箱根山日記 2001年2月分

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2001年2月28日(水)

 なんだかんだ言って2月も終わりですね。早いものです。1月に引き続き2月も皆勤賞です。パチパチパチ。

 今日は僕の好きな飲み物の話なぞ。僕が一番好きな飲み物はずばり「水」です。お酒やコーヒーなどもまぁそれはそれで好きですけれども何と言っても「水」です。幸い、箱根の水は冷たくて美味しいのでパカパカ飲んでいます。経費的にもお酒やコーヒーを飲むよりずっと安くてすみます。経済的です。おかげで水太りにはなっていますが(笑)
 「水が好き!命!」などとわめいているとまるでアイアンキングのようですね。アイアンキングって御存知でしょうか?特撮ヒーローものなんですけれど、水を飲まないと死んでしまうヒーロー。怪獣との死闘の後は必ず水をがぶ飲みする(笑)確か水がエネルギー源だったのかしら?そう、ウルトラマンやウルトラセブンが太陽光線をエネルギーにしていたように。今考えると結構間抜けなヒーローだったのけれど、子供の頃はそれなりに真剣に見ていた記憶があります。僕の幼少のみぎりの話。

 うまい水といえば箱根の須雲川上流の水。これは文句無く美味い。箱根旧街道から人も通らないような道を辿って谷底に降りてまた昇る。基本的に私有地で一般の通交はできないところだが、僕は仕事で年に数回この場所を訪れていた。目的の場所にたどり着くまでは苦痛の一言だけれど、川面に顔を突っ込んでそのままグビグビとそれこそ死にそうになるまで川の水を堪能する。夏の時期などはそれこそ「本当にもうこのまま死んでもいい!好きにして!」ってな感じになるですよ。それほど美味いです。水質の検査で件の場所へ赴いているので飲用に耐えうるかどうかはプロのお墨付きなのだ。昨今は水も安心して飲めない世の中になりつつあるわけですが、このような場所は永遠に残していってもらいたいものです。最近は仕事も変わり、この場所を訪れることもなくなってしまいましたが、近いうち再び訪れて悶絶したいものだと思っております。はい。

きんさんぎんさんのぎんさんもお亡くなりになりました。きんさんを見送ってから約1年。喪を1年たててきんさんのところに行ったのでしょうね。天国でも二人仲良く楽しく暮らしてください。御冥福を心から祈念申し上げます。

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2001年2月27日(火)

 最近朝一の煙草を吸うと一瞬足が思うように動かなくなるときがある。ほんの軽くだが。これはまさに脳梗塞の前兆、若しくはそのものではなかろうか。おお怖い怖い。娘も今週末に帰ってくるし、また真剣に禁煙を考えなければ。なぜか喫煙に関しては意志が硬いんだよなぁ(^_^;)

 娘のお宮参りの件で一モメ。両家それぞれしきたりや習慣が違うのでそのギャップを埋めるのに一苦労。結婚もそうだけれど世の中色々と大変です。こういった"煩わしさ"がないのも寂しいものですが、無ければ無いほうが良い(苦笑)と言いつつこの手の慣習の薄れが社会の崩壊を招くなどと普段は吹聴して歩いているのだから始末に終えないですね<自分

 昨日からプログラムで悩む。今日も一日格闘していたのだけれどどうしても1桁目に謎のスペースが問題のプログラムを走らせるとファイルにできてしまうのだ。ホストの達人、後輩のY君とこの僕の作ったプログラムの検証を行ったのだけど原因が究明できず。このスペースのおかげでホストコンピュータからパソコンの方へインポートすると2レコード目から文字化けの嵐なのだ。DBから抽出、ソートまでをホストコンピュータで、それ以降のファイル編集・印刷をパソコンのエクセルやアクセスで行う行程なのでこの文字化けの嵐は致命傷なのだ。後輩Y君は徹底的に原因の究明並びに解決へと己の経験と頭脳の全てを傾けているのだけれど僕はと言うと「必要なデータさえ引っこ抜ければよいんだもんね。あとはなんとかなるもんね」と対処療法に走ってしまう。ダミーデータなどを必要項目の前後に送ったりして悪あがきをしているのだけれど結局今のところうまくいかず。明日もこいつと格闘することになるでしょう。あー因果な商売だ・・・

 ついでに愚痴を一つ。うちの会社の某Kさん、なんかつーと僕のところに電話をかけてきてパソコンのことをよく聞いてくる。しかもこちらの都合は一切無視である。某Kさんは先輩社員なので以前割と丁寧に教えたことがあったのでそれ以来図に乗っているらしい。人をどうやらパソコン教室のインストラクターないしはテレフォンサポートサービスと勘違いしているらしい。まぁ仕事のことだからこちらもわかることは教えることにやぶさかではないのだけれど、人の都合も考えず電話口で延々と話されてもわし知らんもんねなのである。データもなしに一方的に話されても困るのである。おまけに相手のスキルが低いものだから何を言っているのかさっぱり要領が掴めない。今日は先のプログラム改修の件もあったので流石に半ギレでデータをメールに添付してよこしてくれと突っぱねた。そしたら添付の仕方がわからないという。とにかく添付方法を誰かに聞いてでも調べてデータくれ。でなきゃやらん!最後は我ながら結構強い口調である。こうなると添付メールなどは面倒くさいから自分で結構調べて解決したりするのである。なら最初からやらんか!某Kさんに限らず、我が社の若手社員のみなさん、もう少しスキルを上げるように少しでも努力をしてくれよぅ。(もちろん頑張っておられる方も大勢いますのでその方達に関してはこちらも愛情と誠意を込めて応援しております。はい。)

