2006年12月30日
暮れも押し詰まってきました。休暇に入ったというのに,昨日今日と,個人的に頼まれているレポートに早朝から格闘していました。とはいえ,週に一度のクアハウス通いは怠りなく行ってきて,やっと一息ついたところです。
歳をとると1年経つのが早くなるといいますが,今年もあっという間の一年でした。4月の人事異動で7年ぶりの本庁勤務になり,慣れない仕事や全国的にもあまり例のない新しい仕事などにドタバタし,必死に日々を過ごしてきた感じです。娘の結婚や家のリフォームなどもあり,ひたすらドタバタしていました。そんな中でも,新しい出会いや世界の広がりも沢山ありました。ひょんなことから,ふるさと尾道との縁が広がった年でもありました。月2回のペースで引き受けている講演・研修講師のうちの一つがきっかけなのですが,ダボハゼ的に何でも引き受けていることが,意外な展開につながっていくことを改めて感じています。国立精神保健研究所からの客員研究員の委嘱も,ちょっと意外でしたが,改めてしっかりやらねばと感じたところです。
幸せの形は一緒だが不幸の形はそれぞれ違うと,いつか読んだような気がしますが,自分の身に降りかからない限り,そんなこと普段は考えずに過ごしてしまいます。普通に無邪気に過ごせることの価値とありがたさを,もっと大切にして日々を過ごさねばと反省するところです。知らず知らずに"今"を当然だと思いながら過ごしている自分がいます。一日一日を真剣に生きている人達に出会った時に,あまり恥ずかしくないような生き方をしたいと思いながらも,結局今年も目の前だけを見ながら過ごしてしまいました。来年はもう少しは恥ずかしくないような過ごし方をしたいものです。
来年が,皆様にとって幸多き年でありますように。
2006年12月24日
クリスマスイブの早朝です。先週も,岡山,東京,尾道と移動が続いた上,会議・打ち合わせであっという間に過ぎてしまいました。明日からの週も,木曜日の「御用納め」までに8つも会議・打ち合わせの予定があり,「忙しい」という漢字は,「『心(りっしん遍)』が『亡ぶ』と書くのだ」という言葉を思い出します。
ある会合に声をかけていただき,老親宅への顔出しを兼ねて帰省した尾道では,帰省時用に置いてある13年物の軽自動車で母親と買い物に出た帰りに,道路上でエンストしてしまいました。たまにしか使わず,ほとんど整備もしてなかったので自業自得なのですが,久しぶりに「非日常」を経験しました。車はエンジンをかければ動くものだと思っていますが,動かない車の中にいると不思議な感じです。便利さに慣れてしまう社会では,このような感覚が大切なのだと感じたところです。幸い,道路の左側に退避スペースが十分にありそこへ寄せたところで動かなくなったので大事には至らず,老母を車の中に残して,とことこととガソリンスタンドを探しに行ったら,親切な親父さんが経営している自動車修理工場が近くにあり,助かりました。困った時だっただけに,余計にその方とその従業員の方の自然に優しい対応が心に沁みました。人はこうでなくっちゃと感じさせるもので,歳のとり方,人生の過ごし方の基本の大切さを改めて感じさせていただきました。
そういえば,今,「心に沁みた」と書いていて,「心に『さんずい』」だと気がついて思い出したのですが,先週開いたアジアの会の12月例会で,「心の渇き」が話題になりました。スカイプというインターネットを利用した無料のTV電話システムを利用して,海外の友人の協力を得て各国の絵本の翻訳をしているという話からの発展で,そのような信頼関係が確立している中で道具としてのITを使うコミュニケーションはともかくとして,普段の生活の中では「熱」を伝える対話の力が落ちてきているのではないかという話です。生きている中での熱い思いやしみじみとした思いを伝え合うことが少なくなると,人の心が乾いてくるのではという話に発展していきました。公務員など比較的安定した職種にいると,ちょっとした不用意な発言でビジネスを失ったりする経験も少なく,仕事で生き残るために相手の考えを必死に読み取ろうと努力する機会も少ないので,「懼れ」や「恐怖感」を日常的に感じることも少なく,心の殻が厚くなり乾いてくるのでは,というような話にもつながります。もちろん,みんながそうだという訳ではなく,中には・・・ということです。
今週末は,「これだけは今すぐ」というものが比較的少ないので,少しゆったりしてます。このような,まったり時間も大切ですね。
尾道での会合で,尾道をベースに緊張感を維持しながら多様ないい仕事をしておられる方々にお会いして,そのような活動の仕方が広がっていくことの大切さを改めて感じました。本業の方の「国土形成計画」関連の話では,大都市集中の中での地方の厳しさを感じざるを得ないのですが,経済合理性を踏まえた上で,地方において魅力的な活動が広がっていくことの大切さを感じます。
2006年12月17日
人づくりビジョンやシンガポール学生交流関係の話に,地域医療分野での新システム検討会,年賀状準備と,相変わらず支離滅裂で盛り沢山の話をせっせと追いかけているだけで,あっという間に週末が終わってしまいました。
明日からの週も,会議,出張,スピーチなどが詰まっています。年末なので,1年を振り返る時間を持たなければと思うのですが…。
最近,ドラッカーの影響で,ある問題についての議論をする時に,その本当の目的は何なのかを考えるようになりかけています。先週も,ある消防関係者から人材育成についての話をいただき,「火を消す」「傷病者を救急搬送」することが,消防機関の使命だと考えるのか,住民が安心できる暮らしを守ることが使命だと考えるのかによって,求められる人材のイメージが異なるのではないか,という議論をしていました。もちろん,厳しい訓練によって鍛えられた運動能力や知識・技術は大前提としてのことですが,個々の事件の現場での対応だけでなく,それを起こさないための仕組みづくりや,初期段階における地域での自主的な対応の仕組みや専門組織との連携の仕組みづくりなど,企画・コーディネート能力も問われているような気がします。
話は少しそれますが,「遊びのページ」でもご紹介しているように,以前,タスマニアで,集落のはずれのキャンプ場のケビンを借りて泊まっていた際,地元の消防車に消防署員?がサンタの帽子をかぶって沢山乗ってクリスマスの音楽をかけながら集落の辻辻を回り,車から近所の人に飴を投げて回っているのを見たことがあります。もちろん,私たちにも,沢山の飴を投げてくれました。最初は随分奇異に感じたのですが,これがコミュニティの起源なのだと感じたものです。人が開拓地に入って最初に必要とするのは,役所と警察と消防,それに医療と学校です。それは,どこからか与えられるものなのではなく,自分たちが作るものなのです。つまり,自分たちの生活を支える自分たちの仕組みだと思うからこそ,クリスマスを消防車で祝って回ることに違和感がないのかと感じた次第です。この時期,他の小さな集落でも何か所かで催されていた自動車パレード(地域の人が自分の車を飾り立てて町唯一のメインロードを数珠つなぎに行進するというだけのものですが)でも,そこにはちゃんと消防車が参加していました。住民側から言えば,自分を地域社会の「客」だと考えるか,「構成員」だと考えるかの,距離感の問題だと思いますし,それは消防や行政側からの距離感の問題でもあると言えそうです。
2006年12月10日
せっかくの週末ですが,来年2月に広島で開催予定の公務員の組織風土改革世話人交流会の準備や経済関係の団体でのスピーチ,留学生への地方行政の説明準備などで,淡々と過ぎてしまいました。
目の前のことを片付けていっているだけで,「物思う秋」も何も考えずにバタバタしているうちに,過ぎてしまっています。
そんな中で,ある友人から,困難な仕事の中で進退を考えるまで追い詰められながらも頑張っているというメールを受け取りました。「結果への責任意識の問題」については,理屈と知識と筋論を言っているだけでは,そんなところに追い詰められるものではなく,その恐怖感や切実感を体験・実感することもないと思います。それが,(一部の)お役人の大言壮語,慇懃無礼,(無意識の)傲慢さの基盤になっているのだと感じます。本当の意味で新しい仕事や難しい仕事の場合,どんな優秀な人が取り組んでも,余裕で仕上げるということはなく,いつも,最後の最後までのぎりぎりの緊張感の中で,なんとか(幸運にも)すり抜けて仕上がることができるものなのだと感じています。そんな思いが,以前紹介した日産・ルノーのゴーン社長の言葉のように,傲慢さを否定し人を謙虚にするのだと思います。
とはいいながら,自分自身がそんな覚悟で仕事をしているかというと,(口ではえらそうにいいながら)まだまだ真剣さが足りないと反省しているところです。
午後は,老親孝行?で平山郁夫美術館に行ってきました。ある先生から,「この美術館の最初に展示してある平山画伯の幼少期の絵はさすがに才能を感じさせる。」と言われたので,そんなものなのかと見に行ったというのが正直なところです。確かにさすがとは思いましたが…。「栴檀は双葉より芳し」とはいうものの,「逆は必ずしも真ならず」で,あまり運命論的な話には乗りにくいところもあります。
2006年12月3日
あっと気が付いたらもう12月です。この週末はすっかり人づくりビジョンの仕事で終わってしまいました。模索段階からまとめの段階に近づくにつれて,あちこち不備な点が目についてくるのはいつものことですが,前例のない中での取り組みだけに,もうしっちゃかめっちゃかです。
これまで8回の人づくり懇話会と7回のワーキング,県内7か所での人づくり地域懇談会,3回にわたる県政モニターアンケート,何人もの学識者ヒアリング,県庁内各部局からの膨大な情報提供など,多くの方々の熱心なご協力の成果のとりまとめだけに,責任を感じています。特に,これまで7回の懇話会のワーキングの会議は毎回3〜5時間を超える熱のこもったもので,超多忙な方々ばかりなだけに,その熱い思いに頭が下がります。
本業の話はこの欄では書かないつもりではいるのですが,人づくりビジョンは別扱いです。
人づくりについては,百人が百人違う思いを持ちかねないものであり,その切り口の捉え方からして様々なので,どの程度共感を持っていただけるものになるのか,事務局役としてもどきどきです。
週末の2日,まったく人づくりの話に没頭して過ごしたので,他に何も書くことが浮かんできません。したがって,このあたりで。
2006年11月28日
先週火曜日に,4月以降,常に準備に追われていた講演・研修会講師の予定計16回がとりあえず片付いてほっとしていたところに,また声をかけていただきました。短時間だからとの話でしたが,短時間ほど難しいというのが実感です。学生時代,パスカルだったか,「今日は時間がないので長い手紙を書きました。」という話を読んだのがいまだに印象に残っています。
声をかけていただくというのは悪い気はしないのでつい引き受けてしまうのですが,それでまた自分の首を絞めてしまいます。
今日は,「東京」の高名な先生のお話をお伺いさせていただく機会がありました。大学勤務時代からずっともやもやしているところなのですが,研究者としての掘り下げのセンスや価値と,現場との接続という点があります。概念設計(基本設計)と実施設計の違いということなのかもしれませんが,何らかの整理が必要なような気がしています。「研究者」と「実践者」の接続やコラボレーションということなのかもしれません。地域の実践者の知見を社会に生かしていく道を考えていきたいと感じるところです。
2006年11月26日
昨日今日と,今年の科研(厚生労働科学研究費)で研究協力者として参加している精神障害のある人の住居確保のレポート作成で終始していました。ここ4年ほど関わっている仕事ですが,毎年,難渋しています。今年は,住宅取引分野の専門家の方の意見を反映したいと,一人で「税理士,宅建,行政書士,司法書士,マンション管理士,1級ファイナンシャル・プランニング技能士,・・・」と資格を持って活躍されている方に参加していただき,月1回程度のペースで勉強会をしています。
社会の制度が複雑化する中で,各分野の専門家が参加して共同作業をしていくことがますます必要となってきていますし,そのような専門家をつないでいく仕事も同じく必要になってきていると感じます。
私自身は,そのようなつなぎ役が好きですし,常に新たなことを勉強させていただけるので,楽しくやらせていただいているのですが,そのようなつなぎ役を増やしていくためには,それ自身が職業として成り立っていくことが必要だと考えています。公務員というのは,そのような役回りができる仕事だと思いますし,またすべきなのだと思うのですが,実際に地域で活動していくことのできる人材は育ちにくいのも悩ましいところです。やはり,民間部門で,そのような職業が成り立っていくことが望ましいと思っています。介護保険制度の導入により,ケアマネージャーという仕事が生まれたように,これから変化が起きてくることを期待したいと思います。
インターネットの時代になって,情報を持っているだけでは価値ではなくなってきています。情報の持つ「意味」をどのようにつなぎ合わせて,どのように形に組み合わせて,そこに価値を生み出すかが問われているのだと思います。その時に大切なのは,社会が求めているのは何なのかということへの自分なりの思いを持ち,そのためにそれぞれの人の持っている知識や経験といった情報をどうすれば活かせるのかということへの素直な悩みと意欲と好奇心なのではないかと思います。
今年5月7日のひとり言でも書きましたが,学生時代に読んでいた社会心理学者エーリッヒ・フロムの「To Be ot To Have」がより身近な言葉に感じられるようになりました。何を持っているのか,ではなくて,どうあるのか。知識を持っていることそれ自体の意味が薄れてきた今こそ,To
Be を考えていく必要があるように思っています。
2006年11月24日
昨日の休みは,終日,本業で取り組んでいる(もがいている)人づくりビジョンの仕事に没頭して終わってしまいましたので,週末の今夜はその反動でぼんやりと本など読みながら過ごしています。
必要に迫られて,そして興味も半分で,人づくりに関するいろいろな本を読む中で,改めて「実感」の大切さを感じています。手応えのない世界で緻密な(借り物の)理屈を並べる人もいないではなく,自分自身の実感と納得の大切さを改めて感じています。単なるお勉強ではなく,とにかくなんとか実績を出さなければならない環境の中で,四の五の言わずに体を動かし続けていくことによって,本当に身に付くことがあるというのは,先日の苅谷先生のお話にも通じるものがあるのではないかと思います。その場に放り出されて,もがく中で必死に身に付けていくことの大切さを感じます。
