2008年12月27日
昨日で,今年の(本業の方の)仕事納めでした。1〜3月は,政策企画課長として,
人づくりビジョンの取りまとめや,
国土形成計画の中国地方計画策定作業での5県調整など,結構手応えのある仕事でしたが,4〜12月も国際課長として,少なからぬ課題に全力で向き合う日々でした。政策企画もやりがいのある仕事でしたが,個人的には,事業課の仕事の方が,日々ダイナミックに変化とスリルがあり,多くの関係者の方々との具体的なやり取りがあって,個人的には向いているような気もします。引継ぎ課題や新規課題などいろいろありましたが,20人という程良い規模の組織でもあり,スタッフのみんなと一緒に前向きに取り組めたと思います。(半日かけての事務室の大掃除も2回したし)
本業の仕事の内容についてはここでは触れませんが,今年もいろいろある中で,個人としてめざすものを持つことの大切さを改めて感じました。そうでないと,形式や肩書き・体面に無意味にこだわるようになります。そうではなくて,めざすものを持った個人の静かな迫力が求められる時代になってきているのだと思います。以前も書いたかと思いますが,学生時代に読んでいた社会心理学者のエーリッヒ・フロムの本に"To
be or To have"というのがあります。(ここまで書いてきて,念のために書棚で確認したら"To have or To
be"(日本語訳は『生きるということ』紀伊国屋書店)で順番が逆でした。ずっと思い違いをしていました。)「要は,肩書きや資格や財産や過去の実績などをどれだけ持っているのかではなくて,今,自分が何をめざしてどのように生きているのかが問題だ。」と,私は解釈しています。この点からも,本来の順番の方が適当ですね。
過去を守りに入るのと,見えない明日に向かって模索していくのとでは,スリルと充実感が違います。
気がかりなことはいろいろとありますが,まあなんとか"平穏に"仕事納めの日を迎えることができ,職場のチームのメンバーや関係者の方々に感謝です。
ということで,今日から九州へ3日間のミニ温泉旅行です。
2008年12月21日
今年の残りの日々が少なくなっていく中で,時間は着実に過ぎていきます。金曜日は,午前中に,今年7月から月1回程度のペースでお手伝いしている三原市の職員研修に行った足で東京での国立精神保健研究所の研究会に。いつも思うことですが,雑多なことに節操もなく首を突っ込んでいることの意味の一つは,多様な分野でいい仕事をしておられる方々にお会いできることです。
精神障害のある方の住居確保のために真剣に取り組んでおられる方々との,意見交換の場に参加させていただいていることにより学ばせていただいていることの大きさを改めて感じました。
東京駅近くでの研究会の後に,5人ほどで飲みに出たところ,年末の金曜日ということで,十数軒満席で断られて,やっと入れました。熊本から来られている先生が,「熊本では満席の店を見つけるのが珍しいのに」と言われていたのに共感しました。あれだけ次々に建設されるビルに人が入り,仕事があるというのが信じられない感じです。
2008年12月14日
引き続き宴会・会食漬けの日々です。来週もすっかり埋まっています。普段,自発的にはほとんど飲みに出ないので,非日常の日々です。
今年は,例年年末に追い込み時期が来る国立精神保健研究所の科研の研究レポートがないので,久々にのんびり小旅行をしようと旅行計画を立てていて,「パックツアー症候群」(トップページ参照)の別の面を感じました。最初にこの言葉を思いついた時には,ツアー客がトラブルは何でも添乗員や旅行会社のせいにして文句を言う(もちろん正当な抗議も多いのでしょうけど)という話を聞いて,受身でいて何かあると他人のせいにするという行動様式を表す意味で使い出しました。
しかしながら,今回,愛妻!との九州への2泊3日という小旅行の計画づくりをしてみて,一つの計画を作るためには随分多くの情報と試行錯誤が必要になるという当たり前の経験をしました。それだけ,最近は,日々目の前のことに追われているということかもしれません。それこそ,旅行会社が用意したパックツアーに参加するかそれを参考にすれば簡単なのでしょうけれど,それでは「標準的なもの」を追体験するだけで終わってしまいます。
何度も行ってある程度は知ってるつもりの九州でも,いざ3日分の日程を考えようとすると,往復の経路だけでも高速道路か一般道か,フェリーは使うかどうかなど,それぞれの所要時間や料金などを調べて比較してみる必要がありますし,その途中で通ってみたい場所の選定によっても結論は変わってきます。宿にしても,コスト重視かささやかな贅沢をめざすのか,その折り合いの中で満足を生み出すために何に重点を置いて選ぶべきかなど,あれこれ情報が必要になります。これには随分回り道の作業がありますし,折角集めても無駄になる情報が沢山あります。普段の週末の講師役の準備に比べても効率が悪い感じでしたが,考えてみれば新しいことをする時はいつもそんなものです。
でも,そんな試行錯誤の中での「無駄」の蓄積が,意味を持つこともあります。目的地に行くだけならパックツアーに参加して,あるいはその行程を参考にして真似ればいいでしょうが,その旅行自体を自分が楽しもうとすれば,準備過程での「無駄な」「余計な」作業にも意味が出てくるのだと思います。ある1本の道しか知らないのではなく,試行錯誤の結果として多数の道を知った上である一つの道を選ぶというのは,幅と深みが違うように思うのです。引き出しの数の差にもつながるように思います。
なんて,たかが旅行の計画にもっともらしい講釈をたれてもしょうがないのですが,随分な時間をかけたことへの自分自身への言い訳です。
2008年12月7日
もう12月です。早稲田の職員セミナーもなんとか終わり,久々の夜行列車も乗り過ごさずに帰ってきて,あとはいつもながらのドタバタとした1週間でした。というよりも,毎晩宴会?漬けの疲れが溜まった1週間だったという方が正しそうです。
講師役についてはとりあえず目の前の宿題がなくなったと思っていたら,1月2月にそれぞれ英語バージョンのものが控えており,なんとなく気がかりになっています。続く時は続くもんですね。
とはいえ,今年の年末は研究レポートの宿題がないので,久々にゆっくりしようとミニ旅行の計画中です。
今年1年を振り返るのはまだ早いですが,年中ドタバタしていることのメリットの一つは,いろいろな魅力的な方々にお会いできることです。それは,魅力的な方々との接点があった時に,それに気がつくことのできる可能性が高くなるという言い方もあるかもしれません。当たり障りのない話をしているうちは気がつかなかったのに,ちょっと踏み込んで話をしてみようという思いになり,そうしたら打てば響く反応が返ってきて思わず話し込んでしまうということが時々あります。もちろん,空振りもあるのですが,いい時間を過ごした経験が積み重なると,空振りに耐えやすくなるようにも思います。
今年もここまで来れたことに感謝して,残りを大切に過ごしたいと思います。
2008年11月30日
半年前に依頼されてからずっと気がかりだった安全・安心なまちづくり安佐北区民大会(広島市)での講演「地域の絆を育てる対話力とコーディネート力」がなんとか済んで,ほっとしています。昔の仕事のなりゆきで引き受けた5月の広島県警の地域・職域防犯推進員研修会で「人と人をつなぐ対話力とコーディネート力」を苦し紛れにやったのが契機で引き受ける羽目になったのですが,地域防犯の素人が引き受けるんじゃなかったと後悔しどおしでした。区民大会500人での講演というのは初めて,というだけの理由で引き受けたのですが,今回は初物好きを後悔しました。
ただ,今日の出来は別として,なんでもおっちょこちょいで引き受けることは,悪いことばかりではありません。いかに分かりやすく伝えるかを真剣に考え続けた結果,新たな発見もありました。今朝も夜中にアイデアを思いつき,早朝からパワーポイントの修正作業をしていました。
やはり,いくつになっても,自分で自分が追い詰められる環境を作っていくことは,悪いことばかりではないと感じているところです。
今年は,あとは明後日の早稲田大学の職員セミナーだけ!と思ってましたら,金曜日夜に旧知の医師会の先生から重たい宿題を依頼されて…。いつもながら,なんでこんなにうまく見計らったように次の仕事が来るのだろうと不思議に思います。当分は,これで振り回されそうです。
本業が(当たり前ですが)かなり忙しい中で,どうしたものかと悩みつつ,悩んでも仕方がないと開き直っているところです。
2008年11月23日
今日は,老父の89歳の誕生日祝いに尾道へ。祝い膳をぺろりと平らげる健啖ぶりに感心するのみ。
これ以外は,相変わらずの講師役の準備で3連休が終わりそうです。週明けは県立広島大学の1年生対象の授業,次の日曜日は
安佐北区安全・安心なまちづくり安佐北区民大会での講演。その次の週明けは,早稲田大学の職員セミナーの講師で,これで本年の予定終了です。
早稲田は1泊して帰るつもりだったのに,翌日に議会の委員会の予定が入ったために,夜行寝台で岡山まで帰って新幹線に乗り継いで職場には定時出勤する羽目に。久しぶりの夜行列車です。
こんなことをしているうちに,今年も暮れそうです。別に研修講師などで1年を過ごしている訳ではないのですが,本業のことはここでは書きにくいので・・・。限られた世界で生きている感じです。
とはいえ,昨日は週末恒例の湯来町のクアハウス通いの往路に,初めて通る山道にトライ。対向車が来たら当分バックして離合場所を探さなければならないような道をドキドキしながら登って行きました。中国山地の穏やかで深みのある紅葉を堪能しました。
2008年11月16日
先週木曜日は,終日休暇を取って,ケアマネ・スキルアップ研修の事例研究の講師役?(お手伝い)をやってきました。介護に関わる事例検討の中で,個人の努力と組織的・社会的支援のあり方や家族の姿などを考えさせられたところです。
核家族化が進むとともに,病院や福祉施設で最期を迎えることが増えたことにより,人生の最後の時期に接する機会が極端に少なくなってきているように感じます。この時期には,それまでの人生の様々な様相が現れてくることを学びました。優等生でなくていいので,自分なりにバランスをとり納得しながら生きていくことが大切だと改めて感じました。
これで今年はあと3本の予定です。今週末もその準備でほぼ終わってしまいました。こんなに毎週毎週目の前の準備に追われ続けていて,一体何が残るのだろうかと思いますが,考えていても始まりませんし,それなりに楽しんでいる部分もありますので,まあいいかと思っています。
本業の方も,(当たり前ですが)いろいろあり,緊張感ある日々を過ごしています。こんなぎりぎりの生活を続けていられるのも職場の同僚のおかげと感謝感謝です。
そういえば,昨日は娘が勤める小学校の音楽祭に。最近は,人材は育てるものではなく育った者を選抜するものだ,という論調もありますが,そうではなく教育の力を改めて強く感じました。それは質にこだわり切る人がいて初めて実現するものだとも感じました。質にこだわろうとする人の努力に水をさす動きをする人は常にいて,それに耐えて質にこだわる努力をすればするほど孤立感にさいなまれるという苦しさに耐えて結果を出す人の大切さを感じたところです。とはいえ,水をさす側ではなく,もがきながら頑張る側に立てている方が幸せではないかとも思います。
2008年11月10日
週末に本業がらみの仕事が続いたので,これを書くのを失念していました。別に毎週書く必要もなく,また,義務に感じるのがいやでブログにしていないのですが,やはり何か書かないと1週間の区切りがつかないような気もします。
