箱根山日記

 ここは日記のページです。日々感じたことや怒ったこと(笑)など、まぁ書きたい放題書いています。
 書き手もたいして物事を考えずに書きつづっていますので、みなさまも、さらっとお読みくださいまし。

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   八月分総集編/金魚鉢の夏 一挙掲載!New!


G4導入計画

 デスクトップの愛機DT300が絶不調の旨を書いたが、ソフト的な問題ではなくどうやらハードの故障が怪しくなってきた。分解清掃をしていて筐体の金属部に肌が触れるとびりびりと来るのだ。俗に言う漏電ではなかろうか。

 そうなると怖いのは火災である。データは結構こまめにバックアップしているので万が一の時でもあまり心配はしていないが、火事で全てが燃えてしまっては元も子もない。

 と言うわけで現在G4ポリタンクの導入を検討している。OSXはあまり使うつもりが無いのでOS9が搭載される最後のモデルになるであろう現行モデルを購入するには良いチャンスかもしれない。

 ここで多くの方は奥さんをいかに説得するかに頭を痛めるところなのでしょうけど、うちの奥さんはこういうところは実に寛容で(奥さんもMacユーザーだし)、逆に「モニターは17インチにしなさい!」なんて涙がちょちょぎれるような叱咤激励をしてくれるのだ。さらに近くのパソコンショップの株を買うので株式優待も受けられるなんて嬉しいこともやってのけてくれるのだ。

 3年ぶりの買い替えになりそうなので、パソコン雑誌を見たりインターネットでAppleのホームページなどを眺めつつ、少しドキドキしています。こういう瞬間って至福ですね(笑)


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バリ辛ラーメンの恐怖

 チェーン店だが、そのこってり感が好きで愛用している「ラーメンの花月」に新商品がラインアップされた。その名もタイトルどおり「バリ辛ラーメン」。

 こいつがそのネーミングに恥じないくらいバリバリメチャクチャガキガキにもうなんだか分からないくらい辛い。

 このラーメンの大盛りを「うめいうめい」と笑いながら食い、汗一つかかずにスープまで残さずたいらげる男(別に女性だってちっともかまわないのだが)がいたら、すかさず僕の「無条件で尊敬する人」リストの5項目目に推挙されるであろう。そのくらい辛いのだ。

 話は横にそれるが僕が無条件で尊敬する人はどんな人かというと、以前も書いたような気がするがここで再掲しておこう。

  1. 税金に強い人
  2. 各種保険年金に詳しい人
  3. 暗算ができる人
  4. 食物をくれる人

 である。

 このうちのどれか一つにでも該当すれば僕の尊敬を無条件で勝ち得ることができるのだ。粒子力学ができる人より食物をくれる人を尊敬してしまうのはなんだかなぁとも思うが断じてこれで良いのである。

 さて、このバリ辛ラーメンであるが、カタログ(?)には「ただ辛いだけでなくニンニクのまろやかさとと絶妙にブレンドされています」とかなんとか書かれている。しかし、結構辛い物好きの僕にでもただ辛いだけにしか思えなかった。商品のコンセプトとしては素晴らしいだけにさらなる熟成が期待される。


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車道に寝転ぶ浴衣の女はなんなのだ

 嫁の実家の東京都某区某所に行ったときのこと。

 その日は妻の実家のマンションの自治会の夏祭りであった。参加者も多く、自治会自前の露店もそれなりに頑張り、櫓の上では盆踊りなども行われ結構盛況な祭りであった。

 ビールの酔いも気持ちよく回り、ふと祭りの喧騒から離れたくなって会場から少し離れたところへトロトロ歩いていったら突然それはいた。

 横断歩道の周辺に10人くらいの浴衣の集団が奇声を発している。どーやら女子高生らしい。おやぢ狩りにあってもいけないので、様子をうかがいつつ彼女らと反対の歩道を進んでいった。

 そのうちにその集団に対してなんとはなしの違和感を覚えるようになった。「なんじゃいな」と酔いでフワフワする己の頭脳をフル回転したらばそうだそうなのだ。

 集団のうち数人が車道に寝転んで仲間と話しているのだ。最近の若者は所かまわず座り込んだりするのをよく見かけるが、浴衣で堂々と車道に寝転ぶようにまでなったのか。ちなみにそこは歩行者天国ではない。歩行者天国ならかまわないのかと詰問されても困るのだが「ええぃ黙れ黙れ」なのである。世も末である。

 一説によれば、近年の「若者地ベタ座り込み現象」は迂闊かつ未熟な若年SEXの横行による性病の氾濫により、彼(彼女)等は常に性器周辺がむずがゆく、地ベタに尻をこすりつけかゆみを緩和しているというのだ。暴論だが一理あるようにも思える。

