃんと果たしたいと,「名を惜しむ」と,恥ずかしくない仕事をしたいと思い,「余計なこと」「要らんこと」に手を出していくということかと思っています。そこでは,「自分がやった」ということよりも,「自分がめざしたものがいくらか形になった。動いた。」ということが目標になります。実際にものを動かそうとすれば,実に多様な方々の理解と協力が必要であり,それを得るために,大変な根気と地道な努力とめげない根性といくらかの乱暴さも必要になります。自分一人がしゃかりきになっているのではという情けない思いや恥ずかしさが交錯していきます。「成功の秘訣は実現するまであきらめないこと,止めないこと」だと言われるのも,これだと思います。
 でも,なかなかそうはいっても,うまくいくことなど少なく,「百発一中」というところで,九十九発は恥ずかしさに耐えながら空振りを続けている状態だとも思います。実際は,改革をするんだと胸を張って口に出した途端に回りが引いてしまい,それまでこつこつと積み上げてきた努力が一瞬に吹き飛んでしまうのではという恐怖感の中で,なんとか自分自身を励ましながら息を詰めて粘っていく感じではないかと思います。私は,それを「静かな迫力」と言っています。
 うまくいった仕事は,最初は聞く耳も持ってくれなかった人達が,次第にのってきてくれて,自分自身の考えとして行動し出してくれることから生まれたように思います。「自分がやった訳ではないけど,自分がいなければ生まれなかったといえる仕事」が良い仕事だと思う理由です。
 もっとスマートで格好のいい,合理的で理論的な進め方もあるのかもしれませんが・・・。
 このあたりが,(外部からの発言としての)大学の先生やコンサルタントのあるべき論と,今日も明日も明後日も10年後も互いに顔を合わせる組織内部で仕事をしている人達との間をつなぐ,人なり仕掛けを考える必要があるのではという問題意識にもなってきます。
   私がオフサイト・ミーティングに期待するのは,いろんな思いを持って体を動かしている人達が,自分の持っている思いが間違っていないんだと思えて,また次に進んでいく元気が出るような場です。もちろん,変革のためには,理論や知識・経験やノウハウも必要ですし,ネットワークづくりも大切ですが。」
 もう一つ,投稿では書き落としていましたが,今日の仕事と明日の仕事という視点もあると思います。今,誰もが問題だと認識している問題・課題に取り組むのはそんなに恥ずかしいことではなく,大きな声で自信を持って発言していけますが,今はほとんど問題にはなっていないけれども明日のためには取り組む必要があるという課題に気がつき取り組んでいくというのは,簡単なことではないように思います。周囲の理解が得られにくい中で,こつこつと取り組んでいくことも大切かと感じています。

 2005年10月15日
 4年前から続けているアジア人の会(WAA広島,We Are Asians)の10月例会を開きました。今回は,広島県の誇る中国の大家による「Rin おじさんの視た今どきの中国!」でした。
 「政冷経熱」の日中関係,変貌する昇龍の経済発展,貧富の差・汚職・少数民族問題からめざす「和諧社会」,1億人の小皇帝,遣唐留学生の墓誌,内陸部の今と意味,などなど,写真も交えて,二十年間の公私にわたる政治・経済・文化に広がる蓄積を背景とされたお話でした。
 特に,経済面の急速な発展はすさまじく,GDPはカナダを抜き英仏を抜く勢いだとか,毎年8−9%(10年で2倍以上になるペース,日本は1%台)の経済成長,3億台の携帯電話(日本は8千万台),上海の摩天楼の数はニューヨークを抜いたとか上海のコンビニの数は4千店舗とか。それを背景として,天然資源問題が深刻化し,東シナ海等での天外天ガス田問題が出てきていることや,貧富の格差(ダイエットの都会と食うに困る田舎),汚職,「民乱」などなどの問題にまで,含蓄に富むお話が続きました。黄河の渇水対策として揚子江から黄河を結ぶ3本の水路の建設に伴う立ち退き対象者が40万人。三峡ダムに伴う立ち退き対象者も同じく40万人など,中国ならではの数字の数々にも圧倒されました。
 中でも考えさせられたのは,中国内陸部が,中国政府の内陸開発の重点推進の中で大きく発展しようとしているにもかかわらず,早くからアプローチしていた広島企業で今だに頑張って成功している企業が少ないこと。多くの企業は,そこそこ何とかやっていけているために,背水の陣,不退転の決意にまでならず,途中の困難に耐え切れずに続かず,大きく発展を始めている今では,他県や他国の企業に果実を取られているとのこと。豊かさが生み出す弱み,成熟と衰退,それに対して,日本の,広島の社会は,どのような取り組みをしていけばよいのか,問題提起はされたものの,答えは出ませんでした。
 もう1点は,1億人の小皇帝。一人っ子政策で甘やかされると共に過重な期待をかけられて,重点小学校入学に血道を上げる。その中で生み出される,我がままで感情コントロールのできない子どもたち。他人事ではありません。
 経済的な発展は,人間の発展には結びつかないのでしょうか?
 人間の発展については課題が大きいので棚上げにするにしても,経済発展の方については,今週号の日経ビジネスでも,見えないもの,不合理なものへの挑戦の大切さが載っていました。豊かになると,スマートに理路整然とした説明が上手な人が増えて,いかにももっともらしい説明を聞かせてくれますが,私自身の経験でも,変革は,それまでになかったものを生み出そうとするのですから,そもそも既存の常識や言葉で簡単に隙なく説明できるものではありません。豊かになれば,その問題を指摘して批判し行動しないことを繰り返していても,明日のご飯には困りません。しかしそれは,昨日の蓄積を食い潰しているのであり,明日のご飯には困らなくても明後日のための蓄積はしていないということです。変革には,高い志と歴史の流れ意識,そして必然性に基づいた一定の乱暴な行動を生み出しそれをやり抜く馬力と度胸と執念が必要だと感じるゆえんです。

 2005年10月10日
 3連休を利用して,家族で乗鞍高原へ行ってきました。長野で学生生活を楽しんでいる愚息が乗鞍高原のペンションでバイトをしているので,家族で働きぶりを冷やかしに行ってきました。
 ペンションは13室あるのですが,硫黄泉の温泉で4つの独立した露天風呂を手作りでつくり,それぞれ好きなお風呂を貸切で独占できるという贅沢なものでした。従来の,男女別で豪華な大風呂を作るというのではなく,家族などで独占できるというのは新しい時代だと感じました。紅葉がきれいで,良い時間を楽しんで来れました。
 私も,学生時代には,信州,南小谷(みなみおたり)の古い農家の民宿で毎冬約1か月ほど働いていました。アルバイトではなく,雪国の生活を体験したいという思いから,冬のスキーシーズンに1か月働く代わりに,年間通して好きな時に好きなだけ居候させてもらえるという形で4年間を過ごしました。当時はまだスキーが好きではなかったので(30歳過ぎてから暴走族になりましたが),食事の支度,皿洗い,買出し,雪かき,早朝の道ふみ,集落の水道の凍結対策などなど,17戸しかない小さな集落での生活を楽しみました。白馬三山(白馬,杓子,白馬槍)が本当にきれいに見えるところで,尾根からは妙高の火打岳のきれいな三角形も印象的でした。
 このような裏方の仕事を若いうちに経験できたのは,(大学の勉強はほとんど何もしませんでしたが)とても良いことだったと感じています。一つは,陰日なた無く働くことの大切さを実感したことであり,もう一つは,もてなされることの意味を考えさせられたことです。
 例えば,海沿いのホテルのウッドデッキにあるビーチパラソルの下の白いテーブルで,赤く染まった夕日の海を見ながらワインを傾けるというのはいいものですが,その状況を成り立たせているもの,つまり,その施設を建設し運営している経営主体,ウッドデッキを毎日掃除をしている人たち,ワインを運び,あるいはワイングラスを洗っている人たち,そんな人たちによって,その情景は成り立っているということを意識するようになったということです。
 もちろん,そんな時間を楽しむことが良いとか悪いとかではなく,それぞれの時間,情景を楽しめば良いのだと思っています。ただし,そんな情景が何によって成り立っているのかを考えもしなければ,社会における仕組みづくりに必要な感性を持つことも難しいのではないかと感じるのです。
 恵まれていること自体は恥ずかしいことではないと思いますが,自分が恵まれていることを,恵まれている時間を過ごせていることを意識できずに無駄遣いしていたり,無意識の傲慢さ・尊大さにつながっていたりすれば,それは悲しいことだと思います。そして,表面的な形にとらわれる心から,離れられなくなってしまうのではないかと危惧してしまいます。

