橋本康男のひとり言2013年 '01 '02 '03 '04 '15 '06 '07 '08 '09 '10 '11 '12 '13 '14 '15 '16 '17 今年
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2013年12月30日
 今年も終わりですね。いろいろとあった1年でしたが,こうして年の暮を迎えられることを喜んでいます。
 一つの転機の年でしたが,結果的には,15年来の念願だった地域医療の仕事に就くことができ,個人的な活動についても新たな発展のあった,充実した年になりました。
 転職に関しては,随分波乱もあったのですが,自分が選択した結果については覚悟を決めて対応したことが,最終的には良い結果をもたらしてくれました。選択と行動をせずに愚痴を言うのではなく,自らの判断で行動することで生じた痛みは甘んじて受け入れるという方が,自分には向いていると改めて感じた次第です。
 今年もあと一日。大切に過ごしたいと思います。
 来年が,みなさまにとって良い年でありますように♪

2013年12月25日
 木曜日の夜から休暇をとって,新潟県の「官民協働した自殺対策の推進を考える研修会」の講師に行ってきました。今秋6都市で担当した内閣府の「自殺対策連携コーディネート研修」を受講された方に声をかけていただいてのことです。
 9月の研修を受講されたのがきっかけで12月には実現しているのですから,そのフットワークの良さには感心します。あれこれ理屈はいうけど具体的には何も動かない人も多いですが,このようなフットワークの良さが求められているように感じます。
 研修後,冬の佐渡ヶ島を訪ねてきました。今年9月の隠岐の島訪問に続いての念願の地訪問です。風景も食事もすばらしく満足でした。トキの公園にも行ったのですが,中国から贈られたトキが大切に育てられており,ひなも生まれて人気のようでした。日本の国籍は血統主義ですがここでは出生地主義で受け入れられているようです。多様な人を受け入れるよそ者に優しい社会づくりの可能性を感じました。
 今年もあとわずか,この1年への感謝の気持ちを持って,残りの日々を大切に過ごしたいと思います。
 メリークリスマス。

2013年12月15日
 相変わらず,あっという間の1週間で,適度な緊張感を楽しんでいます。
 18年前から3年間,県庁で地域医療係長をしていて感じたのは,医療分野は専門家は多いけれど専門家を活かす社会システムづくりの専門職は少ないので,自分を生かせる場があるのではないかということでした。そんな思いで仕事に取組み,全国標準となった救急医療情報ネットワークの立ち上げやへき地医療の支援システムなど,手応えのある仕事を楽しむことができました。
 15年ぶりにこの分野に関わることができて,やはり同じような思いを感じています。広大に転職する際の教授陣による面接の際には,「先生と名の付く職業の人とだけは一緒に仕事をしたくないと思ってきた。」と勝手なことをほざいてましたが,それは肩書にふんぞり返っている人についてであり,多くの先生方は真摯にその使命に取り組んでおられます。そういった真剣さを持って仕事に取り組んでおられる方々と一緒に仕事をすることは,充実感があります。地域医療係長時代には,「公務員には仕事が失敗しても失敗してないと言い張る人もいるけど,医師は人が死んだときに死んでないとは言いはらないからいい。」と放言してました。
 でも,そういう事実に対する真摯さは大切だと思います。
 結果に対して真摯に向き合わなければ,反省もないし,情けない思いに向き合うこともないので,成長もないように思います。出来ない自分に嫌になりながらも,それでもと気を取り直して前に向かって頑張るしかない状況の中で,力が付いてくるのだと思います。言い訳や開き直りや手抜きが通用してしまうところに,成長はないように思います。
 とはいえ,誰しも,言い訳も開き直りも手抜きもしてしまうものなので,少しでもそれを減らして,自分の中のエンジンの排気量と馬力とトルクを少しずつでも上げていく努力が大切なのだと思っています。
 今年もあと少し,最後まで気を抜かずにやっていきたいと思います。
 良い年の瀬をお過ごしください。

2013年12月8日
 本業の方も程よく充実しており,1週間の経つのが早いこと。幸せだと思います。
 先週は,復興途上国の政府職員研修と保健医療系の研修の話をいただき,少し下準備をしていました。保健医療,国際,行政とバランス良く?声をかけていただくのがありがたいと思っています。それぞれの切り口から,原点というか,本当に大切なものは何かを考える機会をいただいています。
 県庁勤務時代から,本業以外の仕事が多すぎるのではと思う人もいたとは思いますが,それらの経験が本業の仕事に幅と深さを与えてくれる面も確かにあると思いますし,内向きに縮こまってしまっていていい仕事ができる訳でもないとも思いますので,声をかけていただけるうちは,前向きにお引き受けさせていただきたと思っています。
 内閣府の6都市研修ツアーでも,お話させていただく内容は毎回大きく変わる訳ではないのですが,会場と参加者が異なると,向き合い方も変わりますし,話の重点の置き方も少しずつ変わります。その中で私自身学ばせていただくことも多かったと思いますし,配付資料やパワーポイントも少しずつ改善の工夫をしていました。
 沢山の方々と向き合ってお話することは,緊張感が高い分,真剣に向き合うことで自分自身の考えを掘り下げる良い機会になります。参加者の方を見ていましても,4時間の研修の高い緊張感の中で普段の仕事の中では気が付かないことを考えていただけるのではないかとも感じます。
 いわゆる「非日常」の経験は,マンネリに陥ることを避けるためにも,意識的に導入していく意味があるようにも思っています。私のキャリア自体が,それまでとは全く異なる「非日常」の積み重ねでしたので,その中で私なりに得てきたものを,(その幸運への感謝をこめて)皆さんと共有させていただきたいと願っています。

2013年12月1日
 もう12月です。はやいものです。
 金曜日に,内閣府の自殺対策連携コーディネート研修の6都市目になる福岡会場が無事終了し,ほっとしているところです。自殺対策というシリアスな課題に地道に取り組んでおられる民間団体の方々と行政職員との混成研修が果たしてうまくいくのかと内心では心配していましたが,杞憂に終わりました。行政職員の方々も,真剣に課題に向き合っておられたからだと思います。
 こういう研修講師をすると,終了後に参加者の方々から声をかけていただくのが実は楽しみなのですが,今回は,声をかけていただいたのが,ほとんどが民間団体側の方でした。(もちろん,行政の方も声をかけていただき,今月下旬には新潟県で同様の研修をさせていただくのですが。)でもまあ,これはこれでうれしいことです。権力もお金もない中で,自殺という重い課題に長年に亘って取り組んでおられる方々に喜んでいただけると,(不安を抱えながらも)引き受けて良かったと思います。
 「他人の苦労はいくらでも我慢できる」というのではない社会でありたいと思いますし生き方でありたいとも思います。
 帰広しましたら,JICAから2月の南スーダン政府職員研修の依頼メールが来ていました。このような,国も政府も形成過程の国の方々とお話していると,日本のような(少なくとも生存の確保という点では)恵まれた環境の中で生きている者としては,出来ない理由・やらない理由を並べ立てていてはいけないと思います。恵まれている者の責任をちゃんと果たさなければと思うのです。
 今年の残りの1か月も,大切に過ごしていきたいと思っています。

2013年11月24日
 もう来週の日曜日は12月かとおもうとびっくりします。
 今年は,県庁を退職という大きなイベントがありました。びっくりするような波乱もありましたが,結果的には,一番望んでいた道に入れたのですから,運命というのは分からないものです。
 と,1年を振り返るのには早すぎますね。全国6都市を回っている内閣府の自殺対策連携コーディネート研修も来週金曜日の福岡で終わりますし,本業の方も少しずつ落ち着いてきているので,ちと気の早い振り返りでした。まだまだ1年の最後まで気を抜かずにしっかりと頑張らなければ。
 なんだかんだといろいろありますが,こうして緊張感を維持しながら過ごさせていただけていることを,心からありがたいと思っています。その安定の儚さを感じるが故に,今のひと時ひと時を大切にしていかなければと思うのです。
 仕事が難しい局面に差し掛かってしんどい思いをしている時には,「歴史を前に動かしているのか,止めているのか,後ろに動かしているのか」という問いかけをして(大げさですけど)自分を励ましています。もっと現実的に言えば,組織が抱えている課題に気づいてそれを解決しようとする人,それに気付いても見て見ぬふりをする人,そしてそもそも気付かない人,がいます。自分がどこに入りたいと思うのかを自分に常に問いかけておくことも大切なような気がしています。
 変革に取り組むリスクを取ろうとしない人,そもそもそんな問題意識を持たない人は,自信たっぷりに心平穏に?当たり前のことをもっともらしく語って過ごしていけますが,そんな姿の自分よりも,何かに向かって歯を食いしばって必死にぶざまにもがいている自分の方がいいと思っている人たちもいます。後者の人たちの仲間でありたいと強く思っています。

2013年11月17日
 内閣府の自殺対策連携コーディネート研修が今月8日の京都に続いて15日に広島が済み,後は月末29日の福岡を残すだけとなって,ちょっとほっとしているところです。不思議なもので,地元でやる方が緊張します。
 今回の研修は,全体で4時間で,最初に私からの1時間ほどの講義,そして自分の気付きを書きとめ話し合い深めるグループワーク,間に2団体からの事例発表をはさんで,グループ毎に選んだ課題についての行動提案をまとめるグループワークと発表です。
 グループでの話し合いの時間は25分程度にして,その倍ぐらいの時間を発表と意見交換に使っています。これは,集中して議論すれば,25分程度である程度の内容はまとめられることと,それよりも,全体で,各グループの発表を聞くとともに他のグループの方からコメントをしていただくことによって,参加者全体で各グループの発表を受け止め考えることができるからです。自分のグループの「仲間内」で議論をするだけでなく,他のグループの方の意見も聞くことでそれが広がり深まっていくことを経験していただきたいと考えています。
 このような研修は,講師をしている側にもいろんな気付きが得られます。今回のシリーズでは,コーディネートは,何かをまとめる動きというよりもむしろ,関係者の議論の中で,議論が目の前の関心事に偏ってしまい大切な点の見落としが無いかという論点への目配りや,他に参加していただくべき方の必要性の検討,スケジュール的にこのような悩み方で間に合うのかという進行状況の確認など,どちらかというと脇役的なお世話係の役割が大切なのだと再確認させていただきました。
 このような気付きは,参加者の発言やグループの発表へのコメントをしている中で得られます。議論というのは,双方向での作用だと改めて感じています。
 今回の研修は,行政関係者だけでなく,いのちの電話などの民間の支援団体や自死遺族の会などの方々も参加しておられます。深刻な課題に誠意を持って取り組んでおられる方々ばかりですので,何らかの意味あるものになるようにと,毎回,真剣になります。それだけに,研修後に,特に民間団体の方々から声をかけていただくとほっとします。あと1回も大切に取り組みたいと思っています。
 この話の関連では,最近,学生時代に山に登っていた経験の価値を感じています。それは,アルプスくらいの大きな山になると,頂上が無限に遠いということを嫌になるほど何度も思い知らされることです。山に登っていると,登山道の先に見えているところが頂上だと思えますし,またそう思いたいものですが,現実はそんなに甘くはなく,そこまでたどり着くとまた遠くに頂上だと思えるところが見えて,ということの繰り返しです。これによって,自分に都合のいい期待に溺れることなく,無心に淡々と歩み続けることを学びます。同時に,それでも必死になって無心でリズムを刻んでいると,そんな無限に続くと思っていた道が終わり頂上にたどり着くことができるという経験もします。成功の唯一の秘訣は,成功するまで止めないこと,という言葉そのままの体験を何度もしたことは,大切な財産だと感じています。もちろん,現実の取組みでは,頑張っていれば必ずうまくいく,なんてことはありませんが。
 そんな経験の一つひとつの積み重なりが,現実の行動に結びついていくのだと感じています。