私自身,20年前の商社派遣や15年前のシンガポール駐在,そして6年前の大学への転職と,それまでの環境とはまったく違う環境の中で(一生懸命に肩の力を抜きながら)なんとか形にしていこうとじたばたし続けたことの中から学んだことが多いように思います。
変革というような先の見えない模索の中では,ひときわ,そのような実感が大切だと感じます。先日の若手の公務員への研修でも強調したのですが,新たな取組が行き詰まりつぶれてしまう大きな要因は,自分自身がそのプレッシャーの重みに耐え切れなくなることだと感じています。外圧というよりも,むしろ,自分自身が一生懸命であり続けることに恥ずかしくなってしまうことによって,自ら挑戦をやめてしまうことの方が問題ではないかと感じています。
そんな時に頼りになるのは,過去の小さな成功体験です。理屈で考えるのではなく,そんなこと無理だと思うようなことでも,現実には意外と実現してしまうことが,面白さだと思うのです。
2006年11月19日
先週末は,経済同友会尾道支部でお話をさせていただき,明後日は三原市の若手職員の研修会講師を3時間と,相変わらずバラエティに富んだ日々を送らせていただいています。いずれも休暇対応です。
ふるさと尾道で話をさせていただく機会は初めてでしたので少し緊張したのですが,企業の経営者の方々には熱心にお聞きいただき,ほっとしたところです。もとより,経営の現場で長年生き抜いてこられた方々にお話させていただくことなどないのですが,社会を意識した経営が大切になっている中で,これまで社会のシステムづくりを考える仕事に関わり続けてきた者として,いささかなりともお役に立てればと思いつつ話をさせていただきました。私が何かをお伝えする訳ではなく,お聞きいただいている方々が,社会について日頃漠然と感じておられることを,思い起こし考え直すきっかけになればというところです。
土日のかなりの時間を,頼まれていた市町村合併と地域医療の変化のレポートづくりに費やしていましたので,あっという間に終わってしまいました。明日から,本業の方でも頑張らねば。
2006年11月11日
今週は,月曜日に日光から帰って,中1日おいて水木と東京出張でした。生まれて初めて東大のキャンパスに足を踏み入れました。人づくりビジョンの関係で教育学研究科の苅谷先生の話をお聞きしに行っただけなのですが,「東大」というだけでちょっと緊張してしまうのが自分でもおかしかったです。別に,先生も学生も特別な訳ではなく,優れた人もそうでない人もいるはずなのですが,看板に惑わされてしまうことは往々にしてあります。肩の力を抜いて冷静に本質を見ることの大切さを感じます。
今回お会いさせていただいた苅谷先生は,人格識見とも素晴らしく,有意義な訪問でした。特に,最近の人間力の議論には,上から見下ろして,足りないものを指摘するようなあるべき論も見受けられるが,もうちょっと頑張ったらできるかもしれないというような安心感の持てるような議論が必要であるとか,一時的な擬似的な体験だけではなく仕事という逃げられない環境の中で学ぶことの大切さなど,納得性の高いお話をお伺いすることができました。
体験の質については,翌日昼食を一緒にした早稲田大学の知人とも話題になりました。お膳立てされたお仕着せの体験ではなく,自分が言い出して始めた仕事など,言い訳も他人のせいにもできない環境の中での体験を通じてこそ身に付くものがある,という点で意見が一致しました。そこの場で成果を出さなければならないという逃げ場のない環境であるとか,他人は無理解無関心で要らんことをすると冷たい目で見られる中で,自分の信じる方向へ自分から言い出して自分の信用をかけて行動を起こしていくという環境の中でなければ,学べない身に付かない何かがあるように感じます。
本業では人づくりビジョンのほか国土形成計画関係や来年度の政策関係など佳境に入っているのに加えて,来週は県内のある市の経済同友会支部での講演,再来週は別の市の若手職員研修の講師,さらにいくつかのレポート作成の依頼を引き受けているなど,相変わらず公私ともどもドタバタしていますが,前に出て行くことによって学べるものがあると思うので,少しずつでも手を広げながらやっていきたいと思います。
2006年11月8日
週末は娘の結婚式の後,地域社会振興財団(自治医大)主催の「健康福祉プランナー養成塾」の講師役で,(残りの家族同伴で)日光中禅寺湖に行ってきました。天気がよく,好きな晩秋の風景が楽しめました。
「健康福祉プランナー養成塾」は,地域での保健・医療・福祉のコーディネーターの養成を目的として主として全国の市町村職員を対象に8年前から開催しているもので,私は立ち上げの時からお手伝いさせていただいています。地域では,限られた社会資源を有効に活用するために,専門家を生かす専門職の存在が大切になっていると感じています。特に,保健・医療・福祉分野は,専門家は多いのですが,それをつなぐ専門職がもっと必要だと感じています。
自治医大の学長が塾長になっていただいているなど,随分力の入ったものです。昨年までは,7月に3週間合宿として実施していましたが,今年からは,より参加しやすくするため,7月に2週間,11月に3日間に変更しました。今年は,主としてコーディネートや現場課題の共有,企画力などについて,7月と11月と両方で担当させていただきました。なかなか楽しくやらせていただきましたが,知識伝達型の講義と違って,考え方や取り組み方を伝えるというのは簡単ではなく,毎回試行錯誤の連続です。今年は,7月に「現場の課題を組織の課題に,そして社会の課題に」というテーマで全体的な考え方を紹介した上で,11月には,「現場課題の共有」と「事業提案書の作成」のグループワークを行いました。
参加者は,医師や保健師,社会福祉士,事務職などと多彩で,日頃から,現場で課題に直面している人たちばかりなので,宿題として提出していただいた「現場課題共有シート」や「事業提案書」も充実しており,グループワークも中身のあるものになったと思います。
ただ,前述のように,このような考え方や取り組み方を伝える研修というのは,まだまだ改善・研究の余地が大きいように感じています。昨年は,県の研修センターに勤務していたために,全国の主要な民間研修機関の優秀な講師の先生方の講義を聞かせていただく機会に恵まれましたが,あまり理路整然と体系的に整理されすぎても実感がわきにくく,現場感覚を持ち込みにくくなることもあり,難しいところです。
私自身は,講師役よりも自分でやっている方が好きですが,折角いろいろと経験させていただいているので,その経験を踏まえて,何かお手伝いさせていただければとじたばたしているところです。
2006年10月28日
今日は早起きして,県の保健師さんの研修会の講師に行ってきました。来週末は日光で地域社会振興財団(自治医大)主催の市町村職員等を対象とした保健・医療・福祉のコーディネータ養成塾で,その後も,ある市の経済団体の勉強会や別の市の職員研修などしばらく続きます。
話すこと自体は嫌いではなく,それぞれに準備の過程で頭の整理もできるのでありがたいのですが,一方通行だと疲れるのも事実です。私の場合は,身に付けた知識や理論を伝達するというのではなく,社会の変化の中でのシステムづくりの視点や考え方といった話が中心になるため,結局,自分をさらけ出して恥をかいているようなものなので,よけいにそうなのかもしれません。
受け取り方は人それぞれでしょうし,そもそも自分のこんな話が役に立つのか,という不安もあります。それなら引き受けなければ良いようなものですが,若いうちの自分だったら,こんな話を聞く機会があれば,もっと迷い悩むことに自信?が持てて,もっとあせらずにじっくり取り組めたのではないかなと思えるような話ができればと思って,つい引き受けてしまっています。
人様に偉そうに話をするくらいなら,一つでも二つでも,もっと地道に実際に役に立つ仕事をするべきだとは自分でも思うのですが,それでも引き受けてしまうのは,話す私にも聞いていただく側にも,ひょっとしたら何かのきっかけになるかもしれないと期待しているからかもしれません。
そもそも,社会システムづくりのコーディネートといった仕事が,目に見えにくいものですし,役に立つかどうかも分かりにくいものです。私自身も,未だによく分かりませんが,でも,仕事のやり方,進め方,構想の立て方によって,結果に大きな違いが生まれてくることは何度も経験してきたところです。「多くの人々の力を生かして,自分の能力以上の成果を生み出す仕事」「自分がやった訳ではないが,自分がいなければ生まれなかった仕事」というのは,やはり大切だと感じています。
「こうすればいい」という計画を立てるのは比較的簡単ですが,実際に動かしだすと,思いもかけないような問題に山ほど直面しますし,変更・修正が必要になります。その時に,柔軟に対応していくためには「原点」や「方向性」が大切になります。何を譲っても良くて何は譲れないのかを見極めるためです。そこを意識していない「計画」は思いつきでしかないような気もします。以前も書きましたが,日産・ルノーのゴーン社長が言われたように,「計画5%,実行95%」ということだと思います。徳川家康が言ったと伝えられる「百里の道は九十九里をもって半ばとす」というのも好きな言葉です。
これまでの実践を通じて感じてきたこんなことを,どう伝えれば良いのかが分からずに闇雲にじたばたしている感もあります。来年は,そのあたりを少し勉強してみたいと思っています。
2006年10月22日
相変わらず早起きして公私共に溜まっている仕事に取り組んでいます。4月から手探りで進んでいる本業の方の「人づくり提言」も取りまとめ段階に差し掛かっており,いくらでも時間が消えていきます。個人的な頼まれ事の方も,この1か月に4件の講演や研修会講師があり,しかもそれぞれ経済・行政・保健医療福祉と分野が異なるので,準備にもそれなりに時間がかかってしまいます。とはいえ,異なる分野のそれぞれの視点で見ていると,他の分野の資料の見直しのヒントも生まれてくるので,面白いものです。
先週は,国立精神保健研究所から勤め先にいただいていた,私を同研究所の客員研究員とすることへの承諾依頼が認められました。前例がないなどから時間がかかっていたので心配していたのですが,休暇で行くならいいということで承認していただきました。行政職員としての経験などを元に地域に根ざした社会システムのあり方を考える立場からの参加であり,私自身としては,このような形で行政職員が外の組織の仕事にも関わっていくことは,これからの行政自身にとっても意味があると考えていましたのでほっとしています。
広域合併で力を付けつつある市町村を中心とした地方自治の仕組みの進展と,例を見ないほどの厳しい財政状況や大幅な規制緩和の流れの中で,行政職員一人ひとりが社会との接点を増やし,組織外の方々と社会システムづくりのための共同活動を広げていくことにより,知識・経験と対話力・コーディネート力を身に付けていく必要があるように感じています。ちょうど20年前に広島県で初めての1年間単位の民間企業等への派遣研修制度を提案し具体化しましたが,研修だけでは限界があり,最近では,行政の仕事に関する外部の方々との日々の共同活動などの大切さを感じているところです。
客員研究員としては,これまで関わってきた精神障害のある方の社会復帰や自殺予防対策とともに,研究所を中心に展開されている多様な専門家の方々の研究成果をどう社会に結び付けていくか,どう双方向の活動に展開していくかも含まれています。これからは,このような専門家と社会とを結び付けていく役割が大切になってくるように感じています。
2006年10月14日
先週(出来はともかく)なんとかまとめたレポートをはじめとして,目の前をふさいでいた仕事が少しずつ形になりだしたので,春以来棚上げにしていた仕事を引っ張り出してやり始めました。今年の厚生労働科学研究費で頼まれている精神障害のある人の住居確保に関するレポートです。精神科の専門でもなく,現場での実践経験がある訳でもない私がやるのもどうかとは思うのですが,3年前にも同じテーマで1本書いており,それが縁で一昨年には三原市でのモデル事業をお手伝いしたこともあり,引き受けました。
うまく表現できないのですが,専門家でないから書けることがあるような気もしています。特に,社会の仕組みを考える際には,それぞれの「専門分野」を超えた横の連携や調整が必要になります。そのような時に,一定の素地を持ちながら,それぞれの分野の方々の話を聞かせていただいて理解しまとめてつないでいくことのできる人材が必要になるのだと思います。
専門分野の知識がないということは頼るべきものがないという意味で不安ですし,その分野での蓄積や経験がないというのも苦しいものです。けれど,多様な分野の仕事に首を突っ込ませていただいてきた中で,聞くべき話がいくらかは聞けるようになってきたように思いますし,まったく経験のない状態の中でも,手探り状態の不安をなんとか我慢して資料や情報を集め整理して組み立てていくことに,いくらかは慣れてきたようにも思います。
とはいえ,歯車がかみ合いだすまでは,いろいろと情報を集めていてもそれぞれが断片的にしか理解できないために,統一的なイメージが生まれず,すぐ気が散ってしまいます。今日も早朝から終日机の前に座って取り組んでいましたが,なんとも生産性の悪い一日でした。最初はいつもこんなものという経験がなければ,放り出したくなるところです。(「住宅」と「住居」の違いを説明するための確認だけでも随分時間を費やしてしまいました。)
本当は,もっと緊張感を高めていれば随分無駄のない進め方もあったのだろうと内心思いながら,でもこんなものだと言い訳しながら開き直っています。
余談ですが,私はキーボードはローマ字入力ではなくかな入力です。もう20年もかな入力なので(本人のつもりでは)ブラインドタッチレベルでかな入力ができていて,理屈ではローマ字入力の2倍速いと自慢していますが,その分,英文を打つ時には苦労しています。たまたま,ここ1週間,英文レターを打つことが続き,指がつりそうになってました。シンガポールとの学生交流で新たに日本語学習の奨学金制度を立ち上げる関係の仕事や友人とのやり取りですが,スペルチェックをかけるとミスタイプが山ほど出てきます。話はさらに脱線しますが,シンガポールで仕事を始めて一番苦労したのが,このビジネスレターの書き方です。日本の英語教育からはまったく欠落している部分だと思います。
