西行 さいぎょう 元永元〜建久元(1118〜1190) 俗名:佐藤義清 法号:円位

藤原北家魚名流と伝わる俵藤太(たわらのとうた)秀郷(ひでさと)の末裔。紀伊国那賀郡に広大な荘園を有し、都では代々左衛門尉(さえもんのじょう)・検非違使(けびいし)を勤めた佐藤一族の出。父は左衛門尉佐藤康清、母は源清経女。俗名は佐藤義清(のりきよ)。弟に仲清がいる。
年少にして徳大寺家の家人となり、実能(公実の子。待賢門院璋子の兄)とその子公能に仕える。保延元年(1135)、十八歳で兵衛尉に任ぜられ、その後、鳥羽院北面の武士として安楽寿院御幸に随うなどするが、保延六年、二十三歳で出家した。法名は円位。鞍馬・嵯峨など京周辺に庵を結ぶ。出家以前から親しんでいた和歌に一層打ち込み、陸奥・出羽を旅して各地の歌枕を訪ねた。久安五年(1149)、真言宗の総本山高野山に入り、以後三十年にわたり同山を本拠とする。仁平元年(1151)藤原顕輔崇徳院に奏上した詞花集に一首採られるが、僧としての身分は低く、歌人としても無名だったため「よみびと知らず」としての入集であった。五十歳になる仁安二年(1167)から三年頃、中国・四国を旅し、讃岐で崇徳院を慰霊する。治承四年(1180)頃、源平争乱のさなか、高野山を出て伊勢に移住、二見浦の山中に庵居する。文治二年(1186)、東大寺再建をめざす重源より砂金勧進を依頼され、再び東国へ旅立つ。途中、鎌倉で源頼朝に謁した。
七十歳になる文治三年(1187)、自歌合『御裳濯河歌合』を完成、判詞を年来の友藤原俊成に依頼し、伊勢内宮に奉納する。同じく『宮河歌合』を編み、こちらは藤原定家に判詞を依頼した(文治五年に完成、外宮に奉納される)。文治四年(1188)俊成が撰し後白河院に奏覧した『千載集』には円位法師の名で入集、十八首を採られた。最晩年は河内の弘川寺に草庵を結び、まもなく病を得て、建久元年(1190)二月十六日、同寺にて入寂した。七十三歳。かつて「願はくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」と詠んだ願望をそのまま実現するかの如き大往生であった。
生涯を通じて歌壇とは距離を置き、当時盛行した歌合に参席した記録は皆無である。大原三寂と呼ばれた寂念寂超寂然とは若年の頃より交流があり、のち藤原俊成や慈円とも個人的に親交を持った。また、待賢門院堀河を始め待賢門院周辺の女房たちと親しく歌をやりとりしている。家集には自撰と見られる『山家集』、同集からさらに精撰した『山家心中集』、最晩年の成立と見られる小家集『聞書集(ききがきしゅう)』及び『残集(ざんしゅう)』がある。また『異本山家集』『西行上人集』『西行法師家集』などの名で呼ばれる別系統の家集も伝存する(以下「西行家集」と総称)。勅撰集は詞花集に初出、新古今集では九十五首の最多入集歌人。二十一代集に計二百六十七首を選ばれている。歌論書に弟子の蓮阿の筆録になる『西行上人談抄』があり、また西行にまつわる伝説を集めた説話集として『撰集抄』『西行物語』などがある。

「西行はおもしろくて、しかも心もことに深くてあはれなる、有難く出来がたき方も共に相兼ねて見ゆ。生得の歌人と覚ゆ。これによりておぼろげの人のまねびなんどすべき歌にあらず、不可説の上手なり」(『後鳥羽院御口伝』)。

「和歌はうるはしく詠むべきなり。古今集の風体を本として詠むべし。中にも雑の部を常に見るべし。但し古今にも受けられぬ体の歌少々あり。古今の歌なればとてその体をば詠ずべからず。心にも付けて優におぼえん其の風体の風理を詠むべし」
「大方は、歌は数寄の深(ふかき)なり。心のすきて詠むべきなり」(「深」を「源」とする本もある)
「和歌はつねに心澄むゆゑに悪念なくて、後世(ごせ)を思ふもその心をすすむるなり」(『西行上人談抄』)。
 
「西行法師常に来りて物語して云はく、『我歌を詠むは、遥かに尋常に異なり。花・ほととぎす・月・雪、すべて万物の興に向ひても、凡そ所有相皆是虚妄なること、眼に遮り耳に満てり。又詠み出すところの言句は、皆是真言にあらずや。花を詠めども実(げ)に花と思ふことなく、月を詠ずれども実に月と思はず。只此の如くして縁に随ひ興に随ひ詠み置くところなり。(中略)此の歌即ち是如来の真の形体なり。されば一首詠み出でては一体の仏像を造る思ひをなし、一句を思ひ続けては秘密の真言を唱ふるに同じ。我此の歌によりて法を得ることあり。もしここに至らずして妄(みだ)りに人此の道を学ばば、邪路に入るべし』と云々」(『明恵上人伝記』)。

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以下には『山家集』を中心に西行の歌百首を抄出した。歌本文は主として和歌文学大系21『山家集/聞書集/残集』を参考にし、岩波文庫『山家集』、『西行全集』(久保田淳編)、新編国歌大観など各種の刊行本を参照した。
歌の末尾の括弧内に新編国歌大観番号を記した。出典歌集名を示していない歌は全て『山家集』から採ったものである。山家集から採った歌で勅撰集にも入集している歌の場合、勅撰集名と新編国歌大観番号を[]内に示した。

  19首  5首  15首  6首  17首  25首 聞書集より 13首 計100首

春立つ日よみける

なにとなく春になりぬと聞く日より心にかかるみ吉野の山(1062)

【通釈】春になったと聞いた日から、なんとなく、心にかかる吉野山である。

【語釈】◇み吉野の山 「み吉野」は吉野の美称。大和国の歌枕。奈良県の吉野地方の山々。桜の名所。

【補記】『山家心中集』では巻頭歌。当時の和歌の常識からすると、立春の日に心を寄せるべき風物は梅や鶯。ところが西行は既に吉野の桜に思いを馳せているのである。『西行法師家集』の吉野を詠んだ歌群の中には「春ごとに花のさかりに逢ひ来つつ思ひ出おほき我が身なりけり」(一本初句「春をへて」)という歌があり、西行が毎春のように吉野を訪れていたことが知られる。

【他出】山家心中集、西行家集

題しらず

岩間とぢし氷も今朝はとけそめて苔の下水みちもとむらん(新古7)

【通釈】岩と岩の間を閉ざしていた氷も、立春の今朝は解け始めて、苔の生えた下を流れる水が通り道を探し求めていることだろう。

【語釈】◇苔の下水 苔に隠れるように岩肌を流れる水。冬の間、氷によって道を塞がれていた水である。西行以前に用例の見えない表現で、この歌以後しばしば和歌に用いられるようになった。

【補記】春になって氷の解け始める谷川や清水を想像するのは早春歌における古今集以来の伝統的趣向(【参考歌】)。掲出歌は「苔の下水」という幽かな上にも幽かな水流に焦点をあて、細やかに感覚をはたらかせつつ、水が「道を求む」と言って、自然に意志があると見なし、力動感ある春の始まりの時を描き出した。『山家集』には見えず、おそらく晩年の作。

【他出】御裳濯河歌合、西行家集、玄玉集、定家十体(面白様)、御裳濯和歌集、西行物語

【参考歌】紀貫之「古今集」
袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つ今日の風やとくらむ

【主な派生歌】
いかにして氷りとぢたる柴の戸にもりくる春の苔の下水(俊成女)
山かげの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも(*良寛)

春歌とて

ふりつみし高嶺のみ雪とけにけり清滝川の水の白波(新古27)

【通釈】冬の間に降り積もった高嶺の雪が解けたのであるよ。清滝川の水嵩が増して白波が立っている。

清滝
清滝川 京都市右京区

【語釈】◇み雪 「み」は慣習的に雪に付けた接頭辞であろう。但し深雪とも解される。◇清滝川 京都愛宕山麓より保津川に注ぐ。月と紅葉の名所。

【補記】「清らかな急流」という意味の名をもつ歌枕「清滝川」を効果的に用いて、美しくも力強い早春の自然を謳い上げている。これも『山家集』には見えない歌。

【他出】御裳濯河歌合、西行家集、玄玉集、定家八代抄、御裳濯和歌集、時代不同歌合、歌枕名寄、西行物語、六華集

【参考歌】赤染衛門「赤染衛門集」「玉葉集」
消えはてぬ雪かとぞみる谷川の岩間をわくる水のしら波

【主な派生歌】
み吉野は草のはつかに浅緑たかねのみ雪いまや消ゆらむ(九条良経)
水上の高嶺の雪も今日とけて清滝川に春風ぞ吹く(千種有功)

題しらず

すぎてゆく羽風なつかし鶯よなづさひけりな梅の立枝に(994)

【通釈】飛び過ぎてゆく羽風が香って慕わしい。鶯よ、馴れ睦んでいたのだな、梅の咲く立ち枝に。

【語釈】◇羽風(はかぜ) 鳥が羽ばたく時に起こす風。◇なづさひけりな 「なづさふ」は「馴れてまつわりつく」「じゃれつく」といった意。◇梅の立枝(たちえ) 空に向かって伸びた梅の枝。「たち」には「花の香りがたつ」意が掛かる。

【補記】春の歌であるが、『山家集』『山家心中集』は題詞を欠いた歌として雑の部に収めている。『西行法師家集』では「初春」の歌群に含める。第三句は「鶯の」「鶯に」などとする本もある。上の本文は『山家心中集』より採った。

【他出】山家心中集、西行家集

【参考歌】素性法師「古今集」
木づたへばおのが羽風にちる花をたれにおほせてここら鳴くらむ

題しらず

吉野山さくらが枝に雪ちりて花おそげなる年にもあるかな(新古79)

【通釈】吉野山では桜の枝に雪が舞い散って、今年は花が遅れそうな年であるよ。

吉野 西行庵
吉野山の西行庵

【補記】そろそろ花の兆しも見えるかと眺める桜の枝に、花ならぬ雪がちらつく――実景を眺めての心境として詠まれており、今年の花は遅いのかと気を揉むのは、吉野山中に庵を結ぶ孤独な隠者なればこそ。深い真実味の籠った歌いぶりで、西行の独擅場とも言うべき歌境。『山家集』にも二種の自歌合にも見えず、最晩年の作か。『西行法師家集』では「花」と題した歌群にある。

【他出】西行家集、自讃歌、御裳濯和歌集、歌枕名寄、西行物語

花の歌あまたよみけるに(七首)

おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲(64)[千載69]

【通釈】世はあまねく花の盛りになったのだ。どの山の端を見ても、白雲が掛かっている。

【補記】山桜を白雲になぞらえる旧来の趣向を用い、満目の花盛りの景をおおらかに謳い上げた。藤原俊成は西行より依頼された『御裳濯河歌合』の判詞に「うるはしく、丈高く見ゆ」と賞賛し、勝を付けている。

【他出】治承三十六人歌合、御裳濯河歌合、山家心中集、西行家集、定家八代抄、詠歌大概、御裳濯和歌集、詠歌一体、三百六十首和歌、井蛙抄、六華集、東野州聞書

【主な派生歌】
白雲とまがふ桜にさそはれて心ぞかかる山の端ごとに(藤原定家)
この頃は山の端ごとにゐる雲のたえぬや花のさかりなるらん(洞院公賢)

