橋本康男のひとり言2011年 '01 '02 '03 '04 '15 '06 '07 '08 '09 '10 '11 '12 '13 '14 '15 '16 '17 今年
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2011年12月25日
 今年最後の日曜日,そしてクリスマスです。温暖な瀬戸内海沿いの我が家の周りでも,昨日今日と山は真っ白になりました。ささやかに,ホワイトクリスマスです。
 学生時代,長野でも特に雪の多い小谷村の山の中の17軒ほどの小さな集落で,毎冬約1か月,皿洗いや雪かき,お客さんの送迎をしていました。アルバイトではなく,居候として,冬の間に無給で働く代わりに,年中いつでも好きな時に好きなだけ居候できるという条件でした。雪のない尾道で生まれ育ったので,雪国の生活を経験してみたかったというのが,一番の動機です。それと共に,高校時代に,酒屋の配達で貯めたお金を持って,一人で糸魚川から下関まで日本海側の海岸伝いに鈍行列車で寝袋を持って駅のベンチで寝ながら1週間かけて旅行してみて,いくら旅人と気取ってみても,所詮たんなる通過客でありよそ者でしかないという思いを感じて,もう少し生活の実感を味わってみたかったから,という理由もありました。
 今から思えば,随分ひねたガキだったと思います。でも,11月初めから一晩に50cmの雪が降り,4月になっても畑には2mの雪のある生活,冬の間は降った雪がいつまでも融けない中での生活は,楽ではなかったですが楽しいものでした。4年間,毎年冬だけで1か月いて,農協への買い出しにも行ってましたし,その他の季節も,山登りの合間を縫って,草刈りや稲刈りの手伝いをしながらごろごろしてましたので,集落や村の衆にもとても良くしていただいていました。
 学生運動の反動期で,第二外国語も授業の出席確認も卒論も不要で,とにかく騒がなければ卒業させてやるという良き時代だったからできたことです。
 大きな声では言えませんが,明日26日から28日まで休暇をいただいています。毎日が日曜日だった学生時代とは比べるべくもありませんが,昨年に引き続いて,少しゆっくり目の年末年始です。自分だけ…と,サポートしてくれている職場の同僚に申し訳ない思いと感謝ですが,まあ,病気で入院して休むよりは生産的?と開き直ってもいます。
 ひょっとしたら,今年最後のひとり言になるかもしれませんので,今年,このひとり言をお読みいただいた方々,ご縁をいただいた方々,みなさまに心からお礼を申し上げますとともに,来年が,みなさま一人ひとりに良い年でありますように,お祈りいたします。来年も引き続き,よろしくお願いします。良い年をお迎えください。

2011年12月18日
 あっという間に,12月も後半に。今年最後の議会の常任委員会も済み,ちょっと落ち着いた気分です。
 土曜日は,極寒の朝から友人の船で釣りに出て,タコ4杯ほか。日曜日は,心機一転,自宅の物置倉庫を中心に,いろんな不要なものを整理しました。いつか使ったものなのに,使わなくなっても捨てれられずにいるものは沢山あります。そんなものを勢いで整理しました。最近は,大型ごみを捨てるのにもお金がかかります。明日が大型ごみの日なので,合計で数千円分のシールを貼って,あれこれまとめて処分しました。
 片づけずにいると,いろんなものを持っている気になってしまい,本当に大切なものが見えなくなってしまいます。長年捨てられずにいた物も,実際に使うこともなく埋もれてしまっていた物も多くありました。
 新しいことにチャレンジする時には,本当に必要な物を二つ三つ抱えて嵐の中に飛び込んでいくような感じです。あれもこれもと言っているような状況ではありません。そんな経験から,時々は,棚卸しをして,大切なものを考えてみることが大切だと感じています。
 物を持っていることが意味があるのではなく,自分がどう現実に向かい合っているのかが大切だと,学生時代に好きだった社会心理学者のエーリッヒ・フロムの「To Be or To Have」という言葉を思い出しています。

2011年12月11日
 今年もあと20日と思うと,びっくりします。いつの間にここまで来たんだろうと。一日一日の積み重ねの大きさを感じます。
 今年も,本当にいろんなことがありました。良いことも悪いことも,みんな現実です。結果を選ぶことはできないので,今の結果からスタートして,できるだけ前向きに進んで行きたいと思ってます。
 本業でも経験したことのないチャレンジが続きましたし,個人的な活動の方でも,さらに幅が広がって,随分得難い経験をさせていただきました。一生懸命になれていることが,何よりも幸せなことだと思います。
 今年の残りの日々を大切に過ごしつつ,来る年の新たなチャレンジに向けての仕込みの努力も積み重ねていきたいと思います。

2011年12月4日
 いつの間にか12月です。アメリカ出張から帰国後,いろいろとドタバタしており,ひとり言を書くのを失念してました。21日は滋賀県の保健所関係の研修講師に行き,23日から26日までは,栃木の自治医大での健康福祉プランナー養成塾の講師に行っていました。養成塾は,今年13年目で,例年は7月に2週間なのですが,今年は東日本大震災の関係で秋に3日間だけということになりました。いい機会なので受講生に交じって他の講師の方の講義も聴講してきました。いつもはしゃべってる側なので,朝から夕刻までずっと講師の話をお聞きするというのは新鮮な経験でした。内容的にももちろん学ぶことがありましたが,講義の進め方についても気づきがあり,有意義でした。
 昨日は,久しぶりに友人の船でタコ釣りに。2時間余で6パイの大漁でした。アナゴを結びつけた針にタコが抱き着いたところを引っ掛けてあげるのですが,指先に神経を集中して海底のタコの動きを感じ取るのが結構難しいのです。でも,タコの刺身,タコ天,タコ飯と楽しめる量が確保できたので,大満足です。
 今日は,暮らしている団地の町内会の掃除でした。35年ほど前にできた団地で,一斉高齢化の状況です。朝の通勤時間帯にも,出会うのは犬の散歩をさせている方ばかり。あと10年したらどうなるのか心配です。
 今年もあとひと月を切りました。今年もいろいろありました。残りの日々も,精一杯やっていきたいと思います。

2011年11月13日
 本業の話ですが,何とかアメリカ訪問から帰ってきました。国際平和拠点ひろしま構想の説明をし,理解と協力を得て,今後のネットワークづくりが目的でした。9日間で延べ6都市を訪問し,国連事務総長との会談など11回の会談,4つの財団との協議,ハワイのアリゾナ記念館やニューヨークのグランドゼロなど4回の献花,2回の記者会見と5回の海外メディア等による個別インタビューなど,ドタバタの8日間でした。
 知事と秘書のほかには,私を含めて3人のスタッフですべてのアレンジをするので,もう息を詰めての全力疾走の感じです。もちろん,国内外の多くの方々の支えがあってこそ実現できたことです。それでも,スリル満点の8日間でした。
 仕事の話なので,踏み込んでは書きませんが,想像以上に好意的に受け止めていただきました。開かれた広島へ向けて,世界の視点から広島の使命と役割を考えること,世界中からの人や情報や資金などの資源の集積を考えること,破壊された広島だけでなく廃墟から復興した広島として未来へ向けてのメッセージを出し,和解と復興のために貢献していくことなどに,手応えを感じました。
 訪問中は必死でしたので,最大14時間の時差も時差ぼけを感じる余裕もなく過ごしましたが,休みもなく明日から1週間フルに仕事ですので,どうなることやらという感じです。

2011年11月5日
 今日から,この度まとめた「国際平和拠点ひろしま構想」の説明をし,理解と協力を求めるために渡米する知事の随行です。8日間で延べ6都市を訪問し,バン・キムン国連事務総長など約23の会談などが予定されています。今日,平和公園で花輪をささげたのち,最初の訪問地であるハワイでは,アリゾナ記念館で花輪をささげ,9日には,ニューヨークのグラウンドゼロでも花輪をささげます。最初の2か所は,国家間の最後の大きな戦争の始まりと終わりの場所であり,3つ目の場所は,地域紛争の拡大を背景とした,国際テロの時代の象徴の場所です。
 広島の新たな平和への取組みのスタートを,これら3つの象徴の場所から始めます。
 今回の構想は,開かれた広島をめざすという点で,意味があるのではないかと考えています。すなわち,海外からも委員に就任いただいた委員会で,世界の視点からの広島の使命と役割をご議論いただいたという点と,その構想の具体化のために,人,情報,資金を世界から集め,それを元に世界に広がる平和の活動を育成支援しようという点においてです。
 もう一つ,人類初の原子爆弾によって破壊されたという広島の側面とともに,その廃墟から立ち直った広島として,「復興への確信と未来への希望」を提供できる広島という側面を訴えようとしていることに,意味があると考えています。平和記念資料館の原爆被害の実相を伝える展示を見た後に,建物から出て,明るい日差しの下に広がる現在の広島の平和な姿を目にして,困難な状況からも立ち直ることができるという確信が持てるというのは,大切なことだと思います。広島県が誘致した,人材育成を目的とする国連機関ユニタールのメヒア所長は,「復興には,知識・技術・資金が必要だが,何より大切なのは復興できるという確信である。それを提供できることが,広島の力だ。」と言われましたが,まさにそうだと思います。
 広島から世界への空間的な広がりと,広島から未来への時間軸での広がりをめざしていきたいと思っています。

2011年10月30日
 火曜日の夜遅くフィリピンから帰って,金曜日には東京へ。明後日の火曜日に東京に日帰りしたら,土曜日から知事の随行でアメリカです。8日間で6都市訪問という,なんともハードな計画です。
 フィリピン訪問は,実りあるものでした。
 いろいろとあり過ぎて,ちょっと余裕のない生活です。とはいえ,出会う人々に恵まれていることが,幸せなのだと感じています。
 集中力の維持が必要な状況ですが,そんな中でも,潤いのある気持ちは忘れないでいたいと思っています。

2011年10月23日
 フィリピンに来ています。仕事です。17年ぶりです。昨夜遅くについたので,街の様子はまだあまり見れていませんが,ジープ?を改造した簡易バス?のジプニーなどは健在でした。先週は,国際平和拠点構想の国際会議やシンポジウムの準備などでドタバタしており書けなかったので,とりあえず,健在の報告を兼ねて,朝の一言です。
 また,時間があれば。
 ⇒続きです。今日は時間があったので,3時間の英語の観光ツアーに参加しました。途中,日本軍の大量殺戮行為の紹介もあり,過去の歴史を考えさせられましたし,他に日本人がいなかったこともあり,肩身の狭い思いをしました。。今回は,広島の平和のための取組みに関する仕事での訪問だけに,よけいに考えさせられました。
 また,電車に乗って,中心部から離れた地域の散策にも行ってきました。街を歩くと,子どもやお母さんや,おじいさん,おばあさんの物乞いも。50年前に,日本とフィリピンの一人当たりGDPの差は2倍弱だったのに,今では,21倍です。国づくりに対する政治や行政の責任を改めて感じたところです。同時に,今の日本で享受している豊かさは,過去の努力の成果であり,継続的に未来を生み出していかなければ,単に過去の遺産を食いつぶしているだけとなってしまいます。
 今の恵まれた環境への責任を果たさなければと感じました。