2006年10月9日
昨日一昨日とかけて,個人的に頼まれていた地域医療関係のレポートをなんとかまとめました。2か月ほど気がかりではあったのですがとにかく余裕がなくて手を付けられずにいたものです。いろいろとやるべきことが増えてくる中で,集中力を高めていくことの大切さと難しさを感じています。
同じ時間の中でも,できることは大きく異なります。もちろん,集中力が高まっている時間の前後には,漠然と構想を考えたり地道に資料を集めたりといった時間が必要なのですが,そういった時間は気が散りやすく効率が上がらないものです。とはいえ,そのような一見効率の悪い時間がなければ,構想と裏打ちのあるものはできあがらないので,難しいところです。優秀な人は,そのあたりの処理がうまいのでしょうけれど。
ただ,実際の実践活動の取り組みにおいては,絵に描いたような進み方というのはあり得ず,沢山の地道な積み重ねをしていく中で機が熟すのを待つということが続くような気がします。そうやって物事はうごくもので,うまくいくかどうか分からないからこそ,無駄を覚悟でいろんな手を打ってそれぞれの進捗状況を見ながら全体としての形にしていくのだと考えています。唯一つの間違いのない手を打ってうまくいくというようなことは考えられないと思うのですが・・・。どこで何が起きるか分からず,何が役に立つかどうかも分からないからこそ,手を抜かずに緊張感を持って取り組み続けることが大切なように感じています。
実践と理屈の違いは,無駄かもしれないと思うことにも手を抜かずとにかく試してみること,そんな中で起きるかもしれない「偶然」を信じること,当初めざしていたものとは違うゴールであっても似たような成果が取れればそれもありだと思える柔軟性があること,などかもしれません。
理論はもう少し高尚なのでしょうけど,理屈も理論も,答えから逆算した「唯一つの正しい」道を示しているような感じがします。道は沢山あるのに,理論どおりに唯一つの正しい道を探そうとすれば,汗をかかず要領よく立ち回ろうとするようにもなりかねません。でも,そんな中からは最後まで諦めずにしがみついて一見無駄だと思える行動を積み重ねていく気迫は生まれてきませんし,そういった人同士の共感とも無縁で過ごすことになります。
2006年9月30日
新年度が始まって,もう半年がたちました。全く経験のない仕事のマネジメントとともに,人づくりビジョンについては担当者としても取り組む中で,緊張感とスリルを楽しむ半年でした。
これまでの仕事で多様な経験をさせていただいた最大の成果は,先の見えない仕事に対して,安易に借り物の言葉の引用でお茶を濁すのではなく,たとえ稚拙なものであったとしても,自分の言葉で描き出そうとする習慣が付いてきたことかと思うようになりました。受け身での「緻密で膨大な処理や操作」ではなく,ささやかでも何か新たなものを生み出していきたいということかもしれません。
少し話は違いますが,今日読み出した経済関係の本に,「官僚の任務は『与えられた結論を正当化する』こと」「カラスが白いといえないと,一人前の官僚とはいえない」というくだりがありました。まあ,これは中央官僚のことでしょうけれど,「受け身」「与えられた条件・既存の常識の中で考える」という点では,地方のお役人にも当てはまるところはあるかもしれません。
「失敗」をしないことの一つの策は,誰かが書いた「言葉」を引用し,振り回すことです。ですが,私が尊敬できる仲間たちは,どうもそうすることを自ら封印しているように思えます。結局,最後の最後まで自分の思いにこだわり,他人の計算や打算に振り回されずに模索し続けていくためには,自分が納得した自分の言葉が必要なのではないかと,感じています。
一昨日も書きましたが,どんなに些細に見える変革でも,実際にやろうとすると予想外のトラブルや抵抗にあい,思うようになどいかないものです。そんな時に耐えられることを前提に普段から考える人は,自分の言葉を大切にするのではないかと感じています。
表面的にはあまり気付かれないささやかな違いですが,大きな違いを内包しているように感じています。
先週は,以前にお世話になった方々から立て続けに連絡をいただきました。社会人になって以来,中元や歳暮とは縁のない世界を生きてきましたが,このような人のつながりは大切だとしみじみ感じています。
2006年9月28日
先週末は,三重県で開催された
公務員の組織風土改革世話人交流会に運営委員の一人として金曜日夜から日曜日の夜まで出かけていたために,書けませんでした。
私は,4つの分科会のうちの第2分科会「ゼロからの改革,無風状態からの組織風土改革」のお世話役をさせていただいているのですが,今回は,0から1を生み出す仕事と,1から100へ発展させる仕事の違いが話題になりました。
何もないところから何かを生み出そうと模索することの大切さを確認し,それを実現するための「一生懸命が恥ずかしくない環境づくり」としての組織風土改革について語り合いました。もちろんこれは,「0から1」と「1から100」とどちらが価値があるかというような問題ではありません。
ただ,1から100を生み出す仕事は,知識と経験の「量」で,ある程度は可能になるのではないかと思います。これに対して,0から1を生み出す仕事は,うまくいく保証はない上に,基本的には0か1かしかありません。いくらあと一歩までいったのにと思っても,1に辿り着いていなければ0なのです。徳川家康が「百里の道は九十九里をもって半ばとす」と言ったと伝えられているように,もう少しと思ったところからが本当の問題なのです。どんなに長い間一生懸命に努力してきても,最後の最後でのちょっとした環境変化や自分の不注意な些細な言動で,全てが消えてしまうこともあります。だから,0から1を生み出す仕事をしている人は,どんな些細な可能性をもつかもうと,一生懸命に明るくオープンに振舞います。そうでなければ,他人に話を聞いてもらえないし,自分自身の気力も萎えてしまうからです。先の見えない模索を続け,地に足のつかない不安定な恐怖感に必死に耐えながら進んでいる人は,だからこそ,人恋しさを人一倍感じるのではないかと思っています。
そのような仕事をしたことのない人,自分の存在と明日の不確かさに恐怖感を感じたことのない人は,自信たっぷりに,自分の知識と経験を拠り所にした発言をするように感じます。間違いのない判断の積み重ねが,間違いのない結論に導いていくと信じているのかもしれません。役所の管理部門にはよく見受けられるタイプです。これも同様に,どちらが価値があるという問題ではありません。
でも,私としては,もう一方のタイプの人の方が好きです。切ったら血が出る危うさがありますし,人としての色気や水気があるように感じます。
公務員の組織風土改革世話人交流会の話が随分脱線してしまいましたが,70歳近くなっても信ずるところに従って青く瑞々しくじたばたもがいている何人かの先輩方とのご縁の中で,私自身も,間違いのない自信たっぷりの間違いのない人生よりも,最後まで青臭く諦め悪くのた打ち回っている方が,魅力的に感じているところです。
2006年9月17日
先週は,アジアの会の月例会で,ゲストスピーカーから,日本語と韓国語との比較の話を聞かせていただきました。中国語は中国から韓国(朝鮮)に伝わった後600年を経てさらに日本に伝わっているので,韓国(朝鮮)語の影響を強く受けているのだとか。それを理解するためには,「発音される音」の比較から入らないといけないのだとか。
で,なぜ日本では,言葉の音に関する感性があまり磨かれていないのだろうかと言う話になりました。私自身の仮説は,日本では,外国の言葉を音として聞く機会が少なかったので,言語表現における音に関する意識が深まっていないのではというものです。
そういえば,3年間の駐在の後にシンガポールから福岡空港経由で帰国した時に,日本に到着後ずーっと何か変だなと感じていて,新幹線が山口県内を走っている時に不意にその理由に気が付きました。それは,日本語しか聞こえてこないことでした。駅やデパートなどでのアナウンスはもちろん,常に身近なところから英語,中国語,マレー語などが聞こえていた環境から離れて初めて,日本語しか聞こえてこないという環境の不思議さを家族で感じました。当然だと思っていることの中にも,見えないことがあるものだということを感じさせられた出来事でした。
ところで,今回ゲストスピーカーとして来ていただいた在日韓国人二世のぺさんは,先日,「日本語の謎」(文芸社)を出版されています。差別の中で日韓両国のことを本当に真剣に考え続けてこられた成果が詰まった力作です。それでも,音として比較してみれば,日本語が韓国語から受け継いでいる言葉が多いという指摘などを不快に感じてなのか,ネット上での誹謗中傷も相当あったとか。「見ようともせず」あるいは「見れども見えず」で,閉塞状況の中で自分の虚構の世界を築き上げることは避けなければならないと感じます。
2006年9月10日
朝夕が少し涼しくなり,秋の気配を感じられるようになってきました。私自身も,7月以来7回の研修講師や会議,出張など公私にわたる多様な行事で,地に足のつかない感じで過ごしてきた暑い夏も,(まだ課題は沢山積み残しているものの)やっと一息つき,雨の日曜日の早朝の時間を楽しんでいます。
この夏の収穫の一つは,本業の仕事として,県内7地域事務所で,それぞれの地域で人づくりに関していい仕事をされてこられた方々からお話を聞かせていただく機会に恵まれたことだと感じています。各会場で,産業,教育,地域・家庭の3分野から5人前後の方々に全体で2時間ほどにわたりお話をお伺いさせていただいたのですが,それぞれに味のあるお話しで,司会をしていても楽しく時間を過ごさせていただきました。
どこに住んでいても,自分をしっかりと見つめて,そして周囲の人々との関係を大切にし,社会の将来とその中での自分の役割を考えながら,いい活動をしておられる方々はおられますし,そのような方にお会いさせていただくと,こちらまで豊かな心になっていくように感じます。
そこには,厳しさもあります。自分自身に対する厳しさはもちろんですが,ボランティアだからといって質を確保しなくても良い訳ではないという,自分がめざす活動に対する責任感を感じさせられる言葉もありました。いろいろな取り組みの中で,年齢や性別に関わらず人は変わり成長し続けていくのだということを感じさせていただいた,豊かな時間でした。
「楽をする」というのと「楽しい」というのは違うといいますが,まさにしんどくても楽しく過ごしていくことが大切だと感じた次第です。
人づくり地域懇談会の概要は,県議会に報告後,今月中に県の
ホームページで公開予定です。
2006年9月3日
あっという間に9月です。公私共にやたらばたばたしていて,地に足がついていない感じてす。個人的に頼まれる仕事もますます多岐にわたり,勉強も追いつきません。もともと,勉強は好きでないので,時間があったからといってちゃんとできる訳ではありません。忙しさを不勉強の言い訳にして誤魔化しているのが,実際かもしれません。
よく言えば淡白,悪く言えば努力が足りない,ということなのかと思います。秋の気配を感じるようになってきましたので,少し体勢を整えて頑張らねばと思っているところです。
2006年8月26日
なんと,3週間も書けていませんでした。といっても,週末2回抜けただけですが。
この20日間に,延べ6泊10日,口和,赤名,三次,東京,飯田,豊橋と出かけており,その間にもシンガポールとの新たな留学制度の立ち上げ準備などなど,公私の活動入り混じって暑い夏を過ごしていました。
ただ,そんな中で,いくつも収穫がありました。最も印象的だったのは,国土形成計画関連の調査で訪問した長野県飯田市の取り組みです。信州の南端にある人口10万余の市で周辺合わせても15市町村人口17万人のアルプスに囲まれた地域なのですが,危機感に基づく明確な目的意識を持った取り組みの数々に圧倒され,感銘を受けました。これからの地域は,条件的に恵まれているかどうかではなく,具体的に行動し仮説を持った多様な試行錯誤を進めているかどうかによって,大きな差が生まれてくると感じたところです。
ゼロからスタートした農村体験型の修学旅行の誘致が,10年間で年間105校1万5千人を超えるところまで広がっていった取り組みなど,いずれも「人」のパワーと理念と執念の凄みを感じさせるものでした。
口先で格好の良いことを言うのではなく,真に迫力のある仕事をしなければと自省した時間でした。
2006年8月6日
61回目の原爆の日でした。「核兵器がない,戦争がない」という「否定語」のヒロシマだけでなく,人類が理想とする社会をめざす「肯定語」のひろしまをめざしたいものです。
先日ある会議で,家庭での子どもの虐待についての議論になった時に,「開発途上国の貧困を絶対的貧困だとすれば,この虐待のような問題は相対的な貧困と言えるのではないか。下には下があると国民が安心してしまって,問題だと感じないのでは。社会が問題だと受け止める工夫が必要。親も真剣な問題だと受け止めなくなっており,対応が遅れているのではないか。」との趣旨の発言をお聞きしました。「ひろしま」から取り組むべきことは山積しています。
2006年7月29日
今日は一日かけて我が家の模様替えをしていました。久しぶりに,体から汗がしたたり落ちる快感を味わいました。昼過ぎの休憩でのビールのうまかったこと!やはり,人は汗をかかねばいけません。
このところ(いつもながら依頼は何でも引き受けてしまう自業自得とはいえ)嵐のような日々が続き,やっとの思いの週末です。面白いもので,テンションがあがっていると,家のことにも体が動くようになります。とはいっても,自分用の仕事スペースの改善が主なので,あまり偉そうには言えませんが・・・。でも,個人的な活動が増える中で,家で仕事をする時間が増えているので,机まわりが広くなって満足してます。ディスプレイを2台並べるデュアルシステムにして以来,随分仕事が楽になりましたが,大学生時代から使っている小さな机の周囲に書類を広げるスペースの確保が課題でした。汗をかいた甲斐がありました。
先日,人づくりの議論の中で,ある方が「最近,地域に結婚したいと思えるいい男がいない。」と話されていました。詳しくお聞きすると,リーダーシップがなく自分から行動できないというのです。私は「風に向かって立つ」という言い方をしますが,自分の足で立って,風圧を受けそれに耐えて前に進むということが弱いようにも思います。6月25日にも書きましたが,パックツアーに参加して何か問題があれば旅行会社を責めるという感覚でしょうか?
