橋本 康男のホームページ     (2018年6月17日更新,ひとり言 ) 〜休眠中〜

ひとり言 参考フレーズ集 駄文抄 遊びのページ English Page 広島大学での4年3か月

 元地方公務員の思いつきメモのページです。

 高校時代には理数系を得意としつつ,文化祭の事務局長をしたことを契機に,人と社会に関わる仕事をしたいと政治学科を選び,企業訪問はせずまっすぐ地方自治体に入った真面目な?公務員が,新空港立地計画,人事・労務,商社派遣,産業振興,シンガポール駐在,国際協力,地域医療,国際交流財団出向などを経験した後に,広島大学に誘われて転職。3年3か月の助教授生活を経て教授に昇任させていただきながらも1年で辞職し,行政の現場に戻り,国際部長まで経験させていただいて退職し,地域医療の支援をする財団で働いています。略歴
 産学官・財団・海外と,今振り返っても随分得がたい経験をさせていただいたと思います。その時々の目の前の損得ではなく,社会のあり方を考え自分が納得できる過ごし方をしたいと選択を重ねる中で,沢山の方々に助けていただいてきたおかげだと心から感謝しています。
 多様な経験を通じて考えてきたことを,いくらかご紹介させていただきたいと思っています。
 今振り返ってみても,(何とかつぶれずにこれたという点で,結果として見れば)我ながら恵まれてきたと思えるこれまでの時間への,せめてもの感謝のつもりです。
 お読みいただいた方が,ちょっと立ち止まって考え,そして元気を出していただければと思っています。


○ お勧めは遊びのページのタスマニア風景です。
○ 平成17年2月,文部科学省の広報誌に「文部科学時報」書かせていただきました。『社会の一員としての大学へ』。表紙にノーベル賞の野依先生と一緒に名前が出ているのが自慢です。
○ (財)地方公務員等ライフプラン協会の機関誌「ALPS」平成22年12月号に,私の人物紹介記事を掲載していただきました。
○ 鰍ャょうせい発行の「ガバナンス」平成23年1月号に「対話力」について,平成24年2月号に「組織内連携」について,平成25年4月号に「新米課長へのメッセージ」,平成27年1月号「組織間連携と自治体職員のコーディネート力」を書かせていただいています。
○ シンガポール日本商工会議所月報の平成24年5月号に,シンガポールとの学生交流20年について書かせていただきました。
○ 平成20年8月には第31回総合リハビリテーション研究大会で第4分科会「組織連携とコーディネート」の座長,平成23年9月には自治医大の地域医療フォーラムの第3分科会座長を,平成24年11月には地域社会振興財団の創立40周年記念シンポジウムの座長をさせていただきました。
○ 平成25年3月に国際部長を最後に広島県庁を退職(部長以上は定年1年前)。同年4月から日赤広島看護大学非常勤講師,7月に三次市行財政改革推進審議委員会会長就任,8月には南米チリで開催された国連機関ユニタール主催の震災と復興力の国際フォーラムで基調講演,9月から11月まで,内閣府主催の自殺対策連携コーディネート研修の講師を全国6都市(仙台,東京,名古屋,京都,広島,福岡)で担当しました。