昨日は,学生が主体となって運営している国際インターンシップの発表会に4時間出席しました。グループでの学生との意見交換にも参加したのですが,「国際貢献をやりたい」という学生さんに対して,「一方的に何かをしてあげるという貢献ではなく自分も学び変化していくという姿勢が必要だ」とか「『できること,やりたいこと』と『やるべきこと』は違うし,やるべきことを考えていないと長続きしない」などと,つい説教調になってしまっている自分に,歳を感じてしまいました。
でも,これだけの事業をやっている学生たちに,「今時の若いもん」への認識を変えた機会でした。とはいえ,私はやはり社会人相手の仕事の方が,性に合っているように思います。
2008年11月3日
先週の,カンボジア政府職員への「なぜ行政が住民に対してサービスを提供しなければならないのか」というテーマでの2時間半研修は,期待以上に反応がよく,充実した時間を過ごすことができました。(自己満足かもしれませんが・・・)国が違っても,関心を持っていただいた時の目の色やうなずき方は同じように思います。難しいテーマなので,引き受けた後で準備を始めて後悔したのですが,結果としてはやらせていただいて良かったという印象です。新たなことを頼まれた時に,「何で自分がしなければいけないのか」という言い方はありうるとは思いますが,とりあえず引き受けてみてから悩むというのも,(大変ではありますが)悪くないと思っています。
この3連休は,地域社会振興財団の健康福祉プランナー養成塾の10周年記念フォローアップ研修で,横浜のホテルの研修会場に3日間缶詰でした。各分野で活躍されている講師の方々に,世の中にはいい仕事をしておられる方々がいらっしゃるものだと改めて感心するとともに,いい勉強をさせていただきました。私は,2日目午後と3日目午前のグループワークのお手伝いをしたのですが,全国各地から集まられた方々の熱心なお話に,これまた自分も真剣にやらなければと考えさせられたところです。
日々の生活には,運不運も波風もありますが,くさらず言い訳せず,置かれた環境の中で自分にできる具体的な行動を積み重ねていかなければ,このように各地で頑張っている方々にお会いした時に恥ずかしくなってしまうと,これまた改めて感じた次第です。
養成塾の議論では,地方の現場での取組が大切になっている時代に,そのような現場の知恵を全国で集約して共有するためのセンターづくりをどうしていくのかが一つのテーマでした。私自身はアンチ東京ですが,地方の現場の実践から得られた知恵の集積と共有の仕組みは必要だと感じています。
2008年10月26日
先週は,最近ご縁のできた某大学の研究会で休暇を取って上京。色々と刺激を受けることができるのはありがたいのですが,今年分の休暇が残り少なくなってきました。
今週末も,年末までに引き受けている講師役の準備で終わってしまいました。(とはいえ,はなはだ集中力の上がらない,非効率な時間が過ぎてしまいましたが。こんな時は,ぼちぼちやっていくしかないと思ってます。)
思いもかけないような雑多な分野の依頼をダボハゼで引き受けているうちに,色んな角度から見直しができるのが面白いところです。明日は,JICAの研修でカンボジア政府から派遣された職員の方たちに,「なぜ行政が住民に対してサービスを提供しなければならないのか」を2時間半で語るという役割です。それもクメール語で・・・。もちろん通訳が入り,事前に作成した資料をクメール語に翻訳していただいているのですが,翻訳されたものがそもそも読めないので,どうなることやらというところです。知人から頼まれて,何も考えずに引き受けましたが,経験や知識が大きく異なる人たちに考え方を伝えようとすると,思い切ってポイントを絞る必要があり,本質を考えるよい機会になりました。(明日の成果が出る前のとりあえずの自己満足です。)
2008年10月19日
土日とも早朝から昼まで,溜まっている研修等の講師役の準備に没頭していたので,午後から連れ合いと西中国山地のドライブに。先週は上下町,今週は加計町と,どちらも古くからの町を訪れました。昔からみんなが一緒に暮らしてきたという風情が残る街ですが,若い人がいなくなりつつあるという点では同じです。
最近では,地縁のみならず血縁までも薄くなって,根が張っていない生活基盤の脆弱さを感じますが,一方では,人々がそのようなしがらみのなさを快適だと感じている側面も否定できないように思います。根が張っていないままに孤立化して漂いだした人々により構成される未来の社会の姿は,そしてその人たちが暮らす街の姿はどのようになっていくのでしょうか。大都市では個立(孤立)化が進み,大規模住宅団地では一斉高齢化が進み,中山間地域では空洞化が進む。そんな中で,誰が社会の未来を考えて真摯に取り組んでいくのか,考えさせられるところです。
人々を結び付ける何らかの新たな絆が求められているのでしょうけど,それを豊かで優しいものにしていく工夫が求められているように感じます。
2008年10月12日
この1か月ほどひたすら家の内外の片づけをしていて,ほぼ今週末で一段落です。作業過程で出たダンボールなどを資源ごみに出したので,後は来週の大型ごみの日に,要らなくなった収納家具を出せば,ほぼ終了です。
今朝は久しぶりに4時半起きで原稿書き,10時過ぎから恒例の尾道の老親のご機嫌伺いで三川ダムと灰塚ダムめぐり。灰塚ダムでは,以前知人に連れて行ってもらった,ダム水没による集団移転地のお屋敷見物。贅を競うかのような建物群に複雑な心境でした。"To be or to have"を改めて考えた次第です。
2008年10月4日
今週末も家の片付けに精出しています。ささやかな庭の小さなスペースにちょうど入る物置をネットショップで見つけて,据え付けるとともに,あれこれ片付けをしていました。少し涼しくなっていたのに,暑さが戻っていて,汗がぽたぽた落ちる状態でした。
このところ何年も,週末はほとんど家で部屋に閉じこもって,余技の講演や研修講師の準備に没頭していましたので,本格的な片付けには手が出せずにいました。面白いもので,一つやりだすとあれもこれもやりたくなってきます。「面白くなる」ということだと思います。特に,家の内外の作業は,成果がすぐに目に見えますし,便利で快適になるので,やる気が出ます。私の本業の仕事などの場合は,なかなかそうはいきません。底の見えない沼にこつこつと石を投げ込み続けているようなもので,一体前に向いているのかどうかすら不安になってきます。
そんな不安感に耐えて石を投げ込み続けていく意志と忍耐力が求められます。止めずに続けていると,積み重なった石が沼の水面に頭を出すように成果が見えてくることもあります。そうでないことも,往々にしてありますが。
いずれにしても,何かささやかなことでも具体的に行動を起こしていくこと,そして,その中で楽しみを見出していくことが大切なように感じています。
2008年9月28日
先週末に続いて,家の内外の片付けに精を出した週末でした。何年ぶりかという大掛かりな作業です。何事によらず,新たなことを始めると予想外のことが出てきて苦労するのを,半分楽しみながらドタバタしていました。廊下の壁面用に天井までの高さの組み立て式の収納をウェブサイトで購入して設置した際には,組み立て順を間違えてやり直したり(これは単に注意力不足です),ぴったり入る予定が天井の縁の飾り桟が邪魔になって入らないために一部を切り取るはめになったり,一方の壁面が新しい収納の白色の扉できれいになったために,他の面の壁紙の汚れが目立つようになってしまい壁紙の張替えまで作業が広がってしまったり。壁紙を貼るのも,最初は要領が分からないため,失敗続きでした。また,庭の方も,3uほどの広さにレンガを敷き詰めるのに,以前,手抜きで単にレンガを並べてたのですが,結局それではうまくいかず,土を掘り返して砂利を敷き砂を敷いた上でレンガを並べ直しました。やはり,基本に忠実に手を抜かずに基礎からやらなければしっかりしたものにはなりません。
仕事でもそうですが,何か新しいことをやりだすと,予想外の問題が起きるものですし,新たな余計な作業が次々に広がっていくものです。また,その場しのぎの手抜き仕事は結局は基礎からやり直すことになります。最初はうまくいかず失敗を繰り返し,我慢してやってるうちに,だんだんと要領がよくなってきて,なんとか格好になってきます。その過程が楽しいのかも知れません。「楽」をするというのと,「楽しむ」というのは違います。何にもしなければ失敗もしませんが,何かを生み出す楽しさも経験できません。
もう一つ面白いと感じたのは,新たなことに取り組んでいると,物を捨てられるようになることです。普段何もしていない時には,もう使わないものでもなかなか捨てられないものですが,新しいことをやっている時には,割りきりができるようになるのかもしれません。あれもこれも引きずっていってれば,前に進めないからかも。
なんだか,教訓話くさくなってしまいましたが,体を動かして作業をすることの面白さを改めて感じた週末でした。(でも,おかげで腰は痛いし,腱鞘炎で通院しているひじも痛いし・・・。)
2008年9月24日
引き続き,比較的静かな日々を過ごしています。
もちろん,給料をいただいて仕事をしている訳ですから,無風という訳にはいきません。
そんな中で改めて感じるのは,自分自身が常に「余計なこと」を言い続け「要らんこと」をし続けてきたという思いです。「常識」や「流儀」に歯向かうつもりなどまったくなくても,「良かれ」と思ってついフライングをしてしまうことの連続だったと思います。
「要らんこと」をすると言われ続けながらも,それでもこの行動様式が変わらないのは,それによって実現できたことの方が「組織の常識」に従った時よりも大きかったのではないかという思いです。「成功は偶然の産物かもしれないがその偶然を生み出すのは努力の産物」だと感じています。偶然のありがたさは充分感じていますが,それでも努力の産物だと言いたいのは,「要らんこと」をしていなければ生まれなかったことが多いと体験から感じているからです。
行儀良く優等生で過ごしているだけでは,変化は生まれないのではないかと感じています。「要らんこと」をし続けて,失敗や恥ずかしい思いに耐え続けることによって生まれるものもあるのだと思っています。
2008年9月22日
月曜日の朝出勤したら,あしたは休み!と思える幸せ。今日は,いい日でした。
8月末の総合リハビリテーション研究大会が終わって,久しぶりに目の前のしのぎに追いまくられない日々を過ごしています。(本業のドタバタと,年内にあと9本講師を引き受けてしまっている余技の準備は置いといて。)
追いまくられていると,必要な本しか読まなくなります。8月はひたすらリハビリテーション関係の本を読んでいました。といっても,家で机に向かっている時は資料準備で一杯一杯なので,通勤の往復などの移動時間を利用してですが。
それが,ふっと時間ができた時に,いくつかのいい本に出会うことができました。日経ビジネスで知った神谷秀樹氏の「ニューヨーク流たった5人の大きな会社」(亜紀書房)や,何かの書評で読んだ鈴木敏夫氏の「仕事道楽 スタジオジブリの現場」(岩波新書)などです。
久々に机に向かって本を読む時間ができ,本の内容にも触発されて,いい時間を過ごすことができました。先のお二人は,活躍の場も考え方も違うと思いますが,共通しておられるのは,めざすものへのこだわりのような気がします。めざすものに社会性・普遍性があり恥ずかしくなく堅持できるからこそ,一生懸命になり続けられるのだと改めて感じました。行政に入ってみて,「一生懸命が恥ずかしくない環境づくり」ということを思い続けてきました。社会と個人の可能性を具現化したいというめざすものがあり,周りの人があきれるほどのこだわりがなければ,一生懸命であり続けることはできないように思います。目の前の損得ではなく,自分が死んで暗い海に沈んでいく時に恥じずにいられるかどうか,それが行動規範になるのではないかと思ってきました。
