箱根山日記 2001年1月分

 

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2001年2月7日(水)

 定期通院の日。悪夢の胃カメラによって摘出されたポリープの精密検査の結果が出た。白である。よかった〜正直涙が出そうなくらい嬉しかったです。癌は免れたけど、どうも胃酸が逆流しているようで食堂の出口付近が少々ただれてしまっている。胸やけもほとんど無いし、食欲もおう盛なのでこちらは経過観察。しかし、これもデブが原因らしい。脂肪が食道のカーブを緩やかに(直線に近く)し、腹圧がかかったときに胃酸が逆流するらしいのだ。憎むべきは肥満。やはり万病の元なのだな。頑張って減量に努めます。可愛い娘と愛する妻を残して先に逝くなんてことはまかり間違ってもできないもんね。

 病院の帰り道、国道沿いのラーメン屋で昼食。とんこつチャーシューの食券を買ったつもりが醤油味チャーシューの券を買ってしまった。ここのとんこつを食べたくてわざわざ回り道をしたのに。どうもここ一ヶ月ほど拉麺関係は分が悪いらしい。食べたかったものが食べられないとなると気が狂いそうだ。明日あたり仕事が終わったらとんこつ拉麺食べに行こう。

 本屋でパソコン関係の参考書を2冊購入。WEBを美々しく飾るためのまくろめでぃあFLASHとあどびGoLiveの参考書だ。この2本のアプリはいじくり回していてもさっぱりわからない。マニュアルを見てもあっぱらぱー。最近、根気よくマニュアルを見てソフトを使うことができなくなってきたようだ。ゲームも同じ。買ったは良いけど説明書読まないとうまくいかないゲームが多くてうち捨てているのが何本もある。プレステ2のソフトなどは一本7千円近いものもあるからまったくもってもったいない。えー話をパソコンの参考書に戻しますがパソコンの参考書って何であんなに高いんでしょう。確かにソフトに附属のマニュアルより分かりやすいのは事実。そうなるとソフト会社と出版社の黒い霧疑惑なんて言うものも浮上してきますな。今日も欲しい本を2冊買いそろえると6千円を超えそうなので、安いやつを見つけて購入しました。内容はやはり高いやつの方が良かったのだけど、安いものでも基本は押さえられるでしょう。まっいいか。それでも3千円。

 いえの近所まで来たら雪。結構降り続きそうな勢いなので明日の朝が心配。17分ほど熟考した結果チェーンを巻いておく。しかし23時現在路面はなんでもない。雪も雨に変わったようだ。敬愛するや山下達郎さんの歌では雨は雪に変わるのだが今日の箱根宮ノ下では雪は雨に変わったのである。明日雪は積もらなくてもよいから路面凍結しないかな。せっかくチェーン巻いたのだからね(笑)


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2001年2月6日(火)

 急遽残業。ホスト処理を離れてデザイン系の仕事だ。と言っても既に作ってあったファイルの背景色のサンプルを数種類追加するだけなのだが。

 数ヶ月床屋に行っていないので頭がぼさぼさである。前髪もかなり伸びてうざったいたらありゃしない。一体全体前回床屋に行ったのはいつのことだろう?

 高校生の頃はお色気むんむんで美容室などに足げに通っていた時期もあったが、今は床屋一本である。面倒くさくないのが何よりよろしい。「短くね。耳出して。後ろは刈上げなし!」でだいたいすんでしまうのだ。あと床屋のシャンプーは力強くてこれがまた良いのである。特におやぢのシャンプーが格別である。美容室のお姉さんに頭をもみもみされるのはそれはそれで気持ちが良いものだけれど、やはりパワフルさには欠ける。それに美容室のお姉さんに「どこか痒いところがありますか?」などと聞かれても「いえ。ありません」などと小声で答えなければいけないではないか。僕はシャイなのである。これはいかん。また所によっては鼻毛のお手入れもやってくれるところがある。これなどはまさに命預けます!っ手感じで良いではないか。美容院ではこの男の仁侠の世界(?)はないのである。と本日は全面的に床屋賛歌になってしまいました。おわり。


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2001年2月5日(月)

 ちょっとした騒動。同じ町内で家の母と同姓同名の方が交通事故でお亡くなりになった。これが新聞にちょこっと載った(僕は見ていないのですが)ものだからさあ大変。うちには問合せの電話が殺到し、僕の勤め先にも知人から電話があった。

 その日タイミングが良いのか悪いのか母は小田原の病院に通院だった。電話の主は御近所の女性の方なのだが「お母さん、お元気?」と電話口で。流石に「この度は…」とか「元気なお母さんだったのにね…」とは切り出せないのだろう。「今日は病院に行っていますが」と僕。これでパニックは広がった(笑)交通事故の新聞報道のあとに息子に電話をしたら「母は病院」である。一時宮ノ下は騒然とした。まもなく同姓同名の被災と判明し、パニックは収まったが良く考えてみると事故に遭った人の息子の勤務先に電話をし、息子が出れば変だとは思わないのか。新聞報道からすると死亡か重体である。そんな状況で暢気に仕事などしているわけはないのだ。よく考えれば分かる話なのにね(^_^;)

 まぁ、みなさんに心配されるようで母も良かった。これでなにもなければそれはそれで寂しいでしょう。

 最後になりましたが母と同姓同名の方の御冥福を心からお祈り申し上げます。


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2001年2月4日(日)

 今日は地元の体育協会の仕事。近所の小学校で行われる柔道大会のボランティアなのだ。まったく公私共に忙しいたらありゃしない。てなわけで今週は愛娘に会いに行けず(涙)

 さて、文頭の某大会での出来事。今年は例年になく選手観客ひっくるめて来場者が多かった。僕が会場入りしたときには駐車場は既に満車のせいか、路上駐車が頻発。交通量も少なく普段ならまあ許せる範囲だが、先日の大雪の傷跡がまだ残り、当該道路は片道通交の状態である。そこに路上駐車したものだからたまらない。通交できないのだ。会場へ苦情の電話はばんばん入って来るわでもう大変。会場で放送をかけるもいっこうに路駐車両が動く気配はない。やっと動かしたと思ったら路駐の主は大会出場の選手で、しかも某チームの大将であった。しかも車を動かしに行くとき体育館のスリッパでそのまま外へ出て行く有り様。これには小学校の用務員さんも切れたらしく大声で叱っていた。当たり前だよね〜 立派なスポーツマン。しかもチームの大将である。試合での勝ち負け、技術の向上を図る前にもう少し人間としていかに生きるべきかを指導していただきたいものです。自分はこんなことを書けるほど聖人君主じゃないけれどもあまりにも不愉快だったもので。

 ※その後の調査で路駐のあった道路は実は私道で、道路の除雪もこの道の奥にある某旅館が自費で行ったものであったことが判明した。これじゃ苦情バンバンも当たり前ってか。 (^_^;)


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2001年2月3日(土)

 ボーイスカウトの集会。昨晩作成した教材の仕上げに午前中一杯かかってしまい結構焦る。

 さて集会が始まった。教材のウケはまあまあであったが思ったより早く終わってしまいこれまた焦る。手間暇かけた割には時間が持たなかったのは反省材料か。素材が良かった(はず(汗))だけに、導入、展開、エンディングを再考しなければ。それに子供の集中力の持続時間も頭に入れておかないといけないだろう。おまけに予備のプログラム(簡単なゲーム)を考えておくように指示したリーダーがこれを見事に忘れ(と言うか確信犯ではないかと思うのだが(苦笑))、2時間枠の半分を過ぎた辺りで集会を終わりにした。次回はしっかり頼むよ。T君。