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2001年2月26日(月)

 会社の英会話の通信教育。でたらめでも良いから今日でかたをつけてしまおうと思い、意気込んで帰宅。が、教材のテープを聞くためにウォークマンを使おうと思ったのだけれど充電器が見つからず挫折。ウォークマンでなくてもテープレコーダーは他にもあるから何とかなりそうなもんだけれど何かと理由をつけてはさぼろうとしている。いかんなぁ…

 いよいよ今週末には娘が箱根に帰ってくる。部屋の片づけ清掃ももう少しやっておかなければ。これは逃げるわけには行かないのである。娘よお父さんは頑張るからね。
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2001年2月25日(日)

 昨日は天気が悪かったので娘と散歩に行けませんでした。今日は風は冷たく少し強いものの天気は良いので近くの臨海公園まで乳母車を押して出かけました。昨今は乳母車などとは言わずにベビーカーとか何とか言うのかね?

 子供が産まれる前、今日歩いたコースは運動不足解消のために妻に連れられてよく歩いたものだが、この時は苦痛でしょうがなかったけど、娘と一緒だと実に楽しい(笑)

 さてうちの娘でありますが少し前の日記にも書きましたが出かけると実によく寝ています。今日も散歩の最中一度も起きることなく寝ていました。本当に出かけるとなるとよく寝るものだ。

 そこで無い頭を絞ってこの現象を考察(?)してみました。

  (仮説1)
  生後2ヶ月の娘には散歩とは言え、外出は気温の変化や外気との接触がストレスである。故にストレスを避けるために半冬眠状態になり
  防衛している。

 この仮説は自分でも凄いと思いました(笑)

 しかしよく考えると娘は抱っこされて歩き回られるのが好きなようです。ぐずった時も抱いて部屋の中をぐる繰り歩き回ると御機嫌になるし、寝かすとすると途端に御機嫌が斜めになる。やはり娘は抱かれてぐるぐる回るのが好きなのだ。そう考えると乳母車の振動は心地よさそうだ。大人でも電車で座っているとその振動から心地よく居眠りなどしてしまうではないか。そうかそうなのだ。娘は乳母車の散歩にしても抱っこされて部屋中ぐるぐる回るのもその振動が気持ち良いからに違いない。

 うーん。素晴らしい発見をしたなぁ。

 

箱根に帰る途中保土ケ谷バイパスの合流点の手前から工事渋滞に遭う。三車線ある道路が一車線の規制。おまけに合流分岐が三ヶ所もあるからこんな工事をされては渋滞するのも当たり前か。参った。
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2001年2月24日(土)

 予定では早起きをして娘に会いに出かけるはずであった。こう書くと昨晩の宴会で僕が飲み過ぎてすっかり寝坊をしたと懸命なる読者諸氏は思うであろうがそうではないのだ。6時前に起床をし、妻に頼まれたりしたものを荷造りしていたのだ。が見つからないものなどを探しているうちにどんどん時間が過ぎていってしまった。気がつくと母も起きだし僕の朝飯の支度などを始めてしまった。「飯はいらないぜ!なんせ7時には出発するのだからな!」と大見栄を切っていたのだが既に時刻は8時。結局朝飯を食べて出かけることにした。

 僕は出かけるときはいつも出かける当日の朝、一応早起きをして支度をする。いつも妻に言われるのだが前の晩に支度をしておけば焦らなくても良いのだがそれができない。で慌てて支度をするものだから忘れ物のも必然的に多くなる。困ったものだ。

 さて最終的に家を出たのは8時30分近かった。妻には早ければ8時くらいには東京に着くであろうなどと笑顔で話していたのだがとんでもない。まだ箱根にいるのだ。結局、東京に着いたのは11時近く。おまけに案の定お祝いにいただいた娘の服も忘れてしまった。全く良いところが無いではないか。

 妻の実家に着くと居間に先日この日記にも書いたがDV編集目的で妻のお父さんが購入したVAIOの最上機種が鎮座していた。色々と質問などを受け、根が好きなものだから娘のおしめを替えたりあやしている合間に積極的にいじくってみた。

 流石にCPUパワーが1.5ぎがへるつである。は、速い。フォトショップで数百メガバイトはある巨大なファイルを作り印刷をしてみたが多少のストレスはあるもののそれでも早い。ぱわーまっく6200で数メガのファイルをいじくっているよりはるかに速い(なんちゅー例えだ(爆))。

