2009年12月31日
珍しく大そうじを昨日までに済ませたので,ちょっと一息の年末です。仕事納めの日から続く風邪で体調不良の倦怠感の中で,1年を振り返っています。雪の大晦日です。
今年は,若さと老いの両方を同時に感じた年でした。とはいえ,それは前に向かっているから感じられることでないかと,それなりに納得しています。大学院の博士課程にしてもそうですが,新たな環境に身を置くことで,今まで見えていなかったことに気付かされることがあります。今年は,そんなことが多かった年だと思います。
仕事の方も,積み残し案件等の処理に忙殺された昨年と違って新たなプロジェクトに熱意あるスタッフと一緒に取り組むことができて,久しぶりに見えないものに向かって物事を作り上げていく緊張感を感じることができた年でした。
今年1年間の人との出会いのすべてに感謝して。
来年が良い年でありますように。
2009年12月27日
先週書いたマネジメントとリーダーシップの話は,「今あるもの」について批評をし問題点を指摘することと,「今見えないもの」をめざしそれを生み出そうとすることとの違いにも通じるものがあるように感じています。
「今あるもの」についての批評や問題点の指摘は,論理的に理路整然と確信を持って行うことができますが,「見えないもの」に向かっての取組みはそうはいきません。嫌になるほどの無駄や回り道,失敗の繰り返しを全くせずに,形を生み出すことなどありえません。模索の過程では,近道もないのです。運良く結果として成果が生み出せた時に,結果論としてこっちに近道があったと指摘することはできます。でも,それを指摘する人物が何か新しいものを生み出すことができる訳ではありません。批評する者と生み出す者との間には大きな質の差がありますが,その差が評価される組織は倒産しない組織においては稀です。それが,組織の活力を喪失させるのだと思います。
話は変わりますが,今年は仕事納めが月曜日なので,スタッフにはできるだけ休暇を取ってもらい,必要最小限の出勤体制にすることとしました。ということで,先週金曜日には,全員で半日かけて職場の大そうじをしました。昨年4月から6回目の職員全員での大そうじです。勤務時間中に大そうじというと批判もいただきそうですが,その分,普段から,効率的に集中して仕事をするように努力しているのでお許しいただきたいと思います。整理の悪い非効率の中での「一生懸命にやりました」よりも,必要な書類や情報が必要な時に出てくる環境づくりや,チームの全員が自発的に率先して行動するという筋肉質の体質を作っていくことの方が大切だと考えています。
それが,「見えないもの」を生み出していくことのできる組織づくりにもつながるのだと信じています。
今年最後の日曜日となりました。今年は特に個人的に考え込まされる機会があり重い年でもありましたが,とても意味のある年でもありました。結果的には,人との出会いが大きかった年であり,しみじみ感謝しています。
2009年12月20日
最近,ひょんなことから,リーダーシップとマネジメントの本『リーダーシップの旅 −見えないものを見る−』(野田智義,金井壽宏)を読んで,「リーダーシップは創造と変革を扱う。 「見えないもの」を見て,その実現に向けて人々の価値観や感情に訴え,彼らの共感を得て,自発的な協働を促すパーソナルなパワー。 変革と創造には,事前の不確実性と事後の常識性という共通点があり,この非連続性をリーダーは飛び越える。 これに対して,マネジメントは,複雑性に対処し,組織の安定性と持続性を維持するために機能する,地位に基づく権威,権限をもって働きかけるポジショナルなパワー。」といった話を読んでいて,コーディネーターというのは,ある意味では,リーダーシップに近いのだと,ちょっと新たな発見をした気分になっています。 この金井壽宏先生は神戸大学の経営学の先生で,今年の1月に大学院のゼミ見学に行かせていただいたことがあります。(内容はすばらしかったのですが,試験が難しそうなので諦めました。)
別の話として,医療福祉の現場で頑張っておられる方々とのやり取りの中で,目の前の患者さんの置かれた状況が深刻であればあるほど,職務上の使命感から,その方との関係性の中にはまり込みすぎて,追い詰められ感を持って煮詰まってしまうこともあるのではと感じており,現場での1対1に真剣に取り組むとともに,それを将来にわたって解決していくためには,組織としての取組み,社会としての取組みの必要性にも思いを馳せて,自分の仕事を社会の中に客観的に位置付けることも必要ではないかと感じています。
いろいろとありますが,相変わらず先が見えない中で,こつこつやってます。
2009年12月13日
相変わらず,あっと言う間に1週間が経っています。初めて参加させていただいている医療系職種の教科書づくりの原稿締め切りが10日でした。連携やコーディネート,社会システムづくりといった部分を担当させていただいているのですが,編者の先生の趣旨を踏まえて書くというのはなかなか難しいものだと痛感しました。自分勝手に書くのと違い,良い経験です。大学院の学生としての学会誌投稿論文も,色々な査読意見なるものをいただき,せっせと修正しています。今まで,分かればいいじゃないか,伝わればいいのだ,と書いていたのが,論理的整合性がとか,検証されていないとか言われて,最初は反射的な反発もありましたが,いろいろな世界があるのだと納得するようになるとともに,なるほどと思うこともあり,まあ,いい経験です。
とはいえ,そんな「アカデミック」な世界が好きになるかというとそうではなく,一定の規定条件の中で緻密な論理的整合を追い求めるよりも,嵐の荒原を信じる方向性へ向けて本当に大切なものだけを脇に抱えてもがきながら突っ走るというイメージの方が,はるかに共感が湧きますし,楽しいと思います。社会人対象の教育に関わる面白さも,そのような体験の共有にあると思います。コーチや評論家よりも,現役でいれる間はプレーヤーでいたいと思っています。
特定専門領域の研究をしながら20歳前後の学生とアカデミックな学会の先生方の交流が中心になっている大学(もちろん人によりますが)と,社会の現場との間をつなぐ,中間支援組織的なものが必要だと感じています。専門領域の学問的成果を,現場で使いやすいように組み合わせ整理するとともに,現場研究と人材育成も現場支援をすることのできる組織が,これからの社会には必要だと感じています。
先週は,運営委員をしている広島シンガポール協会の交流会があり,駐日シンガポール大使も来られたので,1日アテンドしてました。5月に,広島県としては14年ぶりの国賓としてのシンガポール大統領の訪問をアレンジしていただくとともに,シンガポール政府外務大臣賞の栄えある第一号を,広島シンガポール協会会長にいただいたことへのせめてものお礼です。14年前に帰国した時には320万人だった人口が,現在は490万人だとか。その勢いには本当に感心します。先日,立命館で,インドネシア政府やインドネシア大学等の職員や教員対象に計画倫理の研修講師の話をしていましたら,どこの国でも,手を抜かずに倫理の維持に取り組まなければ政府は駄目になるとおっしゃられたのが印象的でした。国際的な団体の調査で,世界で最も汚職が少ないと評価されているシンガポールで,いくつかの省の事務次官を歴任された方ならではの言葉だと,改めてシンガポールの努力を実感しました。
自分たちの国と社会の将来について,もっと真剣に考え取り組まなければと感じた次第です。
2009年12月6日
先週のアジアの会(We are Asians)では,イスラエルからの留学生にゲストスピーカーをお願いし,普段あまり縁のないイスラエルのお話を聞かせていただきました。多民族,多宗教の国ならではの,めずらしいお話が沢山あり,特に,宗教問題とアラブ人の問題は,この国の成り立ちを思い起こさせるものでした。異なる宗教間の結婚は,ほとんどなく,しかもその場合は,片方が改宗する必要があるのに対して,異なる民族(ヨーロッパ系,中東系,アフリカ系,ロシア系など)間の結婚には抵抗がないなど。また,厳格に宗教が守られているため,イスラム教の聖なる日の金曜日と,ユダヤ教の聖なる日の土曜日が全国的にお休みで,特に土曜日は,車や電気を使わないこととされており,現に,すべての公共交通機関が止まるのだとか。多国籍企業などは困るのではないかとの質問に対しても,それでも金土休みは守られているとのことでした。イスラエルの航空会社も,土曜日は飛ばないのだとか。宗教に関する厳しさを感じさせられました。イスラエルのすべての国民に課されている18歳からの男性3年女性2年の兵役について,アラブ人だけは除外されているとのこと。アラブの海の中で,独立を保とうとしているイスラエルならではのお話でした。このほか,ユダヤ教の教えに沿った料理は「Kosher」と呼ばれ,魚以外のシーフードは駄目で,豚肉も駄目なのだとか。それでも,日本食としての寿司は人気が高いとのこと。エビ,タコ,イカ,貝類のない寿司屋なんて想像もできませんが。笑えたのは,牛乳とお肉を一緒に食べてはいけないという決まりについてです。このため,「チーズバーガー」は許されないのだとか。ところが,食べる間隔が6時間程度空けば,牛乳とお肉を別々に食べるのは許されるのだと。「なんでもあり」の「シマリ」のない生活をしている身としては,厳しい環境の中で,宗教を一つの絆として厳格に守って暮らしている世界のことを思い起こす良い機会でした。
イスラエル建国に際して,2千年使われてなかったヘブライ語を復活させ,日常語も教育もヘブライ語で,英語は小学校4年生から「外国語」として学ぶのだとか。ちょっと意外でした。大学での教育もヘブライ語で行われるため,アラブ系の学生には,母語ではないヘブライ語をマスターしなければならないハンディがあるとのこと。マレーシアでの「ブミプトラ(マレー人優遇)政策」で大学入学試験にマレー語を課したという話を思い出しました。ヘブライ語では,「Shalom(シャロム)」は,「こんにちは」と「さようなら」と同時に「平和」という意味もあるのだとか。それが,日常生活で共存される社会になりますように。
そのほかは,ひたすらいろんな宿題に追われた1週間でした。
2009年11月29日
今週も(1週間が月曜日から始まり日曜日の今日が安息日とすればですが),水曜日に午後休暇を取って三原市の職員研修,金曜日にも午後休暇を取って県商工会連合会事務局の幹部研修,土曜日は朝10時半から午後6時近くまでケアマネージャーのスキルアップ講座と,相変わらずの生活でした。休暇も既に20日を超えており,繰越分を使いながらです。休暇中に何かあったらすぐに携帯電話にメールを送ってくれ,必要な対応は主体的に行動してくれる職場の同僚たちの理解と協力があってこそであり,感謝です。