このお二人に共通しているのは,過去の「実績」を否定・捨て去り新たなものを生み出すことができる青さではないかと思います。過去の蓄積の上の「今の世界」の中だけで生きるのではなく,未来に向けて自分を投げ出していく現実の具体的な行動ができることが,人のみずみずしさ青さを生み出すように思いますし,うまくいく保証のないことに挑戦する不安感が謙虚さを生み出すのだと思います。学生時代に傾倒した社会心理学者のエーリッヒ・フロムの著作に「To be or To have」というのがあります。(過去の成果,資格,肩書きなど)何を持っているかではなく,今,なにをめざしているのかという「存在」を問うこの言葉は,今も新しいと思います。
あしたは休み!という幸せを感じつつ。
2008年9月21日
人にはそれぞれジンクスというかくせのようなものがあると思いますが,私の場合,天気が悪くなりかけると無意識に何か体を動かしたくなるなるようです。学生時代に山に登っていた時にしょっちゅう雨に降られていたのは関係ないにしても,晴れているので車を洗ったりワックスをかけたりしたとたんに雨に降られるということが,偶然とはいえない頻度で続きました。どうやら,天気が崩れかけると(気圧が下がりかけると?)何か体を動かしたくなるようです。
昨日の土曜日も,(ちょっと一息ついていることもあり)家の中の模様替えをしたくなり,洗面所の収納の改善や廊下に並べている本箱の移動などに汗をかいていると,夜にはしっかり雨が降りました。まあ,雨も家の中から眺めている分には,風情があって結構ですが。
毎週末に30kmのドライブで通っている温泉プール付きのスポーツジムへの往復の農村風景が,稲が実って秋色になっています。
2008年9月13日
先週は,日月と連休にしてゆっくり島根への1泊2日の旅行を楽しむ予定でしたが,日曜日の朝の新聞記事をきっかけに終日ドタバタしてしまいました。一昔前なら旅行を中止して職場に出るところでしたが,携帯電話の存在とすぐに職場に出て対応してくれるしっかり者のスタッフに恵まれているおかげで,なんとか乗り切ることができました。感謝感謝!でも気ぜわしい休暇でした。
先日は,外国で生まれて6歳まで家庭内も含めて英語環境で育って『帰国』された方のお話を聞かせていただく機会がありました。日本語がまったくできない状況で帰国した6歳の子どもが直面した「異文化体験」と「異星人体験」です。多民族社会から,均質性の幻想に支配された日本の(子ども)社会に「戻って?」みて,日本語ができなくて戸惑う様子すらからかわれる中で,友達が欲しくて頑張ったという話に,いじらしさを感じました。
そんな思いを抱えつつ育つ中で,「阿吽の呼吸」という日本人同士の関係は,本当に相手のことを理解しているのか疑問だと問いかけます。相手のことが分からなくて当然という社会では,相手に相手のことを言葉としてたずね,それを受け入れた上で会話が進んでいくのに対して,日本の社会では自分のことを質問もされないし自分からも聞けないという体験をします。自分が異邦人であることを感じる機会が(ほとんど)ない日本の社会で,自分の立っている足場が違うという感覚を持った子どもが,その思いに折り合いをつけようと努力し,日本の社会の中に自分の立ち位置を見出そうとして来た道のりの厳しさを感じました。
個性の違いを受け入れ尊重することからスタートする社会と,群れ社会を維持するために形から入る日本社会。その日本社会の形を作る「たが」が外れてしまって,しかも「芯」が育っていないままだったらどうなっていくのかというところまで,話は広がりました。
異質な存在を無視する日本社会,異文化を背景とする人々の共存体験のほとんどない日本社会が,海外からの人材を受け入れることについての課題など,ずいぶん多くのことを考えさせられる機会でした。
2008年9月6日
大きな懸案事項がいくつか片付いたと思ったら,その後ろに隠れていた懸案事項が表に出てきたりするなど,なかなかすっきりという訳にはいきません。
とはいえ,大きな懸案の整理は目処がつきかけたので,攻めに転じようとしているところです。
ということで,その前に日月と連休にして,島根県へ。お盆明けに山口県に行ったので,中国地方めぐりの第2弾です。個人的に研修講師等を引き受け過ぎているために,休暇の取得日数ではトップクラスですが,まあ,純粋な休暇も必要ということで。
つくづく,職場の同僚に助けていただいていると感じます。(課長元気で留守がいい?)
県庁に入って3年目の昭和53年(今から30年前です!)に,公務員を辞めようと思って,山登りのために7連休を取り出したのが,いろんな意味で転機だったと思います。その後,上司や仕事に恵まれて仕事を辞めるのを止めたことが良かったかどうかは何とも言えませんが,5年目からは家族での新潟県妙高高原での7泊のキャンプ生活のために10連休を取り続けたことは,公務員としての生活に一定のメリハリを生み出したように思います。
手を伸ばせば届くのに,色々な思い込みや「常識」に縛られて,手を伸ばさないことは数多くあるように思います。同時に,手を差し伸べたが故に,失敗をして恥ずかしい思いをすることも,同様に,数多くあったというのが私の体験です。
でも,同じなら,手を伸ばしながら,過ごしていきたいというのが,今の素直な心境です。
2008年8月30日
この6か月ほど,ずっと気がかりになっていた総合リハビリテーション研究(全国)大会が無事2日間の日程を終了しました。
リハビリテーションの門外漢である私が,5つの分科会のうちの一つの「組織連携とコーディネート」を無謀にも引き受けてしまったのは,出会い頭の事故のようなものでした。大学勤務時代に,障害のある方の作業所の支援研究を依頼してこられた方のご紹介で,広島国際大学の關先生にお会いしたのはほんの偶然だったのですが,小一時間ほどの雑談が終わった時には,「分科会のコーディネーターよろしくね。」ということになってしまっていました。
今回のように,本当に門外漢である「リハビリテーション」のシンポジウムを頼まれてみて,改めて好奇心を持ち続けることの大切さを感じました。それがなければ,今回の話をお引き受けすることはなかったと思いますし,(それだけ楽はできたかもしれませんが)これだけのことを学ぶこともなかったと思います。
色々な経験をさせていただく中で,新たなことを学ぶ機会のありがたさを感じています。そんな機会なんていつでもあると思われがちですが,人の出会いの「あり難さ」と「ありがたさ」を感じるが故に,信頼できる「人の匂い」に対する自分の嗅覚への信頼感を大切にするのだと思います。
今回のシンポジウムでの私の成果の一つは,「組織連携の意義」の一つは,個人の熱のある取組みを個人の勝手な取組みというのではなく組織の取組みにすることによって,安定的・継続的な取組みにしていくということ,そして,人が異動しても,組織の取組みにしておくことによって,最低限の底支えになるということです。
「現場の課題を組織の課題にそして社会の課題に」という考え方ともつながるものがあるように感じました。
2008年8月24日
先週木曜日には,香川県の課長補佐昇任研修で47人を相手に4時間という研修をさせていただきました。時間が余ってしまうのではと心配していましたが,みなさんのお話をお聞きしているとあっという間に時間がたってしまいました。出発直前に,本業の方のNPT(核不拡散条約)関連でドタバタしてしまいましたが,何とか無事に済んでほっとしています。
今週末は,1週間後に迫った総合リハビリテーション研究大会の準備に没頭していました。ダボハゼ的にあれこれ引き受けてしまうことのいろいろと功罪はありますが,あえてメリットの方を考えれば,経験や前例のない不安感の中に自分を置くことかと思います。「何とかなる」という保証のない不安なところに自分を置くからこそ,一生懸命にもなれるのだと思いますし,謙虚にもなれるのだと思います。
土曜日には,私の広島大学勤務時代に,マツダ財団とのタイアップ事業の「科学わくわくプロジェクト」の総帥として,そしてその中心事業である科学塾(高校生対象)とジュニア科学塾(中学生対象)の塾長として,本当にお世話になった広島大学の大杉先生にお会いしました。4日間連続で朝から夕刻までそれぞれ中高生を相手に,真剣に教えていただいていた光景が懐かしく思い出されます。特に,中学生対象のジュニア科学塾では,初日の合宿時に,夜遅くまで中学生を相手に車座になって,熱く語っておられた大杉先生の姿には,すがすがしいものがありました。本当の本物のすごさを,「地方」でも認知して評価して応援する環境づくりが大切だと感じています。それが,「首都」一極集中のひずみを正して,地方の可能性を引き出していく道だと感じています。
大杉先生は,今年6月にNASAが打ち上げたガンマ線天体衛星GLASTの
日本メンバーの代表者をされておられます。
NASAのホームページでもGLASTのメンバーとして紹介されています。
地方でもこのような活動ができるということを,もっとアピールしていきたいものだと強く感じています。
2008年8月17日
8月に残っているあと3回の研修講師やシンポジウムコーディネーターの配付資料原稿の事前送付を済ませて,一息ついたのをよいことに,連れ合い孝行で西長門海岸のドライブがてら俵山温泉へ行ってきました。宿は2日前に探したのですが,その時点でお盆直後の土曜日に宿泊可能な宿が簡単に検索できるとは,インターネットの威力を感じたところです。(11年前にスタートした全国で初めてインターネットを利用した広島県救急医療情報ネットワークも,土日に診てもらえる医療機関を診療科と地域で検索できるようにしたいといった狙いがありましたが,それが普通になった時代を感じました。)
俵山温泉は初めてだったのですが,山間のひなびた温泉地で,外湯(共同の湯)を中心とした日本の温泉地の原点の風情を守っており,宿から町の湯まで浴衣掛けで温泉街をぶらぶら歩いていくのもなかなかの風情でした。泉質もよく,もう少し宿泊客が増えてもいいのにという感じでした。
インターネットの「リアルタイムでの情報発信機能」が,地域の生き残り策にもっと生かせないものかと感じた次第です。
仙崎では,「金子みすゞ記念館」へ。戦前はすべて軍国主義の時代だったと切り捨ててしまいがちですが,それぞれの人々がそれぞれの思いを持って生きていたことを感じます。しかし,社会のしきたりなどの中で押しつぶされてしまった人々は少なくなく,そして社会全体として,軍国主義の暴走を止められなかったことを,次の世代にも伝えていく必要を感じます。
帰路の今日は,高速道路料金節約のためにずっと一般道で,特に中国山地の狭い近道の山越えは厳しく,なんとかやっと家までたどり着いたところです。
2008年8月10日
先週水・木の2日間,愛知県の職員研修で250人対象に2時間というのを2日連続でやり,7,8月に引き受けた10本のうち7本まで済んで,一息ついています。この1か月ほどは,ずっと講師準備で自転車操業状態だったような気がします。4月以来ずっと忙殺されていた本業の方が忙中閑ありで,職場のみんなに助けていただいてのことでした。とはいえ,まだ総合リハビリテーション研究大会などがあります。特に,シンポジウムのコーディネーターというのは,自分の都合だけではいかないので,準備に難しさがありますが,同時に,現場でいい実践をされてきた方々のお話を紡ぐという楽しみもあります。期待と不安といったところです。いずれにしても,このような目の前のことばかり考えて過ごしていていいものかどうか,悩んでしまいます。
昨日は,友人の船で釣りに出て,タコを3バイ釣りました。瀬戸の夕景に(缶ビール付きで)酔っていました。都会ではなくこんな環境で暮らし,やりがいのある仕事に恵まれることが幸せだと思います。
名古屋では,空き時間を利用して,トヨタの
産業技術記念館と
中部国際空港を見学してきました。トヨタの力を感じるとともに,東京以外でこのような活力を感じられることに元気付けられました。