 2005年10月4日
 先週末は,土曜日に「異文化を背景とした子どもたちの教育支援研究」の研究会と座談会があり,久しぶりに広島大学へ。大学を辞めてまだ半年しか経っていないのに,まったく特別な感傷が無いのが不思議なくらいです。もともと,アカデミックよりも現場でのどたばたが好きな私には向いていなかったのかと思っています。
 座談会では,9月に行った地域座談会に続いて司会を勤めさせていただきました。録音したものをテープ起こししていただいて報告書に掲載するのですが,自分がしゃべったものが文章になって出てくるというのは不思議なものです。
 こうして文章にしていただいて初めて気がついたことは,私は言葉の最後を省略しているということです。役人の性としての責任逃れの習慣なのかもしれませんが,意外な感じです。これはなかなか直りそうにありません。早口だし,言葉尻は省略してあるしで,テープ起こししていただく方にはご迷惑をおかけしているようです。
 9月はいろいろとあり,嵐の1か月でしたが,今週はちょっと落ち着いています。
 ということで,お役所講座です。お役所仕事とはというタイトルで。「前例踏襲・・・これまでもこうしてた」「箱庭の完璧主義・・・それは自分の仕事じゃない」「小さな権限を振り回す・・・事前に話がなかった」「包括的に抜本的に総合的に・・・単なる先送り」「こそこそ内緒話の・・・おおげさ秘密主義」「去年予算要求したけど駄目だった・・・言い訳」「上司が駄目だから・・・で定年まで過ごす」「うまくいく保証はあるのか・・・で,やる気をくじく」「思い込み,思い付き,思い上がり・・・お上の怖さ」「弱きをくじき,強きにおもねる・・・カメレオン」というケースは無いとは言えませんが,ほとんどの職員は真面目に懸命に働いています。(筈です。)
 社会のためにフルタイムで働ける立場にいる行政職員というのはとても良い仕事だと思いますが,倒産しないという環境が,問題も引き起こしています。福岡県の校長先生が言われたという,「利益を追求しなくても良い分,理想を追求したい。」という言葉を大切にしていきたいと思います。
 とはいっても,自分の存在の重要性を誇示したがる人はおり,もっともそうな理屈を指摘してとりあえず反対,代替提案は言わない・・・,事前に(自分に!)相談してもらわないと困る・・・とごねて,自分の了解が無いと物事は進まないと誇示したい,小さな権限を振り回す。悪意でない場合が多いだけに厄介なものです。
 結局は,バランスの取れた判断と行動に対する,周囲からの信頼が最大の価値だと感じています。
 余談ですが,先日,2年前にある広島市内の高校の新入生研修で私が話した言葉を覚えているという生徒さんの話を聞き,とてもうれしく感じました。その言葉というのは,「楽をするというのと楽しむというのは違う。」というものです。できるならば。楽をして生きるのではなく,(苦労も)楽しみながら生きていきたいものです。

 2005年9月25日
 3連休続きだというのに,先週も今週も部屋に閉じこもって,勉強しています。先週は,外国人子弟の日本語教育等支援の研究チームの関係で,今週は地域福祉計画の勉強です。来週と来月と,県内の市などから頼まれて地域の保健・医療・福祉の連携の勉強会のお手伝いをさせていただくので,その準備です。
 いま,地域でもいろんな変化が起きています。地域の健康福祉についても,ただ単に病気にならないというだけでなく,もっと幅の広い取り組みが求められてきています。体の健康だけでなく心の健康も大切ですし,障害のある人や外国人,子ども,高齢者などが,それぞれ力を合わせて地域づくりを進めていくことが求められています。
 それぞれの分野の「専門家」が,自分の領域に留まっているだけでは,問題に対応できなくなっています。「地域」の理解についても,地域が生活の場であると共に就労の場であった時代から,生活の場ではあっても,就労の場は多くは会社である現代における地域づくりの進め方について,まだ,明確な答えは見つかっていないように思います。「会社」に勤めていた人たちが,フルタイムで生活の場に帰る時に,それまでどのような形での地域との関わりを持っていけば良いのかも,団塊の世代の地域回帰を目前にして,これから考えざるを得ません。
 広域合併により,「無医村・無医町」の問題が生じなくなっていく時代において,どうやって地域の医療の確保についての社会の関心を維持していくのかも大きな問題になっていきます。これまでは,熱心な村長さん・町長さんと熱心な診療所長さんがおられれば,かなり意欲的な取り組みが実現していましたが,これからはより大きな行政組織の中で,それらの問題に取り組んでいかなければなりません。
 大きな重い行政システムを動かして,新たな地域システムを生み出していくことのできるコーディネーターが求められますが,その人材をどう確保していくのかが大きな課題です。
 子どもの自然体験,防犯,体の健康,こころの健康,医療,福祉,障害者支援,産業振興,子育て,教育,環境,交通,住宅,景観などなど,実に多様な課題が地域にはありますが,誰がこのような地域での取り組みをサポートしていくのか,考えていく必要がある時期に来ているように感じます。
 そのような仕事が,職業として成り立つのかは不明です。それが,もし無理だとしたら,他にどのような形が望ましいのでしょうか?
 特定分野の専門家ではない新たな専門職が生まれるのか,特定分野の専門家の活動領域が広がって相互にうまくカバーし合い,全体最適調和を生み出していけるようになるのか,あるいは,地域行政がさこで何らかの役割を果たせるようになるものか,興味のあるところです。
 とりあえずは,私としても,自分にできることをこつこつ試行錯誤していってみたいと思います。

 2005年9月17日
 昨夜は,4年前の12月から続けているアジアの勉強会WAA(We Are Asians)広島の9月例会で,日本山岳会学術登山隊のメンバーとして,昨年2か月をかけて,河口慧海(明治時代の求道僧であり探検家)の足跡をたどる踏査調査をされた秘境スペシャリストの清水正弘さんをゲストスピーカーにお迎えして,「明治時代の旅人群像 ー河口慧海の足跡と精神の軌跡をチベットに求めてー」と題した幅の広く深みのあるお話を聴かせていただきました。
 慶応2年に大阪の樽職人の家に生まれた河口慧海が,なぜ足掛け14年にわたり2度のチベット行きを決行したのかについて,当時の宗教界を取り巻く環境,明治人の個人力,など幅広い視点からのお話しがあり,その後,想像を絶するネパールからチベットへの標高5000メートルの峠越えについて,圧倒的な迫力の写真の数々をお見せいただきながら,河口慧海の足跡を現地の人々との交流も交えながらお話いただきました。
 前半の明治の日本社会については,江戸時代に発行された日本初の海外旅券や日本初の海外パック旅行が明治に始まったこと,海外への探検心についての英国との比較,日本人のアイデンティティの持ち方,河口慧海へのバッシング,などなど興味の尽きないものでした。官費で渡航した人たちの脱亜入欧と,私費でアジアに向かった人たちのメンタリティの違いも,考えさせられるものでした。
 後半のネパールからチベットへの標高5000メートルの峠越えについては,何百メートルもの切り立ったがけの斜面を,数十センチの幅しかない道をたどるさまなど,ヒマラヤの雄大広大な山々を背景に,息を呑む光景が続き,その”旅”のすさまじさに驚嘆させられました。しかも,そのような道をたどって交易をしている人たちがいる。そんな人間の活動,暮らしぶりにも,また圧倒されました。
 明治6年生まれで23歳で渡米し,エール大学の正教授になった朝河寛一は,明治41年に,日本政府のアジア政策の問題を指摘し将来の日米開戦の危険性の高さを警告する書「日本の禍機」(講談社学術文庫)を出版しています。私たちは,明治人の個々人の力と実績をもっと学ぶ必要があるように感じます。そこから,組織社会における個人の力のあり方についても,教えられることがあるのかもしれません。

 2005年9月15日
 夏になっても余裕のない日々が続き,お盆も休まず働いていたので,やっと今日は「夏休み」を取りました。といっても,県内の市などから保健と福祉でそれぞれ講師役を頼まれているので,そのための準備で1日が経ってしまいました。
 正確に言うと,先週土曜日に私が司会役で録音した,日系ブラジル人の子どもの地域での受け入れについての座談会のテープ起こしの修正作業もやってましたが。
 これまで,あれこれと脈略なく行き当たりばったりにじたばたしてきた感がありますが,最近になって,色々なことが地域を軸に少しずつつながってきているような気がし出しています。
 地域医療連携,地域看護,障害者作業所支援研究,外国人子弟の日本語教育等,減らそう犯罪,子どもの科学教育プロジェクト,自殺予防,精神障害者社会復帰,組織風土改革,地域活動支援,行政改革などなどが,相互につながりだした感じです。
 人が暮らしている地域で起きていることが,相互に結びついていくことは,ある面当然なのかもしれません。それを,行政の業務分野で区切っている方がおかしいのかもしれないと感じるようになりました。
 相変わらず,将来展望のないその日暮らしでどたばたしていますが,それなりに充実感のある不思議な時間を過ごしています。
 先週まで3週間の市町村指導者養成研修も,現場経験豊富な大人相手の仕事の面白さを実感させてくれるものでしたし,昨日担当した30歳前後の県職員対象の中堅研修も,語りに反応してくれる受講者の目の光に希望を感じました。
 こんな中で,50歳近くになってから初めて勉強?が苦にならなくなってきている自分を楽しんでいます。

 2005年9月11日
 先週も触れた,県と市町職員合計22人による3週間合宿での指導者養成研修が終わりました。私は,政策課題研究のお手伝いなどをしたのですが,現場経験の長い研修生の皆さんとの議論は,とても楽しいものでした。大人相手の教育?の面白さを改めて実感しました。
 今回は,上手に報告書をまとめることよりも,環境変化の中で,行政の役割の範囲と手法が変化していることを正面から問い直そうと話し合いました。4チームに分かれて活動したのですが,どのチームも本当に意欲的に一生懸命に取り組んでいただきました。
 以下は,最後の成果発表会の際に私から出席者にお配りしたメモです・
(模索の時代の政策課題)
 社会環境の大きな変化の中で,これまでの経験の長さや知識の量だけでは,あるべき政策を見出せない時代になっています。
 このような中,行政職員には,社会の使命,行政の為すべきこととその実施手法について,行政の原点に帰り,考えていくことが求められていると考えます。
 思い込み決め付けや,借り物の手法の適用,前例の模倣などではなく,自分自身が考え,自分自身の言葉でそれを表現することが大切であり,それをチームとしても取り組むことが,この政策課題研究の意義であると考えました。
(行政の役割・限界,手法の変化)
 例えば,行政の守備範囲について言えば,十数年前には,家庭内の介護は家族の問題であると考えられていましたが,行政政策は,それを社会の問題として光を当てて介護保険制度を生み出しました。災害復旧時の個人住宅への直接支援はできないとの政府法制局見解にも関わらず,鳥取県では集落崩壊を防ぐためにはやらざるを得ないと踏み出し,その動きは他の自治体にも広がっています。
 また,その実施手法についても,指定管理者制度,エージェンシー化,市場化テスト,市民協働など,行政の直接実施以外の多様な選択を考える時代に来ています。
(行政及び行政職員としての社会への責任)
 このような環境変化から,本年度の政策課題研究では,これからの社会において,行政及び行政職員に何が問われているのか,どのようにしてその責任を果たしていくべきかを,原点から考えることに重点を置きました。
与えられた課題を上手に仕上げるというのではなく,みずから,時代の変化と社会の問題を考え,政策としてまとめていく過程を大切にしたいと考えたからです。
その経験が,それぞれの職場に戻った時に役に立つと考えました。
(研究発表に当たって)
 日々の研修カリキュラムに追われる短い時間の中で,十分な時間があった訳ではありませんが,研修生の皆さんには,真剣に取り組んでいただいたと思います。
 「災害復旧個人支援」,「終末期生活支援」,「外国人定住と地域」,「組織人の時代と地域」の4テーマは,いずれもこれからの地域社会のあり方を問いかけています。
 政策課題研究発表に当たっては,上記の点についても目を向けて聞いていただければ幸いです。
 終わりになりましたが,お世話になりました関係各位に深くお礼を申し上げますとともに,時間の制約の中でも,真剣に考え議論された研修生の熱意に敬意を表します。ありがとうございました。
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 このほか,先週金曜日には,地元紙である中国新聞から頼まれて,「衆院選リレー討論」なるものに寄稿しました。選挙がらみの話に公務員が書くのは議論を呼びかねないとの意見もありますが,別に特定党派の支持を表明するわけでもなく,社会として考えるべきことを提起するだけなのでいいかと割り切りました。
 大学教授や会社社長など比較的自由に発言できる立場の人たちだけでなく,組織に働く人たちの中からも,組織の中で仕事をしていく中で身につけた識見をもっと社会に発言できる機会が必要ではないかと感じているからでもあります。
 ドラッカーが言うように,今の時代は,ほとんどの人が組織に働いている時代です。上下左右に配慮しながら,一人だけ飛び跳ねた行動をするのではなく,チームとして仕事をしている訳ですが,そのような人たちの意見が社会に向かって発信される機会がもっと増えるべきではないかと感じています。実際には,いろいろと物議を引き起こしかねないので,難しいとは思いますが。今回の依頼を受けたのは,そんな思いからのささやかなチャレンジです。