2013年11月10日
 先週金曜日は内閣府の自殺対策連携コーディネート研修講師で京都へ,来週火曜日は三次市の若手職員研修と行革審議委員会,水曜日は三原市の中堅職員研修で金曜日は内閣府の研修の広島会場と,まさに研修シーズンです。
 いろんな方と研修を通じてお話する中で,気付きも多くいただきます。これまで種々雑多な経験をしてきた中で,いろんな方々や偶然などにも助けられて何とか潰れずにここまでこれたことを感謝しています。そんな経験を通じて得ることができた経験を少しでも共有して,元気を出していただくきっかけになればと思っています。
 内閣府の研修は,自殺の予防,自殺をしようとしている人を止める介入,そして自殺(自死)された方の遺族や友人等へのケアなどの自殺総合対策を進める地域での連携を進めるためのコーディネート研修です。普段「普通に」暮らしていると見えないことがあります。そして,極限にまで追い詰められている方々もいます。「自殺した人たちは,死にたくて死んだ訳ではなく,目の前の苦しさから逃れるためには死を選ぶしかなかったのだ。」と聞いたことがあります。東日本大震災の犠牲者の1.5倍もの人数が毎年自ら死を選ばざるを得なかったところまで追い詰められている(そして周囲から助けられることがなかった)ことに,考え込まされます。
 同時に,全国でこの重いテーマに正面から真剣に取り組んでおられる方々にお会いして誠実で熱意溢れる取組みを聞かせていただくことで,希望も感じることができます。
 これまでに潰れずに生きてこれた幸せを感じますし,そのことを意識して大切に今の日々を生きていかなければとも強く思います。
 表面的な「幸せ」の追求ではなく,命の大切さを感じて,生きることの手応えを味わいながら日々を過ごしていきたいものだと思います。

2013年11月4日
 3連休を使って,健康福祉プランナー養成塾のアドハンストコースに行ってきました。今年で15年目ですが,その第1回からずっと講師をしています。
 最近は,「地域の保健医療福祉の連携を考える」というテーマで4時間半のコースを担当しています。3日間(半日+1日+半日)のうちの2日目の午後を担当しているのですが,前後の他の先生方のお話も面白く有益なので,何度も聞いています。いい仕事をされている方々の話をお聞きすると,私も頑張らなければと思います。
 明日から通常の仕事で,金曜日は内閣府の研修で京都です。

2013年10月27日
 あっという間の1週間です。
 今の事務所では水曜日の朝がゴミ出しの日なので,みんなで掃除をしています。私は,(楽な?)掃除機担当なのですが,なんだかしょっちゅう掃除機をかけている感じです。それだけ,1週間が経つのが早く感じています。
 先週は,今の仕事の中でも重要な指標の一つが発表されて,過去最高の数字が出てほっとしています。といっても,努力と成果との因果関係がはっきりしない数字なので手放しでは喜べませんし,また,私が着任したから数字が良くなった訳でもないのですが,まあ,運も実力の内と開き直ってみんなでとりあえずは喜んでいます。
 理由はどうあれ,前向きの話があるということは,職場のムードづくりにはありがたい話です。
 三次市の行革でも,「明るい行革」を掲げています。明るいムードで,何でもできることには手を尽くしていく忍耐強い努力のエネルギーをみんなで継続的に生み出していきたと思っています。

2013年10月20日
 先週は,三次市の行革審議委員会の第3回の会議や内閣府の自殺対策連携コーディネート研修のほか,本業の方での大切な会議もあったりして,あっという間に過ぎました。
 三次の委員会も,会議後に思いついたことをそれぞれ出していただく48時間メモの効果もあり,議論が深まっていっています。
 内閣府の研修も,名古屋会場で半分が済みました。後は,11月に京都,広島,福岡の3都市です。民間団体の方と行政職員の合同研修なので,最初は研修の一体感の醸成について少し心配しましたが,さすが深刻な課題に一生懸命に取り組んでおられる方々ばかりなので,4時間の研修に一緒に熱心にご参加いただいています。
 今週は,明日は6年目となる三原市の職員研修,明後日は行革関連でまた三次市です。休暇の残りが少ないので,ひやひやものです。でも,利益を追求しなくてもよい分理想を追求できる行政の魅力を,お役所仕事で台無しにすることなく,使命感,ビジョン,熱意を持って取り組んでいただける職員が一人でも増えていくように,お手伝いをさせていただきたいと思っています。
 嫌々やるのと,思いを持って取り組むのとでは,日々の充実感が全く違います。楽ではなくても楽しい仕事をしていきたいものです。
 行革の仕事でも,人や金を削るだけでなく,そんな組織づくりをめざしたいと思っています。8年前に会長として委員の皆さんとの議論でまとめた三次市行革の基本理念「透明,参加,選択」においても,「委縮ではなく発展,理屈ではなく行動」とうたっています。
 生きていればこそ,手足をしっかりと伸ばして,目線を高く背筋を伸ばして,頑張っていきたいと思います。

2013年10月13日
 相変わらずドタバタとやっています。週明けに開催される三次市の行財政改革推進審議委員会の第3回の委員会の準備のためにこれまでの委員会での議論と会議後に出していただいている48時間メモ(会議後に気付きを出し合うもの)を振り返っていて,いろんな方々の意見の大切さとそれをうまく生かしていくことの難しさを感じています。
 うまくまとめようという気持ちが先に立つと,思い込みが入ってしまって,素材?の良さを見過ごしたり,無理に捻じ曲げたり切り捨てたりしてしまいかねません。
 それぞれのご意見をそのままに素直に受け入れて,それぞれの価値が生かされるようにまとめていくことができるのが理想なのですが…。
 うまくいった小さな成功体験があるからこそ,みなさんのご意見を読み込んでまとめていく,こつこつと地道な作業ができるのだと思いますが,いつも思うようにいく訳でもなく。ときどき気分転換しながら机に向かい続けてます。
 来週は内閣府の研修の名古屋会場です。学生時代の4年間を過ごした街です。

2013年10月6日
 金曜日には,内閣府の自殺対策連携コーディネート研修の2回目で仙台に行ってきました。広島空港から1時間というのにびっくり。全国6都市開催の2回目でしたが,みなさん熱心に参加していただいて無事終了しました。
 そのまま土日を使って,蔵王に泊まった後,東日本大震災の被災地域をレンタカーで少し見て回ってきました。8月のチリでの講演のために色々とつけ刃で勉強した内容を思い出しながら,自然の破壊力を感じていました。同時に人間の復興力も。
 明日何が起きるか分からないけれど,今の日々を大切に精一杯生きていかなければと思います。

2013年9月29日
 初めての隠岐の島に行ってきました。以前から気にはなっていたのですが,境港から船に乗っていく必要があるため一定の日数が必要であり,行きそびれていました。広島から松江までの高速道路が完成したこと,県庁を退職したことも背中を押してくれました。
 想像以上に充実した旅でした。日本海に浮かぶ島は,厳しい自然環境の中で形づくられた断崖絶壁などの美しい風景とおいしい海産物,そして歴史と文化に恵まれていました。レンタカーと観光船,観光バスを使い,効率的に見て回れたと思います。シーカヤックにも初挑戦しました。(主催団体のブログに雄姿?を掲載していただきました。ページの下の方です。)
 有名なろうそく岩も,天気が良かった上に,たまたま遊覧船が一隻しか出なかったために好位置でゆっくり眺めることができてラッキーでした。
 来週は,内閣府の自殺対策連携コーディネート研修の2回目の仙台会場です。1回目の東京会場では皆さん熱心に参加していただきましたので,今回も充実したものになればと思っています。東京会場に参加された新潟県の行政と民間団体の方から声をかけていただき,12月にお伺いさせていただくことになりました。時々このようにして声をかけていただくのですが,いくらかはお役に立てたかと感じられてうれしいものです。
 本業の方も,気がかりになっていた案件がやっと関係者による議論の俎上に乗って動きかけたので,ちょっと安心です。問題意識の共有と議論の開始が,問題解決の第一歩です。

2013年9月15日
 内閣府の「自殺対策連携コーディネート研修」全国6都市(東京,仙台,名古屋,京都,広島,福岡)ツアー?の第1回の東京会場(関東ブロック)4時間が無事終わりました。
 行政から50名,民間団体から20名の組合せでしたので,意識揃えにちょっと心配していたのですが,みなさん普段からシリアスな課題に真剣に取り組まれておられる方々ばかりで,集中してご参加いただくことができました。ある地域からは,行政と民間側の両方から来てほしいと声をかけていただき,喜んでいます。
 これまでのキャリアで,全く事前に計画した訳でもなくまた計画できるものでもないのですが,結果として,産学官・財団・海外と多様な経験をさせていただき,しかもそれぞれの場において,お客さんではなく自分の仕事として真剣に取り組む機会に恵まれたことが,いろんな方々との議論をつなぐことに役立っており,私の財産だと思っています。
 4時間の中で,講義と個人の問題意識の掘り込みのためのグループワーク,事例発表2件,グループとしての課題解決提案のためのグループワークと発表,ピアコメントと盛り沢山の内容でしたが,参加された方々の真剣な取組みに感心させられました。
 本業の方も,4月の着任以来気にかかっていたことにやっとあれこれ取り組めるタイミングになってきました。いろんな仕事をしてきて,地道な努力をしながら,このタイミングを引き寄せることとタイミングを見逃さないことの大切さを感じています。
 来週は,初めての隠岐の島行きのためひとり言はお休みです。