 

吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき(66)[続後拾遺101]

【通釈】吉野山の梢の花を見た日からというもの、私の心はいつも身体から離れているようになってしまった。

【補記】花へと憧れ出たまま、体に居付かなくなってしまった心。西行は花の歌によって「我が心」「我が身」を見つめ続け、またその二つの関わり方を注視し続けて飽きなかった。『山家集』に「花の歌あまたよみけるに」の詞書のもと二十七首の歌(陽明文庫本では二十五首)を集めている、そのうちの第七首。

【他出】山家心中集、西行家集、玄玉集

 

あくがるる心はさてもやま桜ちりなむのちや身にかへるべき(67)[新後撰91]

【通釈】花にあこがれ、さまよい出る心はそれとして留めることができないとしても、山桜が散ったあとには、私の身体に戻って来るものだろうか。

【語釈】◇やま桜 「やまず」を掛ける。

【補記】「花の歌あまたよみけるに」の第八首。

【他出】山家心中集、西行家集

 

花見ればそのいはれとはなけれども心のうちぞ苦しかりける(68)

【通釈】桜の花を見ると、これと言った理由とては無いのだけれども、心の中が苦しいのであった。

【語釈】◇そのいはれ 取り立ててそれと指せるような理由。しかるべき理由。

【補記】「花の歌あまたよみけるに」の第九首。

【他出】夫木和歌抄、了俊日記

 

花にむ心のいかでのこりけむ捨て果ててきと思ふわが身に(76)[千載1066]

【通釈】花に染まるほど執する心がどうして残ったのだろうか。現世に執着する心はすっかり捨て切ったと思っている我が身なのに。

【語釈】◇花に染(そ) 「そむ」は「染(し)む」の母音交替形。染まる、色がつくの意。

【補記】桜の花を眺める時、西行はしばしば「心」と「身」をめぐる省察に誘われた。

【他出】治承三十六人歌合、月詣集、山家心中集、御裳濯河歌合、西行家集、御裳濯和歌集、井蛙抄

 

願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ(77)[続古今1527]

【通釈】願わくば、桜の花の咲く下で、春に死のう。釈迦入滅のその時節、二月の満月の頃に。

【語釈】◇願はくは 願うところは。望むところは。◇その如月の… 「その」は「如月の望月の頃」がほかならぬ釈迦入滅の時節であることを示す。釈迦入滅の日は二月十五日と伝わる。

【補記】いつの作とも知れない。『西行物語』などは晩年東山の双林寺に庵していた時の作とする。いずれにせよ「春死なむ」の願望が現実と化したことで、この歌は西行の生涯を象徴するかの如き一首となった。因みに西行の入寂は文治六年(1190)二月十六日。我が国の陰暦二月中旬は恰も桜の盛りの季節であり、しかも十六日がまさに満月に当たった(藤原定家『拾遺愚草』)。西行往生の報を聞いた都の歌人たちは、この歌を思い合わせて一層感動を深めたのだった。なお第二句は「花のもとにて」で流布し、『古今著聞集』『西行物語』などでもこの形で伝わるが、「花のしたにて」が正しいようである。

【他出】御裳濯河歌合、山家心中集、西行家集、古今著聞集、西行物語、六華集、兼載雑談

【主な派生歌】
跡しめて見ぬ世の春を偲ぶかなそのきさらぎの花の下かげ(*頓阿)
昔とぞ又しのばるる跡とひしその二月の春の面影(〃)
うぐひすの霞にむせぶ声すなりそのきさらぎの望の夕暮(*福田行誡)

 

仏には桜の花をたてまつれ我がのちの世を人とぶらはば(78)[千載1067]

【通釈】仏には桜の花をお供えせよ。私が成仏した後の冥福を、人が祈ってくれるならば。

【補記】初句の「仏」は自身が死して化した仏。因みに西行の帰依した真言宗は即身成仏(人間が現身のままで悟りを開き仏になること)を修行の目的とする。

【他出】山家心中集、西行家集、定家八代抄、西行物語、六華集

【参考歌】遍昭「後撰集」
折りつればたぶさにけがる立てながら三世(みよ)の仏に花たてまつる

花歌とてよみ侍りける

吉野山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたの花をたづねむ(新古86)

【通釈】吉野山――ここで去年枝折(しおり)をして目印をつけておいた道とは道を変えて、まだ見ない方面の花をたずね入ろう。

【語釈】◇しをり 枝折。枝を折って道順の目印としたもの。

【補記】桜の森が深く続く吉野山の花見、その肝所をおさえた歌。『山家集』には見えない。

【他出】御裳濯河歌合、西行家集、聞書集、玄玉集、定家八代抄、御裳濯和歌集、歌枕名寄、西行物語

【主な派生歌】
心のみわけこむ花の都には去年のしをりのかひやなからむ(下冷泉政為)

題しらず

空はるる雲なりけりな吉野山花もてわたる風と見たれば(987)

【通釈】空が晴れてゆく時の雲であったのだ。吉野山を、桜の花を含んで渡る風と見ていたら――。

【補記】吉野の山々を通り過ぎてゆく白いものを、風が運ぶ桜の花と眺めたのであるが、実は白雲であったと気づいたのである。雲がすっかり晴れたあとには、まだ散っていない桜の山々が現れたことだろう。花を雲に見立てる旧来の趣向を反転して鮮やか。『山家集』も『山家心中集』も題詞を欠いた歌として雑の部に収めている。

【他出】山家心中集、万代集

落花の歌あまたよみけるに(五首)

いかで我この世のほかの思ひいでに風をいとはで花をながめむ(108)

【通釈】どうすればよいのか、私は――来世へ持ってゆく思い出として、せめて一度くらい風の心配をせずに心ゆくまで桜の花を眺めたい。

【通釈】◇この世のほか この世以外の世。あの世。

【補記】西行には珍しく本歌取りと言える技法を用いている。和泉式部が恋の思い出を「この世のほか」へ持って行きたいと言ったのに対し、西行は桜を心ゆくまで眺めた思い出をこそ冥途の土産にしたいと言うのである。なお初句を「いかでかは」とする本もある。

【本歌】和泉式部「後拾遺集」
あらざらむこの世のほかの思ひいでに今ひとたびの逢ふこともがな

 

もろともに我をも具して散りね花うき世をいとふ心ある身ぞ(118)

【通釈】散るのなら、いっそ一緒に私も連れて散ってしまえ、花よ。汚れたこの世を厭う心をもつ身であるぞ。

【語釈】◇具(ぐ)して 連れて。一緒にして。◇散りね 散ってしまえ。「ね」は完了の助動詞「ぬ」の命令形。

【補記】落花を見て、日頃の厭離穢土の思いが一挙に溢れ出たといった趣き。

【他出】山家心中集、西行家集、夫木和歌抄

 

思へただ花のちりなむのもとをなにを蔭にて我が身すぐさむ(119)

【通釈】よくよく思ってもみよ。花の散ってしまった木の下蔭を。そのとき何を頼みとして私は日々を過ごそう。

【語釈】◇思へただ (花の散った木の下蔭のことを、そしてその時自分がどう過ごせばよいかを)ひたすら考えてみよ。自己に対する呼びかけ。◇なにを蔭にて 「蔭」は木蔭の意に「恩恵、庇護」といった意がかぶさる。

【補記】本文は『山家心中集』(『西行全集』所載、伝冷泉為相筆本)より採った。『山家集』(陽明文庫本)では第三句「このもとに」、第五句「我身すみなん」。

【他出】山家心中集、西行家集

【参考歌】花山院「金葉集」
このもとをすみかとすればおのづから花見る人になりぬべきかな

 

ながむとて花にもいたくなれぬれば散る別れこそ悲しかりけれ(120)[新古126]

【通釈】じっと見つめては物思いに耽るとて、花にもひどく馴染んでしまったので、散る時の別れが一層悲しいのだった。

【補記】「眺む」「馴れ」「別れ」と恋歌に頻用された語彙を用いて、なまじ馴染んだゆえに一層悲しい花との別れを詠む。

【他出】山家心中集、西行家集、自讃歌、定家十体(幽玄様)、定家八代抄、御裳濯和歌集、西行物語

【主な派生歌】
桜花ちるわかれこそ憂きものと思ひなれにし暁の空(藤原範宗)
待ちしより散る別れこそ悲しけれ春も限りの花となごりに(他阿)

 

風さそふ花のゆくへは知らねども惜しむ心は身にとまりけり(134)

【通釈】風が誘って散らす花の行方は知らないけれども、その花を惜しむ心の行方は知っている。それは我が身に帰って来て、ずっと留まっているのだ。

【補記】前掲の「ちりなむのちや身にかへるべき」の疑問はこの歌によって解かれた。『西行法師家集』は初句「風にちる」。

【他出】西行家集

郭公

聞かずともここをせにせむほととぎす山田の原の杉のむら立(残集6)[新古217]

【通釈】たとえ聞こえなくとも、ここを時鳥の声を待つ場所としよう。山田の原の杉林を。

【語釈】◇せにせむ 「せ」は「立つ瀬がない」などと言う時の「せ」と同じで、それをする場所のこと。◇山田の原 伊勢国の歌枕。伊勢神宮の外宮がある。◇杉のむら立(だち) 杉が群をなして立っているところ。

【補記】深閑とした神の森で時鳥を待とうとの決意。俊成は『御裳濯河歌合』の判詞で「山田のはらのといへる、凡俗及びがたきに似たり」と賞賛する。歌枕「山田の原」への思い入れを共有せずして、この歌の深い心は解り難い。『山家集』には見えず、三十余首からなる小家集『残集』に収録。同集には時鳥の歌が八首も収められており、いずれも佳詠である。他に「橘のにほふ梢にさみだれて山ほととぎす声かをるなり」など。

【他出】御裳濯河歌合、西行家集、定家十体(事可然様)、御裳濯和歌集、歌枕名寄、西行物語

【主な派生歌】
夕波の立ちもかへらで涼しさのここを瀬にせむ河づらの里(*祇園百合子)

題しらず

ほととぎす深き峰より出でにけり外山のすそに声のおちくる(新古218)

【通釈】時鳥は深い峰から今出たのだな。私が歩いている外山の山裾に、その声が落ちて来る。

【語釈】◇外山(とやま) 深山(みやま)の反意語で、山地の外側をなし、平地と接している山々。端山。

【補記】深い山中から空へと飛び出して囀る時鳥。遮るもの無く、空の高みから響いて来るその声を聞いた瞬間の印象を鮮やかに捉えた。

【他出】御裳濯河歌合、西行家集、御裳濯和歌集、西行物語

【主な派生歌】
さみだれの雲まの軒の時鳥雨にかはりて声のおちくる(慈円)
雲路までにほひやいづるほととぎす花橘に声のおちくる(藤原家隆)
五月闇おぼつかなきに郭公ふかき峰より鳴きていづなり(源実朝)
初雁のつばさにかかる白雲の深き峰より出づる月かげ(藤原秀能)

【鑑賞】「左歌、郭公深山のみねより出でてと山のすそにこゑのおちくらん程、今まさしく聞く心ちしてめづらしくみゆ、左勝と申し侍らん」(『御裳濯河歌合』俊成判詞)。

行路夏といふ事を

雲雀あがる大野の茅原ちはら夏くればすずむ木陰をねがひてぞ行く(238)