地域に根ざしたグローバル化と活力をめざしていきたいものです。
2008年8月3日
先週,難関だった2つの講師役が無事?終わり,今週末は,8月末の「
総合リハビリテーション研究大会in広島」の準備と,10月末に頼まれている某開発途上国の政府職員相手の研修準備をしていました。(その国の言語に翻訳するために,8月15日!までに資料を提出するように言われて)
受講者は行政が住民にサービスをするという概念が理解できないので,「なぜ行政が住民に対してサービスを提供しなければならないのか」という基本的な考え方を習得させて欲しい,とのリクエストです。考えてみると,これを説明するのは,結構難しいものがあります。
国王に対抗して市民がその自由と権利を闘い勝ち取っていった歴史のある社会ではなく,まず,中央政府ありきの社会では,自治の概念や,開拓地での自衛・自活のために警察,消防,医療,教育などに共同で取り組んだ原点は理解しにくいかもしれません。「
遊びのページ」のタスマニアの写真集に掲載している消防車は,小さな村で過ごしたクリスマスに,村の消防自動車に消防団員が乗り込んでクリスマスソングを鳴らしながら辻々を巡りながら飴を投げて配っている光景です。
日本流に言えば,「消防車をそんなことに使うとは!」となるかもしれませんが,もともと自分たちがお金を出し合って自衛のために用意した消防団と消防車だと思えば,自然に眺められます。「自治」の原点を見たような気がしました。日本も,某国政府職員を笑えない状況かもしれません。
あと,恒例のミニドックを受けました。体重をピークから5kgほど落としていたので,ひそかに自信をもって臨んだのですが,アルコールの飲み過ぎ?で内臓脂肪が・・・,とか。頑張らねば。
2008年7月27日
先週金曜日から,2週間の間に5本という研修講師等の集中期に入り,もう自転車操業状態です。我ながら何をしてるんだと思います。とはいえ,それぞれに対象者もテーマも違う内容なので,緊張感があり,学ぶこともあるように思います。声をかけていただくと,まだやったことのない対象者やテーマだと(自信がなくても)つい引き受けてしまい,後から冷や汗流しながら準備をするというのはなぜだろうといつも思うのですが,そういうところに自分を追い込むことによって,初めて経験の幅が広がるようにも思って,開き直っています。
そうやって,選り好みをせずに雑多なことに手を出していくというのは,「専門家」にはできないことだと思いますし,そうやって雑多な経験を積んで,それぞれにそれなりに一生懸命に準備をする中で,いろいろな気付きも出てきます。ちょっと,負け惜しみのような気もしますが,考えても仕方ないので,とりあえずは,自転車操業を続けようかと…。
最近,先日の筑波大学の大学職員セミナーなど,大学職員の役割に関する話が続いています。大学を構成するのは,教員と職員であり,これまでは教員中心の意思決定・運営スタイルで,大学職員はその指示を受けて事務を行うというイメージがあります。ところが,大学と社会の関係が広がってくるとともに,教員もチームで活動する場面が増え,社会からの組織的な支援体制を生み出さなければ大きな研究に取り組めない場面が増えている中で,教員と大学職員との新たな関係の模索が始まっています。
とはいえ,現状を変えるというのは容易なことではなく,何から始めるべきなのかが課題です。私としては,とりあえずは,目の前の事務仕事は確実に処理する高い実務能力とともに,「何のために」とか「社会にとっての意味は」とか「歴史の流れの文脈の中での地位付けは」といった原点を押さえる力や,実現可能性の評価能力,多様な課題の体系化能力,予想外の課題への対応力などの企画力,そして対話力やコーディネート力などを強化して,後は個別の実践の中で,既成事実と実績を積み重ねていく必要があるのではと思っています。
行政職員にも通じる話のような気もしています。
2008年7月20日
金曜日の午後から休暇を取って,健康福祉分野のコーディネーター養成研修の打ち合わせに栃木まで行ってきました。ここ半年がかりで取り組んできたものですが,
今年の研修の会場で議論をしていると,これまでの議論で抜け落ちてしまっていた点がいくつも見えてきて,現場で臨場感ある議論をすることの大切さをつくづく感じました。
土曜日の夜遅く帰広し,連休の真ん中の日曜日だというのに,今日は終日部屋にこもって,昨日の議論のまとめを作成した後,来週1本,再来週2本,その次の週にも2本と引き受けてしまっている研修講師等の準備に没頭(というほど集中できずにぐたぐたと)していました。それぞれ分野が違うばらばらの内容なので,準備していても支離滅裂で,一体自分は何をやっているんだろうと,いい加減自己嫌悪に陥ってしまっています。
初めてのテーマについてはできるだけ引き受けるようにしているので仕方ないのですが,それにしてももう少し生産的なやり方はないものかと思ってもいます。連携とコーディネートという共通項はあるのですが,分野によって準備すべきことはばらばらで消耗感が漂ってしまいます。
とはいえ,現実の世界の仕事では同じような仕事はほとんどなく,仕事も選べないものなので,そういう実践の中のテーマを追いかけている以上仕方ないかと,開き直り的に納得しかけてもいるところです。
明日もあまり変わり映えのしない日になりそうです。
2008年7月14日
折角早い時間に帰宅したのに,安請け合いし過ぎた講師稼業が山積し過ぎて取り掛かる気にもなれず,ちまちました仕事を片付けています。たまには,こんな時間も仕方ないかと開き直っているところです。
そんな中で,先週金曜日のシンポジウムの後の打ち上げで同席したロシアからの日本語の堪能な留学生とのやり取りを思い出しました。とても寡黙な人物なので,何か話してもらおうと,彼がめざしているものなどについて聞いてましたら,突然日本語で「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」と言われてしまいました。
日々目の前の事ばかりに追われている自分を恥ずかしく感じた次第です。
2008年7月13日
先週火曜日の夜は,筑波大学の大学研究センター主催の
大学マネジメントセミナーで「
大学職員に期待されるコーディネート力」というテーマで2時間ほど講師役をしてきました。火曜日の夜6時半から2時間という設定にもかかわらず,首都圏の多様な大学から約100名もの大学職員の方々が参加されたことに驚きました。あれだけの人口集積があれば,これだけの熱意を持った方々がこの人数規模で集まるのだと,東京の力を感じたところです。
金曜日には広島大学留学生センター主催のシンポジウムに呼んでいただき話をさせていただいたのですが,地方が,人の集積「量」に頼ることなく,現場原点の行動力で緊張感のある質のいい仕事をしていくことの大切さを感じたところです。
土曜日には,8月末に分科会コーディネーターを頼まれている「
総合リハビリテーション研究大会in広島」の事前打ち合わせで,当日パネリストとしてご参加いただく,大阪で精神障害者の就労支援NPOの理事長をされておられる精神科医の先生をお訪ねしてきました。このNPOの関係者の方々にもお会いさせていただいたのですが,私と同じく50代以上の方が中心で,その方々の明るい笑顔が印象的でした。
折角なら,このような方々と同じ笑顔を共有したいものでと感じた次第です。筑波大学のセミナーで力を入れてお話したことの一つは,「難しい仕事は難しい顔をしていてはできない。なぜなら,(難しい仕事に取り組むためには多くの質のいい情報が必要であり)必要な情報が幅広く自発的に集まるためには明るく楽しい雰囲気が必要だから。」ということです。「余計なことかもしれないけれど,この情報をちょっと教えておいてやろうか。」と思っていただくことが大切だと感じています。
結果を出さなくても困らない環境なら,もったいぶった偉そうな態度やもっともらしい難しい顔をしていても仕事はできるかもしれませんが,新しいことを開拓しようとする難しい仕事の場合はそうはいきません。そんな体験を積み重ねてきた人々の価値を感じています。
2008年7月6日
もう,7月です。4月から一気に過ぎてしまった感じです。こんな調子で日々を過ごしてしまっていいのかと思いながらも,その緊張感を楽しんでいます。
とはいえ,目の前の課題の解決だけに没頭しているのも生産的ではないので,本業の方では地域の生き残り戦略の議論を開始しました。要らんことをせずに,ジリ貧でも幸せという考え方もあるでしょうが,次の世代への責任を果たす必要はあると思います。
通勤途中にクリントン大統領の演説を聴いていますが,「今のこの世界は,私たちが次の世代から預かっているものだ。」とか「百年後の世代に,私たちが今の自分たちのことばかりを考えていたのではなく未来の社会のことも真剣に考えていたと言われたいものだ。」というフレーズに感銘を受けています。
2008年6月29日
先週金曜日に閣議決定された今年の「骨太の方針」で,初めて高度(国際)人材の受入拡大が打ち出されました。多民族国家であり,世界中から人材を集めて発展を続けているシンガポールに3年駐在した経験から,国際的な人材の活用の大切さは痛感しています。
とはいえ,このような話は,広島県でも人口が現在の289万人からここ30年間で約50万人減少すると推計されていることなども背景となっていると思われ,人口が減るから外国人を受け入れるという短絡的なロジックになっていないかという懸念はあります。互いに異なった言語や文化や宗教・生活習慣を持ちながらも折り合って共通項を生み出しながら共存していくという忍耐強い取組みに慣れていない日本人に,そのような受入れができるのかという不安もあります。受け入れを拡大して混乱するのと,受け入れずにジリ貧になっていくのと,どちらが幸せなのだろうかと考えてしまいます。もちろん,第3の選択肢を実現していく努力が必要だと思いますが。
もっとも,老親孝行でドライブに行った造船所のある町で数多くの外国人の姿を見る中で,もうそんな問いかけよりも現実の方が随分先を進んでいるとは感じました。
2008年6月28日
7月と8月で,研修講師を県内・県外各4回とシンポジウムのコーディネーターと発表役を1回ずつ引き受けてしまっており,本業がスリル満点なのに加えて,個人的にもスリル満点です。こんなに引き受けなくてもと思うのですが,声をかけていただくありがたさに,つい引き受けてしまいます。医療,国際,行政と,分野はまちまちなのですが,意外に相互に関連しているように感じます。
共通項は,「つないで活かす」でしょうか。それぞれ頑張っておられる方々について,黒子役としてつないでいく役割をしていく人がいることで新たな可能性が広がるように感じます。まだあまりうまく説明できる段階ではないのですが。
このほか,現場感覚や物事が動く実感の大切さを感じています。物事が動くまでには,いくつもの失敗があります。検討はずれのことをしてしまっていたりなど,沢山の無駄をしてしまいます。でも,そんな無駄や回り道によって,足場が固まっていくような気がします。底の見えない沼の中に根気よく石を投げ込んでいると,いつか水面に頭を出してくるという感じでしょうか。もっと要領よく,必要なところにピンポイントで足場を組んでしまうというやり方もあると思いますが,石を投げ込んでできた浅瀬は,無駄な広がりがあるだけに,ポイントが変化した時の対応により応用力があるような気がしています。要領の悪い負け惜しみかもしれませんが。
(一定の方向性の仮説の下での)数多くの無駄や回り道が,結局は物事が動くための近道であるようにも感じます。
また,やったことのあることだけをしていると,どうしても細部に目がいってしまうような気がします。初めてのことをしかも数多く引き受けて追い詰められることで,本当に大切なことは何なのかを考えざるを得なくなる・・・,なんて言い訳をしながら,ドタバタの毎日を過ごしています。
