箱根山日記 2000年4月分

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2000年4月25日(火)

 結婚式を挙げた宮ノ下富士屋ホテルから結婚一周年記念にディナーの招待を受けていたので今晩行ってきたです。

 トワイライトゾーンに怪しく美しく輝くキャンドルの灯。ワインはピースポーターのシュペルトレーゼ。傍らに
は愛しの妻。

 前菜はLeumes en Gelee et Oreille de Mer(フランス語の表記がきちんと出来ないがご了承いただきたい)
むふふ。何のことか分かるまい。僕だって分からないのだ。わはは。これは鮑の薄切りと野菜のゼリー寄せなのだ。
わはは。

 続いてはConsomme Printanier おっ、これは何となく分かるぞ。スープだ。コンソメ プランタニエ風。
うーむ。

 おお、魚関係のメインだ。Langouste Gratinee aux Truffes トリュフとグラタンらしいことは想像がつく。
活伊勢海老のグラタン トリュフ風味というらしい。味付けは濃いめだがエビもぷりぷりとしていて美味。

 いよいよ肉関係のメインの登場。Filet de Baeuf au Foie Gras aux Primeurs 牛フィレ肉のステーキ 
フレッシュフォア・グラと旬野菜添え。どうだどうだ。

 ラストも近づいてきた。Salade d' Asperges Blanches ホワイト・アスパラガスのサラダだそうだ。

 今回一等の美味。それはラストを飾るデザート!Gateau Opera et Glace a la Cannelle ガトー・オペラとシナ
モンのアイスクリーム。これに結婚一周年を記念してお皿に苺ジャムとクリームで「おめでとう!」と英語で書かれ
ていました。妻共々ちょっぴし感動。

 おなかも一杯になったところで僕はコーヒーを妻はミルクティーを飲んで今宵の晩餐はおしまい。

 あ〜美味でした。(妻には少し味付けが濃かったようでしたが)

 なんか自慢たらたら以下同文の日記になってしまって申し訳ないっす。多謝多謝。

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2000年4月24日(月)

 宿直である。今、宿直明けのぼんやりした頭で書いているのだ。24日の夜は関東方面では激しい雷雨が
あったようだが箱根湯本ではこちらとは無縁。何の事件もなく静かな夜だった。

 宿直中は何もなければ実際は暇である。溜まった日記をモバギで書いて、その後はACCESSでデータベース
のお勉強をした。ACCESSは高機能なDBソフトだけあってなかなか難しい。特に僕のように「感&だろう」
で生きている論理的思考の苦手な人間にはなかなかやっかいなシロモノだ。野心的試作品はあっというまに
ボロボロになった。もう少し学習が必要だなこりゃ。

 話は変わるが(注)モバギはすんばらしい。機械物が好きな僕だがPDAについては何故かあまり興味がなかっ
たのだ。スケジュールは手帳を見れば良いし、アドレス帳は携帯電話を使えばよろしい。その僕が今では
モバギがなければ夜も昼も明けぬといった風情だ。人間変われば変わるもの。

 愛用のモバギは数世代前のモデルを最近超格安で入手(もち新品)したので、思いのほか良い使い勝手に
すっかり溺愛している始末なのである。格安で入手した経緯も結構ドラマチックなのだからたまらない。入手
した顛末についてはまた日を改めて書くことにしましょう。あ、そういや少し前にも同じことを書いたなぁ…

 で、昨年の暮れ、DOS/V機を購入した妻を「DOSに魂を売った女」(うちら夫婦はMac使い)とさんざんい
じめた男(僕のことだけど)は今日もモバギと楽しく一日を過ごすのであった。

 許せ!ろんばーと(ぱわーぶっくG3)!