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2001年2月2日(金)

 葬儀の手伝いが終わった後、昨晩の遅れを取り戻すべく猛然とMacに向かおうとしたが、葬儀の間ずっと外に立っていたので体の芯から冷えてしまい急いで温泉に飛び込む。体も温まり気分は極楽。風呂上がりにビールでも飲もうと思ったが飲んだらそのまま寝てしまいそうなので断腸の思いでビールはあきらめ仕事にかかる。Macを操っているとアイデアがどんどん沸き上がってきて、最終的には結構な仕事量になってしまった。九割方でき上がったところで寝る。勝負は明日の午前中なのだ。


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2001年2月1日(木)

 昨晩の帰宅は午前零時。幸いなことに今日は時差出勤で午後からの仕事だったので助かった。

 夜間処理の合間に土曜日のボーイスカウトの集会のネタを考える。いいネタが思いついたので帰宅後、Macで作業を始める。徹夜をする意気込みで仕事を始めたものの23時30分力尽きて眠る。その分は明日の夜にカバー。しかし、明日の夜は近所の葬式の手伝いだ。うーむ。困った。


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2001年1月31日(水)

 うちの両親を連れて妻の実家へ。うちの両親は妻と愛娘が退院後、初めての面会となる。老いた父親などは顔が今にもとろけそうである。これも親孝行か。

 ここいらの風習だろか、里帰りの妻の実家に米をもって挨拶に行く。米は30kgだ。妻の実家ではあまり米の消費量が多くない。小食な家庭なのだ。僕が週末訪れたときだけ、米の消費量が多くなる(笑)多少は迷惑と思ったが慣例なのでしょうがないか。妻の実家でも驚いていたようだ。

 妻と娘は一ヶ月検診に行ってきたようで、娘の体重は約1.8kg増。多少デブになったようだが(笑)順調に成長している。喜ばしいかぎりである。

 お、そうそう。毎日更新というペースではありませんが、ついに箱根山日記史上初めて皆勤賞月となりました。取り敢えず自分の中での快挙であります(笑)


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2001年1月30日(火)

 新世紀がつい先日始まったばかりと思ったけど、もう1月も終わりです。やれやれ。

 色々とやらなければならないことが山積みだけれどもどうにもやる気が起きない。妻のいない部屋は荒れ放題で足の踏み場もない。枕元にはパワーブックが転がり、「沈黙の艦隊」全32巻は世界平和を訴えてその山を崩した。ファンヒーターが俺にも飯を食わせろと甲高い声でわめきたてる。

 寒い冬の夜は嫌いだ。春よ〜春よ〜我が世の春よ〜。

 歌でも歌わなければやりきれない。


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2001年1月29日(月)

 昨日の続編というか補足篇です(笑)

 帰路の東名高速から眺める夕焼けの空はたいそう奇麗でした。雪が空の汚れを地上に落としてくれたんですね。おお、雪よ汚れや欲望や怒りに満ちた僕の心も洗い流しておくれ。なんちってー。

 東名高速、厚木小田原道路を無事に通過。箱根の国道1号線に入っても暫くは路上に見える雪の姿も既に少なく、テレビや新聞の大雪報道を疑うほどでしたが、流石に出山という場所を過ぎると路肩から車道にはみ出す積雪の名残もその主張を一段と強めてきました。さもありなん。そう一人ごちながらステアリングを握る男は帰路を急いだのです。

 しかし日が延びましたねー 人間がよたよたしている間にも春はこっそりと近づいているんですね。


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2001年1月28日(日)

 まぁ、しかし、よく雪が降ったものです。宮ノ下でも積雪50〜60cm。箱根のところによっては80cmを超えたそうな。首都高湾岸線も神奈川県内は凍結のため通行止め。箱根の国道1号線はチェーン規制。幸い家の近所の道路は除雪も終わり通行が可能ということらしいので早めに帰路につこうと思ったが娘のための買い物にでたため、結局妻の実家を出発したのは先週の日曜日と大した時間の差はなかった。買い物は出発を遅らせただけあって、以前から買おうと思っていた娘の情操教育用おもちゃなどがかなり安い金額で購入できたので妻も僕も大喜びである。おまけにミスタードーナッツのキャラクターにもなっているペンギン印(何というか分からん。僕はキャラクター物には弱いのだ。)の真っ赤なマント(?)が激かわゆかったので即購入。娘にきっと似合うはずだ。と相変わらずの親バカモード丸出し。

 帰途であるが帰りが遅くなったので湾岸線も開通しているだろうという微かな希望も打ち砕かれ、レインボーブリッジまわり首都高3号線渋谷経由で帰ることになった。幸先悪く妻の実家の最寄りの高速の入り口は閉鎖中であった。表示には出ていなかったのに。おのれ日本道路公団め!!今週末はやたらと日本道路公団を罵っているが良いのである。さて、この経路はずいぶん久しぶりだ。以前はいつもこの経路を使っていたのだが、最近は渋谷近辺の渋滞を避けるためずっと湾岸線を使っていたのだ。有明JCT、芝浦JCTくらいまでは旅は順調。しかし、一ノ橋JCTあたりで大分混雑が激しくなってきた。以前はこのJCTを過ぎると谷町から3号線に入るために左車線に寄るのだがうっかりしていたのと渋滞で分岐の直前まで右の車線にいてしまった。標識を見たときにはしまったとおもったものの、このまま右車線を進めば都内を一周だ。渋滞の列を作っているところに割り込むのは誠に申し訳ないと思ったがこちらも都内一周はしたくない。背に腹は代えられないのだ。車の列が少し流れたところでトラックとトラックのすき間に滑り込んだ。車間距離は前後に十分あったのだがそんなことは問題ではない。後ろの福*県の黄色い大型トラックからけたたましいクラクションの洗礼を受けた。雪の影響で交通網が麻痺したそのとばっちりをこの運転手も受けたのだろうがこっちも被害者の一人なのだ。ゆるぢでぐれよ〜

 後ろの運ちゃんに合掌しつつふと前方を見ると前の大型車は**関係の黒い車体ではないか。間違っても追突はできない。まさに前門の虎後門の狼。

 渋谷線の渋滞は除雪作業の影響もあって妻の実家から東名高速に乗るまでゆうに1時間30分が過ぎていた。その間、黒と黄色の大型車にずっと挟まれ緊張した時間を過ごした僕は家に帰ると今日も泥のように眠ったのでありました。


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2001年1月27日(土)

 妻と妻のお母さんは娘のひな人形を物色しに新宿並びに銀座方面へ出撃。朝からの大雪で外はふぶいているのに御苦労なことだ。箱根、僕の住む宮ノ下でも既に50センチメートルは雪が積もっているというのに。女性の強さに改めて敬服。

 妻とお母さんが出かけたので久しぶりに娘を独占。やでうでしい。おしめ替えや授乳もちっとも苦にはならないのだ。しかし、この日の娘の機嫌はすこぶる悪かった。びーびー泣いても抱いてやれば大概治まるし、それでもだめならミルクをあげれば完ぺきに治まるのだ。そう。うちの娘は食いしん坊(笑)その娘が今日に限っては抱いてもだめ、おしゃぶりを与えてもだめ、最後の必殺技ミルク120ccも効かない。あぁお父さんはいったいどうしたら良いのだよ。

 ぐずる娘と格闘すること半日。妻とお母さんが帰ってくるころには流石にぐったりして夕飯を食べて寝てしまった。だらしがないといえばだらしがない。この先が思いやられるなぁ。