 というわけでこのような輩は天下の公道に寝転んでもらうのではなく、旧R国の阿鼻叫喚凶悪激汚便所もしくはC国奥地のうじ虫ざわめく公衆便所などに連れて行き、その床にでも寝転んでもらうのがよろしかろうと思うのだがいかがなものであろうか。


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プラモデルなんぞを買ってみた

 20年振りくらいにプラモデルを買ってみた。友人Pちゃん宅で数年前に見てから欲しくてしょうがなかったモデルだ。もっともPちゃん宅で見たのはスケールも全然大きく、金額もかなり張るものだ。今回僕が購入したのは1/550スケール、1500円の代物である。子供の頃の1500円といったらこれはもう大変な大変な大金であるが、今の僕には「まぁお気軽に」といったところ。しかし、モデルと同時に塗料も購入した。周囲の冷ややかな視線とはウラハラに本人は結構やる気なのである。さらにいってしまうとグータラな僕をその気にさせるくらいできの良いモデル(あくまで値段の割にね)なのである。もう一ついってしまうと完成の暁にはデジカメで激写し、箱根山通信で公開したいという野望を抱いているのである。

 ボチボチなんのモデルを購入したか明らかにせねばなるまい。ふふふ聞いて驚けバンダイのHGシリーズ、蘭の一種の名前を冠するその名もガンダムGP03デンドロビウムだぁ!

 と聞いてもちっとも分からない読者諸氏のみなさんに解説をば一つ。

 「デンドロビウム」は、一年戦争終結後に極秘プロジェクトにて開発された試作機の一つである。機動兵器というカテゴリーで最強を目指したもので、単独兵器がどれだけの火力や戦闘能力、兵器を制御・運用できるかという限界を模索したものであった。この機体は、ステメイン(ガンダム)を制御コアとし、ウエポンコンテナ(ステメイン用の武装の他、マイクロミサイル、大型集束ミサイル、爆導索などを装備する。それぞれの武装は規格化されており、16ヶ所の兵装スロットを持つ。)と高機動モジュール(大型航宇艦並みの加速性能を持つ高出力エンジンを6基装備しており、機体の限界を超える加速性や機動性を与えている。)からなるアームドベース・オーキスを一体とする戦闘システムであり、出撃後も武装の換装が可能であるという点で、モビルスーツの汎用性を極限まで先鋭化させ、モビルアーマークラスの大出力のメガビーム砲や対ビーム防御用装備のIフィールド・ジェネレーター、巨大クローアームなど装備した機動兵器である。

 とまぁすんばらしい機体で極悪すぎるくらい強力な兵装が僕好みなのである。僕は結構大艦巨砲主義なのかもしれない。パソコンも機動性より兵装(おいおい)オヨビ拡張性ヲ重視スって感じだし(笑)

 もしもどうしても戦いに赴かなければならないという状況になったら、この機体に乗りたいものである。ってなことを36歳の男が考えてはいかんよな(再笑)


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箱根の花火について考える

 今年も箱根ではいくつかの観光祭りが行われた。

 大文字焼き祭りのように天候にも恵まれ、それなりに「まぁまぁね。うふ。」などと梅酒おんざろっくなどを飲みつつ、流し目などを受けてしまうような状況も有るかもしれないが、概して花火に関しては盛り上がりに欠けたのではないだろうか。

 僕はボランティアとしていくつかの花火大会に交通指導員として出動したので、そこで感じたことを書いてみようと思う。

 芦ノ湖周辺では約一週間に渡って花火を中心としていくつかの祭りが開催される。が、年々観光客も少なくなってきているようだ。僕も交通指導をしていてそう感じる。

 第一湖水祭りなどは15分打ち上げ、15分休憩、で15分打ち上げがあり、それで「はい!おしまい!」なのである。誰が何と言おうとも絶対におしまいなのだ。まことにしけたものである。一時は「箱根の芦ノ湖で湖水の花火でおーろまんてぃっく!」と観光客も地元も浮かれていたのだろうが、今の御時世、あの程度の花火では客は呼べないのではないかと思うのだ。