(注)NEC謹製のH/PC(ハンドヘルドPC)、作者のはMobile Gear(MC-R300)。OSにWindows CE2.0を搭載。Windowsらしからぬ
軽い作りで動作は軽快。キーボードもサイズの割にはしっかりしていて打ちやすい。もちろんペンによる手書き入力もできる。発売当時
はなんと94,000円もした。

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2000年4月23日(日)

 久しぶりにCD-Rを使ってMOにたまったデータを焼いた。これでMOを使いまわしできる。最近MacMP3の
フェイスやアイドルの壁紙をダウンロードしたりして結構ディスク容量をくっているのだ。これらのファイル
をMOとZipに保管してディスク容量をかせごうというセコイ作戦だ。

 新品のCD−Rに焼こうかとも思ったが数十枚のCD-Rを漁ってみるとまだ空き容量のあるCD-Rが何枚か見
つかったのでそれに追記することにした。

 5枚のMOをディスクイメージにしてHFS形式で焼くことにしよう。実はMO5枚分を楽々ディスクイメージに
できるほどHDDには余裕があるのだ。なんせ僕のパワーマックDT300にはATA66の13G-HDDが増設されて
いるのだ。でも僕は哀しき貧乏性。数GBくらいの空き容量では我慢できないのである。

 さて、3枚目までは順調に追記ができた。しかい、3枚からはなぜかSCSIエラーが出て追記ができなくなって
しまった。あれこれ試してみたがすっかりだめなのである。しまいには追記できるCD-Rが底をついてしまった。
エラーに次ぐエラーで追記ができる部分合計数百MBがパーになってしまったわけだ。

 新品のCD-Rはこれまた数十枚あるのであるが3枚のMOがフリーになったので満足した。単に新品のCD-Rを
おろすのがおしかったのだ。

 しかしつくづくせこい自分を見つめ直すことができたりして有意義な一日ではありましたな。ふう。

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2000年4月22日(土)

 休日になるとどうも妻との小競り合いが起こる。小競り合いといっても自動小銃や手瘤弾は登場しない。
もちろん火炎瓶すら登場しない。平和なものだ。

 原因は外に出るかでないかである。こう書くと「くだらないことで…」と失笑を買いそうだが、こういう
ことは意外に根が深いのだ。

 僕は休日ともなれば家でゴロゴロ、本を読んだりMacをいじるのをこの世の喜びとしている。対する妻は
昼寝も好きだが外に出かけるのが割と好きなほうである。

 こうなると必然的にその日の休日の過ごし方を巡ってし烈なかけ引きが始まるのだ。僕はそれとなくこの
世の喜びを味わおうとさり気なくアピールするのだが彼女にはこのような婉曲的自己主張は通用しない。彼
女のストレートな攻撃の前に温室の花のようにか弱い僕は打ちひしがれるのだ。あ、いかん。これを妻が読
むと怒るに違いない。妻には妻の言い分があるのだ。でも書いたもの勝ちだもんね。

 どうこう言っても仲良しの僕らであるから、僕としては土・日曜の二日間の休日のうち一日は妻のおつき
あいをしようと思っている。

 だから出かけたその日に「明日も…」なんて言わないでね。

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2000年4月21日(金)

 箱根は今桜がぼちぼち終わって、(山の高いところにはまだいたるところ白だかピンクだかボウヨウとして
分からない桜の花が咲いていますが)新緑の季節です。

 一日ごとに、一雨毎に緑がどんどん鮮やかに濃くなっていく様を眺めるのがもっかの通勤途中の楽しみでも
あります。

 個人的には今の時期の箱根が一番好きです。黄金週間に入ると緑が濃くなりすぎてしまうからでしょうか。
それともちょっとした風の柔らかさがわずかの日数の中で変化するのかは分かりませんが。

 今年はもう過ぎてしまいましたが来年はぜひこの時期に箱根を訪れてください。4月の15日から25日くらい
です。黄金週間ほど混雑しないし、なんとなく宮ノ下あたりをブラブラ歩くのも良いんではないでしょうか。

 それまでにはこの宮ノ下のページももっと充実しなければ。あせあせ。

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2000年4月20日(木)

 男便所は大と小が明確に別れている。故に便所を訪れた理由が自ずとはっきりしますな。個室に入れば
大であるし、朝顔に向かいズボンのチャックを降ろせば小である。個室に入って小をする人がいるかもし
れないがそれはサイレントマジョリティであろう。

 男にも2種類いて、人がいても平気で大をする奴もいるし、反対にできない奴もいるようだ。

 なぜ突然こんなことを書いたかというと、仕事場で僕のいるフロアは僕の所属部署のコンピュータルーム
しかないのによその部署の人間がしょっちゅううんこをひねり出しに来ているからだ。