2011年10月9日
 ちょっと激しい日々が続いています。
 先週書いた,度胸と腕力と感性とで,「強引マイウェイ」に,もがいている感じです。とっさの判断と対応が必要な状況が続いている中で,緊急時の集中力,即応力の大切さを感じています。平地を走るのと急坂に直面した時の対応力の違いです。急な坂道に差しかかった時,エンジンの小さな軽自動車がもたついてしまうのと,エンジンの大きな車がパワフルに安定して必要な対応をしつつ登っていくのとの違いといった感じでしょうか。ここぞというところで爆発的な力が出せるように,普段から筋力をつけエネルギーを蓄えておく必要性を感じます。いざという時のための激しさと,普段の穏やかさとが,うまく両立すればいいのですが。
 行政の場合は,公平性・安定性・継続性を確保しなければならないだけに,どうしても,守りの姿勢も常に確保しておく必要があります。そんな堅実性と,いざという時の爆発的な力とを共に持つのは簡単ではありません。堅実性やそつのなさでフィルターを先にかけてしまうと,粗削りだけれども秘めた力を持った人がふるい落とされてしまう危険性もあります。
 厳しい場面におかれると,普段は考えないようなことを考えるようになります。
 先週は,「未来は可能性だけれども過去は事実」という言葉が思い浮かびました。「今」の発言は,「今」についてのものであり「未来」を決めるものではないけれど,「今の一つひとつの行為」の連続が,事実としての「過去」をつくるということです。つまり,言うだけではなく,同時に行動を積み重ねていくことによって,それが事実になっていくということです。当たり前の話なのですが,「今」の言葉の軽さを心配するのではなく,一つひとつの行動を積み重ねていくことの大切さを改めて感じたということです。
 もう一つ,人とつながることと個人として深く沈み込むことの両方の大切さも感じました。3年半前にまとめた「広島県人づくりビジョン」では,自ら考え行動する「個人の自立」,認め合い向かい合う「対話力・共感力」,社会の一員としての「役割意識」を人づくりの基本として位置付けました。キーワードは,「自立,絆,社会意識」です。
 自分の中で熟成したものが,友人との対話を通じて顕在化し,それが対話を通じてより熟成し自分の中に戻ってくる,そんな感じです。そして,そこに社会への参加意識があることが,社会の一員であることの実感を生み出し,前向きの力を生み出すのだと思います。

2011年10月2日
 あっという間にもう10月。年度も後半に入りました。仕事の上では,スリル満点の日々を送っています。これまで,産学官・財団・海外でいろんな仕事をする機会に恵まれる中で,エネルギーの出し方のコントロールの大切さを学んできたように思います。軽い仕事には軽いように,重い仕事にはパワー全開で。こう書いてみると当たり前のように思えますが,意外に,できないものです。軽い仕事に案外大きなエネルギーを注いでいたり,肝心なところなのにエネルギー全開で対応できず中途半端な結果に終わってしまったり。できそうでできないのがエネルギーのコントロールだと思っています。
 同時に,自分のエネルギーの大きさ自体を高めていくことの大切さも感じています。車に例えれば,エンジンの能力の大きさでしょうか。エンジンの能力自体が大きくなれば,軽い仕事では静かにさりげなく動いているし,重い仕事に直面した時には一気にフルパワーに上げることができます。ところが,往々にして,ボディを大きくすることに目が向いてしまい,ベンツのボディに軽自動車のエンジンというような組み合わせになってしまうこともあります。これだと,普段からブンブンとエンジンを目一杯回し続けている状態になり,周りも見えなければ休憩もできず,うるさい割には肝心の仕事が前に進まないということになってしまいます。
 このようにならないためには,時々は負荷のかかった仕事に直面することが大切なように思います。平地を歩いているだけでは,坂道や階段を上っている時に息が切れてしまうことに気が付きません。負荷がかかった時に,いかに自分が息切れしてしまうのかを感じることが大切だと思います。私自身,駅で電車に乗ろうと走った時など,意外に息が切れてしまい情けない思いをすることがあります。仕事でも,そんな思いをすることがないと,平らなところを歩いているだけだと,自分のエネルギー量・能力が高まっていないのに,自分は何でもできると思い込んでしまいかねません。
 そうなると,大したことのない仕事に必要以上に無駄なエネルギーを使っていたり,肝心な時に体が動かずに口先の言い訳を繰り返してしまうようになってしまいます。
 実際には,重い仕事に直面した時には,瞬時に緊張感を高めてフルパワーが出せる状態に切り替える必要がありますし,逆に,だからこそ普段は,回転を落としてリラックスして,「その時」に備えておくことが大切なのだと思います。その余裕がないと,重い仕事の解決のために必要な,度胸と腕力と感性を,うまく働かせることもできないのだと感じています。スポーツと一緒で,普段から,筋力や瞬発力など総合的な身体能力を高めていくことの大切さを感じています。
 久しぶりに目一杯緊張して集中して仕事に向き合う中で,そんなことを考えています。

2011年9月25日
 もう9月の最終週を迎えます。先週水曜日には,横浜国大の開発途上国の政府職員を対象とした公共政策と税の大学院コースに留学されている方々15名が県庁に来られて1時間半ほど,地方行政や計画倫理,企画力とコーディネート力などの話をしました。3か月で十数本という講師活動も一息です。
 行政,保健・医療・福祉,外国政府職員向けと多様な方々とお話させていただく機会に恵まれ,考えさせられることも多くありました。横浜国大では,交通事故死者数の6倍以上という日本の自殺者数の高さなどが話題になりました。所属するコミュニティを失っている中高年の男性の問題などに触れてお茶を濁したのですが,他人事ではないと思った次第です。英語で講義するというのは,自らの表現力が限られるので難しい面もありますが,逆に,質疑応答では,ぐだぐだと分かったようなわからないような話もできないので,単純化して単刀直入に回答せざるを得ないので,自分自身おやっと思うような割り切った回答になったりするのが面白いところです。
 先週は,東京本社の大企業の広島の子会社に勤めていたのに,地方発の全国展開の仕事で頭角を現し,本社に引っ張り上げられて活躍している友人が訪ねて来てくれました。お役所体質の強い民間企業なのですが,それでも見る人はいるものです。そうでなければ民間企業として生き残れないということだと思います。逆に,行政に働いていて,私から見て全国的に見てもトップクラスだと思える地域づくりの仕事をしてきた友人が,組織内部の無理解の問題で辞めることになったという連絡も入ってきて,倒産しない組織でいい仕事を認めていく感性を醸成していくことの難しさも感じたところです。
 今日は,友人の船で半年振りくらいに釣りへ。朝5時過ぎに出港して,海の上から日の出を眺めました。瀬戸の美しさを満喫した瞬間でした。釣りの方もメバルやキスゴが沢山。いい時間でした。
 今週末は,小児救急電話相談の研究会で東京です。(もう5年目ですから,なんとか成果を出さなければ。)このところ,週1に近いペースで上京している感じです。
 今週は,父の1周忌。時の経つのは早いものです。

2011年9月19日
 昨日は,東京で自治医大主催の地域医療フォーラムの分科会座長をし,今日は,広島国際会議場で広大と東大共催の,復興と平和の国際会議でパネル討論でのパネリストと続きました。これで,4週連続の週末行事も一段落です。
 昨日の地域医療フォーラムは,自治医大が初めて積極的に他大学や医師会等の他団体,行政等に働きかけた事業だとのことでした。全体で約300人の参加者のうち,私が青森県の医療担当の課長さんと一緒に共同座長をした第三分科会は100人の参加で盛況でした。午前中は事例報告,午後に分科会でのグループワークや意見交換,そして全体会での議論と,延べ6時間強の充実した内容でした。事例発表では,地域医療の確保・充実に本気で真剣に取り組んでおられるお話をお聞きして,自治体間の差がどんどんと開いていっていることを感じました。
 また,医師と行政関係者等が一緒に議論する場の中で,医療と地域・生活との結びつきが不可欠になっている現状を再認識するとともに,行政側の医療現場への理解,医療側の地域マインドの広がりという,両者の相互の認識のすり合わせが,まだまだ必要だと感じた次第です。
 国際会議の方は,東大の死生学の先生,エジプトのアレクサンドリア図書館の先生,フィリピンの平和構築の活動家,JICAの専門家,国連機関ユニタール広島事務所スタッフ,それに私という,なんとも多様なパネリストでした。私からは,廃墟から復興した広島としての復興への確信と未来への希望の提供,復興と平和のための人材育成,復興に際しての自主的・内発的な取組みと外部からの支援について発言しました。特に,外部からの支援について,物質的金銭的支援だけでなく,復興のビジョンなどを評価し支持するなど,地元の自主的・内発的取組みを応援する支援の大切さなども申し上げました。
 後は,明後日,横浜国大の先生が広島に連れて来られる各国政府からの研修生の方々に対して,地方行政や計画倫理などをお話しして,7〜9月で延べ14件続いた講師等も一段落です。
 保健・医療・福祉関係,行政職員,外国政府職員と対象は一見支離滅裂ですが,歴史の流れの視点,社会の視点,現場の視点,組織連携とコーディネート機能,企画力や対話力,変革についてなどは共通するものも多く,それぞれの分野の経験が,他の分野にも応用できることが多く,学ばせていただきました。
 本業の方の,国際平和拠点ひろしま構想のとりまとめも迫っており,熱い秋になりそうです。

2011年9月11日
 週末は,兵庫大学で開催された日本医療ソーシャルワーク学会に参加してきました。医療と生活を結ぶというのが医療ソーシャルワーカー(MSW)の仕事です。急性期の治療が終わった後に,どこでどのような医療を受けるのか,あるいは退院した後にどのような社会の資源や支援システムを利用しながらその生活を維持していくのか,そういったことを支援する職種です。いわば,医療と福祉そして社会をつなぐコーディネート役なので,このところ関わりが続いています。
 今回は,震災の教訓から地域の医療と福祉の連携を考えるという公開シンポジウムも開催されました。災害は,その場での支援だけでなく,その後の生活を継続的にどう支援していくのかが問われます。いろんな立場の方々のご報告を聞いていて,それを感じました。中には,阪神淡路大震災の際には,いろんな支援制度が整ってなかったから,むしろ制度の枠を超えて対応したケースも多かったけれど,今回は,いろんな支援制度ができたが故に,それを超える状況への柔軟な対応ができないこともあった,という話に考えさせられました。非常時での柔軟な対応をどう確保するのかが,大切だと感じた次第です。
 医療ソーシャルワーカーさんのお話をお聞きしていると,本当に多様な困難な状況に置かれている方々がおられます。そのような現状を社会に伝えるということも大切だと思います。「知らないことは存在しないこと」になってしまいます。いろんな課題が組織や社会で共有され,解決への取組みの俎上に乗っていく仕組みが必要だと感じました。まず行政職員がそういったことを知る努力をしていく必要性も。

2011年9月4日
 先週も,議会の特別委員会,コロンビア政府職員研修,東京日帰り出張,休暇を取っての家庭菜園の秋野菜用の準備ときて,土日は福岡で医療ソーシャルワーカー協会の1泊2日研修で,延べ7時間半。しかも,土曜日の朝の移動予定が,台風の影響で在来線が止まるとの情報で金曜日夜から博多入り。いつもながら,あっという間の1週間でした。
 コロンビア政府職員研修は,スペイン語への通訳付きでしたが,最後の質疑の時に,「先生は本は書いていないのか,書いていないならぜひ出すべきだ。」と言っていただき,気を良くしています。麻薬取引の横行や汚職などの厳しい環境の中で頑張っておられる方々との対話を通じて,恵まれている環境で仕事をしている我々はもっともっと真剣に仕事に取り組まなければと感じた次第です。
 週末の医療ソーシャルワーカーさんの研修でも,権力も権限もなく,厳しい状況に置かれている患者さんやその家族のために,医療と生活をつなぐための努力をされている方々の話は重く,こちらも身が引き締まる思いでした。今日は事例研究でしたが,このような時に事例として提出される案件は,「普通」に暮らしている人たちは聞くことのない状況であり,いかに多くの人たちが幸せに暮らしているか,いかに不幸な状況に追い詰められている人々がいることを知らずに過ごしているのかを,考えさせられます。
 こんな研修をさせていただく中で,改めて変化を起こすことの大切さを感じています。人よりもちょっと頑張ったというだけでは変化は起こせません。「めざせば叶う訳ではないけどめざさなければ何も始まらない」と思いながら,必死になって頑張り,ダントツの力を身に付けなければ,変化は起こせないのだと思います。そこでは,社会の不条理に対する「良質の怒り」が必要です。それがあることにより,簡単に一喜一憂するのではなく,いろんな人の無神経な発言や対応に怒りながらも,必死になって肩の力を抜いて諦めないように頑張ることが求められます。そんな努力をする中で,熱が加わればすぐ熱くなる薄っぺらい鉄板ではなく,過敏に反応するのではなくじっくりと熱をため込む厚みのある鉄の塊になっていくのだと感じています。
 それが,人としての「静かな迫力」を生み出していくのだと思います。いろんな人との出会いを心から感謝しています。(自分なりに)一生懸命にやってきたことへの,最大の褒美だと感じています。