 そこで復興策をこれより述べる。なんか偉そうだが良いのである。

 中央会場では軍楽隊がパレードしたり、若い集が神輿をあげたりそれなりに盛り上がっているようだから、あくまで花火についての復興策ね。

 まず、一週間の祭り期間を一日に集約する。何日にも分けてぱらぱら上げていた花火も当然この一日にその火力の全てを結集するのだ。2時間くらい休み無く爆音は外輪山を轟かせ閃光と爆煙はさながら夏の夕立を誘う雷のように輝くのだ。鼓膜も網膜も「もう堪忍・・・」と力なくよれよれと倒れるくらいがよろしい。もちろん水上の花火も負けてはいない。フォークランド戦争もかくやと言わんくらい水柱は湖面からはい上がり、このときは花火遊覧航行のための15分の休憩ももちろん無い。遊覧船は閃光、爆煙、水柱、爆音渦巻く湖面をまさに命がけで突き進むのだ。当然、「命知らずの一大イベント!」としてこの企画は各方面からの批判を受けつつも大人気となり、箱根の復興の礎となるであろう。

 とまぁはちゃめちゃを書いたが、絶対実現不可能荒唐無稽、このようなことをこと考えなければいけないほど箱根の地盤沈下は深刻だと思っております。はい。


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死ね!西丹*コテー*キャンプ場のおやぢめ!

 あまりにも腹立たしいのでほとんど実名で書いてしまうけれど、西丹*コテー*キャンプ場のおやぢめ死ね!なのだ。温厚な(?)僕がここまで怒るのは近年まれなことだ。

 冷静に文章を綴ることができないくらいの馬鹿さ加減なので思いつくままに経過を書いていくので読み苦しい点はご容赦くださいませ。

 話は6月にさかのぼる。

 「さて、今年のボーイスカウトのキャンプはどこでやるべ。」リーダーに怪我人が出た事情もあってか団の運営をほとんど一人で切りまわしている男(僕のことだけれど)はつぶやいた。「こういう時は西丹沢だ。比較的空いているから今からでも間に会う。何と言っても近いから良いべ。」と再びつぶやきつつ、パソコンを起動した。今は便利なものでキャンプ場情報もインターネットで調べられる。男は検索を始めた。

 ボーイスカウトのキャンプなので結構場所選びには気を使う。うちの団の特徴かなるべく隅のほうでひっそりとなおかつ世間や管理人から干渉されず自由気ままにキャンプを行いたいのだ。直火でキャンプファイヤーもできなければならない。去年から小学生低学年のスカウトもいるから舎営もできなければ。

 検索を続けていくと希望に合いそうなキャンプ場が見つかった。嬉しいことに風呂もあるではないか。

 男は早速調べた連絡先に電話をかけ、下見の申し込みをした。電話に出たのはばーさんでなかなか話が通らない。名前を告げるだけでもたっぷり5分はかかった。しかし、こんなことはこれから始まる悲劇のホンの序曲にすぎなかったのである。

 男は7月に入って下見を実行した。そこそこ良ければ即決のつもりでキャンプ場に向かった。

 出迎えたのはじーさんだった。話を聞くと一人で切りまわしているらしい。夏の煩忙期には孫の高校生とその友人をバイトに雇うからだいじょうぶだぁと力強く語っていた。

 ボーイスカウトのキャンプである旨を説明すると(実は電話でばーさんにはくどいほど説明していたのだが)、一番奥のロッジとテントサイトを紹介してくれた。実際に見てみるとロッジはぼろいものの環境はまずまずだ。我が団の希望要件もほぼ満たしている。川も目の前にあるから川遊びにも便利だ。

 じーさんと一通り見て回り、キャンプファイヤーの場所も一般サイトから一番離れた良い場所も確保できた。その後、じーさんと細かい詰めの打ち合せ。以下その内容。

  1. 駐車場の代金はとらない。
  2. 車一台はサイト付近に駐車しても良い。
  3. 風呂は我が団のキャンプ実施時期には毎日沸かす。
  4. 管理棟に夜の8時までは人がいる。それ以降の連絡はじーさんの自宅で取り次ぎをしてくれる。
  5. シーズンインまでにトイレはきれいに掃除をする。
  6. キャンプファイヤーは先程指定した場所で2日目の夜。
  7. そこそこ自由にやってよろしい。

 ってなあんばいであったので正式な予約をした。

 さて、月日は流れてキャンプ当日がやってきた。

 僕は資材に不足があったので本隊と離れて買い出しに向かい、キャンプ場で合流することになった。

 本隊は先に着き、しばらくして僕が到着した。到着するとまずアレレ。予約したサイトではなく管理棟の一番近くのロッジに設営を終えているではないか。

 本隊を率いてきた団員に話を聞いてみると、じーさんから「雨も降っているので近いここに場所を替えてやった」とのこと。責任者の僕になんの相談も断りもなしにだ。すでに設営を終えてしまったので今更抗議をする状況ではなくなってしまったのでしかたなくこの場所で二泊三日のキャンプを行うことになった。