 偶然トイレ掃除の時間でしかたなく僕のいるフロアに来るケースもあるだろう。しかし、そうでないケース
がほとんどのように思えてしかたがない。証拠はないがこれはほぼ真実であろう。

 で、僕自身はどうかと言うと会社ではできない口である。事態が切迫していればかまわず個室にかけ込むが
少し余裕があれば小をする振りなどして様子を見たりするのだ。会社ではそうだが外では違う。社長風の偉い
おじさんがいてもリーゼントバリバリの恐いお兄さん(今日日いないか)がいてもかまわない。ええ。かまわ
ないったらかまわないのである。

 このあたりの男の美しくも哀しいさち心を心理学的に眺めてみるとどうなることになるであろうか。

 今はどうか分からないが、僕らが小学生の頃、学校でクソをすることは男の恥であった。休み時間にクソをし
ていることが発見されようなものならその後、数日間は「おまえはクソをしった」とか「このうんこ野郎」とか
「えんがちょ」とかやられるのだ。これはかなりこたえるに違いない。

 幸い僕はうまく立ちまわって学校グソをしていたおかげでこのような目にあったことはないが、友達がはやし
たてられるのを興味津々そして恐怖の入り混じった目で見ていたような気がする。

 恐らく今、会社で大胆に糞をしれない人は僕と同じような体験が記憶の隅にこびりついているのだと思う。こ
れは立派なトラウマではないか。

 意外なところに僕のトラウマを発見できたので今日はこの辺で。

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2000年4月19日(水)

 先日書いた前の部署での臨時プロジェクトが今日で終わった。無事に終了したか果てしなく?であるが、
結果オーライということにしよう。

 結構精神的に応えていたらしく、家に帰るとグッタリしてそのまま寝てしまった。

 妻もいっしょにグースカ。とりあえず我が家は今日も平和らしい。

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2000年4月18日(火)

 35歳の誕生日を迎え、妻からのプレゼントは僕の好きな色のネクタイだった。

 それから少し遅れて今日、もう一つのプレゼントをもらった。

 でもこのプレゼントはまだプレゼントになるか分からない。

 あ、何だか前衛詩人のようなことを書いてしまった。

 春だなあ。

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2000年4月17日(月)

 この日は何があったろうか。日記とは言うもののまとめ書きだから見事に記憶が欠落しているときがある。

 しかし、たかが数日前の記憶がないというのも考えものだ。

 SF小説なんかで周りの人のある日の記憶がすっかりなくなっているけど自分だけにはその日の記憶がある
という話はあったりするがその逆なのである。こまったものだなぁ。困ったついでに今日も落ちがない。
あぁ困った。

 随分久しぶりに読んでいる「アルジャーノンに花束を」もいよいよ佳境。しかし、寝しなに読み進んでい
るのでなかなか進まない。こっちも困った。今日は困ったしか書いていないなぁ。

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2000年4月16日(日)

 最近僕は35回目の誕生日を迎えた。

 流石にもうバースデーケーキに35本のろうそくを立てて喜ぶこともない。

 子供の頃は4月の誕生日は損だと思った。

 クラス替えなどがあってそろそろ新しいメンツにも慣れ、それではお互い誕生日を祝うというようなシチュ
エーションになっても僕の誕生日は大概過ぎてしまった後のことが多かったからである。

 もっとも僕の通った小学校は非常に小さな学校で一学年一クラスであったからこういうふうに思うように
なったのは中学校くらいからなのだろう。程度の差こそあれ、この感覚は何と大学時代まで続いたような気
がする。まったくガキなのだ。

 ガキといえば、今日たまの休日を妻にまとわりつかれて不意にしてしまった。僕は怒ってフテ寝した。自分
の思いどおりにことが進まないとすねる。やっぱりガキだ。

 この日まとわりついていた妻からのプレゼントは僕の好きな色のネクタイだった。


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2000年4月15日(土)