 2005年9月4日
 なんとか今週もこのひとり言を書けそうです。先日,ある方から,ブログにしたら書き込めるのにと言っていただきました。好意的なお話に感謝でしたが,もう毎日夢中で過ごしていると,とてもしょっちゅうは書けそうにありません。
 今は,県と市町職員合計22人による3週間合宿での指導者養成研修が2週間終わったところです。政策課題研究のお世話をさせていただいているのですが,現場で一生懸命にやっておられる方々ばかりなので,一緒に議論に参加させていただいてもとても刺激的で楽しく過ごしています。
 その中で感じるのは,政策課題研究には,理念,目標,問題意識,課題整理などの手法論ももちろん大切なのですが,より基本的には,行政の役割・責任と限界について,自分で考え自分の言葉で議論することの大切さです。
 社会環境の大きな変化の中で,これまでの経験の長さや知識の量だけでは,あるべき政策を見出せない時代になっています。このような時代には,行政職員は,行政の原点に帰り,社会の使命,行政の為すべきことの範囲とその実施手法について,素直な心で悩み考えていくことが大切だと考えています。思い込み決め付けや,借り物の手法の適用,前例の模倣などではなく,自分自身が考え,自分自身の言葉でそれを表現することが大切になっていると感じます。
 行政の守備範囲も変化しつつありますし,その実施手法も多様に広がっています。これからはまさに,個々の職員が小さな改良ではなく,行政の責任を果たしていくための大胆な発想と行動に取り組んでいくことが求められていると感じています。
 話は変わりますが,今日は終日「異文化を背景とする子どもたちの教育支援研究」の担当分の報告書作成に没頭していました。私の担当分は,在住外国人とその子弟の増加の現状と受け入れ環境などについてですが,全国・都道府県別・広島県のデータなどを整理していて,改めて在住外国人の増加のスピードに驚かされます。これからの社会のデザインが問われていると感じています。

 2005年8月26日
 今日は,久しぶりに広島大学に行き,大学時代からの積み残し課題である,「異文化を背景とする子どもたちへの教育支援のあり方についての研究」の研究会に出席してきました。
 大学時代に,地域の日本語教師の方から外国人子弟の日本語教育支援についての相談をいただいたのが機で,地域からの提案課題を大学の研究者が大学の資金で研究するという「地域貢献研究制度」の採択を受けて昨秋始めた研究です。当初は,外国人子弟の日本語教育支援で始めましたが,調べていくうちに,日本国籍の子どもでも日本語能力に問題があったり,日本語教育だけではなく教育全般にわたるものであることが明らかになり,テーマを拡大しました。
 これからの日本の社会のあり方に大きな影響を与える課題であるのに,その取り組みのあまりの遅れに,日本の社会の問題を感じます。
 相変わらず,通勤等の空き時間を利用してドラッカーを読んでいるのですが,今日読んだ「断絶の時代」の中に,「(第二次世界大戦前に)イギリスやフランスの大学は,彼らドイツから逃れてきた教授を人道的な見地から採用した。アメリカの大学は,大学にとっての機会として採用した。30年後の今日,頭脳流出と技術格差の原因がここにある。」と書かれています。すなわち,アメリカの強さは,学歴や有名大学で差別せず,また,海外から来た者も尊重しチャンスを与えたことであり,ヨーロッパの大学に欠けているのは多様性であり,その教育が著しく画一的で因習的であることが問題だと指摘しています。
 そして,私を考えさせるのは,この指摘がなされたこの本が出版されたのが実に今から36年前であることです。
 もちろん,長い歴史を抱えている国と,ゼロから新たな国づくりをしている国との置かれた条件の違いはあると思います。しかしながら,それが,人類の歴史の中で栄えた文明が全て滅びてきたことにつながるのであれば,成熟と衰退のメカニズムを示すことなのであれば,そんな説明で納得している訳にはいかないのではないでしょうか?

 2005年8月20日
 先日発行された月刊「地方自治職員研修9月号」で,私も運営委員として参加している「公務員の組織風土改革世話人交流会」の活動が,「<先の見えない時代を切り拓く「組織風土」を創る!>」という,いささか気恥ずかしいタイトルで紹介されました。
 私自身は,組織の風土改革の「世話人」になろうという大それた意欲がある訳ではなく,単に,全国でいい仕事をしようと頑張っている人たちにお会いして,学び合い励まし合いたいと思って参加しているだけですが,最初の頃から参加しているということもあり,運営チームにも参加しています。
 最近,行革にも関わるようになり,スリムでフットワークと感性のいい行政と,職員がその可能性を伸びやかに発揮できる組織づくりの大切さを改めて感じています。
 同時に感じているのは,「変革」ということの難しさです。「今の手直し」ならば自信を持って進めることもできるでしょうが,今までにない新たなものを生み出そうとすると,不安なものです。先日も,行革に関わっている市で,組織運営のサポートチームとしての管理部門の4所属が理念を共有し,横の連携をしっかり進めることを目的として,朝10時から夕刻5時まで,議論をする場を設けましたが,実際にやるとなると,自分自身の中でも「そんなことしてどうなるのか。成果は上がるのか」という疑問や不安が生まれてきます。
 これまでの,新たなものを生み出してきた経験では,このような不安の中での模索を続ける中で見えてくるものがあり,実際の変化に結び付いてきました。ただし,もちろんいつもうまくいくわけではありません。
 行政には,「継続性・公平性・確実性」が要求されるだけに,このような先の見えない中での模索が不得手なのだと感じています。そこを理解せずに,既成の手法をただ闇雲に導入したのでは,うまくいかないのではと思います。多くの改革論議が,大仰に世間を賑わした割りに定着しないのはこんなところにも理由があるのではないでしょうか?
 先の見えない不安の中で,いろいろな人を巻き込みながら,謙虚に迷いながらも着実に大胆に歩みを進めていくことが求められているように思います。

 2005年8月14日
 終戦記念日を前に。
 3年間暮らしたシンガポールでは,8月15日は(日本による3年半に及ぶ)占領終結の日でした。
 私たちは,他国の信頼を得るに足る国を作り上げてきたのでしょうか?
 先週も学ぶことが多い週でした。水曜日には,広島県内のある市で市民との連携について幅広い視野で取り組んでおられる方の話を4時間近く聞かせていただきました。良い仕事を実践しておられる方の話というのは,いいものです。素直に感心できます。最近,口を開けば「住民とNPOとの協働」という方々がおられますが,そこでいう「住民」とは「NPO」とは,具体的にどういうものを念頭においているのかと聞き返したくなることが往々にしてあります。
 実際に実践の中で具体的な模索をしておられる方の話は一味違います。地域での多様な団体の連携の場である円卓会議を立ち上げるとともに,ボランティアの組織化による市民活動支援センターでのワークショップ活動,そして市役所の景観美化への職員と市民の参画など,実に多様でバランスの取れた地道な活動に頭が下がりました。
 地域団体の連携では,スーパーマン型からコーディネーター型へ,仲良しグループから連携型へ,縦割り型からネットワーク型へ,住民団体の連携が成長していくさまを,生き生きと聞かせていただきました。
 本物の仕事はこうでなければと,改めて感じた次第です。そんなすばらしい仕事をされている方が,「自分は(市役所の)変わり者だから。」と言われたので,思わず反論してしまいました。その方の仕事こそが本物であり,それこそが本流にならなければならないものなのに,自分を「変わり者」と呼ばざるを得ないことの方が問題なのだと。
 ところが,なかなかこんな本物の方にお会いする機会が少ないのが現実です。
 行政の改革は,社会と組織と同僚への自分の責任をきちんと果たすということから,全てが始まるのだと思います。自分の仕事の責任を果たすことに努力を尽くせないまま夢を追うだけの「青い鳥症候群」には,(頭から全否定するものではないものの)違和感を感じる昨今です。年をとってきたということなのでしょうか。
 木曜日は,休暇を取って神戸まで行き,公務員の組織風土改革の支援をされておられる方の話を,これも4時間ほど聞かせていただきました。良い仕事を本物の仕事をされておられる方の話は,何時間でも飽きません。沢山学ばせていただくことがありましたが,中でも印象に残ったのは,トヨタ自動車では,本来業務をちゃんと一人前にやるのは当たり前で,その上に,本来自分の業務ではないことについて明日の変化を生み出すためにどれだけの(ある面余計な)取り組みをしたかが評価の重要要素になるというお話でした。いわば,「今の仕事」をちゃんとやるだけではなく,「明日への準備」とも言うべき仕事をしっかりやれないと評価されないということのが組織運営の中に組み込まれているというのです。深い言葉だと感じました。  世の中には良い仕事をして,そして評価されている人がいます。口先だけの人物を見極め排除し,本当に明日の社会のための仕事をする人が評価され仕事を任される組織を生み出していく必要を感じています。