 サイトに向かう途中に気になったこともある。一般サイトからほんの数メートルしか離れていないところにキャンプファイヤーの薪が巨大に組まれており、「**(僕の名字)ご一行様」と書かれた紙が張ってあったことだ。約束の場所とは違うし、やる日にちも違う。同姓の人がキャンプをしているのかくらいに思ったし、雨に濡れた薪を眺めて今日ファイヤーをやる人は大変だなぁと思っていた。それにあんなにテントサイトから近くてあんなに巨大に薪を組んでいたらあぶないぞとも思った。怪我人が出たり火事にならなければ良いなと。

 設営も終えて一息ついている頃、じーさんがやってきた。倉庫代りにサイト内にとめていたワンボックスの車を急にどかせと言う。ここでも話が違ってきた。下見のときの話をしたが相手はがんとして聞きいれない。管理者の命令なのでしぶしぶ指示に従う。しかしこれで設営をやり直しだ。小さい子供がいなければこの時点で僕らはつかみあいの喧嘩でもおっぱじめていても不思議ではない。

 そうこうしていると他の客もぱらぱら到着し始めた。見ていると雨を理由に利用者の趣味や嗜好におかまいなく管理棟の近くから客をつめこんでいるようだ。下見の時に話したじーさんの孫のバイトも姿が全然見えない。うーん。

 しばらくするとじーさんは軽トラにのってどこかへ行ってしまった。夜の8時までは常時管理棟に人がいるという約束はどうなったのだろう。おかげでうちのサイトを管理人と勘違いする客が後を絶たない。その都度、うちの団員は「管理棟にあるピンク電話でじーさんに電話しろと」説明をしなければならない羽目になった。これでは人知れずこっそり好き勝手にキャンプ生活を送るという当初の目論見からすっかり外れ、管理人補佐ココロエのようになってしまった。冗談じゃない。それに到着を知らせる電話をかけるのになんで10円払ってピンク電話を使わなければならないのだ。この10円もじーさんの私腹を肥やす肥料となるのだ。いったいどうなっておるのか!エエエッ!

 恐怖はまだまだ続くのである。

 キャンプ初日は設営の時と夜になって雨が降ってきた。じーさんは感心にも場内を見回り、河原でキャンプをしている客に声をかけ始めた。「雨が強くなる見込みだし、危険だ。ロッジが空いているから今夜はそこに寝ると良いであろう。」喜んだ河原のキャンパーはじーさんが去った後移動を開始した。

 事件が起こったのは21時を過ぎたくらいか。じーさんはその日最後の見回りにきた。見回りだけは熱心なじーさんだ。本日空いているロッジの中を懐中電灯で点検して回り始めた。突然大声がした。

じーさん(以下G)「おまえらはなんでこんな所で寝ているのだ!」

ロッジに非難した河原のキャンパー(以下客)「おじいさんがさっきこちらに避難しても良いと言ってくれたじゃないですか。」

G「えーい。このくらいの雨で何を寝ぼけたことを。十分テントで寝れるだろう!」

客「もう休んでいるし雨も降っている。料金を払いますから今夜はこちらで休ませてください。」

G「わしはもうしらん!気分を悪くした!」

 と言って帰ってしまった。困った河原のキャンパーは雨の中自分たちのテントまで戻って寝たのだ。

 こんな具合で他の客とも様々なトラブルを引き起こしているようだった。なんせ言動がその時の気分によってまったく変わってしまうのには困ったものである。口の悪い団員は「ボケちょるんじゃー」とのたまわっていたが。

 この日のトラブルで比較的大きかったのはあと2件。

 炊事場の電気が半分つかないので蛍光灯を交換してくれるように頼んだところ、「電気屋に頼むんだから今日はできるわけがない。明日明日!」と言って去っていった。翌日自分で交換をしていたのを僕らはしっかり見ているのだ。おまけに「ここの施設は東京電力から電気の使い過ぎを指導されている。だから電気はなるべく使わないように!」と力説し、あちこちの電気を消して回るのだ。こちらが使っていても消していく。ひどいときには便所で大便をしっていても便所の電気を消していく。ここの便所は暗いは汚いわでせめて電気でもないことには用を足せないのだ。夏までには便所をきれいにしておくという約束もすでに反故である。だいたい東京電力がこんな施設に電気使い過ぎの指導などするわけはないのだ。東京電力にしたって客なんだから使ってもらって嬉しいはずだ。

 続いて風呂の問題である。先にも書いたとおり、この時期風呂は毎日炊かれるはずであった。しかし、現実には僕らのキャンプ中一度として風呂が炊かれたことはなかったのである。他の客も風呂が炊かれないことに腹を立てているようだった。

 しかし、下見のときの愛とやる気に満ちあふれた経営姿勢はどこに行ってしまったのだろうか?これでは詐欺!と言いたくもなるものだ。ここはキャンプ場にしては珍しく料金先払いなのである。料金さえもらえば最初の約束を反故にしても良いのか?!一体どうなのだ?!え・え・え?!