〇 紛争等からの復興途上国研修で配付しているメッセージです。


今の仕事
 「一般社団法人 広島リンクサービス」の常務理事兼事務局長とはいいながら,個人商店的な形でこつこつやってます。
前の仕事  県庁退職後の仕事については,紆余曲折はありましたが,結果としては,希望通り,地域医療に関わる仕事につくことができました。
 これまでの産学官・財団・海外での多様な経験を活かして,社会のために役に立てる仕事をしていきたいと考えています。特に,「非営利の社会サービス分野での組織間連携とコーディネート人材育成」に関わりたいと思っています。(修士号もこのテーマでいただきました。)
 これまでも,個人的に,保健・医療・福祉分野を中心とした社会人向けの人材育成のお手伝いをしてきており,現場の事例を丁寧に整理して共有・発信し,それを研修に生かして,さらに研修を受けて現場に帰った方々の取組を支援するという,「現場研究」「人材育成」「現場支援」というサイクルを回していくことに,ライフワークとして取り組んでいきたいと思ってきました。
 この度,幸いにもそのような仕事に就くことができましたので,新たな気持ちで精一杯取り組んでいきたいと考えています。
 ということで,5年間充実した時間を過ごさせていただきましさせていただきました。
前の前の仕事  平成20年からの3年間の国際課長に続いて,国際部長を2年やりました。地域の活力を生み出す国際施策として海外人材が活躍できる環境づくりを進め,「国内外から人材が集まる魅力ある元気な広島県」をめざすとともに,原子爆弾によって破壊された地としての核兵器廃絶への取り組みと,廃墟から復興し復興への確信(Faith)を提供できる地としての復興と平和構築のための人材育成拠点広島をめざしました。
その前の前の仕事  広島県政策企画部企画調整局企画監(政策企画担当)という,企画という文字が4回も出てくる職名の仕事でした。総合計画や人づくりビジョン,国土形成計画,施策点検などを担当しました。中でも,「自立,絆,社会意識」を掲げた「活力ある人づくり」と,「多様性,夢,応援」を掲げた「人を活かす社会づくり」を打ち出した「広島県人づくりビジョン」の策定に関われたことが幸せでした。 (H20.4の転出時には,担当していた業務の一部が他課に移管され,残りの業務が「政策企画課長」という職名になりました。)
その前の前の前の仕事  大学から県庁に復帰して,広島県自治総合研修センターの研修企画監というポストについていました。研修センターは,広島市を除く県内全市町の職員の研修を共同で実施する組織です。広島県内に87あった市町村が,23市町になるという激動の中で,県と市町職員の人材開発のあり方も大きく変わりつつつあります。地方自治体職員の実力が必要となっており,地方に住む住民の幸せを生み出していくことのできる,理念と変革の意欲と実力のある信頼される人材が求められています。
大学時代の仕事  こちらをご覧ください。


(自己紹介)
詳しくは,こちら略歴講師例人物紹介記事は,こちら。
 人には,いろいろなタイプや向き不向きがありますが,私の場合は,実践現場の中で,人におもねずに少しずつ物事を動かしていくことが向いているように思っています。まあ,言ってみれば,体系的な勉強が嫌な直観派だし,解説や講釈を言うより,失敗して落ち込む方がまだ好きということなのかもしれません。
 もう一つは,組織の魅力です。県庁に復帰してみて,県だけでなく市町村も含めて,優秀な人材が豊富なことに改めて感心しています。打ち上げ花火やスタンドプレーではなく口先の能書きでもなく,組織の中での時間の経過の中で信用を蓄積し実力を養成してきた人たちの迫力を感じます。
 ただ,その優秀さと組織内での複雑に入り組んだ位置関係が,思い切った行動につながらず折衷案的な解決法に流れてしまったり,「安定した立場」に安住してしまったりしがちな面もあり,守りから攻めへ「風を受けて立つ」ことのできる人材養成の難しさを感じています。

広島県庁入庁(昭和51年4月1日)
 
 ・甲山保健所, 交通安全企画,
  広島空港立地計画, 人事課(給与制度,人材育成)
 
  全国初の公務員の1年間商社派遣(昭和62年)
 ・産業振興(商工労働部・初代企画員)  
  初代シンガポール広島事務所長(平成3−6年)
 ・国際協力係長, 地域医療担当課長補佐(兼)係長  
  (財)ひろしま国際センター(平成11−12年)
広島県庁退職(平成12年12月31日)  
 (平成13年1月1日: 21世紀初日付け!の転職です。) 広島大学 大学情報サービス室 助教授
  平成16年4月 地域連携センター 教授
  広島国際大学非常勤講師(H14-16)「医療福祉情報管理論」
  平成17年3月31日 広島大学を辞職
広島県庁(再)採用(平成17年4月1日)
 ・自治総合研修センター 研修企画監(H17.4.1-)
 ・政策企画部企画調整局 企画監(政策企画担当)(H18.4.1-)
 (H20.3.21 県立広島大学大学院総合学術研究科経営情報学専攻 修士)
 ・総務局 国際課長(H20.4.1-),地域政策局国際部長(H23.4.1-)
 (広島大学大学院社会科学研究科マネジメント専攻 博士後期課程H21.4-⇒H24.9退学)
平成25年3月31日 広島県庁を退職
 
平成25年4月1日 (公財)広島県地域保健医療推進機構 地域医療推進部長(H26.7.1から地域医療支援センター部長に名称変更となりました。)
平成30年3月末で退職しました。今は,「三次市政策アドバイザー」や,広島の復興平和研修の開発などをしています。


