橋本康男のひとり言2003年 '01 '02 '03 '04 '05 '06 '07 '08 '09 '10 '11 '12 '13 '14 '15 '16 '17 今年
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2003年12月28日
 年の瀬も押し詰まってきました。
 12月26日の御用納めの日の午後5時前にぎりぎりで手続きが完了し,大学情報サービス室の助教授2名の公募を開始しました。来年4月からの採用予定ですので,遅きに失しているのですが,国立大学法人化の準備の関係で定員の確保が遅くなり,公募もこの時期になってしまいました。
 それでも,大学として,これまでの丸3年間の大学情報サービス室の活動を評価していただき定員措置をしていただくことができました。
 公募期間は,1月30日までですので,もし適任者をご存知の方がいらっしゃれば公募の件をお知らせいただければ幸いです。
 大学情報サービス室では,個人商店の集合体としての大学ではなく,学内横断的で組織的継続的な社会との連携により,大学の持つ知的資源を活用し,地域の価値を高めていくことをめざしています。まだまだ模索段階ですが,それだけ面白いとも言えるかもしれません。

2003年12月16日
 あっという間に時間が経っています。(いつも同じ表現ですが。)この1か月ほど,広島中央地域の産業振興アクションプラン,高田郡吉田町の産業振興協議会の報告書,障害者作業所の新たな社会的役割の創出に関する研究報告書などのとりまとめに加えて,某国立研究所から頼まれている2つの研究の準備(なんと12月24日の夕刻から東京で研究会です!),公立学校事務長研修会や口和町社会福祉協議会の大会での講演,中四国大学地域貢献シンポジウムでの発表やパネリスト,シンガポール国立大学からの学生交流の受入(受入累計577人になりました。),国立大学法人化に向けて変化する組織の議論と人員確保対策などなど,息を詰めて走っている状態でした。
 11月には,NHKのおはよう日本の全国版で広島大学の地域貢献の特集を5分ほどですが,していただきました。
 このほか,元いた職場の風土改革のグループのメーリングリストでの議論にも参加させていただいています。その投稿の一部を引用しておきます。
 「私が県庁にいた昭和51年4月から平成12年12月までの24年9か月の間,ずっと感じていたのは,誰かが道を拓いてくれるのではないかという期待でした。
 1年単位の組織外派遣研修もそうでしたが,結局は自分で作ることになりました。
 そんな思い悩みながらいた時に感じつづけていたのが,今回のレジュメを圧縮する時にも落とせなかった,コーディネーターの説明の最初に書いた「自分の持っている問題意識が自分だけのものではなく,そんな問題意識を持つことが間違っていないんだということに自信を持つこと」の大切さです。
 まあ,あんまり自信たっぷりにされるのも困りますが。
 この自分の思いを共有することができていたら,もう少しは楽だったのではと思います。ただし,同時に,このようなことは自分自身が自信と不安の中で模索し続けていないと身につかないものでは・・・という思いもあります。
 県庁時代には,自分で「半歩前に」とか「中腰の姿勢(へたり込まず舞い上がらず)」といった言葉を自分自身で考えながら,自分を励ましていたような気がします。
 ブレーキとアクセルとを同時に踏まないと生き残れない世界の中で,メインストリームからはじき出されない範囲で社会のための変化を起こしていくというのは,結構大変だと思います。
 ただ,私がお伝えしたいのは,そのような「負」の要素の多いと思われる県行政の組織の中でも,一定の理念を持って粘り強く仕事をしていればそれなりの筋力は付いていくし,それはある意味では地方行政では(効率は悪くても)地域の人々の生活感覚から遊離しないで地道に変化を生み出していくトルクの強いエンジンを作るためには必要な部分もあるのではないかという点です。
 もちろん,それが現状工程になってはいけないと思いますし,もっと素直にスムーズに力が発揮できる環境が必要だとは思いますが。
 県行政の中で,目だって浮き上がらないように着陸寸前の飛行機のようにフルフラップでエンジン全開で微妙なバランスを維持しながら一つのコースを確実に進んでいくことも全てが悪い訳ではなく,変化を生み出すためには,うまくバランスをとりながら進めていく必要があるように感じています。」