2013年9月8日
 チリから戻っても相変わらずドタバタで朝3時起きが続いています。まあ,7月末にチリでのスピーチの依頼があってからひたすらその準備に没頭しており,その上1週間も職場を不在にしていたのですから,当然と言えば当然です。
 ですが,不思議なもので,追い詰められればあれこれ溜まっている案件を処理しようという気力も生まれてくるもので,帰国後の1週間でずっと気がかりだった(本業の方の)懸案事項がいくつか動き出しました。機が熟す時期でもあったとは思いますが,向き合う気力も大切なように思っています。
 来週から,内閣府の自殺対策連携コーディネート研修の6都市ツアーが始まるので,その第1回目の東京会場の準備をしています。私の講義とグループワークの間に,事例紹介を2つ入れることになっているので,その発表者の方々との打ち合わせなどです。このあたりも,これまでの経験から事前の打ち合わせと進行についての意識合わせの大切さを感じています。
 それにしても,18年前から3年間広島県の地域医療係長をさせていただいて,専門家ばかりの分野の中での私のようなコーディネーター役の可能性を感じてライフワークにしたいと思いながらも,15年間本業としては関われなかったものが,ここにきて,本業と個人的な活動の両方において多様な形で活動の場が広がっていることに,本当に幸せを感じています。
 ここに至った不思議な経緯も思い起こしながら,精一杯頑張っていきたいと思っているところです。
 (遅ればせながら,9月1日欄に,チリの写真を掲載しました。)

2013年9月1日
 昨夜,広島に無事戻りました。行きも帰りも38時間の移動時間でした。
 行きのダラスでは,乗り換え時間があまりない上に入国検査(アメリカは乗継ぎであっても全員一旦入国審査を受ける必要があります)に長蛇の列で,しばらく待ってたのですがどうにもならないので空港の係員に直訴して一番前に行かしてもらい,これまた厳しい搭乗前の検査でも自分の前に並んでいる一人ひとりに声をかけて前に行かせてもらうように頼み,検査後は空港内を走ってターミナルビル連絡電車(ターミナルビルが5つあり,それぞれのビルに40程の搭乗口があり,電車の駅も2つずつあります)に飛び乗って,電車から降りてからもまたターミナルビルを必死で走って,出発7分前に搭乗口にたどり着きました。次の乗り換え地のマイアミでは,ダラスと時差があるのを忘れてのんびりしていたら,搭乗時刻が迫っていてまた慌てたり。まあ,往復ともなんとか無事に済んで何よりでした。
 今回印象的だったのが,サンティアゴの街に観光産業の気配がほとんどなかったことです。どこの国際都市にもある免税品店や土産物屋さんを全くといっていいほど見かけませんでした。唯一,土産物屋さんが並んでいたのは,空港の出発ロビーくらいです。街中でも,他の都市にはよくある,乗り降り自由の観光巡回バスが1路線あったくらいで,観光産業にほとんど興味がないかのようです。
 さらには,英語もホテルや空港以外では,全くといっていいほど通じず。なにより,南米各国が,ブラジル以外はみなスペイン語圏なので,スペイン語で生活していれば外の世界にはあまり興味がないのではと思えるほどでした。良く言えば,自分たちの生活の中で完結的に満足しているという感じです。
 街は(私が一人で歩いた限りでは)治安も良く豊かで,少し埃っぽいけど雪のアンデスの山並みに囲まれたヨーロッパの中規模都市という感じです。南米では最も物価が高いのだとか。
 外国からの観光客におもねるでもなく,自分たちの世界を自分たちなりに楽しんでいるという,今まであまり経験のない不思議な空間でした。一人でぶらぶらと街を歩くのがふさわしい,そんな感じの喧騒とは縁のない静かで落ち着いた街でした。
 食べ物も,普通に自然で,外国にいるというプレッシャーを感じずに,淡々と過ごすことができました。

  

2013年8月27日
 チリでの災害と復興に関する国際フォーラムでの基調講演(4人の中の一人)が無事に終わりました。参加者が6−70人程度の小規模の会議でしたので比較的落ち着いて話せましたが,それでも南米各国からの政府や国際機関の関係者の前ですので,というよりも旅費・滞在費で50万円を出してもらっていることと,講演者として推薦してくれた旧知の国連機関の人物の信用を傷つけてはいけないというプレッシャーの方が大きくて,それなりに緊張しました。
 評価は自分ではできませんが,なんとか好意的には受け止めていただけたかと(都合よく)受け止めています。それよりも,参加者の中でスペイン語が話せないのは私一人という環境が異質でした。ブラジルを除く南米各国がすべてスペイン語という特別な環境を改めて感じました。一つの大陸の人々のほとんどが同じ言語で通じ合えるというのは大きな力になりうるのではと感じました。
 会議の進行はすべてスペイン語で,発表も私以外はすべてスペイン語という状況と,当初の議事日程よりも実際の進行がかなり異なっていてもそれなりに調整してしまうというおおらかさ?も新鮮でした。
 会議の後には,同じく基調講演をされた,カザフスタン出身で広島大学で博士号を取りチリ人と結婚して4年前からチリに住んでいる方に日本語でサンティエゴの街を案内していただきました。4年前にチリに来たというのにスペイン語での1時間弱の講演をこなしてしまうということだけでなく,多様性の概念をはるかに超えた(と感じられる)人生に圧倒されます。
 自分が置かれた環境の中で日々を過ごしているというのとは違った世界で,文字通り頑張っておられる姿に,考えさせられました。

2013年8月26日
 無事,チリに着きました。日曜日の朝8時半に家を出て,広島空港から羽田・成田,そしてダラス,マイアミと乗り継いで現地時間の月曜日の朝(日本は月曜日の夜)8時にチリ・サンティアゴ空港に着き,9時半にはホテルに到着しました。家を出てからホテル到着まで38時間の長旅でした。途中,アメリカ国内の乗継では,空港審査に時間がかかるなどで2度も乗り遅れそうになるなど文字通りたどり着いたという感じです。
 とりあえず一息です。
 まずは,明日のスピーチをしっかりやらねばと思っています。なにしろ,航空券代と宿代を含めると1時間の話に約50万円も投資していただいたことになるので,プレッシャーもあります。
 とはいえ,できることしかできないので,そのできることを精一杯やることです。

2013年8月25日
 日赤広島看護大学の一日で6コマ9時間の集中講義が無事?終わりました。朝8時45分から夜7時15分までの長丁場は,受講する方も大変だったと思います。元々は2日間に分けて行う予定だったものを,チリに行くことになったため,無理やり1日にお願いしたものです。
 でも,全員社会人の大学院生でしたので,現場での苦労もされており,共感するところも多く,楽しく担当させていただきました。やはり私は社会人向けがいいなと改めて思った次第です。
 心配だった航空券も,出発前々日の金曜日の夕刻に無事届き,なんとか行けることになりました。片道36時間の3泊7日のハードな旅ですが,精一杯やってきたいと思います。
 とはいえ,昨日の夜になって,受講者のためにプレゼンは英語ではなくスペイン語に翻訳したものでやって欲しいとのこと。スライドを全く読めずに1時間はしゃべれないので,真剣に悩んでいます。まあ,サンチャゴ着までは時間があるので,道中,悩みながら行きたいと思います。
 来週の日曜日には,無事に帰還報告ができますように。
 それにしても,7月25日の夜に突然ジュネーブから電話で依頼されてから丸1か月,ほぼ毎日朝3時起きで準備をしてきました。最近ではすっかり時差調整ができて,自然に3時に目が覚めるようになりました。今までも,折々にこのような,普通考えれば到底無理だと思えるようなことにドタバタと必死にもがいて準備する中で,少しずつ力が付いてきているように思います。スポーツと一緒だと思います。

2013年8月18日
 相変わらず毎朝3時起きの生活です。チリでのプレゼンもなんとか形になりつつある?ものの,肝心のリハーサルはまだ一度もやっていない状況です。航空券もまだですが,相談している日程では,今度の日曜日の朝広島空港を出発して土曜日の夜に広島空港に戻ってくる計画です。片道,乗り換えを入れると約36時間かかるので,7日間といってもホテルに泊まれるのは3泊だけで,あとは飛行機の中です。これで,しゃべるのは1時間なのですが…。
 来週は,本業の方で,地域医療を志す医学生の現場の医療機関訪問体験行事があり,私も月・木は現場を回ります。とはいえ,月曜日の夜から上京して,国立精神保健研究所主催の自殺総合対策企画研修に火・水と参加(一応主催者側の端っこです)して水曜日の深夜帰広。木金の夜は医学生との懇親会が続き,土曜日は朝8時から夜7時まで日赤広島看護大学で非常勤講師として6コマ連続の講義,で翌朝7時に家を出てチリへ,です。
 ということで今度の日曜日はこのひとり言も書けそうにはありませんが,チリで無事基調講演が済んで余裕があれば,地球の反対側からのメッセージをお届けしたいと思います。悩みは,向こうが冬だということで,着るものの準備です。先ほども汗をかきながら冬物を出していました。学生の頃登っていた(日本の)アルプスでは,3000メートルでテントを張ると,ウールの山シャツなどありったけのものを着ててもまだ寒い経験をしました。4畳半のアパートで汗びっしょりでウールをザックに詰め込んでいたことを思い出します。
 準備というのは,そういうことですね。目の前の必要性を感じなくても,それが馬鹿げたことだと思っても,先を見て必要なことをやっていくことだと思います。
 でも,実際に痛い目に遭ったことがなければ,そこまで準備することはないだろうと,自分の都合で楽観的に考えて手を抜いてしまうこともありがちです。失敗した経験が大切な理由だと思います。
 もう一点は,新しいことに関わる時の不安感です。今回のチリの件でも,未だにドタキャンになるのではという漠然とした不透明感があります。そもそも,1か月前に,チリで(門外漢である私に)災害からの回復力の国際フォーラムで基調講演をしてくれという話があること自体が普通は考えられないことであり,いつ話が消えてもおかしくはありません。全力で準備をしててもドタキャンになったら意味ないじゃんという後ろ向きの不安が出てきます。そんな中でも,もし具体化した時のために不安のささやきに負けて手を抜くことなく全力で準備を続けるというのは,簡単なことではありません。
 これまでの経験から,そのような状況の中で頑張り続ける大切さを感じています。30年近く前に全国初の県職員の商社派遣制度を実現させた時も,シンガポール広島事務所の開設手続きに走り回っていた時に某中央省庁の非協力的な職員たちに実現は無理だと言われていた時にも,それでもやるべきことを必死になってやっていました。「一生懸命が恥ずかしくない環境づくり」が大切という言葉を思いついたのもその頃のことです。能力不足で失敗するのではなく,不安に耐えられなくなって失敗するのだという意識です。
 今まで経験したことにない時に直面した時に,いろんな意味で違いが出てくるのだと感じています。