【通釈】春には雲雀が空高く翔けて鳴く大野の茅原――夏が来たので、涼む木蔭を願いながらさまよい歩くのである。

【語釈】◇大野 大きく広がる野。◇茅原 萱原。茅萱(ちがや)の生い茂る原。

【補記】揚げ雲雀を聞きながら歩いたのどかな春の記憶と対比して、夏の野をゆく旅の辛さを歌う。『山家集』以外には見えない。

題しらず(二首)

道の辺に清水ながるる柳蔭しばしとてこそ立ちとまりつれ(新古262)

【通釈】道のほとりに清水が流れる柳の木蔭――ほんのしばらくのつもりで立ち止まったのだった。

【補記】厳しい夏の旅路における安らぎのひととき。係助詞「こそ」によって「しばしとて」を強め、「しかし結局長居してしまった」との余情を含ませている。『山家集』には見えない歌。初句を「道の辺の」とする本もある。

【他出】西行家集、玄玉集、定家八代抄、詠歌大概、御裳濯和歌集、西行物語、兼載雑談

【主な派生詩歌】
すずしさもここにはしかじ稲筵しみづながるる山の岩が根(伏見院)
あふ坂や春にぞあくる柳陰し水ながるる関の岩かど(正徹)
田一枚植ゑて立ち去る柳かな(松尾芭蕉)

 

よられつる野もせの草のかげろひて涼しくくもる夕立の空(新古263)

【通釈】もつれ合った野一面の草がふと陰って、見れば涼しげに曇っている夕立の空よ。

【語釈】◇よられつる 縒られつる。夕立の風によって草の葉が乱れ絡み合ったさま。後世の歌人は夏の日射しによって捻じ曲がった草と誤解し(派生歌参照)、昨今の諸注釈書も同じ誤解を受け継いでいる。一例として、岩波新古典大系の『新古今和歌集』では「今までねじれ細くなっていた」と解する。◇野もせの草 野一面を満たした草。「野もせ」は元来「野も狭(せ)に」と用いられた連語。◇夕立 夕方、強い風が立つこと。この風の後に俄雨が降ることが多いため、やがて夕方の俄雨を夕立と言うようになった。

【補記】夕立の雨に先立って強い風が吹く(「夕立の雨より先におとづれて柴の網戸を風たたくなり」藤原公重、風情集)。草を乱したのはその風であり、その風が運んで来た巨大な雲によって野原一面が陰ったのである。白雨が降り出す直前の景を大きく捉えている。西行晩年の丈高い自然詠。

【他出】西行家集、定家八代抄、詠歌一体、三五記、愚見抄、耕雲口伝、西行物語

【主な派生歌】
夏の日を誰がすむ里にいとふらむ涼しくくもる夕立の空(藤原家隆)
よられつる草もすずしき色に見えてうれしがほなるむら雨の庭(正親町公蔭)
よられつる千種百草葉をのべて名残すずしき野辺の夕立(上冷泉為広)
水無月のてる日にいたくよられつる草葉も今や野べの夕風(松永貞徳)

題しらず

あはれいかに草葉の露のこぼるらむ秋風立ちぬ宮城野の原(新古300)

【通釈】ああ、どれほど草葉の露がこぼれているだろうか。秋風が吹き始めた。宮城野の原では今頃――。

【語釈】◇宮城野(みやぎの) 陸奥国の歌枕。宮木野とも。今の仙台市あたりに広がっていた野。古今集の読人不知歌「宮木野のもとあらの小萩露をおもみ風を待つごと君をこそ待て」により、萩の名所とされた。露の多い土地とされたのは、同集の東歌「みさぶらひみかさと申せ宮木野の木(こ)の下露は雨にまされり」に由来する。

【補記】立秋の頃、かつて旅した陸奥の歌枕を遥かに思い遣る。俊成は『御裳濯河歌合』の判詞で「宮木野の原思ひやれる心、猶をかしく聞こゆ」と評し勝を付けた。なお『西行法師家集』の詞書は「秋風」。

【他出】御裳濯河歌合、西行家集、玄玉集、自讃歌、定家十体(事可然様)、定家八代抄、詠歌大概、近代秀歌、御裳濯和歌集、八代集秀逸、歌枕名寄、西行物語

七夕

いそぎおきて庭の小草こぐさの露踏まむやさしきかずに人や思ふと(258)

【通釈】七夕の翌朝は急いで起きて、我が家の庭の露に濡れた草を踏んでおこう。私のことを風流を解する者と人が思うかと。

【語釈】◇いそぎおきて 「おき」は「置き」の意が掛かり、露の縁語。◇小草(こぐさ) 小さな草。丈の低い草。◇やさしきかず 風流な人の数のうち。この「やさし」は「優雅な」「心憎い」程の意。

【補記】牽牛・織女が一夜を共にした翌朝であるから、自分も後朝(きぬぎぬ)を擬装して庭の朝露を踏んだ跡を付けておこうというのである。それを見た人は、自分を風流びとの仲間に数えてくれるだろうから。西行の歌としてほとんど注目されることはないが、作者のいたずらっぽさが出た愛すべき佳品。

【他出】夫木和歌抄

【参考歌】作者未詳「敦忠集」
白露のいそぎおきつる朝顔の見つともゆめよ人にかたるな

題しらず

雲かかる遠山畑とほやまばたの秋されば思ひやるだにかなしきものを(新古1562)

【通釈】雲がかかっている、遠くの山の畑を眺めると、そこに暮らしている人の心が思いやられるが、ましてや秋になれば、いかばかり寂しいことだろう――思いを馳せるだけでも切なくてならないよ。

【語釈】◇かなしきものを 悲しくてならないことよ。「ものを」は詠嘆の終助詞。

【補記】「雲かかる遠山畑」とは、山の民か遁世者が細々と耕している畑であろう。そのありさまを、秋色深まる風景の中に遠望して、住む人の寂しさはどれ程かと思いやっている。新古今集では雑部に収めるが、『西行法師家集』では秋の部にあり、題「雑秋」。

【他出】西行家集、定家八代抄

【主な派生歌】
あはれなる遠山畑の庵かな柴の煙のたつにつけても(順徳院[玉葉])
雲かかる遠山畑と人のいふさびしき額(ぬか)に花の種子播く(前登志夫)

露を

おほかたの露にはなにのなるならむ袂におくは涙なりけり(294)[千載267]

【通釈】野原一面に置いた大方の露には何がなるのだろうか。私の袂に置いている露は、私の涙がなったものである。一つ一つの草葉の悲しみが露になったのだろうか。

【語釈】◇おほかたの 普通の。一般の。大部分の。袖に置いた《私の涙》に対し、野原いちめんの露をおしなべて「おほかたの露」と言った。

【補記】涙の理由は秋という季節のもたらす悲しみである。万物が衰えを見せる秋、草木も悲しみを感じ、それが露となってあらわれている。その点、自分の「袂におく涙」と変わりはない。伏見院の秀歌「われもかなし草木も心いたむらし秋風ふれて露くだるころ」(玉葉集)は西行のこの歌に触発されたものに違いない。

【補記2】『御裳濯河歌合』では「心なき身にも哀はしられけり鴫たつ沢の秋の夕ぐれ」と合わされ、俊成は「露にはなにのといへる、詞あさきににて心ことにふかし」と評して勝を付けた。

【他出】山家心中集、御裳濯河歌合、西行家集、御裳濯和歌集

【本歌】藤原忠国「後撰集」
我ならぬ草葉もものは思ひけり袖より外における白露

播磨潟はりまがたなだのみ沖に漕ぎ出でてあたり思はぬ月をながめむ(311)

【通釈】播磨潟の灘の沖に舟で漕ぎ出て、周囲を気にする必要のない月を心ゆくまで眺めよう。

【語釈】◇播磨潟 播磨国(兵庫県南西部)の遠浅の海。◇なだのみ沖 播磨灘の沖を言うのであろう。播磨灘は兵庫県の南、淡路島と小豆島に挟まれた、瀬戸内海東部の海域。

【補記】山などによって視界を遮られることがなく、また人目を気にする必要もない沖合の海で、月を独り占めにして眺めたいとの願望。それは囚われのない自由な境地への憧れでもあろう。

【他出】山家心中集、西行家集、夫木和歌抄

八月十五夜

うちつけにまた来む秋の今宵まで月ゆゑ惜しくなる命かな(333)

【通釈】再び巡り来る中秋明月の今宵まではと、ふと月ゆえに惜しくなるわが命であるよ。

【語釈】◇うちつけに 唐突に。だしぬけに。「惜しくなる」に掛かる。

【補記】『山家集』の同題七首のうち。『西行法師家集』では「月」と題した二十八首の歌群のうち。

【他出】山家心中集、西行家集

【主な派生歌】
花ゆゑに春はうき世ぞ惜しまるる同じ山ぢに踏み迷へども(藤原定家)
いとふべきおなじ山路にわけきても花ゆゑをしくなるこの世かな(藤原良経)

月歌あまた詠みけるに(五首)

月を見て心浮かれしいにしへの秋にもさらにめぐり逢ひぬる(349)[新古1532]

【通釈】月を見て心が浮かれた昔の秋に、再び巡り逢ってしまったことよ。

【補記】『山家集』に「月歌あまた詠みけるに」の詞書でまとめた四十二首の大歌群があり、「荒れわたる草の庵に漏る月を袖にうつしてながめつるかな」など、山の草庵にあって眺める月の風情を尽くしている。掲出歌はその第十三首。不変の月の光に在俗時の昔を思い出しての感懐。

【他出】山家心中集、西行家集、定家八代抄、御裳濯和歌集、西行物語

 

なにごとも変はりのみゆく世の中におなじかげにてすめる月かな(350)[続拾遺595]

【通釈】何事も全て変わってばかりゆく世の中にあって、太古から同じ光のままに澄み輝く月であるよ。

【補記】「なにごとも変はりのみゆく世の中」とは、つまりは無常の世ということであるが、保元の乱から源平合戦へ、兵乱のうちつづく激動の世に対する思いも籠められているか。保元の乱後、落飾した崇徳院のもとに参上した時、西行は「かかる世に影も変はらず澄む月を見る我が身さへ恨めしきかな」と詠み(山家集)、大事件のさ中にも月の美しさに魅せられる我が身を歎いた。

【他出】山家心中集

【参考歌】藤原高光「拾遺集」
かくばかり経がたく見ゆる世の中にうらやましくもすめる月かな
  道命「詞花集」
なにごとも変はりゆくめる世の中に昔ながらの橋柱かな
  明快「詞花集」
ありしにもあらずなりゆく世の中に変はらぬものは秋の夜の月

【主な派生歌】
月もなほおなじかげにてすむものをいかにかはれる我が世なるらむ(宗尊親王)

 

夜もすがら月こそ袖にやどりけれ昔の秋を思ひ出づれば(351)[新古1533]

【通釈】一晩中、月ばかりが涙に濡れた袖に宿っていた。昔の秋を思い出していたので。

【補記】これも在俗時の秋に見た月の回想であろう。

【他出】山家心中集、西行家集、定家八代抄

 

ゆくへなく月に心のすみすみて果てはいかにかならむとすらむ(353)

【通釈】あてどもなく、月を見ているうちに心が澄みに澄んで、ついには私の心はどうなってしまうというのだろう。

【補記】思いのたけを奔放に詠んで、西行の魅力の一面が存分に発揮された一首。

【他出】山家心中集、西行家集

【参考歌】よみ人しらず「拾遺集」
世の中をかく言ひ言ひの果て果てはいかにやいかにならむとすらむ
  和泉式部「和泉式部集」
とてもかくかくてもよそに嘆く身の果てはいかがはならむとすらむ

