自分で治した腰部脊柱管狭窄症
痛くて歩けない、腰を伸ばしていられない腰部脊柱管狭窄症(LCS)。
医者に行っても、2度目からは、リハビリをして鎮痛剤を処方してくれるだけ。 温存治療と療法を言ってくれても有り難くない。
それくらいなら、家で自分でした方がいい。
鎮痛剤も飲まずに、その日から、自己流で頑張った。
2か月後には、ほぼ回復した。 これは、その記録である。
狭心症とその副産物
或る冬の朝、出勤に急ぐ池袋のデパートの前。 少し雪が残り寒い風が吹いていた。 急に胸が重くなり立ち止まることが多くなっていたが、その日は暫く立ちすくんだまま動けなかった。
それから数週間後、季節外れのぽかぽか陽気に、車をだそうと、運転席に乗り操作を開始するや、またもこみあげ、ハンドル操作もふっとペダルも操作不能になった。 傍に居合わせた薬剤師の長女と看護師をしている次女の意見に従い、近所の心臓関係医にみてもらうことになった。
今日、半永久的に処方されるバイアスピリンの服用とそのための定期健診を余儀なくされただけでなく、思いがけない副産物を抱えることになった。 狭心症等の再発の心配に加え、慢性腎炎そして血色素不足とは。
生まれ出ずる眼の悩み
始まりは、道路交差点の信号機、点灯した赤(または青・黄)の点が小さな三角形の頂点を描くように3つに見えるようになったことだ。 それだけならば、頭がおかしいだけのことかもしれないが、よく観察するとあらゆるものが3重にダブって見える。
近所の眼科医にゆくと、「科学的にそんなことがあるわけがない。」という。 患者がそう言ってんだから間違いないのに。 小さなランプのような光源が際立って3つに見える。
結局は更に優秀な眼科医を照会して貰って、そちらにかかった。
それから左の眼の白内障を受け、それが網膜剥離になり、右目も白内障の手術を受けた。
網膜剥離の手術によって、全視野の視力が回復したものの、視野に大きなカラスが飛び交うようになり、加齢を重ねて、認知症の検査の心配よりも眼の適性検査に落第しそうになってきた。
その経緯と無駄と知りつつ頑張っている記録です。
歯槽膿漏を克服?
歯医者に行くのは大っ嫌いだった。 今でも同じだが、その理由は、なんといっても、ちょっと見てもらってはまた次の日に、とすごく治療に期間がかかることがその1、そして、あの葉を砥ぐ「ギー」というか「ジー」という音や、その痛さなどがその次だ。
バブル全盛の頃に明治通りを挟んだ向かいのビルに大きな歯医者ができた。 一回予約してゆくと、集中的に長い時間をかけて一度に治療してくれることが特徴だった。 いや、もう一つある。 とても治療費が高かった。すぐ何十万円にもなり、100万円をこすこともあったようだ。
ここを主治医として何年も過ぎ、一度請求に手違いがあって、そのころには沢山の歯科医が開業していた池袋界隈だったので、近くに移り替えた。
そこの先生が歯石をとろうと言ったときに、その後の口腔内の不快感に嫌気を感じて断ったところ、「史跡は歯磨きを確りすれば取れる」といってくれた。 しかし、歯茎に蔓延した歯槽膿漏は、5年も待たずに、全部の歯が落ちると宣告されてしまった。
よく歯科医にかかていたのに、業務上の会合などで自分の口臭がすごく気になったものだが、それから10年が過ぎた今も、その時生きてた歯は残っており、口臭もなかなったように思う。。 それもこれもあの歯磨きのおかげだと自負したい。
今更の盲腸炎
古希をむかえ約1年、全く関係のないゴールデンウィークがやってきた。 その5月3日、素晴らしく奇麗に青々とした絨毯のような芝生、それもあの難しい洋芝である。 その芝刈の機械で刈れない隅っこを芝鋏でしゃがんで買っていたところ、腹が痛くなった。
翌日も俺にゃ無縁の国祭日なので、どこも医者は閉まってる。 やむをえず、以前世話になった医師会が当番制でやってる診療所に行った。 すごく痛いのに、待合室はそんなに混んでいないのに、なかなか順番がっこない。
上げ期の果てに、「ここには聴診器以外なにもないから」と、近所の病院を紹介された。 それが問題の始まりだった。