2013年8月11日
 先週は,月曜日に三次市の行革推進審議委員会の第2回会議,水曜日にJICAの復興途上国政府職員研修と個人的な活動が続きました。三次市の方は,地域の人口減少が続く中で,最悪の状態への対応を想定した上で,それに対してどのように地域の魅力を創り出していけるのかを話し合いました。JICAの研修では,行政組織が自分の世界に閉じ籠って社会との対等な土俵での対話ができないということのないように自省する必要があるという部分に反応が良くて,しばらく話し合いました。国や豊かさ,置かれた状況は大きく異なっていても,社会と住民のための仕事をしているという部分では共感,共有できるものがあります。このように通じるものがあるということを実感として経験する機会を何度も経験させていただいていることをありがたいと感じています。
 先週ちょっと触れたチリの話は,先々週の木曜日に突然イタリアから電話がかかってきて,8月下旬にチリで開催される災害と復興の国際フォーラムで基調講演をしてほしいという,もうどう考えてもすっかり冗談に近いような話です。初めての話はとりあえずは受けるというダボハゼ根性で引き受けたものの,冷静に考えるととんでもないことで,ここ10日ほどほぼ毎日3時起きで準備をしてきました。とりあえずのものは用意してみたのですが,所詮素人の域を出ません。とはいえ,災害については素人であっても,社会の姿については仕事として関わってきたのですから,何らかのメッセージは届けたいと思っています。
 とはいえ,まだ半分疑心暗鬼で,やっぱり無かったことにしてほしいと言われるのではないかという思いもあります。まあ,それでも,この10日間ほど(昼間は真面目に働きつつ)必死になって努力したことは無駄にはならないかなと…。
 8月には,まだ,厚労省系の自殺総合対策企画研修のお手伝いや日赤広島看護大学の集中講義もあり,9月になったら,内閣府の自殺対策連携コーディネート研修の6都市ツアーも始まるので,暑い日々が続きます。
 とはいえ,こんな経験は望んでもできるものではないので,心のどこかでは今のドタバタを結構楽しんでいます。どうなりますことやら。
 もちろん,本業の方は,15年来の念願だった地域医療の仕事ですので,真剣に頑張っています。結構全体が相互に関わり合いがあるのが,面白さです。

2013年8月4日
 もう8月です。先週木曜日には6年目となる香川県庁のグループリーダー候補者研修(4時間)へ行ってきました。毎年行っていても年毎に新たな発見があります。今年は,グループ発表へのコメントをしていて,現場主義で現場に行くべきというのは言葉としては確かに大切なことだけれども,ただ現場に行っても人々から本音を言おうと思ってもらえなければ形だけに終わってしまうよ,と語りながら,これは大切なことだと改めて自分自身振り返っていました。対話の中で,相手の話に反応して語っている自分の言葉の中で,自分自身新たな発見や再確認をすることは少なからずあります。
 これが,対話の面白さなのだと思います。対話は生きており相互刺激であるので,相手次第で自分の言葉や反応も異なっていきます。
 別の機会にも,自己主張について話をしている中で,自分の面子をかけて主張をするのではなく,争点を意識的に立てて生産的な議論を生み出すための主張が必要だという話になりました。自分の満足のための対話ではなく,組織や社会の満足のための対話によって変化を生み出していくことが自分の貢献なのだと,自分で話していて自分で納得していました。対話の相手の大切さを感じています。
 明日は,三次市行財政改革推進審議委員会の第2回委員会,水曜日はJICA研修です。このところ3時起きを続けてチリの準備に取り組んでいますが,使える時間が3週間しかないということが大きなプレッシャーになっています。とはいえ,できるところまでしかできないのだからという割り切りもあり,それなりに楽しんでやっています。常識的に考えれば断った方が遥かに安全な案件だったのですが,いつもとりあえず引き受けてから悩むことを繰り返している中で,少しずつ筋力と集中力が付いてきているのではないかとも感じています。できることの積み重ねだけの世界とは違う世界を経験できているようにも感じています。

2013年7月28日
 また2週間空いてしまいました。先々週から自宅の仕事部屋の改装をしていたこと,先週の日曜日夕刻には,以前からお付き合いのある医師会の先生の叙勲受賞祝賀会の司会を頼まれていたこと(翌朝,厚労省の会議があったので,祝賀会終了後名古屋までなんとかたどり着き会議に出席しました。)などなど,余裕のない生活を送っていました。
 数日前にジュネーブから電話があり,8月末にチリで災害と復興のフォーラムがあるので旅費は出すからスピーチをしに来ないかとのこと。今年は,内閣府から,自殺対策連携コーディネート研修の全国ツアー6都市も頼まれ,自殺予防総合対策センターの研修会にも顔を出すことになっており,県庁を辞めても緊張感の高い日々を送ることのできる幸せを感じています。来週は,6年目となる香川県の管理職登用研修,再来週は,会長を務める三次市行財政改革推進審議委員会とJICAの紛争復興国政府職員研修です。JICAの方は,アフガニスタン,コートジボアール,リベリア,ネパール,パキスタン,南スーダン,イエメンの方々と約2時間を過ごします。。
 もちろん,本業の方も,15年間来の念願だった地域医療分野の仕事ですので,一生懸命にやっています。私の場合は,地域での社会サービス分野の組織や人の連携が主テーマですので,今のように,保健・医療・福祉と行政,国際分野のそれぞれにご縁があるのがいいバランスだと感じています。紛争・内戦等から復興過程の外国政府職員の方々と話をしていると,社会のそして行政の原点といったようなものを真剣に考えるようになります。なにしろ,彼らは文字通り自分の命を賭けて自分の国や社会や人々のために働いている訳ですから。
 2週間前にも書きましたが,あれこれと想像もしなかったような新たな展開が起きているので,結果としては多様な経験機会に恵まれてきた者としての責任をしっかりと果たしていけるように,頑張っていきたいと思っています。
 新たな仕事は新たなチャレンジですが,ビビッていても仕方ないので,最善を尽くせるよう頑張ります。

2013年7月14日
 毎日の暑さにもへこたれず,元気にやってます。というか,相変わらず頼まれごとが多くて,(本業も楽しく頑張ってやりつつ)毎朝4時前後には起きてそれなりに真剣に集中してやっているので,張りが続いています。
 つくづく,幸せだと思います。
 これまでの37年余の社会人生活の中で,産学官・財団・海外と経験させていただけたことはありがたいと思いますが,なにより,転機毎にそれまでの実績や評価や人脈が白紙になる経験を何度も経験できたことが,何よりの財産だと思っています。もう一度やってみろと言われても,自分の力だけでできたものではなく,沢山の支援していただいた方々,そして多くの偶然と幸運の賜物なので到底できるものではないと思います。それだけにこれだけの幸運の積み重ねにに恵まれた者として責任を重く感じています。
 今が毎日幸せだと思えるのは,そのような多くの方々に支えられて私自身が多様な経験をさせていただく中で身に付けることができたものを,いろんな形で役立てさせていただける機会に本業でもそれ以外でも恵まれていることです。
 そうでなければ,私一人の満足で終わってしまいます。それで終わってしまえば,本当に申し訳ないと思います。
 しかも,地域医療,行政,国際の各分野でそれぞれに関わらせていただけていることが,やりがいになっているとともに,いい緊張感を生み出しています。
 最近,会う人に「若くなった」と言っていただくことがあり,素直に喜んでいます。

2013年7月7日
 七夕ですね。
 なんだか,そんな風情に浸る余裕もなく,日々ドタバタと乾いた状態で過ごしているような気もします。それはそれで,悪くはないですが。
 昨日は,20年近いお付き合いの医師会の先生から頼まれた叙勲祝賀会の司会の打ち合わせ。頼まれれば何でも引き受けてしまうのが良いのか悪いのか分かりませんが,おかげで経験の幅は広がっていきます。
 先週火曜日には,広島県北の三次市の行財政改革推進審議委員会に休暇を取って出席しました。8年前に大学を辞める前後に2年間会長をしていたのですが,今回また会長に互選いただきました。西中国山地の拠点をめざして,地方の可能性を切り拓いていくお手伝いができればと思っています。
 昔,29連休を取って家族でタスマニアに行き自炊の小屋泊まりで島を回った時に,ほんの数軒しか家がない集落でも,それぞれの家がおしゃれに見えたことが印象的でした。くすんだ色に閉じ籠ることなく,生きていることを楽しんでいるよというメッセージを意識的に発信していくことは大切なことだと思います。
 人もそうなのだと思います。「難しい仕事は難しい顔をしていてはできない」と最近,研修ではよく言っているのですが,明るい顔をしていなければ,人も情報も,そして幸せも近寄って来ないのかもしれません。楽しいかどうかではなく,楽しいと口に出して言うことができるかどうかが大切なような気がしています。
 星が見えても見えなくても,夜空を見上げてみる気持ちも大切かも知れません。

2013年6月30日
 金曜日には,アジアの勉強会?の仲間が転職祝いの会を開いてくれました。こうやって,いろんな仲間に声をかけていただけることを本当に幸せだと思います。
 特に今年は,ある学長から国際分野の取組みを強化するために来てくれないかと声をかけられながら土壇場でキャンセルされたためあわや1年間無職無収入になりかけましたので,その分余計に今の幸せを噛みしめています。
 4月以降血圧が平均で15程度下がりました。職場の隣席のドクターに言わせるとストレスの違いだとか。今の仕事にも,もちろん緊張感を持って一生懸命には取り組んでいるのですが,国際と平和の広範囲な分野において先が見えない中で新たなものを模索しつつその他の仕事についてもミスをしないように緊張感を維持しようと努力していた時には,自分が意識してなくても結構ストレスがあったのかと振り返っています。
 県庁を辞めた後も,いろんなところから声をかけていただくおかげで,責任感と緊張感を感じることは少なくないので,いい緊張感を大切にしながらいい仕事をしていきたいと思っています。
 週末は大阪で医師確保のための臨床研修病院のPRイベントでした。就活の難しさが問題となっている世間の状況とは正反対の売り手市場です。医学部定員は拡大されているのですが都市部への医師偏在による中山間地域の医師不足はまだ続きそうです。