(一言)

地方発の全国標準  地域医療の仕事をしていた時に関わった,全国で初めてインターネットを利用した救急医療情報ネットワークは,現在では事実上の全国標準となり,うち34都道府県のシステムは広島で開発され,それらの半数程度はサーバーも広島にあります。
 地方発の全国標準が生まれる時代だと感じています。

 大企業の本社がなぜ日本だけ首都に集中しているのか,地方の側にも,横並び・序列意識,自己規制,グローバル感覚の不足など,反省すべき点があるようにも感じます。
ひろしまの心  破壊された広島としての「核兵器廃絶への信念」と,廃墟から復興した広島としての「復興への確信と未来への希望」という2つのシンボル性が広島にはあります。
 核兵器のない平和な世界は,現在の世界から核兵器を無くしただけでは実現せず,安定した社会と国家の実現が求められています。
 このため,広島の2つのシンボル性を元に,核兵器廃絶への働きかけとともに,平和のための安定した社会づくりに貢献する,復興・社会開発マインドを持った社会の各分野の専門家などの人材育成などにも広島の役割が期待されていると思います。
 広島の名を冠する地方自治体に働く行政職員としての最後の5年間に,国際課長,国際部長として,このようなひろしまの平和への新たな方向性づくりに関わることができたのは幸せでした。
コーディネータとして  専門家が大切な時代だからこそ,専門家を生かす専門職が大切になっていると思いますし,地域で頑張っている人々の力がうまく生かされる社会システムづくりが必要だと感じています。
 私自身は一つの道を究めていくというタイプでもありませんし,アカデミックでもないので,これまでの多様な経験を生かして,社会の力をつなぎ応援する連携のコーディネーター役として,新たな風を吹かせるお手伝いをさせていただきたいと思っています。


(社会的活動など)

