祝子内親王 しゅくしないしんのう(のりこ-) 生没年未詳

花園院の皇女。母は花園院冷泉。花園天皇宸記に見える、元亨三年(1323)八月廿八日に着袴の儀を行った「女王」と同一人とすれば、後伏見院の生母中園准后経子に幼時から愛育され、元亨四年の経子の死後、十歳で出家。生年は正和四年(1315)ということになる(岩佐美代子「田中本帝系図をめぐる歌人達」)。貞和二年(1346)または三年、立親王。
後期京極派歌人。勅撰入集は風雅集のみ十首。

夏の歌の中に

松のうへに月のすがたも見えそめてすずしくむかふ夕ぐれの山(風雅380)

【通釈】峰に生える松の梢の上に月の姿も見え始めて、涼しげに対面することだ、夕暮の山に。

【補記】月と向かい合う明澄な心境が、夏にあっても爽涼感を呼ぶ。

秋歌に

吹きわくる竹のあなたに月みえて籬はくらき秋風の音(風雅582)

【通釈】秋風が吹き分けた竹叢の向うに月があらわれて、一方、近くの(まがき)は暗く、風の音がしている。

【補記】第三句「月さえて」とする本もある。

題しらず

霜さむき朝けの山はうすぎりてこほれる雲にもる日かげかな(風雅761)

【通釈】霜が降りて寒々とした明け方、山はうっすらと霞んで、朝日は凍りついたような雲から洩れてくるなあ。

月前恋といふことを

月はただ向かふばかりのながめかな心のうちのあらぬ思ひに(風雅983)

【通釈】月を眺めると言っても、ただ向かい合っているばかりのことだよ、心ここにあらずの恋しさに。

【参考歌】花園院「風雅集」
わが心すめるばかりにふけはてて月を忘れてむかふ夜の月

恋歌に

我さへに心にうときあはれさよなれし(ちぎ)りの名残ともなく(風雅1353)

【通釈】私の心からさえあの人の記憶が薄れてゆくことの悲しさよ。馴れ親しんだ二人の仲のなごりもなくて。

暁の心を

山ふかみおりゐる雲は明けやらで麓にとほき暁の鐘(風雅1628)

【通釈】山深く垂れ込めた雲はなかなか晴れ切らず、麓に遥か遠く響く、山寺の暁の鐘よ。

【補記】山麓にいて深山からの鐘の音を聞くという設定。

雑歌に

憂しとても幾ほどの世と思ふ思ふなほそのうちも物のわびしき(風雅1861)

【通釈】辛いと言っても、どうせ幾らもない人生と思い思いして過ごす――そんな中でも、やはり何か侘びしくてならないよ。


最終更新日:平成15年01月13日