雁声遠近

白雲をつばさにかけてゆく雁の門田のおもの友したふなり(422)[新古502]

【通釈】白雲を翼に触れ合わせて飛んでゆく雁が鳴いているのは、門田に残る友を慕っているのだ。

【語釈】◇つばさにかけて 古今集の歌(【参考歌】)に拠る表現で、翼に雲を触れ合わせ、交じえるように飛ぶさま。◇友したふなり 友を慕って鳴いている。「なり」は聴覚によって判断していることを示す助動詞。

【補記】『山家集』の題「雁声遠近」とは、空の雁と地上の雁が鳴き交わすことであるが、掲出歌では空の雁の声のみを言って、地上の雁の声を略している。『西行法師家集』の詞書は「遠近に雁を聞くといふことを」、新古今集は「題しらず」。

【他出】山家心中集、西行家集、宮河歌合、定家八代抄、詠歌大概、御裳濯和歌集、西行物語

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
白雲に羽うちかはし飛ぶ雁の数さへ見ゆる秋のよの月

秋、ものへまかりける道にて

心なき身にもあはれは知られけりしぎたつ沢の秋の夕暮(470)[新古362]

【通釈】心なき我が身にも、哀れ深い趣は知られるのだった。鴫が飛び立つ沢の秋の夕暮――。

シギ(オオソリハシシギ) 具満タン
鴫(オオソリハシシギ)

【語釈】◇心なき身 種々の解釈があるが、「物の情趣を解さない身」「煩悩を去った無心の身」の二通りの解釈に大別できよう。前者と解すれば出家の身にかかわりなく謙辞の意が強くなる。下に掲げた【鑑賞】は、後者の解に立った中世歌学者による評釈である。◇鴫たつ沢 鴫が飛び立つ沢。鴫はチドリ目シギ科に分類される鳥。多種あるが、多くは秋に渡来し、沼沢や海浜などに棲む。非繁殖期には単独で行動することが多く、掲出歌の「鴫」も唯一羽である。飛び立つ時にあげる鳴き声や羽音は趣深いものとされた。例、「暁になりにけらしな我が門のかり田の鴫も鳴きて立つなり」(堀河百首、隆源)、「をしねほす伏見のくろにたつ鴫の羽音さびしき朝霜の空」(後鳥羽院)。

【補記】秋の夕暮の沢、その静寂を一瞬破って飛び立つ鴫。『西行物語』では東国旅行の際、相模国で詠まれた歌としているが、制作年も精しい制作事情なども不明である。『御裳濯河歌合』で前掲の「おほかたの露にはなにの」と合わされ、判者俊成は「鴫立つ沢のといへる、心幽玄にすがたおよびがたし」と賞賛しつつも負を付けた。また俊成は千載集にこの歌を採らず、そのことを人づてに聞いた西行はいたく失望したという(『今物語』)。『西行法師家集』は題「鴫」、新古今集は「題しらず」。

【他出】御裳濯河歌合、山家心中集、西行家集、御裳濯和歌集、今物語、井蛙抄、西行物語

【鑑賞】「心無き身とは世を遁れて六賊(注:色・声・香・味・触・法の六境)を捨てて、無住無心になりぬれば、悲しきとも、面白しとも、嬉しきとも思はず、されども秋の夕を過ぎ行くに、道の辺の沢田に鴫の鳴きたちたる夕暮の哀れさは、心なき身にも骨髄に透りて耐へ難く悲しき事、詞には言はれずと云ふ事を、言ひさして、鴫立つ沢の秋の夕暮は、遣る方無きものかなと終りたる歌也。猶深き心言ひ果てぬ歌なり。是は、境に至るほど吟味深かるべし。位ほど(注:読者の品位・力量に従って)面白くも哀れにもなる歌なり」(東常縁『新古今和歌集聞書』)。

【参考歌】能因「後拾遺集」
心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春のけしきを
  藤原季通「久安百首」「千載集」
心なきわが身なれども津の国の難波の春にたへずもあるかな

【主な派生歌】
夕まぐれ鴫たつ沢の忘れ水思ひ出づとも袖はぬれなむ(*慈円[続古今])
いまははや鴫たつ沢のかげも見ずこほりにむかふ冬の夜の月(冷泉為尹)
あはれをばただ夕暮におもひしを鴫たつ沢の有明の月(〃)
ふかくなる鴫たつ沢の秋の水すみのえよりやながれそふらむ(木下長嘯子)

題しらず

きりぎりす夜寒に秋のなるままに弱るか声の遠ざかりゆく(新古472)

【通釈】蟋蟀は秋が深まり夜寒になるにつれて衰弱するのか、鳴き声が遠ざかってゆく。

【語釈】◇きりぎりす コオロギの古称(今言うキリギリスは昔は機織(はたおり)と呼ばれた)。秋の夜、翅をこすり合わせるようにして鳴く。鳴き声は種によって様々であるが、ツヅレサセコオロギはリーリーリー、エンマコオロギはコロコロ、コロコロリーン、カマドコオロギはキリキリキリまたはチリチリチリと聞きなされる。

【補記】『詩経』の国風「七月」(→資料編)に「七月野に在り、八月宇(のき)に在り、九月戸に在り、十月蟋蟀我が牀下に入る」とあるように、秋が深まるにつれて蟋蟀は家に近づいて来るが、晩秋ともなれば生命力が衰え、鳴き声は次第に弱まり幽かになる。虫は人に身を寄せて来るのに、その声は「遠ざかりゆく」と聞いているところに、ひとしおの哀れがある。『山家集』には見えない歌で、晩年の作か。『西行法師家集』の詞書は「虫」。

【他出】御裳濯河歌合、西行家集、自讃歌、定家十体(幽玄様)、和歌口伝抄、西行物語

秋のすゑに法輪にこもりてよめる

山里は秋のすゑにぞ思ひしる悲しかりけり木がらしの風(487)[新勅撰338]

【通釈】山里にあっては、秋の末にこそ思い知るのである。木枯しの風が悲しいものであったと。

【補記】嵯峨野の法輪寺に参籠していた時の歌。同じ時の歌から、小倉山の麓に庵を結んでいたことが知れる(「我が物と秋の梢を思ふかな小倉の里に家居せしより」)。「山里は冬ぞさびしさまさりける」と詠んだ宗于詠に対し、凩が葉を散らす晩秋にこそ悲しみを思い知るとした。新勅撰集では「題しらず」、『西行法師家集』では「秋の歌どもよみ侍りしに」。

【他出】山家心中集、西行家集、西行物語

【参考歌】源宗于「古今集」
山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば

人々秋歌十首よみけるに

なにとかく心をさへは尽くすらむ我がなげきにて暮るる秋かは(305)

【通釈】どうしてこう心も尽きんばかりに嘆くのだろう。私の嘆き如何(いかん)で暮れる秋だろうか。私がいくら嘆こうが、それと係わりなく暮れてしまう秋ではないか。

【補記】『宮河歌合』では次の「秋篠や外山の里や…」と合わされ、負け。定家の判詞は「心をさへはつくすらむなどいへる言のはのよせありて、殊にとがなく侍れど」云々。「言の葉の寄せ」とは、「尽く」と「暮る」が縁のある語であることを指す。

【他出】山家心中集、西行家集、宮河歌合、御裳濯和歌集、閑月集

【参考歌】源雅定「金葉集」
のこりなく暮れ行く春を惜しむとて心をさへも尽くしつるかな

題しらず

秋篠や外山の里やしぐるらむ伊駒いこまたけに雲のかかれる(新古585)

【通釈】秋篠の外山の里では時雨が降っているのだろうか。生駒の山に雲がかかっている。

【語釈】◇秋篠(あきしの) 秋篠は大和国の歌枕。平城宮の北西。「や」は間投助詞であるが、この場合詠嘆を込めて場所を示す連体助詞的な働きをする。◇外山の里や 外山(とやま)既出。掲出歌では生駒山地の端を外山と言ったものだろう。但し秋篠寺の北西には外山という名の山があり、地名に掛けて言ったものかも知れない。この句の「や」は疑問をあらわす係助詞◇しぐるらむ いま時雨が降っているのだろう。しぐれとは晩秋から初冬にかけて降る断続的な雨。◇伊駒の嶽 生駒山。大和・河内国境。秋篠からは西に眺められる。

【補記】『山家集』には見えない。西行の自歌合『宮河歌合』では「なにとかく心をさへはつくすらむ我がなげきにて暮るる秋かは」と合わされており、西行自身は晩秋の歌としてこの歌を番えたようであるが、新古今集では冬の巻に採られている。「秋篠」の地名に秋が響くので、やはり本来は晩秋の歌と読むべきではないか。大和の澄んだ秋空を眺めわたし、生駒山にかかる一片の雲に、山里をしめやかに濡らす時雨を想っているのである。

【他出】西行家集、宮河歌合、玄玉集、定家八代抄、詠歌大概、近代秀歌、八代集秀逸、時代不同歌合、歌枕名寄、西行物語

【参考歌】「伊勢物語」第二十三段
君があたり見つつを居らむ生駒山雲なかくしそ雨は降るとも

【鑑賞】「いこまのたけの雲をみてと山の里の時雨をおもへる心、猶をかしく聞え侍れば、左勝とや申すべからむ」(『宮河歌合』定家判詞)。

題しらず

津の国の難波の春は夢なれや葦の枯葉に風わたるなり(新古625)

【通釈】古歌にも詠まれた津の国の難波の春は夢であったのだろうか。今や葦の枯葉に風がわたる、その荒涼とした音が聞こえるばかりである。

【語釈】◇津の国 摂津の国。今の大阪府・兵庫県の一部。◇難波(なには) 今の大阪市中心部のあたり。当時は蘆の生えた干潟が広がっていた。

【補記】難波には広大な干潟があり、春になれば海上に霞がたちこめ、蘆原の若葉が萌え出る。古来賞美されたそのような春の景色に対比して、冬の寂しい葦原を眺めての感慨である。『山家集』には見えない歌。『御裳濯河歌合』では「狩り暮れし天の川原と聞くからに昔の波の袖にかかれる」と番われ、俊成は「ともに幽玄の体なり」と評して持(引分け)とした。

【他出】御裳濯河歌合、西行家集、玄玉集、自讃歌、定家十体(有心様)、撰集抄、歌枕名寄、三五記、愚見抄、桐火桶、六華集、耕雲口伝、心敬私語、西行物語

【参考歌】能因「後拾遺集」
心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春のけしきを
  徳大寺実定「新古今集」(先後関係は不明)
朽ちにける長柄の橋を来てみれば葦の枯葉に秋風ぞふく

冬歌よみけるに

さびしさにへたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里(513)[新古627]

【通釈】寂しさに耐えている人が私のほかにもいればよいな。庵を並べて住もう――「寂しさ増さる」と言われる冬の山里で。

【語釈】◇またもあれな ほかにもあればなあ。「な」は詠嘆を添える間投助詞。現代口語でも同じ使い方がされる。

【補記】「さびしさ」を歌いつつも、「またもあれな。庵ならべむ」と三句・四句切れが律動的で、至純の心の明朗さを示すかのようである。出家の身で友を求める西行の歌としては、同じ新古今集に採られた「山里に浮世いとはむ…」があり、もう少し立ち入った心境を詠じている。