 昨日がえらく暖かかったので薄着をして寝たら風邪をひいた。

 花水がたれるが会社の机にはティッシュペーパーなどといった洒落たものはなくてトイレからくすね
てきたトイレットペーパーが鎮座ましましておる。

 このトイレットぺーパーは硬いのでかんでいるうちに鼻及びその周辺がすぐに痛くなってくる。

 同じような***ペーパーといった名前でも大きく違うのだ。

 花粉症の人が見たら「ぎゃっ!」と叫んで5mは後ずさりするかもしれないが今の僕にはこれしかない
のですよ。

 今日の仕事は基本的に朝と夕方電算システムを上げ下げするだけで、あとは専属のSEさんがそれぞれ
作業をするのだ。

 というわけで日中は暇なのでしばらく棚に上げたままになっていた管理日・月報の改定作業やら一般
職員からのパソコンの使い方に関する質問への回答書などを作っている。

 それに飽きると箱根山日記の推敲(!)などをしているのである。

 そんなこんなで今日は久しぶりにアップをしようと思う。ふと3月の日記を見ると2回しか更新してな
いではないか。う〜ん。

 アップのことを考えると早く家に帰りたいのだが、今日のSEの作業は遅れていて17時終了予定がすで
に1時間半も過ぎている。時計を見たら腹も減ってきたではないか。

早く終わらしちくれ〜



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2000年4月14日(金)

 昨日の祭りの疲れがジワジワと効いてきた。おまけに今日は課の歓送迎会だ。

 今日の宴席は懐石料理なのだ。普段ではとても出入りできないところだが集団では何とかなる。やで
ありがたい。

 しかし、正直なところ僕は宴会はイザカヤとかヤキニクヤとかの宴席のほうがはるかに好きだ。

 年を考えればそろそろこういった所は卒業したほうが世間の目もよろしいのかもしれないが好きなも
のはしょうがない。

 第一、懐石料理では学生時代「悪魔の飽食」とか「一日六膳」とか恐れられた食欲は満たされないの
だ。

 来年、もし僕が歓送迎会の幹事になったら会場は牛丼の「すきや」にしよう。

 そんでみんなでチャレンジセットに挑むのだ。費用も安く済むに違いない(本当かい?)。

 てなアホなことを考えているうちに焼酎をボトル半分ほど空けたところでダウン。

 迎えの妻にすっかりエロ爺ぃ化して絡んだ。が僕にも一応そのくらいの記憶はあるのだ。

 明日は休日出勤。かったりぃなぁ〜。

 今日はこの辺で。


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2000年4月13日(木)

 今日は地元の神社の大祭。昨晩の宵宮に引き続き神輿が出るのだ。

 今年は諸般の事情により神輿の担ぎ手ではなく、交通整理をすることになった。僕は委嘱を受けて
交通指導隊というボランティアをやっているからだ。その他にもボーイスカウト、体協の役員、青年
会など我ながら忙しい。

 普段は「神輿があるけんね。若人も少ないし担がなければいけんね」と言って交通指導隊のほうは
一方的に「けんね化」しつつ寸でのところをかわして来たのだが、詳しくは書けないが冒頭に述べた
ように諸般の事情があって今年はかわしきれなかったのだ。おっ、考えてみれば詳しく書けないから
「諸般の事情により」などと書くのであったな。わはははは。

 しかし、改めて外野的な立場で祭りに参加してみるとこれほどつまらないことはないことに気がつ
いた。やはり神輿で結ばれた数十人の仲間と長く(肉体的には)辛い道のりのはて、宮入する時は僕
のような人間でも少しながら感動してしまう。

 うちらの神輿は箱根の山中の宮ノ下という土地柄、地勢的に坂ばかりを上ったり、降りたりしてい
る。平地の部分はほんの一握り。出発から宮入まで実に8時間近くかかるのだ。

 それゆえ夕闇から夜の本格的な闇がじんわりと迫りくる坂道を高張りと提灯のやさしい光に包まれ
てふわふわ練り回る神輿はひどく幻想的だ。

 有名な大きな神社の神輿と比べればかけ声や足並みが乱れたり格好が悪いところもあるけど、小さ
な神社の小さな神輿でしか味わえない情緒やら魅力があるですよ。

 機会があったらぜひ一度ご覧ください。毎年4月の13日です。曜日は関係ないですから。担ぐほう
もギャラリーがいた方が燃えるしね。

 相変わらず話がすっとび回っていますが今日の結論としては「来年は絶対担ぎ手に回るけんね」で
ある。

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2000年4月10日(月)

 桜の情報をアップしたらいきなりの雨。まったくねぇ。

 今夜はフテ寝をすることにする。

 お休みなさい。


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2000年4月6日(木)