 2005年8月6日
 60回目の原爆の日です。
 今日も,ドラッカーの「すでに起こった未来」(ダイヤモンド社)の残りを読んでいて,感銘した言葉がありました。
 「継続と変革の相克」
 「(18−19世紀のドイツの3人の偉大な人物について)しかし彼ら3人は,いずれも世上の評価は高くなかった。彼らは,まさに継続と変革をバランスさせようとしたために,つまり,徹底した進歩派でも保守派でもなかったために,疑いの目をもって見られた。彼らは,安定した社会と政治体制をつくろうとした。過去の伝統を守りつつ,変革,しかもきわめて急速な変革が可能な社会と政治をつくろうとした。そして見事に成功した。」
 これは現代でも大切な点だと思います。脇を締めて,理念を高く掲げ,現実を踏まえながら,継続するシステムの変化を生み出すような仕事をしていきたいものです。

 2005年8月5日
 昨日の中国新聞(約72万部)の社説で,シンガポール関係の活動をご紹介いただきました。8月6日の広島の原爆の日に向けた社説シリーズの一つで,「アジアとの関係」をテーマとした社説の中でです。
 話を聞かせて欲しいと言われて,気楽に普段から思っていることを申し上げたのですが,まさか社説に名前(と年齢)が出るとは思わず,面映い気分です。新聞記事の常で,思うところが完全に反映されている訳ではありませんが,とてもよく書いていただいていると思います。
 シンガポールに行き,資金がない中で,自分の滞在ビザの手続きから,電話の申し込みや銀行口座の開設などまで全て自分一人でおぼつかない英語で悪戦苦闘しました。初めて見る銀行小切手に,どうすればいいのか茫然としたものです。そんな中で,地元の人には本当に助けていただきました。人は,弱い立場にならないと見えないものがあります。他県に比べて驚くほど少ない予算の中で,アシスタントさんを雇うお金もなく,日本語のできるアシスタントなんて夢のまた夢の中で,とにかく未知の世界で急速に事務所を立ち上げてかつ活動を開始しなければならないプレッシャーは,かなりのものがあります。事務所の机や椅子,本箱も中心街の家具屋さんで購入するお金がなくて,郊外の家具工場へ行って頼み込んで安く売ってもらったことなど,昨日のことのように思い浮かびます。そんな時に,地元の人たちに助けてもらった感謝の気持ちは忘れません。
 「相手の反応は自分の心の鏡だ」と思いますが,そんな感謝の気持ちが,シンガポール駐在中に多くの地元の人たちとの縁を生み出してくれたのだと思います。
 そんな中で,広島からシンガポールを訪問してくる企業の方々の中には,異質なものとの交流経験不足から,「全部,絶対,みんな」などという,決め付け,思い込みの面が強い感じを受ける方もいらっしゃいました。「インドネシア人はみんな怠け者だ。」とか「今からは絶対にタイだ!」とか。そんな発言を聞く中で,経済交流の推進のためには,まず広島の人に少しでもグローバル感覚をもっていただく機会を増やしたいとの思いで,シンガポールとの学生交流を始めました。
 シンガポールトップのシンガポール国立大学日本研究学科と,シンガポール最古最大の国立高専であるシンガポール・ポリテクニック校から,1か月の企業体験研修プログラムと1週間のホームステイプログラムで,これまでの14年間に延べ619人の学生・教員が広島を訪問しています。「汗はかくけど金は出さない」ということで,学生には全員自分のお金で来てもらっているのが自慢です。来年からは,シンガポール・ポリテクニックで日本語を学ぶ学生の中から日本語の成績の上位2名の学生を,広島シンガポール協会・広島工大専門学校とシンガポール・ポリテクニックとの折半負担で広島でのホームステイプログラムを新たに開始します。また,今年からは,三原市にある三原国際外語学院が,シンガポールから日本の大学への進学希望者を,奨学金を提供して受け入れています。
 これらの交流は,広島シンガポール協会の事務局を担っておられる広島信用金庫,シンガポール・ポリテクニックとの友好協定を締結している広島工大専門学校,ホームステイのあっ旋をしていただくひろしま国際センター,1か月の企業研修を受け入れていただく企業の皆様など,大変多くの方々の力で成り立っています。
 ちょうど今日,広島シンガポール協会のシンガポール訪問団が出発しました。従来,シンガポールでは,シンガポール最大のイベントである独立記念日の祝典に招待していただいていましたが,今回はなんとシンガポール政府外務省に招かれて,事務次官主催の夕食会に招待されているとのこと。努力に対して,きちんと評価してくれるシンガポールならではのことです。
 形式主義,前例主義に凝り固まった日本では,どう転んでも到底ありえないことです。変化への対応力の差が,将来何を生み出していくのか,考え込んでしまいます。

 2005年7月30日
 今日は終日部屋に籠って,先週注文して届いたドラッカーの本を読んでいました。今までではありえなかったことですが,今頃になって,やっと少し向学心が???
 今週火曜日には,三次市長に行財政改革大綱への三次市行財政改革推進審議委員会からの意見をお渡しして,午後一杯,各部局の職員の方々との勉強会をしていました。丁度,三次高校が43年ぶりの高校野球県大会決勝進出を決めた準決勝の試合時間と重なるというタイミングでしたが,皆さん熱心に参加いただきました。行革は,それによって,感性と反応性の良いフットワークの良い行政が実現しなければ意味がないという私の主張が,ひょっとしたら現実化するかもしれないという期待を持たせてくれています。普通の高校の非凡な活躍は,幸先の良い話題でした。
 産業や健康・安心や教育など,行政分野横断的に取り組むべき課題が山積みしており,早く過去の贅肉を削ぎ落とし未来のための課題に取り組める行政を実現していくかがまさに問われているのだと感じています。過去の経験の長さや既存の知識の量だけでは見えないものに,取り組まなければならない時代が来ているのだと感じます。
 翌日の夜は,別の市での,オフサイトミーティングのお手伝い。若手中心に,いろんな思いをもっている人たちがいることを感じ,そんな思いが素直に出せていない状況を変えていく必要を痛切に感じたところです。素直な悩みが,今からの時代を切り開いていくのだと感じます。
 木曜と金曜の夜は,ごく小人数の仲間とゆっくりお酒を飲みました。ほとんどのみに出かけないのに,珍しく続きました。それぞれの仕事に真剣に取り組んできた友人たちとのお酒(と静かな会話は)はとても楽しいものでした。
 今日2冊目に読んでいるドラッカーは,「すでに起こった未来」(ダイヤモンド社)ですが,その中で,経済学者のケインズとシュンペーターを比較した箇所に,「ケインズほどに優秀で才気あふれる者はいなかった。これに対して,シュンペーターは平凡に見えた。だが,シュンペーターには叡智があった。才気は日々を手にする。しかし,叡智は不朽である。」とのくだりがあり,思わずここで紹介したくなってこれを書き出しました。叡智にはほど遠いものの,少なくともそちらに憧れ,それをめざしていきたいものです。

 2005年7月24日
 比較的静かな日曜の朝を過ごしています。
 明日からの週に,2つの市で,良い仕事をするための気楽で真面目な議論の環境づくりの会のお手伝いをさせていただくので,その資料を早朝から準備し発送したので,一息ついています。(「駄文抄」のコーナーに入れてますので,ご興味をお持ちいただければどうぞ。)
 一息ついでに,アマゾン・ドットコムで,ドラッカーの本を何冊か注文。便利な時代になったものです。ドラッカーは最近読み出したのですが,学生時代に丸山眞男の本を読んだ時と同じような,強い印象を受けました。世の中には,随分沢山のすごい方々がいらっしゃるものです。まあ自分としては,あまり背伸びせずに,目の前の話を一つずつ大切にこつこつとやっていきたいと思います。

 2005年7月23日
 今週は,三次市の行財政改革推進審議委員会で,行財政改革の詰めの議論をして,木金は出張で東京でした。
 出張については,特に語るべきこともないのですが,東京で,いまオフサイトミーティングのお手伝いをしている廿日市市の方々と突然お会いしたことに,時代の変化を感じています。
 以前同じチームで仕事をした友人と会う約束をしていたのですが,友達の友達が友達でというノリで,ひょんなことでご一緒しました。行政経営品質という難しい勉強をされに来られていたようで,地方行政の変化の兆しを感じたところです。
 今週は,しばらく音信のなかった友人から電話があったり,東京で昔からの友人に会えたり,シンガポールの友人からあったかいメールが来たりと,結構,あったかくなることの多い週でした。
 みんな最後はこの世からいなくなる中で,今の自分に共感し支えてくれる友人たちの存在には,心からの感謝以外にはありません。山ほどの雑事や,山ほどの憂いがあったとしても,それは生きているが故のことであり,結局は自分がどのような人とのつながりでの幸せを感じられているかが,大切なのではないかと思うようになっているこの頃です。
 行財政改革については,明るい行革,社会の役に立つ行革でなければ意味がないと感じています。フルタイムで社会のために働くことを職業としている行政職員が,一生懸命に手応えを感じながら,仕事をしていくことのできる環境づくりが,本当の行革ではないかと感じています。
 このホームページに書き込むことにむなしさを感じて,どのくらいの方がご覧いただいているのだろうと付けたカウンターですが,予想外に(かつほどほどに)ご覧いただいていることを知り,かなり元気付けられています。
 本当にいろいろな分野でほんとうに多種多様な方々にお会いさせていただいてみて,自分を含めて普通の人たちの大切さを感じています。決め付けや格好付けではなく,普通に一生懸命に頑張ることの,大切さを感じています。そんな,ほんのちょっとの一生懸命さが,社会を変えていけるようになればいいなと思っています。