広島シンガポール協会 運営委員など  シンガポール国立大学とシンガポール・ポリテクニック(国立高専)から広島へは,過去18年間で約750人の学生が,1週間程度のホームステイを中心とした日本理解研修や1か月の広島企業での企業体験研修などで来ています。シンガポール広島事務所時代に,シンガポールの元気を広島に伝えたいと始めたプログラムです。「汗はかくけど金は出さない」がポリシーで,シンガポールの学生たちは自分のお金で来てくれているのが自慢です。ただし,ホームステイ先と集合場所との距離の違いにより交通費に差が出るのは不公平だと,学生一人当たり1000円を調整経費としてお贈りしています。
 1995年12月に設立された広島シンガポール協会では,このような学生交流を支援しています。広島市よりも小さな面積に広島県よりも大きな人口が住むシンガポールは,世界と結びついて逞しく発展しています。そんなシンガポールの躍動感を広島も学びたいと思っています。平成17年12月には10周年を迎え,現・駐日シンガポール大使夫妻のほか,10年前創立時の駐日シンガポール大使もわざわざシンガポールお越しくださいました。協会の訪問団がシンガポールを訪問した時には,シンガポール政府外務省が全員を招いていただき同省のNo.3がホスト役で昼食レセプションを開いていただいていますし,平成19年には,シンガポール政府の外務大臣が広島シンガポール協会の会長を招待していただき40分あまり1対1で懇談していただきました。成果を評価してくれるシンガポールのそんなところに素直に感動してしまいます。
 さらに,平成21年5月には,シンガポールの大統領が,外務大臣ほかと,広島を訪問されました。広島にとって14年ぶりの国賓としての訪問で,シンガポール側30人,日本側(外務省,内閣府,宮内庁)20人の大訪問団でした。1泊2日約24時間の広島滞在の中で,私を含めて広島シンガポール協会役員4人を招待しての昼食会を開催いただき,びっくりしました。この昼食会の席上で,大統領から,シンガポール政府が創設する外務大臣表彰の初めての受賞者に広島シンガポール協会の会長が選ばれたとのお話がありました。世界の多くの国と付き合いのあるシンガポールが,国際交流の初の外務大臣賞を日本の中の広島の一民間団体に授与することが,いかにもシンガポールらしいと感じました。会長は,秋にシンガポールに招待され表彰を受けられました。
 また,三原市が実施している中学生のシンガポール交流も平成7年以来毎年お手伝いしています。単なる海外旅行派遣でなく,事前に10回程度準備しての中身のある交流をめざしています。6年目からは,シンガポールの中学生の三原市訪問も始まり,双方向の交流として発展しています。
 シンガポール日本商工会議所月報の平成24年5月号に,シンガポールとの学生交流20年について書かせていただきました。
国立精神・神経センター(国立精神保健研究所)客員研究員
 国立精神保健研究所の関連で,「触法精神障害者の処遇のモニタリングと社会復帰に関する研究」「自殺と防止対策の実態に関する研究」に平成14〜16年度に研究協力者として参加しています。平成15,16,18年度には,「精神障害者の社会復帰のための住居確保対策」についても研究協力者として参加しています。この縁で,平成16年度には,三原市を中心とするモデル事業のお手伝いもしました。研修会の講師にも呼んでいただいているほか,平成18年10月には,国立精神保健研究所の客員研究員の委嘱もいただきました。地方の現場の実態とその感覚を,全国での議論に届けていきたいと思っています。つなぎ役として,何らかの貢献ができればと思っています。
地域社会振興財団・健康福祉プランナー養成塾 講師,運営委員  この養成塾の講師として,平成11年の立ち上げから参加しています。広島発が全国標準になっている救急医療情報ネットワークのように,地方の現場での地に足のついた議論を基にスタートしたシステムが地方を拠点として全国に広がる,そんなネットワークの時代を期待したいと思っています。この研修会では,全国の市町村からの参加者を対象に,地域での保健・医療・福祉の連携のために,マニアやオタクでない等身大で実用的な情報システムづくりや連携のコーディネートについて一緒に考えています。
講演など  平成15年には,県内の高校2校の新入生合宿で,「21世紀を楽しめる社会人になるために」というテーマで話をしました。長期的な視野と社会のあり方へのビジョンを持った自立した個人として,努力を楽しんでいってほしいと伝えています。「楽しむ」と「楽をする」は違うという話もしました。
 行政職員対象の研修会の講師などもしています。変化の時代にはこれまでの知識や経験だけではうまくいかず,現場での必然性に根ざした取り組みが求められているということをお伝えしたいと思っています。自分個人の成果を誇らなくても社会のために安定的な立場で仕事のできる公務員が,もっと明るく楽しく良い仕事ができる組織風土づくりについて,そのお手伝いができればと思っています。
 このほか,「群れるから個のネットワークへ」「現場の課題を組織の課題へ,そして社会の課題へ」など,地域の現場を大切にした取り組みの話などをしています。
大学を辞めても相変わらず声をかけていただいていることをありがたく感じています。最近は,複数の県から研修講師の話をいただき,よそ様のお手伝いをするくらいなら自分のところをなんとかしろと言われそうだと思いつつ,面白がって引き受けています。
異文化を背景とする子どもたちへの教育支援  障害者作業所の支援プログラム研究に続くものとして,外国人子弟日本語教育支援システム研究を,同じく広島大学地域貢献研究制度の採択を受けて行いました。どうも問題は「外国人子弟」や「日本語教育」の枠を超えて広がっているのではないかということで,テーマを「異文化を背景とする子どもたちへの教育支援」に拡大しました。平成17年11月に報告書をまとめましたが,幸いにいくらか新たな動きに結びついています。大学を辞めることを決める前に仕掛けた研究であり,取りまとめのピークが大学を辞めた後になったために時間のやりくりに苦しみましたが,共同研究者の先生方や地域の実践者の方々のおかげで,なんとかまとまりほっとしています。 このような,地域の実践者と大学の研究者との共同研究の大切さを感じています。


(最近考えていることなど)

短期促成栽培  最近特に,目的地に向かって最短距離を最も効率的に行こうとすることが重視されすぎているような気がします。
 過去の努力の蓄積の結果としての現在の豊かさの中で,角の立つことや泥臭いことはしたくなく,スマートに格好良く立ち回ることがめざされているように感じます。マニュアル本を読んでナビにしたがって行けば間違いなくたどり着ける目的地などないはずです。