 さて、今日はぐずったが普段はほとんどぐずらない良い子らしい。僕が思うに恐らくまだ右も左も分からない、ものもあまり見えていない(と思う)娘ではあるけれども、自分のお母さん(妻)がいないことを何となく感じ取っていたのではないだろうか。そう考えると父に似て感受性の強い情緒豊かな子なのだろうなと相変わらず親バカモードで思ったりもしたわけです。

 雪は一晩中降り続くようで、眠りにつく直前のうつろな頭の中で「俺は明日無事に箱根に帰ることができるのであろうか?」と思ったがすぐに深い眠りに落っこちていったのであった。


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2001年1月26日(金)

 今日も娘に会いに仕事が終わったら一路東京の妻の実家へ。

 往路は大概、海老名SAで休憩か食事をとる。今日は妻がカレーを作って待っているので休憩なしで突っ走る予定だった。が、出物腫れ物所嫌わずの例え通り我慢できない尿意を催してしまったし、ラジオから流れる渋滞情報で大井南近辺渋滞とのたまわっていたので急遽大黒パーキングでトイレ休憩及び渋滞情報の確認をすることにした。このパーキングは橋の下にあるせいかどうも遠くて困る。なんか損をしたような気にさせられるのだ。おまけにら旋状にぐるぐる回っているせいもあるし、パーキングから本線に帰るとき表示の仕方も悪いと思うのだが目指す方向が非常にわかりづらい。いつも「俺は逆戻りをしていないだろうか?」と不安になる。この辺のところを日本道路公団はどのように考えておるのか。え、どうなのだ。道路公団の関係者の方でこのページを見る人がいたら釈明のメールでもください(爆)

 さて、話は渋滞情報に戻る。海老名SAでも大黒Pでもそうなのだが、いつも大概大井南か13号地付近は渋滞になっている。しかしここんとこ毎週末この経路を通交しているがどうも渋滞しているとは思えない。それとも僕が当該現場を通過するときには渋滞が解消されているのだろうか?この辺のところを日本道路公団はどのように考えておるのか。え、どうなのだ。まぁ渋滞していないに越したことはありませんね。本当に渋滞していたらそれはそれで僕が怒るのは目に見えているし(笑)

 てな訳で今日も渋滞マークがでていた13号地をスムーズに通過し、妻の実家へ到着。大黒Pからこの先渋滞しているから少し遅れると連絡を入れておいたので期待のカレーはまだ制作途中であった。日本道路公団のおかげで腹ぺこの男はますます不機嫌になるのである。

 その後男は娘の入浴の仕方で妻から文句を言われ、さらに不機嫌になりその日は眠ったのであった。


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2001年1月25日(木)

 妻からこんなメールが届いた。

 **(娘の名前)と散歩に行ってきた。お日様が顔に当たるとまぶしそうに目をつぶったよ。早く三人で散歩したいね。

 う〜ん。注1)うらめやましい(笑)妻のメールにもあるとおり早く娘と散歩などを楽しみたいものです。しかし、僕が妻の実家を訪れる週末は決まって天気がよろしくない。神様が嫉妬しているんかいな。

 注2)早く春が来ないかなぁ。

 

注1)羨ましいと恨めしいが合体した言葉。筆者が昔愛読した漫画で使用された造語。どーにもならない複雑な感情が生じたときによく使用される。

注2)筆者は寒いのが嫌いである。それに箱根は非常に寒く、娘の帰ってくるのを延期しているのだ。娘が帰ってこれるよう、一日も早く気候が暖かくなるのを待ちわびる切ないまでの父親の心情がこのつぶやきに見て取れることであろう。

 

 本文と注釈の分量がほぼ同じという何とも言えない今日の日記でした。


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2001年1月24日(水)

 久しぶりの時差出勤。遅出遅帰りというパターン。昨晩の深夜までの乱痴気騒ぎがかなり僕の繊細な体にダメージを与えていたようなので、偶然とは言え、この時差出勤パターンには助けられた。ふと考えると昨晩最後まで残っていた人の大部分は今日が休みであったり、自営業の人であった。うーん。それに付きあっていた僕は何ナノでしょう?

 夕方から会社で使うWEBのデザインにかかる。少しは動きのあるものを作ってみたかったので、FLASHを使ってみた。確かに初心者でも簡単に動きのあるページが作れるのでこれは面白い。今度箱根山通信にも使ってみようかと思いましたが、このページのコンセプト(あるんかいな?)は「テキスト中心で軽いページ!手抜きではない!ないったらない!」なのでやっとこさ思いとどまりました。裏サイトとかで実験的に使ってみたいと思います。

 さてこれは会社のイントラで使用するページなのですが、FLASHってブラウザのデフォルトではプラグインが入っていないんですよね。業務系の場合「ほとんど素!」が大原則ですからこのあたりをどうクリアするか問題ではありますが。一台一台プラグインをインストールするのは手順を踏むにも物理的にもかったりーぞ。絶対!

 

 アクセスカウンタの切りのいい、2500を自分で踏んでしまいました。今後とも箱根山通信を御贔屓にお願いします。


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2001年1月23日(火)

 今日は地元体育協会の新年会である。この日はこの会の事務局長(現在、本会の全てを取り仕切っている見方によっては会長以上にえらい存在)のテンションが異様に高く、なかなか閉会にならない。僕は会計を勤めているので支払いが済むまで帰れないのだ。流石に日付が変わって1時間半ほど経過した時点で精算を半分強引に終わらせ、僕は帰路についたわけですが、事務局長を始め残った数人の皆様はいったい何時まで飲んでいたのやら。みんな僕の先輩なのだけれど、いったいどこにあれだけのパワーが隠されているのかいつも不思議である。

 さて、家に帰ると留守電のメッセージを知らせるランプが赤くペカペカ点滅していた。メッセージの主は妻と娘。録音が始まると娘がフニフニとなにやら一生懸命話して(そーうふーに聞こえるんだってば(笑))いる。その後で妻が「***(娘の名前)でーす!」と暢気に叫んでいる。そこでメッセージは途切れた。可愛いやら可笑しいやらで5回も聞き直してしまいました。

 部屋は寒いけど気持ちはぽけっと暖かくなる冬の夜更けの一コマでありました。


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2001年1月22日(月)

 両親とお祝い返しの品を物色に小田原へ。物色も終わりやれやれということでそのままデパート(って言うのかな?)の食堂で夕食。カツ丼、ないしはカツ定食、はたまたカツカレーと全面的にカツ方面に食指が傾いていたが、方針を一転してみそラーメン&半ライスを食することにした。注文してから後悔したのだが、こういうファミレス系でラーメンがうまいところはそうそう無いのである。「一生の不覚!」といくら自分を責めてみても後の祭りなのである。

 案の定出てきたラーメンのスープは何だか悲しいほどぬるまったく、麺もびちゃっとした感じであった。おまけに少ししょっからい。やはりこういう場所では無難にお子様ランチなどを食するのが良いようだ。できることなら・・・(しかし、こういうところのパフェ関係はかなりの度合いで充実していると思います)


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2001年1月21日(日)

 朝から東京は晴れ。昨晩道路や歩道一面を覆っていた雪も好天気にたちまち姿を消していきます。なかなかあっけないものですね。箱根だとこういうわけには行きませんね。

 帰宅経路の情報をインターネットで調べる。通行止めやチェーン規制はないようだ。特に激しい渋滞もなさそう。ラッキー。しかし、便利になったものですねぇ。

 箱根は全山チェーン規制がかかっているようなので、これは箱根の家に電話をして状況を聞く。家の近所は問題がないようだ。でも朝に除雪車が出動した模様。ははは。こりゃ凄い。