2008年6月23日
このひとり言の左肩の「年」がずっと2007年になっているとお師匠さんのお一人からご指摘いただきました。今年のスタートに新しいページを作った時の直し忘れですが,このようにいろんな失敗に気付かずに日々過ごしているもんだろうと,改めて自戒した次第です。松庵のお師匠さまに感謝です。
2008年6月21日
いろんな仕事をする中で,個々の仕事の能力というよりも,「使命感(何のために,何をめざすのか)」と「責任感(自分の名を汚さないための頑張り)」の大切さを感じます。
それと,「現場感覚」でしょうか。「完璧なフォーム」ならホームランが打てる訳でもなく,実際には,「出会いがしら」や「偶然」も多くあります。でも,「成功は偶然の産物かもしれないがその偶然を生み出したのは努力の産物である」というのもまた事実だと思います。
いずれにしても,理屈や緻密さだけでは,現実の物事の動きを決められないということは謙虚に受け入れる必要があると思います。何度も引用していますが,日産ゴーン社長の「私は実践的な人間だ。自分がいつ失敗してもおかしくないことを知っている。だから,傲慢さが非常に嫌いだ。どんな企業にとっても,最も大きな危険の一つは傲慢さだと思う。」(2002.5 日経ビジネスインタビュー)という言葉には,重みがあると感じています。
さらに付け加えるとすれば,「継続的な努力」です。「短期促成栽培」ではなく,「止めないこと」が成功への唯一の近道だと感じています。
2008年6月15日
なんというか,息を詰めて日々目の前の課題に向かっている無酸素運動状態の日々です。とはいえ,昨日と今日は,比較的ゆっくりしました。
先週は,県警本部からの仕事で,地域安全推進指導員・職域安全推進連絡員研修会なるもので「人と人をつなぐ対話力とコーディネート力」というテーマでの講師を県内2か所でやってきました。地域と職域というまったく背景が異なる参加者が混在している中でお話しするというのは随分不安で,引き受けたことを後悔しながら準備しましたが,なんとか無事済みました。歳をとっていくうちに,できることだけをやっていくことが多くなるような気がしますが,幸か不幸か,実に意外なところから色んな依頼をいただくことから,刺激と緊張感には事欠きません。
経験のないこと,成功の保証のないことにチャレンジしていないと,不安感を忘れてしまうような気がします。日産自動車のゴーン社長が,「私は実践的な人間だ。自分がいつ失敗してもおかしくないことを知っている。だから,傲慢さが非常に嫌いだ。どんな企業にとっても,最も大きな危険の一つは傲慢さだと思う。」(2002.5
日経ビジネスインタビュー)と言っておられますが,この言葉を大切にしていきたいと思っています。
来週は休暇をとって,研究プロジェクトの打ち合わせに栃木の自治医大まで行ってきます。本業の方はとても休暇をとれるような状況ではないのですが,職場のメンバーがみんな頑張ってくれているので,感謝しつつ勝手をさせていただいてます。
今は,往復の通勤時間がほぼ唯一の読書時間です。JRとバスの車中での往復で計1時間ほどが実質読める時間ですが,ちりも積もれば・・・で,結構読めるものです。先週は,東大の苅谷先生ほかの『考えあう技術 教育と社会を哲学する』を読み終わりました。苅谷先生には,以前,広島県人づくりビジョンの関係でお話をお伺いさせていただいたことがありますが,安定感のある魅力的な先生でした。社会の一単位としての「個人」と自分という「自己(個性)」とを分けて,社会の一員としての「個人」を鍛え形成していくという概念は,人づくりビジョンでも議論された点なので共感を覚えました。
2008年6月7日
本日は,午後に三原市の中学生との13年目の交流事業で来広中のシンガポールのバレスティアヒル中学の先生方とのディスカッション,夜は17年目の交流事業で来広中のシンガポールポリテクニック(国立高専)の学科長との夕食懇談会と,シンガポールディでした。(明日は,オーストラリア首相の来広対応です。)
普段英語を使う機会がほとんどないので,危なっかしいものですが,シンガポールの方々とはリラックスして話せるのが不思議です。多民族社会で鍛えられた彼らのホスピタリティ故でしょうか。
どうせなら,彼らのように明るく暖かくフレンドリーにいきたいものです。
2008年6月1日
先週は,火曜日に出張で東京へ日帰りし,金曜日には週末の午後5時から7時まで!という設定の精神保健関係の厚生労働科研の研究会に出席するために休暇をとって東京へ行ってきました。いくら所要時間が短縮されたといっても,週2回の新幹線往復は疲れます。
精神保健の専門家でもない私がもう6年もこのような研究会に声をかけていただくのは,専門家を活かすコーディネート力の部分かと思いますし,今月も広島県警の地域・職域防犯推進員研修会で「人と人をつなぐ対話力とコーディネート力」というタイトルで話を頼まれ,来月も筑波大学の大学研究センター主催の
大学マネジメントセミナーで「大学職員に期待されるコーディネート力」というテーマで話をするように頼まれるのも同様だと思うのですが,それが本業にはならないところが,実践あってなんぼの話なので当たり前といえば当たり前なのですが,悩ましいところです。
先週,敬愛し懇意にしていただいている早稲田大学の方が『大学は「プロジェクト」でこんなに変わる』(東洋経済新報社)という本を出されました。この中には,プロジェクトコーディネートの貴重な体験談や知恵が詰まっているのですが,このような実践力の話がアカデミックな世界につながらず高等教育の中で活かされにくいことが課題ではないかと感じています。
そもそも,このようなコーディネート力は実践の中で見につくもので,「研究」や「教育」には馴染まないという考えもあるとは思うのですが,キャッチアップ型の時代からフロントランナーの時代に移る中で,リーダーが一方的に引っ張るのではなく,多くの専門家の力をうまく引き出し組み合わせていくことについての研究や教育も大切になっているのではないかと感じてます。昨年度,社会人学生として修士論文を書いている中でいろいろと先行研究を探してみたのですが,改めて研究蓄積の少なさを感じました。
このような実践に関わる体験,ノウハウ,知恵の蓄積と伝達のための仕組みづくりを考えていきたいと思っています。
2008年5月25日
先週の火曜日には,愛知県の新任管理職研修の講師として呼んでいただきました。去年からの香川県に続いて2県目ですが,つくづく時代が変わったと感じています。愛知県では,200人の方を対象に2時間,「静かに考え静かに語り静かに聴く」というグループワークも交えてやらせていただきました。この手法を200名もの人数で行うのは初めてでしたが,個人的には良かったのではないかと思います。(独りよがりの自己満足かもしれませんが・・・。)
この土日は,
公務員の組織風土改革の交流会に分科会の運営委員として参加していました。2日にわたる分科会での意見交換の中では,「スポーツ」が一つの切り口になったように思います。
高みの目標を持って取り組んでいるうちは,チームのメンバーに緊張感があるし,つらい練習にも耐えて努力を積み重ねていくことができる。そして,その努力の成果として勝てた時には,鳥肌が立つような達成感が感じられる。しかしながら,チーム力が落ちて,トップクラスをめざすという目標をなくしてしまったら,緊張感が緩んでしまい互いのミスに目をつむり合う甘えた状況になってしまう。という話が印象的でした。
何かをめざして新たなことに取り組んでいく中では,不安感や恐怖感があります。そんな思いに耐えていく中で,思いの通じ合う仲間が欲しくなるのだと思います。逆に,過去の延長の「間違いのない」ことばかりやっていると,そんな思いを持つこともなく,過ごしてしまいます。日産のゴーン社長の言葉で最も好きなのは,「自分は実践的な人間だ。自分がいつ失敗してもおかしくないということを知っている。だから傲慢さが非常に嫌いだ。」というものです。32年余前に県庁に入り,うち10年間を出たり戻ったりしながら県庁以外の仕事を経験してきた私が感じる,役所の一部の人の「乾いた感じ」というのも,そんな思いを持たずに過ごすことから来るのではないかとも思っています。
もう一つ感じたことは,人生の中で大きな部分を過ごす仕事の場で,緊張感のある仕事をすることは,一人の人間としてプライベートの部分にも,一体としてつながっているということです。ひるむ心を奮い立たせて,逃げたい気持ちを抑えて,もがいていきたいと思いました。
昨日も今日も明日も同じメンバーで過ごす公務員の世界では,批判・批評・自己主張では浮き上がってしまってはじき出されてしまいます。したり顔して評論家風に「コメント」を言うのではなく,自分自身が試合の当事者として参加し,プレッシャーや風圧に耐えてもがきつつ半歩でも前に進んでいくことが大切だと改めて感じました。
2008年5月18日
先週は,アジアの会で,「海に沈む国?ツバル」の話をお聞きしました。 「海に沈む国」の後の「?」がミソで,マスコミの,短期間・思い込み決めつけ先入観による狙い撃ち取材による,TVによる作られた「ツバル像」から,話は始まりました。特定の時期に特定の場所だけに見られる象徴的な映像を撮り,地元の人々に「求められる(期待される)答え」のためのインタビュー。最近,県北の「限界集落」取材に関して,東京からのマスコミ取材に関して,まったく同じ話を何度か聞く機会があっただけに,考えさせられました。そして,地元の人々も,そのような海外から来たマスコミから,そのような取材を受け続けることにより,「語り慣れて」それを自分の言葉として語るようになると・・・。
「ツバル国」の面積は,26ku。広島県の大崎上島町が43ku,宮島が30kuですから,宮島よりも小さい国ということになります。人口は,9,600人!。なぜ人口1万人以下で宮島よりも小さな島が国際社会の中で生きていけるのか,という疑問は消えません。多くの施設・設備・経費は外国からの援助(日本だけでも平成17年度には10億円[人口一人当たり10万円!]の無償資金協力)でまかなわれています。オーストラリアやニュージーランドはその数倍の援助をしています。そのような「国」を「国」と呼べるのか,そのような国を存立させている現在の国際社会をどう考えるかなど,議論はありそうです。
2008年5月11日
今日は,午前中から三原市の中学生のシンガポール交流の手伝いに。13年目ですが,相変わらず新鮮です。シンガポールの中学生に,三原(日本)の,学校生活や家庭生活,社会・文化,地域の特色などを説明していく項目選びをしていました。最近は,中学生から70歳代まで幅広い年齢層の方を相手にさせていただく機会に恵まれて,それぞれに学ぶことがあります。
早朝は,再来週の某県の管理職研修と本県での地域・職域防犯推進員研修の準備に没頭していました。こんなに支離滅裂でどうなるんだとも思いますが,まあ,面白がってできているうちは続けようかと思っています。面白いもので,一つ二つで忙しいのは耐えられませんが,今のように常にいくつもの仕事に追いまくられていると,どれかで行き詰っても他の仕事で気分転換ができて(個々の結果評価は別にして)それぞれが済んでいくのが不思議です。不平不満や批判や愚痴を言っていても仕方がないので,とりあえずは,目の前の仕事を追いかけていきたいと考えています。
2008年5月5日
連休を利用して,家族で高知の牧野植物園に行ってきました。シンガポール時代からの友人の稲田純一氏がランドスケープ(景観設計)を手がけているもので,今回,植物園の50周年記念事業として大きな改修がなされたので,それを見に行きました。 洗練された景観設計が作り出す心地よい空間に5時間近く浸っていました。 稲田さんは,シンガポール政府にランドスケープの専門家として招かれて,10年間にわたってシンガポール政府で活躍され,後半の5年間は国立公園公団の部長の要職を務めておられました。 才能ある者を世界中から集めて仕事を任せるシンガポール流の成功例だと思います。日本で活躍したいと辞職して日本に帰った稲田さんを,今に至るまで何度もシンガポールに呼んで仕事を任せているという度量の広さもシンガポールだと思います。