 失敗や寄り道も必要なように感じます。私は沼に石を投げ入れると言っています。いくら投げ込んでいても水面に変化はありませんが,水面下では確実に積み上がっています。
 これに対して,沼の中のポイントを選んで,何本かの支柱を立てて一気に効率的に構造物を作り上げようとしているように見えてしまうやり方もあります。
 そのような「戦略的な?」行動が必要なことも確かにあると思いますが,時間の流れの中でポイントの位置が変わった時には対応できず,言い訳を繰り返すようになってしまう危険も感じるのです。回りくどくて非効率に見えても,愚直にこつこつと石を投げ込んで幅広いエリアで対応可能なような準備をしていくことも必要な場合があるようにも思います。
現場原点  カタカナ用語での解説には,一見もっともらしい点は多くありますが,やはり現場での模索が原点だと感じます。
 実際に体を動かすことなく,スポーツのコーチ書を読み漁っても(それはそれで意味はありますが),それだけではスポーツがうまくできるようになる訳ではありません。
 「ニュートンが万有引力の法則を『発見』する前から,リンゴは落ちていた。」という表現を見つけて,気に入って使っています。イチローは,振り子打法を学んで名打者になったのではなく,自分なりの模索の努力を続けることによってそれを身に付け,そして周囲の人がそれを「振り子打法」と呼んでいるということなのだと思います。教科書の知識は必要条件ではあるかもしれませんが,創造の十分条件ではありえません。
理論と実践  以前の仕事で,一生懸命勉強はしてもっともらしい理屈は言うものの,現実の行動からはいろいろと理屈をつけて逃げてしまうというパターンを身近に見ることが続いたことがありました。
 日産自動車のゴーン社長が日産リバイバルプランの発表時に,「計画を策定することは再生への取り組みのせいぜい5%にすぎない。残りの95%はそれが実行できるかにかかっている。」(1999.10)と言い,徳川家康も「百里の道は九十九里をもって半ばとす。」と言っているように,正しい?理屈を言うだけでは十分ではなく,それを具体的な実践につないでいく現実の取り組みの中で身に着けていくものの大切さを感じています。
 机上の空論も本で読んで得た知識としての立派な理論も,実践に生かされなければ,役に立たないという点では同じだと感じています。
 このような,現実の取り組みの中で,我慢したり苦しんだり悩んだりする,ある面泥臭い回り道の格好悪いもがきの中にこそ,大切なものがあるのだと信じています。これこそが,これから地方の時代を生み出していくことにつながるのではないかと感じています。
 なお,ゴーン社長の言葉で最も好きな言葉は,「私は実践的な人間だ。自分がいつ失敗してもおかしくないことを知っている。だから,傲慢さが非常に嫌いだ。どんな企業にとっても,最も大きな危険の一つは傲慢さだと思う。」というものです。2002年に日経ビジネスでのインタビューの中での言葉ですが,うまくいく保証のないことに挑戦する不安感が謙虚さを生み出すのだと思います。
 戦略やマネジメントは大切ですが,実践を通じてのフィードバックがうまく働かないと,パソコンの前に座ってPDCAのPとCだけを振り回すPC経営に陥ってしまいます。
静かな迫力  静かに考え,静かに語り,静かに聴く。静かに忍耐強くチャンスを待ち,静かに行動する。そんな,静かな迫力といったものが大切になっているような気がします。
 基本的な方向をぶらさず,壁にぶつかってもへこたれずもがき続けるためには,社会や組織の理不尽さへの「良質な怒り」の蓄積,内圧の上昇が必要だと思います。安易な怒りの噴出は,そんな静かな力を削いでしまうこともあるように感じます。
良質な怒り  生きていれば,いろいろと怒ることはありますが,できれば「良質な怒り」を大切にしたいと思います。自分の気が済むだけの安易な怒りの噴出ではなく,あるべき社会への信念と,理不尽なことを許さない,社会の不条理に対する怒りの蓄積が行動の原動力であり,良質な深い怒りに基づく静かな迫力が大切だと感じています。
のどの渇き  目の前の壁を動かすために実際に体を動かして取り組みもがく中での,のどの渇きを感じたこともないのに,「おいしい水」について講釈をするような印象を受ける人がいます。
 まず,安全に飲めれば良いという段階があり,それが満たされた後に,味わいを語りだすというのが普通であり,なにがまず大切なのかを押さえておくべきだと思うのですが,そこが抜けたまま,味についての個人の感想や他人の意見の受け売りを述べてしまっている感じを受けることがあります。平和な社会の反映なのでしょうか?
21世紀の求める人材  21世紀の日本の社会が求めているのは,変革と創造であり,それを実現する個人の静かな迫力ではないかと考えています。群れになって人と同じ行動をし,手の届く範囲の世界で生きていくというのではなく,変革と創造の過程で周囲と違うことに取り組んでいく孤独に耐えて,新たな領域に踏み出していける人材が求められているように思います。破壊や捨てることのできる強さも時には必要になります。同時に,ビジョンを共有する仲間も大切です。そして何より,人と社会に対する豊かな感性が求められています。(2001.8)
パックツアー症候群  全国区で活躍している友人と話をしていて,最近思いついた表現です。その心は,「提示されたメニューの中から選択して参加するものの,何か問題が起きれば全て旅行会社の責任だと主張し,会社を責める。」というものです。もちろん正当な主張は必要なので,比喩としての表現です。つまり,自分が模索して情報を集めて企画をし,自分で手配して行動したものであれば,誰かを責めて済むものではなく,自分が主体的に対応しなければなりません。いつもということでなくても,そんな姿勢も大切だと感じています。
 また,他人が作ったツアーの計画の中から選ぶだけのと,自分自身で,多様な情報をまず探し出し集めて,一から模索しながら計画をつくりあげるのとでは,必要となる情報量がまったく異なります。その過程で,結果的には使われなかった膨大な情報に触れ試行錯誤することが,厚みにつながるのだと思います。