 首都高の石川JCT付近で多少の渋滞はあったものの無事箱根へ帰還。小田原厚木道路から箱根山を見ると真っ暗で雲が充満しているのでびびったけど雪も降らずに良かった良かった。

 話かわって出産祝いの御返しの話。

 多くの方から娘の出産祝いを頂きました。本当にありがたいことであります。が、御返しの品を選ぶのはまた難しいですねー。僕と妻である程度の線は決めておいたのですが、うちの両親には両親の思惑もありとほほです。こりゃ決まるまでに一波乱ありそうです。でーい。

 さて、今、パワーブックを膝の上に載せてこの日記を書いているのですが暖かくて気持ちがいいっす。HDDを12Gに換装してから発熱量に結構頭を抱えていたのだけれどこの時期は膝に乗せて使うと実に具合がよろしい。うちのファンヒーターは結構お利口らしく部屋の温度が設定温度に到達すると省エネ運転に切り替わる。おかげで送風口から離れたところにいると(僕のイスは送風口からやや離れたところにある)結構寒いのだ。冬は良いけど夏は困るよな。この辺はロシアにおけるたき火のようなものかもしれない。近寄ると熱い。しかし離れると寒く、ちょうど気持ち良く暖かいポイントが無いという。我ながら結構情けない話(笑)

 ※まだHDDに余裕があるのでMP3ファイルを抱えて、こいつを聴きながら書いています。参考までに何を聴いているか初公開!

 Blow、Love Can Go The Distans、MAGIC TOUCH、こぬか雨/山下達郎

 DANCING QUEEN/アバ

 GET ON THE FLOOR/ICE

 Millennium/ポケットビスケッツ

 No.1/槙原のりゆき

 What's Going On/マービン・ゲイ

 Will You Dance/ジャニスイアン

 貿易風にさらされて/マザーグース

 てぃーんず ぶるーす、シャドー・ボクサー/原田真二

 ハートはもうつぶやかない、NIGHT WALKER/松任谷由美

 午後/吉田美奈子


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2001年1月20日(土)

 昨晩仕事が終わった後、例によって娘と妻に会いに東京へ行きました。道中は渋滞もなく順調に着いたのですが愛車にまたも故障が。この真冬の寒い時期に何とヒーターが全然効かんのです。どうやらラジエーター部分にあるサーモスッタトの故障の模様。「おのれマツダめ!」と久しぶりに罵りながら東名、首都高を一路娘と妻が待つ東京へひた走ります。しかしヒーターが効かないため車中はまるでもう冷蔵庫。いや冷凍庫か。途中海老名のSAでラジエーターに半分新聞紙を貼り付けてオーバークールを防ごうと涙が出るような努力はしたものの効果は全く無し。着ていたオーバーをひざ掛けにし、着替えに持ってきたセーターを着込み、さらには作業用の軍手を装着して何とかしのぎましたが、いや本当に寒かったこと。来週早々には部品が届くので修理に出す予定です。先日足回りの部品も数万円かけて交換したので今回のと合わせてもう何年かは愛車ファミリアとともに暮らすようになるでしょうな。かなりぼっこい「ぼろらん号」になってきましたが、まぁ好きな車なので良いのですけど(苦笑)

 夜には東京も本格的な雪。あっという間にあたりは真っ白。こりゃ箱根は凄いことになっているだろうなと思い、後輩のところに携帯からメールを送る。やはり事態はなかなか深刻なことになっているらしく、この情報をもとに明日の帰宅時間を修正する。いつもなら夜中に帰るのだが、明日は晴れるらしいので晴れている昼間のうちに帰ることにした。娘に会っている時間が短くなって非常に寂しいが仕方がないだろう。安全第一なのだ。

 さてその娘であるが、正月休みが終わった次の週に再開したときほどの衝撃はありませんでした。順調に成長はしているようですけど(笑)

 体形もすっかり新生児から「赤ちゃん」の体形になってきています。呼びかけに反応するようなふり(?)はするし、手足もバタバタ、うんこも一杯します。わはは。

 珍しくデジカメ&ビデオも回さず娘と戯れる。やっぱり可愛い。相変わらず親バカですみません(汗)


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2001年1月19日(金)

 同じ職場のとある方から「箱根山通信」を見たよーと話しかけられた。ありがたいことです。感想でも書いたメールをいただけたらもっと嬉しかったのですが(笑)なんせ、この夢と理想は高かったが現実は厳しかったぞ「箱根山通信」ですが、開設以来いただいたメールは1通のみ(泣)リンクしてくださったサイト(個人ページではない)も2〜3あるので、その「リンク承諾依頼」のメールを含めれればまぁ5件弱にはなるのですがあまりにも寂しいですね。はぁ・・・今後はご覧の皆様からメールをいただけるような魅力あるサイトを目指して精進していきたいものです。

 冒頭に同じ職場の人が見ていると書きましたが、自ら宣伝をしたケースもあれば、強引に見させた(笑)ケースもあるし、会社のホームページからリンクを依頼したりと何百分の一ではありますが身内が見ていたりもするのです。それと職業柄もあってあまり本心べろべろば〜の記述はしていないつもりではありますが、これはこれでストレスがたまるものです(本当かい?)。

 で、妻の妊娠中にいらいらした怒りなどを含めて言いたい放題書き込める裏ページをフリーのホームページサービスで立ち上げたことがありました。このサイトにやりたい放題書き込み、アップして「あぁすっきりした」と思ったのではありますが、さて、アップしたサイトを自ら見てこりゃまたビックリ。このフリーのホームページサービスはメールアドレスもありがたいことにいただけるのですけども、メールアドレスのアカウント名がURLの頭に来るのです。やややこれでは見る人が見れば僕のサイトであることが見え見えではないではありませんか。これでは当初のもくろみは灰じんに帰してしまうのです。

 でも面倒くさいのでこのサイトはそのままにしてあります(笑)お暇な方は探してみるのも一興かと(爆)

 ※現在、このおばかなサイトは活動を一時凍結しております(再爆)


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2001年1月18日(木)

 自分のサイトを見てみると結構デザインがいい加減である。ページによって統一感が無い。これは困った。そのうちに暫時改良していかなければ。

 さて、日記のページを見ても2001年1月1日までとここ数日では改行の取扱などが違うではないか。

 僕はこの小日記についてはテキストエディタで書いたり、ホームページ作成用のソフトで直接書いたりとまちまちである。エディタで書いたときも2001年1月1日以前はペーストして改行位置などをちまちま調整していたが、ここんとこはエディタで書いて貼り付けてそのまんま。

 これを省力化と言わずして何と言おう。末長く日記を書き続けるコツなのである。断じて面倒くさいからではない・・・はずです(汗)


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2001年1月17日(水)

 妻が里帰りしているので最近は母が弁当を作ってくれる。わはは。実は僕はマザコンであり母も息子を溺愛しているのだ。なはは。

 冗談はさておき、母の愛情はありがたいものです。はい。

 えー弁当の話に戻りますが、母の作る弁当には温野菜が大量に入っている。そこでドレッシングをもって行くのだが、適当なところは適当なうちの母。ドレッシングの瓶を1本丸々渡してくる。ランチジャーに箸入れ、それにドレッシング一瓶。これだけでも結構な荷物になってしまう。昨日までは箸入れ並びにドレッシングをパワーブックを入れているバックパックに一緒にいれていたのだが、どうにも座りが悪いので何か別の袋に入れて出勤しようと思っていたところなのだ。

 そんで今朝、出勤前の慌ただしい時間。手じかに転がっていたビニール袋を取り上げ、迅速にその袋に弁当道具一式を放り込んだ。サイズは測ったようにぴったりであった。

 朝から良い機嫌で車を運転していてふと思いだした。弁当用具にジャストフィットしたその袋は先日の宿直業務の際、風呂に入った後、汚れた我がパンツやシャツや靴下を放り込んでいた袋に相違なかったのである。