【他出】西行家集、西行物語

【本歌】源宗于「古今集」
山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば

みちのくににて、年の暮によめる

つねよりも心ぼそくぞ思ほゆる旅の空にて年の暮れぬる(572)

【通釈】いつもよりも心細く思われるよ。旅の途上で年の暮れを迎えてしまったのは。

【補記】旅先で迎える歳末の寂しさ。この旅は、青年期の最初の陸奥旅行。

【他出】西行物語

東山にて人々年の暮に思ひを述べけるに

年暮れしそのいとなみは忘られてあらぬ様なるいそぎをぞする(574)[玉葉2060]

【通釈】年が暮れた、その時の恒例の行事は忘れてしまって、出家した今は昔と異なるさまの正月の準備をするのだ。

【補記】多忙な歳末という時節にあって、出家以前と以後の変わり様に感慨をおぼえている。おそらく遁世後数年のうちの作か。陽明文庫本『山家集』は初句「年くれて」。

【他出】山家心中集、西行家集、西行物語、題林愚抄

年の暮に、人のもとへつかはしける

おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(576)[新古691]

【通釈】言葉をかけない私を、ひょっとして、慕ってくれる人もあるかと、ためらっているうちに、年が暮れてしまいました。

【語釈】◇おのづから もしかして。ひょっとして。「人やある」にかかる。

【補記】年末に、ある人――友人であろう――に贈った歌。会いに来てほしいと手紙を出したかったのであるが、もしかすると、言わない方が床しく思われるかと迷ううち、機会を逸してしまったというのである。出家者が独り過ごす歳末はことに寂しいものであろう。それを思えば哀れも一層深い、人情の機微に触れた作。

【他出】定家十体(有心様)、定家八代抄、題林愚抄、西行物語

【主な派生歌】
行く春のいはぬをしたふ人やあると色にやいづる山吹の花(藤原家隆)

(六首)

しらざりき雲居のよそに見し月のかげを袂にやどすべしとは(617)[千載875]

【通釈】あの頃はまさか知らなかった。空の遥か彼方に見た月の光を、涙に濡れた我が袂に宿すことになろうとは。遠くから憧れるだけだったあの人の面影を慕い、常に袖を涙で濡らすことになろうとは。

【語釈】◇雲居 雲井とも書く。雲のあるところ、すなわち天空。また雲そのものを指すこともある。比喩的に、手の届かない遥かなところ、宮中など高貴な人の住む場所を言うこともある。

【補記】『山家集』には「月」と題した恋歌の大歌群三十七首があり、多くは風情をめぐらした虚構の題詠と見られる。掲出歌はそのうちの第二首で、月に言寄せた恋の回想歌。「雲ゐのよそに見し月」は遥かに眺めた人、手の届かないはずであった高貴な身分の恋人の比喩。その「かげ」を袂に宿すとは、その人の面影を常に慕い、涙で袖を濡らすこと。記憶の助動詞「き」を二度も用いたところなど異色で、過去を強く呼び起こそうとする心の姿勢を見せている。

【他出】山家心中集、御裳濯河歌合、西行家集、定家八代抄、西行物語

 

弓はりの月にはづれて見しかげのやさしかりしはいつか忘れむ(620)

【通釈】弦月の光から外れて見たあの人の姿の優美だったことは、いつ忘れることがあろうか。

【語釈】◇弓はりの月 弓の弦を張ったような形の月。上弦・下弦の月。◇はづれて 「はづる」は弦が外れると言うことから弓の縁語。

【補記】前歌と同じ歌群の第五首。自撰の秀歌集『山家心中集』では恋部の冒頭に置かれており、西行にとって思い入れの深い作だったか。「月の光に恋人を偲ぶ」という当時の恋の題詠の型を踏むが、前歌同様「見かげの」「やさしかりは」と記憶の助動詞「き」を重ねて用いるなど尋常でなく、空想的な題詠にはあるまじき詠みぶりである。「恋の歌の優に哀れで、しかも真実なのは、やはり彼の恋の事件が真実であったことをいやおうなくわれわれに感じさせる」(風巻景次郎『西行』)。

【他出】山家心中集、西行家集、夫木和歌抄、六華集

 

面影の忘らるまじき別れかな名残を人の月にとどめて(621)[新古1185]

【通釈】いつまでも面影の忘れられそうにない別れであるよ。別れたあとも、あの人がなごりを月の光のうちに留めていて…。

【語釈】◇忘らるまじき 忘れることができそうもない。「まじき」は打消推量の助動詞「まじ」の連体形。◇名残(なごり)を人の月にとどめて 人が、なごりを月の光に留め置いて。「なごり」は去った後にも残っている余韻、気配など。

【補記】新古今集では「題しらず」とするが、後朝(きぬぎぬ)の別れを詠んだ歌群にあり、新古今集の一首としては当然後朝の歌として――すなわち明け方の別れをなごり惜しむ歌として読むべきであろう。ところが『山家集』では「月」と題した恋歌の歌群にあり、「弓はりの…」の次に置かれている。となれば、昔の恋人の面影を月光にいつまでも偲び続ける男の歌としても読めることになる。

【他出】西行家集、定家八代抄、六華集、西行物語

 

あはれとも見る人あらば思はなむ月のおもてにやどす心を(618)[玉葉1484]

【通釈】今私と同じように月を見ている人がいたなら、せめて哀れとでも思ってほしい。月に恋人の面影を偲び続け、その面(おもて)にいつまでも留まっている私の心を。

【語釈】◇あはれとも この「あはれ」は同情・憐憫の心。第二句を飛び越え、第三句の「思はなむ」に掛かる。◇見る人あらば いま月を見ている人がいたならば。

【補記】「見る人あらば」とは、離れ離れの恋人にもこの月を見て欲しいとの思いを婉曲に言ったもの。玉葉集の詞書は「月前恋を」。第三句「思ひなむ」、結句「やどる心は」とする本もある。

【他出】山家心中集

【参考歌】壬生忠岑「古今集」
月かげにわが身をかふる物ならばつれなき人もあはれとや見む

【主な派生歌】
憂へつくす月のおもてにしるしあれな眺めは人のあはれしるべく(正親町公蔭)

 

なげけとて月やはものを思はするかこちがほなる我が涙かな(628)[千載929][百]

【通釈】悲しみ嘆けと、月が物思いをさせるのだろうか。いやそうでなく、物思いの原因はつれない恋人であるのに、月に向かって、かこちがましくこぼれる私の涙であるよ。

【語釈】◇月やはものを思はする 月が物を思わせるのだろうか、いやそうではない。「やは」は反語。◇かこちがほ 相手のせいにして咎めるような顔つき。恨みがましい表情。

【補記】千載集の詞書は「月前恋といへる心をよめる」。『御裳濯河歌合』では「しらざりき…」と番われ、俊成は「両首共に心ふかく姿をかし、よき持とすべし」と評した。

【他出】御裳濯河歌合、西行家集、定家八代抄、詠歌大概、近代秀歌、八代集秀逸、時代不同歌合、六華集、題林愚抄

【主な派生歌】
もよほすもなぐさむもただ心からながむる月をなどかこつらん(藤原定家)
思ひやるそなたの空もしぐるなりかこちがほなる雲の色かな(順徳院)
ともすればかこちがほなる涙かな老となる身は人のとがかは(禅心[続後拾遺])
つらかりし人ならなくに打佗びてかこちがほなる秋の夕ぐれ(木下長嘯子)

 

くまもなき折しも人を思ひ出でて心と月をやつしつるかな(644)[新古1268]

【通釈】隈もなく照っている折しも、恋しい人を思い出して、自分の心からせっかくの明月をみすぼらしくしてしまったよ。

【語釈】◇心と 自分の心から。◇やつしつるかな 「やつす」は「目立たない姿にする」「みすぼらしくする」といった意。涙によって月を曇らせたことを言う。

【補記】新古今集は「題しらず」、『西行法師家集』は「月」。

【他出】西行家集、玄玉集、定家八代抄、近代秀歌、八代集秀逸、六華集、西行物語

寄残花恋

葉隠れに散りとどまれる花のみぞしのびし人に逢ふ心ちする(599)

【通釈】葉隠れに散り残っている桜の花――それだけだ、ひそかに恋い慕っていた人に出逢った心持になれるのは。

【語釈】◇葉隠れに 葉の陰に隠れて。山桜は花とほぼ同時に若葉を出す。◇しのびし人 偲びし人(逢いたいと恋い慕った人)、忍びし人(逢うのを耐え忍んだ人)、両義に取れる。いずれにせよ過去の助動詞「き」を用いているので、すでに終わった恋である。

【補記】残花に寄する恋。「残花」、すなわち立夏を過ぎても散り残っている花を見つけた嬉しさは、思いがけずかつての恋人に逢えたような気分であるという。「花のみぞ」と言うことで、「しのびし人」と現実に逢う望みは絶たれていることが暗示され、余韻は深い。

題しらず

はるかなる岩のはざまに独り居て人目思はで物思はばや(新古1099)

【通釈】人里を遥かに離れた岩の狭間に独り居て、他人の目を気にせず物思いに耽りたいものだ。

【語釈】◇岩のはざま 岩と岩の狭い隙間。◇物思はばや 「物思ふ」は恋について思いわずらうこと。

【補記】「人目」を気にしていることから、恋の思いを詠んでいることが暗示される。恋を遂げたいとか、一目だけでも恋人に逢いたいとか、そんな高望みはしない。せめて独りで物思いに耽りたいという、慎ましくも痛切な願望。『山家集』には見えない歌。『西行法師家集』では「恋歌中に」。

【他出】西行家集、定家八代抄、西行物語

【主な派生歌】
憂きは憂くつらきはつらしとばかりも人目おもはで人を恋ひばや

(六首)

数ならぬ心のとがになし果てじ知らせてこそは身をも恨みめ(653)[新古1100]

【通釈】身分不相応の恋をしたことを、賤しい身である自分の拙い心のあやまちとして諦めはすまい。あの人にこの思いを知らせて、拒まれた上で初めて我が身を恨もうではないか。

【語釈】◇数ならぬ心 物の数にも入らない賤しい身である自分の心。自らを「数ならぬ」と言うことで、恋した相手が高貴な身分であることを示す。

【補記】『山家集』に「恋」と題した歌群五十九首の冒頭。新古今集は「題しらず」。第三句を「なしはてて(で)」とする本もある。

【他出】御裳濯河歌合、西行家集、西行物語

【参考歌】道命「後拾遺集」
思ひあまり言ひいづるほどに数ならぬ身をさへ人に知られぬるかな

 

なにとなくさすがに惜しき命かなありへば人や思ひ知るとて(658)[新古1147]

【通釈】なんとはなしに、やはり惜しい命であるよ。生き永らえていたならば、あの人が私の思いを悟ってくれるかもしれないと。

【語釈】◇ありへば 在り経ば。生きて年を経れば。

【補記】「なにとなく」は西行が非常に好んで用いた句で、『山家集』にはこの句で始まる歌が十三首もある。

【他出】西行家集、西行物語

【参考歌】曾禰好忠「好忠集」
惜しからぬ命こころにかなはずはありへば人に逢瀬ありやと
  相模「相模集」
憂き世ぞと思ひすつれど命こそさすがに惜しきものにはありけれ