2013年6月23日
 ちょっと一息の週末です。4月から新たに地域医療の仕事に就いて,いくら個人的な活動で関わっていたとはいえ,地域医療分野を本業とするのは15年振りですので,読むべき本も多く,業務の課題を整理し方向性の見直しをして,しかるべき方々の場で問題提起もし,会うべき先生方も多くてと,緊張感が続いていました。
 先週は2人の先生方と実のある話ができて,ほっとしたところです。口先でもっともらしいことを言うのではなく,この分野に対する基本的な考え方や仕事への向き合い方を信頼していただくことが,いい仕事をしていくためには必須です。もちろん,そのような信頼は,実際に一緒に仕事をさせていただく中で築かれていくものですが,とりあえずの入り口の信頼を得られなければ何も始まりません。
 そういう点で,結構真剣に(かつ肩の力を必死になって抜いて)話をさせていただきます。医療の世界は,仕事そのものが人の生き死に直接的に関わっておられる方々の世界なので,こちらも真剣さをもって向き合うことが大切になります。そのあたりが,この分野の方々と一緒に仕事をさせていただく面白さかもしれません。
 いずれにしても,こうして真剣に取り組める仕事に恵まれた幸せを大切にしながら,頑張っていきたいと思っています。

2013年6月16日
 あれ?,また2週間ぶりになってしまいました。先週末は,金・土と東京,自治医大,浜松に出張しており,日曜日は友人の船で釣りに連れて行ってもらっていたので,バタバタと終わってしまいました。
 まあ,このくらいで過ごしているくらいがいいのかもしれません。
 本業の方も,相変わらず楽しくやっています。15年ぶりに地域医療を本業としてみて,改めて,専門家を活かす専門職の必要性や,システムづくり・体系化のできる人材の必要性を感じています。いろんな役割をする人がいて,物事はうまくいくのだと思っています。
 このほか,相変わらず本業以外に声をかけていただくこともあり,バリエーションを楽しんでいます。医療,行政,国際の3つの分野にほぼ絞られていますが,それぞれに相互につながっているように感じます。国際でも,紛争後国の政府職員への研修は,行政の原点を考えるものですし,行政でも,行政改革や地域づくりを考えれば医療とつながってきます。
 これまでの支離滅裂で雑多な経験が,少しずつつながって結びついてくるのを楽しく眺めているところです。
 まあ,どの仕事も,なぜ何のために何をめざすのかを考え,社会の底流変化と問題の全体像を掴み,課題の体系整理をして問題解決の着手点を見つけるという点は同じだと感じます。

2013年6月2日
 金曜日の昼前から休暇を取り,土曜日にかけて広島県の県北の三次市に行ってきました。8年前に大学を辞める少し前に,行財政改革推進審議委員会の会長(2年間)を頼まれて以来のお付き合いです。
 今回は,若手職員の研修が中心だったのですが,いつもながら,職員のレベルの高さに感心します。中山間地域で他に働く所が多くないという面もあるからかもしれませんが,いずれにしても,これだけのレベルの職員がいるのですから,その能力と可能性を大きく発揮してほしいと思います。
 これからいくつかの分野で関わりが続きそうですので,この人材の活躍の場づくりに参加させていただけることを楽しみにしています。
 日本全体で人口が減り,地方交付税の広域合併の特例措置も段階的に減額され,新たな産業の立地も大きくは期待されない中で,自分の地域で夢と誇りを持って暮らせる地域づくりの大切さが増しています。
 地域の力を引き出し応援し発揮させる地方自治体の役割が大切だと感じました。
 余談ですが,広島駅から三次駅までは芸備線で70km足らずなのに単線であるため2時間近くかかります。高速バスだともっと早いのですが,私は常に鉄道です。沿線の景色が美しく,必要ならパソコンで仕事もできるので,時間が全く苦になりません。このようなところにも,地方の魅力を生かしていくヒントがあるのではないかと思っています。

2013年5月26日
 新しい仕事に移って2か月近くが経ちました。15年前に,それまで3年間やった地域医療係長の仕事から離れて以来,ずっと個人的な活動として取り組んできた地域医療の分野を本業とすることができて,やりがいを感じるとともに仕事として取り組む責任も感じています。
 ここ15年間は,地域医療の専門家ではないけど,産官学・財団・海外と多様な経験をしてきた者として,保健師,医療ソーシャルワーカーをはじめとする地域医療の現場で頑張っておられる方々に,いつもとはちょっと違う角度からの物の見方や考え方のヒントを提供するというような関わり方が多かったのですが,今の仕事では,医師の確保など地域医療の充実のために具体的な成果を挙げることが求められます。
 これは仕事なので当然のことなのですが,即効性のある成果を出すことと,将来のために必要なこととその優先度をつかんで打つべき手を打っていくことを並行して進めていかなければならず(当然ですが),その適度なバランスがちゃんと取れるようにちょっと緊張して取り組んでいます。
 この本業のほかにも,行政職員の研修や行革のお手伝いや外国政府職員への研修などにも声をかけていただいており,地域医療・行政・国際がうまくバランスを取りながら続けていければと思っています。
 今日と再来週末は,18年間続いている三原市の中学生交流のお手伝いで,来週末は三次市の職員研修と続きます。
 嵐の中のようだった行政の現場から離れてみて,行政や政策について,少し落ち着いて考えられるようになってきたように感じています。夏に頼まれている日赤広島看護大での看護政策論の集中講義の準備も,頭の整理をする良い機会となっています。
 そんな成果を,このホームページでもご紹介できればと思っています。

2013年5月19日
 気が付くと,先週のひとり言を飛ばしてしまっていました。別に毎日曜日に必ず書くと決めている訳でもないのですが,なんとなく習慣になっているのに。理由といえば,新しい仕事での今後の基本的な取組みの方向の提案・議論ペーパーづくりで頭が一杯だったから,でしょうか。
 やはり,「なぜ何のために何をめざして」を整理することが大切だと思いますし,それをスタート早々にまとめることが大切だと考えています。まだ立ち上げから2年経っていない若い組織であり,これまでの立ち上げ当初の時期に,初期メンバーが本当に一生懸命に頑張って実績をつくっていただいているので,それを踏まえて,今後の方向性の全体像を整理したいと,私なりに集中していました。
 なんとかそれをテーブルに載せるところまで持ち込むことができ,ちょっと一区切りです。37年の県庁生活の折り返し点の18年前から3年間,地域医療係長として関わって以来,本業での仕事にはなりませんでしたが,個人的な活動として15年関わってきたことが,やっと一つにつながりつつあります。自分がめざしたい仕事ができる幸せを実感しつつ,それゆえの責任も感じながら,(内心では)必死になってやっています。
 昨日は,朝4時半自宅発の5時出港で,地域づくりの先達として尊敬している友人の船で2人で釣りに出ました。美しい瀬戸の日の出を見た後に,大型のメバルの入れ食い状態で(船主で船頭の友人の力です)心も物欲も満たすことができました。町内会長だけに頼らない,地域の多様な団体の代表者が対等の関係で集う仕組みを10年がかりで作り上げてきた友人と,釣りに集中しながら?地域づくりの話をずっとしていました。
 今の仕事は地域医療の医師の確保が中心ですが,そのためには,地域医療を志す医師のやりがいと達成感が不可欠であり,そこでは,サービス供給側の連携とサービス利用者支援側の連携,そして生活の場としての地域づくりが必要となります。この点で,これまでの経験が一つにつながりつつある感じがしていて,頑張らねばと真剣に思っています。

2013年5月5日
 もう5月です。37年間勤めた広島県庁を退職したものの,翌週から広島県地域保健医療推進機構の地域医療推進部長としての新しい仕事を始めたので,あまり環境が変わったような気はありません。
 ただ,念願の地域医療分野の仕事であり,これまで15年間個人的な活動として地域医療関連の人材育成に関わる中で得ることができた色んな経験や知識がやっと一つにつながりだした感じがあり,わくわくしています。もちろん,浮かれている余裕はなく,ちゃんと足元をしっかりさせて成果を挙げていかなければならないのですが。
 新しい仕事に移ってもう1か月が経ち,2か月後には機構と地域医療推進部の発足2周年を迎えるので,しっかり方向性を整理して,歯車のかみ合った仕事をしていきたいと思っているところです。幸い,友人知人のネットワークもあり,やりたいことも多々あるので,当分,夢中で楽しめそうです。
 連休には,松本で働いている息子夫婦が帰省し,娘夫婦も来てくれて賑やかに過ごしています。
 それぞれの人がそれぞれの場所で生き生きと安心してそれぞれに輝いて暮らせる社会づくりに,ささやかでも参加し貢献していきたいと思っているところです。

2013年4月28日
 朝3時半です。年間通して,4〜5時に起きています。研修講師準備などが立て込んでくると3時台もありますが。今日はさっき目が覚めて,連休だから(睡眠が短めでも)いいかと起き出しました。昨夜は10時過ぎに寝ました。このあたりの生活リズムが一番調子がいいように感じます。
 元々は夜型だったのですが,大学に移って,集中して書かなければいけない研究レポートなどが増えたことで,自然に朝型に変わりました。仕事を家に持ち帰るのは好きではなく,自宅では地域医療のコーディネーター研修や国内外の行政職員研修の準備などをやっていたのですが,4月から地域医療が本業になったことで趣味?と仕事が一つになったので,しっかり頑張らねばとわくわくしているところです。
 今年から,自宅から徒歩圏内にある日赤広島看護大学の非常勤講師もさせていただけることになり,夏の集中講義で大学院の看護政策論の一部をお手伝いさせていただく予定ですので,これも本業への励みとなり,ありがたいことです。
 そういえば,早起きの始めにひとり言を書いておこうと思って日付を見たら2週間ぶりになっていて??。先週の日曜日は,18年間手伝っている三原市の中学生のシンガポール交流の学生選考会で朝から出てましたのですっかり書き忘れてました。午前中は尾道の老母のご機嫌伺いに行ってその元気さに圧倒され(93歳!です),午後は中学生相手に1時間程,違いを認め受け入れ尊重する国際化の話をした後に午後5時半まで面接と選考会で,終わってから三原名物の酔心ワンカップを買って在来線で2時間近くかけて帰ると,もう何も考えずに寝てしまいました。それにしても,18年間,市内の色んな団体を巻き込んで,事前に3か月間毎週事前研修を行った上で双方向の交流を続けている三原市の取組みには頭が下がります。「税金で子どもに海外旅行させる」というような事業とは一味違うものになっています。
 仕事の方は,相変わらず楽しくやっています。本業となると勉強すべきことも多いのですが,これまで片手間でしかできていなかったことがつながっ行く感じで,手応えを楽しんでいます。チームのムードも良く,これを成果に結び付けていかなければと,責任も感じているところです。
 それでは,仕事モードに入ります。