2003年11月13日
 いつもいつも同じフレーズですが,ばたばたしているうちにあっというまに月日が経ってしまっています。
 今日はトップページの写真を新しくしようとしているうちに,前回書いた独り言を間違って消してしまったようです。何を書いてたか覚えてないくらいですから,どちらでもいいようなものですが。
 なかなか,ホームページの作成・更新に慣れません。

2003年8月24日
 相変わらず余裕のない生活を送っています。
 こども科学わくわくプロジェクト,中学生のシンガポール交流,地域産業振興ビジョンづくり,在住外国人共生,行政等職員研修,触法精神障害者社会復帰支援情報システム,障害者作業所支援などから厚労省関係の自殺防止対策研究班まで,支離滅裂を超えたところでどたばたしています。
 中学生のシンガポール交流は,8年間手伝っている三原市の中学生のシンガポール交流が,今年はSARSでいけなくなったのでホームページと掲示板,インターネットテレビ電話での交流に切り替えたものです。中学生が日本の学校生活の紹介などを英語でやってますので,もしご興味があればどうぞ。http://www.tako.ne.jp/~friends/
 こども科学わくわくプロジェクトは,マツダ財団さんと広島大学が連携して,こどもが科学にわくわくするために複合的な事業に共同で取り組もうというものです。サイエンスレクチャーや科学塾,小学校の先生のための理科教育のお助け部屋など,今年は300万円,来年からは年間1千万円規模で実施する予定です。http://home.hiroshima-u.ac.jp/wakupro/
 8月初めには,島根県在住外国人共生セミナーの講師で出雲に行ってきました。私自身は専門家といえるものではありませんが,しまね国際センターに熱心に取り組んでおられる方々がいらっしゃるので,いくらかでも応援ができればと。レジュメを駄文抄に入れておきました。
 行政職員等の研修は,今年はなぜか立て続けにやっている感じです。専門的な話はできないので,他人の力を生かす社会システムづくりを通じて自分の能力を超えた成果を生み出すという行政の仕事の面白さや,変化の時代にあってはこれまでの知識や経験の蓄積だけでは対応しきれず若手職員を含めて多様な人々の力を活用することが必要などといったことをお話しています。これもレジュメを駄文抄に入れておきました。
 国立大学法人化を目前にして,先の見えない中でとりあえず目の前のことに追われているという感じです。

2003年8月13日
 毎回同じフレーズですが,いやー月日の経つのは早いですね。
 あっという間の2か月でした。
 この間,わくプロ(科学わくわくプロジェクト)http://home.hiroshima-u.ac.jp/wakupro/の準備やシンガポールとの中学生交流http://www.tako.ne.jp/~friends/,自治医大での市町村職員の健康福祉プランナー養成塾講師,島根での在住外国人共生セミナー講師,シンガポールとの中学生交流の関係で休暇をとってシンガポール訪問など,いろいろありました。
 それはまた改めて書くとして,今日はとりあえずの更新だけです。