 勢いに乗ってDV編集にもチャレンジ。が、全く分からない。編集ソフトが難しいのだ。VAIOの最上機種である。50万円もするのである。入出力、現在考えられる映像系の全てができるマシンなのだ。難しいのは当たり前か。むーびーしぇーかーと言うソフトは比較的簡単にDV編集ができることが分かった(エフェクトやテロップは確かに楽しいものがそろっている)が、妻のお父さんがやろうとすることはこいつでは不可能だ。そうなるとバンドルのあどびプリメア正規版の出番なのだが、こいつもやはりお父さんのようなパソコン超初心者にはなかなか手が出しづらい。

 結局、初日にして早くもお父さんの野望は挫折しかかってしまった。カタログやショップの説明にも問題があるだろう。「簡単にできます!」確かにあるレベルまでできる人間には映像系の編集も簡単にできるだろう。同じことをビデオデッキや編集機を使ってやるのに比べたら。しかし、「おらパソコンなんてしらんけんね」と言うような人には"簡単に"って書かれているとボタン一つで全てができるように錯覚するものなのだ。もっとも「最低でもファイルの新規作成保存ができることに加え、できればパソコン検定*級以上のスキルがあることを推奨します。」とかなんとか書かれていたら敬遠されるだろうからね。売るほうからすればこりゃ商売上仕方がないか(^_^;)

 そう考えるとiMoveは素晴らしいソフトでありますな。同じDV編集ソフトでもiMoveは直感で大概のことができてしまう。マニュアルなど読まなくてもDV作品が作れてしまうことが驚異だ。現に僕なども初めてDVをMacに繋げてiMoveを起動してたちどころに小作品を作ってしまったほどなのだから。

 お父さんにもMacをもっと強烈に勧めればよかったのだけれど、仕事でも使う(妻のお父さんの会社では当然のことながらDOS/V機を使っている)って言うし、なによりお父さんはホンダとソニーをこよなく愛しているからなぁ(笑)

P.S

僕ももう少し勉強しますからもう少し頑張ってみましょうね<お父さん
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2001年2月23日(金)

 会社の係+αの飲み会である。生理的に好かない奴がおるのであまり気乗りはしなかったのだが、まぁ仕方がない。これもつきあいなのだ。

 宴会が始まっても最初のうちは早く帰りたくて仕方がなかった。仕事で顔を合わせるのでさえ苦痛を伴う奴なのだ。楽しいアフターファイブにまでなんでこんなのと顔を突き合わせなければならないのか。おまけに今日は花金ではないか。花金なんてもう誰も言わないかもしれないが良いのである。しかしながら酒が回ってくると件の奴を酒の肴に(本人がいるのだが(笑))結構盛り上がってきた。

 そのうちお決まりのカラオケが始まった。奴はカラオケ(と言うか歌唱力)に自負を持っている。自負というかうぬぼれに近い。取り敢えず一曲歌わせた。こともあろうにマイクを使わずに大声でうたっている。よほど自分はうまいと思い込んでいるのだろう。けっ!なのだ。この店のカラオケは歌い終わると点数が表示される仕組みになっている。39点だった。ぎゃははなのである。奴は「マイクが入っていないから」とのたまわった後延々といかにすれば高得点がとれるか、また、自分がマイクを使えば宇多田ヒカルもびっくりするような高得点が出ることを講釈しているこの一大アホ講釈のおかげで座はさらに盛り上がってきた。そこで余興として順番に一曲づつ歌い、自分が前の人より高得点を上げれば100円をもらい、後ろの人が自分より高得点を出せばその人にそれまでの全ての金額を渡すという臨時の紅白歌合戦が始まったのだ。

 さて、僕の番が回ってきた。余興である。たかがカラオケである。お得意のおふざけで、本物はチャーリー・コーセイがかっちょよく歌い上げる「ルパン三世のエンディング」を「足ういみょとに〜うぃ〜」とかみゃあみゃあで全編歌い通した。普通ならば高得点が出るわけが無い。が、予想に反して83点それまでの最高得点である(笑)

 そうこうしているうちにこの83点の記録は破られずいよいよバカの番が巡ってきた。既にやる気は満々。自信はぷんぷんである。楽曲は「れべる4」とかいう僕の知らない曲だ。周囲の嘲笑を他所に真剣に歌っている。ものすごい力の入れようだ。目は中空を漂い完全にいってしまっている。薬物中毒者の目と同じだ。仕事の時もこのくらい真剣且つ力を入れておればよいのだ。ばかめばかめばかめ。

 結果はお笑いの70点。ざまぁべろべろば〜なのだ。修業を積んで出直してきなさい。君はおふざけの僕の「ルパン三世」に負けたのだ。自分で思っているほどに君には歌の才能はないのだよ。

 次回の宴会では同じくみゃぁ〜みゃぁ〜の「ガッチャマンのテーマ」ないしはスペクトラムの「トマト・イッパツ」あたりで奴のプライドをぶち壊してやろう。

 なんだかんだいいながら結構楽しんでいる(<自分)じゃないの(爆)


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2001年2月22日(木)

 今朝は公言通り朝風呂に入りました。気持ち良かったっす。しかし、今日は暖かかったですね。夜部屋にいてもファンヒーターなしで過ごせます。このまま冬を土俵の外に押し出してくれればよいのですが、天気予報などを見るとそうは行かないようで・・・