2011年8月28日
 なんというか,いろいろとあった一週間でした。月曜日は本業の国際平和拠点構想で東京日帰り,火曜日は香川県の課長補佐昇任研修4時間で香川県(休暇),水曜日は三次市の新採職員研修2時間で旧・作木村(休暇),木曜日は広島県の研修センターの市町指導者養成研修3時間,金曜日は外務省招聘の外国政府高官へのレク,土曜日は9月の自治医大の地域医療フォーラムの打ち合わせ会で東京と,あっという間の1週間でした。
 研修講師の方は,それぞれに手応えがあり,公務員の可能性を感じました。最近,研修の冒頭で,「あなた自身が自分から言い出して,他の人に語りかけて,一緒に何か新しいものを生み出したものがありますか?」と問いかけています。言われたことだけやるのではなく,また,自分だけでやるのでもなく,新たなことを自ら言い出して他の人々を巻き込んでやり切る,実現することの大切さを語っています。
 来週は,JICAの研修でコロンビア政府職員への地方自治と計画倫理の講師,国際平和拠点構想でまた東京日帰り,そして週末は福岡県医療ソーシャルワーカー協会の合宿研修です。いろんなことがあり,それぞれの準備に追われる日々ですが,学ぶことも多く,充実しています。
 医療福祉,国際,行政と分野は異なりますが,その中でも,「社会を見る目,組織を動かす力,住民を支える心」は共通ですし,「プライドと責任を持ってやり切る」「最後の片づけまで雑用も厭わず隅々まで目配りをする」「リーダーはチームメンバーの業務負荷に全体としての目配りをする」といった,仕事をきちんと動かす努力も大切だと思います。
 口先でいくら格好いいことを言っても,このような基本の視点と動作ができていなければ,組織の中での信頼や評価はついてきませんし,独りよがりで終わってしまいます。特に,自分の仕事への責任感,一緒に仕事をする仲間への配慮と気配りの欠如は,致命的な問題だと感じています。口先だけの自己主張や自己顕示ではなく,やるべきことをきちんとやることの大切さを改めて感じているところです。

2011年8月21日
 今朝も3時起きで,9月の地域医療フォーラムの準備をしていました。いろんな仕事をしてきた中で,集中力の大切さを感じています。時間の長さではなく,集中力が成果を決めます。朝7時までの4時間は,価値があったように思います。とはいえ,その後は,のんべんだらりと過ごしていますが。
 最近,味わい深い対話を楽しめる機会が増え,人の付き合いのありがたさを感じています。いろいろな経験や回り道をしてきたが故に共有できるものがあり,価値があります。口先だけで格好をつけてきたのか,最後の1mをやり切るまで,臆する心を自分で奮い立たせながら頑張ってきたのかによって,全く異なる次元の話になります。潰れそうになりながらも歯を食いしばってやってきたのか,その遥か手前で「リスク」を賢(さか)しく察知して上手に逃げて回ってきているのか,その違いが,人の魅力の違いになってくるのではないかと感じています。
 最近増えてきた,外国政府職員研修においては,倫理の話をする時のメッセージとして,「結局,生きていることの満足感は,社会的な地位や豊かさではなく,自分が尊敬できる人に,評価してもらえることに尽きるのだと思います。それが,誇りを生み出します。」と申し上げていますが,結局,そのような,自分が幸せと感じられるレベルで,自分が評価できる人々と対話が楽しめるということ以上の満足はないのだと感じています。
 そのような価値基準を持っていないと,目の前の状況にだけ上手に立ち回ることを続けながら,自分の中に何ものも蓄積されていかないということにもなりかねません。
 最近,恵まれない現場で,それでも一生懸命に,自分の使命感を大切にしようとしながら,頑張っておられる方々に出う機会に恵まれているが故に,口先うまく賢しく上手に立ち回ろうとする人たちに対する怒りを強く感じるようになっています。それが,幸せだとは思いませんが,他の人々を傷つけ足を引っ張っているという点において。

2011年8月14日
 相も変わらず,ドタバタしてます。先週も東京へ。広島よりもさらに暑く感じました。
 月曜日は,岡山県笠岡市での保健所と市町職員さんの研修に呼んでいただきました。両親の出身地のある地域なので,ちょっといつもとは違う感覚でした。小さい頃から遊びに行っていた所に,仕事?の話をしに行くということに不思議な感じがありました。2時間の研修の後に主だった方々と1時間半の懇談,その後2時間の懇親会と,ずっとしゃべりづめでした。いろんな所のいろんな方々にお会いできるのは楽しみです。
 木金は,休暇を取って岡山県内の温泉に行って,帰路,尾道で墓参りを済ませました。
 週末は,新書・文庫本専用の壁面収納の取り付けなどひたすら,家のことをして終わりました。あとは,9月18日の自治医大の地域医療フォーラムの準備のためのメール交換。真剣に考えだすと,いろいろと課題も出てきます。ですが,いろんな方々と意見交換をしながら分科会を作り上げていくことは楽しみです。
 そう言えば,我が家のスイカの初収穫をしました。めちゃめちゃ甘くて,我が家の庭で出来たとは信じられないくらい。明日からは平常通りに仕事です。
 こうしてみると,目の前のことだけで日々が過ぎていっています。もう少し,体系的な勉強などもしなくてはの反省です。大学院を休学してから,努力をしなくなっています。自分をそんな環境に追い込まなくてはできないというのが,実際のところですね。

2011年8月7日
 先週火曜日は,国際平和拠点ひろしま構想策定委員会のタスクフォース会議で,アメリカのスタンフォード大学とプリンストン大学の教授にも広島に来ていただきました。翌水曜日は,アメリカからの両教授にもご参加いただいて,高校生や大学生を対象とした国際セミナーを開催しました。35年前に県庁に入った時には,自分が公私含めて,一生涯のうちに海外に出ることも関わることもないと思っていましたのに,時代は変わるものです。地元のテレビ局のウェブサイトで,ここ数日間はニュースが見れます。8月2日(火)の「国際平和拠点構想策定へ」です。
 昨日は,66回目の原爆の日でした。広島は,人類初の原子爆弾によって破壊された地であり,訪れた人々に,核兵器による破壊の現実を訴え核兵器廃絶への信念を(determination)を提供するとともに,その廃墟から復興した地として,復興への確信(faith)と平和への希望を提供する地でもあります。平和記念資料館で原子爆弾による被害の実相を見た後に,建物から出て,明るい日差しの中に広がる今の広島を見る時,人々は未来への希望を感じることができます。平和がもたらす幸福と繁栄を感じ,平和の大切さを改めて実感します。それだからこそ,広島は,平和な社会においては,こんなに幸せに暮らせるのだということを世界の人々に示せるような社会づくりに努める責任もあるように感じています。様々な国の人々も障害のある人々も,女性も,それぞれの可能性が一杯に伸ばしていけるような社会を作っていくために,努力をしていく必要があると思っています。
 そのためには,広島が,「よそ者に優しい」開かれた社会でありたいと思います。3年前から取り組んでいる「海外人材の活躍環境づくり」はその一環です。内弁慶になることなく,世界の中でダイナミックな動きが生まれる地でありたいと思います。
 という話の後に書くにはいささか話が小さくなりますが,我が家の家庭菜園が絶好調を続けています。スイカは,ハンドボール大からバレーボール大へと育っており,収穫が楽しみです。これも平和がもたらす幸せの一つなのだと思います。とはいえ,無農薬のため害虫駆除も大変で,昨日は,アブラムシ退治に取り組んでいました。アブラムシがたかっている葉っぱのべたべた感から,アブラムシの語源を感じました。こういう実感も大切ですね。
 本業がささやかながら(ほんの)一息ついたので,週末は,8月9月に頼まれている研修講師や地域医療フォーラムなどの準備に追われてました。最近はなぜか,研修時間の長いものが増えてきて,4時間だとか1泊2日とかも出てきました。昨秋の健康福祉プランナー養成塾では9時間連続というのまで経験しました。時間が長くなると,集中力と緊張感を維持していただきながら,中身を深めていく必要があり,いろいろと試行錯誤をしているところです。まあ,それがまた面白いのですが…。明日の岡山県笠岡市での保健所職員研修から,香川県職員研修,コロンビア政府職員研修,福岡県医療ソーシャルワーカー協会研修,自治医大地域医療フォーラム国際平和構築会議までバリエーション豊かに9本が9月末まで並んでいます。本業ともども,ずっこけずにやっていきたいと思います。

2011年7月31日
 もう7月もおしまいです。今年は,期限付きの大きな仕事を抱えているので,時の経つことに心穏やかではありません。とはいえ,やるべきことをこつこつと積み重ねていくしかありません。
 今朝は,本業の仕事をやろうと早起きしたのですが,軽い気持ちで始めたソフトのインストールがうまくいかず,5時間半も四苦八苦しました。新しいバージョンをインストールしようとしたら,古いバージョンのごく一部が残ってしまったようで,インストールできなくなってしまったものです。通常の,ソフトのアンインストールでは解決できなくて。
 ソフト会社のウェッブサイトを見たり,グーグルで同様のトラブルを検索したり。以前から持ってる消し残りソフトを使っても解決しなくて。グーグルで紹介されていた解決策のアメリカのサイトからソフトをダウンロードしてやってみてもうまくいかず。やっているうちにどんどん時間は経ってしまうし,やることはあるのにと焦ってしまうし,ここであきらめたら中途半端だと我慢しながら取り組んでいました。
 そんな中で,この感覚は,新しい仕事に取り組む時に,何度も経験してきた感覚だと思っていました。新しい仕事を始めた時は,こんなことはよくあります。うまくいくはずなのになぜかうまくいかない,そうこうしているうちに新たな問題まで発生してしまう。気は焦るし,だんだんと諦めたくなってくるし。情けなくなっても来るし。そもそもこんなこと始めなければ良かったと思ってみたり。。
 でも,何度もそんなことを繰り返してくる中で,そんな状況への耐性はいくらかは身に付いてくるようです。徳川家康が「百里の道は九十九里をもって半ばとす」と言ったとか。確かに,99%までやったのにあとちょっとで惜しいところだった,なんていう言い訳を聞くと,何言ってんだと思ってしまいます。私は,「あと1mの壁」と言いますが,あと一息と思ってからが何とも長いのが,普通のことです。あと一息まで来たと思って諦めたら,後に何も残りません。0から1を生み出すのは,1から100へと伸ばしていくよりもはるかに大変です。0から1は,1まで辿り着かなければ0です。1から100は,途中の50や60があるかもしれませんが。
 この0から1を生み出す過程では,何が有効な方策なのかが分からないが故に,あれこれ模索をしますし,結果的に見れば無駄なことも山ほどすることになります。確かに,思い付きで手を出したことが意外に効果があったりすることもあるので,もう藁にもすがる思いでじたばたすることになります。このあたりの感覚が,管理部門系と事業系の違いのような気がしています。適切な戦略をたててそれを着実に推進すれば効果的効率的に成果が生まれる,という話は,何となくもっともなような気もするのですが,心のどこかでは反発もあります。
 結局,5時間経過時点で一旦諦めて,本業の仕事に取り掛かったのですが,どうにも気になって,再チャレンジして,なんとか解決策を見つけてインストールできました。これまでも,新しいことをしなけりゃ良かったのに,と思うことの連続でした。このように,うまくいかないこと,思うように事が運ばないこと,予想外のところから新たな問題が発生してしまうこと,の繰り返しでした。でも,そんな経験をするからこそ,普段や,普通や,平時のありがたみを人一倍感じられるのだと思いました。情けない思いを積み重ねることで,いくらかはたくましくなれるのかもしれません。また,できるまでやめない,が成功の唯一の秘訣ということも再確認しました。