2013年4月14日
 あいかわらず,ご機嫌で毎日を過ごしています。これまで個人的な活動として片手間でしか関われていなかった地域医療分野の仕事に本業として取り組めるので。15年間のブランクを越えてつながる方々もいらっしゃり,ありがたいことです。
 とはいえ,解決すべき課題は簡単ではなく,しっかりと取り組んでいかなければと思っているところです。新しい職場は,1年9か月前に立ち上がったばかりであり,立ち上がりの熱気がまだ続いています。みんなで力を合わせていい仕事をしていこうというムードがあり,それもご機嫌の理由の一つです。折角の良いチームなので,課題を広くとらえ,大きな視点で,本質的なものを大切にして,チームワークとフットワーク良く頑張っていきたいと思っています。
 先週の火曜日の夜は,旧知のマスコミ関係の友人2人が祝いだとさそっていただき,(極めて珍しく)痛飲しました。仕事での接点は全くと言っていいほどないのですが,気の合う仲間で盛り上がって飲み過ぎて…。帰宅後,泥酔状態で爆睡して風邪を引いたらしく,週の後半は大変でした。
 でも,気を許して語り合える人たちがいるというのは,ありがたいものです。自分がいいなと思う人にいいねって言ってもらえることが最大の幸せだと改めて感じたところです。
 体調もやっとなんとか回復しつつあり,明日からまた気を引き締めて頑張ります。県庁を退職してみて,改めて,産学官・海外・財団での経験など,幅広い経験をさせていただいたありがたさを感じています。これからも,これをできるかぎり社会に返していきたいと思っています。

2013年4月7日
 新しい仕事が始まりました。ちょっといい感じです。
 新しい仕事は,15年前に地域医療から離れた時にまさにやりたかった仕事につながっていて,まるで時計を15年巻き戻した青春気分です。(ちょっと得した気分)
 以前お付き合いのあった方々とのご縁も残っており,ここ15年間に個人的な活動として関わってきた,国立精神保健研究所関係の研究活動や,自治医大とその財団のコーディネーター研修やそのほかでの保健師や医療ソーシャルワーカーさん等の研修などを通じてのご縁もあり,いろんな可能性を感じています。
 県行政の仕事も一応所定の期限まで勤められた上で,次のステージにおいて,非営利の社会サービス分野における社会システムづくりのための組織連携とコーディネート人材の育成という,個人的な関心分野につながる仕事に関われることを素直に喜んでいます。
 とはいえ,目の前のやるべきことをやり果たすべき責任をきちんと果たすのが先決ですので,新しいチームの皆さんと一緒に頑張っていきたいと思っています。
 先週は,私の机のあたりに床からの突起があって座りにくかったので,みんなに協力していただいて事務所全体の机の位置を少し動かしていただきました。みなさんフットワーク良く協力していただいて,いい感じでした。改善のために体を動かしての具体的な行動がみんなでできるということは,いい仕事をする基本だと思います。

2013年3月31日
 みなさま
            私こと
 この3月末で,国際部長を最後に広島県を退職いたしました。
 昭和51年に県庁に入って以来37年,商社出向,シンガポール駐在,財団出向,広島大学への4年3か月の転職と丸10年県庁外で仕事をする機会に恵まれました。産学官・財団・海外と多様な経験をさせていただけたことが,私の財産だと感じています。
 また,新空港の立地計画,産業振興,全国標準となった救急医療情報ネットワークなどの地域医療,人づくりビジョン,国際平和拠点ひろしま構想などなど,多様でやりがいのある仕事に恵まれたことを本当に感謝しています。
 個人的にも,自治医大の財団主催の健康福祉プランナー養成塾やJICAの外国政府職員研修など,保健医療,国際,行政を中心に人材育成に関われたことを幸せだと感じています。
 この間,多くの皆様方に大変お世話になりましたこと,心から感謝しております。多くの方々に助けられてこその37年だったと,しみじみと振り返っております。
 4月からは,(公財)広島県地域保健医療推進機構に地域医療推進部長として勤務する予定です。私自身のテーマである,非営利の社会サービス分野の組織連携とコーディネート人材の育成への関わりを深めていけるものと楽しみにしています。
(〒734-0007 広島市南区皆実町1−6−29,TEL:(082)256-2011,FAX:256-2026)
 公務員生活を終えるに当たり,改めて,これまでいただきましたご恩に深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
 皆様方には,ぜひ,引き続きのご厚誼とご支援をいただければと願っております。
 どうか,引き続き,よろしくお願いいたします。
 草々
 平成25年3月
   橋本 康男
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 ということで,37年の一区切りです。
 退職辞令交付前日も東京出張と,相変わらずのバタバタ生活で,しんみりとこれまでを振り返る余裕のないまま,一昨日,退職辞令を受け取りました。とはいえ,職員章のバッチを外した時には,ふっと肩の荷が下りた感じがしました。やはり,公務員として恥ずかしくない責任ある仕事をしなければという緊張感があったと思います。もちろん,これからの仕事でも,社会への責任感は意識しながら,誠実に取り組んでいきたいと思っています。
 新職場が希望分野ということもあり,後ろを振り返ることもあまりないのですが,これまで陰に陽に私を助けていただいた方々のご恩だけは,改めて深く強く感じています。「組織の流儀」に従って過ごすことが美徳とされる公務員組織の中で,20代からずーっと自分がやりたいこと(社会と組織のためにやるべきだと思うこと)に積極的に取り組んできた私を煙たく思われた方々も中にはいらしたと思いますが,同時に,応援していただいた方も少なからずいらっしゃいました。
 そうした方々からの応援に応えるだけの仕事をしたのかと考えるといささか心もとないところもありますが,最後の最後まで一生懸命にジタバタやり続けたことでお許しいただきたいと思っています。
 新しい仕事は,ここ15年ほど個人的な活動として取り組んできた分野です。仕事として取り組む以上は,まずは目の前の責任をしっかりと果たし,その上で,自分なりのものをつけ加えていきたいと考えています。みなさまの引き続きの応援をお願いします。

2013年3月24日
 昨夕,姪の結婚式に神戸に行き,一泊して神戸の街を歩いてきました。プライドを持った元気な街という感じです。日本のどの地方もそうであれる筈なのだと思いながらも,考えてしまいました。
(もちろん日本でもそうした地域はあるとは思うのですが)外国の田舎町に行くと,なんというか瑞々しさ,楽しさ,色気?を感じられることがあります。一軒一軒の家々が,自分を主張していて,その家の住人が自分の生活を楽しんでいるよ(楽しもうとしているよ)と,語りかけてくれるかのようです。
 幸せかどうかよりも幸せであろうと思えているかどうかが大切なような気がしています。
 あと1週間で,広島県庁を退職です。感傷も後悔もなく,淡々と次へと進んで行く感じです。
 ただ,これまで応援して支えていただいた多くの方々への心からの感謝とともに。

2013年3月21日
 退職まであと10日です。といっても,今日明日は休暇を取って連れ合いと温泉旅行なので,実働は来週の5日間です。
 これまで「強引マイウェイ」で好きなように?やらせていただいてきたので,感傷に浸ることもなく,淡々と過ごしています。ただ,その中でも,本当に沢山の方々に本当に山ほどお世話になってきたと,しみじみと振り返っています。
 いわゆる保守的な役所の世界に居ながら,これだけやりたいようにやってこれて,しかも潰れずにここまで来れたのは,そんな私をみて,また橋本が勝手なことをやっていると(たぶん)苦笑いをしながらも仕方ないなと蔭に日向に助けていただいた先輩や同僚がおられたからであり,また,役所の外で出会うことができた数多くの方々との交流があったからだと,本当にありがたく感じています。
 全国初の商社研修をヒラの時に提案し自分で行かせていただいたものの「何をしてもいいから自分で自分の仕事を探せ」と言われて茫然とした時,自分から手を挙げてシンガポールに着任したものの金もなく英語も通じない中でどうやって成果を出せばいいのかと立ちすくんだ時,声をかけられたはずみで大学に転職したものの個人商店の集合体としての大学でどのように組織としての連携を進めていけばいいのか先が全く読めず足元が崩れそうな不安に襲われた時,このほか,役所の中でも,数多くの新たな取組みを言い出し手を出して壁にぶつかって立ち往生した数えきれない経験,そんな時,常にいろんな人との出会いやつながりが,道を拓いてくれました。
 つくづく恵まれてきた,運が良かったと思います。とはいえ,「運も実力のうち」とほざく図々しさも持ち合わせていますが。(度胸と腕力と感性)
 人との付き合いもそうです。自分から,「余計なこと,要らんこと」に手を出し続けたからこそ,そのような人との出会いが生まれた訳で,またそのように人との出会いを積み重ねてきたからこそ,次の「余計なこと,要らんこと」に手を出し続けることができたのだと思います。そんな新たな模索をする地に足がつかない不安定な状態の中で,いろんな方々に迷惑もかけてきたと思います。
 それでも助けていただけたのは,目の前の損得ではなく組織や社会の未来のために必要かどうかを判断基準にしようと意識的に努力してきたからだと,自分勝手に思っています。大げさに言えば,ささやかでも,歴史に恥ずかしくない仕事をしたいという思いです。歴史の歯車を前に回しているのか止めているのか後ろに回しているのかを常に問い続けてきたと思います。大げさなことを言っているようですが,本当にしんどい時には,そんな思いが自分を支えてくれたように思います。そして,そういった思いを共有できる友人たちに出会うこともできました。
 それが,この退職が単なる通過点の一つと思わせてくれるのかもしれません。

2013年3月17日
 昨夜,広島の被爆後の復興に尽力された初代公選市長の浜井市長をモデルにしたドラマ「ヒロシマ 復興を夢みた男たち」がNHKで放映されました。浜井市長の自伝である「原爆市長」の復刻などとてもいい仕事をされている方がおられ,その自伝には「広島の被爆の実相と焦土からの復興という2つの面」があることも教えていただきました。
 多くの方々との対話から,広島の二つのシンボル性,すなわち,破壊された広島としての核兵器廃絶への信念と,廃墟から復興した広島としての復興への確信と未来への希望,を軸にした取組みが生まれています。
 その中で,復興・社会開発マインドを共有した,教育,保健,医療,産業,インフラなど社会の各分野の専門人材の育成の必要性の視点が生まれ,広島の復興プロセスを社会の各分野毎に研究し取りまとめて教材化しようというプロジェクトも生まれています。先週月曜日にも,JICAに頼まれてパレスチナ・ガザ地区の行政職員の方々にお話する中で,広島の象徴の一つである100m幅の平和大通りも,住宅難だから半分にしてアパートを建てるべきという強い反対意見の中で未来と理想とめざした市長たちがいて実現したのだと説明し,広島復興プロセス研究のことも紹介したところ,このプロジェクトとその背景となっている考えにも共感していただきました。
 いろんなところに,地道にやるべきことをまさにやっている人がいて,個人の弱気や感傷を踏み越えて必死になって前に向かっています。そんな人たちの思いを受け継ぎながら,少しでももがいていきたいと思っています。
 今月末で,37年間の公務員生活を閉じて退職します。転職に当たっては,びっくりするような経緯もありましたが,何人もの方々に親身に心配していただき,結果としては,最も願っていた地域医療関係の仕事に着くことができるようになりました。今年から,集中講義のお手伝いだけですが,日赤広島看護大学の非常勤講師もやらせていただけることになり,新たな展開が始まります。物事の巡り会わせの不思議さを感じるとともに,いろいろな方々からの応援のありがたさを改めて感じています。
 いつも一生懸命だけではやっていけませんが,真摯さと懸命さはこれからも大切にしていきたいと,改めて思っています。
 それが,人と人との信頼と絆を生み出していくものだと思います。
 この駄文をお読みいただいているみなさまにとっての4月が,何かしらの良いスタートでありますように。