2003年6月15日
 いやあ,月日の経つのが早いこと。どうも,自分の能力も考えずに声をかけていただいた仕事を何でも引き受けてしまっている上に,自分でもいろいろ作り出してしまっているせいだと思います。
 県内某市の中学生のシンガポールの中学との交流も一番最初からこれまで7年間手伝っています。これは,税金を使って子どもに外国旅行をさせさえすれば「国際人」になる訳ではないからと,子どもたちに「お客さんとして行くのではない。相手の時間も使わせてもらって,ともに価値のある時間にしていくためには,十分準備していく必要がある。」と言って,事前に10回程度土曜日の午後を使って事前研修をしてもらっています。その努力が認められて2年目には相手校からホームステイで引き受けるという提案をいただき,4年目には1泊のホームステイを3泊にしようと言っていただき,5年目からは相手校の生徒が訪問してくるようになっています。8年目の今年は,SARS騒ぎで相互訪問が中止になってしまいました。今年の訪問予定の生徒さんは選考済みでしたので,折角の交流の歴史を何らかの形でつなぎたいと思ってホームページとIPテレビ電話による交流を提案しました。一部の関係者の方には「海外旅行できないのにそんなことだけやらせても」という意見もあったので,生徒全員に参加の意思を聞くことにしたところ,全員が参加を希望してくれました。「海外旅行=国際交流」という考えを子どもたちがぶっ飛ばしてくれたことに感謝していますが,その準備のために2週に1回のペースで土曜日には片道1時間半かけて手伝いに行っており,ますます時間がなくなってしまっています。
 また,先日は障害のある人たちのための作業所への社会的支援プログラムの研究の準備のために,個人的に熱心に支援されている方にご案内いただき,作業所や職業訓練施設を訪問してきました。いずれも,熱心にサポートしておられる方々がいらっしゃり,学ぶことが多くありました。その中で特に考えさせられたのが,障害のある方のための公的な職業訓練施設を訪問させていだいた時のことです。ご説明いただいた指導員の方から,「大切なのは訓練終了後に就職させた企業への継続的な事後的ケアである。時々訪問して,問題が起きてないか聞き,対応していくことが定着には大切だ。」とお伺いました。とても大切なことだと感心しましたが,相手先に出かけていって不満や愚痴を聞くことはそんなに簡単なことではないはずなので,何人もいる指導員さんの中で何人がそのような活動をされているのかひつこく聞いてみたところ,一人だけとのこと。世の中,同じように仕事をしているように見えても,その仕事の中身には本質的には絶対的な差があることもあると,改めて感じました。このように,実際に良い仕事をしようと汗をかいている人たちの仕事が適切に評価され,褒められ応援されるような仕組みや環境が大切だと思います。意欲的に取り組む人の仕事振りを迷惑と感じる人やみかけだけ取り繕う仕事をする人が増えてしまうと,社会は崩壊への道をたどり出すのではないでしょうか。