2011年7月24日
 先週木曜日に,知事が(東京の)海外特派員協会において英語で講演。事務方としても,いろいろな新たな経験をしています。今まで使ったことのない筋肉を使ってる感じです。
 週末は頼まれ仕事が続きました。普段縁のない分野の仕事を手伝うというのは,難しい面もありますが,世界が広がる感じで楽しめます。自分の周りの世界だけで過ごしていると「箱庭の中の完璧主義」にも陥ってしまいかねませんが,色んな外からの依頼をしていただくことによって,世界が広がりますし視点が変わります。
 本業自体で,産学官・財団・海外と多様な環境を経験させていただけたから,色んな仕事のやり方を知ることができ,色んな違う角度から物事を眺める機会に恵まれたと感謝しています。そんな中で,ある課題に対して,いかに全体像をつかみ,体系的に整理して掘り下げていくための視点や切り口を見つけ,キーワードを設定していくのか,といった作業の経験もさせていただきました。分野や立場によって当然違いもありますが,手法や手順などに共通項もあります。だんだんとそれを身に付けてこれたようにも思います。
 その一つの手法として,検討のための資料の作成があります。どこから掘り下げていいか分からないような課題でも,手順を踏んで資料を作っていく中で,気が付き体系的な整理ができていくことがあります。私は,端正な資料づくりと言っていますが,良い資料づくりは,頭の整理にもなりますし,他の人にも分かりやすいものになると思います。その課題の背景を整理し,必要性と意義,検討の視点,重要要素,めざすべき方向性,具体化の検討のための例示をバランスよく整理していくことで,見えなかったものが見えてくるように思います。それ自体が,仮説を立てて検証し新たな意見を引き出してさらなる仮説を生み出してと繰り返していく生産的なプロセスなのだと感じています。
 一つ宣伝です。自治医大の関連の地域社会振興財団主催の「健康福祉プランナー養成塾」の募集が始まりました。地方自治体職員の保健・医療・福祉分野のコーディネーター養成をめざしている研修で,今年13年目を迎えます。私は,一番最初からずっと講師をさせていただいており,最近は,運営委員もしています。例年は7月に2週間研修なのですが,今年は,東日本大震災の関係で,3日間に短縮して11月に開催します。(私は別にして)講師も充実している上に,受講料・宿泊費を財団が負担してくれるので往復の旅費だけで参加できるという,恵まれた条件です。ご興味のある方は,財団のウェブサイトから概要をご覧ください。私は,2日目の午後を,日本医療ソーシャルワーク学会長で兵庫大学教授の村上先生と一緒に担当します。
 今年初挑戦の家庭菜園が,経験豊富な友人の指導のおかげで大豊作です。さして広くもないスペースに,キュウリ,ナス,ピーマン,トマト,プチトマト,ししとう,トウガラシ,スイカ,ゴーヤなどが鈴なりです。キュウリはもう100本以上取れてますし,スイカも大きいものはハンドボールくらいにまで育っています。真砂土と牛糞による土づくりから始めたのが良かったようです。有能で指導力のある指導者の大切さを改めて実感しました。

2011年7月17日
 先週は月火と仕事で東京へ,木曜日は休暇を取って横浜市の18区の福祉保健センターの部長・課長さん研修3時間半で日帰り,金曜日も午後休暇を取って三原市の中堅職員研修3時間半。横浜市は広島県の約1.5倍の人口370万人の大都市です。人口が多ければいい仕事をしているというものでもないと思いますが,さすがにいろいろと意欲的な取組みをしておられました。このような勉強をさせていただけることが,研修講師を引き受けさせていただく楽しみの一つです。そのような意欲的な取組みをされているから,まだまだ十分ではないという反省が生まれてくるのであり,広島くんだりから国際部長を福祉保健センター幹部研修の講師として呼ぶという行動力に結びつくのだと思います。三原市の中堅対象のシリーズ研修も今年で4年目であり,毎年,主催者側の工夫があって勉強になります。今年は,社会人枠採用者の方々を意識的に集めておられて,新鮮でした。社会人採用をされても,お役所の体質の中に取り込まれたり変革を受け入れてもらえなかったりしかねないものですが,そんなことのない職場環境変化のお役に立てればと思っています。
 職場の同僚に迷惑をかけながらの研修講師等活動ですが,学んだり考えさせられたりすることを,仕事の面でも生かしていけると思っています。9月にJICAからの南米コロンビア政府職員研修を頼まれたので,7〜9月の3か月の講師等が13となり,記録更新中?です。これが,次の仕事探しにつながればいいのですが…。
 研修の講師に呼んでいただく中で,学び変化しようとしている人や組織と,そうでない人や組織があると感じます。自分の知識と経験の範囲内で自分の手の届く資源だけを使って仕事をすませてしまう人や組織と,新たなことにチャレンジをすることの中で自分の足らないことを意識して,それ故に学びの努力に踏み出していく人や組織の間には,大きな違いが生まれてくるのだと思います。
 最近,研修の冒頭で,「あなた自身が,自ら言い出し,周囲に働きかけて何かを生み出したこと,どれだけありますか?」と問いかけていますが,自分から言い出してしまったが故に色んなトラブルに直面して悩みながら迷いながらも必死になって歯を食いしばって頑張っている人と,他人のやっていることを眺めて冷静に評価し評論しているだけの人とでは,人としての力の差は大きく異なると感じます。それは,残念ながら職場での昇任という形では反映されないことが多いようにも感じますが,人としての魅力や味わいという点では,疑う余地もなく絶対的な差が生まれてきます。
 外国政府職員対象の汚職防止研修では,自分が評価できる尊敬できる人に評価してもらえることが,自分の誇りを生み出すのだと語っていますが,そのためには,自分自身が考え言い出して周りの人たちに働きかけて,逃げずに言い訳せずに腰が砕けずにやりきる経験を持つことが大切なのだと思います。どんなに頭が良くて要領よく物事を把握して語れても,あと1メートルの壁で悩みもがき,やり切る過程での情けない思いや人の思いやりのありがたさや思いがけない偶然への驚きと感謝を経験してなければ,空虚な優等生の無味乾燥の言葉に終わってしまいます。切れば血の出る水気のある人との付き合いを大切にしたいと思っています。

2011年7月10日
 9月も,医療ソーシャルワーカーさんの研修,自治医大の地域医療フォーラムの第三分科会の共同座長,来広する横浜国大の開発途上国からの留学生への講師や広島での国際会議でのミニ発表など,いつの間にかしゃべる機会が増えていっています(後の2本は本業がらみですが)。3か月で12本というのは,ちょっと多い感じです。保健・医療・福祉系が5本,行政職員向けが5本,国際系が2本です。
 毎年,このように声をかけていただいて,現場の実践を支援する取組の大切さを感じています。普通,実践現場で頑張っていると,あまり周囲を客観的に見る機会が持ちにくいものです。それが,私の場合,自分自身も現場で目の前のことに没頭しながらやりつつも,たまたま,いろんな分野を経験させていただく機会を得たために,自分自身のもがきを,時々は違う立場から眺める機会を持てたが故に,お伝えできるものがあるように思います。責任感を持って現場で一生懸命にやっている方は,自分が格闘している現場の課題を,周囲の理解のない(ように見えてしまう)人々に対して冷静に客観的・論理的に伝えられないことが往々にしてあります。そんな時間が惜しいとか,どうせ言っても分かってもらえないとか。私自身もそんなところがありましたが,働く環境が何度か大きく変わり色んな角度から仕事を見るようになる中で,やはり個人の頑張りだけでなく,周りの人々をそして組織を巻き込んでいくことが大切だと思えるようになりました。
 それが,「現場の課題を組織の課題に,そして社会の課題に」という言葉や「難しい仕事は難しい顔をしていてはできない」という言葉ににつながっています。後者は,大変な難しい仕事をしているとどうしても肩に力が入ってしまって,他人を寄せ付けない雰囲気になってしいがちなのを,自省した言葉です。このあたりの感覚は,大学の研究者などの方々との違いのように思います。
 そういった思いで,緊迫感のある本業のかたわら,大学の研究者の方々とは違った角度から,現場で頑張っている方々の応援をしたいと,頼まれるままに出かけさせていただいています。
 こんなことが仕事になればと思っているのですが,そうはいきませんね。そもそも,今の日本の社会では,そんなことが,仕事として成り立ちませんし。もっと,多様性があればいいと思うのに。社会サービス分野で,大学の研究(教育)者と現場の人々という二分法ではないあり方が求められているのではとも思います。
 今既に社会にある仕事に就きたいというのではなく,今は無いけど必要だと思う仕事に就きたいと求職活動をしているので,目途が立たないはずです。とはいっても,24年前の伊藤忠商事への出向は公務員として国・地方を通じて全国初のものでしたし,10年前に転職した広島大学大学情報サービス室は,全国の国立大学の中で広島大学が初めて社会との連携のために試行的に設立した組織でした。2−3年のうちに,またそんな幸運がめぐってくればいいなと思っています。

2011年7月3日
 昨日は,東京で日本小児科医会の小児救急電話相談研究会に出席しました。この研究会も,もう5年目です。ほとんどは小児科の先生方で,他には日本看護協会の方など。全くの門外漢は,全国初のインターネットベースの救急医療情報ネットワークを一緒に立ち上げたNTTデータの友人と私だけです。
 この4年間,議論に参加していて,行政職というか事務職(非専門職?)の役割というものを感じます。それぞれの分野の専門職の方は,当然にその分野の専門知識は深く経験も豊富です。そこでの問題と課題も,当然ながらよく理解されています。ただ,その現場の問題の社会の中での位置づけや意義付け,問題の全体像の体系整理,関連領域の整理,問題解決のための課題の全体整理となると,むしろその分野の専門職でなくても,社会的な課題について考え,解決のための行動の経験を蓄積している者の参加も必要なように思います。問題整理の触媒役的な役割も果たせますし,いわば共同作業のようなものかもしれません。
 専門職の方々から語られる現場の問題から,問題の全体像を捉え,解決のための課題の体系整理をする,そしてその体系整理に従って,一つひとつ課題の解決のための議論をしていく,という仕事に長けた人材が求められているように感じています。私が言う,「社会サービス分野の組織間連携のコーディネーター」の役割の基本は,この点なのかもしれません。
 ただ,そのような役割を果たせるためには,自らが言い出して他人に働きかけて新たな変化を実現した経験を積み重ねていることが必要だと感じています。こうなったらいいなと願うだけで行動をせずにおいて,後で愚痴をいうとか,手を伸ばせばチャンスを掴めたかもしれないのに,あれこれとできない言い訳を繰り返して,幸運が空から降ってくるのを待っているだけだったりでは,新たな変化を生み出すための取組の力は付いてこないように感じます。
 誰もが分かるように問題を整理して,それを解決していくべき意義を共有して,具体的な行動に結び付けていくためには,自分自身も,何か新たなものを生み出すための行動をしていることが大切なような気がしています。新たな行動を起こしていくことの難しさ,不安感を自分自身が理解していなければ,他の人々や組織に対しても働きかけていくことはできません。新たなものに取り組んだことの成果は,簡単には評価できません。良かれと思ったことが結果としては良くなかったり,逆に,あまり期待していなかったことが大きな意味を生み出したりすることもあります。でも,手をこまねいてやらずにいて後でやらなかった言い訳をするよりも,変化に取り組んでみて,その結果を受け入れていくという方が,私には向いているように思います。