2013年3月11日
 今日は,東日本大震災から2年。
 圧倒的な自然の力に押し倒されそうになる中で,頑張る人がいます。
 そこでは,その人の中の中身の詰まり方,生き方が表れるし,それに立ち向かおうと必死に頑張る中で変化する部分もあるのだと思います。
 平坦な道を平穏に歩いているだけでは見えないものがあります。
 生かされていることへの責任を感じて,丁寧に大切に生きていかなければと感じます。
 今の仕事もあと3週間。丁寧に大切に,です。
 東日本大震災に関して何の役にも立てずにいるのに,軽々に語るべきではないと思いますが,自分のできることを自分なりにきちんと前向きにやっていきたいと思います。

2013年3月10日
 自宅の自分の部屋の整理が形になりかけました。息子が大学進学で家を出た後,その部屋を自分の仕事部屋にしていますが,本や資料が増え過ぎて雑然としてきたので。いくらかは処分するとともに天井まで本箱を増やして,机も脇机を足して随分作業性が向上しました。(のつもり)
 パソコンも,数年前から23インチのディスプレイを3画面並べて使っています。パワーポイントとワードの画面を出して相互に編集できますし,別の画面でウェブの資料の検索もできて,随分作業性が高まりました。
 これらは,個人的活動としてのいろんな研修の準備に使っています。医療,国際,行政が主な分野です。新年度も,今の仕事の退職に関わらず来てほしいという声もかけていただいており,ありがたいと思っています。
 この水曜日には,JICAの依頼で,パレスチナのガザ地区の行政職員への研修を2時間頼まれています。最近,この手の研修を頼まれることが増えています。行政職員も住民であること,社会の数十年後に責任を持っていることなどを伝えた上で,仕事に取り組むための企画力やコーディネート力,倫理観などをお話しています。これまで,カンボジア,リベリア,サブサハラ,南スーダン,アフガニスタン,シエラレオネ,ネパール,コロンビア,フィリピンなどなど,かなりの国の方々にお話をし,意見交換をさせていただきましたが,改めて,社会を形づくっていくことの大切さを感じます。フィリピンとシンガポールは50年間で一人当たりGDPの差が十数倍に広がりましたが,それはそこで暮らしている人たちの平均的な豊かさの差を意味します。もちろん豊かさがすべてではありませんが,衛生,治安,教育などにも影響します。シンガポールの建国の父リー・クァン・ユーは,社会の発展に致命的に大切なものとして,社会的流動性を挙げています。すなわち,貧しい家に生まれても努力すればチャンスがある,逆もしかり,という状態のことです。これは,すべての人々に努力するモチベーションを与えるという意味で大切なのだと思います。特定の人だけに利益を独占させないために,汚職防止が最も大切なのだと,徹底的に取り組みました。
 こんな話をする中で,私自身の背筋も伸びる思いです。

2013年3月3日
 先週末は,あわや4月から,冗談抜きで,本当に無職・無収入になりかけてしまう深刻な状態であり,とてもひとり言を書く余裕がありませんでした。
 1年間無職無収入だとしても,光熱水費や税金などはかかりますし,食費も必要です。車の燃料代や保険料,税金なども馬鹿になりません。最悪の場合,どうやって1年間生活をしていこうかと,妻と話し合っていました。
 みなさまのおかげで,最悪の状態は脱したとは思いますが,まだ,新しい仕事が確定しておらず,もう少し不安定な状態が続きます。
 今の勤め先では部長級以上は60歳の定年より1年早く退職することになっており,それに該当しているのでどうしようかと思っていたところに,昨秋,ある学長からグローバル人材育成のために来てほしいので公募に応募してほしいと言われ,他の話も断って応募したのですが,書類選考も面接も済んだ後の2月末になって不採用の連絡があったというものです。慌てて,心当たりに何人も相談したのですが,この時期になって簡単に見つかる訳もなく,一時はかなり追い詰められ状態でした。でも,いろんな方から親身になって心配していただき,とてもありがたく感じました。
 昨日と同じ今日,今日と同じ明日,が続かなくなるという状況は,足元がくずれるような感覚です。自分で選択してリスクを取った結果ですから,それ自体はどうこう思っていないのですが,一時はどうなることかと思いました。でも,自分が相手を信じて判断したことだから,(それが甘かったとしても)その結果については自分が受け入れなければならないという点では,ある面意外に割り切りができて,困ってはいたものの不思議に冷静でいれたのが,自分でも笑えました。それに,国際分野より地域医療分野の仕事を,学生対象よりも社会人対象の仕事を,という自分自身の希望に妥協しての応募だったというのも,深刻な事態であっても,まあいいかと受け入れることができた一因かもしれません。まあ,いろいろあります。

2013年2月17日
 今週も舞鶴ネタです。1月末に自主勉強会に呼んでいただいた際に,前半の私の講演の後の休憩時間に,主催者が全参加者に橋本に聞きたいことを書いて提出してもらい,それを元に後半の鼎談の際に30歳そこそこの世話役の方とやりとりをしたのですが,あまりに質問が多くて答えきれなかったので,先週,質問を整理して送って来られました。全40項目以上の質問に私の回答を書き込んで早速ご返送したところです。
 普段は面と向かって聞かれることのない若者らしい率直な質問が多く,私自身考え込むことも沢山ありました。回答を考えていて気づかされることも多くあり,いい経験でした。また,質問のそれぞれに,若手の公務員のそれぞれが,公務員としていい仕事をしたいという思いを持って,多様な日々の職場での現実の中で,素直に悩みながら過ごしておられる姿が浮かび上がってきて,ちょっと感動でした。
 質問の中で多かったものの一つが,どうやって日々のモチベーションを維持し高めていくかということです。みんな,いい仕事をしたいんだなぁと,しみじみと感じました。これに対する私の答えのポイントは,モチベーションは自らの新たな取組みにこそ大切なのであり,普段の仕事でやるべきことは,モチベーション云々ではなく,やるべきことをちゃんとやる,というものです。「仕事なんだから」というのは私がよく使う言葉の一つですが,それは,「仕事なんだから好き嫌い言わずにちゃんと責任を持ってやれ」という意味です。それができるようになって周囲の信頼が得られるようになると,やらなくてもいいけどやるべきだと思う仕事への取組みに対して,周囲の協力と応援も付いてくるのではないかと思います。もちろん,地道な仕事を楽しくできるような工夫は必要です。
 ちょっと言い過ぎかもしれませんが,日々の目の前の仕事を,仕事としてちゃんとやることと,新たなものに取り組んでいくこととは分けて考えることも必要ではないかというものです。もちろん,どちらも仕事ですから当然につながっているのですが,確実に正確に間違いなくちゃんとやることと,リスクを取ってチャレンジして新たなものを生み出そうとすることとは,意識的には分けて考えた方がいいのではないかと,回答を書きながら考えました。
 チャレンジがたとえうまくいかなくても,目の前のやるべきことはきちんと一人前以上にできているということは,次のチャレンジのために大切なことだと思います。
 いずれにしても,一握りの特定の人だけでなく,普通の?若手の公務員がこれだけ素直に悩み考えているということこそが,本当に大切なことだと思いました。こんな人たちを大切にしていくことが,未来を良くしていくことにつながるのだと思います。
 先週,転職のための面接を受けてきました。公募された職に応募して書類選考では通していただいての面接です。新たなチャレンジに期待と不安が交差して,すっかり舞鶴の若者と仲間感覚です。

2013年2月10日
 最近,自分で選択をすることの大切さを感じています。自分で選択をしていると,失敗にも気が付きますが,そうでないと,ただ運が悪かったで済ませてしまいます。
 崖っぷちを歩いているのに,落ちなければ,ぼんやりと歩いてそれに気付かずに過ぎてしまうことは沢山あるはずです。自分で選んだ道ならば,必死になって周りを見るので。怖さを感じます。落ちた時にも,自分が選んでいるから,痛みも余計に感じますし,他人の痛みも感じることができます。
 成り行きに任せたままだとそういうこともありませんし,運が悪かったで終わらせてしまいます。また,そもそも,選択をしないという選択をしているということにも気が付きません。
 自分で選択をして,結果として,うまくいく時やいかない時を経験することで,自分を大切にできるようになるのではないかと感じています。
(お茶くみの話)
 先月講師として呼んでいただいた舞鶴市の世話人の方から,その勉強会の振り返りをする中で,共感する力が鈍っている理由の一つに,「お茶くみ」をしなくなって周りへの配慮,気配りの力が落ちてきたこともあるのではないかという話が出たと教えていただきました。
 大切な視点だと思います。
 私は,大学時代の4年間,長野県の南小谷という,当時は寒村だったところの民宿で,毎冬1か月皿洗いなどの手伝いをしていました。雪のない尾道で育ったので,雪国の生活を楽しみたいとの思いからです。1か月ただ働きをするかわりに,年中好きな時に好きなだけ居候をさせていただくというものでした。
 この時に身に付いた,サービス提供側の視点が,大きいと感じています。しゃれたリゾートホテルでの快適な空間も,裏でそれを演出するために汗をかいている人たちがいるということを常に感じます。客としての空間はそれはそれで楽しめばいいのですが,それを生み出している多くの努力も意識しておく必要はあるように思います。
 自分の都合だけでものを見るのと,他人の都合でものを見れるのとでは,気付きや実際の行動に大きな違いが生まれます。
 資料の作成一つとってもそうです。自分の言いたいことを言うという姿勢ではなく,相手にとってどれだけ分かりやすい理解しやすいものにするのか,どれだけ正しいこと,いいことを言うかではなく,どれだけ,分かりやすく課題を整理して周りの人を巻き込めるかが,大切なのだと思います。
 「正しいこと,為すべきこと」を声高に主張する人よりも,こんなところを大切にする人たちに共感します。