そんなに講師ばかり(しかも対象が支離滅裂で)どうすると言われそうですが,こちらが学ぶことが多いのも事実です。昨日のケアマネージャーさんのスキルアップ講座は,昨年に引き続きで,事例研究のお手伝いです。30数人の受講者から出された事例は様々で,介護の現場で起きている厳しい現実を突きつけています。何事もなく健康に過ごしている日々からは想像できないような厳しい状況の中で,家族関係などの人間関係も変化していきます。
厳しい状況に置かれた対人サービスに関わるどの分野でもそうですが,目の前の状況が厳しいだけに,相手と自分との1対1の関係の中に閉じこもってしまいがちです。相手と,半径数メートルの距離に立たなければ事態は理解できませんし支援もできません。その状況で,みなさん全力を尽くしておられるのですが,私が担当するのは,その問題対応に際して,少し視野を広げて,組織の連携や社会の課題としても捉えていく部分です。「現場,組織,社会」という部分です。これは,自分だけで悩むのでなく,他の人々や組織の力も借りて解決していく,組織的な取組みによってよりスムーズに対応できる仕組みを作っていくという考え方です。
昨日感じたのは,それは同時に,現場で起きている状況を,組織や社会に発信していくことの大切さです。どんなに厳しい状況も,半径数メートルの範囲内でしか知られていなければ,組織にとって社会にとって,それは存在しないのと同じです。現場で起きている厳しい状況を,(個人情報の扱いには注意しつつ)もっと発信することにより,組織的な社会的な取組みに結び付けていく大切さを改めて感じました。
このほか,「現在,過去,未来」の視点として,今起きている目の前の問題への取組み,それが起きてしまった過去の対応への振り返り,同じような問題が将来再び起きないように,あるいは起きた時によりよく対応できるための取組み,の検討の大切さや,「サービス供給側,サービス利用者支援側,受け皿としての地域」の視点として,サービス利用者支援側の立場に立っているケアマネージャーは,サービス提供側の改善すべき点も考える視点とともに,助け合いの地域づくりの視点も同時に持つ必要性などを話していました。
同時に,こんな研修を組織的・継続的に進め,情報を共有蓄積し発信していく仕組みがないことに,問題も感じています。大学は,研究者はいても通常は大学生しか教えておらず,現場の課題が日々集まる仕組みにはなっていません。大学の研究者も,「学内評価」の問題もあり,論文になりにくい日々の地道な取組みには手を出しにくい面があります。個別の職能団体も,そのような継続的な取組みを担うには負担が大きいようです。一体どこが,やるべきなのか,考えてしまいました。
2009年11月22日
金曜日に休暇を取って,小児救急電話相談の関係で電話相談会社2社のヒアリングをして,土曜日に日本小児科医会の研究会に出席していました。核家族化時代で,相談できるおばあちゃんもいない中で,悩んでいるお母さんたちのサポート体制は大切だと感じています。地域の特色ある取組みを生かしながら,全国的に一定のレベルのサービスを保証していく工夫が求められています。
先週の立命館の時もそうでしたが,今回も,休暇中に本業の関係で動きがあったものの,職場の同僚たちがしっかり適切に対応していただきました。感謝です。
今日は,尾道の老親を雨の晩秋の紅葉ドライブに連れて出た後に,夜,広島空港で,広島シンガポール協会の関係のシンガポールの中学4年生(日本の高校1年生)2人の出迎え。中学4年間に第3言語として日本語を勉強しただけなのに,ほぼ日本語だけでコミュニケーションできることに驚きました。「語学」ではなく「コミュニケーション・ツール」だと改めて感じたところです。
明日はアメリカの大学の先生への対応,水曜日は三原市の職員研修,金曜日は商工会連合会の課長研修,土曜日はケアマネージャーのスキルアップ講座で,ほぼ今年の研修講師役は終わりです。こんなにドタバタしてどうなる,とも思いますが,それぞれ学ばせていただくことがあるもので,つい引き受けてしまっています。
2009年11月15日
木金と休みを取って,立命館大学でのインドネシア政府国家開発計画庁等の政府職員やインドネシア大学等の先生方を対象の研修で,「計画倫理」なるものの講師とディスカッションのコーディネーターをしてきました。「計画倫理」というのは,北米中心に最近広がりだしたテーマのようで,私も素人なのですが,行政の仕事の基本である住民の視点に立ち返り,なぜ何のために何をめざすのかを考えることの大切さや,今の行政組織の仕事の仕方が30年50年後の未来の社会の差を生み出すのだということを語っていました。今すぐの差の違いは見えにくくても,長い時間軸の中での違いは生まれるのだと思います。
ディスカッションの方では,このウェブサイトのトップページの最下段でご紹介している「三静か」を,初めて英語版で試してみました。大学教授等の偉い方々ばかりなのでどうなることかと思いましたが,熱心に取り組んでいただきほっとしています。
木曜日は,シンガポール政府にランドスケープの専門家として10年勤めた日本人の友人が大阪で開いている事務所を訪問して歓談した後に,奈良の新薬師寺の十二神将にご挨拶をして京都へ。
土曜日は,午前中自治医大の先生などが広島に来られて健康福祉プランナー養成塾の打ち合わせをした後に,北九州市立大学での学会に参加。小倉で泊まって,今朝,経費節約のため小倉から鈍行で5時間かけて帰ってきました。
相変わらずのドタバタですが,そんな中で,いろんな魅力ある方々と出会えていることに感謝しています。
2009年11月8日
日々が静かに過ぎていっています。底流には変化の予兆を感じながらも,ペースを乱さないように,じっと我慢の持続です。これまで,幾度かの転機がありましたが,それらはそれが実現する直前までは何もないのと同じで,そして,いくら可能性が高くても,ほんの寸前まで来ていても可能性で終わってしまったこともありました。
検証可能なものを積み上げていくのが学問なのかもしれませんが,現実の変化の中には再検証可能なものなどほとんど無いように思います。もう一度同じことをしたからといって,同じ結果が生まれるとは限りません。今と同じ日は二度とないのだと思います。大切にしなければと思います。
最近,地域について議論することが増えています。大きな構図として,地方から都市への人口移動の中で,都市部の新住民は,地域基盤型ではなく,目的共有型のボランティアグループなどを形成し,それと行政が結び付いた形を「市民協働」と呼んできたが,「新住民」の高齢化・地域定着化が進む中で,目的共有型組織の維持が困難となり,地域基盤型の新たな地域ネットワークが必要となってくるのではないか,といった議論です。
そこに,行政と地域との新たな関係も生まれてくるのではないかと期待しています。 それが,行政の変化につながっていくことも。
2009年11月1日
雨の日曜日,相変わらず早朝から部屋に籠ってこつこつやってます。明後日,東京での小児救急電話相談の研究会資料づくりです。今抱えている仕事の量から考えてとても無理だと思っていましたが,良くしたもので,期限が近づいてくるとそれなりに集中できるものです。
昨日は午後から,友人と真っ青な秋晴れの空の下で穏やかな瀬戸内海での釣りを楽しんだので,ちょっと元気が出てきた日曜日です。やはり息抜きも大切です。先週は,水曜日には県内某市の職員研修講師,木曜日は県内女性団体主催のパネルディスカッションのパネリスト,金曜日はパレスチナの知事さんへの地方自治講義と,なんだか地に足が着かないまま終わってしまいました。
人との付き合いでへこんでたりした10月でしたが,人との付き合いで元気付けられた10月でもありました。今日から始まる11月が,意味あるものになることを願っています。東京,京都,東京,三原×2などと,相変わらず頼まれ仕事が多い月なので,あっという間に過ぎそうです。
学生時代に山に登っていて,常に雨男だったので,くやしまぎれに「雨も天気のうち」と言い出して,以来,気に入って使っています。へこんだ時の慰めにもなります。
水光瀲艶(れんえん,艶はサンズイ付き)として 晴れて方(まさ)に好く
山色空濛(くうもう)として 雨も亦た奇なり
西湖を把(も)って 西子と比せんと欲せば
淡粧濃抹 總(すべ)て相(あ)ひ宜(よろ)し
宋の詩人,蘇東坡の詩ですが,晴れていてよく雨もまたいい,というところが気に入っています。
2009年10月25日
先週に引き続き,人がらみの波乱の週でした。人には,自分には見えているつもりでも見えていないものがあるというのを改めて認識させられています。今回は幸いにして自分自身のことではないのですが,自省が必要だと思いました。
日産のゴーン社長の,「私は実践的な人間だ。自分がいつ失敗してもおかしくないことを知っている。だから,傲慢さが非常に嫌いだ。どんな企業にとっても,最も大きな危険の一つは傲慢さだと思う。」という言葉を改めて思い起こしたいと思います。
ある研究会の仲間が選挙に立候補しているので,金曜日に休みを取って土曜日にかけて,友人と某県に応援?に行ってきました。その道中の会話の中で,友人が,「行政職員は業務が細分化されているので,自分の分担業務のことだけをやればそれでいいと思いがちだが,民間では,全体の中の位置付けと社会の変化を考えないと実のある成果が出せないので,それでは済まない。」というのを新鮮な思いで聴いていました。
倒産しない役所で,どうやって広い視野を持って,結果を意識しながら仕事をする組織風土を生み出していくのか,というようなことを話ながらの旅でした。また,「自分が最も価値を置くものは何か。」という問いに,考え込んでしまい,結局,「他人からの自分への信頼(自分のブランド)かな」と答えていました。
こんな日本風のやり取りとともに,先週着任された,広島にある中四国唯一の国連機関の新任所長の,ラテン系の明るさと人懐っこさで人を一瞬にしてつかみ惹き付け,そしてさわやかでエネルギッシュな前向きの姿をみて,厳しい国際社会の中で行き続けてきた人物の迫力を感じた週でもありました。こんなパワフルな人々がいる世界と,日本の地域は競争をしているのだと思うと,自分たちなりの強みを作り出していかないと,過去の蓄積を食い潰して終わってしまうという危機感すら感じました。随分ブレの大きな一週間でした。
2009年10月18日
いろいろと人がらみで波乱の1週間でした。 情報化が進む中で,コミュニケーションのあり様も変わっていきます。 その中でも,自分を客観的に見ること,社会の中での位置付け,組織の中での位置付け,相手との関係を客観的に見て理解することの大切さは変わりません。