 一瞬「げげげのげ」と思ったが冷静に考えてみるとそう不快ではない。確かに自分のうんこや小水などはあまり汚いと思わないし、へそのゴマや蒸れた靴下などは何となく積極的に匂いもかいでみたくなるではないか。

 これが自己愛のなせる技ではなかろうか。とかアガペーは水であるとか哲学的な思考に走ってしまったようであるが、いずれにしてもうんことか蒸れた靴下とか大したことはないのである。

 しょせん、与太日記を綴るような男である。大したことはないのである。


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2001年1月16日(火)

 さびーよー(寒いよー)

 以前、この冬は暖冬などと聞いたことがあるがとんでもない。

 箱根の芦ノ湖周辺では朝はマイナス7度だという。げげげ〜

 我が家も家族人口の減少等々により家の中でも冷蔵庫並の温度である。廊下は摂氏6〜7度。

 てなわけで風邪をひいたようで、頭痛がひどいので今日はおとなしく寝ます。


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2001年1月15日(月)

 今日は少し困った話。さて、今日の困ったちゃんはNetscape Communicator (tm)である。バージョンは4.7だ。

 先日、デスクトップのHDDを45Gに換装したことを書きましたが、換装の際、既存のHDDの中身をそっくり別のボリュームにコピーして換装が終了した後新規のボリュームにコピーをし直しました。コピーした内容はアプリケーションが主なものです。

 コピーが終了した後一応全てのアプリの起動試験を行いました。順調にテストは消化され、後数本と言ったところで事件は起こりました。

 −だ。とか、−です。とか書き方が変わるがえーい、気にしない(爆)

 Netscape Communicator (tm)のアイコンをダブルクリックしたところ、メニューバーにNetscape Communicator (tm)と表示されたまま半フリーズ状態になってしまうのです。カーソルは動きますがぽこぽことあちこちをつっついても反応がありません。コマンド+option+escでアプリの強制終了を試みても一切反応なし。取り敢えず再起動。しかし、ここから地獄が始まるです。

 再起動後、再度Netscape Communicator (tm)(以後NC4.7と表記)を起動。あらら。状況は同じだ。コピー時に何か不具合が生じたかもしれないので再起動後NC4.7を再インストール。NC4.7は再起動が必要なので再起動をかける。今度はデスクトップの再構築も同時に行う。で、さらに慌てずにデスクトップの再構築後にPRAMクリアも行う。決め技として0S基本のみ+NC4.7に必要な機能拡張をセットして起動した。トラブル解決の御三家を行う。大概のトラブルはこれで万事解決さ!

 自信と期待が入り交じった緊張の中、何度目かの再起動が終了。そりゃ!いけ!NC4.7のアイコンをダブルクリック!ふにゅ〜状況は変わらない。自信と期待はしおしおぱ〜だぜ。

 以前症状は変わるがNC4.7が絶不調の時があった。この時はFinderを入れ替えたらなおった記憶があったのでバックアップのCD-RからFinderをコピーする。FinderやNC4.7の初期設定も捨ててみる。ほれ!どうだ!じゃ〜ん(再起動の音)ぎゃび〜ん!症状変わらず。う〜ん。いったい何が原因なんじゃ。

 あとはちと長くなるので箇条書きにします。

 ・OS8.6を新規で再インストール。素の状態で起動。NC4.7を再インストール。-->だめ!

 ・起動ディスクをバックアップの後、初期化の上、OS8.6をインストール。素の状態で起動。NC4.7を再インストール。-->だめ!

 ・別パーテーションのOS9.0.4から起動。この状態ではなぜか同じNC4.7が起動できる。

 ・バックアップしたOS8.6を再度初期化したボリュームに書き戻し、OS9.0.4で起動できたNC4.7を内臓Zipにコピー。Zipのコピーから起動。なぜか起動できる。

 ・別ボリュームからは起動できるのでOS8.6をインストールしてあるボリュームをノートンユーティリティで検査。全て問題なし。

 ・NC4.7の68k版をインストール。こちらは問題なく動く。ネスケの4.0.4も同様に起動する。最新版のNC6も動くぞ!

 ここで問題点というか疑問点を同じく箇条書きにしてみようではないか。

 ・ボリュームの初期化、OSのインストール、NC4.7の再インストールを行っても起動しない。

 ・トラブル解決の定番=デスクトップの再構築、PRAMクリア、初期設定の削除を行っても効き目なし。

 ・ファイル障害復旧ユーティリティ=Disk First Aid、Norton Utilitiesを使用しても問題は発見されず。

 ・最近のネットスケープのいくつかあるバージョンの中でNC4.7だけが起動できない。(ネスケ4.0.4、NC4.03、NC6は同ボリュームで起動可能)

 ・別ボリュームのOS9.0.4環境では起動できる。

 ・内臓ZipにインストールしたNC4.7は起動できる。

 

 ここまでやって起動できないというのはなかなか笑えるでしょ。

 下に環境を書いておきますのでこのトラブル回避策を御存知の方がいらっしゃいましたらへるぷ み〜です。よろしくお願いします。へこへこ。

 

 使用環境

 マシン:PowerMacintosh DT300

 メモリ:192MB

 HDD:ATA66=12G+45G

 OS:OS8.6

 増設カード:加賀電子ATA66 PCIカード、ラットクのIEEE&USB PCIカード

 その他:Zip内臓

 

 ※45GのHDDが7200回転、IEEEのPCIカードも使っているから電源の容量不足が原因かな?とも考えましたが内臓のZipからは起動するし、他のアプリは全然問題がないから考えられないっすかね?


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2001年1月14日(日)

 今日は宿直業務なのだ。そのために昨晩後ろ髪を万力で引かれるような気分に浸りつつも、泣く泣く娘のいる妻の実家から帰宅したわけである。

 さて、午前中は部屋の片づけでもして3時頃に家を出る(宿直業務は午後5時から翌朝までである)かと考えていたところ、ストーブをつけていても部屋の中がぐっと寒くなった。「ん、なんだなんだ?」と久しぶりに目をヤヤヤ化して外を見ると、なんと一面真っ白になっているではないか。今度は「やややややや」と真剣にびっくらこいて急いで出かける支度を始めた。僕の家の前から国道に出る道は狭いうえに急な坂並びにカーブが待ち受け、積雪や凍結するとチェーンを装着していてもズリズリ滑る恐ろしいところなのだ。下手をすると家から脱出が不可能になるのだ。おまけに雪の勢いは数年前、箱根が陸の孤島と化した大雪の時に迫る勢いだ。「今晩は眠れそうにもないな・・・」と覚悟を決めつつ、午前11時40分頃家を出る。

 職場に着いたのは正午を20分ほどすぎたころ。いつもなら15分ほどの距離だが、天候の悪化で観光客が一時に動き出したらしく渋滞。来る途中も雪の勢いは収まらず「本当にえらいこっちゃ・・・」とため息を一つ二つついていたが、いざ職場に着くと青空が見え、雪は止み、日が差さん勢いである。家に電話をし、山の状況を確認したらやはり雪は止み、日が差しているという。おいおいだ。せっかく半日も早く来たというのにそれはないだろう。おてんとさんよ〜

 ま、大雪の対応で眠れぬ夜を過ごすのよりはよっぽどいいのだけどね。少し残念(笑)


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2001年1月13日(土)