選択をしないという選択をし,責任を受け止めようとしなければ,ある面,楽かもしれませんが,わくわく感,どきどき感も味わえないような気がします。新しいことを選択して取り組んだけれど,うまくいかずに情けない思いに落ち込んだり,ちょっと可能性が見えてきてうまくいくかどうかとドキドキしたり,仲間ができてわくわくしたりという経験は,いくつになっても大切なように思います。
2006年7月27日
このところ,意外な方からこのホームページ(ウェブサイト)見たよ,と言っていただいて恐縮しています。大学勤務時代に始めたものであり,組織人として続けることの適否を悩みながら続けてる中で,こうして日々の思いを書かせていただいていることにより,ご縁が続くことをありがたく感じています。
今日は,人づくりビジョンの議論の一環として,広島地域でいい仕事をしてこられた方々のお話を聞かせていただく機会をいただきました。
実際にチャレンジし,壁にぶつかってもがいたことのある方ならではのお話に,今後の人づくり議論に力を与えていただきました。できるところまで推進力をなくさずもがき続けるというのは,とても大切なことだと感じています。体を動かさず本で読んだ理屈をしたり顔して語ったり,一歩踏み出す前にやらない言い訳を並べ立てるのではなく,方向性さえ間違っていないと思えれば,まず跳んでみることが大切だと思います。自分の覚悟で学びチャレンジされておられる方々のお話をお伺いさせていただき,頑張らねばと反省させられた日でした。
2006年7月23日
土日で,栃木の自治医大に,地域社会振興財団の健康福祉プランナー養成塾の講師に行ってきました。8年前のスタート以来お手伝いさせていただいています。当初は,コミュニティケアと情報システムを担当していましたが,昨年からはコーディネートの話を中心にさせていただいています。
私自身は,これまでの実務の取り組み経験の中で,専門家を生かす専門職の大切さ,いろいろな組織や人々の力を結び付けて社会の一つの成果にしていくシステムづくりの大切さを痛感してきていますが,いざその内容を説明するとなると難しいものがあります。
コーディネーターには,特別な資格がある訳ではなく,何か試験で評価される訳でもありません。ただ,組織の中で働き,社会の中の理不尽を一つひとつ解決していこうとする中で,社会の色々な要素を担っている組織や専門家の力を結び付け生かしていくシステムづくりの大切さを実感してきたが故に,取り組むべき課題を提示し関係者の力を合わせて何らかの具体的な解決行動を生み出していくそのようなコーディネートの大切さをなんとかお伝えしたいと思うのですが,ある一定の明確な知識を伝えるのとは異なり,難しいものがあります。
汗をかいた者には,水のおいしさや価値は伝わりますが,そうでない人には単なる水でしかありません。その感じ方は人それぞれなのだと思います。新たに取り組むべき課題を感じて,動き出したとしても,それはそれを感じない人にとっては,単なる「要らんこと」でしかありません。また,往々にして,実際に,「独りよがり」の思いつき,思い込みであったりすることもよくあるので,理解されないことがいけないのだと一概に言えないのも難しいところです。筋の良い取り組みとそうでない取り組みとの違いを生み出していくのは,歴史の時間軸の中での使命感に裏打ちされたものであり,原点がしっかり押さえられていて,多様な人の考えを柔軟に受け入れていくことができ,仲間を増やしていけるものかどうかといったことのような気がします。思いつき思い込みの場合は,そのような忍耐が続かないように感じています。
ほんの50年ほどの間に,ほとんどの人が組織で働く組織社会の時代に変化してきていますが,まだ私たちは組織社会の文化や行動様式を確立できてはいません。それまでの「個人としての専門家」の時代から,組織人中心の時代における人の行動についてもまだ模索している段階なのだと思います。
組織では,いわゆる専門家やスーパースターではなく,少々泥臭くても,自らの組織の構成員や他の組織の力を忍耐強く纏め上げていく信頼感が大切になってきます。いろいろな組織や人の力を生かして,自分ひとりではできなかった仕事を達成していくこと,自分がやった訳ではないが自分がいなければ生まれなかった仕事を生み出していくことのできる人の価値は,組織が一番知っています。けれども,それはなかなか伝えにくいものでもあります。
組織というものは面白いなと感じるのは,時々は間違いもありますが,人の集団の知恵として,長い目で見れば,真面目にいい仕事に取り組んでいる人を評価していく面があることです。短期的な評価や肩書き・レッテルではなく,日々の実践の中で,困難に直面したときに,逃げたり言い訳したり腰が砕けたりせず,組織のメンバーとしての自分の責任をきちんと果たそうと踏ん張っていっている者への評価を大切にしようとしています。それができない組織は,成長が止まっていくのかもしれません。
もう少し組織社会が定着してくれば,そのようなコーディネート機能への評価も高まってくるのではないかと期待しています。経験知を形式知にしていくことなのかもしれません。
筋のいい仕事と,思いつき・思い込み・思い上がりの仕事との違いが評価され,そのための取り組みについての経験が蓄積されてくることを期待したいと思っています。明後日は,精神科デイケア研修で,明々後日は,ウェブを活用した自殺予防対策についての研修と,本業以外の仕事が続きます。このように声をかけていただいていることを励みに,多様な要素の解決策を社会システムとして考えていく,組織社会におけるコーディネーターのあり方について考えていきたいと思っています。
P.S.先日,家族の付き合いで行ったメガネ店で視力を測ってもらったら,老眼になってるのに無理をしているから近視になりかけている,老眼鏡をかける必要がある,と言われて,今日できてきた老眼鏡をかけてみています。まだ度数が一番低いくらいなので,少し見やすいかなというくらいですが,視野が狭くなる感じは困りものです。
2006年7月16日
共同主宰しているアジアの会の例会で,初めてアフリカからの留学生(といっても,ケニアの師範学校で教えている先生)をゲストスピーカーにお迎えして,お話をお聞きし意見交換をしました。
中心テーマは,「多様性」でした。地勢も気候も部族も言葉も文化も宗教も経済状況も,本当に多様な国です。42の部族があり,それぞれの言葉を持っています。このため,それぞれの部族の言葉とは別にスワヒリ語が国語として定められており,さらに英語が公用語となっています。小学校では,国語と英語の授業の時間があるほか,全ての教科は英語で教えられているのだとか。つまり,みんなが3つの言語を話すのだそうです。 イスラム教の人も10%ほど,インド人も鉄道建設の労働者として相当数入ってきているのだとか。
教育は,8+4+4で,小学校8年は義務教育。1クラスの定員は40人だが,教室と先生が足りない(有資格者はいるのに政府にお金がないから雇えない!)ので70−80人学級もあるとか。高校,大学は,成績のいい子が国立の学校,次が州立(プロビンス),その次は市町立(ディストリクト)で,さらに成績の下の子は村の職業訓練校などだとか。国立の方が授業料が高いので,成績が良くても,州立などを選ぶ場合もあるのだそうです。面白いのは,小学校8年終了時に成績が良くて国立の高校に行ったからといっても,先が保証される訳ではないという話です。大学入学の際には,州立の高校出身者の方が成績がいい場合も多いという話でした。人はいつ伸びるか分かりませんし,いつでも伸びるんですよね。
日本の高等教育機関ではトップに女性があまりいないが,ケニアでは多いという指摘も大切な点だと感じました。どの国からも学び反省すべき点は多々あるのに,目を閉じてしまっていることも少なくありません。また,人は,経験や馴染みのないものについては極端に単純化してしまう傾向があります。例えば,英語について,ペラペラかそうでないかとの二者択一にしてしまったり,どこそこの国はみんな○○だとか一面的に思い込み,決め付けてかかったり。時にそれは,経済的指標のみを軸にした序列付けになってしまったりもします。厳しい環境に個として置かれることが少ないからかもしれません。そんな時には,肩書きやましては出身国のことなんて何の役にも立たず,自立した個人としての知性・理性・感性を総動員して,同じ土俵で評価されなければならないのに。
このほか,大地溝帯,温泉,雪山などなど盛り沢山でした。キリマンジャロ山はもともとケニア領だったのに,イギリス女王がドイツの国王にプレゼントしたため,隣国のものになってしまった話なんて,植民地の歴史を感じさせられるお話もありました。
2006年7月9日
今日は,頼まれている研修会用に,コーディネーターについての説明を考えていました。曰く「専門家を生かす専門職。社会システムづくり。多くの人々の力を生かして,自分の能力以上の成果を生み出す仕事。自分がやった訳ではないが,自分がいなければ生まれなかった仕事。」あるいは,「単なるつなぎ役ではなく,社会の理不尽さへの『良質の怒り』を元に,広い視野と現場原点の行動力で,人々や組織の力を合わせて成果を生み出す働き。」
具体的には,「現場で漠然と感じている問題を顕在化し,資料やデータを調べて課題を整理し,重要な課題を絞り込んで,解決の方向性と方法を考え,具体的な提案としてまとめる。関係者間の問題意識の共有を図り,具体的行動のためのコンセンサスづくりをして,一定の成果まで,多様な調整をして動かしていくこと」でしょうか。
そして,基本的に求められる能力は,「対話力・共感力(現場の問題,当事者の問題を聞き取り引き出す力),分析力(データ収集,項目整理,体系化,社会的意味づけ),表現力・説明力(問題を分かりやすく整理,表現し,論理的に説明),行動力(率先実行の行動力,長続きする仕組みづくり),忍耐力(実現するまであきらめない,緊張感の維持)」であり,求められる資質は,「現場感覚と広い視野(個人を見る目と全体を見る目),可能性の把握センス(相手の立場,押すべきポイント,組むべき相手),長期的視野と結果重視(打ち上げ花火にならない),正面から取り組む姿勢と柔軟性(うまく立ち回ろうとするのでなく,しかも柔らかく),責任感(逃げない,言い訳しない,腰が砕けない)」といったものです。
言葉にすれば簡単ですが,実行するのは容易ではありません。突き詰めれば,「社会の理不尽さへの良質な怒りに基づいて,みんなと一緒に取り組もうとすること」といったシンプルなものなのかもしれません。言葉の定義が緻密に整合性のあるものになればなるほど,現実味と迫力がなくなってくることも往々にしてあります。所詮,「絵に描いたような問題解決」なんてことはありえないのでしょうから。
2006年7月2日
議会の質問対応も無事に済み,ほんのちょっと一息です。財団,大学,地方機関と出ていたため,7年ぶりの本庁勤務で,議会対応も久しぶりです。担当者として対応していた時とは一味違う緊張感を味わっています。余談ですが,あるきっかけで,下記の話を思い出しました。
曰く,「目的地に行くためには,まず中間点まで行かねばならず,その次にはそこから目的地までの中間点まで行かねばならず,そのまた次にはそこから目的地までの中間点まで行かねばならず,そのまたまた次にはそこから目的地までの中間点まで行かねばならず,・・・」と延々繰り返してしまい,いつまで経っても目的地に到達できないという話です。緻密で確実な積み上げ議論が得意な場合には,陥りかねない話です。
自ら生み出す幻影の「限界」を,大きな視点と行動力で破っていくことの必要性を改めて感じています。
今週の日経ビジネスに,イノベーション(変革)とインベンション(発明)とは違うという話が載っていました。イノベーションは,個別要素技術の発明ではなく,社会の仕組みの変革だとか。仕組みの本質的な変革には,現場でつかんだ強い問題意識と歴史への使命感と強烈な怒りと意思と忍耐力,そして脇の締まった実力と行動力が必要なように感じています。思い付きではできませんね。
先日から,今月下旬に頼まれている精神科デイケアの全国研修の準備を始めていますが,改めて,対話による課題把握と,その整理・伝達力,行動へのコーディネート力の大切さを感じています。そして,なにより,そういった仕事をする人を励まし支援する人の存在が重要だとも感じています。変化を起こし,それを続けていくためには,現場で良い仕事をしようとしている人の声を引き出して広め,それを支援する仕組みが必要だと思っています。
2006年6月25日
金曜日の夜は,広島を拠点に全国区の仕事をしている友人と久々の会食をしました。月曜日と金曜日は広島で,火曜日から木曜日は東京だとか。
IT関係の仕事で,広島で東京や各県のシステムを開発をしています。東京での全国コンペなどを勝ち抜いて,仕事を取ってきています。
いろいろと話をする中で,話が一致して盛り上がったのは,地に足のつかない状態で新しい取り組みをしている時の不安への忍耐の大切さです。昨日から今日,今日から明日への延長上の問題に受け身で対応していくのではなくて,新たな方向を提示してその可能性に向けてあちこち働きかけていくときの不安は相当なものです。パック旅行の海外旅行と,自分で目的地を設定して全てを自分で手配していく海外への旅との違いに似たものがあるかもしれません。何かあっても,旅行会社を責めれば良い立場と,何があっても自分の責任で処理しなければならない立場の違いのような。