話は変わりますが,行政組織について考える機会がありました。
地域づくりの議論においては,町内会のような地域基盤型の組織と,ボランティアグループのような個人を単位とした目的共有型の組織との連携が課題になります。目的共有型の組織は,サークル活動のようなもので好きな人が好きな時だけ集まって自分を活かしていけますが,地域基盤型の組織は,そうはいきません。 私自身は,行政組織には,このうちの地域基盤型の組織に似たところがあるように感じています。基本的にずっとその中にいる訳ですから,自分の思うようにならないことが多く,かといって辞めて飛び出して他の組織に移ることも簡単ではありません。 ですから,少しでも,それぞれの構成員の思いがつながり,個人が活かされるように「組織風土」を忍耐強く変えて行くことが必要になるのだと思います。
それは,特定の個人が派手に立ち回り快刀乱麻で実現するものではなく,じっくりと互いの話に耳を傾けあって,自分が感じている問題意識が自分だけのものではなく,他の人と共有できるものだということを感じ合い,個人の中での納得を生み出し蓄熱をしていくことのできる組織風土づくりから生まれるものだと感じています。 行政組織の中では,勢いだけでは続かないし,半歩先・中腰の姿勢で取り組む必要があります。 組織の悪口を言っても,それは,自分が公務員としての使命を果たそうとしない言い訳にはなりません。このため,公務員として,飴も鞭もない組織の中で,前向きの仕事をやり続けていくためには,そんな取組みが少しでも互いに理解し合えて,歯車がかみ合えるような「組織環境」を生み出す必要があると考えています。
2008年4月29日
今日は,三原市の中学生のシンガポール交流の,派遣生徒の選考会に行ってきました。最初に私が50分ほどシンガポールの概要と交流の意義について話をして,その後,生徒に作文を書いてもらうとともに,複数の面接チームをつくり応募者全員を違う面接チームが2回面接をして決めるという,手をかけたものです。
今年で13年目なのですが,最初の年から,シンガポールに訪問する前に3か月近く毎週土曜日に4時間程度時間を取って準備活動をするという,本気での取り組みです。塾やクラブ活動や習い事などで忙しい中学生にとっては,大変な負担なのですが,最近は,参加する価値のあるプログラムだという評価が口コミで拡がり,定員を大きく上回る応募者があるとともに,本当に感心するような子どもたちが応募してきます。プログラムの評価を得るということの大切さを感じています。
最初から,単なる海外旅行ではなく,双方にとって意義のある時間にするために充分な準備をするという方針を,事務局である三原市役所がきちんと維持していただいているからのことです。おかげで,シンガポールの中学校からも高い評価を得ていて,訪問3年目からはホームステイが先方の提案で始まり,6年目からは先方からも三原を訪問するようになり,双方向の交流になっています。
今年からは,シンガポール国立大学からの1年間の日本語留学の学生が,毎年三原に来ることになりましたので,さらなる発展が期待されます。
言葉の問題があるので,先方の学校の先生との連絡は私が中継しており,時間のない時には負担にならないこともないのですが,このようなプログラムは誰かが理念を掲げ続ける必要があるので,その役回りかと納得しています。一過性,即効性,思いつきのイベントではなく,根気強く汗をかいて信用と経験を蓄積していくことの大切さを感じています。
2008年4月27日
昨日の土曜日は,栃木からの2人に,広島県内からは旧・口和町,旧・大和町,旧・沼隈町,三原市,廿日市市から,医師,保健師,医療ソーシャルワーカー,社協,財団,行政など多様な人々が集まって4時間ノンストップで研究会をしてました。
テーマは,地域での保健・医療・福祉の連携に関することでしたが,『昨日までの仕事を守ろうとする「昨日のための仕事」と,新たな夢を実現しようとする「明日のための仕事」をしようとする人たちの間で,感性と理解力は大きく異なる』とか,『「役に立っている」「あてにされている」「活かされている」と思えて,気持ちが前に向かっていくような仕掛け側の工夫が大切』とか,それぞれ実践経験の豊富な方たちから,納得度の高い言葉を沢山聞かせていただきました。
広島県という顔の見える付き合いのできる単位での人のネットワークが全国組織とつながって新たな模索をしていく可能性を感じたところです。
今日は早朝からその協議記録作成に没頭し,午後は本当に久しぶりに広島市の中心街へのショッピングのお供(兼運転手兼財布)に出てきました。世の中の消費は若い女性がリードしているということを体験させていただいた半日でした。
2008年4月20日
土曜日から日曜日の午前中まで,どうもテンションのあがらない週末でしたが,日曜日の午後に,1週間後に控えた研究会の事前打ち合わせをしてからレポート作成までは比較的集中できました。どうも追い詰められないとだめです。
本業の方でも課題山積ですが,今すぐ動いて解決できるものでもなく,気はあせるものの比較的スローテンポで過ぎています。(目の前のことには追い回されていますが・・・)
昨春は,久しぶりの学生生活に緊張していて,本業もドタバタでした。朝の通勤時に,花と鳥の声を楽しめる余裕がなんとかあるだけいいかと思っています。金曜日の朝は,山にかかる虹まで見れました。こういうのが,幸せなのかもしれません。
2008年4月13日
昨日の土曜日は,朝5時から友人の船で春の瀬戸内海に魚釣りに出ました。桜が満開の島々を海から眺めながら,地方に暮らす幸せに酔っていました。(もちろん,朝っぱらから缶ビールをぐびぐび飲み続けていたせいでもありますが。)
で,今日はやはり朝5時から,部屋にこもって,今年から頼まれた某県の研修講師の準備と,地域の医療保健福祉連携の人材育成システム(現場研究,人材育成,現場支援)研究プロジェクトのレポート作成を終日やっていました。昨年から頼まれている香川県の職員研修もそうですが,自分のこともちゃんとできていないのに,他県の研修のお手伝いをさせていただくというのは何か不思議な感じがします。
先週は,本県の新規採用職員の研修講師をしました。「これから」という方たちにお話しするのは責任も感じますが,新鮮な熱気を感じて気持ちのよい緊張感でした。いろいろお話したのですが,「公務員は,目先の利害ではなく,社会のためにフルタイムで働ける仕事」「現場の課題を組織の課題に,そして社会の課題に」「めざしたからといって叶う訳ではないが,めざさなければ何も始まらない」「社会の不条理への良質な怒り」「自分は新たに何を生み出し何を変えたのかを考える」といった点が特に力の入ったところです。
一つの組織に長く働いていると,問題の先送りをしたり見て見ぬ振りをしたりするケースもあります。組織の外の人々と正面から向き合って対話することが苦手になっしまうこともあるようにも感じます。組織の中の常識が世間の常識とずれてくるのは,どの組織にとっても大きな問題だと思います。自分の組織の中だけで快適に過ごしてチャレンジをしなくなると人は失敗を忘れて傲慢になる,と日産のゴーン社長も言っておられます。「初心を忘れず」真摯に取り組んでいきたいものです。
今更ですが,
修士論文を「駄文抄」にアップしました。
2008年4月6日
人事異動のドタバタの1週間が過ぎました。最近は辞令交付もなく,淡々と新年度が始まります。
とはいえ,職場環境が変わるのには違いなく,新体制の立ち上げの緊張感はあります。まずは部屋の大掃除と書類の大幅削減,模様替えをみんなでしたのが成果でした。課題が大きければ大きいほど,身の回りの整理をして身軽になることの大切さを感じています。
本業関連の仕事はあまり家には持ち帰らないのですが,さすがに昨日はそうもいかず,こつこつやってました。
ところで,以前,国際関係の仕事をやっていた時に,海外から日本の自治体に招聘されている国際交流員の英文メーリングリストで,日本の人事異動についての疑問の意見が交換されていたのを思い出しました。曰く,なぜ本人の希望にかかわらず人事異動をするのかとか,来年どんな仕事をするか分からない中で計画的に自分の能力を高める努力は出来ないではないかとか,ひいては何で無能な人物が何年も課長を務めているのかとか,折角優秀で適任の課長が着任してもなぜ1年で動かしてしまうのかとか。。私も議論に参加しましたが,その時に説明したのは,ビルの中のメリーゴーランドという言葉でした。各階にメリーゴーランドが回っており,最上階のメリーゴーランドから退職で人が抜けると一つ下の階から人を補充しながらそれぞれの階のメリーゴーランドが回っているというシステムなので,特定の人を特定のポストに固定するとこのメリーゴーランド全体が止まってしまうのだという説明です。
当事者には当然と思われることでも,部外者の意見に触れることで,いろんな発見が生まれるものです。
今日は,天気が良かったので,いつもと違う大回りをして瀬戸の海沿いにドライブをしながら尾道へ。瀬戸の美しい海岸線のドライブを楽しみながら,なぜこのような場所で暮らしながら,チャレンジングで刺激的な仕事を見つけにくいのかと考えてしまいました。東京一極集中が加速するように思える中で,自分が愛着を持てる生活環境の中でやりがいのある仕事ができる環境づくりが必要だと感じました。日本以外では,大企業の本社が首都に集中している例はあまりないように思えるのに・・・。
そのためには,地方においても,そつのない間違いのないもっともらしい仕事ではなく,新たな変化の創造を評価する組織づくりが必要なようにも思います。地方が現状維持の姿勢に留まれば,東京との差はますます拡大してしまいます。それに,小さな箱庭の世界の中で自信たっぷりに計算の範囲内の仕事だけをするのではなく,先の見えない世界で模索する中で情けない失敗の繰り返しをしながらも前に進もうとする方が,よほど人間らしいと感じます。
満開の桜をみながらの米寿を超えた老親連れのドライブで,あれこれ思い浮かびました。
2008年3月30日
年度末最後の週末も,進行中の研究レポート作成のために部屋に閉じこもって過ごしています。いつも何かやらなければならないことに追われ続けているというのは,ある面緊張感があって悪くはないのですが,目の前の課題を処理することだけで日々が過ぎていっているような気がします。
とはいえ,先週も後半の3夜は以前の仕事でかかわったいくつかのプロジェクトの関係のメンバーとそれぞれ熱談・痛飲しており,このような時間を共有できるありがたみを感じているところです。3夜とも別々のプロジェクトで,いずれも県庁外の仲間です。どれも難航したものだっただけに,いつまで経っても,会えばその頃の熱気がよみがえります。こういう経験が積み重なると,手を抜いてはいけないと思うようになり,ますます自分の首を絞めてしまうという構図です。
先週も,思いもかけなかった分野の講師依頼があり,結局引き受けたのですが,いつまでもこんな調子で引き受けていたら破綻しそうです。いろんな分野に首を突っ込ませていただいていることから多様な経験をさせていただくことができ,それが本業の方にもプラスになっているとは思うのですが,そのように理解していただけるかどうかについては・・・。
でもまあ,首の回るうちは,ぼちぼちやっていこうと思います。
2008年3月23日
卒業式(学位授与式)も無事すみました。最近少しご縁がなかった友人からお祝いしていただき,幸せ気分です。
とはいえ,週半ばから風邪で,昨日はほぼ終日寝込んでいました。不思議なもので,寝込んでも困らない状況になると風邪を引くような気がします。