自分自身を反省するとともに,考えさせられることの多い日々でした。
対面であっても,相手の感情や受けとめ方が読み取れないケースが増えているのではないかと思います。 自分の思い込みの世界から出れないということなのかもしれません。 生身のやり取りやぶつかり合いの経験が少ないのかもしれません。それが,メール時代になって,さらに加速するのではないかと思います。自分自身への反省もこめてです。
シンガポールで感じたのは,「相手の反応は自分の心の鏡」というものでした。 意識的にも無意識的にもそれは瞬時に起こるようです。 それが,良くも悪くも互いの人間関係を生み出していっていたのだと思いますが,そこの感性が鈍くなってくると,独りよがりの一方的な押し付け合いになってしまいます。
弱い立場を経験したり徹底的に落ち込んだりしたことがないと,余計にそうなるのかもしれません。 自分自身や相手への思いが,人に潤いを与えるのだと思いますが,それがなければ,乾いた人になってしまいます。
とはいえ,やりとりをするのが面倒そうなので?ブログ形式にせずに,一方的にここで思いを書いている自分自身も,コミュニケーション拒否の閉じこもり型かもしれません。
2009年10月12日
3日間の地域学会が済みました。今日の午後は,なんとか無事??発表を済ませました。昨日は,朝一番の他の発表者の「討論者」として駆り出され,結局3日間,一応学会会場には行きました。
で,その感想は,私は研究者には成れない,というものです。それは,単に,緻密な理論構成に私の頭が付いていけないというということです。実践現場では,理屈はともかく,人が納得してくれればこっちのもの,という随分いい加減な世界があります。
とはいえ,それでは,次の仕事が見つけられないので悩ましいところです。
2009年10月10日
今日から3日間,地域学会です。幸い地元広島での開催で,しかも以前通勤していた広島大学ですので,地の利はあります。久しぶりに片道1時間50分通勤?です。
ちょうど西条酒祭りで賑わっている中,真面目に大学に行って来ました。
いつまで経っても,アカデミックな世界には縁がないと思いますが,新たな経験を楽しんでいます。
研究業績という価値基準で評価される世界と,(良くも悪くも)総合力?で毎年の人事異動で評価される世界の違いを感じているところです。
2009年10月4日
9月中旬に敬愛する先輩からお送りいただいた,民俗学者宮本常一氏を描いた「旅する巨人」をやっと読み終わりました。余裕のない生活をしており,本を読むのは通勤の往復だけで,しかも帰宅途中でしか読んでいませんでしたので,文庫本なのに半月かかってしまいました。
宮本常一氏はまさに巨人ですが,巨人の中の懊悩と,その身近な人たちの人生も考えさせられました。幸せの評価は難しいものです。
と,しっとりとした時間を過ごせたのは,この本を読んでいる一瞬だけで,あとはひたすら懸案と宿題処理という味気ない時間をじっと我慢で過ごしていました。
昨夜眺めた中秋の名月も,なにか随分遠い感じでした。
来週末にはまた学会発表なのですが,「論証」にまでなかなかたどり着けず,あいかわらず苦慮しています。とはいっても,忍法ひらきなおりという奥の手もあるので…。
2009年9月27日蛇足
最近,いろんなタイプの組織との接点があり,考えさせられることが多くあります。最も典型的なのは,研究者により構成される大学と行政との対比ですが,その中間にも色んなバリエーションがあります。その中で,毎年,人事異動という評価反映の機会がある,(行政)組織の力とでもいうものを感じています。過去の蓄積や業績で一定程度は通用する面はあるかもしれませんが,あまりにひどいと,翌年の人事異動に反映されます。これを当たり前だと思っていますが,例えば,大学では,教授に就任した後には,そのような毎年の再評価の機会は,組織的にはありません。(学会や学生からの評価等は別として)
結局,クビになるというようなドラスティックな処遇でなくても,毎年の人事異動における評価の連続というのは,ある面,行政組織の緊張感とレベル維持に一定の成果を生み出しているのではないかと感じています。逆に言えば,そのような評価と処遇の見直しのチャンスの少ない組織では,どのようにして緊張感とレベルの維持をしていくのかが,問われているのだと感じています。
以前にも書きましたが,学生時代に愛読した社会心理学者のエーリッヒ・フロムの"To have or To be"という言葉を研修でよく使っています。過去の蓄積として持っているものと,今の姿(と勢い・姿勢)の違いが,問われる時代になっていると思います。昨日,自治医大からある委員会の委員委嘱状をいただきましたが,このように声をかけて頂くのも「今の自分」を評価していただいてのことであると考えれば,いつまでも手を抜けないと感じています。
先週の横浜国大の留学生相手の講演の反省を下に,11月の立命館大のインドネシア政府職員の研修準備をしていた週末でした。(週末に,泊まりに来てくれた尾道の老親のお世話もしながら)
2009年9月27日
9月最後の日曜日です。来週からネクタイとスーツだと思うだけで,暑苦しい気分になってしまいます。
先週は,横浜国大の留学生(東南アジア,中東,アフリカ,中南米)さんたちを相手に,地方自治をテーマに,1時間のしゃべりと30分のQ&Aをしました。説明の方は,自分が一方的にしゃべるのを「理解するのはあなたの仕事」と開き直れるのですが,Q&Aは,いろんな訛りがあるので聞き取りに冷や汗ものでした。
その中でも考えさせられたのは,留学生の一人からの「日本の問題は,日本語でのコミュニケーションの問題ではないか。自殺者が多いのも,日本語でのコミュニケーションがうまくいっていないからではないか。いっそ,すべて,英語に切り替えてはどうか?」という質問でした。この質問自体を理解するのに時間がかかりましたが,私なりの答えを考えつつ,たしかに,我々はほとんどの者が同じ日本語を話しているが故に,互いに(細かい説明をしなくとも)分かり合っていると思い込んでしまっているのかもしれない。コミュニケーションが,表面を引っかいてしまっている場合も少なくないかもしれない,と語っていました。同じ言葉を話しているから分かり合えているとは限らないというのは,日々実感していることですが,忘れがちなことです。
国内に多様な民族がいたり,他国で生き延びることが必要であったりという環境の中では,「共通の常識」にどっぷりと浸って満足している訳にはいかず,環境が少々ぶれても,自分自身なりの,めざすもの,価値基準,真理,を大切にしなければ,生きていけないという厳しさがあるように思います。
どの言葉でのコミュニケーションでも,自分がどのレベルでのコミュニケーションをしようとしているのか,互いにメッセージを出し合っているのだと思います。 形式的で無難なレベルなのか,情緒的なものなのか,理性と感性をうまく盛り込んでバランスを取ろうとしながら深めようとするものなのか,それによってコミュニケーションの内容が変わってくるように思います。Q&Aを通じて,自分の中身の詰まり具合を試されていると感じました。彼らのそんな真剣な対峙を感じさせていただいて,価値ある刺激のひと時でした。
2009年9月23日
秋の5連休は,結局どこにも出かけないまま,終わってしまいました。あれこれと頼まれ仕事や自分から蒔いた種に追いまくられての5日間でした。先が見えないのに,こんなにドタバタしていてどうなるのかという思いもよぎりますが,考えてみれば,これまでの日々もずっとそうだったと思います。いつも先が見えない中で,漠然と信じる方向に手探りで進んできたことを思い起こしています。
そんな中でも,最低限必要だと思う行動については,もたつきながらも自然と体が動いていることには,満足しています。
そんな不安定な取組みを続けているからこそ,思いを共有できる仲間にも出会うことができるのだと,しみじみと感じることもあります。
2009年9月22日
一昨日に続いて昨日も(早朝仕事以外は)庭仕事に没頭していました。とはいえ,原稿書きの方も追い詰められていて,今日はずっと部屋に籠りきりでした。
夕刻,ちょっと一息ついたので,以前買っていたオバマ大統領夫人のスピーチのDVDを眺めて?いました。オバマ大統領のスピーチ関係だけでも7冊ほど買っていますが,その一つです。いずれについても感じるのは,その人の生き方に根ざしたスピーチの迫力です。ミシェル・オバマさんのスピーチにも,オバマ大統領にも劣らないそんな迫力がありました。
日本では,なぜこんな感動が得がたいのか,考えてしまいます。
夕刻に,敬愛する「秘境ツアーガイド」の清水正弘さん(『旅の達人,地球を歩く』南々社ほか)から,大自然のヒーリング映像の最新版が届きました。独り占めしておくのはもったいないので,いくつかご紹介させていただきます。
日本の棚田風景
センス・オブ・ワンダー レイチェルカーソンの言葉
旅のエッセイ・あやしい時の概念
天空鉄道
ヒマラヤに舞うブランコ
2009年9月20日
5連休です。とはいえ,出かければ渋滞に巻き込まれそうなので,昨日は早朝から昼まであれこれ抱え込んでいる個人的な仕事に取り組んで,午後からクアハウスへ。今日は,早朝から原稿書きをしていたものの集中力が続かないので諦めて,前から懸案の庭仕事で一日が終わりました。30年近く前に,育ちが早くて安いからと植えたヒイラギモクセイの手入れが大変なので何本か抜いて,昨年頑張って仕上げた庭のレンガブロック敷きの拡張をしました。ヒイラギモクセイは根の張りがしっかりしていて,1本抜くのも一仕事です。シンガポールでは,毎日雨に恵まれているので,大木がすくすくと育つのですが,年に1〜2回の大風が吹くと,根がしっかり張っていないだけに,高速道路沿いに植えられている大木がびっくりするくらい簡単に倒れてしまうのを何度も見たことを思い出しました。地上に出ている大きさだけでは測れないものがあると感じていました。
合計200kg以上の砕石や砂,ブロックレンガを運んでの慣れない力仕事で,体中が痛くなってます。
一休みしてから,久しぶりのカレー作りに。といっても,格別のことはなく,ひたすら玉ねぎを根気よく炒めるだけです。時間を気にせずにひたすら炒め続けられるのは,普段,料理をしていないからだと思いつつ,久しぶりの生活感ある時間を楽しんでいました。
嵐の10日間の中で,高松での計画行政学会では,たまたまお会いした立命館大学の先生からインドネシアの政府職員への地方自治についての研修講師を頼まれ,東京での医療ソーシャルワーク研究会では,ご紹介いただいた愛知県の医療ソーシャルワーク学会での講演を頼まれて,なんだか動くたびに仕事をいただいて歩いている感じです。