2003年5月24日
 あっという間に,5月も終わりが近づいています。
 今年から,マツダ財団さんと広島大学が連携して,子どもが科学にわくわくするプロジェクトを始めます。理科離れというとすぐに科学教室の開催と考えるというのではなく,いくつかの事業をパッケージで実施しようというものです。これらのプロジェクトは,幼稚園から大学までの教員を中心とする議論の中から生まれてきました。高校生の時に理科と数学が苦手で文系の教育学部に行った人たちが小学校の先生になって理科を教えるのだから楽しく教えるためのサポートが必要だということから,小学校の先生のための理科教育裏ワザ情報ネットワークだとか,科学を楽しく興味深く説明しようというサイエンスレクチャー,少人数の生徒を大学の教授が一つのテーマにつき4回程度継続的に密着指導しようとか,民間団体が実施する科学体験プログラムに対して助成したり共同開発したりしようというものです。第1回のサイエンスレクチャーは,8月8日に牟田学長を中心に広島市こども文化科学館のアポロホールで開催します。
 このほか,個人的に毎月開催しているアジアの話をする会の5月の会で,ゲストスピーカーの留学生から日本人のアジア理解の問題が提起されましたので,少し長いのですがメーリングリストに紹介したものを一部引用します。(個人名,国名は伏せてあります。)
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 事前に私の方から***さんに,会のメンバーは,表面的な話だけでなく,それぞれの国の問題点などを率直に語り合える人たちだと申し上げていたこともあり,私の期待以上に,問題点を率直に提示して議論をしたいという熱い思いがこもっていました。
 それだけいかに,日本では「外国人」とのコミュニケーションといえば,「暑い?」「食べ物は辛い?」「治安はどう?」「食べられないものはある?」の域を超えていないかということを改めて再認識させられました。
 残念ながら,議論の時間が十分に取れませんでしたので,***さんのご了解をいただき,私が興味を持った部分を一部ご紹介させていただきます。なお,文責は私にあります。
(日本に来ての印象)
・アジア人に対する差別感
・家庭の温かさの減少と少年犯罪の増加
・生活費と教育費の高さと子どもの数の減少
・宗教意識のなさ(教会での結婚式など)
(海外での日本)
・ODAは役に立ち感謝されているのか
・アジアのリーダーにもなれないまま孤立する危険
・日本に留学してもその後の活躍の場は少ない
 まだまだ内容は豊富でしたが,とりあえずこのくらいに。
 次に,議論の中で焦点になった部分を紹介します。
(***人はやる気がなくて足の引っ張り合い?)
 「***人は,嫉妬深くて他人が新しいことに意欲的に取り組みだすとすぐに足を引っ張り合うのでだめだ。もっとやる気を出さないと,人が変わらないといつまでたっても発展はない。」との発言がありました。 私自身は,「終戦直後には,アメリカ人から『日本人は中学生レベル』と言われたし,私の小さい頃は列車(蒸気機関車)に乗るのにみんな並ばずに開いてる窓から荷物を放り込んで席を確保していたよね。」と発言しましたが,これは難しい問題だと感じます。 鶏と卵かも知れませんが,国全体のパイが小さいうちは,一部の特権階層がその大きな部分を独占的に確保し,大多数の国民は残された部分を足を引っ張り合いながら取り合う,というのはどこでも見られる減少ではないかという感も持っています。 そもそもの国民性の評価の正しさは私には分かりませんが,もともとやる気がなくて足を引っ張り合ってるんだから駄目だ,というだけでは議論が発展しないと思います。
 先週から市町村と県の中堅幹部を対象とした研修会の講師を,計8回延べ300人近い人たちを対象にやっていますが,ここでも,一生懸命が恥ずかしくない環境づくりやお役所仕事からの脱皮を訴えています。 もしも,「今」の行動様式や体質が変化しないのであれば,無駄なことを言っていることになるかもしれませんが,地方自治体の例などを見ると,それまで無気力でやる気がなかったように見えたお役人が,トップや環境が変わる中で生き生きと仕事をしている例を見るだけに,どうしたらそのような変化が起きるのかの方を議論していきたいと感じています。
 長くなってしまいましたが,このように率直にお互いの問題などを,肩に力が入らず素直に向き合って話のできる環境が少ないことを改めて感じました。

2003年5月17日
 相変わらず自分の能力も省みずにあれこれ引き受けてしまって,どたばたしています。知人からは「何にでも食いつくダボハゼ」と言われています。今週と来週は,市町村の管理者の方を対象とした研修会で1回2時間を5回と,市町村の保健師さんなどを対象とした研修会を1回引き受けています。でもこのように支離滅裂ではありながらもいろいろな分野に首を突っ込んでいる人間も必要ではないかとも思っています。世の中,専門分化していき専門家が多くなっていますが,そのような専門家を活かす専門職も必要だと思っています。いわば,自分にさして専門がないための言い訳でもありますが,自分の専門や知識にこだわることなく,他人の良い所を的確に理解して,手柄を取りにいくことなく新たな仕組みを作っていくという役割の人がもっと増えていく必要があるのではと思っているところです。私は,そのような役割をする人をコーディネーターと表現していますが,筋の良いコーディネーターが,いままで光が当たっていなかった人を発掘し,自然に水が流れる水路を整備して,現場の人の力が生かされるような地域の社会システムを作り出すことが求められているように思います。
 ただ,このようなコーディネーター稼業だけではメシが食えないので,やはり公的な組織で税金で給料をもらっている職業の人が(私も含めて),そのような役割を果たさなければならないのではと感じています。
 このようなコーディネーターの仕事の大きな楽しみの一つは,いろいろな魅力的な方々にお会いできることだと思います。人は一生懸命にやっていればいるほど,しらけてしまっている人の何気ない一言で傷ついてしまったりすることもありますが,手を抜かずに頑張っていると,良い仕事をしている人に出会えた時に素直に感心できます。
 今週は,そんな良い方の面が出たありがたい週でした。以前から良い仕事をされているなあと感心していた方から声をかけていただいたり,高校卒業以来で会った友人が良いセンスを持って仕事をしているのを知ることができたりしました。おかげで元気が出ました。
 蛇足です。昨日,職員証の更新時期なので写真を出すようにと言われて,2年半前大学に移る前に撮った写真を出したら,今と随分違うから駄目と言われてしまいました。仕方ないので,デジカメで「今」を撮ってもらってカラープリンタで印刷したものを提出したのですが,比べてみるとさすがに違いは大きく,うーんとうなってしまいました。そういえば,最近小さい字がぼけて見えるようになりだしたし,人間は前からぼけているし。トップページの写真も変えないといけないのでしょうが,まあ気持ちだけは若いつもりでいきたいと思います。