「そんなことできる訳ないだろう。」とか「要らんことをするな。」と言われながら,そして自分でも一面そう感じながらも,それでも新たなものを生み出していきたいと,不安の中でそれに耐えてもがいていくことによって,広島ベースでの全国をフィールドとした戦いが成り立っているのです。
今年は本業の方で人づくりについての議論をしていますが,ある人が,「広島では,思っても言わない,言ってもやらない,そしてやってる人を助けようとしない。」と言われてました。「広島は,そこそこ恵まれていて食いつぶすものがあるから挑戦しない。」だとか,「東京とのパイプが太いだけに,逆に中央依存で独自性がなくなっている。」という意見もあります。
小さくても,ささやかでも,自分で提示した仮説に自分で取り組み,実証しようとする取り組みが必要なような気がしています。
2006年6月18日
先週のアジアの会で,中国大都市の日本人学校で教えられた経験をお持ちの先生のお話をお伺いしました。
地元の小学校の授業を見学して,その指導力の高さとレベルが揃っていることに驚くとともに,日本の競争相手として脅威を感じられたところから話は始まりました。教師の指導力の高さは,互いに授業を公開し合い批評し合う向上努力と,教師を採用後にも責任を持って育成しようとする行政当局の姿勢などによるものであるとか。教師の採用も実際に授業をさせてみて評価をした上で決めるのだとか。地元の小学校では,小学校1年生から週4時間の英語の授業をしていること,その教科者の内容は日本の中学1年生の教科書とほぼ同じレベルの内容であること,英語の指導で重視されていることは,@会話,A1−2年生ではリスニングとスピーキング,B3−4年生ではさらにライティングとリーディングであり,センテンスが確実に定着するように図られていること,また,@易から難へのいくつかのステップ,A大切なことはしっかり押さえる,B素材についても本物を重視する,Cスピードを大切にしてテンポよく進めることにより発話回数を増やすこと,D徹底してほめること,などいちいちもっともでした。
教員養成課程からの「トレーニング」の重視,就職してからの「トレーニング」の違いが目に付かれたとのこと。教壇での立ち位置,しゃべり方,板書の仕方,目線の移動など,基本の基本が身についており,ほとんどの教師の質が揃っていることに感銘を受けられました。
教師がやってはいけないことは,分からないのをごまかすことであり,分からないことは調べる姿を子どもたちに見せることが大切であるとの話も,納得でした。全員ができるのを待っていると,できる子は興味を失い,できない子は待ってもらうことに慣れてしまうので,60%の子どもができたら次に進むという話も,考えさせられるものでした。もちろん,できない子を切り捨てるのではなく,最初はほぼ全員が答えられる質問から始めるとか,補助計算などでも全員にやらせることによって,あまり分かっていない子どもたちにもついていけるようになるチャンスを与えるのだという話も,当たり前のようでできないことだと感じました。
教師の思い付きや,単なる放り出しではなく,書いてあることをきちんと読み取らせる授業の大切さの話もなるほどと感じた次第です。「夏休みの思い出を自由に書いてごらん。」ではなく,夏休みの思い出を3つ書きなさい,と書かせてからそれを発展させるなど,言われてみればなるほどでした。トレーニングの大切さとともに,経験知(立ち方,声の出し方,指示の出し方など)の伝承システムの大切さ,「あこがれ」る存在の先輩教師の大切さのお話も印象的でした。
学級崩壊につながるのは,教師のあいまいな言動,語尾がはっきりしない話し方,生徒との約束を守らないことなどが原因というのも,いちいち具体的で納得です。教師の,凛とした厳しさを笑顔を持ちながら伝えること,ダメなことはダメとはっきり理由を説明して言うことの大切さも,なるほどです。
頑張らなくても困らない環境の中で頑張ることの大変さ,理解し合える仲間を持つことの大切さ,仲間を広げていくためには自分自身が楽しそうにしていること(楽しんでいること)が大切であること,などは公務員の世界に共通であるようにも感じました。
プロ意識を持って頑張っておられる方のお話には,緊張感があります。油断してしまうと,心の中に甘えが入ってしまうからでしょうか。
2006年6月11日
知人に自家用船での海釣りに招待されて,早朝から夕刻まで海の上でした。瀬戸内に暮らす幸せを感じた一日でした。地域での住民連携で傑出した実績を生み出しているこの方の生き様を見て,地域に生きる者として,自分の生活を大切にしながらいい仕事をしていくことの意味を改めて感じさせられたところです。
20年前に取ったまま,ずぅーっとペーパードライバーで小型船舶操縦士免許を更新している(あさって更新研修です!)私としては,世の中の既成概念での価値観を問い直す日でもありました。背伸びをして自分にレッテルを貼り続けなければならない東京の渦の中にいる人たちにはつかめないものを,広島に暮らす私たちがつかまなければとは言うものの,いつしか「知識」の量に頼ろうとしてしまっている自分を問い直さねばと感じた一日でもありました。
2006年6月10日
病院にお見舞いに行ってきました。病院は,生きるということの原点をあからさまに見せつける所だと感じます。同室の方が,繰言を言い続けておられ,悲しい思いにとらわれました。人が,一人の人間になり,全ての社会的な装飾をはずした時に何が残り何が表に現れるのかは,重い問いかけです。
以前,地域医療関係の仕事をしていた時に,医師の先生方の,「事実に対しての謙虚さ」に新鮮で印象深い思いをしたことがあります。人の命を扱う職業ゆえのものかもしれません。命については,「結果」をどう言いつくろうと,答えは一つしかありません。
これに対して,行政,あるいは社会科学系の事象については,「単純明快な真理」というものが押さえにくいが故に,(実際には明確な「違い」があるにもかかわらず)多様な説明が存在し得てしまうという面があるようにも感じます。
最後は,時代の流れ,時間の流れの中で,評価していかなければならないことかもしれません。
答えが見えにくいだけに,常に謙虚な問いかけ問い直しが求められるのかもしれないと自省するところです。
2006年6月7日
今夜は,仕事が済んだ後,福祉関係の会合に出席してきました。以前,作業所の支援研究に共同で関わった先生や,ご自分で知的障害のある方の施設をゼロから立ち上げて来られた方などと話し込んできました。
その中で話題になったのは,現場で一生懸命にやっておられる方を支援する役回りの人材の大切さです。現場で障害のある人たちに向かい合っておられる方々は,当然ながらお役所との付き合い方に長けている訳ではありませんし,時にはあまりに無責任なお役人の言葉に声を荒げてしまうこともあります。そんな人たちの実践に裏付けられた静かな迫力のある声を,行政や社会に届けていく役回りの人たちも必要です。
そんな厳しい環境の中でも,自分で自分を鼓舞して,あきらめず投げ出さず絶望的とも思える壁に向かって語り続けることによって,変化を生み出している方も確かにいらっしゃいます。今日お話させていただいた方もそうです。ですが,きちんとした代弁者や,そんな取り組みに光を当ててその価値をきちんと社会に説明してくれる人がいれば,もっとその知見が社会に生かされるのではと思う人もいらっしゃいます。
もう一つ話題になったのは,今は,「普通」か「普通でない」かの2分論になってしまっているのではないかという議論です。自閉症の人たちの受け入れをする中で,一定の基準に達していなければ「ゼロ」と見られてしまうという話をお聞きし,「下手な日本語に慣れていない日本人」を思い浮かべました。外国人の日本語を聞いたことがない人は,下手な日本語を聞くと,日本語能力で知的能力を錯覚してしまうことがあります。自分が下手な英語で意思を伝えようと苦労したことがないからかもしれません。ゆっくりはっきりシンプルな構文で話をすれば通じるのに,そのような意識的な努力の必要に気づかず一方的に通常ペースでまくし立てて相手が理解できないのを見てあきらめてしまいます。シンガポールとの学生交流などの中で感じたことです。英語というと,「ペラペラ」かそうでないかの二者択一をしてしまいがちなように,オールオアナッシングの考え方が強いように感じます。「それぞれの段階」を受け入れ評価することの大切さを感じました。
2006年6月4日
金曜の夜は,企業体験研修で来広中のシンガポール国立大学学生と広島信用金庫職員との研修会のコーディネート,土曜の夜は三原市を訪問中のシンガポールの中学生の交流会に出席と,シンガポール続きの週末です。いずれも10年以上続いているプログラムです。続いている中で常に新たな工夫や発展が生み出されています。
金曜日の研修会では,シンガポール国立大学からの学生が全員女性だったので,係長以上の管理職に占める女性の割合が,米国の46%に対して日本は9%(2004.5 世界女性サミット)というデータを示した上で,「シンガポールでは,若手と女性の活用が進み,企業等においても責任ある地位についているのに,日本ではそうなっていないのはなぜなのか,どうすれば変化させられるか。」をグループに分かれて話し合ってもらいました。
初対面でしかも限られた時間でしたが,メイドの存在などの支援体制の問題,自分で育てたいという考え方の違い,シンガポールの女性が自分自身の考えや仕事への夢を持っていることなどが指摘されました。最初に,日本側参加者に考え方の違いを知ってもらおうと,シンガポールの学生に「将来会社でどのくらいまで昇進できると思うか。」と聞いたところ即座にためらいなく「部長(Director)」との返事が帰って来,期待通りの答えではあったものの,改めて違いを感じたところです。
私自身,これまで,まったく異なる環境で仕事をする経験を何度か繰り返す中で,「常識」の違いを感じることが多くありました。「今」の環境は,実はその「状況や秩序」を維持しようという無意識の行動の積み重ねによって支えられている(あるいは自分自身もその世界の一員として支えている)のだということを感じてきました。
でも,その「世界」とは別の世界もあるという視点も大切だと思います。先週,敬愛する宇宙物理学者の先生から,ここ数年の研究で宇宙の年齢がほぼ2億年の誤差で特定されるようなところまで来たこと,そしてその中で,時間すらも我々の知る宇宙の中だけで通用するものであり,他の宇宙のことは何も分からないのだということが分かりだしたということをお聞きしました。随分スケールの違う話ではありますが,自分に見えないもの,分からないものがあるという視点は大切なように思います。
2006年5月27日
昨日,4月着任早々から準備を進めてきた人づくりの懇話会の立ち上げが無事済んで,少しほっとしているところです。自由な意見交換において歯車のかみ合った建設的な議論を積み上げていくためには,メンバーの構成が大切だと思いますが,幸い適任の方々にお願いすることができました。
それぞれの分野で,自分の思いを持ちながら実践を続けてこられた方々の言葉には,上滑りや思い込みに終わらない,味があります。そのような方々のお話を事務局として聞かせていただくのも,また楽しみです。
この1週間,本業以外にも来広中のシンガポール国立大学の学生へのオリエンテーションや精神障害のある方の社会復帰のための住居確保に関する研究の打ち合わせなど変化に富んだ日々でした。後者については,精神保健関係者だけではなく,住宅取引関係の専門家にも参加していただいて研究チームを作っているところに特色があります。これからは,このように多様な分野の方々が一つのチームを作って共同祖業をしていくことがより求められるようになると思いますし,そのような人々をつないでチームを構成しコーディネートしていく力のある人材が求められているように感じています。それが,一つの専門職として認められればいいのではないかと思っていますが,必ずしもいつも成果につながる保証がないだけに,難しいところです。
行政を含めてどの組織でも,いわゆる昇任をしていくと,管理的な業務や外部説明的な業務が増えてくるため,力のあるコーディネーター役が残らないきらいがあるようにも感じています。政策・戦略判断も大切だとは思いますが,個々の事業において本質的なブレークスルーを生み出すのは,現場での質のいい仕事であり,そのような小さな成功にも大きな面白さがあるようにも感じています。先の見えない中での模索には,足が地に着いていないというような不安感がありますが,それに耐えて一つの壁を越えていく楽しさに魅力を感じています。
2006年5月19日
なんとか今週も週末を迎えることができました。シンガポール駐在時代に,「TGIF(ティージーアイエフ)」という金曜日を祝う言葉を教えてもらいました。その心は,「Thank God, It's Friday!」直訳すれば「神様,ありがとう!今日は金曜日だ!」で,意訳すれば「やったぜ,金曜日だ!」くらいでしょうか。金曜日の朝,職場で顔を合わせると「TGIF」と言ってにっこり,という感じです。新しい仕事で,ウィークデーをやっとの思いでしのいでいる中で,最近またこの言葉を思い出しています。