 あー、書いていて再び腹が立ってきたけど書きかけた以上最後までこの極悪非道なキャンプ場のでろでろばー的な正体を明らかにするのが僕の使命であろう。

 さて、2日目である。

 既に「電気を消せ消せ」攻撃や「管理棟留守留守」攻撃には慣れてしまったので、恐るに足らなくなってきた。人間の適応力のなんと素晴らしいことか。

 怒りに任せて延々書き続けてきたが流石に書き疲れてきたので2日目のキャンプファイヤー事件を書いて終わりにしたいと思う。

 この日は子供たちも楽しみにしているキャンプファイヤーである。この文の最初に書いたキャンプファイヤーのために組まれた薪であるが案の定と言うか予想通りというか雨に一晩濡れたまま、2日目になってもその勇壮な姿をテントサイト脇にそそり立たせていた。

 午前中のプログラムが終了した後、僕は素知らぬふりをして珍しく管理棟にいるじーさんの所を訪れた。珍しくいたのは新顔の客が来て、料金を受け取っていたからだ。

僕「今日はキャンプファイヤーです。よろしくお願いしますね。場所は下見の時の打ち合わせのとおり奥のところで良いですよね?」

G「薪のところに名札を貼ってあるだろ」

僕「えええ!(わざとらしく)約束では奥の場所でやることになっていたじゃないですか!」

G「知らん知らん。準備した場所でやってくれ。」

僕「うちの団はあそこではできませんよ。第一約束と違う。」

G「場所を変えるのはかったるい。あそこでやってくれ。」

僕「セッティングをやり直してくれ。下見の時に場所は奥でと何度も言って、**さんも確認したじゃないですか。」

G「証拠は有るのか。」

僕「証拠って・・・(絶句)とにかくあそこではできません!よしんばやるにしてもあの雨に一晩中さらされた薪に火がつくものか。」

G「いやならやめりゃいい。燃したい人はたくさんいんだから!」

(ぱきーん、と何かが壊れる音)

僕「じゃ止めます!キャンセルしてくれ!」

G 無言で前の客からもらった金勘定を熱心にしている。

僕「そちらの勝手でキャンセルにせざるを得ないんだから代金は返してくれるんでしょうね!」

G 無言で前の客からもらった金の中から5千円を投げるように差し出す。

 キャンプファイヤーを楽しみにしている子供たちには本当に申し訳なかったが、もうガンマンの限界を300%くらい超えてしまったのだ。団のサイトに戻るとそこらにあったイスやらなにやらを蹴飛ばして回った。日ごろ、温厚な男と評判の高い僕のあまりの暴れ振りに団員諸君はあっけにとられていた。いつも僕が止め役に回るI先輩が逆に必死で僕をなだめに回ったほどだ。実は子供が見ていないことを確認して暴れているのだ。自分で言うのもナンだけど、完全に切れていたようでもどこか冷静だったのだろう。

 結局、急遽キャンプファイヤーを中止し、ランタンの明かりの中でひっそりと夜の集いというのを行った。ヤーン(夜話)と花火で大きな火はなかったけれど、それはそれで夏の夜の思い出になったのではないかと思っている。

 最終日、撤営が終わっていよいよ箱根に帰ることとなった。僕らのキャンプではキャンプ地を離れるときそのキャンプ場の無事と繁栄を祈念して「弥栄三唱」という儀式を執り行うのが慣例だ。

 しかし、今回に関しては実に異例では有るが「弥栄三唱」もとりやめた。キャンプ場には罪はないのだがじーさんがあまりにひどすぎた。このじーさんのために弥栄は唱えられないというのがみんなの一致した意見であったのだ。僕の20年近いキャンプ生活でこんなにひどいキャンプ場は初めてだった。恐らくこれからもここまでひどいのはないであろう。

 このような放漫経営のキャンプ場がインターネットや地元観光パンフレットに紹介されているのも腹立たしいことである。きちんと実情を調べ客の声なども聞いてこのような悪質なキャンプ場はこれらの情報各種メディアから削除すべきではないだろうか?今僕はこれらの団体に対し、正式に苦言を呈する腹積もりでいる。

 最後にもう一度言わなければ気が済まない。

 死ね!西丹*コテー*キャンプ場のおやぢめ!



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