【鑑賞】「片恋に、命も棄てようと諦めた時、一脉の未練の起つて、思ひかへさうとする時の心である。『何となく』といひ、『さすがに』と重ねて、その動揺してゐる心の程度を現してゐる。平凡には見えるが、心の真実をいはうとする作意の窺はれる歌である」(窪田空穂『新古今和歌集評釈』)。

 

さまざまに思ひみだるる心をば君がもとにぞつかねあつむる(675)

【通釈】あなたを思っては様々に乱れる心を、結局またあなたのもとに束ねて集めるのです。

【補記】「つかねあつむる」は古今集の歌(下記参考歌)の「束(つか)ね緒(を)」に拠る。

【他出】山家心中集、西行家集

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
あはれてふ言(こと)だになくは何をかは恋の乱れの束ね緒にせむ
(大意:乱れた心をもとの状態に収めるのは、あの人の「いとしい」という言葉しかない。)

 

人は憂し嘆きはつゆもなぐさまずさはこはいかにすべき心ぞ(682)

【通釈】人はつれない。嘆いたところで少しも心は慰まない。それではこれは、どうすればよい我が恋心か。

【補記】「人は憂し」で切れ、「なぐさまず」で再び切れた後、「さはこはいかに」と疊みかけるように歌い継ぐ。切迫する心のリズムを吐き出すかのような、西行歌の魅力がよく出た一首。

【他出】山家心中集、西行家集

【参考歌】恵子女王「義孝集」「新古今集」
よそへつつ見れどつゆだになぐさまずいかにかすべき撫子の花

 

今ぞ知る思ひ出でよとちぎりしは忘れむとての情けなりけり(685)[新古1298]

【通釈】今になって分かった。思い出してと約束を交わしたのは、私を忘れようと思っての、せめてもの情けだったのだ。

【補記】初句を「今日ぞしる」とする本もある。

【他出】山家心中集、西行家集、定家十体(面白様)、愚見抄、六華集、西行物語

 

あはれあはれこの世はよしやさもあらばあれ来む世もかくや苦しかるべき(710)

【通釈】ああ、ああ。現世のことは、ままよ、どうとでもなれ。しかし、来世もこのように苦しいものなのだろうか。

【補記】妄執を抱いて死ねば、生まれ変わってもその妄執は引き継がれると考えられた。現世から来世へ、果てしなく続く恋の苦しみを、切迫した調べで投げ出すように歌っているところが独特の魅力である。『宮河歌合』では千載集に採られた「逢ふと見しその夜の夢のさめであれな長き睡りは憂かるべけれど」と合わされて「持(ぢ)」。定家の評は「両首の歌、心共にふかく、詞及びがたきさまにはみえ侍るを、右、此世とおき、こむ世といへる、偏(ひとへ)に風情を先として、詞をいたはらずは見え侍れど、かやうの難は此歌合に取りては、すべてあるまじき事に侍れば、なずらへて又持とや申すべからん」。

【他出】宮河歌合、山家心中集、西行家集

恋百十首(二首)

逢ふまでの命もがなと思ひしはくやしかりける我が心かな(1269)[新古1155]

【通釈】あの人と逢うまでは命を永らえたいと思ったのは、今にしてみれば浅はかで、悔やまれる我が心であったよ。

【補記】ひとたび逢えば更に逢いたくなり、命は惜しくなる。ゆえに「命に代えてでも逢いたい」と思った昔の日を悔しがっているのである。『山家集』の末尾に増補された恋歌百十首。

【他出】西行家集、六華集、西行物語

【参考歌】藤原敦忠「拾遺集」
逢ひ見てののちの心に比ぶれば昔は物も思はざりけり

 

いとほしやさらに心のをさなびてたまぎれらるる恋もするかな(1320)

【通釈】我ながら不憫なことだ。なお一層心が幼げになって、玉の緒も切れてしまうような恋をすることよ。

【語釈】◇心のをさなびて 心が大人げなくなって。思慮分別を失って。◇魂ぎれらるる 魂が自然と尽きてしまう。「魂ぎる」は『平家物語』などに見え、魂消(たまげ)ると同じく「おどろく」の意で用いられているようであるが、掲出歌では下二段動詞として用いられているので、「魂切る」(魂が切れる、尽きる)の意で用いられたのではないかと思われる。「らるる」は自発の助動詞「らる」の連体形。

【補記】第二句を「さらば心の」とする本もある。

【他出】夫木和歌抄

題しらず

人はで風のけしきの更けぬるにあはれに雁のおとづれて行く(新古1200)

【通釈】待つ人は来ないまま、風もすっかり夜が更けた気色になったところへ、しみじみと哀れな声で雁が鳴いてゆく。

【語釈】◇おとづれて行く 「おとづれ」には「訪ねる」「声をかける」「消息を届ける」などの意がある。

【補記】当時の恋歌としては、男を待つ女の立場で詠んだ歌と見るほかない。『御裳濯川歌合』では「物思へどかからぬ人もあるものをあはれなりける身の契かな」(千載集入撰)と合わされ「心ありてをかしくは聞ゆ」と評されながら負。『山家集』には見えない歌。

【他出】御裳濯河歌合、西行家集、定家十体(面白様)、三五記、西行物語

題しらず(六首)

つくづくと物を思ふにうちそへて折あはれなる鐘の音かな(712)[玉葉2143]

【通釈】つくづくと物思いに耽っていると、哀れを添えるように、折しも悲しい鐘の音が響くことであるよ。

【補記】「つく」「うち」は鐘の縁語。『山家集』雑部冒頭の歌。『西行法師家集』では詞書「述懐の心を」。

【他出】山家心中集、西行家集

【参考歌】和泉式部「和泉式部集」「新古今集」
暮れぬなり幾日をかくて過ぎぬらむ入相の鐘のつくづくとして
  和泉式部「和泉式部集」
つくづくとおつる涙にしづむとも聞けとて鐘のおとづれしかな

 

暁の嵐にたぐふ鐘のおとを心の底にこたへてぞ聞く(938)[千載1149]

【通釈】暁の嵐に紛れて響く鐘の音を、心の奧底で受け止めて聞くのである。

【語釈】◇鐘のおと この鐘は暁鐘、すなわち朝の勤行を知らせる鐘。

【補記】「心の底」は良経や式子内親王、慈円などに用例があるが、いずれもおそらく西行の影響を受けたものと思われる。『西行法師家集』では前歌と同じく詞書「述懐の心を」。『御裳濯河歌合』の俊成の判詞は「殊に甘心す」と絶賛し勝を付ける。

【他出】御裳濯河歌合、西行家集、定家八代抄

 

待たれつる入相の鐘のおとすなり明日もやあらば聞かむとすらむ(939)[新古1808]

【通釈】待たれた入相の鐘の音が聞こえる。明日も生きていたならば、またこうして聞こうというのだろうか。

【補記】「入相の鐘」は日没の頃に寺で撞く鐘。一日の終りを告げる鐘であり、和歌では命の終りを暗示するものとして詠まれることが多い。掲出歌は、日々死を覚悟して待ちつつ、定命に身を委ねた寂静の境地を歌う。『西行法師家集』では前歌と同じく詞書「述懐の心を」。

【他出】山家心中集、西行家集、宮河歌合、定家十体(事可然様)、定家八代抄、西行物語

【参考歌】和泉式部「和泉式部集」「詞花集」
夕暮は物ぞ悲しき鐘のおとを明日も聞くべき身とし知らねば
  源兼昌「永久百首」
有為の世は今日か明日かの鐘の音をあはれいつまで聞かむとすらむ

 

古畑のそはの立つ木にゐる鳩の友よぶ声のすごき夕暮(997)[新古1676]

【通釈】焼き捨てられた古畑の斜面の立木に止まっている鳩が、友を呼ぶ声――その響きが物寂しく聞こえる夕暮よ。

【語釈】◇古畑 焼き畑が古び荒れたところ。「山中の焼き畑は、一度作れば他へ移ってゆく。其故、山の片岨に作りすてる」(折口信夫『日本古代抒情詩集』)。◇そは 岨。「そば」とも。山の切り立った斜面。◇立つ木 立木(たちき)◇すごき 寒々として、あるいは寂しくて、心がぞっとするさま。荒涼としたさま。

【補記】『西行法師家集』では「述懐の心を」と詞書した歌群に含む。

【他出】山家心中集、西行家集、色葉和難集、歌枕名寄、耕雲口伝、題林愚抄、西行物語

【主な派生歌】
夕まぐれ木だかき森にすむ鳩のひとり友よぶ声ぞさびしき(藤原良経[玉葉])

 

はらはらと落つる涙ぞあはれなるたまらずものの悲しかるべし(1032)

【通釈】はらはらと落ちる涙こそは哀れ深いものだ。我慢出来ないほど何かが悲しいのに違いない。

【補記】あたかも時が来ておのずから落ちる木の葉のように自分の涙のことを言っている。「自然と自己の析別(せきべつ)しがたい渾一(こんいつ)、はらはらと落つる涙は、すでに自己のでも自然のでもない。ゆえに、『かなしかるべし』と推量形で歌っているのである」(石田吉貞『隠者の文学』)。

【他出】山家心中集、西行家集

 

吉野山やがて出でじと思ふ身を花ちりなばと人や待つらむ(1036)[新古1619]

【通釈】吉野山に入って、そのまますぐには下山しまいと思う我が身であるのに、花が散ったなら帰って来るだろうと都の人々は待っているのだろうか。

【補記】都の人々にとって花見の名所である吉野は、仏者にとっては修行の場。出家者の述懐歌として『山家集』も新古今集も雑部に収める。『西行法師家集』では春部「花」の歌群に含めている。

【他出】治承三十六人歌合、御裳濯河歌合、山家心中集、西行家集、玄玉集、自讃歌、定家十体(幽玄様)、定家八代抄、御裳濯和歌集、歌枕名寄、愚見抄、桐火桶、井蛙抄、六華集、耕雲口伝、西行物語

【主な派生歌】
誰か知るうき世をすてて柴の戸をやがて出でじと思ふ身ぞとは(慈円)

題しらず

山里にうき世いとはむ友もがな悔しく過ぎし昔かたらむ(新古1659)

【通釈】この山里に、現世の生活を捨てた友がいたなら。虚しく過ぎた、悔やまれる昔の日々を語り合おう。

【補記】『山家集』には見えない歌。『西行法師家集』は詞書「述懐の心を」。

【他出】西行家集、自讃歌、定家十体(面白様)、定家八代抄、撰集抄、三五記、愚見抄、西行物語

【参考歌】惟喬親王「新古今集」
夢かともなにか思はむうき世をばそむかざりけむ程ぞくやしき
  行尊「行尊大僧正集」
わがごとく世をそむくらむ人もがな憂き言の葉に二人かからむ

【主な派生歌】
松風の音せぬ山の奥もがなさびしさ知らでうき世いとはむ(花山院長親)

古木の桜の所々咲きたるを見て

わきて見む老木おいきは花もあはれなり今いくたびか春に逢ふべき(94)[続古今1520]

【通釈】とりわけよく見よう。老木は花もしみじみとした趣がある。この木も私も、あと幾度春に巡り逢うことができるだろう。

【補記】『山家集』も『西行法師家集』も春の部に載せるが、続古今集は老年述懐歌として雑部に載せている。

【他出】西行家集

【参考歌】藤原清輔「清輔集」(先後関係は不明)
身をつめば老木の花ぞあはれなるいまいくとせか春にあふべき

無常

うらうらと死なむずるなと思ひとけば心のやがてさぞとこたふる(1520)