2003年5月9日
 なんと2か月以上ぶりです。研究協力者としての2本のレポート作りや,マツダ財団と広島大学との共同プロジェクトの立ち上げ,研修会の講師準備,シンガポールとの学生交流のSARS騒ぎでの対応などなど,息つく間もない余裕のない日々を送っていました。その中で,面白い経験だったのは,広島市内と呉市内の高校2校の新入生合宿での講演でした。320人と200人の高校1年生を相手に1時間半ほど,「21世紀を楽しめる社会人」というタイトルで,「楽しむ」ということと「楽をする」というのは違うということなどしゃべりまくりました。聞かされる方は大変だったと思いますが,生徒さんには事前に質問を書いてもらったり後での感想を読ませてもらったりと,なかなか楽しい経験でした。

2003年3月3日
 年始からずっとどたばたしていて,あっという間に3月です。
 昨年から研究協力者として参加している研究チームのミーティングや報告書づくり,講演会といった活動のほか,大学の独立法人化に伴う社会連携活動のあり方や組織体制の議論など,なんとも余裕のない生活です。
 そんな中で,専門家とコーディネーターのあり方などについて考えています。自分の専門性を磨き他人との違いを主張していく中で鍛えられていく専門家と,そのような専門家を生かしていく仕組みづくりです。これについては,改めて書いてみたいと思います。
 新年度には県と市町村の中堅幹部対象の研修会の講師なども頼まれており,その準備のために三重県に行ってきました。行政の組織風土改革の先頭を行く組織のダイナミックさに圧倒されました。内部管理部門の権力を委譲し若手を中心に現場の意欲を引き出していく取り組みについても,またご紹介したいと思います。

2003年1月3日
 あけましておめでとうございます。
 いろいろとやりかけの仕事があり,新年早々大学に出ようとしたのはいいのですが,西条駅から大学までのバスが正月ダイヤということで次のバスまで1時間半も待たなければならず,泣く泣くタクシー代1440円を払って大学にたどり着きました。広島駅から30分以上もJRの電車に乗った後でこれですから・・・。
 以前,シンガポールからの留学生に「(シンガポールに比べて遥かに)不便な何もない場所で大変だね」と言ったら,「気が散らずに勉強に専念できるのでとてもいい」と言われてしまいました。うーん,心がけが違う!
 やっぱり私は,雑然としたドタバタ劇の中で走り回る方が向いているのかもしれません。
 とはいっても,地方行政が大きな転機にある中,少し離れた立場から,地方が元気になるための,「何をするのか」という政策論とともに必要な,「どうやって行動を起こし継続するのか」という部分を考えていきたいと思っています。
 大学についても,来年4月の独立行政法人化を目前にして,どのような組織運営をめざし,社会とどう関わっていくのかという点が問われています。
 折角の全国に先駆けた広島大学の社会連携の取り組みを,形あるものにしていきたいと思っています。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。


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