2013年2月3日
 いろんな組織と関わる中で,組織には,現状を維持していこうという大きなベクトルが働いていると感じます。出る杭は打たれるという話にもなります。
 それに対して,上からの大きな力で変えていく,外科手術的な対応も時には必要です。しかし,それが構成員の理解と納得を得て,行動様式の変容にまで結びついていかなければ,一時的なものに終わってしまいます。
 組織の構成員が気楽でまじめな議論ができるような組織風土改革も大切ですが,そのような組織風土が先に作れるものなのではなく,それぞれがそれぞれに多様な新たな取組みを進めようとして,組織内において周囲への働きかけを繰り返していく中で,結果として生まれてくるものなのかもしれません。
 組織風土の変化を祈るだけではなく,個人が強い問題意識と目的意識(めざすもの)を持ち,それを周囲の人々に語りかけ,問題意識の共有と行動のコンセンサスを生み出していく,忍耐力と筋力が必要になってきます。自分一人でも言い出して行動を始める度胸と,聞く気のない人ややる気のない人を巻き込んでいく腕力と,そして,人と共感し社会の不条理に対する良質な怒りを感じる感性が求められます。
 特に,利益という明確な指標のない非営利の社会サービス分野においては,トップマネジメントの強いリーダーシップだけでも,組織的な締め付けだけでも十分でなく,個人個人の社会観と使命感,そして一歩踏み出す力が,ひときわ大切になります。それは,身分が保証されており,開き直りサボタージュが通用してしまう組織においてはなおさらです。しかも,組織が大きくなれば,組織外に対してではなく,組織内に対しての仕事をする内部管理部門のスタッフが 増加し,それが独自の内弁慶の価値観と行動様式を生み出しかねません。自分たちだけで物事を決めてしまおうとする行動様式でもあります。
 このような弊害を修正していくためには,組織内の多くの普通の構成員の素直な問いかけが必要になります。自分たちは,なぜ何のために何をめざして仕事をしているのか,誰に対して責任を負っているのか,を考える必要があります。私たちが本当に責任を負わなければならないのは,組織の中の人たちではなく組織の外の人たちであり未来の社会の人たちです。
 そんな青臭い,しかし本質的な問いかけを大切にしていかなければ,組織の標準的行動様式を身に付け,自分の手の届く範囲の世界の中だけで,自己満足に浸りながら,傲慢不遜に,あるいは言い訳と責任回避を続けながら,過ごしていくことになりかねません 。
 もっと楽しい過ごし方もあるのに。

2013年1月27日
 粉雪の舞う舞鶴市に行ってきました。あまり固有名詞の付く話は書かないようにしているのですが,とても感心したので,先週に引き続いて。若手〜中堅職員の自主勉強会の講師にお呼びいただいたのですが,驚いたのが,人口9万人弱,職員数500人程度の市で,20代〜30代前半を中心に50人が集まられたことです。この世代に限って言えば,対象年齢層からの参加率は,随分高いと思います。公務員の活性化などの全国的な会合に参加される,熱意溢れる,前のめり気味の方々というのではなく,(言い方は変かもしれませんが)ごく普通の若手職員が土曜日の朝9時半から,会費まで払って50人も集まられるという姿に,ある面,感動しました。
 いろんな機会に,「今時の若い者は…」的な話をしてしまいがちになっている自分自身を反省しました。場づくりさえうまくしていれば,こんなにも沢山の人が(声をかけられたにしても)自主的に集まるのだということに,一種,感動しました。
 職員の中から,自然体にこれだけの高い割合で若手・中堅が集まるということがあり得るのだと思うだけで,役所の将来に大きな可能性と夢を感じます。もちろん,可能性だけで留まっていては意味がないので,この現状をどう生かしていくのかが,とても大切な課題だと世話役の若手・中堅職員方々にはお話させていただいたのですが。
 一握りの人たちの努力から変化が生まれてくることもありますが,このように幅広く人々を集めている姿に,とても勇気づけられました。若い人たちは白けているんだから言っても駄目だ,なんてことは言ってはいけないと,強く思いました。若い人向けの仕事への転職を考えている時だけに,よけいに元気の出るうれしい機会でした。
 特定の人たちだけに頼り切らない変革への幅広い動き,の可能性を感じることのできた週末でした。

2013年1月20日
 来週末は,舞鶴市の職員の自主研修会に呼んでいただいています。準備の打ち合わせのやり取りをする中で,きちんと自分の責任と思いを自覚して取り組んでおられる姿勢を感じて,いい感じです。
 こういった研修会などの機会を通じて,全国のいろんな方々とのご縁をいただく中で,受け身の姿勢で一時しのぎの体裁だけ考えるのと,自分の思いと社会への責任を考え,生み出した結果の中身に意識を向けることとの違いの大きさを感じる機会が少なからずあります。
 戦略やPDCA,アウトカムなどなどの言葉も大切ですが,やはり組織は人で構成されており,その個々の人の姿勢と強さ,そしてその力を引き出す組織のあり方が,大切なように思います。
 戦略の正しさや適切かつ効率的なビジネスプランの立案も大切ですが,無駄や回り道を恐れず先の見えない不安に耐えて,社会への使命感を持って新たな道の開拓に根気強く地道に取り組む,プレッシャーの中でも歯を食いしばって前に向いて進む職員の存在こそが,組織の力だと感じています。評論家の存在も必要ですが,評論家が何人いても物事は変化しません。泥臭くもがきながらも前に進もう何かを生み出そうとする人たちがいて,評論家の存在も意味が出てきます。エンジンが非力なのに,ハンドルだけ磨いても仕方がないように思います。
 昨年の10月6日にも書きましたが,ジム・コリンズのビジョナリーカンパニーCで指摘されているように,地道な継続,多くの試行に基づく選択と集中,病的なまでの不測の事態への対応,という卓越した企業を生み出す3つの要素は,個人の仕事の取組みについても,実感として共感できます。要は,どんなに「正しい」戦略を立てても,実際の行動が地道に継続していなければ仕方ないし,多くの無駄を厭わず恐れず実際に取り組んでみなければ本当の答えは見えてこない,そして,どんなにうまくいっているように見えても,最後の最後のほんのちょっとしたことで,それまでの膨大な苦労の積み重ねがすべて水泡に帰することはあり得るのだ,ということを痛みとして体験し実感として体で理解しているのかが,大切なのだと思います。
 それでこそ,使命感や熱意と,実行力や実現力との歯車が噛み合うように思います。
 そういう,重さや地道さ,持続力・忍耐力,積み重ねた努力が一瞬にして無駄になっていく空しさ,といったものを実感しているからこそ,要領よく効率的に正しい道を,などとは考えずに,すべての可能性を求めて膨大な無駄を厭わず,全力で取り組むことができるのだと思います。また,その苦しさを知っている者同士が仲間として引き合うのだと思います。
 そのような取組み方をしてきたかどうかこそが違いを生み出すのであり,歳を加えれば身に付く知恵?とは別の力であるように感じています。

2013年1月13日
 1日に書いたので,恒例の?日曜日を一つ飛ばしてしまいました。別に日曜日に書かなければという訳では全くないのですが,何かを続けるには,一定のリズムを作っていくことは大切だと思っています。
 新年の仕事が始まり,(振り返れば毎年あっという間に過ぎてしまう)1〜3月を大切に過ごそうと,職場のチームと来年度へ向けた取組みとの連続性を持たせた15か月体制を話し合ったところです。今年度の終わりの3か月であるとともに,新年度へ向けての3か月でもあることを意識して,大切に過ごそうというものです。
 県庁生活の最終盤を過ごす中で,仕事への取組み方や経験によって,長い間には大きな違いが生まれることを感じています。いろいろあるのですが,それは,自らが課題にきちんと向き合って変化を生み出そうとしてきたか,課題への対応にだけ目が向いて日々を過ごしてきたかということに尽きるような気がします。つまり,環境を変えようとしてきたか,環境に適応しようとしてきたか,という違いなのかもしれません。
 何が違うかと考えれば,評価基準が,自分自身の満足なのか,歴史の評価なのか,とでも言えるかもしれません。自分が褒めてもらうことばかり考えるのか,社会に時代にささやかでも変化をもたらすことを考えるのかの違いだと思います。
 社会の現場で仕事をする一番の面白さは,自分の納得や満足ではなく,社会の人々の納得や満足が本当の評価基準になることだと思います。自分がいくらいきがっていても,結果が出ていなければ空回りです。大きな声で正しいことを述べ立てたとしても,体がそれについていっていなければ,それだけのことです。私が,「静かな迫力」という言葉を大切にする所以です。他者との折衝においても,自分のためには頭は下げられないけど,自分がめざすもののためにはいくらでも頭を下げることはできる,ということはあるものです。
 こんなことを考えていると,こうした取組みの姿勢を維持することでの大切な点は,そんな思いを共有できる仲間に恵まれることだと思い至りました。楽ではないけど楽しい仕事にするためにもがいている者同士の共感こそが,最も価値があるのかもしれません。
 59歳の誕生日を間近にして,こんな青臭いことを考えられる幸せを感じています。そんな思いの強さで周囲の人々に迷惑をかけてきたことへのお詫びとともに。

2013年1月1日
 あけましておめでとうございます。
 みなさまにとって,今年が良い年でありますように。
 本年もよろしくお願いいたします。
 昨年末は,一人勝手に早じまいをして,妻と南イタリアのレンタカー旅行に出て,今朝帰国しました。
 いつものことながら,自分一人で旅行の手配をしてのことなので,責任はすべて自分自身にあるという点で,緊張感が高いものがあります。今回は,特にヨーロッパでも運転が荒いとされる南イタリアでしかも道が複雑に入り組んだ市街地や周辺村落を回りましたので(しかも英語がほとんど通じないので),スリル満点でした。このようなある種の覚悟というようなものを持ってまわる中で体験し学ぶことは数多くあります。
 どれだけの数の観光地や遺跡を訪問したかという話ではなく,それを実現するための準備期間も含めたプロセスが大切だと思っています。
 そこでは,どんな問題が起きるのかの想像がつかないことがありますので,いろんな可能性を考えるとどうしても過剰準備となります。かといって,何でもできる訳でもないので,どのあたりで手を打つのかが,判断となります。
 経験したこと分かってることだけをするのであれば,必要最小限の効率的なやり方が見つかるのでしょうが,知らないことの模索はそうはいきません。
 どうしても避けられない「無駄」をできるだけ抑えながら,そうは言っても不測の事態に対応できるように十分な準備をしておくという,さじ加減が大切になります。
 今年も,新たな年が始まります。無駄や回り道を覚悟でいろんなことに取り組んでいきたいと思っています。
 今年が,みなさまにとって良い年でありますように。



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