『山家集』より、特に秀歌を多く含む歌群を抜萃して掲載する。歌本文は、主として和歌文学大系21所収の『山家集』(西澤美仁校注)を参考とし、『西行全集』(久保田淳編)などを参照して作成した。歌の末尾に新編国歌大観番号を付した。千人万首に採った歌には*のしるしを付け、当該歌へのリンクを張った。
花の歌あまた詠みけるに 『山家集』春より
空に出でていづくともなく尋ぬれば雲とは花の見ゆるなりけり(60)
雪とぢし谷の古巣を思ひ出でて花にむつるる鶯のこゑ(61)
吉野山雲をはかりに尋ね入りて心にかけし花を見るかな(62)
思ひやる心や花にゆかざらん霞こめたるみ吉野の山(63)
おしなべて花の盛りになりにけり山の端ごとにかかる白雲(64)*
まがふ色に花咲きぬれば吉野山はるははれせぬ峰のしら雲(65)
吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき(66)*
あくがるる心はさても山桜ちりなんのちや身にかへるべき(67)*
花見ればそのいはれとはなけれども心のうちぞくるしかりける(68)*
白川の梢を見てぞなぐさむる吉野の山にかよふ心を(69)
ひきかへて花見る春は夜はなくて月見る秋は昼なからなん(71)
花散らで月は曇らぬ世なりせば物を思はぬ我が身ならまし(72)
たぐひなき花をし枝に咲かすれば桜にならぶ木ぞなかりける(73)
身をわけて見ぬ梢なく尽くさばやよろづの山の花の盛りを(74)
桜咲くよもの山べを兼ぬる間にのどかに花を見ぬここちする(75)
花に
白川の春のこずゑの鶯は花のことばを聞くここちする(70)
願はくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ(77)*
仏には桜の花をたてまつれ我がのちの世を人とぶらはば(78)*
なにとかや世にありがたき名を得たる花も桜にまさりしもせじ(79)
山ざくら霞の衣あつくきてこの春だにも風つつまなん(80)
思ひやる高嶺の雲の花ならば散らぬ
のどかなる心をさへに尽くしつつ花ゆゑにこそ春を待ちしか(82)
ならひありて風さそふとも山桜たづぬる我を待ちつけて散れ(84)
裾野やくけぶりぞ春は吉野山花をへだつる霞なりける(85)
今よりは花見ん人につたへおかん世をのがれつつ山に住まへと(86)
月 『山家集』恋より
月待つと言ひなされつる宵の間の心の色を袖に見えぬる(616)
しらざりき雲居のよそに見し月のかげを袂にやどすべしとは(617)*
あはれとも見る人あらば思はなん月のおもてにやどす心を(618)*
月見ればいでやと世のみ思ほえて持たりにくくもなる心かな(619)
弓はりの月にはづれて見しかげのやさしかりしはいつか忘れん(620)*
面影の忘らるまじき別れかな名残を人の月にとどめて(621)*
秋の夜の月や涙をかこつらん雲なき影をもてやつすとて(622)
あまの原さゆるみ空は晴れながら涙ぞ月の
物思ふ心のたけぞ知られぬる夜な夜な月をながめ明かして(624)
月を見る心のふしを
思ひ出づることはいつともいひながら月には
あしひきの山のあなたに君すまば入るとも月を惜しまざらまし(627)
なげけとて月やは物を思はするかこちがほなるわが涙かな(628)*
君にいかで月にあらそふ程ばかりめぐりあひつつ影をならべん(629)
しろたへの衣かさぬる月かげのさゆる真袖にかかる白露(630)
忍びねの涙たたふる袖のうらになづまず宿す秋の夜の月(631)
物思ふ袖にも月はやどりけり濁らですめる水ならねども(632)
恋しさをもよほす月の影なればこぼれかかりてかこつ涙か(633)
よしさらば涙の池に身をなして心のままに月をやどさん(634)
うち絶えて嘆く涙は我が袖の朽ちなば何に月をやどさん(635)
世々ふとも忘れがたみの思ひ出は袂に月のやどるばかりぞ(636)
涙ゆゑ隈なき月ぞ曇りぬる天のはらはら
あやにくにしるくも月のやどるかな夜にまぎれてと思ふ袂に(638)
面影に君がすがたを見つるよりにはかに月の曇りぬるかな(639)
夜もすがら月を見がほにもてなして心の闇にまよふころかな(640)
秋の月物思ふ人のためとてや影にあはれを添へて出づらん(641)
へだてたる人の心の
涙ゆゑつねは曇れる月なればなかれぬ折ぞ晴れ間なりける(643)
くまもなきを折しも人を思ひいでて心と月をやつしつるかな(644)*
物思ふ心のくまを
恋しさや思ひよわるとながむればいとど心をくだく月かな(646)
ともすれば月見る空にあくがるる心の果てを知るよしもがな(647)
ながむるになぐさむことはなけれども月を友にて明かす頃かな(648)
物思ひてながむる頃の月の色にいかばかりなるあはれ添ふらん(649)
あま雲のわりなきひまをもる月の影ばかりだに逢ひ見てしがな(650)
秋の月
思ひ知る人ありあけの世なりせばつきせず身をば恨みざらまし(652)
公開日:平成20年06月18日
最終更新日:平成20年06月18日