 今日は僕の尊敬する人を書いてみようと思います。

  1. 暗算がものすごくできる人
  2. 税金に強い人
  3. 各種保険に強い人
  4. 食べ物をくれる人

 このうちどれか一つにでも該当すれば僕は無条件にその人を尊敬してしまいます。


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2001年2月21日(水)

 昨晩溜まりにたまったメールの返事などを書いていたらすっかり夜更かししてしまった。おかげで今朝は大寝坊。あわや遅刻である。その反省から今日は早く寝ようと思ったが更新がすっかり滞っている箱根山日記の整理などをしていたらたちまち日付が変わりそうな時間になってしまった。いかんいかん。今朝朝風呂をしようと思って昨晩は風呂に入っていないし、今日も日記の作成に夢中でまだ入っていないのである。当然のことながら今朝は寝坊をしたので風呂には入っていないわけである。今日もかったるいのでこのまま寝るだろう。明日の朝はずぅえったいに風呂に入るぞ!と言うわけで寝ます。AI麻雀なんぞは絶対にやらないぞ!


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2001年2月20日(火)

 仕事帰りに本屋へ。グイン・サーガの最新刊とMac雑誌を購入。

 購入して手元にあるもののグインの味読本がこれでついに2冊。このような事態はグインを高校生の時から読み初めて初めてのこと。思えば20年近く一つの物語を途切れることなく読み続けているなんて凄いことではありませんか。

 さて、このグイン・サーガ。全100巻の予定の空前の物語なのですが、ここ数巻で話が急ピッチに進んでいるようです。グインの謎の一端が******と****の出会いの中で明らかになったり私の愛する(?)ナリス様が****とか。***が**。イシュトバーンが******だったり。

 伏せ字ばかりで何が何だか分かりません。うー書きたい。でも書けない(笑)

 ※「グイン・サーガ」 栗本 薫著 早川書房
 全100巻を目指し豹頭の超戦士グインをパロ、ケイロニア、ゴーラの三国の興亡を描いたヒロイックファンタジー。現在77巻まで出版されている。僕は本文にも書きましたが高校生からの愛読者。


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2001年2月19日(月)

 ここのところ以前にも増して腹が空く。食欲があるのはまぁ良いことなのだけれどそれにしても腹が空く。朝ご飯をめし+みそ汁+漬物+納豆などでしっかりとっても11時を過ぎるころから腹がなってしまう。夕方になれば弁当をしこたま食べた割にはやはり腹がなる。今日は腹がなっているところを昼と夕方の2回上司に聞かれてしまった。うーん、はぢかしい。

 娘と同様このままではデブ度が加速度的に増加していくに違いない。妻が里帰りから戻ってくるころには二目と見られない姿になっているに違いない。あぁどうしよう。


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2001年2月18日(日)

 愛娘が箱根に帰ってくるのが来月の3日とほぼ決まった。宮ノ下も少しづつ暖かくなり、春に向かって細々とホフク前進しているのだ。

 てなわけで今日は障子の張り替えとホットカーペットの徹底的掃除を行った。障子張りは久しぶりなので1枚目は失敗。しわしわになってしまった。でも白地に赤い花びら風なものが一面に舞っていて明るいし可愛らしい。慣れるころには張り替えは終わってしまった。カーペットの掃除の方は午前中にクリーナーを刷り込み半日日干しにして掃除機をかける。これで殺菌消毒も完了しダニも余計な不純物も消滅したことだろう。それでも石橋を叩いて壊し じゃない叩いて渡る僕として娘が帰ってくる前にもう一度天日干し作戦を敢行する計画なのだ。

 娘が帰ってきてほふく前進から一気に春へ突撃!といきたいものである。


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2001年2月17日(土)

ボーイスカウトの集会。今回は葉書飛行機を作るのだ。とは言ったものの最近の学校とか子供会の行事でこの手の物は結構先にやられてしまう。プログラムヒント集などを参考にして計画を立てるのだけれど大概のプログラムは先のような状況で子供も経験済みなのだ。こうなると独創的なプログラムを考えるのは難しい。僕にもう少し植物とかなんかの知識が豊富なら良いのだが。今後の課題がまた一つ増えた。

さて葉書飛行機は案の定うまく飛ばず(笑)、試験飛行を行った広場にまだ雪が相当残っていたので結局最後は子供たちと雪合戦。

楽しいけれどなかなかしんどいです。色々と。


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2001年2月16日(金)

 昨晩というか今朝方雪が降ったらしい。「今年は雪が多いのう」などと暢気にお茶などすすっている場合ではない。チェーンを愛車に装着するかどうか決断しなければならない。「本当の勇気とは引き返すことである」ととある登山家はのたまわったが、宮ノ下では「無駄でも良い。チェーンを巻けよ。」なのである。なんだかボンレスハムのCMのようだが良いのである。

 この日は結局毎朝車に乗せていってあげる後輩K君からの情報などを決め手にチェーンを装着しなかった。これがこの後の喜劇を産むのであることはこのときはまだ誰も知らなかったのである。