このほか,医療福祉学の本の改訂版への参加もお声掛けいただいており,学会誌への投稿原稿の仕上げもあり,明日からの3日間は,ひたすら原稿とにらめっこです。
2009年9月15日
嵐の10日間が無事終わりました。昨夜遅くに帰広して,今日は終日ドタバタして(10日間で職場では2日半しか働いていないので当然です。),夜は,大学院の先輩方の博士論文の中間発表を聞きに行って,とりあえず,やっと一息ついたところです。自分が研究発表をする時には,そんな理屈っぽい難しい指摘をしなくてもいいじゃないかなどと勝手に思いがちですが,他人の発表を聞いていると,(自分のことは棚に上げて)いろいろと問題点が見えてくるのも面白い経験でした。自省したところです。
帰宅すると,敬愛する先輩お二方から郵便物が届いており,改めてご縁に感謝です。
高松では,学会発表終了後の深夜に,シンガポール駐在丸1年で急性胃炎で動けなくなって以来十数年前ぶりに胃が痛み出しました。学会の懇親会などでの飲み過ぎと,8月からずっと早起きが続いていたためのかと。翌日の医療ソーシャルワーク研究会懇親会をノーアルコールで過ごし二次会も参加せず,1年ぶりくらいの休肝日でした。
いろいろな組織の中に隠れている問題に触れることが続いています。安定した環境が続いた時に,それにはまってしまう人と,社会への感性を失わず置かれた環境に流されず変化を生み出そうと努力できる人とに分かれるような気がします。
また,色んな面で社会の変化を感じます。そんな中で,自分なりに,変化の方向で社会に関われる道を探したいものだと感じています。
2009年9月6日
土曜日に東京で開催された小児救急電話相談のシンポジウム出席のために上京し,先ほど(日曜日)に帰ってきたところです。明日は,午後から休暇を取ってまた上京し,明後日午前中に国立保健医療科学院で保健師さんの研修講師です。で,次の金曜日は計画行政学会での発表のため早起きして高松へ行き,土曜日に東京へ飛んで,土日に開催される医療ソーシャルワーク研究会に出席,翌月曜日にまた国立保健医療科学院で保健師さん研修の講師です。
広大時代に,研究会などで6週連続上京というのはありましたが,10日間で3往復延べ8日というのは初めてです。
10月の地域学会の発表原稿の締切がこの木曜日で・・・。 本業はちゃんとやってるのかと言われそうですが,それはそれで一生懸命やっています。(すくなくとも,そのつもりです・・・。)
忙しいのも善し悪しですが,少なくとも仕事の優先順位を考えるようになることと,本質的に大切なことは何かを考えざるを得なくなることは,いいことかと思っています。とはいえ,それも程度次第ですが。
2009年8月30日
まったく気付かないまま,1週飛ばしてしまいました。先週末は,木曜日の午後から休暇を取って上京して金曜日の小児救急電話相談の研究会などに出た後,週末にその会議のまとめを作ったり,10月の学会発表の準備をしたりで,ドタバタしているうちに,忘れてしまったようです。別に,週に一回と決めているわけではありませんが,リズムが乱れるのは?です。
学会発表準備では苦戦しています,仕事の場面では,絶対確実というようなものはなく,大体こんなところとか,方向性としては間違っていないからまず一歩踏み出してみてから軌道調整すればいいという感じでやっていますが,論文というのは,研究仮説を如何に厳格にデータの裏づけを積み重ねて検証するかが基本でそれができてなければ研究論文にはならないとか,他の人の研究をしっかり調べてそれを踏まえて書かなければならないとか言われると,なるほどとは思うものの,自分の最も苦手とする作業だと思ってしまいます。
もちろん,厳密な論証の積み重ねが学問の発展につながるのだと思いますが,普段は,答えの見えていない30〜40点レベルの段階から行動を開始するという世界で生きているため,どうも勝手が違います。場違いな世界でもがいている感じです。
とはいえ,こうした全く違う世界のお作法に従って努力することも大切かと思っています。県庁から商社に出向した時,シンガポールで新事務所の立ち上げをした時,民間企業からの出向者と混成の財団に出向した時,大学に転職した時,それぞれ,違う文化や作法に面食らいながらも,否定しても仕方がないので,なんとか適応するように努力してきました。今となっては,過去の蓄積や業績,知識・技術がそのままでは通用しない場面をいくつも経験していることが,自分の強みではないかと感じています。とはいえ,簡単なことではないと改めて感じています。
それぞれの世界は,それぞれの価値基準で動いています。それだけに,今後さらに重要となる,分野横断的な組織間連携の難しさを改めて感じます。
2009年8月15日
先週は,お盆モードで静かな職場で,静かな一週間を・・・のはずでしたが,前半は議会対応で,水曜日は,廿日市市の友人と国際化推進計画議論と地域の円卓会議議論をした後に瀬戸内海に釣りに・・・。後半は,小児救急電話相談の研究会対応で・・・。
今日は尾道に墓参りと老親孝行?に。意外に渋滞していなくて助かりました。
明日は,中山間地域医療の先達として尊敬している先生をおたずねした後に,島根の山の中の温泉に1泊で愛妻!孝行です。とりあえず,静かな週末を迎えることができていることに感謝です。
2009年8月7日
昨日から,香川県庁のグループリーダー候補者研修に行ってきました。今年で3年目です。最初は,自県の幹部候補研修の講師になぜ他県の職員を講師に呼ぶのかと問題もあったようですが,奇跡的に続きました。午後1時から5時までの4時間の長丁場です。今年は,3分の2が技術系の職種の方でしたので,雰囲気が違いました。医療分野を初めとする技術職の方の世界では,「事実に対して謙虚」という大きな価値があるように思います。
今朝は,友人夫婦がわざわざ休暇を取って,うどん屋さんのはしご(3軒!)に案内していただきました。さすが,うどん大国香川です。朝早くから,広域的な県外ナンバーの車が集まっている有名うどん屋さんに,びっくりしました。
どこの組織でも,恥ずかしくない仕事をしたい,納得できる良い仕事をしたいとの思いを持った職員の方々がいらっしゃると思いますが,ややもすると,厳しい現実に巻かれてしまいます。
格別,目新しいことをお話できる訳ではありませんが,いろいろな経験をしてこさせていただいた私でも,やはり「社会のために」を掲げ続けられる行政の仕事が面白いと思う,そんな青臭い考え方に価値があると思う,ということをお伝えさせていただくことで,元気が出る人が何人かでもいらしていただければと思っています。
2009年8月2日
先週のひとり言で忙しくないと書いたものの,単につけを先送りしていただけで,ここ数日,3時4時起きが続いています。お尻に火がつかないとできないというのは仕方がありません。もっとも,集中力には波があるものだと一人で言い訳して,こつこつやってます。
ところで,今年は,国立保健医療科学院の研修を2本頼まれたのですが,その話が来たきっかけは奈良の先生のご紹介だとか。そういえば8年前から関わっている国立精神保健研究所の仕事の発端は栃木の先生のご紹介でした。なんだか不思議なところで,人がつながっていっています。いろいろなご縁に感謝です。
とはいえ,いつまでもこんな形で楽しめる訳ではないので,本気で職探しをしなければ。
2009年7月26日
なんというか,中途半端な感じで時間が過ぎています。本業の方は,めちゃめちゃ忙しい訳ではなく,かといって格別に暇な訳でもなく,本業以外の方は,来月に香川県庁と広島県庁の職員研修に呼んでいただいてるのでその準備や,今年から新たに頼まれた2つの研修の準備と,9月10月の2つの学会での発表準備,ここ3年ほどお手伝いしている小児救急電話相談の研究会の資料作りなどいろいろありますが,それでも目の色を変えて走り回るというほどでもありません。
このくらいの忙しさが,ほどほどなのかもしれません。
先週は,北京で日本語を教えている友人が一時帰国したので,いろいろと話を聞かせていただきました。以前は,広島市内で中学校の先生をしていたのですが,退職して中国へ。元々,バイタリティのある方でしたが・・・。すごいです。
2009年7月19日
金曜日の午後から休暇を取って,栃木へ,
健康福祉プランナー養成塾の講師で行ってきました。市町村職員等を対象に,地域の保健・医療・福祉のコーディネーター養成を目的としたもので,今年で11年目になります。当初は3週間合宿でしたが,参加しにくいとのことで現在は2週間になっています。今年は,日本医療ソーシャルワーク研究会会長の村上先生と一緒にグループワークを担当しました。2コマ3時間で,地域の保健・医療・福祉を取り巻く環境変化と連携の課題について問題提起し,総論部分と各論部分の両方について議論していただくという,かなり忙しい内容です。静かに考え静かに語り静かに聴くという「
三静か」と呼んでいる手法により問題意識を共有してもらった上で,議論をしていただきました。
限られた時間ですので,どうしても総論的な議論が中心になってしまいます。総論だけだと表面を引っかいただけの話になりますし,かといって総論部分(なぜ何のために何が必要)がしっかりしていないと,個別のテクニック論や事業議論になってしまいます。
前の講義のボランティア論を聴講してみて,アメリカで経営学を活用して深められたボランティアのマネジメント研究がうまく導入されていると感じましたが,地域の保健・医療・福祉のコーディネートについては,まだこれからの蓄積が必要なように感じています。
研修修了後に,宇都宮にある大谷石資料館に。石を切り出した後の地下の大空間に圧倒されました。手掘りから機械掘りにと進んでいったとはいうものの,それにしても,こつこつと石を切り出しながら,よくもここまでの大空間を生み出したものだとその営為に凄みを感じました。久しぶりに体験した非日常空間でした。
2009年7月12日
本業の方が比較的落ち着いていて(といっても,当然ながらいろいろあります),この隙に学会発表準備をと思った週末でしたが,釣りと庭木の刈り込みと買い物で終わりました。庭木の方は,電動チェーンソーで切り倒したりもしています。5月の連休以来続けている刈り込みの仕上げです。20数年前に,成長が早く安いからという理由で植えたヒイラギ木犀などが伸び過ぎていて,思い切って切り込んでいます。相当思い切って切り倒したりしているのですが,意外に不自然ではなく,風通しが良くなりました。思い切ってやってみるものです。
釣りの方は友人の船で朝4時出港。仕事ならこんなことはできません・・・。釣果は充分。瀬戸内の恵みです。買い物は,今春なんとか職にありついた愚息の衣装調達に加えて久しぶりの自分のも。