明日は休暇を取って栃木の自治医大で朝から新しい研究プロジェクトの打ち合わせですので,今日午後から移動です。体調が持つよう願っています。
2008年3月20日
人事異動の発表がありました。
広島県では,7年ほど前にそれまでの「部→課→係」を,「部→局(部次長級)→室→グループ」にしました。私は,この「改革」の時期には県庁を離れていたのでよく分からないのですが,これが「フラット化」なのだとのことでした。それが,この4月から「局→部→課→グループ」になるとか。部長は局長に,局長は部長に・・・。もう,頭の体操の世界です。で,私は,4月から「総務局秘書広報部国際課長」とのこと。今やっているポストの職名は「政策企画部企画調整局企画監(政策企画担当)」から「企画振興局政策企画部政策企画課長」に変わるのだそうなので,職名は若干短くなります。
先週末には,県立広島大学保健福祉学部(三原キャンパス)で,現在共同研究をしている先生に頼まれて,大学院の授業のお手伝いをしてきました。働きながら学んでいる人も多く,その熱意に責任を感じながら話をしてきたところです。
昨夜は,以前,大学にいた頃にコーディネート役をした,県警と大学との減らそう犯罪の共同研究の関係者の同窓会で痛飲してきました。めざすべきものを共有して,多様な分野の者が共同作業をするという面白さと意義に話が弾んだところです。ちと,飲みすぎました。
で,今日は,個人指名で頼まれた新規採用職員向けの講師の準備をしていました。夢を持って県庁に入ってきてくれる若い人たちに,あれも言いたいこれも伝えたいと,どうも詰め込みすぎの感があります。目先の利害ではなく社会のためにフルタイムで働ける仕事としての行政の面白さ,めざしたからといって叶う訳ではないがめざさなければ何も始まらないこと,社会の不条理への良質な怒りの大切さ,自分は新たに何を生み出し何を変えたのかを考えながら仕事をしてほしいこと,などをお伝えできればと思っています。
明日は大学院の修了式です。
2008年3月16日
何かとばたばたしているうちに,日々は着実に過ぎていきます。
先週は,アジアの会で,大学院を休学して,JICAのボランティアとして2年間メキシコに行っていた方のお話しをお伺いしました。
コロンブスが現在のドミニカを「発見」して以来,その地のほとんどの原住民を殺害したこと,メキシコについても,9割近い人々が殺されたとのこと,そのような死の恐怖を日常に感じざるを得ない環境下において,骸骨のお祭りが生まれ,しゃれこうべの形をしたチョコレートやパンを食べて,死への恐怖に対して虚勢を張った?のではとか。スペイン人は,メキシコ各地に,スペインの幾つもの都市を,道路や建物までそっくりそのままコピーした都市を作って,同じ都市名をつけたという話もありました。
ストリートチルドレンが多く居り,その支援にもかかわられた経験から,男の子だけを対象に社会復帰支援をしている組織の活動状況,そのような生活をしている子どもたちが失っているもの(集中力や我慢する心,思いやる心)や,その子たちに,「見てくれている人がいるのだよ」というメッセージを伝えることの意義,などにも話が及びました。そのような支援者の方から,「好奇心」を生み出すためには一定の文化?レベルが必要との指摘があったとのことも,興味深くお聞きしました。
メキシコ社会の,よそ者の受容度の高さ,日本まで12時間なので,高齢の日本人・日系人には,日本に帰って死にたいという人はあまりなく,時々日本に帰ることはあっても,メキシコでの生活を楽しんでいるという点も印象的でした。集団移民型ではなかったために,日系人が散在して暮らしてきたというのも,メキシコ社会への溶け込み度を高めてきたとのこと。
不思議に思うのは,このように海外に出て伸びやかに活動されている方には女性の方が多いような気がすることです。男性は,早く定職に着かなければならないという意識が強いからでしょうか。いずれにしても,このような貴重な経験を社会で生かせる環境が必要だと感じてます。
2008年3月8日
シンガポールからの1年間の留学生とその指導をされた先生との3人での対談型の講演会が無事おわりました。初めての経験で,しかも一度簡単にリハーサルをしただけでしたので心配でしたが,留学生と先生のすばらしいお話のおかげで,思った以上に充実したものになりました。
中でも,英語圏のシンガポールから来た留学生は,中国語は話せても日常生活では漢字を使うことがまったくないので,漢字2000字という日本の高校程度の高いレベルを要求される日本語能力試験1級の準備には相当苦労したようで,「中国から来た他の留学生よりいつも勉強が遅れていたので,自分はもう2級を持っているのだからと諦めたくなったりしたけれど,これまでめざしてきた夢のことを考えて,『落ち込むな,もうちょっと頑張れ』と自分で自分を励まして,最後まで必死に頑張りました。」「(努力の甲斐あって1級に合格できて)胸を張ってシンガポールに帰って行きたいです。」などと話してくれ,最後には,「『未来に向け,後悔しないように,自分らしく生き続けたい』というのが自分のモットーなので,これからもそんなふうに頑張っていきたい。」と言ってくれた時には,その思いが伝わってきて,コーディネーターをしていたにもかかわらず声が詰まってしまいました。
このほかにも,印象的な話が沢山ありました。シンガポールの国立高専を卒業して働き出した後,さらにステップアップしようと,シンガポールで開講しているアメリカの大学に仕事が済んだ後の夜に通って無事卒業したとか,3年間日系企業で働いていてかなり仕事も任せてもらっていたけど,奨学金の話を聞いて申し込んで合格したので会社を辞めてチャレンジしたとか,なんともさわやかで頼もしい話でした。(彼女が卒業した,シンガポールで開講しているというこの大学は,なんと,オクラホマ市立大学というアメリカの地方都市の公立大学で,シンガポールだけでなく,マレーシア,香港などアジア各国のほかカナダや英国にも教授を派遣して開講しているのだとか。)
さらに,日本人が初対面の人になかなか心を開こうとしないことだとか,日本人同士の関係も距離があるのではないかなど,耳の痛い指摘もありました。
シンガポールから来てたった1年の25歳の留学生が,ホテルの大ホールで300人近い聴衆を前に堂々と自然に語りかける姿と,その内容のしっかりしていることに感心し,今の日本でこのような若者の姿をどれだけ見ることができるのだろうかと考えてしまいました。
修士論文が済んでもほっとするまもなく,本業と副業両方でスリルのある日々が続き,ちょっと消耗気味でしたが,すがすがしい思いにさせていただきました。
2008年3月2日
今日は,3月6日に広島のリーガロイヤルホテルで開催する広島シンガポール協会の対談形式の講演会の打ち合わせに三原に行ってきました。本年度から,広島シンガポール協会,三原国際外語学院,広島信用金庫の3者の共同事業として開始した,1年間の日本語留学生奨学金制度の第1号として昨年4月にシンガポールから三原に来て,見事,日本語能力試験1級に合格した留学生とその指導に当たられた先生と私の3人での対談形式の講演会です。
シンガポールの国立高専を卒業後,日系企業で働きながら,シンガポールに分校を開いているアメリカのある都市の「市立大学」(市立大学が外国に教室を開く!)」に編入して2年間勉強して卒業し,より挑戦をしたいからと,この奨学金プログラムに応募したシンガポール人女性ですが,打ち合わせをしているうちに,その意欲とバイタリティに改めて感心してしまいました。シンガポールに駐在して感じたのは,未来への夢と意欲を持って具体的に行動し,頑張っている人たちの「背筋の伸び」です。「今」に満足して,目の前の細々したことにこだわって一杯一杯で過ごしている人にはない,すがすがしさを持っています。
指導に当たられた先生は,三原市の中学生のシンガポール交流で12年来のお付き合いですが,日本の地方都市で,海外から日本に学びに来ている意欲ある若者に対応されている中で感じられていることの大きさを,言外に感じさせていただきました。
20年余前に商社に出向した時に,「現状維持是衰退也」と教えられましたが,今の日本は,改めてこの言葉を思い起こす必要があるようにも感じます。
修論も済み,国立精研の研究レポートも済み,一息ついているはずなのに,相変わらずドタバタしています。まぁ,それが幸せなのかと思っているところです。
2008年2月24日
パール婚旅行だから真珠の伊勢へと,単純な理由で行ってきました。海に面した暖かい地という印象で出かけたのですが,小雪交じりに烈風が吹きすさぶ中,お伊勢参りをしてきました。昨夜は,鳥羽の沖にある答志島という800所帯ほどの島の宿に泊まったのですが,出かける先もなく,のんびりと夕日が沈むのを2時間ほど眺めていました。ちょうど島の祭りの日ですべての漁船が満艦飾で,路地には神様へのお供え物のお盆をささげた方々が行き交うという,風情ある空間でした。それぞれの地域の持つ文化を感じたところです。
地域地域のプライドを支える文化の継承の大切さを感じました。とはいえ,帰路,大阪で2時間ほど時間を過ごす中で,都会の持つ「量」の力も感じ,無理して突っ張らず,自然に地域の良さを楽しめるためには,どうすればいいのかと考えさせられました。
2008年2月20日
今週,パール婚(30年)の祝いをしました。たぶん,互いに自分が我慢強いからこの日を迎えられたのだと思いながら・・・。今週末は,パール婚旅行です。ちなみに,30年前は,マイナス18度の大雪山朝日岳でのスキーと網走の流氷でした。
2008年2月16日
無事?修論の発表会が終了しました。修論のテーマは「社会サービス・イノベーションのための組織連携とコーディネート機能の研究 〜健康福祉分野を対象として〜」です。15分間の発表の後に5分間のQ&Aなのですが,その時に,「コーディネーター役には幅広い知識や経験が必要だろうから,定年後の人が向いているのか」と聞かれて,思わず「社会サービス・イノベーションのためのコーディネーターというのは,社会の不条理を正してありたい社会をめざすために,めざす方向について関係者の思いを一つにしていくための働きかけが重要な役割なのであり,知識や経験の量で決まるようなものではなく,よりよい社会への思いが大切なのだと思う。」と熱く語ってしまいました。もう一つの質問に,「社会サービス・イノベーションの研究仮説として,『【適切な解決法】だけでは十分ではなく,組織や専門家を結びつける専門性の組合せと時間軸での仮説に基づく試行と改善の継続が必要であり,それを推進するコーディネート機能が重要』,と提起しているが,その仮説は検証されたのか?」というものがあり,これについても,「この仮説全体を検証できたとは思わないが。『こうすればいいのに』と言うだけでは駄目なのだ!ということが,この研究を読んでいただいた方の多くが感じていただければ,意味があると思う。」とお答えしました。
まあ,あまりアカデミックな研究ではなかったために質問される先生方も苦労されたと思います。いろいろありましたが,私自身としては,やってよかったと思っています。なにより,思ったこと(これまで自分自身が取り組んできた社会課題への取組みのコーディネーター役について,一度まとめてみたいという思い)を実際に行動に移せたということに,ささやかに満足しています。何でもですが,実際にやってみればいろんなことがあります。昨年度ほどは忙しくないだろうと思っていたのが,組織変更もあり1.5倍くらい忙しくなってしまったこと,昨年度まで5時15分が終業時刻だったのが今年度から5時半終業になったために夕食をビスケットなどで済まさなければならなくなったこと(おかげで4kgやせました。半分戻りましたが。)などなど,想定外のことはいくらもあります。でも,いつも新しいことに踏み出した時に感じることですが,やってみないと分からないこと,経験できないことが沢山あって,それが面白いと感じています。これまで,自己流に書いていた研究レポートも,正式な修士論文となるといろんな約束事があります。面倒だなと思うこともありますが,全体としては,知らなかったことを知る面白さの方が勝っていたように思います。「やりたいと思ってた」というのと「やってみた」という間には,大きな違いがあると思います。