(「静かに考え静かに語り静かに聞く」研修手法 [三静か])

 10数年前に思いついて,グループ研修の際に,「静かに考え,静かに語り,静かに聞く」研修を実践しています。これまで何十回もやっていますが,概ね効果的なような気がしますので,ご紹介させていただきます。下記は2時間コースです。参考までに。小道具として,3点メモの欄を作った研修ノートや残時間表示用紙なども使っています。わいわい盛り上がるグループ討議とは違って,自分で考える時間を大切にしたものです。

導 入  5分  最初に,@講義を聞いた後で3点メモをとること,Aそれを元にグループで各自3分ずつ話をすること(最低でも2分半は話さないといけないこと),Bその際,他の人の話を聞いて感じたことを3点メモをすること,C最後に,講義を聞いてメモした3点と他の人の話を聞いてメモした3点の中から,自分が大切だと思う3点を選ぶこと,を言っておきます。
講 義 60分  通常は1時間程度,その分野の知識の提供と問題意識の提示をします。
 私は,テーマにもよりますが,パワーポイントを中心に配付資料を併用するやり方を主に使っています。
 5〜6人のグループに分けますが,講義の時から分けていても,その後に分けてもどちらでも構いません。
静かに考える 10分 @ 講義の後,5〜8分間,講義を聞いて,「そうだと思ったこと,そうじゃないと思ったこと,全く別に思いついたこと」などを3点(以上)メモをしてもらいます。
A 3分間語るリハーサルをします。各自,頭の中で話すことを予行演習してもらい,講師が,「1分経過」「2分経過」「2分半経過」「3分」と知らせます。(このようにしてみると,3分間という時間がかなりのことを伝えられる大切な時間だということを感じます。)
静かに語る 20分 @ 5〜6人のグループに分かれ,タイムキーパーを決めます。タイムキーパーは2分半で一旦合図をして,3分で終了の合図をします。(5人のグループは一人3分半)
A 一人3分ずつ,自分のメモした3点を中心に話をします。この際,声を出しての相槌,質問等は一切禁止します。
静かに聞く  他の人が話している時は,その話の中から,なるほどと思ったことなどを全部で3点(以上)メモをします。
考えをまとめる  全員が済んだら,講義を聞いてメモした3点と他の人の話を聞いてメモした3点の中から,自分が大切だと思う3点を選びます。グループで,若干進行に差が出ますので,この部分で全体の進行を調整します。
発表する 20分  全体で2時間の場合は,一人1分程度で,最後に選んだ3点を全員に対して発表してもらいます。通常は各グループから一人ずつ適宜指名していき,時間の許す範囲で進めます。もっと時間があったり少人数の時などは,ここを車座になってやると効果的なようです。
講 評  5分  講師から,全体的な講評をします。

※ 対話というのが単なる言葉のキャッチボールではなくて,自分の考えや思いを伝え,相手の考えや思いを受け取り理解することだと実感していただき,その上で自分の考えをまとめていただくというのが,一つのねらいです。

(主な関心分野)
・地域の社会システムづくり
・地域医療福祉の連携システム
・組織間連携とコーディネート
公務員の組織風土変革

友人主宰の『深呼吸クラブ』(ため息を深呼吸に変える)の映像ライブラリーです。


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