最近,実践感覚を維持されておられる研究者の方と意見交換をさせていただく機会があり,その中で大学教育が話題になりました。実践を経験して大学に移ったのに,自分が語るよりも現役の実践者であるゲストスピーカーの一言を学生が新鮮かつ素直に吸収するというお話から,「教えようとすること」と「伝えよう・共有しようとすること」の違いがあるのではないかという話になりました。教えようとすると,どうしても体系的に整合的にまとめてしまうが故に,教育ママ?風になってしまいがちです。現場でやっていると,ポイントはシンプルで,むしろ気迫や思いや度胸が大切になるので,それらを「動き」として伝えようとするように思います。それによって抜け落ちてしまうものは沢山ありますが,そんなものは後からでも何とかなることは体験上分かっています。教えようとすると,どうしても抜け落ちてはいけないという思いが出てしまって,重要度,優先度で割り切りきれないというのが,悩ましいところです。
とはいえ,大学の教育については,面白くなくてもきちんと法的根拠などを押さえて体系的に理解する地道な基礎固めの学習と,勢いをつけ使命感や意欲を引き出す学習の両面が必要なのだと思います。両方同時にできればとは思いますが,そう簡単にはいかないのが悩ましいところです。
2009年7月5日
あっという間の7月です。これまで本業もそれ以外の方も,体育会系の「乗り」で,えいやっ!のざっくりとした仕事のやり方をしていましたが,今年はまた学生生活をしているために「論理的整合性」といった(これまであまり縁のなかった)ことに悩まされています。それはそれで楽しんでいるのですが,別件で今年から新たに頼まれた新たな研修についてご依頼主と意見交換をしている中で,ある報告書に掲載されているコーディネート力についての記述をご紹介いただき,物事はあまりに整理されすぎるとかえって体を動かす実感から離れてしまうのではないかと感じました。
もちろん,整理の適否の議論ではなく,行動を身に付ける際の,学び方の問題です。学生時代に長野の南小谷の小さなスキー場で毎冬1か月ほど皿洗いをしていた頃に経験したスキー指導の巧拙の話を思い出しました。 普通のスキー講師は,「ひざを曲げて」とか「ひざでスキーの先端を押さえるように」とか「腰の位置をかかとの上に」とか「ストックの先は両側の斜め後ろに開いて」などと,細かく具体的に指導するのですが,本当にうまい指導者は,「両脇で丸太を抱えた感じでちょっと猫背に」などと言うだけで,ちゃんと伝えるべきことを伝えていました。
考えてみれば,下手な者にあれこれ言ってもこんがらがるだけで,部分的なところばかり意識して,大きな動きとしては理解できません。個々の正しいことの積み重ねが全体の正しい結果につながるというものではないというのは,実践では当然のことです。とはいえ,形も大切ですし,悩ましいところです。
論理的な整合性と緻密さと,体を動かして体で感覚を覚えることの両立が必要なのだと思うのですが,なかなかそれができないことが問題なのだと改めて感じた次第です。
2009年6月28日
相変わらず,本業もそれ以外もドタバタです。本業の方では,次々にいろいろ起きているのですが,まあ,こんなトラブルがみんな一度に起きるよりはまだましかと自分に言い聞かせて,こつこ対応しています。
本業以外では,学生稼業の方にもっぱら時間を使っています。先週も書きましたが,研修講師などでは,いろんな本を読んだり自分で考えたりしたことを自分なりにまとめてお話すればいいのですが,学会発表や論文では,それはどの本の何ページに書いてあるのか,といったことが問題になります。今まで何度も使っている言葉でも,いざ正確な出典と掲載ページを確認しようとすると,結構な手間がかかります。それについてとやかく言っても仕方ないなと思いながらやってますが,これって大切なことかもと思っています。自分の世界で慣れたルールで過ごしているだけではなく,違うルールを経験する中で,本の読み方も変わってきます。どちらがいいとか正しいとかの話ではなく,変化が生まれるということ自体に意味があるように感じています。
2009年6月21日
昨日は,学会(中国支部大会)での発表でした。12年前に,救急医療情報ネットワークを立ち上げた時に,他の学会から声をかけていただいて発表して以来の学会発表です。講演や研修講師では,自分が言いたいことだけを言えばいいので気が楽ですが,学会では何をどのように論証したかが問われますし,いろいろと「お作法」もありますので,勝手が違います。
とはいえ,なんとか済ませて,やれやれです。論文を書くためには,一定回数の学会発表がノルマ?になっているので,しばらくは難行苦行が続きます。
(再び)とはいえ,これまでこのように,他の土俵で,そこの土俵のルールで新たな取組みをすることを続けてきました。全国初の公務員の商社出向を経験した時もそうでした。机一つもらって,何をしてもいいし何もしなくてもいいと言われて,2か月は仕事が見つからず無為と焦燥の日々を過ごしました。(でも,所属した本部でその年唯一の事業化に成功した新規事業を立ち上げたことが素直に自慢です。)シンガポール事務所を立ち上げた時もそうでした。この時は,言葉の壁もあったので,さらに不安感が強くありました。大学に移った時も,片道切符で移ってみて,「先生」だらけの世界で,全国初の社会連携の仕事を立ち上げる,先の見えない模索の日々はスリルがありました。
慣れ親しんだ世界とは別の世界で,過去の知識・経験の蓄積や実績など何の役にも立たないところで,その世界のルールで,ゼロから成果を生み出し認めていただくというのは,簡単ではありません。その世界のルールを否定したり非難したりしても,何の評価にもつながりません。過去の栄光は過去のものであり,今この場所で自分が何を生み出したのかが問われるというのは,ある面すっきりしています。過去への甘えや撞着を振り捨てて,今の新たな実績だけを問われる世界で勝負をするというのは,過去の蓄積から得られた肩書きなどにこだわらないという点で,素直に覚悟を決めれば,すがすがしいものがあります。
人は誰も過去の栄光からは自由になりにくく,過去の成功体験に縛られてしまいます。過去の延長線上の快適なぬるま湯から出るのは簡単ではありません。昨日と同じ今日,今日と同じ明日というのが,確実です。不確実な未知数の世界を面白がろうと一生懸命にならなければ,つぶれてしまいます。
2009年6月13日
本業の方で1年近く前から取り組んでいる「海外の人材が活躍できる環境づくり」の一環として企画した,北京での県内大学と共同しての広島県留学フェアも昨日無事開催でき,ほっとしています。一つの事業が形になるためには,いろいろあります。
今週末は,連合広島から頼まれた(本業での)米軍基地問題の講演と医療ソーシャルワーカーの研究会への参加と三原市のシンガポールとの中学生交流の研修会など,いろいろあります。
ここのところ,家の中の模様替えで壁面本箱の増設や整理などもあり,ひたすら即物的な行動に終始しています。もう少し,うるおいと余裕のある生活をしたいものです。(とは言いながら,性分なので,貧乏性のまま行くのでしょうけど・・・)
2009年6月7日
なんとも落ち着かない日々を送っています。本業の上に学生があってノルマ?の学会発表の準備があり,そのほかにもあれこれ頼まれごとが多いので日々をこなしていくのが精一杯です。とはいえ,頼まれごとが少ない2月3月が時間を有効に過ごせているかというとそうでもなく,凡人閑居して酒量増えるといったものなので,今くらいが健康的なのかもしれません。
いつものことですが,やるべきことが山積していると,ほかの事に手を出したくなります。試験勉強の時と一緒ですね。今週末は,家の中の本箱の移動などをしました。延べで本箱4箱分くらいの本を動かしたら,体中が痛くなってしまいました。
なんだかんだと,結局あまり集中できないまま週末が済んでしまいましたが,その分,まったりとして,先日,富山で友人が「富山で一番うまい酒」といって持たせてくれたお酒を楽しんでいます。
朧月夜に日本酒,いいですね。
おっと,飲み過ぎないように,大切に飲まなければ・・・。
2009年5月31日
土曜日は大学院のゼミで,5月に予定している地方学会での発表のリハーサル。通常の講演とは違って,論理性や整合性が問われるために,どうも勝手が違います。でも,そんな中で,今までとは違う土俵を経験することの大切さを感じています。考えてみれば,これまで,公務員の世界から商社へ,そして海外駐在へ,財団勤務へ,大学勤務へと,何度も違う土俵に飛び込んでみて,その都度,評価基準やルールが違う世界に戸惑いながら,もがいてきました。それまでの「自分の常識」からすれば唖然とすることも数多くありましたが,それを言っていても仕方がないので,新しい土俵のルールややり方で勝負せざるを得ませんでした。そんな経験の積み重ねの中で,学ばせていただいたものは大きいと思っています。
人はどうしても,一つの土俵で長く勝負をしていると,その土俵でのやり方やルールが絶対的なものだと思うようになり,違う土俵のやり方やルールが理不尽で意味のないものに見えてしまうことがあります。しかしながら,それぞれの土俵のルールにはそれぞれの必然性や必要性があり,それを批判や否定していても仕方がなく,そのルールの中で真剣に勝負をしていく中で,柔軟性と応用力がついてくるように思います。
土曜日の夜と日曜日は,かろうじて大阪で仕事を見つけた愚息のところに愛妻!と。鶴橋の焼肉と新天地の串揚げという,極めてローカルな定番に連れて行ってもらって,大阪での生活が定着し始めたことを心強く感じたところです・
2009年5月24日
木・金と休暇を取り,木曜日に東京で小児救急電話相談(#8000)の研究会に出た後,富山に行ってきました。元々は,土・日と,
公務員の組織風土改革の交流会を富山で開催する予定だったのですが,新型インフルエンザ騒ぎで直前になって中止となってしまったので,地元富山の準備チームと残念会をしてきました。
公務員の組織風土改革の交流会は,国や都道府県,市町村の職員が参加しており,9人の運営委員で年1回開催しています。私も運営委員の一人として開催準備に関わってきたので,中止は残念でした。中止の決定に至るプロセスでの情報交換では,行政の広い分野に新型インフルエンザの影響が広がっていることを実感しました。
小児救急電話相談の方は,24時間365日相談できる体制をどう作るのかが課題です。都道府県単位では対応できない部分もあり,全国センター機能をどうするのかとか,119番との連携をどうするのかなどなど,難しい課題があります。社会のサービスが高度化する中で,提供体制についても単純にはいかなくなります。