とりあえず,授業も修論も(審査結果はまだですが)一応終わりました。「時間ができるだろう」と言われるのですが,良くしたもので,(本業以外に)もういろんな仕事が舞い込んできています。今年1年間,綱渡りでしたが,来年度もあまり変わりそうにはありません。と,まったりしているような余裕はなく,今年度にまだやり残している仕事が公私共に山積しており,来週から引き続き頑張らねば・・・。
無事に審査を通ったら,修論を「駄文抄」にアップしたいと思っています。
2008年2月11日
今日は,一日部屋に篭りっきりで,修論の仕上げと修論発表会の準備(+パール婚旅行の計画づくり)。昨日は釣りで,一昨日はクアハウス。先週は,水曜日の午後から木曜日にかけて休暇を取って栃木へ。忙しいのかのんびりしているのか分からない日々です。
先週金曜日の夜は,関わりのある県内の市から県に出向している2人と痛飲。やっぱり,「のんびり」です。
地方をベースに,やりがいのある仕事ができる環境の大切さを感じています。
2008年2月3日
先日誕生日を迎え,四捨五入ぎりぎりの歳になりました。一回り以上も歳上なのに,若々しくみずみずしく社会のために熱意溢れる取組みをされている先輩方もいらっしゃいますので,なんとかそんな風になりたいものだと思っています。
先週は,本業の方で2年がかりで取り組んでいる二つの大きな仕事が,(まだまだ先は長いものの)どちらも一つの山場をなんとか越えることができ,ささやかにほっとしています。それもあって,金曜日には,出張で行った高松で仕事を済ませた後に,すっかりリラックスして当地の友人たちといい時間を過ごすことができました。
とはいえ,修論の提出締め切りと発表会を間近に控え,本業の方もまだまだいろいろとあり,気が抜けません。そんな中でも,今週は休暇を取って栃木まで新しい研究プロジェクトの打ち合わせに。
今日は,尾道の老親をつれて,君田のはらみちを美術館に行ってきました。絵もすばらしかったのですが,新聞社の論文募集で最優秀賞になった文章に考えさせられました。昭和3年生まれという時代環境の中で,障害を持ちながら生きていく厳しさと心の揺れ。今の恵まれた環境に慣れ甘えてしまって,全身全霊をもって必死になって取り組むことを忘れてはならないと改めて感じた次第です。
と,ここまで書いてきて,日々の目の前のことしか書いてないことに気付きました。先日,あるメーリングリストで,「殯(もがり)」が話題になりました。昔,井上靖の小説から感じた私のイメージは,「大切な人をなくした後に,自分の中で静かに悼み考え沁み込ませる時期」というものですが,そんな静謐な時間というものに縁遠く過ごしています。
2008年1月26日
変わり映えのしない日々を過ごしています。昨日は,本業の仕事で松江に行って,結構スリルのある交渉を済ませ,今日は終日部屋に篭って修論の作業をしていました。仕事柄書くことは慣れているはずですが,100ページ近いものを手直ししていくというのは,相当にエネルギーを要する作業だということに気がつきました。こういうことでもしなければ,自分なりに書いたもので手を打っていたと思いますが,指導教員になっていただいた先生などにいろいろとご指摘をいただく中で,否応なくこつこつ修正作業をしています。
自分の思いだけで済ませてしまえない環境に身を置くことの大切さを再認識しています。とはいえ,いい加減集中力が途切れつつあり,どこまで完成度が高められるものやらと危惧しているところです。
2008年1月20日
相変わらずの嵐の中です。本業の方が(当たり前ですが)何ともいろいろとあり,1週間が終わるとやれやれという感じです。で,昨日の土曜日は,個人的な活動の方で県内の中山間地域にある診療所に所長さんへのインタビューに行ってきました。地域医療を中心とした連携の推進のための人材育成や研修,支援体制の話です。大学教授をされている現場経験の豊富な保健師と医療ソーシャルワーカーの先生との共同作業です。地域の資源を繋ぎ互いに活かし合う仕組みづくりやそのためのコミュニケーション能力などなど延べ6時間半にわたり盛り上がりました。今回は個人的な活動ですが,このような地域の専門家の方々の話をお聞きし,課題を整理して方向性を考え,行動のためのコンセンサスづくりをしていくというのは,行政に働く事務職の本来めざすべきやりがいのある仕事ではないかと感じています。家庭の介護力の崩壊など,地域で起きつつあることをいち早く感じとって,地域の課題を行政組織の課題にして,それを社会の課題にしていくことが求められているように感じています。
金曜日は,大学勤務時代に携わった,地域との共同研究プロジェクトの同窓会。大学の4つの分野の先生方と地域の行政組織の共同研究で,最初は皆目方向性の見当がつかず手探り状態で辛抱強く立ち上げたものが,なんとか一定の評価をいただくとこまでこぎつけられたものです。先の見えない中で,不安とあせりを感じながらも,仮説としての方向性と自分の勘を大切にしながら緊張感を維持して前に進めていくことは,そんなに簡単な話ではなく,過去の経験の裏打ちがなければ挫折してしまうのではないかと感じます。
地域で仕事をすることの面白さは,多様な分野の関係者が,問題意識を共有していく過程で息の合ったチームが生まれてきて,互いの信頼関係の中で仮説に基づく試行を現場の感覚を感じながら進めていけることではないかと感じています。
今夕は,行政関係の友人の仕事がらみのお祝いの会。地域の人たちと一緒に前向きに仕事をする面白さの話などで盛り上がった中で,人事評価の話になり,細かい評価基準で評価をするよりは,過去1年間に自分が工夫しこととその結果を書いてもらうことの方が余程有益なのではないかと話し合いました。どんな新たなことに取り組んでどんな成果が出たのか,成果が出なかったのならそれからどんな反省をしどんなことを学んだのか,を書いてもらう。或いは,別に新たなことへの取組みでなくても,日々の仕事について,間違いを減らし,より効果的・効率的に進めていくためにどんな工夫をして,どんな成果が出たのかが,成果が出なかったのならそれからどんな反省をしどんなことを学んだのか,を書いてもらう。そんな前向きの人事評価がいいのではないかという話でした。
2008年1月14日
折角の3連休でしたが,クアハウスに一度行っただけで,ひたすら修士論文に没頭していました。今までは量を書き上げるのに一生懸命でしたが,全体を通してチェックしてみると,まあなんとも問題点ばかりで,手直しに追われていました。とはいえ,今日は天気が良かったので午後は家の外回りの片付けや模様替えをしていて,腰痛です。
修論では,自分自身が関わった地域医療関係の連携の事例研究をいくつか取り上げているのですが,それらを読み返していると,偶然さへの謙虚さというキーワードが改めて浮かんできます。「成功は偶然の産物であるが,その偶然を生み出したのは努力の産物である。」という言葉を以前思いついて,気に入って使っています。新しいことに挑戦すればするほど,先の見えない不安の中で,必死に模索を続けることになります。周囲の無理解や冷たい目,無神経な言葉に落ち込みながら,もう止めたらという自分自身のささやきに抗いながら,じたばたし続ける中で,結果的に転機となる偶然に何度も助けられてきました。
最近,(歳をとったせいか)許せないと思うのは,自分では新たなことは何も成し遂げていないのに,「正しい」理屈を振り回して批判と批評をするお役人です。その共通項は,「偶然さへの謙虚さ」とは対極にいるということです。いろんな人に助けられ,いろんな偶然に助けられることによって,人は謙虚になるのだと思いますが(自分自身のことは棚上げしておいて),そんな不安さを知らずにもっともらしく理屈をこねられると,ニコニコしながらも内心怒り狂ってしまいます。
先週金曜日に,以前から味のある人だと思っていた某県の企画課長と個人的に飲む機会があり,その思いを新たにしました。彼は,新聞にも時々取り上げられる随分難しい問題を担当しているのですが,いつもニコニコしています。私より若干歳上で,問題案件のために何度も徹夜を余儀なくされている厳しい状況なのですが,ニコニコしながら「大変だよ〜。」と言われる姿を見ると,もうそれだけで全幅の信頼を置いてしまいます。難しいことに難しい顔をして取り組んでいれば,周りが敬遠して大切な情報が入ってきません。そんなことも分からずに,難しい顔をして勿体をつけた口ぶりで話をする人には,金輪際,近づきたくなくなります。難しい顔をしていてもできるようなことしかしてこなかったのではないかと,言いたくなってしまいます。
先週木曜日には,アジアの会で,パプアニューギニアにこの5年間で延べ1年半も行き,1回の訪問で2〜8か月も小さな集落で間借りをしながら調査を続けている文化人類学者(の卵)のお話を聞くことができました。パプアニューギニアのお話は一つひとつが新しく魅力的だったのですが,それ以上に,足を彼の地の虫に刺されてぼこぼこにされながらも,自らがめざした道のために(意地になって)頑張るという真摯な姿勢に感動しました。こんな話に比べれば,さっき悪口を書いたお役人なんて,もうどうでもいいやと思います。
2008年1月6日
今日は,朝から終日,福岡での限界集落に関する研究会へ。大学院の授業の出席換算ということで行ってきたのですが,いろいろと考えさせられるところがありました。
一つは,今の日本の中山間地域まては「田舎」の置かれている状況は,日本自体が置かれている状況の縮図ではないのかということです。今までの歴史の中で,ある面快適な継続性の中で,余所者を受け入れずにこれまでと同じ生活を維持しながら,新たな展望が開けずに苦慮しているものの,今はそれなりに快適であるという状況ではないかと思います。
蛙の釜茹での逆のチルド冷凍の途に向かっているのかもしれません。このような時こそ,各種の専門家の声を冷静に繋ぎ合わせて,地域の実情に合った取組みを,静かな声で語っていく人が求められているように感じたところです。
2008年1月3日
年末年始の休暇も今日で最後。修論や本業以外の研究レポート,大掃除に家の内外の大片付けと,早朝から夕刻までドタバタの日々でした。今日は半日だけ本業の仕事をちょこっと。
年始に,このひとり言の新しい年への更新をしていて,これを書き出してからもう6年半かと驚きました。21世紀の初日付けで大学に移った年に書き出したのですが,月日の経つのは早いものです。
大晦日にも書きましたが,これまでやってきて,ありがたいと思うのは,自分自身の選択の中で,実際にそれぞれの体験をしてこれたことだと思います。一つひとつの評価は別として,良くも悪くも自分の中に実感として残っています。いつもしんどいと思いながらも,自分の選択だからと思いながらやってこれたことは,幸せだったと思います。これには,学生時代の山登りの経験も大きいとも感じています。いくら口でいろいろ言っても心で願っても,実際に一歩一歩歩かないと決して目的地には着かないということを体で覚えさせてもらったように思います。
今年もいろんなことがありそうです。いろんな方との出会いとご縁を大切に,「実感」のある日々を過ごしていきたいものだと思っています。
2008年1月1日
あけましておめでとうございます。
今年が皆様にとってよい年でありますように。
(自宅近く阿品の海) |
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