 さて国道1号線に出るとすぐに路面が真っ白になった。積雪量は大したことはないのだがいかにも滑りそうな感じだ。ものの数百メートルも進むと渋滞になった。「むむむ…」とうなっていると町内放送ががなり立て始めた。「大平台〜宮の下間は事故のためバスは運転を見合わせています」だと。僕らのホンの1〜2キロメートル先で事故があったらしい。想像するだに大型車がスリップし、横転。道を塞いでいるのだろう。

 えっちらおっちらこちらも滑らないよう車間距離を開け慎重に運転しつつ事故現場を通りすぎた。僕らの想像通り、大型車がタクシー、普通車数台を巻き添えにして下り車線をふさいでいた。

 僕らと反対の下り車線の方の渋滞はこちら以上のようでかなり下の方まで続いているようだ。これは復旧までかなりの時間がかかるだろう。事故現場を過ぎるとこちらの車線は少し流れるようになる。しかし凍結で滑りやすい路面のせいか、はたまた今目の当たりにした事故の現場を見たせいもあろうかのろのろ運転である。途中知人の車が難題か下り車線の渋滞にはまっていたので情報を素早く窓越しに伝達する。

 ぼちぼち話は佳境に入るのである。

 前を走っていた後背K君の知人の車がチェーンを装着した4WDの車にしては情けないくらいあっさりとズルズル滑り始めた。僕はとっさのことで軽くブレーキをあててしまった。今度は僕の車がズルズルと滑り始める。もうこうなるとどうにもならないから僕は黙ってハンドルを握っていた。徐行運転が功を奏してか勢いもほとんどない。自然に止るか立ち直るかを待つだけだ。滑っていく方向は千尋の谷底でやわなガードレールがあるだけだがこのくらいの勢いなら谷底に転落することもあるまい。僕は必要以上に落ち着いていた。だが僕があまりに平然としていたので後輩K君には僕が滑っていることに気がつかないと思ったらしい。後輩K君は僕とは反対に必要以上に慌て始めた。「あわわわわぁ!先輩!す、す、すべってる〜 わ〜!」僕なおも平然。後輩K君「わ〜!」と叫んでドアを開け外に出ようとしているではないか。

 その刹那愛車ファミリは己の制御を取り戻し何もなかったように前進を始めた。反対車線では幼なじみのUちゃん(仮名35歳男)が僕らに何事もなかったので指を差して笑っていた。

 少し後輩K君が少し落ち着くと意地悪く尋ねてみた。「さっきはドアを開けて逃げようとしたんか?」後輩K君の答えは意外だった。「いや(汗)、降りて車を止めようとしたんです(汗)。」うーん。見上げた根性だけどそんなことをしていたらかえって大惨事になっていたかもしれないよ。無事に危機を脱出できて良かったね 後輩K君。普段はクールっぽいけど責任感が強くて熱くなりやすい 後輩K君。そんな君が僕や妻はとても可愛いのだよ(笑)

 今日の教訓。「やはり迷ったらチェーンを巻け!」

 そいからこの時期箱根に来る観光客の皆様へチェーンやスタッドレスタイヤなど雪対策は完璧に準備されたほうがよろしいかと思います。はい。(まぁ今年の雪や寒さは何年に一度のものだとは思いますが(^_^;))

※ボンレスハムのCM その昔、父が子供にハムを焼いてやりながら「腕白でもいい。元気に育てよ」とか「腕白でもいい。立派に育てよ」とかなんとか渋く決めるのだ。結構ヒットし、ギャグとしても使われたはずである。


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2001年2月15日(木)

 仕事帰りにちょっとした買い物に出かける。僕の車の前を走るのはH社のす*っぷ*ごんだ。最近この手の車種が人気があるようだが、この手の車で尾灯というのかブレーキランプを異様にまぶしくしているばか者が目に付く。これははっきり言って迷惑だ。おてんとさんが燦然と輝く昼間なら一万歩譲ってまだ許せるが夜はたまったものではない。しかも渋滞でこいつのまぶしい光を浴び続けると目がチカチカしてくのだ。

 一体全体このような愚かな行為に走るばか者は何が楽しいのだろうか。夜間にバックするときに「あら明るいわあら奇麗だわ」などとオカマ化しているのであろうか。おまいらは即刻尾灯を戻し善良な市民の皆様に土下座してわびろ。さもなくば死ね!またこのような愚か者を助長するパーツを作った責任者。貴様も市民の皆様に土下座しつつ、死ね!