とはいえ,そんな中でも,先週末は三原市で11年手伝っている中学生のシンガポール交流のお手伝いに行き,明日は,大学時代に取り組んだ全国初の県警本部・県と大学との「減らそう犯罪」の共同研究の発表会への出席です。来週は,今年頼まれている国立精神保健研究所関連の研究の打ち合わせ会議や広島空港周辺地域関連の会での講演など本業以外での話も続き,手を広げすぎてもう何がなんだか・・・という感じです。
と思っていたら,先週は,25年前に新空港の立地計画でお世話になった方から電話をいただくなど,なんともめぐり合わせの不思議さを感じています。この方の場合,たまたまこのホームページをご覧いただいたとかで,もう止めようと思いながら続けているこのホームページもまったく意味がない訳ではないかと感じているところです。
今日は,2つほど比較的大切な行事が無事に済み,ほっとして自宅で机に向かっています。来週もばたばたの1週間になりそうなので,静かな週末を過ごしたいものです。
ところで,今夕は早めに仕事が済んだので,飲みの誘いを辞退して7時過ぎから職場近くの大きな本屋さんに行き,書棚を眺めていました。最近は目的の本を直接アマゾンで購入することが多いので,いろんな本と偶然に出合う機会が少なくなっているように感じています。
と,思いながら書店の本棚を眺めてみて,なぜかわくわくしない自分を不思議に感じていました。歳をとって,あるいは感性が鈍って新たな本に容易には感動しない自分が悪いのかもしれません。ただ,自分の問題を棚に上げて言えば,平積みされている本には,何かしら直裁な解説調のものが多いような印象を受けました。すぐ役に立つというのは大切なことですし分かりやすさも必要ですが,「知」とか「叡智」「ぬくもり」「静かな迫力」といったものも大切なような気もしています。とは言いながら,結局,来週の講演に役に立ちそうな本を一冊買って帰ったところです。
2006年5月14日
相変わらず,速いテンポで日々が過ぎていっています。新たな出会いの日々でもあります。結局は,そんな日々をどこかで楽しんでいるのだと思います。一つの道をじっくりと究めることのできる人もいますが,私には無理です。それができない代わりに,あれこれとダボハゼ的に首を突っ込んで(体ごと?),つまみ食いをする中で何かしかの共通項を見つけたり,出会いがしらの偶然の中から新たな糸口が見つかったりするのを,楽しんでいるのだと思います。自転車操業的なタイプですね。
欲張りなのかもしれません。あれこれ見たい気持ちが強く,というよりも「見たり聞いたり読んだり」するだけでは駄目で,実際に自分がそれを体験してみないと分からないことが多いという素朴な思いから,外からではなく中からそれを体験してみたいという選択につながるのかもしれません。
良くも悪くも,その積み重ねが「今」につながっていると思います。「今」の自分には見えないものがあるのが普通だという思いと,だからこそ常にじたばたしながらいろんなものを見ようとしていたいといったところでしょうか。
もっと地道に進むべきだったのでは・・・という思いが全くない訳ではありませんが,ここまで来させていただいたのだから,どうせならどこまで流れていくのか自分自身を眺めてみたいという思いの方が強いようです。
2006年5月7日
連休のおかげで,やっとかろうじて人心地がつきました。5日間の休みのうち,1日は尾道の老親を連れて家族で世羅高原のポピーの花を見に行き,1日は家族で石見銀山へ。石見銀山の方は,最近の地域づくりの元気な事例勉強の意味もありました。石見銀山でマイカー規制のため利用したシャトルバスを降りたら,敬愛する県内某市の部長さんとばったり出会って・・・。うーん,偵察すべきところは同じかと。
もう1日は,帰省中の愚息のためにカレーづくり。山ほどの玉ねぎを小一時間根気良くいためるのがポイントです。これが半日で,あとの2日半は,嵐の4月の間に読めてなかった資料読みと,5月からの仕事に必要な資料づくりで,「あっ」という間に終わってしまいました。
50歳前後になってやっっっと真剣?に勉強する状況になったのは,いささか遅きに失するとは思うものの,まあいいかと楽しみながらやっています。
最近,講演では,「To Be or To Have」を強調しています。「何を持っているかではなく,どう生きているのかが問題だ」という趣旨で学生時代にはまっていたある心理学者(エーリッヒ・フロム)がその著作のタイトルに使っておられた言葉です。
30年の時を経て,改めてこの言葉の価値を感じているところです。
怠惰で無精者の限界はあるにしても,色々な先人の著作を読む中で,歴史の中で色あせない言葉の価値を感じています。人それぞれなのだと思いますが,私の場合は,学生時代の井上靖とエーリッヒ・フロム,仕事を始めてからの司馬遼太郎,そして最近のドラッカーに至るまで,そんな言葉との邂逅が大きな意味をもっているように感じています。
そんな出会いを大切にしていきたいと感じています。
2006年4月30日
4月に入って以来,新しい仕事への対応のために1週間1週間息を詰めて走ってきた感じでしたが,とりあえず当面の各種会議の立ち上げや準備も一息つき,連休の間に少し勉強する時間もできそうでほっとしています。
今度の仕事も,今までとはまったく違う環境での仕事であり,ゼロから学ばなければならないことが山ほどあります。もちろん,過去の経験や知識が役に立つこともあるのですが,経験のないことや勉強してないことが膨大にあり,緊張感を維持していないと,たじろいでしまいそうです。
考えてみれば,いつもこんな感じでやってきたように思います。20年前に全国初の公務員の商社派遣研修で生まれて初めての東京暮らしを始めた時もそうでしたし,シンガポール広島事務所の初代所長として自分のビザの申請や事務所の家具等の購入,電話の申し込みなどすべて一人で手探りで進めていた時,新しい組織の立ち上げのために初めて大学に移って重圧の中で異文化の世界で模索していた時など,いつもあらかじめ準備ができていたことなどありませんでした。うまくいく保証のかけらもない中で,それでも新しいことに取り組む面白さだけは感じていたように思います。それは今も同じであり,この歳になってもそんな新鮮な感覚を味わえることを幸せだと感じています。
とはいえ,先週も,本業とは別の講演を一つ頼まれたほか,ある研究所の非常勤研究員への就任を頼まれるなど,相変わらず仕事は広がる一方で,二兎どころか四方八方に兎を追いかけている状況には,我ながら,深刻に問題を感じざるを得ません。もっとも,真剣に反省していなくて,それなりにこの状況を一面では楽しんでしまっているところが,本当の問題なのかもしれませんが。
結局私は,「ひとかどの人物」などにはなりようもなく,こんな感じでちゃらんぽらんに終わってしまうのかとも(半ば以上は納得しながら)思っているところです。まあ,次の未知なる展開の楽しみがあるだけ良しとしますか。
2006年4月22日
相変わらず,息をつめて走っている感じです。
明日は三原市の中学生のシンガポール交流の手伝いなので,いつもは毎週日曜日の日課であるクアハウス行きを今日にするつもりでしたが,結局あきらめて家で働いていました。
余裕のない生活ではありますが,いろいろな魅力のある方々にお会いできている分,良しとしなければいけないかと思っています。本年度の目玉事業である人づくり懇話会の委員就任依頼に歩いているのですが,いずれも(当然ですが)しっかりしたものをお持ちの方ばかりで,楽しい時間を過ごさせていただいています。
自分のめざすものをもって,実際に汗をかいておられる方の話には,芯があり,なんとも魅力的です。「張り」でもあります。
夢中になって話を聞かせていただき話させていただくことの緊張感を楽しんでいます。
お役所仕事の世界に埋没しないようにと,自省すること大でした。
2006年4月15日
新年度が始まって2週間が経ちました。
なにしろ初めての分野なので読まなければならない資料が山積みで,初めての会議続きで,なんとも刺激的な毎日です。先週は忙殺されて結局ひとり言を書く余裕がありませんでした。
仕事は,人づくりビジョンや国土形成計画(旧・全国総合開発計画),広島都市圏中枢拠点機能調査,施策点検システムなどですが,まだ模索中です。企画部門に来て改めて,私自身の強みは現場経験にあると感じていますので,それを生かして仕事をしていきたいと考えています。
ところで,先週開催したアジアの会の4月例会で,シンガポールで3か月の企業体験研修をしてきた学生の話を聞かせていただきました。高校までは内気でおとなしい学生だったのに,広島工大専門学校に入学しシンガポールの学生との交流に参加する中で,自分の可能性にチャレンジしたいという気持ちになり,海外での3か月の企業研修にも応募するようになるまで行動も変わってきたとか。
シンガポールの学生に背中をちょっと押してもらうことで,自分自身がチャレンジする気になり,チャレンジすることによって自信をつけてさらにチャレンジするようになったとか。人の成長の可能性とそのきっかけや環境を作っていくことの大切さを感じました。
印象的だったのは,小中高校と,他人と違うことをするといじめの対象になったり,先生から否定されたりしてしまう。結局,みんなが群れで同じような行動様式で過ごすようになる。要らんことはせずにすませるようになるという話です。「暴走族だって,一人はいない。みんな群れている。」という指摘や,「いじめも,みんなが同じ行動様式を取らないといけないという風土の中で生まれる。みんな違うのが当然の状況ではいじめも起きないのでは。」という指摘でした。
チャレンジさせてくれない。個性が出せない。そんな状況に若者たちは置かれているのです。チャレンジしたことも,チャレンジすることの楽しさも経験したことのない若者が,フリーターやニートへの道を歩いていくのかもしれません。
話は変わりますが,ひょんなことから,シンガポール駐在時代に県職員向けの広報誌に31回にわたり連載した「シンガポール便り」が出てきました。元のデータがないので,写真や表を除いたものをデジタルデータにして,
「駄文抄」に放り込みました。
2006年4月2日
前回も触れましたが,社会人生活丸30年を迎えました。うち10年間は県庁以外で仕事をし,特に,後半15年のうち9年が県庁外での仕事です。これは最初から計画したものでもなんでもなく,その時その時に少しだけ前に足を踏み出そうとしてきた結果としてこうなってしまったというのが実感です。最近はやりの「キャリアプラン」という言葉にはにはどうも抵抗感があります。キャリア自体を計画するというよりも,自分が何をめざしたいのか,どんな姿勢で仕事に取り組んでいくのかが大切なような気がします。キャリアは計画して生まれるものではなく,その時その時に真摯に対応していく中で結果として生まれるものではないかという気持ちが抜けません。(もちろん『キャリアプラン』の本当の趣旨はそういうことなのでしょうけれど。)
目の前が見えない中で漠然とした方向性を頼りに進んでいくものだと思います。
この週末は新しい仕事の準備をして,残りの時間は例によってドラッカーを読んでいました。いつもながらその博識と洞察力に感銘しました。「目標は,鉄道の時刻表ではない。それは航海のための羅針盤である。」「外交で大事なことは頭の良さではない。単純さと誠実さである。」「まさにプラトンの言うように,論理の裏付けのない経験はおしゃべりであって,経験の裏付けのない論理は屁理屈にすぎない。」
明日から新年度が始まります。この4月からの1年が,みなさまにとって良い1年でありますように。
2006年3月26日
組織に働く者にとって,春は異動の時期です。私も,金曜日の人事異動内示で4月から「政策企画部企画調整局 企画監(政策企画担当)」という仕事をすることになりました。今年度作成した広島県総合計画の4つの柱の一つの「人づくり」の具体策の検討や,国土形成計画(以前の全国総合開発計画)の関連などらしいのですが,行政組織自身の人づくりも難しいのに,県全体の人づくり・・・?と考え込んでもいます。
広島大学から自治総合研修センターに移って1年なので予想外だったのですが,まあこれまでの経験が生かせればと思っています。ただ,三次市,廿日市市,三原市などの仕事をお手伝いさせていただく中で,現場との距離感の大切さを感じており,大組織の問題も感じています。広島県では,今回組織改正を行い,11の「部」の下に「局」,その下に「室」ということになったのですが,その結果,「地域振興部地域振興対策局地域振興総務室」なんて長さの組織名が沢山できました。「組織の硬直化と組織名の長さは正比例する」などと言われないようにしなければと感じたところです。なお,本庁の室だけで120以上あります。
もちろん,それだけの仕事量があるから組織が大きくなる訳ですが,組織が大きくなれば「その組織の常識」が一人歩きしだしかねません。このような大きな組織のマネジメントは,世界的に見ても60年程度の歴史しかない(ドラッカー)ことを考えれば,まだまだ謙虚にかつ大胆に見直しを続けていく必要がありそうです。
ところで,今月末で社会人生活丸30年です。30年前に広島県庁に入って以来,30年の内の10年は県庁以外で働きました。特に後半の15年は,シンガポール3年,財団2年,広島大学4年の計9年が県庁以外で働いていたことになります。(これに前半で経験させていただいた,公務員として全国初の商社研修の1年を加えて10年間になります。)いろんな経験をさせていただいたことに素直に感謝したいと思っていますし,少しでもそれを役立てたいと思っています。