 2005年7月17日
 昨日の土曜日は,三原市健康づくり推進員の研修会で大和町で講演をしてきました。各町内会から選ばれた健康づくり推進員さん70名余に「地域での健康づくり連携」をテーマに1時間ほどお話をさせていただいたのですが,もとより保健医療の専門家ではない私としては,健康というもののとらえ方や,地域での連携といったことを中心にお話させていただきました。(娘からは,その丸く出たおなかを抱えて,「健康」を語る資格はないなどとからかわれていますが。)
 健康について申し上げたのは,一つは自分の健康だけでなく,家族など周囲の人の健康,地域の健康,社会の健康,職域の健康と,幅広く考える必要があること。もう一つは,体の健康だけでなく心の健康も大切であるとともに,明るく楽しく過ごせる環境も大切であり,健康は人生を楽しむための手段であることなどです。
 地域での連携については,一時的な打ち上げ花火に終わらず,資金,仕組み,理念のバランスの取れたシステムづくりを考えること,一方的な要求型ではない行政との連携も大切であること,3人というのが大切で ,まずは自分以外に2人の目的意識を共有できる仲間をつくることが大切であることなどを,お話させていただきました。
 この行事終了後,たまたま,へき地?(中山間地域)で医療関係の仕事をされている何人かの方とお話しさせていただく機会がありました。そこで感じたのは,市町村広域合併に伴う,地域の保健医療環境の変化です。広島県のように,87市町村が本年度末には23市町と約4分の1にまで統合されるというドラスティックな変化の中で,「周辺」とされてしまう地域において,必要なサービスをきちんと確保するための工夫と取り組みが求められていると感じます。
 市町村合併が,単なる「周辺部」の切捨てではなく,広域化による行政サービスの高度化・充実につながらなければ,何のための合併かを問われることになってしまうと思います。
 この点で,ここ数年,特に広島県内の市町にとっては,行政の真価が問われる時期であろうと思います。三次市の行革も,この点で,後世の評価を得られるものにするべく,努力をしていく必要があると感じています。

 2005年7月11日
 金曜日の午後,県内各市町の人事・研修担当課長会議において意見交換のコーディネーターをした後,最終の飛行機で上京して浅草で泊まり,朝の電車で日光に行き,午後から地域社会振興財団(自治医大)主催の「健康福祉プランナー養成塾」の講師。「地域での連携と情報システム」というタイトルで3時間。今年は,グループでの語り合いと,全員での語り合いの両方をやってみました。
 全国から集まった,行政で保健・医療・福祉を担当されておられる方たちでしたので,語り合いでのお話もそれぞれに深みがあり,充実した時間でした。この養成塾も今年で7年目。3年に一度のフォローアップ研修も含めてフル出場です。県で医療対策を担当していた時に,三重・奈良・和歌山の三県フォーラムで講演させていただいたのを自治医大の先生に聞いていただき,第1回の養成塾開催時には,(財)ひろしま国際センター総務課長に異動になっていたのに,それでもいいからと呼んでいただいてから,もう7年です。
 この間,広島大学大学情報サービス室助教授,地域連携センター教授,そして今回は広島県自治総合研修センター研修企画監と肩書きは変わっていっても一貫して声をかけていただいていることに,本当に感謝しています。
 肩書きだけにこだわらないという社会へと,時代が変わりつつあることを感じます。
 先週水曜日には,三次市行財政改革推進審議委員会の本年度第1回目の委員会。広島大学教授から立場が変わったので会長の選任をやり直していただいたのですが,結局,広島県職員でもいいから,引き続き会長をやれということに全員一致で言っていただきました。ここでも,時代の変化を感じました。
 少し以前であれば,県職員が行革の委員会の会長をやらせていただくなど考えられないことでした。
 委員会のあと,市役所の中堅・若手の方々との意見交換会を開いていただきました。みなさんそれぞれに,行政や社会への熱い思いをお持ちであり,それが生かせる環境づくりの必要性を痛感したところです。
 金曜日の上京の飛行機で,偶然にも広島大学でお世話になった理学部の先生と隣同士になりました。私が尊敬している先生のお一人であり,とても楽しい時間を過ごさせていただきました。あれこれと話が弾む中で,自然科学と社会科学の話になり,常に非合理性を内在する人間とその社会を対象としているが故に,社会科学における「理論化」の仮定での「切り捨て」と「単純化」の話になりました。
 すなわち,「完成度」の高い「理論」を作ろうとすると,どうしてもある程度のものを除外してしまうことになり,それが,一時的な「完成度」の高さを感じさせるにしても,本当の意味での納得性を維持していく訳ではないということです。
 かといって,見えないものがある,分からないことがある,というばかりでは「専門家」にならないので,そこが難しいところだという話です。でも,結構それで済ませてしまっている人がいるような気もします。

 2005年7月4日
 先週水曜日は,夜に県内某市の第1回オフサイトに参加してきました。「静かに考え,静かに語り,静かに聴き,そして互いに思いを語り合う。」をテーマに,なかなか充実した時間でした。
 木曜日は,別の某市の行革議論。立派な大綱を作るのが目的ではなく,「未来に夢を引き継ぐ幸せな地域を引き継ぐために,今を生きる私たちの責任をきちんと果たすことが必要であり,そのために,限られた資源を本当に必要なことに使える仕組みをつくる」ことが行革なのだと思います。そして,経験則だけで間違いのない答えが導き出せない時代になった今,組織の内外の多様な人々が,対等で本音の対話で目的意識を持った対話を積み重ねていくことのできる環境作りが求められているのだと思います。
 金土日と,滋賀で開催された公務員の組織風土改革世話人交流会に,運営委員の一員として参加してきました。札幌から熊本まで,全国から67人が集まり,現場での実践に裏付けられた変革への思いを語り合い,個人の思いが組織の変化につながり,ありたい社会を生み出す取り組みにつないでいくプロセスを話し合いました。
 普段それぞれの置かれた環境の中で精一杯やっている人たちならではの,個人としての魅力にあふれる人たちばかりでした。でも,そんな思いをもった人たちが,周りの無理解ややる気のなさなどに疲れていっている姿には,公務員の組織の活性化の必要性とその道のりの遠さも併せて痛感させられたものです。
 自分の持つささやかな権限を最大限に振り回して,したり顔して筋論を微塵の疑いも持たずに主張し,「何のために」を忘れて自分の世界で生きている公務員の組織を変えていく必要があるのだと思います。きっと,公務員の狭い世界に生きていると,良いものを見る機会が少ないことが問題なのかもしれません。

 2005年6月26日
 昨日は,久々に無為に過ごしました。とはいっても,8個のたまねぎを40分ちょっといためてカレーを作りましたので,まったく何もしなかった訳ではありませんが。
 大学で働いていた時には,全国初の組織であり,アカデミックバックグラウンドを持たずに「教授(業務)」といった感じで処遇していただいていましたので,自分の処遇・給与への説明責任が果たせるような成果を出さなければと,常に追いまくられていたように思います。
 このような思いは,実はどの職業でも,特に公務員においては大切なのではないかと思いますが,普段はなかなか意識されないのではないかと感じます。
 もっとも,今日や明日の利益を上げることを考えなくてよくて,未来の社会に引き継ぐための,今の我々の果たすべき責任をじっくりと考え取り組むことができる,というのが公務員の仕事の魅力だと思うのですが。その責任を果たさず,楽なところだけ食い逃げしてしまっているということにならない必要があると思います。
 ただけ,これは言うほど簡単ではなく,エリート臭ふんぷんの使命感絶叫調でも,すっかり開き直りの重箱の隅型でもなく,静かに住民の話を聴き社会を見つめてみずからの成すべきことを考え行動するということは,なかなかできることではありません。
 最近,県内の人事・研修担当課長さんを訪ねてお話をお伺いさせていただいています。「住民」との対話のできる職員の大切さは皆さん認識されているものの,窓口での多様なトラブルなどを経験する中でも,守りに入ることなく,大きな声の出せない人たちの話を聴き,住民の方との建設的な積み上げ議論を生み出していくことのできる職員が求められているのだと感じています。
 大学を辞めても多様な仕事に恵まれて,なかなか思うように時間が取れませんが,現場の実情を踏まえた公務員増について考えていきたいと思っています。

 2005年6月19日
 6年前から,柴田昌治さんの「なぜ会社は変われないのか」などを読んで,組織風土改革の必要性に共感した全国各地の公務員が集まって,公務員の組織風土改革世話人交流会というのを開催しており,私も運営チームのメンバーをしています。
 通常,年2回開催しており,今年は7月に滋賀で開催します。最初は10数人で。最近は20−30人だったのが,今年は60人を越えました。うれしくもありますが,じっくり話し合えなくなるのではという危惧もしています。
 それだけ,関心を持っていただく方が増えてきたのは,ありがたいことです。
 以下,交流会の目的などです。
 1.交流会の目的
 公務員としての責任をよりよく果たしていくために実際の行動を大切にする者たちが集まり,互いに思いを共有し確認することで,連携し励まし合い,元気と自信を得て,自らの次の行動に結び付けていくことを目的としています。
 公務員として良い仕事をしたいという個人の思いを生かし,組織風土改革の動きにつないでいくための場づくりを考えます。
2.交流会の目標
 ・参加者が思いや悩みを共有し,元気が出るような場をつくること。
 ・具体的な変革プロセスを経験し合う場をつくること。
 ・参加できなかったより多くの人たちにも,励ましとなるような情報発信をすること。
3.交流会の運営について
 ・知識先行で理論や理屈を振りかざすのではなく,現場の実践の中での個々の迷いや悩みを大切にし,具体的な行動・取り組みを基本とした組織風土改革のための場づくりをめざしていきたいと思っています。