 ここ数日ほど娘の具合が悪いらしい。風邪かもしれないということで近くの小児科へ。

 僕は腰に爆弾を抱えていることも影響するのだろうが、4キロ弱の娘を抱っこして行こうと思ったのだが、腰がピキピキ来て5分も持たない。情けないかぎりだが途中でギブアップして妻に代わってもらう。慣れの問題もあるかもしれないがこれではあまりにも情けないではないか。太り過ぎで妻から散々「ダイエット!」、「体力増強!」と叫ばれつつもすんでのところで躱してきた自分であったが、ここに来て真剣に体力増強は考えるようになった。子供の存在は実に大きい。

 あ、こりゃまた妻が読んだら怒るな・・・(最近、こんなんばっかりや)


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2001年1月12日(金)

 今日は仕事が終わったら愛娘に会いに妻の実家へ。

 法定速度を遵守し、安全運転で行っても空いていれば2時間の行程。普段なら2時間もかかるとかったるいと思う性質なのだが娘に会おうとなったら話は別なのである。まったくげんきんなのである。妻と付き合っているときも結構こまめに東京通いはしたのだが、その比ではないであろう。あ、この分を妻が読んだら怒りそうだ(笑)

 妻の実家への経路上には辰巳JCTや有明JCTなどがある。しかし、箱根の山の中に住んでいてこんな名前はラジオの渋滞情報くらいでしか聞かなかったのだが、まさか自分がこんなに頻繁にこのような場所を通ることになろうとは想像だにできなかった。人生とは眞にもって不思議なものである。

 さて、一週間振りにあった娘は結構大きくなっていた。この時期本当に一日一日で違うものだ。しかし、父親に似てどうやら顔が大きいようだ。これは困る。そのうち宴会で集合写真などを撮るようになると顔の大きさを比較するために煙草の箱などが掲げられるようになるに違いない。取り敢えず今はDVのカセットのケースなどを顔の横においてデジカメで撮影したりビデオを回したりしているわけである。娘よ許せ。

 そんなこんなで大分大きくなった娘の顔を見つつ、正直なところ先週の方が可愛かったと思った。もちろん現在の娘もものすごく可愛いのですけれどね。


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2001年1月11日(木)

 昨日の検査の帰りの出来事である。

 愛娘のかわゆい姿をビデオに残し、なおかつそれをマックでDV編集をしようと野心に燃える男はラオック秦野店へ足を向けた。

 妻の父から男が拝領したDVビデオカメラのアナログ出力はS端子しかない。男の家のビデをデッキは安物が多いせいかS端子を装備した機械が無いのだ。

 パソコンも多少こなし、昔オーディオ少年だった男ではあるが、DVビデオカメラを始めとするビジュアル系には今一つ弱いらしい。S端子から出力した信号はS端子でしか受けられないことを知らなかった男は愚かにもS端子入出力を装備した数千円のビデオ&ゲームセレクタを喜々とし購入し、これでDVビデオVHSビデオデッキでのダビングができると一人悦に入っていた。このセレクタの購入により思ったほど銭もかからずダビング編集ができるようになりそうなのでその悦の入り方は人から見れば思わず笑ってしまうほどであった。

 ビジュアル系に強い方なら御存知のとおり、男が購入したようなパッシブタイプのセレクタではS端子から入力した信号をRCAピン経由での出力はできない。つまりDVビデオカメラ->S端子出力->セレクタ(パッシブタイプ)->RCAピン出力->VHSビデオデッキの経路でのダビングはできないのであった。この事実に直面した男は途方に暮れた。まさに安物買いの銭失いの典型的なパターンである。しかし、男はくじけなかった。それならばパッシブタイプではないちゃんとしたセレクタを購入すればよい。おそらく五千円から一万円くらいの間で購入できるであろう。愛娘のためだ。この程度の出費は屁でもない。この投資により娘のそれはそれはきゃわゆい姿を後世に残し、そして初めての内孫に狂喜乱舞している両親に見せてやることもできる。忠孝は一番大事なのである。男はそのように勝手に自己完結した。

 そして話は冒頭につながるのである。

 さて、男は久しぶりにゆっくりと好きな家電店巡りを堪能した。インターネット体験コーナーでは設置された端末の「お気に入り(ブックマーク)」に箱根山通信を登録するのも忘れない。楽しむ一方ではちゃんと狙いのAVセレクタの物色にも余念が無い。既に八千円と一万二千円の2機種に的を絞っている。一流V社の製品だ。これならば間違いはないだろう。店内を十分に堪能した後、狙いをつけた製品の箱を手に取り、念入りに調べた。どうやら男の意図することは実現可能のようであった。男は秘かにほくそ笑む。

 しかし、一度大いなる挫折を味わった男は念のため、AVに詳しそうな店員(ややオタクがかったお兄さん)に確認してみることにした。この辺は流石である。やはり挫折を知らない人間は大きく飛翔することはできないのだ。燕雀いずくんぞ大鵬の志を知らんやである。これは全然意味が違うがまぁ良いであろう。

  店員「あー。お客さんの希望されることはこのセレクタではできないですね。」

  男「むむむ・・・ではこの一万二千円のタイプはどうでしょうか?」

  店員「ん〜多分だめでしょう。一応カタログで確認しましょう。」

  店員カタログをとりにカウンターへ

  店員「残念ながらだめですね。」

  男「ではどれならできますか?(消え入るような声で)」

  店員「お客さんの御希望がかなえられる機種ですとこちらになりますね。」

 店員の指さす先にはシャンペンゴールドに輝く一際立派なセレクタ鎮座していた。男はこれが数千円で買えるわけが無いと思いつつも値札を見てみた。

  男「ろ、ろ、ろ、ろくまんはっせんえん!

  店員「ただDVカメラからVHSのデッキにダビングするだけならVHSのS端子入力付きのものを買ったほうが安いですね。」

  男「そうですね。考えます。(俯きながら)」

 そうして男は再び地の底へと突き落とされたような感覚を味わいながら箱根山中へと帰っていったのでありました。

 だが、男の胸には幽かな希望があった。男の所有するステレオのアンプは確かAVアンプのなり損ないのようなやつで、男の記憶が正しければビデオ入力端子のところにS端子入力があったはずだ。2系統のダビングスイッチも装備されていたはずだ。この記憶が正しければ代打逆転満塁サヨナラホームランになるであろう。王さんや長嶋さんもびっくりなのだ。

 よく考えてみると王さんや長嶋さんがびっくりしたとしても、始めからこの方法を思いついておれば全く無駄になってしまったビデオ&ゲームセレクタは買わなくてもすんだことだろう。

 やはり男は馬鹿である。

※男のステレオアンプが男の夢をかなえられるものであるは現在調査中。

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2001年1月10日(水)

 あー 今、麻酔で頭がぼけーとしている状態(酒にかなり酔った状態に近いというべきか)ですが、この感動と悲哀はすぐにでも書き留めておく必要があるであろう。

 今日は胃カメラを飲む日である。昨日の夜から病院の言いつけをよく守ってこの日を迎えた。体調は万全。いざ決戦なのである。

 たかが胃カメラくらいで決戦などと諸兄は大袈裟だと思うかもしれないが、以前にも書いたとおり僕はえんげ反射が異様に強いのだ。胃洗浄の時の恐怖と屈辱を今でも僕は忘れない。

 さて、病院に着くと受付で胃の中の泡をとる薬をもらい一息に飲む。その次は咽の麻酔だ。咽の奥に麻酔薬をためて3分間。時間が来るとがらがらをしてこれまた一息に飲み込む。この時点で結構舌と咽が痺れてきた。この調子なら楽にできるかもしれないなというお気楽な気持ちが少し頭をよぎった。咽の麻酔が終わると胃の緊張をとる注射をして検査に赴くのだ。ちなみにここまで僕の面倒を見てくれた看護婦さんは年はかなり行っているものの僕の好みのタイプだったので結構嬉しかった。(<あほ)