2011年6月26日
 昨日は,何とも集中できない一日でした。仕方がないので,古い資料などの整理と処分,部屋の掃除をしていました。これまでの色々な研究会などの資料を,かなり思い切って処分しました。随分出したと思ったのに,部屋の中を見ると,あまり減ったような感じがありません。
 今年は,研修講師の話が比較的少ないかなと思ってたら,7,8月だけで,横浜市,三原市,呉市,三次市,岡山県,香川県,広島県と続きます。このほか,7月には日本小児科医会の小児救急電話相談研究会,9月には自治医大主催の地域医療フォーラムの分科会座長が続きます。本業が厳しい大切な時期だけに,集中力を維持して頑張らねば。
 いずれも,「現場の課題を組織の課題にそして社会の課題に」や「社会システムづくりとコーディネート力」,「地域での保健・医療・福祉の連携」といったテーマです。具体的な実践の話でもなく,アカデミックな学問の話でもなく,その中間的な,実践に際してのものの見方や考え方,取り組み方といったような内容であり,格別たいした話ができる訳でもありません。ただ,私自身が実践の中で感じ考えてきたことをお話ししているので,現場で頑張っておられる方には,共感していただけることが多いようです。
 こういった,いわば中間的な領域についても,その必要性はあるように感じています。そういった,実践的な人材育成の,「現場研究,研修,現場支援」のサイクルを回していくことについて,もう少し,研究や実践の蓄積が必要なように感じています。
 この前から,親しい人には「求職中」と言って回っていたら,中には真剣に考えていただく方も幸いにもいらしていただけて,感謝です。新たな道が開けると良いのですが。

2011年6月19日
 トップページに,「求職宣言?」を掲載しました。
 先週は,「初めての求職活動!」をしました。といっても,四方山話をしてきただけですが。
 大学を卒業して就職する時は,まったく企業訪問をせずに公務員一筋でしたし,広大に移る時は,先方から声をかけていただいてでしたので,これまで求職活動なるものをしたことがありません。さらに言えば,今すでに世の中にあるあの仕事に就きたいというのではなく,トップページに書いたように,保健・医療・福祉分野を中心とした社会人向けの人材育成のお手伝いの仕事として,現場の事例を丁寧に整理して共有・発信し,それを研修に生かして,さらに研修を受けて現場に帰った方々の取組を支援するという,「現場研究」「人材育成」「現場支援」というサイクルを回していくことに参加できる仕事を探したいというもので,既存の仕事としてはなさそうなのが問題です。アカデミックな研究をやりたい訳ではなく(能力と根気の問題でできもせず),大学で学生を教えたい訳でもなく,現場で苦労されている(大人の)社会人の方々に関わりたいと贅沢を考えているので,仕事探しのあてもありません。 単発の研修講師の依頼はそこそこいただくのですが,生業となると簡単ではありません。
 ずっと税金でお給料をいただいてきたので,考えが甘いと言われそうです。とはいえ,「願えば叶う訳ではないが願わなければ何も始まらない」ので,とりあえず口に出して宣言しておこうというところです。広大から声をかけていただいた時は,2001年4月1日採用との提示だったのを,当時2001年1月1日は千年に一度の日と話題になっていたので,1月1日採用にしていただけるのなら転職すると逆提示して受けていただきました。今思うと,恵まれた交渉だったと思います。
 地域での保健・医療・福祉の連携はますます必要性が高まっているので,新たな取組の中で,専門職を,「社会サービスのための,組織間連携とコーディネート機能」という別の視点から横串で支援していくという点で,チャンスが巡ってこないものかと,願っています。

2011年6月12日
 丸2日,早朝から部屋にこもって,仕事をしていました。といっても,そんなに集中力が続く訳でもないので,ぐずぐずしている時間も長いのですが。
 大学に移って,報告書や構想をまとめる機会を何度も経験する中で,仕事の質は投入した時間の長さでは決まらないという思いを強くしています。ずーっともがきながら取り組んでいる中で,ある時期,ふっと集中できて一気にある程度のまとまった原稿が書ける時があります。ところが,そんな時間が計画的に生み出せる訳でもないところが悩ましいところです。修業を積めば,意識的にそれができるのかもしれませんが,未熟な私としては,あれこれと無駄な時間を過ごしながら,思うように進まない仕事に嫌になりながらも止めずにぐずぐずと行ったり来たりを繰り返しているうちに,偶然のようにそんな集中できる時間が来るのを待つしかないように感じています。結局,くずぐずと非効率に課題の周囲をぐるぐるとまわっているのもまんざら無駄ばかりではなく,頭の中での準備は進んでいるのかもしれません。
 もちろん,もっと効果的にてきぱきと問題を解決し処理していきたいという思いはあるのですが,そんな,核心の周囲をぐるぐると回っている時間も仕方ないとも思っています。その非効率で嫌な時間を過ごしているからこそ,「波」が来た時にそれを大切にしようと集中して取り組めるのではないかと思っています。(なんだか,非効率な作業の言い訳みたいですが…。)
 来週は,月火と金が東京で,木曜日は休暇を取って兵庫大学におられる尊敬する先生のゼミで授業をさせていただきます。ということで,また1週間,あっという間に過ぎそうです。
 秋までにまとめなくてはならない大きな課題もあり,内心穏やかではありませんが,年の功でこのような場数を踏んできたことにより,なんというか,プレッシャーで気ばかり焦ってしまって肝心の動きに手がつかないということは,少なくなってきたように思います。あるいは,単に,感性が鈍くなってきただけなのかもしれませんが。
 明日からの1週間が,みなさまにとって良い週でありますように。

2011年6月5日
 もう6月です。
 今年は,締め切りのある大きな仕事をしているので,内心穏やかではありません。とはいえ,悩んでいても仕方ないので…。 「難しい仕事は難しい顔をしていてはできない!」と言う所以です。
 そんな中で,公私ともに人に恵まれているのが,なによりです。見かけ倒しのこけおどしではなく,真摯に誠実に頑張っておられる方々とお付き合いさせていただけることほど,幸せを感じることはありません。
 自分が何か新しいことに取り組んで,いろんな風圧を一身に受けて,おたおたしながらも,必死になって踏ん張ってみなければ分からないことがあります。 そんな方々と,思いを共有させていただける対話の機会に恵まれていることこそが,幸せなのだと感じています。 評論家の使うはやり言葉を振り回して,もっともらしい顔をして済んでしまう人たちとは違う世界を知っていることが,ささやかな誇りです。
 結局,今の目の前だけを見ている人と,歴史の流れの中での責任と負荷を背負おうとしている人との違いなのかもしれません。 おこがましい言い方かもしれませんが,私が尊敬する方々を見ているとそう言いたくなります。
 退職まであと1〜3年なので,求職活動を始めました!

2011年5月29日
 本業の方で,「国際平和拠点ひろしま構想」の策定委員会の発表をしました。アメリカの元国防長官やオーストラリアの元外務大臣のほか,スタンフォードやプリンストン大学の教授にも委員になっていただくという,これまでの地方自治体ではあまり例のない取り組みです。人類初の原子爆弾によって破壊されたヒロシマであるとともに,その廃墟から復興したひろしまとして,復興への確信(Faith)を軸に復興と平和構築のための研究と人材育成の拠点をめざしていければと思っています。
 一般論として,システム改革と組織風土改革のバランスの大切さを感じています。事業の成果を出してなんぼですから,「事業の現場で疲れ果てているロバを若くて優秀な管理部門スタッフが理屈を振りかざして元気いっぱいムチ打っている状態」,ということにならないような工夫が必要なように思います。伊藤忠に出向させていただいた時にも,瀬島龍三氏が作った強力な力を持った参謀機能組織について,強大化し過ぎて周囲の反発を買って縮小され,逆に強力で迅速な意思決定機構の必要性が主張されて拡大されるということを繰り返しているとお聞きしたことがあります。最終的には,その機能を担う人の話かもしれませんが,難しいものです。行政経営改革で評価の高い北川知事時代の三重県では,システム改革先行から組織風土改革との並行的な取組みが進められています。
 人が活躍できる環境づくりが大切だと思います。4年前に政策企画課長としてまとめた「広島県人づくりビジョン」では,「自立」「絆」「社会意識」という「活力ある人づくり」だけでなく,「多様性」「夢」「応援」をキーワードとする「人を活かす社会づくり」が同時に大切であるとしました。国際課長としての3年間は,「海外人材が活躍できる環境づくり」を掲げて,留学生活躍支援センターづくりや多文化共生の基盤づくりに取り組んできました。「多様性の力」を大切にしていきたいと思います。
 久しぶりに新しいドラッカー本を読んで,社会に対する暖かで厳しい目を感じています。社会のためにという目的と責任を感じながら取り組む公務員の仕事のやりがいを感じるとともに,それが形に終わってしまう危険性も同時に感じています。手続きや理屈だけでなく,具体的な成果を意識する必要性を改めて認識しています。自らの問題意識と歴史への責任感とで一歩前に踏み出した者に風圧が集中してかかるのは仕方ありませんが,後ろの無風状態の場所から「正しい批判」をする者が更に負荷だけを増やしているという構図にならないような工夫が大切だと思っています。

2011年5月22日
 なんとも気ぜわしい日々を送っています。その中で,先週月曜日は,備後地域でベンチャー企業を立ち付げて急成長を遂げた社長さんの話を3時間半にわたりお聞かせいただいたのが,一服の清涼剤でした。私よりもいくつも年上なのに,まさに青春真っ盛りという語り口に,なんともうらやましく感じました。 定年まであと僅かとなり,あのように青春できる仕事を探さねばと,考えてしまいました。
 昨日は,尾道の老母に顔を出した後,16年間手伝っているも原氏の中学生のシンガポール交流の手伝いに。3時間程,中学生14人を相手に,にわか先生をしていました。シンガポールを訪問する前に,3か月毎週土曜日に3時間半の準備をするという真剣な取り組みの16年の蓄積のおかげで,相手方の学校も真剣に取り組んでくれています。私は「凡中の非凡」という言葉を思いついて気に入っていますが,まさに,地道に真剣にこつこつと取り組んできた成果が,大きな非凡を生み出していると思います。続けるためには,「冷静な目と熱い心」が必要です。
 先週木曜日には,同じ三原市の青年会議所に講演に呼んでいただきました。対話力について中心にと頼まれたのですが,対話力というのはテクニックではなく,「なぜ何のために何をめざして」ということがなければ伝わらない,といったことをお話ししていました。それは,共同作業なのだと思います。正しさよりも「納得」なのだと思います。
 年中ドタバタと気ぜわしい日々を過ごしている中でありがたいと思うのは,多くの魅力的な方々にお会いできることです。役所の中だけで何事もなく大過なく過ごしてしまうと,水気が無くなって乾いてしまいかねないところがありますが,そんな中にもあるいは役所の外にも,瑞々しく頑張っておられる方々がいらっしゃいます。心が乾いて頑なにあるいは傲慢にならないように,柔らかな心を大切にしていかなければと思っています。

2011年5月15日
 昨日の土曜日は,京都産業大学の組織間関係論の先生のゼミに参加させていただきました。「社会サービスのための組織間連携とコーディネート機能」について,これまでの,結果としてみれば恵まれた体験から得ることができた体験をまとめられないかと,2年前に大学院博士課程後期に入学したものの,1年経っても研究の方向性が見いだせずにいた時に読んだ本に共感して,昨年相談に伺わせていただいた先生から声をかけていただいてのゼミ参加です。
 やはり,問題意識を共有していただける先生に相談させていただくことが大切だと感じました。現実的で具体的な助言をいただき,京都まで行った甲斐がありました。とはいえ,研究の展望がすぐに開けるものでもなく,ぼちぼちやっていきたいと思います。連休中は机に向かっているだけでまったく前に進んでいなかった発表準備も,直前1週間の毎朝3時半起きでなんとか泥縄状態にまでく持っていきました。とはいえ,まともに研究できていないことに変わりはなく,先は遠いです。
 今日は,早朝から,庭に作った猫の額ほどの畑に苗を植えました。プロ級の友人が指導に来てくれて,トマト,ナス,きゅうり,ピーマン,スイカ,小松菜,ゴーヤを。よき指導者に基本をしっかり教えていただける幸せを感じたところです。
 先週の神戸での公務員の組織風土改革交流会の参加者の方々から,48時間メールが届いています。これは,大学勤務時代に,幼稚園,小学校,中学校,高校,大学の先生方数名ずつにお集まりいただき,子どもの科学教育の議論をしていた時に,1回4〜5時間の熱い議論がそのまま終わってしまうのはもったいないと,各回の会議終了後に全員が48時間以内に一言でもメーリングリストに送信することにしたのがスタートです。2日以内に何か書かなくてはいけないと思うと,無意識に考えています。会議室を出た後や翌日目覚めた時に,「これを言っとけばよかった」と思いつくこともあります。
 その日の議論を振り返ることができるとともに,その後でそれぞれが議論を反芻することで,さらに深めていくことができます。交流会では数年前から始めたのですが,それそれの参加者の思いが,振り返られさらに理解できて,大切な気付きも得られます。