2006年3月21日
金曜日から日曜日まで,
公務員の組織風土改革世話人交流会に参加するため横浜に行ってきました。
(休暇・自腹です。)
2000年から基本的に年2回開催しており,昨年夏からは私も参加した運営チームで開催する方式になっています。運営チームの打ち合わせと懇親会を含めると2日間で延べ20時間以上という密度の濃い時間を,北海道から九州まで日本各地から集まった参加者と一緒に過ごしてきました。
私は4つの分科会の一つ「無風状態からの組織風土改革」のお世話役を担当したのですが,公務員としていい仕事をしたいという思いを共有する仲間との集中した意見交換は,多くの気づきも生み出す有意義なものでした。 公務員として,社会のすべての人や組織の可能性を伸ばせる環境づくりや社会の不条理を減らすためにという使命感を大切に,柔軟で地道な取り組みを続けていくためにはどうすればいいのかなどを話し合いました。
そんな意見交換の中で私にとって新鮮な気づきだったのは,組織というもの自体がまだ歴史が新しくそのマネジメントも未熟なものであること,従って,今の組織が変わらないというのは思い込みで,変化も当然に起きてくるものという点でした。組織が悪いとあきらめたり開き直ったりすることなく,こつこと努力を続けていくことの大切さを改めて感じました。
もう一つ感じたことは,先が見えない時代だからおもしろいし,そこでは素直に悩める環境が大切であること。そして,いくつになっても素直に悩める人に魅力があるということです。思い込みや決め付けからは,自由な発想は生まれないのだと感じました。
先週は15日に,三次市行財政改革推進審議委員会会長として,行革推進計画(案)について審議委員会の皆さんと一緒に議論して作成した提言書を市長さんにお渡ししてきました。行革は単なる人やお金の削減ではなく,市民の負託に応え得る感性とフットワークの良い行政づくりであるべきという「創造的行財政改革」を掲げ,変革の組織づくり,大胆さときめ細かな配慮,問題をきちんと顕在化し迅速適切に対処する仕組みづくり,改革の意義と成果の説明の必要性などを盛り込んでいます。
2006年3月12日
3月6日月曜日夜のリーガロイヤルホテルでの講演会が済み,ほっと一息ではありますが,相変わらず気ぜわしい毎日です。
水曜日の夜には,共同主宰しているアジアの会で,中国からの帰国者の孫として日本に来た若者の話を聞かせていただきました。国を超えたアイデンティティの話もありましたが,最も問われたのは個人としての自立であったように感じました。
小学校4年生の終わりに言葉の通じない日本に来て,いじめにあいながらも頑張って,高校進学を1つの転機として自ら位置付け,クラブ活動に打ち込む中で達成感を得て自信をつけ自分の未来を見つめていくという姿に,出席者は圧倒されました。
○ (小学校の時に)自分をいじめていた日本の子どもたちは,結局孤独で不安だったのではないか。
○ 親にしがみついていてしつけもできていなくて自立できていない日本人の甘さに驚いた。
○ 自分の師である教師を尊敬できないということは,どういうことなのか。それを許す教師もまた問われている。
○ 個人は国を背負っているわけではなく,一人ひとりがそれぞれの自分を持っているのだ。ただし,自分にとってルーツである中国の文化には誇りを持っている。
○ 自分自身をそして自分の国の文化を理解せずして,相手のことは理解できない。
○ 皆が違うのだと思えば良い。違いを受け入れる文化相対主義から,相互理解が生まれる。
○ 社会に貢献し親を幸せにするのが自分の人生でやりたいことだ。
○ 生きるのは楽しい。全力を尽くしたい。
などなど,とても高校を卒業したばかりの若者の言葉とは思えない落ち着いた力強い言葉の数々に,圧倒されました。小さい時から,自分は10歳になったら人前では涙を見せない,と決めていたというこの人ならではなのかもしれません。
いじめる側の子どもの孤独な心や不安の指摘は,体験機会や失敗などを通じての生きる実感や達成感がなく漂っている現代の子ども(だけ?)の問題を描き出しているようにも感じました。人を愛する心についての指摘も,自分自身の意思による前向きの選択と行動の中での孤独なしには,理解されないのではとも感じました。
短い時間でしたが,人間力だとか底力,迫力,鍛えられた逞しさといった言葉を思い起こしたひとときでした。何かをめざすが故に壁にぶつかりへこんだり落ち込んだり絶望感にとらわれたり自己嫌悪にさいなまれたり,そんな突き詰めた状況を経験しないまま表面的な世界で漂っているという状況に置かれた若者に,社会は何ができるのでしょうか。
前の週のもう一つの印象深い出来事は,三次市でお世話になっている方と,ある研究開発型企業の責任者の方のお話をお聞きしに行ったことです。広島の小さな町にありながら40年近くにわたり世界レベルでの研究開発型企業を率いて来られた方のお話には,いつも感じるものがあります。
それは一言で言えば「質」へのこだわりです。地方にあれば,まあそこまでしなくてもいいじゃないかとのささやきが陰に陽に聞こえてきます。世界に伍して戦っていくには,そんなささやきに耐えていく孤独な戦いが必要になってきます。素人オーケストラもウィーンフィルもオーケストラで交響曲を演奏していることには変わりないじゃないかという類の発言に耐え,そんなに格好付けてどうするんだという嘲笑に耐えて,「質」へのこだわりを追い続けてこられたこの方ならではの迫力が私は好きです。
それが,これからの地方には最も求められていることではなかろうかと感じています。
2006年3月5日
あっという間に3月です。この2週間ほどで本業以外に,講演やシンポジウム,勉強会などの行事が14本も詰まっており,どたばたしているうちに過ぎました。明日の講演会がすめば一息つきます。
昨日は,シンガポールからの学生を奨学金付きで受け入れていただいていた三原国際外語学院の卒業式に出席してきました。シンガポールからの学生は,日本の大学の入学試験受験資格とされる日本語能力検定1級に合格し,成績優秀で卒業生代表として答辞を読ませてもらうところまで努力してくれていました。経済的事情などで残念ながらそのまま日本の大学に進学ということにはなりませんでしたが,将来は日本の大学院で経済学を学びたいとか。シンガポールの大学で工学部を卒業した後に,日本に来たものです。このような学ぶ熱意には圧倒されます。
他の卒業生は,中国や韓国,タイ,ウクライナなどからですが,卒業式後に開かれた交流会では,次々に立って,自分の夢をめざしてがんばりたいと決意を述べていました。異国に来て,夜に工場などで働いて学資を稼ぎつつ日本語学校で学び,1−2年で日本語を身に付け,日本の大学での勉強に向かっていこうとする若者の姿は,まぶしくもあり頼もしくもありました。私たちが忘れかけているものがあるようにも感じました。
何もない時代に,何もないところから何かを生み出そうとしていた時代と,いろんなものがあり,明日の食事の心配をしなくなり,今の楽しさ,今の不平不満,今の欲求の中で過ごしてしまっている時代とを,比較してしまいます。
豊かになれば,ジタバタすることは格好悪く,耳の痛いことや角の立つようなことはせず,スマートに要領よく過ごすようになります。しかしながら,現在の豊かさは過去の努力の成果であり,それでは,未来を創り出すことなく過去の蓄積を食い潰してしまいます。
「昨日と同じ今日,今日と同じ明日」ではない明日を生み出すためには,危機感と自己変革能力が求められているように感じます。
2006年2月27日
土曜日の夜に,近所に出来たインド料理の店に行った後から調子が悪くなり,日曜日は終日寝込んでいました。インド料理屋さんの名誉のために言っておきますが,食あたりではありません。一緒に行った妻はまったく平気で,要は疲れていた胃などに刺激が強すぎたのかと。(今日,医者に行ったら,内臓が弱っているとか。)今日は,休暇を取って三原市の健康づくり推進員交流会に行って,地域での健康づくりへの取り組みについて語っていたのですが・・・・・?
今日の三原市での健康づくり推進員交流会では,地域での取り組みの実践事例報告がありました。その中で印象的だったのは,男性の健康づくり推進員の方からの報告で,地域の取り組みにおいて,町内会や老人クラブ,女性会などとの連携を図ったこと(組織化),助成金を探して獲得したこと(資金調達),健康運動器具借りてきてそれを見本に自分たちで製作したこと(物づくり),健康づくり推進員の研修会でもらった資料を基に地域で説明会をしたこと(情報伝達),県外の大学や地域で作っているビデオを探してきて地域で見たこと(情報収集)など,企業人・組織人ならでは培った能力を生かしてのご活動でした。組織社会・知識社会において,職業人の知識・技術を生かした地域活動への参加の必要性は感じていても,「そうは言っても,自分には特別な能力などないから・・。」と言われることが多く,迷っていたところですので,とても有意義な話を聞かせていただきました。
私は,実践事例報告へのコメンテーターとしての参加でしたので,このことを申し上げました。また,他の事例発表でも,期待と不安の中で新しいことに取り組み模索することの大切さと,それが謙虚さと若さを生み出すということを申し上げてきました。
行政の取り組みには限界もありますが,職員の側に,このような地域の人びとの変化につないでいくのだという信念があれば,いろんな変化が起こりうるものだと感じさせていただいたところです。
2006年2月20日
土曜日は,大学時代に関わっていた科学教育プロジェクトの関連で,物理教育研究会に行ってきました。小学校から大学の先生までが一緒に物理教育に関する発表会をするというものです。以前,幼稚園,小中高校と大学の教員,科学館館長さんなどと,1回5時間程度の意見交換会を5回積み重ねて,子どもの教育の問題について学習過程縦断的に議論をしたことがあります。これが,マツダ財団の支援で年間1千万円規模の科学わくわくプロジェクトに発展しました。
普段接点のないグループが一緒に考えることの価値を実感した取り組みでした。物理教育研究会も,当初の高校大学中心の活動から,小学校中学校の先生も参加した幅広い取り組みになっているのも,心強いかぎりでした。変化は起きつつあります。
昨日の日曜日は,大学勤務時代の知り合いの学生に頼まれて,広島国際ユースシンポジウムのCSR(企業の社会的責任)分科会のコメンテーターとして参加。私のどこがCSRかと思いましたが,例によって初めての話には首を突っ込んでみるという原則で引き受けました。メインスピーカーは大和証券グループ本社CSR室次長の金田さんで,分かりやすい整理された話のおかげで,コメンテーターとしても楽しく参加させていただきました。
今週から2週間余はどたばたの毎日です。廿日市市社協のボランティアリーダー研修会講師,三原市健康づくり推進員交流会,同地域福祉計画協議,北広島町地域協議会講演会,医療ソーシャルワーカー・保健師等シンポジウムシンポジスト,廿日市市行政経営品質向上活動勉強会,広島シンガポール協会講演会講師,公務員組織風土改革世話人交流会分科会担当などなど,もう相変わらずのしっちゃかめっちゃかです。
大学を辞めても,以前よりも多く講演会等に声をかけていただくことを素直にありがたく感じるとともに,特定分野にこだわらないコーディネーター役の必要性を改めて感じています。保健・医療・福祉分野では,地域実践家から大学教授になりながら,しかもとっくに還暦を過ぎながら熱く活動されている尊敬する先輩と,地域実践の支援機能づくりの話を進めています。学校教育だけでは済まず,卒業後社会に出た後での継続教育も含めた実践支援が求められていると感じています。
2006年2月12日
先週は木金と研修を受けに福岡まで行ってきました。面白くないはずの法律的な話だったのですが,必要に迫られていることと興味のある分野だったこと,そしてなにより講師が良くて,2日間,自分でも意外なくらいまじめに勉強してきました。やはり,学ぶべき人からきちんと学ぶことの大切さを感じたところです。
木曜日の夜は,福岡市役所の友人と彼が推薦してくれた人と3人で食事をしました。友人の方もいい仕事をしてきた魅力的な人物なのですが,もう一人の方は,まったく嫌味がなく肩の力が抜けているのにパワフルというなんともすごい方でした。こういう人に会って一緒に話が楽しめるというのが,幸せなのだと改めて感じたしだいです。これまでしてこられた仕事の一つひとつが,その陰にはずいぶん大変なことがあっただろうと思わせるものだったのですが,同時に,この人の仕事への取り組み方なら当然の行動だと思わせるものでもありました。いい仕事ってさわやかな印象を与えるものだと感じた次第です。
最近,多種多様な忙しさにかまけて,手抜きもしてしまっている自分自身の仕事への取り組みについて,反省させられるところ大でした。頑張らねば。
で,週末は,尾道の老親の買い物の手伝いに行った以外は,ひたすら資料づくりに没頭していました。廿日市市社協のボランティア団体リーダー研修会,広島県医療社会事業協会のシンポジウム,広島シンガポール協会の講演会など,あれこれ考える中で共通するのは,人と社会の可能性を伸びやかに引き出すことの大切さです。みんなそれぞれ一生懸命にやっているのですが,部分最適や部分最善努力が,全体最適や全体最善努力に必ずしも結びつかないことがあります。