※ この交流会の運営チームでは,いろんな議論をしていますが,先週の議論の中から一部をご紹介します。「研修の可能性と限界」についてです。

 (研修の限界に関しては,)何かで読んだ気がしますが,「ニュートンが万有引力の法則を『発見』する前から,リンゴは落ちていた。」ということかと思います。
 つまり,「現実」と「現実理解」との違いというか,「事実」と「解説」の違いというか,そういった問題が背景にあるように感じています。もちろん,「気づき」を生み出すという意味で,「法則化・一般化」や「解説」は 大切だと思いますし,その範囲で。「研修」は意味があると思います。
 広島県では,いくつもの研修機関や個人と契約して講師を派遣してもらっており,常に厳しい講師評価をして,毎年入れ替えをしています。そのおかげで,かなり優秀な講師を派遣していただいている ように思います。教材も良く練ってあり,講師も人間的にも厚みがあり安心して聞ける場合もありますが,それでも(それだからこそ)伝えられることには,限界があるように感じま す。
 これは,以前も書きました,「人間は,聞いたことの10%,見たことの20%,議論したことの40%,行動したことの90%を覚えている。」(アメリカ教師連盟 副会長アダム・ウルバンスキー)が一つの要素だと思いますが,イチローの「振り子打法」を名付けることのできる評論家が,「振り子打法」自体を生み出すことができ る訳ではない,ということもあるのかもしれません。
 私自身は,教えてもらった100のことより(その価値を否定するものではまったくありませんが),自分で見つけた1つのことに価値がある,と考える方なので,そ の要素もあるかもしれません。
 つまり,
@ (当たり前ですが)研修は,知識の伝達と疑似体験であること
A 研修は,既存のものを伝えるものであること(発見・創造手法を伝えるものでもありますが)
B 結局は,個人のやり抜く力が問われるということ
なのかと思います。
 結局,文学作品を読むのと,国語の教科書を読むのとの違いなのでしょうか。ドラッカーを読むのと,マネジメントの教科書を読むことの関係も,こんなところかと思います。
 大学で,優秀な研究者と話をしていて共通するのは,「教科書の枠を踏み出して模索する力」の強調でした。教科書は,過去の発見の中の,一部を紹介しているのに過ぎない,というのが彼らが強く語っていたことでした。それなのに,発想が教科書の枠から離れられない学生が多すぎると。
 昨年,新たに採用されたある人物が,「アウトプットは,アウトカムは・・・」ともっともらしく自信たっぷりに言うのを聞いて最初は感心していたのですが,現実の業務では体が動かず,言い訳と他人や組織への批判に終始するだけなのを見て,いくらカタカナ言葉で格好よく言ったところで,結局,「やったことと,効果があったこと」というだけのことじゃないかと思うようになりました。 荒削りでも,不恰好でも,自分で生み出したものに価値があると思いたいゆえんです。言葉で規定したもの以上のものが,現実にはあるかと思います。
 私としては,研修の意味を否定するものではなく,その限界を理解しながら,「現実の問題解決」に強い人材について考えていく必要があると感じています。
 学生時代から好きな社会心理学者エーリッヒ・フロムが「To be or To have」という本を書いています。資格や知識を「持つ」ことに一生懸命なのはいいことかもしれませんが,「To be」自分でどう考えどう生きようとしているかも大切なように感じています。

 2005年6月10日
 大学を辞めたのに,相変わらずいろいろな新しい仕事が飛び込んできて,なんとも収拾のつかない状況で走り回っています。ダボハゼみたいになんでも食いつくからだと笑われてしまうのですが,まあこれだけ多様なことに声をかけていただいたり関わらせていただいたりさせていただけるのは幸せなことだと,つい引き受けてしまっています。
 ただ,最近2件ほど,福祉関係の講演や委員就任について声をかけていただいたのに,あまりに余裕がなくてお引き受けできなかったのが残念でした。
 昨日は,国立精神保健研究所の研修会での,3時間のディスカッションのコーディネートの仕事で東京に行ってきました。北海道から九州まで,全国各地で精神障害のある人々の社会復帰の仕事をされている医師,精神保健福祉士,保健師などの方々が対象でした。まず,自分が抱えている問題意識を静かに書き留めること,次に6人程度のグループで一人ずつ自分の思いを話すと共に他のメンバーはその言葉を受け止めてポイントを書き留めること,そして,課題(問題)を出し合った後にそれらを項目整理していく作業をしたのち,全体での話し合いをしました。
 参加者からは,自分が静かに考えた上で発言すること,雑談ではなく静かに一方的に相手の話を聞き取ることがいかに普段少ないかに気がついたと言っていただきました。また,目の前の問題をただ並べるだけではなく,それを体系的に項目に整理していくことにより,今まで見えなかった問題が見えてくることもあり,また,目の前の問題の別の側面が見えてくることもあります。なによりも,目の前の問題を全体的に体系的に把握して,自分が今どこの部分で悩んでいるのかを相手に伝えることができなければ,「連携」を生み出していくことも難しくなります。そういう意味で,「連携と課題整理」をテーマにしたものです。
 このような,連携のための技術?といったものが大切になっていっているように感じています。それが,3日間の研修で,厚労省の課長さんや研究所長さんなどと一緒に,私に時間をいただける理由かとも思いますが,まだ,中身は模索状態です。来月は,自治医大の地域社会振興財団の「健康福祉プランナー養成塾」の講師ですが,7年目にして始めて「連携」を正面からテーマにしてみようと思っています。どうなりますことやら。

 2005年5月14日
 地方行政は,広島県内の市町村数が87から23になるというドラスティックな変化の中にあり,人材開発についてはもともと興味があるので,とりあえずは満足してやっています。
 ただし,大学時代から(あるいはそれ以前から)やってた仕事が,手が切れるどころかますます増えてきて,もうこれはしっちゃかめっちゃかの状態です。
 三原市の中学生のシンガポール交流(10年目です),シンガポール国立大学等との交流(14年目です)行事が6月に続き,そのほか国立精神保健研究所や地域社会振興財団(自治医大),三原市健康づくり推進員(3回)の研修会講師,三次市行財政改革推進審議委員会(継続かどうかまだ調整中ですが。),公務員の風土改革世話人交流会の運営委員,外国人の子どもなどの日本語教育などの支援システム研究など,もう何がなんだか分からないというところです。 とにかく時間に追いまくられています。
 あれこれ手を出しているだけで,結局何もまとまった成果にも体系化にもなっていません。結論や「成果」をまとめることなく,「ゆらぎ」自体を楽しんでいるだけなのかもしれません。
 それは,「理論化」に対する本能的な不信があるからかもしれませんが,突き詰めることからの責任回避・逃避なのかもしれないとも感じています。結局,自分があれこれ楽しみたいだけの,自己中心的な考えなのかもしれないと,最近考え出すようになってきました。
 公務員の風土改革の世話人交流会も,もともとは自分自身が行政の中で,多様な新たなことに取り組む中で感じた重さや怒りについて,柴田昌治さんの「なぜ会社は変われないのか」を読んで強く共感して参加しだしただけで,自分が行政組織を変えようと強い意志を持っている訳ではなく(希望はありますが),あまり資格はないのではないかと感じています。
 最近,地域で頑張っている方々との議論の機会が多く,その中で,行政職員の対話力と議論構築力の問題を感じており,私自身は,このような個別課題の方が向いているのかなと感じ出しているところです。
 組織内での変革については,行政の中でいろんな新しい取り組みをしてきた中で,一番感じたのは,「情けなさ」です。なんでみんなこんなに理解してくれないのかとか,できない理由を並べたり,なぜそれをしないといけないのか,しなくてもいいじゃないか,うまくいく保証はあるのか,などなど,言葉にすればたいしたことありませんが,さほど自信がある訳ではなく,ただ少しでも良くしていこうと取り組んでいるのに,無神経な言葉を自信たっぷりに言われると,本当に落ち込んでしまいます。
 とはいえ,落ち込んでいると何も進まないので,気力をふるい起こして,明るくムードを保ちながら必死になってへこたれずにやっていく訳ですが。 この「情けなさ」については,いくつになっても慣れるものではなく,今に至っても同じ状況です。
 そんな体験の積み重ねをしているが故に,「あるべき理論」に対しての違和感があるのだと思います。
 正しいことを言って物が動く訳ではなく,それが動かないことを批判しても解決にはならないことを体験し,人を切り捨てても問題の解決にはならず意外な人が意外なところで救い手となることを体験する中で,「理論」に対して意固地になっているところもあるのかもしれません。 理論より感性,デジタルよりアナログの世界に生きていることの限界も感じてはいるのですが。
(知人に出したメールの流用なので,つぎはぎになってしまいました。)

2005年5月7日
 地域で地道な活動をされている方の自宅ログハウスでの交流会に参加してきました。自分の生活を大切にしながらも,それによって得られた人のつながりを地域の人たちの幸せにつないでいきたいという思いにいろいろと考えさせられました。
 また,その会で,以前から尊敬している高齢者ケア,障害者ケアの第一人者の方ともお会いできました。地域で,時間の流れを超えて良い仕事をしてこられた方の,肩の力の抜けた笑顔に,地域づくりの原点を感じました。
 決め付けや声高の自己主張ではなく,きちんとやるべきことを確実に地道にやりつつ,そんな自分の経験を,別の自分の目で冷静に見ながら,人に語りかけていくことの迫力を感じています。
 地域でのパフォーマンスをしていく人と,それを支えるシステムづくりをしていく人の,双方の大切さを感じた時間でもありました。