2011年5月8日
 大型連休最後の土日は,神戸で開かれた「公務員の組織風土改革世話人交流会」に運営チームの一員として参加してきました。2000年秋の第2回交流会から参加させていただいている私としても,2日間で延べ10時間という「対話」を通じて,新たな気付きがある交流会でした。
 今回の主なキーワードは,「役所の中だけでの組織風土改革ではなく社会に開かれた組織風土改革」と「行動の結果として組織風土改革が生まれる」の2つです。
 前者については,分科会での,「公務員がちゃんとした対応をしていないために怒っている住民の方を『クレーマー』として扱ってしまっているのではないか」という指摘からでした。ちゃんと話が聞けていないのではないかとか,型通りの仕事をしているのだから間違っていないと思考停止になっているのではないかなどと感じました。役所の中での風通しの良い職場づくりとともに,「役所と社会との間の壁」をとり去って,住民の方々ときちんとしたコミュニケーションができる組織風土づくり,という視点も大切だと感じたところです。(もちろん,実際には,色んなケースがありますが)
 後者については,「組織風土改革」そのものを目的として作り上げようとするのではなく,形に逃げて「やるべきことはちゃんとやっている」と開き直ったりするのでもなく,「なぜ何のために何をめざして」を明確にして,やるべき情報交換や具体的な取り組みの一つひとつを積み重ねていくことの結果として「組織風土改革」が現実化していくのではないかというものです。これは地域づくりに長年取り組んできている友人の言葉である「連携が最初から生まれるのではなく,行動の積み重ねの結果として連携が生み出されるのだ」という言葉に触発された言葉ですが,それが,分科会での議論の中から生まれたことがいいなと感じています。
 東は新潟・東京から西は熊本県まで,連休中の休みを使って各地から集まった公務員の仲間との話し込み,聴き合い,投げ掛け合いを通じて,一生懸命にやろうとしている公務員仲間の熱い思いに触れて,いつもながら元気の出る交流会でした。

2011年5月1日
 祝日の金曜日は,16年お手伝いしている三原市の中学生のシンガポール交流の参加者選考会に,片道2時間近くの鈍行列車の旅を楽しみながら行ってきました。私が50分ほどお話をして,そのあと作文と面接をして14人を選考するというものです。全体で4時間もかける選考会は,その後3か月にわたり毎週土曜日に3時間以上も交流準備に子どもたちが集まるという,全国でもあまり例がないと思われるほど力の入ったこの交流の幕開けです。最初の頃は最初の講演だけをしていたのですが,個人的な興味から面接にも参加させていただいています。ほれぼれするような回答をしてくる子が,実際にチームでの訪問準備に入ったら意外に活躍しなかったり,ボーダーラインで入った子が,12回の準備や実際の訪問を通じて大きく成長したりするというのが,なかなか面白いところです。また,拘束時間が長いにもかかわらず,口コミで評判が広がり,応募者のレベルが上がっているのがうれしいところです。
 16年前に相談があった時に,単に税金を使って子どもを海外旅行させるだけでは意味がないので,やるなら徹底的にやりましょう,と申し上げたことをきちんと受け止めて,膨大なエネルギーを投入し続けていただいています。このような努力が,「本物」を生み出すのだと思います。今年は,原発事故の影響で先方からの三原訪問は中止になったのですが,こちらからの訪問は受けてくれる,しかも,3日間にわたり終日学校に受け入れてくれて授業への参加などをさせてくれるという提案をいただき,16年の蓄積により築かれた信頼関係を改めて認識しています。
 「正しく的確なビジョン」を打ち出すことに注目が集まる面がありますが,地道に続けていくことでしか生まれない信用力というものもあると思います。そんな経験が,努力を続けることの価値を理解させ,それを前提として相手と長い信頼関係を生み出そうとする付き合いの態度を身に着けさせるのだと思います。切れ味だけではない,厚みのある迫力というのは,このようにして生まれてくるのだと感じます。
 土日は,再来週の土曜日に,京都産業大学の組織間連携の先生のゼミに参加して報告をさせていただくことになっているので,その準備にと早朝から机に向かっていましたが,遅々とも進まずというどうしようもない状況でした。でも,慣れないこに取り組むというのはこんなものだと,止めなければいいのだとあまりに非効率な時間の過ごし方を,自分で慰めていました。手慣れたことばかりしていると,こんな思いもすることなく,忍耐力も付かないような気がします。先の見えない道を手探りで進んでいく不安に耐える力も必要なように思います。
 それにしても,あまりに成果のない2日でした。

2011年4月24日
 週末に愚息の結婚式に出てきました。高校から大学院までの多くの友人に各地から集まっていただいて,心のこもった式でした。打算のない無心の人付き合いという点で,ちょっと息子を見直したりして。(親ばかです。) いつまでも,一生懸命と真摯さを大切に,二人仲良く暮らしていってほしいと思っています。
 社会人としての人付き合いで言えば,他人から見た格好や社会的な立場・肩書ではなく,自分の中での納得と覚悟というバランスが取れた状態であることが大切であると思いますし,それがあって,他の人たちとの付き合いや社会的な活動も,無理なくバランスよく続けられるのだと思います。

2011年4月17日
 公務員系の内輪のメーリングリストで,本業以外の活動のバランスのとり方が話題となって,何度かやり取りをしました。論点を乱暴にまとめて言うと,頼まれれば人の役に立つことならと何でも引き受けていていいのか,それが自分が本当にやりたいことの障害になることもあるのではないか,というものです。
 問題提起してきたのが,この少人数のグループの中でも特に懇意にしている友人であり,テーマとしては他人事ではないので,真剣にやり取りしました。
 頼りにされるが故にいろんな頼まれごとが増え,それに一つひとつ丁寧に一生懸命に対応しているうちに,何が自分が本当にやりたいことなのか見えなくなったり,もっと大切なものを犠牲にしてしまっているのではないかと感じてしまうことがあります。「いい人」になるだけではなく,自分がめざしたいものの価値基準からの判断が必要になります。
 とはいえ,本当にやりたいことが明確で目の前にあれば,それへの影響や,それとの優先度の比較をするということも可能かもしれませんが,何が自分の価値基準から大切なのかは,実際にはよく分からないことが多いのも事実であり,とりあえずダボハゼ的に食いついてみるしかないところもあります。
 今まで誰もやっていない新しい仕事に取り掛かれば,予想をはるかに上回る作業が次から次に現われてきて,一つひとつに選り好みできる訳もなくひたすら一つひとつに対応していく,いつ果てるともない消耗する作業が続きます。あとから一つひとつを振り返ると疑問もあるにしても,それらは皆,もがいているときにはつながっていたものであり,取捨選択できるものではなかったのではないかと思います。
 最初の道を切り拓く時には,数多くの迷走をし,無駄な時間を費やし,結果的には馬鹿みたいな膨大な作業をしています。でも,それは答えが見えていないから,全力を出してそんなことに真剣に取り組むのだと思います。それは,結果的に無駄だったか非効率だったかと問いかけるようなものではありません。ほかに手がなかったから,あるいは正しいこと他が見えていなかったから,仕方がなかった訳であり,無駄だったかどうかを議論するような筋合いのものではないのだと思います。新しいことを生み出そうとすれば,どうしても必要だったことであり,新しいことを生み出したかったからそれに取り組んだのであり,あとから見て後悔するくらいなら,最初からなんにもしなければ良かったこということになってしまいます。実際には,要領よくスマートに取捨選択するというのは難しそうです。
 とはいえ,今の時間を最大限に生かしていくことを真剣に考え続けて選択をしていかなければ,その幸せが手元からすり抜けていってしまった時に,後悔したり愚痴を言ったりすることになりかねません。逆に,自分の信じる方向性をめざした結果の選択であれば,たとえそれが「間違った」と思われる結果となったとしても,仕方ないのではないかと思います。そもそも,自分の生き方の選択に,「間違った」「間違っていない」という答えは出しにくいものであり,実際にはその一つひとつを現実として受け止めていくしかないようにも思います。
 近道や正しい道というものはなく,カーナビもない中で,自分が選択し歩いた道が自分の道になるのだと思います。それを,損得,栄誉,出世,名声,周囲からの評価を気にしてではなく,自分が自分自身に恥じないように,そして自分自身のバランスが維持できるように,自分自身の価値基準によって,一つひとつの選択をしてきたという積み重ねが,自分自身としての「受け入れ」を生み出すのだと思います。 
 明日は見えませんし,自分という存在の「終わり」がいつ来るのか誰にも言えませんが,それだけに,めざす方向性と価値観,そしてそれに基づいた日々の選択を大切にしていきたいものです。

2011年4月10日
 年度初めに押さえておくべきことが多く,緊張感のある日々でした。でも,職場の新しいチームは滑り出しが良く,大変ではあるものの,今年も楽しくやれそうです。
 昨日は,友人の船で釣りに行き,メバルを一度に5匹も上げるなど大漁で,夜の穴子(アナゴ)漁もそこそこで満足です。今日は,朝から,畑の拡張のための真砂土と牛糞取りから始まり,隣家との間の壁木を掘り起こした後の木の格子の目隠しの設置など,朝から夕刻までずっと太陽の下でした。
 今更に,平和な日々のありがたさをを感じています。

2011年4月3日
 旧年度の最後の数日と新年度の初日はあっという間に過ぎ,年度替わりの余韻に浸る間もありませんでした。
 4月1日付で広島県地域政策局国際部長になりました。「局−部−課」制を「局−課」制にして,間に,特命担当部長を置くという話です。部長と課長との連携が課題だと思いますが,昨年までの2年間副課長として一緒にやっていた人材を課長にしてもらったので,力を合わせて,地域の活力を生み出す国際施策に取り組んでいきたいと思っています。
 2年半がかりで取り組み,ここ半年以上,あれこれと難関に直面してきた「広島県留学生活躍支援センター」もなんとか立ち上がりました。最終的には8割以上の大学に参加していただき,主要3市の行政と商工会議所なども含めて38団体でスタートすることができました。(財)ひろしま国際センターも,会長と専務理事の選出組織が変更となり,23年ぶりに新たな体制でのスタートです。海外人材が活躍できる環境づくりを通じて,「国内外から人材が集まる魅力ある元気な広島県」をめざすとともに,廃墟から復興への確信(Faith)を提供できる地として,復興・平和構築の人材育成拠点をめざしての取り組みを進めていきたいと思っています。
 昨年秋から休学している大学院の方は,もう1年間休学させていただくことにしました。「社会サービス・イノベーションのための組織間連携とコーディネート機能」というテーマへの関心は変わらないのですが,地道な「先行研究」をする時間(気力・忍耐力?)がなくて…。
 公務員生活の最終コーナーを,自身に恥じることのないように,一生懸命にやっていきたいと思っています。

2011年3月27日
 日本医療ソーシャルワーク学会の研修会で,金土日と宮崎に行ってきました。延岡まで新幹線と特急で5時間,そこからレンタカーを借りて2時間余です。元々は口蹄疫被害でしずむ宮崎県の応援で企画された研修会ですが,その後の鳥インフルエンザや新燃岳の問題があり,さらには東北関東大震災が続き,口蹄疫の被害が忘れられかけていますが,地元では,数多くの牛を処分しなければならなかった悲しみは消えていないようです。
 東京からの参加者もいて,計画停電の影響や食料の入手の困難さのお話もお伺いしました。ニュースにならないところにも,苦労や悲しみは数多くあります。
 研修会は,日頃,苦しい状況に置かれている患者や家族の方々の療養環境の支援をしておられる医療ソーシャルワーカーの方々ばかりなので,問題意識が明確で,熱心に参加していただきました。
 現場で頑張っておられる方々が煮詰まってしまわないように,肩の力を抜いて多くの人々を仲間に引き入れて,変化を生み出していくための取り組みに付いて考えていただきました。4時間半という時間をどう生かすかに頭を悩ましましたが,現場で苦労されている方々ばかりなので,豊富な体験から,実感のある話をしていただきました。