 看護婦さんの指示通り廊下の黄色い線に沿って第2処置室に入った。

 室内に入るとまず少なからずぎょっとしてしまった。正面に日本人ではない女医と思われる人が数人立っていて、何となく目をぎょろつかせながら荷物入れを無言で数回指さしている。「むむむ…」その無言の圧力に圧倒され、早くも敵のペースで第1ラウンドは展開しているようだ。しかし、考えてみればここは大学病院なのである。海外からの医学研修があっても当然ではないか。

 さて取り敢えず検査台に横たわる。執刀医はまだ若いおねーちゃんだ。ひょっとして僕は研修生だらけの処置室に放り込まれたのではなかろうか。でもこれも医学並びに医療の進歩のためならば仕方がない。喜んで我が身を提供しようではないか。

 ここで数発ジャブの応酬。

  女医「内視鏡の経験はありますか?」

  僕「下はあるけど上はないです」

  僕「ちなみに僕は咽に指入れてぐぇっとくるやつ。えんげ反射って言うんですか。あれ凄く強いんです。
    以前、胃洗浄をやったときなかなか入らず、最後は医者も看護婦も笑っていたんです。可哀想でしょ。」

 んーむ。ここで若い女医さん若干不安げ。大丈夫かいな。

 僕の不安感を悟ったのかここですかさずそばについていたベテラン医師(助教授クラスか?)が柔和な声で「睡眠中(麻酔のことだと思う)にやる方法もありますけどどうしますか?」と訪ねてきた。これぞ救世主ではないか。「おおっ!できればお願えーしますだ!お代官様!」僕は二つ返事でお願いをした。

 ここでベテラン医師は僕のゲロゲロがひどい状況と麻酔を用いて検査を行う旨を英語で外人医師に説明していた。このくらいの英語なら僕にも分かるのだ。なんせ今職場の自己研鑽研修で英会話の通信教育もやっているのだ。テープに「May I help you?」などと吹き込んで提出するのだ。どうだどうだなのだ。

 さて、念願の麻酔注射である。ここで若い女医さん、注射を一回失敗する。むむむ。二度目に無事麻酔薬が体内に侵入するとなんとも心地よい眠気が襲ってきた。「おおっ!これなら何の苦しみもなく検査が終了するに違いない。医学の進歩に乾杯!」などと脳天気に夢うつつの状態を楽しんでいたらそれはあまりにも突然にやって来た。

  僕「うんげぼぉおぉぉぉ

  若い女医他看護婦の皆さん方「頑張って!」

  僕「はがはげはごぉぉぉぉ

  若い女医他看護婦の皆さん方「はい。落ち着いて腹式呼吸!はいはい。」

  僕「ふがふがぁ 」(出きる訳ねーだろが ぐぼ)

  若い女医「ポリープないですね」

  ベテラン医師「もう少し***を####して、@@@@が<<<だから。そ、その辺を$$$!」

      (医学専門用が飛び交っていて判読不可能)

  若い女医「あ!あった!ありましたね!」

  ベテラン医師「このサイズなら切れそうだね。」

  若い女医「検査もかねて細胞一部とりますけど、ポリープも切れそうだからとっていいですか?」

  僕「ふぉわん。ぎゃひゅぎゃひゅどう゛ぁしゅ」(はい。切ってくらはい)

  若い女医「はーい。お疲れさまでした。じゃ抜きますよ。」

  僕「はがはげはごぉぉぉぉ ぶべ ぶふぉふぉふぉ! 
    ぐじゅぐじゅ け くすんくすん」(最後はすすり泣きの声)

 ようやくカメラ咽から抜ける。

 ベテラン医師等「麻酔が覚めるまでゆっくり休むように。車の運転もあるなら休憩は十分にね。おつかれさん。いやなかなか強烈だったね(笑)」

 僕「ふわぁい。ありがとうごさいました。ふんとに凄かったでしょ?」

 ベテラン医師等一同「わははは」

 僕「わははは」

 てなわけようやく地獄の検査が終了しました。正直な感想は「二度とやりたくねー!」っす。

 でも内視鏡は執刀医の腕次第で結構楽だったりきつかったりするようだけど、次回はどんな先生に当たるやら。できれば次回はベテランの先生にやって欲しいな。今回は若いおねーちゃんと外国人研修生に体を捧げたんだからね(なんか卑猥な表現ですが)。おねげーしますよ!

 さて、これから結果を外来で聞くのだが正月明けのせいもあって非常に混んでいる。こりゃ3時間は待ちそうだなあ。さてさてどんな結末が待っているのやら。

    ※摘出したポリープが良性であるかいなかは次回の診察(2月上旬)で明らかになることになった。乞う!御期待!

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2001年1月2日(火曜日)〜9日(火)

1月9日

 僕の出入りしているパソコン通信のパティオで「最近箱根山通信のページが表示されない」との発言があった。自分の環境ではネットスケープでもIEでも表示できている。バーチャルPCでWindows環境からもチェックしているはずだから、発言があったその人の個人的環境によるものだと思っていた。ネスケの最新バージョンでは見れないとの発言もあったので、これは確認したらその通りだったので対策を検討しなければ。

 ついでに今一度Windows環境ではどうかと確認してみたらなんと、以前は見えていたはずのIEバージョン4.*や5.*でもトップページが表示されない。あやや?

 御存知のとおり箱根山通信は上下のフレーム構造になっている。個々のファイルは表示できるからトップページのHTMLの記述になにか問題が生じたのだろうか?

 トップページをHP作成ソフトを違うものに変えて作ってみたり、タグをいじってみたらネスケ(正しくはコミュニケーターのver6)でもWindows環境でも表示がされるようになった。(ただしネスケの6ではアクセスカウンターが表示されない。iCabも同じ。)

 しかし、以前は表示されていたものが急に見えなくなってしまったというのは腑に落ちないなぁ。

 その他、僕の個人的な環境でコミュニケーター4.7の怪という事件が発生しているがそれはまた今度。

1月8日

 非常呼集がかかるんではないかと恐れていた雪も目が覚めたらすっかりやんでいて朝日が差し込み始めた。デジカメで撮影して妻と娘(まだ見えないけが)に見せてやろうと思ったけど、屋根に5cmの積雪があるだけで風景的にはあまり見るべきものが無かったのでやめた。

 そろそろ車にチェーンを積んでおこう。

 ここ数年は年に一回はもうやめてくれ的な大雪が降るからなぁ。

1月7日

 娘が帰ってくるのに備え、部屋の片づけをしなければならなかったが連日の東京通いが堪えたのか夕方まで寝てしまう。

 夕方から深夜まで家業手伝い。

 平日は外で仕事。わずか一日の休暇で娘に会いに東京へ。そしてもう一日の休日は家業手伝いと。おとうさんは頑張るのだ。

 夕方から雪。結構な勢いで降り続いている。この分では非常呼集がかかるかもしれない。そっとポケベルの電源を切った。んじゃなくて入れた(笑)