 と久しぶりに激怒してみました。

 
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2001年2月14日(水)

 iMoveで娘のデジタル映像を編集。15分程度の長さのものを2本作ったのだがデスクトップ(G3/300)機のパワー不足(エフェクトの処理などに時間がかかるんだなこれが)とついつい娘の姿に見入ってしまい製作時間は6時間超。やり過ぎである。こうなるともっとパワーのあるマシンが欲しくなる。会社で使っているG4/500でゅあるなんて最高だ〜といささかバラゴン化してきたので今日はこの辺で。

 そうそう。お世話になっている妻のお父さんがDV編集のためにVAIOの最上級機種を購入したらしい。ぺんふぉーの1.5Gだそうだ。現在考えられる全ての映像系がこなせるマシンだ。このマシンもそのうち使わなくなって僕に下賜されないかな(爆)


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2001年2月13日(火)

 家の居間というかキッチンのテレビが壊れている。もう相当古いテレビなものだから映るチャンネルとまるっきり映らないチャンネルがある。僕は読売ファミリーだから「ズームイン朝!」を見たいのだけれど日本テレビは不幸なことに映らないチャンネルの筆頭なのだ。

 で仕方なく一番映りの良いテレビ*日を流している。僕が朝飯を食べる時間はちょうどこのチャンネルは芸能情報を延々と放送しているのだ。朝の貴重な時間である。できることなら朝飯を食いつつ世の中のニュースなるものをチェックしたいのだが先の理由によりそれも許されないのである。戦うサラリーマンとしてはこの段階で既に失格なのである。同期のY君などは朝も明けきらないうちにジョギングなどで汗を流しつつ、鮮明に映るテレビで経済情報などをチェックした闘いに備えているに違いない。彼が出世する理由がわかるような気もする(爆)

 さて今日はと言うとNとMが結婚して婚姻届を役所に出しにいくときのレポートの模様を暢気に放送している。レポート終了後、司会者が一言ぽろり。「マフラー巻いての会見ってえのはねぇ」ここいらにマスコミの傲慢さが露呈していると思います。人様が婚姻届を出しにいくところに押し掛けてどーでもよいことをそれこそ国家問題のように騒ぎ立て、揚げ句の果てに前述の発言。まぁどうでも良いのですがなんか無性に腹が立ったので書き記した次第であります。

 マスコミュニケーションを強烈に風刺したものに「俗物図鑑」(筒井康隆著)があるです。文庫で出ていると思いますので興味がある方はお読みください。筒井氏の作品としては初期の部類に入るのでしょうけれど面白いですよ。


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2001年2月12日(月)

 今日はボーイスカウトの構成員予備登録とやらに行かねばならない。てなわけで東京を早朝に出発し、小田原の登録会場へ向かう。全く忙しい我が身を呪うのだ。

 会場に着く前から実は尿意を催していたので真っ先にトイレに駆け込もうとしたが運悪く会場のトイレは清掃中。我慢をしつつ登録事務を先に済ませようと思ったが、人員の減少で御取りつぶしが目前に迫っている我が団。地区の御偉いさんから色々と事情聴取を受ける。そのうちに我慢の限界を30%ほど突破した尿意のために訳の分からない受け答えをしてしまったような記憶がある。こんなんで御取りつぶしにならなければよいが(爆)

 閑話休題

 以前DVのアナログ出力を巡って悲壮な話を書いたが、結局一縷の望みを託したAVアンプのなり損ないでは夢をかなえることができず、男は途方に暮れていた。3万円程度の出費を覚悟し、S-VHSのS端子入力を装備したビデオデッキの購入を真剣に考えていたところだ。

 が、それが見事に解決したのである。妻の御父上はかなりビデオやカメラに凝っていてビデオの編集用に男の夢がかなう編集機を持っていたのである。しかもそれは現在使われていないらしい。部屋の片隅に悲しげに眠っていた。この眠り姫をもらうというか借りてきたのである。これでMacで編集したDVをVHSのテープにダビングし公開することができるではないか。あぁ何と人生は素晴らしいのであろうか。お義父さん、DVカメラといい今回の編集機(セレクタ)といい重ね重ねすみません。この編集機も買ったときは6〜8万円しているよな。きっと…


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2001年2月11日(日)

 銀座高島屋まで妻の御母さんが娘のひな人形を買ってくださるというので車で出かける。妻の実家から銀座までは割と近い。銀座に着くまでは順調だったが高島屋の駐車場に入るまでが待ちの渋滞。都会のデパートに車で行くというのが間違いか?地方の郊外店などはそれはもう恐ろしいくらいに広い駐車場なんかがあって御気楽なのだが。まぁそうでもしないとこういう店には客が来ないのだろうな。都会で車は厄介者。僕が初めて買った中古車の前のオーナーは箱根から東京に引っ越したのだけれども駐車場の問題と地下鉄を始めとする電車での移動の方が楽だからと言って僕に車を譲ってくれたのだった。この人は正解だと思う。

 さて、娘はと言うとものすごい雑踏の中でも平気でぐーすか寝ている。そう言えば昨日もそうだった(笑)感受性が強いと思ったがずぶといナイロン繊維並の神経も持ちあわせているようだ。このあたりは僕の父と妻の父の両方の特性を引き継いでいるらしい。そう言えばこの御二方は確かにいつでもどこでも寝る(笑)

 娘はたいそう立派な七段飾りのお雛さまを買ってもらったが知ってか知らずか相変わらずぐーすか寝ている。僕はと言うと飾る場所には困らないが収納場所をどうするか頭を悩ませていた。できることなら娘のようにこういう場面場所で悩まずにぐーすか寝たいものだ。


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2001年2月10日(土)