【通釈】よくよく考えて、のどやかに死ぬのが良いなと思い至れば、心がただちにその通りと答えるのだ。

【語釈】◇死なむずるな 死のうよな。「死なむずる」は、「死ぬ」の未然形に助動詞「むず」の連体形が付いたもの。◇思ひとけば 「思ひ解く」は、考えて理解する、考えて答えを出す、などの意。

【補記】「無常十首」のうちの一首。

題しらず

世の中を思へばなべて散る花の我が身をさてもいづちかもせむ(新古1471)

【通釈】世の中というものを思えば、すべては散る花のように滅んでゆく――そのような我が身をさてまあ、どうすればよいのやら。

【語釈】◇散る花の (世の中はなべて)散る花であって、その散る花であるところの(我が身)。◇いづちかもせむ この先どうしようか。「いかにかもせむ」と同じような意であるが、「いづち(何処)」と言ったことで、一所不住の身の上が思い遣られる。

【補記】人の世のはかなさを思い、我が身もまた死を免れないことに改めて思いを馳せた時の感慨である。『山家集』には見えない。

【他出】西行家集、宮河歌合、玄玉集、西行物語

【鑑賞】「左歌、世の中を思へばなべてといへるより、をはりの句の末まで、句ごとに思ひ入れて、作者の心ふかくなやませる所侍れば、いかにも勝ち侍らん」(『宮河歌合』藤原定家判詞)。

【主な派生歌】
人の世は思へばなべてあだし野のよもぎがもとのひとつ白露(藤原良経)
老が世を思へばなべて散ることもひとりのための花とこそ見れ(三条西実隆)

物こころぼそくあはれなりける折しも、きりぎりすのこゑの枕にちかくきこえければ

その折のよもぎがもとの枕にもかくこそ虫のにはむつれめ(775)

【通釈】私が死ぬであろうその折、蓬のもとの草の枕にあっても、このように虫の声には親しく交わろう。

【補記】気が弱っていた時、枕もとに蟋蟀の声を聞いて詠んだ歌。おそらく病気だったのであろう。『西行法師集』の詞書は「きりぎりすの枕近くなき侍りしに」。

【他出】西行家集、西行物語

【参考歌】曾禰好忠「後拾遺集」
なけやなけ蓬が杣のきりぎりす過ぎ行く秋はげにぞかなしき
(『後六々撰』は第二句を「蓬がもとの」。)

世にあらじと思ひ立ちける頃、東山にて人々、霞に寄せておもひを述べけるに

空になる心は春のかすみにて世にあらじとも思ひ立つかな(723)

【通釈】そぞろになる心は、あたかも春の霞であって、現世に留まるまいと思い立つのであるよ。

【補記】出家を決意した頃、京都東山で人々と「霞に寄せて懐ひを述べる」という題で詠んだ歌。「思ひ立つ」の「たつ」は霞の縁語。

【他出】西行物語

述懐の心をよみける

世をいとふ名をだにもさはとどめおきて数ならぬ身の思ひでにせむ(724)[新古1828]

【通釈】世を厭い捨てたという評判だけでも、そのままこの世に残しておいて、数にも入らないような我が身の思い出としよう。

【補記】「世をいとふ名」とは、俗世を捨てた出家者に対する世間の肯定的評価ということである。因みに藤原頼長の日記『台記』には出家後まもない西行に会った記事があり、「家富み、年若く、心に愁無きに、遂に以て遁世す。人これを嘆美するなり」(原文は漢文)とあり、西行の出家が当時都の人々の評判となったことが窺える。新古今集は「題しらず」として述懐歌群に含める。『山家集』の詞書は「同じ心をよみける」であるが、一つ前の歌の詞書を承け、「同じ心」とは述懐の心を示す。

【他出】西行家集、西行物語

鳥羽院に、出家のいとま申すとてよめる

惜しむとて惜しまれぬべきこの世かは身を捨ててこそ身をもたすけめ(玉葉2467)

【通釈】いくら惜しんだとて、惜しみとおせるこの世でしょうか。生きている間に身を捨てて出家してこそ、我が身を救い、往生することもできましょう。

【補記】保延六年(1140)、北面の武士として仕えた鳥羽院に、出家による辞職を申し出た際の歌。西行二十三歳。『山家集』には見えない。初句「をしむとも」、結句「身をばたすけめ」「身をばたのまめ」とする本もある。

【他出】西行家集、万代集、拾遺風体抄

題しらず

身を捨つる人はまことに捨つるかは捨てぬ人こそ捨つるなりけれ(詞花372)

【通釈】身を捨てて修行する人は、本当に自分の身を棄てるのだろうか。いや、捨てずにいる人こそが、我が身を棄てることになるのである。

【語釈】◇身を捨(す)つる 「捨身」の和語化。我が身を修行に捧げること。◇まことに捨つるかは 本当に捨てるのだろうか、いや捨てるのではない。「かは」は反語。この「捨つる」は最初の「捨つる」とは異なり、「棄てて顧みない」「ないがしろにする」といった意。◇捨てぬ人 身を修行に捧げない人。濁世に執着する人。◇捨つるなりけれ この「捨つる」は第二句の「捨つる」と同じ意味で用いている。

【補記】「捨つ」という語の両義性を生かして、出家することの本義に思いをめぐらした歌。『西行物語』は出家を遂げた翌朝、驚き怪しむ僧たちに対して詠んだ歌とするが、むしろ自分に言い聞かせるための歌であろう。仁平元年(1151)、三十四歳にして勅撰初入集を果たした歌であるが、当時西行の名はまだ世に知られておらず、「よみ人しらず」としての入撰であった。『山家集』には見えない。『西行法師家集』や『西行物語』では初句「世をすつる」。

【他出】西行家集、西行物語

旅宿月といへる心をよめる

都にて月をあはれと思ひしは数よりほかのすさびなりけり(418)[新古937]

【通釈】都にあって月を哀れ深いと思ったのは、物の数にも入らないお慰みなのであった。

【補記】『山家集』では秋の部に収めるが、旅情が主の歌であり、新古今集では羈旅の部に移している。題「旅宿月」は旅の途上、野宿して眺める月のこと。その凄切たる美しさを知り、都で見た月と比較して、情趣の深さの違いに思いを致している。出家して間もない、若き日の詠。新古今集は「題しらず」、第四句「数にもあらぬ」。また結句を「すまひなりけり」とする本もある。

【他出】西行家集、定家十体(面白様)、西行物語

大峰の深仙と申す所にて、月を見てよみける

深き山にすみける月を見ざりせば思ひ出もなき我が身ならまし(1104)[風雅614]

【通釈】深山に澄み輝いていた月の光――あの光を見ることがなかったならば、思い出もない我が身であったろう。

【語釈】◇大峰の深仙(しんせん) 大峰は吉野から熊野へと連なる山脈。深仙は釈迦ヶ岳と大日岳の間にある行場。◇深き山 地名「深仙」を掛けて言う。

【補記】大峰の厳しい修行場において眺めた月の美しさとは、修行によって至り着いた、澄み切った境地の象徴でもあろう。それに比べれば、現世の楽しい思い出など物の数ではない、というのである。上句を「ふかき山の峰にすみける月見ずば」とする本もある。『山家集』では雑の部にあるが、風雅集では秋歌中の巻に収め、詞書は「月をよめる」。

【他出】西行家集、歌枕名寄、題林愚抄、西行物語

【参考歌】済慶「金葉集(三奏本)」「詞花集」
思ひいでもなくてや我が身やみなまし姨捨山の月みざりせば

庵の前に、松のたてりけるを見て

ここをまた我住み憂くて浮かれなば松はひとりにならむとすらむ(1359)

【通釈】ここをまた私が住みづらくなって浮かれ出たならば、庵の前の松の木はひとりぽっちになってしまうのだろう。

【補記】仁安三年(1168)、崇徳院鎮魂のため白峰御陵を参拝し、善通寺に庵を結んだ。その庵を離れようとする時の作。『山家心中集』の詞書は「土佐のかたへや罷りなまし、とおもひたつことの侍りしに」。

【他出】山家心中集、源平盛衰記、西行物語

同行どうぎやうにて侍りける上人、例ならぬこと大事に侍りけるに、月のあかくてあはれなるに詠みける

もろともに眺め眺めて秋の月ひとりにならむことぞ悲しき(778)[千載603]

【通釈】秋の月を毎年一緒に眺め眺めしてきて、これからは独りになってしまうことが悲しくてならない。

【補記】親友の僧侶西住の臨終に際しての詠。千載集の詞書は「同行上人西住、秋ごろわづらふことありて、限にみえければよめる」。西住は俗名源季政。西行と同じく左衛門尉などに任官したのち出家した。若い頃から西行と親しく、しばしば旅に同行したり、歌の贈答をしたりした。

【他出】山家心中集、西行家集、定家八代抄

【主な派生歌】
つれづれとながめながめて暮るる日の入相の鐘の声ぞさびしき(祝子内親王[風雅])

高野山を住みうかれてのち、伊勢国二見浦の山寺に侍りけるに、太神宮の御山をば神路山と申す、大日の垂跡を思ひてよみ侍りける

深く入りて神路かみぢのおくを尋ぬればまた上もなき峰の松風(千載1278)

【通釈】深く入り込み、神の道という名の神路山の奥をたずねてゆくと、限りなく尊い峰に松風が吹いている。

神路山
伊勢内宮と神路山

【語釈】◇神路山 伊勢神宮の内宮の南方にある山。◇大日の垂跡 「大日如来の御垂迹」とする本もある。真言密教の本尊である大日如来が天照大神となって我が国に垂迹(すいじゃく)したこと。◇また上もなき峰 この上なく尊い峰。神路山を、仏が法華経を説いた霊鷲山(りょうじゅせん)と同一視しての謂い。

【補記】以仁王に続いて源頼朝らが挙兵した治承四年(1180)、西行は高野山を出て伊勢に移住、二見浦の山中に庵居した。この地では本地垂迹説・神仏習合思想に基づく歌を集中的に詠んでいる。これらの歌はいずれも『山家集』には見えない。

【他出】御裳濯河歌合、西行家集、歌枕名寄、西行物語

題しらず

神路山月さやかなる誓ひありてあめの下をば照らすなりけり(新古1878)

【通釈】神路山の月がさやかに照るように、明らかな誓いがあって、慈悲の光はこの地上をあまねく照らしているのであった。

【語釈】◇月さやかなる誓ひ 月の光が明らかなように、明らかな誓い。和歌では月はしばしば釈迦の暗喩。神仏習合思想から、仏が衆生を救う誓いをこのように言いなしたのである。

【補記】前歌と共に神仏習合思想を詠んだ歌。『御裳濯川歌合』では最初の番の右に置かれる。左歌は「岩戸あけし天つみことのそのかみに桜を誰か植ゑはじめけむ」で、桜と月を配した合せである。俊成の判詞は「左の歌は、春の桜を思ふあまり、神代の事までたどり、右歌は、天の下をてらす月を見て、神路山のちかひをしれる心、ともにふかく聞ゆ、持とすべし」。『西行法師家集』の詞書は「神路山にて」。

【他出】御裳濯河歌合、西行家集、御裳濯和歌集、歌枕名寄、西行物語

【主な派生歌】
ながめばや神路の山に雲消えて夕べの空を出でむ月かげ(後鳥羽院[新古今])
照らすらむ神路の山の朝日かげあまつ雲居をのどかなれとは(藤原定家)