2011年3月19日
 東日本大震災(東北関東大震災)と名前が変わりました。名前がどうであろうと,現地の厳しい状況は変わりません。改めて,被害に遭われた方々にお悔やみとお見舞いを申し上げます。
 10年ほど前から,「公務員の組織風土改革世話人交流会」に参加しており,現在は運営チームに入っています。この交流会は,『なぜ会社は変われないのか』(日経新聞社)の著者である柴田昌治さんのスコラコンサルトの一員である元吉由紀子さんが,阪神淡路大震災を経験された時に,非常時の行政の役割の大きさ大切さ(と実際に果たせたことへの課題)を感じられたことから,スタートしています。
 利益という明確な価値基準による組織運営ではなく,社会のためにという大きな価値基準で運営している行政組織が,いざという時に本当にどれだけ期待された役割を果たすことができるのか,またそれに備えて平常時からどれだけの対応が準備できるのかは,普段から,感性と反応性の良い組織づくり,社会全体をそして未来を見つめる仕事のやり方をしているかどうか,ということにかかっているのだと思います。
 組織風土改革は,単に風通しの良い居心地の良い組織づくりというだけではなく,みんなが暮らす社会のための仕事を付託された公務員が,そしてその行政組織が,その本来使命をきちんと果たすために必要な取り組みなのだと感じています。
 先週末に新年度の人事異動の内示があり,新設される国際部長をすることになりました。昨年から,これまでの,破壊された地としてのヒロシマだけでなく,破壊から復興し,世界の人々に復興への確信(Faith)と未来への希望を提供できる「ひろしま」を前に出した国際平和拠点構想に取り掛かっており,それを中心に担当することになります。未来への夢と希望が持てるということは,大切だと思います。広島が,そんな力を,国内外の人々に提供できる地でありたいと思います。
 うまくいくこともそうでないこともありますが,苦労させる側ではなく苦労する側に立ちながら,こつこつと頑張っていきたいと思っています。
 1月末に始めたWindows7への転換とディスプレイの増設がやっと終わりました。Windows7とOffice2010にもやっと少しずつ慣れてきているとともに,ディスプレイも従来の2画面から最大4画面が使えるようになり,作業効率の更なる向上に期待です(普段は3画面)。随分多くの時間を無駄に使ったと思いますが,新たなことに取り組んだ時はいつもそんな感じです。多くの無駄な回り道をすることで,周辺の土地勘もでき忍耐力もできます。水面が不透明な沼にこつこつと石を投げ込むようなもので,表面には出なくても,投入した努力は水面下で蓄積されていきます。今の目の前の一つひとつを大切にしていきたいと思います。

2011年3月13日
 まず,東北地方太平洋沖地震の被害にあわれた方々に,お悔やみとお見舞いを申し上げます。
 人生,一寸先は闇,と言いつつも,昨日と同じ今日,今日と同じ明日が来るものと思ってしまっています。未来への想像力は,その人のこれまでの体験の幅により制約される部分があるように思います。そんな見えないものに対する恐怖を感じることの感性は,底の見えない淵を覗いたような経験無くしてはなかなか身に付かないのかもしれません。
 そんなことを考えずに過ごしてこれたというのは,ある面幸せなことかもしれませんが,底が砕けて地に足がつかない経験をすることも,必要なことかもしれないと思います。
 地震がもたらした非日常の世界は,今を大切に生きることの必要性を教えてくれます。

2011年3月6日
 先週のシンガポールでは,朝6時半にシンガポール人の友人に空港に迎えに来てもらって以来,午前中の研修講師,午後のシンガポール国立大学の先生とのお茶,そしてシンガポール人の友人との夕食と,滞在中の10数時間はずっと英語漬けでしたので,月曜日のスーダン政府職員研修はスムーズに言葉が出るかと思いましたが,実力のなさはいかんともしがたく,いつも通りのドタバタ英語でした。
 地元放送局のRCCが平和問題のミニ特集の一部に使うとかで,3時間近い講義のあいだ中,カメラクルーがあれこれ撮影していたのですが,結局使われたのは私のインタビューも含めて20秒程度。でも,廃墟から復興した広島に来ていただくことで,紛争等からの復興に取り組んでいる人たちに復興への確信(Faith)を持っていただきたいこと,広島で,未来への夢と希望を感じていただきたいこと,という最も私が言いたかったことを取り上げていただいたので満足です。ご興味のある方は,RCCのニュースサイトから3月2日(水)の「ヒロシマ再考)紛争国の復興支援を」をご覧ください。
 先週は,2年半がかりで取り組んでいる留学生の活躍支援組織づくりの最終段階の課題の一つがクリアできてほっと一息でした。 が,先々週から取り組んでいる自宅のパソコンの更新作業の一環として,古いパソコンの転用のためのセットアップに土曜日のほぼ一日を使って一旦はうまくいっていたのに,日曜日の朝に,画面の解像度の微調整をしていた時に間違った操作をしてしまったことで,対応の悪循環にはまってしまい,結局,土曜日の作業が水泡に帰してしまいました。こんなもんですね。何か新しいこと,普段やらないことをやると,思いもよらない些細なことでつまづき,最悪の場合,それまで辛抱して積み重ねてきた努力が一瞬にしてふいになってしまうことがあります。私自身,これまでいろんなことに手を出し首を突っ込んできただけに,そんな情けない思いをした経験が,平均値よりもいくらかでも多いのではないかと思います。でも,それが今の自分のささやかな強みにつながっているのではないかと思うこともあります。
 要らんこと,余計なことに手を出すことで痛い目にあうことは確かに多いですし,こんなことしなければ,こんな苦労をすることもなかったのに,と思うことも度々ですが,でも,決まった安全な途を進むよりは学ぶことは多いような気がします。やせ我慢もあるかもしれませんが。
 でも,どこかでそれを楽しんでいる自分もいます。

2011年2月27日
 本当に,シンガポール往復夜行日帰りをやってきました。金曜日の夜9時に広島空港から飛び立ち,羽田空港で乗り換えて翌朝6時半にシンガポールに着いて,午前11時半から午後1時までアフガニスタン政府職員18人に講義をして,午後10時前にシンガポールを出発して羽田空港経由で広島空港には今日,日曜日の午前8時過ぎに戻ってきました。当然,機内預けの荷物もなく,いつもの東京出張並みの荷物でした。ただ,違うのは,行きは,シンガポールでの講義の前後に会った友人向けのお土産が多かったことと,帰りは,逆に友人たちからいただいたお土産のほかに職場などへのお土産が多かったことくらいです。
 土曜日の朝,空港に迎えに来てくれたシンガポール人の友人宅でシャワーを借りたのですが,驚いたのはヘヤードライヤーを持っていなかったこと。年中32度のシンガポールでは別に問題ないのかもしれませんが,新たな発見でした。熱帯のシンガポールでは,バスタブがないのが普通ということは知っていたのですが。
 講義の方は,終了後何人かの受講者がメールアドレスを聞きに来られたので,興味は持っていただけたのではないかと思います。英語での講義をアフガニスタンの言葉に翻訳していただくというやり方なので,なかなか伝わりにくい難しさはありましたが…。カブールがだんだん近づいている感じです。
 帰宅後は,髪を切りに行った後,庭の畑づくりの仕上げをしました。ブロックで囲んで,友人に分けてもらった真砂土と牛糞を入れただけの簡易版ですが,少し格好にはなりました。
 明日は,県庁で,スーダン政府職員対象の講義です。厳しい環境の国の中で,未来を信じて真剣に努力していただく一助になればと思っています。

2011年2月20日
 先週の1週間は,自宅のパソコンの更新でバタバタしました。6年前にパソコンを更新して以来で,特に実用には問題なかったのですが,三原市の職員研修のお手伝いをしている中で,新しいバージョンのパワーポイントの操作で分からないことがあり,この機会にウィンドウズ7に更新しようとしたものです。データの引っ越し用のソフトも購入して楽にできるはずだったのですが,発注時にハードディスクのパーティションを分けた配分が悪かったためにうまくいかず,随分手間取りました。理屈の上ではちゃんと動くはずなのにうまくいかなかったり。新しいことに手を出すとこんなものです。でもなんとか,念願のトリプルディスプレイも動きだし,作業の快適さに満足しています。
 考えてみると,このように新しいことに手を出して想定外のトラブルにぶつかってへこんで悩む経験が他の人よりも相対的に多いのではないかということが,いくらか今の自分らしさを作っているような気がします。もちろん,パソコンの更新のような単純な話だけでなく,行政から民間企業,海外,財団,大学へという部分が大きいのですが。自分の知っている領域の中だけで過ごしていれば,そしてあまり新たなものに手を出さなければ,トラブルも想定内のものが多くなりますが,新たな分野で新たなことに手を出していると,理屈では通らないトラブルにいくつもいくつも否応なく直面することになります。そんな時に,「理屈とは違う!」と言っても仕方なく,その現実の中で何とかしていくしかありません。「なんでもあり」を受け入れることには,いくらか慣れてきているような気もします。
 ところで, 倉敷市の保健師の人材育成ガイドライン検討会の外部委員として,メッセージを書くように求められたので,次のような内容を盛り込みました。「保健師は,一人で地域の現場に出て行って住民の方と接する機会が多いだけに,深刻な状況に直面して悩むことも多いと思います。それを一人で抱え込んで現場で煮詰まってしまうのではなく,組織としてそれをサポートする取り組みや,さらには社会の仕組みとしての解決の道を模索していくことが求められています。「現場の課題を組織の課題に,そして社会の課題に」ということです。そのためには,現場での活動とともに,社会を広く見る目が必要です。自分たちの社会の将来のためにどう考えればいいのか,そしてそのためには行政としてどう取り組むべきなのか,そして住民自身の取り組みをどう支えていくのかを考えていくことが求められています。「社会を見る目,組織を動かす力,住民を支える心」が大切だと思う所以です。」これは,行政に働く者としての基本かもしれません。
 蛇足ですが,先週末は,庭に畑を作るために,壁木を何本か切って根っこを掘り出したり,ブロックを並べたり,家の周囲の通路に玉石を敷き詰めたりと力仕事が続いたので,筋肉痛がいつ来るかが老化の指標だと内心ドキドキしていたのですが,結局,なにもないまま一週間が過ぎました。日頃,県庁の建物の中をドタバタと走り回っているのが効いてるみたいです。

2011年2月13日
 昨土曜日はびっくりするほどの(我が家周辺にしては)大雪でした。早朝は大したことなかったのに,朝9時過ぎ頃には大吹雪。道路にも見る見る雪が積もっていきました。広島市内在住の外国人の知人家族を招待していたのですが,とても市内まで迎えにいけそうになかったので,どうしようかと相談したところ,(南米出身なので)子どもたちに雪を見せて遊ばせてやりたいので,JRに乗って行くとのこと。我が家でお好み焼きを焼いて食べた頃には太陽が顔を出したので,公園に行って雪合戦。童心に戻りました。(いつも,かもしれませんが。)
 そのほかは,相変らず,2月26日のシンガポールでのアフガン政府職員への汚職防止研修と,28日の広島でのスーダン政府職員への地方行政研修の準備をしています。先週書いたトランスパレンシー・インターナショナルのランキングで,アフガニスタンは178か国中176位(下から2番目グループ),スーダンは172位(下から4番目グループ)です。この順位は,多くの人が何らかのことをしているという状況であり,そんな状態を変えていくのは簡単ではありません。みんなが時速80km以上で走っている60km制限の自動車専用道を時速60kmで走ることよりも大変なことかと。
 一旦緩んでしまったものを,締めていくのは簡単なことではありません。個人の中でも,一旦緩んで楽が身についてしまうと,なかなか緊張感が高まりませんし,集中力も維持できません。壊すのは簡単でも,創り上げるのは大変です。エジプト政権の話でも,混乱期には落ちてしまいがちなモラルと緊張感をどのように新たに構築していくのかが問われています。
 みんなの見えるところでではなく,人が見ないところで,きちんと責任感と使命感を持って仕事をすることが恥ずかしくないと思える環境を作っていくことは,当たり前で簡単なようでも,実は大変なことなのだと改めて感じています。
 保健医療系の研修や防犯研修,行政職員研修に汚職防止研修などなど,ダボハゼ的に来た話を何でも受けてしまう節操のなさと将来展望のなさを,我ながら問題だと思っているものの,このようにいろんなことを考え気が付くきっかけが多様にあるということは,まんざらでもないと感じているところです。