ところで,東京の会議から富山の交流会まで1日余裕があったので,鈍行列車で行くことにしており,ここの部分は予定通り楽しんできました。東京を8時過ぎに出発して,上野,高崎,水上,六日町,直江津と5回乗り換えて午後6時過ぎの富山到着まで9時間余の旅行です。毎日の通勤で乗る列車の中では20分を無駄にするのがもったいなくて常に何か本を読んでいるのに(唯一の読書時間ですが,結構まとまった本が読めます。),旅行に出た時には一日中何もせずに列車に乗っていても飽きないのが不思議です。高校2年生の夏休みに,寝袋で駅のベンチに泊まりながら,糸魚川から下関まで日本海沿いを鈍行列車を使って,1週間かけて一人で旅行したことを思い出しました。
上越の山々にはまだ結構雪が残っており,地域の差を感じました。このような地域の差や個性を生かしながら,地方で自信とプライドとやりがいを感じられる仕事が提供できればいいのにと思います。
2009年5月17日
先週の木金曜日の2日間,広島としては14年ぶりの国賓としてシンガポールの大統領が来広されました。国際課長として全行程随行するなどドタバタでした。金曜日には,大統領が広島シンガポール協会の4人のために宮島で昼食会を開催していただき,この時間帯だけは随行ではなく休暇を取って招待客として参加させていただきました。大統領のほか,外務大臣や教育大臣,駐日大使に国会議員なども参加されるという豪華メンバーでの昼食会でした。
17年間の学生交流の
実績を評価していただいてのことだと思いますが,それにしてもこのような思い切った対応は,シンガポールならではのものです。さらに,昼食会の席上,大統領から,シンガポール外務省がこの度新たに外務大臣賞を創設し,その授賞第1号を広島シンガポール協会の会長に授与するとの話が披露されました。
ここまでくると,ちと出来過ぎではないかと思いますが,意味があると思えば,前例や横並びなどかまわずに手を打ってくるシンガポールの凄みを感じたところです。
シンガポール側が30人,日本側が外務省,宮内庁,内閣府から20人の大訪問団で,その車列が国賓として交通信号規制をかけて移動するのですから,一部の方にはご迷惑をおかけしてしまいました。本業の方でいえば,何事もなくて当然,というのがお迎えする側の仕事ですが,それが結構大変です。
とりあえず無事にすんでほっとしているところです。
大学院の方は,ドクター論文の提出には,学会発表の回数や学会誌への論文掲載の回数などが条件になっているので,1年目からドタバタ準備しています。
理屈よりも実践とは思うものの,学問の世界の「お約束」や「作法」に従うのも,我流を見直す良いチャンスです。「研究者」や「学者」の世界にはまろうとは思いませんが,だからといってそれを否定しても始まらないと思います。このような,「違う世界」を渡ってきたことに自分自身の存在価値があるのではないかと思うようになっています。
2009年5月9日
4月からまた学生を始め,後期課程ではゼミだけでいいのですが「組織行動論」(人的資源管理等)を聴講しています。
先週の授業はモチベーションがテーマだったのですが,それを聞いていて,正のモチベーションと負のモチベーションとがあるのではないかと思いました。「攻め」と「守り」のモチベーションと言ってもいいかもしれません。「何かを生み出すための」モチベーションと,「失敗したくない」というモチベーションとも言えるかもしれません。講義の中で,特に国のキャリアに「達成欲求」が強いという話があり,達成欲求の中には,「与えられた業務を満たせなかったことや大きな失策をしたことによりメインストリームから落ちこぼれるという結果を生み出さない」という達成欲求もあるのではと考えました。これは,「新たな課題に果敢に挑戦して,社会に求められる実効ある成果を達成する」とは,少し性格が違う「達成欲求?」のような気がします。
「失敗しない(与えられた業務を破綻させない,手続きの正当性に間違わない,社会的な発言等において非難を受けない,関係者との対応で問題を起こさない,など)」ことが大前提となる組織では,「できなかった」と言われることを避けたいというのが大きな動因であるし,「最低」かつ「必須」要件であるように思います。「できなかった」と言われないために(落ちこぼれないために)頑張るというのも,「達成欲求」の一つの形なのかと,漠然と感じました。
普段の行動モチベーションが主として正のモチベーションによっているのか負のモチベーションによっているのかによって,いざという時に道を切り拓く行動が生まれるかどうかの違いに結び付くのではないかと思います。
阪神淡路大震災の時に,公務員の行動の差が被災の大きさを左右した場面があったとお聞きしたことがあります。いざという時に適切な判断ができ行動ができる公務員になれるためには,普段からの(正のモチベーションに基づく)筋力・行動力の訓練の積み重ねが大切だと感じた次第です。
2009年5月4日
昨日は,ランドスケープで院は出たものの就職浪人かと心配させながらも崖っぷちでなんとかもぐりこんだ息子と,終日庭木の刈り込みなどをした後,バーベーキューで飲み過ぎてダウン。今日は,尾道の老親を連れて,江戸時代にベンガラで栄えた岡山県吹屋の集落見物に。急激に高度を上げた山地に築かれた集落に,過去の繁栄を感じました。
週末は,大学院のゼミで発表。学問的整合性・研究体裁の成立と現場感覚との違いを相変わらず感じていますが,それぞれの歩み寄りが必要だと理解しています。事業を推進する側にも,「理論化」の意義の理解と活用が必要かと思います。
仕事の現場では,「問題解説行動」と「問題解決行動」の違いを感じています。問題がいかに大変か,最案の場合どうなるか,などを講釈している暇があれば,それを解決するために行動するべきだという思いです。リーダーの責任は,「不安に耐えて歯を食いしばって目標を掲げ続けること」だとも感じています。
今日訪れた集落で感じた地域の未来への閉塞感と,シンガポールとの学生交流へのブタインフルエンザへの影響について,一方では地域の孤立化の悩みがあると同時に,地域が世界とつながっている現実も感じて,それらがどう結び付いていくのかが見えずにいます。
2009年4月26日
高速道路1000円ポッキリを利用して,蒜山高原近くの温泉へ。昨年から,山中の一軒宿の温泉めぐりです。温泉地の雑踏を避けて,のんびりしてきました。こうした宿を探して予約できるのも,インターネットのおかげです。群れない個性が生き残れる環境が生まれているようにも期待しています。
とはいえ,大学院の論文準備も気がかりで。「社会サービス・イノベーションのための組織間連携とマネジメントに関する研究 〜コーディネート機能とそれを担う人材育成を中心として〜」と仮に題名を提出したものの,あまりに広いテーマなので破綻しそうです。でもまぁ,初めは大きく。
多様な分野での実践経験の中で感じたことをできるだけ書き留めておきたいと思っています。組織連携のマネジメント・コーディネートのためには,組織人としての信用力と実行力が不可欠だと感じています。組織は,時間軸での継続的な信用の蓄積を背景として成り立っており,「こうすべきである」と言うだけでなく,実際にやるべきことをやり切る実行力が求められます。実際にやり遂げることが信用力に大きな違いを生み出すのであり,組織人としてのマネジメントにはこのような実行力と信用力を持った人材が求められるのだと感じています。
とはいえ,そんな現実社会での実感を論文にしていくのは簡単ではありません。理路整然としたものにはなりにくく,論文や学会発表の「お作法」にも縁がなく(というよりも,必要がなく)過ごしてきたので。とはいえ,現場の実践経験の発信も必要だと感じています。
2009年4月19日
先週日曜日は朝5時から海へ釣りに出ていたのですが,今週はひたすら机に向かっています。大学院も後期課程ならあまり大学に行かなくても済むと比較的気楽に考えていましたが,(当たり前ですが)意外にすることが多くて,ちょっとひるんでしまいそうなところもあります。まあ,それでも適当に手を抜きながらも真剣にやっていこうと思っています。
今年は,小児救急電話相談の研究会のお手伝いもあり,(これまた当たり前ですが)本業の方も忙しいので,どうなることかとは思いますが,なるようにしかならないし,そもそも悩んでも仕方がないので,日々丁寧に過ごしていきたいと思っているところです。
このあたりのところは,これまでの多様な経験の中で,それぞれすごいと思わされる多くの魅力的な方々と出会う機会に恵まれたことが,いい意味で影響していると思います。いろいろな環境下において,自分を大切にしながら静かに着実に努力を積み重ねておられる方々のことを思うと,自分にどれだけできるかどうかを取り組む前に悩んだところで仕方がなく,ひるまずに粛々と取り組んでみて,結果を素直に受け入れていくしかないと思うようになります。やらない言い訳をしているよりはいいかと。
まあ,なんとか破綻しないでこの1年を過ごすことができればと,願っているところです。
2009年4月11日
年度初めの仕事の立ち上げに,緊張感ある日々を送っています。とはいえ,昨年のような,見通しのつかない困難課題の前にぼう然としながら必死になって体を動かしている,という状況ではなく,ひるまないように自分自身を鼓舞しながら前に向かっていっているというものですので,ある種のさわやかさはあります。
ここ数日,視点の違い・姿勢の違いを感じさせられることが続きました。目の前の世界で中で生きているのか,時間の流れの中の価値観で生きているのか,というような違いもあると思います。卑近な話では,何をすればいいかと考えるか,何のために何をめざすのかを考えるという違いにも現れます。
それは,目の前の現実の一つひとつへのこだわりの違いにも現れるかと思います。社会心理学者のエーリッヒ・フロムの言葉に,"To have or to be"という言葉がありますが,お金や肩書きや資格や評価など,「持つ」ものだけでなく,その奥にあるものを大切にしていくかどうかで,違いが生まれるようにも感じます。
もちろん,現実の世界での実績と評価は大切ですし,私自身,それを重視しています。そうでなければ一人よがりになってしまうので。ただ,それの底流にあるものをどれだけ大切にしてこだわるかで,人の思考や行動に違いが生まれるのではないかと感じています。
敬愛する方からいただいたメールを読んでいて,その違いを生み出すものは,内省的な正直さと素直な真剣さなのではないかと感じました。現世の諸々ごとと向き合っているのか,時間の流れに浮き漂っている自分と向き合っているのかの違いかもしれません。
このように触発していただける人々とのご縁をいただいていることが,最も価値のあることのように感じています。