伊勢の月よみの社に参りて、月を見てよめる

さやかなる鷲の高嶺の雲ゐより影やはらぐる月よみの森(新古1879)

【通釈】霊鷲山にかかる雲から現れた月は、さやかな光をやわらげて、この国に月読の神として出現し、月読の杜に祀られている。

【語釈】◇さやかなる 「鷲の高嶺」に掛かると共に、第四句の「影」にも掛かる。◇鷲の高嶺 釈迦が法華経を説いたといわれる霊鷲山。西行は本地垂迹説に基づき、伊勢の神路山とこの山とを同一視している。◇影やはらぐる 光をやわらげる。漢語「和光」の翻訳。仏が日本の神として現れること。◇月よみの森 詞書の「月よみの社」にあたる。伊勢にある月読命(月の神)を祭る社。

【補記】ここでも月は仏そのもの、あるいは仏の慈悲の暗喩であると共に、日本の神でもある。思想を詠んでいるが、実際に月読の社に参って月を眺めた時の感動に基づいた歌であることが感じられる。

【他出】御裳濯河歌合、西行家集、玄玉集、歌枕名寄、西行物語、六華集

題しらず

流れたえぬ波にや世をば治むらん神風すずしみもすその岸(玄玉集)

【通釈】太古より流れの絶えない波によって世を平和に治めるのだろうか。神風が涼しい、御裳濯川の岸よ。

御裳濯川
御裳濯川

【語釈】◇神風 「神風の」「神風や」が伊勢や御裳濯川の枕詞であったことから、伊勢神宮境内を流れる御裳濯川に吹く川風をこう呼んだのであろう。のち、「神威によって起こる風」といった意味で用いられるようになる。◇みもすその岸 御裳濯川の岸。御裳濯川は五十鈴川の別称。倭姫命がこの川で裳裾の汚れを濯いだとの伝承から御裳濯川と呼ばれた。

【補記】『御裳濯河歌合』巻末歌。前掲の「深く入りて…」と番われて持。俊成の判詞は「左歌、心詞ふかくして愚感抑え難し、但し右歌も、神風久しくみもすその岸にすずしからむ事、勝劣の詞を加へがたし、仍ち持と申すべし」。『玄玉集』は建久二〜三年(1191〜1192)頃成立と推定される私撰集。撰者は不明。『西行法師家集』では詞書「伊勢にて」、結句「みもすその川」。

【他出】御裳濯河歌合、西行家集、歌枕名寄

【参考歌】源経信「後拾遺集」
君が代はつきじとぞ思ふ神風やみもすそ川のすまむかぎりは

あづまのかたにまかりけるに、よみ侍りける

年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山(新古987)

【通釈】年も盛りを過ぎて、再び越えることになろうと思っただろうか。命があってのことである。小夜の中山よ。

【語釈】◇さやの中山 遠江国の歌枕。静岡県掛川市日坂と金谷町菊川の間、急崚な坂にはさまれた尾根づたいの峠で、街道の難所の一つ。

【補記】『山家集』には見えない歌。『西行法師家集』の詞書は「あづまの方へ、相知りたる人のもとへまかりにけるに、さやの中山見しことの、昔になりたりける、思ひ出でられて」。

【他出】西行家集、自讃歌、定家十体(有一節様)、歌枕名寄、西行物語、心敬私語

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
春ごとに花の盛りはありなめど相見むことは命なりけり

あづまのかたへ修行し侍りけるに、ふじの山をよめる

風になびく富士の煙の空に消えてゆくへも知らぬ我が心かな(新古1613)

【通釈】風になびく富士山の煙が空に消えて、そのように行方も知れないわが心であるよ。

【補記】『山家集』には見えない。慈円の『拾玉集』によれば西行入寂前二、三年のうちに詠まれた作。とすれば新古今集の詞書に「修行」とあるのは、文治二年(1186)に出発した東大寺再建のための砂金勧進の旅を指すのだろう。同じく『拾玉集』には「これぞわが第一の自嘆歌と申しし事を思ふなるべし」ともあり、西行にとって最高の自信作であったらしい。

【他出】西行家集、自讃歌、定家十体(長高様)、定家八代抄、和歌口伝、歌枕名寄、西行物語

【参考歌】相模「後拾遺集」
いつとなく心そらなる我が恋や富士の高嶺にかかる白雲


―聞書集より―

嵯峨にすみけるに、たはぶれ歌とて人々よみけるを(八首)

うなゐ子がすさみにならす麦笛のこゑにおどろく夏の昼臥し(聞書集165)

【通釈】うない髪の子供が戯れに吹き鳴らす麦笛の音に、はっと目が覚める、夏の昼寝。

【語釈】◇たはぶれ歌 滑稽味を狙った歌や、卑俗な主題を詠んだ歌。◇うなゐ子 うない髪(うなじで束ねた髪形)をした子供。のち、幼い少年一般を指すようになる。◇麦笛 麦の茎を笛のように吹き鳴らすもの。

【補記】洛西嵯峨に住んでいた時、戯れ歌として人々と詠み合った歌。十三首連作のうち冒頭の一首。いつの時代の作とも知れないが、二度目の東国旅行の後、文治三年(1187)か四年頃とする説がある。

【他出】夫木和歌抄

 

昔かな炒粉いりこかけとかせしことよあこめの袖に玉だすきして(聞書集166)

【通釈】昔であるなあ。炒粉かけだったか、そんなのをしたことよ。衵(あこめ)の袖にたすきがけをして。

【語釈】◇炒粉かけとか 「炒粉」は炒った米の粉。「炒粉かけ」は不詳。練り菓子を作ることか。「とか」は格助詞「と」に係助詞「か」の付いたもので、記憶の内容が不確かなことをあらわす。「〜とか、〜とか」と並列する用法ではない。◇あこめ 内着。下着。◇玉だすき 襷(たすき)の美称。襷とは衣服の袖をたくし上げるため肩にかけて結ぶ紐。

 

竹むまを杖にも今日はたのむかなわらは遊びを思ひ出でつつ(聞書集167)

【通釈】竹馬を今日は杖代りに頼ることよ。子供の頃の遊びを思い出しながら。

【語釈】◇竹むま 竹馬。葉の付いた生竹に紐をつけ、馬に乗るように跨って遊んだもの。二本の竹竿に足懸けを作って乗り歩く竹馬は後世のもの。

【補記】子供の頃に遊んだ竹馬を、老いた今は杖代わりにする。

【他出】夫木和歌抄

 

昔せし隠れ遊びになりなばや片すみもとによりふせりつつ(聞書集168)

【通釈】昔した隠れんぼになればよいなあ。庵の片隅あたりに寄りかかって臥せったまま。

【補記】庵の片隅に横になって、昔の隠れ遊びを懐かしんでいる歌であろう。

 

篠ためて雀弓はるのわらはひたひ烏帽子のほしげなるかな(聞書集169)

【通釈】細い竹をたわめて、雀弓の弦を張っている男の子は、額烏帽子がほしげな様子であるよ。

【語釈】◇雀弓(すずめゆみ) 雀を射る弓。◇ひたひ烏帽子(ゑぼし) 黒い三角の布(または紙)を額に当てるかぶりもの。もとは呪術的な護身具。

【補記】「ひたひ烏帽子」は放(はな)り髪をまとめる役目を果たした。ざんばら髪で雀を狙っている男の子が、前髪をうるさがっている様を、「ひたひ烏帽子のほしげなる」と見たのであろう。

【他出】夫木和歌抄

 

我もさぞ庭のいさごの土遊びさて生ひたてる身にこそありけれ(聞書集170)

【通釈】私もそのように庭の砂の土遊びをして、そうして成長した身であったのだ。

【補記】「さぞ」とは、砂遊びをしている子供を見て、自分も同じだったと顧みている心。

【他出】西行家集、夫木和歌抄

 

いたきかな菖蒲しやうぶかぶりの茅巻馬ちまきうまはうなゐわらはのしわざとおぼえて(聞書集172)

【通釈】みごとなものよ。菖蒲の葉をかぶせた茅巻馬は。うない髪の子供がしたことと思われて。

【語釈】◇いたきかな 「いたし」は「感に堪えない」「みごとである」ほどの意。◇菖蒲かぶりの茅巻馬 菖蒲の葉をかぶせた茅巻馬。茅巻馬は茅(ち)または菰(こも)を巻いて馬の形にしたおもちゃ。

【補記】子供の作った玩具のすばらしさに感嘆している。

 

恋しきをたはぶれられしそのかみのいはけなかりし折の心は(聞書集174)

【通釈】恋しい思いをからかわれた、その昔のあどけなかった頃の心は、ああ。

【補記】少年の日の初々しい恋心を年長者に揶揄された、その時の痛みを、年老いて回想している。

地獄絵を見て

なによりは舌ぬく苦こそ悲しけれ思ふことをも言はせじのはた(聞書集207)

【通釈】他の何より、舌を抜き取る苦しみこそ悲しいのだ。言いたいことも言わせまいとの刑罰よ。

【補記】地獄絵、すなわち地獄に堕ちた罪人が責め苦を受けるさまを描いた絵を見ての作。地獄絵を主題とした歌には和泉式部の先例があり、これも西行が和泉式部に極めて強い影響を受けた一証左となろう。

【他出】夫木和歌抄

黒きほむらの中に、男女もえけるところを(四首)

なべてなき黒きほむらの苦しみは夜の思ひの報いなるべし(聞書集208)

【通釈】並大抵でない黒い炎に焼かれる苦しみは、夜の思いに対する報いの業火であるに違いない。

【語釈】◇夜の思ひ 夜に燃やした恋の炎。性の快楽を言うのであろう。「思ひ」の「ひ」には火の意が掛かる。

【補記】これも地獄絵を見ての作。

【他出】夫木和歌抄

 

塵灰ちりはひに砕け果てなばさてもあらでよみがへらする言の葉ぞ憂き(聞書集210)

【通釈】いっそ塵灰にまで粉々になってしまえば――しかしそうもならずに、また生き返らせる獄卒の言葉が辛い。

【語釈】◇よみがへらする言の葉 地獄の鬼が罪人を生き返らせる唱えごと。

【補記】等活地獄において罪人は切り刻まれ粉砕されたあと、再び生き返って責め苦を受けるという。「砕け果てなば」のあとに「よかったのに」といった意味の語が省略されていると考えると解りやすい。

 

あはれみし乳房ちぶさのことも忘れけり我が悲しみの苦のみおぼえて(聞書集211)

【通釈】いつくしみ育ててくれた乳房のことも忘れてしまった。自分自身の悲しみの苦痛ばかりが思われて。

【補記】炎の中父のゆくえも知れぬと詠む次の歌と同じく、両親と共に地獄の火に焼かれる罪人の絵を主題にした歌であろう。養われた恩を忘れ、母を思いやることもなく、ただおのれの罪業ゆえの苦しみにのたうちまわる。

 

たらちをのゆくへを我も知らぬかな同じ炎にむせぶらめども(聞書集212)

【通釈】父はどこへ行ったか、その行方を私も知らないことよ。同じ地獄の炎に咽んでいるのだろうけれども。

【語釈】◇たらちを 父。母の枕詞「たらちねの」から「たらちね」が母の異称となり、それに対して父を「たらちを」と呼ぶようになった。

【補記】火炎地獄において父と離れ離れになり、その行方を追うこともできずに咽び苦しむさま。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成28年07月04日

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