 Macな弟子のYちゃんから電話が入った。彼女がiMacを購入した当時は毎日のようにヘルプの
電話があったものだが最近はトンとご無沙汰であった。「彼女も成長したものよのぉ」と一人お
茶などを啜ってみるのである。

 彼女の電話の内容であるがなんとウイルスメールを受信してしまったらしい。かなりパニック
になっている。後の調査でわかったことだが、この3月に出回り始めたウイルスで性質の悪いこ
とに感染したパソコンのアドレス帖に登録されている人すべてに所有者名でウイルスメールを送
りつけるものだ。受け取った人も知人からのメールだからついつい開いてしまう。いやはや。

 電話を受けたとき僕はプレステーションのサッカーゲームでオランダチームを率いてワール
ドカップ予選を戦っている真っ最中であったがことがことだけに「ノートン・アンチウイルス」
のCD-Rをにぎりしめて彼女の家へ向かった。

 調べてみるとWindowsの実行ファイル形式のものでMacには感染しないようだ。持参の
「ノートン・アンチウイルス」のCD-Rから起動し、チェックしたが問題はない。念のため彼
女のiMacに一時的にのーとん先生をインストール、最新のウイルス定義を入手しさらにチェッ
クしたが問題は発見されなかった。

 彼女は僕がHDDのチェックをしている間中アドレス帖に登録していた友人知人に電話を掛け
捲っていた。
 Macには感染しないウイルスだから彼女のiMacからウイルスメールがばら撒かれることはな
いのだがよほど動揺したのだろう。彼女の気を静めるためにも彼女の友人知人宛にメールを書
いて送信した。問題のウイルスについてシマンテックのホームページに情報と対処方法が出て
いたのでURLも記述しておいた。これで彼女もようやく一安心したようだ。

 今更ネット世界の脅威とか危険とか、初心者よもっと勉強せよ(なんつうたって僕自身が初
心者に毛が生えたようなものだし)などとやかく言う気はないけれど、なんだかなぁで疲れた
一夜でありました。


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2000年4月4日(火)

 今日のタイトルは「悶絶」である。
 熟れた人妻やピチピチのギャル(うーん、死語かぁ?)が「悶絶」していると心ときめくが
そうではない。僕が「悶絶」なのだ。
 僕は昨年の4月の人事異動で今の部署に転属になったのだが前の部署の業務のやんごとなき
都合により1年半以上前の仕事に再び取り組むことになった。もちろん2週間程度の期間限定
ではある。期間限定と書くとなんだか自分が特定季節に販売されるビールになったような気が
するなぁ。
 話をビールから戻そう。そんなわけで「ちっ、まったくあんなこともわかんねぇのかよ。俺
より高い給料をもらっているくせしやがって。」と怒りつつ古巣へ戻っていった。戻るといっ
てもフロアを1つ下がるだけなのだが。
 僕の後任者は年齢も役職も僕より上だがはっきりいって無能である。奴の興味があるのは女
性職員のことばかりなのだ。ストーカーの気もある。
 当時のプロジェクトは僕が一人でやったものだ。功名心とか出世欲とは無縁である。僕しか
やる奴がいなかったのだ。現に今もって給料はそのままだし、出世もしていない。うーん。
 さてそのプロジェクトであるが当時はかなり研究し、自信をもって業務を遂行していたわけ
であるが、1年半ぶりに改めてみてみると算定に使った数式やらデータがまるまる消えている。
本当にきれいさっぱり今回必要とされるデータだけが消失しているのだ。
 僕は突然「やややや」化した。それからオモムロに書庫の中を引っ掻きまわし、かって愛機
だったパソコンのHDDを隅から隅まで検索したがやはりないものはない。事態は既に「ややや
や」化ではすまなくなってきた。
 微かな形跡からExellを駆使し数値の算出を試みたがその残された形跡すら正しい数値である
保証はないのだ。
 苦闘三日。結果は「わからない」ということだけが明らかになった。その時のあの男の落胆
と哀れみと軽蔑の激しく入り混じった視線が何ともいえない。最後にとどめの一言。「大変な
時期だったからしょうがないね」だと。うぎゃ〜無能な奴に無能者の烙印を押されてしまった。
これほど悔しいというか情けない話はない。
 こうして今日も悶々と眠れない夜をすごすのだ。


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