2005年5月6日
 中国新聞社刊の「ハト派の伝言」の読後感です。
 第一に浮かんだ思いは,「知性」への問いかけです。もちろん,よく勉強しましたという知性ではなく,人と社会を見つめ考える点での知性です。
 昨年,日本学術会議の黒川議長の講演に触発されて,ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて(上・下)」(岩波書店)と,朝河 貫一の「日本の禍機」を読みました。
 どちらもとても印象深いものでしたが,特に後者については,明治時代から日米関係の将来に対して,これほどの知性をもって警鐘を鳴らした人がありながら,その価値が評価されなければ社会の動向には変化が生まれないということを感じました。知 性のある人の存在だけではなく,それを受け入れることのできる社会の知性がなければ,意味あるものにならないという思いです。
 もう一つは,歴史の単純化です。過去に幾多の知性ある人々がありながら,なぜあれほどの暴走が起こりえたのか,そんな反省がなぜ広まらないのかという思いです。(前者については,真理を追究する執拗さの違いを感じました。)
 あまりにばかばかしい状況においては,知性の沈黙が起こり得るのではないかと思います。最近の経験でも,本を読みかじった断片的な知識を振り回し声高に主張し自信たっぷりに現状への批判をしていくというタイプの人間が増えているようにも感じ ますが,そんな状況では,知性は戦うよりもむしろ戦うことによる自らの泥臭さへの落ち込みを嫌い沈黙を選んでしまうのではと危惧しています。悪貨が良貨を駆逐するのは,あながち悪貨だけの責任ではないのかもしれません。
 宮澤さんが,このような語りを政治家の第一線から身を引くまでできなかった,あるいはしなかった,あるいはできなかったことについて,どう考えればいいのかについての問いかけが必要なようにも感じています。
 それは,知性の自己中心主義,自己美化なのかもしれません。
 社会を考えるに際して,このような「スマート(でひ弱)な知性」と,「単なる感情」と,「もがき行動する知性」との葛藤を見つめていく必要があるように感じています。

2005年4月30日
 今日は朝から部屋に溜まった過去20年分の資料の整理をしていました。商社派遣の時の資料,シンガポール時代の資料,帰国後の多様なテーマでの講演資料,シンガポール関係のアップデート資料などなど,よくもまあこんなに多様な資料があるもんだと思うくらい山ほどあり,結局朝から夜まで終日かかってしまいました。写真や手紙なども沢山出てきて,思い出を楽しむこともできました。
 こんなにいろんな経験をさせていただいたことの意味はなんだろうと考えると,あまりに単純すぎるかもしれませんが,現実に謙虚に,回り道を厭わず汗をかくことの大切さを感じたことだと言えるのかもしれません。頭の良い人や,過去によく勉強した人など,いろんな人に出会ってきましたが,結局人の魅力というのは,自分のプライドや生き方を大切にするためには,泥臭いことや回り道でもためらわずに向かっていく人なのだと感じます。
 それは,その人なりの生きるということのイメージなのかもしれません。
 私の場合は,高校の時から,生きるということは,真っ黒な闇の中で大海原に生れ落ちて,遠くの星の一つを選んで泳ぎだすこと,そして,途中で日和ったり投げやりになったりしながらも,時々は思い直して泳ぎだす。そして,誰も皆,目指す星までたどりつくことはなく,誰も皆,大海原に沈んでいくというものでした。それから,30数年,このイメージは変わっていません。どこまで泳いだかが問題なのではなくて,どれだけ(いろいろなことがある中で)手を伸ばして泳ぐことができたかが問題なのだと感じています。
 そして,最後に沈んでいく時に考えることは,いろいろあったけどできるだけは一生懸命に水をかこうとしてきたよな,という自己満足しかないのだと思います。
 そういう点から見ると,性急に「業績」を上げようとする人が,時には疎ましく思えてしまうこともあります。今回の転職も,結局は,そんな生き方の選択だったのかもしれません。トップの客観的な判断力も,自分の仕事の質を問う人たちには重要な要素です。悪貨が良貨を駆逐してしまわないような組織運営が大切だと感じています。

2005年4月19日
 あっという間に,20日が経ちました。久しぶりの組織の一員としての活動に,刺激を感じています。市町村合併の中で,行政のあり方も変わろうとしています。新しい職場である広島県自治総合研修センターは,県職員の研修をするだけではなく,市町村職員の研修を実施するひろしま人材開発機構の事務局でもあり,変化の時代における人材開発の役割を担っています。
 「お役所仕事」は人類4千年の課題でありますが,今,全国で大きな動きが(一部では)生まれています。折角優秀な人材を集めた行政組織が,社会のためにその責任を果たしていかなければ,その存在意義は無いと思います
折角の現場復帰ですので,いろんなトライをしてみたいと思っています。
引き続きよろしくお願いします。

2005年3月23日
 大学生活もあと1週間です。この4年3か月,とても充実した時間でした。学級委員会的ともいえそうな経営の課題はあるものの,社会における大学の役割は,光の当て方によって,ずいぶん大きなものがあると感じています。反発して辞任を決めたものの,まあ社会はあまり変わらないものだと感じてはいますが,それでも前には進む必要があると感じています。
 変化の意味と質の違いを感じられる組織へと,大学が更に発展していくことを祈っています。

2005年3月13日
 あと2週半だというのに相変わらずばたばたしてます。
 明日からの週も,環境関連産業創設の委員会,市民活動支援の話,精神障害のある人の社会復帰のシンポジウムのコーディネーター,行財政改革の委員会での基本理念の答申,産業振興ビジョン策定の最後の委員会,子どもの科学教育プロジェクトの会議などで,スケジュールが埋まっています。まあ,最後まで仕事があるというのは,ある意味恵まれているのだと思います。
 翌週は,外国人子弟の日本語教育支援の研究チーム(テーマは,「異文化を背景とする子どもたちへの教育支援」に広がっています。)関連の調査と会議で時間がなくなりそうです。この研究も,地域の方からの問題提起になるほどと思って事務局役をさせていただいていますが,問題の大きさに自分の能力の小ささを感じています。
 考えてみれば,いつもこうしてやってきたように思います。新しいことに取り組んでいれば,自信を持ってできることなんてほとんどなく,いつも不安と期待の中で揺れ動きながら進んでいくことになります。でもまあ,それが面白くなるのも事実です。見えないから面白いのであって,迷路をガイドブック持って歩いたり,何度も通って出方を知っている迷路を何度も通ったとしても,この緊張感は楽しめないのではないかと思います。
 4月からどう過ごすようになるのかはまったく見えず,不安といえば不安ですが,まあ,なんとかやっていきたいと思っています。

2005年2月27日
 大学生活もあと1か月となり,山ほど溜まっていた仕事にもなんとか先が見え出して,やっとほんの少しほっとし出したところです。今週は,月曜日は精神障害者の社会復帰の関係で高名な先生にお会いさせていただき,火曜日は広島市の障害者作業所見本市でシンポジウム「考えよう 作業所の新たな可能性」のコーディネーター,水曜日はこの1年近くで10回の打ち合わせを積み重ねて全国初の行政と大学との共同研究事業として動き出した犯罪減少のための複合的な取り組みの立ち上げの会議,木曜日は某市の行財政改革審議委員会で行財政改革基本理念のまとめ,金曜日は外国人子弟日本語教育支援研究チームの研究会,土曜日は地元商工会議所から請け負った「地域から都会へ出て行った人とのふるさとネットワークづくり」の報告書書きと子どもの科学教育プロジェクト「わくプロ」報告書の仕上げと,日替わりメニューで最近の支離滅裂な生活を象徴している1週間でした。今日明日は,今年産業振興ビジョン策定を担当した地域の方々と東大阪市の視察です。
 どの仕事もとても興味深いのですが,特に印象的だったのは,外国人子弟の日本語教育支援の件です。地域の方からの提案課題に対して,学内の研究者が応募して採択されれば大学から研究費が出るという制度を利用して,研究チームづくりに汗をかいて(4人の先生に断られました。)やっといいチームができ研究も採択されたところで私が大学を辞めることにしてしまったので,責任を感じてなんとか早く取りまとめをしたいとどたばたやってます。それはともかく,最初は外国人の子どもが日本に来ても学校では生活に必要な最低限の日本語指導体制しかなく授業についていくだけの日本語力がつかないために学校に行かなくなる,しかし義務教育ではないために学校の方も積極的な働きかけをせず家にいるようになる,という単純な構図で理解していたのですが,いろいろ話を聞いていくうちに,例えば「日本人」として生まれた子どもでも日本語ができない場合や外国人妻の連れ子への教育の問題など,いろいろ複雑にあることが分かってきて,「外国人子弟」という捉え方ではなく,「異文化を背景とする子どもたち」を対象として考える必要があるというところまで(やっと)たどり着いたところです。これは,日本の「群れ」社会の中での異質なものの排除性向についての問いかけであり,先進国中最高の自殺率の問題にもつながるものではないかと感じています。今年頼まれてまとめた平成10年の自殺増加についてのレポートでは,直近3年との比較で41%,1万人近い増加のうち,約半数が50歳以上の男性であり社会のあり方に改めて問題意識を感じました。
 先日は,シンガポール大使夫人の紹介で,米国生まれの日系3世の方にお会いしました。ハーバードと南カリフォルニア大で計3つの博士号を取り,米国で臨床心理を20数年やった後でシンガポール政府で高官として働いていたが,日本の引きこもり,不登校,いじめ,うつ,などの現状に日系人として心を痛めて,自分も何か貢献できないかとシンガポールでの職をなげうって1年半前に日本に来たという人物です。シンガポール政府高官として日本に来てた頃の人々の対応と職を辞めて日本に来た後の人々の対応が手のひらを返したように違うというのはまあ想像できるとしても,このような人材を受け入れ活用できるような仕組みがないものかと悩んでいるところです。日本語が十分にできないと職も見つからないのも残念です。8時間ほどノンストップであれこれ話をしましたが,自分自身の問題意識を大切にして,その信じるところにしたがって行動する姿に,さわやかさを感じました。
 この1年ずっと仕事のプレッシャーに追い詰められていたのが,少し先が見え出したのでもう少しひとり言を。
 人を見ることの難しさを感じています。会って話をしているうちはとても意欲的ないい人に見えたのに,実際に仕事を一緒にしてみると,任せられた大きな仕事を破綻寸前に自分の業績にならないからと放り出したり,まったく新しい分野を切り開くために模索のための中身の議論をしている時に早く記者発表しましょう契約を結びましょうと主張し,あるテーマで調査のために出張したいがその結果に基づき汗をかき実行するのは自分ではないとか,他の部門にも関わるイベントを提案してもその部門との調整は自分の仕事ではないとかなど,いろんなケースがあり得ます。子どもの教育の話でも,泥臭いことを回り道をしたくない子どもが増えているという話題になります。上述の臨床心理学者とこの話をしていると,そのような人たちはFantasy(空想・夢想)の世界に生きているのだと分かりやすく解説してくれました。実際の世界で仕事をすると「できない自分」を見ざるを得ないから,あれこれ理屈をつけて,口先だけで済む世界から出ようとしない人たちがいるのかもしれません。しかし,人は失敗やぶざまな思いをした情けなさの中から立ち上がることによって力がついてくるもののように感じます。そして,他の人たちへの思いやりも生まれてくるのだと思います。本で勉強した「正しいこと」を胸を張って主張して,他人の批判をしているだけでは,楽しくないのではないかと思います。空想の世界に生きていても,見かけでは分かりにくいところが問題だと感じています。