 愛娘と妻と御買い物。車でないと行けないところなので僕が娘に会いに行くと必然的に妻は御出かけを要求する。明日はお雛さまを見に行くことになるらしい。久しぶりに娘に会う僕としては家で一緒にゆっくりごろごろしていたいのだが、妻のリフレッシュのためにも必要なのだろうな。あーなんて物分かりのよい夫なのだろうか僕は。と自画自賛して今日の日記を終わります。


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2001年2月9日(金)

 娘に会いに今日も仕事が終わると東京へ。気分は単身赴任。

 今日はいつも渋滞マークのでている大井南付近から本当に渋滞。案の定怒る(笑)

 渋滞に遭うとトルコン車のありがたみが分かる。僕の愛車はマニュアルなのだ。渋滞の中を走っていると足首の辺りがつりそうになる。たっぱがあり足が長い(手前みそですが僕足結構長いのですよ)僕には苦痛以外の何モノでもない。僕、渋滞嫌い。あー好きな人はいないか(苦笑)


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2001年2月8日(木)

 後追い日記。日記じゃねーなーと思いつつパワーブックのネタ帳を探るも記述なし。数日間は何とか記憶をしていて「あれ書こう、これ書こう」と思っているのですが流石に一週間を過ぎるとだめです。

 てなわけでフリーウエアの日記ソフトをダウンロードしました。in Watermelon Sugar ver.1.6.5というソフトです。これなら毎日さくさく日記が書けそうです。作者に感謝感激雨あられ。


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2001年2月7日(水)

 定期通院の日。悪夢の胃カメラによって摘出されたポリープの精密検査の結果が出た。白である。よかった〜正直涙が出そうなくらい嬉しかったです。癌は免れたけど、どうも胃酸が逆流しているようで食堂の出口付近が少々ただれてしまっている。胸やけもほとんど無いし、食欲もおう盛なのでこちらは経過観察。しかし、これもデブが原因らしい。脂肪が食道のカーブを緩やかに(直線に近く)し、腹圧がかかったときに胃酸が逆流するらしいのだ。憎むべきは肥満。やはり万病の元なのだな。頑張って減量に努めます。可愛い娘と愛する妻を残して先に逝くなんてことはまかり間違ってもできないもんね。

 病院の帰り道、国道沿いのラーメン屋で昼食。とんこつチャーシューの食券を買ったつもりが醤油味チャーシューの券を買ってしまった。ここのとんこつを食べたくてわざわざ回り道をしたのに。どうもここ一ヶ月ほど拉麺関係は分が悪いらしい。食べたかったものが食べられないとなると気が狂いそうだ。明日あたり仕事が終わったらとんこつ拉麺食べに行こう。

 本屋でパソコン関係の参考書を2冊購入。WEBを美々しく飾るためのまくろめでぃあFLASHとあどびGoLiveの参考書だ。この2本のアプリはいじくり回していてもさっぱりわからない。マニュアルを見てもあっぱらぱー。最近、根気よくマニュアルを見てソフトを使うことができなくなってきたようだ。ゲームも同じ。買ったは良いけど説明書読まないとうまくいかないゲームが多くてうち捨てているのが何本もある。プレステ2のソフトなどは一本7千円近いものもあるからまったくもってもったいない。えー話をパソコンの参考書に戻しますがパソコンの参考書って何であんなに高いんでしょう。確かにソフトに附属のマニュアルより分かりやすいのは事実。そうなるとソフト会社と出版社の黒い霧疑惑なんて言うものも浮上してきますな。今日も欲しい本を2冊買いそろえると6千円を超えそうなので、安いやつを見つけて購入しました。内容はやはり高いやつの方が良かったのだけど、安いものでも基本は押さえられるでしょう。まっいいか。それでも3千円。

 いえの近所まで来たら雪。結構降り続きそうな勢いなので明日の朝が心配。17分ほど熟考した結果チェーンを巻いておく。しかし23時現在路面はなんでもない。雪も雨に変わったようだ。敬愛するや山下達郎さんの歌では雨は雪に変わるのだが今日の箱根宮ノ下では雪は雨に変わったのである。明日雪は積もらなくてもよいから路面凍結しないかな。せっかくチェーン巻いたのだからね(笑)


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2001年2月6日(火)

 急遽残業。ホスト処理を離れてデザイン系の仕事だ。と言っても既に作ってあったファイルの背景色のサンプルを数種類追加するだけなのだが。

 数ヶ月床屋に行っていないので頭がぼさぼさである。前髪もかなり伸びてうざったいたらありゃしない。一体全体前回床屋に行ったのはいつのことだろう?