2011年2月6日
 日経ビジネスオンラインで,「企業の存在価値はリスクを取り続けることなんですよ。経営とは下りのエスカレーターを上り続けるようなもの。変化を望む陣営と、変化を嫌う陣営が戦い、後者が勝ると企業は没落していきます。 」という言葉を読んで,なるほどと感心しました。アレックス社長の辻野晃一郎氏の言葉ですが,このようなメッセージをうまく伝える工夫が大切だと感じます。
 早朝は,研修の準備で,シンガポールの建国の父のリー・クアン・ユーの伝記と自伝を読んでいて,彼が当初からいかに汚職・腐敗防止に力を入れていたかを改めて認識しました。そして,リーダーの責任も。自伝中では,日本の金のかかる選挙の仕組みと,その金を取り戻そうとする政治家の腐敗を厳しく指摘していました。
 その後,友人の船で朝6時出港で釣りに。とにかく寒かったです。でも,お日様が出てきてちょっと一息でした。太陽ってありがたいですね。メバルの大漁でした。
 午後は,庭の木を何本か切って畑づくりの準備。体を動かし続けた一日でした。
 
2011年2月5日
 ここ2年ほど,JICAの依頼での,カンボジア,サブサハラ,リベリアなどの政府職員への地方自治研修や,立命館大学のインドネシアの大学教員や政府職員への計画倫理研修,広島にある国連機関ユニタール(人材育成機関)のアフガニスタン政府職員への地方自治研修などをやっています。
 先週書いたように,今月,ユニタールがシンガポールで実施する汚職防止研修の講師を頼まれて,悩みながら準備をしているところです。
 タリバン政府の崩壊以降,2005年に世界159か国中117番目だった政府のクリーン度が,2008年には178か国中176番目まで落ちている国(Transparency International)の政府職員に,何を語ればいいのかと悩んでいます。(ちなみに,日本は17位。1位は,シンガポール,デンマーク,ニュージーランドが同率。)昨年9月に来広された汚職防止庁長官ほかに地方自治の原点からの倫理をお話したのが今回の話のきっかけですが,わざわざシンガポールまで行って何を話すのかというところです。
 多くの職員が賄賂を受け取っている?ような状態で,依然として自分自身の命も家族の命も危ない中で,清貧?を訴えることの難しさを感じています。
 こんなことを考えていたら,今の平和な日本で,まじめにしっかり仕事をするのは当然じゃないかと思うようになります。

2011年1月30日
 昨日は,日本小児科医会の小児救急電話相談の研究会で,東京日帰りでした。(今週2回目,今月4回目の東京日帰りです。)日帰りといえば,2月末には,広島にある国連機関ユニタールのアフガニスタン政府職員対象の汚職防止研修の講師で,シンガポール往復夜行日帰りです。県議会開会中で平日は不在にできないので。帰国の翌日はJICAの仕事でスーダンの政府職員研修です。最近,開発途上国の政府職員や大学教員研修が続いていますが,私自身,行政や社会のあり方の基本を考える貴重な機会となっています。
 小児救急電話相談の研究会は今年で5年目ですが,異分野の方々との議論に参加させていただくと,学ぶものが多くあります。論点をいかに整理して,いろんな方々の思いを大切にしながら,一定の共通の方向性をまとめていくかについては,どの分野も同じだと思います。ただし,医療分野においては,関係者の皆さんが,日々,命が関わる厳しい環境で仕事をされておられるだけに,こちらも緊張感が高まります。なにより,医療分野では,亡くなってしまわれた方を「死んでない」と言い張ることはありません。行政の分野で,失敗した仕事を「失敗ではない」と言い張ることがないだろうかと,自省する次第です。結果に対して責任を持とうとされる方々との真剣な議論は,厳しくはありますが,この点でさわやかさもあります。
 2年半前から自分の判断で進めてきたプロジェクトが,ここ半年ほど崖っぷちをさまよっていましたが,なんとかまとまりそうになってきました。まだ安心はできませんが,一山越えればまた一山と,本当に根気比べの世界でもがいていた状態からは,少し落ち着きました。いつも思いますが,どんなに経験を積んでも力をつけても,新たなチャレンジは,成功の保証がないという点では常に初心です。
 ささやかにほっとした反動で,買い物に走っています。16年間乗ってきた愛車(ルシーダ,16万キロ)を以前から気になっていた小型車(ホンダ・フリード)に買い替え(中古車ですが),6年前に大学を辞めた時に買い換えたままのパソコンを更新しました。パソコンは,デュアルディスプレイ(2画面)からトリプルディスプレイ(3画面)への拡張です。まだ届いていないのですが,作業効率の更なる向上に期待です。もちろん,内容の質の向上も・・・,ですが。

2011年1月23日
 新しい仕事に取り組んでいる時には,毎度のことですが,ここ2年半かけて取り組んでいる留学生の活躍支援組織の関係などで,日々,唖然とするようなトラブルの連発で,すっかり障害物競走の様相です。一つの山を越えてほっとする間も無く次のトラブルが表面化するという状況の繰り返しでした。 関係者が社会的な地位の高い方ばかりなので,対応にも難しさがあります。
 先週金曜日は,先々週の国立保健医療科学院研修に引き続いて,山口県の県と市町の保健師さんの研修で山口へ。140人という人数でしたが,さすが現場で苦労しておられる方々ですので,反応が良くて,(自己満足の)楽しい研修でした。本業?が厳しい中で,このような個人的な活動が,大きな気分転換になっていると改めて感じた次第です。
 いろんな人との付き合いの中で,世の中には,良い人と悪い人とがいるのではなく,それぞれの人の中に両方の側面があり,どちらが大きく育っていくかで違いが出るだけだと思います。今の自分が,相対的には良い面も育てられていることを感謝しつつ,悪い方の面が表面化することを極力押さえて,避けていくように努力していく必要があると感じます。しんどい仕事の中でも,耐えて努力していくことは,自分の悪い面を抑えていく効果もあるので,ある面,恵まれた機会なのかもしれません。

2011年1月15日
 年初からのドタバタ続きの中で,週末を迎えちょっと一息です。本当は個人的活動の方で東京に行く予定はあったのですが,尾道の老母が来ていることもあり,ちょっと休憩です。
 水曜日には,国立保健医療科学院の保健師研修で東京日帰り。東京といっても,科学院があるのは埼玉県和光市です。朝の2便を予約していたのですが,ドタバタしている中で,朝1便を予約していたと思い込んで,5時半に家を出て空港へ。搭乗口でエラーになって初めて気が付いた次第。恥ずかしいやら情けないやら。折角頑張って早起きしたのに・・・。まあ,こんなこともあります。
 研修は,72人の受講者相手に3時間。現場で頑張っておられる中堅クラスの方々でしたので,グループワーク(三静か)後の意見発表も実感と味があり,社会人相手の研修の醍醐味を感じさせていただきました。来週火曜日は定例の三原市職員研修,金曜日は山口県の県と市町村の保健師さん140人の研修と続きます。
 本業であれこれ振り回されているだけに,まったく違うタイプの活動が良い気分転換になっているような気もします。今朝は,いつもの早起きで,外部委員を頼まれている倉敷市保健師人材育成ガイドライン検討会用の意見を書いていました。時代環境が変化する中で,若い世代の方々に「興味とやりがい」を感じていただくための環境づくりが必要なように思います。

2011年1月10日
 大阪で略式の対面をして,結婚式場を見た後,新郎新婦候補?の新居見学。京都に泊まって,今朝は雪の西本願寺と東本願寺見物の後,新婦のご両親のご案内で寒くて白い滋賀県彦根へ。伊吹山と琵琶湖がひたすら美しく,近江牛も美味で,満足でした。
 人の縁の不思議さを感じるとともに,いろいろな生き方のあり様も感じたところです。
 「無事」だけが幸せの条件ではなく,「自分の思い」と「世間の絆」とのバランスも大切だと感じた次第です。

2011年1月8日
 1月4日からフル回転でドタバタしてます。4日に決まった出張で,5日の午後に休暇を取って亡き父の百か日の法事を尾道で済ませた後に上京し,6日は東京で緊張感ある時間を過ごしていました。
 12連休の後ですので,仕方ないかとも思いますが,もう少し初春を楽しむ心の余裕も持ちたいものです。
 愚息が滋賀県出身のお嬢さんにプロポーズしたので,明日9日は先方のご両親と大阪で対面です。人の縁の輪が広がっていきます。
 折角の機会なので,冬の京都を回ってこようと思います。中学時代には,親戚に泊めてもらって,京都のお寺のお庭を見て回っていました。思えば,ひねた中学生でした。

2011年1月3日
 大学院を休学しており,頼まれ仕事も勘弁していただいたりで,10年近く振りに書き物に追われない年末年始でした。ここ何年も,元旦も朝4時前後に起きてレポート作成という状態でしたが,久しぶりにのんびりと夜なべもして。とはいえ,シンガポールから帰国後は,ずっと大掃除やふすまの貼り替え,部屋の模様替えと動き詰めでした。どうも貧乏性で,何かしていないと落ち着かないようです。
 とはいえ,明日からまた仕事なので,今日は早めに寝て,いつもの早寝早起きの生活リズムに戻したいと思います。
 昨年も本当に沢山の方々に出会うことができ,多くの魅力ある方々とお付き合いをさせていただきました。結構厳しい年でしたが,公私共にいろんな人に助けていただきました。改めて,心から感謝です。
 今年も,いろいろなご縁を楽しみに,精一杯頑張っていきたいと思います。この「ひとり言」も,自分の都合のいい時に一方的に発信するというわがままスタイルで,当分続けていきたいと思っています。お読みいただいている方々に感謝です。ブログやフェースブックなどに興味がない訳ではないのですが,いつも一杯一杯で過ごしているので,自分なりのリズムを守りたいというわがままな理由で手を出していません。コミュニケーションの頻度や広がりだけでなく,一定の信頼関係に基づく対話の掘り下げも大切にしたいとの思いもあります。
 今年が,みなさまにとって,充実した良き年でありますように。

2011年1月2日
 昨年末に,「財団法人地方公務員等ライフプラン協会」という団体から出されている『ALPS』という雑誌の12月号に,人物紹介記事を掲載していただきましたが,「ぎょうせい」という出版社から出されている地方自治の『ガバナンス』という雑誌の1月号に,対話力について3ページほど書かせていただきました。私が対話力について書くというのはおこがましいとも思いましたが,対話力をテクニックとして語るのではなく,自治体職員として,社会の多様な人や組織をつなぎ,新たな変化や価値を生み出すために不可欠なものとして捉え,それを実践し磨くためのヒントを提供したいという思いで,お引き受けさせていただきました。
 今までも,いくらかはこのような形で書かせていただいたことはありましたが,全く偶然に2か月続けてというのは初めてです。地方公務員生活の終盤の良い記念です。
 人のつながりのありがたさ,新たな出会いの価値を感じているところです。

2011年1月1日
 あけましておめでとうございます。
 29日に無事シンガポールから帰国しましたが,その後,ひたすら大掃除や家の片付けなどで大晦日の紅白歌合戦が終わる時間までドタバタ動いていましたので,帰国のご報告もできずにいました。
 昨年もいろいろとありましたが,周りの皆さんのおかげで,楽しく過ごさせていただいたことを感謝しています。
 今年も,前向きに頑張りたいと思いますので,引き続き,よろしくお願いします。


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