2005年2月22日
 今日は,広島市授産事業振興センターの依頼で,障害のある人たちの作業所見本市でのシンポジウムのコーディネーターをしてきました。タイトルは「考えよう 作業所の新たな可能性」です。かわいそうだからだけでない,作業所の社会的な意義や強みを生かした多様な取り組みが始まっています。
 最近,毎月このようなシンポジウムのコーディネーターの仕事をしていますが,立て板に水でしゃべり過ぎても駄目だし,流れを作ってないと散漫になってしまいこれもまた駄目だしと,なかなかうまくはいきません。
 「余計な」ことを引き受けなければこんなに悩まず落ち込むこともないのにと思いますが,それでもうまく立ち回って無神経に過ごすよりも,上手くできなくても自分なりに一生懸命やって落ち込む方が良いかと,開き直りながら自分を慰めています。
 人は人と同じではないことをしていると,容易に落ち込んでしまうものですし,励ましが必要な生き物です。大学を辞めるのを機に,ホームページを大学のサーバーから個人契約のアサヒネットに移転したのでカウンターをつけてみると,(検索エンジンロボットの訪問などもカウントされているにせよ,意外に見ていただいている方がおられることを知り,とても力づけられています。)

2005年2月19日
この3月末で大学を辞めることにしました。実は昨年8月に決めて大学には通知していたのですが,次の仕事の手続きがまだ済んでいないために公表を控えていました。この手続きはまだ済んでいないのですが,明日(20日)発行の文部科学時報に掲載予定の原稿の中で辞めることを表明していますので,このウェブサイトでも書いておくことにします。
3月末までで都合4年3か月大学にいたことになります。21世紀の初日付けでの転職でしたので,21世紀に入ってからもうそんなに経ったのかという感じです。大学には少なくともあと2年はいることになっていましたので,途中での辞任表明による後任探しで迷惑をかけてしまっています。
 それでも辞めたいと思ったのは,一言で言えば社会人現役生活の最後の10年近くを現場で過ごしたいと思ったからです。現在の仕事は順調に拡大しており,昨年は日経グローカル誌で取り組みを紹介していただきましたし,今回も文部科学省の雑誌の国立大学法人化特集で個人宛に原稿依頼をいただくほどには,新たな分野を開拓してきたことを認知していただいていると思っています。
その点ではとても恵まれているとは思いますが,もっと自分自身で新たな事業を開拓していく実感を持ちたいと思ったものです。日産自動車のカルロス・ゴーン氏が日産リバイバルプランを発表した時に,計画は全体の5%に過ぎず残りの95%はそれを実行できるかどうかだと言われています。IBM立て直しで有名なルー・ガースナー氏も現場での実践の大切さを強調されています。正しいことを言うだけでは十分ではなく,問題はそれを実際に具体的に形にしていくプロセスです。ここの部分の挑戦を実際にやったことのない人たちは,(本で読んだ)理論を振り回し平気で他人の批判をします。カルロス・ゴーン氏はまた,自分はいつ失敗するかもしれないことを知っている,だから傲慢さが嫌いだとも言っています。本当に新しいこと(言い換えれば先の見えないこと)に取り組んでいれば,成功の保証がまったくない中でわずかの可能性も大切にしたいと,つまらないことで敵を作りたくないと,批判的な言動はなかなかできないものです。そのような恐れ・恐怖心とは無縁な能天気な教条主義者との差がここで生まれてきます。
 地方の良さの一つは,泥臭い細々とした雑事や回り道を厭わず忍耐強く信用を築き新たなものの創造に取り組むのではなく,口先で理屈を振り回し平気で人を批判しているような人は,時間の流れの中で信用を失い成り立たなくなっていくことではないかと信じています。それは,組織の中でも同じです。格好の良いところのいいとこ取りをしようとうまく立ち回る人物は,(時々うまく立ち回り続けることもありますが)大きく言えば信用を得ることができないのではないかと感じています。
 紙の上での仕事だけではなく,現場で実際にものを動かしていくことの経験の大切さはここにあるように感じています。紙の上に描くだけなら,口先で言うだけなら,難しい現実に直面する必要もなく,批判と言い訳の繰り返しの中で,自分の夢の中で過ごすことができます。しかし,今の地方は,そのようなことで時間を無駄にしている余裕はないはずです。
 批判や理屈(その勉強は必要としても)でなく,負荷がかかった時に逃げない・投げ出さない・言い訳しないことによる信用の蓄積を背景として,先の見えない不安に耐えて懸命に努力していく中で,人の魅力も見えてきて仲間が生まれ,創造も生まれてくるのだと思います。改革は,単なる理論や口先のリップサービス・御用聞きからではなく,問題意識を基にした現場での,多くの人たちの力を生かした取り組みから生まれてくるのだと思います。そんな仕事をめざすことから,「自分がやった訳ではないが自分がいなければ生まれなかった仕事」への満足感を生み出していくのだと思います。

2005年2月13日
 ある市の行財政改革審議委員会会長なるものになってしまいました。行財政改革というだけで難しそうな感じがする上に,会長なんて言われるとすっかり身を引いてしまいますが,それでも結局引き受けてしまったのは,もっと市民と職員の力が張ってできる環境づくりに,ささやかでも関われないかと思ったからです。
 いつの時代にも,みんな一生懸命やっているのに,結果がついてこないことがあります。個々の点について間違っていないし緻密に積み上げてあるのに,何か違う。それは,目の前のことを自分で見て自分で考えて自分の言葉で語っていないことによるのではないでしょうか。
 行政の話は往々にして緻密で難しくて法制度体系の話などを持ち出されるともうだめ,外部の者にはいい加減な口出しなどできないと考えてしまいがちです。(行政を25年近くやってきた私ですらそうですから,他の人々にとってもそうではないかと思います。)しかし,それが間違いを引き起こしているのではないかと感じています。自分で考えた素朴な疑問を投げかけていくことが大切なように思います。
 市民と行政職員の関係を考えていて,消防団と消防署の喩えを思いつきました。フルタイムで消防署で働いている消防署員と,自分の仕事を持ちながらいざという時には駆けつける消防団員,こんな喩えから何か新たな視点が生まれてこないかと考えています。

2005年2月8日
(悪貨が良貨を駆逐する)
 日本では,他人の批判をするのは良くないとの認識がある。当然だと思います。他人のことをとやかく言えるほど人は偉くないし,それは一面的な見方かもしれないし,感情的になっているかもしれないし,しっかりした事実に基づいていないかもしれないし,そもそも第一人の批判など聞いている方にとっても気持ち良いものではありません。これは,チームで仕事をする際には大事な点であり,いろんな個性豊かなメンバーの個々の問題点をあげつらうのではなく,それぞれの良いところを引き出して,総合力につないでいくことがチーム運営の基本です。
 ただし,ことが常軌を逸して無責任で自己顕示欲が強いなどの場合には,どうなのでしょうか。批判をすることはためらわれるし,そもそも自分の信用を傷つけることにもなりかねません。気持ちの良いものでもありません。けれども当然ながらそのままでは問題は解決せず,放置されることにより悪化していくこともあります。一緒に仕事をするメンバーのモラルハザードを引き起こすこともありますし,それが組織の責任ある立場の者であれば,組織の崩壊を招きかねません。
 年末にジョン・ダワーの日本の敗戦後を描いた「敗北を抱きしめて」を読みました。戦前の日本にも,いわゆる良識派とされた人々は多かったにもかかわらず,一部の暴走が全体の暴走になってしまったことを,戦後の日本は反省し再発策を見出しえていないようです。朝河寛一による「日本の禍機」を読んでも,明治41年時点で日本と米国の衝突の危険性を,理路整然と冷静な視点でかつ熱い危機意識をもって語りかけた日本人がいたことに,圧倒されるとともに,社会の大勢としてはその声に耳を傾けることなく暴走を始めてしまったことをどう考えれば良いのかと思います。思い込みの強い人が自説を強烈に主張し行動する場合,それに対抗していくことは難しいものです。しかし,それを放置してしまうような行動が,最終的には日本の社会の変質や崩壊へとつながっていく道なのかもしれません。

2005年1月27日
 50歳最後の日です。12月半ばから家族でタスマニアに行き,電話もない小屋(ケビン)を借りて自炊生活をしてました。1月上旬に帰国してから,(当然ながら)仕事に追いまくられていて,あっという間の50歳最後の日です。明日からは,切り上げたら60歳かと思うといささか複雑なものがあります。大切なのは意欲と好奇心だとは思いつつ,果たしていつまで気力が続くものかと,自分自身に興味しんしんです。
 また,とりあえずは,今日まで楽しくやってこれたことに感謝したいと思います。


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