歯車のかみ合った仕事をしていける環境づくりの大切さを感じるところです。
また,久しぶりに東南アジアの統計データの整理に没頭してみて,シンガポール駐在から帰国してからの12年間での変化を感じました。15年前にシンガポールで事務所の立ち上げをしていたころに感じたのは,人と地域の張りの大切さです。人間と同じで,未来へのビジョンと実際に体を動かす努力に裏打ちされた緊張感というのは大切だと思います。そんな張りを感じさせてくれていた国々がやはり順調に発展しているようです。
そんな張りを大切にして,こつこつ頑張らねばと思っています。
2006年2月5日
あっという間の1週間です。先週から,地域での保健・医療・福祉の実践活動の支援拠点づくりなどについて,せっせと資料を作っていました。昨日の土曜日は,4年前から続けているアジアの会のメンバーで下関へ。「食」が主目的だったのですが,アジアと下関との歴史も味あうことができた1日でした。で,今日は朝からボランティア団体のリーダーの方々の研修会の準備に没頭していました。
ドラッカーによると,アメリカの成人の2人に1人,約9000万人が,非営利機関で,無給のスタッフとして,週最低3時間,平均5時間勤務しているのだとか。この40年間で,ボランティアが,単なる「補助者」から「無給の専門スタッフ」へと変化してきているといいます。選択自由で容易に参加・脱退のできるコミュニティとして,自己実現のための場として大きな意味があるという点に感心しています。また,それを実現したのは国民性やキリスト教精神なのではなく,マネジメントの成果だというのが,ドラッカーらしいところです。ボランティア団体の使命と行動目標を明確にし,マーケティングにより社会のニーズと組織活動を調和させ,ボランティア参加者に,その役割を明確にし,必要な訓練を提供することにより,達成感,貢献感を持たせるというのです。
日本でも,この50年余で,農業従事者が50%から5%以下になり,就労者のうち会社等に雇用されている者の割合が4割から9割近くになるなど,地域で暮らし地域で働く時代から,地域で暮らし組織で働く時代になる中で,人々が帰属感を持てるコミュニティのあり方が問われています。
会社コミュニティの限界が見えてき,50代以上の男性の自殺者の急増の中で,共通の理念を元につながるコミュニティの大切さを改めて考えていく必要があると感じています。そこでは,地域を基盤とした町内会等の組織と,目的を基盤としたボランティア団体等との性格の違いを踏まえた連携のあり方を考えていく必要もあります。
そこで大切になるのが,個の充実ではないかと思います。表面的な格好付けや知識のひけらかしによるハリボテや表だけの映画のセットではなく,個人としての実体が問われるようになるのではないかと思います。学生時代に傾倒した社会心理学者のエーリッヒ・フロムの著書のタイトルである「To
be or To have」すなわち,何を持っているかではなくどう生きているのか,が改めて問われるのだと感じています。
「似て非なるもの」と言います。大学勤務時代の最後の年に,口先では本で読んだ格好のいい借り物の知識を並べ立てて目立つところには首を突っ込んで自分を売り込みたがるのに実際の仕事では土壇場で平気で仕事を投げ出したり他人の批判に終始して恥じないという人物を目の辺りにした経験から,個人の実体が問われ違いが見分けられる時代になればと,願っています。
今週の日経ビジネスでは,ホリエモンに代表されるような最短距離の近道を行こうとする仕事の仕方ではなく,遠回りでもきちんと恥ずかしくない仕事をしていくことの大切さが特集されていました。以前にも書きましたが,広大時代に懇意にしていただいた見識ある先生方が揃って,回り道を厭わずに泥臭いことに地道にまじめに忍耐強く辛抱強く取り組むことの大切さを強調されていました。
要領よくうまく立ち回るのではなく,自分の置かれた環境の中で精一杯の努力をし,自分自身に恥ずかしくないように「名を惜しむ」仕事をしていくことの価値を改めて感じます。迷路を「攻略本」を持ってうまく通ろうとしても,何も身に付きません。
若手,中堅の人々が,自分の生きる原点を大切にし,それに恥ずかしくない仕事ができるように,その可能性を引き出すことのできる環境づくりが大切だと感じています。
2006年1月29日
先週は,2夜続いて保健医療専門家にお会いしての勉強と意見交換,三次市の行革等と三原市の地域福祉計画の協議,廿日市市の行政経営品質向上運動のお手伝い,県のオフサイトミーティングへの参加,風邪で38.6度の発熱などに加えて,ボランティア団体のリーダー研修会の講師と保健・医療・福祉関係のシンポジウムのシンポジストの依頼のお話をいただくなど,相変わらずはちゃめちゃな日々でした。で,週末はひたすらその関係の資料づくりをしています。
そんな中で感じているのは,これまでまったくばらばらだと思っていたことが,だんだんとつながってきていることです。ここ数年の仕事だけでも,産業振興ビジョンづくりや木質バイオマス,作業所支援研究,外国人子弟教育支援研究,触法精神障害者社会復帰関係,精神障害者の社会復帰の住居確保対策,自殺予防関連研究,犯罪予防研究連携,行革や総合計画,地域福祉計画,子どもの科学教育プロジェクト,シンガポールとの学生交流,地域医療情報システム,保健師さん等の地域保健福祉連携などなど,その時その時にたまたまめぐり合って関わりだした仕事が,地域を舞台としてだんだんとつながってきているような感じがし出しています。
考えてみれば,人が暮らしている地域ですから,人に関わることのあれこれがそこにあるのは当然です。どれかの専門家になろうとするのではなく(なれもしませんが),あれこれ面白がって手を出していたからこそ,つながってきているのだと感じています。最初から将来を見て,計算をしていればとてもこんな支離滅裂なことはできてなかったと思います。
最近の仕事を通じて,これからの世の中には,こんな「非専門家」も必要なのではとは思いますが,社会的な認知や位置づけがなされていないのが現状です。「実務家」か「運動家」か「大学研究者」か「コンサル」か「行政職員」かだけでは定義しきれない役割が,これだけ複雑化して,多様な専門家の力をつないで一つのデザインを生み出していくコーディネーター役が求められているこれからの時代には,必要なのではと感じています。
私としては,社会のために働くことによって給料をいただいている行政職員が担うべきだとは思うのですが,日々の目の前の業務に終われる中で,幅広い分野でそれなりの掘り下げをしていくことは現実問題,簡単なことではありません。結局,いろいろな職種の方々の中で,そのような問題意識をお持ちの方々に,継続教育としてそのような部分を勉強していただく機会が必要なのではないかとも感じています。
地域での多様な課題を実践的に結び付けて人々の力を生かしていくために必要な資質を,より効果的に身に着けていく機会を考えていきたいとも思うところです。しかしながら,具体的なイメージがまったく浮かびません。そんなことが可能なのかどうかも。少なくとも,地域で活動される保健師さんなどから具体的なイメージづくりをしてみたいものだと,尊敬する保健医療専門家と話し合っている段階です。
2006年1月22日
相変わらず,自分でもびっくりするほど多様な話が飛び込んできます。そんな中でも,それぞれの領域で実力と実績のある方々とチームを作って全国に発信していく研究を進めていく話などは,やっててわくわくします。現場での実践者が組み合わさって,一定の理論的整理レベルの成果を出していくことが,現在の社会では求められているのだと思います。それを実現していくことが,これからの時代の地方からの情報発信の一つのあり方だと感じています。
2006年1月14日
ある県の友人と話していて,急激な改革の弊害の話題になりました。彼も私も,行政の変革推進派ではあると思うのですが,それでもそのすすめ方の難しさに話が及びました。
変化を起こすためには,強引に進めていくことも必要ですが,多様な要因も考慮しながら進めていくことも必要です。もちろん,あれこれ配慮していると何も実現できなくなりますし,妥協の産物の中途半端でやらないほうがいいようなものになったりもしますが。そのあたりのバランス感覚を持ちながら確実に変化を起こしていくためには,使命感と目的意識,強い意志,忍耐強さなどが必要です。一気に押し通すのではなく,言い訳に終始して無為に過ごすのでもない,変化の起こし方が大切になっているように感じています。
安定的で合理性・継続性のある新しい仕組みを作ることは,勢いだけではできません。大きな声で威勢のいい断定的な発言は格好良くはありますが,静かに考え静かに聴き静かに語り,繊細・緻密にかつ大胆に行動していく,熱い心と冷静な考えをバランスよく持つことが必要なように感じてます。旅客機が着陸する時のように,フルフラップで抵抗を最大にしながらエンジン出力を上げることによって,いわぱアクセルとブレーキを同時に踏みながら,ねらったランディングポイントへぴたりと着地していく感覚が必要なのかもしれません。長い役所生活の中で,変化を起こす難しさを何度も感じてきましたが,社会のために本当に必要な適当なものは何なのかを考えていくためには,ブレーキも必要かもしれないと(それも程度次第ですが)自分を慰めてきました。
2006年1月7日
2月に「シンガポールの多様性活力と広島の未来(仮題)」というテーマで講演を予定しており,お正月から準備にかかっています。シンガポールの,違いを受け入れることから生まれる活力やビジョンと行動力から学ぶものを考え,「昨日と同じ今日,今日と同じ明日」というのではなく広島の未来を生み出していくために大切なことについて考えてみたいと思っています。
大学から県庁に復帰してみて,社会が具体的に変化していくということはどういうことだろうかと考えています。大学勤務時代に,産業振興ビジョンづくりなどに「学識経験者」として関わってみて,「あるべきこと,すべきこと」や「正しいことや現状の問題の指摘」について語っていることについての(隔靴掻痒の)部外者感覚がありました。これに対して,いわゆる「現場」に復帰してみて,たちまちは,間違いなく確実に「やるべきこと」をこなしていかなければならない状況の中で,「過去の延長線上」から離れて新たなことを始めていく難しさを感じています。
これは,過去に様々な新たな取り組みをしてきた中で感じたことでもあります。失敗や見込み違い,スタッフへの影響など,折角それなりに動いている現状の流れに棹差すようなリスクを犯してでも新たなことに取り組むべき事柄やタイミングは,そうは多くはありません。かなりの(ほとんどの?)部分については地道な取り組みの延長を続けていっても問題はないし,それをいちいち変えようとすることで周囲との摩擦で疲れたり信用を低下させたりしてしまうこともあります。そんな中で,でもこれだけは,今の自分しか取り組めないし,そのタイミング・環境に置いてもらった自分の「歴史あるいは時間の流れ(大げさですが)」への責任であると感じる事業はあるもので,そんな事業に絞り込んで取り組むというのが,実際なのかもしれないと感じています。
ただ,これはそれなりの経験のある人や軽重の見極めのできる人の話かもしれませんし,大切なことを見過ごしてしまうことにもつながりかねません。やはり本来は,すべての業務について常に問い直しをし続けて,変化を生み出すきっかけを生み出し続けるという「組織風土改革」が必要なのだとは思っています。
成果を出さなくても「間違いのない」(?)仕事をしていれば取りあえずは評価され生き残れる環境は,スタンドプレーや強引さをもたらさない低位安定の良さがあるかもしれませんが,未知の領域への挑戦をする中で常に失敗の恐怖を感じるからこそ自信満々の傲慢さを嫌悪するという経験を持ちにくいのかもしれません。以前にも書きましたが,日産自動車のゴーン社長の日経ビジネスのインタビューでの「私は実践的な人間だ。自分がいつ失敗してもおかしくないことを知っている。だから,傲慢さが非常に嫌いだ。どんな企業にとっても,最も大きな危険の一つは傲慢さだと思う。」という発言に,いつまでも共感を感じます。
行政だけではなく,「でも・しか」ではなく,プロとして十分な成果を出していける人材が求められていると思います。私自身も,いつもヒットは打てないにしても,自分なりに努力は続けていきたいと考えています。
2006年1月4日
仕事始めの朝です。
年々,お正月の新鮮さが薄れていきますが,それでも仕事始めとなるといくらかの改まった感じはあります。
年末は以前ホームステイしたシンガポールの(元)学生が遊びに来ており,正月3が日は尾道の老親宅行きや2月に予定の「シンガポールの多様性活力と広島の未来(仮題)」についての講演の準備などであっという間に過ぎてしまいました。シンガポールについては少しずつ情報を整理してきたつもりですが,改めて調べだすといくらでも時間がかかってしまいます。
波風立たせないのをよしとする調和の文化も大切だとは思いますが,違いを認め受け入れそれを活力にし,ビジョンに向けて大胆に踏み出していくシンガポールのひたむきな行動力から学ぶものを考えてみたいと思っています。
今年も精一杯じたばたしていきたいと思っています。
引き続きよろしくお願いします。
2006年1月1日
あけましておめでとうございます。

Since 13 Feb. ' 05