藤原範宗 ふじわらののりむね 承安元〜天福元(1171-1233)

藤原南家。参議俊慶の孫。治部少輔従四位下基明の一男。母は民部少輔源延俊女。贈左大臣範季女を妻とし、範保ほかをもうける。
寿永二年(1183)、蔵人に補され、安藝守・治部権大輔・斎宮頭・丹後守・中宮亮などを歴任。後堀河天皇の嘉禄元年(1225)四月、従三位に至る。天福元年(1233)六月十八日、薨ず。六十三歳。
建暦年間から順徳天皇の内裏歌壇で活躍し、建暦二年(1212)四月の当座五十首、建保元年(1213)の内裏詩歌合、同年七月及び閏九月の内裏歌合、建保二年(1214)八月の内裏歌合、同三年の院四十五番歌合・内裏名所百首、同四年の六月内裏歌合・後鳥羽院百首、同五年(1217)九月の右大臣家歌合、同年十一月の冬題歌合、承久元年(1219)の内裏百番歌合、同二年(1220)以前の道助法親王家五十首、貞永元年(1232)の洞院摂政家百首、同年七月の大殿七首歌合などに出詠。
家集に『範宗集』(『郁芳三品集』とも)がある。『続歌仙落書』に歌仙として撰入。新勅撰初出。勅撰入集計十四首。

寛喜四年三月八幡若宮歌合
暮山花

山人の峰の桜を折りそへてかへるかざしもにほふ春風(範宗集)

【通釈】折り取った桜を髪に添えた山人が、峰から麓の村へ帰ってゆく――その挿頭(かざし)も春風に吹かれて薫る。

【語釈】◇山人(やまびと) 山または山里に住み、山でとれるもの(木や獣)によって生計を立てていた人々。木こり・炭焼・猟師など。

【補記】寛喜四年(1232)三月、石清水若宮歌合。

【参考歌】
山桜かざしの花に折りそへてかぎりの春のいへづとにせむ(西行)
つま木には野辺のさわらび折りそへて春の夕にかへる山人(藤原家隆)

入道二品親王家五十首歌、閑中灯

ながき夜の夢路たえゆく窓のうちに猶のこりける秋のともし火(新勅撰1184)

【通釈】秋の長夜、窓のほとりでうとうとと眠りに落ちたが、やがて夢も途絶え、眼が醒めてゆく――と、窓辺の燈火はまだ絶えずに残っていた。

【補記】承久二年(1220)以前の「道助法親王家五十首」。

題しらず

はるかなるほどは雲ゐの月日のみ思はぬなかにゆきめぐりつつ(新勅撰999)

【通釈】あの人とは思うにまかせぬ仲のまま、遥かなことは雲を隔てる程の月日が去来するばかりで…。

【本歌】橘忠幹「拾遺集」
わするなよほどは雲ゐに成りぬとも空行く月の廻りあふまで


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日