2009年4月5日
年度が替わり,職場の体制の切り替えや新年度業務の立ち上げなどでドタバタしています。それに加えて,VIPの来広準備もあり,落ち着かない日々です。
そんな中で,昨土曜日には大学院の入学ガイダンス,今日は尾道の老親を高速料金割引を活用してのしまなみドライブと,あっという間に,時間が過ぎていきます。
高速道路や本四架橋の値下げはありがたいものの,そのあおりを直接受けるフェリー会社のことを考えると,バランスの取れた政策の難しさを感じます。2年間の期限付き値下げの間にフェリー会社の経営が立ち行かなくなった場合の住民への対応など,妙案は簡単には出そうもありません。
2009年3月29日
NGOが他の団体等と共同で作っているNGOを支援する組織の方とお話をする機会がありました。自分のめざす目的を達成しようとするNGOの中にあって,自分自身もNGOの一員でありながら,NGO全体のための支援の仕事をすることの難しさの話で盛り上がりました。
個々の組織は自分の組織の活動の最大化をめざすものですが,それを実現していくためには,そのための環境整備を進め,全体活動の最大化をめざすための取組みが必要であること,すなわちコーディネーター役をする人や組織が必要であるものの,多くの人々は「自分の活動」に注力したがるもので,共有財産としての取組みには(必要性についての一定の理解はしていても)人も金も出したがらないということかと思います。でも,みんなが舞台に上がってしまえば,劇は成り立ちません。後方支援・ロジスティックスやコーディネート機能も大切です。
自分のことだけを考えれば,自分の組織の活動に注力していればいいのに,NGO全体の発展を考えれば,誰かが,自分の組織の活動を減らしてでも,全体のための仕事をしなければならない。しかし,そのような仕事の意義や価値はなかなか評価されにくいもの。このような仕事は,いろいろな形で社会の中にはあります。行政の仕事も,ある面ではその一種だと思いますが,それにしては大きな顔をしてやってると言われるかもしれません。
自分の仕事と全体のための仕事について,両方の役回りができる人もいますが,向き不向きもあるように思います。
2009年3月22日
島根県の益田市に近い山中の一軒家の温泉に,「愛妻」と行ってきました。ちょっと前なら知ることもなかったようなひなびた温泉が,ウェブ上で予約できます。
インターネットの時代は,隠れた個性が認められる時代になるという可能性を感じたところです。年末に行った九州日田近くの山中の一軒家の温泉も同様でした。
個性が,知られ,受け入れられ,認められる時代を前向きにとらえていきたいと思います。
2009年3月21日
年度末の3連休です。人事異動の内示もあり,無事,現職(国際課長)を続けることができ,今年度に引き続き来年度も充実した職員体制で望める見通しとなったことから,リラックス気分です。新年度は,本年度の後半から取り掛かった,地域の生き残りのための海外人材活躍環境づくり事業の本格的な取組みを始めるので,緊張感もありますが期待感もあります。本業の話は基本的には書かないことにしていますので,このあたりで。
先日,なぜ大学を辞めたのかを説明する機会がありました。もちろん,いくつかの理由が重なっています。大学でやってた仕事自体については,辞職直前にも文部科学省の広報誌に全国で5人の中に選ばれて論文を書かせていただいたように,比較的,評価はしていただいてたように思います。
大学と行政との仕事を比較すると,個人の能力が問われるのか,組織として成果を出すことが問われるのかという違いではないかと思います。違う言い方をすると,大学時代は,「橋本」個人の能力が評価されて,やりがいや達成感がありましたが,同時に,自分の能力の限界が自分の仕事の限界になっているようにも感じました。もちろん,大学と社会との連携推進の仕事でしたので,学内の他の教員との連携はかなりしていましたが,それぞれの教員の本来目的(専門分野)はバラバラです。
これに対して,今の状況は,自分とほぼ同じ能力を持った職員20人が同じ目的を持って一緒に働いている訳で,考えようによっては,これはすごいことです。特に今年度は,新たなテーマを打ち出して課を挙げて取り組んでいますので,みんなが同じ目標をめざして取り組むということの充実感を感じています。(新たなことに取り組む不安感や恐怖心などももちろんありますし,うまくいかないことも多々ありますが)
行政の組織風土改革がめざしているものも,行政の中だけで働いていると意識する機会が少ないこんな感じを,大切にしていくことではないかと思っています。
今週,広島にある国連機関の本部長が来広されました。来広前に広島事務所長さんから,本部長来広時の講演について,多様性や平和をテーマに何かいい講演タイトルはないかと相談されて,"Power
of diversity to create peace in the knowledge-based society"を提案したところ本部長さんにそのまま採用していただきました。"Power"の部分が気に入っていただいたのかと自分では思っています。重箱の隅をつつくような話だけでなく,力強く変化を起こしていく前向きの取組みが求められているように思います。
2009年3月15日
ここ何年も通勤時にはクリントン(元)大統領のスピーチを聞いていましたが,最近は,オバマ大統領のスピーチを聞いています。といっても,全部が聞き取れる訳でなく,聞き流していると言う方が近い状態ですが
個人的な感想では,クリントン大統領の演説の方が内容が分かりやすく聞き取りやすく洗練された感じがしますが,オバマ大統領方は自分の存在をかけて語っているという迫力があるように感じます。どちらがいいという話ではなく,生い立ちと生き方の違いということだと思います。
「困った時の原点帰り」という感じで,危機的な困難な時代には,理性的でスマートで緻密な実行力だけでなく,自分の存在の原点から考え行動することに重要性の比重がかかっていくように感じます。
嵐の中でもぶれないしっかりとしたコアを持っているということ,そしてそれがそれまでの生き方の中から培われてきた安定感のあるものであること,それが頭で考えたものを超えた迫力を生み出すのかもしれません。
2009年3月8日
本業の方もほぼ山を越えかけて,個人的にも講師準備も研究レポートもなく,年間で最も落ち着いた日々です。
友人の推薦で,最近話題の?「カリスマ教師」原田隆史先生の本を3冊ほど読みました。大阪市内の荒れた中学に赴任し,陸上部を指導して7年間で13回日本一に導いたというのがキャッチフレーズとなっています。
内容は,成功は技術であり,自分の理念を整理し,最終的にめざす長期目標,途中段階の経過目標,毎日やり続けるルーティン目標,期限を切って実現する期日目標などの設定をするとともに,成功のための(最高の自分と最低の自分の)自己分析をして予想される問題点を洗い出して解決策を考えておくこと,メンターを探して求める支援を考えておくこと,などのほか,「心・技・体」とともに日々の「生活」から変えていくこと,自分の感情を書くだけの日記ではなくその日を振り返りできたことできなかったことを確認して明日の目標を書く「日誌」を続けることなど,納得性の高いものでした。
まず自分を変えて行動していくこと,小さな「すさみ」を取り除くことで心のコップを上向きにできること,小さな達成感の積み重ねが大きなものを生み出していくこと,一対一で相手に関わる短い言葉をかける「ストロークを打つ」こと,本気になることのできる「心づくり」・人間力が大切であること,目標(夢)は放っておくと劣化するものだから不断の工夫が必要,など実践経験の中から生まれた言葉が数多くありました。最近は,企業経営者からの講演依頼が多いというのも理解できます。
中学校という,教師の指導で生徒が変わるのが目に見えて実感できる環境(これは企業のビジネス環境にもつながるものがあるかもしれません)でのこの貴重な知見を,個人の取組みと組織としての成果とのつながりが見えにくい行政の組織の変革にどう活かしていくのかを考えていく必要があるように感じたところです。
2009年3月7日
久しぶりに何にも追い回されない週末です。ゆっくり寝て,髪を切りに行ったほかは,終日,本を読んでいました。ちょっと贅沢な週末です。
先週受けた入学試験も無事合格し(といってもほとんどが合格でしたが),今度は無事修了できるかどうかの心配をしなければなりません。
議会も山を越しかけて,年度末を迎えつつあります。
とはいえ,相変わらず,公私共にバラエティに富んだ出来事続きです。昨夜は,シンガポールからの来客たちとのプライベートな夕食会でした。直近の2007年の統計で,一人当たりGDPがついに日本を上回りました。若くして高いポジションを任され,自信と責任感に溢れた彼らの語り口には,素直にすがすがしさを感じます。
最近,組織風土改革の関係で,いろんな議論をしています。前に向かって取り組んでいないと見えない価値があり,いい仕事をしようとみんなが意気込んでいて,それぞれに認め合っていて,それぞれの力が組み合わさって何倍にも広がっていくというのが理想だと思います。そのためには,めざすものの共有が必要だと思いますし,それに伴って,それぞれの個人の内圧が高まっていることが必要だと思います。個人と組織の内圧(使命感に
基づいて緊張感を持って前に向かっていこうとする思い)がないところでは,(群れることはあっても)仲間を求める思いにつながりません。そこをどうすればいいのかと悩む中で,「必然性」という言葉が出てき,それを生み出すものとして,「生き残り戦略」という言葉を使っています。
大げさな言い方かもしれませんが,1965年の独立以来,常に国としての生き残りをかけて挑戦を続けてきたシンガポールを間近に眺めてきて,「生き残り戦略」という言葉を現実味を持って感じています。
2009年3月1日
相変わらず,こまごまとした案件に振り回されています。
例年この時期は,まとまった仕事ができないままに過ぎてしまいますので,職場でも,来年度に向けてしっかりとした取組みを始めようと気持ちを引き締めているところです。
先週の日曜日は,とりわけ寒く途中から雨でしたが,早朝6時半から9時間,ボートで釣りをしていました。期待以上の大漁で,帰宅後に4時間かけて50匹以上の魚の下ごしらえに格闘していました。凍えた指先の感覚が2日ほど変でしたが,瀬戸内海の良さを楽しみました。