 高校生の頃はお色気むんむんで美容室などに足げに通っていた時期もあったが、今は床屋一本である。面倒くさくないのが何よりよろしい。「短くね。耳出して。後ろは刈上げなし!」でだいたいすんでしまうのだ。あと床屋のシャンプーは力強くてこれがまた良いのである。特におやぢのシャンプーが格別である。美容室のお姉さんに頭をもみもみされるのはそれはそれで気持ちが良いものだけれど、やはりパワフルさには欠ける。それに美容室のお姉さんに「どこか痒いところがありますか?」などと聞かれても「いえ。ありません」などと小声で答えなければいけないではないか。僕はシャイなのである。これはいかん。また所によっては鼻毛のお手入れもやってくれるところがある。これなどはまさに命預けます!っ手感じで良いではないか。美容院ではこの男の仁侠の世界(?)はないのである。と本日は全面的に床屋賛歌になってしまいました。おわり。


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2001年2月5日(月)

 ちょっとした騒動。同じ町内で家の母と同姓同名の方が交通事故でお亡くなりになった。これが新聞にちょこっと載った(僕は見ていないのですが)ものだからさあ大変。うちには問合せの電話が殺到し、僕の勤め先にも知人から電話があった。

 その日タイミングが良いのか悪いのか母は小田原の病院に通院だった。電話の主は御近所の女性の方なのだが「お母さん、お元気?」と電話口で。流石に「この度は…」とか「元気なお母さんだったのにね…」とは切り出せないのだろう。「今日は病院に行っていますが」と僕。これでパニックは広がった(笑)交通事故の新聞報道のあとに息子に電話をしたら「母は病院」である。一時宮ノ下は騒然とした。まもなく同姓同名の被災と判明し、パニックは収まったが良く考えてみると事故に遭った人の息子の勤務先に電話をし、息子が出れば変だとは思わないのか。新聞報道からすると死亡か重体である。そんな状況で暢気に仕事などしているわけはないのだ。よく考えれば分かる話なのにね(^_^;)

 まぁ、みなさんに心配されるようで母も良かった。これでなにもなければそれはそれで寂しいでしょう。

 最後になりましたが母と同姓同名の方の御冥福を心からお祈り申し上げます。


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2001年2月4日(日)

 今日は地元の体育協会の仕事。近所の小学校で行われる柔道大会のボランティアなのだ。まったく公私共に忙しいたらありゃしない。てなわけで今週は愛娘に会いに行けず(涙)

 さて、文頭の某大会での出来事。今年は例年になく選手観客ひっくるめて来場者が多かった。僕が会場入りしたときには駐車場は既に満車のせいか、路上駐車が頻発。交通量も少なく普段ならまあ許せる範囲だが、先日の大雪の傷跡がまだ残り、当該道路は片道通交の状態である。そこに路上駐車したものだからたまらない。通交できないのだ。会場へ苦情の電話はばんばん入って来るわでもう大変。会場で放送をかけるもいっこうに路駐車両が動く気配はない。やっと動かしたと思ったら路駐の主は大会出場の選手で、しかも某チームの大将であった。しかも車を動かしに行くとき体育館のスリッパでそのまま外へ出て行く有り様。これには小学校の用務員さんも切れたらしく大声で叱っていた。当たり前だよね〜 立派なスポーツマン。しかもチームの大将である。試合での勝ち負け、技術の向上を図る前にもう少し人間としていかに生きるべきかを指導していただきたいものです。自分はこんなことを書けるほど聖人君主じゃないけれどもあまりにも不愉快だったもので。

 ※その後の調査で路駐のあった道路は実は私道で、道路の除雪もこの道の奥にある某旅館が自費で行ったものであったことが判明した。これじゃ苦情バンバンも当たり前ってか。 (^_^;)


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2001年2月3日(土)

 ボーイスカウトの集会。昨晩作成した教材の仕上げに午前中一杯かかってしまい結構焦る。

 さて集会が始まった。教材のウケはまあまあであったが思ったより早く終わってしまいこれまた焦る。手間暇かけた割には時間が持たなかったのは反省材料か。素材が良かった(はず(汗))だけに、導入、展開、エンディングを再考しなければ。それに子供の集中力の持続時間も頭に入れておかないといけないだろう。おまけに予備のプログラム(簡単なゲーム)を考えておくように指示したリーダーがこれを見事に忘れ(と言うか確信犯ではないかと思うのだが(苦笑))、2時間枠の半分を過ぎた辺りで集会を終わりにした。次回はしっかり頼むよ。T君。


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2001年2月2日(金)

 葬儀の手伝いが終わった後、昨晩の遅れを取り戻すべく猛然とMacに向かおうとしたが、葬儀の間ずっと外に立っていたので体の芯から冷えてしまい急いで温泉に飛び込む。体も温まり気分は極楽。風呂上がりにビールでも飲もうと思ったが飲んだらそのまま寝てしまいそうなので断腸の思いでビールはあきらめ仕事にかかる。Macを操っているとアイデアがどんどん沸き上がってきて、最終的には結構な仕事量になってしまった。九割方でき上がったところで寝る。勝負は明日の午前中なのだ。


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2001年2月1日(木)

 昨晩の帰宅は午前零時。幸いなことに今日は時差出勤で午後からの仕事だったので助かった。

 夜間処理の合間に土曜日のボーイスカウトの集会のネタを考える。いいネタが思いついたので帰宅後、Macで作業を始める。徹夜をする意気込みで仕事を始めたものの23時30分力尽きて眠る。その分は明日の夜にカバー。しかし、明日の夜は近所の葬式の手伝いだ。うーむ。困った。


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