歯と歯茎にについて
高額の費用と貴重な時間を費やしても、なお歯茎全般に歯槽膿漏の巣が蔓延っている。。  「今のうちに全部歯を抜いて、手術し治療をしないと、数年もせずに歯がポロリポロリと落ち始め、万病のもとになりますよ。」と掛かり付けの歯科医が言った。 そして、「歯垢は歯医者で削らなくても、歯磨きをきちっとすればとれるよ。」とも言っていた。
残った現役生活の多くの局面で、それが悩みとなって脳裏を占領し続けた。 そのころには、バブル時代からの診療の過程が思い出され、歯科医には一種の不信感をもつようになっていた。
いつしか、忙しい事業消滅の後始末に明け暮れすっかり忘れ、そして、「毎日が日曜日」に入っていった。
朝晩毎日の日課
こどもの頃から、親にも先生にも、きちんと歯磨きをとしつけをされていたが、勉学時代も就職時代も何かにつけ、形だけの歯磨きになっていったように思う。 しかし、時間がたっぷりの今となっては、もう、いいわけがないし、だれも、そんなことを聞いてもくれない。
歯磨きは、起床時にと、就寝前の、1日2回行っている。
最初は、いい加減だったものの、今では、まず、うがいし、水と歯ブラシで、食べ物くずや歯(入歯も含む)に付着したものを、極力落とす。
それから、またうがいし、歯ブラシに練り歯磨きをつけて、同様に、縦方向・横方向に研く。
最後に念入りにうがいをすると、練り歯磨きに含まれる医薬部分も洗い落とされる---TVで言っていたので、最後のうがいは軽く2回に抑えている。
今では
廃業して5年、その前の5年も合わせ10年位は、歯の具合が悪くならない。 歯茎のレントゲン写真で確認したわけではないので、そう思ってるだけかもしれない。
一度被り物が外れ、近所の歯科医に急行して付けてもらった。 歯科医は、「まず、X線写真を取ります。」というのを、「そのまま被せ接着してください。」と言ったら、途端に手が止まり、それからビックリするくらい長い時間戻ってこなかった。 結局、元に戻り違和感のない口腔になったが、精算をしたのに、診察券を出してくれない。 診療したわけではないから、ださないということらしい。
ここを主治医として、余生の主治医としたいと思っていたのに、諦めざるを得なくなった。 今でも掛かり付けの歯医者が決まっていない。
そのくらいで、歯に関してのみいえば、無難に過ごせている。 そればかりか、口臭も気にならない。口に両手をあてて、はあっと、やっても、若干の匂いがするだけで口臭とはいえない。
これは選んだ練り歯磨きの御蔭

それで、歯周病を直さなくても止められて、口臭迄とまれば、万々歳だ。
この年で極まりが悪い盲腸炎
芝の管理というものは、手がかかる。 芝を刈れば肥料を蒔かなければならず、そうするとまた伸びて刈らなければならない。 隅の部分は機械が入らず手で刈るしかない。 まったく重労働だ。
ともかく、紹介されて行った関越病院も休日で、ほとんど閉まってるので救急外来はめちゃ混雑していた。 待たされた挙句、X線やCTなどさんざん検査をして、「5月6日に来てください。」という。
一晩我慢したが、夜中にはものすごく痛くなり、救急車のお世話になることを決心して、すこしでも手を煩わせまいと、階段を伝って滑り降りたが、もう、制御不能。 救急救命士は2人で毛布みたいなものの中に転がし、救急車迄両端を下げて運んだ。 1階におりていてよかったなあ。
生れて初めての救急車
横になって、痛みに耐えながら、車で移動するのは、病人と言えど決して楽じゃない。 右折左折の度に揺られ、頭が混乱する。 振動がきつかった。 もう少し雲の上で寝ているようなものかと思っていたのに。
結局は、狭心症で馴染みになっていた石心会狭山病院に運んで貰った。 一緒にいる消防の方はその間連絡やら病状やらといろんなことをきき、連絡をしていた。
病院に着くと、適切に救急の医師か誰かに適切に説明しえ知多。 関越病院に結果の照会をしたが、担当医師がいないと無下に断れたようで、また最初から検査をした。 「すぐに手術を腹腔鏡で行います。安全で、早いから」と告げられた。
食事がでなくて
ずーっと麻酔が効いていたのでわからないが、切除した虫垂は魚肉ソーセージのように大きかったという。 「腹腔鏡下虫垂切除術」というのだそうだが、臍の下に穴を空け、他に2カ所の合計3か所からいろんなものを差し込み、開腹手術をせずにやったようだ。
この病院では一般的に5日で退院できるそうだが、腹膜炎になったかどうかで、長引いてしまった。 5月3日に直ぐに来ればよかった。
一応、腸の一部を切ったのだから、何日も食事がでなかった。 いつも点滴ばかりで、46時中管をつけて、病院内を徘徊した。 口からなにも胃にいれてないのに、「大便はでましたか?」としきりに聞く。おならの話は、昔からよく聞いたが、水だけでウンコができるのかいな---と訊いたら、体内の老化した組織などを含め、通常はでるのだそうだ。 6日過ぎたころから重湯にかわった。 早く御飯が食べたいと、思っていたが、最初は重湯だけでも体が受け付けなかった。
この年になって
だいぶ普通の人間に戻ってくるといろんな心配が復活してきた。 なかでも、子供のような病気にかかったことの、恰好悪さに、退院後の心配が先になった。

通常は大腸から虫垂に入らずに排泄されるのだろうが、運動が活発な年代ほど発生するように見える。 しゃがんで何時間も芝刈してたので発症したんだろうか。
何か言われたら「これを見よ」とこのグラフを提示しよう。
退院して、傷口が癒えたころに、マレットゴルフの会合に行った。 早速、あちこちから、「なんだよう。その年で」と親しげに声を掛けられたものだが、結局はグラフは出さず仕舞だった。
心臓冠動脈のカテーテルといい、今回の腹腔鏡といい、結構良い?経験をした。 少し前、腹腔鏡手術で何人も医療ミスが発覚し死者がいたというニュースをみていたので、心配だったが、避ける余裕がなかった。