昨日は,入学試験を受けてきました。口述試験だけですが,やはりそれなりには緊張するもので,時々はこのような経験も良いものだと思います。自分自身の経験を振り返ってみて,やはり大きかったのは,公務員の仕事をベースにしながらも,商社出向や,シンガポール駐在,民間企業社員と共同での財団事務局,広島大学など,それまでの知識・経験,実績などが役に立たない,異次元の環境を何度も経験させていただいたことだと,最近特に感じるようになりました。人は同じ環境の中で過ごしていると,どうしても環境に馴染んでしまい,新たな環境に飛び込んでいくことが億劫になりがちです。
その点では,まったく異質な環境に飛び込む経験をした数が多い分だけは,何か得たものがあるように感じます。
2009年2月21日
本業の方で,大きな山を越えかけて少しほっとしているところにも,いろいろな課題はでてきます。緊張感が高まっているときには集中力もあり,また,小さなことにあまりこだわっている余裕がないこともあって,一気に片付けていくようなことも,集中力が少し下がっている時には,対応に疲労感を感じます。これまでの経験でも,節目を過ぎた直後の自分自身のバランスの取り方が難しいように感じています。
最近,民間企業と公務員の世界との組織風土改革の進め方の違いについて考えています。民間企業であれば,倒産の危険や部門の評価などの形で常にプレッシャーがかかり(例外はあるにしても),組織管理においても,上司の評価によって昇任や昇給,ボーナスが変わってくるのに対して,公務員の世界は,決められたこと求められた役割を失敗せずにきちんとやるということが第一評価基準であって,飴もムチもない中で,新たな変革に自発的に取り組むという環境の違いがあるのではと思います(例外はあるにしても)。部門の評価という点でも,運命共同体になりにくい面もあるように感じます。
そんな環境の中でも,せっかく公務員という仕事を選んだのだから社会に対して責任感のあるいい仕事をしたいという思いと行動があって,そうやって行動すればするほど,公務員の組織の問題点も感じ出し,そのような行動を支え応援するような組織風土が必要だと感じるようになるのではないかと思います。
気楽でまじめな議論のできる風通しの良い組織風土をつくれば,変革を生み出す力が自動的に生み出される訳ではなく,公務員としてのめざすものや使命感があり,自ら行動しようとする人たちがいて,それを支える環境として,組織風土改革が求められるように感じています。
もちろん,「ニワトリと卵」のところもあり,気楽でまじめな議論のできる職場があってはじめて,多様な自発的な職員の取組みが生み出されるという側面もありますし,そもそも組織風土改革というのは,そのような局部的な話ではなく,結果として組織自体が総体として,感性と反応性とフットワークの良い組織を生み出していくという,より大きな概念だから,そのような手法論の世界の議論ではないという意見もあります。
ただ,組織風土改革という言葉自体が多様なとらえ方をされる言葉であるだけに,何かを変えようと思って,じたばたと走り回って水の大切さおいしさを感じるというのではなく,のどが渇く前においしい水の正しい飲み方を議論するような,テクニック論に矮小化される場合もあるように感じています。
2009年2月15日
本業の方で抱えていた難問がなんとか解決の方向になり,緊張感が緩んだ週末でした。
結局,自分の本や書類の整理と,家の中の片づけで,だらだらと過ごしてしまいました。たまにはいいかと。
2009年2月8日
先週末は,家の台所の模様替えに忙殺されていて,書けませんでした。
今週末は,公務員の組織風土改革の交流会の関係で,(ポケットマネーで)東京での研究会に行って,先ほど帰ってきたところです。折角,公務員という仕事を選んだのだから,社会の不条理への良質な怒りを大切に,言い訳をせずにいい仕事をしていきたいと思う人たちに会って,いい時間でした。
今回は,県の副知事や市の副市長の方も何人か参加されていたのですが,いい仕事をしようと思って悩むという点ではみな同じだと感じられたことは意義があったと思います。
先週は,アフリカのサハラ砂漠以南の国々の政府職員の方々7名に,2時間半ほど,なぜ行政は住民にサービスをしなければならないのかについて語っていました。昨秋,カンボジア政府職員対象の研修でしゃべったのと似たような内容ですが,前回はクメール語の通訳を介してだったのが今回は自分で直接語りかけることができたので,(アフリカ英語の聞き取りに苦労はしましたが)より手応えを感じることができました。
今年度も,最終コーナーにさしかかっています。最後まで,緊張感を維持しながらやっていきたいと思っています。
2009年1月25日
相変わらず緊張感の高い日々を過ごしています。そんな中で改めて感じているのは,先週も書いた,うまくいく保証のない不安となんとか折り合いをつけながら(「不安と戦いながら」と言うよりも,こっちの方がしっくりきます)ものごとを地道に進めていくことの大切さと難しさです。
新たな変化を生み出していくためには,「知識・技術」に加えて,「問題のとらえ方(企画力)」と「周囲の巻き込み方(コーディネート力)」が必要だと思いますが,それに更に,「行動力・突破力」とでもいうものが重要であるように感じています。これは,「忍耐力」と言い換えてもいいのかもしれません。攻めていく力と言うよりも,むしろ途中で止めないための力とでも言った方がよさそうなものかもしれません。
年度末が近づき,手応えも感じつつ,残っている大きな課題のプレッシャーと折り合いをつけながら,「悩んでも仕方ないんだから」と過ごしているところです。
2009年1月17日
1月に入って,ずうっとドタバタしています。懸案課題の整理と,新規事業への前向きの取組みの両方があり,懸案課題の整理も難題で先が見えない取組みで不安だらけなのですが,新規事業の方も,これまでに例の無いことをやろうとしているだけにスリル満点です。改めて,(ささやかな話であっても)前例のないことに取り組もうとすることの難しさ,不安感の問題を感じています。
これまでに何度も,前例のないこと,したがって周囲にも理解されにくく,成功の保証もなく不安なことに取り組んできただけに,結構深刻にドキドキする状態ではありながら,新しいことに取り組むというのはまぁそんなもんだと妙に納得して自分自身を冷静に眺めている自分があります。
そういえば,今年度,課題山積・突発案件乱発の職場で,スタッフに一番多く言ってきた言葉は「悩んでも仕方ないんだから。」というものだったように思います。悩んで問題が軽くなる訳ではないので,悩む前に,不安や悩みを少しでも軽減するための現実の行動を一つでも二つでもやっていこうというつもりで言ってたような気がします。幸いにスタッフがすばらしいので,首の皮一枚をすり抜けて,崖から落ちずにやって来れています。
でも,受身で降りかかってきた問題を解決するスリルと,自分が言い出して関係者を巻き込んで進めているプロジェクトのスリルとは,若干質が違うような気がしています。受動と能動と言ってしまえばそれまでですが,思い描く方向をめざしながら成功の保証のない中で,風に向かって立ち続けながら,様々な不安を抱えていくことは,自らまいた種だけに,他人や環境の責任に添加できないつらさがあります。でも,最初は海のものとも山のものとも分からず,先導している自分自身,方向性は感じながらも先が見えずに霧の中を手探りで進んでいる状態だったものが,ほんの少しずつでもピントが合いだした感覚で,現実味が出だした時の感覚は何ともいえないものがあります。
もしもうまくいったらと,取らぬ狸の皮算入で,にやけそうになる自分と,過去の数々の失敗経験から,そんな夢物語に浸らずにとにかく脇を締めて最大限の努力を続けるべきだと警告する自分とがあります。
ところで,金曜日には,県内の英語指導助手(厳密には言語指導助手,外国から来た青年)1年目の50人ほどに30分のスピーチをしました。日本語でも予定時間どおりに終わるのは難しいのに,英語でしゃべりながら時間管理ができるかと不安でしたが,+1分で無事終われて正直ほっとしています。来月は,サブサハラ(サハラ砂漠以南の国々)の政府職員に「なぜ行政は住民にサービスする必要があるのか」を2時間半語る予定です。
2009年1月11日
3連休の最初の2日間を,年末に引き続き,家の模様替えで過ごしました。昨日は,ブラインドを2つ取り付けていたのですが,木ねじを締めて取付金具を固定した後に問題を発見し,結局2か所の止め金具を付け替える羽目になってしまいました。計画性が悪い,事前に気が付かないのは注意力不足,と言ってしまえばそれまでなのですが,実際にやっていると気が付かないものです。
仕事でも,そのようなことはよくあります。実際に一生懸命になって行動していると,意外な失敗があるものです。でも,そんな経験の積み重ねの中で,忍耐力が養われ,打たれ強く粘り強くなっていくもののような気もしています。(負け惜しみかもしれませんが)
ただ,そんな失敗を,実際に行動していない者が,結果だけ見て批評することには許せないような思いがします。世の中,最近守りの姿勢が強くなっているような気がしますが,失敗を恐れて何もしなくて,他人の失敗を批評するというのでは,変化が起きませんし,なにより,楽しくないと思います。
経験のあることをスマートに要領よくこなすことよりも,新たなことに馬鹿な失敗や膨大な無駄に悩みながらもがく方が,楽しいし次への蓄積になると感じています。
2009年1月9日
静かに新年の始まりを味わうはずの週でしたが,思いもよらず,準備不足のままトップギアで突っ走った1週間でした。
でも,いろんな方が職場に話しに寄っていただけたことは幸せだと思います。それも,必死に集中して走っている時間を偶然はずしての訪問ばかりでしたので,運の強さを感じたところです。
年の初めから無理やりテンションを上げての時間でしたので,いろいろ考えることができました。その中で改めて感じたのは,社会性のあるめざすものを持つ大切さです。自分がこの社会に何を寄与することができるのか,というのは大切な問いであるような気がしています。
2009年1月7日
新年早々,あたふたと毎日を過ごしています。
「安全・安心なまちづくり 安佐北区民大会」の
状況報告を見つけましたので,蛇足です。
2009年1月4日
年末年始の9連休も,3日間の九州旅行と,6日間の大掃除+家の模様替えであっという間に終わってしまいました。
普段は,年中通して目の前のことに精一杯で過ごしているために,気になっていても手を付けれずにいたことをまとめて片付けました。
明日から平常ペースに戻って頑張らねば。
2009年1月2日
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
今年がみなさまにとって良い年でありますように。

Since 13 Feb. ' 05