1月6日

 7,8日と家業が忙しいため、帰らなければならずほぼ一日で娘とお別れ。

 正月休みが明けてからたった2日しか顔を見ていないのにもう表情や動きが変わっている。毎日見れないのが眞に残念。

1月5日

 行事の手伝い。その実態は交通整理である。

 運転マナーの激悪なドライバーが多いのにうんざりする。

 風もほとんど無くあまり寒くなかったのが幸い。

 まぁ何となく良い正月だ。

 帰宅後少し休んで娘の待つ嫁の実家へ向かう。すいていると2時間くらい。法定速度を無視すればもっと早く着くのだが、安全運転安全運転。

1月4日

 ふにふにとよく動く娘のあどけない姿に後ろ髪を引かれつつも昨晩遅くに帰宅。

 今日から仕事が始まるが今一つエンジンかからず。明日職場の行事を控え、集中した仕事がやりづらいからと日記には書いておこう

1月3日

 朝から大学箱根駅伝をテレビ観戦。母校は往路で13位と低迷したからあまり乗り気になれず。知人の姿でも探そうくらいの気持ちで観戦を続ける。そうこう言っているうちに何と山下りの6区で大東は区間新。おお!やったー!俄然応援に力が入り始める。現金なものだ。途中の追い上げもありシード確保の9位あたりまで順位を上げた。がんばれがんばれ。なんと最終10区でも真名子主将がこれまた区間新!すげーぞ!大東。結局総合6位になりました。すばらしい!ちなみに復路の成績は順大についで2位ですよ。これまたすんばらしい!来年は往路からばりばりいって優勝の栄冠を勝ち取るのだ。がんばってや〜。

 午後は高校ラグビー全国大会を観戦。

 お気に入りの埼工大深谷(埼玉)も快勝して午前に引き続きいい気分。高校ラグビーはボールがよく動いて(軽いと言った意味ではありません)、見ていて楽しい。母校の勝敗に一喜一憂するはらはら感が無いのも純粋にゲームを楽しめる要素でもありますが。

 そーいやー必死に応援する女子生徒のアップがよく映りますが、これは露骨にカメラマンの趣味がでているようでこれまた見ていて楽しい。「おいっ!そっちじゃなくて右の娘を写せ!」と本気(マジ)レベル80%くらいで叫ぶ自分がいとおしかったりする(笑)

1月2日

 いつもならこの日は早朝から地元宮ノ下で箱根駅伝の応援イベント。大騒ぎのはずだが、今年は妻の実家で愛娘とのんびり箱根駅伝をテレビ観戦。宮ノ下もアナウンサーのコメントが入る。「ここでは例年選手の名前で応援が繰り広げられます。今もトップの選手の名前が連呼されています!いいですねぇ。」うんうん。よかった。

 母校大東は不調で往路13位。優勝候補の一角に上っていただけに残念。昨年に引き続き予選会からか。ため息が出る。

 ゴール間際の3校によるデットヒートでボルテージを上げた後は大学ラグビー選手権の準決勝を同じくテレビ観戦。一回戦は関東学院VS同志社。同志社の個々のパワーも関東の組織力に徐々に封じ込められていく。結果関東学院の快勝。ここ数年常に優勝争いに絡んでくる関東学院。本当に強くなったものです。春口監督の手腕の凄さを改めて痛感。

 二回戦は母校大東を完膚無きまでに撃破した慶應と法政の一戦。心情的には母校を退けて準決勝に駒を進めた慶應を応援したいが、法政も同じリーグ戦グループ。やや複雑。下馬評では慶應が圧倒的有利。僕自身もそうだと思っていた。しかしいざ試合が始まると法政のディフェンスが素晴らしい。見事なまでのプレッシャー。攻撃のリズムもトライには結びつかないものの前へ前へでる法政の方がリズムが良い。慶應はいつもの攻撃のさえが全く見られない。そろそろか、そろそろかと思っているうちに結局慶應のリズムにならないままわずか2PGの6対0で前半終了。しかも後半慶應は風下。しかし、昨年、今年と慶應はハーフタイムできっちりとゲームを修正してくる。風下でキックを使いにくくなる分、後半はいつもの継続ラグビーが展開されるだろう。後半が始まった。

 法政のディフェンスの集中力は途切れない。慶應の継続ラグビーに対してボールを殺しに行くようなスマザータックルを意識していっているせいかハイッタクルの反則が多い。双方合わせてシンビン(危険なプレーを再三犯したプレーヤーに対する10分間の退場措置)が3名。それでも法政の集中力は切れなかった。攻撃は最大の防御なり。この日の法政は防御は最大の攻撃なりとばかり素晴らしいディフェンスから切り返して2トライをあげ、慶應を突き放す。慶應も最後に1トライ返すもののノーサイド。実に素晴らしい法政のディフェンスでした。

 決勝はこれで関東学院VS法政と史上初のリーグ戦同士の対決。21世紀の大学ラグビーはリーグ戦がリードしていく時代と予感させられるような準決勝の2試合でした。我が母校大東も頑張ってもらいたいものです。

 今シーズンの大東はよりバックスへの展開を意識した好チームでした。素晴らしい決定力のある両ウイング。突破力に優れたセンター(特に田中選手の力強い突破には何度も喝采を送りました)と今シーズンの大東のバックスは史上最高のバックスでしたでしょう。しかし惜しむらくはグランドを幅広く使って展開を試みたときに味方のフォローも薄くなってしまったことでしょうか。それとフォワードが少し弱かった。往年の強い強いフォワードを取り戻して、もっともっとフィットして、どんなところからもどんどん走れる強い大東を期待しています。前へ横へ。そして縦へ!頑張れ大東!(右ウイングの太田君。僕は慶応戦で見せた君の涙を忘れないよ。)

 駆け足でと書きながらラグビーのことを書いたらつい、まったりしてしまいました(笑)

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2001年1月1日(月)

 ついに21世紀である。
 子供の頃、空想科学雑誌やSF小説などを読んで夢にまで見た憧れのの世紀がいよいよ現実のものと
なったのだ。まだ鉄腕アトムや宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道やコールドスリープはないけれどそれでも良い
のである。
 夢や希望を持ち続けてテレンコテレンコ進んでいけばなにか良いことがきっとあるに違いない。
 あまり力強い言葉ではないけれど、まぁよいか(笑)
 ※宇宙戦艦ヤマトは地球の危急存亡の時を迎えないと登場しないわけであるからないにこしたことはな
いのであろうか(爆)

 さて、20世紀と決定的に違うことは新世紀の朝を怠惰に迎えてふと横を見ると、見慣れた妻の顔ではな
く、愛娘がふにふにと動いたり、にた〜と愛くるしい笑顔が見られることである。
 そうなのです。ついに待ちに待った子供が年末に生まれました。
 2000年12月20日(水)5時7分生まれ。身長48cm、体重3000g。今のところ母子ともに元気であります。

 しかし、まぁ何と言いますか子供って言うのは可愛いですね。本当に一日中見ていても飽きないですわ。
 もう本当に親バカ全開バリバリで、ビデオはブンブン、デジカメはバシャバシャ。夫婦そろって
「きゃ〜きゃ〜」、「わ〜わ〜」の連続であります。
 おまけにAppleにはiMoveというお手軽デジタルビデオ編集ソフトがあるので、今、これにもはまって
います。しかし、デジタルビデオの編集というのはこれが実にハードディスクの容量を食うわけでして
5分の編集に消費するハードディスクの容量は1G。僕のパワーマックのハードディスクは18Gを積んでい
るのだけれどパーテーションを切っているので連続の空き容量は2〜3Gしかないのだ。
 そこで愛娘の可愛い姿をばりばりに編集するため、この度45Gのハードディスクを購入したのであります。
 ぐへへ。これでパーペキだぜ。

 てな訳で、皆様の御多幸と愛娘の末長い幸せを切に御祈念申し上げて新年のご挨拶とさせていただきます。はい。

 おそらく21世紀は親バカ全開与太日記になることが見えるような気がしますが今年もよろしくお願いいたします。



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